「カギカッコ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: カギカッコとは

2020-09-09

anond:20200909175328

ここで「読点を打たなければならない」と言ってるのは「なければならない(義務)」ではなく、「なければ(条件)ならない(不可能)」なので、「読点を打たなければならない」が不満なら「カギカッコでも何でもいいからそこで区切らなければならない」とでも言い換えてください。

2020-08-28

ヤフコメカギカッコ

ヤフコメでやたらカギカッコ使用してコメントをする人たちがいる。

キーワードを目立たせるためなんだろう。

彼らは右寄り意見で、物事単純化していて、安易意見が多い。

彼らが右寄りであるという自分認識バイアスがかかっているんだろうか。

2020-07-02

anond:20200702183259

いや、ひとつまえの記事でいきなり別の論点を持ち込んできただろ。

あと、もうちょっと日本語に気を使ってくれよ。

ひとかたまり言葉を「カギカッコ」で括るだけでも

けっこう読みやすくなったりするもんだぞ。

2020-06-17

創作もどき嫌悪感を持った話

初カキコ失礼します。ほぼ一年間のもやもや衝動に任せて詰め込んだので支離滅裂です

私は一次創作と言う物をしてました。そこで自分キャラの話や設定を話す、所謂世界観や設定だけ作ってる人」でした。もちろんたまに絵も描いてましたが、いつの間にか月に一度しか絵が描けなくなりました

でもそれじゃダメだと気付いて、何度か本編を書きましたが公開しては消してました

それで去年の夏あたりにそれっぽい本編(一話だけですが)が完成しましたがまだ何か物足りず、身内のグループチャットにのみ公開してました

ストーリーとしてはよくあるファンタジー物に専門知識を足した物だったのですが、後日ネットサーフィンをしてたら商業で既にやってる方(しかもその専門知識ガチ勢!)がいて自信を失ったのと、その創作での敵の名称が「鬼」だった(その時鬼滅の存在は知らなかったです)と言う事もあり、自分パクリしか作れないんだなぁ。と思いました

その後なかなか創作煮詰まらず、私は【人に嫌われやすい設定や描写】が気になるようになりました。その時は確か、青い鳥でそういうタグ流行ってる時期で、元々自分好きな物があまりよく思われてない事をいつも経験してきたので「世間需要」を考えてみようと思いました

私はそれ以降自分創作にて、出来る限りあまりよく思われなさそうな設定や描写重要でない所のみ消すように心がけました。でもなんか、楽しくなったんですよね「人の嫌いな物を知る事」が。そこで暇人だった私は、元うちの子厨(今もですが……)だったのもあり、自身を戒めるためにアンチスレを定期的に覗くようになりました

昔の自分にも心当たりのある事だらけで、気をつけなきゃなぁと思いながらROMってました。それで「いつの間にか自分のいる界隈は(迷惑行為してないとしても)厨だらけなのでは?」と思うようになりました

本編書くかーと言って身内のキャラ借りて世界観がよくわからん事になってたり、軽率にうちよそ()してたり、なりチャしてたり、タグテンプレで自キャラ語りしたり、呟きでカギカッコ使って創作なりしてたり

いくつか自分のしてきた事もありましたが、だんだんとそれらに嫌悪感を覚えました。そしていつの間にか「キャラ属性推しを語るオタク」までもに嫌悪感を覚え「どうして属性説明するんだ。そんな事してると嫌われてしまうぞ」とも思いました

けれど、私はあまりストーリーを読むのが好きではないんですよね。低レア帯のキャラばかり推す人なので、ストーリー見ても「どうしてあの子を好きになったんだろう」と自己嫌悪してしまうんです

幼少期から自身悪趣味さは自覚してたので、どうして世間一般供給に不満を吐く悪趣味な奴が創作なんてやっているんだろう? どうして世間一般需要に合わせられないんだろう? とずっと考えてました

それである時、私は気付いてしまいました。所謂ソシャゲ元凶なのでは? と

ストーリーがあるから厨じゃないと厨はよく言いますし、プロアマ比較するのも間違いだとは思います。けれど一部のソシャゲキャラを作るだけ作って、属性声優ゴリ押ししているじゃないですか。創作もどきがそれ(声優ゴリ押し不可能ですが……)をしてたら明らかに距離を置かれるじゃないですか

そして所謂なろう系(一部除く)も問題だと思いました。あれは最強設定文化を語る上で外せませんし、当然だろうとは思いました。空っぽ世界観空っぽな設定、空っぽ登場人物、そんな中にとりあえず入れとけばいいと思ってる世界観無視の媚び描写想像するだけで嫌になる。それが世間需要と分かっていても、私はあれに嫌悪感を持ってました

商業から許されるけど同人ではやっていけない創作があると私は思ってます。なぜそれを人はまとめて記事にしないのかといつも思ってます

最近アニメにすら「明るすぎてつらい、ストーリーが長すぎて見れない」と思うようになってる。唯一まともに見れてる作品すら途中から酷評の嵐でしんどい

前の話に戻るが、私は本当に趣味が悪すぎる。幼少期好きだった作品酷評が多かった。趣味の悪い奴が創作してはいけないと、自治厨でもいいからそういうまとめを作って欲しい

私は何度か「本編無い方が幸せなのでは」とも思った。けれど「書かないと人権が無くなる」とも思っていた。だから本編を書いた、一話書きあげた程度で満足してはいけないと思った。ちゃんと完結させなきゃ、ちゃんと書かなきゃ。もう厨だと思われたくない、馬鹿にされたくない、厨創作だと言われたくない

でも筆は動かなかった。やる気がほぼ消えてると言うべきだろうか。今まで創作サボってやってたゲームすらめんどくさくなっていた

それではダメだと思っていた。今まで自分より絵の上手い、それか文章力のあるフォロワーを見下してたんだからちゃんと書かないといけない。妄想をつぶやこうとする度に本編を思い出さないといけない

そう言い続けてたらフォロワーに怒られた

でも私は「そんなに嫌だと思うなら本編書けば? 学校忙しいのはわかるけど、馬鹿にされたくないでしょ? ゲームするくらいなら本編書けば?(まぁでもセンスが無ければ人権も無いけどさ……)」と思った。本編書けばいいだけの事なのにみんなどうしてそれをやらないんだろう、でも本編書いてるアピールしてる私みたいな厨もうざいんだろうな

やっぱ厨は死ぬまで厨なんだろうな

あと最後に、どうでもいいけど「敷居が高い」をハードルが高いって意味で使われるとすごくもやもやするんですよね。あれって確か「無礼をしてしまったために申し訳なくなってる」とかそう言う意味だったはずですし

あ、そっか。迷惑行為たか申し訳なくて創作出来ないんだ

一生できなくていいよ。その代わり二度と創作者名乗るなよ

以上、私が一年間で感じたもやもやでした。支離滅裂ですいません

追記6/17

ここではソシャゲと言いましたが、キャラゲーや恋愛ゲームの類も一部説明で含んでいました。申し訳ございません。そしてコメントありがとうございます。実際これ書いた時「これ書く時のコストを本編に使えばよかったのになぁ」って自己嫌悪してたので、励ましの言葉嬉しいです。もやもやが吐き出せて少し満足したのでゆっくり休もうと思います

2020-06-16

anond:20200616183658

「よくやった」ってなんなんですかね

かっこつけてるのはその台詞吐いた女なのに

馬鹿な俺が合ってるか分からない解説

かっこつける=セリフ吹き出しカギカッコのこと「」かもしれないなと推測。

女が良くやったって言いながらカッコつけてきた???

