はてなキーワード: エージェントとは
4年制名門女子大に通う、2級手帳持ち統合失調症患者です。人生どうしようもないので現状を書きます。
1年生から4年生にかけて地元(東京都)の居酒屋や塾講師、コンビニ店員など30店以上アルバイトの面接を受け、全て落ち、メイドカフェのアルバイトや格安風俗で働いて稼いでいました。
しかし、大学4年生の時に統合失調症をわずらって自殺未遂、リストカット、アルコール薬物依存をしていたため大学のスクールカウンセラー室を出禁になりました。それから1年精神科閉鎖病棟で入院し、退院して今就職活動中です。
退院してから4月〜6月当初は一般雇用で1社某大手の最終選考まで進んでいたのですが落ちてしまい、それからは障がい者雇用も視野に入れてハローワークの担当にまるで赤ちゃんみたいな接し方をされながらも探していました。同時期に就活エージェントを利用し、障がい者であるということを事前に伝えていただく形で6月〜12月まで掛け持ちで100社以上受けたものの、1社からも内定を貰えずにいまに至ります。
春から学校を卒業した後は、親からの援助がなくなってしまう上、年齢も年齢なので風俗も厳しくなってきてはいるので生活に困ってしまうので障がい者年金を受給しようとするも、国から拒否されてしまいました。最後の砦としてB型就労継続支援という障がい者が継続して働くための施設(工賃が支払われる)で働こうと先日面接に行ったものの、お祈りされてしまいました。
GitHubは趣味で開発している人間ならともかくポートフォリオ作った程度だと履歴書よりは参考になる程度なので
あの手のサービスのボリュームゾーンである20代〜30代ならあてになると思うけど、50歳で経験1年未満だと特殊なのであてにならない
それまでが無経験ならともかく何かしらの経験があるなら、もっと市場価値が高い場所が絶対にあるはずだから
何のスキルもない状態でしたが熱量だけは買ってもらえ、マレーシアのメディア業界で急速に成長しているM-townという企業で営業に携われることになりました。
こうして、マレーシアで飛び込み営業の毎日が始まったのですが、1ヶ月経っても契約は獲得できませんでした。しかし、事業主に中華系の割合が多いことに気が付き、中国語を勉強してみることに。これが功を奏して、初めて中華系レストランチェーンから契約を獲得することが出来ました。
この経験から、マレーシアで事業を作る為には中国語が必須だ、という気付きを得て、1ヶ月後には北京にいました。現地大学の短期コースに参加し、4ヶ月間中国語を学んだ後「これでマレーシアで勝負できる」そんな自信を片手にマレーシアに戻りました。
転機が訪れたのは、それから2ヶ月ほど経った頃です。マレーシアでどんな事業を興すべきか考えた末、賃貸仲介に関する事業に決めたのですが、何から始めれば良いのか分かりませんでした。そこで、片端から話して周れば誰かが助けてくれるだろう、という安易な結論に至り、その通りに動くことにしました。
しかし、ビジョンが大きいだけでビジネスモデルはめちゃくちゃ、白い目で見られることばかりでした。そんな中、横山さんは「すぐにやろう」と言って支援してくださり、気付けばマレーシアに自分の会社ができていました。あの時、何もない私の背中を押してくれた横山さんには頭があがりません。
会社が立ち上がった頃は、マレーシアの賃貸問題を解決できればこんな大きな事業になる、ついに起業家としての人生が始める、と期待に胸を膨らませていました。
物件集めから始めるも、事業経験も人脈もない19歳を相手にしてくれる不動産企業はマレーシア中探しても見つからず。それでも連絡し続けた結果、気の良い中華系マレー人が条件付きで提携してくれることになり、事業がスタート。しかし、契約数が増えるにつれて、オンライン完結のサポートは難しく、スケールの展望は見えませんでした。最終的には、コミッション支払いの期日、提携していたエージェントの連絡が途絶え、消息不明になる始末でした。
会社を立ち上げてからの5ヶ月間、一人で走り続けて残ったものは、挫折感と口座残高が家賃3ヶ月分(約13万円)だけでした。
当初描いた事業を作れる道筋は一向に立たず、それでもどうにか現状を突破しなければと必死で、常にイライラしている嫌なヤツだったと思います。この頃、カフェで横山さんと会う度に、何も良い報告が出来ない自分が情けなく、このままでは失望されるんじゃないかと不安でたまりませんでした。
