はてなキーワード: 科学論とは
イギリスの病院経営機関が、トランス女性の母乳が、出産後の母親の母乳に匹敵すると主張している。
プロゲスチンというホルモンで乳腺を肥大化させ、乳児の心臓への副作用の可能性のあるドンペリドンという薬で男でも母乳が出せるらしい。
乳児を5ヶ月間研究した結果、目立った副作用がないと言うのが、彼らの主張の根拠だそうだ。
母親は授乳中に赤ちゃんへの悪影響を恐れて多くの薬を我慢して、酷い病気でも自力の免疫で何とかしているのに、何で薬で無理やり出した男の母乳を与えようと思えるんだろう。
母乳がでなくてもミルクで育児出来るのに、何で赤ちゃんを危険にさらしてまで授乳させたいんだよ。
トランス達は頑なに男と女の身体能力に差はないと主張し続け、その主張が通って多くの女子スポーツや格闘技にトランス女性が出場して多くの女子選手がトランス選手といっしょに着替えをさせられ、栄光を奪われ、負傷させられている。
何で馬鹿でもわかる非科学的な妄想を振り回して、トランス女性の為なら女性を犠牲にしてもいい、今回は赤ちゃんを犠牲にしてもいいと思えるのだろう、世界が気違い沙汰に巻き込まれているとしか思えない。
病院は、1977年に遡る5つの科学論文に言及し、世界保健機関(WHO)の指導と「母乳」が乳児にとって粉ミルクよりも良いという「圧倒的な証拠」を指摘して、自らの主張を擁護した。
また、乳児の「牛乳のテストステロン濃度」は1パーセント未満であり、「目立った副作用はない」ことが判明した2022年の研究にも言及している。研究は 5 か月間続きましたが、長期的なデータは得られませんでした。
日本の科学研究の実力が急速に低下している 政府支出を評価する「独立財政機関」の設置を | 若者のための経済学 | 東洋経済オンライン
2017年度版の「科学技術白書」(6月2日政府、閣議決定)によると、主要な科学論文誌に発表された論文のうち、引用された件数の多い論文の国別順位で、日本はこの10年間で4位から10位に下がっており、基礎研究力の低下が著しいと指摘されている。
この要因について『ネイチャー』は「(科学分野における地位の)全般的な低下傾向により、日本の若い研究者たちは厳しい状況に直面しており、フルタイムで働けるポジションも少なくなっています。日本政府の研究開発支出額は、世界で依然としてトップクラスであるものの、2001年以降ほぼ横ばいです。一方で、ドイツ、中国、韓国など他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています」と指摘。
日本は科学技術関係費における基礎研究の比率が高い。しかし、政府部門の支出割合は低下しているため、本来であれば官主導で行う必要がある各種基礎研究も民間部門に依存していることになる。
@IiyamaAkari
イスラム思想研究者。博士(文学)。イスラム教という切り口から世界情勢を分析しています。『ニューズウィーク日本版』、産経新聞などで連載中。著書『中東問題再考』『エジプトの空の下』など。【飯山陽のいかりちゃんねる
@KadotaRyusho
作家・ジャーナリスト。“毅然と生きた日本人”をテーマにノンフィクション作品を多数執筆。現在の日本を「ドリーマー(夢見る人、観念論の人)」と「リアリスト(現実主義者)」との対立の時代と捉え、DR戦争と呼んでいる。
@qO1o0qqdCFYlloP
農業は、自然ではなく人間のために動植物を育て、収穫、と畜する業種です。
命をいただきます。
岩盤保守ではありませんが、スパイ防止法と憲法改正、自衛隊員の給与、待遇向上と沖縄の防衛強化を望みます。
@akasayiigaremus
人間は不完全な存在ゆえ過ちを繰り返すから歴史を学ぶべき。現実的科学論理的思考を重視し道義を重んじる普通の日本人として美しい日本を残し守りたい。
既存メディアが伝えない情報発信します。ほんこんさんと髙橋洋一先生と門田隆将先生と自民党員ながら日本保守党を応援。飯山陽党員。鈴木貫太郎先生出題の大学入試数学問題等も毎日UP中。
@kanashindo
最年少港区議会議員🐕無所属🍀表現規制•全体主義•過激フェミニズムが苦手な愛国女子🇯🇵あだ名はかなちゃい🩵女子学院→カナダの高校→早稲田大学法学部→リクルート🧚♀️✨一時預かりボランティア🐶元保護犬のチワワと暮らす🐾配信13年目元祖ライバー💖exゆづか姫🧬ENTP
@RoVSDCt8bxNTXv0
