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2016-03-30

アニメラブライブ!』はみんなから何を奪ったのか①

http://anond.hatelabo.jp/20160221211019

に対する

kato_19 確かにすごい考察ではあるが・・・楽しめなくて可哀想しか。辻褄や現実にこだわる理由がわからない。私の感想『『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか?』http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html

について。


まず、彼に限らずアニメラブライブファンが多少筋の通った批判を目の当たりにすると苦し紛れに発することが多い「楽しめなくて可哀想」という感想について。

この表現にこそ、とにもかくにも「ラブライバーである自分が好きだからラブライブが好き』という感情状態から生じた「ラブライバーでない奴は可哀想」という論理が見え隠れする。

一応、何事も楽しめたらそれは素晴らしいことだ、というのにも一理はある。

しかし、見方立場を変えてアニメ前の作品内容や原案公野櫻子先生による内容を特に愛するファンから見た場合は逆に、アニメと同等以上に可能性に溢れているそれらの媒体をおまけ以下と扱って注目せずにアニメ声優のみに注目し楽しむ現在の大半のラブライバーこそ、楽しめなくて可哀想に映るともいえる。

本来であればもっとしかったものもっと楽しくなれるものに期待できず楽しめない状態でありながら、あん物語性もキャラクターも薄く浅いアニメ萌えるとか尊いかいって満足して楽しんでいることこそ可哀想だ。

と、子供喧嘩のような言い合いになるので、楽しめなくて可哀想理論微妙だ。


次に、「辻褄や現実にこだわる理由がわからない」「脚本物語性に非常にこだわる点」について。

これもアニメラブライブなど、拙い脚本を持ち味とする作品ファンが内容を批判された場合反論でよく用いる意見だが、この意見が出てくる時点で大体の場合勘違い存在しているように思う。わざとの可能性もあるが。

アニメ劇場版ラブライブ、少しずれるが艦これなどに至るまで、脚本内容を批判している人達の大半は恐らく完全な辻褄や現実性脚本物語性に非常にこだわっているというわけではない。“最低限”の辻褄や現実性脚本演出に伴っていないからこそ批判しているのであって、辻褄や現実性絶対主義者だから批判しているのではないことを盲目的に賛美することしか念頭にないファン達は再認識してもらいたい。

もしくは、彼らにとってそれらの作品の「萌え」や「勢い」といったもの上級表現の「尊い」どころか脚本物語性や辻褄・現実性の拙さと乏しさから来る違和感と物足りなさを補えるほどには全く至っていなかったのだ、ともいえる。

実際、辻褄やリアルさより萌えや勢いで全てを吹き飛ばして満足感をもたらしてくれる尊い作品自分も欲しているが、アニメラブライブはそれには程遠いと思う。

そしてそのような細かい辻褄の拙さやおかしさを吹き飛ばせる萌えや尊さといったもの存在しているものこそ、アニメ以前の雑誌漫画におけるラブライブ!だと自分は思うのであるが…。

京極尚彦氏や花田十輝氏、ラブライバー達にとってはそんなものより海外ドラマにのっぺりとした無個性二次元美少女絵を貼り付けて動かしてたまにライブシーンで踊らせておけば萌え尊い物語性など要らないって思ってしまうらしい。そのような部分を見ていると、彼らが一体作品の何を好きなのか分からなくなってくる。(そこでラブライバーラブライバーである自分ファンしかないという説が起こる)

ラブライブ!アニメ以降よりも1stシングルPVキャラクターデザインの方がシンプルながら個性と卓越性があった。当時は黎明期だし全てが未熟だっただろうという雑な先入観から考えて初期の絵や内容を馬鹿にしている者はファンにも多いが、もう一度しっかり見直してみた方が良い。実際初期の雑誌の絵は拙いもっさりした感じの絵もあって、主にそれを持ち出して「初期のキャラデザはこんなに酷かった」なんてネタにされているのをよく見る。しかし、雑誌スクフェスなどの公式絵はアニメ化以降でも当たり外れがあるのでそのあたりを踏まえて考え直してみる機会を設けてもいいだろうと思う。



次に「現実に根ざした物語を超えて、抽象化されたアイドル像」とそれに呼応する内容が述べられているブログ記事内容について。

ラブライブ!』って本当に美しいですね!特に劇場版ラストライブ・・・極限まで高められた美しさに圧倒されました。『萌え』の上級表現である尊い』って言葉がこれほど似合う作品ってあるでしょうか?


ここまで心に響く理由・・・それは『ラブライブ!』という作品アイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事が出来たから。現実に囚われない理想アイドル像を実現できたからだと思います

(アニメの)ラブライブ!って何が美しいのだろう。ラストライブの何が美しかったのだろう…。個人主観から仕方がないが、同様に自分主観だと1stシングルPVの方がまだ美しかったように思うためによく分からない。

劇場版ライブは1期や2期と比べても心に響くものがなかった。楽曲の質が突き抜けてこないのはネタ切れもあって仕方ない所もあるだろうが、無理矢理終わらせようという勢いと都合に溢れていたからだろうか。


「『ラブライブ!』という作品アイドルの持つ偶像部分のみを分離し、現実の枷から飛び立つ事ができた」「現実に囚われない理想アイドル像を実現できた」

この意味がよく分からないが、後の記述から推測すると、芸能界というビジネス的なしがらみのある世界から分離され、物語キャラクター性といった辻褄や論理から脚本ライブ演出に特化され解き放たれたことで自由になった作品だと言いたいように感じた。

しかし、それと併せて考えて見てもラブライブ!という作品が「現実に根ざした物語を超えて」(いる)というのは、先述したような内容の辻褄や物語性の乏しさという都合の悪さを隠すために言い換えてみただけの取って付けたような表現に感じてしまう。


2013年、そこへ発表されたのが『ラブライブ!』という作品でした。架空アイドルをつくるメディアミックスプロジェクト出自とする本作にとって、現実アイドルという縛りは初めから希薄ものだったのです。

2013年からラブライブ!という作品が始まっており、その時点でメディアミックスプロジェクトから分離され独立していることが前提であるかのような書き方に嫌悪感を覚える。

現実から解き放たれたラブライブ!という作品


 当時、多くの人がアイドルアニメといえばアイマスのようなものイメージするなか、京極監督はおそらく気づいていたんだと思います。『アイドルアニメもっと自由になれる』という事に。


 『ラブライブ!』のTV放送一回目。多くの視聴者の度肝を抜いた突然のミュージカル演出。これによって本作がダンス楽曲コラボレーションに重点を置いた作品である事を宣言しました。

この方に限らずアニメラブライブ!京極氏を絶賛する人達はこのように言うのだが、そもそも元からラブライブ!は「スクールアイドル作品で、キャラクターが外のしがらみから独立して作詞作曲演奏ライブなどを自由に行う描写がある作品も、ブログでも言及されている『けいおん!』などのように以前から存在しているし、その点においてラブライブがそんなに画期的だったとは自分にはあまり思えない。

また、ダンス楽曲コラボレーションに重点を置いた作品であることを宣言しても、作品脚本内容の致命的な拙さやキャラクター配慮の不備の免罪符にはならないし、海外ドラマからパクって間に合わせただけで許されるわけでもない。

そもそも、元々の設定が存在し、それがある程度当時のファンに支持された上で存在していたメディアミックス作品なのだから、どうせ別のどこかから適当引用する程度にしか監督脚本家作品キャラクター物語性への真摯さと思い入れが足りていないのであれば、元の作品から丸々引用する方が良かったはずである。それならコピペでも文句を言われないどころか、原案原作を生かしていて素晴らしいと絶賛されていた可能性の方が高いくらいである。

実際、アニメラブライブ!古参新参わず最も評価が高いシーンの一つである1期8話は1stシングルPVの内容をほぼコピペするようにリメイクした内容だった。

それを、わざわざ無関係の別作品から引用して作品キャラクターの軸までねじ曲げてしまったのは悪意の盗作という見方がされても仕方がないし、別作品へのオマージュリスペクトとして捉えてあげるとしても肝心のラブライブ!という作品内容への思い入れ配慮の無さが強く感じられてしまい、その意図効果肯定的に受け入れにくい。


その特異にも見える現実離れした演出は回を重ねるごとに深まり視聴者を戸惑わせますしかし秀逸なストーリー構成私たちの心を掴み、いつしか違和感を感じなくなっていきました・・・ここに、現実アイドルという枷が外れた『ラブライブ!』という作品ひとつの完成を見たのだと思います

分かりやすく「特異にも見える現実離れした演出」があったのは主に1期&2期1話最終話だったと思う。それ以外は態々特異というほど現実離れした演出があったと自分はあまり思わなかった。そのため、時折挟まれ無駄寒いコメディタッチ演出描写違和感嫌悪感が生じた。

腐ってもキャラクターアニメであるのにキャラクター描写が雑すぎて、キャラクターの魅力が淡白で薄くなっていて消えてしまっている。とても演出や勢いがどうとかでは補えるものではなかった。その内容については先述の批判考察記事やそこで引用される元の批判記事で書かれているので省略。

また、自分ストーリー物語性や現実性と辻褄にこだわってアニメラブライブ!を見ることを批判的に捉えておきながら、その作品ストーリー構成を秀逸と考えた根拠も少々謎である

