はてなキーワード: 全面的とは
ジャップはこう答える「ガッコーのてんてーが議論する機会を設けてくれなかったからでしゅー」。
違うのだ。
違うのである。
違うので早漏。
正解は
そしてその原因(というか真の正解は)
「"議論に勝った側(この時点で既に何かおかしい)は負けた側をフルボッコにしてもいい、何故なら自身の論理的整合性を示した直後なのだから"という考えが蔓延しているから」なのだ。
それゆえにそれを発散する相手を常に探し求めている。
だがジャップランドの民草にも恥じらいはある。というよりもこの国を縛るジャップマナーという見えない掟があるのだ。
理不尽に他人にストレスをぶつければDQNのレッテルを貼られてムラハチは不可避。
それゆ叩いても理不尽だと人々に石を投げられない相手を常に求めているのだ。
そこで彼らは討論というシステムに目をつけた。
口喧嘩に勝てば一時的に自身の論理的正しさが全面的に証明され(そんなことはないはずだがジャップは馬鹿だからそう思っている)、負けた側を好きなだけ言葉でハラスメントしてもいいというルールが生まれたのである。
たとえ意味のある議論をしようという人間が現れても、勝つことしか考えていない他のジャップが詭弁の嵐でフルボッコにし、ジャップ議論ルールによりそのものから発言権を奪い続け、ジャップは彼の言葉に耳を貸さなくなってしまうのだ。
恐ろしい国だ。
写真の中の高橋圭一には、今も手錠で作られた鎖ががんじがらめに絡まっている。もう一方の鎖の先は、共犯者に繋がっているものだと思っていたが……
「冤罪、か」
翌日、俺は全国に展開している喫茶店でコーヒーを飲んでいた。高橋圭一の勾留されている警察署に面会を求めに行って、門前払いされた帰りだ。
「面会できれば、何か分かったかもしれないのにな……」
美味くもないコーヒーをすすりながら、俺はつぶやいた。西織あいかの話では、彼女は憧れの先輩である高橋圭一を追って『光の華』に入信したらしい。その後一年ほどは何事も無く過ごしていたが、最近良くない噂を聞くようになったとか。
子供の信者なんて滅多に見なかったのに、最近やけに子供の姿を教団内で見る──
誰の子供か、知っている人は居ない──
話を聞いてみると、知らない人に連れて来られたと言っていた──
いつの間にかその子供は居なくなり、二度と姿が見えなくなる──
数日すると、違う子供が代わりにやってくる──
もしかして、信者の中に子供を誘拐して施設に監禁している人が居るのではないか? そんな噂が誠しやかにささやかれていたそうだ。そして報道される女子児童に限った連続誘拐事件と、高橋圭一の劇的な逮捕。信者達は噂の真相を知ることになった。
しかし彼の人柄を良く知る西織あいかは納得しなかった。憧れの先輩である高橋圭一がそんな犯罪に手を染めるはずがない。また、忙しい芸能活動のスケジュールをぬって誘拐事件を起こすなど、客観的に考えても不可能だった。にも関わらず、誰も高橋圭一の犯行に疑いを持たず、しかもそれを裏付ける物的証拠まで上がるに従って、彼女は教団が組織ぐるみで高橋圭一を陥れたのだと悟ったのだった。そして彼女は、手練手管を駆使して教団の幹部に接触して内実を探っていたらしい。今のところ、これと言った情報は得られていないそうだが。
彼女の話を全面的に信じたわけではないが、教団を探るという共通の目的がある俺達は、お互いに協力しあおうという事になった。俺達は連絡先を交換し、俺は彼女を、彼女のマンションまで送り届けたのだった。
図らずもアイドルの個人的な連絡先を手に入れた形になった。嬉しいような、どうでもいいような。思春期の子供じゃあるまいし。だいたい、俺は別に西織あいかのファンじゃないしな……
「続いてのニュースです。昨夜、タレントの西織あいかさんが帰宅途中に男に連れ去られ、行方不明になっているとのことです」
喫茶店に置いてあるテレビからそんなニュースが流れてきた瞬間、飲んでいるコーヒーを吹き出しそうになった。
「警察によりますと、あいかさんを連れ去ったのは渋谷区在住の佐々木誠也容疑者26歳」
テレビの画面には俺の顔写真がはっきりと映っている。冗談じゃない。いや、確かに誘拐まがいのことはしたが、でもなんで警察が動いている?
「警察は男を指名手配とし、市民からの情報提供を募っています」
西織あいかはちゃんと自分の家に帰ったし、おそらく今日も問題なく仕事に出かけたはずだ。行方不明になんてなっているはずがない。となると、考えられる可能性は一つ。
テレビの中ではどこから手に入れたのか、俺の小学校の卒業文集が晒されていた。画面にデカデカと、拙い文字で書かれた『お笑い芸人になって天下を取る!』という子供の頃の俺の夢が映っている。ああ、懐かしい。そんな事を考えていた時代もあった。俺の感慨をよそに、コメンテーターが芸能界への憧れが犯行へ繋がったのではないかとか、勝手なことを言ってる。うっせえ黙れ。お前になんの権利があって、純粋な子供の夢を汚すんだ。
その時、隣を喫茶店の店員が通り過ぎていった。俺はとっさに顔を伏せた。卒業文集がどうのこうの言ってる場合じゃない。俺は指名手配中なんだ。しかも全国ニュースで写真が公開されているんだ。
店員の様子を伺う。俺の事を不審がっている様子はない。誰も、自分の喫茶店に今しがた放送されたばかりの指名手配犯が居るなんて思わないだろう。ニュースをちゃんと観ていたかどうかも怪しい。しかし、俺はひどい不安に駆られた。今にも警官が大挙して俺の元に押し寄せて来る気がする。顔を隠さなくては。
俺は、いつも持っているサングラスをかけて目元を隠した。これだけで焦燥感が三割減した。慌てて喫茶店を出る。外に出ると、人、人、人。全員が俺を見ているような錯覚を覚える。
「ごほっ! ごほっ! あー! 風邪だ!」
誰も聞いていないだろうに、俺はわざとらしく咳をしながら近くのコンビニに入った。ごほごほ言いながら、口元を押さて顔を隠してマスクを買った。会計の瞬間、店員に気づかれやしないかと肝が縮み上がった。コンビニを出てすぐさまマスクを付けようと、包装のビニールを破ろうとするが、顔を隠すために片手が塞がっているので上手く開けられない。もどかしさのあまり、口でビニールを咥えて包装を破った。取り出したマスクをつけ顔を完全に隠すと、俺はやっと落ち着きを取り戻した。
さて、これからどうするか。俺は指名手配中の身だ。外に出ていてよかった。おそらく事務所には警察の捜査が入っているだろう。しばらく事務所には帰れない。とにかく西織あいかに真意を問いただす必要がある。俺は携帯を取り出すと、昨日交換した彼女の番号にかけた。数回呼び出し音が鳴った後、回線がつながった。
「おい、どういうつもりだ」
無機質な音声案内の声だった。
* * *
ネトウヨって「朝鮮人もネトウヨも嫌い」って言ってる奴まで在日認定するの?
「どっちも嫌い」つってんのに何故自分達だけを一方的に嫌ってるって看做すのか。彼らが通ってた学校の国語の授業では「どっちも嫌い」という言葉は「片方だけを嫌っている」という意味で教わっていたのか?火消しのためにどっちもどっちという風潮に持っていこうとしているとか何でそういう捻くれた解釈しか出来ないんだ。(つーかどっちもどっちという風潮に持っていくことが火消しになるの?)「ネトウヨの言っていることは全面的に間違ってる」とか「ネトウヨより朝鮮人の方がマシ」とかそんなこと一言も言って無いし。それこそ自分達に対する真っ当な批判や反論まで「差別発言」「レイシズム」と曲解してる朝鮮人と同じじゃん。人の発言に対して逆ギレする前に何で自分たちまで嫌われてるのか少しは考えろよ。
そんなんで「生粋の日本人なら俺達のこと嫌いになる筈ない(キリッ」って思える神経が羨ましいわ。
大体ガチの在日が「朝鮮人も嫌い」なんて言う訳が無い。あいつらは自分達は(右翼除く日本人含む)世界中の人達から慕われていて、逆に日本人は世界中から嫌われてるって思ってるからね(実際の世界の両者に対する評価は真逆なのにねw世界中で迷惑行為ばっかしてるのに何でそう思える頭してるのか謎だけど。)間違っても自分達は右翼以外の日本人や日本以外の国からも嫌われてるなんて思わないよ。
俺は同性愛の存在は肯定するし、そんな人たちを差別しようなんて気はないし、同性愛は罪だの欠陥だの異常だの認めないだのと差別されてるならそれは批判するけども、個人的にそっちの気はないし、見るのも苦手だ。
これは差別か?違うだろう。
同性愛じゃなくても猟奇的描写が苦手、18禁描写自体が苦手、3次元が苦手、2次元が苦手。
性に関しては特に生理的に無理なものって人それぞれあるもので、それを避けるためにも、ただマーケティングとしてだけではなく見る人への配慮としてもゾーニングと言うものがあると思う。
同性愛を差別するなはわかるけど、同性愛が排除された!差別だ!と言う文句は何にでも同性愛表現をねじ込めてしまう。
それは個人的に、生理的に苦手だと言う人にとってただの暴力にしかなり得ないだろう。
差別と戦うのは良いことだと思うが、そうした配慮を忘れないことも肝心なことだと思う。
zazu0311 嫌いなら読まないか、間違って読んでしまったら途中で読むのをやめればいいと思うけどな。生理的に苦手というのは個人の主観だから、各々の主観に全部配慮していたら何も表現できなくない?
