はてなキーワード: 科学論とは
注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国
増田は某国立大学の工学部で教鞭をとる40代の准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。
こういう記事のブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会が構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。
みんな気になるだろうから、これを先に書く。
最近になってにわかに科学研究が大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究のお話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやすい環境にある。
どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ。
例えば人件費。民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国からの運営費交付金や寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算で裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授が宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。
秘書や事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金は人件費だけでなく建物や設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。
ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山の学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である。
昔からアルバイトに熱心な学生やサークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近は就職活動に時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中もインターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生は疲弊している。日中の貴重な時間を研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親からの仕送りでは足りない学生はアルバイトまでしているのだから、卒論や修論の質は落ちる。企業はガクチカとか聞く前に、理系の学生を研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論は半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。
研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。
というか、企業の採用も、もっと必要な資格や能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定の資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句で学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格や能力は採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。
博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力で研究を進めてくれるし、そのレベルも論文として世に問えるものである。
ところが、である。ちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本の博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマの自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振の特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策で博士課程進学者を経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費や生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生は就活するしかないのだ。
さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術職採用でも研究職採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程の初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給は修士号の入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである。
欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費を支給される研究員である。仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。
ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用で企業に転職したりする。それくらい、普通の仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。
大学に安定的な予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用の教職員にやらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員に入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動が必要だと言われたときに来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生の就職や研究指導の面倒は必須である。
というわけで、大学の先生は講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義や研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニアの教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事の効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジでお茶を濁したような企画書をいかに気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金の申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。
ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大の教員が競争的資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外の論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本の論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である。
それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つものが必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算のアンバランスはどうにかならないものだろうか。
というわけで、大学の先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義や学生指導は当然やるのだから、研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算からは支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面のキャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動は過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動でスキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である。
n=1だし、革命前に国をでたイラン人から聞いた話だから偏ってるかもしれないが、イランの国民性がちょっと特殊。
西洋の文化はギリシャ由来で、それもペルシャの真似だと思ってる。
イランというのは、アーリア人の国って意味で、ペルシャはイランの一地方の名前。
イラン人の歴史観は、いつの時代もまずイラン人が文化的な国を作り、栄華を極めたあとに必ず内紛でグダグダになり、その度に馬やラクダにのった蛮族(トルコ人やアラブ人)に滅ぼされるけど、イラン人は優秀だから官僚として取り立てられ、力を蓄え新しいイラン人の帝国を再興させる。それの繰り返しという歴史感。
彼らの中では、アラビア人の国もトルコ人の国もモンゴル人の国も、結局はイラン人官僚が支えてたし、それらの国が栄えたのもその前にイラン人が作った国とその文化があったからという理屈。(追記。なお、ヨーロッパ諸国は産業革命までは辺境。十字軍はエジプトらへんのアラブの蛮族とヨーロッパの未開人の小競り合い)
「NASAにはイラン人が沢山居る。Yahooのナンバー○イラン人、Googleの〜」という感じの自慢話が長い。そういう連中は革命前にイランを出た人やその2世とかだけど、国民性として、知性へのこだわりが強いみたいで、教育には力を入れてる。実際、科学論文数ランキングがかなり高い。注目される論文数で日本がイランに抜かれたとか何年か前にニュースになった。
それはさておき、そういうわけでイラン人は自分たちが特別だと思ってる。イスラムで括られるのも、中東で括られるのもすごく嫌がる。特にアラブといおうものなら、必ず訂正が入る。
「イスラム教は受け入れたけど、アラブ人になったつもりはないから。アラビア語なんかわからんから」
「あれはすごく昔のアラビア語。お経みたいなもん。なにいってるのかわからん。日本人だって卒塔婆のサンスクリット語読めないだろ?ちなみにサンスクリット語もアーリア系だからな」
とのこと。
で、シーア派ってのは、教科書だとアリーの子孫がなんちゃらって習うけど、結局そのアリーの子孫はペルシャの王族の血が入ったから実質イラン人の宗教、みたいな話だとか。イスラムは受け入れたけどアラブ人に上に立たれるのはとにかく嫌らしい。
そんなメンタリティな上に、革命前まで親アメリカだったもんだから、そりゃ中東からは偉そうな調子乗ってる国として総スカン。実際、石油と天然ガスが湧いて調子乗ってたし。シーア派とスンナ派というより、オレ様なイランの自慢がムカつくから、宗教のせいにしてるんだよ。経済制裁でこんだけ絞り上げられててもまだ偉そうだし。
そうすると、ますますイランがアラブ人組織のハマスに肩入れするのがわからない。
パレスチナを国家として承認してないのは、欧米だけ。他の国からしたらイスラエルが他国に侵攻してる。しかも民族浄化しようとしてるという認識。イスラエルに肩入れしてる欧米がおかしい。
統計的な情報を前提条件として考察を加えることは通常の科学論文等で当たり前に行われていることであって、引用が付いていないことが即誤り(あなたの言葉を使うなら曲解)ということにはなりませんよという主張をしているのに、学会がどうだと表面の言葉尻だけを捉えて反論してきているのはそちらでは?