老害だらけの日本の問題点 間違った政治、論客、老害を厳しく評価します。
役立たずの老害政治家など公人はクソ野郎 すご〜い人にはほんまモン認定します。
@room_mirai
X内には多様な詐欺と不正義が溢れてます。甘い言葉に騙されやすいおじさん達はご注意ください。海外、とくに特亜の国々からと日本国内の欺瞞に満ちた反日勢からの詐欺・攻撃・公金チューチューから日本を守らねばなりません。(#日本保守党党員 #飯山陽党党員)
@LDyss4zr3L2miHC
世の中を変えたいなら選挙に行くこと。と言いたいが。。沢山考えて投じる一票が国を変えられる。と言いたいが。。政治家は特に選挙期間中は良いことしか言わないからダメですよ。「選挙の無い時」に、信頼できる候補者を探す。目を養うこと。
@taka01300914
1951年生まれ。2015年悪性リンパ腫が発覚、現在は経過観察中。さらに2020年に脳卒中て緊急入院、こちらも経過観察中。
リハビリで始めた写真散歩や、サイクリングが楽しみ。最近は疲れやすく、体力も低下してきた。 http://cycleg3.blog.fc2.com
@ppbsky87
🎗️日本保守党員。あさ8/Dr.飯山陽の「いかりちゃんねる」/ DMは見ません。 どうぞよろしくお願いいたします。#六四天安門
@caffeinejunki72
エビスビールと芋焼酎をこよなく愛する 三児の父。何故か長男にネトウヨ認定された。最近は、泡盛にどハマりしてます。
@saintex10216
経団連に阿る自民党。そして企業は今だに中国べったり。かくして媚中政治家が蔓延り、中共利権を漁る河野太郎のような輩が跋扈し、反日のくせに上から目線。
@SagaKazuo
リハビリ中 日本第一主義 日本保守党支持 最近の世界は全てが平準化されようとして気持悪い 大量生産の工業製品化されようとしているようだ 夢想家の夢の様だ
@BJapan1111
日本で生まれ日本人として生きている。日本国、日本人としての誇りを持ちながら生きていきたい🇯🇵フォロー、コメントありがとうございます!コメント返しは反論がある時のみとさせて頂いております🙇♀️
@mmera3
@zKiMajKw9W82360
昨今の自公政治の体たらくに突如目覚め日本保守党の党員になりました。誇りある日本を後世に繋ぎたいという気持ちに偽りはないと思っています。暇人のネット初心者になるのかな😆
@27Hiroaki
愛国者です。
@iwami7202
出来ない不法滞在者だ。💢
それをパヨパヨバカが利用して
調子に乗らせている。💢🤮🚫
@K0taRVvZBQEo6IQ
初老です。
@kina75778256
日本がどんどん三流国になってしまうのでは?と心配しています。国会も観ています。 外国人参政権は反対です。
@kumahisa103
日本保守党党員 / 4年の海外生活経験経て脱左翼洗脳 / 反日思想と日々戦う / 相手を躊躇わせるスペックの軍隊希望 / 外交は喧嘩だと思う / 愛する者守る為日頃から身体の鍛錬怠らない / 他党でも良き政策なら応援 / 日本文化を愛する
恐ろしい
@IiyamaAkari
イスラム思想研究者。博士(文学)。イスラム教という切り口から世界情勢を分析しています。『ニューズウィーク日本版』、産経新聞などで連載中。著書『中東問題再考』『エジプトの空の下』など。【飯山陽のいかりちゃんねる
@KadotaRyusho
作家・ジャーナリスト。“毅然と生きた日本人”をテーマにノンフィクション作品を多数執筆。現在の日本を「ドリーマー(夢見る人、観念論の人)」と「リアリスト(現実主義者)」との対立の時代と捉え、DR戦争と呼んでいる。
@qO1o0qqdCFYlloP
農業は、自然ではなく人間のために動植物を育て、収穫、と畜する業種です。
命をいただきます。
岩盤保守ではありませんが、スパイ防止法と憲法改正、自衛隊員の給与、待遇向上と沖縄の防衛強化を望みます。
@akasayiigaremus
人間は不完全な存在ゆえ過ちを繰り返すから歴史を学ぶべき。現実的科学論理的思考を重視し道義を重んじる普通の日本人として美しい日本を残し守りたい。
既存メディアが伝えない情報発信します。ほんこんさんと髙橋洋一先生と門田隆将先生と自民党員ながら日本保守党を応援。飯山陽党員。鈴木貫太郎先生出題の大学入試数学問題等も毎日UP中。
@kanashindo