何も表現出来なくなると言うのは程度問題の極論だと思います。今現在でも普通に区分けされてるじゃないですか。少年誌もBL雑誌もあるのに、わざわざジャンプに男同士のキスシーンをねじ込む必要はないですよね。
zhy 「個人的にそっちの気はないし、見るのも苦手だ。いわゆる生理的に受け付けない。と言うものだ。」と、異性愛表現に対して感じる人が少なからずいる訳だけど、その人への配慮は無視されているんですよね。
では恋愛表現のない雑誌を求めれば良いのでは?同性恋愛が好きなのであればBLも百合も専門誌がありますよね。既存の媒体をなんでもねじ曲げて行こうとするよりは、需要があると言うならそう言う新たな媒体を作るなりした方が前向きでいい解決策だと思います。
alloreverything あらゆることに言えることだけど、「俺の視界に入れないようにしている」はオッケーだけど、「俺の視界に入るな」はNG。
それは極論であり綺麗事、理想論でしょう。こちらはゾーニングとして具体的な話をしているわけで。仮にその論を具体的に当てはめるとネットのセーフティさえいらないと言うことでエロもグロも好きなだけ氾濫した世界になって、偶然でも見た方が悪いとなりますよね。
権利ではなくゾーニングの話です。誰も「見せられない」ことの強要はしていません。
むしろ、同意先にありますが“潜在的にwebでBL漫画を発表したい層が可視化されたわけで、ビジネスチャンスでもある。”と言うことも含めた肯定意見ですよ。
gryphon 【応用問題】「ムハンマドを戯画化する表現を俺は受け付けない」という人がいたら、全表現がそれを抑制すべきか?
ゾーニングの話です。
政治的、宗教的、国際的要因を孕んだ答えてたら脱線しそうな生々しくめんどくさい問題は別件でお願いします。
更新分
zhy 異性愛表現に対して嫌悪感を覚える人が少なからずいる訳だけど、その人への配慮は無視されているんですよね。//【あなたが】恋愛表現のない雑誌を求めず、同性愛を排除する理由になりませんよね?
先の答えでは不服でしたでしょうか。正直何を求められてるのかわかりません。
その文面でただ私を否定したいだけですか?同性愛と言う価値観を生理的にも受け入れろと強要してるんですか?
magicalboy これ系で納得いかないのは何故マイノリティ側にだけ配慮が押し付けられるのかってこと。
saigami 「お前らの居場所はここには無いからどこか新しい居場所を見つけなよ、自分たちで」とひたすら言われ続けるのがマイノリティのしんどさであるわけでね。
どんなマイノリティに属しているかわかりませんが、そこら辺はどうしようもなく同情しかできませんすみません。
もしかしたら何かしらの活動があるのかもしれないけどあまり無責任なことも言えないので。
まあ、BLに関しては既にマイノリティと言えず結構な需要があるだろうし、BL版comicoでもどっか企画したらいいのではと思いますが。
rag_en それはゾーニングじゃなくてカテゴライズです。ちな、『「同性キス」を「猥褻だから禁止」扱いされて憤る』のは、彼らこそゾーニング論者だからよね、と。だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/244484108/comment/rag_enと述べている。
ではカテゴライズと言い換えましょう。
そして、確かにそこはcomicoの書き方に問題があった部分かと思います。
gimonfu_usr (http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13121123198 異性愛・同性愛関係なく成人向けは制限してるんでないか。)
キスだけで成人向けと言うのは苦しく、変な言い訳になるでしょうね。
hisa_ino ん?心の中で同性愛を気持悪いと嫌悪するのは全然かまわないよ、どうぞご自由に。それを外に向けて垂れ流すなよ、ってだけで。
今回の件はその真逆のベクトルを持つことに関して危惧してるわけで。
ちゃんと読んでたらそんなコメントはないですよね。
arlu “comico”の事例は男性同士のキスシーンがNGということで燃えていた気がしたが・・・ テレビでも男性同士のキスくらいあるだろうにと思ったりしたが、
そうですね。同性のキスはNGと書かれてたにもかかわらず、掲載した漫画が削除されて差別だ!の流れです。
つまり同性のキスを載せろと言うことになると思いますが、同じ文句はどんな表現媒体にも言えてしまいますよね。
載せなければ差別と言われる。その流れが来ることを危惧しています。
各々の裁量はあるでしょうけどテレビでも時間帯を選ばずなんでもフリーダムにやってるわけじゃないでしょう。
低俗な例えですね。
別に隣人が同性愛者とかそう言うのは構わないし、普通に言葉も交わすし親しくもなるでしょう。
対象としてはごめんなさいですが。
houjiT 「載せなてないから差別」なんて話だっけ。「後から消した」問題では/同性愛は同性愛らしくしろというのに、異性愛はジャンルを問わずにぶちこまれてる。同じ恋愛でも異性愛の拒否は恋愛要素自体の拒否なのか
実際に恋愛ものしか興味がない人、恋愛要素はいらないって人、そう言う需要は一定数あるんじゃないでしょうか。
“同じ恋愛でも異性愛の拒否は恋愛要素自体の拒否”のくだりはzhyさんへの返事からのコメントだと思いますが、その後ろに同性愛の恋愛ものについてもちゃんと書いてます。
同性愛の媒体はちゃんとある上で異性愛も配慮して欲しいような要望だったので、それは恋愛要素の否定かなと受けました。
※追記
レスも追いつかなくなってきたし仕事もあるので今一度まとめますが
じゃあ逆に何でもかんでも全ての媒体に同性愛表現を取り入れた世界ってどうなりますかね
そのパワーバランスを無視してマイノリティを供給過多にした世界です
私はおそらく多くの人が不幸になるだけかと思います
今までも様々なジャンルがカテゴライズされて共存してきて、需要に沿って存在したり消えて行ったりしたわけですが
これからもそれでいいじゃないかって言うのが私の主張です
※再追記
単にマイノリティマジョリティの問題として片付けてしまったのが悪い気がしたのでもう一言
無数のジャンルに答えを出して持っていて、その一つ一つにマイノリティマジョリティがついてくる
つまりある要素ではマイノリティだけどある要素ではマジョリティってものを持ってるでしょう
だから決してマイノリティかマジョリティかを他人事として言ったわけではありません
じゃあ私は例えばNTRとか好きですけど、マジョリティかって言うとイマイチそうでもない
なんでそんなジャンルあるの?って人や最低と言う人多くが存在してることも知ってるしそうなるのもわかります
NTR禁止のエロ本が出たならそれも差別だなんて思うことはありません
ああ、嫌な人は嫌だもんなと思うだけです
そう言う自分の中のマイノリティマジョリティで置き換えて色々と考えてみて欲しいと思いました
同じ同性愛についての問題でも性的嗜好であるBLと同性愛者は別問題は確かに。
生理的に受けつけないと言うくだりが混乱を招きましたね。
一応、その文の時点ではBLであれ同性愛者であれ営みの描写が苦手ですってことで、そこに区別はありませんでした。
今回のcomicoの件に移ってからはBL表現側にシフトしてます。
つまり申し訳ないですが今回同性愛者の方がどうこうという主張ではないです。
そして同性愛者を区分けしろとか差別に準ずるような馬鹿げた思想もありません。
決して同性愛者そのものが生理的に無理とか言ってるわけではありません。
あとcomicoが同性間のキスを線引きとしていること、私にとっては絶妙な線引きと思えました。
理解出来ない人には理解出来ない線引きですが、生々しい感じがしたらダメなんです。
※謝辞
私の文が拙いばかりに、フォローくださった方々ありがとうございます。
> 履歴書など登録が必須な割には個人情報の扱いが雑な企業が多いです。
これは心配な点ですね。
企業側にしても社員の情報を外部に握られるのはリスクがあると思います。
ログイン等だけではなく全面的にhttpsにしていただきたいと思います。
公衆WiFiや社内LANなどは見られている前提が必要だと思いますが、
そこに気をつけると非常に使いづらいです。
「あるジャンルの漫画を世の中から撲滅すべきだ」と主張しているならともかく、「あるジャンルの漫画はうちでは掲載しません」は普通に編集権の範囲だろ。また、潜在的にwebでBL漫画を発表したい層が可視化されたわけで、ビジネスチャンスでもある。
理想的には「ゾーニングのため c○mic○ BL のようなサービスを立ち上げたので、BLモノはこっちへ移住をお願いします」としたほうがベターだったかもしれないが、まずい対応により結果的に既存顧客や潜在顧客を失って商業的に失敗するのだとしてもサービス提供者の自己責任だ。
[追記]
本文に書いた例示で分からない人には何を言っても無駄かなあと思いつつ。
例えば上にも挙げたヤンマガが分かりやすく、キスどころかもっと踏み込んだ性表現もOKとしていると思えるけれど、多分そのものズバリなBL漫画は載らないか載ってもすぐ打ち切られるだろう。ものすごくステレオタイプに言えば、BL漫画というのは主に女性向けであって、ヤンマガの主たる読者層である若い男性に受けないからだ。ヤンマガは例えば Webでタダで読めるからタダマン なるネーミングのサービスをしていて、これを見て眉をしかめるような人を主たる想定読者にしてないことが分かる(これ自体を非難するつもりはないよ)。
BL漫画(これは男性同性愛者向けの漫画とも異なる。例えば今はもう廃刊になったけど薔薇族とかにいわゆるBLが載ったりはしないだろう。)を全面的に歓迎とするのは、ヤンマガが若い男性読者層向けに踏み込んでいるのと同程度には、対称読者を女性読者層向けに踏み込む行為だ。後だしにせよこれを禁止ということにするのは、差別(同性愛表現を世の中から消し去りたい)というよりは、マーケットポジションを男性向け寄りに変えている、と考えるのが普通の社会人のものの見方だと思う。
BLファンから見たらはしごを外された思いだろうし、悔しいのは分からんでもないが、冷静になった方がいいと思うよ。
[/追記]
じゃあそう言えばいいだけの話だろ
そうしたら作者も諦めがついた
編集者が悪いのかもな。だが、こんなことストレートに言ってたら、それはそれでこじれるんじゃないか?
