はてなキーワード: ライフとは
しかしケンタッキーはコスパが悪い。チキン1本250円する。サイドメニューのポテトSも230円と、マクド●ルドのポテトL(クーポンで190円)よりも高い。サンド系も近年サイズが小さくなってサイレント値上げしている。
そこでだ。美味しいケンタッキーをなるべく安く食べられる方法を伝授しよう。これでケンタッキーの売上が向上して店舗数が増えたり、消費者に還元してくれればwin-winだからな。
とはいえやることは単純だ。
ケンタッキーは単品価格こそ高いが、クーポンの値引率がえげつない。マクド●ルドの20円引きみたいなケチ臭いものではなく、なんと30%引きのクーポンが常時配布されているほどだ。
しかも会員登録など必要なく、アプリを入れたらクーポンの内容と番号が見られるのでそれを伝えるだけ。番号さえ知っていれば画面を見せる必要すらない。マイル(一定数貯めるとさらにお得なクーポンが貰える)を貯めるのも会員登録は必要ない。
ただ会員登録するとわずかばかりのマイルがもらえるのに加え、アプリを消したり機種変更してもマイル(とマイルによるクーポン)が引き継がれるので抵抗ない方はやっておくといい。特にマイル10000ごとにチキン2ピース100円(一度切り)のクーポンが貰えるのはデカイ。
さてケンタッキーにおけるクーポンの重要性を説いたところでそろそろクーポンの内容を、と言いたいところだがアプリクーポンの利用規約には「転載はご遠慮ください」とあるため、ここに書くのは控えることにする。ぜひ自分の目で確かめてくれ。
しかしケンタッキーのクーポンの真の強みは他にある。それはいわゆる「レシートアンケートクーポン」だ。これには転載するなとは書かれていないので内容を載せると
「通常230円のサイドメニューorドリンクが1つだけ50円になる」だ。
今選べるのはポテトS、カーネルクリスピー、ビスケット、ドリンクSだ。ポテトはいろんなクーポンやセットについてくるので基本的には選ばないだろう。ドリンクSももともとが200円なのに加えアプリで100円クーポンが常時配布されていることを考えるとナシだ。
アンケート自体は(記述式を飛ばせば)3分で終わるからそこまで手間もかからない。
このクーポンのいいところは値段もだが、「単品が50円で追加できる」というところにある。ケンタッキーにコスパを追い求めるとどうしても2-3種類まとめられたクーポンやセットメニューになり、それらを2つ組み合わせると食べきれない量になってしまう。そこにこいつを使えば丁度いい量をお得な値段で食べられる、というわけだ。
【追記】
アンケートクーポンの内容が時期によって変化するのは知っていましたが、店舗によっても違うようです。上記の他にポテトSのみ、ドリンクSのみ、ポップコーンチキンなどがあるみたいです。
次にケンタッキーのセットについて。実はケンタッキーのセットはクーポンに負けず劣らず値引率が高い。下手にクーポンを使うより安くすむ場合も多い。以下におすすめのセットメニューを載せる。
①ランチS
休日含む毎日10-16時限定のセットだ。オリジナルチキン+ポテトS+ビスケット+ドリンクSがついて910円→500円という破格のコスパを誇る。チキンが1本だけというところが微妙だが、先に述べたアンケートクーポンでカーネルクリスピーを追加すれば550円で圧倒的バランスとコスパを誇る怪物メニューに早変わりする。
②ボックス
こちらは約900円くらいするがメイン+骨なしチキン+ポテトS+ミニアップルパイ+ドリンクMという大人の男性でも大満足のボリュームを誇る。万が一これでも足りないと言うなら先ほどと同様アンケートクーポンでクリスピーを追加してどうぞ。
パサパサの骨なしチキンは嫌いだという諸君、安心してくれ。オリジナルチキンに変更可能だ。ついでに実はアップルパイもビスケット並みに美味い。こちらはカスタードが全面に押し出されていて、マクド●ルドアップルパイのシナモン臭が苦手な人でも食べやすい。ボックスにしかついてこないので、ぜひ一度試してみてほしい。
コメントをちょっと読んでみたが「サイドはいらないねん、チキンを食いたいんや」「クーポン使うとかめんどくさい」という声がそこそこあった。そんな男気溢れる野郎どもにはこれだ。オリジナルチキン2ピース+ポテトS+ドリンクMが960円→800円(ランチ時間は700円)。必要最小限、ミニマリズムの極み。なにより「オリジナルチキンセット1つで!」で注文が終わる。あとは肉と芋を喰らうのみ。お得度は下がるがまさに初心者向けのメニューであろう。
最後に注意点を一つ。ケンタッキーで水を注文してはいけない。マクド●ルドではサービスでお水をもらえるのでケンタッキーでもついつい「あとお水ください」と言いがちだが、ケンタッキーには「KFC富士山の天然水」というメニュー(120円)があるのでそちらが追加されてしまう可能性がある。ドリンクは普通に頼んでおこう。
【追記】
サイ1.5(腰)>ドラム1(脚)>ウイング0.5(手羽)>リブ1(あばら)>キール1(胸)
数字は大きさだ。基本的に1本だけチキンを注文すると大きさ1の3つのなかから選ばれる。2つ注文するとサイ+ウイングか、大きさ1のが2つ選ばれる。サイ+ドラムみたいなジューシーセットはよほど余ってない限り選ばれない。
またキールのみ一羽から1つしか取れず、他は一羽から左右で2つ取れる。サイはウイングと組み合わせるのが決まっていて、キールは数が少ないので基本的にはドラムとリブはセットになる。
つまり偶数個頼んだ場合、サイウイングorドラムリブになる確率がかなり高い。この組み合わせはジューシーとさっぱりの両方が含まれているので文句が出にくいのだろう。出来るだけチキンは2個頼むと部位ガチャで爆死しにくい(上で挙げたセットは1個しか入っていないのでコスパの代償として妥協してくれ)。
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
Twitterにてトレンドを風靡した「少年ラブドールのすゝめ」的某漫画。
度重なる賛否両論・罵詈雑言及び誹謗中傷があり、とあるnote記事も瞬く間に拡散されていくのは、いかにもTwitter的現象と言って良いだろう。
ぶっちゃけ、なかなかに主観的倫理を試されるお話であり、明確にあの漫画が法的に引っかかっている事はなにもない。
(いや、Twitterの利用規約には引っかかっているかもしれない。これは俺はよく調べていないので、各自で良きTwitterライフを得る為にも確認しておくべきだろう。)
あの漫画の最大の汚点は、公開アカウントで公開した作中のこの文言だろう。
さて、この記事で問いたいのは以下だ。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
彼らからの返答はだいたいこうだろう。
上記の発言意図を知りたい方は「石の上にも三年」、乱筆をご容赦いただきたい。
まあまあ先進的な国においては、きちんとした両者の承諾があれば相手が異性であっても同性であってもセックスに及ぶ事は全く問題はない。
では言葉を置き換えてみよう。
※尚、本記事において「手を出す」は「両者同意の上でセックスに及ぶ」と定義する。
なぜなら、女性に手を出すことも、男性に手を出すことも法律的には無問題だからである。
国語辞典をひかなくとも、一般的には黄色い帽子にランドセルを背負った子供たちをイメージするだろう。
まあまあ先進的な国においては、たとえその「児童」本人の合意があったとしても、セックスに及ぶ事は禁止されており、犯罪行為とされている。
※欧米各国では未成年ポルノ規制が激しく少年少女を象ったラブドールは販売・購入が規制されているが、日本はその限りではないので犯罪行為としない。
下記の文章は、「人生においてなんら犯罪行為を犯していなかった人達」が発言したと思ってほしい。
「実際に人を撃ち殺す前に、ぜひFPSを」
「実際に銃を購入する前に、ぜひエアガンを」
FPSをプレイして楽しむのも、犬猫のぬいぐるみを切り刻むのも、合法エアガンを手にするのもするのも、なにも違法行為ではない。
問題なのは「まるで犯罪行為の入り口・捌け口としてそれらの合法行為に勧誘していること」なのだ。
先に言ったようにこれは犯罪を一度も犯したことがない一般人の言葉だとするなら、彼らは
・銃で人を撃ち殺したこともない
・本物の銃を購入したり所持したりしたこともない
そしてあのアカウントは
さて、本題に戻ろう。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
「本当に銃で撃ち殺すわけないだろう」
「本当に銃を持つわけないだろう」
その言葉は内輪以外には通じない。
まるで犯罪行為の入り口・捌け口のように少年ラブドールの体験談を語った表現者は、果たして擁護されるべきか?
