はてなキーワード: ポジティブとは
他人からの好意を素直に受け止めて、「自分は愛されてる」とポジティブに考えよう! っていうから真に受けて頑張ってたんだよ。
途中まではうまくいってたと思う。女友達も沢山できた。対照的に男友達はできにくくなったし、減った。差別的な野郎が無理になったのは別に良いんだが、なんていうか、女友達を性的な目で見る男がキツくなった。女友達のパートナー男性にはナイスな男も多いんだが、それでも何か厳しいものを感じてしまう。「思春期の女性同士の友情」みたいなものに陥ってたんだろうか。
話を戻す。自己肯定感はある程度まで育って、恋人ができたり、性に奔放な女性をワンナイトを楽しんだりすることができるようになった。30代をそんな風に過ごしてしまった。もっと若い頃に今の精神状態に至っていたら遊び放題だったろう、なんて屈折を持ったりもしていたが、それよりは今を楽しむべきだろう、と。
40代を迎えて、気付いたら、向けられる好意から恋愛的・性的な成分が抜け落ちていった。傾聴には未だ需要があったが、そんなのは10歳下の男にもできる。ぬいぐるみでいたつもりはなかったのに、ぬいぐるみと見なされる頻度が増えた。
書いてて思ったけど、単に普段会う相手と年が離れすぎただけかもしれない。別にそこまで若い女を望んでるわけではないし、もっと近い年代の相手と遊ぶべきなんだろうな。そういう人とどこで出会ったら良いのか分からないが。
この手の悲しいことが起こると、片想いしていた可愛らしいビール腹おじさんのことを思い出す。
どうも可愛らしいビール腹のおじさんに優しくして貰った、良い思い出が頭の中に浮かんで落ち着くらしい。
(片想いしていた可愛らしいビール腹のおじさんには振られました)
この年齢で彼氏がおらず、自分のスペックを考えると、生涯彼氏が出来ない負け組になることはほぼ確定済み。
昨年、飼い犬が天寿を全うした。
亡くなる2~3日前、家中をパトロールして普段は行かない所にも顔を出して念入りにチェックをしていた。
そして亡くなる直前、わたしの母親の顔をじっと見つめ、それからパタリと息を引き取ったそうだ。(私はその時、仕事で外に出ていて立ち会えなかった)
たくさん遊んで、美味しいものも食べて、後悔はない。
けれども、疲れた時に顔を舐めて慰めてくれるあの小さな犬がいないのだと思うと、ため息を止めることはできないのだ。
特にひとりでいる時。口からぼそっと弱音を吐いてしまう。大抵は「○○ちゃん、俺は疲れたよ……」という言葉だ。
そう言って倒れ込むと、あいつは一生懸命私の顔を舐めてくれたのだ。
それでここ最近はずっと「疲れた」とか「もう頑張れない」などと口にしてしまっている。
病は気からとか、心は持ちようとか言うが、まさにその通りであった。
zoomで会えば体面は繕えるが、ひとりでいる時の生産性は激落ちの一言だ。
クビにならずにやれていることが不思議でならないほどだが、抜け殻のように感じるこの身体は惰性か何かで頑張ってくれているのだろう。
Twitterのタイムラインに流れてくる、同じ思いをした飼い主たちの投稿にいいねを押すのが精一杯で、何かを書き込んであげることも出来ないのだ。
先日、又聞きだが犬の習性についての話を聞いた。
死期を悟ると、飼い主の心配をしてくれるのだそうだ。
顔をじっと見つめて、自分はもういなくなるけれど、大丈夫かと問うような仕草をするのだという。
そうか。家中をパトロールしていたのも、自分がいなくなった後を心配してくれていたのか。
母の心配をしてくれていたのか。
あの優しい犬のことだ。きっと家にいなかった家族みんなも心配してくれたであろう。
それに比べて俺のこの体たらくよ。
なんと嘆かわしいことか。
動物は死期を悟れるのだという。
だから私は、幽霊など信じない。そんなものにすがることはしない。
あの犬は、自分がいなくなることを知っていて、すべきことをしてくれたのだ。
私も、すべきことをしよう。
「○○ちゃん、俺、頑張るよ」
ペットロス中の仲間たちよ。
落胆に引きづられることなかれ。
もうアイツラはいないのだ。
そう胸を張って、生きて行こうではないか。
私はブスだ。
元々の顔は下の上。体型も圧倒的デブだった。
何年もかけて研究したメイクと、ダイエット、いくつかの整形の結果、化粧をした状態で中の上ぐらいの顔にはなった。
生活するのに困ることは無いが、生まれつきのブス強迫観念はなかなか手強く、未だに鏡を見ると「なんだこのイカれた水まんじゅうは」
他人から容姿を褒められても、ありがとう嬉しいですと言いつつ心の中では「いやドブス」と思っている。
いつも自分の顔面偏差値と他人からの評価が気になってしまう。完全にルッキズムに侵されている。
それだけならまぁどこにでもいるけれど、彼女の言動は「まるで90点の女」なのだ。
本気で自分を上の中ぐらいだと思い込んでいる。
強い。強すぎる。別に自分が他人の容姿に厳しすぎる訳では無いと思う。周囲の人の彼女に対する容姿の評価は軒並み「グロい顔」なのだ。
まるでモデルか美容家の謎バイス、クレオパトラかかぐや姫並のモテ自慢。
初めのうちは「なんだこいつ」と正直イライラした。どうせコンプレックスの裏返しで自信満々発言してるんだろなあと思っていた。
違う。彼女は心から自分をナチュラルな美人だと本気で思っていた。
本物の美人の隣に並ぶことを躊躇せず、同じ階層の人間として話をしている。
穴モテ?きもーい!モテモテです♡みんな私を狙ってて困る♡みんなのアイドルです♡
みたいな感じが本気で伝わってくる。
尊敬。「スゴみを感じる」
彼女は精神が強い。自身の信念を貫き、疑わず、もはや他者にまで啓蒙している。
決して馬鹿にしていない。私にはない要素だ。
大体私のように容姿に悩んで次はなんの整形すれば少しは人間に近づけるのかと日々暗澹たる気持ちでいるよりもはるかに健康的だ。
正直羨ましい。本気でそのポジティブさと揺るぎない自信が羨ましい。嫉妬にも近い。
いつか自分も、ほんの少しだけでいいから彼女のような精神性を手に入れたい。
芸能人でもないのに見た目に昼夜悩むなんて一般人には高尚すぎる悩みを捨てたい。
いつか彼女のようになれるだろうか。
反出生主義というとあまりいい印象は持たれておらず、「生きてるくせにダブスタだ」とか「生き物として間違っている」とか言われがちである。
私は反出生に賛成なのだが、理解できる反出生主義とちょっとバカそうな反出生主義がいて、これはどのジャンルもそうだが人数がいるだけ考え方が少しずつ違い、その中の変な層ほど声がデカくその主張を聞いた人が「こいつらバカじゃん」となるのはとてもわかる。
例えばフェミニスト。まじめに女性を守ろうと一生懸命動いてる人もいれば、ただ怒りを男にぶつけたいイライラしてるだけの女もいる。
例えばヴィーガン。自分に合った食事をひっそりとしている人もいれば、屠殺場で大暴れして人の仕事の邪魔をする人たちもいる。
例えば動物愛護。自分の手の届く範囲で助けられる動物をしっかり世話する人もいれば、考えなしに受け入れて結局金銭面で面倒見切れず崩壊する人もいる。
どのジャンルにもバカが居て、そいつらが目立つのであまり知らない人からしたら全体がバカそうに見えてしまうのが悲しい。
本題だが、私の場合の「反出生主義」というのは、「資格のある人だけが産みそれ以外の人は子供を産まないで欲しい」というものだ。
妊娠出産を免許制にして許された人のみが子を産み育てて欲しい。
虐待して死なせたり、金がないせいで子供の可能性を潰したり、将来親の介護を押し付けたり、とにかく悲しいことが多すぎる。
・人として当たり前の倫理観(浮気、不倫をしない、人のものを盗まない、人の嫌がることを故意にしない、人の悪口ばかり言わない、子供をバカにしたり否定したりしない、子供を性的な目で見ない等)
・子供と同レベルで言い争うことをしない知性(悪いことをした時なぜダメなのかを子供に理解させることができる)
このように人柄、知性、資産が合格であれば子供を産んでいいと思う。
かなり合格者は少なくなるだろう。しかし本来そうあるべきなのではないか?
