はてなキーワード: エージェントとは
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転生したら悪い国の娘でした
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村人ですが何か?
公爵令嬢の嗜み
駆除人
神眼の勇者
賢者の孫
えっ?平凡ですよ??
続く
増田は転職エージェントやめてライターになりたいんだね。でも才能ないからあきらめたほうがいいよ。手塚治虫の女の子だの葉巻ケースの杉の香りwだので陳腐すぎて臭くなって読むのをやめた。
そういえば、2年ほど前に転職活動をしていて面接でめちゃくちゃに泣かされたことがある。
今まで派遣事務で働いててそれ以外の仕事もよく分からず、大手の転職エージェントに登録して言われるがままに渋谷のIT系の営業の面接に行った。
一通り自分の経歴の説明をした後、人事のおじさんは自分語りを始め、そののち「女の子なんだから営業なんてやらないでお嫁さんになった方が楽だよ?なんで営業なの?」と畳み掛けてきた。まさかこの時代にお嫁さんになるという言葉を聞くとまさか思わなかった。
ちょうどその当時の彼氏と別れたこともあり、あまりの悔しさにその場で号泣。言い返せるような性格でもなくどうにか涙を収めて会社を後にした。電車に乗ってからずっと涙が止まらなくて、すごい不審がられた記憶がある。
このことをエージェントさんに伝えて、その後エージェントを使わずに転職したけど、こんな酷い面接をすることは後先ないだろう。あってほしくない。
転職失敗例1人目 Oさん
性別:女
年齢:当時20代後半
ここから先は失敗例だ。上の2人に比べて具体的な内容は減らしている。
Oさんは外見からも話し方からも几帳面さが伝わってきた。履歴書も職務経歴書も丁寧な書きぶりだった。誤字も脱字もレイアウトのずれもなく、統一的なデザインを保っている。
資格は持っていなかったが、学歴がよかった。学歴はごく当然に見られるので、いい学校を出ているに越したことはない。
Oさんは転職活動を始めて一か月後に、とある機械メーカーの調達部門に内定し、入社することとなった。
……さて、転職者の評価があまりにも低いと、企業は転職エージェントに対して手数料の返金を求めることができる。
Oさんに関して、そういう旨の連絡が入ったのは返金を請求できる期限ギリギリだったと思う。
相手企業から寄せられた評価は、(良い点も悪い点も)オブラートに包んで言うと以下のようなものだった。
・細かいところに気を配りすぎる。そのうえ同僚にもOさんの基準を強要する
・短気であり、怒り出すと暴言を吐くことがある
手数料の返金の話だが、度重なる交渉の末に請求はされないことになった。
実際に、Oさんは事務方面の仕事であれば何でもできた。サプライヤーとの価格交渉まで含めて。腕前が優れていたのだ。でも、人柄が相手企業にとってマッチしなかった。
メーカーには穏やかな人が多いので、Oさんのように態度が厳しい人は適合しない。当時の私にOさんの人柄を見抜くことはできなかった。
以後、数年。エージェントとして修業を重ねた。そして、私は理解した。
どんなに一流のエージェントだろうと、1回の面談とたまにする電話で相手の人柄を見抜くのは不可能だということを。
できることはといえば――会話をする度に、その人に対して誠実な関心を寄せて、本音で話し合う。ただそれだけしかできることはない。
性別:男
年齢:当時20代後半
前の3人よりは長くなる。
Sさんは寡黙で実直な印象だった。
公営企業で財務会計を担当していた。上で述べたとおり、公務員は2~3年で異動になるのだが、彼の場合は同じ部署に長期在籍していた。
そのおかげか、財務会計以外にも、債権回収、草刈りなどの現場仕事、災害対応など、幅広い業務を身に着けていた。公営企業の決算書を作る仕事をしていたということで、会計の知識を生かせる会社を紹介することになった。
Sさんは苦戦した。私のエージェント人生の中で、彼がダントツで一番に――落ちた会社数が多い。公表は控えるが、百社はゆうに超えていた。転職活動は長期に及んだが、それでも彼は最後まで奮闘し、会計コンサルの名門のひとつに入社を決めた。
ひとつ、懸念があった。その会社は、過去に弊社が推薦した転職者の評価が低かったとして、手数料の返金を要求したことがある。飲まざるを得ないのは残念だったが、何より無念だったのは、転職者が試用期間で切られてしまったことだ……せっかく入社できたというのに。また転職活動をしないといけない。
能力が低いことを理由として手数料の返金を求めるのはいい。しかし、採用したのであれば責任を持つべきではないか。採用側には、雇用者の人生の一部に対する責任がある。
「Sさん。この会社は自分で動けるタイプじゃないと厳しいですよ」
と念を押したところ、
「これまで幾つもの業務改善を担当してきました。次の会社でもやってみせます」