百歩譲ってその論理からストーリーにこだわらず演出ライブ(ダンス)シーンがいい、ストーリーはおまけだからというなら意味も分かるし、それに特化した自由アイドルアニメ作品評価する論理としても、その人の中でそう思えたなら仕方ないかと多少納得できるのだが、そこで、無理なおべっかを使うような賛美を繰り出す所にラブライバーらしい空虚盲目的な部分を垣間見しまう。そのような評価の仕方を見ているとやはり彼らの感覚論理の間には齟齬が生じているように思う。

結局の所、ラブライバーキャラクター描写の拙さや、脚本物語性を批判されたら「ライブシーンが見所だから」「ライブ演出が~」と言い、その演出もさほど大したことがないと指摘されてしまうと「キャラクターが魅力的で~」「初期から紡がれてきた声優ライブアニメとの融合によるコンテンツ包括的に捉えた中でのみんなで叶える物語(の物語性)が~」というような形のことを言って相反した発言を繰り出すために説得力がない。

そしてコンテンツの初期からの積み重ねやみんなで叶える物語という既に剥がれ落ちた空虚幻想の影を掲げて信奉する割には、アニメ以前の作品像やキャラクター像には最低限の興味や配慮を払うことすら稀な人が殆どである

そのような点を見ていると、彼らは結局作品の中身には興味がなく外部のパッケージだけを愛しているように思える。「よく分からないけど初期から歴史があって人気が出たからみんなで叶えた物語尊い」、「よく分からないけど結構可愛い声優アニメキャラシンクロしたダンスを踊るために頑張ってるから尊い」というような状態なのではないか別に作品を楽しむためには必ず重厚説得力のある感覚根拠必要とはしないが、そのあまりに粗雑な状態感覚根拠を掲げることが必ずいつでもどこでも許されるわけではないということは少しだけでも覚えていてもらいたいように思う。


一方で、そこで素直に「アニメラブライブはクソでもラブライバーとしてアニメライブを楽しんでいる俺は最高だ、だからラブライブは最高だ」と言ってくれるのであれば、それはそれで確かに素敵だと思うし、納得できる。それを聞くことで作品内容自体の素晴らしさは相変わらず伝わってこないが、彼らが作品を最高だと思っている気持ちは本物なのだろうと思えるからだ。しかし先述のように取って付けたすぐに剥がれ落ちるような根拠ばかり持ち出して内容評価を繰り返すようだと、何かに洗脳されたり、駆り立てられたりして仕方なく作品を賛美している状態に見えて、彼らが作品を好きと思っている気持ちすら実は偽物なのではないかという疑念が生じてくる。



 実体がなく抽象化たからこそ表現できるものがある。劇中の『飛べるよ』というセリフは、まさにこの作品自体に向けられた言葉のように思えてなりません。


 現実アイドルという縛りから飛び立った時、アニメーションはここまでの表現ができるという事を教えてくれました。アニメーション可能性がさらに一歩広がった事を実感できたのです。

自分劇場版の『飛べるよ』という台詞を聞いて、苦笑いを浮かべた。最近(2016年3月現在)話題違法・脱法薬物使用によるトリップを「飛べる」と表現することがあるが、それになぞらえて、「ラブライブ!を見てば『飛べるよ』」「作品内容もキャラクターも全部積み重ねてきた歴史アニメ化してから根こそぎ捨ててきたから中身は空っぽだけど、裏には歴史があると思い込みながら「今が最高!」と騒げば『飛べるよ』」というようなパッパラパーな意味に捉えられ、作品批評者にネタ提供しているなと感じた。

アニメラブライブ!という作品は、包括的ストーリー性やライブ演出が魅力だから作中のキャラクター描写とかアニメ自体ストーリー性は雑でもいい、描写の足り無さは効果的な省略だからおかしくても逆にそれがいい(効果的な省略が得意なはずの監督なのに無価値蛇足なシーンやキャラが多いのは何故?)」というような無理矢理な盲目擁護調の論理はこのブログの筆者や、某K氏やG氏S氏V氏などラブライブ!賛美系評論者の多くに共通しているように思う。京極尚彦氏や花田十輝氏の信者共通しているのかもしれない。

(2度表現言葉遣いなどを微修正)

やまもといちろうフォロワーっていないよな

互助会人達ブログ大好きだけど、やまもといちろうリスペクトっつーか、隊長フォロワーって人を見たこと無い。

ブロガーっつー肩書土俵日本で5指にはいると思うんだけど。

おこぼれもらえなそうだからなのかな

2016-03-23

誉める語彙が貧弱なクソバ日本人

コーエーの社長夫婦のインタビュー記事がすごい面白かったんだけど、

はてブページを見るともうクソバカばっかで救いようねえと思った。

朝ドラにしよう」「朝ドラにしてほしい」「連続テレビ小説にしてほしい」

って似たようなコメントの多いこと多いこと。

ソバカどもが!!!!!!!!!!!!

あのさ、そういう同じ言葉感想は、3人目を越えたあたりからほんと価値がなくなってくの。

読む側からしたら、時間無駄しかなくなるの。

こういう、思考停止したクソバカが他人と同じ語彙でものを誉める傾向、最近多すぎると思う。

ガルパンはいいぞ」とかいう糞フレーズだけで某アニメを誉めた全員、バカ犯罪級のクソバカ。バカにはバカと言ってやる。

映画オデッセイ」を観て「DASH村だった」としか言わないバカの一つ覚えにも辟易していた。

とかく、まとめサイトYahooニュースコメント欄なんかを見ても顕著なんだけど、

人のコメントに便乗してまっっったく同じコメントを言うだけのバカサンプルは枚挙に暇がない。

あのさ、別になんでもかんでも他人と違うことを言えってわけじゃないの。

人の考えに「共感」するのは別にいいの。ならせめて、それを表明する言葉自分の頭で考えろよ。

あるいはオリジネーターリスペクトを払えよ。

問題なのは人の意見を完全にコピーして、それを自分で考えたみたいな面して出すバカだよ。

使い回されたセンテンスに、自分でもう一エッセンス加えられる語彙がないか、ちょっとは探してみろよ。

そういうバカが増えるとなんで嫌かって、この国が民主主義からだよ。

無自覚に恭順なバカが増えることによって、悪政、悪法を防ぐ手段もなくなるんだよ。

ステマみたいな宣伝手法が廃れないのもそういうバカばっかからだよ。

バカのせいで日本崩壊だよ!

バカは往々にして自分バカだと認めたがらない。

から、はっきり言ってやる。

その結果、お前が自分の頭で考えて言うんなら、反論ぐらいは聞いてやるよ。

自分意見を持てよバーーーーーーカ!!!

自分言葉で喋れよバカどもが!!!!!!!!

2016-03-15

xevraさん、さすがにそれは。。。

id:xevra 運動瞑想習慣の無い者の末路はいつも悲惨だ。学校教育の中で習慣化をやらなかった教育行政の怠慢だろう。運動瞑想していたら非正規労働など絶対やらないし、こんな穢れた発想も出てこない。恐ろしい恐ろしい



運動瞑想してても非正規労働にあるかどうかはさすがに関係ないでしょう。。

仮に非正規労働者毎日適度に運動瞑想して非正規脱せるなら、社会問題化しないでしょうに。

それより、運動瞑想を続けていれば、非正規でも卑屈にならず強く生きていけるとかコメしましょうよ。

おれxevraさんリスペクトしますけど、これはさすがにNG過ぎます

2016-03-11

ハリウッドザコシショウ、笑ったけど

R1見た。ハリウッドザコシショウネタって、面白かったけど、何のかんの言っても「ものまね」だったから、コロッケ清水アキラとかの枠で見てしまう。コロッケならもっと笑わせてくれるよ。

違うとすれば、コロッケとか“ものまね専業芸人”は、元ネタへのリスペクトが感じられるが、雑魚師匠のは、それが感じられなかった。

もちろん、普段は「ものまね」以外もやってるんでしょうけどね。

2016-03-03

同人声優」の話

同人音声の闇的な話 http://togetter.com/li/944737

↑のブクマコメントを見ると誤解している人もいるようなので、プロでも発注側でも業界ゴロでもないが一応の事情を書いてみる。


声優」とは

大前提として、「声優」と「同人声優」では身分に大きな違いがある。

しばしば「声優には資格も何もない」と言われるが、実際には

声優事務所通称される、声の仕事に特化した芸能事務所マネジメント契約を結んだ人》

が「声優である例外的なケースを除き、アニメ吹き替え仕事声優事務所無関係人間が受けることはできない。

逆に、事務所契約した経験を持たない人とか、事務所と名乗っているが実際には声の仕事マネジメントする能力を持たない所に籍だけ置いている人は「ネット声優」「同人声優」と呼ばれたりするが、要するに「自称声優」であって、普通の人が「声優」と聞いて連想する、アニメ吹き替え仕事にありつける可能性はほとんど存在しない。

同人ゲームでも音声が付いている率が上がり、また、アプリも音声付きの物が飛躍的に増えたことで、声の仕事への需要は増え、声優ビジネス自体の変化などもあり、「同人声優から普通の「声優」への進路が多少は開けたように見える、かもしれない。その辺は長くなるので省く。