ちょっと良く分からん

2020-04-05

スマホ手にとったらふとYahoo! Japanを開いてしまうのをやめたい

スポーツ新聞ネットメディアが流す「有名人の誰々がコロナについてこう言った」みたいな無の記事ばっかり 本当に記事によるプラスアルファ微塵もなくてAI生成みたいなガッチガチテンプレ文章カギカッコの間を埋めてるだけ 賽の河原かよ 頭おかしくなるわ

2020-03-31

博物館である前に田舎役場だった」

博物館である前に田舎役場だった」

博物館嘱託職員退職した(事実上解雇)。

それを友人たちに報告するとき自然と口をついて出たのがこの言葉だ。

改めて考えてみても、この一言に尽きるな。

例えば、この市の文化財の一つに折口信夫の碑がある。

しかしこの博物館では「信夫」の読み方がググらないと分からない。

市内で一番詳しくなきゃいけないはずの学芸員でさえ。

それで何の支障もなく誰も疑問に思わないのがこのムラなのだ

折口信夫を知らない学芸員」は、小さくみればその職員力不足と無関心ゆえ。

だが大きく見れば、それが問題視されない、職員にそれを理解するだけの余裕をもたせない、或いは理解してる者をそのポストに就けない行政構造的欠陥でもある。

(初めから学芸員として採用するのでなく、一般採用職員を間に合わせで回すからこういうことが起こる)

ここではムラの偉い老人の顔色をうかがうことが最優先事項となっていて、彼らの気まぐれに多くの職員が振り回される現状では「歴史」もまた顔色の延長にある。

専門家であるはずの学芸員にもさして専門的な知識能力は求められていない。

それよりも根回しや忖度技術の方がはるか重要とされる。(尤も、だからこそ学芸員肩書をつけていられる人もいるだろうが…)

そういう所に自分みたいなのがポンと放り込まれても、そりゃどう使いこなしていいのか分からないよね。

こいつは学芸員の部下のいち嘱託にすぎないくせに、学芸員より学歴が高く歴史知識もある。

おまけに偉いとか老人とかに関わりなく全然顔色を読む気がなく、カギカッコ抜きの歴史しか興味がないんだから

これまでは郷土史家の本を引用して市の公式見解とすればそれでよかったのに、こいつはなまじ原史料(くずし字)が読めるものから、その郷土史家が何の史料根拠としていてどこを読み誤ってるかまで気がついてしまう。

業務命令を与えてもないのに勝手に色々と調べて余計な口をはさんでくる。

おまけに市の公式歴史認識に異を唱えようとする、使えないうえに集団の輪を乱す問題職員

都会から来たよそ者の若僧よりも地元で長年教員を勤めた〇〇先生の方が偉いに決まってるのに!!!・・・てな調子だ。

「言質を取られないように語尾を変えろ」や「私(上司)はそう思わないか研究結果を変えろ」あたりにはじまって、

郷土史家の先生喧嘩を売るつもりか」や「下手したら市長の首が飛ぶぞ」が脅し文句(より穏当に言うなら、行動を制限する説得材料)として投げつけられるあたりに、自分と周囲との認識のズレの大きさがよく表れている。

例えば何か研究論文を書く場合、「先行研究批判」という研究世界ではごく当たり前の用語でさえ、ここでは"検閲"にひっかかる。

「(郷土史家の)○○先生に失礼だからやめろ」ってわけだ。

自分いくら

「これは論証に必要不可欠なステップなんです」

研究における「批判」に、人格攻撃非難というニュアンスはありません」

と口をすっぱくして説明しても、「私はそう思わない」の一点張り却下されてしまう。

結局、そういう言葉狩りを受けてできあがる文章なんてのは、誰から因縁つけられる余地がない代わりに、誰に向けて何を言ってるのかよく分からない玉虫色のお役所作文になりさがってしまう。

なるほど、彼らが求めていたのはこれだったのか。

たぶん彼らは「歴史専門家」を、先祖自慢お国自慢お墨付きを与えてくれる装置町おこし観光ネタ製造機くらいにしか考えていないのだろう。

自分たちの信ずる(しか根拠はない)歴史認識もっともらしい言葉で修飾してくれるロボット、それのみを求めているのだ。

ところがそのロボット主体的意思をもち、自分たちと異なる歴史認識提唱するなど、許しがたい「反逆」としか彼らの目には映らないのだろう。

専門家組織の一員として働くことと権力ロボットに徹することは、似ているようで全然違うと思うのだが、それはこのムラでは理解されなかった。

そりゃ自分にも落ち度はある。いち職員として使えない点は多々ある。

かい不文律を覚えない。事務作業の要領が悪く気も利かない。

(未だに「社会人」の概念理解できないので「社会人なら言われなくても分かるだろ」と言われても分からない)

とにかく解雇した側にも言い分はあるだろう。結果から見て自分がこの職場適応できなかったことは明らか。

だがそれでも言わせてもらえば、

どうしても適応しなければならないのだろうか?

適応してまで居続けるほどの値打ちがあるのかこのムラに?

