はてなキーワード: 突撃とは
大好きな作家がいた 私はその人を傷つけた気がする その人はコミケにはしばらく来ていない プロとしての仕事が忙しいだけかもしれない 確かにアレやコレで時々名前は見る しかし自分の存在があるからこそコミケに来ないのかもしれない このアカウントでツイートされないのかもしれない 全て自分のせいではないか、そんなことをここしばらく考えていた 今考えるとその人に対してずいぶん気持ち悪い行動をしたと思う その人がかつて運営していたサイトでイラストをかき集めた それから数年後にコミケまでその人に会いに行った その人のイラストを使って作ったものをプレゼントした 失礼なこともしたと思う メールでその人に対する熱い思いを語ったつもりだった DMで感想を伝えたつもりだった 返信がない以上その人は自分のことをうっとおしく思っていたのではないか 私は明るく振る舞うその人のツイートが眩しかったのだろう、だんだん敬愛すべき作家なのか昔の思い出にすがってるだけなのかわからなくなってきた 気がついたらミュートしていた もっと交流すればよかったのに、出来なかった ただその人の絵は美しい 漫画だってとても上手く、面白い それだけは私の心に確かに焼き付いている もう15年ほど前のことになるだろうか パソコンを買ってもらって1、2年ほど経過した頃、私は例によってオタクだったのでアレやらナニやらいろんな作品の同人サイトを巡っていた 当時は年齢が年齢なので18歳以上は云々のサイトに入れないはずだが、ギンギラギンの性欲を持つ厨房がそんな文言にたじろぐはずはない まぁどうせ作者も厨房工房である 悪影響といえばファックしたりされたりしているキャラクターが原作漫画やアニメで見るのが恥ずかしくなった程度である まぁとにかくいろんなサイトを巡った 掲示板やメールでの交流はしなかった 長ったらしい文章を書くのがクソ面倒だったしネットに疎い親がメールを教えるなだのなんのかんのうるさかったためである まぁ私自信もメールアドレスで住所割られたらどうしようとか考える程度にネットに疎かった イラストサイトの閲覧はダイヤルアップというのだろうか、パソコンの横にぶっ刺すカードのおかげでクソ遅かったのもあるし恥ずかしいのもあってあまりしなかった 代わりに様々なテキストサイトを巡っていた 私が当時手にとっていた紙の本とは違い、拙いながらも熱を感じるめくるめく官能の世界が繰り広げられていた それはそれはすごかった 今読むと素人もええところだなオイと思うだろうが当時はそれで興奮していた 正直今も興奮する そんな中、当時あるゲームに夢中になっていた私はいわゆるリンクだかリングだか同盟だかでとあるサイトに出会った イラスト・漫画サイトだった そのサイトでは少しマイナーなキャラを中心に取り扱っていた 見る 絵がめっちゃきれい 線、構図、色使い、その他諸々、私は絵に詳しくないが非常に美しいと思えた 漫画もこれまた面白い ギャグからシリアスまでなんでもありのストーリーセンス! 遅い回線の中、イラストのダウンロードさえ待つのが楽しみだった 後でわかったことだが当時そのサイトの作者は高校生だったようである 私はあっという間にそのキャラが大好きになった そして当時はそういうのが流行りだったため、裏ページなんてのもあった 見た 更にすごかった SMから四肢切断に女体化まであらゆる責め苦がそのキャラクターを襲っていた しかしそれでも崩れることなくその人の筆使いや話の運び方には熱が入っていることがありありとわかった 掲示板には感想などは書かなかった 今考えると一言二言書いといたほうが良かったと思う その人は同人活動もしていた 本の中ではWeb上を超えた更なる甘美で耽美な世界が繰り広げられていることは間違いないだろう しかしその人は主に東京国際展示場辺りで開かれるイベントに参加しているようだった 当時の私はどうにか親をごまかしまくって年に1回か2回、御茶ノ水あたりの損保会館とかいうところまで行くのがギリギリだったので会うことは叶わない それ以前に厨房の肉体でエロ本下さい☆なんて言えるほど豪気ではない なら通販はどうだろうか 親に何を買ったかの説明責任が存在する 住所を知らん人に教えてこれまたあーだこーだ言われるのも嫌だ 仕方ないから諦めた 少し後に秋葉原のどっかの同人誌取り扱い書店で年齢を聞かれずにエロ同人誌を買えたことをここに告白する 店員が悪い そのうちサイトは更新されなくなった 日記を読む限り専門でいろいろやったとかどっかの会社に就職したとかそんな感じだったと思う 後にインターネットアーカイブで読んでみたところとあるゲーム会社に就職したようである もう潰れたけど そして私は堪え性がないのでまた別のゲームや漫画に飛んだりしていった たまにその人のことは思い出していたがその後の動向がわからないのでどうしようもない でもある日サイトを見に行ったらエンターページは残っていたもののトップページは消え去りブログになっていた 記事はあまりなかった 例のゲームの同人誌出すとか書いてあった気もするけどもうよく覚えていない 気づいたときにはかなり前の日付で、もはやその作家の本を買う方法は存在しなかった 書店委託もしてないし通販を頼む方法だってあったはずだが親が親なのでやめた 結局その作家への愛なんてその程度なんだと思ったよ その辺りだろうか、せめてその人のサイトのイラストを出来る限りアーカイブしようと決めたのは 今考えると気持ち悪いことをしたもんである こんなもん作家に見せたら卒倒するわ サイトアドレスを残してたりイラストを上げっぱなしにしてた作家もインターネットアーカイブも悪い 改めて見てみるとこれが本当に美しい HTMLとか文章とかはもうめんどくさかったのでひたすらイラストのみを保存していった そしてCD-Rに焼いた 今はHDDにはなぜか残っておらずロムもどっか行った それでいいんだろう そして2011年である 私には地獄のような苦しみが絶えず襲ってきた 正直思い出したくもない 書くけど まぁなんやかんやあって熱は冷めてきたものの例のゲームのオンリーイベントがあったので行ってみた 秋頃だっただろうか 会場内でうろうろしていたところ、上記の作家が入れ込んでいたであろうキャラクターのアンソロジーが発行されていた こいつも大きく取り上げられるようになったなぁ、なんてすこしほっこりした ふとその作家を思い出し、主催者っぽい人に冗談半分でその作家のことを聞いてみた 「この本に描いてますよ」 「そちらの方のスペースに合同誌がありますよ」 耳を疑った すぐさま私はそのアンソロジーを買った そしてすぐ横のスペースでテーブルに並べてある本をすべて購入した 読む 見つけた! この人だ! 絵柄は多少変わってはいたがキレッキレのギャグセンスは間違いなくその人のものだった 合同誌も同様だ えらいものを手にしてしまった もはやあの日々から長い年月が経ったというのに この辺からおかしくなってきた アンソロジーにサイトURLや現在のペンネームが載っていた 早速アクセスする 極彩色のイラストが私の眼前に広がった 相変わらずその人の絵はすごかった 仕事内容を見て更にびっくり、詳細は省くがとにかく驚いた あんたこんなデカい仕事してたのか、と 冬の祭典コミックマーケットの季節が近づいてきた頃、その人のサイトが更新された コミケには当然サークル参加するという 絶対行こう、あわよくば色紙も描いてもらおう、差し入れも持ってこう、いろいろ考えながら当日を楽しみにしていた とはいえいろいろ回るところはあったのでその人のサークルに着いたのは昼も大きく回った辺りだった スペースに人がいる あの人だろうか、ドキドキする、本を買う、〇〇さんはいらっしゃいますか? 「あぁ、今買い物に出てます」 まぁそんなもんである 他のところをうろついて数十分後、再びサークル前に戻る 別の人が座っている 先程買った本を見せ、〇〇さんですか? ビンゴだった 差し入れを渡す そして、 「先日☓☓のアンソロを買ったんですけど、数年前に☓☓のサイトを運営されてた〇〇さんですか?」 