「Twitterはレギュレーションがあり、児童は見ていないのだから無問題である」
これは児童への問題だけではなく、児童を持つ保護者達、そして児童を守らなければならない我々成人を迎えた人間にも問題となりうるのである。
かのアカウントは非常に直接的に言葉で児童の恐怖をあおり、子供を守る立場にある成人に不安を生み出したのだ。
ただ単に「児童とのセックスフィクション漫画を書いた」のではない。
実に直接的に、かのアカウントは
「まるで少年ラブドールを犯罪行為の入り口・捌け口のようにして体験談漫画を書いた」
のである。
たった一文、されど一文が、あの体験談の意義をあらゆる方面へ確かに変えてしまった。
「ホモ、を侮蔑言葉として使ったわけではないし、当事者達に言っているわけでもない。(だからこれからも使い続けるつもりである)」
だが、男性同性愛者当事者は往々にしてホモを侮蔑として受け取るし、傷つく人まだまだ存在するのだ。
なぜその言葉を使い続ける?
この世界には他にも男性同性愛者を指し示す言葉があるのに、当事者でも嫌がる人が存在するのに、なぜその言葉をあえて使い続ける?
「なぜあらゆる人を傷つけかねないその一文をあえて使った?他に誘う言葉はごまんとああるのに」
繊細なジャンルを扱ういかなる表現者も、実在する当事者・該当者たちに相応の敬意を払わなければならない。
我々表現者はその義務を決して放棄してはならず、傷つける言葉をあえて使用するのなら、相応の意味を持って発さなければならないのだ(例えば差別の現状を知らしめたり、時代考証等でリアリティを彫り込んだりする為に)。
とても厳しい言葉ではあるが、こんな些細な事にさえ想像力を働かせられない表現者に、マイナーな性的嗜好を扱う資格はないと、同じヲタクとして俺は考えている。
最後にもう一度。
SNS上で二次創作するうえで他者からの評価とか需要の有無が気になるのは当然のことですよね。むしろ評価されたいからSNSにアップしているという人もいると思います。
でも気にし過ぎるとドツボに嵌まるというか...急に無になるというか...
万人受けするようなシチュエーション×好きなキャラクター=超好きってなりそうなのに急に何していいか分からなくなる瞬間
勝手に二次創作のパラドクスって呼んでるんですけど、経験ありませんか?
ツイッターだとフォロワーが増えてくると不安になるタイプや、いろんな方と話すのが好きなタイプに多い傾向にあるかなと私の経験談ですがそう感じました。
もう削除した垢での話なのですが同人誌を作っている方がいつも「原稿いやだ、しんどい」という旨のツイートをしていて本が完成した瞬間にジャンル移行してしまいました。
本を作るということが日常生活の中でのウエイトを占め過ぎて疲れてしまったのだと思います。
そもそも私にとって二次創作は忙しい日々の間隙を縫って自分の為にチマチマやるようなことなので当然他人の求めるスピードに応えようとしたり、締切があると疲れるのは当たり前です。
でも二次創作って楽しくてやり始めることなので疲れ切ってしまってからやっと気付くんですよね。好きと嫌いは紙一重とはよくいったもので、好きだった作品が急に苦手になったり、そういうこともあると思います。
当たり前のことですけど結論を述べると(自分自身への注意でもある)本当にかきたいと思ったもの以外はかかなくてもいいんですよ、ということです。仕事じゃないんですからね。『◯◯の日』だからといって惰性的にかいたり、間に合わせなきゃと焦ってしまうことって意外とあると思います。でも大体のフォロワーさんは気にしていないはずです。
むしろそれで苦言を呈する方はSNSなんですからバッサリ切り捨てるのも有りだと思います。
せっかく自由な人間関係が築けるツールなのですから躊躇せず人選びはした方がいいです。
いつだって自分の最大の味方で理解者は自分で在るということが一番難しいのですが大切です。
何年か創作自体から離れていたのですが今では忙しくても絵を描いているときや他人の創作を読んでいるときに「私これをするために生きてるんだ!」って思えるようになれました。
なんかさ
世界全体がクソ末期で化石燃料もなんもかもカッスカスで南極の氷全部溶けてて大地は全部放射能漬けになってて太陽フレアで電子機器ジャジャジャジャーンでそんな中でも数百人くらい生き残ってる人類は細々と彼らなりに幸せ~なスロ~ライフを送ってるよ☆みたいな話は嫌いなわけ
「いま」はしあわせ!だからそれがすべて!わたしたちかがやいてる~!!!とかいう思考停止を感じる
いやそれ全部「無」になるやん…というか
いやめっちゃ長いスパンで考えたらなんらかの生物はまた生えてくるかもだしもっと長い目で見ると太陽死んだら地球死ぬけどそういう話じゃなくて…「いやそんなに絶望的な状況で必死に生き残る様…見たくないな…」というか
分かるか?
たとえ秩序が崩壊していて暴力こそ正義みたいになっててもなんか作中でだんだんモラルが更新されていくところに「成長」を感じるし
びっくりするほど空気悪い!土壌もやばい!なんか殺人ロボットがいる!みたいな感じでもなんか知らんけど空気清浄機とか土壌蘇らすすげえ肥料とか人類許すロボットとか出るし
なんか「希望」を感じるんだよな
終末しきったあとに「始まる」ところに「希望」があるんだよな
あれあるじゃんジョジョ七部のジョニィが「僕はマイナスをゼロにしたい」的ななんかそんなセリフ
あれだよあれ
私はマイナスからゼロになっていく過程の話が好きなんだよな(ジョニィって結局七部のあとで早死にしてるけど…そういう話じゃなくて…)
その逆のゼロがマイナスに向かっていく話は「ただでさえ気が滅入る状況なのにこれ以上気分が下がるような状況になる~!?!?」という「暗い…あまりにも…」を感じる
という話なんだけど
わかんない?お前たちにはこういう話わかんないんか???
8日
出来たかも?