自称声優」はなぜ存在するか

これは簡単。「声優になれなかったから」である

現在日本一般人声優になる方法事実上一種類だけであり、専門学校養成所と呼ばれる専門の養成機関勉強して、卒業時に行われる「所属オーディション」に合格するしかない。

※一応、たまに行われている一般人対象にした大規模公募オーディション実質的にはアイドルオーディション)に合格するという道筋もあるけれども、これも合格後は結局はどこかの養成機関勉強することになる。

さて、養成機関勉強しても、声優になれるのはほんの一握りである

以下の数字モデル化して丸めものなので実数とは何割かの誤差はあるが、まあ、そういうフローがあると思って読んで欲しい。


このうちの「卒業しても声優になれない者:年間3800人」が本題である

簡単に言えばこの人達演技力か才能か外見上の魅力か才能かコミュ力か、とにかく何らかの不足があって、契約を勝ち取れなかった人たちである

その後の進路を更に書くと(再度断っておくが、モデル化した数字であって実数とは小さくない誤差がある)以下のようになる。


最後のものが「同人声優」「ネット声優である

全部足すと年間3800人より多いがこれは


などを含めたら、この位になる、という形である。前者は文字通りだが、後者については補足しておく。

先述のように声優志望者は極端に多く、声優仕事は有限であり、事務所としても芽の出ない人間いつまでも抱えておくわけにはいかない。

本人の人生のためもあり、見込みがない、と判断された人間は、一度契約しても1年とか2年で契約を切られることがよく行われている。業界としての正確な統計はないが、新人声優の半分ぐらいはここで契約を切られる。

最初契約した事務所に切られても、まれには他の声優事務所に拾われてそこで芽が出る人間もいる。が、9割以上の人間にそんなことは起きず、大人しく声優業を諦めるか、諦めずに「自称声優」になるしかない。


同人声優境遇

先に書いたとおり、この人たちは何らかの不足があって「声優」になれず、やむなく同人声優ネット声優になった。

ネットがなかった時代ならば問答無用引退するか、アマチュア演劇ぐらいしか身の置き場がなかったはずである

それが、音声付きの同人ゲームアプリが増えたことで、なんとか声の仕事が回ってきている、というのが実状である

当然、依頼する側にすれば「安く上げる」「無茶が通せる」以外で使う理由はほぼない。

予算があり、真っ当な仕事内容であれば、普通声優事務所に依頼して、知名度や実績のある普通声優を使えばいい話である

さらに言うと、声優事務所は自社や関連会社音響スタジオを持っていることが多く、そういう所に頼めば、多少の追加費用だけで、プロ編集して扱いやすく加工された音声データの形で納品してもらえる。

まとめにあるように『編集とかについてもやってあたりまえでしょ?が浸透しすぎてい』るのは当然だと言える。

「知名度も演技力もないのに使ってやっているんだ。編集ぐらいそっちでやってこっちに手間をかけるな」と言われても仕方ないぐらい立場が弱いということである

以上の内容はかなり単純化しており、実際にはそれなりにまともな事務所所属している人(がそちらでは鳴かず飛ばずに近いので、やむなく同人向け・成人向けの別名義で事務所を通さず活動している)や、それなりの数の作品に出て知名度やファンや定評をある程度掴んでいる人もいる。

それでも、実態としては、プロとしての自覚が持てず、クライアントの言いなりに使われる以外に選択肢がない人が多いのも確かである

「そんな仕事しか来ないなら辞めちまえよ」と言いたくなるのだが、もともと、

「お前声優にはなれねーよ」と言われてそれでも辞められなかった人が大部分なので、そんなにあっさり諦められたら苦労はない。

悪意あるクライアントからすれば、無茶を言って断られても代わりはいくらでもいるし、仮に酷い扱いで相手の心が折れて引退したり絶交されたとしても、養成所の卒業シーズンになれば、また新人自称声優いくらでも生まれるのが分かっているので気にならないのであろう。


「悪幣盛んに世に行わるれば、精金皆隠る」

本来、依頼主が真っ当な思考の持ち主であれば、ビジネス継続性を考えて、演者とはきちんとした信頼関係を構築しようとするはずである。が、そういうところは当然、一度信頼関係が築けた相手との関係を重視することで、結果的に新しい人に依頼する率は下がる。

一方、悪質な依頼主は、言いなりになるような弱い相手を求めて数打ちゃ当たる戦法で声をかけまくることができる。彼らはジャンル愛着も何も持っておらず、

「こっちの水は甘そうだ」と「超低コストで労力も最小限で作れそう」だから手がけているだけである。こういう手合いにクリエイターとしての自負心や、演者へのリスペクトなどを求めても無駄である。評判が悪くなっても、儲かりそうなうちはサークル名や表向きの代表者を変えて同じ事を繰り返すだけだろう。

まり無茶な依頼には、受ける側が毅然として対応するしかない。

だがしかし、それだけの「余裕」を持っている人はそうそうおらず、強く出られるとつい受け入れてしまいがちである。そういう人に

プロとしての自覚を持って無茶なクライアントは断れ」などと説いてもある意味では無駄であるシャア

「ならば今すぐ自称声優ども全てに仕事を授けてみせろ!!」と言い返されるのが関の山だろう。

繰り返しになるが、プロ、つまり本当の声優になれなかった人が、それでも諦めきれずにしがみついているのが同人声優というポジションである他人から「お前プロにゃなれねーよ」と言われた経験がある以上、自己評価が低いのは仕方ないことである

それに、そのまま何の仕事も受けなければ「自称声優」でしかないのが、どんなデタラメクライアントからでも依頼を受けて仕事をすれば、その間は確かにプロであると感じることができる。うがった言い方をすれば、契約トラブルで揉めるのだってある意味でとても「プロっぽい」イベントである

このような構造では、抜本的な解決策は望めない。ジャンル自体が下火になって、業界ゴロっぽい連中が減れば被害も減るだろう、程度のことしか言えない。闇である

2016-03-02

から上に読むのだ


スランプだ。今日は何も書かずに、フリゲして寝よう。なんか、お昼にデザイン変えたり、新しいページ作ったり、キュレーションしたりしてるうちにつかれた

訓練された青二才フォロワーメンヘラにもツイ廃にも決して物怖じしない

意味なんの?この技能

あんだけ、こじらせメンヘラみたいなツイートを乱射してもフォロワーが減らなく鳴った…。やっと、フォロワーさんが訓練されて「青二才さんは週2回ぐらいはツイッターくねくねしてる」と理解してくれたようだ。

これで安心して、失言できる(え!?

から言いたいことはこれだけです。どうかお納めください togetter.com/li/944858 / “「八木仁平のブログカレッジメンバー募集開始!ブログ初心者の成長をサポートします! - やぎろぐ” htn.to/TcLV57

「基本「男に生まれた時点で、バカだし、かっこ良くないし、種馬以外シネばいい」論者ですが、何か?」をトゥギャりました。 togetter.com/li/944858

くどいけど、もう一回だけ。

基本「男に生まれた時点で、バカだし、かっこ良くないし、種馬以外シネばいいし、死ぬ権利を認めないことこそ最大の狂気だ」論者だから、かっこ良くなろうとしない男なんて、なんの価値もないです。

そうなるぐらいなら、人間オットセイ目指したほうが美しいよ

ある時期までのはてなダイアリーもそうだし、その後サードブロガー世代になってからはてなブログ初期もそうだよ。

リズム言葉リスペクトを取り戻して、「(リアルはともかく)ネットでぐらいかっこいい男やろう。やれる人が前に出る機運」があっただけに…ホントショックさ。

何が?全てが!

いや、本当に本当に本当に言わせろ!

野心に燃えたり、リスペクトしあってる人間同士が自分リズム言葉でぶつかり合ってる時だけ男はかっこいいの!

それがなんだ?今のブロガーは、リズム言葉も閉まってれば、リスペクトも内向き

悲しいよ

文体もなく、デザインも似たようなブロガーサロンによって量産されていく現代はてなブログについてさ。

その空間が異常なんだよ。たまに見た俺が文才があるわけじゃないし、フォーマットが違うだけで大学生から駄文呼ばわりされる覚えもないんだ

ダサい男が量産されてく。地獄だ!地獄しかない

古き良きかっこいいブロガーって、Hagexとか琥珀色の人とかあの辺の人しか残ってなくて、「文体」とか「くねくね」とか、「モヒカン」とかブロガーが、書物をやる人が持ってる文化すら俺の後には死んでる。なんか、リズムとかソウル匹敵するものが死んでる。乗っけるものもなく自分があるだけ

今のブログ界隈ほんとダサいんだもん。俺に文才があるとか言われてるけど、08年以前のはてななら僕なんか簡単に殺されてます伊藤計劃的な人らに赤子の手をひねるぐらいの軽さで殺されるぐらい才能無いですよ。僕のブログ読んで文才なんか言われちゃうってのはレベル低いんですよ。

基本「男に生まれた時点で、バカだし、かっこ良くないし、種馬以外シネばいいし、死ぬ権利を認めないことこそ最大の狂気だ」論者の僕だけど、久々にかっこいいものをみて「あー男でも生きてていいんだ」って気持ちになってる。