人間戦争よりずっと大きい」

「その人は家よりも大きく見えました」

戦争は女の顔をしていない』を読んだ時、この言葉が胸に深く沁みこんだ。それに倣うなら、

歴史職業よりずっと大きい」

と言いたい。

仕事からしゃあなしで歴史に関わってます、本当は全く興味ありません、ムラに波風立てないことが一番です……。そういう生き方自分にはできない。

仕事を通じて自己実現ができればそれは素晴らしいことだが、それ以前に適応したいと思える、適応する価値のある場所を見つけることが重要だ。

この檻を出ても、より大きな檻の中であることは変わらない。

だとしても、今は思う存分手足を伸ばして息を吸えるだけの自由を、全身全霊でぶつかるに値する相手舞台を求めたい。

そこでせいぜい良い仕事を、面白いことをし尽して死にたい

2020-03-27

楽園こちら側」の「事実に誠意を」をほぼdeepLで翻訳してみた その2

その1https://anond.hatelabo.jp/20200327214055

12 Dr. Hiroshi Nishiura is one of the few professionals of mathematical models of infectious diseases in Japan, and it is well known that his ability is outstanding. However, many people don't understand mathematical models themselves (I must confess that I can't say that I understand all of the findings because I'm not a professional of mathematical models either), so his findings and comments are easily deified. Because the contents of the mathematical model are a complete black box to many people, it makes it seem like the oracle is coming out like a shrine's oracle. Much of Japan's infection control policy relies on the Nishiura theory. So there is nothing wrong with that, but one of the problems in Japan is that there is no plan B in case plan A goes bust. Dr. Nishiura is an excellent scholar. It is not God. Hence the need to have that Plan B with the possibility of making a mistake. I am greatly concerned that bureaucrats and politicians who are prone to infallibilism will mistake science for an oracle. It is only when falsifiability is assured that science can continue to be scientific.

感想おみくじ神託が同じoracleだったので変な文章になったが直していない。

13 数理モデル演繹法活用産物である演繹法帰納法アブダクションで補完するのが、学問の基本であり、臨床医学常識である演繹法的にどんなに正しく見えても実はそれは違っていた、ということはこの業界ではよくあることなのだ。ヘーゲルマルクスのような巨大な知性でも演繹法オンリーでは間違うのである

Mathematical models are the product of deductive methods. The deductive method is complemented by the inductive or abduction method, which is the basis of scholarship and the common sense of clinical medicine. It's a common occurrence in this industry that no matter how deducibly correct it may seem, it's actually not true. Even a huge intellect like Hegel or Marx can make a mistake by deduction alone.

感想:「蓋を開けてみれば」を「実はそれは」に変更した。

14 モデルを使うな、といっているのでは決してない。ぼく自身モデルを用いて論文を書く。しかし、モデル無謬ではなく、そこには前提である仮定があり、仮定はしばしば間違っている。グラム染色活用するとは、グラム染色にできないこと、分からないことを知悉していることであり、グラム染色万能論者にグラム染色は使えない。同じことだ。英国でも数理モデル活用されているが、だからこそ英国人はその結語には非常に懐疑的で、常に反論異論が起きている。健全科学的な態度である

 I'm not saying don't use the model at all. I myself write a paper using a model. However, the model is not infallible, there are assumptions that are assumptions, and the assumptions are often wrong. Making use of Gram's stain means having full knowledge of what Gram's stain cannot do and does not understand, and Gram's stain cannot be used by Gram's stain universalists. It's the same thing. Mathematical models are also utilized in the UK, which is why Brits are very sceptical of their conclusions, and there are always counter-arguments and objections. It is a sound and scientific attitude.

感想:「前提たる仮定」がうまく訳せていなかったので「前提である仮定」にしたが、assumptions that are assumptionsになってしまった。

英国人は」がないと主語がIになってしまったので追加した。しかBritsじゃ意味違うよ。もっと正しく訳してくれない?

15 Japan's "now" is a well-controlled state of infection, which is much better than Wuhan at its worst, or Italy, Spain, France, England, or New York at the present time. The problem is that it doesn't guarantee that it will "always work".

感想特にない。便利だなあ。

16 懸念されるのは東京だ。感染報告が増えたことだけが問題なのではない。クラスター形成できない、トレースできない感染者が増えているのが問題である。そして、その陽性患者数に比べて検査数がずっと少ない。47人の感染者を捕捉するために100人未満(陽性者の検査日が不明だが、おそらくこのへんだろう)しか検査していないのは少なすぎる。

It is Tokyo that is of concern. The increase in reports of infection is not the only problem. The problem is that more and more infected people are unable to form clusters and cannot be traced. And the number of tests is much lower than that number of positive cases; it's too little that they only tested less than 100 people (the date of testing for the positives is unknown, but it's probably around here) to capture 47 infected people.

Again, it's not necessary to figure out all the infected people. However, it is troubling that the flow of infection, movement and clusters are out of sight. Therefore, the threshold for testing must be lowered in Tokyo. The threshold for testing varies with the circumstances. That's what I explained with the Korean example. Sticking to the Ministry of Health, Labour and Welfare's "standards" will lead to a misunderstanding of the phenomenon itself. Already in the Kansai region, infected people have been found with taste and smell abnormalities, and clusters have been detected from there. I would like to make more use of the athletic sensibilities of these clinicians. I'm not sure "where" in Tokyo is the barrier to lowering the number of inspections, but that barrier needs to be removed immediately.

感想:「捕捉するのに」を「捕捉するために」に変更した。多分これでいいと思う。思いたい。

アスチュートathleticになっているのはどう反応したらいいかからない。

17 This conceptual diagram that everyone is looking at - lowering the peak of the infection and shifting it to the side. This is all a product of deduction, and I don't know if it's really true. As mentioned above, the UK estimates already suggest that this is not enough. It is possible that the damage that was shifted to the side could simply be "extra-long damage".

感想特に言うことはない。便利だなあ。

18  そして、ここが肝心なのだが、ピークを下げるという理念が、「ピークを下げなければいけない」という観念になり、「ピークは下がっているはずだ」という確信になり、「ピークは起きていないんだ」という自己暗示に転じてはいけないということだ。プランAに固執する日本あるあるの失敗のパターンで、ダイヤモンドプリンセスでは「二次感染が起きてはいけない」が「起きているはずがない」に転じてノーガード下船を許してしまった。「ピークが起きてはいけない」が「ピークなんて見たくない」にならないように現実を見据える必要がある。たとえ、それが我々の見たくない不都合な真実であったとしても。

And this is the key point: the idea of lowering the peak should not become the notion that the peak must be lowered, or the belief that the peak must be lowered, or the self-implication that the peak is not happening. In a pattern of Japanese failure to stick to Plan A, Diamond Princess allowed no-guard disembarkation by changing "secondary infection should not occur" to "it can't have happened". We need to keep our eyes on reality so that "peak shouldn't happen" doesn't become "I don't want to see a peak. Even if it is an inconvenient truth that we don't want to see.