喜びよりも経済的余裕がないこと、妊娠時の情緒不安定さと毎日のだるさ気持ち悪さ体の重さ子ども2人を相手にすることの出来なさなどが思い出され不安要素で頭がいっぱい
検査薬 陽性
んあああ〜〜〜〜やっぱりか〜〜〜でも腹括るしかないかな〜〜〜妊婦生活はほんと嫌だけどな〜〜〜腰痛いし体重いしほんと嫌だけど〜〜〜
でもほんおいまらら
と思うように体の動かない動かせないマタニティライフには不安しかない
22日
初診
下の子を出産した産院(とても良かった)だったので勝手知ったる感じ
ここ数日いろいろ考え過ぎてもう既に12週くらいの気分だったけど最後の生理開始日や胎嚢の成長具合(大きさ)を見ても6週程度
来週また診てみましょうとのこと
夕飯は作れたり(でも一品のみ)作れなかったり家事も碌に出来なくてほんとに妊婦生活は嫌なんだ…出産は好き…でもほんとに妊婦生活だけは……
体がしんどいと思考がネガティブになったり普段は何てことない子どもの声にいちいちイライラしてしまう
つらい
翌月8?9?日
胎芽やっぱり確認出来ず
そこまでショックも受けず、目の前の先生はご愁傷様ですムードなんだけど自分的にはそうでもなくて私の中の綾波が(いない)どんな顔したらいいかわからないのってずっと言ってた(笑ってられない)(その場の雰囲気的に)
なんかショックよりも妊婦生活回避出来て、というか今ですらあまり子どもの相手してやれてないのにそれに輪をかけてまだ小さな子どもたちを寂しがらせてしまうのを避けられたのでちょっとほっとした。
まぁまだ確定ではないんだけど
子どもは3人欲しがっていた旦那がショックを受けてて、今回の妊娠に際して初めて「ごめん」という感情
誰が悪いでもない、初期流産(たぶん母体に問題がっていうより精子とか卵子とかに育つ力がなかっただけ)(と私は思ってる)なので赤子に対して「産んであげられなくてごめんね」みたいなのはゼロだったんだけど、普段喜怒哀楽のほぼ喜楽しか表に出さない旦那がしょんぼりしてたのはちょっと切なくなった
改めて、避妊しようね出来たらまぁしょうがない頑張って育てようねでも35くらいまでかなしんどいからアラフォー妊婦生活はしたくないほんとしたくない!!っていうことは伝えた
診察だけでも数千円かかるから……
なんとなくだるい上に待ち時間しんどくて疲労から診察後に外食したりして出費嵩むから………
8日
9:00
昨夜22時〜絶飲食
お腹すいた
「今回は残念でしたが…」とのことで処置のため部屋(個室)に通され、処置待ち
処置後2時間はここで安静に、と言われて空腹だし退屈だし軽く絶望
終わったら何食べようかなーだけを考えて過ごす
10:00
点滴の際my血管がどんどこ逃げたようで2回無駄な針を刺されました…手首に近いほど痛い。ちぃおぼえた。
その後処置室へ
10:25
処置室へ
寒い。
処置どうこうより「全身麻酔で意識が戻らなかったら嫌だなあ怖いなあ」ばかり考えてた
10:40
処置開始
全身麻酔入ってカウント始まって「10」数えて「ええぇまだ寝落ちないよー術中声だけ聞こえてるとか嫌だよ寝たいよー」って思ってたら「11」の後は
「終わりましたよー(あと何か労いの言葉)」
知らぬ間に数十分過ぎてた
運ばれてるんだろうなー
「捕まっててくださいね」
ベッドに移動したんだろうなー
などはわかったけれどもまったく目が開かず(怠くて?)
薬を嗅がされて…みたいなドラマやアニメよくあるけどあれは卑怯だな体に力が入らないというか入れる気力が起きない頭がぐらぐらしてないけどする感じがあって下手に動きたくない何も出来ないというのは強く覚えてる
気付いたら個室ベッドの上だった
血が出てるのか痛みがあるのかよくわからない状態(頭が全然働かない)
そしてまた眠る
11:15
初めて目を開けながら喋れたのがこの時
「今何時ですか」「えっと、11時15分ですねー」
たぶん血圧測ったり「気分はどうですか」訊かれたりこの後のことを軽く説明されてその後また寝てた
たぶん麻酔で寝てる間口開いてたんだと思う。唇乾いて喉が渇いてたんだけど今何かしら飲んだら吐くな…と思ったしだる眠いので伝えられず
とにかくいろんな夢を見てた
12:47
起きる
13時過ぎ
しかし怠くて上体を起こしていられず、起き上がって一口食べては横になる、を繰り返し1時間くらいかけて食べるフルーツうまー
痛み止めと抗生剤(5日分)を処方され、飲む
食後診察
お腹すいた
こちらで用意するものは診断書(保険会社の所定用紙)くらいらしい。書類が届いてからまた病院か…
帰宅後の様子
1日寝転がってた(フライングボディアタックかまして来る1歳児が居るので油断出来ない)
でもずっと座ってるのしんどい。食後即寝
翌日
再診
出血量も多くないし、とシャワーと軽い家事(近所への買い物)の許可が下りる
貧血とかではないんだよな〜何だろう、動悸、息切れ。恐ろしく疲れやすい。帰宅後はグロッキー
翌々日
寝て過ごす
昼食を作れるくらいには回復した気になってたらその後寝込む
翌々々日
あれー身体かるーーい!と思って朝から家事をバタバタこなしていたら夕方から安定のポンコツ
しかし幼子2人居るので、セーブしつつも最低限は動けるのがわかって良かった
しかししばらく性欲を発散してないムラムラが溜まってきており陰核だけいじってみた。絶頂を迎えると子宮が痛むので性交は当分お預けだな…
ALSに罹患すると、徐々に筋力が落ちていって、そのうち口とか舌とかのどの筋力とか、呼吸するための筋力も落ちてくる。口からものを食べられなくなったら胃ろうを作ってそこから流動食を注入する、呼吸の筋力がなくなったら呼吸器つけるとかいうオプションがある。呼吸器つけるときには、口から声門を通して管を入れると痛いから鎮痛とか鎮静必要になるんで、ALSみたいに長引く場合には気管切開してそこから入れる。
胃ろう造設とか気管切開するタイミングでは本人、家族とよく話しあって意思確認した上でやるのが基本。(でも古い先生はGoの方針で説明しちゃって、家族とか本人もそういうもんなのかと思い込んじゃって、ちゃんとした同意ができてないまま進んじゃうこともある。)一回胃ろうや気管切開すると、途中で栄養や人工呼吸器を止めることは難しい。同意を得て外しても訴えられたりする。人工呼吸器をつける段階になると、自然に亡くなることはかなり難しくなる。よくも悪くも長い間生きることができる。
ALSを専門でみている医者たちは、胃ろうを作ったり、気管切開するのは本人にとって必ずしも幸せではないとよく知っている。かなり人を選ぶ。気管切開ライフを比較的エンジョイできるのは、デジタルデバイスへの適応力が高く、エネルギッシュなひと。船後議員とか、宇宙兄弟に出てくる天文学者の人とかにはいいと思う。患者さんでも眼球運動とか微細な手の動きを活用して、Youtubeみたり、長い文章打ったりする人はいる。逆に、普通のお年寄りがALSになった場合はそんなことはまず無理。人工呼吸器につながれた場合、医療者の問いにまたばきとか表情でYes/Noで答えることになる。理論的には文字盤使って話すこともできないでもないけど、一文字伝えるのに数分かかったり、その一文字ですらうまく伝われなかったりして、自由な会話はほぼ無理。だいたい伝える内容は、体の向き変えてとか、どこが痛いとか、痰を吸ってとか、眠れないとか、基本的な身体的不快感の話。それ以上のことは無理。
ALSでは筋力低下の割に意識がはっきりしているから苦痛も多いのか、ナースコールが頻回になる人が多い。数分から10分に一回とか。自力では寝返りすらできないし、ほかの患者さんとおしゃべりすることもできないし、身体的にも精神的にも辛くて寂しいんだとおもう。
