はてなキーワード: 放課とは
今日は久しぶりに晴れて、溜まっていた洗濯物が一気に片付いた。喉が渇いて、近くの自販機にコーラを買いに歩いた時、今年初めて『真夏の空気』を感じた気がする。体全体に容赦なく熱い空気がまとわりついて、何かの拍子に堰を切ったように汗が流れてきそうな感覚だ。
毎年、この感覚を初めて感じる時、決まって小学生高学年の頃の記憶が呼び起こされる。夏休みが始まって少し経った、学校のプールの日の事だ。
僕達の小学校では夏休みに入ると、週2回ほどプール登校の日があった。通常の教室授業は無く、学年別にプールに直接集まり、終わったらそのまま放課となる。水温や気温が低くて中止になる日は、国旗掲揚台に白旗が上がった。
地元は比較的暑い地域だが、その年は例年より涼しく、夏休みに入っても気温がなかなか上がらず、2階の窓から白旗を確認してがっかりする日が続いていた。ドラクエ、FF、ロマサガと家での暇つぶしには事欠かなかったが、やっぱり友達とプールで遊ぶ時間が待ち遠しかった。
そんな中、7月ももう終わりに差し掛かる頃にやっと気温が上がり、その夏休み初めてのプールが開催された。クラスメート達も、皆僕と同じような浮かれ気分でプールに集まった。水泳指導の先生もそれを察したのか、水泳練習の時間を早々に切り上げて大半の時間を自由時間としてくれた。ただの真四角な25mプールだったが、ゴーグルを付けて水中ではしゃぎ回るだけで時間は過ぎていき、すぐに僕達の学年の時間は終了になった。
更衣室では友達と午後遊ぶ約束をしながら、木製のロッカーを隔てた向こう側の女子の声に耳をそばだてていた。でも、窓から流れ込んでくる大音量のセミの鳴き声のせいで、内容はほとんど聞き取れなかった。
校門を出て、ビーチサンダルをパタパタ鳴らしながら家の方向に歩き始めると、正午を告げるサイレンが鳴り響いた。その音に驚いたように、電柱のカラスが1羽、はばたいていった。電柱のうしろの空はかき氷シロップみたいに青くて、雲は綿アメみたいに白かった。今日は夕立が来そうだな、と思った。
2つ目の角を曲がろうとすると、同じクラスのA子が立っていた。薄い水色の袖無しワンピースは、濡れた髪で肩のところが少し濃い青になっている。A子とは隣の席で良く教科書を見せてもらっていたが、夏休みに入る前の席替えで席が遠くなってしまっていた。女の子として意識する事は無かったけど、優しく透き通った声の朗読を近くで聞けなくなったことを、僕は少し残念に思っていた。
僕がA子に挨拶すると、A子は、少し言いづらそうに、「この後、うちで遊ばない?」と言った。
その時、響き渡っていたセミの鳴き声が一瞬止んだ気がした。僕は彼女の顔が見れず、2つに縛られた髪の片方を見ていた。僕は女の子の家なんて遊びに行った事が無かったし、高学年になってからは他のクラスメートからもそんなの聞いたことがなかった。僕は少し言いよどんで、「いや、この後○○の家に行く約束してるんだ」と言った。A子は、「そっか。」と言って踵を返し、こちらを見ずに「じゃ、バイバイ」とつぶやいて歩いていった。プールのシャワーで汗は引いていたのに、真夏の熱気が僕の全身を包んで、汗が吹き出してくるのを感じた。
A子とはその後、学校で会っても何となく気まずくなってしまい、一度も話す事が無いまま小学校卒業を迎えた。僕は公立、彼女は私立の中学に進んだため、その後会うことはなかった。
去年、当時のクラスメートB(男)と飲んだとき、久しぶりにA子の名前を聞いた。高校のとき学習塾でA子と再会し、共に都内の大学に進学した後2年ほど付き合っていたらしい。お互いのアパートに入り浸り、朝そのまま大学に行くこともあったみたいだ。
Bによると、彼女の家は当時複雑な事情を抱えていたという。小さな会社を経営する父親は外に女を作って家に寄り付かず、母親は自分が通うジムのインストラクターと不倫していた。両親とも幼い弟の方を可愛がり、A子はときに暴力を伴う厳しいしつけを受けていたらしい。
ところであの暑い日、A子は僕を家に呼び何をして遊ぼうとしていたのだろうか。夏の熱い空気を感じると、いつもあの日の事を思い出す。
JR、私鉄乗り継いで早朝出勤。コンビニで買った朝食を摂りながらメールチェック。
密閉を避けるため担当学年のフロアの廊下窓、教室窓を開けて回る。生徒による掃除もまだ十分には機能していないので、汚れていれば用務員から借りた掃除機で廊下を清掃。
職員朝打ち合わせ。全体の連絡ののち担当学年で生徒への連絡事項などを確認。
生徒入校開始。全生徒の健康チェックをしなければならないので担当数名で生徒が記入してきた体温などを確認。体調不良でなければ校内に入れさせて手洗い場へ誘導。発熱がある場合などは下校させる。
授業開始。
昼休み終了。管理職・分掌主任・学年主任会議。放課後の消毒担当箇所の配分のアンバランスさについて議論されるが、ポジショントークばかりだったり発言力がモノを言う雰囲気だったりに辟易し何か言う気も失せ、会議終了後は換気のために開けた窓を全部閉めCOOLに立ち去る。
放課、部活へ。自分もコロナ禍で運動不足なので生徒と汗を流す。
部活終了。次亜塩素酸ナトリウムを用いた消毒をしにゴム手袋を装着し雑巾2枚を持って自分のクラスの教室や部活で使用した部室等へ。机等を全部清拭する。
最終下校時刻。自転車の無灯火走行なんかのクレームが多いので正門で声かけ。
担当学年のその日の欠席生徒について発熱の有無や身体状況をまとめた報告と、教室を各担任が消毒したことを確認するチェックファイルを管理職にCOOLに提出。「姫、ご確認ください。」
部活の夏季大会の開催に関するメールを確認。コロナ禍で開催が危ぶまれた大会も感染予防のためのガイドライン付きで実施が可能になり、自校も会場校に。それを受け、他校の同僚からメールが届いてた。【タイトル】ばーか笑【本文】会場提供ごくろうさんですwwwwww
明日の時間割を見てなんとか乗り切れることを確認し退勤。電車で家へ直行、みっちり30分飼い犬に外を歩かせる。
就寝
前提として、以下の「会議」というのは職員全員による職員会議ではない。
平成12年の学教法施行規則改正により、職員会議は意思決定の場ではなく決定事項の連絡・伝達の場とすることになっていて、通常その前段階で分掌主任や管理職など一部によって構成される会議が設定されており、そこが様々な事項の調整・決定の場となる。自分はその会議の一員。
また、公立学校は通常「中央」からの通達・通知文を受けて動く。小中だったらその自治体の教育委員会、高校だったら県庁、都なら教育庁。
記憶に頼ってるところもあることも了承されたい。飽きなければ追記していこうと思う。
授業しながら生徒と「新型コロナウイルスやばいねー」なんて話してた。
2月頭のダイヤモンドプリンセス号を皮切りに国内で流行し始める。
この頃から職員同士でも「潜伏期間2週間だなんてもう我々ももらっててもおかしくないよね」とか言ってた。
時期としては3月頭からの学年末テスト、成績処理に向けて動いてる時期。
内容は「当面通学時間をラッシュと重ならないよう配慮する。具体的には10時登校、短縮授業して早めに返す。部活は禁止。学年末テストはやっていい。明日からよろしく。」
