はてなキーワード: 現地妻とは
俺には別に扱うことは無理なんだわ…
スクールアイドルは薄給を賄うために見えないところでAV出演しているようにしか思えなくなったから見なくなった。
アバン先生はフローラ様と婚約してるのに浮気したいから勇者の家庭教師を隠れ蓑に現地妻と浮気しまくってたとしか思えなくなった。
長門有希は文化祭でベースを弾いたことでヴァイオリニストに目をつけられて浮気するようになったというキャラ崩壊を俺の脳内で起こしてしまった。
でも、それなら徹底的に隠してくれよ。
俺の大事な作品やキャラを穢すようなことを可視化しないでくれよ。
やらかしたらお前らが出費して声優取っ替えして収録し直して再放送して負の印象を上書きするくらいの罰を受けてくれよ。
知るか。
二度とこの業界に戻ってきて欲しくなかったよ。
よく考えてみたら「転勤先が本社だけ」ってハッキリわかってるならそれでも相当マシな方で、別の地方とか下手したら海外に転勤させられるって可能性も十分あるもんね……
しかも転勤の存在する会社あるあるだという「結婚した途端に転勤」「家を買った途端に転勤」「子供が生まれた途端に転勤」のコンボ食らったら悲惨すぎるし。
なんとか結婚できたという増田のご家庭とか、同じように地方の人と結婚した増田の同僚はそういうとこどんな感じなんだろう。工場勤務とかだと一生そこで働かせてくれるのかな? それともやっぱり転勤は避けられなくて、単身赴任や逐一の帯同で乗り切ってたりするのかな。
ほんとか嘘か知らないが、はるか昔(15〜20年くらい前)に「夫の転勤についていかない妻は100%浮気される(風俗/現地妻等含む)ので、子供が小さかろうが仕事があろうが、浮気されたくなければ妻は絶対に帯同しなければならない」とかいう怖い話をネットで聞いて以来自分は転勤のある男性がトラウマです……
オリ・パラの音楽担当者がいろいろ騒動になったのを見ながら、なんとなく思い出した。
長野五輪の開会式は劇団四季の創設者にして自民党のブレーンだった浅利慶太が演出したんだけど、まあ評判が悪かった。
アメリカのテレビ局の圧力に屈して向こうのゴールデンタイムに時間をあわせ、日本時間の真っ昼間にやったので光を使った演出が使えなかったのはハンデだったと思うけど、それを差し引いてもダサくて。
まず横綱の土俵入りから始まって(同時はまだ相撲が国民的スポーツだった)、諏訪御柱でゲートたてて、なぜか力士が各国のプラカードもつ、という、分かりやすい“スシ・テンプラ”的なニッポンを散りばめて。二十年以上前だけど、当時でも相当ダサかった。
聖火の点灯はフィギュアスケート日本人初の銀メダリスト、伊藤みどりがやったんだけど、これがねえ。
ネット検索すれば動画あると思うが、なんかコテコテの豪華な巫女さんみたいな衣装を着させて、で、BGMに流れたのが、なんとプッチーニのオペラ「蝶々夫人」のアリア「ある晴れた日に」なのである。
これは酷い。
なにが酷いって、なんで日本のオリンピックで西洋のクラシック?とかそういうレベルの話ではない。
蝶々夫人が、まあ国辱モノ(好きな言葉じゃないけど)の話なのである。
そこに現れたのが、軽薄なアメリカの海軍士官ピンカートン。(なお、フルネームはベンジャミン・フランクリン・ピンカートン。このオペラ、アメリカ人も小馬鹿にしてると思う)。
ピンカートンは蝶々さんに結婚を申し込む。もちろん現地妻としてテキトーにあしらって国に帰るつもりなのだが、“軍人=武士”と思っている蝶々さんは、この求婚を「名誉なこと」と思って受けてしまうのである。周りには反対する人が沢山いたのに。
で、ピンカートンは「すぐに帰ってくるよ」なんつって航海に出てしまう。
蝶々さんは待ちつづける。あの娘はアメリカ人にもてあそばれたのよ、なんて周りに言われても、彼を信じて待ち続ける。
そして歌うのだ。
「ある晴れた日に、港に船が入ってくるのよ。あの人を載せた船が!」
彼女にはどうしても信じたい理由があった。だって、彼の子供と二人で帰ってくるのを待っているのだから。