自分としては、この状態になったら生きるのはかなり辛いのではないかと思う。まずは生死を選ばせる前に生きるのが苦痛である状態をどうにかしろというのは正論だけど、デジタルデバイスを使いこなすのが難しいタイプの人でも楽に自由な意思が伝達できるタイプの器具は、いまのところない。ALSで生きたい人で、生きることを楽しむ人の生きる権利を支えたいと思うけれど、延命をしない権利を邪魔するのも避けたい。
胃ろうとか呼吸器つけますかという話し合いのときは、年をとった患者さんの場合、患者さん本人は自然に死を迎えたいけど、家族が生きててほしいというパターンが割とある。逆はまずみない。話しあいを重ねるうちに、家族が患者の意思を尊重するという方向になったりする。
高齢者がALSになって延命をせず亡くなることは、それほど不幸な話ではないと思う。人間何かの形で、いつかは亡くなる。延命をしないALSの終末期は、ほかの病気と比べても身体的な苦痛は少ない。高齢者のALSは知識がないと単なる衰弱・痩せと区別が難しいから、診断されないまま亡くなっていることも多いだと思う。それはそれで悪い人生の終わり方ではないと思う。
一度呼吸器をつけない方向で合意した人が、体調を崩してほかの病院に入院したときに、呼吸器がつけられていてあれっとなることもある。呼吸器をつける方向で再合意したんだということで。患者さんをみていて辛い感じになったりする。もうそうなると、患者さん自分の延命についてどう感じているのかはわからないけれど。医療者側から生き続けることについてどう思うかなんて、そんな問いはできない。死にたいと言われても、訴訟のリスクを冒して呼吸器をとめることなんてできない。
人工呼吸器は「お試し」でできないのが辛い。
睡眠時無呼吸症候群のひともよくやる、マスクをつけるタイプの呼吸器は「お試し」でやる人結構いる。うまく適応できなくてやめる人も多い。その場合は自然に呼吸できなくなるのが命の終わりとなる。
ひさしぶりにネットに長文を書いてみた。とりあえずはこのあたりで。
イオンの経営する病院で生まれ、⇒イオンモールに総合クリニックを開設~「ドクターランド船橋」
イオンの経営する保育園に預けられ、⇒イオンのゆめみらい保育園
イオンの経営する広告代理店の紹介で、⇒イオンマーケティング(株)
イオンの経営する会社で働き、⇒イオンエンターテイメント(株)
イオンの経営する結婚紹介所で出会い、⇒ツヴァイ (今はイオングループを離脱)
イオンの経営する病院で子供を産み、⇒イオンモールに総合クリニックを開設~「ドクターランド船橋」
イオンの経営する保育園に子を預け、⇒イオンのゆめみらい保育園
武蔵野美術大学が8月24日から対面授業を再開したそうですね。
私は視覚伝達デザイン学科の様子を断片的に耳にしただけですが、普段はこんな時期にやらないオリエンテーションをわざわざ実施したそうですね。マスクの着用やアルコールでの手指消毒は呼び掛けたそうですが、検温はしてないでしょうね。オリエンでは学生を一箇所に集めて、先生方で一本のマイクを使いまわして、「マスクを外したらこんな顔でーす」とか、やってみせたそうですね。
一応12号館地下展示室で実施して、学生たちに距離をとらせたり気を遣う先生もいらっしゃったようですが、学生が密集しても誰も何も言わなかったそうですね。学生たちは黙っていたのでしょうけど。
学科ごとの実習科目は対面で、教養科目は全部オンライン授業だそうですね。そういう方針だとすれば、大学という環境だからこそ発生する複雑な導線や関係者の多様さは従来ほどではなく、感染症に対する危険度は下がっているのかもしれません。
そこまでして行われるキャンパスライフが本当に通学に値するのか、当然お考えになったのでしょうね。
実物が目の前にあるとやっぱり違いますよね。実際に人と会うのと、オンラインでやりとりするのは違いますよね。小学校も中学校も高校も会社も始まってるのに大学だけ始まらなくて、行ってもいないのに高い学費もぜんぜん減らなくて、不安で寂しくて苦しかったんですよね。パソコンも無理して買って、よくわからないツールを1人で習得していくのはすごく心細いですよね。学生が来ないからってお金がいらなくなるわけじゃないのに、学費を返せと言われて困りますよね。毎月100時間残業してしまって、残業をやめろと言われても教授からも非常勤講師からも教務課からも学生からも次々に連絡が来てやることは山積みですよね。お気持ちは察するに余りあります。
大学側はゴールデンウィークも丸ごと潰して対策の検討、学生への連絡、オンラインツールのレクチャー、おすすめのパソコン調査をして、さらに普段の業務もこなしていたと聞きました。おすすめのMacbook情報をまとめている間に新しいMacbookが出てしまいましたね。後期の対面授業開始に向けても、助教の方が酷暑のなか朝から晩まで設備を確認して、手洗い洗剤をせっせと取り付けたそうですが、それらの設備代は助教が立て替えて、教務課は立て替え横領がないか厳しく審査して経理に回しているのでしょうね。
本題ではありませんが、手弁当や長時間労働、徹夜や泊まり込みを美談にして低賃金や無償で卒業生を働かせ、ムサビはムサビ教育の価値を自ら貶めているように見えます。教授のセクハラも野放しですよね。武蔵野美術大学の卒業生であることを恥ずかしく思う時があります。
症状がある学生は助教に連絡するように伝えているそうですが、無症状だけど濃厚接触者と判断されて大学に行けなくなる学生が出た場合、その人は対面で行われている実習科目を受ける機会を得られるのでしょうか。
学生や教職員のご家族に感染して、その方々の生活に不都合が生じたり、後遺症が残ったり、最悪の事態に陥ってしまったとしたらどのように対応するのでしょうか。
ご高齢の先生方もいらっしゃいますが、実際に感染したら重症化リスクが高いことをご自身で認識されているのでしょうか。
非常勤の先生方もほとんどが対面授業のために出勤されるそうですね。武蔵野美術大学鷹の台キャンパスに出勤されて、その後別の学校で教鞭を取られる先生もいらっしゃるのではないでしょうか。対面授業とオンラインのそれはかなり異質で、それぞれに対応するとなるとかなりのご負担ではないかと思います。ムサビは他学のためにオンライン授業を行う先生の場所は提供してくれるのでしょうか。
そんなこと当然お考えになって、慎重に検討されて、それでも対面授業を実施するという判断をなさったのですね。
交友会のメールも読んでいます。書かれていた「学びを止めない」というスローガンも記憶しております。ほんの小額ですが、支援金もお送りしました。支援が必要な学生の手に少しでも早く渡ることを願っております。
思うのは、半沢直樹みたいな陰謀うごめく権力の世界って実際には世の中にはほぼなくて、なんとなく声のでかい人の発言や、雰囲気や成り行きで最悪なことになっていくんだなということです。教育って本当に大切ですよね。
タイトル通り。
元々祖父宅で飼ってる猫が保護猫だったこと、ペットショップでの生体販売に抵抗があったこと、生体の額も高いことがあって保護猫を引き取ろうと考えていた。
コロナ禍のため保護猫探しはネットで行ったが条件が想像以上で結局挫折した。その吐き出し。
主に断られた理由は下記の通り。
①猫のお留守番時間が長い(1日7.5時間勤務で通勤や残業を考慮すると平均留守番時間は10時間)
③独身(今後のライフイベントで猫が買えなくなる可能性がある)
④転勤がある
⑤部屋が狭い(1K11畳)
⑥多頭飼い不可だと猫の社会性が育たない(住居の規定で1頭まで、また多頭飼いはもう少し収入を増やしてから行いたい。)