それを受けて午後の授業時間中に明日以降の時程を細かく決めて、保護者宛のお手紙を全校生徒分印刷して、明日からに備えてる。
生徒は10時登校。生徒にもテストはやる旨を伝えて6時間こなして放課。
さぁテスト作らなきゃねと残業していたところに、安倍首相による一斉休校要請の報道。
内容は「来週3月2日から春休み一杯まで、私立・公立に関わらず休校にすることを各自治体に要請」
たしか19時くらいだったかな。管理職もいないし、皆で「え、テストやれるの?成績どうやって決めるの?」「要請って何?どんなレベル?」なんてなりながら、その日は一旦退勤。
朝イチから校長が職員室に来ていて、会議メンバーのいる人だけで簡単に打ち合わせ。
「要はお上の決定を翌日さらに上から国がひっくりかえした形。国の要請には従うしかない。中央ではいま通知文を整えてるところだけど、大まかな方針は各校長に既に届いてるからそれに従って今日中に対応して欲しい。」
その内容は
こんなのが来た以上今日も授業どころじゃないので連絡文を急いで作って、授業潰して生徒たちにその旨を伝えて帰らせる。
お昼をまたいで臨時会議。正式な通知文を受けて校長が当面の対応をレジュメにまとめたので皆で確認する。
通知文には上記の他にも
などの事項があった。
この辺で課題になったのが、次年度用の教科書販売とかどうしようか、とか。学校によっては代引き郵送の学校もあるらしい。
この日の報道で安倍首相が「ああは言ったけどあれは基本方針であってまぁ地域の現状に合わせて柔軟に判断を」って発言して「なんやねーん」ってなったのを覚えてる。
それを受けて教科毎に成績をどうつけるか確認しあい、成績会議に向けて仮成績をつける。
その上で、このままだと単位未修得の恐れのある生徒は個別に呼び出して、課題を課すなどの対応を行った。
個別の対応に関しては、登校させる時間帯等に配慮すればいいよ、とのこと。
成績も教科内で決まっていよいよやれることがなくなると、一部の職員が時差通勤や自宅勤務をし始める。
卒業式。
「卒業生が入場します。盛大な拍手でお迎えください。」なんつって教員数十人しかいないのでもの寂しい。
けどまぁ保護者・来賓がいなくてかたっ苦しくない、アットホームな雰囲気の卒業式も、それはそれで良かった。
成績会議。実際単位未修得、場合によっては進級の可否に関わる、というような生徒は毎年いて、そういう生徒には学年末テストやその前後で頑張らせるんだけど、それもできないし、こんな状況だし、で最低限の課題クリアで認める雰囲気があった。
東日本大震災のときに似てる。あのときも「こんなときだから」という空気があった。
お上から通知文。来年度の入学式について、参列者は「保護者1名に限る」と。
新入生の入学説明会(今回の対応で資料の配布と教科書販売のみに変更)を控えていたので、急いでその案内を作成し、準備していた配布資料に詰め込む。
東京五輪延期発表。
修了式、離任式。
生徒は久しぶりの登校。こちら側も生徒の顔が久しぶりに見られて嬉しかった。
生徒は教室から動かないまま放送で式を実施、今回の新型コロナウイルスを受けた春休み中の過ごし方に関する注意を行い、今年度修了。
この日は休暇の教員も多く会議はなかったけど、校長は「もうこれでいくしかないからねぇ」って言ってた。
新規採用者は通常中央での集まり、初任者研修があるため初日からしばらくはこないんだけど、今回はそれも中止になったので学校に来てた。
教科でも顔合わせ。にしても休校になった以上今後の予定も立てられないので、分掌毎に今年度の役割分担を確認して終了。
また入学式も無観客試合にすることが決まったので、提出書類から急いでデータを打ち込んで住所録を作り、その旨のお手紙を新入生家庭に送る。
6日午前中って6日始業式で終わったら生徒帰るんですけどどうせえっちゅうねんという感じでこの日はお開き。
あとは高体連関係で6月までの大会や講習、総会なども全て中止する旨のお手紙も届いた。
始業式。うちでは2年と3年を午前午後で分ける形となった。
昼過ぎに管理職が職員室に慌てて入ってくる。「正式な通知文はまだだけど明日の入学式は延期」と。
WebサイトとTwitterアカウントでその旨告知して、あとは電話連絡もできるかという話になったけど新入生家庭全てに今から半日で電話連絡は無理という結論になり今日やれることはそこまで。
TwitterやWebサイトをみた保護者数名から問い合わせがあった。
それと前後して報道では「明日にも緊急事態宣言を発表する見通し」とのこと。
「入学式は延期としますが本日付で皆さんの入学とします」、「しばらくは登校日も設定できそうにないので以下の課題やっておいてください」という内容の送付物を新入生全員分作成し郵便局へ。
文書を作成している間に入学式が実施されると思った新入生が数名来たので謝って帰ってもらう。
すでに教職員の一部にも在宅勤務や時差通勤を実施しているが、校務に差し支えない範囲で全員原則在宅勤務とするようにとお達し。
部署ごとに会議を開き、今後の見通し(見通しなんて立ってない)を確認し、ToDoを洗い出し、必要な人数やスケジュールを共有して、翌日からの自宅勤務体制を整える。
「郵便物が届かない」「学校からの連絡受信に使うWebサービス・アプリの使い方がわからない」と数件問い合わせ。
自分は自宅だったので(家で出来る事なんて本当にほとんどない)週末明けに出勤して対応しますと学校に伝える。
出勤。
保護者から連絡サービス・アプリが使えない・繋がらないという問い合わせに答えているところに報道。まさに使っているその教育プラットフォームサービスを提供する会社が不正アクセスによるデータ流出があったと発表。そこから学校としての対応を問う電話もかかってくるようになる。
会議メンバーのうち出勤している人数名で集まって方針決めて、当分利用を見合わせる旨をWebサイトに掲載。
娘が休校の電話がかかってこないので学校に行かねばならんと言う。
台風が来ているし、このままなら午後から放課になるから休めば良いと言うも、クラスメイトや友達からズル休みみたいに言われるのが嫌だと言う。
親の言うことが聞けないのか、と馬鹿の一つ覚えみたいな押しつけはしたくないが、それに近いことを言い、従わせてしまった。
学校に行けなかったことで、とても落ち込んでいる。信じられない。
こちらが悪者にならなければ、こんな状況でも安全を選ばせることすら出来ないなんて、教育の敗北を感じてしまう、というのは言い過ぎだろうか。
そもそも当日の朝になるまで休みかどうかわからんというのも意味不明だが、
平成も終わろうとしている現代に、電話で連絡回してる上、回線がパンクして繋がらないのもふざけている。
それは、悪天候の中飛び出しても、自分たちは絶対に死なない側だという証左ではないと思っている。
ある程度の予測ができている事象について、最悪のケースを想定して大事をとらせるのは、そんなにも愚かな振る舞いだろうか。
今後もこうして悪者になり続けないと、もしもに備えることすら出来ないのだろうか。ひどく悲しくなった。