なぜそう思うのかというと、私の友達に同い年の女性で同じタイプの発達障害がいる。
こだわりが強く、何か気になること(角にピッタリ物がハマってないなど)があるとそれしか考えることができなくなり、新しい物が苦手で排他的、わからないことや興味がないことは全て放置で挑戦せず、何か一つのことにハマるととことんやる。地図が全く読めず、名前を覚えるのが苦手、運動が苦手、片付けができない、感覚過敏で音や匂いや食感に苦手な物があり、感覚鈍麻で突然体調を崩す。
仕事は接客業のバイト。感覚で生きているので会話はしっかりできるが基本受身。リアクションの良さで乗り切っている。
そんなほぼ同じタイプの友達二人だが、違うのは親ガチャが成功か失敗かというところ。
家の資産はかなりあり、小さい頃から親に可愛がられ、自己肯定感も高く、今は結婚して家と車を親に買ってもらい幸せに暮らしてる。
Bさんは親ガチャ大失敗。
小さい頃から親に否定されバカにされ、自己肯定感が低く、今は鬱で仕事もできずに実家暮らし。
この差は親の人柄が一番大きいとされる。
同じタイプの発達障害だが、親の人柄がよかったAさんはそれを気にせずそういうものだと受け入れ生きている。
親の人柄が最悪だったBさんは常に何かに怯えながら自分が悪いという気持ちに苛まれ生きている。
さらに資産問題。まだBさんは実家に住めることを許されているが、これが許されない場合は生活保護か風俗しか道がない。
他の場合の話。
買い物をしている時に3歳くらいの子供にずっと怒っている母親がいた。3歳児は恐らく何か発達障害なんだろうか、何を言われてもケロっとしており怒られたことをまたすぐにやる。
それにうんざりした母親は子供に向かって「お前気持ち悪い」と悪態をつく。
悲しくなった。
その後、道端でまた見かけたが電柱の隙間に追い詰めてまた子供を怒っていた。多分ずっと怒られる人生なのだろう。終わりだ。
自我が芽生えた頃には自分はなぜ人と同じことができないのか悩み、唯一の味方であるべき親に否定され続け、逃げ道はない。
発達障害を抱える人にはよくある話だ。
これも、親に知識がなく子供のうまい操縦の仕方がわからずただ怒鳴ることしかできない無能だったがための悲劇である。
発達障害は確かに大変ではあるが、障害の種類で法則性があるので合う育て方が分かればお互いが楽になる。
うちの子に限って!と障害を認めない親が悲劇を生んでいる場合が多いので一定の年齢になった時に検査を義務化して欲しいものだ。
障害は確かに生きづらいが、普通の人が成し得ないことをやってのける可能性があるので武器にもなるし、向き不向きがわかれば本人も親も楽になるのでウィンウィンだと思う。が、障害者への差別が奥底にあるのだろう、ネガティブに捉えて認めたがらない人間の多さにうんざりする。
話が逸れたが、このように親ガチャで同じような子供でも雲泥の差がある人生を歩むことになる。
ところで先程「子供の操縦の仕方」や「なぜダメなのかを理解させることができる親が合格」などと言ったが、子育ての大変さをネタにしたツイートや漫画で「子供はそんな思い通りにいかない」という主張はわかる。
それを覚悟して産むのだからそんな漫画やツイートをする時間があるのなら子供の面倒をみたり家事をすべき。もしくは愚痴を言うのではなくもっとプラスになるポジティブな趣味をみつけるべき。
思ったより子育て大変だったと思う人間は正直バカなんじゃないかと思う。
何をしても泣き喚く子供、どこでも走り回る子供、普通に生活していればわかるはずだと思うが…
しかもネットで検索すれば子供の大変さなんていくらでも出てくる。なぜ体験するまでわからないのか不思議でならない。
友達にも子供を産んで、夫や子供の愚痴を言う人はいるが、話の一つとして聞くし否定はしないが心の中で「まあ自分で選んだ道だし自業自得だよね」としか思わない。
明らかに間違った子育てをしてる友達もいるが、少し「ちょっと危ないと思う」くらいは言ってあとは何も言わない。それで聞かないような人の子育てには介入できないからだ。
親ガチャ失敗というだけの話。
生きてても産んでもいいという私の「反出生主義」は他の人からしたちょっと違うかもしれない。
だが普通に考えて全く産まないのは絶滅するし、バカが多すぎるから悲劇が起こるのであって、ちゃんとした人間が産み育てればより良い世界になるはず。
あとたまに見る「反出生主義なら死ねばいいじゃん」という意見は根本が間違っていて、生まれてしまった命は精一杯楽しく生きてもらって、これから発生する可能性のある悲劇は減らそうという考え方が反出生の主たるものだと思う。
自分は子育てができるほど人ができていないので子供は産まない。産めないように病院で処置もした。
親は子供の催促などはしてこないが、ごめんなという気持ちが少しある。
友達の出産は祝う。ただ優秀な女性ほど心の底で悲しさを感じる。子供を産むと母親になりどんなに才能があろうが数年は仕事や趣味を休むことを余儀なくされるからだ。子供を産まなければもっと上まで登れるのに。
ネットでやたら他人に噛み付く反出生主義、友達や周りに思想を押し付ける反出生主義、正直迷惑している。
発言することは自由だし、他の人はこう思ってるのかと理解できるのでこのように「見たい人が見れる場所」では発信していいと思う。
色んな人がいて色んな場合がある。
私の思う反出生主義は「自分で考え、他人に押し付けず、手の届く範囲でやれることをやり、できるだけ自分と他人に嫌な思いをさせないこと」である。
以上が、K市の特定任期付き職員としてのキャリアの棚卸しになる。
退職の背景などを述べて結びとする。
K市を辞めることになった原因は、私をスカウトしてくれた人が市長ではなくなったからだ。政争に負けたのだ。新しく来た市長は、前市長の行っていた改革的内容のうち、いくつかを元に戻す選択をした。
特に、私達がそうだ。『私達』というのは、国や民間企業やNPOなどからK市に採用された特定任期付き職員だ。当年度の終わりでの任期満了が言い渡された。
私達はまだいい。転職先を探せるだけの時間があるのだから。副市長などは、新市長の就任から1週間でお役御免を宣告され、二か月後には議会で辞職が承認された。政治任用の悲しいところだ。
いまだに納得がいかない。私達は全員、結果を出していたからだ。地域産業の活性化を担当した人も、福祉事業の効率化を担当した人も、庁内インフラ設備の刷新(今でいうDX)を担当した人も、そして私も、全員が数字で証明できるだけの結果を出していた。
にもかかわらず、「あなたの任期は今年度限りです」と三行半を告げられた。それが許せなかった。
私は、以下の成果を確かに達成している。
・手がつけられないレベルの問題職員への退職勧奨。主にB子さんの時に登場した人事課長と二人三脚で行った。成果として、計13名の問題職員(全く仕事をしない職員、犯罪を犯した職員、度を過ぎたハラスメントを行った職員)に始末をつけた。一人頭での人件費(職員の雇用にかかる全ての費用。年収ではない)が最低でも年800万以上はかかっていたので、13名で約1.2億円のキャッシュフローを削減できたことになる。
・面接試験の構造化及び検証手法の確立。これまでは、面接時に予め決まった質問を受験者に行ったうえで、面接官と受験者がフリートークを行い、最終的に点数を決めていた。この慣習を原則廃止した(少しは残した)うえで、統計学の知見に基づき、面接時評価と採用後査定を追尾検証できるシステムを構築した。コンサルは入れていない。庁内でプロジェクトチームを立ち上げ、皆で作った成果物だ。
・新規採用職員の試用期間内分限免職の基準化。当時のK市では、新人職員が20名入ってきたとして、1~2名がどうしようもなく向いていない人間だったとしても本採用していた。その結果、問題職員や無能職員が跋扈・放置される原因となっていた。私が2年目の折、試用期間内での分限免職の基準を明確化した。その職員が所属する課に明白な責任が見られず、かつ当職員との面談において度し難いほどの悪い結果が得られた場合、分限免職ができる旨を要綱で固めた。以後、数年分の結果として、新規採用職員の約1割が本採用に至らずK市を去っている。これについても、問題職員を40年間も世話するだけの人件費(K市の場合は約3億円/人)を節減できたことになる。
さて、便宜上は『問題職員』と表してきたが、一度として私は、能力が低いことだけを理由に当人の分限免職を決めたことはない。例えば、臓器に異常があって年に5分の1は休まなければならない新人職員がいたが、退職勧奨は行っていない。
能力の高低は関係ない。人格的に救いようがないほどの諸傾向が見られた場合に限って当人を辞めさせる行動に出る。そういう者は、他の職員、特に市民や企業のために頑張っている職員に悪い影響を与えるからだ。
恨みつらみを書きはしたが、新しい市長の行いは正しい。頭ではわかっている。特に、私などは前市長のスカウト(政治任用)により採用されたわけだから、トップが交代すれば成果に関わりなく切られる。それが普通だ。
K市で〇年以上も暮らしたのだから、当然哀愁は募る。最初の頃は、都心から外れたところにあるK市を心の底で憐れむような、蔑むような、自分とは関係ない存在だと思い込むような――そんな感情があった。
庁舎の3階から中心市街地を眺めている時、家屋や工場の間にポツポツと居並ぶ田園を眺めていて、これまで東京都内のコンクリートジャングルにいた頃が懐かしくなった。
いつの間にか、この町が好きになっていた。高い品質の地元名産品はあるし、創造的な力のある子どもを何人も見ることができた。山の上にあるワンルームマンションから見える大きな河川に囲まれたK市の街並みは、今でも記憶に残っている。
さて、さんざんと人事関係の効率化を進めてはきたものの、後悔も当然ある。最後の年には、「私がやってきたのは正しいことなのか?」と考えるようになっていた。
私が採用されたのは、「優れた職員を残し、不要な人間は残さない」というミッションを果たすためだった。民間企業においては標準的な考えだ。しかし、官公庁はそれでいいのだろうか。人格に難のある人や、能力が低い人や、病気などで働く事ができなくなった人を追い出していった場合、民間企業も官公庁の真似をするのではないか? つまり、要らないと判断した人間を組織から追い出すようになる。
その『要らない』が、本当に正しいのか分からないから厄介だ。仮に正しかったとしても、日本の社会全体で考えた場合に最適である保証はない。とある組織が不要な人間を切りまくるという行為は、部分最適ではあっても全体最適ではないのでは?