そんな人脈も資金もない時に見つけた唯一の活路が、クラウドファンディングでした。賃貸契約を根本から変えるシステムの構築は難しくても、入り口となる場所が世界中にあれば外国人の住居探し問題は解決出来るのではないか。そう考え、1つ目のゲストハウスを作る為にクラウドファンディングの挑戦を決めました。
関連記事を読み漁り、成功した類似プロジェクトの共通項を洗い出し、事業計画を練り、物件を探し、プロジェクトページの作成からPRまで。残された時間はあとわずかでした。一緒に奮闘してくれた当時の相方には本当に感謝しています。
結果、幸いなことに178万円以上の支援をいただき、クアラルンプールの中心地にゲストハウスPotHubを作ることが出来ました。世界中で使われる事業を作る、という夢に近付いていると初めて実感した瞬間でした。
ゲストハウスには様々なゲストが行き来し、東南アジアのノマドコミュニティーやゲストハウスのネットワークが広がっていきました。その後、2軒目もオープンし、事業は順調に進んでいる様に見えました。
しかし、実際はゲストハウス2軒の運営だけで手いっぱいとなり、思い通りに事業をスケール出来ていないことに葛藤していました。目の前の自分を見つめて「こんな小さな事業を作る為にマレーシアに来たのか」そう悶々とする日々が続きました。
約15年ほどIT土方で働いていて、有難いことか分からないけどコロナ禍でも全く仕事が減る様子がない。
むしろテレワーク用のPCのスペックが悪く何をするにも時間がかかり残業が増えた。
上場を先延ばしにする取引先、閉まる商店、必死で弁当を売る飲食店。
知り合いにも、就業時間が短くなった、テレワークになったけどほとんどやる事がなく寝ていたなどの話を聞く。
本が読み進んだ、DVD一気に見た・または動画サービス漬けだった、久々にゲームをやったなどの話を聞いてふと気づく。
たまたまコロナ禍で期間限定無料配信の古い漫画を見て、こんなに面白い漫画だったのに何で今まで見なかったんだろうと思ってしまった。
そもそもゆっくりクリエイティブなものに触れ合う時間があまりなかった。
今までも終業後ライブに行った、映画を見た、イルミネーションを見に行った、そんな話を周りから聞きつつ羨ましいな、でも時間ないから結局行動しなかった。
趣味で音楽をやる人、絵を描く人、写真を極める人、いいな凄いなと横目で見つつ残業疲れで何も行動しなかった。
本当に行動力がある人なら寝る間も惜しんで趣味に没頭するのかもしれないけど、
そこまで行動力のある人間じゃない場合、疲れてるとそこまで入り込めない。
自分はIT系だが、デザイナーやエンジニアなどその道を極めようと考える仕事イコール趣味(そもそもデザインやプログラミング好きな人)みたいな人もたくさん出会っている。
学生時代は割と本も読んでいたのだが、働いてからは電車内では疲れてほとんど寝ていて本も読まず。
アフターファイブとは程遠い生活をしていてすっかり引き出しの少ない年寄りになってしまった。
人との触れ合いが会社しなかく、そもそもコミュ障なので会社でも人と仲良くなれない。
震災以降テレワーク環境を整えることになり社員には会社用携帯が配られ会社の電話に出ることもなくすっかりコミュ障が悪化し語彙力も低下した。
学生時代の友人とは疎遠になり、社会人になってからの友人は片手の指もいない。
結局この15年残業以外の事をしておらず何もない人間になってしまったのだ。
最近分かったことは、親よりバラエティに疎い、新しいミュージシャンや芸人を知らない。
若い頃に色々ハマっておけばよかった、人生やり直したい、今生きてても死んでも何の意味もないんだろうなと何度も考える。
同時期に始めた人は平日も練習してどんどん課題を進め、平日何も出来ない自分はついて行けずやめた。
余談だが知り合いに30歳を超えてからコスプレを始めた人がいる。
失礼ながら自分以上にKYで無神経でトラブルをよく抱える人だけど、正直その行動力に感服するし羨ましい。
今までにあった同業者は、あまりのキツさに倒れたり病んだりして辞めていったが、
無駄に健康でメンタルが強い(悪く言えば無神経)な自分はずるずる続けて15年経過してしまった。
この15年で得たものは残業代だけだけど20代の頃はブラック会社にいたので貯金も特別多いわけではない。
コミュ障の自分はもう結婚は諦めた。親は相談所に行けとうるさい。
もう結構な年齢だけど、やりたい事をやろうと思った。
自分はあまり裕福な家庭でなかったので専門学校で2年学んで就職したけど、通信で学士を取ろうと思う。