その人はひどく驚いた顔をしていた ビンゴだったのだ 本人に会うことは予定事項だった しかし私は固まった 敬愛するその作家が目の前に現れたのだ 正直何を話したかもはや思い出せない ただガチガチに緊張し、どうにか色紙を頼み、受け取ったときそこには美しい筆致で例のキャラクターが存在しており、最後に握手をした それだけだった そのコミケでは他に、自分を勇気づけてくれた漫画を描いたある作家に会いに行ってサインもらったり握手したり、また別のある作家に大好きなキャラの色紙を頼んだところ、ものの2、3分で色紙を仕上げるというような曲芸じみたことをやってもらえたりもした 地獄のような2011年は奇跡のような思い出で締めくくられた 当然のように次の夏コミに行った 思い切ってその人に当時発行していた本の在庫があったら売ってくれないか聞いてみた 了承してくれた 震える字でメモに自分の住所と名前を書いた もはや親はいないので通販など自由だ ひと月くらい経ち、郵便物が届いた 可愛らしいテープで封がされており、漫画で使われているものと変わらない字がそこにあった 数冊の同人誌が入っていた メッセージも添えられていた 何が書いてあったか忘れたが、嬉しさで床をのたうち回ったことを覚えている その日のうちにメールを送った その人に出会ったきっかけや応援メッセージを書いた 今見たらゲロみてぇなこと書いてあんだろうなと思ったが思ったほどではなく安心している とはいえヘッタクソな文であることは間違いない 返信は来なかったからだ しかしどうやって料金を支払えばいいのか? 郵便小為替とかそういったものが頭から抜け落ちていた自分は次の冬に会った時に支払いをしよう、ついでに冬で悪くなりにくいだろうしちょっといい菓子でも持っていこうか、なんて思っていた 念のため言っておくが封筒にはその作家の当時のものであろう住所と本名が書かれていたものの、突撃するとか年賀状を送るとか、そんな恐れ多いことはとてもじゃないが出来なかった 以前ワンフェスでガレキ買ったとき部品が一個足りなくてディーラーにメールを送ったが、送られてきた封筒には一つのパーツとディーラー名以外何も書かれてなかった 私ごときに自分の名前も住所も書く必要ないんだよ、今になって思う 次の冬コミ、例によってその作家のサークルへ向かう もはや優先順位はトップクラスになっていた 差し入れの菓子を渡し、その人に同人誌送付のお礼と感想を述べ、料金について尋ねた 昔のものだし別にいい、そんなことを言われた なんだかものすごく申し訳ない気持ちになった 絵も漫画も良ければ人間性もいいのか まさに「神」だった この辺から記憶が曖昧になっている 毎度のようにコミケではその人のサークルに行き、本を買う それだけである その程度の距離感のほうが良かったのではないか、今になって思う その人は別名義でこれまた別のジャンルでも活動していた 当人のPixivかなんかに書いてあった 本のほかにグッズかなんかも頒布するらしい 初めてその人に出会った冬コミの一ヶ月後くらいのオンリーに参加するとのことだった コミケでは「必ず行きます!」みたいなことを言っていた しかし後から見直すとこのグッズ類が結構いい値段している まぁどうせ相手も自分の顔なんか覚えてないだろう、そもそも自分はこのジャンルに触れたての人間なんだからそこまで深いところに行く必要はなかろうよ、なんて思っていた クズである 正直今は後悔している 実際にオンリーに行ったところ、確かにその人は来ていた こっちからその人を伺う形になってなんか申し訳ない気がした 結局その人のところには行かなかった とはいえ向こうだって約束した人が病気かなんかで来られなくなることがあることだってわかるだろう その人が私の姿を見ていない限りは 心にそんなしこりを残したまま、その後のオンリーに赴き、その人の新刊を買う日々が続いた まぁこれがエグい 当時サイトで見た性癖と変わらないものがそこにあって感動した それでも美しいんだこれが スペース前で軽くおしゃべりする程度で茶を飲みに行ったりだとかそんなことはない 自分自身コミュ障を患ってるのでそんなことはしないほうが正解だとは思っていた しかしその沈黙は破られた あるオンリーの日、例によって新刊を買った私は何を思ったのか 「ツイッターのアカウントフォローしていいですか?」 なんて抜かしていた 「いいですよー」 当然ながらフォローするもしないも当人の自由ではあるがなんかその人に対しては遠慮していた 鍵垢だからどんなことが書かれているかわからない、いつも来やがるあの野郎また来やがった畜生め、みたいなこと書かれていたらどうしよう、などと考えていたが、了承するということは相手にすべてのツイートを見せるというわけで、そんなこと書いてたらそもそも「え…ちょっと…」という話になるじゃないですか だから問題はない 帰ってその人に申請する 許可が来た アカウントの中には太陽のように眩しい世界が広がっていた ネガティブなものなど一つもない、生きとし生けるものに愛を注ぐようなツイートが溢れていた なんかもう自分がみじめになってきた この文を書いている今も まぁでもさ、人間、現実世界では悲しくとも、せめて電子の世界では気を確かに持って元気よく行こうよ、なんてことをする人もいるじゃないですか だから気に病む必要なんてなかったんだよ 話を戻すが、さっそく交流を図った ポップでキュートで元気なリプライな送られてきた 自分はなんと返信したらいいのかわからず、当たり障りのないことしか書けなかった なんて自分は愚かしいのだろう、不器用なのだろう、申し訳なくなった 漫画と同じくらいその人のツイートは面白かった 追随して自分もなんかリプライ送ってみようってなった しかし恥ずかしくなってすぐに消すこともあった 別の人へのリプライはさっさと返してるのに自分だけ遅いこともあった この辺は相手が交流が深い人だから距離感もわかってるのだろうが、自分なんて最近話し始めた人間だからどんな感じで返したらいいのかわからないんだろう、少し考えればわかることである だいたい親しき仲にも礼儀ありとはいえ、ツイッターなんてある程度適当な交流でも許されると、今になって私は理解している 当時の自分はそれが出来なかった 相手が相手だからというのもあるだろうが だからサークルにいつも行くだけの人、という立場になっておけば良かったのだ その翌年辺り、あることを思いついた その人が描いた好きだというキャラのイラストを使って何か作って、それをプレゼントしてみよう、と 詳細は伏せるがまぁいい感じに出来たんじゃないかと当時は思った 本人の誕生日から数ヶ月過ぎていたが、オンリーが少なかったり仕事が忙しいのか本人に会う機会がなかなかなかった そしてオンリー当日、その人にプレゼントを渡した ついでにそのうちお茶しましょうとか調子乗ったこと言った 夜、リプライが届いた 来客用に使うと喜んでいたようで嬉しかった また、ツイート上ではその日にもらったプレゼントなんかも紹介していた 私のものはなかったがまぁ私以外と繋がっている人などその人のフォロワーの中にはいないだろうし仕方ないだろう 正直この辺りから不安になってきた この人私のこと嫌ってんじゃないだろうかと 私自身も現実世界でいろいろあり頭がおかしくなってたので余計に不安感が増して妄想が激しくなっていったのかもしれない お茶しようと数カ月かけてようやく決めた日の少し前、その人に会うのが急に怖くなり、私は腰をやったと嘘をついて約束をフイにした 今考えてもまともじゃないよ、こんなこと 気がつけばその人は別ジャンルに移行し、新しくアカウントを作ってそっちでわいわいやっているようだった ファンとして私はその人のアカウントを追いかけるべきだったのかもしれない しかし自分では触れようとも思わないジャンルだし、もしその人が本当に私のことを鬱陶しく思って私が今もフォローし続けているジャンルのアカウントから姿を消したのだとすれば、その人の健康上に良くない 私はそれ以上追いかけることをやめた とはいえPixivは定期的に見て本は買いに行っていた キャラのこととかよくわからないがその人の絵が見られるだけで満足だった しかし本を買いに行ったときのその人の反応はどうもよそよそしく思えた これやっぱ来ないほうが良かったんじゃないか、そう思わざるを得なかった オンリーではなくコミケの、その作家にとっての表ジャンルとでもいうんだろうか、そちらでも引き続き新刊は出し続けていたが、私は遠くからその人の存在を確認し、買い物に行っているときなど、その人がスペースにいないときに本を買うようになっていった とはいえいつも来ているし、売り子と作家が「あの人また来てたよ」「マジかよ…」なんて会話を繰り広げている可能性だってある それでも私はそんな妄想上の反応を振り切って、その人に会いに行くことはあった 本を買って「いつも応援してます! じゃあまた!」それだけである 気がつけばその人がコミケに出る機会は少なくなっていった やはり私が来るからだろうか? でも、表でのツイッターアカウントを覗いてみると、ちょこちょこと様々な仕事をしているようだった 就職したという会社は潰れる前に抜けてフリーになっていたようだった つまるところ仕事が忙しいのか、あるいは病気でもしたのか、ならばコミケに来るのは難しくなる 私はそうやって自分を納得させ続けていた もうリプライでもDMでも「お誕生日おめでとうございます!」というメッセージは送っていない 私のアカウントを目にすることがなくたっていい だがそれでも私はその人の活躍を祈り続けている 表に名前が出ない仕事をしている可能性だってあるし、病気などをしているのかもしれない しかしその人は素晴らしい作家であることは間違いない 15年に渡って自分の心にその人の存在が刻まれ続けているのだ 絵で食べていくという選択をしたのだから、苦労だってあるのだろう ツイッター上で明るく振る舞うのはいわゆる空元気なのかもしれない だが、せめて、祈らせてくれ あなたに幸あらんことを、と