まあ良いや、これだけ教えて下さいよ。
前提2:経済的に苦しい既婚者は希望する数の子を持つ事ができない可能性が示唆されており[1]、子供を持つ意欲そのものも低いです[2]
[1]https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0266835
[2]https://toyokeizai.net/articles/-/234647?page=3
では質問です。
なんかすごい勘違いをしてるようだけど、引用した内容を総合して論理的に新たな知見を考察することは科学論文等では当たり前のことだよ。
せいぜい言えるのは「 新たに結婚した人間のうち、所得が平均以下の場合は、3人以上の子どもを作る可能性は低い」という部分までで会って、子どもを持つことを敬遠するというのは間違っている。
前提1: 婚姻率を改善させる政策によって新たに結婚する人の多くは所得が低い(所得の多い人は既に自力で結婚している)
前提2:日本では子供を持つことを諦める理由として経済的な理由が支配的である
であるならば、結論として、新たに結婚する人の多くは経済的な理由で理想とする子供数を持たない可能性が高いよね。婚姻率さえ改善させれば夫婦あたりの子供数は据え置きだから単純に結婚しただけ子供が増えるというのは、既に結婚している夫婦とは収入面の条件が違うんだから幻想だよ。結論部分を導くには前提部分が統計で示されていれば問題ないと思うけど、そうじゃないと言うなら根拠を教えてくれ。
せっかく婚姻率を改善しても新しく結婚する夫婦の多くは現在の夫婦よりも少ない子供しか持たないし、婚姻率の改善をしたいのであればそういった低世帯の夫婦を支援する育児支援は婚姻率を改善する施策と両輪で”少子化対策として”回していかなければ効果は発揮されづらいというのが主張なんだけど。
さらに言えば、元増田のタイトルは「少子化対策の優先順位は 非婚化対策 経済対策 晩婚化対策の順 」であり、中身の主張もその通りであるのに、それを婚姻支援のみを主張していると曲解した上で否定してみせることによって、なんら有効な根拠が示せていない「子育て支援が今後も有効な少子化対策である」に説得力があるかのように見せると言う手口は、あまりにも酷すぎる。悪意を持ってミスリードを誘いすぎである。自分でも無理があると思っているだろう? 仮に非婚化、経済対策、晩婚化対策がが有効でないとしても、少子化支援が有効である証拠にはならないのは自明である。
いや、なんで引用の大切さを解いておきながらタイトルだけなんだよwww元増田は子育て支援は経済対策でしかなくて少子化対策には有効じゃないって本文中に書いてるけど。ちゃんと読んだ?