最年少港区議会議員🐕無所属🍀表現規制•全体主義•過激フェミニズムが苦手な愛国女子🇯🇵あだ名はかなちゃい🩵女子学院→カナダの高校→早稲田大学法学部→リクルート🧚♀️✨一時預かりボランティア🐶元保護犬のチワワと暮らす🐾配信13年目元祖ライバー💖exゆづか姫🧬ENTP
@RoVSDCt8bxNTXv0
老害だらけの日本の問題点 間違った政治、論客、老害を厳しく評価します。
役立たずの老害政治家など公人はクソ野郎 すご〜い人にはほんまモン認定します。
@room_mirai
X内には多様な詐欺と不正義が溢れてます。甘い言葉に騙されやすいおじさん達はご注意ください。海外、とくに特亜の国々からと日本国内の欺瞞に満ちた反日勢からの詐欺・攻撃・公金チューチューから日本を守らねばなりません。(#日本保守党党員 #飯山陽党党員)
@LDyss4zr3L2miHC
世の中を変えたいなら選挙に行くこと。と言いたいが。。沢山考えて投じる一票が国を変えられる。と言いたいが。。政治家は特に選挙期間中は良いことしか言わないからダメですよ。「選挙の無い時」に、信頼できる候補者を探す。目を養うこと。
@taka01300914
1951年生まれ。2015年悪性リンパ腫が発覚、現在は経過観察中。さらに2020年に脳卒中て緊急入院、こちらも経過観察中。
リハビリで始めた写真散歩や、サイクリングが楽しみ。最近は疲れやすく、体力も低下してきた。 http://cycleg3.blog.fc2.com
@ppbsky87
🎗️日本保守党員。あさ8/Dr.飯山陽の「いかりちゃんねる」/ DMは見ません。 どうぞよろしくお願いいたします。#六四天安門
@caffeinejunki72
エビスビールと芋焼酎をこよなく愛する 三児の父。何故か長男にネトウヨ認定された。最近は、泡盛にどハマりしてます。
@saintex10216
経団連に阿る自民党。そして企業は今だに中国べったり。かくして媚中政治家が蔓延り、中共利権を漁る河野太郎のような輩が跋扈し、反日のくせに上から目線。
@SagaKazuo
リハビリ中 日本第一主義 日本保守党支持 最近の世界は全てが平準化されようとして気持悪い 大量生産の工業製品化されようとしているようだ 夢想家の夢の様だ
@BJapan1111
日本で生まれ日本人として生きている。日本国、日本人としての誇りを持ちながら生きていきたい🇯🇵フォロー、コメントありがとうございます!コメント返しは反論がある時のみとさせて頂いております🙇♀️
@mmera3
@zKiMajKw9W82360
昨今の自公政治の体たらくに突如目覚め日本保守党の党員になりました。誇りある日本を後世に繋ぎたいという気持ちに偽りはないと思っています。暇人のネット初心者になるのかな😆
@27Hiroaki
愛国者です。
@iwami7202
出来ない不法滞在者だ。💢
それをパヨパヨバカが利用して
調子に乗らせている。💢🤮🚫
@K0taRVvZBQEo6IQ
初老です。
@kina75778256
日本がどんどん三流国になってしまうのでは?と心配しています。国会も観ています。 外国人参政権は反対です。
@kumahisa103
日本保守党党員 / 4年の海外生活経験経て脱左翼洗脳 / 反日思想と日々戦う / 相手を躊躇わせるスペックの軍隊希望 / 外交は喧嘩だと思う / 愛する者守る為日頃から身体の鍛錬怠らない / 他党でも良き政策なら応援 / 日本文化を愛する
反陰謀論からすると反感を買うかもしれないが、世間の常識を無批判で受け入れる姿勢が陰謀論にハマるきっかけになる。
きっとそういう人はエーテルが常識だった時代に相対論を唱えるアインシュタインをバカ扱いしていただろう。
天動説が常識だった時代に地動説を唱えるガリレオをバカ扱いしていただろう。
世間の常識は多くの場合正しいが、絶対に正しいわけではないし、調べて自分の頭で考えて受け入れるべきだ。
そういう意味で陰謀論を"無批判で"バカにする反陰謀論者も同様にバカである。
「誰々が言っていた」「どこどこに書かれていた」だけを証拠にしない。
なぜそんなことが言えるのか。
「正しく疑う」を言語化するのは難しいけど時間がある時もっと具体化したい。
科学論文や権威ある論文は英語で書かれている。英語で調べ読むことができることは重要になる。
誰がなんの証拠でそんなことを言っているのか。
これでは大学教員どころか小学生の作文だろう。すべての誤りを指摘するのは時間の無駄なので、次の一文だけを取り上げる。
「科学的に無害」だが「長期間繰り返すと有害」とはどういう意味なのか?
