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2019-03-04

高校卒業式に参列したけど、来賓挨拶悲壮感に満ちてた

 AI技術の進展や、外国人労働者の受け取れなど、君たちを取り巻く環境はどんどん変化していって、先が見えない社会になってきていている。

 とにかく頑張って欲しい、生きて欲しい

 校長を含めて3人くらい登壇して挨拶してたけど、みんなこんな感じ。漠然と頑張れを連呼する調。少なくとも「輝かしい未来」とかいう明るい系フレーズはなし。

 三大都市圏から1時間圏内にある地方都市で、学校はいわゆる底辺に近い偏差値40前後。1/3 が進学(と言っても専門学校ほとんど)で残り 2/3 が就職という感じ。進学で就職先延ばしした 1/3 はもう暫く猶予があるとしても、来春から就職することになった 2/3 の過半数非正規職場への就職らしい。もっとも、正規と称されるところだって初任給15万なら御の字という低待遇だが。

 真っ先に外国人労働者バッティングする層なのよね。あいつらは、時給1000円でも喜んで就業するだろうし、何年かして祖国に帰ったとしても次から次へとやってくる。

 「時給1000円でも喜んで働く労働者」が無限に補充される状態から、恐らくは能力的に彼らと大差のない日本人高卒の子たちも、彼ら外国人労働者と同じ待遇固定化されるだろう。

 能力を磨けば何とかなる次元でもなく、どう足掻いても太刀打ちできないこと分かってるから来賓たちは揃って「とにかく生きて欲しい」になるんだろう。

 最後ホームルーム写真を撮り合ったり。彼ら彼女らにとっての「学生だった最後の日」になるんだよね。

 卒業って、社会に出る、というよりか、社会に放り出す、ということなだって感じたよ。18歳の若さでこの社会はあまりに厳しすぎるよ。30代になったら年収300万、40代になったら400万、そんなビジョン絶対に描くことができない未来しか見えないのだもの

 「人口の半分は独身で生涯を終える」という社会の到来しか見えないと感じた卒業式だった。

2019-01-19

いじめ被害者大人になるまでの話

もし良かったら読んでください。

私(女)は小学生の頃、箸の持ち方を知らないばかりか、食べる時には口を閉じてくちゃくちゃ言わないようにするとか、お皿の中に手が入らないように食器を持つとか、そういう生活常識を知らなかった。

髪は週に1,2回しか洗わないし、梳かしたことほとんどなかった。まともな櫛やドライヤーも家になかった。同じ毛玉だらけのセーターを毎日着ていた。成長期なのにあまり顔や体を洗わなかったから、顔や背中の肌が荒れて、ニキビだらけだった。

背中ニキビの一部は皮膚の病気になり、今も通院しているけれど、手術後も再発・肥大し、痛みと痒みが続き、大きく背中が開いた服を着ると見える。)

小さい頃からベビーシッターによく預けられて、母は友達と遊びに行ってしまう。

今思えば子供への関心の薄いネグレクト家庭だったのだが、両親はちょっと変わっているだけで、全く虐待している意識攻撃性もなく、学校先生家庭訪問に来ても、新築の一軒家住まい5月の庭には数種の薔薇が咲いており、特に生活困窮しているわけでなかったから、異常を見つけてもらえなかった。

家はあまり掃除されておらず汚かったし食事も買ってきたお惣菜冷凍食品ばかりだし誕生日ほとんど祝ってくれなかったし学校の話も無関心でテスト定期試験の答案さえ見せたことがなかったけど、どうしても欲しいゲーム必要ものはある程度買ってくれるし、風邪を引けば病院に連れていってはくれた。

母の少女趣味で、4歳からバレエピアノ習い事もしていた(両方とも下手だったけど)。

そんな子供だったから、小学3年生のとき給食牛乳を飲んでいる途中で、飲み方が悪く、むせて吐き出してしまったのをきっかけに、周囲の子どもに「汚い、キモい」などと言われ始めたのをきっかけにいじめが始まった。

私が触ったものは全て汚染されていると言われ、みんなそれを信じるようにして、避けるし、触れることがあったら菌がついたと言い他の人に鬼ごっこのようにして移す。一見遊びのようだけど、やっている人たちもからかってるわけではなくて、時間が経つうちに学年中に知れ渡り、狭いコミュニティの中では迷信のように真実めいていた。村社会的に、コミュニティ全体の常識シフトしてしまい、今の自分と比べてずいぶん汚い身なりだったし、性格も卑屈寄りだったのでなかなか理解しがたいとは思う。あえて例えるなら、見た目に特徴のある障がい児に起きることのあるいじめパターンがあるとすれば、それに似ていると思う。

いじめは中3まで続き、何人かの男児から、登校中に因縁を付けられて、石を投げられたり、お腹を蹴られたり、持ち物に触れたという理由土下座させられたり、ゴミをかけられたり、クラスの8割程度の人に配った給食を残されたり、描いた絵を破られて路上に捨てられたり、カッターを持って校舎内を追いかけ回されたりした。

運悪く、担任先生は小1から中3まで毎年変わってしまっていて、特にこちから何もお願いしなかったから(当時の自分は、そんなお願いは聞いてもらえないと思っていたから)、特に主犯格と言えるような男児クラスが中2までずっと被ってしまっていたし、ほとんど対策がとられなかった(こちらが言えば注意ぐらいしてくれるけど対象の人数が多すぎてキリがない)のも長続きしてしまった原因の一つ。

たまたま中2の時に、登校時に下駄箱を見たら、自分下駄箱に他の男児上履きが突っ込んであった。

これは、私ではなくて上履きの持ち主をいじめるためで、この頃は時々あったことなので、その上履き適当にすのこの上に置いて、特に気にせず、教室に入ると、今度は机の中に同人物の教科書がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

取り出すのに苦労していると、当該の男児が登校してきて、自分の持ち物を“汚い”私の元に移されたことを怒っていた。

そもそも私がそういう前提で扱われることに納得いっているわけではなかったので、私も何か言い返そうとしていると、チャイムが鳴り、担任が入ってきた。

「何してるんだぁ!」と担任一喝すると、クラス中の注目が集まった。

みんな知っていることとはいえ、表沙汰にされるのが怖かったし、恥ずかしくもあったので、その時は数年ぶりに人前で泣き、それも一言では言い表せない気持ちが色々あり、通夜のように静かに激しく泣き、ホームルーム中ずっとその嗚咽が教室に響いた。

担任に話を聞いてもらい、事態理解してもらえたが、たった1年の付き合いの担任に比して、周りは長くて8年ぐらいの間柄であるから、今更自分への扱いが変わることはなく(誰かが私に優しくするとその人がいじめられるので)、菌扱いはずっと続いた。ただ、その頃には周りも異性などに興味が移る人が多く、積極的にそういうことをしてくる人たちは減ってきていたかもしれない。

私は他のクラスメイトとは自分感覚が違いすぎて今見れば普通の人たちとも関わるのも怖く、多くの人とはあまり喋らず距離を置いており、関わることがあればそういう人たちだったのでわからない。

自身、かなり頑固だったので、耐えなければいけない、自分が悪いと思って、不登校にはならなかったし、転校も考えたことがなかった。そういうことを言うと、何事も大ごとにしたくない親や周囲の大人が嫌がるのがわかっていたし、恥ずかしかったし、どこへ行っても同じだと思っていた。

友達が少なく読書をよくしていて、進研ゼミも取っていたので(教養コラム読むのとシール集めに赤ペン先生出すだけで一般教材はやらなかったが)、勉強は得意だったので親に頼んでバレエを辞め、好奇心から塾に通わせてもらった。

成績が良かったので、塾の講師にも会社実績を上げるためのエースの一人として熱心に指導いただき都道府県公立トップ高校に進むと、周りの人たちがガラッと変わって、周りは賢くて志の高い人ばかりで、誰も自分いじめなかった。とても驚いた。廊下男子にぶつかったとき気持ち悪がられて罵倒されるどころか、「ケガはない?」と心配してくれて逆に申し訳なくなった。

中学生ぐらいからは、部活友達が居たこともあり、少しは身なりの整え方などが改善され、今まで全く笑わなかったが楽しさを感じて笑顔が出るようになったこともあり、普通友達や仲間ができた。

しかし、高校3年生になると、みんな受験勉強に勤しむので友達付き合いを控えるようになり、元々大学を目指しているわけでもなかった自分高校からは成績がかなり悪く、学問は諦めて美大を目指していたが、絵の勉強に身が入らず、部活も終わりかけ、家族とは相変わらずあまり関わりがなかったしとても孤独で、GWの間、一日7時間ぐらいいろんなことを考えた結果、人生がわからなくなり、5月下旬に家の中でパニック発作を起こした。

流石に親が心療内科に連れて行ってくれて鬱の診断をもらった。

頭の中の時間感覚おかしくなり、好きな授業もあったけれど、教室でじっとしているのが怖くて、家や保健室でボーッと過ごす日が続いた。

結局ほとんど絵も学問勉強しなかったので、試験には落ち、浪人生身分となった。

浪人を始めた頃には少し鬱は回復していたので、一念発起して美大ではなく私立文系勉強を始めた。ついでに、不細工と言われ続けた顔を鏡で見ると昔を思い出すので、貯めてきたお年玉をはたいて眼瞼下垂気味だった目を整形した。

高校に入ってから部活や他の趣味ばかりでろくに勉強していなかったけれど、一年ほとんど勉強だけしていたからか、早稲田大学の3学部を受け、全て合格した。

それから先も多少いろいろあったけれど、今は政令市地方公務員として働いている。

陰険上司や先輩に当たって虐められた年もあったが、今は環境に恵まれ毎日が過ごしやすい。

20歳からは皮脂分泌が落ち着いて肌荒れしなくなり、髪も縮毛矯正マメにかけるようになり、あれほど男子不細工キモい、近寄るな、死ねなどと毎日言われていたのに、今は男性もみんな優しい(それでも同年代男性が今でも怖いし、年をとったり、見た目が悪くなった途端に冷たくなるのでは?と思う)。

過去のことは忘れないと思う。

というか、昨夜も夢に見たのが今回文字に起こしてみたきっかけ。

幸せ子供時代というものも味わってみたかったけれど、人生一度きりだから仕方ない。今後のことはわからないし、何かの糧になったと思って今を楽しく暮らすしかないのかもしれない。親にはお金の面ではありがたいと頭では分かるが、気持ちとしてはどうしても感謝できない。

今の私がそのまま子供に戻れたら、もっと周囲に訴えかけ、逃げられないなら転校だってできた...と思う。1020年ほど前だから、今の時代よりも支援は得られないかもしれないが、多少の嘘をついて逃げても誰も大して困らなかっただろうし、何より自分人生を大切にすべきだった。

そういうことは、大人になってから学んだ。

2018-11-21

高校教師になってみたけれど

サイエンスの楽しさを教育したり教科の専門家になりたかった

だけど実際やってみたら教員は超絶ゼネラリストだったのでもう無理

教員をやってみて体育会NG自分レッドリストレベルの少数派だと知った

教員を続けようとすると部活顧問体育会カルチャーが不可避になるのが残念すぎる

あと、生徒とはフラットに気軽に付き合いたいのだが、それは無理だった

クラスを「統治」する以上スクールカースト上位を意識しないと自分サル山の最下位序列になって、授業もできないし廊下を歩くこともできない

これまで自分動物園サル山を見て「獣は愚かだなあ」とおもってたんだが、人間の集まりサル山だったんだな

教員学生時代キラキラして楽しかったヒトむけだ

学校が楽しくなかった

クラス友達ほぼいなかった

体育祭文化祭サボってた

クラスTシャツの購入希望自分だけ聞かれなかった

文化部幽霊部員だった

ホームルーム苦痛だった

数学けが癒やしだった

文系科目は読書or睡眠時間だった

体育教師に「そんな人生でいいのかwww」と嘲笑された

遠足は自宅を出てから体調不良で...」と学校電話してファミレス時間をつぶした

修学旅行は班行動から合意の上離脱して一人旅を楽しんだ

こんな自分がやっちゃだめな仕事

いい経験になったよ

2018-09-16

職業訓練IT系)に半年通った感想

(※半年といっても7月後半〜8月まで夏休みでした)

