はてなキーワード: 派出所とは
anond:20241012181121週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選
↑を書いた増田です 適当に書いた増田がしばらく見ないうちにブクマ数めっちゃ伸びてて派生増田もめちゃくちゃ出ててビビった。ただのおじさんの与太話にいろいろ意見をくれてありがとう
みんなのコメントの中には恥ずかしながら読んでなかった作品もあったくらいで、今週はネカフェやKindleの50%還元セールでいろいろ読み返してました
選考基準について少し補足すると、ジャンプという雑誌の在り方への影響度がとにかく重要だと考えてます。売上とか人気とか社会的影響は考慮はしてますが、あくまで付随する要素に過ぎません。
ブコメやXで結構言及されてたのを見て思ったのは、選評を雑に書きすぎて自分の考える重要性が伝わってないところが多かったのと、20選だとさすがに網羅出来てないなということ。もともと個人的なメモ書き程度に書いたものだったのですが、色々な意見を取り入れた25選にして、一人一作縛りもなくして、選評ももうちょい見栄えするようリライトしてみました。これが現時点でのベストだと考えているので、もう異論は取り入れません。
月2回刊で始まった少年ジャンプの創刊号はわずか10万5000部しか出なかった。その9年前のサンデー創刊号が30万部、マガジン創刊号が20万5000部だったことを考えると、その始まりが実に静かなものだったことがわかる。
そんな中、大家・永井豪が描いたこの作品の絶大な人気がジャンプの売上に大きく貢献したことは言うまでもないが、それ以上に重要なのは、この時点で「読者が面白いと思うことなら何だってやる」という編集部の方針は明確であったことである。
過剰ともいえる性描写、教職への徹底的な批判からなる本作は、当時の基準でも極めてラディカルで挑発的な作風であり、批判に晒され続けた。しかし、競争原理に基づき、常に読者の方を向いた雑誌を作るという編集部の意向が、この作品を存続させた。後に「アンケート至上主義」という形で現代まで続くことになるジャンプの強固なアイデンティティは、本作の成功とともに形をなしたのである。
頭文字Dや湾岸ミッドナイトのようなクルマ系のマンガが下火になったのは、若者が誰もスポーツカーに乗らなくなったことが原因のひとつであるという。頷けるところもあるが、じゃあ不良、ヤンキー、番長と称されるような若者なんてもっと絶滅危惧種なのにどうして彼らをカッコいいものとして描くマンガは何作も出続けているんだ?東リべのような大ヒットも未だに出ているのに。
思うに、我々の脳には義理と人情、泥臭さ、そして熱さを欲する部位が生まれつき備わっているのだ。そしてこうした要素を最も効果的に表現しうる分野が不良漫画であると見抜いたのは本宮ひろ志が最初であった。
ストーリーは完全にご都合主義で、キャラクターの一貫性もまるでない本作は、しかし「男の強さ」を描くという一点のみにおいて全くブレることはなかった。どんなに反社会的な人間でも、腕っぷしと強靭な精神と仲間への思いやりさえあればクールに映るという価値観は、フィクションにおいての(もはや誰も意識すらしなくなった)お約束として今なお残り続けている。
ジャンプが国民的マンガ雑誌とみなされる要因はどこにあるだろうか?40年間一度も休載することなく駆け抜けた秋本治のデビュー作は間違いなくその一つであろう。
当初は型破りな警察官・両津勘吉のドタバタを描くコメディとして始まった本作は、その時代のサブカルチャーや政治経済情勢を積極的に取り込むことで、高度経済成長期以降の近代化していく日本の風景を余すことなく取り込んだ作品となった。
浮世絵が江戸の庶民たちの風俗を映し出す史料であるように、こち亀が織りなす物語は昭和から平成にかけての日本人の最大公約数的な心象風景を巧みに映し出した。いまや日本から失われつつある中流の庶民の日常を、我々は全200巻からなる亀有の小さな派出所の日常にしみじみと感じ取るのだ。
もともと硬派なボクシングマンガとして始まった本作は仁義や兄弟愛をベースにした極めて現実的な作風で、決して圧倒的な人気作とは言えなかった。しかし、あしたのジョーの下位互換になるくらいなら無茶苦茶やってやる、という判断のもと路線変更し、過剰さと大袈裟さを極めたことで人気を博し、史上初の最終回巻頭カラーとして、ジャンプ史にその名を刻むこととなる
───という、教科書的な本作の功績だけが、本リストに入る理由ではない。重要なのは本作が男一匹ガキ大将(=根性と漢気)、侍ジャイアンツ(=超人的能力)の要素を意識的に再生産していることである。車田正美を源流として、ジャンプ的な文脈を後世の作品が重ね合わせることでより濃くしていく流れが明確になる。我々の知るジャンプは全て車田正美以後なのだ。
同時代の作家に比べ、寺沢武一のデビュー作の視座は群を抜いて高かった。スペースオペラの世界観から引用した本格的なSFのアイデアの数々。高い等身で描かれ、まるで映画のようなポージングやセリフ回しで魅せるセクシーな男女たち。幾度もの休載をはさみつつも、本作はユーモアとカッコよさと強さをコブラという一人の男の中に共存させるという偉業を成し遂げた。
登場人物も読者も無垢な10代の少年でなくてはならないという近視眼的な幻想と、ジャンプ作家は絶対にコンスタントに週刊連載をしなければならないという既成観念を、葉巻を加えた気障な宇宙海賊のサイコガン──精神力をエネルギーに変えるアイデアも寺沢が生み出したものだ──は易々と破壊したのである。
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品。いわゆる「友情・努力・勝利」という実際にはジャンプ編集部の誰も公言したことのないらしいパブリックイメージを単独で築き上げた。にもかかわらず、本作は国民的作品とはみなされておらず、犯罪的なまでの過小評価に甘んじていると言わざるを得ない。マジでなんで?絵が下手だから?嶋田のSNSの使い方が下手だから?
