弱者男性が「女は弱者性があるからフェミニズムが必要だと言うが、女よりも弱者の男がいるのでフェミニズムは根拠がない」とかいう女叩きのプロパガンダとして発達した語であることを知らないらしいな
発端が理解できてないのかよ
https://anond.hatelabo.jp/20240524180210
を読んで、タイトルのようなことを考えたよ。
女性って、親や兄弟からさえうっすら軽んじられていたり、社会でも「この話は女には難しいよね(笑」「女がいるとしたい話ができない」「チェンジ」みたいな軽差別や排除にも残念ながら慣れがある。
しかも、不本意でも身体開けば求められるって感覚を持ってる人も少なく無いから、男だけの街で男性がのびのび過ごす空想をしてても気にならないと思うんだよね。
少なくとも「私たち看護保育介護あるいは性的資源なしにやっていけると思ってるの?!」とは言わない。
だけど男性はそうではなく、事実として「俺らが維持してるインフラなしに生活を維持できるわけがない、女はわかってない」というような声が上がってきていたんだけど、これって見放される不安からきてるんだろうなと思ったの。
存在意義を「社会に必要不可欠である」「社会に貢献している」あたりで掴んでいるってことなのかなって。
しかも、男性って、最初の期待が高めな代わりに、いいところに落ち着くまでは引き算されてしまうし、その過程で自分より上に残る人もたくさん見てきてるだろうし。
だから、別に好きでもない女の空想であろうと「お前いなくてもなんとかなるわ」って言われると傷つくんだろうな。
周りからの期待の高さ、それに至らない中での自己肯定を、セックスで回復しているような事も聞くから、「女だけの街」を聞いたときにアイデンティティ崩壊しかかる人がそれなりにいるんだろうなって。
別に女がどう言ったところで、必要不可欠な存在であるこことには変わりがないのに、インセンティブが賃金の量だけだったりして、ドーパミン的な報酬が薄すぎるせいだよね。
野菜もサラダも全然嫌いではないんだけどランチや定食だったり、飲み会のコースだったり、絶対サラダが出てくるの、あれ必要か?と思ってしまう。ランチだとサラダを残すのは勿体ないけど単品とコーヒーを頼むと高くなる。小腹がすいたときとか、サラダだけで食べるのは平気と思う人間だから多分私がずれてはいるんだけど、とりあえずのサラダってみんなそんなに本当に食べたいんだろうか