私は20代半ば手前の者です。

昨年仕事第一次産業)を辞めてしまい、学歴スキルもないのに何やってんだろ...と引きこもりかけたところ、

ハローワークで長期の職業訓練を見つけたので応募してみました。

それは専門学校委託される2年間の訓練でした。その間失業保険支給は、期限が過ぎても延長してもらえます

要するに入学料・授業料タダ、お金をもらいながら勉強でき、専門卒になれるチャンスというわけです。

(本当に有難い制度です。就職したら、きちん税金を納めて世の中にお返しするつもりです)

どうやら希望者は少なかったようで、筆記(中学レベル知識大丈夫でした)と面接はすんなり通りました。

受講するコースIT系を選びました。

(他には、介護系・看護系のコースがありました)

訓練の様子

専門学生に混じって授業を受けます

同じ訓練生は1割程度です。(30~40代の方が2人おられます

ほとんどは地元高校卒業したばかりの18才の子たちです。

ワイワイやる人が3割、静かな人が7割ぐらい? といった印象です。

男子100%ですが、ホームルームだけは女子100%のコースと一緒にやります

悪い人はいない感じで、授業が荒れて成り立たないとか、そういうのはなくてよかったです。

ただ、バイトが忙しいのか授業中イビキかいて寝ちゃう人や、全然授業について行けなくて辞めちゃうはいます

この辺の雰囲気大学1〜2年と似たような感じですかね。

授業内容とか

Office(前期のみ)

word,excel,powerpointを一通りやりました。PC操作に慣れていない人も多いので、

手取り足取りゆっくりやる感じでした。自分仕事で使ったことがあったので、課題を早く終わらせて

自学をしたり、隣の子に教えてあげたりしました。

C言語

terapadコマンドプロンプトを使っての授業です。(コンパイラborlandです)

SE先生(本人曰くCOBOLer)の説明聞いてから課題をこなしていく感じです。

入学前に、RubyやらJava参考書を一周してみたり、ドットインストールC言語動画を見たりしていたので、

授業にはついていけています

ただ授業だけだと完全に足りなさそうなので自学を頑張ってます

基本情報技術者試験対策

分野ごとに授業があります教科書を読んで先生が板書・たまに問題集プリントを生徒にやらせるといったスタイルです。

ただ試験対策なので、問題演習を重視した方が良いと思いました。

授業を聴きながら(たまに当てられるので)、ひたすら過去問をやっています

ちなみに学校は12月の修了試験合格すると本試験の午前問題免除)→来年4月の本試験 を前提にカリキュラムを組んでいますが、

私は年も食っているし、合格就職活動に間に合わないので、来月受験します。

就職指導先生応用情報技術者も取っておけ、と言われましたが、必要ですかね...?

勿論取らないに越したことはありませんが、Railsチュートリアルとか他の技術書時間をさいたほうがいいかな、と思いました。

アルゴリズム(前期のみ)

フローチャートや疑似言語を使って、バブルソート基本選択法など初歩的なアルゴリズム勉強です。

実際のプログラムコードの方がわかりやすい気がしますが、基本情報技術者試験対策なので仕方ないですね。

今も現場ではフローチャートや疑似言語は使われているのですかね?

そんなの古い現場しか使ってないよ、という意見はよく聞きますが...

HTML/CSS

先生意向でなぜかメモ帳推奨。(他のエディタを使っていたら嫌な顔をされた)

素人がいうのも何ですけど、ミス気づきにくいし、使いづらくないですかね...

案の定何でもないところでハマる人がいて、授業はよく止まってしまます

ブラウザ開発者ツールの使い方を隣の子に教えてあげたら、喜んで使ってくれていましたが、

やっぱり変なもん教えるなという目を先生から向けられちゃいました...

データベース実習(後期〜)

Accessを使った授業です。テキスト通りにやっていきます

Accessは初めて使いましたが、Mysqlをちょこっと触ったことがあるので、要領はなんとなく掴めました。

これも授業は遅いので、先に教科書の内容は家で一通りやってしまいました。

今はVBAの本をやっています

就職指導

ビジネスマナーや、ちょっとしたゲーム、話し合いなど。

グループワークとかやめてください死んでしまます、と思ったけど、意外と楽しめました。

ただ、喋らない人たちしか居ないグループだと、何を話しかけても反応が薄かったので、ちょっと辛かったです。

訓練(学校)の不満なところ

(勿論、アンケート等で学校側に伝えています

・授業で使うPCはメモリ4GBでもうちょっと欲しいなあと思いました。

エディタAtomUSBに入れて使っていましたが、カクカクでよくフリーズしました...

(VSCode大丈夫でした。)

モニタも19インチ正方形で、ウィンドウをたくさん出したい時は不便ですね。

どんな職場に行ってもどんな環境でも何とかやれ、という訓練ということなんでしょうかね。

そんな感じです。

1年生後半にRubyの基礎、インターンシップ強制)、就職活動の開始

2年生からは、Java,Rails,サーバ構築, データベース構築あたりの授業、という流れで進んでいきます

来年卒業します。

年齢が20後半になるので、周りの若い人たちと何かしら差をつけないといけないので大変ですが、

地元企業SE(Web系を希望しています)で採ってもらえるよう頑張ります

アドバイスがありましたら、いただけると嬉しいです。

追記

拙い感想文にいろいろと反応いただきありがとうございます

>>学費取れないぶん設備が劣るのは仕方ない気もするが

もっともです。私は皆様の雇用保険から学校に通わさせていただいているので、文句言う立場じゃないですね...

ただ、年100万近く払っている一般生徒の方は、不満に思っているかもしれませんね。

>>田舎で数年間無職してるけどIT系就職訓練無くて最悪 羨ましい 田舎ゴミ 

そうですか... 私の住んでいるところも地方都市ではない田舎なのですが、

近隣にIT企業進出してきていることもあってか、今年からIT系が訓練の対象となりました。

都市部ではない地域も、もっとIT系の訓練が拡充されると良いですね。

>>otihateten3510 基本情報さえ取ればどっかに潜り込めるだろうから、そこで3年くらい真面目にやれば結構いけるとおもう。

>>コード書けると良い。/授業はまあそんなもんだよね。現役の人に聞いたほうが正しい。/東京のほうがイージー

ちょっと精神的に病んで前の仕事をやめてしまったので、家族サポートを得て、地元就職しようという情けない有様でございます

なんとかしてこちらの企業に潜り込みたいと思います

仕事事情は、やはり現役の方に聞くのが一番ですね。企業訪問インターンで色々聞いて見ようと思います

2018-08-12

[][]先生遠藤さんの上履きがありません! 8

前話:anond:20180811045820

第一話:anond:20160131184041

なろう版(同一内容):https://ncode.syosetu.com/n0012dq/

ヒロミ

遠藤さん。僕は、先週の水曜日に、遠藤弘美さんの上履き下駄から抜き取り、廊下の角の水槽の中に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

 気持ち悪かった。男子なんてこんなもん、って思ってたけど、実際に自分がやられてみると、『こんなもん』じゃ到底気が済まない。私の上履きを、私が見ていないところで下駄からとって、それを水槽の中に入れた? こいつが? 自分が目の前にしているものを、到底受け入れられなかった。

 でも、こう言わなければならないんだろう。

「いいよ」

 せめて、ケン君に軽蔑気持ちが伝わるように、自分にできる限り最大の軽蔑を込めた声色で、私はそう言った。でも、どうせ『素っ気ない』くらいにしか思わない。男子はそんなもの。まして、こんな変態に、私の気持ちがわかるわけがない。

 お決まり儀式が終わると、私はできるだけ無表情を保ったまま、席についた。

園田君は、勇気を出して自分がやったことを告白して、三人にきちんと謝ってくれました。間違いは誰にでもあります。でも、間違いを認めて謝るのは、誰にでもできることではありません。園田君、ありがとう。そして、高橋さん広瀬さん、そして遠藤さんの三人も、園田君の話をきちんと聞いて、許してくれてありがとう。人を許すのも誰にでもできることではありません。みなさんも、間違いを犯したり、悪いことをしたりして、だれかを傷つけたり、また誰かに傷つけられたりすることが、これからたくさんあると思います。そういうときは、高橋さん広瀬さん、遠藤さん、そして園田君のように、間違いを認め、きちんと謝り、そして、誰かが謝ろうとしているときは、きちんとその話を聞いて、できれば許してあげてください」

 くだらない。先生だって、「ごめん」の一言で許せることと許せないことがあるのはわかってるだろう。ただ自分クラスを指揮したいから、こんな風にしているんだ。

園田君、こんなことをしたのは、理由があるんですよね? それをみんなの前で話してくれますか?」

クラスのみなさん、僕は、高橋さん広瀬さんと遠藤さんの上履きを隠して、それを自分で見つけてヒーローになったつもりで楽しんでいました。豊島さんの上履きがなくなって、それを山崎君が見つけたとき山崎君がみんなに褒められて、豊島さんに喜んでもらっていたのが羨ましくて、自分もああなりたいと思って、やってしまいました。みなさんを騙して、不安にさせて、それを今まで黙っていて、本当にごめんなさい」

「みなさん、園田君のことを許してあげられますか?」

 どうして当事者じゃない他のみんなが、「いいよ」、「いいよ」と言っているのか。本当にくだらない。迷惑をかけたというけど、だったらそれは、当事者問題クラスみんなの問題に仕立て上げた浦木のせいだ。『先生』という立ち位置は、そんなに気持ちいいんだろうか。

 周りのみんなを見渡して見ても、本心で「いいよ」なんて言っているやつはいないだろう。いや、ひょっとしたら、ケン君と仲良しのタッ君くらいは、本心かもしれない。

 そう思って彼の方に目をやった時、私は自分の耳を疑った。

ケンジ君は犯人じゃありません」

 アヤちゃんだ。ケン君が犯人じゃない? アヤちゃんは、何かを知っているの? 

 次の瞬間、タッ君が立ち上がって叫ぶ。

「僕じゃない!」

 状況が理解できなかった。

犯人は……」

「だから僕じゃないって言ってるだろ!!」

「黙って。タカヒロ君疑ってな……」

「黙るのはそっちだ!」

「だからそうじゃないって言って……」

「うるさい!」

「私はケンジ君じゃないって……」

「違う、違う、違う! 犯人ケンジなんだ。それでいいんだ。ほら、本人がそう言ったじゃないか! あいつは、アヤネの上履きを見つけたユウヤが羨ましいって言ったんだ! 『ヒーローだぜ?』って言ったんだ! あいつは、みんなに褒められて、女子感謝されるのが羨ましくて、自分上履きを隠したのに、それをまるで、『俺は頭が良いから見つけられるんです』って言うみたいに、わざと知らないふりをして、自分で隠したのを自分で見つけて、自慢げに『先生、あった!』なんて言ってたやつだ! あいつは、表では優等生ぶって、裏では女子上履きを盗む変態だ!」

 そんな言い方しなくても、と心の中で言いかけた時、自分もそう考えていたことに気づいて、ゾッとした。でも、タッ君のいうことは間違ってない……はず。じゃあアヤちゃんはなんでケン君をかばうの?