キン肉マンはマンガとしてではなく文化的に重要なのだと主張する類いの人間がいるが、そいつらの目と脳にはクソしか詰まっていない。ゆでたまごは絵の巧拙がクオリティに関係しないことを証明し、あらゆる世代の男たちにマンガに熱狂する勇気を与え、信じがたいほど面白い作品を描いた。この作品を嫌う人たちもまず冷静になり、理解しようと試みるべきだ。
鳥山明の訃報を聞いた日、Kindleで買ったまま放置していたDr.スランプの1巻を読んでみた。久しぶりに読む本作はきっと悲しいほど古く感じるだろうと思っていたが、実際のところiPadの画面に映るペンギン村の住人達は今も新鮮味をもって感じられた。
本作は後にDBやドラクエで知られることになる鳥山明がその才能の枝葉を伸ばし始めた作品である───と書けたらどれほど楽だったろう。枝葉どころかこの時点で大樹の幹である。
言語以前の本能の領域に鋭く迫り来る現実味を携えた絵は存在するが、そうした絵を毎週16ページのマンガで成立させる人間は鳥山明以外には存在しなかった。頭の中にBlenderが入っているかのような立体的なデフォルメは、我々の住む現実世界とは違うところにもリアリティというものは存在しうることを示し、「マンガのための絵」であった劇画調を衰退させる最大の要因となった。
Jリーグ創立の流れを生み出したともされる本作がサッカーマンガ界に残した遺産はなにか?もしかしたらこのような問いの設定自体が誤っているようにも思える。高すぎるキャラクターの頭身、大真面目に繰り出される荒唐無稽な技の数々が目をくらますかもしれないが、高橋陽一が一貫して表現したかったのはひたむきな少年たちが織りなす爽やかな青春であって、こうした要素は他作品にも見られるものだ。彼がサッカーという題材を選んだのは単に「野球マンガはありふれているから」という理由だ。本作は期せずしてサッカーマンガというジャンルの中心に祭り上げられたに過ぎないのだろう。
それでも、我々はこの巨星に感謝するほかない。この作品が無ければサッカーを始めていなかったであろう日本中、いや世界中の少年たちが、みな大空翼という一つのアイコンに夢中になっていたのだ。マイナースポーツのひとつに過ぎなかったサッカーをメジャークラスに引き上げ、軍国主義に基づく根性論を相対化し、ひたむきにボールを追いかける楽しさを私たちに初めて教えてくれたのはこの作品だったのだ。
元増田を書いたとき、ブコメ欄は「ぼくのはじめてのジャンプ」にまつわる涙なしでは語れない思い出たちで溢れかえったわけだが、はてブに入り浸る層の平均年齢を考えれば当然のことである。
自分のようなおじさんにとって涙なしでは語れない系マンガの筆頭に位置するのが北斗の拳である。1980年代中盤というのは、親しみやすいポップ路線と男臭い劇画路線がちょうどクロスオーバーする時期であった。今のメインストリームがどっちかは言うまでもないが、自分にとっては線が太くてむさ苦しい絵柄こそが少年ジャンプの原風景だった。
強くてカッコいい大人の男が弱肉強食の戦場で己の命を懸け闘う...そんなジャンプ初期から続く系統の最高到達点かつ袋小路が本作である。このようなマンガが流行る時代は二度と来ないとわかっているからこそ、特別な輝きを放ち続けるのだ。
かわいい女の子を見るためにマンガを読む者と、そうでない者がいる。どちらがいい悪いということはないが、少なくとも創刊してしばらくのジャンプは前者に見向きもしない雑誌であったのは確かだ。うちには高橋留美子はいないんだよ、といった具合に。
きまぐれオレンジ☆ロードは申し訳程度の超能力要素を除けば、一貫して思春期男女の甘酸っぱい三角関係に焦点を合わせ、かわいい女の子の日常が描かれているだけだ。それのなにがすごいのか?別にすごくはない。ただ、エロくもなく大したギャグもなく荒唐無稽な展開もないふつうの男女の日常に需要があることに、誰も気づいてない時代があったのだ。
まつもと泉は早くに体調を崩したこともあり、これ以降影響力ある作品を生み出すことはできないままこの世を去った。それでも、彼の鮮やかなトーン使い、歯が浮くようなセリフ回し、そして"かわいい女の子"以外に形容する言葉が見つからない鮎川まどかのキャラデザを見返すたび、これをジャンプでやってくれてありがとう、と思わずにはいられない。
鳥山明が死してなおこの先何度も繰り返される問いだろうが、ドラゴンボールよりもワンピやナルトの方がどれほど優れているのだろうか?そしてその答えを誰もが知っているのは何故だろう?これらの問いに対してどんな議論がなされようともすべて的外れで無意味である。それはこの作品が頂点だからだ。
鳥嶋和彦の意向により、本作はバカげた後付けの設定や引き伸ばしをせざるを得なかった。それでも、マンガを金銭を生み出す道具と見做す人間たちのあらゆる商業的な意図を超えて、本作はそれ以前、以降に掲載されたあらゆる作品を軽々と凌駕する金字塔となった。
11年に渡る孫悟空の冒険をもって、鳥山明は日本のマンガ文化が世界最高のものであるという事実を叩きつけ、自身が手塚治虫、赤塚不二夫、つげ義春、萩尾望都、藤子F不二雄、高橋留美子と並び立つ歴史上最高のマンガ家の一人であることを証明したのである。
車田正美はリンかけで過去のジャンプ作品の再生産を初めて試みたと述べたが、それを自分自身の作品でやった人間も車田が最初であった。自身のやりたいことを詰め込んだ男坂が衝撃的なまでの不人気に終わった反省から、彼は自身の原点に立ち返りつつもよりスケールを拡大した再生産をやることを決めた。
彼はギリシャ神話と宇宙、子供向けと大人の女性向け、劇画とプラモデルといった要素を交互に行き来しながら、自身が積み上げた様式美の世界を前人未踏の領域まで押し上げた。聖闘士に同じ技は二度通用しないが、我々読者は何度でもこのパターンを欲してしまうのだ。
ある一定の世代の人間からは、ジョジョという作品はいつも巻末に掲載されている時代遅れな絵柄のつまらん作品という評価が下されることがあり、そこには50%の事実と、50%の誤った認識が含まれている。
荒木飛呂彦の絵柄が彼の見た目と同様あまり本質的な変化がないことについてはその通りだ。だがいくら彼より本誌での掲載順が上であろうと、革新性・才能・実験精神という点で彼より優れた人間が果たして何人いただろう?