なろう版(同一内容):https://ncode.syosetu.com/n0012dq/
「遠藤さん。僕は、先週の水曜日に、遠藤弘美さんの上履きを下駄箱から抜き取り、廊下の角の水槽の中に隠しました。そして、自分でやったことなのに、誰か他の人がやったふりをして、自分でその上履きを見つけました。ごめんなさい。もうしません」
気持ち悪かった。男子なんてこんなもん、って思ってたけど、実際に自分がやられてみると、『こんなもん』じゃ到底気が済まない。私の上履きを、私が見ていないところで下駄箱からとって、それを水槽の中に入れた? こいつが? 自分が目の前にしているものを、到底受け入れられなかった。
でも、こう言わなければならないんだろう。
「いいよ」
せめて、ケン君に軽蔑の気持ちが伝わるように、自分にできる限り最大の軽蔑を込めた声色で、私はそう言った。でも、どうせ『素っ気ない』くらいにしか思わない。男子はそんなもの。まして、こんな変態に、私の気持ちがわかるわけがない。
お決まりの儀式が終わると、私はできるだけ無表情を保ったまま、席についた。
「園田君は、勇気を出して自分がやったことを告白して、三人にきちんと謝ってくれました。間違いは誰にでもあります。でも、間違いを認めて謝るのは、誰にでもできることではありません。園田君、ありがとう。そして、高橋さん、広瀬さん、そして遠藤さんの三人も、園田君の話をきちんと聞いて、許してくれてありがとう。人を許すのも誰にでもできることではありません。みなさんも、間違いを犯したり、悪いことをしたりして、だれかを傷つけたり、また誰かに傷つけられたりすることが、これからたくさんあると思います。そういうときは、高橋さん、広瀬さん、遠藤さん、そして園田君のように、間違いを認め、きちんと謝り、そして、誰かが謝ろうとしているときは、きちんとその話を聞いて、できれば許してあげてください」
くだらない。先生だって、「ごめん」の一言で許せることと許せないことがあるのはわかってるだろう。ただ自分がクラスを指揮したいから、こんな風にしているんだ。
「園田君、こんなことをしたのは、理由があるんですよね? それをみんなの前で話してくれますか?」
「クラスのみなさん、僕は、高橋さんと広瀬さんと遠藤さんの上履きを隠して、それを自分で見つけてヒーローになったつもりで楽しんでいました。豊島さんの上履きがなくなって、それを山崎君が見つけたとき、山崎君がみんなに褒められて、豊島さんに喜んでもらっていたのが羨ましくて、自分もああなりたいと思って、やってしまいました。みなさんを騙して、不安にさせて、それを今まで黙っていて、本当にごめんなさい」
どうして当事者じゃない他のみんなが、「いいよ」、「いいよ」と言っているのか。本当にくだらない。迷惑をかけたというけど、だったらそれは、当事者の問題をクラスみんなの問題に仕立て上げた浦木のせいだ。『先生』という立ち位置は、そんなに気持ちいいんだろうか。
周りのみんなを見渡して見ても、本心で「いいよ」なんて言っているやつはいないだろう。いや、ひょっとしたら、ケン君と仲良しのタッ君くらいは、本心かもしれない。
そう思って彼の方に目をやった時、私は自分の耳を疑った。
アヤちゃんだ。ケン君が犯人じゃない? アヤちゃんは、何かを知っているの?
次の瞬間、タッ君が立ち上がって叫ぶ。
「僕じゃない!」
状況が理解できなかった。
「犯人は……」
「だから僕じゃないって言ってるだろ!!」
「黙って。タカヒロ君疑ってな……」
「黙るのはそっちだ!」
「だからそうじゃないって言って……」
「うるさい!」
「私はケンジ君じゃないって……」
「違う、違う、違う! 犯人はケンジなんだ。それでいいんだ。ほら、本人がそう言ったじゃないか! あいつは、アヤネの上履きを見つけたユウヤが羨ましいって言ったんだ! 『ヒーローだぜ?』って言ったんだ! あいつは、みんなに褒められて、女子に感謝されるのが羨ましくて、自分で上履きを隠したのに、それをまるで、『俺は頭が良いから見つけられるんです』って言うみたいに、わざと知らないふりをして、自分で隠したのを自分で見つけて、自慢げに『先生、あった!』なんて言ってたやつだ! あいつは、表では優等生ぶって、裏では女子の上履きを盗む変態だ!」
そんな言い方しなくても、と心の中で言いかけた時、自分もそう考えていたことに気づいて、ゾッとした。でも、タッ君のいうことは間違ってない……はず。じゃあアヤちゃんはなんでケン君をかばうの?
「園田君待ちなさい!」
割って入るように先生が叫ぶ。思わず教壇に向き直ると、ケン君がいなくなっていた。状況に耐えられなくなって、逃げ出したのかもしれない。弱い奴。あいつは私の上履きが隠された日もこうだった。いや、隠された、じゃなくて、あいつが隠したんだ———アヤちゃんの言うことが、本当でなければ。
「みんなは静かに待ってて」
音の方に向き直ると、涙目のアヤちゃんがタッ君を睨みつけ、タッ君はほっぺを抑えて俯いていた。
「上履きを隠したのは、私なの!」
「マジかよ」
私にだって、にわかには信じられない。アヤちゃんが私たちの上履きを隠した? ケン君がやったって、さっき言ったばかりなのに。
私はあの時、ユッちゃんとアユちゃんと一緒に、体育館で遊んでいて、上履きは体育館の下駄箱に置いたままだった。アヤちゃんは、いつも一緒に遊ぶのに、あの時はいなくて、私が上履きがなくなっていることに気づいて、二人と一緒にギリギリまで探した後教室に戻ったら、自分の席に座ってた……ような気がする。だから、アヤちゃんにアリバイは、ない……の、かな。でも、アリバイがないのはケン君だって一緒……。
「私は、ユカちゃんと、アユミちゃんと、ヒロミちゃんの上履きを隠しました。でもそれは、三人が私の上履きを隠したからです」
はっとした。アヤちゃん、まさかあの時のこと……。でも、それは違う。
「アヤちゃんそれは違うよ」
私の思ったことをそのまま言ったのは、私の口ではなくユッちゃんのそれだった。
「何が違うの!? あの時私の上履き袋を持ってたのはあんたたちじゃん!」
そうだけど、と私が言う間も無く、口の早いユッちゃんが続ける。
「アヤちゃんが途中でいなくなっちゃうから、私たち、ずっと体育館で待ってたんだよ。でも、用具のおばさんがもう体育館閉めるよって言うから、仕方なく、アヤちゃんの上履き袋も一緒に持って出たんだけど、アヤちゃん戻ってくると思って、用具のおばさんに言って、上履き袋を体育館の入り口のところにおいておいたの」
体育館は普段、授業とか式典で使う時以外は閉まってるけど、昼休みに校庭が使えないときは、昼休みが終わる10分前まで解放してくれる。その日はちょうど、光化学スモッグ警報が出ていて、校庭が使えなかった。
「でも私、体育館に戻ってきたら、もう閉まってて、入り口に上履き袋なんてなかった」
アヤちゃんが嘘をついているとは思えなかった。でも、ユッちゃんのいうとおり、私たちは確かに、アヤちゃんの上履き袋を体育館の入り口に置いて教室に戻った。あとでユウ君がそれを見つけたのは、体育館のそばにある、西校舎の給食用エレベーターの脇だ。だから、アヤちゃんの上履きを隠したのは、私たちじゃない。