『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政の世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事なルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』
副市長がある時に言っていた。「同僚を馬鹿にする奴は市民も馬鹿にする」と。成績不良の職員のクビが簡単に切られる世界では、きっと能力の低い人間がバカにされているのだろう。すると、市役所に最後の助けを求めに来ている、社会的に恵まれていない人間もバカにするようになるのではないか? 私はそう考えた。
人材とか、人財とか、人罪などという経済的な問題ではなくて、理念なのだ。官公庁はすべての国民のためにあるのだから、様々な社会的属性を持った人を、ネガティブな特性を持った人まで含めて、多様性を意識した雇用を行っていくべきではないか。そう感じるようになっていた。
例えば、上で述べた受験者のポジティブチェック・ネガティブチェックのリストは最たるものだ。採用される職員の多様性を担保するという観点からは、あれは悪手だ。これから採用しようとする人間は有能か? という視点でしか見ていない。一公僕の恣意的な判断で、ある特定の社会的属性を有した人間を排除している。
もっと早くに気が付いたとしても、私の力では変えられなかった。市長の採用ミッションとは反対の方向に舵を切るのだから――今になって思う。A夫さんの事件の時に副市長が言ったことは正しかったのだ。
私は間違っていた。最後の最後で気が付いてしまった。馬鹿だった。愚かだった。今さら気が付いても遅い。
結論:公務員業界における身分保障という考えは正しい。法律上は免職処分にできる場合であっても、多様性の保持の観点から、可能な限り回避すべきである。
Gさんを覚えているだろうか。
市民課で働いていた女性だ。K市にいた間、毎週休日出勤をする中でほぼ必ず見かけていた人だ。どうしても、このGさんが気になっていた。彼女の残業時間は月にアベレージ70超えだった。ゴルフのスコアではない。サービス残業まで含めた残業時間だ。
難しい仕事はGさんに集中していた。ストレスチェックは毎年悪い結果で、そんな状況にあっても市民への思いやりを忘れないでいる。人材会社で転職支援をしていた人間からみると、民間でも通用するタイプの公務員だった。私は、Gさんが自らの意思で地獄から抜け出すきっかけを与えようと思った。
私が退職する5か月前、隣の市町にある社会福祉団体に声をかけた。ずっと前に、私が当団体に職員をリクルートしたことがあった。
「K市にこういう経歴の人がいるのですが、本人に希望があれば面接はできますか」
との問いかけに、社会福祉団体の事務長は乗り気だった。果たしてGさんは話に乗ってくれるだろうか、と不安になりつつも、ある土曜日の昼だった――うす暗い市民課の机の上でパソコンのモニターと向き合っていたGさんに声をかけた。
Gさんとは、あれからいろいろあって仲良くなっていた。Gさんは朗らかな笑顔で、「〇〇くん。おつかれさま。なにかあったの?」と返してくれた。件の話に入る前に、今の状況を簡単に聞き取ってから、私が年度末で辞めることと、社会福祉団体のことを伝えて、採用案内のしおりと事務長の電話番号を手渡した。
「この辛い環境であなたは十分頑張ったよ。お疲れ様でした。転職しようがすまいが、応援しているからね」
それだけ伝えて私は、残りの仕事を片付けるために人事課のある3階に向かった。
「あ~、疲れた!」
今これを書いている私は、都内にあるマンションの一室にいて、革製の書斎椅子に背中をもたれている。
当初は2万字くらいかと思ったが、ここまでになるとは思わなかった。だが、これでいい。この内容をベースにして職務経歴書を作ろう。
一応言っておくが、もし貴方が現役もしくは退職済の公務員だった場合、職場の問題点などをブログで暴露したいという欲求に駆られることがあるかもしれない。
やめておいた方がいい。その欲求は、なにか別の方法で発散するか、貴方の中で雲散霧消するのを待った方がいい。守秘義務違反だからだ。行政機関がその気になれば、運がよくて処分、運が悪ければ起訴に至る。
私の場合は、『武器』があるからこういうことができる。もし、この日記をK市の幹部が見て問題視し、「覚悟しろよ」とばかり私を攻撃する手筈を整えても、断念する可能性が極めて高い。
私は、K市の重大な法令違反の情報を握っている。それも3件。証拠付きだ。うち2件は管理職の何人かが処分を受ければ済むが、うち1件が明るみに出た場合、今の市長は退職せねばならない。前市長や、前々市長をも巻き込むことになる。そんな危険な賭けをすべきではない。だから、こうして日記を書くことができる。
さて。今はフリーランス個人で請ける仕事も面白いのだが収入が少ない。何百万かもらった退職金もそろそろ底をつく。また、会社員に戻ってみたい。この年齢で就職できるかはわからないが、挑戦してみよう。
K市で働いていた日々に想いを募らせていた私は、仕事の疲れを癒そうと思い、デリヘルを呼ぶことにした。
私のスマホは旧型のiphoneだ。通信が遅いので、いつもパソコンを使う。今時はインターネットで嬢を予約できる。便利な世の中だ。
コーヒーを伴にしながらモニター越しに嬢を選んでいる。せっかくの秋晴れの日だ。作品も完成したし、就職への挑戦の第一日目という意味を込めて、まったく知らない子を指名してみよう。
私の瞳は、画面中央にいるアスミちゃんに夢中だった。物憂げな瞳、身長は高すぎず低すぎず、顔の形は綺麗だ。ふっくらとした卵型で、唇の形が美しい。肩から下は見えないが、そこはまあ、チャレンジだ。突撃してみよう――空いている予約枠をクリックした。
背丈は160に少し届かないくらい。写真どおり物憂げな瞳で、胸は普通くらい。太ももはそれなりにある。
ぼうっと立っている姿は今にも消えてしまいそうだが、私の瞳を釘付けにするだけの強さでもってマンションの一室の前に佇んでいる。
さっそく部屋に招き入れて、プレイを始める。今日は奮発して1時間のコースだ。お店のメニュー表にある一通りのことをやってもらうことにする。自分で言うのもなんだが、この年になっても30代並みの持続力を持っているとの自負がある。
さて、肝心のプレイだったが、これがまた最高だった! 私はこのデリ店舗のメニューをソラで暗記している。計11種類のプレイを、休むことなく30分以上続けてもらった。私のモノは張り裂けそうになっている。
同時に、アスミに対して敬意を抱くようになっていた。普通であれば、「顎が痛い」と訴えるのだ。それで、大抵の嬢は後ろに下がって、私に敵意を向けながら、無料での延長を要求されない程度に休憩をする。
しかし、アスミは一心不乱に注文に応え続けている。「いや、これ絶対痛いやろ」という角度になっても、ひたむきな眼差しで私の肉体を愛撫してくれる。これでまだ半年未満のキャリアだという。驚きだ。
……心の中でひたすらに、どこかの鬼狩りのように、「うまい、うまい、うまい!」と唱え続けていた。やがて、私の柱は張り裂けてしまったが、立ち上がるまでに時間はかからなかった。私は、連続さんになっていた。連続さんは負けてない! また何度でも立ち上がるのだ。
私は今、聖なる空間にいる。
いつも夜がくると、この家に戻る。そして、書斎に入る。都会の喧騒やら何やらで汚れた毎日用の服を脱ぎ捨てて、仕事をするための部屋着を身に付ける。
物事に取り組むことに対する礼節をわきまえた格好に身を整えてから、いつもパソコンに向かっている。直近で書いていたのは、この日記だ。