という、なにがしかの決意に満ちた答えが返ってきた。
残念ながら、Sさんは通用しなかった。入社してふた月も経たないうちに苦情がきた。こんな内容だったと大まかに記憶している。
①チャレンジをしない。前例踏襲を仕事を進めるうえでの根拠にしている
②経験年数にしては会計の知識レベルが低い。専門卒の子の方がまだましだ
③コミュニケーション能力が低い。言葉のやり取りが受け身すぎて、仲間と良好な関係を築くことができない
といったものだった。
①については、正直こうなるだろうと思っていた。こういう現実をSさん自身が受け入れたうえで変わっていくしかないと考えていた。Sさんが行ったという公務員組織の中での業務改善というのは、裁決のルートを短くする(ハンコの数を減らす)こと、届出書の様式を簡略化すること、棚卸をしやすいように在庫レイアウトを変更するといったものだった。会計コンサルの名門だと、正直厳しい。
②は意外だった。Sさんが公営企業の決算書を作っているという確証は得ていた。だから、安心して推薦したのだ。会計コンサルでのSさんの上司にあたる人が私に伝えたことが真実だとすると、彼がいた公営企業で行われていたやり方というのは単式簿記であって、上場企業の会計基準でいえば問題外だった。私の認識が甘かった。青二才だった。
③についても、私の人を見る目がなかったということだ。こればかりは難しい。Sさんはコミュニケーションができる人だと思っていたけど、あれはおそらく演技だった。人と交流するのが億劫なタイプの人間だったけど、転職活動を成功させるために必死で背伸びをしていたのだ。
Sさんはその後、どうなったかというと……生き残ることに成功した。
財務会計の仕事はお役御免になったけれども、隠れた専門能力があった。
特定の可能性が極めて高いので言わないが、とにかくSさんは路線を変えて生き残った。
因果ではあるが、Sさんのいる会計コンサルというのが、1人目に紹介したMさんのいた自治体が行った「改革的な仕事」をサポートしたところだ。
ここまで来ると隠すのが気持ち悪くなってきたので正直に話す。
全国にある官公庁の中で、最初期に税金をはじめとする公共料金をQRコード決済できるようにしたのが、Mさんの所属していた、とある市町村の、とある税務系部署の、とあるチームだった。
「タスクフォースに入らないかって先輩に誘われたんですよ~!」と、Mさんは何度目かの電話面談の時に、困惑した笑みとともに喋っていた。普段は、もっとクールで淡々とした話し方なのだが……。
最後にまとめる。
私の経験上、いわゆる行政事務の公務員が民間企業に転職するのは難しい。
※キャリア官僚の場合は違う。彼らの場合はエグゼクティブ枠になるので、私のような者ではなく、もっとランクの高い転職エージェントがつくことが多い。
はっきり言おう。転職を希望する公務員というのは、相手の企業からするとウケが悪い。
「問題を起こして免職処分になったのでは?」と邪推する人(気持ちはわかる。実際にそうなんじゃないかという人も来たりする)もいれば、「この人はうちで使えるかもしれない。興味はあるけど、データ不足で戦力かどうかを判断できない……試しに一か月だけ雇用できればいいのに」など、冷静なコメントをくれる人もいる。
転職しやすい公務員というのは、以下のような特徴をもっている。
・専門性。特定の資格や専門知識があり、その業界で直接活かせるものである。この観点だと、やはり国家公務員は強い。その業界内での許認可を扱うので、必然的に事業法関係の専門知識や経験が身に付きやすい。地方公務員の場合だと、ソーシャルワーカーや精神保健福祉士や手話の資格を持った人が、同じく福祉系の会社や公益団体に転職できた事例がある。
・積極性。ルールや慣習が整っていない中でも、常にその場に合った答えを見つけられること。失敗を恐れることなく、本人にとってのベストを出し尽くす習慣があること。
・協調性。誰とでも仲良くできること。私が受け持った公務員の中には、コミュ障な人が何人もいた。残念ながら、そういう人は会社員だろうと公務員だろうと、「現職に留まる」ことを強く勧めている。事実上の登録拒否だ。本人のためになったと信じている。
お目汚しを失礼した。いろいろ書いてしまったけど、後で内容を修正したり、消したりしないように努める。
ここまで読んでくれてありがとう。
公務員の転職サイト登録数が過去最高、「ヒマで安定」が激変の悲哀
https://diamond.jp/articles/-/248437
すなわち、公務員の職場は昔に比べてキツくなっている。公務員の職場が昔はユルかったかどうかはわからないが、とにかく過酷な環境になっているのは間違いない。
今回は、元転職エージェントの視点から見た公務員の転職について語りたい。
トピックは以下の3点になる。
これからの時代、あなたの会社にも入社を希望する公務員が現れるかもしれない。参考になれば幸いだ。