「私たちは体育館の入り口に置いたんだから、アヤちゃんが戻ってくるまでに、誰かが移動させたんだよ」
「じゃあ誰が!?」
……
「俺なんだ」
沈黙を破ったのは、ユウ君だった。
「は?」
「お前、自分が見つけたって言っといて、隠したのも自分だったの?」
「こいつがほんとのジサクジエンかよ」
ユウヤは立ち上がって言った。
「俺、アヤネさんに、良いとこ見せたくて……ごめんなさい」
信じられない。こいつがアヤちゃんのこと好きなのは薄々知ってたけど、上履き隠して見つけたふりしてポイント稼ごうとするなんて。
……
「黙って!」
アヤちゃんの声。
「へーんたい……」
「私、嬉しかったのに……」
教室に先生が戻ってきてからは、みんな何も言わなかった。先生がいない間にわかったことは、アヤちゃんの上履きを隠したのがユウ君だったってこと、ユウ君はアヤちゃんの気をひくために、自作自演をしたと言うこと、私とユッちゃんとアユちゃんの上履きを隠したのは、アヤちゃんだったってこと、アヤちゃんは、自分の上履きを隠したのが私たちだと思い込んで、仕返しのつもりでそれをやったこと。わからないことは、どうしてケン君と仲良しのタッ君が、ケン君を犯人だと言ってあんなにキツく罵っていたのかと言うこと。
先生はそのままホームルームを解散して、放課になった。ケン君が犯人じゃないってアヤちゃんが叫ぶのを、先生は確かに聞いていたはずなのに、何も言わない。結局先生は、偉そうなことを言って私たちを指揮することにしか興味ないんだ。
放課後、アヤちゃんと話がしたかったけど、ユウ君と何か話してたから、また今度にすることにした。アヤちゃんだって、被害者なのはわかる。でも、自分の思い込みで私たちを一週間も振り回しておいて、まるで自分ばっかりが悲劇のヒロインみたいなあの態度は、ちょっとムカついた。何も水槽に入れなくたって良いのに。自分のは、上履き袋に入って出てきたくせに。
ユッちゃんとアユちゃんにバイバイした後、駅の近くの電話ボックスに向かった。ケン君にはちゃんと伝えておかないといけない。ママにもらったテレホンカードは、まだまだ度数が残ってたはず。ママの前じゃなく、落ち着いて話がしたかった。
高校の頃、学校が大嫌いで行きたくなくて、でも親は絶対辞めさせてくれたり単位制に行かせてくれたりするような理解のあるタイプではなかったので、一年の終わりごろに決心して、二年の頭から一ヶ月休んだ
親には無断でね
両親は働いていて、うちは田舎だから毎朝母親が通勤がてら駅まで車で送ってくれる
そしたらあとは放課の時間までひたすら時間をつぶし、午後5時ごろになったら地元の駅まで帰り、母親に電話をして車で帰宅する
そういう一ヶ月だった
もちろん担任から家に電話があるわけだけど、うちはナンバーディスプレイを導入していたから、市外局番が違う電話はなるべく自分が取った
「子どもに言い聞かせますから! すみませんでした!」とか大人が電話でしゃべるような甲高い声で言うと、先生は気づいていたのかもしれないけど、黙って納得したふりをしてくれた
そういう電話を受けたら、学校の職員室に行って先生とちょっとしゃべる
でも次の日はまた行かないで、ヨーカドーとか公園とか、病院とか市役所をフラフラする
母親が作ってくれた弁当は、毎日公園とか駅の電話ボックスで一気に食べる
悲しいよ
朝は学生がいっぱいいるので通学するふりをして、学校を通り過ぎて公園で座る
真面目な学生っぽい見た目をしていたから、大人に声をかけられたら「今日はこれから病院に行くために早退して、今は親が来るのを待っている」とか言えばたいてい納得してくれる
田舎だから道を歩いている大人なんてほとんどいなくて、それは助かったな
携帯なんて持っていなかったから親にはつかまらないが、時間をつぶす術もない
ただボーっと座っているだけ
当たり前だが、結局親に見つかって7時間も正座で怒鳴られて、学校に行くことになったけどね
でも無断早退の常習犯になった
先生たちにはその場にいるだけでつらいということが判らないから、ひたすら「いるだけでいいから! 勝手にいなくならないで! せめてひとこと言って!」と言った
今なら先生の気持ちがよく判るけど、当時は「先生に帰りたいですと言ったら帰らせてくれるのかよ」と思っていたし他人としゃべることすら嫌だったから、無断で帰る
帰ると言っても、帰ると何よりも恐ろしい親にバレるので、やっぱり公園やヨーカドーをフラフラする
そして何事もなかったように地元の駅から親に電話をして、車で帰る
ひとりではできないことが多い体育なんか地獄でしかなくて、一度も参加しなかった
うちの保健室は先生がギャルみたいな茶髪できつめのメイクをしている人だったから、間違っても私なんかが近づける場所ではなかった
だから誰もいない教室とか、図書室で司書の目を盗んで隅っこの床に座っていたりした
トイレの個室で弁当を食べるのも何度かやったけど、あまりに悲しくなるので、弁当は食べずに持ち帰り、部活で腹をすかせた妹と分け合って食べた
悲しい理由は「みんなと同じように当たり前のこともできない自分は生きている価値がないのではないか」とかそういう感じ
一日で終わる遠足は参加しないで親にごまかしたが、二泊三日はごまかせない
無理やりおとなしそうな子達のグループに放られた
自分が行くのも嫌だったし、真面目でおとなしくて地味めのグループだとしても、クラスの腫れ物扱いだった私を混ぜられてしまった子達をかわいそうだと思った
だから修学旅行の計画から帰るまで、ずっと気を使って明るく振舞った
興味がないからね
そのあと、なんだかんだで卒業することはできたので最終的に「親が言ったことは間違ってなかったな」とは思うけど、私にもっと度胸があったら死んでたかもしれないね
なんたってなにがつらいのか自分でもよく判らないから、大人に「なにが嫌なの?」とか問い詰められても答えられないのがもっとつらかった
体育から逃げることを問い詰められて「この場にいるのが嫌だ」と言ったら「建物が嫌なの?」とか見当ハズレのことを言われて、もうなにも言うことはないなと思った
別にクラスメイトなんて名前も知らないし全部背景なので、嫌いな奴もいないしいじめられるわけでもない
勉強は嫌いだったけど、休み時間にひとりになるよりは、ずっと机に座っているだけで許される授業中は嫌いじゃなかった
友達がいなくてひとりなのがさびしい気持ちももちろんあったんだろうけど、たぶん「みんなが楽しそうに休み時間を満喫しているのに、自分はなにかをしゃべる相手を作ることすらできないダメなやつ」みたいな思考に陥るのが一番きつかった
4月から1ヶ月学校を休んだもんだから、2年生のころはクラスにひとりも友達がいなかった
今思えば、バイトをすればよかったなと思う
卒業してから、進学のために家を出てバイトを始めたら、世界が変わった
学校と家庭だけがすべてじゃなくて、親と先生以外の大人と触れ合ったり、他の学校の学生、自分よりも年下の学生、すでに働いている同世代がこの世にいるんだと思ったら、ちょっと楽になった