私の心は当然、K市に存在している。私の心は、あの懐かしい人々のいる、あの懐かしい庁舎へと参上している。そこでは、同僚から親切に迎えられ、あの仕事、私だけのための、そのために私は生を受けた、仕事という食物を食すのだ。
そこでの私は、答えが出やすいことも、出にくいことも彼らと話して物事を決める。自分の考えを伝え、彼らの考えの理由を尋ねる。彼らも私を信頼していて、人間らしさをあらわにして応えてくれる。
いま私は、記憶の世界に全身全霊で移り棲んでいる。時間というものの退屈さを感じない。すべての苦悩はなくて、失敗も恐れなくなり、筆を進めるだけになる。
記憶の世界が終わると、どっと疲れが出る。それを癒すための神聖な存在を呼ぶと、私の心は晴れやかになる。今、私の目の前には、一流の才覚をもった天使がいる。
残り時間も少なくなったところで、私は何度か指名したお気に入りの子にするような綻んだ笑顔で問いかける。
「アスミさんはすごいな」
「なにがですか?」
「そんなことないです」
「そんなことあるって!」
「ないです」
私の物は猛々しくいきり立ち、有頂天に達しつつあった。
初めて指名するのにどうかなという想いを押さえつつ、ここは堂々とお願いしてみる。
「アスミさんは、お店じゃなくて個人のメニューはあるの? 意味、わかるかな」
「ないですけど、できます。やってみたいです」
「いくら?」
「……」
アスミは俯いた。考えている様子だ。残り時間は、あと10分ちょっと。
颯爽と、キリのいい数字を提案してみる。すると、アスミは「本当にいいんですか?」と、眼を真下にあるベッドシーツに向けて答えた。
そして、私がアスミを知り終えると、残り時間がゼロになった。思う存分にプレイをさせてもらった私は、最後にアスミを抱きしめた後、問いを投げる。
「アスミさんは、この仕事に向いているね」
「ありがとうございます。また呼んでください」
「こんなことを聞いて申し訳ないけど、この仕事が嫌になることはない? ひどい触り方をしてくる奴とかいるだろう」
「いますけど、いいんです。その人もなにか辛そうにしてるから。痛いのは痛いですけど、その人が辛くなくなるんだったら、それでいいです」
「えらいね」
「えらくないです。だってこんなの」
「立派な仕事だよ。アスミさんは、風俗がどんな仕事かわかってる?」
「そうなんですか!?」
ベッドの上でアスミは、大きく瞳を見開いて身を乗り出した。
「さて。社会福祉活動の実践とかけまして、風俗店のサービスと解きます」
「……その心は?」
「どちらも、人を立(勃)たせるための道です」
ベッドの縁に座っていたアスミがクスッと笑った。右手の親指を頬に置いている。
しばらく考えたと思われる。口を開いた。
「使命(指名)がたくさんあると大変ですね……でも、心身(ちんちん)ともにしあわせになってほしいです!」
いい子だった。また会ってみたい。
P.S
この日記の第一稿ができた後に、元副市長と飲みに行った。以下、情報交換の内容。
・元副市長は、市内の機械部品メーカーの取締役に納まったという。人望があると引く手あまただ。
・人事課長は私と同時期に定年退職した。すでに故人である。最終役職は管理監(≒部長)だった。思いやりがあって誠実な人間だったのに。惜しい人を亡くした。
・C郎さんは職場復帰した。が、専門職としての任は解かれたらしい。定年までの長い時間は厳しいものになるだろう。組織に逆らうというのはそういうことだ。
・E太さんは県の本庁への出向を打診されたが断ったという。どこまでも彼らしい。こんな働き方ができるのも地方公務員ならではだ。
・私はこの日記の推敲中に内定を取った。今度は福祉団体を人事方面からサポートする。
・A夫さんはK市を退職後、ホームセンターで働いていた。当時、人事課の必要物の買い出しに行った際、彼を見かけることがあった。ごく普通に接客や商品運搬をしている様子だった。A夫さんの見た目や行動は普通だ。一般的な50代社会人のように思える。だが、彼は万引きに手を染めてしまった。何かストレスがあったのか、それとも本来の気質なのか。人間は、よく見ないとわからない。
・B子さんは、あれから雌伏の時を経て、ほかの自治体に採用されたようだ。ある時、人事課長が部内の回覧物を持って見せてきた。自治体関係の新聞かチラシだったと思うが、その中にB子さんが政令指定都市で働いていることがわかる情報があった。人事課長は嬉しそうというか、安堵した表情だったのを覚えている。
今在籍している職員の社会的属性と査定状況の突き合わせをベースとして、入庁後に活躍できそうな要素、逆に活躍できない可能性がある要素について、各面接室のリーダーに共有していた。
また、受験者の内定受諾関係の統計から、実際に内定を受けてくれる可能性についても情報を与えている。私がK市の職員台帳(驚くほど何でも載っている……)のエクセルを弄りまわして統計分析にかけた結果、導き出したものだ。
このチェックリストに該当すると、面接官の主観的要素において面接結果に作用することになる。その一部を示そう。□がポジティブで、■をネガティブとしている。()内は備考。
以下のリストには、面接試験の最中に情報を得にくいものもあるが、2次試験で配布する指定用紙に記入欄を設けることでほとんどカバーできる。
【ポジティブチェックの例】
□ 男性であり、結婚している(必ず優秀というわけではないが問題職員になりにくい)
□ ひとつの組織で3年以上働いたことがある(入庁後に早期離職しない)
□ 出身校(小中高)の2つ以上がK市内にある(地元への愛着がある)
【ネガティブチェックの例】
■ 女性で子どもがいる(公務よりも子どもを優先する者が多い。入庁1年目での産休や育休など)
■ 男性であり、30才以上で親と同居(子どものような性格や行動をする人間が多い)
■ 他市町や民間企業の残り玉がある(内定受諾率が有意に低い)
■ 入庁後にK市に住む意思や予定がない(〃)
※1…あくまで面接官への情報提供である。面接試験は100%採点表に基づいて実施される。
※2…病気や障害、家庭環境など、本人の生き方と関係ない要素はどれだけ査定と相関関係が強かろうが情報提供はしていない。一応付言しておく。
第3章の終わりに、「とはいえ、内定を取るための裏技もあるんでしょう!?」と気になっている読者に、何点かの特別事項を示して結びとする。いわゆるコネというやつだ。
ここでは、合法的なコネ(採用試験の前に自分をアピールする方法)について2つの観点により説明する。非合法なやり方は示さない。
これが一番手っ取り早いうえに、やる気をアピールできる。ここでは、あなたが学生もしくは若年層だとする。
官公庁はあまりインターンシップをやらないし、やったとしても狭き門だ。しかし、一般向けのイベントであれば、ちょっとのやる気で意欲を示すことが可能だ。〇〇美術展や〇〇スポーツ大会、〇〇コンペなど、誰でもエントリーできる行事に参加してみるのだ。何年も参加していれば、幹部クラスの職員に顔や名前を覚えてもらえる。
ここでは3つ、前例を示す。
①.
K市の美術展で中学生の頃から入賞し、高校生の時には全国レベルの賞をもらった子がいた。その子の面接官を務めたのは、当時の美術展の所管課において責任者を勤めていた人物だった。その子は3種類の面接試験を危うげなくパスし、内定を獲得した。面接官いわく、「エントリーシートを見た時点で入庁してほしい」と感じていたとのこと。
②.
成人式の新成人代表で祝いの詞を述べた子。その子は、K市の広報誌の募集を読んで新成人代表への挑戦の意を表した。祝いの詞を自分で考え、成人式のステージで発表を行った。その子は、翌年採用試験を受けたが、残念ながら不合格だった。おそらくだが、祝いの詞の最後に、「将来はK市の職員になりたいです!」と言ってしまったため、自意識過剰であると捉えられた可能性がある。惜しいパターンだ。
③.