園田君待ちなさい!」

 割って入るように先生が叫ぶ。思わず教壇に向き直ると、ケン君がいなくなっていた。状況に耐えられなくなって、逃げ出したのかもしれない。弱い奴。あいつは私の上履きが隠された日もこうだった。いや、隠された、じゃなくて、あいつが隠したんだ———アヤちゃんの言うことが、本当でなければ。

「みんなは静かに待ってて」

 先生はそういうと、教室から出て廊下を走って行った。

 その時、『パンッ!』と乾いた音が教室に響いた。

 音の方に向き直ると、涙目のアヤちゃんがタッ君を睨みつけ、タッ君はほっぺを抑えて俯いていた。

上履きを隠したのは、私なの!」

 アヤちゃんだとは思えないくらい大きな声で彼女は叫んだ。

「マジかよ」

「嘘だろ。ケンジをかばってるんじゃねーの?」

「でもあいユウヤが好きなんじゃなかった?」

 バカ男子が口々に言う。

 私にだってにわかには信じられない。アヤちゃん私たち上履きを隠した? ケン君がやったって、さっき言ったばかりなのに。

 私はあの時、ユッちゃんアユちゃんと一緒に、体育館で遊んでいて、上履き体育館下駄箱に置いたままだった。アヤちゃんは、いつも一緒に遊ぶのに、あの時はいなくて、私が上履きがなくなっていることに気づいて、二人と一緒にギリギリまで探した後教室に戻ったら、自分の席に座ってた……ような気がする。だから、アヤちゃんアリバイは、ない……の、かな。でも、アリバイがないのはケンだって一緒……。

「私は、ユカちゃんと、アユちゃんと、ヒロミちゃん上履きを隠しました。でもそれは、三人が私の上履きを隠したからです」

 はっとした。アヤちゃんまさかあの時のこと……。でも、それは違う。

「アヤちゃんそれは違うよ」

 私の思ったことをそのまま言ったのは、私の口ではなくユッちゃんのそれだった。

「何が違うの!? あの時私の上履き袋を持ってたのはあんたたちじゃん!」

 そうだけど、と私が言う間も無く、口の早いユッちゃんが続ける。

「アヤちゃんが途中でいなくなっちゃうから私たち、ずっと体育館で待ってたんだよ。でも、用具のおばさんがもう体育館閉めるよって言うから、仕方なく、アヤちゃん上履き袋も一緒に持って出たんだけど、アヤちゃん戻ってくると思って、用具のおばさんに言って、上履き袋を体育館入り口のところにおいておいたの」

 体育館普段、授業とか式典で使う時以外は閉まってるけど、昼休みに校庭が使えないときは、昼休みが終わる10分前まで解放してくれる。その日はちょうど、光化学スモッグ警報が出ていて、校庭が使えなかった。

「でも私、体育館に戻ってきたら、もう閉まってて、入り口上履き袋なんてなかった」

 アヤちゃんが嘘をついているとは思えなかった。でも、ユッちゃんのいうとおり、私たちは確かに、アヤちゃん上履き袋を体育館入り口に置いて教室に戻った。あとでユウ君がそれを見つけたのは、体育館そばにある、西校舎の給食エレベーターの脇だ。だから、アヤちゃん上履きを隠したのは、私たちじゃない。

私たち体育館入り口に置いたんだから、アヤちゃんが戻ってくるまでに、誰かが移動させたんだよ」

「じゃあ誰が!?

 まるで私たちを責めるみたいにアヤちゃんが言う。

 教室が静かになった。

 ……

「俺なんだ」

 沈黙を破ったのは、ユウ君だった。

「は?」

「お前、自分が見つけたって言っといて、隠したのも自分だったの?」

「こいつがほんとのジサクジエンかよ」

 ユウヤは立ち上がって言った。

「俺、アヤネさんに、良いとこ見せたくて……ごめんなさい」

 信じられない。こいつがアヤちゃんのこと好きなのは薄々知ってたけど、上履き隠して見つけたふりしてポイント稼ごうとするなんて。

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

 男子が囃し立てる。ユウヤは俯いている。

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

「ヘーンータイ! ヘーンータイ!」

 ……

「黙って!」

 アヤちゃんの声。

「へーんたい……」

 急にトーンダウンする男子たち。

「私、嬉しかったのに……」

 アヤちゃんはそれっきり黙ってしまった。

 教室先生が戻ってきてからは、みんな何も言わなかった。先生がいない間にわかたことは、アヤちゃん上履きを隠したのがユウ君だったってこと、ユウ君はアヤちゃんの気をひくために、自作自演をしたと言うこと、私とユッちゃんアユちゃん上履きを隠したのは、アヤちゃんだったってこと、アヤちゃんは、自分上履きを隠したのが私たちだと思い込んで、仕返しのつもりでそれをやったこと。わからないことは、どうしてケン君と仲良しのタッ君が、ケン君を犯人だと言ってあんなにキツく罵っていたのかと言うこと。

 先生はそのままホームルーム解散して、放課になった。ケン君が犯人じゃないってアヤちゃんが叫ぶのを、先生は確かに聞いていたはずなのに、何も言わない。結局先生は、偉そうなことを言って私たちを指揮することにしか興味ないんだ。

 放課後、アヤちゃんと話がしたかったけど、ユウ君と何か話してたから、また今度にすることにした。アヤちゃんだって被害者なのはわかる。でも、自分思い込み私たちを一週間も振り回しておいて、まるで自分ばっかりが悲劇のヒロインみたいなあの態度は、ちょっとムカついた。何も水槽に入れなくたって良いのに。自分のは、上履き袋に入って出てきたくせに。

 ユッちゃんアユちゃんバイバイした後、駅の近くの電話ボックスに向かった。ケン君にはちゃんと伝えておかないといけない。ママにもらったテレホンカードは、まだまだ度数が残ってたはず。ママの前じゃなく、落ち着いて話がしたかった。

2018-08-09

[][]先生遠藤さんの上履きがありません! 6

前話: anond:20161213163621

第一話: anond:20160131184041

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タカヒロ

火曜日ホームルーム今日ケンジは学校にこなかった。僕があんなことを言ってしまたことで、ケンジをさらに追い詰めてしまったのかもしれない。ケンジは犯人ではない。それはわかっている。でも……。

昨日先生が『密告用紙』を集めたっきり、先生は何も言っていない。結果はどうなったのだろう。犯人は誰かわかったんだろうか。いや、あんもの犯人がわかるわけがない。あんもので、何もわかりっこない。そうだ。僕が彼の名前を書いたからって、それで何かが変わるわけがないんだ。

今日はみなさんに大事お話があります

僕の心を読んだかのように、先生がそう言った。

園田君、入って」

教室がざわついた。ケンジが来ているんだ。

前の戸が開き、ケンジが教室に入って来た。神妙な面持ちだった。

「みなさんはまだ3年生なので、わからない人もいるかもしれませんが、悪いことをしたと告白するのは、とても勇気がいることです。誰でもできることではありませんし、立派で、素晴らしいことです。これから園田君に、何があったのかを話してもらいます。『自分には関係ない』というのではなく、これからの長い人生、みなさんの誰にでも、勇気を出して謝らなければならないことがあるでしょう。責めたり、馬鹿にしたりせずに、みんなでよく話を聞来ましょう」

嫌な予感がした。まさか本当に、ケンジが?

「じゃあ園田君、できるわね」

ケンジが小さく頷いた。

高橋さん広瀬さん、そして遠藤さん、園田君の前に来て」

先生に促されるまま、ユカ、アユミヒロミの三人が立ち上がって、教壇の隣に立つケンジの隣に立った。何が行われるかは、明らかだった。

高橋さん。僕は、先週の月曜日高橋由佳さんの上履き下駄から抜き取り、理科実験室のゴミ箱に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

ケンジはそう言って頭を下げたあと、頭を上げて、不安げにユカに顔を向けた。

高橋さん園田君は悪いことをしましたが、きちんと自分がやったことを認めて、反省して、謝りました。高橋さん、許してあげられますか?」

ユカは無表情のまま、小さな声で「いいよ」と呟いた。

高橋さん上履きを隠されて辛かったのに、園田君を許してくれました。人を許すのは難しいことですが、素晴らしいことです。じゃあ高橋さん、席について」

先生がそう言い終わると、ユカは静かに自分の席に歩いて行った。

ケンジがアユミの方を向く。また同じことをするんだ。

広瀬さん。僕は、先週の火曜日に、広瀬あゆみさんの上履き下駄から抜き取り、廊下の窓の外に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

広瀬さん、園田君を許してくれますか?」

「いいよ」

ありがとう。じゃあ広瀬さんも、席に着いて」

次はヒロミだ。

遠藤さん。僕は、先週の水曜日に、遠藤弘美さんの上履き下駄から抜き取り、廊下の角の水槽の中に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」

「いいよ」

ヒロミはことも無げだった。

ヒロミが着席すると、先生が続けた。

園田君は、勇気を出して自分がやったことを告白して、三人にきちんと謝ってくれました。間違いは誰にでもあります。でも、間違いを認めて謝るのは、誰にでもできることではありません。園田君、ありがとう。そして、高橋さん広瀬さん、そして遠藤さんの三人も、園田君の話をきちんと聞いて、許してくれてありがとう。人を許すのも誰にでもできることではありません。みなさんも、間違いを犯したり、悪いことをしたりして、だれかを傷つけたり、また誰かに傷つけられたりすることが、これからたくさんあると思います。そういうときは、高橋さん広瀬さん、遠藤さん、そして園田君のように、間違いを認め、きちんと謝り、そして、誰かが謝ろうとしているときは、きちんとその話を聞いて、できれば許してあげてください」

結局、ケンジが犯人だったのか。

だってヒーローだぜ?』

やっぱり、そうだったんだ。そうだ。僕は自分犯人にされるのが怖くて、ケンジに疑いを押し付けたんじゃない。ケンジと話していて、ケンジがやったんだとわかったから、だからそう書いたんだ。これで良かったんだ。

先生が続けた。

園田君、こんなことをしたのは、理由があるんですよね?」

ケンジが頷く。

「それをみんなの前で話してくれますか?」

はい、と小さくいい、ケンジは『釈明』を始めた。

クラスのみなさん、僕は、高橋さん広瀬さんと遠藤さんの上履きを隠して、それを自分で見つけてヒーローになったつもりで楽しんでいました。豊島さんの上履きがなくなって、それを山崎君が見つけたとき山崎君がみんなに褒められて、豊島さんに喜んでもらっていたのが羨ましくて、自分もああなりたいと思って、やってしまいました。みなさんを騙して、不安にさせて、それを今まで黙っていて、本当にごめんなさい」

「みなさん、園田君のことを許してあげられますか?」

先生がそう促すと、クラスのみんなが口々に「いいよ」、「いいよ」と言い始める。お決まりプロトコルだ。

これでよかったんだ。これで全部終わる。そう思った矢先、目の前の背中が立ち上がった。

ケンジ君は犯人じゃありません」

アヤネが言った。

そのとき、昨日の密告用紙の記憶が蘇ってきた。

『………弘』

恐怖で頭がいっぱいになった。

犯人は、」

アヤネがそう言ったとき自然言葉が出てしまった。

「僕じゃない!」

恐怖が口から押し出したその自分自身の言葉を聞いたとき、僕の体は椅子から立ち上がっていた。

「はぁ? なにそれ。誰もお前の話なんかしてねえだろ」

目の前が真っ暗になった。

2018-08-07

anond:20180807121514

嫌がる子供を無理やり駆り出すようなイメージでもしてるのか?