増田(おれ)も悪いだろうな。「根拠」は「オレが講談社の編集なら、この状況でこの漫画に同じ判断するだろな。その場合、理由は『詰まらない』からだが、それをストレートには言わないだろうがな。」というだけの想像だしな。
だが、作者が詰まらん「お願い」をして騒ぎになったせいで「詰まらん」漫画を読まされた時間代だと思って、ここは我慢してもらうしかないな。いくら騒いでも炎上しても、詰まらん漫画が面白くなったりはしないんだからさ。
オレは、変に設定に凝って一部のウケを狙うより、この作者はもっとはっちゃけて自分の趣味を前面に出した方が面白いもの描きそうだな、と思った。そのヒントも込めて、前のエントリを書いたつもりだったんだ。そのメッセージも、少し読み取ってくれれば嬉しいな。
元増田が(ブコメにもちらほら)判ってないのは、アレが外注だってトコだよ。
ああいうのと同じなの。
クリーニングの何が楽しいの?ユニクロ着てるオレには意味不明、とか言わないだろ?
まずね、お前さんも誰かとカラオケしたいなあとか思うわけだろ?
オッサンも思うんだよ。あとね、まあ、仕事帰りに飲んで帰りたいなとか思うわけだよ。
するとだ、イイ歳したオッサンとかさ、まあ若いのも居るけど、ナンパとかもうしないのね。
面倒なの。
奥さん(彼女)と待ち合わせして飲むとか無いし、若い女の子と飲みたいなとか思っても、無理なの。
つまりだな、アレは、
のうち、1と4を飛ばせるんだよ。2と3だけできるの。カネで。
例えばさ、部長が新人の受付嬢とか口説いてたら嫌だろそんな会社。
でもね、カネさえ出せば部長も(セクハラはNGだが)好みの女の子と飲めるの。
別にね、40超えたオッサンが今更恋愛もないのよ。ステップがめんどくさい。
でもね、擬似的なナニカは欲しい。
愚痴を聞いて欲しいってのもそうだな。自慢したいとか。肯定して欲しい。
彼女にグチると嫌な顔されるからなんて理由で来てる若いのも居るな。
こう、酒を飲むときはな、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。
独りで静かで豊かで……みたいなヤツは行っちゃダメなんだよ。
家で一人でカップ酒とか寂しいなあ。
そういうね、そういう人達が、チヤホヤしてもらえる場所なの。カネで。
クリーニングに出して「オレのYシャツ汗臭くて申し訳ないなあ」とか思うのは人が良すぎる。
掃除代行サービス呼ぶのに「換気扇ちょっと掃除しとこうかなあ」とか本末転倒も良いとこ。
カラオケ行きたいなあと思ったら、指名して仲良くなってから同伴すれば良いんだよ。
仕事関係の女の子と仲良くなってカラオケ行くとかハードル高いだろ?
オカネでね、全面的に肯定してくれたり良い具合に否定してくれたり、
チヤホヤされたいのよ。癒やされたい。ネコカフェに行くのと同じなのよ。
YシャツはOKでも、羽毛布団はNGのクリーニング屋もあるの。
ピザ屋に出前頼んでも、一緒に食べてくれないだろ?
その楽しさを課金で生み出せるなら、それでいいの。
人生そんなもんよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150211201344
「編集者」とひと口に言ってもいろいろなタイプがいて、雑誌社で記者をやっている人が編集者を名乗っていることもあるし、雑誌編集部で編集長やデスクの使い走りしかやってない人や、編集プロダクション所属で実質はDTPオペレータという人もいる。書籍の編集者でも、作家様が執筆するような文芸書担当と実用書担当ではずいぶん仕事内容が違うし、漫画や写真集、辞書みたいな特殊ジャンルもある。さらに会社や個人によって仕事のやり方が違ったりするので、「編集者の仕事」を一概に定義するのは難しい。
ただ、あえて定義すれば「本や雑誌を作ること」で、ある程度抽象化した形でなら大まかな流れは紹介できるんじゃないかと思ったのでまとめてみた。以下は原則として版元所属の実用書系の書籍編集者の仕事を想定。文芸や漫画の世界はよう知らん。
企画は「思い付きを口走ること」でも「まだ世の中に存在しない何か」を探すことでもありません。満たされていない需要を探し出して、それを満たす商品の製作を計画することです。そのために常日頃から情報を集めつつ、有望なアイディアを見つけたら市場調査、著者候補をはじめとした関係者へのコンタクト、概要記述、目次案作成、仮タイトル考案、収支シミュレーション作成、プロモーションの概要計画作成などを行ないます。版元所属の書籍編集者にとっては、企画が一番重要な仕事です。
版元所属の書籍編集者なら、定期的に開催される「企画会議」で企画をプレゼンして経営陣や営業部門を説得して企画を進める了承を得ます。企画会議にかける前に編集部内で行なう編集会議にかけ、編集長の了承を得る必要があることもあります(書籍編集者は独立性が高いので不要のこともある)。企画を企画会議より先に進めるには、企画した編集者の過去の実績や根回しも結構重要だったりします。
本来は著者の仕事です。「てにをは」はもちろん、取材や権利処理も含めて原稿完成の全責任を負うのは著者です。本来は。しかし、実用書系の著者に商品にできるレベルの文章を書ける人はほぼいません。原稿は少なくとも再構成、場合によっては全面的にリライトしなければならないことがほとんどです。これを自身で行なうか、外部のライターなどに発注するかは編集者によります。刊行点数のノルマに余裕があり、著者が書けなければ企画をボツにするという編集者もいます。また、長年ブログを書いているなどと言って妙な自信を持っていてリライトなどに対して「一字一句変えるな!」などと言い出す著者もたまにいますが、こういう著者を説得(というか説教)するのも編集者の仕事です。言うまでもありませんが、たかだか2,000文字のブログ記事と、200ページ超の書籍のための文章はまったくの別物です。
原稿がある程度そろったら、紙面の形に組版します。版元所属の書籍編集者の場合は、ほとんどの場合外部の編集プロダクションへ発注します(単純な縦組みの文芸書などでは印刷所に依頼することもあるようです)。これらに関する価格交渉なども、編集者の重要な仕事のひとつです。
校正紙(組版された紙面)を目視で確認する作業です。校正紙を著者に送り、内容を確認してもらう「著者校正」もここで行ないます。修正の量にもよりますが、2~3回繰り返すのが一般的です。
装丁(カバーデザインなど)についても、外部のデザイナーに発注するのが一般的です。とはいえ丸投げで済むわけではなく、書籍の内容や競合の状況によってデザインの方向性を考え、それにそったデザインのできるデザイナーを探し、デザイナーに方向性を伝えるための資料を集め、文字原稿についてはすべて編集者側で用意した上で、デザイナーと複数回のやり取りをします。
組版や装丁の目処が立ち、ページ数も大体決まったあたりで印刷所に見積もりを依頼します。見積もりの額によっては、デザイナーに装丁の仕様変更を依頼することもあります。特色、UV、箔押し、型押しの使用は慎重に。必要な場合はここで印刷所に束見本(つかみほん)の作成を依頼することもあります。
ページ数が決まり、カバーデザインもほぼ完成したら、いわゆる「部決会議」(部数決定会議)にて部数、価格、発売日などが決定されます。営業部門などからの要望によって、タイトルやカバーデザインの変更を要請されることもあります。過去の実績や知名度によっては著者や編集者の無理が通ることもありえますが、これらの最終決定権は原則として資金的なリスクを負う経営者にあります。意見が通らなかった場合には、過去の不甲斐ない自分を恨みましょう。
部数や価格が決定したら、印刷所へのデータ入稿作業を行ないます。売上スリップやバーコードのデータを作成するのもこのタイミングです。印刷所からはプルーフや色校正が出てくるので確認します。ここでの確認漏れはそのまま印刷事故につながるので、売上スリップやバーコード、奥付などの最終確認は複数部署による回覧で行ないます。
入稿作業が終わると見本が出てくるのまで間に少し時間ができるので、著者との契約作業を進めておきます。契約書は出版社ごとに統一されているのが一般的で、タイトルや著者名、部数、価格などを書き込んで著者に送り、記名捺印したものを返送してもらいます。刷り印税がある場合には、支払伝票の起票などもこの段階で行ないます。編集プロダクションやデザイナーへの支払い手続きもこのタイミングで。
入稿作業後しばらくすると見本が届くので、まずは修正原本となる数冊を除いてから、著者をはじめとした関係者に数冊ずつ発送します。社内外へ見本を持参しつつ、挨拶をして回ることもあります。続いて雑誌社や有名ブロガーなどへの献本を行ない、書評を依頼したりもします。書籍編集者の通常の業務としては、これでひと段落ついたことになります。
書籍編集者が行なう通常の販促活動としては、いわゆる献本のほかにも、書店に配布する注文書の原稿作成などがあります。しかし、書店営業や広告に関しては原則として営業部門が主体となって行なうことになっていて、編集部側が勝手に進めることはできないのが一般的です。結果として書籍編集者が行なう販促活動は、営業部門のサポートや、著者によるイベントのサポートなどが中心となります。
実は世の中には間違いのない書籍というのはほとんどなく、それほど厚くない書籍の中にも複数の間違いが含まれていたりします。これを自分で見つけたり、著者や読者から報告を受けたときに記録しておき、増刷といったタイミングで修正するのも書籍編集者の仕事です。増刷時には、著者への報告や見本の発送、刷り印税なら支払伝票の起票といった作業もあります。さらに、刊行から時間が経ち、内容の更新をする必要がありそうな場合には、増刷の代わりに改訂版の刊行を企画することもあります。