子ども議会で将来のK市についての政策提言をまとめた子。当時は中学3年生だった。それが大学を卒業する段になって、K市へのUターン就職を決意し、採用試験を受けた。その子が政策提言を発表した時に議場にいた職員らが、面接を受けた時には上級の職へと昇進していた。そのうち1人が、当日記の序盤で登場した副市長だった。その子は最終面接で最高の評点を与えられ、晴れて主席内定者となった。ただ残念なことに、その子は内定を辞退した。その人に内定を出した時の副市長の嬉しそうな顔と、また反対に落胆した顔は今でも忘れられない。
これが広義のコネだ。一般の人が想像しやすい形だろう。人事への働きかけができる人間に自分を推薦し、点数を底上げしてもらうのだ。これは、ある程度選ばれた人しか使うことができない。
ところで、世間的には極端なイメージでもって、こうしたコネ(縁故)が語られることが多い。まずは、昭和から平成初期までに行われていた伝統的なコネ採用について説明する。
(以下、説明)
昭和の時代にこうした採用が行われていたのは、公務員業界が人手不足だったからだ。K市の昭和60年頃の採用試験倍率は、2.5倍程度である。最低でも10倍はほしいところだ。あまりに倍率が低すぎてロクな人材がやってこない。そんな状況の中、冒頭で述べたA夫さんのような人が多く採用されていた。
当時の地方公務員(特に市役所)は、『民間企業で稼ぐ力や意欲のない、覇気のない人間がなるもの』とされていた。今でこそ、上場企業の平均年収≒地方公共団体の平均年収という関係が成り立っているが、当時は上場企業の方が明らかに高かった。私の記憶では、当時は年収ベースで1~2割程度は上場企業が上回っていた。え、なに? 私の年齢? フミコフミオ氏と同じ年だ……。一応、家内もいる。社会福祉協議会に勤めていて、ひたむきな性格の優しい人だ。
話を戻そう。そんな状況だったので、昭和時代の幹部職員は、役場内の優れた職員の子どもや、地元有力者の子弟や、町内会長の紹介など、使える手はすべて使って優秀な人材を確保しようとした。コネ採用は当時も違法行為だったけれども、時代が許していた。
それがバブル崩壊の数年後を機に、公務員人気が高まるにつれて違法行為の様相が強くなった。コネ採用が判明した一部の自治体は、首長などの幹部職員が引退や検察起訴に追い込まれるようになった。K市においては、1995年頃を境として、それまでとは比べ物にならないレベルの人材(一流大卒や民間経験5年以上など)を採用できるようになった。
(説明終わり)
とあるAさんが、いま在住している自治体の職員になりたくて、かつ上の条件を満たしている(親が優れた職員である、地元有力者に知り合いがいるなど。以下まとめて『有力者』とする)のであれば、以下の手順を満たすことで、法を犯すことなく自分をアピールできる。
[ステップ1]
Aさんが『有力者』に対し、自分を市の幹部に紹介してもらえないか尋ねてみる。
[ステップ2]
Aさん側の『有力者』が、採用試験の責任者(または特別職)と会談する。「あの人とこういう繋がりの〇〇さんという人が、今度採用試験を受けます」と連絡する。相手方は、「ほう、そうなんですね」と反応する。これでステップ2は終わりだ。
※これ以上は発言するべきではない。例えば選挙に出たい人がいたとして、告示期間前であれば、「〇〇選に出馬します!」と宣言するだけなら公職選挙法的にセーフとされているだろう。それに似ている。
[ステップ3]
ここからは時と場合による。文書に残さない形で協議を重ねることもあるし、協議自体が行われないこともある。なんというか、こういう形の行為というのは「空気感」である。
コネ採用を行ってはならない――という考えは、幹部職員や特別職の間でも共通見解である。ここまでリスクとリターンが嚙み合わない行為はない。表沙汰になった時点で、どんなに偉い人間でも職を辞さねばならない。検察への起訴もセットだ。
後は、Aさんが筆記試験で足切りにならない程度の点数を取ればよい。採用試験の責任者がAさんに配慮してかせずか、そういう結果になるように面接試験のセッティングを行う。以上だ。
身も蓋もないことを言う。地元有力者の子弟は、こんなことをしなくても普通に採用される。当人の能力や人格レベルが素で高いことが多いし、事前情報がなくてもわかるのだ。外見に、苗字と出身地、その他履歴書の内容だけで「あの〇〇さんの子どもか血縁者だな」と。苗字が珍しいことが多い。
市役所の採用試験であれば、能力よりも人格や人柄を見る。私が面接官を行っていた〇年間において、最終合格者の筆記試験最低点は35/100だ。35点しか取れなくても、一次試験の面接で5段階中の4がつけば無条件で二次試験に到達できる。理論上は0点でも通過可能だ。さすがに二次試験で落ちるだろうが……。少なくとも、K市の採用試験はそういうルールで運用していた。
ちなみに、35点の子は笑った顔が素敵だった。話し方はふんわりとしていて、それでいて長すぎず短すぎず、話の内容も伝わりやすかった。こちらの質問の意図も理解している。性格適性検査の結果も正直者と出ていた(あれは信用できる。統計学の力は偉大だ)。市長も、副市長も、かくいう私も、あの笑顔にノックアウトされてしまった口だ。今思い出してもあれはずるい。
最後の章になる。
地方自治体はどんな人を欲しているのか、及びどんな人が職員として通用するのかしないのか、それらを説明して終わりにする。
とはいえ、もう4万字を超えそうだ。ここまで読んだ貴方は忍耐力を持っている。地方公務員に適合した人材である可能性濃厚である。
キャリアの棚卸しにしては壮大になりすぎた感がある。まずは、先達の書いた日記をひとつ紹介して記述量のショートカットを図る。
https://anond.hatelabo.jp/20200923212241
この日記を書く前に、はてな匿名ダイアリーで見つけた日記のひとつだ。短く簡潔にまとまっている。内容も概ね正しいと感じる。明白な誤りはない。単純に面接を突破したい人間はこれを見るといいだろう。惜しむらくは、上の日記を書いた人は公務員試験の面接官ではない。
せっかくの機会だ。民間時代を含めると十年以上に渡って面接官を務めた者として、採用可能性が高い人材の傾向を三箇条として述べてみたい。その後、面接評価表にはないポジティブチェック・ネガティブチェックの一部を示そうと思う。
モデルケースを挙げる。採用試験を受けようとする市町村で生まれ、小中高をそこで過ごし、進学や就職を機に都会に出たけれども、また地元に戻って働こうとする受験者がいたとする。
はっきり言おう。満点に近い。もうその時点で、「面接評価では4を取ってください! お願いします!!」と面接官に期待の眼差しで見られている。K市ではそうだった。というのも、そこまで地元愛のある若者はほとんどいないからだ。
覚えておられるだろうか。当時のK市の人事行政の問題点のひとつに若手職員の離職率があった。3年以内離職率が3割超えという高い数値の原因のひとつが、『他市町出身』の職員数の多さにあった。
採用試験を受けるまでの人生で、K市と接点のあった受験者があまりに少なかった。原因はシンプルであり、県庁や政令市や特別区の滑り止めで受ける人間が多かったことによる。みんな現役で地方公務員になりたいので、第一志望に落ちた後もなりふり構わず受けまくるのだ。採用された後も、第一志望の自治体に入るために勉強を続ける。いわば仮面浪人だ。
「何をもって他市町出身なのか?」を定義するのは困難である。ここでは30才以下の職員について、市外在住率(K市に住んでいない者の割合)が『他市町出身』の代替指標として機能するとしよう。さて、K市の市外在住率はどの程度だったと思う?
正解は……30才以下の若手職員のうち、8割がK市に住んでいなかった。私が辞める年には7割を切るところまで改善されていた。新人職員が居住地をK市に選ぶ割合が増えたことによる。改善のミソは、採用試験で評価されやすいポイントを変えたからだ。後述。
これはひどいな、と当時の私は思った。素人考えでもわかる。市外在住率が高すぎる。もし災害が起きたらどうなる? 全員すぐに集合できるのだろうか?
すべての年代になると、市外在住率は約5割になる。K市の近くにある政令市などが魅力的なのもあるが、市町村合併でK市に編入された先の市町村職員が、「もう義理を果たす必要はない」とばかり、こぞって自分が住みたい町に移住していく事情もある。全国的に見ても人が多い地方であるため、魅力的な市区町村が多いのだ。
では、上の『後述』の内容について。私が総務部長に提案したのは、「K市を愛することのできる人間を採用する」というものだ。試験を受ける時点ではK市が好きじゃなくていい。K市出身でなくてもいい。入庁した後にK市を好きになることができる、そういう素地のある人に高い評価をつけるようにした。
申し訳ないが、具体的な内容は部外秘とさせてもらう。公開すると、ネット検索によってK市がわかってしまう可能性があるからだ。ご了承願いたい。
社会人として一番大事なことは何かと問われれば、30代前半までの私であれば、『実力』又は『正しい過程で正しい成果を出し続けること』と答えるだろう。
今の私であれば、『尊敬によって他者との繋がりを保ち続けること』と答える。これが社会人(使用者も労働者も)にとって一番大事な事柄であり、能力でもある。これは、Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である(Amazonのページに飛びます)といった名著においても明らかにされている。
このように自分のために何かをしてくれた人に対し、きちんと感謝の言葉をかけられる人が果たしてどのくらいいるだろうか。
あなたの人生にもキャディのような役をしてくれる人はいるのではないか。あなたが存分に仕事ができるよう、目に見えないところで条件を整えてくれている人、成功のための下地を作ってくれる人、ゴルフバッグのような重い荷物を代わりに持ってくれる人、困った時に助けになってくれる人。そんな人たちがいるのではないか。
たとえば会社の中では、誰もがそういう「裏方」の役回りをすることがある。あなたの会社は、そんな人たちの貢献に注目し、正しく評価する体制になっているだろうか。あなたは自分を日頃から笑顔にしてくれる人に、感謝の気持ちを伝えているだろうか。
単に協調性というと、「みんな揃って前ならえ」のイメージがある。今の日本社会では、善悪両方の社会的資質と見なされることが多い。
私が持っている神の辞書によると、協調性とは概ねこんな意味合いになる。
・異なる立場や環境、利害関係にある者が互いに力を出し合って問題を解決すること
本来はこうである。みんな揃って前ならえ、ではないのだ。仕事は1人ではできない。一般事務職として採用される公務員は、民間企業でいうところの総合職だ。常に誰かに依存し、依存されることで仕事を前に進める。
だが、自分ひとりで成果を出していると勘違いする者が後を絶たない。空しいことだ。こういった人の残念なところは、その知性の程度にあるのではない。俺だけが、私だけがスゴイ。もっと自分に注目してほしい、といった自己本位的な動機で仕事をしていることだ。
どんな仕事も、社会に生きる人間一人ひとりを幸せにするために存在している。彼らはそのことに気が付かないか、気が付いても自分の気持ちばかりを優先する。
百歩譲って、20代までは良しとする。だが、30代になっても学校の勉強や部活動で高い成績を上げ、周りに注目されて喜んでいる中高生と同じレベルでは困る。
あなたは、見知らぬ人に対して敬意をもった行動ができるだろうか。自分と考えの異なる人間を尊重できるだろうか。嫌いな人や敵に対しても、悪い感情に心を乗っ取られずに意思の疎通ができるだろうか?