まあ、ここまでであれば多少納得もするのだが、私がクリアしたその他の条件としては下記のようなものがあった。
⑨未就学児がいる場合不可
⑩60代以上不可
ここで気づいてしまったのだが、ここまでの条件を揃えると下記のようになる。
「未就学児のいない50代までの夫婦で、夫婦どちらかの家の滞在時間が長く、転勤の可能性もなく収入も安定してること」
今時のダブルインカムが当たり前の日本でそんな家庭はごく一部だと思うし(これから在宅勤務が増えるかもしれないが)この条件は元から譲渡する気がないのではないかとすら思ってしまった。
もちろんもっと条件の緩いところもあったが、途中から独身は…転勤の可能性は…と断られることもあった。
しかも場合によっては結婚の予定や銀行の残高、勤務先名を聞かれることもあった。
また、猫のためには仕方ないと思うが猫の譲渡の際は性別未定のスタッフが家を訪れるとのことだった。正直女性の一人暮らしでそれは怖い。
結果として、私には合わないシステムだと思ったのでブリーダーさんから譲渡してもらうこととした。
ブリーダーさんにも上記の理由で断られたらどうしようや、上記の理由がある自分は猫を飼うのにも向かないのではと不安になったが、ブリーダーさんは親身に相談に乗ってくれて今度猫に会いに行くことになった。
言い方は悪いが、医療費等のみだけで譲ってもらえる保護猫と、20万程度で譲ってもらうブリーダーさんの猫では虐待されるリスクの高さが違うことは分かるので、保護猫を守るためのシステムとして理解はした。
しかし今回の件で保護猫を飼わない人間には自分のような人もいるんだなと理解した。
【以下追加】
いただいたコメで地域や団体によっても条件が大きく異なることが分かったので、参考までに私の状況を書いときます。
1匹で留守番の時間が長いこと、本来の親離れ時期を考慮し、生後4ヶ月以降、できたら1歳くらいの猫を探していました。
あと私の好みでできたら真っ黒か真っ白な猫。
・野良猫→実家、新居共にほぼ見かけない、見かけてもすぐに逃げてしまう
・動物病院→実家の犬がお世話になっている病院はいなかったらしい
・保健所→私の住んでる地域は保護猫0で代わりに保護団体のリンクが複数貼ってあったので、公共のHPに記載のある団体なら安心かと考え、その中の団体を2つ利用して複数の猫について問い合わせ。結果は書いた通り。
コメから得られた反省点は下記の通り。今後、また保護猫を迎えようとする時は参考にします。
・他の地域の保健所、地域のHP以外の保護団体、猫の里親HPに掲載されている保健所収納猫についても調べるべきだった。
友だちなんて、本当に一人もいない。
前期はずっとオンライン。
高校の友だちの中には、zoomを使って授業をしてるところもあるみたいだが、わたしの大学は一方的に動画を聞いて終わるだけ。最初の頃は、意気込んで聞いていたが、最近はそれも苦痛になってきた。ただ60分以上の動画をひたすら見るだけ。
授業で分からないところがあっても、先生にすぐに確認することができなければ、友だちと相談することもできない。
授業をしてる人の顔がわからない状態で授業を聴いている状況が、もうわけわからない。
どの先生も、家で授業を受けているんだから課題を出しても大丈夫でしょ、と思っているのか、科目ごとにある課題がえげつない。普通の大学生活を送ったことがないから、普通の課題の量を知らないが、
もし、今の課題の量のまま、毎日登校して授業受けて、サークルして、バイトして帰宅…をやっていたら、確実に終わらないだろう。
それでも、課題をこなさなきゃ単位をもらえない。他に頼る術もないからやるしかない。
そして、理系科目はだんだんとオンライン(動画)でやるのは無理があるのではないかと思い始めた。
本来、グループディスカッションでやる授業も、一方的に動画を見て終わり。実験も、実験をしてる動画を見て終わり。これになんの意味があるの?
去年の秋、冬。
この大学の授業のココがいいんだよな、このカリキュラムが楽しみだな。
なのに今。
送ってみたかったキャンパスライフ、受けてみたかった授業や実験、参加してみたかったサークル、通ってみたかった大学…
それがぜーーーんぶなくなって、
ただのパソコンの画面越しになって、
なんだか大学に裏切られた気分になった。
もちろん、大学が何かをしたわけじゃない。
悪いのはコロナだ。だけど、
私には、高校生の妹と小学生の弟がいる。二人ともコロナ前と同じように登校し始めていた。
最近二人は口をそろえて、「お姉ちゃんはいいよな。毎日家にいられて。」と言う。
それでも。
好きで家にいるわけじゃない。
わたしは、毎日学校に行って直接授業を受けて、友だちと会って笑って話して…そんなあんたらが羨ましいよ。
…これがないものねだりってやつか。
わたしのターンになると母は、
「まだ一回も大学に行ってないのよ。あんなにバカ高い学費を払っているのに…。一度も行ってないのはなんだかね。おまけに、もうそろそろ後期の学費の請求が来るのよ。」
母と歩いていた時、バッタリと近所に住む叔母と会った。その時も母は、
「まだ一度も大学に行ってないのよね。バカ高い学費払ってるのに…。」
友人の母と会った時も、
「施設費くらい割り引いてくれるとかないのかしらね…。バカ高い学費払ってるのに一度も行ってないんだから。」
どれだけ学費が高いかも知っているし、奨学金も利用しているし、何より、学費を払ってくれているのは仕事をしてくれている父と母だ。だから学費がどれだけ家計の負担になっているかも知っている。「バカ高い学費を払っているのに一度も行っていない」というのは事実だ。
でも、
必ず、
それをいう時に、
母は、わたしの方をチラリと見ながら言う。
わたしが一体何をしたっていうの?
学費を払ってくれているのはお母さんたちだが、わたしは別に一回も行かなくなるようなことはしていない。
なのになんで毎回、そんなふうにわたしを見ながら言うの?
一度も登校してないくせに、高すぎる学費を払わなきゃいけない、それに納得できない気持ちはわかる。
それが学費を払ってくれている側なら尚更だ。
でも、
わたしは何もしていない。
でも、
お母さんがそう言うたび、
わたしは肩身の狭い思いというか、
なにもしてないのに。
なにかしたいのに。
即答で行きたいと答える。
でも、
と言われたら渋ってしまう。
大学が始まることで、
コロナが増えてしまうのではないかという心配があるのは分かっているし、
今までの小、中、高とは違い、
大学は様々なところから本当にたくさんの人が集まる特殊なところだ。
だから、
この状況でどうして旅行OKなのかいくら考えてもわからないことなのだが。
ただ、こんな中でも不幸中の幸いだったこともある。
わたしの周りには、とりあえず何かあったら助けを求められる家族がいて、バイトのおかげでどうにかわたしの経済は停滞していない。
しかし、上京してきた人や、一人暮らしを始めた人ならどうだろうか。
同い年なら確実に、オンライン授業を受けて、
だから、
大学に登校させてほしい、とかそうじゃなくて、
とにかく、
わたしは、この状況をどうにかして欲しい。
鬱になっている人もいる、というニュースを見たが決してそれは他人事ではないと思う。
この生活は想像以上に辛い。何のために受験を乗り越えたのか…。そりゃ希望も失うわ。やる気なくすわ。だって先が見えないんだもん、全く。
一周回ってもう開き直った。
大学がオンラインで授業を展開する気なら、こっちだってとことん家授業を満喫してやる!!!
寝起きのまんま、パジャマのまま授業を聞いてやる!
(カメラを使わない授業のため)
アイスを食べながら授業を聞いてやる!