以上です。改めて書き出してみると思っていた以上にやることが多かったと感じたのですがいかがでしょうか?また、原稿制作は重要であっても一部でしかなく、原稿さえあれば書籍が出るというわけではないということもおわかりいただけたかと思います。一般的な実用書の編集者は、この流れを同時並行して年間5~10点程度進めることになります。編集者が何の仕事をする人かという疑問解決の参考になれば幸いです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150211/k10015379371000.html
(ブコメ:http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20150211/k10015379371000.html)
保護期間70年は来るだろうなと思っていたがまさか非親告罪も飲むとは…交渉とはなんだったのか。政府のふがいなさは置いといてここでは二次創作の話をしたい。
TPPにより非親告罪化が現実になってきても、出版社や作者があまり具体的な行動をとってこなかったのは残念だった。
特に出版社。作家では赤松さんや冲方丁さんなど問題意識をもって活動されていた方はいたが、個人の力には限界がある。報道もされにくい。
さすがにこのニュースがきたなら焦り出すだろう。むしろ焦らなかったとしたら、もうそんな文化は潰れてしまったほうがいいのではないか。二次創作文化を保護する気なんてなかったということだ。
とはいえ自分は二次創作に関してはそこまで心配していない。むしろこの機会にライセンスが整備され、安心して二次創作活動ができるようになるはずだし、そう期待する。既に実績もある。
同人関係の事件が話題になるたび、もう牧歌的な時代ではなくなってしまった、版元も二次創作者も「黙認」にあぐらをかきすぎてるのではないか、と自分としては思う。
コミケがこれだけ巨大化し、ネットでの二次創作活動も活発になったいま、同人誌即売会という限られた場で少数頒布されることを前提に「黙認」する、いわゆる「同人」の慣例はもはや限界に近付いていると思う。この機会に黙認からライセンスをベースとした明示的な許諾に踏み出すべきだと考えている。
既にいくつかの作品は二次創作のガイドラインを出しているし、東方は同人流通であれば緩いガイドラインを示していて、それも人気に貢献している。初音ミクなどボカロはクリプトン社の先例もあって、ほとんどのキャラにガイドラインがある。
自分がボカロ絵を主に描いてるのはこの理由もあって、ほとんどのキャラにガイドラインがあり、さらにクリプトンのキャラならピアプロ・キャラクター・ライセンス(PCL)により、完全に合法に二次創作ができるからだ。
http://piapro.jp/license/pcl/summary(2012年にはクリエイティブ・コモンズも採用してデュアルライセンスになった)
まずガイドラインを作成し、次にライセンスを整備するだけだ。ライセンスは法律も考えなければならず簡単ではないが、無理な話でもない。
初音ミクほどの規模で、クリプトンほどの小さな会社でもやっていけていることだ。ほかの巨大出版社ができないとは言わせない。
ネットでのファンアートの数・コミケのサークル数は元作品人気のバロメーターになりつつあるが、非親告罪化されればライセンスがない作品の二次創作をする人は激減するだろう(しなかったら怖い)。即売会もリスクを恐れてライセンスのない作品はNGにしていく。
二次創作人気が元作品への人気にもつながっている今、版元には死活問題だ。
大人向け以外でも、例えば娘が描いたプリキュアの絵をネットにあげて、それが通報されてしまったらさすがにかわいそうだという意見が広がるだろう。
いままでは「黙認」が一番楽だからとあぐらをかいていた権利者も、ようやく重い腰を上げざるを得なくなるはず。
「うちのキャラは非営利ならOKです!安心してイラストをアップしてね!」というのが宣伝文句になる。どこかの先進的な版元が1つやればあとは一気に流れていくのではないかと見ている。
というわけでネットのファンアートや、全年齢向け同人に関してはライセンスによる許諾が広がるのではないかと考えている。
今回の調整案も「営利目的などの場合の著作権侵害を原則、「非親告罪」とする方向」だし、もし全面的に非親告罪化されて本当にコミケやファンアートが壊滅状態に陥った場合、ここでライセンスを出せば独占できるし評判がうなぎのぼりだからやらない手はないと思うのだが…楽観的すぎ?
ライセンスを出しても許可しない部分は当然ある。物好きなとこ以外は18禁:エログロはライセンスに含めないだろうし、そもそもライセンスを出さない方針のとこもある。即売会で営利と呼べるまで稼いでいるのはだいたいエロなので、二重に問題になってくるところ。
ここが問題になるけど、二次創作は認めない、あるいはエロはNGと判断した作者を尊重せず、無理やり二次創作するのは果たしてどうなのってとこからまず考える必要はある。
(作者よりも偉そうにしていて、二次創作できて当然と思っている同人ゴロをたびたび目にするのも、現状の同人に不信感を持っている要因の一つ。権利者の意向は基本絶対です)
ただそこまで堅苦しくなってほしくもないので、パロディ・フェアユース条項が同時に整備されることを望む。
フェアユースって裁判で判断されるものだから、訴訟大国ではない日本でどうするかってのはある。エロ同人はフェアユースだとして裁判する人はいないだろう。
長文になってしまった。
もちろん非親告罪化しなければそれが一番だが、もしなってしまってもただ絶望しているわけにはいかない。
現にガイドラインやライセンスを出してる作品があるわけだから即売会が完全消滅するわけでもない。(東方、ボカロ、赤松作品とあと少数、しかないコミケを見てみたい気はするw)
各自できることをやればいい。自分はライセンス推進派なので、自分のオリジナル作品(まだないけど)にはCCライセンスをつけるつもりだし、プログラムも書いているが公開するプログラムにはきちんとライセンスをつけている。
ただ嘆いているだけじゃ始まらない。
こう聞くだけでもLGBTの方から「これだから無知は」とか「無知や偏見を垂れ流して」とか言われそうでつらいから増田で書くね。
無知でごめんね。
ぐぐるのめんどくさいわけじゃなくて、一応ぐぐったんだけどよくわからなかったんです。
許してね。
叩かないでね。
で、結局なんて呼べばいいの?
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20150208/p1
読む限り、ヘテロって呼ぶのは問題ないと思うんだけど、ストレートはいいの?これも駄目?
できれば外国語じゃなくて日本語でどう呼べばいいのか教えて欲しいです。同性愛結合、異性愛結合とかでいいの?百合承認、薔薇承認でいいの?
あと、腐女子って呼ぶのは別にいいの?これも別な呼び方にした方がいいの?
他に気をつけたほうがいいこと有りますか? ポリティカルコレクト様やLGBT様の目からみて気をつけたらいいこと有りますか?
いい争うつもりは無いです。滅相もない。
私は無知なもので「ノーマル」は「原作で推奨されているペア」の意味だと思っていたのですが、
たとえ悪意がなかったとしても、無知は良くないですね。
ラノベは嗜好品だから部外者がよく知らずにDISっても許されるけどLGBT問題に部外者などおらず、無知な人間は存在そのものが許されない。無知は消毒だヒャッハー、そういうことですよね。
そんな無知でクソザコナメクジである私は今までの人生を悔い改め貴方達にENLIGHTENEDされて正しい呼び方を知りたいのです。
知識あふれる貴方がたの正しい意見を全面的に受け入れるしかないので、一旦整理してほしいだけなんです。
よろしくお願いいたします。
知人が見たら身元を特定できてしまいそうなので、ちょっとぼかしつつ書く。
成人するまで知らなかったのだが、わたしは片方の親が在日韓国人の家系だった。
わたしが産まれるずっと前に帰化し、日本人として日本人と恋愛し、結婚し、わたしが産まれた。
知らされるまでずっと自分は生粋の日本人だと思っていたので、その事実にとても驚いた。
とはいっても、親は既に日本国籍を持っているし、韓国の生活習慣は我が家には全くなく(そもそも親も日本で産まれ育っているので、韓国の習慣をあまり知らない)、韓国に行ったこともなく、韓国語も話せない。
DNAに半分血が混じっているというだけで、わたしは普通の日本人だ。
わたしもそこそこの年齢を重ね、恋をした。
相手はとても素敵な人で、お互いに結婚を考えている。
そのため、わたしは隠し事を作りたくなくて、どうしても自分の親が韓国の血を引いていることを言わなければ!と思い、相手に親のことを話した。(今思えば、言わなくてもよかったと思っている)
相手はそれを受け入れてくれたものの、いざ結婚の話を先に進めるにあたって、相手の親にそれを話そうと考えているらしい。
本人曰く、「おそらく驚くだろうけど、問題なく受け入れるだろう」とのこと。
わたしは相手のことを全面的に信用しているので(付き合ってきて信じるに足る人だと感じている)、そう思うのであれば、言えば良いと思った。
ただ、相手の親はそれを受け入れてくれるならよいけど、仮に他の人にそれを話してしまったら?