資格なんて意味ないという人もいるが、割と劣等感の強いコミュ障にとって資格持ちというラベルはお守りくらいの安心感がある。
結局学士ないと他職種への転職難しい(以前転職エージェントの人に言われた)と言われ小心者の自分はずっとITで働いてきたけど、
だったら学士とればいいという事に今更気づいた。遅い。遅いけどそれで行動しなかたらもっと遅くなるので行動する。
早口の自分語りのようになったけど、こんな匿名ブログでケジメつけるのも情けないかもしれないけど、遅くても良いから変わろうと思っている。
今の時代、若書きが通用するのって小説だと純文学とライトノベルだけだよ。
で、なんでそういうことが日本の文芸だけで起きるのかっていうと、出版社が一種の芸能事務所化しちゃっている日本の特殊事情に原因がある。
海外では基本的に在野のエージェントを通すなどしてそれなりに選別されたうえで出版するかどうかが決まるから若くしてデビューと言っても日本ほど早くないし、また欧米は特に文学の全体を貫く文化的な文脈があるから批評家が機能していて、文学理論を無視した雰囲気小説は全く評価されないので学んでいない勢いだけの作家は頭角を現しづらい(ほぼ不可能)。
日本の現代作家ってあんまり文学理論学ばないからそもそも世界的にはレベルが低いんだけど、とりわけ純文学は作家が育たない。その原因は80年代ごろから顕著になるけど出版に広告代理店が絡んでマスメディアと癒着し始めたため(著名な流行作家とかが昔テレビに出てたのはこの流れのせい)、ほそぼそとやるだけでは純文の編集部が肩身が狭くなる一方なので注目を集める素材じゃないと売り出せない状況になったから、売りどころがわかりづらい純文学はしだいに「若い女性」とか「アウトロー」みたいなので広告的に盛り上げられる人選になっていったため。で、売り出したら売り出しっぱなしで育て方がわからないのでモブ化するしかなくなる。
いわゆる「瑞々しい感性」っていう売り文句はこういう雑な売り方を強引に肯定したもの。
エンタメ小説は技術体系が比較的出来上がっているので良否の判断がつきやすい。だから結果的に技術的に未熟な作家は取り上げられにくい。
ライトノベル(ジュブナイル小説ではないいわゆるオタクが好むタイプのラノベ)はある意味ポストモダンの申し子で構造が破綻していた方が面白いから未熟さが売りにできるので、純文学に近いスタンスになっている。
ちなみに明治大正のころも若い文豪がいっぱいいたという反論がありそうなので先に封じておくと、あれらの作家は同人誌から出発している半同人作家で、そもそも出版業界自体も未熟で小さく尾崎紅葉や夏目漱石などといった作家の弟子であったり同じ大学のよしみみたいなコネデビューしかなかった。
エージェントの人が勧める会社に書類送ってる?もし元増田が「進められたけどこんなところ嫌だ」と思って希望の業界・職種にしか応募してないなら、それは止めた方がいい。キツイことを言うけど、高望みしてる可能性が高い。
それから、ストレスが溜まるなら実家を離れた方がいい。一人暮らしをする費用を捻出できないなら社員寮のある会社に入るのも手だと思う。仕事以外で会社の人と関わりたくない!寮なんて無理!って感じるなら無理だけど…ちなみに一人暮らしで推しに貢ぐのは結構しんどい。参考までに。
とにかく吐き出させてください
25歳女です。
ずっと転職したかったけど気付いたらコロナのリモートワークで病んで退職してしまった。
「リモートワークできるなんていい会社じゃん!」と友達は言っていたけど家のリモートワークの環境が最悪でした。
実家住み、部屋なし、エアコンなしなので夏は暑くて集中できないしいつも誰かが突然後ろを通って気が散る。
そんなだから、ノルマはこなせないし締め切りは迫るし、上司から催促されるし、無駄残業あるし…
まあ統合失調症だしもうすぐやめてから3ヶ月経つし(退職後3ヶ月経つと書類選考通りづらくなるらしい)仕方ないのかもしれない。
年齢=彼氏いない歴で
コミュニケーションが苦手。
夢女子だから2次元のキャラクターに恋してる。(はず、現実の人間に恋したことがないから絶対とは言えない)
家族には
「声がキンキンしてうるさい」
と言われ続け、泣きながら寝てしまうこともしばしば。悲しい。
家族は
というけれどこればかりは無理でしょう。
もう1人で、独身で生きていく決心をしているから給料が多いところ、退職金があるところに転職したい。
それって贅沢かな?