1000人に読ませれば999人が意味不明だと答える文章であろう。
前の段落を読むと、著者は「科学的に」を「ある特定の条件下では」という定義で使っていると推測はできる。
だが、理系の大学教員が「科学的」という言葉をこのような限定的な意味で断りなく使うことは考えられない。
科学教育に携わるのであれば、ポパーの反証可能性やクーンのパラダイム論といった古典的な「科学とは何か?」という議論は基礎教養として通過しているからである。
一般的な用語をあえて一般的でない意味で使うなら必ずそれを言明しておかなければならない。
誰でも子供の頃に単語の意味を自分で「発見」して、妙な使い方をして笑われたことがあるだろう。この文章は「科学的」という言葉を自分で「発見」した文章である。
ここで分かるのは、筆者は大学教員としての最低限の知識を備えておらず、学ぶ意欲もないということだ。
そもそも、文章の核となる単語を明確に定義するという基本ができていない。
大学教員として当然有しているべき論理的な文章を書く技術も修得していないことが分かる。
ここから言えることは、著者は大学教員としての最低限の知識も技量も足りていないということだ。
自分の手で理論を組み立て、実験して、何が信ずるに値する事実なのか、どうすれば後進にそれを伝えられるのか、そうしたことを真摯に考え、先人に学ぼうとした者の文章ではない。
この文章から浮かび上がる著者の人物像は、科学の盲信とやらに一言物申したいが、科学を成り立たせるシステムについて真剣に学ぶ意欲はない人間であろう。
学びを放棄したまま生煮えの科学観をひけらかすのは個人の自由だが、「大学教員」を騙るのは明らかにやりすぎであり、不誠実の極みと言わざるを得ない。
以下に「大学教員」のための参考文献を掲げる。今後の学びに期待する。
間違いやら何やらいっぱい入ってて改善しないといけないところは無数にあるけど、普通にそこらの学生よりまともな作文をしてくるGPTに俺は衝撃を受けたし、多少の改善はまだ必要とはいえあれで仕事を肩代わりされてしまう人はそこそこいるだろうと思う まぁ実用に落とし込めるかどうかは別の話だけど
研究レベルで革新的かと言われるとそりゃまだChatGPTから直接的に革新的なものは出てこないだろうな
単なる言語モデル走らせてるだけなんだし現状で人類の知らない新しい何かを生成できるかって言うとできないけど、GPTの改良の先にそこそこ革新的なものが普通に出力される未来が見えるのが凄いんだよ 今まではそんなことできるとさえ思わなかったしな 人間の応答が単純な言語モデルだけで模倣できることが分かってきてしまって、結局人間の知性なんて大したことじゃなかったと判明した手前、人間の閃きは言語モデルの中にあるのか先にあるのかは今のところ誰にも分からん 俺はまだしばらく人間の特権であってほしいけど明日とかに急に何かできましたとか出てくるかもしれんしな
例に上がってるUMAPだって主成分分析しかなかったところに一足飛びに出てきたわけじゃないし、実際にはその途中で多様体学習の長い歴史がある 革新と思ってるなら単に間の歴史を知らんだけだよ
キャッチーなこと書いてるからミスリーディングだけど単に既存法のチューニング変えただけで、研究者なら多かれ少なかれ現場でやってたチューニングを仰々しく書き直して実装ちゃんとやったってだけだし、革新と思ってるものも実際にはそういう歴史と膨大な試行の上に地続きになってる そういう意味でChatGPTはゴールじゃなくて筋の良い試行の第一歩
現状のGPTでできないことは無数にあるけど、例えば入力方式が違うとかそんな瑣末な問題なら俺みたいな末端でさえ改善策が無数に思いつくようなレベルだし、今何ができないとか議論しても意味ないんだよな 数週間ごとか数日後、もしくは数時間後に修正かかって何かを組み合わせると科学論文が大量生産されるとかもできるようになるかもしれないんだから
「○○から△△までは、だいたい20kmあります」と言われた場合、有効数字の観点からは、
「だいたい」の範囲を、19.5〜20.5kmだと考える人と、15〜25kmだと考える人が居ると思う。
まあ、後者は極端だとしても、18〜22kmなどと、ある程度広いレンジを考えるのが、自然だと思う。
一方で、「○○から△△までは、だいたい32kmあります」と言われた場合は、「だいたい」の範囲を、31.5〜32.5kmと考えるのが自然だろう。
よって、「20km」のように、数値の下位に当たる数字がゼロだと、その値は丸められている可能性があるため、
その値が示すレンジを幅広く見積もる、ということを私達は自然とやっているのだ。
つまり、下位の数字がゼロであるかどうかは、私達の感覚に影響を与える要素のひとつなのだ。
だから、表題の通り、20マイルを「約32km」と訳すのには違和感がある。
その違和感の理由は、端的に言うと、値の信頼度が違うだろうということだ。
つまり、「約32km」などと「約」をつけたところで、読み手が想定する値のレンジは、31.5〜32.5kmだ。
「20マイル」という、ざっくりとした値だという感覚は、適切に表現されていない。
なので、個人的には、20マイルは「約30km」、30マイルは「約50km」と、値を丸めて表現した方が正しい気がする。
杓子定規に、単位変換を一の位まで計算して計算して表現することは、意味が無い気がする。
(もちろん、原典となる文章が有効数字を示唆しているなら、その限りではない。)
数値の翻訳をどうするか、という議論を見たことがない(科学論文レベルになれば、使用される単位系が国によって異なるということがないはずなので、
そもそも値を翻訳する必要がない。だから、議論もされないのだろう)のだが、最低限でも、値の有効数字は維持されるべきだと思う。
仮に男女で"本質的に"向き不向きがなかったとして、明確な体格差や筋力の分布が違うのに例えば荷物を運ぶ単純な力仕事でも男女に向き不向きはないのだろうか それっていろんな条件が同一だと仮定した場合の結果であって、そもそもその条件を満たす割合が全然違うとかだったりはしないのだろうか
個人的には男女やら人種で差がない世界が理想だと思うしそうあれば美しい世界であったと思うけどさ、実際全然違うくない?