ここ最近、足りないかったものを見た気がする。

ヤギの教え子と聞いて見に行ったがずいぶんひどいことさせてるなぁ…なんだこのブログ。 / “うつ病だけど女子力上げよう” htn.to/aYESKV

ちなみに、「床上手の処女」以外には特定元ネタ存在します。つまり、こんなクソみたいなないものねだりをする電通マンバカ女も、マッチョイズム振りかざすイクメン経営者実在するのです。

この世は地獄です

遊んでる理系は、理系ではありません。オタクか、遊び人です

床上手な処女

うぶさを演出しながらいかせてくれる彼氏

イクメンでかつ稼ぐ力もある男性

遊んでる理系でかつ、電通マン

これらにニーズがあるようです。

なるほど、死ねばいいのに

使い捨て前提の戦略とるところが多すぎるのよね…だからネット文化って浮き沈みしちゃうし、浮いた時に定着しないものが多い

お行儀のいいこと、都合のいいことだけやって面白いことができると思ってる人間コンテンツ産業表現規制に関わるから面白くない時代なっちゃったことに気づきましょうね♪

「そんなの(やった上でレビューできないとボツにしたの)まで書籍化するの」ってゲームがちらっとあったこと、あとは自分自身ネットの人気にあやかってなんかしてもらいたい的な人・案件を見て関わってるからこそ言うけど…ホント、選べよ!出版不況結構割合は自滅であり、時代のせいじゃないよ

いや〜この手の本で書籍化たからといって売れぬ(すごーく話題になった評判を聞かない)のは、固定票にあやかろうとした出版社あんま力入れないからだと思うんだよね。いや、ネット全般に言える問題だけど / “書籍化されたフリーゲームま…”

2016-02-25

伏せ丼炎上の怖さ

伏せ丼投稿したことが切っ掛けで炎上している。

やった本人はTwitter投稿しただけなのだが異常なまでに叩かれている。

この騒動の怖い所は、伏せ丼の是非云々はそっちのけで叩かれてるというところだ。

なぜそうなったのか。

それは「炎上仕掛人」によってネタ扱いされ拡散されたからだ。

Twitterには常にネタを探してる炎上仕掛人がいる。

炎上仕掛人面白ければ何でもよいのだ。

この「伏せ丼」も炎上仕掛人に目を付けられた。

炎上仕掛人普段から伏せ丼迷惑をかけられてるでもなく、

日頃から伏せ丼運動に勤しんでるわけでもない。

単に面白いからリツイートして拡散しただけだ。

それにまんまと乗せられて多くの悪意が伏せ丼をした人物に向けられた。

おそらく叩いてる連中の多くは、伏せ丼をした人物と直接面識は無く

具体的になにか迷惑をかけられたわけでもない。

単に炎上師に乗せられてネットリンチに加担してるだけだ。

汚い、不衛生、店に迷惑がかかる、全て正論だが、

正論を盾に相手言葉で殴る自らの行為正当化している。

この投稿者が私の知人なら「店に迷惑からやめろ」と注意したかもしれない。

しか自分とは縁もゆかりもない人物だ。

伏せ丼の是非は別にして、この伏せ丼投稿した人物は

「美味しかった」という意思表示投稿した。

少なくともそこには店に対するリスペクトがあったはずだ。

この炎上騒動のおそろしいところは

そういう好意善意は全く無視されているところにある。

私は都内某区に住んでいる。

ツイートする時にいちいち主語は付けない。

今日はいい天気だなあ」とだけ書き込む事も多い。

普段から私と交流してる人なら、都内の○区がいい天気なのだなと分かるだろう。

これは分からなかったといって誰にも迷惑がかからないし

そもそも自分ツイートという独り言他人関係無いのだからこれでいいのだ。

炎上騒動はいつ何時自分に降り掛かってくるかもしれない恐ろしさがある。

炎上仕掛人に目を付けられたが最期

自分が何も考えずに投稿したことでも

ネタにされてしまうと考え無しに投稿するなと叩かれてしまう。

煽られた自称善意の人たちによって粛正されるかもしれない恐怖。

ネット社会一部の人間の意思によって動かされている。

今後こういう傾向はもっと加速していくだろう。

どんぶりひっくり返しただけでボコボコにされる。

生き辛い世の中だ。

2016-02-23

いまさら保育園に頼ろうとするやつはクズ

保育園落ちた日本死ね!!!

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

ホームラン級のバカがいるんだなと思って見てたんだけど

賛同する人も多くて余計に呆れるわけですよ。

なんでってね、今の20~30代の君たちね、

全然「選挙」行ってないでしょ。

なのにね、保育園とかね、児童手当とかね

20~30代が生活やす政策をね

国がね、地方行政がね


するわけねぇーーーだろ!!!ばーか!!!!!!


日本という国の

限られた資源労働力資金をどうやって

かいましょーか?等を決める人を選ぶ

超超超超超超超超超超超超超超超超超超絶

重要な、国を挙げての一大行事の時にですよ。

君たちなにやってました?

寝てた、遊びたい、忙しい、興味ないし、面倒、何も変わらないでしょ

意味わからん選挙必要あるの、どーでもいい

かいってね、全然選挙いかないわけですよ。

そりゃね、保育園できるわけないですやん。

めちゃくちゃ、すごい、超弩級国家級に

重要生活に直結する行事サボったら、そりゃどうやったってダメですやん。

なのにね、君たち若い世代

よくもまぁこんな事いえるなってね。

おじさんビックリするんだよね。

もうね、バカかと、アホかとね。小一時間問い詰めたいわけですよ。

逆に問いたいんだけど

若い時に選挙に行かずにね、なんでバラ色な保育園入園生活できると

思ったんですかね。良くこんな低投票率で国や地方自治体

若者世代要望が聞き入れられると思いましたね・・・

政治家だってね、立候補するんだから

当選しないといけないわけ。だって生活掛かってるもん。

落ちたらそれまでだよ。収入激減しちゃうよ。。。

そんなハイリスクな事をするわけだから

いかに当選するか考えるわけ。

どんな人が自分投票してくれるのか見るのね。

そしたらね、お年寄り世代はそれなりに

政治に関心持ってくれるのね。

対して若者世代ね。これ。

もうね。ダメすぎるわけ。

から見てもダメ統計からみてもダメ

政治家が頑張ってね。わざわざ投票もいかない若者達にね、

すんごい懇切丁寧に語ってるの。

この人すごいなと思ったのにね。なのにね。

聞くのも面倒なんだって・・・

そりゃね、政治家も匙なげますやん。

若い世代政策打ちませんやん。

というかね、打ちたくても打てないですやん

だって当選できないんですもん。みつを。

自治体も県も国も教師マスコミだって

選挙いけいけいけいけいけいけいけいけいけいけってさ

耳がタコになるほど行ってるのにも関わらずですよ。

全っっっっっっっ然行ってないわけですよ。

なのにね。君たちはね。

クレクレクレクレクレクレクレクレ

日本しね。日本しね。日本しね。日本しね。

とかね。

こいつらマジでクズだなって思ったわけですよ。


でもね、逆に言うとね。

選挙いかない若者世代には

おじさん感謝してるんですよ。

若者世代選挙に行かないおかげで

おじさん世代は豊かな生活を送れることができます

ここに関しては感謝。マジ感謝リスペクト

ほんとうにありがとうございます

君たち若い世代犠牲(?)になってくれるお陰で

老人世代政策がすごーーーい通りやすいです。

犠牲というか、自業自得と言うなの自爆

年金だってちゃんと貰えるし、病院だって通える。

社会保障関連に怯えて生活することはなさそうです。

君たち若い世代がちゃんとしないと国が衰退するって言っても

自分死ぬ方が早そうなので、知ったことではないのです。

せいぜい若者世代は老人世代養分になって貰ってですね

辛く、過酷生活を満喫して頂ければ幸いです。

実際今の若者たちには

借金1000兆円

・国公立学費の値上げ

貧困拡大

非正規雇用4割越え。長時間労働ブラック企業

年金問題生活保護費問題社会保障費の負担

などなど、老人世代養分となった為に発生したであろう

多くの課題があるので精々頑張って欲しい。

またできることであれば

今後も選挙に一切いかずに、政治には関心を持たず

そのまま怠惰生活を送って頂ければありがたく存じます

特に今回、18歳選挙権を持った人の初選挙に関しては

投票しないでくれれば、政治家も「やっぱこいつら影響力ねーな」

って再確認してくれるので投票しないよう呼び掛けてください。)

以上です。

はースッキリした。

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

 一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!批判記事があった。

 それは、おりあそ氏による

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html

である


 自分TVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品うんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。

 そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。

 批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブ表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。


彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判問題提起が始まる。

しかし、アニメラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである


問題点明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭りアイドル臨時総会~」といって、普段ライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベント話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版クライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。


実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドル人生物語象徴するイベントだったかである。もともと指原は故郷大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京自分自身AKBメンバーとなり、ブレイク果たしてこのようなイベント企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタク成り上がりストーリー体現たからこそ、感動的なイベントだったのである

 この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元アイドルアニメというジャンル批評実在アイドルAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。


 実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソード写真が残っているようである

 そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分リスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭り主催したことは確かに快挙である