俗にいうヲチスレについて、非常に気持ちが悪いと思っている。なんなんだあれは。
5ちゃんには『ヲチスレ』という、対象の人物を決めて、その人物をひたすら観察して笑うスレッドが存在する。あだ名などを付けて、「あの〇〇の××って発言痛い」などとスクショをアップしたりして笑い合うのだ。クソみたいな世界である。こんな世界が存在していると知ったときは、それはそれは驚いた。ゴミクズどもの集合体のようなスレである。非常に非生産的だと思うが、ヲチスレがないと生きていけないような人もいるのかもしれない。女の陰口みたいなものだと思っている。自分の場合は自分が活動しているオタクジャンルのヲチスレしか見たことがなく、男女比に差があるのかは知らないが、噂を聞く限りでは他のジャンルにもヲチスレがあるのではないだろうか。
ヲチとは、どうやらWatchから生まれた言葉らしい。ヲチスレは主に、その界隈で痛い活動をしている人の話題で盛り上がる。ヲチされる対象の人物は『弗(ドル)』と呼ばれる。アイドルから生まれた言葉らしい。弗が痛い行動をしていたり、香ばしい発言をしていたりする状態を『踊る』と言うらしい。「もっと踊ってほしい」とか、そういった発言が見受けられる。ヲチスレは「弗を見て笑う」が目的のスレなので、弗に直接「お前痛いぞ」とか「むかつくからやめろ」と言ったことを伝えてはいけないというルールがあるらしい。これは『凸(トツ)』と呼ばれる行為で、突撃から生まれた言葉なのだろう。「凸してはいけない」というルールである。何故なら凸してしまうと弗を見続けることができなくなってしまうからである。凸してしまうと、弗は「自分が痛い奴だ」「誰かに観察されている」と気づいてしまい、発言を自粛したり、最悪アカウントを削除する場合があるからだ。ヲチスレというスレの特性を考えると、そのルールも「なるほどな」って感じなのだが、弗本人からしてみたら全く迷惑な話である。文句があるなら直接言えや。と思う自分は精神が比較的健全なのだろう。それができない人間の集合体がヲチスレなのだから。
暇なとき、ついついこのヲチスレを見てしまう。もはや癖である。別に自分だってそんなゴミクズの集合体みたいなスレを見たくはなかった。しかし自分がヲチ対象となっていれば話は別である。
とあるトラブルをきっかけに自分のツイッターアカウントがヲチ対象になっていると知り、それからスレを見るようになってしまった。ヲチスレ自体の存在はその前から知っていたが、まさか自分が弗になるとは思わなかった。いわゆる凸があり、自分がヲチされていると知ってしまったのだった。凸してくんなや、ルール違反やろ、と思った。知りたくなかったわ。黙っとけよ。
凸された後、即そのヲチスレを発見した。自分のハンドルネームは検索除けのために違う漢字変換をされていたが、スクショが上がっていたのですぐ発見できた。スレをチェックするようになってから、自分は発言にかなり気を遣うようになった。ちなみにツイッターはやめていない。そしてヲチスレ住人が喜ぶような発言は避けるようになった。たまにわざと話題にされそうな態度をとっているのだが、気持ちとしてはヲチスレ住人をおちょくっている状態である。そして実際に釣れるので笑える。ところでヲチスレヲチとかってあるのだろうか。調べたことはない。と、こうやって書いていて精神衛生上良くないよなと思っているが、もうヲチスレを気にすることをやめられないのだ。結局はヲチスレを見ている自分もゴミクズの仲間だと思う。
タイトルに書いた「触れちゃいけないことかも」というのは、この「ヲチスレについて」である。自分はツイッターをやっているし、昔ならfacebook、mixiといったようなその時々で流行しているSNSもやってきた。しかし、このヲチスレについて表立って文句を言う人を見たことがない。単純に不思議なのだが、言ってはいけないことなんだろうか。ネット上での禁句みたいなものなのか?ネットに禁句もクソもない気もするのだが。自分は、ヲチスレの存在や活動状況、ヲチという言葉の意味なども、全て知人から教えてもらった。自分がヲチ対象になる少し前、たまたま話題になった。長年生きてきたが、ヲチスレというものを教えてもらうまで分からなかった。SNSなどで話題になっているのを見たことがないからだ。
ヲチスレを見るようになり、「自分が知らなかっただけで、世間のネット利用者はヲチスレのことをみんな知っていて、その上で発言などに気をつかっているのだろうか」と思うようになった。みんな知ってんの?なんで今まで教えてくれなかったん?ていうかなんで話題に出ないん?それかみんなも自分と同じように知らないのか?謎は深まるばかりである。
ヲチ対象となった今、誰が自分をヲチしてるか分からないというのが非常に気持ちが悪い。相互フォロワーだったとしたら?と思うとゾッとする。発見のしようがない。余談だが、裏切り者のことを『ユダ』と呼び、鍵付きアカウントなどに潜り込んでヲチする人のことを『スネーク』と呼ぶらしい。命名センスあるよな。この人がスネークだろうか、こいつがユダか?などと変に勘ぐってしまうのがすごく嫌である。
ヲチスレなんか見ないで楽しくSNSやればいいじゃん、と思う人もいるだろう。自分もそう思っていた。だがいざ自分がヲチ対象となってみると、気にしないなんて無理だった。顔も分からない人から浴びせられる暴言なんて、大したダメージにならないと思っていたが、スレに書き込まれているのを見ると「みんなそう思ってるんじゃないか」と感じてしまうのだ。匿名って怖いっすね。もしかしたらたった一人の人間が、複数の人間に成りすまして自分の文句を書き込んでいるのかもしれないのに、すごく大勢から責められている気がしてくる。今日も自分が話題になってんじゃねーかと思うと見ずにはいられない。
ヲチ対象になったのは自業自得だと思っている。結局は自分の発言や態度が理由だ。が、だからと言ってヲチされて平気な訳ではない。あることないこと言われたり、単純に悪口やんけって内容を書き込まれるのはかなり頭にくる。好き勝手言いやがってと思う。面と向かって言ってくれれば反論のしようがあるが、ヲチとは基本ヲチ対象にバレないところでぬるぬる見守るものであるので、面と向かって言ってくる訳がないのだ。クソである。
またも余談だが、ヲチスレでは個人的な怨恨の書き込みを『私怨(しえん)』と呼ぶ。これ今変換したら出てきたので一般的な言葉なんすかね。5ちゃん用語だと思ってた。
ヲチスレは基本、私怨によるヲチはナシらしい。例えば、大して痛い発言をしたわけでもない人に対して「この人は私に冷たくしたからヲチ対象にしてやろうぜ」などと書き込んだとしても、「それはお前の私怨だろ」「ヲチするにはぬるい」などとなるのだ。が、ヲチスレなんてほぼ私怨だ。自分が嫌だと思ったから晒す⇒複数の同意を得られたらヲチ決定、となるのだから、私怨を募らせている人間が集まれば結局ヲチされるのだ。
色んなルールを書いてきたが、あの不思議な空気感はなんなんだろうと日頃から思っている。あそこで生息している人々の謎のルールは一体なんなんだろう。私怨NGもクソもねーだろ。みんな私怨だっつーの。誰が判断してんだろ。しかし何事もルールというかマナーというのは暗黙の了解としてどこにでもあるわけなので、5ちゃんに限った話ではないのかもしれないが。
もっというと絶対踊ったりしないだろう、というキャラを踊ったり
歌ったりしないだろうというキャラが歌ったりするのが本当に苦手だ
なんで運動部で歌ったり踊ったりするんだよ
なんでモノなのに歌ったり踊ったりするんだよ
お前踊るように過去に何かされたのか、それだったら理解できる。
アイドルというキャラ達がミュージカルや劇をやったりするのはまだ理解できるが。
最高にイラッとする
だって、あんな寡黙なキャラが人前で踊ったり歌ったりするかよ!!!!!