いろんな奴がいるし、親も人間
「親は私のことなんか判ってくれない」と思っていたけど、自分だって親のことなんか判ってなかった
そりゃあ、別個体からね、当たり前なんだけど、当時の自分は気がつかなかった
向こうから見たら中学まで自慢のいい子で通した私が急にこんなことになったら「まさかお前がこんなことをするなんて思わなかった」って絶望的な顔で言っちゃうよね
私にはその言葉が一番こたえたけどね
お宅の子どもなんかたいして優秀でもないのに、自分たちの娘は天才だと信じていた両親は「1位以外は意味がない。ビリと同じ」とよく言っていたけど、実際そうでもないから1位どころか100点だって取ったことない
30過ぎてから、一緒に酒を飲んだ母親から「うちはひとりも子育てに成功しなかった。全員失敗作だ」とか言われちゃってさ
でももう自分も大人だから「3人も子どもがいて全部失敗なんて、よっぽどアナタたちはダメな親なんだね」と思える程度には自分と親を切り離して考えることができるようになった
そんなこと絶対言わないけど
好きな時間に寝ていいし、学校が嫌なら落第しない程度に休めばいいし、バイトがめんどくさくなったら誰かにシフトを変わってもらうこともできた
まあでも、高校時代の自分はこの世のすべてを信用できなかったから、バイトなんか絶対しなかっただろうけど……
ネットなんかうちにはなかったから、こういう汚いことを考えているのは自分だけで、すごく異常なことなんじゃないかみたいな気持ちになった
19でネットを覚えたら、自分みたいなダメなやつもこの世にいっぱいいたし、それに気づくだけで全然違った
18までの自分はチュートリアルで、19からが本当の自分になったなあと思う
もし自分が高校生のころに、バイトをしていて、家にネットがあったら、もうちょっと違ったかもしれない
よくテレビで見る不登校の子は、学校に行きたくないと言ったら家にいても親が何も言わないっぽいけど、それほんとうらやましい
いいって言われてるんだから、好きなだけ堂々と休んだらいいと思う
うちは不登校がバレたとき、ふすまを投げつけられて、竹定規で殴られた
はあ、まあ、ダメな親だけどさ、それでもなんとか生きてる
あんな親でも生きていける世で、私が生きていけないわけないよってね
色んなことに報われない人って沢山いると思うけどその中の一人に私がいて、まぁ苦労自慢ってわけではなくとりあえず整理整頓したいからここに書こうと思う。何か報われる方法があったら教えてください。
とりあえず私は報われない
保育園年中のとき お昼を食べるのがめちゃくちゃ遅くて、そしたら先生が突然わたしのデザートをとりあげて友達にあげてた。ゆるせないままだった。
なんか覚えてないけど私がその子にタヒねって言ったらしくその子が来なくなって誤り行った思い出があるけど、悪いのは私じゃなくて先生じゃん?って思う。
小学校2年生の時に親が離婚した 当時私の中でしょうもない嘘をつくのが流行ってて、父が仕事から帰宅した時に「おかーさん明日出て行っちゃうんだってぇ」なんてバカみたいな嘘ついてたら翌日それが本当になった。 母が言うには私の言ったことでなんか色々怖くなったかららしい。
その前から家の中は不穏だったし喧嘩なんてほぼ毎日。私と、双子の妹が居ようが居ないがお構いなし。結果母は鬱病になって私たち子供を連れてナチュラルに家出した。夏休みの事でした
小学校四年生のとき 授業でわたしのかいてたものをクラスの子にバカにされたかんじがして、聞いたらキレられて「殺す!」とか言われた。担任にチクったけどこの担任がすごぶるクソババアで、放課~次の授業の最初あたりまで教室で話し合いしてた。次の授業は体育で外だったんだけど、授業はじまる時にみんなに向かって「バカのせいで授業が遅れたわ」とかいっててタヒねって思った。
小学校6年生の時に母が再婚した お見合いに会員登録してめかしこんだ写真撮って女性はお目当ての男をひたすらサイトで探す方法だった。
妹たちとうわーこの人動物園の飼育員だって~とかこの人年収○○○円ある!とかきゃいきゃいやってたのを覚えてる。結果再婚したのは有名企業のちょっと言えないところで働いてるぶっさいくでどもりのあるクソ男だった。私と妹たちはこいつがしぬほど嫌いだった。私より一つ下の男の子がいたけどこっちは性格がすごぶる悪かった。育ちが悪いってこういうことかーなんて考えながら、めちゃくちゃ楽しかった小学校と大好きだった先生と友達にさよならして都会から田舎へ引っ越したけどそこからめっちゃ地獄。現在は引越し前の所で住んでるけど、もう田舎なんて一生住みたくないと思ってる。 小6の夏休みは暑いし友達いないし行くところもないし本当に毎日無駄だった。
転校初日にクラスの男子に「○○○市とか、都会じゃん!」って言われて田舎乙とか心の中でめっちゃバカにしたよ
中1 なんか友達いないわけじゃないけど二人グループ作れって言われたら残り物になるようになった。同じ時期に田舎に引っ越してきた子は輪に入れてるのに自分だけ外野感。皆がやりたがらない委員会を買って出て、それが生活安全委員っていう毎週特にコレを気をつけるみたいな規則をつくってそれをクラスの人間に守らせる委員会だった。
任された仕事は徹底的にやる主義だから一生懸命にやって、だから達成できなかった時はめちゃくちゃ怒った もう一人の生活安全委員は全然働いてくれなくて、皆私にあんまり近寄らなくなって、話を聞いてくれる相手がいる人間を心底恨んでた。この時の担任はめちゃくちゃいい人だった。
あと学校の書道大会で銀賞取った。金じゃなくて銀かよって思った。
父のところへ帰りたくて夏休みの間に泊まりに行ったけど、そこから帰ったら母の機嫌はめちゃくちゃに悪かった。たまに父と会うけどその日の母はバカみたいに機嫌悪くてほんとしょうもないクズだなぁって思ってる。
中二 クラスに絵がまぁまぁうまい子がいた。ここまで言ってなかったけど私は絵をかくのが好きで、保育園年長で絵の上手い子がかいてるの見て「いいなー」って思ってたけど小学一年生のときに「りぼん」を読んでから将来の夢は漫画家だったくらい。ちなみに小一の時に授業でかいた遠足の絵が選ばれて階段の壁?に貼られてめちゃくちゃ嬉しかったのを今でも覚えてる。 で、まぁこの上手い子が担任にも贔屓されてて、私はというと特に仲のいい友達もいないしまた生活安全委員やってまたもう一人が働かなくてって感じで毎日死んだ顔してた ついには泣いた 一生懸命やってるのになんでお前はやらねーんだよ何正義感ありありで立候補しといてやわねーんだよって感じ。
文化祭でうちの学校は有志のかいた絵から一枚選んでそれを全学年ででっかいモザイクアートにするんだけど、それに私と上手い子が応募した。私は賞なしで上手い子は賞もらってた。 ていうかここまで上手い子ってかいてるけどそこまで上手くない。わりとマジで。