わたしたちの親世代や、それより上の年代の人にはまだまだ在日韓国人に対する偏見はあると思うし、保守的な雰囲気の土地柄なので、その可能性は高いだろう。
相手はわたしと付き合っていて、わたしが純日本人だということを知っている。
ただ、わたしのことを知らない人がそれを聞いて、先入観を持ってしまったら?もしもいやがらせなんてされてしまったら?…と思うと、とても怖い。
そもそも、わたしもこのことは墓まで持っていくつもりでいればよかったんだと悔やんでいる。が、後悔しても仕方ない。
ひとまず、これらの不安をふまえて、やっぱり相手の親に言ってほしくないということを話そうと思っている。
それでも伝えたいと思うのであれば、それを伝えた後に何か起きた時は、わたしを守ってほしい。ということも伝えるつもり。自分勝手だなと思っているけど。
2.ただし走り出したら揺れるってわかってるのにポイントメイク(アイメイクや口紅ね)されるとこっちは目の前でホラー映画の導入部を見ている気持になるのでやっぱやめてほしい。
あの~、殺人鬼が歩き回ってるのとキャンプ場でイチャこいてる男女が繰り返し映されて…みたいな雰囲気になります。
基礎化粧つまり化粧水から全面的にぐりぐりする人はみたことがないがそのほうが気がラクかも
(外のものを触った手で一からやるのもやっぱりどうかしてるか)。
こちらからは以上です
1.身代金を払うべきか
払うべきではない。
日本人一人あたり1億ドルと交換できるなんてことになったら、世界中で日本人狩りが始まる。
ただし、現状の日本政府はイスラム国に対する姿勢方針を決められていないように見える。
その方針がある程度定まるまでのつなぎとして、あくまでも一時的に身代金を払うのは「アリ」とも思える。
また、イスラム国と何らかの交渉窓口を持つ意味でも、「身代金を払う」メリットはある。
ただしそのメリットが、イスラム国に日本人を誘拐する動機を与えることより大きいとは思えない。
2.人命を軽視しているのは誰か
今回の件で、人命を軽視しているのは(イスラム国は当然として)人質となったご当人たちである。
イスラム国とされている周辺地域の治安が悪く、「危険である」ことは自明である。
人質となった彼らの行動には意義があるが、当然リスクも大きく、そのリスクを負うべきなのは誰か。
ただし上にも書いたとおり、「今回は払う」とした上で、「今後は払わない」ことを、
イスラム国と、そして日本国民に伝え、今後同様の事件が起きることを予防するのはアリだと思う。
また、早急にイスラム国に対するスタンスと具体的行動策を考え、決める。
その際に考慮すべきは、イスラム国が日本をテロの標的とする事に対し、「ハイリスク、ローリターン」となること。
イスラム国の目的(中東の国境線の全面的な見直し)と、当面の狙い(敵の足並みを乱す、勢力を広げる)は何なのかを考えること。
ここで最も重要な役割を果たすのは、イスラム国以外のイスラム諸国であると思われる。
4.日本人はどうすべきか
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
現状の日本人は、イスラム国についての理解が乏しすぎるため、議論のレベルが低い。
まず何よりも相手(イスラム国)のことを知り、相手の目的、思想、行動指針、価値観を理解するべき。
なぜ相手がそのような行動を取るのか、その理由を理解せずに交渉などできるはずもない。
少なくとも「イスラム教」が敵なのではないことくらいは理解しておきたい。
また、表現の自由は守られるべきではあるが、そんなこととは関係なく、
のび太がジャイアンを侮辱すれば殴られるし、包丁を持った妻を怒らせてはいけないと言うのは
考えなくても分かると思う(例えとして適切ではない)。
そもそも「表現」とは何なのか、その表現の意図(何を伝えたい?)、表現する理由(なぜ伝えたい?)、
そして手段の適切さ(上手く伝わる?)を考えるべきと思う。
イスラム国のやっていることはおかしいよ、笑っちゃうよと言うことを、内輪ネタではなく、
他ならぬイスラム国の人たちに伝えるにはどうすればいいか、少なくともそこを押さえていない風刺は残念である。
5.イスラム国はどうすべきか
自らの目的を達成するために取る手段として、現状の方針が最適かどうか改めて検討して欲しい。
イスラム国の主張とその根拠は、とてもシンプルであると思われる。
そのシンプルな主張を是とするか否とするかは、各国の立場によって異なるであろうが、
少なくとも現状のやり方では敵を作り過ぎる。自ら困難な道を歩もうとしているようにも見える。
まずは、自らが正義であるとする根拠を全世界に向けて説明して欲しい。
どうしたいのか、どうして欲しいのか、どうして欲しくないのかを教えて欲しい。
私は「出会い厨だったのかよw」と内心思いつつ「既婚なので無理なの」とさらりとかわした。
ま、その後もAと親しくツイートを交わしていたのですが。
ある時、私が肉体的にも精神的にも弱っている時にトドメを刺すようなリプをAが入れてきた。
なぜか上から目線。私が全面的に悪い訳ではないのに、私を責めるようなリプ。
私はそのトドメリプに対して悲しくなったけど、大人の対応で無言対応した。
A的には私は妻のような存在だったらしい(一度も会った事ないんだけど…)
で、私が凹んでいたらフォロワーのBちゃんが「大丈夫? Aはヤバイからブロックしな」と助言してくれた。
Bちゃん曰く
聞けばBちゃんもAのかつてフォロワーだったそうな。
他愛もないツイートに対して、上から目線で馬鹿にされたんだって。
Bちゃんの助言を聞いて、私はAをブロックした。
それが二年前のこと。
先日、戯れにAのツイートをチェックしたら未だに私の事を悪く言ってたw
なんだか残念な男性だなぁと思った。
ゴジラ風の怪獣が福島湾でオシッコ垂れ流してる絵とか安倍ちゃんの顔にちょび髭付けた写真とかバンバンRTしてたりブログでどっかから取ってきた核爆発の絵とか載せてて反原発デモにも参加してる人が
この記事見て全面的に賛同だとか言ってるのを見かけたんだけど、この記事の中の在特会の部分が例えば葬列デモだったり怪獣の絵だったり美味しんぼの鼻血とかだったりしても全面的に賛同なんですかね。
あ、俺は在特会なんかクソだと思ってるし、概ねこの記事と同じような意見だよ。
でもねー上のような人見てると、なんかどんな事件でも自分カッケー表現者ってアピールするための材料に利用しようとしてるだけのように見えるんだけど。
『ユニクロ: 潜入調査で明らかになった中国・下請け工場の過酷な労働環境』
http://bylines.news.yahoo.co.jp/itokazuko/20150113-00042192/
を読んで思ったことを書きます。
http://anond.hatelabo.jp/20121224144304
ちなみに自分はユニクロに在籍していたことがあって、2年くらい前にこれを書きました。
今回報道のあった工場のうち一箇所は自分も訪れたことがあります。
死体の歯型を見れば、その人が生前金銭的余裕があったかどうかわかるといいます。
要するに美的価値観にお金を使う余裕があったかどうかですが、僕は製造小売業でいうなら歯型は工場に当たると思います。
工場を見れば、その会社の美的感覚、ひいては社会的道徳観念がわかると思いますし、そこへお金を使うことができるのはある程度金銭的余裕のある企業だと思います。
ユニクロは今回の報道を受けて全面的に姿勢を改めるべきだと思います。
何も知らなかった柳井、知っていたけど問題だと思っていなかった生産部。
何故そんなことになるのか。
僕がいた頃の話をします。
協力工場ではありますが、自社工場ではありませんし、膨大な数の各国の工場を回る時間は無いのでしょう。
そもそもそれが間違いなのでしょうけども。
その代わり、柳井は年2回、「工場カンファレンス」というものを行っています。
中国で、アジア中の協力工場の総経理達とカンファレンスをするのです。
ここでもし工場側に不満があれば、柳井に直接直談判する機会が与えられています。
ここでは意見の封殺はなく、間にユニクロ側の生産部お偉方を挟むこともなく、非常にフェアな話し合いが行われているようです。
ですが、それはあくまでも工場の総経理と柳井の関係において、フェアなだけです。
総経理としては、もっとお金が欲しい→もっとオーダーが欲しい→あまり文句も言えない、となるのは当然のことですし、ビジネスにおいて発注する側とされる側が完璧にフェアな立場でいるなんてのは難しいことなのかもしれません。
柳井においても、細かい改善要請は担当者に回しといてよ、で終わりであろうことは想像に難くないです。
さて、では実際の工場担当である生産部ですが、当然工場の状況を100%把握はしていません。
なぜなら総経理や営業担当者以外の工員と話す機会なんてあるわけないからです。
自分も見たことが有りますが、工場行員の出勤簿やタイムカードの提出をさせていますし、残業も厳しく管理していました。
ですが、これは工場を経営している総経理、または営業担当者の手が入った数字です。
当然ながらもしここで問題があれば、ユニクロの生産担当者は工場へのオーダーをストップ、または減産させる必要があります。
でも工場からしたら、オーダーを減らされては困るので、目に見える数字は非常に健全に操作するのです。
これは工場が悪いとか、総経理が悪いとか言っているのではないです。
ユニクロのやり方が間違ってないと、やることはやってると言ってるわけでもないです。
そういうパワーバランスが悲劇だし、そこを改善しないと、結局どんだけ書類上きれいな数字を作っても、工員の過酷な労働条件は改善されないということです。
僕なんかはまさにそれでした。
先に断っておきますが、「まわりがしてるからいいだろ」と言う気はないです。