と、頭を抱えてしまう
まあキャラクター設定上、アイドルだしそれも仕事の一つなんだろうなと思う
喋るなら声優の声にしてくれ
見た目も努力して似せようとしているのはわかるけど、どうしても似てない
ある意味作画崩壊と捉えればいけるかもしれないが、立体の時点で無理だと気づいた
それでも好きでミュだかステだか舞台だかわからないけど行く女の子は多い
それは否定しない
それぐらいのことは考えられる
でも最近決定的なことがあった
それだけでわかる方はわかるだろう
全く畑違いの私のTwitterにも流れてくるぐらいには炎上していた
その時は「ほれみてみろ。3次元の奴は信用できん」ぐらいの遠くから燃えている畑を見るぐらいの気持ちだった
だけどそのファンだか元ファンだか何名かから同じようなツイートを目にしてしまった
正直原作ありきの2.5次元だと思っていたから、そのキャラまで見れないって何事
まあ、わかる
人それぞれだとは思うが、そのキャラを目当てにいった→俳優さん格好いい演技すごい→他の舞台も見に行く
の流れでキャラがいなければ、その俳優を好きになることもなかったのだろう
待って
本当にやめてほしい
それを呟いたファンには
なら2次元なんて二度とくんなや
ってブチ切れてたと思う
2.5次元ってどんな畑なんだろう
絶対に行かないけど
こんなに生々しくなるものなのか
ああ恐い
どんなことにも言えるけど、ハマりすぎはよくないよ
でも好きなのは止められないよね
そうやってコンテンツは盛り上がっていく
それは悪いことじゃない
あとで考えて後悔しないほうを選ぶんだ
ここに吐き出させてもらった
目を汚して申し訳ない
うん。めちゃくちゃ肩入れしてるよ。私はナウシカという人物が大好きだし。
そして、ナウシカは現人類に肩入れしている。ユパが好きだし、アスベルやチククも好き。クシャナやクロトワだって好きだ。風の谷のみんなが好きだし、トルメキア人やドルク、蟲使いも。それ以上に王蟲が好きなんだけど……。いがみ合いは嫌いだが、いがみ合ってる人物そのものを嫌っているわけではない。
その好きな人々を亡くしたくないんだよ。そのためにできることは何でもするだけだ。犠牲行動を「良い」と思ってやっているわけではない。行動原理は「その相手を助けたい」だ。そのためなら瘴気の中でマスクだって取っちゃうし、周りをドルクに囲まれて死の一歩手前だろうがトリウマを助けるのが先だ。「良いか悪いか」で判断してるような人にこの行動はとれない。
ナウシカは墓所が現人類に邪魔だから消したんだよ。私もその決断に同意する。「私達のように凶暴でなく、おだやかで、かしこい人間」なんていらない。少なくともそれを生かすことによって自身の愛する世界を失うことになるのなら、その障害を潰すことを厭わない。
作中の現人類の多くはこの思考に同意するだろう。漫画の世界ではなく、今PCを閲覧している読者の多くも、ヴ王と同様に「そんなもの人間とはいえん」と思っているだろう。
うん、それは私の思い込みだな。新人類が進化して「凶暴で、おだやかでない、バカな人間」に、現人類並みに育つ可能性はあるよ。私はそれまで待てない、と言い換えるか。それにどうせ現人類並みになるならリセットせずに今の現人類を使えばいいじゃない。そしてそのとき、墓所の技術は現人類にとって危なすぎるの。そこの技術が現人類のいがみ合いの種の一つになってるから。「ヒトラーと同じだ」というが、ヒトラーなら優性思想だから「おだやかで賢い人間」を生かすんじゃないの。知らんけど。
墓所側が攻撃するのは当たり前のことだ。旧人類の悲願は人間性の闇を捨てることだ。現生人類を死滅させたいのも当たり前だ。それが残っていては計画が水の泡になる。交渉する余地など最初からない。武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある。
あ、そういうこと言っちゃうんだ。じゃあまあ墓が弱かったから仕方ないね。「交渉の余地すらない。武力で負かして交渉のテーブルに無理やり着かせる必要がある」と言うからには負けた旧人類と新人類は黙って消えるしかないだろ。どうもあなたは「墓所が勝った場合は人類に交渉の余地はない」しかし「墓所が負けた場合は、墓所は交渉のテーブルに着かせてもらえる」と思っているようだが、そんな甘いわけがない、巨神兵の裁定はおりている。そして巨神兵をプログラムしたのは旧人類だ。
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ
「今」を生きるのに精いっぱいの人々にはるかかなたの未来に生きる人類を気にかけてる余裕なんかない。21世紀の現代日本ですらそうだろ。繰り返すけど、あなたは物語の中の今を生きている人類に寄り添えていない。そんな人物の言説を誰が聞く?
古今東西、人を説得できないと物事は変わらない。国会でどれだけ「日本を良くする法だ!」と自説の正しさ唱えたところで、党内の票をまとめられなければ法案は通らず歴史は変わらない。
その、愚かな人類と決別しようとする "新人類教" では物語の中の世界を変えられないんだよ。せいぜい数千年後にまだしぶとく生き残っている現人類が「古文書見つけた!『お前ら人類は虐殺者だ』『ナウシカは悪魔だ!世界を滅ぼしたのだ!』とか書いてあるよ。新人類教だってさ」と珍しがる程度だ。
そうだろうね。そしてそういう人物は、誰かを殺す心配をするまでもなく、とうに誰かに殺さているだろう、と先にも書いたよ。
ナウシカの世界は、その環境の過酷さにより人々がいがみ合い、憎しみ合っている。しかしそれぞれの人は "新人類ではない" から、憎悪の一方で愛も持っている。良い一面も悪い一面も持っている。これが人間だ。そういう人々の行動を変えるにはどうしたら良いか。まずは説得だ。ナウシカは数々説得してきた。しかし凶暴で賢くない人類だから、説得には応じられないこともあるだろう。では説得に応じない相手はどうすれば良いのだろうか?そう "行動を起こす" のだ。あなたは「交渉する余地などない、まず武力だ」と言っているが、まずは交渉、のちに行動。
最終話近く、マニ族とクシャナ軍がにらみあっている。ユパが、ケチャや年寄り連中と一緒に必死にマニ族を説得している。だがマニの若者たちは納得しない。彼ら彼女らも "復讐は何も生まない" と理性では分かっているのだ。だが自身の感情を説得しきれない。そして、この気持ちを晴らすにはトルメキア人を殺すしかない、と"行動を起こし"クシャナに襲い掛かかった。(法の整備された現代日本では許されないよ)
ここでユパも説得は通じなかったことを悟り次の手段に出る。マニ族とクシャナの間に割って入り、マニの刃を受けることで双方の連鎖を止めた。先だって左腕も犠牲にし「この片腕、わしの心のあかしだ。たのむ判ってくれ」と再度説得。単なるきれいごとではなく、自らを痛めてまで訴える人間の言葉は人の心に届く。(これには先立ってマニの僧正が同じ方法でユパの命を救っており、恩返しという側面と、僧正の念がこの場に出現しマニ族を説得するという流れになっている。この通り、聞かなきゃ殴るだけが行動ではない)
ナウシカも同様に、数々の行動によって人々を説得してきた。
ナウシカは恐れでためらうことが少なく、瞬時の判断力を持っており、おおむね良い方向に作用する。(主人公補正はあるが)
アスベルを新人類と入れ替えてみたらどうだ?と言いたそうだな。やってみようか。新人類は生き残ろうとしない。生に執着しない。あなたと同様に「人間の凶悪さを発揮し蟲を殺してまで生きようとは思わない」と言い残し、ナウシカに遭遇する前に蟲に食われる。おしまい。
説得・行動・説得・行動だ。これによりナウシカは数々の障壁を超えてきた。残念ながらあなたの思惑とは違い、最終話ではもはやナウシカを止める人はいない。ナウシカはもう辺境の一首長ではない。行動により強力な支持者を得て、民衆を説得できる力を持った。ナウシカはみんなをつなぐ糸になれた。
あなたには説得力もなければ行動力もない。だから序盤で死んでいるだろうけど、それを大目に見てこの場で
新人類に正しい審判を下せるのは旧人類でも現生人類でも新人類でも王蟲でもナウシカでもない。はるかかなたの未来に生きる人類たちだ
と言えたとしよう。で?誰が耳を……あ!聞く耳持つ人がいたわ!墓所と守り人。ヒドラ。
これがあなたの発言。そして墓所・庭園の主『歴史は繰り返す』『お前達はその朝をこえることはできない』。そっくりだな!といってもあなたは墓の側に立って意見を出してるんだからそりゃそうか。
あなたが墓所かヒドラだった場合、結局ナウシカを説得できなかったので歴史は変わらない。変えるとしたら、最後の生き残りの人々の前に現れ、今回の数々の教義を唱え、賛同者を募ってナウシカを止めてもらう必要がある。