夜中に課題提出してやる!!
サーバーダウンしたらその日は授業聞くのやめてやる!(結局週末に授業が溜まることになる)
夜中まで夜更かししてやる!!
自己紹介がしっかりあるまで、教授の名前を覚えることをやめてやる!!!
来年の新入生と一緒に、オリエンテーションやガイダンス受けてやる!!
これくらいの受け身でいかないと、動画を見てる最中に無になってしまい、気がついたら動画が終わってる、ということがあった。
正直、いつまでこれが続くか不安だ。資格を取るための大学なので、こんな動画で学びが身についているのだろうか、とか、自分一人だけだから学びが広げられないんじゃないかとか。
まあ、もう考えても仕方ないことをこの5ヶ月で知った。
そんなこんなで、わたしが入学してから5ヶ月目が来ようとしている。
一度も大学に足を踏み入れたことがない大学一年生がどう思っているのかを書いてみた。
登校してる人もいるかもだし、全く違う考えの人もいるかも知れない。なので、あくまでこれはわたしの思い。
高校3年生のときに字書きを始め、早6年。ちゃんねる系や18禁エロ小説も書きながら、細々と二次創作を続けてきました。
そんな中で感じた、支部で小説を投稿する際の自己評価の基準とか、閲覧数を上げるために気をつけていることを字書き初心者向けに書いていこうと思います。
自分の小説の客観的評価としては、最大ブクマ数は♡2500くらい、平均ブクマ数は♡100〜300をうろうろしている程度の字書きなので、ご参考までに。
支部にはブクマ機能がついていて、他の人の作品もブクマ数を確認することができます。タグで「1000users」的なのもあるから、検索しやすい。だいたいの人は検索ジャンル+100usersとかで徘徊してるんじゃないでしょうか。
なので自然と、自己評価もブクマ数になります。自分の性癖のために書いているとはいえ、レスポンスがあるからこそモチベーションはあがるので。
ところが、ジャンルやCPによって大手/マイナーよりけりなので、自分としては同じクオリティを保っているのに、読み手の母数が少ないためにブクマ数が伸び悩むこともある。
そこで個人的に作品のクオリティを評価するのに使っているのが、ブクマ数/閲覧数の比です。これがなかなか使える。言ってみれば、「そのジャンル/CPを好む人の中で何割くらいの人に刺さったか」が分かる指標なのです!!!
自分の作品で言うと、閲覧数10に対してブクマ数1くらいが平均的で、良く書けたなと思う作品はもっと割合が良くなります。逆に、とてもブクマ数をもらえた作品でも、対閲覧数的にはあまり良くなかったりする(エロとか)。
これはブクマの絶対的な数に比べて、自分の小説の質の評価に使えるので、例えブクマ数が少なくとも、閲覧数に対して多ければ質の高い特定の人たちの性癖に刺さりまくった作品が書けたということになるのでモチベーションがめちゃくちゃ上がります。
あとは感想。コメントひとつあるとブクマ数100レベルの嬉しさがある。スタンプ一個でも、「最高ですた…!」一言でも、100人の人のいいねに相当するので……みんな感想送ろうな。
あと、自分は「名前+#支部」でエゴサするタイプなので、Twitterで「よかった… URL://〜」みたいなツイート見ると1000人分のいいねに相当する悦びを感じます。自分も神作品見つけたら積極的に呟こうと思いました……
ブクマ数は貴方の小説のクオリティだけじゃなくて、読み手の数とか時間帯とかにも左右されるから他の基準も持とうねって話でした。
それはそうと、たくさんの人に自分の作品を読んでほしい!評価されたい!あると思います。では、閲覧数の高い作品(=人の目に触れやすい作品)とは何なのか。
結論から述べるとエロメインの小説は閲覧数が高いです。夢のない話でごめん。それは、カプ推しの人だけじゃなくてジャンル推しの人とかキャラ推しの人も検索するから。
とか、
とか、それで引っかかるし皆エロは見たいので()閲覧数があがる。ついでに性癖タグとか付いてるともっとあがる。
「腐向け ♡喘ぎ」
とかで検索する人がいる。
前に「エロは情景描写と台詞と心情がバランス良く書けるので練習に良い」みたいなツイートを見かけたけどホントその通りだと思う。
(高校生以下、未成年は書いても読んでもダメだよ!!!!!!!)
ちなみに私もありえん勢いでめちゃくちゃブクマ数ついた作品は大手CPのエロでした。「快楽堕ち」タグついた瞬間に爆上がりしました。
ちなみにエロ以外で書きやすいかつ読み手が多いジャンルで言うと、ちゃんねる系だと思います。
2chは廃れたのに未だにちゃんねる系作品は新たに生まれ続けているからすごい。
ちなみにちゃんねるジェネレーター(http://salthome.php.xdomain.jp/chtool_v2.1.php)を使うとコテハンとか番号を振ってくれるのでとても楽です。
もう一つ、エロでもちゃんねるでもなく、閲覧数を上げる工夫があるなら、タイトルです。
おしゃれな単語とか、外語使うとか、素敵なタイトル付けたい気持ちもあるけど、内容が分かりやすいタイトルのほうが読まれる可能性があがります。
ラノベやなろう系から続くテクニックなので今更なのかもしれないですが……
あとは、
「〇〇が記憶喪失になる話」
よりは、
「ものわすれが多い〇〇くん」
携帯で空いてる時間にちまちま書いていくのに使えるアプリとしては、
Evernote (https://evernote.com/intl/jp)
Nola (https://nola-novel.com)
idraft (https://dictionary.goo.ne.jp/info/app/)
あたりがオススメです。
Evernoteはオンラインに自動保存されるので、PCからもリアルタイムで編集できるのが便利。あとフォルダ分けとかも細かくできる。アプリだと、書いている途中に上にスクロールされちゃったりバグりやすいのが難点。
Nolaは小説ツールでプロットとか設定も細かくメモれるので、長編書くときにおすすめです。これもPCとデータ共有できるから両方で編集できて便利。
アプリ開くと、執筆画面までに何回かタップしないといけないのと、自動保存機能がないので、そこが改善されたら完璧かなぁ。フォルダ分けとか章分けできるのも良い。
idraftは最近のお気に入りで、言い換え機能と校正機能がついてます。アプリとしてのバグも少ないし、フォントやUIも見やすいし、文字数が自動で左下に表示されるので、パッと書きたい時にホント便利です。
あとはおまけで縦式(https://apps.apple.com/jp/app/%E7%B8%A6%E5%BC%8F-%E7%B8%A6%E6%9B%B8%E3%81%8D%E5%85%A5%E5%8A%9B/id1415281201)も。
縦書きで原稿用紙に書くみたいに書けます。pdf出力してくれるので、オフ本発行やネップリにも使える。
あんま面白いこと締めで書けないけど、参考になったら嬉しいです。
ちなみに私が初めて書いた小説は、推しのティンコが呪いで無くなるという全年齢作品でした。
良い字書きライフを!