 そして、この「ゆび祭り」というイベントチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在アイドル達やアイドルオタク還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。


 それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭り比較されながら述べられているのが以下である

では、アニメラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドル未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルことなんかちっとも考えてこなかったのである最後最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

 指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭り主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。

 廃校を阻止しようという目標最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。

 また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベント比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現揶揄されても仕方がないものといえる。

 一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものであるしかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルファンへの還元の面でも現実アイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。

 したがって、あのスクールアイドルお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブ劇場版というお祭り観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。


 その次に述べられているのが劇場版単体の内容の問題点である

今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係ストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人交流したりするだけである。また、ニューヨーク迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガー出会いホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガー帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画キーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画ストーリー全然そぐわないなど、とにかくこの映画脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである

 と、ここも個人的意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。

 そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。

 たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来コンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味もつながってくることになる。

 しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標プロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。

 アニメラブライブ肯定的ファンの間では「アイドル活動廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。

 また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京関東地区では。

 ところが、劇場版はその描写から矛盾点を生じさせている。

 脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東空港である日本空港に帰ってきたところでファン出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版アニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係ストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである


 続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。

さて、劇場版ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである


ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本二次元コンテンツ代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバー共感したり、あるいは彼女から何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品のものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本崩壊だと考えられるのである

 そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。

 何故かというと、このアニメラブライブ脚本家である花田十輝氏や監督京極尚彦氏は自分たち志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)

 いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案公野櫻子であるため、彼らは作品物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務責任を負わなければ話にならない。

 本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである

2016-02-18

映画を年に二百本観る人はそれだけで信用できるか

年間200本の映画を観るぼくがオススメする7つの映画と7人の映画監督 - 私を構成する映画監督 - - Hikikomotrip

信頼できる映画評を各人間を見分けるにはコツがいる。見ればわかる程度のアレもいるが。

一番わかり易い見分け方は、まずライムスター宇多丸ラジオ映画番組(正しくは番組内の一コーナー)「ムービーウォッチメン」を聞くことだ。

信頼出来ないやつはそこで述べられた評言をまんまパクる咀嚼せずにパクる宇多丸ラッパーだけあってキャッチークリティカルフレーズを次々と考案してくれるので、使い勝手が良い。

そういうのをアホは何も考えずに右から左で流すだけだから、「それってどういう意味なんですか?」と聞かれたときにうまく対応できない。

感想評論のパクりが悪ってわけじゃない。むしろ、それが有用だと思えばどんどんパクるべきだ。

しかし、それにはあくま自分感性や理性というフィルターを通して自分なりに噛み砕いたうえで、自分言葉として精製する過程必要だ。

それがアホにはできない。

たとえば、コレ。

この人がぼくに与えてくれたのは「ヒップホップ」。彼の映画の作り方はとってもヒップホップ思想に近いと思うんですね。サンプリングオマージュを多用するパッチワーク方法論はまさにヒップホップのもの。ぼくがラップが好きなのは彼の映画が好きだからなのかもしれません。


 手法思想が似ているからどちらも好き??? 

 じゃあお前、ウンコとオシッコは似たようなプロセスを経て製造されるけど、オシッコほど喜んでウンコまるのみできる自信あん???

 こういうのは圧倒的リファレンスを有し、かつ日本ヒップホップ界のレジェンドである宇多丸が言うから重みがある(別にタランティーノ形容してヒップホップ的と評したのは彼が初めてではないし最後でもない)のであって、そのへんのやつが言うと「え? 具体的にどういうこと?」と疑問が湧いてしまう。タランティーノ映画観てて「あ、このBGM、『アラモ』だな」とか「あ、このシーン、『修羅雪姫』だな」とか思うか?本当にタランティーノヒップホップ魂を感じているのか?ちなみにタランティーノ映画で流れるヒップホップってせいぜいウータン・クランくらい(っていうかRZA)だぞ。

 いやいやタランティーノは我々の知らない引用ネタをさも知っているものかのように見せるのが巧くて……と言うのだったら、手法として最もヒップホップ(=引用パッチワーク)的な『ジャッキー・ブラウン』が肌にあわないってどういうわけ? 

 結局、ヤクザ狂人が出てきて人が無残に殺される映画が好きなだけってなら最初からそう言えば?

 そもそも宇多丸リスペクトしてんなら『ハート・ロッカー』以外の気に入った映画劇場複数回観ろや!

 こういう何も考えずに宇多丸フリーライドして周囲の評判を稼ごうとする人を業界では「紫の服の人」と言います

 用例:

 映画会社社員A「このまえ公開された◯◯なんですけど〜ネットにひどいこと書かれてて〜見て下さいよこのブログ〜」

 広告会社社員B「ん〜???ああ、このブログね。これは「紫の服の人」だから気にしなくていいよ」

  

 というところで、本日増田、お開きです。最後増田おすすめする本当にキモチいい七人の監督の七作を紹介してお別れです。

周防正行:『舞妓はレディ』と『終の信託』以外全部。入門編は「シコふんじゃった。」。シコったあとで『Shall We Dance?』を見ればこの監督独特のリズムに慣らされる。

キャスリン・ビグロー:『ハートブルー』と『ゼロ・ダーク・サーティ』。最初に観るなら『ハートブルー』。それを最後にしてもいい。

北野武ヤクザ映画全部観た後でまだ北野武を知りたいと思う余力が残っていれば『みんな〜やってるか?』あたりも。『アウトレイジ』は単発として間口は広くても北野映画入り口にはならないと思うので『BROTHER』あたりで覚悟をきめておこう。

タランティーノ:一通り全作観終わった最後に『デス・プルーフ』。この監督フィルモグラフィー順に観るのが良い。よって入門編は「レザボアドッグス」

ポン・ジュノ:全部。入り口としてなら『グエムル』。度胸と覚悟と自らのゲスさに自信があるなら『殺人の追憶から入ってもいい。

園子温:ない。七人のなかで一番優先順位が低い。強いて挙げるなら『地獄でなぜ悪い』(スラップスティック好きなら)と『冷たい熱帯魚』(とにかくエグい救いのない話が好きなら)。

クリント・イーストウッド:全部。ただ順番があって、西部劇諸作飛ばしていきなり『許されざる者』を、『許されざる者』や『ダーティ・ハリー飛ばしていきなり『グラン・トリノ』観ても感動はしてもよく飲み込めないと思う。気軽に楽しみたいなら『インビクタス』や『ジャージー・ボーイズ』あたり。

2016-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20160216122451

西尾維新はそこまで割り切ってないでしょ。

ミステリに対するリスペクトはあって、

ただ「事件」を物語ツールとして扱ってるというだけ。

で。ミステリラノベ化という意味では、

2000年には殺竜事件が出ているし、虹北恭助シリーズ2000年

ラノベ側の動きとしては、スニーカーミステリ倶楽部の創設と、ザ・スニーカーでのGOTHの連載が2001年

西尾維新ダメ押しではあっても発端ではなかったんじゃないかな。

2016-02-05

コミュ

世の中には「コミュ勢」とでも言うべき層がいる。

コミュニケーション一般人がもてる最大の価値である」、「コミュニケーションを通じて自分認識の正しさを再確認したい」、「コミュニケーションを通じて自己表現自分価値を発信したい」、「コミュニケーションを通じたコミュ内のカーストゲーム人生のものである」といったような思想信条を持つ人。

そして、その数や割合はびっくりするほど多い。

かといってこの「コミュ勢」のコミュニケーション能力が高いということはなく、どうも、その能力とは無関係らしい。思想、心情なので当たり前といえば当たり前だけど。

問題は、この「コミュ勢」というのが、社会的にも自己認識的にも、言語化されてなく認識されていないところだ。

例えば、適当最近流行りのアニメのファンコミュを覗いてみると、半数以上が「コミュ勢」だということも少なくないように思う。

作品Aが好きなので見ているだけで利益だ」という人間と、「作品Aについて語るというコミュニケーションで何か利益を得る」という人間は、全く別の人種なのだ

後者コミュニケーションの中で、自分の有能さを確認したり、ブームとの一体感を得ようとしたり、孤独を埋めようとしているのであって、作品Aそのものは、後者の中で重要ではない(重要だと本人が思い込んでいることは、往々にしてありうる)。

前者の価値観で言うと、作品を生み出したクリエイターは、自分が夢中になれる宝物を生み出してくれたので、リスペクト対象だ。

しかし、後者価値観で言うと、雑談ネタを作り出してるだけなので、消費対象であって、リスペクト対象ではない。極端な話、名作映画も、ベッキー離婚話も等価だ。その話題に注目する集団コミュ)が発生して、そこで(擬似的にでも)会話ができればそれで良いのだから

ぶっちゃけ、今の時代ヲタク」だと自己認識してたり世間から言われている層の、過半数が、後者の「コミュ勢」なのじゃないか?