面接においては、この人格的態度を最も高く評価する。私が市職員になる前からそうだったし、K市の面接官として責任を受け持つようになってからも変わらない。
話は逸れるが、あなたが面接官の経験がある人だったとすると、「この人、面接の時とぜんぜん違う!(もちろん悪い意味で)」みたいなことがあったはずだ。面接で猫をかぶるのが上手い人だ。そういう人を見分けるコツがある。
印象がいい――これに尽きる。あなたにとって印象がいいし、他の面接官にとっても印象がいい。特に、ハキハキとした明るい話し方。面接官全員にとって好印象だったのなら、その人は危険だ。本当に使える人が面接に来た場合、面接官が3人だったとすると、大抵1人は、「うーん……」と頭をかしげることになる。採用判断が下しにくいということだ。
それが普通だ。みんなにとってイイと感じる人格をもった人間はまずいない。いたとしたら、それは猫をかぶっているか、はたまた聖人のどちらかだ。
技術職や、職人芸を要する分野で人を雇う場合は特に気を付けよう。それに適合した人との面接では、極度に緊張した様子が伝わってくる。身体は縮こまっていて、声はたどたどしく、自己アピールも乏しく、挙動不審――そういった人が最高の素質(タレント)を持っていることがある。
一流の面接官であれば、誰が試験に来ようと、その人のいいところを最大限に引き出せるよう心がける。履歴書を読み込んで、実際のシミュレーションをし、面接ではよい雰囲気を作るよう心がける。その人が職場に適合している証拠を質疑応答によって全力で探すのだ。受験者が喋るのに苦労しているようであれば、なんとかして悪い雰囲気を壊そうとし、その人の考え方や過去の行動を引き出そうとする。
飲食店などアルバイトの採用では、あなた1人で面接を担当することもあるだろうが、それでも上記のことに気を付ければハズレを引くことは少ない。印象がいいな、と感じた人に気を付けよう。初対面で印象のいい他人はまずいない。たとえ面接官に嫌われようと、素の自分をちゃんと出す人間を採用した方がいい。
猫をかぶる受験者への具体策としては、面接が始まる前と終わった後の行動をこっそり監視するといい。椅子をちゃんと戻しているか、出入口で人とすれ違う時の仕草や、駐輪場で他人の自転車をぞんざいに扱ったとか、車の運転に危険があるなど、それなりの確率でボロが出る。
公務員に限らず、組織で働く人間にとっての血であり肉である。ここでいう知的能力には、知能であるか、知性であるとか、創造性とか言われるものを含む。
すなわち、数値計算やスケジュールの段取り、ある規則に従っての並び替えといった正解がある分析的分野から、新規事業の企画、プレゼンテーション、利害を巡っての交渉や調整といった正解(不正解)がいくつもある総合的分野に至るまで、脳を働かせて答えを導き出すありとあらゆる分野を含んでいる。
官公庁に特徴的な仕事の傾向として、業務の幅の広さ(薄く広く)が挙げられる。特に地方自治体だと、ひとつの役場で多種多様な仕事を行っている(この機会に、あなたが住んでいる市町村の組織図をみてみよう)。民間で例えると、とんでもなく多角化が進んでいることになる。
数年おきに全く新しい仕事を覚えることになるのだが――その意味の幅の広さだけではない。役場を訪れる人間も多種多様だ。男性も、女性も、一般市民も、民間企業も、若者も、中年も、高齢者も、子どもも、障がい者も、何らかの病気にかかった人も、とにかくいろんな人が来る。
それらすべてに対応(問題解決)しようと思うと、まずはその職員が賢くないと無理だ。これは、市役所の現場で働いたことのない私でも確信できる事実だ。傍から見ていてわかる。
礼節や態度は大事だ。植物であれば、花弁や果実など目に見える部分がこれにあたる。それらを支える意味で必要なのが枝であり、幹であり、根である。もっと細かく見ると、細胞質や葉緑体や核ということになる。職業人でいえば、脳というOSがこれに当たる。
このOSが大したことのない物だと、いかに素晴らしい性格や気質を具えていても結果を出し続けることは難しい。正しい答えや行動を相手に示すことができないからだ。市職員が、受付窓口で手早く計算をしたり、各種申請書の書き方の指導ができないと、市民や企業が何度も窓口に来たり、無駄な申請費用を払う羽目になる。
スポーツだと、柔道における心技体がわかりやすい。ある一流の選手がいたとして、その人の精神がどれだけ優れていても、技術が優れていても――風邪で高熱がある、骨や靭帯に損傷がある、五感の一部が機能しないといった事情が生じると、たちまち三流以下の実力になる。
多くの人は錯覚している。例えば、どんなスポーツでも面白い試合というのは――両者ともに拮抗している。心技体のうち、技と体が同じくらいのプロ選手がいたとする。となると、勝負を分けるのは必然的に『心』となる。
実力伯仲の者同士、わずかな差で勝負が決まれば当然盛り上がる。それが、スポーツで一番大事なものが心→技→体の順番と皆に思われる最大の理由だ。
官公庁が筆記試験を必ず行う理由がここにある。現在の公務員業界では、筆記試験(性格適性検査を含む)の作成をリクルートなど民間会社に委託する方向で進んでいるが、今後何年が経過しようと、筆記試験自体が廃止されることはないだろう。組織人として働く上での血肉であるところの、知的能力を客観的に測定できる唯一の機会だからだ。
VDI(仮想デスクトップ)代替ソリューションの分類や、それぞれの仕組み、検討ポイントなどを解説する本連
載「テレワーク時代のWeb 分離入門」。 第1 回、第2 回でテレワークと Web 分離の方式の特徴を解説しました。
今回のゴール
用途の観点で各方式を分類すると下図のようになりますが、どんな組織にも共通する「おススメの方式」はあ
りません。
(出典:ネットワンシステムズ)
今回は、読者の皆さんが自組織にマッチする方式を選定できる状態をゴールとして、「結局、 どれを選べばいい
のか」という疑問に回答します。
フローチャートで分かる、
VDI 代替ソリューションの分類や、それぞれの仕組み、検討ポイントなどを解説する連載。最
終回は、VDI 代替ソリューションの方式選定における 4 つのポイントを解説して、各方式を比
較します。
(2021 年03 月04 日)
26 →目次に戻る
これまで多くのユーザーと会話してきた経験から、おおよそのケースで次の4 つのポイントに論点が集約されます。
2. データを処理するマシンがローカルマシンで大丈夫かどうか
これらを基に、方式選定に使えるフローチャートを作ってみました。
(出典:ネットワンシステムズ)
「 ブラウジングだけを安全に実行できればよいのか、それともブラウザ以外のアプリも安全に利用させたいのか」
テレワーク用途では、前者でよければセキュアブラウザ方式に、後者でよければそれ以外の方式にふるい分け
できます。Web 分離用途では、前者が仮想ブラウザ方式、後者がそれ以外の方式となります。
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【ポイント 2】データを処理するマシンがローカルマシンで大丈夫かどうか
次に、「 情報漏えい対策をどこまで強固なものにしたいか」という観点での要件です。
プログラムの実行環境が手元のPC となる場合、データも手元のPC に保存されます。つまり、手元のPC を
「 ディスクを暗号化している、生体認証を有効にしている、だから大丈夫」と言い切れるならいいかもしれません
が、「技術の進歩によって将来的に突破されるかもしれない」といった懸念を払拭(ふっしょく)できない場合、仮
想デスクトップ方式やリモートデスクトップ方式のように、遠隔にあるマシン上で作業できる仕組みを導入する必
要があります。
その一方、将来の懸念よりも、例えばコストなど別の部分を重視したい場合は、会社PC 持ち帰り方式(VPN
なお一般的に、リモートデスクトップ方式とVPN 方式はテレワーク用途のみで導入されますが、仮想 デスクトッ
プ方式とアプリラッピング方式は、テレワークと Web 分離、どちらの用途にも利用できます。
【ポイント 3】データを処理するマシンが物理PC で大丈夫かどうか
【 ポイント 2】で「遠隔にあるマシン上で作業させたい」となった場合は、3 番目の検討事項として、業務継続
性を考えるとよいでしょう。
リモートデスクトップ方式の場合、社内の自席にPC が物理的に存在することが前提です。そのため、自席 PC
一方、仮想デスクトップ方式の場合、マシンが仮想化されており、多くの環境において仮想マシンが動作してい
るサーバ群はn +1 などの方式で冗長化されています。そのため、非常に強い障害耐性があります。
障害耐性を高めたい場合は、仮想デスクトップ方式がベストです。業務が停止するなどのリスクを運用でカバー
できる場合は、リモートデスクトップ方式を選ぶことになるでしょう。
28 →目次に戻る
【 ポイント 2】で「手元のマシン上で作業させてもOK」となった場合、3 番目の検討事項として、再度情報漏
えい対策について考えます。【 ポイント 2】では、PC ごとデータが盗まれてしまった場合を想定しましたが、ここ
手元のPC でプログラムを実行するということは、つまり「端末の脆弱(ぜいじゃく)性を突いたゼロデイ攻撃