そこにいる人々は、戦乱の世を必死に生き延び、死にたくないと願い、場合によっては人を殺めても生き延びてきた人たちである。その中でどのくらいあなたの賛同者がいると思う?ナウシカを引き留めるには到底足りないと思うんだけどね。
ナウシカだって最初は無垢でいたかったんだよ。でもそれだけでは自分の愛する人は救えないと理解し、成長する物語だ。そしてナウシカは罪悪感や自己矛盾をちゃんと受け入れている。「人類を滅ぼしにいくのかもしれない」と自覚している。「悪魔として記憶されてもかまわぬ」と言っている。それに比べりゃ私たちなんて楽なもんだ。最後の決定をナウシカに任せちゃえるんだから。だからこそ、その決定について、ナウシカに責を負わせることはしないでおこうと思う。
新人類だってあなたを救世主だとは思えないだろう。「その人は私たちのために何かをしてくれたの?」「なんだ、世界の片隅で祈ってただけか」と。
あなたは、未来を変えたいが、自分の手は汚したくないという。墓所の主はそういう役割としてプログラムされているからまだわかる。しかしあなたはには自分の意志があるのに、その体があるのに、先へ進もうとしない。今の自分を超えようとしない。現人類より新人類側に思いを寄せている。もしかしたらあなたも旧人類のように全てに絶望しているのかもしれない。どうせ全滅するのだから何をしたって同じか?「そうではない」とこの物語は示している。
ナウシカの行為に正当性を産むことができるとしたら現生人類が生き残ることではなく、火の七日間を再度起こさないと確信に値するものを示すしかない。しかし作中の現生人類がそれを示すことはないまま作品は終わってしまった。
「答え」なんか分かるわけがない、っていうか自分で考えろってことだよ。人類は再度火の七日間を起こすよ。歴史は繰り返す。人類は愚かだから正統性より目の前の命を取る。
今回私が書いたことはほとんど漫画の中に描写されていることだ。あなたは最後の答えを知りたいというが、まずそこに至るまでをうまく読み取れていないじゃないか。まずもう一度通して読んでみてはどうだ。
あなたは結果を重視しているが、私は現人類の過程を重視している。あなたは「自然に任せよう」と思っているらしいが、あなたが自然だと思っていることは実のところ人間のプログラムだ。穏やかで、賢い、人工の物体だ。自然体は許されない。人も動物も全てを書き換えるつもりだ。ナウシカの方法の方がずっと自然だ。「今」を乗り越えても、凶暴で頭の悪い人類は結局は滅ぶかもしれない。でも人類は滅んでも虫や動物は生き続ける。人類は滅ぶが、世界は滅ばない。とはいえ、人類はそんな簡単には諦めないという話だ。
たとえ過去1万回同じ過ちを繰り返したとしても、諦めなければ1万1回目でクリアできてしまうのが人類だ。1万1回やったけどダメだったから諦めたのが旧人類なんだろう。現人類は1万2回目、歴史は繰り返す。しかしそれがいつになるかは現人類が決めるし、現人類はその今を精いっぱい生きるの。
このあたりはどこまでいっても平行線かもしれない。だからあなたが「私はナウシカの決断に同意できない」と宣言すること自体に問題はない。ただ、最後の決断をした人物を責めてはいけない。私は旧人類の決断が間違っていると思うが、旧人類がそれしか取る手がなかったのだということは受け入れる。旧人類を責めはしない。現人類として、その決断には従わないという意思を示すだけだ。
1万2回目の人類の最後はナウシカが決める。少数の反対を除き、私を含め大多数はナウシカに最後を託した。
歴史に埋もれたできごとが間違っているわけではないが、トルメキアとドルクをクシャナとチククが再興していくことを考えると、はるかかなたの未来に生きる人類たちはナウシカを「救世主」として受け止めることになるよ。「青き衣の人」として。新人類は生に執着しないが、もし執着するほど進化したとしたら、その時は現人類の選択を理解し受け入れるだろう。(同時にはなし得ないのでパラドックスだが)
あなたは現人類に絶望しているのだろうが、それでも旧人類の決断に自分を託すんじゃなくて現人類として自分で決めよう。誰からも必要とされない自分なんていなくていいと思っているかもしれないが、人の評価で未来を決めることはない。
本当に絶望の淵に立っている人に「マンガでこう言ってるし」「不安も絶望も背負って、それでも生きていくしかない」と諭してもまったく力にはならないだろうなとは思う。私は漫画版ナウシカから力をもらったけど、絶望中にはせいぜい現実逃避として読んでただけな気がする。ある程度元気になって、現実世界に少し救いがあったからこそ、余裕をもってああだこうだ言える今がある。
とはいえ、あなたは「マンガだし」と投げ捨てず、その内容について意見を書き綴れるくらいの力があるんだから、もう一度立ち止まって読んでみてはどうですか。
なんか日本にスリーパーセルと発言するだけで在日朝鮮人全体が差別されるみたいな話になっててそれについて議論されてるけどさ。
この場合のスリーパーセルというのは、「その時(戦争が始まる等)」がきたら指令を実行するために、それまでは当局に察知されないように
怪しい行動をせずに平凡な一般人として社会に溶け込んでいる工作員なわけでしょ。
で、破壊活動をする工作員はその任務を遂行するための技能を身につける訓練が必要であって素人が簡単になれるものじゃない。
自爆テロみたいに爆弾装着して突撃するくらいなら素人でもできるだろうが、当然背後にはプロの工作員がいる。
そんなプロの工作員を日本で養成できるかといえば、まず無理でしょ。
だから、破壊活動のための工作員は北朝鮮で訓練を受けて日本に密入国して潜伏していると考えるべきじゃないの?
彼らは偽の身分証明書を所持し身分を偽って潜伏していると考えるのが自然じゃないの?
もちろんその中には「在日朝鮮人になりすましている者」もいるかもしれない。
でも日本人になりすましている者もいるかもしれない。辛光洙(シン・グァンス)は拉致した日本人になりすましていた。
大韓航空機爆破事件の蜂谷真一・蜂谷真由美は偽造パスポートで日本人になりすましていた。
あるいは中国人になりすましてるかもしれないし、アジア系アメリカ人、ロシア人、ブラジル人等々になりすましてるかもしれない。
それは(twittrで)問題発言があり情報共有のためSSをとる際、IDの部分を消す必要があるか否かについてだ。
自衛のためにIDは必要だとする人もいれば、IDがあることにより逆に過激派は該当アカウントへ特攻、第二の炎上に繋がるのでない方がよいとする人もいる。
正直なところ、それで第二の炎上が発生したとして自業自得なのでは?と思う程度には自分の性格は悪いのだが、自衛をするためにはIDが必要である説には正直疑問を感じる。
というのも、もちろんケースによるのだが、今回の場合はIDがあったところでどうやって自衛できるかわからないからだ。
そもそもIDが見えることでどうやって身を守るのか。IDとはネームタグのようなもので、名前の部分を変えてもIDから対象の判定が可能なわけだ。
過去にどんな発言をしていたかが分かれば、例えば詐欺行為をしている相手ならひっかからないように注意できるし、罵倒を繰り返すような輩であったりすれば避けて通ることができる。
また、一部の人たちが言うように事前のブロックとやらも可能だろう。
しかし、この事前ブロックという手段がどうにも自分には有効な手段とは思えない。その理由としてまず前提に
・今回見ていたケースの場合、問題行動をしている相手が数人ではなく多岐にわたる
・他にも多数の問題があるのに、まとめられていたのはごく一部のケースの話
という状況がある。
IDによる事前ブロックが有効なのは、基本的に該当人物が限られている場合ではないかと思う。
数が多ければ、絡んでくる前に探してブロックするより万一絡んでこられた時にブロックした方が、実際の労力は少なくすむ可能性が高い。
また、集団で荒らしたり副垢を使ってくる相手には事前のブロックなどほぼ意味がない。ブロックした相手以外に粘着されたり、悪ければ捨て垢で突撃されるだけだ。
IDを公開することで分かるのは、そのIDの人物が要注意人物であるというだけで、もちろんそれはそれで悪いとは思わないが、それが自衛に繋がるかと問われるとその可能性は低いのではないかと思う。
そして逆にIDを公開することによって(正直そのような文句を言う資格があるのかと言われたら首を振るのだが)IDが公開された側、これは本人のみならず、いわゆる同陣営の相手から本題をそらすための突っ込みが入る可能性が割とあるからだ。
突っ込みそのものの正当性はどうかと思う。自業自得だとは思う。
だがその上で、そういう自業自得であろうが何だろうがごねてくる相手に時間を取るのも勿体なければそういった反論によってどっちもどっち論を展開されると第三者がそういうものなのかと誤解してしまう恐れがある。