働きたいのは推しに貢ぎたいからだけどそれだけが人生じゃないからお金を貯めたいと思うとは難しいのかな?
保険も入れない。
絵を描くのがずっと好きで美大は出たけれど、才能はないので全然関係ない職についてる。
いつも仕事嫌だというと、美大行ったのに全然関係ない仕事を選んだのはなんで?って言う家族は残酷だと思う。
美大は3時間くらいかけて通っていたけれど、それが原因で病気になって、そのときはもう絵なんか描ける状態じゃなかったから、別の仕事についたんだよ、なんて言えない。
絶対にじゃあなんで美大に行ったの?近くの大学にすればよかったのにって言われるから。
ひどいよね、家計に負担になると思って実家から通っていたのに、結局は美大のこと遊んでたと思ってるんでしょ?
遊ぶ時間なんてなかったよ。
私だって変わろうと思って街コンに出たり、結婚相談所に入ってみたりしたけどどちらも一回でやめてしまった。
街コンは人がアレだったので結婚相談所に入ったけれど、紹介された人は別に嫌な人ではなくていい人だったんだけど、「この人と、(もしくは別の人と、)セックスするのか〜」と思ったら気持ち悪すぎてやめてしまった。
もともと人間を恋愛対象としてあんまり見れてなかったので別に…と言う感じですが。
そのあとは、何個かジャンルにハマって、夢女子を自覚して今はオタ活を楽しんでいる。
でも相変わらず職は決まらないし、コミュ障だし、でも人間と仲良くしたいし、病気は治らないし最悪ですよ。
年々最悪を更新してるから地獄に底なんてないんだな、って思ってしまう。天井しかない。
なんだろう小中高ってずっと優等生を演じてたしそれでよかったのに大学ではそれは通じないし通じなかったことが就活して初めて気づかせるのはずるいよ、酷い。
サークルで遊んでいた人がいい人生を歩んでちゃんと講義を受けて制作してたのに最悪に沈んでいく。悲しい。
いつから朝起きるのが嫌になったんだろう?
少なくとも中学ころはもう嫌だったな。
気が晴れる時がくるんだろうかと思うし、晴れてる人はいるんだろうかと思う。
せめて居場所があればな。実家に居場所がないから歩き回りたいけどコロナだしでかけると「どこいくの?」ってしつこくきいてくるしめんどくさくてやめた。
絵を描くのは好きだけど、何か言われるのが怖くてここ2、3日描けていない。怖い。
放っておいてほしい。
放っておいてほしいけど寂しいよ。
約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。
今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。
俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。
俺には少し年の離れた兄がいた。
その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。
両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。
それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、
自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。
でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、
人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。
自分は勉強も運動もできる、天才で特別な人間である、勉強ができなかったり学校にいけなかったり仕事ができない奴は
人間としてダメだという考え方が、この段階で刷り込まれていったと思う。
当時はなんとなく運動部を避けただけのつもりだったが、
今思えばチーム内での競争や、大会での結果で自分の平凡さに向き合う事を知らず知らずのうちに避けていたんだと思う。
吹奏楽部でも競争はあるにはあったが、男性の身体的なアドバンテージや、
大人数での団体種目という事でそれほど劣等感には向き合わずに済んだ。
勉強は隠れて死ぬほど頑張って、まあまあのレベルをキープし、そこそこの大学に入れた。
テストの前に全然勉強してないわーっていう典型的なタイプだったし、
志望の大学を決める時も、周囲には勉強しなくても入れるとこにしたと言い張った。
ハンカチ王子やまーくんと同世代というだけでなにか運命めいた物を感じていた。