思うに「リア充」と呼ばれる人たちあるいは「マイルドヤンキー」と呼ばれる人たちは、「コミュ勢」である自覚があるし、自認もしている。彼らは生活の中でいろんなイベントがあるけれど、たとえばカラオケに行ってもバーベキューにいっても、それそのものが、一番大事なことだとは思っていない。「そこへ誰と言ってどういう関わりを持つかが大事」だと認識しているし、公言している。

そういった彼らの態度は、たとえば「本物のバーベキューファン」からすれば、「バーベキュー蔑視」「にわか」みたいに否定されるかもしれないけれど、でもそれは、彼らリア充マイルドヤンキー思想信条や普段の言動とは矛盾してない。彼らは最初から「ダチが大事だし、良いダチがいれば何しても楽しい」と言ってるわけだからだ。なので、その点に関して、彼らは誠実であると思う。

一方、オタクコミュ後者忌避されるのは、彼らが彼ら自身を「コミュ勢」だと認めない点にある。彼らはコミュ参加の手法として「作品ファン」「サブカルファン」を装う。

自己批判も含んで告解するけれど、リア充もしくはマイルドヤンキー的な生き方というのは、増田では馬鹿にされるけれど、それはそれで大変だと思う。彼らは「語るテーマやいっしょにする遊びそのものではなく、誰(=友達)といっしょにするかが重要だ」というスタイルを持っている。それは逆にすれば、語る内容や一緒に過ごす遊びそのものの魅力と切り離して、自分の友人や人間関係を維持する宣言からだ。つまり俺(の人間的魅力と気遣い)とお前(の人間的魅力と気遣い)で、俺とお前の関係を構築維持する、ということであって――それってかなり偉業じゃないだろうか? 少なくとも自分趣味というコアを除去して友人関係を維持するというのは負担が大きいと感じる。

非常に露悪的に表現するならば、Webのオタク界隈で暴れている「コミュ勢」などというものは、「コミュ他人と関わることが至上だと考えているくせに、リア充グループに入れなかった落ちこぼれ」「ヲタク界隈でだったらマウントできると勘違いした自意識肥大した無能であるとすら言えると思う。

そういった考えを元に展開すると、「にわか」という罵倒語存在は、ある作品コミュにおいて、コミュ勢とコミュ勢の勢力争いとして生まれるように思われる。「このコミュは俺が先に目をつけて縄張りにした場所作品愛とは無関係なのだから、あとから参入してきたお前らはおとなしく俺の下につけ」的な話なのだろう。

一方、ただ作品を愛してるだけの人にとっては「作品を愛し鑑賞するという価値観以外を持って、コミュから利益を得ようとするなよ」としか、その手の騒ぎにたいして思いをモテない。

作曲者リスペクトを持たない歌い手とそのファンコミュ」みたいなものと同じ文脈だ。

2016-02-04

齢30にして漸く全うな恋愛をした

余りにもヒマで、はてな匿名人気エントリーを上から順に読んでいたら自分もなにがしか書き残したくなったので書く。

備忘録代わりのつもり

きっかけの記事はこれ

[かっこ悪い振られ方、二度と君に会わない]

http://anond.hatelabo.jp/20130326193638

ううーん!

なんたる!なんたる親近感。

これは恋愛に限らず、人間関係において決してやってはいけないこと、

所謂マウンティングバリバリしていた方が元カノから言葉ではっとして

その状態から脱したという、それを当事者目線でという、非常に素敵な記事なんだけど(ちょっと昔のだけど)、

彼が元カノにした仕打ちに心当たりがありすぎてワロタ

金を出させるとか不機嫌を顕にするとかをやったわけではないけれども、

マウンティングとは根本的に心の中の問題なので、金銭の授受や肉体および精神への暴力がなくても十分に成り立つし、かつ、相手に伝わる。

例えば、自分の望む速度でリアクションが返ってこないから自分より頭の回転が遅い人間なんだコイツは。とか

自分より収入が低いから、もしくは自分仕事の方が社会的に認められている(勿論これは錯覚から自分の方が社会の中で価値がある人間なんだ、とか。

あとは顔とか。

いろんなことで人は人を見下してしまえるし、それが態度に出る。

基本的女性は溜め込むから、「この人は私を見下している」という悲しい気持ちをためてためてためてためて爆発する。

だめなんだよなあそれ。と、今だから言えるが

ついこないだまで、29歳11ケ月までは私もウルトラマウンティングクソ野郎だったので気持ちがすごくわかる。

人を見下していると楽なんですよ。

見下している人と一緒にいるだけで、自分は何もしてないのに、何故か偉い人みたいな気分になるから


自分ウルトラクソマウンティング野郎になってしまったわけ

人にもよるだろうが自分場合生育環境によるものが多かった。

周りにマウンティング野郎が多かった、ということ。

母親父親兄弟友人ルームシェア相手…と、数えるとキリがないが、

マウンティングが前提になっている人間関係が構築されてしまうと

新しい友人や恋人に対してマウンティングする/される、しか選択肢がなくなってしまう。

具体的には、年上に囲まれて育ち「お前は出来が悪い」などと日常的に評価され

前掲の記事にもあった通り「第三者の前で笑い者にしてウケをとる」ことを繰り返されると

いざ自分が年下と仲良くなったりした時にそれをやってしまうわけだ。

芸人さんでいう「イジリ」。我々はイジったりイジられたりしてお金をもらっているわけではないのにね。

私自身も、いざ目が覚めて自戒してみるまで「不細工」とか「デブ」とか「グズ」とか

身体的特徴をはじめとしたどうにもならないことで人をけなす/けなされることが普通だった。

そんなことが健全であるはずないと気付くためになんと30年かかった。

人をけなし慣れていると、どんどんマイナスの語彙力ばかりが多くなって何に対しても否定から入ってしまう。

学業にも仕事にも非常によろしくない。



マウンティング野郎から脱したきっか

めっちゃ好きになれる人ができた

以上です。

詳しく書くと29歳と11ケ月で私が惚れた人間は今まで出会ったどんなマウンティングクソ人間とも違っていた。

まず年下なのにリスペクト出来るところが多すぎる。

彼女も勿論人間からダメなところというのはまあ無いわけでなくて、今までの自分であれば

鬼の首を取ったようにその小さな欠点を挙げ連ねて攻撃してしまったと思うのだが、

端的に言うと一芸に秀でていて、その一芸さえあれば「多少自分より収入が少ない」とか「あんまり健康でない」とかマジ全く気にならないレベル。むしろ後者とか薄幸の美少女感が増しててやばい

しかも、こちらがへりくだっているにも関わらず、マウンティングしてこない。

彼女彼女で、こちらを尊敬してくれているのだということがきっちり伝わる。

あっ、健全人間関係ってこういうことなんだ。と、付き合ってみてはじめてわかった。

まり今まで自分や前掲の匿名さんがしてきたのは恋愛でなくてマウンティングごっこで、つまり同じ屋根の下で行われる堂々としたイジメ以外のなにものでもなくて、しかイジメってやっぱりしてる方としては楽しいわけだから、悪いこととして認識出来ない。ついでに言うと自分が同じことされても、悪いこととして認識するのが難しい。

多分例の匿名の彼も私も過去恋人のことをきちんと愛していたかというと全然そんなことなくて、とりあえず付き合ってるだけなんだろう。

そういうことをたくさんしたし、された。

で、結果的にそうでない人間関係を構築できる人と出会って、改善されたんではないかなと思うわけで、今更何だよって感じだけどさっきの匿名氏が立ち直ったのは元カノの指摘と自省の素晴らしさも勿論だけれど、今の奥様のちからも大きいんじゃないかなって思ったんだよね。

ということでした

自分が今まで好きだと思ってて付き合っていた過去の人のことを本当は全く好きでなかったのだなあと今更ながらに思い出されてちょい凹み。



もいっこ

笑顔対応が余裕すぎて泣いた]

http://anond.hatelabo.jp/20160203100640

これめっちゃいいですよね

これね、今すごくタイムリーに実感していることなんだけど

自分メンクイなんですよね。

彼女の見た目がすごくカワイイわけですよ。

何やっててもカワイイんですよ。

自動的ニコニコ、もしくはニヤニヤするじゃないですか。

絶対喧嘩にならない。だってから笑いながら罵声は吐けないし、笑っている人間罵声を吐くことが出来る人も早々いないだろうから

この先彼女が歳を取って見ただけでニヤニヤ出来ることがなくなったとしても、

何十年とニコニコニヤニヤしながら接していたら多分ずっと優しくすることが出来そうかななん

いざ冷静になってみると、人との関係マウンティングありきでしか構築出来ない人、と、

そんなことない人、っていうのが会社にも取引先にも一定数ずつ居て、

勿論片方を排除することは難しいけど、出来るだけ後者と仲良くすることで

快適に人生を過ごせそうだよねっていうこと

自分自身果たしてどこまで人を見下さな人間になれたか今の時点では微妙なんだけど

少なくとも「あっこれマウンティングしている。よくない」「されている。気を付けないと食い物にされつづける」等の俯瞰視線は持てるようになった。

以上、覚書兼惚気終わり。

増田リッスントゥーミーみーぅ豚すっり田素間(回文

ヘーイヘイヘイヘーイヘイ!

リッスントゥーミー!

エビバディホーセイ!

私の歌を聴いて!!!

こないだはてな内であった歌詞無断転載の項目、

きょうのわたしはラップだYO!OYだぷっらはしたわのうょき

リンクのしかたが分かりません!(すいませんできました)

正直、冒頭はかわいいコックさんガチリスペクトでの歌い出しだっただけど、

軽いリスペクトならいいみたいね

たぶん、これが世の中の見解かしら?