むしろユニクロから業界を変えていかなければならないと思い、上のような表題をつけました。
ユニクロに在籍していたころ、本当に沢山の工場に行きました。中国各地、ベトナム、バングラ等など。
これだけは言えますが、ユニクロが使ってる工場は一流です。中国の中でも群を抜いて設備が整っていて、環境の良い、そして縫製工賃の高い工場です。
ほんとに、みんなが目をしかめるような、ゴミ箱みたいな、ちょっとした九龍城みたいな工場が中国中にありますが、そういうのを散々見て、そのあとユニクロの工場を見ると、なんて綺麗な工場なんや!と思います。
これが日本だったら、ひどい工場だ、と思うはずなのに、中国だと「なんか他と比べるとずいぶんきれいな工場だなー」と思ってしまうんです。
自分は特にユニクロをやめてからも中国に何度か脚を運び、いろいろな工場を回りましたが、今までユニクロで使っていた工場がいかに恵まれた工場だったかを思い知らされました。
崩れかかった階段、ほこりまみれのサンプル室、ゴミの散乱した廊下、ドアの無いトイレは何週間も掃除された形跡がなく、そこら中に糞尿とタバコの吸殻が散乱し、窓は割れ、食堂は刑務所さながら。
そういうのに慣れてしまうんです。そういうのを一向に意に介さない中国人の国民性もあるかもしれませんが、平気な顔してる人達を見てるとそれがアベレージだと思ってしまうんです。
掃除なんてすればいいじゃん!て思うじゃないですか。金かかんないじゃん!て。慣れって怖い。
逆に言うと、「事態が改善されるまでユニクロで不買」は心情としてはわかりますが、それ以上に良い工場で縫製してるMade in Chinaは国内のブランドにはないと思います。
残念ながらアパレル業界全体が中国からの搾取の構図で成り立っているのです。
その中で一番まともだと、自他ともに思っていたのがユニクロであり、きっと彼らからしたら「これであかんのやったら他ねーぞ!」だとは思いますが、搾取は搾取です。
事態は改善されるべきであり、それを行う使命が、業界トップのユニクロにはあると思います。
くどいようですが、他がそうだからユニクロの搾取は許されるべき、という話ではないです。
まず根本から改善しようと思うと、莫大な資金が(工場に)必要になります。
そのリスクを避けるためにユニクロは「自社工場」という本来製造小売業が利益を出すために真っ先に考えるべき選択肢を放棄してきました。
逆に言うと、自社工場を作ったほうが簡単でコントロールしやすいのです。
柳井がどういう決断を出すにせよ、今回の報道をユニクロが真摯に受け止めるなら、抜本的な改革が必要です。
もしこのまま自社工場を持たない道を選ぶのなら、それは製造小売業の発注者と生産者のパワーバランスを根本から改める新たな発想が必要だということだと思います。
ユニクロには真摯に対応していただき、それがアパレル業界全体の指針となるような道を示して欲しいものです。
一気に書いたいので推敲する予定です。
■本文。
朝のワイドショーで[社会的ひきこもり]を特集するようになるとは、世の中、つくづくアレなんだなあ、と思う今日このごろですが、今月のお題は『ONE』です。本当は最終回まで取っておこうと思っていたのだけど、小倉さんとデーブ・スペクターと斉藤環が同じ画面に映っているのを見たら、辛抱たまらなくなったのですよ。しかし、『二時のホント』が終わったのは、ワイドショーマニアの筆者には痛い……。
―――さて、『ONE』をプレイして強く感じたのは、母性と父性の欠損に対して、援護射撃に頼らない直球勝負を挑んでいることだろう。ただ、同じ主題を扱っていても、手慣れたテキストの『Kanon』に比べると、まだ手探りの部分が多く、比喩などにあからさまな引用も多い。だから、必ずしも褒められたものではないのだが、BGMと画面演出の組み合わせを効果的に使う[音の魔法]に頼っていない分、言霊の比重が高くなっている印象を受けた。
重要なポイントは、この作品で描かれる世界には、超えるべき父性は最初から存在しないことだろう。同時にそれは、学習することもできないということでもある。[他者]は、主に母性を巡るものとして描かれているが、主人公である浩平の母親は、カルト系の新興宗教に盲従した結果、母親であることを放棄している。そして、浩平は、他人との関係性を肉親から学習しないまま=子供のままで妹に対し、父の代わりを演じたが、妹の死により、父性の獲得=男性としての自立にも失敗してしまう。そのため、主人公は二重の意味で心理的欠損を抱えているのだ。
更に、母親が発狂し、ウロボロス的な母性を発動させてしまった際に、母親を拒否している浩平は、壊れた母性に対する嫌悪感を潜在的に抱き続けている。由起子おばさんが、一度も浩平の視界には現れないことや、長森シナリオでトゥルーエンドに辿り着くためには、長森を嫌悪し続けなければならないことの理由でもある。いわば、母性と父性の欠損を巡る内面の問題こそが、『ONE』という物語の核になっている。また、宗教によって母親が発狂し、浩平の前から姿を消すシーンは、『ONE』の前作にあたる『MOON』の主題を継承しているとも言えるだろう。
だから、この作品の基本構造は、どのシナリオもアプローチの違いこそあれ、本質的には同じだ。他者との距離感を知らないまま成長していくことに、情緒的な病による死を予感した浩平自身の本能が、自然死を避けるために、偶然を装った出会いを起こし、浩平に欠損した部分を取り戻させようとしたことが、物語の動機になっている。そして、浩平自身の本能は、ゲームの作り手であり、浩平はプレイヤー自身である。
だからこそ、浩平の鏡像となる女の子たちは、それぞれが身体的なハンディキャップや心理的外傷を持つ者ばかりが選ばれたのだろう。同情という媒介を用いなければ、出会いという動機を持つことができないほどに、浩平の病状は悪化していたし、宝探しを始めるには、同じ宝を共有できる相棒が必要だったのだ。
本能の企てに乗せられた浩平は、達成されなかった父性の確立に再度挑戦する。ところが、達成寸前に壁が現れる。それが[えいえんのせかい]という、癒しの象徴でもある異界への願望だ。もっとも、異界が具体的に描かれることはない。まあ、具体的に描いたら、山上たつひこの『鬼面帝国』か、出口王仁三郎の『霊界物語』みたいになってしまうような気もするが(笑)。
―――いや、最初から浩平は異界に取り込まれていたのだろう。つまり、浩平が抱いていた、思春期独特の中途半端な世界認識が、そのまま、異界への潜在的な願望として、妄執のように内在していた。それが、絆の発生で、完全な鏡となった女の子を介して照らし出されたのだ。つまり、中途半端に終わった目的を今度こそ達成しようという意志(現在)と、中途半端のままで反復しようとしている記憶(過去)が衝突したことで、[えいえんのせかい]という、思考停止状態に陥ったのだろう。
さて、プレイヤーとしての浩平が一度、舞台から退場することで、今度は、選ばれた女の子が自身の母性=主題を自覚することになる。そして、父性と母性が相互補完的に成立することで、浩平は再び舞台に戻ることができる。つまり、互いを鏡像=他者と認識することによって、欠損を補填した訳だ。この構造自体はありふれたものだが、ありふれたものであるがゆえに、強い言霊を生み出すことができる。そして、この作品で特筆すべきことは、美少女ゲームで描かれる世界が失われたロマンティックであり、実際にはあり得ない世界だということを巧妙に描いていることだ。
何故なら、『ONE』の登場人物たちの多くは、自分たちの生きている世界に対し、無自覚な肯定をしない。強い否定もしない。約束された楽園が既に失われてしまっているということを、登場人物自身が自覚しているように見える。プレイヤーもまた、物語を介し、その完結に立ち会うことによって、楽園が失われたことを知りながら、ゲーム内の楽園に耽溺するという、二律背反的な認識を持つことになる。
例えば、『ToHeart』が、ゲーム内ではいったん完結しながら、アニメ化(メディアミックス)にあたって物語世界を再構築した際に、約束された楽園=主題を持たない真空状態を維持すること……終わらない物語であり続けることを選択し、ユーザーの楽園願望を全面的に肯定したことで、現在でも現役の商品として、人気を保っているのに対し、『ONE』の場合は、主題を巡る部分が『Kanon』と『鈴がうたう日』という二つの作品に分岐&移行してしまったことで、作品と商品の両面で、既に幕を閉じているのだ。
この辺の違いについて、最も分かりやすいのは、やはり、長森シナリオであろう。『ToHeart』のあかりシナリオに対するメタ的な構造を持っているからなのだが、筆者も鈍いので、気づくまでに何度かキレそうになったのは余談だ(苦笑)。
もっとも、『ONE』以降、恋愛描写を重視した[泣き系]の作品が氾濫したことで、相対的に主題の空洞化と、[お約束]としての普遍化が起こっているのは否めないが、この作品自体は、非日常と日常や、万能感と無力感の間で葛藤する思春期独特の世界認識と通過儀礼を描いた作品として評価できるだろう。
更に言えば、本来は『WhiteAlbum』や『デアボリカ』のような、ユーザーの価値観を揺さぶるタイプの物語が担っていた役割を、『ONE』の成功で、思考停止による癒しを主目的とするタイプの物語でも担えることを証明したのだ。
物語とは、社会と個人を繋ぐ媒介だと思う。いつの時代も、その本質は変わらないが、物語を伝達する手段は、時代の変化と共に変わっていくものだと、筆者は考えている。美少女ゲームを媒介として、社会と繋がり、社会を学習していくという構図も存在できると思うし、一見、楽園を肯定するような表現に重層的な含みを持たせることで、現実社会との距離感を認識させる手法の確立を、本格的に模索する時期に入っているのではないだろうか?