を受けるリスクが存在する」ことです。脆弱性を突いた攻撃を受けると、多くの場合、情報を抜き取られてしまい
ます。
従って、例えば VPN 方式を導入する場合、「EDR(Endpoint Detection and Response)で脆弱性攻撃対
策を実装する」「端末のロックダウン化によってデータを保存させない」「実行できるプログラムを制限する」「屋
外の公衆Wi-Fi を利用できないように制限する」「多要素認証を導入する」などの対策を併せて導入する必要が
あります。
このような徹底した対策を継続して運用できる組織に限っては VPN 方式も有効な選択肢ですが、筆者としては
VPN 方式は安価かつ容易に導入できるので、昨今のテレワーク需要が高まる状況では、多くの組織で上記のよ
うな徹底した対策を取らずに導入してしまったと思います。取 り急ぎの暫定処置としてVPN 方式を導入してしまっ
た場合は、これを機に腰を据えて見直してみてはいかがでしょうか。
• 参考リンク:日本経済新聞「在宅時代の落とし穴 国内38 社がVPN で不正接続被害」
また、国内に限った話ではありませんが、Verizon Communications のレポートによると、やはりVPN トラ
フィックが増加傾向にあるようです。VPN 方式の普及に伴って、悪意ある攻撃者による被害数も増加すると思い
ます。
• 参考リンク:Verizon Communications「Verizon Network Report」
29 →目次に戻る
ここまで、要件をベースとした考え方を記載しました。選定すべき方式が大まかに見えてきたところで、ここか
らはそれぞれの方式を横に並べて、共通の項目に沿って比較します。
この比較によって、方式選定の次のステップとなる製品選定において「見落としがちな落とし穴を見つけて対策
を考える」といった検討を具体的に進めることができると思います。
以降の表の見方を説明しておきます。緑塗りのセルがポジティブな内容、赤塗りのセルがネガティブな内容、黄
塗りのセルはどちらともいえない内容です。また、それぞれの表の下部には、主に赤塗りのセルに関する特記事項
なお単純に、緑塗りセルの多い方式が優れているわけではありません。対象業務の内容やコスト、運用体制、セ
キュリティ、業務継続性など、いろいろな観点からトレードオフで方式を選定することになります。
できる作業
(出典:ネットワンシステムズ)
仮想ブラウザ方式とセキュアブラウザ方式では、例えばファイルサーバの操作といった、ブラウザ以外のアプリ
は使えません。多くの場合、Windows の統合認証など Windows に依存する機能も利用でません。
また、印刷に関しても確認が必要です。製品ごとにサポート内容に差が出るポイントなので、方式選定の次の
30 →目次に戻る
(出典:ネットワンシステムズ)
会社PC 持ち帰り方式(VPN 方式)とリモートデスクトップ方式は、端末のアップデート、故障時の交換など、
端末台数が増えるに従って、それに対応できる人員数を確保する必要があるので、運用コストが増大する傾向に
あります。
その半面、仮想デスクトップ方式は初期コストが高額ですが、メンテナンス対象はマスター OS のみであり、仮
VDI の運用ナレッジが豊富なSIer に依頼することで、作業内容の質を落とさずにコストを圧縮できる効果が期
待されます。
(出典:ネットワンシステムズ)
仮想ブラウザ方式やアプリラッピング方式、セキュアブラウザ方式は、「 Web ページが正常に表示されるかどう
か」などの動作確認を、あらかじめ実環境で実施しておく必要があります。この動作確認は、運用フェーズにおい
また、特に仮想ブラウザ方式は、「 ブラウザタブを開き過ぎるとサーバ基盤の負荷が高騰して Web ページの閲
覧速度が急激に低下する」といったサイジング関連のトラブルが発生しやすくなります。
31 →目次に戻る
(出典:ネットワンシステムズ)
マルウェア対策については、会社 PC 持ち帰り方式(VPN 方式)やリモートデスクトップ方式、仮想デスクトッ
プ方式は、EDR やアンチウイルスソフトの導入などが別途必要です。一方、仮想ブラウザ方式やアプリラッピン
グ方式、セキュアブラウザ方式は、「 利用終了後に環境ごとデータを削除する」「 exe 形式のファイルの実行を禁
重要情報の盗聴については、リモートデスクトップ方式や仮想デスクトップ方式、仮想ブラウザ方式(画面転送
型)は、画面転送型なので、暗号化通信が仮に復号されたとしても、実データが盗聴されることはないという強
みがあります。
最後に、不正アクセスについては、多要素認証システムと組み合わせるなどの対策がどの方式でも必要です。
ログインに関わる操作が増えることで利便性は低下しますが、昨今の状況を鑑みると、多要素認証の導入は必須
といえます。
おわりに
これで 3 回にわたる連載は終了です。いかがだったでしょうか。
セキュリティと利便性はトレードオフの関係にありますが、筆者は「仮想デスクトップ方式」と「仮想ブラウザ
仮想デスクトップ方式と仮想ブラウザ方式は、「 導入によってセキュリティレベルを大きく低下させることはな
い」という点が最大のポイントです。その上で、仮想デスクトップ方式には「従来のクライアント OS と同じよう
に利用できる」という汎用(はんよう)性の高さがあり、これが他の方式より優位な点となっています。一方、仮
前回: https://anond.hatelabo.jp/20211226023139
このスタートアップで働いていくつか分かった事がある
一つ目は10年来の親友でも結構簡単に関係は壊れるということ(CTO, CEOみたいに)
二つ目はモチベが低い状態でスタートアップ最初期に参加するのはよくない
三つ目はちゃんとしたビジョンを描けてない状態で物事をすすめるのはダメだということ
四つ目はスーパーエンジニアだと言って、何でもできると妄信しないこと
とまあ色々教訓にはなった
疲れたけど
振り返ってみると
全体的にみんなノリだけだった気がする
VCもノリで金をだして
プロダクトもノリ
採用もノリ
何もかもが茶番だった
意識高いことだけ言って、何一つまともに出来なかったそんな印象
今でもGoogle photosに当時の写真が入ってて少し悲しい気持ちになる
ちなみにGoogleで検索すると当時のインタビュー記事とか取材記事とか出てくるけど、
取材してる人も話してる人も全員理解してないのにそれっぽい記事になってて吹きそうになる
CEO、CTOは違う会社で取締役をやってて、また懲りもせずメディアの取材に意識高い事を言っていた
なんか、「このプロジェクトは実証実験で想定通りの結果が出せた」みたいな事がプロフィール欄に書かれててどんだけポジティブなんだよって思った
Kさんについては連絡先を交換してないし、SNSをやってないみたいなので何をやってるか知らない
Gihtub見る限りなんかコード書いてるんだろうけど、話してはいない
当時は下に見ていた事もあって失礼な態度を取ってしまった
自殺に関する増田がわさっと増えたので流行りに乗る、じゃないけど書き散らしておこうかなと。
自分は自殺を試みるとこまで行かなかったし、ふいに糸が切れたみたいに車道や線路に吸い寄せられたりしたこともない。
一言目にため息、二言目に死にたいって言い続けていたしスマホの履歴は全部死ぬ方法だった。スマホ触って死に方調べる元気はあったんだよな。フシギダネ
元々ポジティブの塊とかコミュ力お化けとか呼ばれるようなタイプの人間だったせいもあってあまりの変わりように知人に泣かれた。自殺してなくても泣いてくれる他人ているんだなーと超他人事で、申し訳ないとか嬉しいとかじゃなく、どうでもよかった。ぼんやりしてた。
薬はポチポチゲーと一緒。安定剤とか意味あったのかいまだにわからないけど一応毎日飲んでたからマシだった可能性はある。飲むのやめたりODしだすと吸い寄せられたりするのかもね。
そういうのが続いてたのがある日、「なんで死にたいって思ったんだろう」って急に、なんだろう、目が覚めた、みたいな。徐々に回復とかじゃなく、急に。やたら目覚めのいい日あるでしょ?あれ。
だから打開策なんかないんだと思う。よばれれば死ぬし、急に死ぬし、急にやめるし、急にはっとする。タイミングと運が全てだと思う。私は生きる方向に来ただけ。それが良かったかどうかは知らない。
ラジオ終了後、YouTube配信での「アフタートーク」コーナーの中の話題
https://youtu.be/wXMbV9qTftM?t=7654
TBSラジオ澤田大樹記者(澤):続きまして省庁の名前のお話を。今週ある省庁の名前が話題になったんですけど、それがこども庁ということで…
パーソナリティ武田砂鉄(武):ああ、そうこれよくわからなかったというか、何なんですか。