感想:mustが違う文脈で二回出てきている。よくわかるように変更したいものだ。

カギカッコがないとうまく訳せなかったので追加しているが、なぜかカッコ閉じるがいくつか抜けている。この箇所以外にも抜けがある。

19 Repeatedly. It's common knowledge in this industry that deductive methods are complemented by inductive methods. Nevertheless, PCR is often false-negative and has little power to determine the status of infection. That's why "testing everything" is so wrong. However, a serum test measuring immunoglobulin IgM and IgG would provide a more accurate picture of the "status of infection in the population. This, however, is not infallible. It is difficult to use for individual cases because it misses early infection, which is why it misses early HIV infection.Whether antibody testing is useful in individual cases remains to be tested, but it is well suited for epidemiological studies on a population basis. Roughly speaking, we can confirm whether the "infection is rampant" in Tokyo right now, or whether it's just an unfounded fear.

前例としては、ロンドンの血清検査で09年パンデミックインフルエンザが従来予測10倍起きていたことが血清検査でわかっている。抗体検査アウトブレイクのあとで事後的に行うことが多いが、慢性的パンデミックになりつつあるCOVID-19については、「今」こそが検証ポイントといって良い。

As a precedent, serology tests in London showed that the 2009 pandemic flu was 10 times more likely than previously predicted. Antibody testing is often performed after an outbreak, but now is a good time to examine COVID-19, which is becoming a chronic pandemic.

感想:「前例はあって」を「前例としては」に変えた。「前例はある。なおかつロンドンで〜10倍起きていた」になってしまたからだ。

20 英国さらアグレッシブだ。家庭で抗体検査を行い、「感染である」とわかればそれを自宅での自己隔離根拠に使おうというのだ。ロックダウンが起きている中で、検査陰性は「自己隔離不要」を意味しないため、その戦略に欠陥はある。が、考え方としては「感染全体を抑え込みたい」というもので、検討価値はあると思う。

The UK is even more aggressive. The idea is to test for antibodies at home, and if they are found to be infected, they will use it as a basis for self-isolation at home. That strategy is flawed because with the lockdown in place, a negative test does not mean "no self-sequestration". However, the idea is that we want to control the infection as a whole, and I think it is worth considering.

感想:「戦略に穴はある」を「戦略に欠陥はある」に変えた。

21 東京でどのくらいの感染が起きているか帰納法確認必要であり、有用だ。その結果がどうなるかは預言者ではないぼくには分からない。が、どんな結果が出てきても、それを受け入れ、場合によっては自説を変えて、プランBに移行することにも躊躇しない態度が科学者には必要だ。科学者は、首尾一貫していないことにかけて、首尾一貫していなければならないのだ。形式においては首尾一貫していなくても、プリンシプルプロフェッショナリズムにおいて一貫しなければならないのだ。事実に誠意を。 

Inductive legal confirmation of how many infections are occurring in Tokyo is necessary and useful. I'm not a prophet, so I don't know what the outcome will be.However, no matter what the outcome, scientists need to accept it and not hesitate to change their thesis and move on to Plan B in some cases. Scientists have to be coherent in their inconsistencies.They may not be coherent in form, but they must be coherent in principles and professionalism. Good faith in the facts. 

感想:首尾一貫という言葉を使いすぎて文章をアホっぽくしてしまったが他にいい方法が思いつかない。朝三暮四理解してくれなかった。「自説を曲げ」は「自説を変えて」に変更した。

文章はもう少し整形できると思うがとりあえずこれで。

岩田健太郎先生とDeepLに敬意を。

2020-03-08

動物倫理相対主義

https://t.co/pxPyAmUEtN?amp=1

『講座 あにまるえしっくす』 第2回「道徳なんて人それぞれ?」へのリプライ

漫画のページを5pのように表します。また、漫画中のセリフを二重カギカッコ『』内に引用して、続く地の文で私の意見を書きます

5p『唯一 確実な正解を導きだせなくても、「これは絶対ちがうよね」っていう間違った答えを排除することはできるんだよ』

絶対○○だよねとは日常的にも口にされる言葉ですが、例えば絶対ためになるからと勧められた漫画がまるで期待はずれなんてよくあることです。そしてそれは絶対主義者しか言わないようなことでもありません。ここでもその日常的な意味で使われているのでしょうか。今回のテーマ相対主義である以上、絶対主義にコミットした発言なのかそうでないのかは曖昧にすべきではないです。

仮に、絶対主義的な意味で「これは絶対ちがうよね」と言っているのだとして、このときヴィーガン自分たちの主張を論破されて「これは絶対ちがうよね」と敗北する可能性を認めることになります。それとも、論破されたら(そこまでいかなくても強い批判に答えきれていなかったら)道徳に唯一確実な正解はないと逃げるのでしょうか。私にはそのような態度は、まさにここで漫画の筆者(原作者)が批判しようとしている相対主義的な逃げ口上に見えます。言い方を変えると、ヴィーガンの主張には道徳的に唯一の正解がないからと相対的正当性を確保しつつ、アンチヴィーガン反論には絶対誤謬があると前提しているように見えます絶対主義にコミットしようとしまいと、これは一貫性に欠けるのではないでしょうか。

12p『極端な相対主義者はこのように主張するのよ 「善悪や正しさの基準は人によってそれぞれ異なる相対的もの絶対的な基準などない したがって自分基準他人意見や行動を批判したり干渉したりするべきではない」』

相対主義規定は(X)何が(Y)何によって相対的か、という点でいくつかのヴァリエーションがあります。「人によってそれぞれ異なる」という規定が極端な相対主義であることにはある程度まで同意します。(Xが「善悪や正しさ」なら極端に違いないのですが、もしXが趣味や嗜好なら人それぞれでも極端ではないです。)

異議があるのは、「したがって」以降の規定です。この「したがって」はヒューム法則違反していますヒューム法則とは、「○○だ」から「△△すべきだ」を導けない、というものです。原作者はもちろんヒューム法則を知っているはずですが、なぜその点は批判していないのでしょうか。たんに気づかなかっただけなのか、疑問があっても教科書的な紹介に徹したのかはっきりしません。少なくとも賢明相対主義者はヒューム法則違反に気づいており、「したがって」以降の規定相対主義とは無関係の内容と考えて受け入れません。

14p『「他人意見や行動を批判したり干渉したりしてはいけない」という正しさの基準も 「他人意見や行動を批判したり干渉したりしてもいい」という正しさの基準も どちらも対等なものであって結局どちらを選んでもよい』

相対主義に反対する立場も 相対主義と同様に妥当立場だと認めなきゃいけないことになるわけ』

先の私の説明からすると、相対主義者は他人批判干渉してもよいことになります。(もちろんしなくたっていいです。)批判干渉の是非を問うのは寛容の問題であり、相対主義道徳的・現実的問題と密接に関わってくるものの、相対主義とは切り離すべきです。原作者の紹介のように癒着させるのは、相変わらずヒューム法則違反しています