ではさっそく。
する。転職希望者の多くが通用するとは言わないが、マスコミやネット掲示板での公務員叩きを真に受けるのは間違っている。
私の転職エージェント歴は14年と少々になる。転職活動を支援した公務員はぜんぶで18人。そのうち転職に成功したのが7人。さらにそのうち、「アタリ」の数は4人だ。
※アタリのKPI…採用後アンケートにおいて、会社側が転職者を5段階査定で3以上であると判断したこと
私が担当したことのある民間の求職者のアタリ率と変わりはない。むしろ公務員の方がわずかに高い。
私個人の肌感覚が転職エージェント的な『平均』に近いとした場合、公務員だからといって不利益な扱いをするのは間違っていることになる。
手短かに、かつ本人が特定できないようにし配慮している。失敗例の2人については特に慎重に書いた。
※何かあった場合は私が責任を取る。そういう覚悟で筆を進める。
※各人の転職理由は伏せるが、根っこは全員共通している。察してほしい…
※時系列はバラバラだ。数年前の人もいるし、10年以上前の人もいる。
性別:女
年齢:当時20代前半
Mさんは若かった。とても若かった。同い年の多くは働いていない。
初めに電話で話した時はそのことに驚いたけど、実際に会ってみるとさらに驚いた。
率直に言ってしまうと、見た目がよかった。かわいいとか美しいとか、そういうタイプではない。
12/30 一部削除。読み返して鼻につく文章だったのと、見た目の印象を描きすぎているため。
要約すると、Mさんはクールキャラだった。話し方は明瞭だけど、ハキハキとした雰囲気ではない。小鳥のような声で、必要な言葉だけを手短に喋る。
Mさんは何度かの不採用の後、大手証券会社の窓口スタッフ(リテール職)に内定した。当初は門前払いかと思っていたが、意外にイケるものだと感じた。私が猛プッシュしたのもあるが…。
内定理由は、新しいことに挑戦する精神が同世代と比べて優れていたから、とのこと。
実際にそうだった。
一番最初の転職面談の時に、過去にMさんが事務担当者として達成した「改革的な仕事」の話を聞かせてもらった。
聞き始めの時は、「盛ってない…?」と思っていた。が、次第に、「それ以上は内部事情なのでしゃべらないで」とこちらが注意せざるを得ないほどに具体的で生々しいエピソードが出てきた。
その仕事を企画したのはMさんではない。その上司だ。あくまでMさんは「事務」担当者だった。だが、その「改革的な仕事」というのが、「公務員は創造性がない」を正面から否定する内容であり、Mさんと、直属の上司と、先輩の3人のチームはそれを成し遂げた(その自治体のHPで確認している)。
今現在、それと同じ取り組みをしている自治体はいくつもある。Mさんの自治体は最初期の先達だったと言っていい。
実を言うと、当時私が勤めていた会社に入ってほしかった。実際にMさんも乗り気だったし、私の上司(営業所長)もそのつもりだった。
でも、叶わなかった。女性が活躍することで有名な会社だったが、採用試験を受けることすらできなかった。主な理由は年齢だ。4大卒しか新卒採用をしない会社だった。このままだと史上最年少の正社員になってしまうらしい。
別にそれでもいいじゃないか。私は悔しかったし、営業所長も飲み会の時に恨み辛みを語り倒していた。それくらい眩しい人材だった。
12/31追記 Mさんは今もその証券会社で働いている。本人にとってよい転職であったことを祈っている。
性別:男
年齢:当時30代半ば
Kさんは何でもできる人だった。
本当に何でもできる人だった。公務員は2~3年ごとに異動を繰り返す関係で、事務系の器用貧乏になりがちなイメージがある。
彼の場合は違う。事務だろうと現場だろうと、企画だろうと調整だろうと何でもアリだった。具体的には、行政事務を除いて以下のような資格や経験を持っていた。
・TOEIC(社会人の平均よりもやや高い)
ここまでの資格や経験を持っていれば、安心して企業に推薦できる。
公務員の転職がなぜ難しいかといえば、応募先企業の干飯スキルと本人のそれがマッチしないからだ。マッチしたとしても、本当にマッチしている保証はない。
仮に「労務経験者」というカテゴリでマッチしたとしても、公務員と民間とでは労働関係法令の適用が異なる。例えば、「採用」するという行為の意味からして違う。極論すると、公務員の場合は、いわゆる内定取り消しがやろうと思えば自由にできる。東京都建設局事件で検索してみよう。
社会保険関係の事務量もぜんぜん違う(※民間企業の方が官公庁よりも処理人数が多い。入退職者数が多いので)し、派遣法の適用も違う(※公務員の職場だと3年ルールも5年ルールも適用がない)し、労働組合向けの対策も異なる。
業務の手順が違うだけならまだいい。覚えていけばいいからだ。だが、労務に限らず、仕事の進め方のその背景にある、『思想』が民間企業とは違う。だから公務員の転職は難しい。