中3 家を追い出された。実父に迎えに来てもらって、1ヶ月くらい実父の彼女の家で住んでた。一晩とまってから学校に行って、ちょっと話して、先生に母から電話だよ、持ってきて欲しいものを聞きたいみたいって電話変わったら「なんで学校に来るんだよブツブツブツ」って話されて怖くて何も言わずに切った。受験生で夏休みだけど補習もあって、高速で往復2000はかかる道のりを送り迎えしてもらったり服を買ってもらったりした。彼女さんはとてもいい人だったし結婚しちまえと思ったけど中国人だったから祖母と祖父が猛反対してだめらしかった
小6から、クソ義父に祝われたくなくて一切拒否してた誕生日会をこの時彼女さんと実父とで久しぶりにやった。
なんでかしらないけど父の財布からお金を盗んで色んなものを買い込んでた。お父さんごめんなさい。母にお金を使い込んでた事が帰ってからバレたとき一緒に嘘ついてくれた。きっと盗んでること知ってると思うけど何も言われなかった。
夏休み終わるちょっと前に母から謝罪を受けて戻ったけどここで戻らなきゃ良かったってずっと思ってる。
あとスケッチ会で初めて賞をもらったけど銀だった。うまい子は金だったけどぜんぜんうまくなかった。
高1 いろんな人間を説得して押し切ってデザイン系の学校に通うことにした。田舎の学校はいやすぎて○○市の学校にした。といっても公立はなんか受かる自信ないし受けるの面倒だしってクソみたいな考えしてたから私立の落ちこぼれ校みたいな所に入った。まぁまぁうまい子もそれなりにはいたけど皆デッサンもまともにできないようなやつばっかで引いた。いやデッサンて試験でやりましたやん皆さんどうしたんですか?って感じに。
スケッチ会は選考に残って中々返されなかったから期待してたけど賞はなかった。あと体育祭のTシャツデザインも票はいくらか入ってたけど落ちた。どっちも選ばれてたのは高校でできた絵の上手い友達だった。
秋に突然母に「引っ越すから」って言われて引越し前の所へ母私妹で戻った。ちなみに離婚はしてない。離れた理由が「私(母)の病院が近いから 」って聞いてたのに母は怒ると「あんたの学校が○○市だから!!!あんたたちが○○さんと上手くやらないから!!!!」なんて暴れだした。理不尽だなぁってずっと思いつつだんまりでやりすごしていた。
高2 進路決めで揉める 私は日本画を学びたいって中3の時から思ってたけど予算的にムリとか母にいわれた。 いやアンタに手助けしてもらったら一生「あの時払ったのは私だ」って言い続けるじゃんってわかってたから就職するって嘘ついておいた。ちなみに希望は父の経営する会社。
母とは話が通じない、父にはお願いしてもはぐらかされてひきとってもらえない。めちゃくちゃ辛い。体でも売ってどこかを点々としたいとか思ってる。なんか憑かれてるとか○○神宮に好かれてないとかなんか色々霊的なことで混乱した。
平日に素描担当の非常勤の先生にお願いして居残りでデッサンとかクロッキーをやってた。ひたすらにがんばった。木炭紙大の人物クロッキーは冷房の効いた素描室で汗たらしながらかいた。がんばったけど素描の成績は、3だった。
その年のスケッチ会は、めちゃくちゃがんばろうとおもって、場所がお城だったんだけどお城がかけない私は私なりに考えて敷地内で日本家屋っぽい建物(これがべらぼうに得意な対象)をみつけてそこを描いた。担任にヘコヘコ「あともう少しなので」って期限を延ばしてもらって、出したのは最初に決まってた期限の3週間後だった。
B3のイラストボードに鉛筆と水彩で一生懸命かいた風景画、素描の先生に「みんな人物をかかなさすぎる。君はかいたほうがいいよ」って言われて3人も入れた。結果は、賞すら取れなかった。
一番いい賞をとったのは去年佳作をとったうまい友達で、一学期の努力賞(総評でいい子がえらばれるみたいな賞)に選ばれたのもその友達で、あと体験入学の手伝いに誘われたのもその友達。わたしはなにもなくて、結果を聞いた瞬間と学校からの帰りの電車で何度も何度も思い出しては泣きそうになった。なんかもうだめだとおもった。
すごい無駄な時間を過ごしたなぁ なんで言われたとおりにしたしがんばったのに何も無いんだろう
もう全部やめたい 私にはなにもない
もはや部活動は児童虐待となっている。特に高等学校の部活動は、その傾向が著しく、実際のところ一時期よりはマシになっているのだが、現在も状況は続いている。
この児童虐待というのは体罰やいじめといった暴力事件の問題ではない。単純に現在の部活動は、その運用自体が虐待になっている。
一般の高校の場合、生徒は通常1日に6時間の授業を行うことになる。間に休憩時間を挟むがショートホームルームや掃除などを加えれば6時間程度になる。
そこに2時間も部活動をすれば8時間となり、これを5日間で労働者ならば法で定められる週40時間の労働に相当する。
大体朝の練習30分、放課後1時間30分も練習すれば丁度良い按配であり、その範囲内に留まる部活動も多い。
しかし大会で実績を残すような運動系の部活動では授業をあわせて8時間をゆうに超える活動が求められている。
相談に来る生徒の中には朝1時間半、放課に4時間、通学は自転車通学を部内規則とするため、学校から遠い家に帰るのは11時ごろという者もいた。
土日も午前午後の練習か公式or練習試合があり、1日の休暇もない部活動の相談もある。
企業ならば松崎茂と並べても完全にブラックといわれるような状況だ。だからこそ、運動部の経験がある人間はブラック企業に重宝される。
このような部活動の異常な活動時間が許されているのには一つの理由がある。
教育基本法など各種教育の法律には部活動を規定する法律の条文がほぼ存在しておらず、部活動は要約すれば『生徒が自主的な活動として課外活動をすることを援助し、教員が行動を監督しなくてはならない』といった趣旨のことが書いてあるだけだ。
つまり、部活動は本来「生徒の趣味」として行われているだけで、その援助をするため学校は場所を与え教員は事故や犯罪などのないように監督(指導ではない)するようにされている、ということである。
これは野球の甲子園などで確認できる。監督は審判に抗議してはならず生徒が行わなくてはならない、なぜなら生徒の自主的な活動だから。(どれだけ事実と馬鹿馬鹿しくかけ離れていてもだ。)
生徒の趣味であるのだから、どれだけ活動しようが学校による虐待に当たるはずもなく、教員も指導ではないのだから、そこに仕事としての給与や指導における特別手当が発生することは殆どない。(土日などの手当てはスズメが悔し泣きする位には出る。)
確かに部活動は完全に自由に選択でき所属非所属を選べる学校もある。だが当たり前のように部活動への所属が強制される学校も少なくはない。
部活動は指導の場ではないはずだが、部活動(特に運動部)を通して指導を行うことが期待されている現状は揺るがしがたく存在している。
部活動は教師の完全な指導と強制の下に行われ、自主的な活動が認められていない部も多くあり、退部すら許されず不登校になる生徒もいる。
部活動が生徒の趣味であり、教員は指導をするわけではないという建前があるからこそ、部活動は学校ごとに大きな不均衡をもたらす。(それが学校に利益をもたらすことにもなるが。)
まずもって問題なのは、教員には部活動を経営する教育は一切与えられていないということだ。
教員免許に部活動に関する必修講義は存在していないし、教員採用試験にも存在はしない。