ホームルームにでも先生プリント配って「みなさん、空き缶を持ってきてくださいねー」って言ったらその時点で全員参加前提だろ。

そこで「集めたくありません」と生徒が申し出れば反対はされないだろうし、そういう意味では「任意」だが、現実にそんなこと言い出す生徒はめったにいない。

ちなみに、うちはクラスごとに量を競わせたりして完全にそういう空気だったぞ。

2018-06-19

anond:20180619125754

俺の通ってた高校は全校朝礼のある月曜以外は9時までに席に着いとけば良しってなってたな、ホームルームは午後の授業が終わった後にやってた。

2018-05-03

[] #55-1「代々大原則」

ルールとは何だろう。

俺がその問いに回答するには辞書に頼らざるを得ないし、それ以上の答えは用意できない。

そういった概念について、漫然としか考えていないからだ。

知っているか、知らないか

守るか、破るか。

自分にとって都合が良いか、悪いか

それで十分だと思っていたし、実際それで何とかなっている。

でも、この世がみんな俺みたいなスタンスだと社会崩壊するだろうな、くらいの思考は働く。

今回の話の舞台は、俺の通う学校

俺とは違ってルールに繊細な人間たちによる奮闘劇だ。


…………

ちょっと待て! そのピアスはなんだ!」

このように、登校した生徒に絡んでくる奴らがいるのは珍しいことではない。

違うのは、絡んでくる人間教師ではなく、生徒会の奴らって点だ。

こういうのは生活指導教員がやっているだろうが、俺たちの学校では少し趣が異なる。

基本的に生徒たち主体で秩序が保たれているんだ。

「勉学だけならば学校必要ない。社会教養を、日々の生活で育むことこそ、学校に求められる役割だ。その資本とは、生徒自身なり」というのが校長の弁である

要は社会性を学ぶのに、“生徒の自主性を重んじ”ているってわけだ。

まあ、これは名目で、実際には生徒の面倒を見切れない教師側が、仕事を減らすために作ったカリキュラムなのだろう。

生徒の問題は、生徒の間で解決してくれってこと。

このため、俺たちの学校は独特な社会形成されている。

「ジャラジャラとアクセサリーを……邪魔だあ!」

とは言っても、大半の在校生にとって、この差に大した意味はない。

取締役が“教師から生徒会”に変わったってだけだ。

大きな違いがあるとすれば、この生徒会に対抗する“組織”が存在することだろう。

「なんだ、そのピンク色の髪は!」

クラスメートのカジマが注意を受けている。

「いやいや、地毛っすよ」

見え透いた嘘だが、カジマは強気だ。

ピンク色の髪が地毛だというのか?」

アニメマンガとかでも、よくいるでしょ?」

「ふざけるな!」

「仮に染めていたとして、それが問題なんすか? 校則で『髪を染めちゃダメ』と書かれているとでも?」

「なっ……に。だが、風紀法には反するだろ!」

「風紀法には強制力がないっすよね?」

俺はそのやり取りを、クラスメートであるウサクは眺めていた。

「カジマのやつは、また“不真面目団”の活動か」

「でなければ、あんな悪目立ちするだけの色に染める必要がないだろう」

「奴等への当てつけじゃなく、純粋趣味だったとしたら?」

「いずれにしろ状況は変わらん」

“不真面目団”

要は不良の集まりってことになると思うが、一般的認知されているものとは少し趣が違う。

この集団は、生徒会のことを気に入らないと思っているメンバー構成されている。

そのため主な活動も、生徒会への当てつけであることが多い。

カジマみたいに、校則で罰することができない範疇で、生徒会が眉をひそめるような行為するわけだ。

しょうもない嫌がらせレベルのことしかしていないが、生徒会には効果的だった。

なにせ生徒会所属する人間意識が高く、真面目さと柔軟さが反比例するような奴らばかりだ。

そんな生徒会にとって、取り除けない目の上のタンコブほど邪魔ものはない。

そんな生徒会と不真面目団の小競り合いを横目に、俺たちはホームルームまでの時間を潰すわけだ。

これが、この学校での日常風景

ただ、その日はちょっとだけ様子がおかしかった。

「どうしたんだい。生徒会番号06」

カジマの小競り合いに、生徒副会長が割り込んできた。

普段はこういった活動には顔を出さないのに、どういった風の吹き回しだろうか。

「こいつが髪を染めているのに、逆らってくるんです……」

生徒副会長眼光が、カジマに鋭く突き刺さる。

オーラでも出ているのだろうか。

さっきまで強気だったカジマが怯んでいるのが、傍目にも分かる。

「ふむ、通してあげなさい。校則違反はしていないのだし」

だが、生徒副会長から出た言葉は、意外にも穏当だった。

「さ、ホームルームに遅れてしまう。かといって走らず、自分教室に行きたまえ」

カジマはそう促され、おずおずとその場を後にした。

このときカジマは、その生徒副会長の物腰の柔らかさが、逆に得体が知れなくて不気味に感じたらしい。

「で、ですが副会長!」

「仕方ないさ。ワシらにはどうしようもない」

生徒副会長は、その後に続けてこう言った。

「今のところは、な」

そう確かに聴こえたと、カジマは語る。

その意味が分かるのは、それから数日後のことだった。

次 ≫

2018-04-10

anond:20180410120645

クラス最初ホームルームでの自己紹介はあったが、授業の度に教師に向かって自己紹介というのは記憶がない

やってるのは少数派ではないか

2018-03-17

https://anond.hatelabo.jp/20180316223809#tb

こまば当事者カレッジ愚痴です。

精神健康の増進」という国民課題に対して、いちばん当事者意識がないのは東京大学でしょ。

初回のオリエンテーションからひどかった。フィンランド精神療法のリフレクティングというのやらされました。

こちらは援助職じゃないんです、当事者なんです。当事者精神療法をやらせる。無茶振りもいいところです。

私はこの後3週間ぐらい、自殺衝動が強くなりました。

回りくどいことをやらせずに、ストレートに話をさせ、来たことを褒めてくれれば、いちばん精神衛生にいい。

協働というのは、来ただけでエラいので。自腹で来ているだけでえらいんですから

ミルグラム実験を思い出しました。閉鎖的な環境下での学者心理実験には要注意。

非人道的だと思ったら外部に助けを求めること。ぜったい密室にさせないこと。

向こうは「場の安全」とか言いますけど、いちばん危ないのは君たちでしょ。

倫理委員会に「一般から募集した障害者に対して、ミルグラム実験のようなことをやらないでほしい」と相談しました。

しか倫理委員会によれば、監視対象研究(主に医学部で行われる)なので、学習対象外との回答。これはおかしいと思う。

一般から募集した障害者というのはいちばんストレス脆弱性が高い層なので、注意深くあるべき。

第二回からは冒頭で「気分が悪くなったら休んでください」というアナウンスが入るようになったので、多少は気合が入った様子でした。

本当は保健所とか、労基署とか、独立した外部機関が入った方が、ガバナンスとしては正常だと思う。

プロなら最初から100点の答案を出せよな。

精神障害者から身体障害者まで、あらゆる障害者募集しちゃった。

小学校でも、普通小学校特別支援学校とでは必要教員免許がちがうわけですが。

受講生が生物学的に耐えられるかどうかではなく、自分たちの都合(政治的な正しさとか)を最優先した。

いつもの駒場論理で盛りだくさんのカリキュラムを組み、つめこみ教育をやった。

自分たち日本いちばん大学教員から指導力があるはずと奢っていたんじゃないですか。

一流大学教員指導力なんて求められない。応募してきた学生を振るい落とすのが仕事から、誰だってできる仕事

生徒ひとりひとりの個性を見抜いて、褒めて伸ばすなんていうことはできない。

受講生同士の横の人間関係を育てるという視点が欠落。ホームルームや学級会に相当する時間をまったく設けなかった。

ものすごいストレスが強いです。

とにかく文系学者弱者からひきはがしてほしい。

エビデンスを認めない。文科省報告書でも「実証」という言葉で叱責されていますが、理屈にこだわる。

建前を向こうは並べ立ててくるんですけど、こっちは体でストレスを感じている。エビデンスベースドで話が進まない。

安冨歩さんの『原発機器東大話法』を読んでいるんですが、この本は東大人の行動を理解する上で示唆に富んでいると思う。

「対人操作をやる」というのは納得。

交渉力が高い。雄弁・多弁で、すごいしゃべります文科省は「対話」という言葉で叱責)。感受性は低いです。

それってパワハラなのよ。

福島でも同じことをやっているんじゃないかと疑っている。

「都合のいい福島県民」を見つけてきて、自分たち東大話法でちゃっかり傍観者を装う。

ただでさえややこしい福島に、ややこしい東大文系が近づき、もっとややこしくする。

そうやって生成された摩訶不思議な「哲学論文」とやらを英訳して海外に発信。

中身を少し読んだが、自己満足の作文って感じだったので、そっ閉じした。

私たち税金社会の中でこんなふうに「有効に」生かされているっていうわけ。

必要なのは複雑化ではなく合理化。この人たちのリストラ

とにかく「哲学者に精神科医のまねごとをさせないでほしい」という大切な教訓を活字にする必要がある。

タコツボ文系学者が二度も三度も同じまちがいを繰り返すので苦労が絶えません。

2018-01-20

anond:20180120160315

何が良くて何が悪いかを疑いがないような科学で測定するのが難しいからじゃね?

それを言ったら、江戸時代まで教育はほぼ全て道徳だったんだけど、道徳こそ多様性があるからと片隅片隅においてかれて第二ホームルームみたいになってる。

2017-12-03

30年くらい前

小学生とき、何の授業だったか忘れたけどビデオを見せられた。社会の授業の一環だったのか総合学習やロングホームルーム的なものだったのか、視聴覚室に入れられて人類危機みたいなやつを見せられた。曰く、石油が残り少ないと。このままのペースではあと20年か30年くらいで石油が尽きてしまうと。皆さんが大人になる頃には大変なことになるかもしれませんねえなどと教師が言って、小学生であった俺はいろいろと忖度して「電気は大切に使おうと思いました」みたいな小学生らしい感想文を出すわけだ。

 

また別のとき、同じように視聴覚室で違うビデオを見せられた。同じように人類危機みたいなやつで、今度のは人口やばいと。このままだとあと20年か30年くらいで地球人口が100億を超えてしまい全地球的な食糧不足エネルギー不足で大変なことになるぞと。教師は前回と同じようなことを言い、俺も同様に忖度して「食べ物は大切にしなくてはいけないと思いました」というような感想文を出すわけだ。

 

で、30年くらい経ったわけだけどやばいやばい言われながら石油は尽きない。もちろんいつかは尽きるだろうけど手付かずの油田存在にもあたりがついててまだまだ数十年くらいは問題なさそうだ。人口も思ったほどは増えてない。先進国出生率が軒並み下がり、途上国を中心に増えてはいても当時の予想ほどの勢いはない。一方で食料は生産性の向上もあって供給は足りてる。先進国を中心に大量に廃棄されていながら世界中餓死する人も大量にいるという政治的経済的問題はあるけど絶対量が足りないってわけじゃないし、生産数を上げれば餓死者がいなくなるってわけでもない。

 

こういった教育が何をもたらしたかというと、少なくとも俺にとっては、大げさな悲観論を良くも悪くも鼻で笑ってまともに取り合わない態度が身についた。

当時はまさにバブル真っ只中で、勢いや活力や余裕や希望があったみたいなイメージで振り返られることが多いけど、俺にとっては悲観的で刹那的だったという印象が強い。

2017-11-06

月曜日憂鬱なので

僕は高校教師

やはり、3連休が明けて仕事が始まるのは憂鬱

そんなときは、朝のホームルームで教卓の前に座るXさんのことを考えている

彼女の肌は白く、ほんのり紅い

きっと、控えめな乳房の上に添えられた乳首ピンクなんだろうなと思う

そうやって、ホームルームを進めながらただ想像する

きっと、大陰唇も小陰唇もピンクなんだろう、きっとピンク

そうやって、想像していると日々の仕事にまつわるゴタゴタも、どうでもよくなってくる

こうして、僕の一週間が始まる

2017-11-05

俺が自尊心をなくした日

高校時代の俺はピエロのような人間だった。

自ら率先して汚れ役になり、そうしておどけることで人を笑わせるのが好きだった。

今思えば、人間失格でいうところの主人公・葉蔵の幼少期から闇を抜いたような生活だった。

周りからいじられキャラとして扱われていたし、それは俺としても嫌なことではなかった。

ある日の夜、交通事故に遭った。

車に撥ねられ救急車搬送されたが、幸いなことに全治1ヶ月程度の足の指の骨折で済んだ。

事故に遭った次の日は検査施術等で学校に行けなかったが、事故から2日後には早速登校できるようになった。

学校に復帰した初日松葉杖を突いて登校してきた俺に、半笑いクラスメイトたちはこんなふうに話しかけてきた。

増田死んだと思ってたw」

担任の○○先生も昨日の朝のホームルームで『増田死んだらしいぞ』って笑いながら言ってたよw」

「どうせ増田だし、他のクラスの人とも『増田死んだらしいぞ』って噂してたんだけどw」

松葉杖小道具なんだろw」

「なんで死んでねえんだよwそこは死んどけよw」

いくらなんでも言いすぎじゃないか

これはイジりの範疇を超えているのではないか

そんな感情を押し殺しながら、みんなと同じような半笑い同調した。

その日からだろう、俺が自尊心をなくしたのは。

周りが俺のことを心配したり肯定したりしてくれないのであれば、俺が俺のことを気にかけたって虚しいだけじゃないか

勉強部活も取り組んではいたが、高い目標は設定せず現状維持が出来る程度に手を抜くようになっていた。高い目標があったら笑われそうだから



数年ぶりに高校同級生たちと会った時、俺の交通事故話題になった。

「あの時は増田死んだと思ったんだけどなあw」

「やめたれwまあ、あん時は俺らも正直言いすぎたかと思うよw」

別にいいよwみんな楽しかったならそれでいいんじゃないw……うんw」

自分人生他人事のような視点しか見れなくなっていた俺が、そこにいた。今もまだ、消えていない。

2017-09-22

留学から帰りたくない

帰りたくないよ〜!!!