さて、Kさんが最初に受けた建設系のコンサル会社は、一次面接が終わった時点で事実上の内定を出した。
「次の面接で、よほどのことがない限りは内定を出します。Kさんに他社を受けないように勧めてください」
という要請があった。
当時、Kさんは30代半ばだった。自己の能力を客観的に証明できるものがあれば転職活動で有利になるというのは一般的な事実だ。
彼と私は同年代だった。最初の面談の時点で意気投合した。今でも年に一度は飲みに行く。今回出てくる4人の中で、彼だけは許可を取っている。
後半はこちら
今年中にやらなきゃいけない大量の仕事をなんとか片付けて、帰りに寄ったコンビニでケーキとチキンを買って、暇つぶしに付けたAmazonプライムでクリスマス映画を見ながら1人でホールケーキを食べた。さすがに全部は食べきれなくて残りの半分は冷蔵庫に入れたし、ここ数年恋人もいないし、クリスマス映画なんか見ちゃったせいで人恋しい気持ちになったりしたけど、別に虚しいとかじゃない。元々1人でいるのが好きだし、結婚もする気ないし、来年も再来年も1人でクリスマスを楽しめる人生ならそれはそれで全然満足してる。
でも、ケーキを食べながらこの1年を振り返ってふと気付いたことがあって、それに気付いた瞬間なんか感極まってしまって、誰かに聞いて欲しくて思わずこれを書き始めた。
初めに前置きしておくと、悲しかったことじゃなくて、嬉しかったことの話なんだけど、たぶん私以外の誰にも興味ない話だと思うし、リアルで接点のある友達とか家族に話すにはちょっと恥ずかしいような照れくさいような内容なので、匿名がいいなと。
まず私は今社会人5年目の会社員なんだけれども、今までの人生において、努力というものを全くした覚えがないし、しようと思ってもできないタイプの人間だった。それで開き直って努力なんかしなくても別にいいじゃん、と思えるような人間だったら良かったんだけど実際はそうじゃなくて、努力できない自分に対して呆れるというか、なんというか、なんでもっと頑張れないんだっていう思いを常に抱いていたし、それがいつも苦しかった。こんなことを言うと自慢みたいに思われるかも知れないけれど、学校でも、習い事でも、どこへ行ってもいつも「やればできるのに何故やらないの?」と言われるような子供だった。そんなこと言われてもできないもんはできないし、「努力できることはそれが既に才能だから、その才能が皆無な私は一生中途半端な人間で終わるんだ」という諦めがついてきていた。
元々器用貧乏の気もあって最初は何をやらせても人より上手くできるのに、しばらく続けているといつの間にか努力に追い抜かれていく。そんなようなことが人生のうちで数え切れないほどあって、プライドだけは高いのに能力はそれほどでもないっていう本当にどうしようもない自意識が形成されてしまったと思う。だから私は基本的に人より優れていたい気持ちがあるのに満たされなくて、承認欲求が人よりも強い。
就活の時はそんなちぐはぐな人格を見抜かれたのか、行きたかった会社全部落とされてやさぐれて、結局大学卒業の1ヶ月前になるまで就活もせずぶらついていた。そんな時、さすがに親もまずいと思ったのか「就活大丈夫なの?」と言われて初めてやばいと思った私は慌てて新卒向けのエージェントに行って担当営業さんに泣き付いた。どこでもいいから入れてくださいって言って、そしたらその人は困ったような顔で「この時期ですとさすがに求人もあまりなくて…接客業とIT業界どちらがいいですか」と言った。どちらも激務で人不足な業界で、もうその2択しかないと言われた私は迷わずIT業界を選んだ。何故ならコミュ障の上に体力が壊滅的だったので、接客業なんて絶対に勤まらないと思ったからだ。そうして私はなんとかエージェントのお兄さんが紹介してくれた中小IT企業の新卒枠に潜り込み、なんとか大卒ニートを免れることができた。
入社して数ヶ月は、研修と称してよく分からないシステムの勉強をさせられていた。そこで教えてもらったプログラミング言語とかは結構楽しかったんだけれど、ここでも私はいつものパターンを想像した。最初の方のプログラミングの課題では誰よりも早く提出できたし、それなりに評価されていたと思う。だからこそ、研修担当の上司の言葉が突き刺さった。
「プログラマやSEは、常に学び続けなければいけません。特にこの業界は旬の技術や言語の移り変わりも早いので、努力し続けられない人はすぐ用無しになってしまいます」
優しそうな顔で案外厳しいことを言う人だなと思ったし、この言葉を聞いた瞬間、私はプログラマにもSEにも向いてないなと確信した。まだ入社1ヶ月だったけれど、周りに段々追い付かれている雰囲気も感じていて、既にやっていける自信が無くなっていた。