幽波紋と、理不尽な能力値のインフレを伴わないバトル描写は、彼が残した功績の中で最大のものである。キャラクターが持つ能力を、作者の演出の道具として使うのではなく、自律したキャラクター同士の駆け引きの領域に落とし込むことに成功したのだ。
我々はフィクションの中での整合性を厳しくジャッジすることに慣れっこになっているが、それに耐えうるものを初めて生み出したのは荒木だった。彼以降、マンガを読む行為は絵と吹き出しで表現された作者の脳内世界をくみ取る作業ではなく、自律したキャラクターたちと同次元に立ちその思考を辿るものとなった。荒木は真の意味で我々をマンガの世界に誘ったのである。
世間はチョコレートだ愛だと言って、それはGHQだ陰謀だと言っている連中にささげる、オールアンラーッキーバレンタインデーズだ
2月14日も結局1月17日、3月11日、4月14日、8月6日、8月9日、8月15日、9月6日、9月11日、10月23日と同じように不謹慎の日だから、来年の元旦もそうやって不幸になるんだナ
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
トレーナー共はサイレンススズカの誕生日で湧きだっているが、こちとらアイルトン・セナの死亡日なんだゾ?
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
その頃ネットの動画のコマーシャルでもよくやっていたし学校でも新聞でもその話題を見聞きしたから、俺は貧乏を抜け出すにはタイタンにいくしかないと考えるようになった。
中学からの帰り道、腹を空かせとぼとぼと歩く。タイタンに入植して広い土地を得て畑耕してメタンも売れば、腹一杯食えるんじゃないか。
そもそもタイタンにたくさんいるタイタンオショロコマの塩焼きで腹いっぱいになれる。
タイタンにはまだ人が少ないから取りたい放題だ。土地も、オショロコマも。
親父にその話をした。タイタンに行けば贅沢ができる。広い土地で悠然と暮らせる。
「あれは嘘だ」
まず、タイタンにいくような貧乏人は、タイタンに行く渡航費がない。
だが甲種合格する奴なんてまずいない。乙種の有利子の渡航費でタイタンにいく。
それと同じような仕掛けがたくさんある。タイタン住宅の貸し付け、あるいは建築費用。
タイタン大豆の種の貸し付け、タイタン窒素肥料の貸し付け、タイタン井戸掘り助成費、子供のタイタン奨学費用、タイタントラクター借用制度。
すべて乙種乙種乙種、なんだろう。全部有利子。借金から抜け出せなくなる。
結局タイタンに行きもしないタイタン振興公社のタイタン閥の天下り役人の懐に入る。
タイタンに行けば取り放題、というコマーシャルはその数年前にパタリと止んでいた。
親父の年齢を超えた今、孫たちの教科書を見るとタイタンのタの字もない。
嘘だ。理科の教科書には出てくる。大気を持つ衛星として、科学的な説明がある。
タイタンで新しい社会制度が進んでいる。タイタンを目指す人の移住と新生活の様子が詳しく書かれていたはずだ。
今、それをどうしても探せない。誰もタイタンの話をしていない。
でも、もう誰もその人の話をすることはない。
タイタンの現地の派出所職員が最後にそこを発ち、タイタン政策は終わった。
絶対に行った人と帰った人の数が合わない。けれど、誰もそれを言わない。ニュースで話題になったこともない。
今でもタイタンに行った日本人は、おそらくタイタンに住んでいる。
借金から抜け出せず、タイタンの軽い重力からすら抜け出せなくなった多くの人間がいる。
民主党はそこに目をつけた。
彼らは日本人だから、選挙権を持っているのだ。ただタイタンは遠すぎて投票しに来れないだけ。
昔はタイタンに投票所があったのだが、ご存知の通りタイタンの行政は日本に帰ってきてしまった。今は在日タイタン3世とか4世とかの世話をしているだけ。
民主党はタイタンに投票所を設置したり、あるいはタイタンに住んでいる日本人をでけえ宇宙船で帰還させ始めた。
タイタンに入植した日本人やその子孫に選挙権があるかどうかについて激論が交わされた。
けれども結局日本国籍を離れたわけでもないし、日本政府の失策により行政機能が撤退して残存人口にはなんら法的変更などは加えられていなかった。
警察官ネコババ事件(けいさつかんネコババじけん)は、1988年に大阪府堺南警察署(現在の南堺警察署)槙塚台派出所[1]の巡査が拾得物の現金15万円を着服(ネコババ)した事件である。
堺南署は、身内の不祥事を隠蔽するため、現金を届けた妊婦に着服のぬれぎぬを着せ、組織ぐるみで犯人に仕立てあげようとした。
経緯
1988年2月6日午前11時40分ごろ、大阪府堺市のスーパー経営者の妻は、店内に落ちていた15万円入りの封筒を、近くの大阪府堺南警察署(以下「堺南署」)槙塚台派出所に届け出た。派出所には巡査が一人いたので、15万円入りの封筒を拾ったことを告げると、巡査は「その封筒なら紛失届が出ている」と言い、封筒を受けとった。この時、巡査は主婦の名前をメモに書いただけで、遺失物法に基づき作成が義務の「拾得物件預り書」を渡さなかった。主婦は不審に思ったが、深くは追及せず帰宅した。届け出た現金15万円は遺失物扱いとならずそのまま着服(ネコババ)されることとなる。
それから3日が経っても、警察から落とし主に封筒を渡したとの連絡が来なかったので、主婦は不審に思い、堺南署に確認の電話をかけた。しかし、署員は「そんな封筒は受理していない」と答えた。この時点で、現金が何者かによって着服された事実が明らかになり、偽警官による詐取の可能性を捜査する一方、主婦も事情聴取を受けることとなった。主婦を聴取した刑事課員は、「シロ」と判断し、上司に報告した。