ニュージーランド天国だもん

せっかくなのでいいところをあげていく

ひとつ自由

授業中スマホ触ってても音楽聴いてもOK飲食OK みんな自由に喋ってる 私はよくりんごを丸かじりしてる それでも無秩序って訳じゃない 静かにする時はちゃんとする

ちなみに染髪ピアスタトゥー化粧オールオッケー スカートの長さも自由(宗教上の理由もあるため)スカートズボンマオリ(ニュージーランド先住民)の衣装が選べる 友達イスラム教徒女の子はお洒落ジャケット着て、ロングスカートヒジャブ巻いてばっちり決まったメイクして鼻にピアス開けてるんだけど たまんない

ふたつめ ご飯が美味しい

普通に美味しい 特にラムチョップが最高 日本食寿司しか無いのとその寿司寿司とは呼べないシロモノ(カルフォルニアロール、握りはサーモンオンリー照り焼きチキン酢飯の上に乗っかってるだけとか)だということ以外はいい でも太るね

乳製品うまい

みっつめ 授業が撰べる

時間割必須科目(英数理)と好きな科目3つの計6科目を1日5時間でローテーションする この好きな教科っていうのがムチャクチャある 農業園芸演劇、木工、服飾、工業、保育、体育、歴史美術ダンス料理もっといっぱいある 書ききれない しかも全部個別教室があり、授業内容はハイレベル(普通公立高校なのに) 私は体育の授業でボルダリングをやってる めちゃくちゃ楽しい

よっつめ 人種差別が無い

会ったことない 以上

いつつめ 美人が多い!!!(男女共に)

多い。白人黒人アジア人ヒスパニック系に中東マオリ族多種多様な生徒達 みんなスタイル良くて大人っぽい そしておっぱいが大きい…羨ましい

むっつめ すぐ帰れる

授業が終わるのは3時 皆終わったらダッシュで帰る 放課後残るとかない 教室ちょっと喋ってるだけで帰らないの?と聞かれる クラブもない(あるけど練習せずに試合だけとか) 先生もすぐ帰る 学校の近くに寄れるところがないので健全帰宅する

ななつめ 人間関係に疲れない学校構造

ホームルーム教室がない 毎時間が全員異なった移動教室の為一緒に行動する人とかいない さっきも書いたが好きな授業を選択する為必然的趣味が合う生徒とよく顔を合わせることになる スクールカーストを作ることが出来ないつくり ロッカーもないしカツアゲもない ケンカはたまにある

やっつめ フレンドリー

みんなやたらフレンドリー スーパーレジ店員とか普通にしかけてくる(どこの国から来たのー、ニュージーランドはどう?とか) 学校でひとりでいても何かと話しかけてくれる 不良っぽい人もなかよくしてくれる(会うたびにハイタッチしたりハンドサイン?ピシガシグッグッみたいなのをしてくれたり) 困り顔でうろつくだけでどうかしたのかと声をかけてくれる

ここのつめ ゆったり

ざっっくり言うと北海道四国を取った日本に五百万人が散らばっているようなものなのでスカスカ ゆえに全てが広くゆとりがある いいことだ 映画館座席も広かったぞ 体型もあんまり気にしないね

とお 緑が多い

今のところ見たことのある家は全部庭付きだ ていうか建物がないから緑が多い 見渡す限りwindowsの画面みたいなのが続いたりもする 景観が綺麗だし自然を大切にする国民性 あと柵が大体木

とりあえずこんなもん?

2017-09-14

評判イマイチアニメ映画観たらピンポイント直撃を食らい時が飛んだ

子供の頃、大好きな女の子がいたんだ。

俺はあの子のことが、本当に、本当に大好きだった。

でもあの頃はそれの正体がよくわからなくて、なんて言ったらいいのかもよくわからなくて、結局、俺は最後まであの子自分気持ちを伝えることができなかった。

中学1年の夏休み、あの子は家庭の事情で突然住んでいた街から引っ越していくことになって、終業式の日に教室で見た姿があの子についての最後の思い出になった。


あれからずいぶん時間が経って大人になり、人生の大きな選択みたいなこともいくつかあったけれど、事あるごとに「もしも」「あの時ああしていたら」というようなことを考えることがあると、真っ先にあの中学1年の終業式の日のことを思い出すんだよね。

あの時、あの子に「好きだ」と言えていたらって、その頃の中学1年生によくありがちっぽい、そんなささやか出来事を考えてしまうんだよ。

別に、もしそのもしもが叶っていたとしても、きっと何も変わらないんだとは思う。あの子は何も変わらずあと何日かしたら遠くへ引っ越していくし、そのあと何ができたわけでもないんだろう。でもあの時、俺はあまりに幼くて、かっこ悪くて、無力だったよ。

の子小学校の真ん中くらいの時に転校してきて、それからずっと同じクラスだったんだ。

まり女の子友達がいなかったけれど、あの子とはその時からとても気が合ってよく一緒に遊んだ。俺の小さな世界にいる数少ない女の子だった。

きりっとした綺麗な顔立ちで、ちょっと気が強くてお姉さん肌の明るい女の子だった。実際、同級生だったけどほぼ1年誕生日が早かったあの子はいつも少しだけオトナで、俺はよく背伸びをしていた気がする。それこそ13歳のとき奥菜恵みたいな誰から見ても完全無欠な美少女、というわけではなかったとは思うんだけど、間違いなく、俺にとっては世界で一番の女の子だったんだよね。

そうこうしているうちに中学生になったんだけど、入学式に行って最初確認したのは、あの子がどこのクラスにいるのかだったのを覚えている。

の子は俺と同じクラスだった。その頃地域マンモス校だった中学校で1学年9クラスもあるのに、同じところに一緒に名前が載っていて、嬉しかったのもあるけど、なんだかとても安心してしまったのも覚えている。ああ、これから不安もあるけど、きっと、2年生になっても、3年生になってもまた一緒のクラスになるんだ、なんてなんとなくぼんやりと思ってた。

1学期の間、あの子とは隣同士の席になった。なんだろう、子供だった俺はその状況に満足して、当然のように思って、そしてそれ以上何かをするということは無かった。学校に行って、好きな漫画アニメの話なんかを話して、ずっとこの席にいられたらいいななんて思ってた。

俺があの子のことが好きなことは、おそらくクラス中にバレていた。同じ小学校から来た友達もいたし、何より俺がずっと隣の席を見ていたからだ。

でも、そんな日は長く続かなかったんだよね。

あと一週間で夏休みだ、となった7月の半ば、俺はあの子の様子がなんとなくおかしいことに気づいて、とんでもなく不安気持ちになっていた。

急に態度が冷たくなった、とかそういうことは一切なくて、その逆のことが起こっていた。終業式の数日前からいつになくいろんなことを話しかけてきた。初めて会ったころのことや、小学校林間学校ときのことを話した。何か、とても嫌な予感がした。

終業式の前の日の放課後に家に帰ろうとしていると、掃除当番だったあの子が後ろから

掃除、一緒に手伝ってよ!」

と言い、俺のシャツの裾をギュッと掴んで引っ張った。

一瞬時間が止まった気がしたよね。あの感触を、今でもありありと鮮明に覚えている。

絵に書いたようなお約束少年だった俺は、たぶん嫌だよヘヘーン、みたいなことを言って、あの子から逃げた。

クラスの他の女子からなんかヒューヒューと茶化された。廊下に出ると、心臓バクバクしていた。

俺は教室の前の廊下で前の入り口と後ろの入り口の間を5往復くらいウロウロして、やっぱり教室に戻れなくて逃げるように帰った。

そんな日々はその次の日に、映画みたいな出来事もなく、あっけなく終わった。

終業式のホームルーム担任先生はあの子を黒板の前に呼び出して、突然ですがご家庭の都合で転校することになりました、と紹介した。

本人の希望があって、今までお知らせしていませんでした。


なんとなく薄々様子がおかしいことに感づいていたから、動揺はしなかった、フリを全力でした。

の子のことを見ることができなくて、礼が終わった瞬間隣の教室にやっぱり逃げるように入った。特に用事は無かったのにね。頭が真っ白だった。

隣の教室でぐだぐだしていると、小学校とき一緒のクラスだったちょっとおませなお節介焼きの女子がやってきて、俺を見るなりあんた何やってんの、あの子にちゃんと自分気持ち伝えて来たんでしょうね?ちゃんと告白してこいよ、後悔するぞとかなんとか言いやがった。12歳の世界において、女子男子よりもだいぶオトナだと思い知らされたね。

その時俺が口走った言葉を思い出すと我ながらひどすぎて死にたくなるんだけども、確かこんなことを言った。はぁ!?ばっかじゃねーの!?やめろよ、そんなんじゃねーよ。

って、漫画かよ。今でも死にたくなってくるよ。

でも、それもそうかとなんとか思い返して、人影もまばらになってきた自分教室エイヤーと戻った。

この日が最後だったあの子は、まだ教室にいた。

が、それとあと2人くらい、普段まり話したことのない女子が何やら残念だねと話していた。

そこで俺は黒板の前にバン、と立って、ちょっといか今日は俺と一緒に帰ろうぜ!

と言い放つ妄想をあとから何度もしたのだけれど、現実の俺はそんなことはなくて、2人の女子に怯んでまた廊下に出てしまい、やっぱり前のドアと後ろのドアの間をウロウロウロウロとしていた。

そうしていると、友達が通りかかって、何やってんの帰ろうぜ、と言った。

お、おう、そうだねみたいなことを言って、学校を出た。

それが、あの子を見た最後だったよ。


帰る途中、意味もなく遠回りをした。また、とんでもなく受動的なバッタリに一縷の望みを掛けていた気がするけど、すぐに忘れようともしていた。

その友達が、ああそういやあの子転校するんだろ?と言ってきた。ああ、そうみたいだね。と答えたら、ふーん、と返ってきた。そいつになぜか無性に腹が立った。彼は別に何も悪いことしてないんだけども。

歩きながら、無理やり色々なことを考えて納得しようとした。そうだよ、そんなどうせあと何日かでいなくなるのに、今更何か変なこと言ったって迷惑だ。俺の自分勝手だ。そうだ、どうにもならないんだから、何も言わないのが正しいのだ。だから、これでいいんだ。とかなんとか。

映画を観ていたら、アタマがあの頃に飛んでいた。

何もできなかった。あまり子供で、勇気が無くて、情けなくて、後悔とも無念ともなんとも言えなくて、ほろ苦いというか、苦かった。

あの時こうしていれば、って何度も何度も繰り返して、何パターンものルート妄想した、そんな10代の時間だったよ。

大したことじゃないってことはわかってるんだよ。誰にだってあることで、よくあることで、ちっぽけなことだよ。

でも、12歳の心の風景っていうのはとても、とても不安定ものなんだよね。オトナでも子供でも無くて、気持ちだけそこにあるけれど、どうしていいのかわからないんだよね。イマドキの中学生はまた違うんだろうなっていう気もするのだけれど、少なくともあの頃の12歳はそんな感じだった、きっと。