そのような隙を生まないために、あえて多少不本意ではあろうがIDを隠した方が注意喚起そのものはうまくいくのではないかと思う。
意味のない自衛にこだわるよりも、どのような問題が生じているのかを視覚化し、誰それが悪い、ではなくて、このような行為がいけない、という認識を広めることで啓蒙活動をする方がまだ自衛に繋がるのではないだろうか。
チェインバーが荷受けなどの仕事をはじめた。レドは手持ち無沙汰で笛をつくっているが、エイミーの話を聞きながら自分でも働きたいと思うようになり、いくつかの職場をまわる。就活はうまくゆかず、牧場で牛糞倉庫を見て逃げ出したのを最後に戦線離脱。
警報音とともに凪となる。ガルガンティアの電源が落ち、各スタッフはメンテナンスと休憩にはいる。ピニオンとエイミー、レドをバーベキュー大会に誘う。海に面したひとつの艀の上が会場。チェインバーが艀の端に降りると艀は傾きちょっとしたビーチがあらわれる。海水浴のため水着になった少女たちは戦闘服のレドを押し倒しパンツ一丁にしてしまう。エイミーの友達や弟、主治医の先生などもあつまり焼肉大会の準備がはじまる。
宇宙育ちで地球2日目のレドはカナヅチ。エイミーに手をにぎってもらってバタ足の練習。肉を焼きはじめるピニオン、電源が復旧しないことのほかにある忘れ物に気づき、その調達をレドに託す。
真面目なレドは任務をもらったと意気込むがピニオンはちょっとおもしろがっている。
任務を帯びてひとり船体の奥へ向かうレド、パンイチにアロハシャツ一枚で向かうのはゲイバー街。レドをみオカマたちは発狂、レドの捕獲をこころみ追撃をはじめる。レドはおもいっきり仕事のオファー、それも好待遇のオファーを受けるが本能的に逃走。ともかくにげまわり、さいごは塔のてっぺんの階段から落下。落下中のレドはエイミーのカイトで救けてもらい、ルートを教えてもらった上で目標付近で降下。再度パンイチ状態でゲイバー街に突撃。ゲイバー街のかたすみ、ついに目的地、占い師のばあさんの店にたどりつくレド。レド、パンツは無事だがアロハがぼろぼろ。ともかく荷物を受け取ったレド、覚悟をきめてパンイチのままふたたびゲイバー街に突入。
艀の上。
ピニオンがチェインバーの装甲板の黒いところで肉を焼き始めている。
客が増え肉はたらなくなりそう。そこにレド、ブツをもって帰還。パンツは無事だがアロハシャツは大破、上半身と顔はキスマークだらけ。ブツはレミーマルタンの瓶だが中身は婆さん特製の焼肉のたれ。この焼肉大会は就活がうまくいかないレドをはげますためのものだった。エイミーからもらった焼肉をほおばるレド、うまさに笑顔。こんどはタレをつけて焼肉をほおばる。あまりのうまさにショック。チェインバーは装甲板の黒いところをフライパンにされていた。最後まで状況を理解できないチェインバー。
時々、何の拍子にかわからないがふと昔ネットで良く見てたサイトを思い出して「今あのサイトどうなってるんだろう…」と思う事がある。
記憶はあってもサイト名を覚えていなかったり、サイト自身が消えてしまっているのもあるが、未だに残っていたりするサイトがあったり、当時の画像や記録が残っていたりして今になって見ると中々懐かしくて面白い。
こういった事を年に1,2回ほどしたくなる。それを私は「ネット懐古の旅」と呼んでいる。懐古と言ってもたかだか10年ほど前の事だが。
その思い出話をなんとなく残しておきたくなったので残しておこうと思う。
まずこういったバーチャルサイト自体が好きで大量に遊んでいたのだが、その中でも一番ド嵌りしていたのがこれだ。
2003年頃から3,4年はガッツリ嵌っていて、学校から帰っては遊んでいた。なんなら親に頼み込んで「G.L.L」という有料会員にも登録させてもらっていた。
リヴリーのキャラクターも勿論だが、島やら家具やらのデザインが可愛らしくてその雰囲気がとても好きだった。リアルの友達にこれやってみない?と誘った最初で最後のオンラインゲームだった。発売していた攻略本やシール帳なども購入していたし本当にとても好きだった。
その後も時折やっては居たものの、いつからか餌をやりトイレをさせ金を回収するだけという日々が続き(これリヴリーやってない人から見たら意味不明なのではないだろうか)、そのまま有料会員も退会しログインしなくなっていった。
今調べてみると名前が多少変わり、未だに運営は続いているようだった。なんかLINEスタンプ出てたから懐かしさに負けて購入した。
しかし辞めてはしまったけどやっぱりリヴリー可愛い…可愛くない?私はクンパとケマリとオオツノワタケが好きだったんだよ…ラヴォクスも好きだったけどなんかアレはふわふわ系女子しか飼ってはいけないのではみたいな謎のプレッシャーに負けて飼えなかった。限定種も未だに増えてるんだな~~~ラビネってやつ可愛くて好きだ。
プラステリンとネオベルミンとかあったな~~~。オオゼキタクの恋オーラは私が初めて購入したシングルCDだった。淡いすごい淡いすれ違いのその後に~~残り香で気づくような~~~♪これ通じる人いる…?
滅茶苦茶覚えてるのがアナグラ亭事件。あれはね~~~本当に重かったよね~~~~。凄かった本当に。あまりに動かなくて私が何か悪いことしてしまったのかと勘違いして「お父さんごめんなさいパソコン壊しちゃった;;」って謝った記憶がある。
それと先程言った友達がdoodooくじで1等当ててモチダルマ持ってたのが滅茶苦茶羨ましかった。コンプ癖あるからこういうアイテムのコンプリートが段々難しくなっていったのが離れた理由の一因だった気がする。今なら多少はそういう要素あっても仕方ないよねって思えるんだけどね。
ところで検索したら小学生だった当時の自分がやっていたリヴリーに関するブログが未だに残っていて読み返したら頭が痛くなってきた。しかしパスワードを覚えていないので消せない。生き地獄だ!!!!!!
なんか他にも似たようなサイトをいくつか登録していた。何だっけ…ミルキーコムみたいな名前のやつとサイバーコムみたいな名前のやつと後なんか青くて海か何かをテーマにしてたやつ…(情報が無さすぎる)
確か全部同じ会社だった気がするし全部やってた。一番嵌ってたのがハピタンコムだったのでそれしか名前をはっきりと覚えていない。
この世界で使える通貨がログインすると貰える仕様だったため、私はログインしてはログアウトしを繰り返し通貨を貯めていた。(もちろん短時間に繰り返すと貰える額は減るのだが、0近くになるまでは繰り返していた)
いつの間にか飽きていつの間にかログインしなくなったがいつの間にかサービス終了していた。ネットで調べてもあまり情報が出てこなくて寂しい。が、ミルキーコムじゃなくてミルタンコムだったことはわかった。ミルタンな!!よっしゃ覚えた覚えた!!!
上記のハピタンコムと似たようなサイトだった記憶があるのだが確かこれは運営会社が違った気がする。私は泉州ぱくぱくタウンに住んでいた。
正直そこまで熱心にやっていたわけではないのだが今調べたら半年ほど前にサービス終了していて今とても悲しみに暮れている。嘘だろお前…一年前に懐古の旅に出た時はまだ生きてたじゃないか…ログイン人数0人だったけど…
ところでこういうバーチャルタウンって今だとAmebaピグとかニコっとタウン辺りが人気なんだろうか。いやその話はちょっと逸れるからいいや。
2005年前後に小学校高学年~中学生辺りだったネットを楽しんでいた女性は一度は聞いたことのあるサイトなのではないだろうか。
無論私もその一人だった。私がガッツリふみコミュに入り浸っていたのは中学一年生の時の一年間で、大体「雑談ロビー」という他の掲示板とはちょっと雰囲気の違う掲示板で毎日のように遊んでいた。後素朴な疑問板。
なぜかこのサイトで使用していたHNをしっかりと覚えていて検索したら一部の書き込みのログやら愛画()やらが出てきた。クソ懐かしいな愛画。他にもあるぞ、ちめこんやら裏雑やら雑ロリボンやら色々あっただろほれほ~れ。
個人的に滅茶苦茶記憶に残っているのが醤油一気飲み事件と巨大ウサギアイコン事件かな。分かる貴方は私と雑ロで会話したことがあるかもしれない。
ちなみにふみコミュはそこから数年経ってリニューアルし、雑談ロビーもリニューアルされ、これを期に今まで雑談ロビーにいなかったタイプの方々が掲示板に投稿するようになって段々アクセスしなくなっていった。
これがきっかけで「雑ロはこんなんじゃなかったのに;;わたしたちの旧雑ロを返してよ><ふええ」と抗議した旧雑ロユーザーが大量に発生したとかしないとか。(私はその内の一人でした)
そんなこんなでアクセスすることは無くなったが未だにふみコミュは続いているらしい。もう大分変わって何がどうなってんのか全くわからないが。
突然思い出したが素朴な疑問板で唯一覚えてるのが「嵐の『全身全霊なんとかヴェー 自分なんたらかんたらヴェー』って曲なんですか?」って質問だ。a Day in Our Lifeだよそれ!!!
ウッ…頭が…っ!