マラソンみれば黒人だらけだし、数学五輪を見れば中国系だらけである年の中国人参加者は全員金メダルとったりするしさ
100m走やら砲丸投げで女性の記録は男性の記録よりだいぶ劣るし
けどここで表立って差があるって主張すると社会的に殺されるし、そういうことを主張した研究者はハーバードの学長クラスでさえ一瞬で首が飛んだ 論文に書いてあることでさえ真理に近い考察なのか理想を実現するための同調圧力なのか区別がつけにくいのがこのあたりの科学論文の解釈の難しいところ
イギリスでラテン語と言えば、ニュートンの主著 Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica はタイトルだけじゃなくて中身も全てラテン語で書かれていますね。まあ、ニュートンだけじゃなくて昔は学術書などは全てラテン語でしたから当然ですけど。
ちなみに今でもイギリスの古い大学では論文(卒業論文や博士論文)は英語またはラテン語で書くことという規則が今でも残ってたりします。もちろん今は誰もラテン語で科学論文を書いたりしませんけれど。
また、ラテン語の大学名やモットーもあって、ケンブリッジ大学は Universitas Cantabrigiensis で、そのモットーは Hinc lucem et pocula sacra (訳:From here, light and sacred draughts)
まあ、昔の名残りですね。
なお、今でも名門私立中学のことを Grammar Schools と言うのもラテン語教育を重視していた時代の名残りだとか。(普通の公立中学は Comprehensive Schools)
批判というのは
「議論の価値自体を認めない、一連の議論はそもそも無価値だという批判」
「議論の価値自体は認めるが、事実認識に誤りがあるという批判」
の2パターンあって、両者を形式的に類推して判定できないとそもそも相互批判が成立しないのでは
建設的な議論と言うなら、議題自体の価値はとりあえず認めないと無限に発散するし
前者だったらメタ科学なり科学哲学のレベルになるかもしれないし、ペーパーやリプライレベルでやっても不毛でしょう
それを本当にやり合うならともかく、リプライレベルでなんの根拠もなくそういう話を持ち出してくるのは
グーグルスカラーという科学論文検索サービスがあってそこにはサボテンの中でもウチワサボテンだけとかいろんな論文がみられるのだが
そういう短い論文をまとめた専門書籍も一応掲載されてることがあるやで
あと毎年4月にいろんな大学の履修要綱に教科書リストが出る、それもそこそこ専門向けやで
同じような専門書にみえても最新版やないと定説が覆されたあとから古い定説=嘘が平気でかいてあるから気を付けてな
ファンタジー辞典とか科学系ユーチューバーの本(とされてる漫画)とかも嘘や大げさがおおいぞ
まあ大学やろな…
私立文系大学だとなんか古臭い初級者向けでとまってるせんせいおるけど…(十年間ずっと同じ英国の古典児童文学だけで授業持てたりする)
「アフリカでアフリカンファッションをきまくって自分の写真集を出版した日本女性の本」はおもしろそうだった
さがしてもこれしかでてこなかった
https://www.amazon.co.jp/dp/4594064361
https://www.amazon.co.jp/B004L9NV1G/
おっと後者はこれだ
https://www.amazon.co.jp/dp/4594074847
https://www.amazon.co.jp/dp/4866070056
前者もみつけた
中途採用した社員が経歴を、完全に詐称していた。これが俺の係で大問題になっている。
問題の電話を受けたのは俺で、電話を受けると英語でまくしたてられてしまって、英語なんて偏差値40の俺は何を言ってるのか全然分からない。
「あー、ソーリー、アイムノーイングリッシュ」みたいなダメな英語を口にしてテンパッてしまうが、弊社の社員に英語が話せる人間なんて一人もいないので誰も関わろうともしない。
泣きそうな顔でブロークンイングリッシュですらないもので応対してると、隣から手が伸びて来て「代わります」と中途採用したオッサンが言う。
すると、オッサンは何を言ってるのか全く分からんが、ペラペラと流ちょうな英語で応答している。途中で代表番号を教えてくれと言われて教えた後、オッサンは電話を切った。
「何だったの?」と尋ねると、「営業電話です。こちらは代表番号ではないので、ご用向きがあれば代表番号におかけ直しくださいという風に答えただけですよ」、と言う。
このオッサンときたら面接の時には英語が話せるなんてことを一言も言ってなかったので、課長が面食らって「英語が話せるなんて面接で聴いてないぞ!」と声を上げてしまう始末。
「いや、まぁ聞かれませんでしたし、業務に必要でないスキルをアピールしても仕方ないので」と、オッサンは言う。それで、どれくらい英語が話せるのかと他の社員が質問して分かった事は
今もたまにオンライン英会話で1時間ほど話していて、TOEICでなら800点くらいあるという・・・・(多分、これも過少申告だ。俺は英語は分からんが、映画みたいだったのは分かる位には映画は好きだからな)
それだけなら良かったのだが、実はこの人は凄いのでは?って事に興味を持った社員がエゴサーチをしてみると、実は科学論文を幾つか出している人であることも判明したので大変だ。