別にとんでもない大事件なんか起きなかった。宇宙人も、未来人も、超能力者も出てこないし、況してや隕石が落ちてくるようなことなんてないし。

でも、12歳の世界にとって、好きな女の子に「好きだ」って言えるかどうかっていうのは、時に隕石が落ちてくるよりも大きな問題だったりすることもあるんだな。

あの頃の、あの「純度100%の『好き』のカタマリ」って一体なんなんだろうな。

なぜそうなのかという理由も問わず、えろい下心もなく、ただただ純粋な何かだった。あの頃のあれと同じ気持ちって、一生戻ってくることは無いんだろうな。

そんなことを考えていた。


インターネットの普及した現代のせいだ。俺はムクムクと出来心が湧き上がって、ついFacebookを立ち上げて、検索窓にあの子名前入力してしまった。

便利な社会残酷だ。もの10秒だった。この長い長い時間は何だったんだっていうくらいあっという間に、あの子がそこに存在しているのが見つかった。

どこからどう見ても、間違えるはずもなく俺が知っているあの子の顔がそこにあった。

あの時の歳の何倍もの時間が経って相応の歳の女性になってはいたけれど、変わらずちょっと気が強そうな美人だった。

その写真を見て、今まで薄々感じながら自分に気づかないフリをしていたことにやっぱり気づいてしまった。

俺はどうやらその後の人生において、好みのタイプだとか、好きな芸能人だとか、そういった気持ち基準が、すべてあの子になっていて、いつも面影を追いかけていた。


の子は、独身だった。

からだっていうことはない。

そんなことをしていたらハッと我に返って、今度はとても自分気持ち悪くなって、そっとその画面を閉じ、Facebook検索履歴を消した。

子供の頃、初めてあの子の家に遊びに行った時に一緒にコースを作って遊んだエキサイトバイクのプイーンというBターボの音と、出してもらった麦茶の味と、あの日グイッと引っ張られたシャツの裾の感覚がぐるぐると回って、それからゆっくりと消えていった気がした。

もう、検索することはきっと二度と無いだろう。


そんなこんなで挙動不審になりながら「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を3日連続で観に行こうとしていたら、今年中学1年生の息子が、あーあれ俺も観たいんだ、一緒に行くわとかなんとか言ってついてきた。

映画を観終わったら、息子が

「何だよ、めっちゃいい映画じゃんか。何で評判イマイチなんだよ。俺すげー好きだよこれ。」

と言った。


オッケー、わかったよ。

君がそういうなら、俺はもう、それでいいよ。

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170808203656

大学生の時、講義で「どうやら文科省の方で道徳が教科化される動きが出ている」っていうのを聞いた

国語数学道徳も同じ「学校で受ける授業の時間」だが、道徳は「教科」ではないので点数や成績をつけないし教科書別に必要じゃない、何年生に何を教えるかも決まっていない、国語数学よりホームルームなんかに近い存在、みたいな説明を受けた(数年前なのでだいぶうろ覚えだが)

もし道徳が教科化されたら、国語数学のようにテストを行い、点数をつけ、通信簿に成績をつけ、他の教科みたいに内申にも影響したりするし、教える内容も自由じゃなくなる、というのも聞いた

それはまずいんじゃないか?と思っていた時、ヤフーニュースか何かで道徳の教科化の話が取り上げられ、まとめ等でも少しだけ話題になりコメントもついていたが

この「教科化」という言葉がネックだった

からずーっとどの学校でも道徳の授業は行われているのだが、「教科」じゃなかったものを「教科化」しようという話なのに、道徳の授業を「やらない」から「やる」ことにしよう、という意味ととらえている人が多かった

「え、今時の小中学校って道徳の授業がなくなっちゃった!?道徳の授業ってやるかどうか義務付けられてなかったの?これだからゆとりは道徳の授業はやるべきだ!道徳の教科化、さんせーい!!」

こんなコメントばかりで、大変だー、このままじゃ道徳の授業でテストをして点数をつけることになるらしいぞー!みたいな声はほとんど挙がらなかった

しばらくして、大して炎上もしないままつつがなく道徳の教科化が決定され、それからようやく「なんか道徳で成績をつけるらしいぞ!?」という声が挙がり始めた


増田国会話題にされるような時代だし、まだ話し合いの段階でネットで大大大炎上してたら道徳の教科化はポシャってたかもしれないなーと時々思う

2017-07-04

普通人生

自分は、小さい頃からプライドが高かった。一人っ子というのもあり、自分に都合の良くないことが大嫌いだった。幼稚園小学校低学年のときはそれでも楽しかった。ガキ大将のように好き勝手に行動しても、勝手についてくる人はいたし、そんな人間を好きになる子もいたのだ。でも、そんな人間が好かれ続けるわけもなかった。それは小学六年のことだった。今までのように好き勝手に行動していたが、それが気に入らない人間はもちろんいる。端的に言えばいじめにあった。相手は隣のクラスのものだった。そのクラスリーダー存在たちから嫌われ、無視悪口を言われ続けた。中学に上がり、自然いじめはなくなったが、あのいじめによってその時自意識というもの意識したのだと思う。自分は、小太りで容姿も下の中、運動がとても苦手だったが、それをはっきり意識させられたのがあの頃だったと思う。女子の陰口でそのことを言われ、とても傷ついたことを覚えている。中学は隣の小学校の生徒とおなじになる。今まで、小学生の頃は小さい頃からの知り合いだったため好き勝手にしても友達でいられたが、中学で初めて会う人間はそうではなかった。容姿面白さが何よりも重要自分にはそれがなかった。いじめによって嫌われることが怖くなっていたのも相まって、なんとか面白さを手に入れようとして、いわゆるキョロ充になった。他人の顔色を疑い、会話中にはすぐ笑う。そうしていろいろなグループとなんとかやっていった。しかしそんなことをしても得られるのは薄い知人関係であって友人ではないとしるのは卒業する直前だった。

高校入学し、また容姿面白さにより決まるカーストと戦わなければいけなかった。中学とは違い、もともとの知り合いがほとんどいなかったため、そのカーストに勝つことはできなかった。無為なことはわかっていてもどうしようもなく、キョロ充に甘んじていた。それが2年まで続いた。カースト上位に行くために自分に残されているのは勉強だけだとこの時おもった。そして、三年になり、勉強に打ち込んだ。しかし、3年は最悪だった。自分のことを嫌っている体育教師担任となり、小学生以来のいじめをうけた。席替え自分だけ教卓の前固定でくじすら引かせてもらえなかった。また、受験勉強をはやくから頑張っていたのだが、毎日ホームルームで「運動せずに勉強ばかりしているこいつは気持ち悪い、そう思わないか?」ということを担任がふざけ半分で言い、笑いを取るということが当たり前になっていた。たちの悪いのが、自分部活女子同意を求め、「女子気持ち悪いってさ」と異性をつかってけなしてきたことだと思う。当時は意地の悪い教師だと思うだけで、気にしていないつもりだったが、大学に入ってこの記憶が頭にこびりついて、どの女子容姿の悪い自分のことを気持ち悪いと思っていると感じ、女子を恐怖してしまうようになってしまった。

まあまあい大学に入り、それでカースト上位になったと自己暗示を掛けて今日まで生きてきたが、もうだめかもしれない。

見ないふりをしていて、気にしていないふりをしてたが、みんな当たり前に大学生を楽しんでいて、自分はただ学歴を得ただけで、それ以上のことをなにも成し遂げられていないことに気づいてしまった。ツイッターを見れば、高校の同期の自慢が目に飛び込んでくる。見なきゃ良いじゃないか、そう思ってもつい見てしまう。羨ましい。どうして彼らは当たり前のように友達を作り、当たり前のように遊び、当たり前のように恋人を作ることができるのだろう。もちろん、そうでない人もいる。でも、そんな人達自分世界を持っていて、特別不満があるわけではない。カースト上位に行きたいと思ったのは、そういった楽しそうな人たちを見てきたからだ。彼らになりたくて、そのためにカースト上位に行きたくて、学歴でそこに行こうとしたが、学歴を手にする満足感で、それ以上のことができずにいた。というより、学歴を手にすれば後はなんとかなるものだと思っていた。でもそんなことはなかった。それに気づいたのが今だった。皆に比べて自分はどうか。大学勉強楽しいとも思えず、サークル活動もせず、バイト塾講師のような割のいいただ稼ぐことを目的にしたものしかできず、出会いもなく、友達も作ることができず、日々無為時間を過ごすのみ。大学まで来て、何もできていない。誰にも相手にされず、ただただ空気となるだけ。サークルに入っていれば、出会いのあるバイトをしていれば、もっと学部の人に積極的に話しかけていれば、高校の頃に友達付き合いを密にしていれば、そういった後悔を毎日している。でも、もう取り返しがつかない所まで来てしまった。3年になり、もうすぐ研究が始まるし、新しい関係を気づくには時間がおそすぎる。何にも本気になれずこの学年まできてしまった。将来なりたいものがあるわけでもない。みんなが普通にしている普通人生を味わってみたかった。でも、普通のはずの行動が、自分にはまったく当てはまらない。どうしてそんなに簡単普通が手に入るのだろう。大体の人は、勉強恋愛バイト、遊びなんでもそつなくこなしていく。自分より劣っているところが何もない。どうしてそんなに当たり前のように行動できるのだろう。羨ましくて、妬ましくてしょうがない。このまま進んでいって、人生楽しいのだろうか。一番楽しいはずの大学生活がまったく楽しめず、これから先の長い長い人生を過ごしていけるのだろうか。年をとるにつれ、経験が当たり前になる。いまだに小学生から進歩のない自分がそのギャップに耐えきれるのだろうか。後悔してもしょうがないことはわかっているが、友人と恋人は欲しかった。かまってほしいし、承認してほしかった。最近、こうしたことをずっと考えている。一ヶ月ほど、夜なかなか眠れず、鬱々とした気分で自分人生いかにつまらないものかを実感し続けている。これは鬱なのだろうか、どうにかなるのだろうか、どうすればいいのだろうか。本当に死んでしまいたいが、自殺する勇気すらわかないのだから、どうしようもない。

延々と考え続けてしまう。思ったことを書いただけで、支離滅裂だ。文章すらまともに書けない。

どうしても誰かに聞いてほしくて書いたが、たぶんツイッターでの自分と同じくほとんど相手にされないんだろうと思うと悲しくて仕方がない。

2017-06-15

お父さんへ

父の日おめでとう。

今年はお父さんが私の父になって30年目の記念の父の日です。

お祝いにはウイスキーを手配しています。去年は竹鶴だったけど、今年はまた少し値上がりしてたかマッカランにしたよ。喜んでくれると嬉しいな。

今年は定年の年ですね。これからも元気に過ごしてください。

私はこれを書いている今も、この手紙をお父さんに渡しても良いものか、決めかねていて、今も迷いながら筆を動かしています

お父さん、高校生まで一緒に暮らした中でお父さんは私をずっと虐待してきました。お父さんはしつけと呼んでいたけれど、大人になった今、私は強く強く確信しています。あれは確かに虐待でした。

殴られたことは数え切れないけど、

私が最も印象深く覚えてるエピソードを3つだけ、ここで振り返らせてください。

私が小学生とき、隣のみんなが庭でBBQをしていて私はそれを物干し竿にぶら下がりながら眺めていました。隣の幼馴染と一言二言言葉を交わし、〇〇ちゃんもおいでよー!と誘われ、行く行くー!と答えた瞬間でした。私は頭に強い衝撃を感じて目がチカチカして気づけば地面に頭を抱えてへたり込んでいました。後ろを振り向くと真っ赤に顔を上気させたお父さんがゲンコツを握り締めたまま何かを怒鳴っていました。

あ、私殴られたのかー。前触れもなく突然殴られると、殴られたことに気づかないんだー。ショックのあまりでしょうか、的外れなことについて考えていたのを覚えています

隣のみんなも暴力行為に怯えてシーンと水を打ったように静まり返ってしまっていました。私はその時は体と心の痛みよりも、殴られたことを他人に見られたことがとにかく恥ずかしかった。今解析すると、恥ずかしい、というのは「こんなに雑に扱われている価値のない私」であることがみんなにバレてしまって恥ずかしい、「こんな酷いことを出来るお父さんが私のお父さんであること」が恥ずかしいということです。当時は後者しか思いいたりませんでしたが。

私が小学生とき、6、7人くらいの大勢が私の家に集まってワーワーキャーキャー騒いでいました。平日の疲れを取ろうと遅くまで寝ていたお父さんをうるさくして起こしてしまったのでしょう。見るからに不機嫌な顔で二階から起きて降りてきて、廊下私たちとすれ違いました。

不機嫌なお父さんの顔を見て友達が私に聞いてくれたのです。お家の人、大丈夫?と。友達の前でカッコつけたい私はこのようなことを言いました。全然平気だし!お父さんがちょっとぐらい、うるさがろうが気にしないで大丈夫だし!