現実の部活動においては教員が生徒を技術指導することが求められているが、その技術指導する教員が適切なスポーツ知識を持っているという前提はない。
そのため、公立高校ですらも部活動においては顧問となった教員によって生徒への教育成果に大きな差が現れる。
部活動は現実として、生徒への教育や指導となっており、その成果は後述するが生徒の進路にも大きくかかわってきている。
しかしながら、それは義務教育段階ですら機会も完全に不平等であり成果も完全に不平等である。
入試段階で学力偏重が問題であるならば、部活動の成果もまた評価の基準に含まれてよく、そしてその結果は生徒や学校によって偏りがあることは望ましくはない。
部活動が異常な拘束時間をほこっても行われるのには、これは誰でもわかることだが、そこに大きな利権が存在しているからだ。
学校の入学希望者は、その学校にどんな部活動があるかを明確に意識して選んでいく。ある部活動が全国的、県内でも有力であるかどうかは入学の大きな動機になっている。
部活動で大きな成果を出せば、(建前では成果の主体者ではないはずの)学校に大きな利益をもたらす。
プロになれば知名度は上がる。プロでなくとも実業団や有名大学に入れば、そこに企業や大学とのパイプができる。
大学は厳しくなってきたが、それでも推薦枠がある。それはともすれば進学率就職率に大きくメリットとなる。
指導する人間には、その働きに対して金を払う必要はない。存分に働かせれば良い。
資金が出せず設備を整えられないが成果は出してほしいため、労働者(生徒)には労働時間を増やして成果を出させようとする。
私立で学費免除などで多いが、公立高校でも独自入試、つまり一芸入試のようなものなど、いわゆる入試に下駄をはかせる行為も未だに行われている。
確かに学力だけで生徒の可能性を測るのは良くないかもしれない、高校に入れるのが学力によって選抜されることは不平等かもしれない。
しかし学校の成績は学力でつけなければならないものが他の活動で評価される部分よりも多くあるのだ。
定められた教育内容を覚えたといえない限り、それを卒業できる学力に達しましたと認めることは難しくなった。
下駄を履かした生徒の授業を担当することになった教員も悲惨である。下駄を履かせてどら猫を追っかけさせればそれで優に出来るなら良いが。
下駄を履いていない生徒に定めた最低基準と同じだけの成果を出さないことには、成績に可をつけられない。特に公立高校では、明確に許すことは建前上できない。
授業は、その特待生に足を引っ張られ、入試を越せない人間にすら理解できる内容まで落とさなくてはならない。
その上、多くの生徒には授業によって良い大学を目指せる成績まで上げることを求められる。
そして特待生を抱えるような部活動はやはり長時間の活動時間を生徒に課す。
前記したように、夜遅くまで活動する部活動も多く、それによって予復習をする時間も余力もない生徒が多く現れる。
(部活動は特待生のみでは行われず、多くの一般生徒までもが、それによって時間を取られることにもなる。)
疲労した生徒は、授業中に集中することが出来ない。研究結果では睡眠時間が6時間と8時間の生徒には明確な学力の差が現れている。
学力の落ちた生徒は、テストで赤点を取り補習や追試を受けることになる。そのために他の教科すら更に成績が落ちていく。
ここまで問題をあげつらってきたが、しかし、部活動が多くのメリットを生んでいることも事実である。
部活動は日本の高いスポーツレベルを支えている大きな要因である。
野球が世界トップレベルであるのは甲子園という高校野球の大きな競争があるからこそだといえる。
文化系においても書の甲子園やロボットコンテストなど、生徒の育成に大きな力となっている。
また文化への影響も大きい。
複数の生徒が同じ活動することは交友関係を広げ、違う学年との交流を生むことで認識に大きな幅をもたらす。
そして、多くの生徒が共有の「部活動」という体験をしていることは、創作などで「部活動もの」と呼ばれるジャンルを生み出す要因となっている。
多くの人に共有体験があれば、それは一般に受け入れられる創作物の幅広げることになる。
問題なのは、そんな成果や影響の大きい部活動を何一つ政治的な援助も規制もせずに野放図となっていることだ。
一部の教員によって支配されている部活動が体罰などの問題を引き起こす。
それは教員が全て強制の無償活動で行っているからであり、そこに「俺がやってやっているのに」という感情がなきにしもあらずといえる。(実際にそういう声も相談に上ってくる)
育ち盛りで可能性のある若者が、知識のない指導者によって無理な運動を強いられ体を壊す事例もある。
特待生として入学した生徒が芽が出ずに、退学を強いられる問題も起きている。
野球でも度々問題となったが、人材を求める企業などとの癒着も未だに多く存在している。
部活動をなくすべきではない。しかし、現状の大人の建前と利益によって児童生徒が被害を受ける状態は改善されなければならない。
そして出来るならば部活動のメリットをより大きなものにするべきだろう。
部活動が生徒の教育に成果を生んでいるのならば、それを教育活動として認め労働としての対応をしていくべきなのだ。
運動部の指導を運動の素人である教員に任せず適切な指導者を雇い雇用を増やすべきであるし、
少なくとも自民党と日本ユニセフには、存在していない児童への性的被害を問題視するよりも、現実に存在している過酷な部活動を問題にしてほしいところだ。
http://anond.hatelabo.jp/20111025181753
「何してるのそんなに」って意見もあったんで、少しだけ。
8時少し前に学校に着く(以前は7時半には着いていたけれど、最近は校門に立って挨拶とかもしなくなったので、この時間で間に合う)
↓
今日の連絡事項の確認や、保護者からの欠席の連絡への対応、今日やる「雑務関係」の確認(授業関係は、忘れようがないから確認しない。雑務は忘れがちなので毎朝確認)。
ここまでは、一般的な会社とそんなに変わらないと思う。
正直、連絡事項を伝えるだけなら誰でも出来る仕事。でも、生徒の変調を見逃さないためには大事だし、本気でやろうと思えば、毎朝何らかの話を用意しておく・生徒一人一人に話をさせるとかもできる。
最近は手を抜いているから、行って口頭で連絡事項伝えておしまい。
授業は、一日に3~4コマ程度です。授業は教師の仕事の中ではわかりやすい仕事の一つだと思うので、説明しません。
強いて言えば、HRや総合などもきちんと計画たてて準備してやってますよ、ってくらいですね。
高校の場合、多い日で一日4コマ、200分程度空いているわけですが、その間何をしているのか。
ここまでで、大体160分くらい使ってますね。
もちろん、この時間だけじゃ授業の準備は終わらないので、詳しくは後ほど。
本当はここで生徒関係の事もやってますが、便宜上分けて後にまとめて記述します。
生徒が質問に来たりして、ご飯食べてる時間がないので、昼休みは生徒対応で大体終わります。
ですので、上に書いた、授業と授業の間の空き時間などでご飯を食べます。