ちなみに指摘するか悩んだんだけど引用の適当さについては元増田めっちゃ適当なんだよね、例えば、
実は出生率の低下が続くフランス 「N分N乗」は少子化対策に有効?
https://digital.asahi.com/articles/ASR2M0HYBR2LUHBI029.html
これタイトルと無料部分だけ読むとフランスの 「N分N乗」政策が有効ではないというふうに読めるんだけど、ちゃんと有料部分まで読むと寧ろ『経済支援だけではなく働き方とか多角的な育児支援が必要』という主張であって、元増田の『育児支援は少子化対策にはならない』という主張とはあんまり関係がないんだよね。
教授に言われた内容で十分にアカハラ判定されると思うので、時系列で整理して所属大学のしかるべき部署に行ってください。
教授と闘って勝とうと思うと、なかなか難しいかもしれませんが、研究室の変更だったら普通はやってくれると思います。
それと、追記を読みました。
教授の年齢は分かりませんが、昔は確かに大学進学率も今より低い上に、大学院まで進むのはごく少数だった時代があります。
そういう時代を生き残って大学教授になるということは能力も自信も人並み外れたものが要求された、みたいなところはあるかもしれません。
そう言う教授が、自分の学生に自分がやったのと同じようなハードな努力と才能を要求しがちである、と言うことはあります。
しかし、ここ20年は大学院も大衆化してきており、50%が大学に進学し、そのなかで理工系に限れば4割近く、全体でも1割強が大学院に進学する時代です。
ついでに言うと、政府はそれでも「国際競争を考えれば、近い将来に高度人材が足らなくなる」と悲鳴をあげているわけです。
(20世紀前半に活躍した科学者で科学論者であったJ.D.バナールは、いずれ働く人の3割が何らかの意味で科学者になると予言しました。荒唐無稽に感じるかもしれませんが、例えば「コンピューターを扱える」と言うのもバナールの時代を考えれば一種の科学者と見えるかもしれず、そんなに無茶なことでは無いのかもしれません)
こうした時代において「スーパーマン」だけを合格させては到底、大学に期待された役割を果たせませんし、合格させた以上はそれなりの経験なりスキルなりを身につけて社会に送り出す義務が、大学側にあるわけです。
「学費を払ったお客さんだから」とふんぞり帰って何かを与えられるのを待つと言うのも違うと思いますが、能力を悲観して要求すべきものを諦めてしまうのはもっと違うと思います。
せっかく、若い時期を何年か費やし、(多分)それなりの学費も払うわけですから、もっと自信を持って大学を有効活用することを考えてよろしいかと思います。
イギリスの病院経営機関が、トランス女性の母乳が、出産後の母親の母乳に匹敵すると主張している。
プロゲスチンというホルモンで乳腺を肥大化させ、乳児の心臓への副作用の可能性のあるドンペリドンという薬で男でも母乳が出せるらしい。
乳児を5ヶ月間研究した結果、目立った副作用がないと言うのが、彼らの主張の根拠だそうだ。
母親は授乳中に赤ちゃんへの悪影響を恐れて多くの薬を我慢して、酷い病気でも自力の免疫で何とかしているのに、何で薬で無理やり出した男の母乳を与えようと思えるんだろう。
母乳がでなくてもミルクで育児出来るのに、何で赤ちゃんを危険にさらしてまで授乳させたいんだよ。
トランス達は頑なに男と女の身体能力に差はないと主張し続け、その主張が通って多くの女子スポーツや格闘技にトランス女性が出場して多くの女子選手がトランス選手といっしょに着替えをさせられ、栄光を奪われ、負傷させられている。
何で馬鹿でもわかる非科学的な妄想を振り回して、トランス女性の為なら女性を犠牲にしてもいい、今回は赤ちゃんを犠牲にしてもいいと思えるのだろう、世界が気違い沙汰に巻き込まれているとしか思えない。
病院は、1977年に遡る5つの科学論文に言及し、世界保健機関(WHO)の指導と「母乳」が乳児にとって粉ミルクよりも良いという「圧倒的な証拠」を指摘して、自らの主張を擁護した。
また、乳児の「牛乳のテストステロン濃度」は1パーセント未満であり、「目立った副作用はない」ことが判明した2022年の研究にも言及している。研究は 5 か月間続きましたが、長期的なデータは得られませんでした。