てっきり忘れてて

消されちゃってたのかと思ったらまだあったのでよかったわ!

まあ、disられないようにまた2番の歌詞も考えなくっちゃね!

ロードみたいに256章とかは無理だけど。

何でも無いようなことが、

幸せだったと思ったわ!


今日朝ご飯二十四節気の一つ南南東

ということで、海苔巻き食べました。

サーモンロールはロックな感じがして、

ああ無情だわ!

デトックスウォーター

お願い!この冬は温かいシリーズをと言うことで白湯と粉末昆布だしで

即席昆布ホッツウォーターです。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう

2016-02-02

https://twitter.com/tm2501/status/694432412659388420

どの界隈でもありがちな話なんですよね。ジャンル作品へのリスペクトがあるかどうか疑わしい人に限って、他人にうるさくなるんですよ。で、作品の話をしようとすると自分意見が出てこない。なぜか問うと答えない。会話が成り立たないです

お前のラノベ記事について1000000回同じことをいいたいんだが。

2016-01-29

http://anond.hatelabo.jp/20160129131934

なぜこいつの無断転載はよくて転載BOTが駄目なのかが応用問題なんだろう

俺にも分からん

自作発言してない→俺はその画像がどこから来たのか知らんし転載BOT自作発言してないものは多い。

量の問題閾値どこや

リスペクト→応用問題ってテレパス問題ですか難しいです><

2016-01-20

非エンジニア」という言葉気持ち悪さ

非エンジニア

この言葉が嫌いだ。たまに使ってるの見たり聞いたりすると、モヤッとイラッとする。

確かに非エンジニアではある。それは事実だ。グルーピングするときにはそうなるだろう。

けど、この字面イメージさせるのは「エンジニアあらざるもの人にあらず」というエンジニア中心的な考え方が裏にある。そう意識してるのかは別にして。

たとえば「非ビジネス職」とかでエンジニアの人たちが分類されたとしたら、気持ち悪くないか。

非管理職」なら、管理職非管理職組織上の上下関係があるからからなくもない。(それでも気持ち悪いけども)

けど非エンジニアはまさにエンジニアを頂点として、その下に他の職種存在してるかのよう。実際エンジニアはすごいと思うと思うけど、それ以外のリスペクトを感じさせないこの言葉吐き気がするのだ。

エンジニアを前に語っているとしたとしても、やめてくれ。伝播して、それが見えた時の気持ち悪さは耐え難い。一緒に仕事しづらいよ。

いい仕事のために、もっと互いにリスペクトしていきましょうよ。

2016-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20160114015049

お笑いファンだし、好きで彼らへのリスペクトもあるけど同感。

彼らの言葉の端々に出てくる「素人さん」という言葉も、自分たちプロあなた達とは違うという感じで嫌い。

元々は娯楽であったものが、数字が安定して取れるとか、テレビに都合がいい対応ができるプロタレントという事で今の地位がある部分もあると思うけど、なんか、そうじゃないんだよねーっていう。

今も好きだけど、そういう上げ方をしている部分は見てない。

2016-01-08

おそ松さんで感じた世間とのズレ

赤塚不二夫氏の生誕80周年を記念したアニメ、「おそ松さん

若いオタク腐女子の中ではとても人気である

アニメが放映された後、Twitterトレンドに必ず「おそ松さん」が存在する。

野球日本代表侍ジャパン」の強化試合コラボを行うを先日発表になった。

NPB若い女性にも野球を知ってもらう為、色々な取り組みを行っている。

そんな中、赤塚不二夫氏の「おそ松くん」の現代であるおそ松さん」が

若い女性に人気大爆発だと知れば、NPBとしてはこのチャンスを逃すまいと、

コラボをお願いしたのだろう。おそらくは。

世間一般とすれば、「おそ松さん」とは「おそ松くん」の現代版だという認識

からニュース記事でよく取り上げられているのだろう。

しかし、「おそ松さん」の実態は、人気男性声優推し、原作リスペクトがない、

製作陣のやりたい放題、ファンのマナーは悪いと様々な問題を抱えている。

何より、ファンのマナーが悪いのが大問題である

野球観戦者だって特別マナーが良いわけではない。

ただ、自分の贔屓の球団選手は応援している。

コラボ席はグッズ付きの為、来る層はグッズ目当てだろう。

声優始球式などイベントをしてみれば、

試合中はお互いの好きなキャライベント感想を駄弁っているだけだろう。

そういうのは侍ジャパンを応援してる観戦者としてはたまったものではない。

もちろん、対戦相手である台湾チームを応援してる観戦者にとってもだ。

同じコラボなら野球アニメはいけなかったのだろうか。

というよりも、未来を描いた作品で、性格も違い、オリジナルストーリーなら

おそ松くん」という作品でなくても良かったのではないか。

「選ばれし(自称)6人のクズニートと巻き込まれ人間による日常ドタバタギャグコメディ

とかなんとかオリジナルストーリー自由にやれば良かったのに。

2016-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20160106072326

メジャーなところだとBernie Sandersはかなり左翼寄りって見なされてるんじゃない?

軍隊については力加減がムズい退役軍人もたくさんいて、ほぼ誰でも直接の知り合いに軍経験者がいて、「国のために命を張った」という認識一般的にされてるから日本左翼みたいに「人殺しの訓練」とか言い出すと総スカンを食う。リスペクトしつつ、人的被害や金かかりすぎってあたりを訴えて抑え込むしかない。

2016-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20160102221028

「心の奥底」というのが何を指しているかめっちゃ曖昧なんですけど、それが「本能的に」とか「無意識に」とかい意味ならありえねーって感じだし(どっちかつーと、その意味でたとえば黒人見て『本能的』に思うのは恐怖心とか逆にリスペクトとかそっちだろーし、部落差別なんてそもそも見て分からんものに『本能的に…』なんて気持ち湧きようもないし)、あるいは「普段は言わないけど本当は思ってる」という程度の意味なら、あーキミ、それって「他人事」だと思ってるんだあー、なんつーかお気楽なことだなーって思う。

だって、どんな差別であれ自分自分に関わる人間差別「される」側に回る可能性は常にあるわけで、そういう想像力を少しでも働かせていれば、「普段言わないけど本当は思ってる」レベルでも、そういった差別を「する」立場に立つことの危うさは理解してていいはずだと思うんだよね。障害者差別なんて典型的で、お前明日から障害者になる可能性がゼロだと思ってんの?って感じだし、自分の子どもや親戚の子ども(甥っ子や姪っ子)が障害をもったらどーすんの?って思う。そしたら、自分の子どもや親戚の子を、同じように差別「する」の? マジで

人種差別部落差別だって自分の子どもや親戚の結婚相手がそうだったら、お前どーすんのさ?って話だし、およそどんな差別であっても「自分絶対無関係」なんてことあり得ないでしょ。そーゆーことが起きたときに、自分が内なる差別心や偏見のせいで、自分も身の周りの人も不幸にしたら、それこそ、「無意味差別が人を不幸にする」典型じゃん? だからこそ、良識想像力のある人は「差別イクナイ」って公に言うわけであってさ。俺だって別に「素晴らしく道徳的」だから差別しないんじゃなくて、単にリスクテイクの意味で「差別イクナイ」って言うわけだよ。心の底から、本当にさ。

中には「自分が不幸になることへの恐れ」を相手に転化して、過剰に叩く(差別する)人ってのもいるだろさ。たとえば、コレ人から聞いた話だけど、ある人が部落の人と結婚しようとしてさ、親戚の中に異様なまでに反対するおばちゃんがいたんだとさ。んで、よくよく調べてみると、実はそのおばちゃん自身部落出身だったんだってさ。なかなか深いよね。そのおばちゃんにしたら、言ってみれば部落の外の人と結婚してさ、自分自身その世界から逃げ出した…と思った矢先に、そういうことが起きてさ、正直たまったモンじゃないって思ったんだろうね。逃げ出した過去に追いつかれたつーかさ。

でもさ、考えて欲しいわけさ。そのおばちゃんが不幸なのは、生まれのせいなの? それともそのおばちゃんの考え方のせいなの?って。もちろん、生まれのせいでおばちゃんは色々、偏見にサラされたり嫌な思いをしたりしたこともあったんだろうさ。それは否定しない。でも現在進行形でそのおばちゃんを苦しめ周囲を不幸にしているのは、実はおばちゃん自身差別心や偏見のものじゃないのかね。人は過去から逃げることはできても、自分自身から逃げることだけはできないんだよねえ。だから、「自分が不幸になることへの恐れ」がある場合に、一番いいのは、誰に対しても「そんな差別心や偏見で、他人を不幸にするのはやめよう。差別イクナイ」って公言することであってさ。他人差別されなければ、自分差別されることはなくなるわけじゃん? そういう考え方が広まるほど、自分自身安全安心保証されるわけじゃん? つまり、こうして俺が増田に言うのもその一貫なワケ。心の奥底でも、差別イクナイと考える人が一人でも増えてくれれば、その分オレもハッピー。みんなもハッピー。いいことづくめじゃんね? だからひとつよろしく頼んどくわ。