2007~2009年辺りは私も例外に漏れず見てましたハイ…。あのほら…何十個もあるランキングからパスワード集めたりとかさ…「入口はこちらから→」の「こちら」をクリックしたりとかさ…なんか妙なトラップ仕込まれてるとこ多かったよね…。パスを教えたと見せかけた必読の下の方にスクロールしたら「本当のぱすは○○」みたいなの載ってたりとかもあったね…。
でも何から見始めたのか全然覚えてない。何がきっかけだったんだろうこれ。あとこれの影響で自分は創作しない癖にお題サイトとかめっちゃ見てた。
小学生の時よく遊んでた。当時母がパズル雑誌をよく買ってきてくれた影響でイラストロジックが好きだった。そして自分は年齢の割にはイラストロジックが得意なのではないかという謎の自信があった。
確か部屋の中には初心者用ルームと上級者用ルームがあり、初心者用ルームは対戦で勝っても負けてもその時やりとりしたゲーム内通貨のような物は退室した時点でリセットされるのだが、謎の自信に満ち溢れていた私は小学四年生という年齢の分際でいきなり上級者用ルームに突撃した。即負けていくらか通貨を失ってビビッて逃げた。上には上がいるものだと実感した時である。
なぜか高校の時にはアパレルパレットというデザイン系のゲームに突然嵌り再び小学生の時のように毎日ログインしていた時があった。でもこのゲームもいつの間にかサービス終了していた。うそーん…
なんかアパレルパレットのBGMが好きだった記憶があるのだけどサービス終了すると聴けなくなるのとても悲しいね…。
とりあえず今回ここまで懐古した。こういうのを探していると突然こんなのもあったな!って思い出す事もあるしその度に懐かしくなる。思い出補正だろうが、自分が一番ネットを楽しめていたのがこの時期だったのかもしれない。
今年でアラフィフになるオッサン。未婚。彼女いない歴=年齢。デブ、ハゲ、身長170㎝がチビならチビ。
年収450-500の間 複合商業施設のオフィスビルに入ってる企業に勤めてる。
残った髪の毛には白髪も混じる。
複合商業施設にテナントとして入居しているとある店舗のレジのお姉さんが、今年に入って急にグイグイ来るようになった。
具体的には
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
お気に入り数の多い有名ユーザーが突撃しているというケースもあるだろうが、もうひとつ可能性があるな。
『スター連打』だ。
スターは1人のユーザーにつき1個までしかつけられないなんてことはなく、やろうと思えばありったけのスターを1つのブクマ(ブコメ)に対してつけることが可能だ。
試しに適当なエントリに、ブコメで「スターください」と書いてみるといい。
1人でも酔狂な輩の目にとまれば、ほぼ似たような現象が起きるはずだ。
自分で書いた記事に、自分がブクマ(セルフブックマーク、略してセルクマ)してコメントを書き、そのブコメに自分でスターをつけるなんてことも。
その疑問については半分YESで、半分NOだな。
基本的に人気ブコメ欄はスターの多い順に並ぶのだが、これは厳密には「多くのユーザーから星を貰った順」なのだ。
10人のユーザーから1個ずつスターを貰ったブコメと、1人のユーザーから10個のスターを貰ったブコメなら、前者が上にいくというわけだな。
人気コメ欄でスターが少ないブコメが上で、多いブコメが下に位置していることがあるのは、そういったケースであることがほとんどだ。
その点では、1人のユーザーが1つのブコメにスターを連打しただけで人気コメ欄を意図的に操作することは難しい。
スターを誰が、どのようにつけたかというのは、各ブコメの★マークのアイコンにカーソルを合わせるなりクリックなりすれば容易に閲覧できる。
だが大半のユーザーは他人のブコメについている星を、誰がどのようにつけたかなんていちいち閲覧しない。
ホッテントリの人気コメだけ見て、満足するような人たちもそこそこいるだろうな。
「うーん、この問題の是非について大した関心もなければ、言語化するだけの含蓄もないなあ。でも、ちょっといっちょ噛みしたい衝動に駆られるなあ。あ、この人気コメ。これだけ星が多くついているってことは、それだけ支持されているってことだよな。自分の持っている漠然としたイメージと近い意見のように見えなくもないし、迎合の意味を込めて僕もスターつけよーっと」
今回、学ぶべき教訓は「『いいね!』が玩具の宝石なら、星は石ころ」だ。
まあ、有り体に言えば無価値だ。
それ自体は人間の性だが、ふと俯瞰して見たとき「やっぱり無価値だ」と我にかえる冷静さが必要だな。
少なくとも、そのスターの価値を担保しているのは誰か、くらいは知っておけば損はしないだろう。
通貨と一緒だ。
余談だが、一昔前のはてブは人気コメ欄の影が薄い、影すらないといっていいデザインだったんだ。
人気コメ欄が今のように出しゃばってきたとき、仲間たちはかなり反対していた。
私が傭兵をやっていたという話すら信じてくれない。
センター試験地理Bで「ムーミン」「小さなバイキングビッケ」を題材にした出題→怒り狂った受験生がムーミン公式垢に突撃
(https://twitter.com/kyodaiochitaaaa/status/952017609196621824)
「思考力を問う問題を作りたい」という問題意識は理解できるし、共感もする。
でも、その「思考」というのが、断片的な前提条件をもとにステレオタイプを再生産してしまう方向に向かうなら、かえって有害なのでは? とも思える。
別教科の新テストでも事故が起きてる(http://harutaseiro.blog89.fc2.com/blog-entry-1667.html)のを考えあわせると、やっぱこの方向性危ういよ。
下手の考え休むに似たり、思いて学ばざれば則ち殆し、っていうけどまさにその通りで、前提となる知識を欠いた思索って往々にして間違った結論に着地しちゃったりする。
素人の柔軟な思いつきがトンデモを生むのなんてあちこちでさんざん言われてるのに、「思考力重視」はそれと逆行しているように見える。
下手に考えさせた結果ステレオタイプを強化したり事実とは違う思い込みを閃いちゃったりするくらいなら、まだ正しい事実をたくさん暗記させた方がマシなんじゃね? そっちの方が、大学以降で「考える」ための基礎体力がつくんじゃね? 高校時代は基礎トレーニングに専念した方がいいんじゃね?
ただ、まだ過渡期だからこれから洗練されていくだろうという擁護論もあって、誰しも最初の頃は躓くものだしトライ&エラーで成長していくものだということを考えるならなるほど理屈は通っているし、学びて思わざれば則ち罔しというのだから思考することが必要なことは間違いない。
でもそのトライ&エラーには受験生の1年か下手すると人生がかかってるんだよね。そこでトライ&エラーを続けて何か得られる見込みがあるならいいけど、本当にそんな見込みなんてあるの? って思っちゃう。だったら従来のやり方を踏襲した方がマシだってことにもなるんじゃないのかなぁ(や、従来のやり方でもたくさんミスは出てるわけですけど)
偉そうなこと言ってPEZY叩いている人達から何の実績も見えてこないのマジ目が曇るわ
無能は嫉妬から「能力があったら犯罪を犯してもいいのか」と言い出すから疑いようもない能力の人が批判してほしい
加えて検察に「突撃隣の研究費」されて「この予算をこれに使ったら別案件に流用できてしまうことを認識してましたよね?」と痛くない腹を探られても粛々と対応できる人
先ごろスクウェア・エニックスからリリースされたサーヴァント・オブ・スローンズ(以下サヴァスロ)があまりにも酷いのでヘイトの吐き出し場所としてここに記す。このゲームはいわゆるクローンゲーというやつで、Supercellのクラッシュ・ロワイヤル(以下クラロワ)をベースにしているのだが、後発にもかかわらずあらゆる所が劣化していてクラロワユーザーとしては憤懣やるかたない仕上がりになってしまっている。
特にデッキ編成画面の乱雑っぷりといったらまさに地獄。編成方法もクラロワとまるっきり同じなのにユニットの並べ替え機能はついてなくて劣化感丸出し。特定のキャラクター専用ユニット表示もユニットの絵に常にフェードインアウトしているため非常に邪魔。あの画面にGO出したアートディレクターは降格してほしい。またゲーム中では「ソウル」「アルカナ」「エーテル」「ゴールド」「サヴァスロポイント」などの単位が乱立しているにも関わらず個別の説明はなく、アルカナなどは今の所持数も表示されないため何もかもが煩雑。
クラロワの優れているところは対戦スキームだけに留まらず、対戦準備画面を起点に、すべての機能にロードなしでスワイプ遷移できる極めて合理的なUI設計にあった。にも関わらずサヴァスロはそこは踏襲せずいわゆる和製ゲームアプリの文法で機能の配置を行ったため、本来のスムーズな遷移は失われ、どこに移動するにもロード、ロード、ロード…。スクエニには二度とUXという単語を使ってほしくない。
クラロワのバトル画面までのステップは
と5遷移もあり、圧倒的テンポの悪さを誇っている。VS表示画面はおそらく仕様書にシャドウバースの対戦前画面のスクショでも貼ってあったと思しきレイアウトだが、解像度足りてないのに無理矢理拡大された小汚い「VS」の文字と安っぽい稲妻エフェクトのせいで本当に気分が萎える仕上がり。そもそもあの画面いる?おまけにバトル冒頭ではモーション・セリフが1パターンしかないリーダーキャラのカットシーンをバトル前後で毎回見せられ、スキップもできない有様。ホントにクラロワ研究したの?