日本の科学研究の実力が急速に低下している 政府支出を評価する「独立財政機関」の設置を | 若者のための経済学 | 東洋経済オンライン
2017年度版の「科学技術白書」(6月2日政府、閣議決定)によると、主要な科学論文誌に発表された論文のうち、引用された件数の多い論文の国別順位で、日本はこの10年間で4位から10位に下がっており、基礎研究力の低下が著しいと指摘されている。
この要因について『ネイチャー』は「(科学分野における地位の)全般的な低下傾向により、日本の若い研究者たちは厳しい状況に直面しており、フルタイムで働けるポジションも少なくなっています。日本政府の研究開発支出額は、世界で依然としてトップクラスであるものの、2001年以降ほぼ横ばいです。一方で、ドイツ、中国、韓国など他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています」と指摘。
日本は科学技術関係費における基礎研究の比率が高い。しかし、政府部門の支出割合は低下しているため、本来であれば官主導で行う必要がある各種基礎研究も民間部門に依存していることになる。
反陰謀論からすると反感を買うかもしれないが、世間の常識を無批判で受け入れる姿勢が陰謀論にハマるきっかけになる。
きっとそういう人はエーテルが常識だった時代に相対論を唱えるアインシュタインをバカ扱いしていただろう。
天動説が常識だった時代に地動説を唱えるガリレオをバカ扱いしていただろう。
世間の常識は多くの場合正しいが、絶対に正しいわけではないし、調べて自分の頭で考えて受け入れるべきだ。
そういう意味で陰謀論を"無批判で"バカにする反陰謀論者も同様にバカである。
「誰々が言っていた」「どこどこに書かれていた」だけを証拠にしない。
なぜそんなことが言えるのか。
「正しく疑う」を言語化するのは難しいけど時間がある時もっと具体化したい。
科学論文や権威ある論文は英語で書かれている。英語で調べ読むことができることは重要になる。
誰がなんの証拠でそんなことを言っているのか。
これでは大学教員どころか小学生の作文だろう。すべての誤りを指摘するのは時間の無駄なので、次の一文だけを取り上げる。
「科学的に無害」だが「長期間繰り返すと有害」とはどういう意味なのか?
1000人に読ませれば999人が意味不明だと答える文章であろう。
前の段落を読むと、著者は「科学的に」を「ある特定の条件下では」という定義で使っていると推測はできる。
だが、理系の大学教員が「科学的」という言葉をこのような限定的な意味で断りなく使うことは考えられない。
科学教育に携わるのであれば、ポパーの反証可能性やクーンのパラダイム論といった古典的な「科学とは何か?」という議論は基礎教養として通過しているからである。
一般的な用語をあえて一般的でない意味で使うなら必ずそれを言明しておかなければならない。
誰でも子供の頃に単語の意味を自分で「発見」して、妙な使い方をして笑われたことがあるだろう。この文章は「科学的」という言葉を自分で「発見」した文章である。
ここで分かるのは、筆者は大学教員としての最低限の知識を備えておらず、学ぶ意欲もないということだ。
そもそも、文章の核となる単語を明確に定義するという基本ができていない。
大学教員として当然有しているべき論理的な文章を書く技術も修得していないことが分かる。
ここから言えることは、著者は大学教員としての最低限の知識も技量も足りていないということだ。
自分の手で理論を組み立て、実験して、何が信ずるに値する事実なのか、どうすれば後進にそれを伝えられるのか、そうしたことを真摯に考え、先人に学ぼうとした者の文章ではない。
この文章から浮かび上がる著者の人物像は、科学の盲信とやらに一言物申したいが、科学を成り立たせるシステムについて真剣に学ぶ意欲はない人間であろう。
学びを放棄したまま生煮えの科学観をひけらかすのは個人の自由だが、「大学教員」を騙るのは明らかにやりすぎであり、不誠実の極みと言わざるを得ない。
以下に「大学教員」のための参考文献を掲げる。今後の学びに期待する。