まさか階段を降りてすぐの洗面所でお父さんがその返事を聞いてるとも思わずに。お父さんはすぐに怒鳴りました。「おい、〇〇!!今すぐ降りてけ!!」そして洗面所で私を殴りながら叱ります。「わいのあん親をナメくさった態度はなんよ!ふざくんのも大概にせぇ!!」友達にもすぐ帰って貰えと言われ、私は泣きじゃぐりながら二階に上がり友達に「もう今日はやっぱり帰ってだって」と伝えに行きました。恥ずかしかったです。友達の私を哀れむ目が私をより一層惨めにさせました。

私が高校卒業式の日。卒業式を終えて父兄と一緒に生徒が最後ホームルームクラスで受けていた時。私はガムを噛んでいました。バレないように奥歯で。悲しくて泣いてしまいそうで、わざとハスに構えた態度でそれを誤魔化したくてガムを噛んでいました。

お父さんは後ろから見てそれに気づいていたんですね。ホームルームが終わり、外廊下にいたお父さんとお母さんのところに駆け寄った私を躊躇なく殴りました。平手打ちゲンコツかは忘れましたが頭部を殴りました。少し小声で、でもしっかりと怒鳴ります。「わいは先生をなめちょんのか。ガムなんか食いやがって。」教室の中から美人サッカー部マネージャーの〇〇ちゃんが目撃して目を丸くしています。私は恥ずかしくなって一言言葉を発しないまま逃げました。追いかけてこないだけの分別がお父さんにあの時あって本当に良かったです。

....書いていて疲れてきました。とにかく私は、お父さんに何度となく虐待を受けたきましたし、かつそれを今日でもありありと覚えています

そう、覚えているのです。はっきりと、まじまじと。暗黙の了解として、虐待なんてまるでなかったかのように過去虐待のことも一度も我が家では会話に出ません。

でも、私は覚えています。お父さんも覚えているでしょ?

....虐待を受けながら育ったことで、私の中でとても大きく何かが損なわれてしまった。きっとお父さんが想像してる以上に私はとっても傷ついたし、歪んでしまった。でもね、私はそれをいびつな形だけどなんとか修復できたの。周りのサポートも借りた。自分自身努力した。私は今や人並み以上の生活を手に入れた。

それでいいと思ってた。もう過去のことは忘れて老い先短いお父さんに表面上優しくしてあげればいいって。お父さんのことを許す必要はないけど、どこかで区切りを付けて前を向いて進んで行かなきゃ仕方ないじゃん、って。暴力を受けたことじゃなくお父さんが私にしてくれたことに目を向けようって。今私がこうしているのもお父さんが大学まで出してくれたお陰だよね。ありがとうって。

あぁ本当に心の底からそう思えたなら。そしたらこんな手紙私はお父さんに渡す必要はなくて....とりあえず最後まで書いてから決めるね。

心理学者河合隼雄先生の本に書いてあったんだけど、「人を殴るのはいけないよ」と言われながら、でも殴られて育った子はやっぱり人を殴るんだって子供は親の言葉じゃなくて行動を見てるから。私も〇〇ちゃんをいずれ殴る日が来るのかな。そんな日絶対来ないって誓ってるけどでも、私は怖い。自分自身が信用出来ないから。

お父さんに今聞いて意味があることはなんで殴ったのか?じゃなくて、「今、私のことを『大切で尊重されるべき人間』だと感じてくれていますか?」かな。

あとはやっぱり謝ってほしい。無かったようなふりをしないで、出来ればタイムワープして過去の小さな私に謝ってほしい。貴方をないがしろにしてごめんって。粗末に扱って「「こんな理不尽な扱いを受けるのは自分自身価値がないからなんだ」って思い込ませてゴメン。大切で尊重されるべき〇〇ちゃんをそんな風に扱ってしまったこと、本当にゴメン」って。

あぁもうまとまりもないし何が伝えたいのか、これじゃわからいね。書けば整理できるかと思ったんだけどますます混乱してしまった。

急にこんなこと伝えられてびっくりした?悲しくなった?それともまた昔みたいに怒ってる?怒ってももう私のことは殴れないよ。残念?

お母さんを大事にしてね。

それでは。

カンニング告発したときの話

中学2年のころ、生徒に好かれていない数学教諭担任だった。教えかたは下手くそですぐにキレるからその評価は当然といえる。数学はわりに得意だった私も授業を真面目に受けようと思えないレベル。そんな中行われた1学期の中間テストはみなボロボロで、追加のテストをすると担任は息巻いていた。

テスト当日、朝のホームルーム直後1限の授業が数学だった。一旦職員室に戻る担任馬鹿男子連中は相変わらず騒いでいる。その中のひとりが教卓を漁って何かを見つけた。「おいここにテスト問題があるぞwww」。見つけた生徒も馬鹿だが置き忘れた教師馬鹿だな、馬鹿には関わらないほうがいい、私はそう思っていた。でもクラスの大半は違ったのだ。みんな我先にどんな問題なのかを見に教卓に駆け寄っていくではないか女子の姿も何人かある。おいマジか。カンニングする気か。即バレるのは間違いないのに。いやそれだけでは済まない。何もしていない私までもが疑われる。とばっちりにもほどがあるじゃないか

しかしここで彼らに「やめなよ」と言ったところで何になる。見た奴らがいたことに代わりはない。それはフェアじゃないし、点数に現れた結果バレる。仕方なしに私は職員室の担任に報告することに決めた。私が教室を出ていこうとすると、勘づいた真面目な生徒のひとりが本気かと言う。後からバレるほうがより悪いことになるでしょ?と押し問答をしていると馬鹿どもがこちらに気付いた。調子に乗るなとかチクるのは卑怯者だとか言っていた。忘れたあいつが悪い、あんな奴の味方をお前はするのかとも言っていた。その声を背に私は職員室に向かった。

置き忘れてますよと言うと担任は血相を変えて教室に駆け込んでいった。テストは中止、置き忘れた自分への反省もそこそこに、全体への罵倒説教に終始する担任だった。とてもではないが尊敬できない態度である。でもカンニングという汚名をみんなが被らなかったのだからマシだろう、私はそう思っていた。甘かった。その日からクラス全員による無視が始まったのだ。

やらかすような馬鹿無視するのは勝手にすればいい。でも真面目な女子から無視されるのは正直つらかった。チクリ扱いされるのはもっとつらかった。一時は何故か学年全体にまで無視が広がり、同じクラスだった人とは結局卒業まで話すことはなかった。担任に言わなければもっと良い中学生活だっただろう。

あのときの私はどう行動するのが正しかったのだろう。自問自答する。なにも私は正義漢を気取りたかったわけではない。やってもいないのに疑われたくなかっただけだ。でももしそれが全体から無視につながると知っていたら、残りの中学生活がボロボロになると知っていたら、定期テストでもなんでもない下らないテストのために私は職員室に向かっただろうか?

2017-04-08

新しい担任先生

高2になって新しいクラスになったんだけど、担任が新しく赴任してきた新任の先生だった

細身で身長170あるかないかくらい薄いソース顔で賢そうな顔立ちをしてた

私には響かないけど見る人がみたらかっこいいと思う人もいるんだろうな

始業式終わった後のホームルームで生徒が定番質問先生彼女いるんですか?」ってしたら

先生ニコニコしながら「私はアラフォーですが、ミソジニストなんですよ。興味があったら調べてみてくださいね」って言って

黒板に三十路ニスト× misogynist ○ って書いた(ちなみに先生の教科は英語

みんなポカンとしてたらここは笑う所で、笑いどころはーって説明し始めたからその様子がおかしくてクラスが笑ったんだけど

家帰ってから調べたら女性嫌いって出てきてちょっと怖くなった

進路とか決める学年なのに嫌なことされたりしないだろうか

HR最後性別はともかくこの学校の生徒さんはみんな好きですよってにこやかに話してた様子が思い浮かんだ

月曜から学校行くのきついなあ

2017-02-15

いじめがあればすぐ警察通報すれば解決という風潮

全面否定はしないのだが前提が間違ってる話が多いので一応ツッコミ

警察便利屋じゃないし冤罪にも慎重

なぜか警察が万能だと思われている。そんなのは幻想である

子供の言うことなんて二転三転して実の親でも聞き出すのが難しいのに子供証言だけで恐喝罪やら暴行罪で立件できたら世話ない。

冤罪危険性も非常に高い。ただの喧嘩なのにいじめられたなどと言って仲の悪い子を陥れるのなんてよくある話。

子供の頃に学校先生に嘘の告げ口をされて怒られた…とかよく聞く話である子供は嘘つきで利己である

なので警察も当然非常に慎重。万が一警察事情聴取の後に子供を傷つけて不登校になったりしたら完全に警察加害者になるからだ。

やってないと言われて言い張られるとはっきり言って打つ手はない。

周囲の子供の証言多数決人気投票になりかねないので参考程度にしかならない。

閉鎖された学校で誰から見ても間違いない客観的証拠が見つかるなら苦労はない。水掛け論である

監視カメラがあったって普通の会話や遊びといじめを線引するのは至難の業だろう。

結果被害届を出しても実際に立件される可能性は限りなく低いと思ってほしい。

立件されなかった場合残るのはいじめっ子と見捨てられたいじめられっ子が残る閉鎖された空間である

普通指導証拠は要らないが立件となると診断書ぐらいじゃ話にならない。プロ探偵を雇うぐらいは覚悟してほしい。

ここらへんは3月のライオンでも読んでほしい。

桐山林田教諭あかりさんが知恵や勇気が足りなくて通報しなかったのではないことが客観的物語を通せば分かるのではないか

被害者の子供の居場所を奪う

警察を呼ぶ。それはつまり担任だけでなく学校全体、他の父母、そして結果的には他のクラスメイトどころか全校生徒も巻き込むことになる。

当然警察聴取するのは親を通さなければならないので結果的に話は全校生徒と父兄に広がることになる。

半径数キロで暮らす子供にとっては学校とはほぼ世界のすべてである

それなのに自分トイレや校舎の影に隠れて密やかにいじめられていたことが世界中に露呈するのである

警察即刻通報派はこのストレスを軽視しすぎてるように思う。

実は自分いじめられた経験があるのだが絶対に親に言わなかった。なぜなら絶対に大ごとにされるからだ。

もしあの時親が学校に怒鳴り込んでホームルーム話題にされたりしたら自分はそれこそ命を断ったかもしれない。

そもそも学校中に知られることよりいじめのほうがツラいのならいの一番に告げ口してるはずだ。

いじめっ子以外の世界はいじめられっ子にとっては大切なのだ

経験ダメ父親子供いじめられてると知るとすぐに「じゃあ転校しよう」などと簡単に言う。それが子供を追い詰めてることも知らずに。

すぐに警察を呼ぼうと言うのはこういうよくいる育児に無関心で無責任父親対応と同じである

警察を呼ぶべきとき

ここまで書いておいてなんだが私は別に警察通報のすべてが悪いとは思わない。

ケースによっては通報すべき。ただ通報すべきケースというのは限られるというだけだ。

まず動かぬ証拠必要である最近多いLINEなどでのいじめ動画拡散なんかは完全にこのパターン

証拠となる動画いじめを表すコメント付きなのだから話は早い。

ただ被害者の親が手に入れられる可能性はたまたま他の父兄が見つけたとかクラスグループLINEで回ってきたのを幼馴染の子が両親に見せてくれた…等かなりレアケースになるだろう。