主婦が無実であれば、必然的に派出所の勤務者が着服したことになるため、堺南署幹部の間で大きな問題となった。部下の不祥事の発覚を恐れた幹部らは、主婦を犯人に仕立て上げ、事実を隠蔽するという方針を固めた。署長の指示の下、8人もの捜査員で専従捜査班が編成され、着々と捜査が進んでいった。捜査班は、いるはずのない証人や、存在するはずのない物的証拠を次々と「発見」していった[2]。
同時に、捜査班は主婦の取調べを執拗(しつよう)に行った。主婦は妊娠中であり、取調べには細心の注意が必要であったにもかかわらず、警察官はありもしない罪の自白を厳しく迫った。主婦はノイローゼに陥るなど、精神的に極めて深刻な状態にまで追い詰められた。
一向にして主婦から(存在しない)自白を引き出せない取り調べ状況にしびれを切らした堺南署は、主婦の逮捕に踏み切ることを決定、大阪地方裁判所に逮捕状を請求しようとするも、主婦のかかりつけの産科医の猛反対や、証拠不十分による逮捕に関して大阪地方検察庁堺支部からの疑念(主婦が着服したのならば、わざわざ警察に連絡することが全く矛盾している点)があり、結局この請求は却下された。
この頃、読売新聞の記者がこの事件を耳にした。記者は事件の詳しい経緯を取材し、社会面に大きく特集記事を掲載した。この時点でようやく堺南署が何をしているか把握した大阪府警察は、事件を堺南署から、横領など知能犯事件を担当する本部の捜査第二課に移管させ、改めて捜査を始めた。
そして3月25日、再捜査の結果をもとに、本部が巡査の着服を認めたため、主婦の冤罪(えんざい)は晴れることとなった。
大阪府警は、再捜査後の記者会見においてもなお隠蔽する姿勢を見せ、「無関係の市民を容疑者と誤認し…」と事実と異なる発表をしたが、即座に記者たちから猛烈な抗議の声が上がり、「誤認」という言葉を取り消した。記者会見実施の翌日の報道では「誤認ならぬ、『確信』」としたものもあった。また、明らかに無実と知っていながら、逮捕状を請求したことに対しては「(警察関係者による)逮捕監禁未遂ではないのか?」との声も寄せられた。
こんなもん地上で爆発したらどうなるねん
https://www.youtube.com/watch?v=wtthhilAO3Y
昭和17年(1942年)5月、日本軍の攻勢により推移していた太平洋戦争は、後に戦局の変わり目として位置づけられる事になる「ミッドウェイ海戦」を目前に控え、重要な局面を迎えていました。
しかし、戦時中とは言え普段とほとんど変わらない生活を送っていたここ下湧別村の漁民にとっては、そんな国家の重大事など知る由もなく、折しもオホーツク海沖合に現れたニシンの大群の行方が目下の関心事でした。
ニシンの豊・不漁はその年の村民の生活水準にそのまま直結するため、その群の到来に村はにわかに活気づきます。
そんな5月17日、その日も沿岸では村の漁師たちが総出で網を仕掛けていましたが、その作業中に一人が波間に浮遊する金属製の樽状の物体を発見します。
そして、素人目から見ても異様な雰囲気を醸し出すその”水に浮く不思議な鉄の塊”がおそらく「機雷」であろう事に彼らが気付くまでにはそれほど時間はかかりませんでした。
思わぬ危険物の漂着に漁場は騒然となりましたが、「これが機雷であればなおさら放置しておく訳にもいかぬ」との”勇気ある”漁労長指示により網に掛けながらひとまず浜まで引き揚げる事にします。
数十分後、幸い移送途中で爆発する事もなく「ポント浜」の砂上に”恐る恐る”陸揚げされた直径約1.2m・長さ約1.5mの機雷と対峙した一同は、まず警察への通報が先決との判断により代表者が市街地にある派出所へと向かいました。
ところが、その時派出所では村の東側に隣接する「サロマ湖」内で時を同じくして発見された”もうひとつの機雷”を巡って既に大騒動となっていたのです。
”国籍不明”の危険物が二つ同時に漂着したこの”大事件”については、一帯を所轄していた「遠軽警察署」を経て直ちに「北海道庁警察部」へ連絡が取られましたが、意外にも警察部からの回答は「所轄署責任において爆破処理せよ」というまことに素気ないものでした。
実は北海道の特に日本海沿岸地域における浮遊機雷の漂着は当時それほど珍しくはなく、これまでの事例では当該所轄警察署の手によって難なく処理されていたという事実が、先の無関心とも思える本部指示につながる訳ですが、当地では前例がなく、ましてや爆発物処理の専門知識もない遠軽警察署としてはその対処方法に頭を悩ます事になります。
その後即刻開かれた署内幹部会議上では「軍の協力を仰ぐ」という策も提案されたものの、遠軽警察署長としては「他の署が自力で処理しているレベルの事案について他所の助けを乞う」などその自尊心が許しませんでした。
こうして、意地でも地元の手によって行わざるを得なくなった作業は約1週間後の5月26日午後1時に決行すべく、二つの機雷を「ポント浜」一箇所に集め、遠軽警察署の監督の下、その運搬・管理を地元警防団(警察や消防業務を補助する民間組織)に、そして爆破処理を管内にある「生田原銅山」の”発破技師”に依頼する事が正式決定されました。
しかし、この時署長の頭の中ではこれを機にもうひとつの”とんでもない”計画が進行中だったのです。
ここ下湧別村をはじめとする遠軽警察署所轄管内では普段大事件が発生する事もなく、平穏であるがゆえ警察署長の立場としては至って”退屈”な日々を過ごしていました。
また、生活のため日頃と変わらず農・漁業に勤しんでいる人々が、署長の目には「戦時中にも拘わらず危機意識がない不心得者」のようにも映っていました。