間違いやら何やらいっぱい入ってて改善しないといけないところは無数にあるけど、普通にそこらの学生よりまともな作文をしてくるGPTに俺は衝撃を受けたし、多少の改善はまだ必要とはいえあれで仕事を肩代わりされてしまう人はそこそこいるだろうと思う まぁ実用に落とし込めるかどうかは別の話だけど
研究レベルで革新的かと言われるとそりゃまだChatGPTから直接的に革新的なものは出てこないだろうな
単なる言語モデル走らせてるだけなんだし現状で人類の知らない新しい何かを生成できるかって言うとできないけど、GPTの改良の先にそこそこ革新的なものが普通に出力される未来が見えるのが凄いんだよ 今まではそんなことできるとさえ思わなかったしな 人間の応答が単純な言語モデルだけで模倣できることが分かってきてしまって、結局人間の知性なんて大したことじゃなかったと判明した手前、人間の閃きは言語モデルの中にあるのか先にあるのかは今のところ誰にも分からん 俺はまだしばらく人間の特権であってほしいけど明日とかに急に何かできましたとか出てくるかもしれんしな
例に上がってるUMAPだって主成分分析しかなかったところに一足飛びに出てきたわけじゃないし、実際にはその途中で多様体学習の長い歴史がある 革新と思ってるなら単に間の歴史を知らんだけだよ
キャッチーなこと書いてるからミスリーディングだけど単に既存法のチューニング変えただけで、研究者なら多かれ少なかれ現場でやってたチューニングを仰々しく書き直して実装ちゃんとやったってだけだし、革新と思ってるものも実際にはそういう歴史と膨大な試行の上に地続きになってる そういう意味でChatGPTはゴールじゃなくて筋の良い試行の第一歩
現状のGPTでできないことは無数にあるけど、例えば入力方式が違うとかそんな瑣末な問題なら俺みたいな末端でさえ改善策が無数に思いつくようなレベルだし、今何ができないとか議論しても意味ないんだよな 数週間ごとか数日後、もしくは数時間後に修正かかって何かを組み合わせると科学論文が大量生産されるとかもできるようになるかもしれないんだから
「○○から△△までは、だいたい20kmあります」と言われた場合、有効数字の観点からは、
「だいたい」の範囲を、19.5〜20.5kmだと考える人と、15〜25kmだと考える人が居ると思う。
まあ、後者は極端だとしても、18〜22kmなどと、ある程度広いレンジを考えるのが、自然だと思う。
一方で、「○○から△△までは、だいたい32kmあります」と言われた場合は、「だいたい」の範囲を、31.5〜32.5kmと考えるのが自然だろう。
よって、「20km」のように、数値の下位に当たる数字がゼロだと、その値は丸められている可能性があるため、
その値が示すレンジを幅広く見積もる、ということを私達は自然とやっているのだ。
つまり、下位の数字がゼロであるかどうかは、私達の感覚に影響を与える要素のひとつなのだ。
だから、表題の通り、20マイルを「約32km」と訳すのには違和感がある。
その違和感の理由は、端的に言うと、値の信頼度が違うだろうということだ。
つまり、「約32km」などと「約」をつけたところで、読み手が想定する値のレンジは、31.5〜32.5kmだ。
「20マイル」という、ざっくりとした値だという感覚は、適切に表現されていない。
なので、個人的には、20マイルは「約30km」、30マイルは「約50km」と、値を丸めて表現した方が正しい気がする。
杓子定規に、単位変換を一の位まで計算して計算して表現することは、意味が無い気がする。
(もちろん、原典となる文章が有効数字を示唆しているなら、その限りではない。)
数値の翻訳をどうするか、という議論を見たことがない(科学論文レベルになれば、使用される単位系が国によって異なるということがないはずなので、
そもそも値を翻訳する必要がない。だから、議論もされないのだろう)のだが、最低限でも、値の有効数字は維持されるべきだと思う。
仮に男女で"本質的に"向き不向きがなかったとして、明確な体格差や筋力の分布が違うのに例えば荷物を運ぶ単純な力仕事でも男女に向き不向きはないのだろうか それっていろんな条件が同一だと仮定した場合の結果であって、そもそもその条件を満たす割合が全然違うとかだったりはしないのだろうか
個人的には男女やら人種で差がない世界が理想だと思うしそうあれば美しい世界であったと思うけどさ、実際全然違うくない?