こういう明らかな客観的証拠を手に入れられ自分の子供が限界だと思ったなら転校を覚悟するよう子供を説得し通報することも選択肢だろう。

ただいじめ認定されたとしても別にいじめっ子死刑になるわけではないし、いじめ事実が広く知られて子供自尊心を深く傷つけることに変わりはない。

おまけ

もちろんこんな手もあるよ?ぐらいの選択肢の一つであればかまわないと思うが警察通報すれば解決!みたいな短絡的な声が多すぎる。

インターネットいじめが発覚したら警察に即時通報しろ!と言ってる人はたぶんいじめられっ子ではなかったのだと思う。

まりいじめられっ子、要は被害者気持ち乖離してるからである

もちろんいじめっ子は憎いし、なんとか罰を与えて矯正すべきである

ただ罰するためには被害者もっと傷ついても仕方ないと言わんばかりの声には黙ってろと言わざるをえない。

まとめ

結論として言いたかったのは警察への通報いじめに対する特効薬のように吹聴するのは止めてほしいと言うことである

通報有効なケースが稀にあることは否定しない。ただそれは千差万別多種多様いじめのごく一部だ。

いじめ特効薬などない。個別事象にいちいち知恵を絞って考える他ないのだ。

ネット上に『いじめ』についての情報は山ほどあるが、そのどこにも100パーセント解決方法は載っていない。

それぞれ立場性格も、関係してくる人間の配置も違う。

から、どのケースにも効く完璧な答えなんて出てこない。

からって、諦める訳にはいかねんだ!「答えが見つかんないから何もしませんでした」じゃ話は進まねえ

羽海野チカ3月のライオン』6巻より抜粋

特効薬なんてない。

考えもなしに何にでも抗生物質使ってると効きもしない上に良い菌も殺して体調を崩し最後には耐性菌で自分死ぬよって話と似ている。

めんどくさくても毎回考える必要があるのだ。

2016-12-14

[] msdbkm先生トばしすぎ

aukusoe「ス… スミマセン… その… 次は必ず…」

cider_kondo「次は無いよ今回でよく解った他のSNSじゃともかく俺のお気に入りにキミは必要ない」

aukusoe「…? !? そん… そんな… こ… 今回の事は本当にスミマセン、でも次は…っ 絶対… い… いいブコメを書きますから…っ」

cider_kondo「そうじゃない俺達は最高傑作が欲しいんじゃ無い最新作が欲しいんだよaukusoeくんお気に入りにとっちゃ間に合うブコメよりいいブコメなんて無いんだその上で傑作ならなおいいがどのみちキミを使う気はないよそれじゃ」

aukusoe「…っ 才能が無いからですか…」

cider_kondo「… 何…?」

aukusoe「才能のある人のブコメなら待つんですよね…」

cider_kondo「フー… おいっ」

aukusoe「だってだってそうじゃないですかっ。しょっちゅうオトしててもお気に入りワクを持ってるブクマカだっているのに…っ どうして僕だけ…?」

cider_kondo「いいかよaukusoeくんっ キミ達がバツ悪そうに回線切ったアトで俺達は脂まみれになって駆けずり回るんだっアチコチに頭下げて回るんだっブクマカーがブコメオトしても俺達がはてブ新着をオトすワケにはいかねんだよそんなコトが一度でもあれば俺たちのクビなんて簡単にとぶんだたった一度のヘマで路頭に迷うんだよ俺達はっ学生気分の抜けないお前等と違って… そうゆう責任を背負ってんだ社会人ってのはっそれでもお前等みてェのとサシで仕事してんのはお前等の情熱が伝わってくるからだろうがっその情熱をキミにはもう感じないと言ってるんだっ何が「才能」だっ 俺はインターネット20年メシ食ってるが誓ってもいいぜブコメの才能なんてのには出会ったコトねェよっ 皆 情熱で書いてんだよっ素人同然のヘタッピがどうしようもねェ情熱ブクマカーになってくんだっ よそじゃ知らねェが「cider_kondoのお気に入り」は俺の物だっ 俺が気に入らなきゃ使わねェ くやしけりゃよそで俺を見かえしてみろっ

ヨォ… お疲れっ」

death6coin「お疲れさまです」

aukusoe「……っ ゆ… 夢だったんだけどなぁ… …ブクマカーになるの…」

death6coin「ブクマカーになるのが?僕が出会ったインターネットユーザーは皆口々に言う… 「今はネットなんか書いているがいずれは…」と… 「ネット落ち」「ネット抜け」とゆう言葉もある… かく言う僕もいずれネットよりはるかに巨大な市場を持つ単著へ打って出るつもりです… 「応援してください」「頑張ります」と言いながら誰もどこかでインターネットを恥じているっ それで当然と… そうゆう業界なのだと思っていました… aukusoe先生発言は新鮮で衝撃的ですがとても信じられない… 本当にブクマカーになるのが夢だったんですか? ……」

aukuose「あ… えっとあの僕…いわゆる…「あの頃のオタ」ってヤツで…」


aukuose「death6coin先生… お歳は?」

death6coin「21です」

aukusoe「…っ!?

death6coin「何か…?」

aukusoe「いえっ… …その…今の世の中的には… 無かった事になってるみたいですケド…

僕等が学生の頃はヒドかったんです… いわゆる「オタク迫害」ってヤツで…

当時を知らない人にはなかなか信じてもらえないケド… たとえば学校で「オタクだってレッテルを貼られると… 殺されてしまうんです」

death6coin「…? ハハ…」

aukusoe「も… もちろん追いたてて吊るされるワケじゃないケド でも… 似たような恐怖は毎日感じてました

…当時は全国でイジメを苦に自殺する子が大勢いて新聞TVでそうゆニュースを目にするたびに思いました…

「ああ… この子きっとオタクだったんだな だから皆にイジメ殺されたんだ」って…

もちろん想像ですその子の事は何ひとつ知らないし …事件の背景を調べたりしたワケじゃないですから

ただ… そうゆう考えが自然に頭に浮かぶくらい… 当時の僕等の状況は苛酷だったんです

…どうしてそんな風になってしまったのか原因は判らないケド… 最初にはじめたのはきっと大人達だったと思います子供って大人マネしかしませんから

よってたかってトイレボコボコにされた後便器に突っ込まれた上ばきを履いて教室に戻ると… ホームルームで… ハ… 議題が「イジメについて考えよう」なんですよっ

彼等の瞳には自分人間の形に映ってないんだと気付いた時には恐怖で凍りました「このままだと僕もイジメ殺される」って…

いやあ… 父親の転勤で転校決まった時はうれしかったぁ… 学生時代で一番うれしい思い出かもっ ハハッ

転入した先では「かくれオタ」になりました卑怯なコトかもしれないケド当時の僕にしてみれば生死にかかわるコトだったんです… 教室では他のクラスメイトと同様にアイドルファッションモータースポーツに夢中のフリをして

自宅に帰るとアニメ声優ラジオを聴いたりアニメ誌やマンガをむさぼってましたもっとも当時は家族にすら白い眼で見られてたから家の中も安息場所じゃ無かったケド…

内でも外でも気が安まらなくて疲れきっていた頃です…

インターネットで、はてなブックマークを見て…

当時大好きだった「バーチャルネットアイドルちゆ12歳」そのものキャラクターあられもない姿にもうもの凄く興奮しました

でも…

それよりも

はてなブックマークブコメがあって」

http://b.hatena.ne.jp/entry/tiyu.to/other/April_2009/

aukusoe「…今思えばバカバカしいです。そのブクマカーにだってたいした意味は無かったと思います

でもっ

毎日ビクビクして… 自分を偽って…っ 家族にまで白い眼で見られて僕はっ

ヘトヘトになってた僕は……

涙が出るほど感激したんです「なんて勇気のある人だろう」って… こんな時代にっ… きっと たくさんの人が見ているハズのブクマページの中にっ

「これはえろい」って

ネットのっ美少女が… 「今年一番の病気」っ

「全部読んでしまった。そして勃ってしまった。」だなんて…

こん… こんな世界があるのか…っ

こんな…

こんな職業があるのか…って感動したんですよっ

続いて湧きあがってきたのは…

強烈な疎外感と羨望です

…こんな世界があるなら…

僕も入りたい…っ

僕も叫んで見たいっ

このブクマカーみたいに… 僕だって美少女が大好きだぞって…

アニメ漫画女の子が好きで… 僕はオタクだぞ… って

僕はHだぞ… って

誰かに向かって叫んでみたいな… って

……

…ブ」


aukuoe「ブクマカーになって…っ

お願いしますっ

あと1日… 1日ください… 絶対… 仕上げてきますからっ」

cider_kondo「フザケるなっ… もう使わねェと言っただろうがっそんなに書きたきゃよそへIDコールしなっ」

aukusoe「お気に入りに入らなくてもいいんです… いえっもちろん入る方がいいですケド…っ」

cider_kondo「人話を聞けっ」

aukusoe「「cider_kondoのお気に入り」でブクマカーになるのが夢だったんですっ ウソでもいいシダー・コンドさんが「待ってる」って言ってくれたら…っ僕は絶対に頑張れますっ」

cider_kondo「…のヤロオッ」

aukusoe「ブコメが気に入らなきゃ突っ返してもいい… あと1日待つって言ってくれたら…」

cider_kondo「甘ったれんなっ 一月かけて半分も出来無かったヤロウが… あと1日で何が出来るっ あきらめてよそへ…」

aukusoe「いやだっ お気に入りに入れる入れないはシダー・コンドさんが決めて下さいっ でも…

僕に出来るか出来ないかは… 僕が決めます

お願いします…」

cider_kondo「るせェ 1日だって待てねェと言ってるだろうがっ

半日… いや移動も考えて… 10時間明日の昼11時までに徳島ネット回線会社まで持ってくりゃ考えてやる

だが…

おいっ

……ちっ」

gnt「びっくりした…」

REV「仏心なんてらしくねェなぁシダー・コンドさん… 絶対間に合いませんよあの手の奴は」

cider_kondo「かもな… だからってしょうがねェダロ …好きなんだもんああゆ奴…」

REV「あ〜〜っ… もうちょっとスマートいかないんもんですかねェ毎回毎回」

cider_kondo「バカ言え工場機械が組み立ててんじゃねんだぞお前等もいずれ作るなら覚えとけよ

いい歳した大人がジタバタしながら作るから熱がこもるんだぜ

お気に入りってのはよ…」


msdbkm「……aukusoeさん…」

aukusoe「はいっ」

msdbkm「…っ aukusoeさん…」

aukusoe「おはようございます先生… 騒々しくて申し訳ありませんっ それと…

後ろ向きで失礼しますっ なにしろあと7時間で… セルフスターけが9ブコメ文字ピッタリ推敲20ブコメも残っているものですから

間に合わないかもしれません… いえっ間に合うハズがありませんっ

わははははっ

でもやるんですっ僕は…」

masdbkm「aukusoeさん…」

aukusoe「やらずにはおくものかっ」

msdbkm「aukusoeさんっ」


msdbkm「オタクなのは悪いコトですか?

オタクだと

怒られたり

笑われたり

イジメられたりするのは

…っ

何故ですか?!

何故ですか…

何故ですかっ

どうしてですかぁっ」


aukusoe「皆はバレるのが恐いんです

本当は

何よりも大切な事ですっ

オタクなコトはっ」

2016-10-13

昔好きだった人が死んだ

30代中頃の男です

昔好きだった人(中学生の頃の同級生女子)が、数ヶ月前に亡くなりました。

語る相手もいないのでなんとなく書いておきます

中1の頃、初めて女の子から好きだって言われて

当時俺もその女の子のことが好きでした。

じっと人の目を見て話してくる子で

背筋の伸びた姿勢の良い女の子だったな。

放課後ホームルーム直前に

彼女「T君の好きな人教えてよ」(それまでも、休み時間にこのくだりは何度かあったが、お互い言ってなかった)

俺「・・・いや無理だよー」(目の前にいるから言えないな)

彼女「じゃあ、私が先に言ったら教えてくれる?」

俺「・・・それなら、いいよ」(誰であってもいいやと、はらをくくって)

彼女「T君」

俺「・・・」(おどろいて一瞬時間が止まり

俺「俺も、Kさん

ちょうどそのタイミング

先生「じゃあホームルーム始めるぞー」

ってことがあったな。

それで、その後すぐに1回告って、つきあって欲しいって伝えたけど、ダメで。

相手がなぜだめだったのかを、告った緊張で当時聞き漏らしたが、その後も暫くは好きでいてくれたようだった)

はずかしくて話ができなくなって

なんかいろんなことどうでもよくなって、クラスのみんなから下ネタで笑いをとるような男になってったな。

高校の時にもう1回告ってフラれて。

最近どうしているかなーなって、たまに思い出してたんだけど。

つっても同窓会以来で10年以上会ってなかった。

告別式に参加した友達の話だと今は3児の母だったらしい。

家で心不全で突然倒れたんだと。

旦那が家に帰ると、倒れてて間に合わなかったらしいが、その時、幼いこどもは近くにいたのだろうか。

なんで彼女・・・。命ってほんと儚いな。

たまに彼女笑顔を思い出してみよう

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