相対主義に反対する立場とは絶対主義ですが、相対主義絶対主義あるいは絶対的なものを認めるかどうかは、こみいった議論必要になります。それは相対主義の専門書や論文に譲ることにして、「相対主義に反対する立場」として「批判したり干渉したりしてもよい(すべきだ)」という倫理的判断を持ってくるのは誤りです。繰り返しになりますが、この倫理的判断相対主義問題ではなく寛容の問題からです。

24p『確かに地域時代による慣習やルールの違いはある でも慣習やルールの違いを課題評価すると 根底にある共通価値観を見落としてしまうんだ』

相対主義あくまでXがYによって相対的だ、と主張しているにすぎません。つまりある種の絶対的なもの否定しているだけであって、普遍的ものは受け入れてもいいのです。(そしてもちろん、受け入れなくてもいいです。)絶対的なものはすべて普遍的である、という議論があるなら話は違ってきますが、そうでないなら、相対主義者は普遍的もの共通価値観を見落としているじゃないかと言われても、見当違いな批判しかありません。見識の狭い相対主義者は確かに共通価値観を見落としているでしょうけれども、相対主義への批判であるなら、せいぜいでも藁人形論法です。

33p『「文化」は魔法言葉じゃない 「これは文化なのだから」という言葉で どんな悪習でも正当化することはできないんじゃないかな』

その通りです。悪習を文化から正当化すべきではないです。文化相対主義はXが文化によって異なる、と主張します。またそれか、と言われそうですが、ヒューム法則違反するので「したがってどんな文化でも尊重すべきだ」なんて主張は含意しないわけです。もし文化相対主義が「どんな文化でも尊重すべきだ。ということは文明からすれば悪習と言える文化であっても、文化から尊重すべきだ」と主張していたら、それはもはや文化相対主義規定を超えていますとはいえここは慎重に議論すべきところで、まさにこれが道徳的・現実的な寛容の問題からです。例えばの話、欧米人から見て野蛮な文化なら寛容にならなくてよい、という倫理的判断をどう考えるか、深刻な問題であるのは間違いないです。突っ込んだ議論は専門書に譲らざるをえません。

34p『あの時代倫理観よりこの時代倫理観の方が「より善い」と判断する基準は 文化相対主義によれば存在しない』

これまたその通りです。絶対的な善に向かって進歩する、なんて文化相対主義は認めません。ただし、AよりBの方がいいだろう、という議論を重ねることはできます民主的議論のすえに実際にAからBになったとしましょう。絶対主義者ならそれをAからBへの進歩と呼び、相対主義者はAからBへの変化と呼びます進歩否定したとしても、相対主義者は変化を望むことができ、理性的議論することができ、ときに実現することができます

44p『肉食という慣習や狩猟文化 動物を利用した伝統なんかについては結局どう考えればいいんだ もしそれらが善くも悪くもないただの慣習に過ぎないのならば 「肉を食べるべきではない」という倫理的判断はやっぱり偏見なんじゃないのか』

人間尊厳と同じように 動物尊厳普遍的妥当する考え方なんです』

相対主義者であり、かつヴィーガンであることには、なんらの論理的矛盾もありません。つまり相対主義擁護賛同しながら、種差別に反対することはできます。それはこれまでの説明から明らかであると思います

人権絶対的なものと考えなくても、普遍的に実現されるべきものと考えることができます異文化にむりやり介入して非寛容な手段によって実現するか、あくまで寛容に実現するか、その重要な違いはあるにしても。動物尊厳もまた同様です。(もちろん、種差別にある程度まで賛成したっていいわけですが)

2020-02-24

美少女宣伝に使うことに関して

Togetterで日々いろいろなまとめを見るという良くない趣味を持っているのだが、

無茶苦茶なことを言っている『ツイフェミ』を論破したったwww」みたいなまとめが最近多い気がする。

そういったまとめでターゲットにされている「ツイフェミ」の方々の言ってることは確かに無茶苦茶ではあるものの、

何も考えず条件反射的に「おかしい界隈の奴がおかしいことを言ってるから論破して叩こう」というのもおかしな話だと思う。

一応、下地には「性的な箇所を強調された女性の絵ばかりが宣伝として使われている」という真っ当な主張があるわけで。

ひろゆき氏がインタビューでこう言っている。(ひろゆきなんかの発言引用したくはないが…)

"フェミニズムって言葉を使う人のなかに、「男女平等がいいよね、同じようにしたいよね」という人と、

女性権利を増やしたい、そのために男性権利制限したとしてもいい」という人が両方いる"

引用元:https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627

よくフェミニズム叩きに使われている「ツイフェミ」の方々は後者のいわば過激派差別主義であるが、

いかんせん声がバカかいためそれがフェミニストの総意であるかのように捉えられてしまう。甚だ遺憾である

ただ、「性的な箇所を強調された女性の絵ばかりが宣伝として使われている」ことに関しては、

前者の平等論者も、騒ぎ立てこそしないものの「改善」されるといいなと思っている、というのは認識していただきたい。

改善」とわざわざカギカッコを付けたのは、過激派の方々と平等論者とではベクトルレベルが違うからだ。

過激派の方々が指す「改善」は「美少女コンテンツ宣伝に使わない」「この世からセクシーというセクシーを消し去る」ことで、

平等論者の指す「改善」は「女性受けする男の子宣伝塔にする」「公共性の高い媒体では無駄セクシーにしない」こと、くらい違う。

女性受けする男の子宣伝塔にする」というのはFree!、弱ペダ、刀剣乱舞などで既に実施されているが、

Free!ちょっとセクシーが過ぎるんじゃないかな…と思った男性は少なからずいるのではなかろうか。

その「セクシーが過ぎる」という感覚が鈍くなっているのが美少女宣伝塔にしているケース、と言ったら改善してほしい気持ちをわかっていただけると思う。

文章をこれ以上書くのが面倒になったので言いたいことを総括すると

過激派自称フェミ男女平等論者を一緒にしないでください

過激派の方々を論破して遊ぶのは個人自由ですが、過激派でも根底には男性優位社会への問題意識があることは念頭に置いてください

・騒ぐのは専らツイフェミのみなさんばかりだけど、嫌がっているのが本当にツイフェミだけかってのはちょっと考えてみてください

(わからなければ、服がはだけていたり袴の皺がやたら股間を強調していたりする男キャライラストに置き換えてモヤモヤしないか想像してみてください)

・やっぱ駅の掲示物とかでエッチなのは良くないと思います

以上です

2020-01-24

anond:20200124000848

妄想で浮かれているようだが、

6行目のカギカッコ二重カギになってっぞ

2019-11-20

anond:20191120172818

国語勉強しようね

カギカッコの使い方がよくわからないよ

「なんであなたのお母さんや姉や妹や彼女や姪やetcetc」

これは誰のセリフかな?君かな?フェミニズムアンチかな?