マラソンみれば黒人だらけだし、数学五輪を見れば中国系だらけである年の中国人参加者は全員金メダルとったりするしさ
100m走やら砲丸投げで女性の記録は男性の記録よりだいぶ劣るし
けどここで表立って差があるって主張すると社会的に殺されるし、そういうことを主張した研究者はハーバードの学長クラスでさえ一瞬で首が飛んだ 論文に書いてあることでさえ真理に近い考察なのか理想を実現するための同調圧力なのか区別がつけにくいのがこのあたりの科学論文の解釈の難しいところ
イギリスでラテン語と言えば、ニュートンの主著 Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica はタイトルだけじゃなくて中身も全てラテン語で書かれていますね。まあ、ニュートンだけじゃなくて昔は学術書などは全てラテン語でしたから当然ですけど。
ちなみに今でもイギリスの古い大学では論文(卒業論文や博士論文)は英語またはラテン語で書くことという規則が今でも残ってたりします。もちろん今は誰もラテン語で科学論文を書いたりしませんけれど。
また、ラテン語の大学名やモットーもあって、ケンブリッジ大学は Universitas Cantabrigiensis で、そのモットーは Hinc lucem et pocula sacra (訳:From here, light and sacred draughts)
まあ、昔の名残りですね。
なお、今でも名門私立中学のことを Grammar Schools と言うのもラテン語教育を重視していた時代の名残りだとか。(普通の公立中学は Comprehensive Schools)
批判というのは
「議論の価値自体を認めない、一連の議論はそもそも無価値だという批判」
「議論の価値自体は認めるが、事実認識に誤りがあるという批判」
の2パターンあって、両者を形式的に類推して判定できないとそもそも相互批判が成立しないのでは
建設的な議論と言うなら、議題自体の価値はとりあえず認めないと無限に発散するし
前者だったらメタ科学なり科学哲学のレベルになるかもしれないし、ペーパーやリプライレベルでやっても不毛でしょう
それを本当にやり合うならともかく、リプライレベルでなんの根拠もなくそういう話を持ち出してくるのは
グーグルスカラーという科学論文検索サービスがあってそこにはサボテンの中でもウチワサボテンだけとかいろんな論文がみられるのだが
そういう短い論文をまとめた専門書籍も一応掲載されてることがあるやで
あと毎年4月にいろんな大学の履修要綱に教科書リストが出る、それもそこそこ専門向けやで
同じような専門書にみえても最新版やないと定説が覆されたあとから古い定説=嘘が平気でかいてあるから気を付けてな
ファンタジー辞典とか科学系ユーチューバーの本(とされてる漫画)とかも嘘や大げさがおおいぞ
まあ大学やろな…
私立文系大学だとなんか古臭い初級者向けでとまってるせんせいおるけど…(十年間ずっと同じ英国の古典児童文学だけで授業持てたりする)
「アフリカでアフリカンファッションをきまくって自分の写真集を出版した日本女性の本」はおもしろそうだった
さがしてもこれしかでてこなかった
https://www.amazon.co.jp/dp/4594064361
https://www.amazon.co.jp/B004L9NV1G/
おっと後者はこれだ
https://www.amazon.co.jp/dp/4594074847
https://www.amazon.co.jp/dp/4866070056
前者もみつけた
中途採用した社員が経歴を、完全に詐称していた。これが俺の係で大問題になっている。
問題の電話を受けたのは俺で、電話を受けると英語でまくしたてられてしまって、英語なんて偏差値40の俺は何を言ってるのか全然分からない。
「あー、ソーリー、アイムノーイングリッシュ」みたいなダメな英語を口にしてテンパッてしまうが、弊社の社員に英語が話せる人間なんて一人もいないので誰も関わろうともしない。