そこで、この機雷爆破処理作業を一般に公開、爆発の威力を見せる事で庶民の「戦意」と「国防意識」を高めると同時に、警察の威信を確固たるものにするべく画策していたのです。
かくして、村役場などを介し回覧や口コミで村内はおろか近隣地域にまであまねく周知されたこの”一大イベント”は、物珍しさも手伝っていたずらに人々の興味をそそり、更には当日わざわざそのために臨時列車が手配された事もあって、その日は爆破時刻の午後1時に向けて老若男女合わせて一千人規模の見学者が各地から現場へ向かっていたと聞きます。
さて、決行2時間前の5月26日午前11時頃、現場のポント浜では遠軽警察署長以下警察官9名と、署長命令によってなかば強制的にもれなく召集された下湧別市街及び近隣集落の警防団員約150名が事前集結していました。
二つ並べられた機雷を前に、あとは生田原から火薬の専門家が到着するのを待つばかりでしたが、しかしここに至って爆破方法を巡り現場が混乱する事になります。
通常、機雷の爆破処理というのは水中において一つずつ行われるのが定石であり、その日もそれに従って実行される予定でしたが、当日になってその事実を知る事になった漁業本職の警防団からの猛反対を受けます。
というのも、海中での爆破は一帯の魚介類を死滅させる恐れがあり、それは漁民にとっては明日からの生きる糧を失う事を意味しました。
彼らにしてみれば死活問題だけに警察側からの再三の説得や恫喝に対してさえ一歩も退く事は出来ず、しばらくの”攻防”の末、漁師たちのあまりの頑強さについに根負けした署長は陸上処理への変更をやむなく了承します。
粘った甲斐あって勝ち取った結果に安堵した警防団員たちでしたがその代わり、陸上で爆破するには現在近過ぎる二つの機雷を、誘爆させない距離として設定された約50mの間隔まで引き離す作業が待っていました。
こうして気乗りしないまま予定外の力仕事をする羽目となった彼らの心中には、これらが「既に機能を失った不発弾に違いない」という思いが一様にあったようです。
発見されてから1週間まったくの変化も見せなかったこの”錆びた鉄塊”に対して徐々に警戒心が薄れていった事に加え、ことサロマ湖から運ばれてきた方には、実は数日前に”命知らず”な村の鍛冶屋によってあろうことか持ち寄ったハンマーで叩くという危険極まりない試みがなされていますが、結果その衝撃にもびくともしなかったという事実も、「もはや危険ではない」と彼らを暗に確信させる要因になっていたのでしょう。
それぞれ多忙な仕事が待つ警防団員たちにとって、本業もままならない毎日を無理強いするこの”いまいましい敵”への扱いは、そんな思いもあってか最初と最後では大きく異なっていました。
初めこそその取扱いには慎重を期され、移動も衝撃を与えないように砂上をゆっくり”引きずる”方法がとられていましたが、この段階では労力を惜しんでか本体にロープが巻きつけられ無造作に”転がされて”いたと言います。
しかしやがて、鍛冶屋の”無謀な挑戦”を受けていない方、つまりオホーツク海で発見された機雷が、軟らかい砂から馬車道の硬い轍(わだち)の上に転がり出た瞬間…それは既に浜に到着していた気の早い数百名の”観衆”が見守る中で起こりました。
今まであれほどいかなる反応も示さなかった機雷が、まるでこの時を待っていたかのように火花一閃、大爆発を起こしたのです。
そもそも軍艦をも爆沈させるほどのその破壊力は当初の想像をはるかに超えるもので、破片は爆風に乗って障害物がない砂浜の中を数百メートルに渡り飛散、傍らにいた警防団員や警察官は言うまでもなく、一応安全を考慮して遠巻きに置かれた一般見学者の多くも無事ではいられませんでした。
爆発による黒煙が消えた後には、直径10m・深さ3mの穴と共に、周辺に斃れたおびただしい数の人々が残され、そのほとんどは瞬時にしてその命が失われたであろう様子が一目で判るほど現場は凄惨を極めたそうです。
現場から4kmほど離れた下湧別市街地でさえもその轟音と震動に激しく揺れたと言われるこの前代未聞の機雷爆発事故においては、死亡者112名・重軽傷者112名という未曽有の惨禍を見る事になりました。
そして、この”公開爆破”を企画した遠軽警察署長や、直前において爆破地点を変更させた警防団の代表者も、その過ちを悔やむ時間すら与えられないままこの日帰らぬ人となっています。
この大惨事により現場に居合わせた警防団員のほとんどが死傷し、下湧別村は多くの”働き手”を、そして家族にとっては一家の”大黒柱”を一瞬にして失いました。
「一体誰のせいでこんな事になってしまったのか」…機雷を放った知らざる敵か、現場に丸投げした道庁警察部か、それとも無謀な計画を立案した警察署長あるいは陸上処理を主張した警防団員か…もはやそれをぶつける相手もいない中、人々の行き場をなくした怒りと悲しみだけがポント浜には残されました。
合掌
数が多くて切りが無いし、私も知識が無いのと途中で疲れてきたのでごく一部しか挙げられません。こんなのもあるよって方は教えてくれるとありがたいです。今はこんな感じですが、気が向いたら付け足します
フランス革命期における山岳派による独裁政治。王侯貴族のみならず、農民、革命家すら処刑され合計4万人以上の命が失われた。
革命政府に監禁されたルイ17世は激しい虐待に晒されわずか10才で死去した。
ボリシェビキの秘密警察チェーカーによる弾圧。反革命派・貴族・聖職者など最大130万人が殺害された。
皇帝・皇后とその5人の子どもが虐殺された。末っ子のアレクセイはわずか13才であった。
赤軍パルチザンが尼港を襲撃、6000人以上の住人を虐殺した。
スターリンの命令によりウクライナ人から家畜・土地が奪われ1000万人が餓死した。