運動については、運動部の人たちには到底敵わなくなり、勉強しなくても成績がいい天才なのだと信じ込んでいた。
兄とはたまに一緒にゲームをしたりしたが、基本的に部屋でずっとパソコンをしていたのであまり関わる事はなかった。
ただ、兄のようにならないように頑張ろうという軽蔑のこもった念を持っていたと思う。
俺が何か落ち込むような事があった時は、内心でこいつよりは1万倍マシだと言い聞かせたりもした。
大学に入ってからは、受験の時に陰で勉強しまくっていた反動で遊びまくり、成績はひどかった。
高校までの自分の理想像では勉強しなくてもできる天才の筈だったが、更に妥協する事にした。
学校の勉強なんて社会で役にたたないし、もっと本当の意味での賢さが自分には備わっている。
大学の勉強よりも、もっと価値のある事に時間を使っているし、その才能がある。という路線にしたのだろう。
そこからは、友達・人脈を増やす為に頑張った。まずは先輩に媚びて、可愛がられて、それがすごいと思ってた。
交友関係を学外にもどんどん広げていき、フェイスブックは顔見知り程度ならどんどん友達申請した。
そのうちに、ストリートアートの才能がある人物と出会って、イベントをやる事になった。
結果、そのイベントはそこそこ成功し、俺は何かを作りあげるクリエーターとしての才能があるのだと思うに至った。
実際は、自分では何も作り出す事ができず、ただ誰よりも彼の作品に憧れただけだったのに。
あげく、彼とはイベントの打ち上げで大喧嘩して仲違いしたきりだ。
絵を書かないお前の方が主役みたいだ、自分では出来もしないのに口ばっかり出してくるな、
自分以外はみんな馬鹿だというような態度をやめろ。そういう事を言われた。
同じ天才の仲間だと思ってたのに、急に梯子を外された気分になった。
彼が憤慨して帰った後、とりまきと彼の悪口を言いながら記憶が無くなるまで飲んだ。
二十歳を過ぎてからは六本木に入り浸って、色んな経営者やらとも知り合いになった。
知り合いと言っても、今思えば知人の女子大生を宴席に連れていくだけの、便利な愛人斡旋係だった。
そんな社長たちすら、ランクを5段階くらいにわけて下のランクの人達は馬鹿にしてた。
でもいざ同席している間はぺこぺこへりくだって、そのギャップから、家に帰って目眩がして吐く事もあった。
今日〇〇の社長とキャバクラだから。それだけを同級生に言っている間だけは自尊心が満たされた。
その人達ですら、自分で事業を作り上げて必死に改善して、本来は尊敬すべき人だった。
あまりにも授業に出なかったので、留年しそうになり、慌てて学生ローンで借金してインドで1ヶ月ワーホリした。
俺の行動のすべては、順調な人生に見せかけるための、ハリボテのアリバイ作りのためだった。
一浪した就活では、人材系大手のRから内定を得ることができた。
面接の時は自分の経歴を何百倍にも膨らませて、嘘もふんだんに織り交ぜて通過した。
今思えば入社前のこのタイミングが軌道修正する最後のタイミングだったように思う。
入社したRでは、退社した人材が起業したり有名企業の要職を務める事が多く、元Rというブランドができていた。
自分もそこで頑張って、起業すればそういうキラキラした何者かになれると思っていた。
そもそも自分の理想に対して、人材紹介のエージェントという仕事はあまりにもつまらなかった。
転職希望者の話を聞いて、内定がでそうな企業を紹介して日程調整をする。
当然転職希望者は培った専門性を軸に、次のキャリアを考えるが、その専門的な内容がさっぱりわからない。
そりゃそうだ。こっちは他で働いた事もない新卒なんだから。職種も全然違うし。
同期たちは努力やホスピタリティーやら自分の長所を活かして成長していったが、俺にはそれができなかった。
今まで努力や反省といった所からひたすら逃げてきたのだから、当然の結果といえばその通りだ。
自分の才能について信じていた”なんとなく”というのは、試行していないが故に可能性が潰れていないだけで、
何の成長性もなく、ただただ自分の現実と向き合ってないだけだった。
みんなが色んなチャレンジをして、失敗して反省して、試行錯誤をしていた時に、
自分の限界に挑戦しないから自分の能力がわからず、低いハードルを超えるだけで失敗しないだけだった。
周囲には、人材紹介はビジネスモデルが良くないから本気になれない
より良い新たなビジネスモデルでの起業の準備が忙しいのだ、と言い訳していたが、苦しかった。
アラサーと言われる年齢に近づいた頃、仕事でとあるクリエイターに出会った。
大学時代のストリートアートの彼すらも遠く霞むような、本物の天才だった。