そして彼は帰って来たのである。アメリカ人の妻を連れて。そして、息子を引き取ってアメリカで育てるという。蝶々さんは息子の幸せを願って息子を父のもとに送り出し、武士の家の伝わる刀で自刃し、ピンカートンは自分の犯した罪を初めて自覚するのである・・・。
オペラのあらすじが長くなったけど、まあ、昔の欧米人が“ゲイシャ・ハラキリ”を取り入れたエンターテインメントなのはよくわかるだろう。
これ、日本のオリンピック開会式の、1番の見せ場でつかうかね?と個人的には思った。
一部には批判的な論調もあったように記憶するが、そんなのはなんでも批判したい面倒くさいインテリのやり口と思われてて、一般的な報道では問題点と触れられることはなかったように記憶する。
あれからもうすぐ四半世紀。
リオ・オリンピックの閉会式での東京のアピールは、長野五輪の開閉開式とは比較にならないほど洗練されていて、もしかして東京五輪の開会式は素晴らしいものが見られるんじゃないかと期待していた。
しかし、なんかあんなことやこんなことがあって、グタグタ感がすごい。開会式をめぐるゴタゴタは必ずしもコロナのせいとは思えない。
ただ、ちゃんと“あんなやつ”が開会式からきちんと排除されたのは良かったと思う。日本は少しずつ良くなってるんだとすら思う。
冒頭の4分間? 適当に有りものあてがっても、誰かに突貫工事で作らせてもなんとかなるだろう。今の日本には素晴らしいクリエイターたくさんいるよ。
よく聞くのはロリコンでマザコンのモテモテ主人公の話っていう要約だったけど、そんな話だったっけ?
イケメン設定も幼年期にあるだけで、成人してからはあんまりイケメン設定って出てこなかったような記憶。
それより、不倫の話としての印象が強い。
他人の女寝とって孕ませてしまって(他人ってか異母兄弟で帝のなんだけど)なんやかんやで左遷(バレたのかどうかは作中で明言されなかった気がするけど、どうだったっけ?)、赴任先でも現地妻作って、事もあろうに都に復帰するときに妾として連れてきたんだけど、出来た妻だからそれを許して大円団、と思いきや、寝取り托卵はするくせに自分の妻には子供が出来なくて、すげー若い第二夫人を娶るもの、過去のイケメンも歳を重ねると小汚いオヤジ、第二夫人はイケメンに寝取られ孕ませられる。
第二夫人は流石に妻の意識で別れたいって言い出して出家すんだけど、「生活費の仕送りはしろ」「子供のと自分の子として育てろ」って異母兄弟で帝の兄貴に釘を刺される。
コイツ知ってるだろ。
モーリー・ロバートソンがスッキリで、宇崎ちゃんは遊びたいのことを言っていたが、色々と酷かったので書いておく。
モーリーは、このポスターの件では、欧米ではmetoo以降はハッキリとして線引きができているのに、日本は遅れているという
手塚治虫のエロは浮世絵にも通じるから許容できるだと。ズッコケそうになった。
白人男性が日本人女性に抱いてきたオリエンタリズムのセックスイメージに通じることを言ってたわけ。
モーリーは白人の男で自分が白人特権があることくらい分かってるよね?
その白人の男が、日本のこのエロスは浮世絵に通じるものがあると勝手に断定して、日本のエロを定義する暴力に気付いているのか。
それに、欧米では、西洋では、こんなものはありえないとか、エロゲーなら許されないとか、タブレット雑誌の女性の写真なら犯罪になるかもとか言ってたな。
まず、エロで言うなら、欧米ではモザイクなんかないが、日本にはあって、そのまま無修正なら犯罪になるんじゃないの?
まず、これをどう思うかだ。
それに、欧米のエロではこんなポスターではなく、実際の強姦殺人動画のスナッフムービーが出回ってきたのをどう思ってるのか?
ゲームの性描写には厳しいけど、そちらでは、殺しまくって血が飛びまくってる戦場ゲームやゾンビゲームばかり人気なのはどう思うわけ?
モーリーが言ってることは、白人の男が有色人種の文化を遅れていると断定しながら、
日本人の妻を現地妻にしてきたお雇い外国人に通じるものがあって、気持ちが悪くなった。
浮世絵のエロに通じると思うからそれは許してやるというオリエンタリズムセックスイメージの白人男なんだね。
モーリーもやっぱりそうか。
まじかよ現地妻とか羨ましいなおい