スターリンの命令により反体制派と疑われた国民が多数処刑された。犠牲者は1000万人にも上るとされる。
ソ連がポーランドに侵攻したにも関わらず、西側諸国はそれを黙認した。ソ連の占領下で50万人が投獄され、10万人が強姦され、15万人が死亡した。
樺太の郵便電信局職員がソ連軍接近の方を知り、9人が自殺した。加えてソ連軍の虐殺により10人が死亡した。
ソ連兵に強姦され続けた日満パルプの女性職員とその家族23人が自殺。さらにソ連軍に物資が奪われたため、冬になると87人が死亡した。
ソ連軍の攻撃で緊急疎開船3隻が爆破され、1700人以上が死亡した。
ポツダム宣言受諾後、ソ連軍が樺太に侵攻。民間人も犠牲になり3500人以上が死亡した。
日本軍の捕虜57万人がシベリアに連行され、過酷な強制労働に従事させられ、5万人が死亡した。
連合国によるドイツの戦争裁判。事後法によりドイツの政治家や軍人を裁き、連合国の残虐行為を無視したリンチ
ハンガリーが非スターリン化を進めると、ソ連軍は武力でこれを弾圧。1万人以上が死亡し、首相のナジ・イムレは処刑された。
ソ連がアフガンに侵攻したが、戦局は泥沼化し、アフガンの政治情勢を混乱に陥れた。
ソ連がアゼルバイジャンの首都バグーへ侵攻し、1満員以上の死者が出た
大躍進政策により失脚した毛沢東が大衆を動員して、政権を転覆させた。全国で1000万人以上が犠牲となった。
共産党がチベットを武力で制圧。その後現代に至るまで文化的・政治的弾圧を加えている
共産党がウイグル人に対して行っている虐殺、洗脳、不妊などの弾圧。死者は100万人も上る。現在も行われている。
共産党が党大会を強行したため、世界各地にコロナウイルスの感染が拡大。死者は400万人にも上る
共産主義者難波大助による裕仁親王(後の昭和天皇)暗殺未遂事件。侍従長が負傷
朝鮮学校閉鎖に反発した共産党と在日朝鮮人が各地で暴動を起こした
共産党が平警察署を襲撃。職員に暴行を働き、留置所に監禁した。
日本共産党が山や農村を拠点とした武力活動を企むも、支持が得られず、警察の取り締まりにとり挫折。
共産党軍事組織中核自衛隊のメンバーが警部を射殺。その後共産党の幇助により国外逃亡した。
共産党員及び在日朝鮮人が無関係の一般市民の家を襲撃、放火した
吹田駅・吹田操車場で学生・朝鮮人らが暴動を起こし、一般の乗客にも負傷者が出た。
共産党員および在日朝鮮人が警察署を襲撃、警官70人、消防士1人、一般人4人が負傷した
共産党員が地主と妻・家政婦・小学生3人を暴行、重傷を負わせ、金品を強奪した。
共産主義者が日本航空のよど号をハイジャックし、北朝鮮に亡命した。
沖縄でゼノストの警備に当たっていた警官が新左翼による暴行の末火炎瓶を投げつけられ死亡した
連合赤軍が山中のアジトで同志に対してリンチを行い、12人が死亡した内ゲバ事件
大阪城公園内で起きた新左翼の内ゲバによるリンチ殺人。1人が死亡した
東アジア反日武装戦線による爆破事件8人が死亡、376人が負傷した
岡山大学北津寮を拠点にしよと目論む新左翼が寮を襲撃、1人が死亡、多数の負傷者が出た
新左翼が大坂第二合同法務庁舎に大量の火炎瓶を投擲したが、幸運にも1本しか着火せず人的被害はなかった。
不良少年のグループが女子高生を誘拐、1ヶ月以上にわたり監禁と暴行を加えた末に殺害。主犯者の両親は共産党員であり、自宅で事件が行われていたにもかかわらず見逃していた。
新左翼が新しい歴史教科書を作る会の事務所があるビルに放火した。発見が遅れていれば大惨事に繋がっていた。
共産党支持者がマンションに侵入し、共産党のビラを配布、住居侵入罪で逮捕された。
厚生労働省職員が新聞あかはたを配布し、国家公務員法違反に問われた
男組組長が反差別ワークショップを開催した際、初対面の助成に執拗な痴漢・セクハラを行った
カンボジア国内でクメール=ルージュにより200万人近い知識人らが虐殺された
・手が3回触れたら痴漢と見做して良い
・「痴漢!」というと逆上するので、「手が当たってます。どけてください」と事実を冷ややかな声で言うのは有効。
・痴漢は、ホームでターゲットを物色しているし、自分の顔を覚えられるのを避けるから、周囲を見回して警戒するのは、すごくよいと思う。
・大きな声を出す必要はない。隣の人に聞こえるくらいのボリュームで「当たってます」と言って、周りの2、3人がキョロキョロしてくれたら、痴漢が行為を続けられなくなる
・舌打ち
・赤いウィッグ、ショートエクステを付ける。とにかく気の強い外見
・防犯ブザーぶら下げる
・ラーメン屋の親父さんが写真撮るときにやるみたいな腕組みをして乗車する
・スマホを出して、いつでも写真モードにしていることをわかるようにする。例えば、自分の顔をうつしたり。
・「吐きそう」「おえっ」などといえば痴漢も離れる
・爪を伸ばす。手でガードしてもやめない場合は、爪をたてる
・スマホを翳す
・ポケット六法を読む(官能小説を読んでいたりすると、OK娘だと思われることがある)
・弁護士バッジをつける(痴漢ではないが車に靖国神社マークを付けていれば煽られなくなった、という話を聞いたので、靖国神社マークも効果あるかも)
・自撮りする
・自撮り棒を掲げる
・着メロを鳴らす
・スマホのインカメラで前髪直すふりをする(撮られてると思い離れていく)
・カッターナイフの刃を外して胸ポケットに入れておき、痴漢かと思ったらカチカチ音で威嚇
・大股で立つのに加えて、猫背にならないように意識したり、腕を組んで立つのも有効
・服装関係なく被害にはあうが、「生マン」対策にはスパッツ重ね履き
・抵抗する(痴漢は小心者。「抵抗しないのはOK娘だ」と認知が歪んでいるため、少し抵抗すればやめるという奴が多い。中には痴漢自体やめる奴も)