■あと一回のお知らせと総括。
ホームページでは既に告知済みだったのですが、本コラムは次号で最終回となります。次回は連載総括という形で、これから発売される作品について触れたいと思っていますので、作品ごとの論評としては、今回が最後です。
降板の理由は、今年に入り、筆者の健康状態が悪化して、月刊ペースでの連載が難しくなってしまったからです。無理に書いて、自己模倣に陥ってしまっては意味がありませんし……。
―――そういう訳で、読者とメーカーの方々には、一年と少々、筆者の回りくどい文章に付き合っていただき、本当にありがとうございました。連載はあと一回ありますが、この場を借りて御礼申し上げます。
■その1。
今回のテーマにあたって、かかしあさひろとロボット少女萌えの起源を辿っていたら、真っ先に出てきたのが、筆者が『メタルK』の冥神慶子で、かかしが『コブラ』のアーマノイドレディだった……まあ、実は、1965年にスタジオゼロが作ったアニメ『レインボー戦隊ロビン』に出てきた看護婦ロボット・ルルが筆者の知る限りでは、最古のロボット少女萌えであり、起源だと思うのだが、現在入手不可能なので、とりあえず忘れよう……。
それはそれとして、おたく向け作品の定番パターンの一つに、ロボット少女萌えというジャンルがある。『ToHeart』のマルチが大ブレイクした事で、美少女ゲームの世界では一気にメジャージャンルになった。
特に今年に入ってからは、『WoRKsDoLL』『MACHINE MAIDEN』『RIZE』と、ロボット少女ものが続けて出ている。筆者は『WoRKsDoLL』と『MACHINE MAIDEN』をプレイしたのだが、このジャンルでの定番なテーマである、人間性の欠落を補う為の美少女ロボットか、人間の欲望を充足させる為の美少女ロボットか、については『MACHINEMAIDEN』では対立するものとして描かれているし、『WoRKsDoLL』では選択するものとして描かれていた。ただ、『MACHINE MAIDEN』では、前者の概念が意図的に勝利している。これは、ユーザーが美少女ゲームに何を求めるかという意識の変化を反映したとも言える。
個人的な話で恐縮だが、筆者の本業はまんが編集者(ただし休業中)であり、仕事の参考用に市場の傾向分析をするのだけど、昨年あたりから、過剰な位に、癒しや郷愁をテーマにした作品を求める傾向が見られるようになった。元々、ユーザーの好みは、ハードエロとソフトな癒し系に別れる傾向があったが、かなり後者は先鋭化している。まあ、過剰なヒーリング志向そのものについては、場を改めて言及するが……。
■その2。
美少女まんがをエロ目的ではなく、「癒し」を目的として買う人が増えているという現実。それは、ゲームでも同じで、1キャラあたりのセックス描写が1~2枚程度な美少女ゲームが売れている理由は、この雑誌の読者ならば「CGのクオリティ云々~」に帰着させるんだろうけども、もう一つの背景として、ユーザー、特に男性の側に、失われつつある少女幻想へのニーズが高まっているという状況があると思う。
情報の氾濫が人間性を希薄にするというのは、いささかステロタイプな認識だが、「少女」の実像が曖昧になっているのは確かだ。たとえば、我々が考える現代の少女像は、概ね記号化されている。宇多田ヒカルを聴き、キューティコミックを読んで、援助交際に励む……といった程度が、おそらくイメージの限界なのだが、それはまた、多くのおたくにとっては唾棄すべきイメージでもある。何故なら、それは情報のキメラ化で生まれた「鵺」のような不快感が付きまとうからだ。そして、情報の氾濫により座標軸を失った人々は、古典的な価値観を求め出す傾向を示す。
■その3。
さて、ロボット少女の代表格としては、『ToHeart』のマルチが存在する。マルチには「少女」の記号がこれでもかという程、多く存在するが、これは、おたくが望む所の少女幻想を満たそうとすれば、年々侵食する大人の領域から逃れる為に、必然的に年齢が下がる。少女というよりは幼女にベクトルが向かってしまい、行き着く聖地は小学校の一階になるのだが、下がると同時に社会的な軋轢が生まれ、イノセンスとは別の要素も混じってきてしまうという欠点がある。というか、犯罪。
で、マルチの場合は、ロボットということでその障害を回避している。幼女=絶対的な処女性、ロボット=無機質の美、メイド=成熟した女としての意志が介在しない従順な存在、という要素群が、これほど見事に合致した例もないだろうし、だからこそ、ヒロインのあかりを差し置いてアイドルに成り得たのだ。ただ、個人的には、その濃厚な純粋性がちょっと……という心境ではある(単なるひねくれもの)。というのも、どんなに崇高かつ絶対的な少女を再現しても、ロボット少女はユーザーの欲望の為に用意された人工物に変わりはないのだ……。
ちなみに、この視点で見ると『マシンメイデン』には、問題が一つある。それは、タイトルは「機械の処女」なのに、アルシアは早々に処女を失ってしまうからだ(笑)。まあ、筆者などは、純粋性を維持した上で、淫乱さも持つなんて最高じゃん!と思うのだけども、逆に萌え要素が目減りしたと思うユーザーも多いのだそうだ。こうなってくると、何のための18禁ゲームなんだか分からなくなってくるのだが……。余談だが、ゲームの構造の相似性もあって、アルシアのキャラクターは、『ナチュラル』の千歳を彷彿とさせる。そういえば、千歳も従順でロボットのような少女ではあったが……。
話を戻すと、美少女ゲームが、少女まんが的な絵柄を用いて、イノセンスで従順な少女を描くことに腐心した結果、セックス描写を減らしていく一方で、当の少女まんがでは、あからさまなセックス描写が増えた。下手すると、18禁指定の美少女ゲームより、『少女コミック』や『マーガレット』の方が過激なエロを展開している状況もあるのだ……。そして、同じようにセックスを扱っていても、意図するものは正反対であり、保守的な価値観へ向かう男の子と、過激で積極的な女の子との距離は限りなく離れていく。その結果として、男性向けエロメディアの中にだけ、少女幻想が生き延びるというパラドックスも生じた。
今、手元に『火の鳥・復活編』の文庫版がある。というのも、現実の少女への絶望=人間性への絶望が、ロボット少女という形を取るならば、その描写のまんがに於ける元祖は、おそらく『火の鳥・復活編』に於けるチヒロであろう。念のため、ストーリーを軽く説明すると、交通事故で身体の大半を機械化されたレオナ少年は、全ての生物が無機物に見えるようになってしまった。
レオナはその代わりに、無機物であるはずのロボットに女性を感じ、チヒロというロボットに恋をする。無論、異常者として二人は社会から非難され、二人の恋はチヒロの電子頭脳に移植された記憶として昇華するが、結実した瞬間、醜いロボットと化した現実に直面する。
この話で一番痛いのは、普通の人間にとっては、機械剥き出しで無個性なロボットでしかないチヒロが、レオナの感覚では美少女として捉えられていることだろう。ロボット少女萌え属性な人には痛い描写だし、また、今日の状況を予見している描写でもあるからだ。
確かに、手塚治虫やトキワ荘の一派は、ロボットを描くことで人間性を問う作品を多く描いたし、ロボット少女も多く描いた。ただ、その存在を全面的に肯定することはほとんど無かった。何故なら、ロボット少女は、現段階ではあくまで空想の存在でしか無いのだ。ユーザーが現実の世界に生きている以上、何処かで折り合いを付けなければ、レオナと同じように社会から非難されるはずだったのだが……その点、現代のおたくは幸福だ。何故なら、おたくを取り巻くシステムもまた、完成されつつあるからだ。「メディアミックス」という、優しい収奪のシステムに取り込まれ、飼い慣らされた結果、ユーザーは電気羊ならぬ、電気少女の夢を、半永久的に見続けることができる状況が生まれた。しかし、システムの中に閉じることにより、一般社会との相対的な視点を失いつつあるユーザーもまた多いのだ。
従来のポルノグラフィが、無意識のうちにマチズモ(男らしさ)を規範としている以上、マチズモに耐えられずおたく化した人々が、相対する少女まんが的な技法と感性へ惹かれていくのは、当然のことだ。筆者にもそういう時期があったから、頭から否定はしない。ただ、世界(=社会)への目を閉じて、失われていく「少女」への感傷と、過剰に供給されるヒーリングアイテムを盲目的に消費し続け、快楽だけを享受している、最近のユーザーには、苦さと虚しさを感じるんだな……。
そう、僕らの居る世界は、天国かも知れないが、同時に地獄でもあるのだ。その認識だけは最低限、持っておいて欲しいのですよ。
■実はダメな人の総括。
相変わらず暴走している筆者です。えーと、ロボット少女だったら、個人的には『Automatic Angel~時計仕掛けの天使~』(樹崎聖)の笑(えみ)かなー。『BROTHERS』(小池一夫&叶精作大先生)のメモリーも捨てがたい(笑)。ちゃンとお兄ちゃン属性もフォローしているぞ!(笑)
さて、次回は「優雅で感傷的な美少女ゲーム」と題して、今回の続きです……いや、書いている方も痛いんですが、少女まんが的なポルノグラフィを供給する場所として、美少女まんがや同人誌の市場があったけども、同時にそれは収奪のシステムであり……というか。BGMは、ビーチボーイズ『グッド・バイブレーション』で。