泣きそうな顔でブロークンイングリッシュですらないもので応対してると、隣から手が伸びて来て「代わります」と中途採用したオッサンが言う。
すると、オッサンは何を言ってるのか全く分からんが、ペラペラと流ちょうな英語で応答している。途中で代表番号を教えてくれと言われて教えた後、オッサンは電話を切った。
「何だったの?」と尋ねると、「営業電話です。こちらは代表番号ではないので、ご用向きがあれば代表番号におかけ直しくださいという風に答えただけですよ」、と言う。
このオッサンときたら面接の時には英語が話せるなんてことを一言も言ってなかったので、課長が面食らって「英語が話せるなんて面接で聴いてないぞ!」と声を上げてしまう始末。
「いや、まぁ聞かれませんでしたし、業務に必要でないスキルをアピールしても仕方ないので」と、オッサンは言う。それで、どれくらい英語が話せるのかと他の社員が質問して分かった事は
今もたまにオンライン英会話で1時間ほど話していて、TOEICでなら800点くらいあるという・・・・(多分、これも過少申告だ。俺は英語は分からんが、映画みたいだったのは分かる位には映画は好きだからな)
それだけなら良かったのだが、実はこの人は凄いのでは?って事に興味を持った社員がエゴサーチをしてみると、実は科学論文を幾つか出している人であることも判明したので大変だ。
なんなら書籍を共著(何人も著者がいるオムニバス形式の1節担当らしい)もしているし、大学では優秀者として年度代表で表彰を受けている超秀才であることも分かったから、もう驚天動地の騒ぎになる。
例によって、オッサンは賞罰の欄にはそんな事は主張していなかった。何故と聞くと、「いや、まぁ聞かれませんでしたし、業務に必要でないスキルをアピールしても仕方ないので」と答える。
大手企業の開発部で仕事しているが多忙で生き方を変えたくて転職を決めたという話は聞いたが、その実態がこれほどのものだとは聞いてないという話だ。
くたびれたオッサンで冴えないけど、経験はありそうですねなんて笑って採用にGOサイン出した俺が恥ずかしい。
これは大変なことですよと、上司が面談をもって色々と話を聞いてみると、
第一線で働いてきてもう疲れたので命を削らない仕事をしたかったのだと。
経歴を詐称するのではなく、スキルの一部と成果を申告しないだけなので問題はないと思った。
驚かせてしまったなら申し訳ない。自主退職しろというならするので、懲戒免職は許して欲しい。
と言うような事を答えたらしい。確かに嘘をついて経歴を詐称して出来ない事を出来ると言ったわけではない。そう学歴にも職歴にも嘘はない、ただ賞罰やスキルの申告を怠っただけだ。
でも、その能力で何でうちみたいな中小に来るんだよ・・・ってレベルの人が、俺よりも安い給料で働いている(俺は係長、オッサンは平)のは苦しいし、使える気もしないのでクビにして欲しい。
だってさ、詐称は詐称だろ?ほら、以前、大卒の癖に高卒と偽って仕事してた奴が解雇されたってニュースあったよね?あのパターンだよ、これ。。。
女子社員が色めきだってるのも気に入らないし、どうにかして処分してしまいたいが、課長なら俺のクビ10個切っても解雇なんてしないって言うだろうなぁ。
【ロンドン時事】雄のネズミを妊娠・出産させることに成功したとする中国の科学者の実験が世界的に物議を醸している。
実験を主導した研究者は「生殖生物学に大きな影響を与える可能性がある」と意義を強調しているが、怪物を生み出した科学者を主人公にした英怪奇小説「フランケンシュタイン」になぞらえて批判する声も出ている。
論議を呼んでいるのは中国の海軍軍医大学のジャン・ロンジア氏らの実験。6月に論文が査読前の科学論文を扱うウェブサイト「バイオアーカイブ」に掲載された。
実験では去勢した雄ネズミに雌の体を縫い合わせるなどした上、受精卵を移植。成功率は4%に満たなかったが、帝王切開で10匹の赤ちゃんの出産に成功したという。雄の妊娠は自然界では極めて珍しく、一部の魚類で見られるのみとされる。
なにこれ。めっちゃ興奮する