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2013-06-05

●「インドネシアにおける慰安婦調査報告」倉沢愛子

http://www.awf.or.jp/pdf/0062_p089_105.pdf

1 慰安婦募集過程

インドネシアにおいても、当初従軍慰安婦は、もともと売春生業としていた女性たちを中心に募集された。

しかしそれでは十分賄うことができず、やがて一般の女性から募集された。

人種的な近似性のゆえに、バンカ島のマルガレタ(ホ・スイ・リウ)さんのような中国系の女性が好まれたようであるが、絶対数が少ないので、圧倒的多数はプリブミの女性であった。

ジョクジャカルタのマルディエムさんのように一部の慰安婦都市部から選ばれたが、多くは村落社会から募集された。

Ⅰでも述べたように、名乗り出ている女性たちの中には、日本人将校現地妻だった者、強姦された者なども数多く含まれている。

そこで面接に際しては、本来の意味慰安婦、すなわち軍が管理する慰安所一定期間置かれて、繰り返し性的な相手をさせられた者、

という範疇にあてはまる女性だけを選別してもらうよう頼んだ。

しかし、にもかかわらず、われわれの予想に反して、40名の中にはさまざまなタイプ女性が混ざっていた。

中でも多いのは、どの部隊の者も利用できる公的な慰安所ではなく、特定の部隊が独自に女性を集めて自分たちだけが利用した私設の慰安所のようなところ(正式には慰安所という用語は使用していないが)で働かされた者である

多くの場合それは、軍の兵舎建物や、軍が運営している特定の工場の内部などに女性を多数住まわせ、将兵が必要に応じて「活用」するという形であった。

(略)

「強制」とはいっても、実際日本軍将兵が銃を突きつけてというようなケースは、厳密な意味での従軍慰安婦募集の場合にはむしろ少なく、

以上述べたような行政機構村役場を通じての半強制が行われていたというのが一般的であろう。

それに対して、「準慰安婦」の場合には、日本軍将兵が個人的に女性を「手込めにする」あるいは、上官の個人的な命令を受けて「女狩り」に行く、

まり、実際に軍人が直接手を出して連行したというケースが多かったようである

この場合は、村から町に働きに出ている女性が帰り道を襲われるというようなケース、

あるいは、両親が仕事で出掛けていて1人で留守番をしている間にさらわれるというようなケースもみられる。

2 軍管理慰安所の状況

兵隊たちは、慰安所の入口で「キップ」を買って「有料」で慰安所を利用するわけであり、慰安婦にも、客の数に応じて収入が入ることになっていた。

しか彼女たちの訴えによれば、多くの場合その報酬は未払いになっていたという。

ただし、食事、衣装化粧品などには事欠かなかった。周辺にいた証人たちの証言によれば、その生活は豊かで華やかでさえあったという。

しかし問題は金銭的、あるいは物質的なことではなく、ほとんど自由を束縛されたうえ、1日に何人もの客を強制的に取らされ、からだが疲弊してしまったことである

多くの女性健康を害している。

ただし性病に対しては、日本側も非常に敏感になっており、必ずコンドームの使用が義務づけられていたうえ、毎週定期的に軍医衛生兵による検査が行われた。

しかしそれ以外の健康管理は十分に行われていなかったようである

しかコンドームの使用を義務づけていたにもかかわらず、マルディエムさんのように妊娠する者もいた。

そのような場合には強制的に堕胎を強いられたが、中絶は罪悪であると教えられてきたイスラム教徒彼女たちにとって、それは精神的な重圧であった。

3 私設慰安所場合

それに対して、「準慰安婦」たちが入れられた、軍の兵舎内や工場内の私設慰安所場合は、いろいろな意味環境もっと悪かったようである

「準慰安婦」の場合は、いわば、その部隊の将兵が女性拉致してきて、そのままうむを言わさず自分たちの欲望の捌け口として使ったわけであるから

これらの女性存在は軍司令部には秘密であったと思われる。

そのため、慰安婦に一般に与えられていたような、健康管理のための措置もなされなかった。

すなわち妊娠性病を防ぐためのコンドームの使用もおそらく義務づけられてはいなかったであろうし、

軍医衛生兵による定期的な健康診断もなく、性病蔓延に対する衛生的な措置はなんらなされていなかった。

また、彼女たちを利用する日本軍将兵は、正式の慰安所場合のように「キップ」を買ったりはしていない。

従って女性たちはもちろん何の報酬も受けていない。

それどころか彼女たちのための正式な食料、衣料品供給さえなかったようである

従って多くが、食事はありあわせで、時には1日1食であった、などと述べている。

 
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