ある記事がきっかけになって、Twitterアフィリエイト"谷"の人たちと議論できたので、その感想を書く。
主に、ブロガーとアフィリエイターのその思考法の違いと、今の印象をセールに出かけるまでの30分という時間制限を設けて書いてみようと思う。
僕はブロガーだ。
だいたい1日あたり3000UU、10000PVくらいのブログを運営している。ライターや管理は僕一人で全て運営している。
もちろん本業は別に合って、ブログは趣味の延長線上、というよりも語りたいことや書きとめたい事、勉強したい事がまず先にあってそこから書き始めた。
サラリーマンだし1日に数回更新するほど暇ではなく2日に1回のペースが限界、それ以上書こうとすると各記事の情報が薄くなるのが嫌だからだ。
とあるアフィリエイターさんのブログを見て少しだけ不快な気持ちになり、Twitterでメンションを飛ばしてしまった。今思えば反省しているし、絡む必要性もなかった。読み返せば「会社の飲み会で正論吐くオヤジ」みたいな感じだった。
アフィリエイト谷の人たちが数人、僕とのやりとりをRTしたり、エアリプしてくれたりしたので彼らの思考法がわかった気がした。
1:アフィリエイターは商売でやっているのであり動機はまず利潤である。だから「商売の案件」が主であり、書きたいテーマは従となる。
2:商売の案件が先なもんだから、自分の経験・知識は当然不足する(銀行&証券など本業ドロップアウト組は除く)。、なので外注ライターを雇うか、他のサイト・図書館で得た知識を「リライト」して補う。
3:小奇麗なサイトに仕立てて、Googleのアルゴリズム「いっぱいリンクをもらえれば、検索上位に上がる」を使って、無料ブログやらかつて人が使ってて放棄されたドメインを買ってリンクを作成する。
4:見事、キーワード検索上位に上がれば成功。あとはそのサイトから購入してくれる人が来るのを待つ。
まぁざっくりいえばこんな感じだろう。
3については、去年Googleのアルコリズムが大きく変わった上に、アルゴリズムではなく、手動で排除することが多発したこともあって今は少し違ったことをしているかもしれない。
1:書きたいテーマがまず主であり、もしアフィリエイトリンクを貼りつけるとしても、それはブログの記事に沿った案件があれば、という従になる
2:書きたいテーマが先にあるから、知識や専門性、経験がゼロから始める人はすくない。その知識がある程度あるところからスタートする。「ブログで飯を食う」ってのが大抵ダメになるのは、専門性が無かったり文章力が無かったりするから。だいたい8割はここで脱落し、放置されたブログはそのうちだれも振り返らないネットの墓石となる。
3:Googleの検索上位に上がってくれればうれしいけど、特定のキーワードで上位ってのは目指したこともないし発想したこともない。せめて、自分のブログ名で一番上には立ちたいけど。
4:自分のサイトで知識を得てもらい、自分の思考法や考えている種を読者に植え付けることができれば成功(なんとなくインセプションみたいだな)。
5:収益がないと継続的モチベートにならんので、アドセンスは貼るけど、内容は自分がコントロール管轄外のため、好きなことを書くことができる。
ということで、この考え方のズレが最初に述べた「会社の飲み会で正論吐くオヤジ」みたいなメンションになってしまったのだ。
僕にはアフィリエイターの思考は自分の範疇外だったが、考えてみれば、アフィリエイターの思考1~4は別に悪いことでもなんでもない
1:利潤が世の中の進化を促す。利潤が動機でない方がかえって怖いこともある。よって、全面的に賛成
2:知識を得てからでないと書いてはいけないわけではない。外注ライターだろうが余所のサイトからだろうが、知識の総量を増やしていることにはかわらない。
3:Googleは私企業であり、彼らは公正公明な存在ではない。強大過ぎる彼らの力をほんの一部使う「軒先を借りるビジネス」はどこの業界でも成り立つのであり、すべてのサイトを人力でランク付けできない以上、公開されているアルゴリズムの裏を突くのは当たり前である。また検索上位のサイトとは、人通りの多い通りに面した一等地にあるお店なのだろう
4:背中を押すことは悪いことじゃない。世の中公平な情報は無料では買えない。サイトを無料公開している以上、文句を言われる筋合いは無い。
うーむ、やっぱり僕が間違っていました。絡んだ方、すいません。
・お金が欲しくてブログをやってるわけじゃない。でもお金は欲しい。よって彼らの思考法やセンスを学ぶ必要があるのだろう。
・しかし、気前よく出してくれる広告主と読者(≒顧客)の利益は相反することがよくある。自分でよく選ばないとむしろ今までの読者の期待を裏切ることになる。これが怖くて、クロージングができないブロガーはたくさんいると思う。アフィリエイターが作るサイトは顧客と一期一会かもしれないが、ブログは定期的に見に来てくれる読者と接点を持ち続けているため、なかなか踏み込めない。
・アフィリエイターはネットから収入を得るのが目的とした場合、従来のビジネスより格段にリスクが低いといえる。一等地は賃料が高く門外漢がお店を出しても儲からず破たんすることが多いが、ネットだけで完結するビジネスはコストが安く、スモールであるかぎり成立することが多い。
・アフィリエイトだけが利潤のチャンスというわけではない。ブロガーは、「本を書く」「講演をする」「メディアに出る」「ブランド化してリアルビジネスに踏み込む」というexitもあり得る。全くの裸一貫より自分のブログ、ブランドを持っている方が圧倒的に有利だろう
・「リアルビジネスに踏み込む」ってのはいま書いた通りリスクが高い。もちろん期待利潤も高い。でも、今年は「本を書く」ってのがまずは目標だろう。
ここまで30分。ご清聴どうもありがとうございました。
子供の頃、行儀良く品よくしなさいと親から言われて来たため、行儀よく品よくするように心がけていた。
たとえば、汚い言葉を使わないとか、椅子に座るときには足を閉じるとか、食卓には肘をつかないとか、そういうことだ。
そうやって育つと、自然と行儀悪く品無く振舞う事を恥じるようになり、そのような自分がそのような行動をする事に対する精神的なハードルが高くなる。
ところで、私は小さい頃からお世辞にも顔立ちが整った子供ではなかった。
親は私が行儀良く品良く振舞う事を良しとするのだが、子供はそれを良しとしないのだ。
行儀良く品良く振舞うのは顔の可愛い女の子の特権であり、私のようなブスがそのようにすると澄ましている・いけ好かないと思われる。
お前、ブスのくせになんで笑い取りに来ないの?なんでピエロ役をしないの?
自分のブス顔自覚して、ちゃんと役割に相応しい行動しろよ、と。
一つ人前で失敗すると、可愛い女の子は真っ赤になってうつむいたり泣いたりしたらOKなのに、
ブスの私は私が怒るか泣くかするか、一日が終わるまで失敗を笑われる。
一日経つ前に我慢が限界に達して怒るか泣くかすれば、怒ったところ泣いたところを数日間は物真似のネタにされる。
それを回避するためには、親から教わった正しい事(行儀良く品良く)を捨て恥を忍んでピエロになるしかない。
私は、恥を捨ててピエロになる事が出来なかったから、イジりは虐めに発展した。
顔が良くない子は恥を捨ててピエロに甘んじるか虐め被害者に甘んじるかの二択だと?
これが直ちに解決策になるとは思ってないけど、とりあえず言いたい。
女芸人・非イケメン芸人はテレビで不細工を売りに商売するのを止めろ。
テレビは不細工を指差して笑うのが正しい消費方法だと、視聴者に刷り込むのを止めろ。
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カッとなって増田に殴り書きしてしまったけれど、ブコメありがとうございます。
id:mugi-yama いじめられてたことに同情はするけど、さすがにそりゃ逆恨みってもんでしょ
恨みっていうか、お前ら(不細工ネタ芸人)のせいで昔虐められた許さない!って思いじゃないんだ。
彼らは不細工ネタで沢山笑いを取ってギャラいっぱい貰ってるのかもしれないけど、
その代償を残酷な子供たちに囲まれて生活する不美人・非イケメンな子供が少しずつ支払っている側面は実際あるよな、と思ったんだ。
不美人・非イケメンな子供が、私と同じように嫌な思いをする機会がちょっとでも減ったらなあ。
不美人・非イケメンな子供でも、本人が望むならば自信を持って教わったとおり行儀良く品良く出来たらいいなあ。
アバンストラッシュや牙突の真似って誰かの自尊心傷つけたりするわけ?
id:crator 難しい問題だな。これ以上テレビ(もしくは表現全般)に規制が入るの嫌なんだけどな。普通言っちゃいけないことを弄るのっておもしろいし。
悪い事をテレビで流すのを全面的に規制したら、殺人事件が絡むサスペンス系などは全滅だろうなあ。
ただ、例えば上記の殺人事件は「社会的にタブーとされている」という前提を崩さないように演出されてるよね。
一方、不細工ネタ弄りは「さあ、みんなでいっしょに指差して笑いましょう」と言わんばかりのテロップや演出がなされているのが気に入らない。
昭和の見世物小屋だって、「こんなものに好奇心を持つ事は良くないことですよ」というメッセージ性のあるアングラ演出がされていたのではないかと思う(それがまた、好きな人にはそそるのだろうが)。