教員の休憩時間も、生徒と同じでここに設定されているので、ここで食べないと、午後も授業が詰まってたりすると、最悪放課後まで食事出来ません。
最近は、昼休みに職員室から逃げ出して、生徒に見つからないところで食事しています。これなら生徒が質問に来たりすることもありませんから。
朝と同じです。
夜七時前くらいまで拘束されます(部活自体はもう少し早く終わりますが、生徒が完全下校するのを確認したりするので)。
ようやく翌日の授業の準備が出来ます。
私は、良い授業をするためには、一回の授業に三倍の時間準備をしなさい、と教わりました。
前述したように、一日の授業数は3~4コマ。
当然無理です。ここから9時間も授業準備したら、朝4時ですから。ですので、「良い授業」をするのは早々にあきらめます。
これなら8時には授業準備が終わります。
学級日誌系もそうですが、小テストの採点や、生徒一人一人にコメントをつけたり、回収したノートの確認などです。
コメントとかやらなければ、もっと早く終わります。最近はここも手を抜いて極力何も書きません。
もちろん、生徒の反応は明らかに変わります。コメントを書いてあげた方が、モチベーションが上がって成績もあがります。
ですが、丁寧にきめ細かに見ていくと、終わりがありません。
今では、手を抜きまくって、9時過ぎには学校を出られるようになりました。
回収物や返却物に、一人一人コメントを書いたり、きちんと目を通したりすることもなくなりました。
宿題なんて、回収してやってあるかだけチェックして、答え配って各自で答え合わせさせてます。
授業準備はともかくとして、これらを全部きちんとやったら、0時過ぎても帰れません。
現状、お役所的事務作業さえきっちりやっておけば、「良い教師」と認定されます。
授業の内容がどんなにグダグダでも、担当教科の生徒の学力が下がっていても、明確な判断基準がないので、よっぽどの事がなければそれでクビになったりはしません。
極端な話、少しでも早く帰りたかったら、必須とされる事務作業だけやって、生徒の話も聞かず、授業も全て教科書を読むだけにして、後は各自で自習させて、部活も活動拒否すれば、毎日定時で帰れます。
それが生徒のためになるかどうかは知りませんが。
けど、まともな就業時間で、まともに生徒と向き合える仕事にしてくれ。
定期考査前に生徒が職員室に質問に来たり、何か生徒に問題が起きると、最初は「俺の出番だ。がんばろう」と思ってたけど、最近は「面倒くせぇこと持ち込むなよカスが」とすら思う。
例えばみんなが目にした事のある物で言えば、学級通信とか。
あれを配ろうと思ったら、東京都の場合、まずPC上で起案して、起案番号なる物を取得して、関係分掌の担当教員などに判子をもらって回らないといけない。
学級津心に限らず、外部に配布する物は全てこれが必要。
要するに、個人情報保護とかそういう問題で。お題目としては「外部に配布する物は、教員個人個人が勝手に作れないようにして、きちんと各部署でチェックしましょうねー」ってこと。
一事が万事こんな感じ。
問題起きた時に「我々(上層部)はきちんとルールを作って、やらせてました」と言うためだけの作業が非常に多い。
三年生担任にもなると、前の会社の一つの部署で作ってた書類より遙かに多い量の書類を、一人の教員が作ってる。そんじょそこらのITベンチャーが一年間で書く書類の量より多いと思う。
ブ米で、「三年目には転職前よりマシな生活手に入れた」とか書いてる人いますが、殺意覚えるんでやめてください。
生徒と関わるのが仕事なのに、生徒と関わる時間減らして労働時間削って、何が「マシな生活」ですか。
本音を言えば、今だって毎回一人一人の小テストにコメント書いて返したいし、一人一人と毎日ちゃんと挨拶して、話しかけてくる生徒全てにきちんと受け答えしたいんですよ。
でも、それをやったら日付変わる前に帰れないし、毎日それを続けていたら死ぬと思ったから、やめたんです。
就業時間は確かに減りましたよ。
でも、それって本当に「マシな生活」ですかね。
うちの中学の女子の場合は
○不良組(髪を染めまくり化粧をしまくり、不良男子と大声で話し合う層。容姿は意外とよくないが、化粧でかなり誤魔化している)
○オタク組(漫画に出てくるように壊滅的ブサイクでみつあみで不潔でデブで…ってわけではない。容姿的には普通。ただ放課中にグループで集まって漫画を読んでいたり、絵を描いていたり、時にファンロードを読んでいたりする)
○ややオシャレ組(不良組ほどではないがオシャレやサブカル趣味に興味を持ってきた層。自分をイケてると思っている節があり、恋愛話が好き)
って感じで分かれてたが階級みたいなものはあまりなかったな。ただお互い趣味も考えもあわないから自然とグループ分けされていくって感じ。ややオシャレ組・オタク組・普通組の三つははっきりしてなくて、結構曖昧。両方被ってる人も多々いた。不良組だけははっきりわかれていた。もしかしたら不良組はそうでない組を見下していたのかもしれない。自分は普通組??ややオシャレ組辺りのグループに所属していた。
ただ、テスト前とかに突然なんとなく出来る「頭いい組」がある(そういうグループが出来るわけじゃなく、頭いい奴を皆が意識し始めるというか)。賢い奴は、どの組かは関係なく、なんだかんだそれだけで一目置かれる感じがあった。というか「あいつは別次元だから」みたいな感覚。
男子は傍から見てると「不良組」「普通組」「いじめられ系」って感じだったな。あんまり中学の時は男子のオタクが表面化していなかった気がする。「いじめられ系」は別にオタクではなかったのだが見るからにひ弱だったりなんだかからかわれやすい行動をするとかそういうタイプだった。「不良組」にさんざんからかわれていた。
高校ではほとんどそういうのはなかったな。趣味も多様化してるし。グループには分かれるんだけど、不良タイプはほとんどいなかったし、ファッションは皆それなりに興味持ってくるし。やはり「バリバリにオシャレに興味ありますグループ」はいたけど、でも他のグループもオシャレに興味ないわけじゃないから話にはついていけるのであんまり分かれなかった。ギャル系だけ少し違うグループを形成していたけど、かといって話しかけられないほどかっちりグループ分けされていたわけでもなく、大体ギャルがそんなにいなかった。クラスに2人いればいい方。やはりここでも「頭いい奴」は一目置かれていた。ていうか寧ろそっち方面の層の方が強かった。
ただ男子はもう少し強く分かれていたような気がする。生徒会とか入ってマジメに頑張る層と、敢えてそういうのを「だりーよ」とか貶してカッコよさをアピールするようなオシャレ層と。何かしら行事があるとこの層は反発し合っていたが、かといって前者が女子にモテないというわけでもなく(このタイプの先輩男子が先輩女子が熱い議論を交わしていて、「大丈夫なんですかあれ、とめなくていいんですか」といったら「あれがあいつらのデートみたいなもんだから」と他の先輩が言ってたのは色んな意味で凄かった)……まあなんか、今思うといい高校だったな。もう少し楽しんでおけばよかったかな。