2019-10-10

anond:20191010100559

ゲームだと最初カギカッコは固定で付けられるけど、とじカッコはセリフの量によって変動するから付けるのが難しい

喋るキャラも表示されるから、いちいち閉じなくてもここまでが一人のセリフだとわかるしな

2019-09-13

anond:20190913174302

カギカッコタグにしても千葉は駄目みたいだな

千葉の何が気に入らんのだろうか?

2019-07-12

anond:20190712111632

(続き)

これ、『サマーウォーズ』--これは脚本自体は奥寺さんですけどね--の頃からの一貫して細田さんの弱点だと思うんだけど、いわゆるカギカッコつきの“リベラル”的な女性観・家族観理解がひっじょーに浅薄で浅いんですよ。女性家長、新しい!女性子育てをしていて偉い!男はイクメン気取りだけど全然わかってない!主夫育児なんてドタバタダメダメ!→ね?俺わかってるっしょ?みたいな意識無意識ですね。

まず、イマドキ4歳児に「男の子でしょ!」って言って説得するのは“絶対になし”とまでは言えないまでもちょっと古くさい感覚だと思うし、そんなあさーい理解からサイコ父ちゃん無慈悲既読スルーをする一方で、クソガキ様の自転車練習とき--この父子モチーフもイマドキ手垢つきまくってませんかねえ--急に古くさい父親イメージとなるんですよ。要するに無理してかっこつけて大衆に目配せしているおかげで世界観キャラクターの知能レベルがガタガタなんです。

さらに痛いのがね、ミライちゃんが初めて現われたその動機ネタバレになるから一応伏せますけどね。何か裏事情があるのかなーと思って見てたらそのまんまで、は?なんじゃそりゃ!っていう。何故そこだけ急に価値観昭和中期以前になるのかな・・・?キミ、設定上は一応令和時代を育ったんでしょ・・・?ってかそれ、おもしろい、のですか・・・??

ところが、このミライちゃんについては、はあ、それで・・・?未来のミライちゃんにとっての“今”ならまだしも新生児ときのソレってそんな気にするもんなの?というか、我々はリアリティラインをどこに設定すればよいのかな・・・?となっちゃっていて、行動原理が全くロジカルじゃない!ギャグとしても全くおもしろくないし。そもそもね、あれだけドタバタしてたらいい加減お父さん気付くでしょ?何か不思議な力が働いているのかな?ってか結局“現実”ではどう処理されたの?ってのが全く意味不明、というね。

良かった点も一応言っておきましょう!特にクソガキちゃんクネクネクネクネした動きね!ここに関してはいわゆるアニメーションに疎い私でも「あっこれは気合い入れてるな、金かけてんなー、他の諸作品とは次元が違うなー」と思わせるものがありました!

でもね、それに関しても、「動きリアルっしょ?」「幼児の動きわかってるっしょ?」という自意識が先に見えてしまって素直に楽しめない自分がおりました。ここもなー、動きを見せようというのが先にあって全くロジカルじゃないんだよな。

擁護派の中には、「アニメーションリテラシーちょっと高くないと」「『話がどうこう』って言い出すとやっぱり『つまんない』って感想が出てきやすい」っておっしゃってる方もいるみたいですけどねー。専門学校生卒業制作で作る映画の話をしているならまだしも、あれだけ大メジャー作家アニメーション映画でそれ言い出しちゃったらダメですよ。動きを追求するにしても「話がどうこう」の最低限のレベルクリアしてくださいよ。そこは逃げないでくださいよ。比較するのはちょっと残酷すぎるかもしれませんが、宮崎監督作品高畑監督作品批評アニメーションリテラシーの高低の話出てきますか?そりゃリテラシーが高い方の方がより作品世界を楽しめる。そういうことは往々にしてございます。両巨匠作品もそういった性質のものですし、ポスト世代では、庵野監督作品片渕須直監督作品だってそのように評価できると僕は思います

しかしね、それにしても、あれだけの資本がついていて、ちゃん作品に力があればリテラシーの高低にかかわらず、大衆みながそれぞれの立場で楽しめるものになるはずなんですよ、本来は。

極端なこと言えばリアルアニメーションが欲しいだけならモーションキャプチャーウニウニ動かせばいいだけの話で。僕は、それ以前の、物語としての最低限の誠意やマナーの話をしているんです。

その象徴として最たるものがあの“意識高い系”住宅。あれ、わざわざ建築家の方にオリジナル建築設計発注したとのことですが、あのねえ・・・これ、建築家の方は発注に答えたまでで全く悪くないと思いますが、新生児と4歳児をかかえたサイコ父ちゃん仕事をしながらワンオペ育児をする家があの作りって・・・。あのう・・・控えめに言って狂ってるんでしょうか?これも「ためにする」デザインしか思えないというか、あの家の作りでこの家族--暴れ回る幼児たちやこれから年を取るご夫婦--が一人も頭をかちわらずに天寿を全うできたらそれこそ奇跡なんじゃねえかという(笑)。やっぱりねーそこらへんの視点への気配りも含め、とことん不誠実なんですよ。

あとねー、クソガキちゃんについてもですね、「アナルプラグ(笑)」って書いてきたリスナーもいましたけれども(笑)未来のミライちゃんに対して顔を赤らめて言うセリフとか、“王子様”に対する態度とか、サイコちゃんアルバム唐突に出てくる、結婚式スライドのようなリアリティのないアルバム。あれだけ小綺麗な写真見せといてなーにが“黒歴史ww”じゃい!)への反応とか、カギカッコつきの“東京駅”での振る舞いとか、ラストシーンミライちゃん説明ゼリフとか、もうとにかくその場その場で場当たりでてっきとーにキャラクターを動かしているから、まとめて一本の映画として見させられると賢さの設定がぶれぶれなんです。

特にアナルプラグクダリなんて完全に大人側の欲望目線やんけ、これのどこがリアルな4歳児なんすか!というですね。

ぶれぶれといえば、こちらも指摘しておかなければなりません。

物語の根幹かつクライマックスにもかかわる、世界観の設定ですね。

ミライちゃんがこれまた脈絡のない説明ゼリフでとあるタブー説明するんですが、その数十分後にはたやすタブーが破られる。そして特にペナルティーもない。じゃああの説明ゼリフはなんだったの?観客ポカーンみたいな。

そもそも未来のミライちゃんが全て知ってるように振る舞っているのは何故?とかね。言い出したら切りがありません!