その人は天才故にずっと苦労していて、話を聞けば聞くほど天才のノブレス・オブリージュみたいだなと思った。
高IQゆえの他者・社会との隔絶。そこから来る生きづらさ。それこそが天才の証明だったのだ。
天才は友達が少ない。それだけ普通とは隔絶し、突出した人間だから。
自分がいつか凡人だと気づく不安なんて感じたことはない。人と違う事で、恐れ、疎まれて来たから。
話を聞けば聞くほど絶望していった。中途半端に器用に生きてきた自分とは、真逆の人生だった。
自分はコミュ力と友達の多さを誇って天才だと吹聴してた。それが真逆で本当に恥ずかしかった。
意を決して、精神科を訪ね、IQの検査を受けた。IQ120弱くらいだった。
天才とメンバー間を通訳できる、いいリーダー・つなぎ役になれるという解説がついていた。
天才じゃないという死刑宣告だった。上位10%。クラスで3、4番目。それが俺の本当の実力だった。
だけどまだそれを信じる訳にはいかなかった。
天才だ特別だと言い張っていたのに、そうでない人生を今日から歩めと言われても飲み込む事はできなかった。
IQは一つの指標。そう考えるしかなかった。そうでないと生きて行けなかった。
検査の結果を聞いてから毎日、気が狂うほどの焦燥感が常に付き纏っていた。
本当に24時間何をしていても、少しでも気を抜いた瞬間に、
何かを成し遂げなければならない、特別である事を証明しなければならないという強迫観念が絶えず襲いかかってきた。
幸い、人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが非常に低かった。
同業他社と比べると、有料のオプションが1つ無料になる。程度の差別化だったが、
それを新しいビジネスモデルという事にして打ち出していった。
本当にちっぽけなしょうもないアイデアだけど、それに賭けることにした。
勝ち目なんて無いに等しいのはわかっていた。でもそれに全てを賭けるしかなかった。
特別な人間であるというアイデンティティだけにすがって、他者を馬鹿にし、虚構の優越感に浸り、
生き続ける為には、この道で食っていくしか無かった。
あると思っていたコネクションは、俺ではなく会社と繋がっていたのだ。
元々ないホスピタリティーは更に枯れ果てた。
余裕の無さが更に成功を遠ざける。
うまくいくはずが無かった。
どんどん追い詰められていった。
兄は学生生活こそうまくいかなかったが、こつこつとプログラミングの勉強をして実力をつけていた。
いくつかの現場を経験していたので、人脈もあった。それを使う事にした。
子供の頃から兄を馬鹿にするのが俺のアイデンティティの一部だったのに、その兄にすがって何とか生きている。
兄は優しかった。逆境に負けず、こつこつと努力を重ねられる強い人間だった。
でもそれもだめだった。三度、天才に打ちのめされることになる。
求職者が企業と面談をすると、3万円もらえるという転職サービスが現れた。
人材業界のビジネスモデルには問題があると先述したが、それについては紛れもない本心だ。
既存の人材紹介業は、求職者が入社すると理論年収の35%程度を手数料としてエージェントに支払うのが慣例だ。
年収600万円の人材を紹介すれば、200万円以上の手数料を払う事になる。
求職者を集めて求人を紹介し、履歴書を送って日程調整をする報酬にしてはあまりに高すぎる。
人材系のエージェント・採用代行は独立のハードルが低いというのは、それが由縁だ。
中小企業や、スタートアップ・ベンチャーがおいそれと手を出せる金額ではない。
加えて、エージェントはとにかく求職者が入社すれば高額な手数料が得られるので、
「求職者が望む転職になるか」「企業に本当に必要な人材か」を無視して、
「内定が出そうな企業」に求職者を押し込む事で、売上を伸ばす事ができる。
つまり、エージェントが売上を追求すると、求職者・企業の利益を損なうケースが出てくるのだ。
3万円もらえるという転職サービスでは、企業は面談時に費用がかかる代わりに、入社時の手数料はいらないらしい。
企業がエージェントに払っていた費用の大部分を、求職者が受け取る形だ。
これは、既存の転職市場・人材業界の諸問題を一気に解決し得るポテンシャルがあると思う。
このサービスを見た瞬間、正気を保ってられなかった。ケチの付けようがないすごいサービスだった。
転職市場・人材業界のパイの全てをテーブルごとひっくり返す、この上ない破壊的イノベーション。
最初は思わずネガキャンした。悔しかったから。でもどうしようもなく憧れた。
どうして自分がこれを考えつけなかったのか、今まで何に時間を使ってきたのか。