なんなら書籍を共著(何人も著者がいるオムニバス形式の1節担当らしい)もしているし、大学では優秀者として年度代表で表彰を受けている超秀才であることも分かったから、もう驚天動地の騒ぎになる。
例によって、オッサンは賞罰の欄にはそんな事は主張していなかった。何故と聞くと、「いや、まぁ聞かれませんでしたし、業務に必要でないスキルをアピールしても仕方ないので」と答える。
大手企業の開発部で仕事しているが多忙で生き方を変えたくて転職を決めたという話は聞いたが、その実態がこれほどのものだとは聞いてないという話だ。
くたびれたオッサンで冴えないけど、経験はありそうですねなんて笑って採用にGOサイン出した俺が恥ずかしい。
これは大変なことですよと、上司が面談をもって色々と話を聞いてみると、
第一線で働いてきてもう疲れたので命を削らない仕事をしたかったのだと。
経歴を詐称するのではなく、スキルの一部と成果を申告しないだけなので問題はないと思った。
驚かせてしまったなら申し訳ない。自主退職しろというならするので、懲戒免職は許して欲しい。
と言うような事を答えたらしい。確かに嘘をついて経歴を詐称して出来ない事を出来ると言ったわけではない。そう学歴にも職歴にも嘘はない、ただ賞罰やスキルの申告を怠っただけだ。
でも、その能力で何でうちみたいな中小に来るんだよ・・・ってレベルの人が、俺よりも安い給料で働いている(俺は係長、オッサンは平)のは苦しいし、使える気もしないのでクビにして欲しい。
だってさ、詐称は詐称だろ?ほら、以前、大卒の癖に高卒と偽って仕事してた奴が解雇されたってニュースあったよね?あのパターンだよ、これ。。。
女子社員が色めきだってるのも気に入らないし、どうにかして処分してしまいたいが、課長なら俺のクビ10個切っても解雇なんてしないって言うだろうなぁ。
【ロンドン時事】雄のネズミを妊娠・出産させることに成功したとする中国の科学者の実験が世界的に物議を醸している。
実験を主導した研究者は「生殖生物学に大きな影響を与える可能性がある」と意義を強調しているが、怪物を生み出した科学者を主人公にした英怪奇小説「フランケンシュタイン」になぞらえて批判する声も出ている。
論議を呼んでいるのは中国の海軍軍医大学のジャン・ロンジア氏らの実験。6月に論文が査読前の科学論文を扱うウェブサイト「バイオアーカイブ」に掲載された。
実験では去勢した雄ネズミに雌の体を縫い合わせるなどした上、受精卵を移植。成功率は4%に満たなかったが、帝王切開で10匹の赤ちゃんの出産に成功したという。雄の妊娠は自然界では極めて珍しく、一部の魚類で見られるのみとされる。
なにこれ。めっちゃ興奮する
以下の文章は、社会学は客観性が無いから学問の体をなしていないから解体すべき、という暴論を見かけて、趣味で社会学を学んでいる人間がイラッとして書き散らしたものです。専門家によるまともな読み物としては、盛山和夫『社会学の方法的立場: 客観性とはなにか』(2013)、佐藤俊樹『社会学の方法――その歴史と構造』(2011)(たまたまですがどっちも東大系の人ですね)、あるいは以下で紹介する「客観性論文」やそれ関係の論文などがあります。ちなみに「岩波科学は科学論文」の人に関しては擁護のしようも無いと思います。
たとえば、この宇宙はスパゲッティモンスターによって創作されたという誤ったイデオロギーを抱えた科学者がダイナマイトを発明したとして、ダイナマイトは誤った発明であるとか、あまつさえ存在しないということにはなりません。それはそれ、これはこれ、という態度が科学的というものでしょう。しかし、誤ったイデオロギーを社会学者が抱えることは望ましくないとされます。なぜでしょうか。
それは社会や社会問題が、原子やDNAが「存在する」のと同じ意味では「存在する」と言えないことに根本的な原因があります。たとえばホームレスは現在の社会においては色々な意味で問題とされています。しかし、ホームレスは人類の定住以前においては間違いなく問題や概念として存在していませんでしたし、中世や近世においても今日と全く同じ問題としては存在しなかったことでしょう。原子がこの宇宙の始まりから今と同じように存在していたのとは対照的です。ホームレスを扱う社会学が、物理学や生物学と比べて胡乱なものに見えがちな理由はここにあります。誤ったイデオロギーを抱えた社会学者は誤ったものを存在するとみなしてしまいかねないのですね。
しかしだからといって、今日ホームレスが問題としてまったく「存在しない」と言い切ることはできないのもまた確かな実感でしょう。原子の「存在」とは別の意味とはいえ、社会や社会問題は確かに「存在」する、と言いたくなります。「実在」と「非実在」のあいだの独特な在り方。社会学者はそのことを「社会的実在」のような言葉で表してきました。これはいかにも怪しい物に思われます。しかし今日における我々が「ホームレスになりたくない」、「ホームレスが怖い」、あるいは「そうしたホームレスに対する差別的な見方こそが問題なのだ」と思っているのもまた確かなことです。およそ100年前、そのことを単に思うだけでなく、その思い自体を当時隆盛しつつあった科学の方法で分析しようと考えた人々がいました。
マックス・ウェーバーの「社会科学と社会政策にかかわる認識の『客観性』」(以下、客観性論文)という1904年の論文があります。ウェーバーは社会学におけるビートルズであり、この論文はイエスタデイくらいの重要さと著名さを誇ります。要するに、まともに社会学をやっていればなんとなくは知っているべきもの、という位置づけでしょう。(ちなみにLet it beは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。読んでいないのは許されない)