澤:そもそもこども庁ってなんだったんだって話なんですけど、自民党の若手有志議員の中でチルドレンファーストの子供の行政のあり方勉強会というのが立ち上がってたんですね。これ去年とか一昨年だと思うんですけど、山田太郎議員と自見はなこ参院議員と、お二人とも参院議員なんですけど、が中心となって提言を纏めて菅総理に渡したんですよ。ということで、それきっかけに子供社会の真ん中に位置づけていくということをコンセプトとした新しい省庁を作ろうと。今子供に関する行政って結構いくつかに別れていて、例えば学校とかだと文科省とか保育園とかだと厚労省になったりとかという感じで内閣府もやっているんですよね子育てのやつ。で、男女共同参画とか少子化とか担当は内閣府にいるんで、ということで省庁が跨いでいるんでそれを一本化してやりましょうということのために子供庁を作ろうという話が出ていましたと。で、総理大臣の直轄機関として強い司令塔を目指して作られているということなんですね。そこに名称を最初は「こども家庭庁」にしようとか色々名称があったんですけど(仮)で「こども家庭庁」だったんですよその時は。
武:カッコこども家庭庁。
澤:(仮)だったんだけども、勉強会の中で呼んだ虐待サバイバーの風間さん。昨日アシタノカレッジにもご出演されたと思うんですけど…
※https://www.youtube.com/watch?v=TB_ghXNq-jk
澤:あの方がヒアリングの中で家庭は地獄であるというような発言があって、その中で子どもも読めるひらがなの「こども庁」にしようと、家庭というのは敢えて抜こうと。
武:つまり、その子供のことを考えるのであって、家庭がどうあるべきかではなくて子供の権利とか生活とかということを重視するから家庭は要らないんじゃないかと。
武:そりゃそうだ。
澤:家庭が必ずしも安住の場じゃない子たちも多数いる…
武:そりゃ沢山いる。
澤:虐待の認知件数だって数十万件とかってあるわけなんで、考えるとそういう家庭も多いということでひらがな「こども」にすればいいじゃないかという事で「こども庁」という風にしていたんですね、そのチームが。で、政府もそういう風にしていこうという動きがあったんだけれども、今週になって自民党に図られた文章では名称が「こども家庭庁」に変わっていたと。
武:なんでよ、ねえ。何でだこれ。
武:加藤勝信さん久しぶりじゃない。
澤:官房長官ですけど、元官房長官。子供はそもそも家庭を基盤として成長する存在だということ、家庭における子育てをしっかり支えるということは子供の健やかな成長を保証するために必要不可欠だろう。という風に話しましてこども家庭庁にしたんですと。
武:でもそれは今澤田さんの言っていたどんな子供も全員が全員家庭というものをね、ポジティブなものとして持っているじゃないということと逆行してませんこれ。
澤:そうなんですよ。で、今日の今週の会議の中では「こども家庭庁」にしていただきありがとうございました。との声が上がった一方で、家庭を持っておられないお子さんも居られるし、あるいは家庭というものに辛い記憶を持っているお子さんもいらっしゃる。というような否定的意見が複数出た…
澤:ということですね、ただ結果的には座長らに一任ということで「こども家庭庁」で一任されたと。で、この「こども家庭庁」も会議の中でいくつか決められていて幼保一体化、要するに幼稚園は文科省、保育園は厚労省ということで就学前教育も別れている、そこを一本化するために文科省とこども家庭庁が協力していきましょうということとかですね、あとはこの組織自体は2023年中の早いうちに発足しましょうという事が了承されたということですね。ただ終わった後にやっぱり名称問題は尾を引いていて、自民党の最初のこの組織を作ろうということで立ち上げた自見はなこ参院議員は、子供の居場所はもちろん家庭にあるけれども、家庭だけではなくて教育現場や学校、あるいは地域にもあると、だからもう家庭というのを入れるのはおかしいんじゃないかという事を言っているわけですね。一方、山谷えり子元国家公安委員長ですけれども、家庭が入って良かったという風に思っていますと、様々な困難を抱えた家庭があるのは事実ですけれども、やはり家庭的な繋がりという中で子供というのは本当に子供を真ん中で育っていくと思います。と。
武:またそういう家庭を…
澤:家庭だと。
武:家庭を重視してますね。むしろこういう子供について考えると、子供の環境を用意すると考えるときに真っ先に考えるべきは大変な思いをしている子供…
澤:当事者ですね。
武:ということを考えた時にこの家庭というものを省庁の名前に入れて、この山谷さんがやっぱり家庭的なつながりという中で子供を真ん中にしないと、という風な言い方というのはなんかこう入り口からかなり限定しちゃってますよね。
澤:そうなんですよ。で、変わった理由として一部報道では党内の保守派に配慮と。
武:出た、いつもこれじゃないこれ。
澤:会議用のブリーフでは参加議員からは保守派・リベラル派とかそういう線引ではないと否定するコメントもあったんですが。ところが、12月8日先週ですね、自民党本部で開催された青少年健全育成推進調査会という会議があって、そこに党内保守派の教育分野のブレーンである高橋史朗さんという麗澤大の教授が講演できたと。
澤:そこでこども庁をこども家庭庁に改めるべきだと強く主張したと。その終わった後の最後の挨拶で山谷えり子議員もこの点を強調したと。
武:こども庁じゃなくてこども家庭庁じゃなきゃダメだと。
澤:ちなみに、後の取材で今週行われた会合の中でこども家庭庁というのを主張したのはこの山谷議員と衛藤晟一参院議員と、このお二人もよくこの手のだと…
武:ほー、よくこの手だと…
武:まあ、LGBT推進、とかでも…
武:理解増進法の時にも出てきたと。
武:同じ名前じゃない、この本当に一部の保守派に配慮し続けている訳じゃない。
澤:ただ、保守寄りの人たちが一枚岩かというとそうでもなかったようで、保守寄りとも言われる小野田紀美参院議員という方がいらっしゃるんですけれども、この人も綺麗な世界しか知らない方々が思う理想像が絶対に叶う物なんだという前提思考が現実に起こっている様々な問題にリアルに向き合えなかった原因でもあると…
武:なるほど。
澤:私もこども庁にすべきと考えますとツイートしていると。 割と保守寄りとされている議員もいやおかしいという風に言っている。私の取材した元閣僚で保守派とされている議員もこの勉強会、そもそも勉強会で虐待サバイバー、多分風間さんの話だと思うんですけど、家庭は地獄という話を聞いたのでこども庁を主張する人の言い分も理解できるという風に言っていて、本当に多分保守派とされる人の一部が反対している。
武:もう本当に保守派オブ保守派というか何か本当に一部の人たちが、だって別にこれどう考えても今例示してくれた小野田議員とかの言い方がそりゃそうだよって言い方だよね。
澤:高知東生さんもすごい反対していましたよねツイッターで。自分にとっては家庭はそういう場所ではなかったという風に言っていて。
武:いやでもほら、よくこういう時に持ち出される2012年か13年の自民党改憲草案の家族は互いに助け合わなければならないっていう、何その強制性はってみたいな事は言われる事はありましたけど、ちょっとそれに近づけようとする人たちがごく一部に残っているという事になりますよね。
澤:ただ、なんですけど、こども家庭庁という名称自体はこの自民党の一部保守派だけが使っていたわけでは実はなくて公明党も主張、立憲民主党もこども家庭省という省になってますけど…
武:庁じゃなくて省。
澤:はい、その名称を使ったワーキングチームを作っていて、むしろこっちの方が大勢だったと言えなくもない。ただ、だからその言葉をどういう意味で使っているかっていう事が問題なわけですよね。
澤:そうですね、はい。なので保守派の人たちも野党もこども家庭って使ってたじゃんって。
武:そっか、でそれでブーメランwwみたいな事を言うのかねみんな。
澤:んー、どうなんですかね。まあ野党側はここはあんまり何も今の所言っていないので、どうなったのかなという所は分からないんですが、まあ、こんな動きがありましたと。あとは中身が本当にどうなっていくか。
武:そうですよね。
澤:本当に家庭および家族が中心なんですっていう話になるんだと、子供真ん中なのそれは?って話にはなっていきますよね。
武:でもあるべき家族像とかね、あるべき子供とか結婚どうするかみたいな事で議論になる時にニュースでカギカッコ付きで「党内保守派に配慮」って報じられるといつも同じ人たちが出てくるわけじゃないですか、その限られた人達にこの僕ら個人の生活の選択肢みたいなものを狭められているという風に考えると、何でその達に配慮しなくちゃいけないのかって思いますけどね。何でずっと出てくるんでしょうねそういう人たちはね。
澤:まあ、票を持っているとか…例えばですけどね、そういう事なんですかね。多くの支持を得ているということなんでしょう。
武:なるほど。一週間色々あるなこりゃ。
・気に入らないとすぐクレーム。感情的になると、全く論理的な話ができない
・表向きは良いことを言っていながら、実は裏で文句ばかり
・間違いを認めない。人のせいにする
・しっかり説明しないくせに、意図を汲み取ってないと突然キレ出す
・そのくせ、コミュニケーションが大切、などとのたまう
個人事業主としてこれまで一緒に仕事をしたクライアントの中で、
上記のような理由で案件が破綻したか、もしくはお断りしたのがそのうち1/3を超える。
女性起業家、女性社長、女性弁護士、女性政治家、女性保育園長。クソだらけ。
もちろん女性全員がそうでは無いとはわかってるが、あまりにクソ比率が高すぎて、
男性優位社会って、あいつらをうまくコントロールして社会を安定させるために必然だったんじゃないか。