自分を責める事しかできない。感情はもはや支離滅裂でどうしようもない。
仕事を続けられる気がしない。全て終わりにして消えたい。ネガティブな感情が無限ループしている。
一番恐ろしいのは、ここまで書いた事全て、自分は薄々気づいていたという事だ。
それでも、特別な人間でなければ、優秀な人間でなければ意味がない、
という自分自身にかけた呪いからそれを絶対に認める事はできなかった。
ここまで絶望的な状況になって、認めるしかない現実が来て、やっと認める事ができた。
自分の心の中の薄々気づいていた部分は、こうなってしまった事をホッとしている気すらする。
このままどこまでも狂って、「コロナがなければ・・・」「精神を病まなければ・・・」
という言い訳ができればいいと、ただそれだけをずっと泣きながら祈っている。
なかなかコロナ専門病院をつくるのは、人集めの面で難しいのじゃないかなぁ。
まず前提として日本の医者はほぼ自分の意志で専門を決めていて、始めの数年を除いてその専門を中心に仕事をしている。
感染症専門医資格を持っている医者は更に少なく一番多い東京でも312人、二番目の神奈川が99人、一番少ない岩手が2人。(因みに循環器内科専門医は東京に2442人、岩手に117人)
なのでコロナ専門病院を作ろうと思ったら感染症科医だけでは足らないので、必然的に感染症科以外の医者が必要になる。
自分が今まで専門としていた仕事を捨てて、門外漢のコロナ診療に飛び込みたいと考える医者は珍しい。
転職エージェントの紹介文でも「専門外来できます」的な専門の仕事ができますよという勧誘文句が多くて、専門の仕事をしたいと考える医者は多い。
給料を高くすれば集まると思うかもしれないが、もともと医者の給料は高い上に、転職先も多い。
自分の専門のことができて高い給料をもらえる仕事と専門外だけど給料がもっと高い仕事、後者を選ぶ医者もいるかもだけど少数だと思う。
転職エージェントが良く使う「キャリアの棚卸(たなおろし)」という言葉が嫌い。
自身のキャリアを(書き出したりして)整理整頓する行為を指すわけだが、どうにも気持ち悪い。
最初から「職務経歴書を詳しく書いてみましょう」でも全然通用する。
そもそも棚卸とは在庫の数量をかぞえ計算することだが、直訳では意味が通じない言葉。
彼らは「一言でわかりやすく言ってあげました」的な意図を感じるが、普段は絶対に使わないので意味が伝わりづらい。
転職エージェント業界だけの業界用語だと思うし、リクルート出身者がよく使うイメージがある。
↓こうした転職系サービスの紹介記事でも当たり前のように使われているが、どうにも気持ち悪いという感情が先だってしまう。
https://media.request-agent.co.jp/entry/majicari
皆には意味が通じているのだろうか?
https://twitter.com/RawheaD/status/1347787650292350976
「銃の撃ち方を知らないなら覚えろ。今すぐだ」
もとが諸々引く前で20万行ってない糞給与アルバイターだったんだけどスキルがないからってその会社にずるずるいたわけよ。
でも同じく長年勤めてたアルバイトの兄ちゃんがやめて、その人の代わりにいれた人が半年で合計5人やめて、そんでもって転職したほうがいいって言ってくれる人がいたおかげで転職しようと思った。
プログラマーとしては完全未経験で一応HTMLとCSSは知ってまーすレベルで資格は一切ないんだけど、地元のSESじゃない会社に正社員で拾ってもらえた(なんていう種類なの?なんかパッケージ商品の修正変更する仕事なんだけど馬鹿だからわかんねえ)。
正直ドのつくブラックに突っ込まれるんだろうと思ったわけよ。だって未経験アラサー取るんだよ。絶対やべえ会社じゃん。
しかも転職エージェントがゴリ押ししてくるんだよ。絶対やべえ会社じゃん。
それがどういうわけか超いい会社。ホワイト。前の会社と違って定時で帰れるし給与が諸々引く前なら20万こしてる。手取りは20万いかないけど。
おまけに上司がすげえいい人。褒めてくれる。前の会社は1回間違えたらめちゃくちゃ怒られて2回め以降聞きづらくてミスしてたんだけどこの会社は何回でも教えてくれる。すげーいい人。
しかも仕事始める前に研修受けさせてくれたし、仕事始まったらOJTとかいうやつできちんと教えてくれるの。めっちゃいい会社。
営業の仕事はやらなくていい。なまりのきついおっさんの電話取って罵声浴びせられなくていい。FAXの読めない文字を解読しなくていい。プログラムいじるの楽しい。最高。