・しゃがむ
・向きを変えて睨み付ける
・低い声で咳払い
・「気のせいだ」と思わずすぐ振り返るくらいがいい
・周りを見回す、あらかじめ背後の人の顔を見る
・不機嫌そうな雰囲気を出す
・猫背にならない
・とにかく「痴漢許さない。泣き寝入りしない」という気持ちを持ち続けたら逢いにくい
・降車後に駅員の元や派出所にとりあえず向かう。後を尾けられ自宅や職場(学校の場合は制服があるので難しいけれど)を知られないようにするため。実際に被害届を出さなくても「彼女は止めた方がいい相手だ」と印象付けるため。
・相手の特徴(身長、体形、髪型、顔の特徴、服装、持ち物、身に付けているもの等)をしっかり観察する。あえて無表情でジロジロ観察眼を向けることで相手に「身元を知られるかもしれない」という恐怖や警戒心を植え付ける効果がある
・愛知県警がまとめた「防犯教室用DVD」に盛り込まれたデータでは、痴漢にあった際、睨んだり、よけたりするだけの「無言の抵抗」では、犯人の67%が行為を続ける。しかし、声をあげたり、手を掴むなど「明確な拒否」をすると、95%が犯行を断念する。
・愛知県警の公式アプリ「アイチポリス」には、「痴漢撃退」ボタンを押すと、「痴漢です 助けてください」という文字が表示される。さらに押すと、本人の代わりに「やめてください、やめてください」と声が出る機能がある。
・声を出すなら「痴漢!」より「痛い!」
・乗ってる電車の次の到着駅に電話して「〇〇駅行きの電車で今〇〇駅通過したんですけど何号車で盗撮(痴漢)されたので〇〇駅(次の到着駅)で降ります。警察呼んでおいてください」と言う。駅員さんと警察の方が乗車ドアの前で待っててくれる
・警察で被害届けではなく告訴しますと言えばほぼ必ず対応してもらる
・痴漢にあったら・見かけたら、110番。時間がたってからの通報、相談は、警察相談専用電話 #9110
被害女性がその場で、県警のサイトにアクセスして位置情報を知らせる「メール110番」で通報し、警察官が駅で待機して犯人が逮捕された事件があった
参考
「警察庁の110番アプリってこんなに詳細に内容送れるんだ!」痴漢の通報にも有効な模様 - Togetter https://togetter.com/li/1809166
・110番アプリを入れる。練習モードがあるので事前登録&操作練習がオススメ。最初に事件か事故かを通報し、それから詳細を選択して送信する流れ。最初の選択で内容の選択肢が変わるので注意。痴漢は「事件」で。
https://twitter.com/kellogg_papa/status/1392355727428124677?s=21
・110番アプリでバス内の痴漢を通報し、サービスエリアで駆け付けた警察が現行犯逮捕した事件がある
・iPhoneの背面を指でトントンするだけでカメラや録音アプリを起動してくれる「背面タップ」を設定しておく https://togetter.com/li/2163489
・撮影の様子をわざと見せると、咄嗟に手で顔を隠すかスマホを毟り取ろうとしてくるから、その手の小指を狙って握り込んだ人もいる。小指は握り込んで変な真似をしたらすぐにへし折るくらいの気概で離さないのがコツ
・「犯行を撮影してる」と叫ぶ(グループで行なって、いざとなったら仲間内で知らない人のふりをして庇いあう可能性がある。撮影を伝えれば、余計な者はしゃしゃり出てこない。)
・できれば触った手を掴み、離さない(離したら微物検査対策で手を洗われて証拠を消される。トイレ行きたい漏れそうとか言われても聞かない)
・近くの人を頼って巻き込む。声掛けられなかったらスマホにhelp!って書いて画面見せて
・声の出ない人用の周りに助けを求めるアプリ「Digi Police」「don't worry」「アイチポリス」
・iPhoneの『 緊急SOS 』。「電源ボタンを5回押す」とブザーがなり、110番や119番にSOS連絡ができる。痴漢にあった時コレで防犯ブザーをならして助かった人がいる
・下車後被害者の女子学生が通報(駅員に相談)し、電車内の監視カメラから犯人が特定され,逮捕されたニュースもあった。
https://www.vitalica.co.jp/callout-line
・自撮りする
・体に伸びてる手を掴む、挟む、印をつけるなどすると証明さやすい。相手の手と自分の体、直線的に続けてマーカーでひくと良い
・検査キットは交番にある。犯人の手にビニール袋を掛けて他に触れないようにさせると良い
・スマホのインカメラで触ってる相手の手を撮る、手の先から体まで続けて撮る、右手か左手か、指輪や爪の形、服装など細かく記憶する。時間まで記憶するとベター
・犯行の瞬間じゃなくても位置関係と相手の写真を撮ると何時何分に触られたかの警察への説明と証明が非常に楽
・ツイッターで呟くとそれも証拠になる。オタクが「痴漢されてるwww(アニメキャラの名前)さん助けてwww)と呟いたツイートも証拠になったらしい。ネットに投稿した、誰かに相談した痕跡は痴漢だけでなく性的虐待などの証明にも有効。
・第三者に被害を受けていることを伝え目視確認してもらう。その方が聴取の時有利になる
・まず痴漢を拒絶した方が良い。拒絶したという事実が調書で必要になってくる。言葉や仕草だけでなく、画面の文字を見せることも有効
・可能ならば現場や相手の動画や写真を撮っておくと良い(状況や時間の特定に繋がる)
・混乱して詳しい時間や状況忘れたりするから、とりあえず写真やビデオ撮っておけば時間が参考になるよ!LINEでもツイートでもいいから何か残そう!証拠にもなる!