そうして数ヶ月の研修ののち私は業務委託のSEとして現場に派遣されることとなった。最初の頃は打ち合わせの内容を理解することすらできなくて、手順書通りにポチポチするだけの単体試験などをやっていた。最初の現場では任せて貰える仕事が少なすぎて、暇すぎて、鬱になりかけた。それで、私は初めて暇すぎる仕事に向いてないということがわかった。次の現場ではまさに真逆で、膨大な単純作業をひたすらやらされる仕事だった。暇すぎるよりは忙しすぎる方がマシなんだと思ったけど、体調を崩して1週間くらい休んだ。其の次の現場でもやっぱり単純作業をひたすらやらされて、リリース前1ヶ月は毎日終電で帰っていた。そこで初めてやりがいのある仕事がしたいと思って、今度は企画寄りのことができる現場に入れてもらった。それが去年のことだった。ちょうど入社して4年目で、なんだかよく分からないうちに4年も経ってたなという印象しか無かった。SEは常に学ばなければいけないという上司の言葉をすっかり忘れるくらいにはあっという間の年月だった。
そして新たに入った現場では業界で言うところの「最上流工程」に位置するような、システムの必要性から議論していくレベルの仕事だったんだけど、これがなかなか楽しくて、やればやるほど認められるのが嬉しくて、これは割と最近の話だけれど、私はいつの間にかプロジェクトリーダーにまでなっていた。ついでに自社ではその功績が認められて、役職も付いた。
それで冒頭に戻るんだけれど、チキンとケーキを食べながらこの1年を振り返ってみて、唐突に思ったんだ。あれ、私、今年1年めっちゃ頑張ってたじゃん。頑張ってたし、それが認められて、役職も付いたしプロジェクトリーダーにも抜擢されたし、努力できない人間は生きてる価値無いとすら思ってたけど、これが努力かどうかわからないけど、少なくともこの1年振り返ったときに私めっちゃ頑張ってたじゃん。そう思って、今までコンプレックスに思っていたことが報われたような気がして、ケーキ食べながら泣いた。そんなことで?って思われると思うけど私にとってはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになったので、誰かに聞いて欲しかった。
なのでここに書きました。なんだただの自慢じゃんって思うかもしれないし、不快な気分になる人もいるかもしれないけど、その時はごめんなさい。もし最後まで読んでくれる物好きな人には、ありがとうと伝えたい。
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
どうか、人の人生をなんとも思っていないクソ企業にまともに人が集まらず、人事が苦しんで苦しみ抜いてバッタバッタと倒産しまくりますように。
コメント拝読させていただいております。賛否両論あるようで、共感いただけるかた、いただけないかた様々なようです。いくつか共通する提案や質問があったので回答させていただきます。
■車を買ってはどうか
この質問とても多かったですね。ですが、車を買ってしまうと少なくとも数年は田舎に居住することを自分の中で追認してしまう気がして買っていません。
なので、転勤の引っ越し先も工場から徒歩30分ほどの場所にアパート借りています。なお東京に住んでいる時は親の車を借りたりレンタカー使ったりしていました。免許自体は持っています。
田舎で数か月勤務して東京の実家に戻った時の衝撃があまりにも強く、「これ以上田舎で生活するのは無理だ」と白旗を上げたので車は今後も買う気はありません。
すみません、訂正させてください。一番近い新幹線駅に繋がっている最寄り駅まで数kmですね。
新幹線駅までの距離はちゃんと測っていないですが、20km離れているほどではないので数km~十数kmの間です。
地方の田舎、という言葉が聞く人によってだいぶイメージが違うんだなと実感しています。観光でしか行ったことはありませんが大阪、名古屋、仙台あたりの地方都市に住んでいれば
今回みたいな田舎の絶望は無かったと思います。少なくともそれらの地方都市は東京郊外に匹敵する人の往来や活発さがあると思うので。
新幹線に乗って、田んぼだらけの眠くなる景色にたま~に見える工場、そこに自分が勤めるとしたらどういう生活になるだろう、というのをイメージしていただければと思います。
ずっと東京に住んでいた身としては、首都以外の都市は全て地方都市だという認識でした。
20代後半まで勤めてた会社が最悪だったけど、自分はスキルもなにもないのでここでアルバイトをし続けるしか無いと思ってた。
その会社では使えないやつと思われていたが、転職したところ成長株扱いされてものすごく褒められるようになった。
最初の会社は就活中に金を稼ぎたいからアルバイトで入った会社だった。
最初に書いてあった業務内容が趣味としてやっていた内容で、これなら気軽にできるし就活に金を使うから少しでも稼ぎたくてで入った。
その後就活は失敗、どこにも内定が出ないまま、大学を卒業しずるずるとその会社に勤めていた。1日8時間。普通の社員と同じだけの時間だがアルバイトだ。