しかもさー、上司が「仕事辛くない?大丈夫?」って聞いてくれんの。辛いわけないじゃん、腰痛持ちなのに15キロの鉄塊一人で運ばされるのと比べたら天国だよ。
その後も同じ転職エージェントから数人送り込まれてきてる。ネットだとすげー評判悪いエージェントなのに、なんでこんなあたりの会社引き当ててくれたのか全然わかんねえわ。
転職って運だなーと思ったわ。
なお給与は低いがギリギリ生きていける程度だし、未経験PGってうちの地方だとだいたいこんなもんだからそこは文句ない。いくつかのエージェントで見た限り同額程度が多かった。一応昇給もあるっていうからそっち期待してる。
化粧してスーツ着て面接して自己アピールして……な就活が苦痛すぎて、とりあえず内定欲しさに見るからにブラック企業で内定をもらって半年経たずに辞表を出すことになり、メンタルやられて1年くらいニートして親のすねをかじっていた。(仕事を探して応募することはしていたが、やる気のなさが露呈していたのか50社ほどにお祈りされて心が折れた)
流石にやばいと思って派遣に登録して期限いっぱいまで働いた。そこでは社会復帰の意味合いもこめてとことん頑張ったつもりだったけど、とてつもなく暇な職場だった。忙しい時期はあるにはあるけど、8割がた暇で、丁寧なマニュアル作ったり、同じ所属の定年のおじいちゃんが暇そうに居眠りする横で私も居眠りをかますくらい暇だった。それでも仕事ぶりは良い評価をもらえた謎。そこで数年過ごして、ブラック企業時代にへし折られた自尊心やら自信を少しずつ取り戻せたと思う。
暇な派遣先を辞めたあとは、いつまでも派遣でいるわけにはいかないので、正社員の仕事を探した。転職エージェントとかも使ってみたが、全然成果が上がらず、数ヶ月が経過。焦って私はまた派遣で仕事を探した。運良くOKをもらえたところは以前の派遣先より条件が劣る職場だったが、職なしの不安から逃れたい気持ちが勝り、そこで働くことになった。
そこがまあ良い職場すぎてびっくりした。
就活時代の苦労はなんだったのかと思うくらいに、ここに来たらとんとん拍子に直接雇用にまで行ってしまった。私が特段優秀だからではない。まさに運、ご縁という感じだった。
定時で帰れるし、嫌な感じのする人も皆無で、人間関係も良好。給料も悪くない。職場環境は最高だ。なぜ自分がこんなに最高な環境で働けているのか分からない。この職場に来れたのは就活を頑張ったからじゃない。単にタイミングと運が良かっただけだ。
人生ってままならない。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 200 | 26820 | 134.1 | 38.5 |
01 | 105 | 9484 | 90.3 | 46 |
02 | 115 | 16710 | 145.3 | 48 |
03 | 57 | 9055 | 158.9 | 49 |
04 | 18 | 4533 | 251.8 | 51 |
05 | 28 | 5235 | 187.0 | 70 |
06 | 33 | 2294 | 69.5 | 40 |
07 | 32 | 6122 | 191.3 | 36.5 |
08 | 44 | 2244 | 51.0 | 31.5 |
09 | 101 | 8694 | 86.1 | 42 |
10 | 237 | 13713 | 57.9 | 30 |
11 | 273 | 22939 | 84.0 | 34 |
12 | 204 | 17656 | 86.5 | 34 |
13 | 204 | 20072 | 98.4 | 47 |
14 | 165 | 17282 | 104.7 | 48 |
15 | 196 | 19202 | 98.0 | 38.5 |
16 | 202 | 27904 | 138.1 | 36.5 |
17 | 187 | 15689 | 83.9 | 41 |
18 | 195 | 19874 | 101.9 | 48 |
19 | 158 | 13305 | 84.2 | 42 |
20 | 214 | 14582 | 68.1 | 29 |
21 | 245 | 16971 | 69.3 | 27 |
22 | 180 | 21220 | 117.9 | 41 |
23 | 152 | 16919 | 111.3 | 44.5 |
1日 | 3545 | 348519 | 98.3 | 38 |
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