とか言いながら私は手元にその本が無いので、ネットの記述に頼りつつ思い出した記憶で以下のことを書くことをお許しください。
ウェーバーは客観性論文のなかで社会学者がよって立つべき「価値自由」という概念を提唱します。この主張はしばしば「価値判断をしてはならない」とか「価値判断に影響されないデータだけを虚心に扱うべきである」といった主張として誤解されています。しかしそうではなくウェーバーはここで「社会学者もまた人間である以上、何かの価値判断を持ってしまうことは避けられない。そして価値判断は時として認識を狂わせる。しかしだからこそ、社会を科学的に取り扱う社会学者は価値判断と認識を区別しなければならない。そのためには自分の持っている価値判断に対して敏感でなければならないのだ」といったことを主張していたはずです、たぶん。客観性論文については多様な読解や批判がなされている(上に私の手元にその論文が無い)ので客観性論文の内容についてはこれ以上立ち入らないことにします。以下ではその代わりに、客観性論文に関する微かな記憶を頼りにしながら、社会学の客観性について考えてみたいと思います。
たとえば次のような主張がなされることがあります。「数字は嘘をつかないが、数字を使う人(社会学者!)は嘘をつく」。けだし名言でしょう。しかし、社会学者であるならばもっと深く考えなければなりません。ここでは「ホームレスの人数」について考えてみましょう。ここで名言に従って単純に考えるのであれば次のようになるでしょう。ホームレスの人数は、数学や物理における定数のように誤ることなく(それを測り間違うことはあるかもしれないが)存在しているが、それを多いとか少ないとか、それを減らすべきだとか主張する人は誤ることがある、と。
後半は確かにそうでしょう。しかし、前半は間違っています。たとえば、日本政府はホームレスについての統計を発表しています。しかし「国民の税金を使ってホームレスの人数を数えよう」という時点ですでに何かしらの価値判断が働いています。そのことは政府のサイトに「ホームレスの実態に関する全国調査」が載っていて、「鼻くそをほじって鼻血を出した人の実態に関する全国調査」が載っていないことを考えてみればわかるでしょう。こうした極論を言うと、「どちらも数字としては存在するが、後者はただ(未発見の物理的性質のように)見つかっていないだけだ」と言われるかもしれません。しかしたとえば日本政府のホームレスに関する調査は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法第2条に規定する「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所として日常生活を営んでいる者」」を対象にして行われているようですが、ここからはいわゆる「ネットカフェ難民」がその統計から漏れています。これは単なる「測り間違い」なのでしょうか。そうではありません。「ネットカフェ難民」をホームレスに入れるべきか、あるいはそもそも「ネットカフェ難民」をそもそも「問題」とすべきかこそが、ひとつの価値判断であるのです。「ネットカフェ難民」を入れたホームレスの人数と入れないホームレスの人数、どちらが正しいでしょうか?それは重力加速度として2m/s^2と9.8m/s^2のどちらがより正しいか、という問いのようには答えが出そうにありません。
社会についての数字は、自然科学における定数のようには存在しないのです。つまり、社会における事実は、自然科学における事実のようには存在しません。そのような状況で、いかにして社会を科学的に扱うことができるでしょうか?
もしかしたらそもそも可能かを問う以前に、そんなことを目指す必要があるのか疑問に思う人がいるかもしれません。あるいはより直裁に「社会を科学的に扱う学問=社会学って何の役に立つの?」と聞かれることはしばしばあります。それには多様な答えがありうるでしょうが、私は次のように答えることにしています。「何かの役に立つわけでもないのにやらずにはいられないのが科学の出発点なのだ」と。人間が持つ認識能力や、何かを書く/描く、喋るといった能力は、生存する上での必要性から発達したはずです。自分の周囲を見渡す能力や、自分が見た物事を他者に伝える能力は、それを持っていない種よりも生存上の有利をもたらしたことでしょう。しかし人間は、その必要性を越え出たところまでその能力を、あるいはその能力によって生み出すものを発達させました。それは、芸術とか哲学とか、あるいは科学とか呼ばれるものです。存在しない風景を描くことに、どんな必要性があるでしょうか?死後の世界を思い描くことに、どんな必要性があるでしょうか?そして宇宙の星々の表面を調べることに、どんな必要性があるでしょうか?こういうことを言うと、次のように返されるかもしれません。「芸術や哲学は生存に不必要かもしれないが、いまのわれわれは科学無しには生きられないではないか」と。まあ、確かにそうです。でも、それは科学の根本的な不必要性を否定するものではありません。人間=ホモサピエンスは、ニュートンが万有引力を発見する以前からずっと世界の覇者であったではないですか?それでもニュートンが万有引力を発見したのは、「世界のことをもっとよく知りたい」という、ただ生きるためには不必要な知的欲求、こういってよければ人間特有の本能からであったはずです。