BTTFシリーズのようにパキッと全ての伏線を回収しろとまでは言いませんよ!けどね、作品独自タブーを出したらペナルティもあわせて説明してくれないと意味ないでしょ!ってかそれって創作における最低限の誠意、マナーなんじゃないんですか?

どういうことか。要するに、タブーが実際に破られる?大丈夫か?大丈夫か?あーとうとう破られてしまったー!そのあと一体どうなるー?、という状況があって初めて我々観客は一緒にハラハラできるわけですよ。たとえるならアレですよ。映画グレムリン』ありますよね。1984年。ジョー・ダンテ監督出世作。その中で、例の3つのルール、ありますね。

この作品でたとえるなら、映画内で3つのタブー説明したにもかかわらず、結局ペナルティはよくわからない。映画の後半でギズモが太陽が燦々と照る真っ昼間にグラサンかけてジャブジャブ海水浴をしている。そんで最後最後にそれまでの展開と無関係な第4の設定が唐突にギズモの口から語られる。なんじゃそりゃ、みたいな(笑)。もう一体何がしたいの?というレベルですよ。

世界観の設定自体もね、これ、実は初見とき、クソガキちゃんインナートリップやらセルフセラピーやらの話かとも思ったんですが、どうもそうじゃない。福山ひいじいちゃん東京駅クダリを踏まえると、クソガキちゃんが明らかに経験しえないこと・知りえないことを経験していて、なんでインナートリップルールからも明らかにはみ出している。

あのねえ、4歳児を主人公にすること、オムニバス形式であること、現実と夢、空想あいまいなことって世界観がグチャグチャであることの免罪符には決してなりませんからね。童話寓話不条理ってそういうことじゃあないんですよ。ことほどさように、幼児を、というか人間のあり方そのものなめている所作しか思えません!

細田さん、クレヨンしんちゃん映画版だけでもいいからもう一度じっくり全部見てくださいよ。全てが100%の傑作というつもりはもちろんありません!ありませんけど、幼児主人公であること、ギャグマンガであることを世界観言い訳にしているのはほとんどありませんよ。その上で、幼児幼児性、第一子と第二子関係性、ペットとの関係性、親子が親子であること、夫婦夫婦であること、家族家族であること、などなど、比べるのもホントおこがましくてしんちゃん側に大変失礼な話ですが、大人子供も笑えるギャグも交えつつ逃げずに遙かに高度のレベルで達成してますよ。

クレしんとの対比でいえばクライマックスのアレね。あー出た出た細田演出はいはい。なんて意地悪な僕は呟いてしまったわけですけれども、これもちょっとしたネタバレなっちゃますが、クレしんの某・大名映画監督脚本原恵一ナンチャラ帝国(笑)オトナナンチャラ(笑)の、“あの例のシーン”。これ、見た方はおわかりかと思います。と同じようなシーンをクドクドクドクド・・・。犬まで登場させてクドクドクドクド・・・。そもそも犬ってああやって母犬と別れるのか・・・?違うんじゃねえの(笑)?ってかそれもセリフ説明すんのかーい!見てりゃそれくらい黙っててもわかるわ!それ以前の問題としてに父犬はどこに?ということも含めて、とにかくひっじょーにテンポが悪い!!

あと一つ、これだけは言わせてください。

僕、前から言ってますよね。我々の用語でいうところの、いわゆる一つの“ベロベロバー問題でございます

クソガキたちがおどけた何か面白“げ”なことをやれば面白くなると思ってますよね。テレビではそれでいいかもしれないけど映画はそれじゃあ笑えないんですよ。

なおかつ、それ以外のギャグアナルプラグでしょ!?単に下ネタダメってんじゃないですが、時と場所と見せ方を選んでください。ただただ不快です。R指定なくていいのか?これ、子供に見せてもいいの?という。

特に前半パートギャグが全部が全部ダダ滑りっていうね。

さらに、その滑ったギャグを、全然成長しないクソガキのワガママサイコ両親の立ち振る舞いで上書きして不快感を増させていくという(笑)。もはや“げ”ですらないじゃないか(笑)

うるせー!こちらがお前らを「好きくない」んじゃー!とホント上映中心の中で何度叫んだことか。

そんで全然成長しないサイコ両親が終盤あまーい自己満足セリフを言い合いますよね。はあ・・・。それはまあいいんですが、まずご自分たちのサイコ性に手を当てて顧みていただいて、素晴らしいご両親のご美意識にはお反しあらせられるかもしれませんがご自宅に子供用の転落防止柵をつけるなり、恵まれ収入ハウスキーパー雇うなりしないと死人が出ますよ、なーんてひねくれた僕なんかは思っちゃいますけどね!ええ、ええ、どうもすいませんねえ!ひねくれ者なもので!

え、もうこんな時間時間がない!あと最後にこれだけ。

いわゆる細田演出ね。

これもねえ、今回は残念ながらあざとい部分だけ、“やだみ”ばかり印象に残ってしまいました!

はいカメラパンしました。時間が経過しましたよ。これ省略だよ。映画的でしょ?というのもさー、それはそれでいいと思うし、正直さすがうまい演出だなあと感じたカットも中にはありました!冒頭の息でガラスを曇らすシーンとか、雪のシーンとかですね。でも、これは演出じゃなくて脚本の方の問題かもしれないけど、とにかく登場人物がクドクドと設定を喋る喋る。別に未来の人だからってイコール全知の人じゃないですからねえ?

これもそれなりの理由があれば設定を喋ること自体全然いいんですよ。

さっきたとえにあげたBTTFシリーズのドクとか、顕著な例ですよね。要は、彼は物語構造上、観客が知らないことを「知っている」からタイムマシーンの設定を「知らない」マーティン(=我々)に対して多少くどく説明しても全く嫌みにならないじゃないですかちゃん時間が変わって彼が設定上「知らない」世界のことは観客が知っていても一切説明してないでしょ。

このあたりもなー。知識レベルの設定が全然統一されてない。観客は最初から最後まで悪い意味で置いてけぼり。

たとえばこれ僕からの一つの稚拙提案ですけどね。ひな人形を巡るくっだらねードタバタをどうしてもやりたいんなら、おじいさんのエピソードも、一見するとくだらない代々の言い伝えである迷信的なナニカを律儀に守りました→そうしたらおばあさんとめでたく結婚できました→ミライまでの血脈が繋がりました→だからミライもそれをなぞったのです、ってすればですね、まあ設定のレベルとしてはひとまず統一できるじゃないですか。そのあたりも含めてとにかく“雑”の一言に尽きるんですよ。

あと、これ、感想メールで指摘していたリスナーもいましたけど、父ちゃん側の血筋はガン無視問題ですね。誰しもそうですが、父と母が「両方いて」初めて今の我々に繋がるんじゃねえの?おいしいところ、ドラマチックなところのつまみ食い的な、「ファミリーヒストリー」をそのままやりたいならわかりますよ?でもこの映画テーマって、平凡な一家族の、非・ファミリーヒストリー的な部分にあるんじゃないんですか?