親族経営で、社員が10人程度しかいないがそのうち3人は社長の親族だった。社長と副社長が親子で、経理が副社長の妻といった、本当によくある親族経営だ。
アルバイトとして入った業務内容は、ずるずると長期間やる必要があったが1日の仕事量はそれほど多くない内容だった。
うまく説明できないんだけど、ランチタイムだけ営業しているカフェの厨房業務とでも言うのか。そんで会社自体はそのビルの警備業務がメインとでも言うか。完全に例えで実際は全然違うんだけど。
とにかくそんな感じで、俺のやっている業務内容は会社のメインの業務とは全然違ったし、なんならその部署というかその業務をしているのは俺だけだった。今までカフェは空間はあるものの誰も整備もなにもしていない状態で、俺が入って初めて厨房にガスコンロが置かれたようなありさまだった。
結果的に、俺はバイトとして入った理由である厨房業務から、手があいたときは警備員の業務を手伝うようになった。
どの車をどこに案内すればいいのかわからない。どの人が不審者か見分けがつかない。車種がわからないのであの車が来たかと訊かれても答えられない。何もわからない。
上司からはひたすら使えないやつとして見られていたのがわかった。そうだろう。俺だって俺みたいなやつが部下にいたら使えないと思う。同じようなことを何度も何度も訊くしミスも多い。
最終的に、単純作業なら良いだろうということで、俺は警備で使う機材の整備などをおこなう仕事も多くなった。
本来は2人で1時間かけてやっていた内容を俺1人で3時間ほどかけて行った。そりゃそうだろうな、鉄の棒2mあるやつを2人で運ぶならばまだできるけれど1人で運ぶのはきつかった。ここで腰を悪くしたりもした。鉄の塊10キロを台車もなしに運ばされたからな。
けれども車が多く来る時間帯は警備員業務に回されるしミスをして上司が嫌そうな顔をする。だったら俺に回すなと思う。厨房に帰らせてくれ。
この時期には厨房業務は8時間のうち1時間くらいになっていた。カフェはそれでも回っていた。客がろくに来ないが、それでも少しずつは来るからやめられないという状況だった。
やめようとは思ったことがなかった。
俺はスキルが無い。厨房も趣味としてやっている程度でプロと比べたら全然だろう。だからここをやめたらこの業種で働くことは出来ないだろう。また、1人で好き勝手やれるのも気楽で良かった。
社長は厨房について何も知らないが自分は詳しいぞと社長仲間に見せたいため、俺がヘルシオを買ったほうが良いといえば買ってくれたし、電気圧力鍋だろうと食洗機だろうと買ってくれた。俺以外に使える人間なんていないのに。
俺以外の連中ができるのはせいぜいが電子レンジで温めるぐらいで、調理といえる調理は何も出来なかった。
俺がいなくなったらカフェは終わるだろうとわかっていたのでやめたくないと思っていたのもあった。
会社に対する愛は無かった。
近くに出来たイオンの駐車場がハイテクだという話を1ヶ月に3回は聞いた。社長がクリスマスに床屋にいったところ床屋も急いでいたのか冷ましていないタオルを顔に当てられてやけどするかと思ったという話も、クリスマスが近くなると週1でされる。そこで働いている社員全員の出身中学と高校と大学、現在住んでいる家のだいたいの場所、残ローン年数、家族、家族の仕事まで全部強制的に知らされた。NHKの集金から逃げる方法などは何度も語られていた。
興味がない内容すぎて眠くなるのに無理やり相槌を打つのは意味がない仕事だった。その間にも警備員の業務は溜まっていく。
友達には転職してみたら?と遠回しに言われることは何度かあったが、俺は俺のスキル的に転職できる場所などないと思っていた。就活時期に失敗したのもある。内定どころか面接にすら1度たりとも進めなかった。俺が正社員になれるわけがないと思った。友人たちは優しいからお前なら大丈夫と言ってくれているのだと思っていた。
友達の欲目だ。俺にスキルなんてない。上司にお前は使えないやつだなと態度で示され、他の同じ仕事をしている人たちがお茶をしている時間に一人鉄の棒を運んでいたのだ、自己肯定感など無い。カフェの仕事は進むが、特段俺の作ったメシが旨いと言われることもないので誰がどう思っているかなどなにも知らない。
そんなとき、とある人に酒を飲んだ流れで給料の話をしたところ、転職したほうが良いと進められた。転職について詳しい人で、おすすめのエージェントも教えてもらった。現在俺が厨房でしている内容を話したところ、それなら転職できると言われた。
この人は俺の友達ではない。ネットで出会っただけの人だ。俺は一方的に尊敬しているがこの人は俺に対して好意がどれだけあるか知らない。つまり友人の欲目はない。
その状態でも俺の給与は低いし、俺は転職できるかもしれないスキルがある。
驚いたし、ありえないと思った。