「ただ生きる」ことに飽き足りないのが今の人間であり、そうした人間が生み出したのが芸術・哲学・科学です。そのうちの科学的欲求が、これまた不必要に複雑化した社会のありように向かうことも、私は自然なことだと思っています。先のような問いをする人には、正直に言えば「なぜあなたは社会について科学的に分析したいと思わないでただ生きていられるのですか?」と私なんかは思うのですが、これはさすがに社会学に頭をやられてしまった奴の意見でしょう。ほかの社会学者はもっとうまく説明することができるはずです。まあ、そんな可哀想な奴もいるんだなと思っておいてください。でも実際、「社会に対する科学的認識って必要?」と言われたら、究極のところ「認識したいんだから仕方ないじゃん?」としか私は返せません。なのでこの問題は放置して次の段落に向かいます。
さて、いかに社会を科学的に扱うことができるかという問題でした。その問題は、社会に「存在する」ものや数字が、ふつうの科学が扱うものや数字と同じようには「存在しない」、というところから発生しているのでした。より明確に言えば、社会的実在は、それを観測する人や社会の価値判断を抜きにしては存在し得ないという独特の性質を持ちます。たとえば「ネットカフェ難民」は、ここ二十年ほどの日本の労働環境やネットカフェの事情抜きには科学的な意味で「存在」しませんでしたし、さらに言えば科学的な意味で「存在」していても、支援団体の人々などが発見しニュース等で取り上げられるまでは社会的に「存在」しえませんでしたし、いまだに政府のホームレス統計には「存在」していない、という状況にあります。そのことは万有引力が宇宙の始まり以来、ニュートンが発見しようとしまいと科学的な意味で「存在」していた、あるいは今現在未知の物理的現象や生物的現象が、まだ発見されていないだけですでに世界のうちに「存在」していることとは対照的です。
価値判断抜きで存在し得ない対象を、いかに科学的に扱うか。それこそがウエーバーが客観性論文のなかで考えたことでした。ここでよくある誤解は、そして絶対に避けられるべきなのは、「社会的実在は実は価値判断抜きに存在しうる」と考えたり「価値判断抜きで存在するものを社会学は扱うべきだ」と考えたりすることです。前者が存在しないことはすでに説明しました。社会的実在は――それが単なる数字や統計であっても――価値判断抜きには存在し得ません。であるからして、後者は社会学を根本的に否定する思想です。そういう価値判断に影響されざるを得ないもの、すなわち社会や社会的実在をよりよく知りたいと考えるのが社会学なのですから。それを否定する人に対しては何も言えないということはすでに述べました(あくまで私個人からは、の話ですが。ほかの社会学者はもっとうまく説得するかもしれません)。
そこでウェーバーが述べたのが「価値自由」でした。社会学者は自分の価値判断をわかっていなければならない。より分かりにくく論文に忠実な言い方で言えば、「存在する」ことと「存在するべき」ことを区別しなければならず、科学は「存在する」ことしか明らかにできない。このウェーバーの主張に対しては、それもまたひとつの価値判断ではないか、という主張を投げかけることが可能ですし、一見ただのいちゃもんに見えるその問いは、社会学の中で大真面目に議論されてきました。私の見たところ、この問題は答えが出ない種類の問いなので、取り扱わないことにします。いいじゃないですか、どんな学問にだってドグマの一つくらいありますよ。それより重要なのは、「自分の価値判断をわかる」ことが、本当に社会的実在を扱う上での十分条件であるのか、ということです。それが必要条件であるのは確かにそうであると思います。ある社会学者が「ホームレス問題についての社会学的分析」という論文を書くとして(テーマが広すぎますがそれは置いておいて)、その人が「自分はホームレスを望ましい人間の在り方ではないと考えている」とか「というかホームレス気持ち悪い」とか「ネットカフェ難民をホームレスに含めていない日本政府は問題である」とかいう自分の価値判断を自覚していなければ、それは社会学的研究として成り立たないでしょう。しかし、それだけで十分なのか。社会的実在というものは、もっと慎重に取り扱わなければならないものではないか。(実際、客観性論文より後の後期ウェーバーも、そう考えて「理解」を社会的実在の根本に据えたと私は理解しています[詳しくないので間違っているかもしれません])
と、ここまで書いて疲れたので一旦筆を置きます。続きは最初に挙げた二冊を読んでください。でも、ここまで読んでくださったあなたに問いたいのですが、私の書いたことは多少なりとも興味深くはなかったですか。社会学はこのような根本的な問いを抱えながら成長してきましたし、まだその途中にあるのかもしれません。私の考えるまともな社会学者はこの文章における中心的な問い「社会的実在とはどのようなものか?」に対する、この文章以上に説得的な答えをそれぞれ持っています。そこが人によって違っていいのか、と思われるかもしれません。もしかしたらそこが社会学の駄目なところかもしれません。しかし、おおよその社会学者は確かにウェーバーや(この文章では触れませんでしたが)デュルケームなどが作った社会学の歴史の上で考えている、という点では一致していると思います。それこそが社会学の共通性であり、知的伝統であるとみなしてはもらえないでしょうか。よろしくお願いします。