誰が言い始めたのでしょうか。
「いわゆる、そうした日本の童顔・巨乳、でか尻、足細の女性キャラって、一昔前の言葉で、使うことにも躊躇しますが「奇形フェチ」だと思うのですよね。
昔の中国の纏足につながるような身体形成で、それは正に男性による女性のモノ化であり、人権・人格否定。」
色々思うことがあったので、自身の考えを整理するためにも書いてみました。殴り書きですみません。
まずこのツイートの背景を簡単に説明します。宇崎ちゃんが採用された日本赤十字社の献血ポスターにおける女性の体の描き方が以上に胸が大きく、つまり女性表象が現実を逸脱しており、これが性差別に繋がっているのではないかという議論が巻き起こりました。それに対して、巨乳を差別している、表現の自由が保障されているから良いのではないか、という意見がありました。
女性の「モノ化」とは?
性別という理由のみで性役割を固定され、女性が主体を失い、男性の理想となるような「モノ」を強制されることを指します。例えば歴史を見ていくと、性は戦争の道具に利用されていました。男性は戦争に行き、女性は家庭を守る。父権主義により女性は家庭に入り、男性の子供を産む道具つまり「モノ」として性役割を強制されるような歴史があります。
今回は、胸を過剰に表現することによって女性が男性の性的消費の「モノ」と化しているものを堂々と公開することは問題ではないか、ということを論点にしています。
→そもそも今回の批判対象はポスターの性表象になります。ですので、現実に存在するGカップの女性(どこからが巨乳かの定義は置いておきます)を批判しているわけではありません。また「奇形」と表現されているのは表象の結果的要素であり、作者の絵柄や萌え絵文化を非難するものでもないはずです。「なぜあえて胸を強調するような絵柄がポスターとして採用され、人の目に留まりやすい場所に掲示されているのか」が問題の本筋となります。
ツイッター上ではこの巨乳を奇形と差別したという話ばかりが広まり、これに対した反応をしている方ばかりを見かけるようになりました。巨乳が奇形だと間違った受け取り方をして、それを広めているのもここの人たちです。
→表現の自由は人権を守った上で存在できることは周知の事実です。
→あいトリで大きく問題にされていた昭和天皇の写真を燃やして踏みつける動画作品。これはそもそも天皇制を批判している、日本の象徴を侮辱しているという文脈で見ようとすると誤解を受けます。この作品を制作した大輔さんは「心の問題としての自画像」を取り上げ、変遷するイメージを天皇として表現しました。本来は世代によって変わる天皇のイメージと皇室タブーの議論へと接続される予定の作品だった。ただそれが上手く行かずに政治的文脈によってのみ判断されてしまいました。現代アートは問題を投げかける作品が多いです。ただその性質上、人間の負の感情からスタートすることが多い。私は表現の不自由展・その後を支持するわけではありませんが、展示が本来持つ意味に沿って機能せず、短絡的な思考により展示が阻害されたのは問題だと思います。これは余談なのですが、そもそも天皇は基本的人権をお持ちなのでしょうか。人権を制限されている制度が存在することを無視して、この動画作品を批判するのはどこか矛盾していませんか。天皇の人権について議論するならば、天皇制についてもきちんと議論するべきだと思ったのは私だけなのでしょうか。
→そのような絵柄を好む方も多くいることは理解しています。その愛好人口のある程度の多さ故に、女性的な要素である胸を強調するイラストは一定の支持を受けている。ただ忘れてほしくないのは、女性の性的要素が強調されたイラストを不快に思う人が存在するということです。今は女性の性的要素を強調しているのみですが、これが水着になったらどうでしょうか。もしエロやグロだったらほとんどの人が批判すると思います。場に適切か不適切かどうか。その線引きについて現在議論しているのです。
→存在し、受ける人が増加する事実を確認しているだけで、勧めているわけではないです。大事なのはこの背景に何があるかということです。胸を性的要素として日常に取り入れすぎてしまい、巨乳、つまり性的要素が強い人が結果的に性的な視線に晒される機会が多くなった。日常に取り入れすぎるというのは、今回のポスターのように市民権を得すぎてしまったことです。冒頭に戻りますが女性の「モノ化」により本来、個人的にやり取りされるはずの女性の性が、大勢とやり取りされることが問題になります。
この一連のツイートへの反応はどうしても本筋の論点とは違ったところへ議論が流れがちです。第三者が各所を切り取り、論旨をすり替えたツイートも見られ、大勢の人がRTしたりしています。これが最近話題のフェイクニュースかあ、と感心してしまいました。もちろん感心してる場合ではないのですが。情報の判断を誤ると生産的で建設的な議論ができなくなります。そもそも議論ではなく「でも私はー」や「でもこんな人もー」などのように個人的な感想や極めて稀な例を出す人もいます。感情や例外ではなく、一般的な例に則った議論を交わすことをお勧めします。私はこの議論に関しては肯定派にいますが、反対派の意見ももちろん聞きたいです。しかしそれは「胸を強調することに問題はない」「このイラストが公共の場に晒されることに問題はない」ことを証明する意見を求めています。
そうだそうだおかしいぞ、 奇形じゃなくて整形手術済みだぞ~