2015-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20151226030600

この前、腐向け同人話題で男が一斉に「女向けは原作無視してるから認められない!」とか言っててずっこけた。男の俺からしてもビッチ設定だったりNTRだったり男向けの方がよほど原作レイプだと思う。

でも当人たちは違うつもりで、まあ原作リスペクトとかってのは主観しかなくて、違う分野だと原作を汚してるように見えるんだなって感じ。

2015-12-21

昨日のTHE MANZAI

昨日のTHE MANZAIを観てて思ったんだが、自分の子供のことを語るネタ散見された。

昔は家族のことをネタにするにしても、嫁をくさしたりする内容がほとんどだったと思う。ましてや子供のことネタにするなんてほとんどなかった気がする。

昨今は父親も家庭のことや育児に参加するようになり、芸人も嫁や子供の話を(いい意味で)ネタにするようになってきたんだと思う。それが共感を呼びやすい風潮になってきたのではないだろうか。

あとは各方面への配慮揚げ足取りを恐れる風潮というか。

この風潮が別に嫌とも悪いとも思わないけど、ああ時代が変わったんだなと。

ただ漫才ネタとして面白いかは微妙だったかもしれん。

他人をくさしたりする芸風はバランスが難しい。毒を含みすぎるとともすれば下品になりがちだけど、ほとんどないのもそれはそれでなまくらだなあと思ったりした。

その点でウーマンラッシュアワーは突き抜けてるけど、微妙な気分になる。

ネタにされるのを承知で付き合っている相方の嫁はともかく、子供はつらいだろうなぁ。と思ってしまう。

個人的には「汚いで思い出したけど、君の嫁はん元気?」に笑ってしまった。

いとしこいしリスペクトネタだが、毒を含みつつなんかあんまり嫌な気持ちにならない。このバランス感覚

なんだか論点がばらばらになってきてしまったけどこのへんで。

2015-12-20

スターウォーズ/フォース覚醒の好きだったところ・気になったところ感想

EP7見て、いつもはネタバレ気にせずにSNSに書くけど、今回は見る人多そうだし

ここ好き! っていうところと気になったところがあったので、増田に放り投げたい。

ネタバレなのでご注意ください。

・前提:EP1~6まで視聴済みだけどテレビであった4以外だいぶ前




好きだったところの感想

・残虐シーンフレームアウトありがたい

・フィンくんまさか萌えキャラ

レイかわいい

BB-8かわいい!! かわいい!! かわいい!!!

・フィンとレイBB-8の組み合わせかわいい!! かわいい!!!

BB-8の動くフィギュア俄然欲しくなったけど値段が可愛くなかったので断念(19,800……)

BB-8がぐるんぐるんしながら、途中でびしっ! てなるところが可愛すぎた。

ソロやっぱり格好いい……

レイア姫ツンデレケンカップル健在なんだけど、年齢を重ねたツンデレも大変よろしい

ポーが格好いいのと、Xウイングでの戦闘でめちゃくちゃ動くのよかった!! やっぱりXウイング格好いい~

ミレニアム・ファルコン号の砲台がぐるんぐるん動くのもやっぱりすごくいい。

カイロ・レンのマスクマントすごくいいし、あの情緒不安定な感じも嫌いじゃない(笑)

C3-POが姫……って言いかけて将軍、って言い直すのがすごく好きでした。

・フィンが逃げたくて逃げたくてたまらないのに、足を止めて立ち向かうのがすごく、好きです。

レイとフィンの友情かわいすぎか……。

レイフォース使うシーン好きです。もうちょっとガンガン使ってくれてもよかったのよ!

カイロ・レンよりも強いフォースの持ち主なんだろうけど、アナキンとかと違ってあんまり不安定そうに見えないので、このままダークサイドとふらふらするような展開にならないで欲しい~

女の子が圧倒的な力で説得(物理)話けっこう好きです。

・全体的に、新キャラほぼみんな魅力的で、旧作キャラも見せつつ満足しました。導入+キャラ紹介+世代交代を見せるEPなんだろうなあ

・8でどういう関係性に変わっているのか楽しみ!

ソロの件は、丁寧にフラグを積み上げすぎていたので仕方ないかな……と思いました。噂もあったし

・苦しいんだ、とベンが吐露するシーンで、太陽が消えたのは判りやすいけど演出好きです。あの這いよる絶望

レイア姫が帰ってきてね、と言うところで返事をしないソロに、多分察したんだろうなあと思うと、この夫婦夫婦なんかな? 結婚したんかしら)の絆を感じるのと同時に、ルークもだけど、幸せ家族記憶がこの30年にあったんだと思いたい。

ソロジェダイじゃないから、落ちたままレイア姫のところに帰って来ないんだろうな……。

好意とか愛情を示すのもひねくれてるソロが、最期にベンの頬を撫でて、素直に愛情を示したところに彼が年齢を重ねたことと、父親だっていうのを感じて辛い

・いつかベン(カイロ・レン)が、ソロ(とレイア姫)が示した愛情に気付いて、実を結ぶことを期待したい(スルーじゃありませんように……)

・あと死ぬほど後悔しとけや(本音


気になったところ

・話がほぼ「JJエイブラムスの作ったEP4(と、ちょびっと新三部作)」。見てる間中、『見せましょう JJエイブラムスの「スター・ウォーズ」』って頭をよぎって仕方なかった

・シーンの繋ぎ甘くね?(特にミレニアム・ファルコンにソロが乗り込んでくる流れ)

・この監督、他の映画もだけどシーンが切り替わる手前に変な間があるのなんなんだろう……

・具体的には特にラストレイルークの邂逅

トイレ我慢してるんでそこんとこもう少し早回しを!!!!! とすごく願った。なんか間のとり方が邦画っぽい

カイロ・レンのマスクを取ってからの小物臭。もう少し……! がんばれ……!!

宇宙空間での戦闘が少なすぎてちょっと消化不良~

・あと「遥か彼方のどっかの星」みたいな感じが殆ど無いのも消化不良。地球でのお話でしたっけ

レイがいた場所ルークと同じような風景で目新しさはないし(レイルークをなぞってるのかなと思ったので、これはしゃーないのかもしれないけど)、共和国軍のいる場所もどっかヨーロッパ辺りのロケかな? って思うし、デス・スター改良版みたいなやつもどっかでロケかな? って思うし、酒場もどっか地球上にありそうだし、極めつけはルークのいた遺跡グーグル画像検索で同じようなのヒットすんじゃねーのって

・セットでいいからそこは頑張ってくれ……。

・良くも悪くも、前6作品比較できすぎてしまう……。旧三部作なんて映像は古いけど、異星・異文化描写はすごく良かったんだなあと改めて実感した。

・えーと、あと新しい敵組織ファーストオーダー」は、カイロ・レン→小物臭 将軍→小物臭 キャプテンファズマ→思わせぶりに出てきておいて小物

・っていう三拍子揃ってて、こいつらほっといてもそのうち自滅するんじゃねーかなって思った

最高指導者も人がいなくて大変だろうな……。

カイロ・レンが圧倒的な力を持ちつつ情緒不安定っていうのはいいと思うんですが、代わりに他者のことでは動じないとか、別の強キャラとか欲しかったなあって思うんですけど。

特にキャプテンファズマは大丈夫なんですかあれは。まさかあそこで退場ですか(生きてんの?)(EP4でダストシュートで生き残ったことを考えると生きてるかな……)

カイロ・レンですが、多分モチーフになってるのは小説版ソロ家の長男かな~って思ったんですけど、名前ルークのとこの長男だしミックス?

・何が問題かって、アナキンがダークサイドに堕ちたのは「パドメを失う」っていう恐怖心から力を欲したせいだったけど、そういうのがなさそうな辺り……

・「ダース・ベイダーさんちょーかっけーっす! マジリスペクトっす!!」だったらどうしよう。小説ソロ長男家族を失いたくない、なんですよね……? そういう動機あるのかな。なさそう(うすっぺらい)

・ところでダース・ベイダー信仰してるけどその人結局ジェダイに戻ったよ? 大丈夫

リスペクトだけだったりして……と思ったのは、カイロ・レンの頭の中を覗いたはずのレイが、ソロの息子宣言でフィンくんと一緒にえっ!?て顔をしてたので、

ダースベイダーのことで頭がいっぱい=(理由)力が欲しい=(動機)力が欲しい で、きっかけは家族を守りたいとかそんなんではなく強くなりたい! だけで、両親についてひとっつも考えてなかったのならレイが知らんてなるよなーと

エディプスコンプレックス拗らせてるくらいの理由がありますように……。

・とりあえずまず、他人を頼らずメンタル鍛えような!



気になったところでめっちゃ書いたけど、でも楽しかったのは楽しかったんですよ!!(賛否両論なのめっちゃ分かる……)

前6作は、忘れているところがかなりあるので、きちんと見直したら色々元ネタとかそういうのいっぱいありそうだったので、感想とか見て回りたいです。


ソロの退場は今も尾を引いているんですが、多分テレビEP4見てなかったらここまでショックじゃなかった気がする。鬼か!

そして毎回思うんですが、スカイウォーカー家呪われてませんか。大丈夫ですか。

レイとフィンは幸せになるといいな……いえ別に、他のキャラが不幸とは言いませんけど不遇……

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