そもそもリリース直後だからか、通信エラーで対戦画面に行くことすらできなかったり、ショップ画面に遷移するとエラーでタイトルに戻されたり、クラロワに比べるとこのゲームには快適さという概念は1ミリたりとも無い。
では肝心のバトルスキームがクラロワに比肩しているかといえばそういうこともない。ここでも際立つのはUIの悪さだ。手札をタップすると表示されるユニット情報パネルはデカデカとゲーム領域を隠すため、左側のタワーの状況がわからなくなる。また、フィールドに出たユニットをタップすると攻撃範囲が表示されるという本家にはない機能があるが、これがユニットを設置する際の攻撃範囲表示とまったく同じのため、ユニットの設置ミスが頻発する。
クラロワはゲーム中のバフ・デバフ表現を文字に頼らず配色とエフェクトだけでうまくデザインしていたにも関わらず、サヴァスロは「ATK」とか「SPD」とかの文字がうじゃうじゃと沸き、戦況把握を妨げまくる。ラヴァハウンドみたいなユニットが弾けたあとの表示はiPhoneでは文字が潰れていて認識できないレベルだった。
ユニットも似たような造形のものが多く、ベビードラゴンみたいなやつとインフェルノドラゴンみたいなやつや、ゴブリンと槍ゴブリンみたいなやつなどは攻撃されるまで判別は難しい。ユニットのモデルも解像度の問題なのか全体的に小汚いし、キングタワー的な砦が攻撃されるとハリボテみたいなリアクションとるのもチープだし、ルックとしてクラロワに勝っているところは今のところ一つもない。だいたい「ブラウニー」と「槍ブラウニー」とか、「スケルトン軍団」とかなんでわざわざクラロワの日本語ローカライズされた名前に寄せてんだよ!もっと槍兵とか骸骨とかいくらでも避けようあっただろ!
クラロワはフレーバーテキストひとつとっても、特性の説明だけでなくユニットの個性に応じたユーモアが散りばめられている。
一方サヴァスロはどこかで見たようなテンプレ文言のオンパレード。それだけならまだしも、国産なのにところどこど日本語がおかしい所まであるのが腹立たしい。
例)
→「転んでもただでは起きない」って言いたかったのかな?
他にもバトル画面中のスタンプ文言も丸パクリなのになぜか「グッドゲーム」はないとか、DRAW用のリアクションがなくて引き分けなのに毎回負けモーションを見せられて萎えたりとか、別端末でプレイする際は毎回引き継ぎの操作を求められる超前時代的設計とか、このゲームにユーザー満足度というものは存在しないのだと思う。
いろいろ書いたが、とにかく後発で丸パクリなのに新しいゲームスキームを切り拓いたクラロワへのリスペクトが一切感じられないのが本当に頭にくるし、残念だ。LoVのリソース流用して人気のスキームなぞれば売れるやろ的な浅はかな企画意図と、ただそれに従うだけでオリジナリティを一切発揮しようとしない開発側の思考停止が透けて見えるようで悲しくなる。愚直に本家をトレースして同レベルのところまで磨きあげ、そこからアイデアを足せばよかったではないか。せっかくこんな面白いゲームをお手本にしているのだから。
最近の例でいえば、中国が作ったアズールレーンは艦これのコンセプトを踏襲しつつ、「顧客が本当に欲しかったもの」みたいな仕上がりを実現した。後発だったらあれくらいやって然るべきだ。日本企業がやっていることといえば、フィンランドの生んだあの美しいゲームに特許でイチャモンつけたり(グリーの敗訴を心から願う)、劣化コピーを作ったりするばかり…そりゃ後進国って言われるよ…。
クラロワのファンであるがゆえに殊更クソに映るサヴァスロだが、ユニットやフィールドの特性に丸パクリでない部分もわずかにはあるし、ブラウニーとかママリリちゃんとか、かわいいユニットがいるという極めて少ないアドバンテージもあるので、ぜひ奮起して「面白いゲーム」になるか今すぐサービス終了してください。
これまでの話
「(民事)訴訟を起こされたという体験」序話
先ず、原告がどういう人物かについて書いておこう。
原告の名前を仮に「K」としよう。
Kは、高校卒業後アニメの専門学校のCG科に通い卒業時に就職が決まらず、工場の従業員・コンビニの店員等になるがどちらも試用期間でクビになり
自宅(実家)でアフィリエイトブログを立ち上げて収入を得る事にした人物だった。
原告の立てたアフィリエイトブログはネット上で拾った記事を載せて一行二行の感想を書く程度の更新を毎日続けるだけの内容で
開設から余り日が経たない内に、とある匿名掲示板にヲチスレが立つという様(さま)だった。
ヲチスレを立てられている事に気付いたKは、ブログでヲチスレの住民を煽る記事を書き始め更にヘイトを集める。
そして、ヲチスレ民の突撃を受けたKのアフィリエイトブログは閉鎖に追い込まれた。
この時のKの年齢は30歳を過ぎたばかりだった。
それから数年、Kは名前を変え小説ブログを立ち上げ、小説投稿サイトに小説を投稿していた。
ブログの小説の文体から「これはKではないか」と疑った元ヲチスレの住民により調査が行われた結果、その小説家はKである事が容易に判明した。
その小説家がKである事が判明した経緯はこうだ。
①Kは小説投稿サイトの主催のオフ会に参加していた。
②そのオフ会で出会った人物にKはアフィリエイトブログ時代の名前を名乗っていた。
③Kが名前を名乗った人物はKのアフィリエイトブログをヲチしていた人物だった。
という流れだ。
ヲチスレ民は、その人物の仲介で小説投稿サイトのオフ会に参加した人物数名に手分けして接触する事になった。
小説投稿サイトのオフ会でKは他の投稿者に対し上から目線な発言を相当にしていたらしく、
それが理由でオフ会参加者からKは随分と嫌われていた。
また、小説投稿サイトの管理人もKのアフィリエイトブログ時代の数々の悪行を知っており
「同一人物である以上、この小説投稿サイトには置いておけない」とKを小説投稿サイトから追放する方針を決めた。
結果、小説投稿サイトのオフ会の参加者と小説投稿サイトの管理人経由でKの本名と住所が容易に判明した。
①小説投稿サイトのオフ会の参加者経由でKの住所が判明。
②小説投稿サイトの管理人経由でKの本名が判明。
という形だ。
この時のKの年齢は、30代後半になっていた。
Kの本名を突き止めたのが(小説投稿サイトの管理人と接触を持ったのが)私だった。
次回に続く。
世の中のほとんどは嘘と悪意が占めている
善良な人間の割合はわからないけど立派なことを言うとバカにされる空気はある
吉凶、神戸製鋼、オリンパス、ミートホープ雪印は全部巨大企業で
辻褄の合わない年金制度を作ったのはとーだい卒しか入社できない財務省
靖国で神と祀られるからと奴隷を突撃させて身障になって返ってきたら金を払わずこじきをさせる国が日本
でその国には古事記を政府に騙された被害者でなく傷痍軍人のフリをして寄付を要求する詐欺師だと信じる国民だけが住んでいる
陰謀論ではなくて実際でしょう
悪意と嘘が日本と世界の実際だからチェルノブイリも福島も安全なマニュアルが存在しないからちょっとのことで大爆発する
何かあった時のために突撃するつもりなんだよ多分。
不倫報道の是非とか不倫が良いことか悪いことかなんて問題はこの際どうでもいい。今回の小室哲哉の不倫報道にはただただ不愉快な気分にさせられた。
ベッキーの不倫報道は笑えた。テレビで見せる健全なキャラクターとのギャップや「センテンススプリング!」という迷言、ゲスの極み乙女というバンド名、どう料理しても笑いになる要素ばかりだった。万人の下卑た好奇心を十二分に満たしてくれる、きわめて週刊誌的なゴシップだった。
ひるがえって今回の小室哲哉の不倫報道はどうか。元から特に健全なイメージがあるわけでもない小室哲哉、障害を抱える妻と6年にわたる介護、妻の実母への突撃取材。どの要素もまったく笑えない。ベッキーのときのように下品な娯楽として消費しようとしたのに、自分の親のセックスを目撃してしまったかのような、他人の恥部を見ているはずなのに自分の恥部を見せつけられているような、そんな気分にさせられる。きわめて後味の悪いゴシップだった。
週刊文春が正義のためにゴシップ報道をしているわけではないのは誰もが知っている。彼らがゴシップを報道するのは金儲けのためだ。そして、なぜ人々が週刊文春のゴシップに金を払うのかといえば、それはどんなに下品なものであってもゴシップ記事を読むのが楽しいからだ。この基本的な原則にそって考えると、今回の小室哲哉の不倫報道が週刊文春にとっても最悪なのは、読んでもまったく楽しくないという点に尽きる。先日の三森すずこの交際報道についても言えるのだが、最近の週刊文春によるゴシップ報道は単純に読者を楽しませる力が弱いという点で質が低い。いい気になって「文春砲」などと自称しているようだが、そのうちネット上でもはちまや刃と同じような扱いになっていくのだろう。