2022-01-04

ペットロス中のあなたへ

昨年、飼い犬が天寿を全うした。

もう半年以上経つのだけれど、まだ立ち直れずにいる。

亡くなる2~3日前、家中パトロールして普段は行かない所にも顔を出して念入りにチェックをしていた。

そして亡くなる直前、わたし母親の顔をじっと見つめ、それからパタリと息を引き取ったそうだ。(私はその時、仕事で外に出ていて立ち会えなかった)

たくさん遊んで、美味しいものも食べて、後悔はない。

けれども、疲れた時に顔を舐めて慰めてくれるあの小さな犬がいないのだと思うと、ため息を止めることはできないのだ。

特にひとりでいる時。口からぼそっと弱音を吐いてしまう。大抵は「○○ちゃん、俺は疲れたよ……」という言葉だ。

そう言って倒れ込むと、あいつは一生懸命私の顔を舐めてくれたのだ。

それでここ最近はずっと「疲れた」とか「もう頑張れない」などと口にしてしまっている。

病は気からとか、心は持ちようとか言うが、まさにその通りであった。

最近メールの返信もままならない。

zoomで会えば体面は繕えるが、ひとりでいる時の生産性は激落ちの一言だ。

クビにならずにやれていることが不思議でならないほどだが、抜け殻のように感じるこの身体は惰性か何かで頑張ってくれているのだろう。

もう慰めてくれる小さなはいないのだ。

道端で散歩している犬を車から見るだけで涙が止まらない。

Twitterタイムラインに流れてくる、同じ思いをした飼い主たちの投稿いいねを押すのが精一杯で、何かを書き込んであげることも出来ないのだ。



先日、又聞きだが犬の習性についての話を聞いた。

死期を悟ると、飼い主の心配をしてくれるのだそうだ。

顔をじっと見つめて、自分はもういなくなるけれど、大丈夫かと問うような仕草をするのだという。

そうか。家中パトロールしていたのも、自分がいなくなった後を心配してくれていたのか。

母の心配をしてくれていたのか。

あの優しい犬のことだ。きっと家にいなかった家族みんなも心配してくれたであろう。

それに比べて俺のこの体たらくよ。

なんと嘆かわしいことか。

動物は死期を悟れるのだという。

自分がいなくなっても大丈夫なように準備をしてから逝くのだ。

から私は、幽霊など信じない。そんなものにすがることはしない。

あの犬は、自分がいなくなることを知っていて、すべきことをしてくれたのだ。

私も、すべきことをしよう。

「○○ちゃん、俺、頑張るよ」

その日から私は、意識してそう口に出すことにした。


ペットロス中の仲間たちよ。

落胆に引きづられることなかれ。

意識してポジティブなことを口にせよ。

もうアイツラはいないのだ。

であれば、残してくれた最後意志を引き継ごうではないか

心配しなくても大丈夫だよ」

そう胸を張って、生きて行こうではないか

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