ファミリーヒストリー」的にいってもですね、もうこれ作品の根幹の価値観の話なんですが、サイコな両親とは距離を置き、血縁自分からは繋がず、一人で自己完結してアナルプラグで遊んで暮らす一生は果たして「不幸」なのか?「何かしらの罰を受けなければいけないこと」なのか?という問いにはこの映画、実は全然答えられていませんよね。そのように考える人は、排除され、存在しえない世界となってしまっている。ここ、最初にも述べた“この光景果たしてユートピアなのかそれともディストピアなのか(笑)!”という問いにも繋がるところですが、このあたりも、昨今生産性だなんだとニュースになったりしていますが、イマドキの価値観でいえば、全体としてはどんどん多様な個人価値観尊重する方向に向かっていっていますよね。少なくとも、僕個人はかくあるべきだと考えています。「家族派は家族派」、その立場はもちろんそれで否定しないけれども、一方で「アナル派はアナル派」だし(笑)、「乳首派はもちろん乳首派」(スタッフ爆笑)、本当はね、みんな違ってみんないいと思うんですよ。

このあたりも細田さんの“臆面のない傲慢さ”の意識無意識、いわゆる“やだみ”がどうしても透けて見えてしまっているというか。というよりも、悪いこと言わないからもう細田さんはこれ以上家族のテーマは触らないか、触るとしても設定から脚本からから全部外注して演出だけに専念する方が良いと思いますけどねえ。僕は。

というか、そもそも幸せって他人と比べてしまった時点で大概幸せにはなれないですからね。“あの”東京駅の“あの”新幹線の設定を踏まえるとどうもここはそういう世界ではないようですが。僕はこの世界は断固拒否したいです。絶対に嫌です。別にひとりぼっちでも本人が幸せならそのままで全然いいじゃねえか、というね。僕なんかはそう思ってしまますけれども。

あー時間がない!声優お話とかもしたかったんですけどね。福山雅治さんの意外なはまりっぷりとかね。

結論としては、申し訳ないですが、僕個人は「好きくない」類の映画と言わざるを得ませんが、山下達郎さんの主題歌劇場音響で聴きたい方、幼児アナルプラグを刺して絶頂する場面を超絶作画で見たいという方に対しては・・・・・・オススメです!

(終)

2019-06-22

anond:20190621123708

題名の付け方からすると、増田意図としては「そうとは限らないよ」という反応が欲しかったのだろう。じゃなかったら「社会的弱者を一度体験したら他人に優しくなれる」という題名にするだろう。カギカッコはつけないだろう。

2019-06-07

anond:20190607103002

結局これなんだよな

自由を持ち上げているようでも「自分お気持ち範囲内で」というカギカッコがつく

いくら女に甘い顔をしても無駄理由がまさにこれ

2019-05-03

私もフェミニストは嫌いだけど、「男のフェミニストモテたいだけ」っていうのは悪質なレッテル貼りだし、それ自体男性差別だろう。

でも、私はアセクシャルからからないけど、どうやら世のシスヘテロ男性の多くは「モテ」というものアイデンティティの拠り所にしている節があるようなので、そういうフェミニストも少なくはないのかなと思った。(そして彼らは自分でも気づいていなさそう。「モテ」とカギカッコ付きにしたのは、「女性に(一般の)好意を持たれること」を含めているから。ただ彼らはなぜか男性ではダメらしい。)

属性全体で多いからといって個人をそうと決めつけるのはまさに「偏見」だし、どちらにせよ悪質な言説だとは思う。

2019-04-29

anond:20190428232710

カギカッコを使うかはノリで決める。使いすぎると逆に分かりづらくなる諸刃の刃

(インターネットでは文章量が多くなると読まれなくなるため、生まれた工夫のひとつなのだろうと推測する)

ここでいう「分かってる」感とは「自作品をどれだけ把握しているか?」というような意味である

面白いとされる作品は「作品のこの部分は、これこれこういう理由でこうなっている」という理屈が膨大にある。

それは例えば「影響を受けた過去作品」「最近の風潮」などを含むが、それに限定されない。

そもそも現代では「お約束」に頼った作品は言うほど支持は得られていない。

つぎはぎだらけのキメラじみた作品ITの普及した今の時代では成立しないのだろう。

なぜって希釈された偽者よりも本物を探すことができるのだから

創作の背景をイメージしてみると「試行回数」のようなものが浮かんでくる。

一般的には「完成後に一通り見てみると矛盾や気になる点が見つかる」ものだろう(もしかしたら最初から完全な作品もあるのかもしれないが)。

理想論を言えば作品が一通り完成した後、それは捨ててリメイクするのが妥当ではあるはずだ。

  • 面白い作品「この作品にはこういった欠点がある」(第1段階)→作者「当然、対策してある」→「矛盾や気になる点がほぼ見当たらない。分かってる」
  • 面白くない作品「この作品にはこういった欠点がある」(第1段階)→作者「え?そうなんだ」→「自分おかしいと思わないのか?分かってない」

試行回数の不足を感じさせる」のを「詰めが甘い」と言い換えることもできるだろう。

結局は作者が自作品を把握していないから、そうなる。

(ただし実際の試行回数は分からないため、視聴者・読者の印象の話になってくるが)

現実では試行回数を多く取ることは時間問題などから難しいようだ。

なので例えば「プロット仮想的に試行回数を増やす」や「過去経験ノウハウなどから補完する」というテクニックの話になってくるのだろう。

物語創作の腕」というのは、そういったテクニックの有無ではあるまいか

2019-04-28

anond:20190428231132

「分かってる」ですか…わざわざカギカッコしたということは、特定文脈暗喩されているかとお見受けします。

フランス語圏思想界隈でいうところの「大文字の…」みたいな?これ自体カギカッコつきにするべき表現ですが)

私がそれを自然に真似することができないところの考え方とは、まさにそのカギカッコにこめられた文脈が立ち上がってくる現場なんですよ。

何を持って「分かってる」とされるべきなのか、数学物理お話ではないからそこに働く「場」が人々を振り回すのだろう、そういう見えない政治力学は私がとても苦手とするものです。

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