主人公が医者。医療ドラマ見れる人ならきっと粗は気にならない。自分も気にしてない。
これはちょっと変わってて、転生を2回している。いつものテンプレワガママ令嬢処刑→現代で医者としての経験を積む→もう一度ファンタジー世界でやり直し。
ただの逆行じゃないし何でもう一度?って理由は109話まで読んだけど説明はない。
絵、上手いんだけど男キャラがいまいち描き分けられておらず、これ誰だっけ?兄?前世の親友のほう?とごちゃごちゃになる。
見所は前世の医学知識を使って大門未知子ばりに活躍するところかな、彼女はヒロイン気質もちゃんとあるので守られるシーンも結構ある。
広告の絵が上手くなかったのと韓国ドラマの気配を感じたので長らく手を付けてなかった作品。思ったより日本のドラマでもありそうな感じだったし、絵も汚くない。15話まで読んだ感じ家系図でゴチャゴチャしてないし、登場人物数もシンプル。黒髪のときの主人公が結構可愛い。
しかし主人公より主人公の友達の恋愛のほうが気になる。あっちはなんだかんだすぐにくっつきそうな気もするものの……
これは最近で一番の当たり!かっっっわいい主人公とそのライバルキャラ!美麗としか言えない絵で、「捨てられた〜」でも思ったけどこれを漫画として保って描くの大変そうだ……
タイプの違う金髪美少女たち、花が咲くような笑顔と吐かれる毒、偶に見せられる悪い顔。
悪女とタイトルについたもの、結局悪女じゃないのかよ!となりがちだけどこれは期待できそう。
どんどん悪どいバトルを見せてほしい。
これも相当当たりだなと思う。
まず、いきなりBLが始まる。主人公がしっかり男女恋愛するもので敵がBLなのは初めて見たな……実は知らないだけで結構あるもの?
とはいえこの作品のお気に入りポイントはそこではなく、登場人物の顔がなんだか……モブい。モブキャラもメインキャラになれそうなほど差を感じない。美麗系じゃないこの絵がとにかくいい。
念の為言うと着飾っているのはわかるし主人公のドレスもきちんと描かれているので手抜きではない。まつ毛や瞳の描き込みがない絵なのでモブいのだと思う。
そして、それがいい。ハッピーシュガーライフのモブが好きな人はきっと同じように良さを感じてくれるはず……!
両親が駅弁フェアで買ってきたやつしか食ったことない。あれはいわば死んだ駅弁・養殖の駅弁で、天然の駅弁・活きた駅弁は車内でしか食えないと俺は思う。調べてみるとわりと駅弁趣味の人なんかもいるみたいで、旅行をしては駅弁を食べ比べてブログに綴るその姿はかなり眩しい。
いつか食いたい。できたら新幹線とかで食いたい。
かつては時々見かけてたけど最近は全然見ないな…と思ってたけど、実はかつてより全然見てないんじゃないか?俺が飛行船を見たと思ってるのはニセ記憶なんじゃないか?という疑惑がある。それほどまでに朧なのが飛行船というもの。「飛行船 (都市名)」なんかで検索をかけても2008年の記事とかしか出てこないあたり、いまの日本で飛行船に乗るのはかなり難しいっぽい。
なんとなく豪華客船並みの広さを持つ船内で優雅に過ごせるイメージを持ってたんだけど調べてみると客室はショボい飛行機程度の広さしかないみたいで、なんというか夢破れた気分。でも憧れは憧れだし、機会があったら乗りたい。
SF映画に出てくるようなゴリゴリのホログラムデバイスを使いたい!「物理画面使いは老害」みたいな世の中にいつかならないかなあ。
羊肉、カレーとかでしか食ったことなくて味が全然わからない。いっぺんガッツリ食ってみたくて、となるとこれもまた味がわからないジンギスカンと組み合わせてエニグマチックな食体験に臨みたい。
ジンギスカンに関しては謎を残しておきたくてあえてあまり調べないようにしてるところがある。中央が出っ張った謎の鍋を使う焼き肉のようなものらしいが、はたして…
一回も受けたことない。姿勢悪いし、絶対すげえ効果があるというか、効果はなくても劇的な体験になるだろうと思う。
そのうちそのうちと思ってるうちにコロナで行きにくくなってしまった、というのは大体の憧れに共通するな。涙、涙、涙!
「自転車で海まで行った」という思い出が欲しい。
あまり雪の降らない地域で生まれ育ったので雪をみるとテンションが上がる。雪だるまくらいは作ったことがあるけど、かまくらを作るには至らなかった。
かまくらの中で何か(みかんなど)食べたい。せっかく作ったんだしと思ってできるだけ長居するけどやがて寒くなって家の中に逃げ帰り、こたつに潜り込んだときの安心感!同時に感じる一抹の罪悪感と未練!そういう体験がしたい。
皿に並んだフグ刺しを箸でガッと4〜5枚とか取って食うやつ絶対やりたい。
弦楽器はギターしか触ったことなくて、バイオリンとかの弓つきのやつに憧れる。たぶん才能ないからロクな音は出ないしすぐ飽きるんだけど、それはそれとして一音でいいから出してみたい。
絶対行けるんだけどなんかめんどくさくて行かないままになっている。3時間とか取って入りたい。そして1時間半くらいでグロッキーになって知ってる曲を入れるだけ入れて伴奏だけ聞いたりするんだろうな。それでもいい!
イイって言うしいっぺんくらい試してみたい。幻覚が見えるって感じでもないのか?これまで明確な幻覚とか幻聴を感じたことがないので、もし感じられるんならわりとライフチェンジングなんじゃないかと思う。感じられんくても良い。
ときどき酒を飲んだ時も思うんだけど、化学物質で思考パターンが変わるのって人間の儚さのようなものを感じられてメチャいいよね。脳!脳か〜!脳だよなあ〜(最悪の酔い方)
考えてみると俺はふつうの水の浮力しか知らないわけで、もうちょい強いのを試してみたいという気持ちがかなりある。
怪我をした状態で入ると染みるから気をつけて!なんて注意があるのがまた渋い。
Twitterなんかで知り合った、というかフォローしあった人と現実で会うの一回くらいはやってみたい。でも会いたくなさもかなり強く、難しいところ。一方的に見たりできねえかな。
同じ解釈を持ったフォロワーたちや、神絵師の人たちをフォローして、とても楽しくやっていた。
私は絵を描いたり、文章を描いたりしていた。それをTwitterに上げて、感想をもらって、少ないフォロワーながらも推しの話で盛り上がっていた。
ある日、通知欄を見たら新しいフォロワーが増えていた。その人は推しの名前を捩った名(以下Dとする)だった。とりあえずフォロバした。
Dはpixivに上げていた漫画に反応してくれて、感想ももらった。それは私の描いた漫画に感想を書き込む形式のものだった。
1ページ、一コマ毎に、ここがいい、このセリフがいいなどとびっしり書かれていた。
正直、少し違和感を覚えた。
感想は嬉しい。何物にも変えがたい。が、自分の描いたものに描き込まれるのは初めてだった。その時はこういう感想の送り方もあるんだなと思った。私はそんなに若くはないし、これが今の若者のやり方なのだとも思った。
だが、感じた事を記しておこうと思う。
Dは、絵を描いていた。上手い。
基本的に私は誰よりも何もかも下手くそだと思いながら生きているので大抵の人は私より上手い。
Dは次第に誰かにマウントを取るような姿勢になっていくように感じていた。それが初め誰に向かってか分からなかったが、私がやってきた事に対してマウントを取るような、そんなニュアンスの事を呟いていた。
例えるなら、私が「今日この料理を作った」と言えば、その人は「昔○○っていう料理(私が作ったものより難しいもの)を作った事がある」など。
本当に、ただそれだけのツイートなのかもしれない。しかし似たような事が何度も続けば私だって気付いてくる。以降、Dのツイートがどうにも引っかかってしまうようになった。
そして、別の日、あるアニメにハマった私はそのツイートをした。
元々相互だった同じジャンル、同じ推しの神絵師(以下Aさんとする)もそのアニメにハマっていて、私のツイに反応をくれて話が盛り上がった所、別の神絵師(以下Bさんとする)の方にフォローされた。その人もまた、同じアニメにハマっていたからだ。
Bさんも私と推しは違えど同じジャンルにいて、私の描いた絵に感想をくれたりRTもしてくれていた。さすが神絵師BさんのRTである。こんな私の絵もたくさんの人に見てもらえた。嬉しかった。
Bさんを通じて、私の絵が好きだというフォロワーも少し増えた。推しは違うが、みんな日常のツイにもいいねをくれたり、コメントをくれたりして楽しく過ごしていた。
そしてある日、何をどうしてかDもそのBさんと相互になったらしい事を知った。
推しも違う、接点も無さそう、一体どうしてか分からない。ただ、Bさんは優しい。
どうもDはBさんに媚びたいらしい事も分かった。
DはAさんにも空リプを飛ばしていた。相互になったかどうかは知らないが、全く反応しないAさんの様子を見るとおそらく媚びるのはうまくいかなかったのだろう。
絵を描くDはBさんのRTでファボRTが増えたせいか、調子に乗っているように見えた。それ自体は悪いことではないが、宅コスや顔出し自撮りを上げたり、(なお鍵はかけていない)、同じ推しの神字書きCさん(私も相互である)にも媚びていた。いや、媚びているように見えた。
「小説書きたーい」などとも言っていた。だが書く様子は未だない。
そしてとうとうDの絵が、今までで最高に伸びていた。
私も同じテーマでタグをつけて軽い気持ちで絵を描いていたが、Dの絵は私より伸びていた。
彼女は「勝った」と呟いていた。
Dは何と勝負していたのだろう。
私なのか?それとも他の誰かか?それとも自分と戦っていたのか?