このときすでにアルバイト先では5年勤めていたが、俺と同時期に入った俺より出来る先輩がちょうど正社員にしてくれる会社があったからと辞めていった。あの人すら正社員になれないのならば俺もなれないだろうと思ったのもある。また、GWの休みで給与がどれだけ減るかと恐ろしくなったのもある。盆暮れ正月GWがある月は、手取りが10万を切る。
転職は難航した、ような気がする。
基本的にアルバイトしかしたことがない場合、正社員と同じ時間働き、同じだけ残業し、同じだけの責任を負わされていても、扱いはそれでもアルバイトだ。職歴があるとはならない。アルバイトという名の無職のようななにか扱いだ。
エージェントによっては社内選考で弾く対象なのだろう、同じような文面でお祈りメールが来まくる。
しかし、偶然とある会社で内定が出た。厨房業務に興味があればいい、厨房で働いたことなんてなくたっていい、明るく元気な職場です、ただし作る食品がちょっと特殊です、という会社だった。
業務内容的に転職は難しいだろう。作るメニューが特殊だ。例えばあんこう料理のような、他ではあまり活用する場所の少ないようなものだ。次の転職は難しいだろう。
しかし、正社員だ。今はGW前だ。月の手取り9万は嫌だ。俺はそこの会社に行くことにした。
会社にやめますと伝えたとき、特に何も引き止められなかった。あの厨房はどうなるんだろうなと思った。俺しか使えないヘルシオや食洗機は誰も使えないままなのか、それともいちから取扱説明書を見てなんとかするのか。
おそらくは埃を被るだけだろう。俺が入るまで3年間、ある程度設備の整った厨房をそのままほったらかしてカフェもなにも使わずに放置していたと聞いた。アホだと思った。
新しい会社に入った。あんこう料理は今までやっていたカフェのメニューとは全く違い難しい。しかしまあ、同じ包丁とまな板を使うものだ、なんとかなるだろうと思った。
なお、入社してから半年後ぐらいに大型のあんこう料理イベントがあるため、それまでにあんこう料理をマスターしてくれと言われた。冗談だろう。
新しい会社では、上司は俺をバカにしなかった。使えないものとして見なかった。俺がなにかわからな箇所を聞いたときにちゃんと教えてくれた。嫌そうな顔をしなかった。同じことを聞いても教えてくれた。上司だけじゃなくて他の人もそうだった。わからないものは誰かに訊けばわかった。警備員の業務と違い調理業務なので俺もやっていて楽しかった。腰を痛めなくなった。あんこう料理も楽しかった。徐々に自分ができることが増えるのが面白かった。前は日1時間程度の残業があったのに新しい会社は無かった。前述のあんこう料理イベントの時期だけは休日出勤もして月40時間ほど残ったが、上司が気にしてくれたり、社長がご飯をおごってくれたりして嬉しかった。できると褒めてくれた。褒めてくれることがたくさんあった。わかりやすかった。飲み会が嫌じゃなくなった。上司とお酒を飲むのが楽しかった。同年代の人も優しかった。年下の先輩という微妙な立場だろう人も訊けばなんでもわかりやすく教えてくれた。相手の腰が低すぎて申し訳ないぐらいだった。なおここも親族経営だった。親族だからと社長の息子が低賃金でめちゃくちゃ働かされてた。社長の息子の給料を上げろ。親族経営は前の会社で親が息子に甘すぎて最低だと思ってたのに全然違った。楽しかった。
俺は出来ないやつじゃなくなった。上司に嫌な顔をされる相手でもなくなった。期待していると、世辞か冗談かプレッシャーをかけるためか、なにかわからないけれども言われるようになった。
俺のスキルごときでは転職できないと思っていたが、転職は出来た。年齢的な期限があったのもあるだろう。ちょうどこの会社があんこう祭りを前に人手不足だったのもあるだろう。だとしても、良い会社に入れた。
前の会社は合わないと思いながらもずるずると5年もいたが、新しい会社は働いていて楽しい。
会社が合わないと思ったら転職したほうが良い。もしくは友達に相談して言われた内容を信じたほうがいい。友達の欲目があるだろうと思ってしまうなら、第三者に相談したら良い。それでもやばいと言われるレベルなら転職したほうがいい。できるから。俺も出来たから。
・最後の給与支払い忘れ(給料日過ぎて2週間経っても入金されないから確認したら社長に「忘れてた」って言われた)
・源泉徴収票をくれと伝えたら昨年のを渡される
・正しい源泉徴収票を取りに直接向かったところ、厨房のリニューアルについて相談される
有給の概念もなく、社員もアルバイトも等しく休んだ分は給与引かれる会社だったし、他にも色々あったから労基に突っ込んどけば良かったなと今になってみると思う。
リーマンショックの時もコロナ禍の現在も共通して用いられる俗説として「不況下では風俗嬢の質が上がる」というものがある
これは要するに不況下では多くの女性が失業して生活に困窮し、彼女達が風俗業に参入することで風俗嬢の総数が増加するに従って容姿に優れた風俗嬢の数も増加する、というプロセスを表現している俗説だと考えられる
男女ともに平時より増加するだろう
まして非正規の多い女性は男性以上に失業状態に陥り易いのではないか