・触られた部分はなるべく他の場所に触れないようにすること!(科学捜査の証拠になる)
・混乱して詳しい時間や状況忘れたりするから、とりあえず写真やビデオ撮っておけば時間が参考になるよ!LINEでもツイートでもいいから何か残そう!証拠にもなる!
・相手が同行を拒否した場合は周りに助けを求めよう。誰も協力に名乗り出なかったら指名しよう(AEDの流れと同じです)
・一発目から大声で指摘し、宣言した上で顔の撮影した(「顔を撮られているから、という理由で認めるのも早かった)
・電車内で身分証の提示を求めた際に「駅に降りてから出します」と渋ったため逃げると判断し、駅のホームにうつぶせにさせた
・ライブの痴漢行為で犯人の写真を撮って会場の警察に届けたら犯人が捕まったことがあるらしい
・たとえ犯人が逃げても、特徴を覚えていなくても、被害届を出すのは大事。監視カメラに映っていたり、別件で犯人が逮捕された際に、自分の提出した証拠品に付いた細胞がその犯人と一致することがある
・特に路上痴漢は逃げられても監視カメラなどで捕まる事が多い。複数件被害情報が寄せられると捕まりやすい
・親や先生、職場等にきちんと報告する。遅刻等の正当的理由を理解してもらうため。そして痴漢被害をオープンにし周囲にも注意喚起を促すため。また、学校等が駅や警察に対応を求めることを促すため。より重大な犯罪に巻き込まれないよう、周囲のサポートを得られやすくするのが最も大事
・警察は当たり外れが大きい。被害者に優しく正義感溢れる人達だったり、セカンドレイプして犯人の味方をしてきたりする。
・「鉄道警察隊の酒見孝徳副隊長は『ひょっとしたら触られたかも、というささいな情報でも、通報や情報提供をしてほしい。被害を限りなくゼロにしていきたい』と話す」(ある記事から引用)
・被害者も弁護士を雇う方がいい。被害者側の弁護士は少ないが、法テラスを勧める。また、ワンストップセンターはレイプだけでなく痴漢被害者のための弁護士も紹介している。
・示談する場合も「性依存症の治療を受けるなら」と条件付ける事ができる。刑罰でも示談でも治療に繋げて欲しい
・和解して被害届を取り下げなくても、痴漢側から休業補填と押収された衣服代を慰謝料という名目で受け取ることができる
・何度も被害の詳細を話したり、犯行再現したり、下着提出したり、何時間も拘束されたり、何度も警察や検察庁に赴いたり、年単位で時間かかったり、とにかく物理的にも精神的にも負担。「痴漢冤罪で気軽に小遣い稼ぎ」できる訳がない。
・痴漢の刑は軽い。最初の2〜3回は罰金刑。その次にようやく刑罰が下るも、執行猶予だったりする。「痴漢冤罪で実刑」とかありえない。常習犯でも未成年で受験生だという理由で無罪になることさえある。
・傷が深い被害者ほど傷口を抉られる。ダメージの少ない被害者こそ通報し、被害を防いで欲しい。
・一人の痴漢が何百人もの被害者を生み出している。よって、一人痴漢を捕まえれば何百人も女性を救える
・犯罪はエスカレートする。痴漢で被害届を出した犯人がのちに強姦で逮捕される例も。盗難で被害届を出したら強姦で…ということもある。
・痴漢で捕まったけと質問ある?スレでも「レイプ計画を立てていた。あのままだとレイプに走っていた。捕まって良かった」などと言っていた
・『痴漢に遭い、「大袈裟!みっともない!」という両親の反対を振り切って被害届を出したら、後日痴漢犯が婦女暴行で捕まった。軽い痴漢を何度もやって様子見してたらしい』という話も聞いた
・示談の場合、痴漢は「金で許された」と成功体験を覚えてしまうことがある
・性犯罪(痴漢や盗撮含む)の被害者には、日弁連が犯罪被害者委託援助により、相談費用二回分と着手金を立て替える制度があります。原則として預貯金300万以下という要件があります。自分で被疑者の弁護人と交渉するストレスを負わなくてすみます。
・高校生で親御さんが被害申告をする場合など、資力要件を満たさない場合、東京は平日11時-16時にこちらに電話かければ弁護士が直接話します
03-3581-6666
https://www.horitsu-sodan.jp/soudan/hanzai.html
・東京都の条例により、東京在住・東京が現場の件などは、こちらの番号から相談した弁護士との1回目の面談は、相談料は無料。
・示談交渉が決裂して、被害者が被害弁償を得られなければ、弁護士報酬も0円、着手金の立替えを返還する義務もなしです。
・場所を代わる
・怪しいのをガン見するだけでも抑止になる
・捕まえると協力金が貰える。
参考
性犯罪の防犯に使えるもの一覧(随時更新)| https://note.com/kiss_a_mikan/n/n5a90325202ff
性犯罪者(レイプ、痴漢、性的虐待など)を訴えた、捕まえた女性達のまとめ