俺が失業したらまずどうするか考えてみる
そして失業保険の受給が可能だったならば失業保険が下りることを見込みつつ、不可能だったならば再就職するまでは現金収入が断たれることを覚悟しつつ当面の出費については貯金を切り崩しながら生活を行うだろう
そして再就職の為に就活エージェントやハローワークを駆使して就活を行うだろう
↑見てこれ、風俗の風の字も出てこない
もちろん更に闇の深いケースも想定してみた
例えばカードローン等で借金があったり、当面の家賃や光熱費等を支払えるだけの貯金も持ち合わせていない場合である
その場合、俺だったら借金については債務整理を念頭に法テラス等にまずは相談に行くと思う
任意整理の見通しが立たないor借金が途方もない金額だった場合には自己破産も選択肢に入ると思う
そして住む家を失った場合には、まずは実家への帰省や友達への寄生を考える
光熱費が払えないケースってのは1万2万も捻出できないレベルで貧困状態ってことだと思われるので、真っ先に生活保護を申請すると思う
↑やはり風俗の風の字も出てこない
しかし現実として不況下では風俗業へ参入する女性は増えるし、風俗嬢のレベルも上がると伝え聞く
女たちよ、なぜ風俗へ行くんだ
なんかここ10年くらいの競馬は騎手にしても種牡馬にしても一局集中し過ぎてつまらない
昔は乗り替わりが今ほどなくて中野とか大西みたいな微妙な騎手がそのまま日本ダービー出て勝ったりしてたよね
今だったら絶対に乗り替わりでしょ G1の出馬表見ても騎手が毎回同じような面子なのはどうかと思う
若い頃の横山典なんてメジロライアンで駄目騎乗しまくってもそれでも乗り続けさせてもらってそれで一流ジョッキーになったわけじゃん
エージェント制の弊害なんだろうとも思うけど、これじゃ若手騎手が一向に育たないと思う
種牡馬にしてもSS系ばかりでつまらない なんだこりゃみたいな零細血統の馬が昔はたまに走ってたのになあと思う
産駒のメルシーステージが重賞連勝したおかげで、種牡馬廃用になって行方不明になってた父のステートジャガーの捜索がはじまって種牡馬復帰出来たエピソードとか大好きだったわ
確かに今は引く手あまたの分野かもしれないが。
かなり昔、その分野で関わった仕事や技術は、私からしたら詐欺にしか思えなかったし、そんな分野の仕事は二度としたくない。
転職を考えたときにいの一番に「この分野は少なくとも仕事としてやろうって興味はない。その分野にいくくらいなら現職を続ける。話を聞くことすら無駄でしかないから、それしか案件がないなら紹介は不要」と答えたにも関わらず、そういう案件しか持ってこない。
数年前、プログラミングスクールを出て、SESやってる会社に入った。
普通の業務終わってから20時や21時に帰社させて飲み会しようとするところとか、そもそもSESが法的にグレーじゃないかってことで、俺は会社をやめた。
売り手市場だからすぐに次も見つかるだろうと思ってたら、見つからなくて、派遣会社のお世話になり始めた。
転職エージェントを使い続けるも書類で落ちたり最終選考で落ちたりを続けて、
派遣で行ける現場はひどいところが多い。たとえばgitについて俺より詳しい人に会ったことがない。rebaseかmergeかって議論にさえ出会ったことがない。そもそもブランチが汚いなら綺麗にしようとかそういう視点がない。
ブロガーのいうことを真に受けて派遣で働き出してしまったが、失敗だった。
今年の冬は、爪に火を灯しながら年越し派遣村オールナイト、孤独のハッカソン及びペネトレーションテスト(進入先0人)、かまします。
海外で院卒で英語/中国語/日本語使える子がエージェント費用込みで20万くらいで雇えるのを見た時、
英語/自称日本語(すごく怪しい)ができる工学部出身の通貨が弱い国の子が日本でどうでもいい仕事をしているを見た時、
それなりの収入があるはずなのに自分を日本へ送り出してくれた親族への仕送りの為にものっすごい質素な生活をしているのを見た時、
感じるのは、“申し訳ない”ではなく、『彼らを見倣って自分も出来ることはしなければ』だよ
あと、インドとか、アジアの貧しい地域で平然と楽しく過ごせる感覚は理解し難い
この時に感じる感覚は“申し訳ない”ではなく、『逃げたい』『感覚を麻痺させて物だけに集中しよう』だね
だってなにをどうしたらよいのか分からないから。フェアトレードって書いてあるのを気休めに買うくらいなら出来るけど
日本に限定していうなら、居所不明児童 の悲劇、 川口高齢夫婦殺害事件(2013年) は絶対に忘れてはいけないと思う
これは不思議と『申し訳ない』という感情が湧くけど、具体的にどうしたらよいかはわからない
強いて言えば、判断能力・責任感・情緒に問題がある人物は注意深く見守らなければならないくらい
けどヤベーヤツとは関わりあいたくないし、現実的にはどうしたもんでしょうね
あれもどうするべきだったのか