いずれにせよ分からないが、いい気持ちはしなかった。そしてこれ以上この人に振り回されたくないとブロックした。
しかし、私のフォロワーはDと相互の人も多く、TLで調子をこいて媚びているDの残像が出てくる。名前も出てくる。私はそれすらミュートにした。もはや名前見るだけでゲロ吐きそうである。
そうだ、あの感想だ。
あの時覚えた違和感は、ショックだったのだ。
私が描いたものの上に殴り書くようにして書かれた感想は、私の描いたものを褒めながら否定しているものだったのだ。本当はそうして嘲笑っていたのかもしれない。
初めからそういう奴だったということに気付けなかった私はなんてバカなんだろう。
色々な時間を削り、推しの事を考えながら描いた漫画。私の解釈を詰め込んだ漫画。
DはそれをD自身の気持ちや感想で塗り潰して返してきたのだ。それは違和感じゃなかった。嫌だったのだ。あの感想の送り方が。
少し感情的になってしまった。タイトルにもあるように、作者に感想を送る事が是とされる昨今だ。どこが良かったか細かく教えてくれるのはとても嬉しいし、自信にもなる。
あなたがマウントを取っているつもりはなくても、私のように思う人もいるかもしれない。
そして私は筆は折りたくはない。こんな事で折ってたまるかとも思っている。
これからDの残像ちらつくTwitterをやるべきか、一切やめるべきか。
フォロワーに「Dにこーいう事をされて悲しいから、Dをブロックして」なんて言えない。それではやる事が小学生だ。小学生でもしないだろう。私が頭のおかしいやつになってしまう。
最後にこれは、よくある「オタク女のお気持ち表明」だ。間違いなくそうだ。 彼女らがどうしてあんな事を言うのか今まで分からなかったが、ようやく分かった。
そういえばDが自発的に推しへの所謂萌え語りをしている所を見た事がないと気付いた。
フォロワー数多い神絵師や神字書きに直リプ空リプを飛ばし作品やその人達の萌え語りや解釈に同意するツイはよく見かけたが、Dの中の解釈などは一切分からなかった。時々描いていた漫画も「○○さんのツイのやつです」ばかりだった…
人がどういう解釈を持とうが構わないし、推しの事を無理矢理語れと言うわけでもないし、好きにも色々形はある。だから否定はしないし強要もしないが、自分の中の推しはこうだ、というのをちょっとでも見せてくれたのなら、ここまで苛まれる事はなかったのかもしれない。
承認欲求について考える。
誰しも認められたいという気持ちは少なからず持っているものだと思うのだが、筆者が所属する界隈ではその欲求というものが、著しく顕著に表れているように思う。
書き出すと随分と長くなってしまったので、夜の戯言だと思って聞いて欲しい。
コスプレと言っても色々とジャンルがあるが筆者は2次創作を中心に活動を行なっている。
男装、女装ともに依頼があれば撮影するが、その割合は男装4割、女装6割。
作品を知らない撮影の依頼は、事前にアニメや原作をチェックして一通り頭に入れてから撮影に臨むように心がけている。そうすることで、被写体側が要求する心理的描写の部分に耳を傾けやすくなるからだ。
専門知識もない素人ではあるがそれなりにフォロワー数もあり、充実した撮影ライフを送っていたのだが……
正直…悩んでいる。
撮った写真はツイッターやタンブラーといったSNSにあげ、近況としてアップする。
掲載する写真に添えるのは、タイトルや被写体名、カメラマン名、いればアシスタント名といったごく普通の内容。筆者以外の投稿を見ても、皆、大抵同じようなテンプレートで投稿しているようだった。
原作への熱い思いを明記している投稿を目にすることもあり、写真の出来栄えだけでなくタイトルや説明文に説得力があるとじーんと目頭が熱くなる。…歳だろうか。
コスプレ写真はツイッターに掲載されることが多いため、筆者自身もこの媒体を利用しているが…ここで厄介なのが、「タグ付け」というサービスだ。
筆者はこの「タグ付け」が気になって仕方がない。
「タグ付け」は掲載予定の写真に対し、誰が関与したかリンクを貼れる便利な機能であり、このタグが付いていると被写体や撮影者の個人ページへ移動することができるため、個人的に非常に重宝していた。
何故ならリツイートで目にした、まだ見知らぬカメラマンや、被写体、その他関与した人々に出会うことができるからだ。
裏を返せば、そのタグ付けがないとどれだけ素晴らしい写真でも、どれだけ被写体力に優れた人物であっても、どれだけ素晴らしい撮影地であってもそのアカウントにたどり着けない。(ツイッターのリプライ機能で明記している場合もあるが、ここでは省く)
そのため、筆者が写真を掲載する際は関係した人々のタグ付けや@表記を行なっており、また、怠らないように注意を払っていた。そうすることで、敬意を払っていた。
何故?
無い。
もはや…理解ができなかった。
そう気付いた瞬間から、ともに撮影に臨んだはずなのにあの瞬間はなんだったんだと、頭を弾かれたれたような気分になった。
上手く撮れた写真にカメラマンのタグ付けやクレジット表記なく写真をあげる。そこに明記されている内容は
「繋がらなくてもいいから俺の(私の)〇〇を見てください」
作品に対する思いなど感じられない。
つまるところ、自分自身の顔やウィッグ、表情、衣装……総合的に自分だけを見て欲しいのではないのか?
二次元のキャラの姿を借りた、自分の姿に陶酔しているのではないか?
そんな思いが渦巻いた。
ちなみにこの現象は被写体だけの話ではなく、カメラマンにだって当て嵌まる。
上手く撮れたといって被写体の名前もタグも明記なく、自分の腕前を振るうだけの投稿だ。
例えば、彩度高く白飛びすることなく写した水辺の写真や、銀残しといったコントラスト高めのパキッとした尖った風合い、など「俺の」「私の」主語が大きく聞こえるような投稿を目にしたことはないだろうか?
確かにそれらは上手く撮れているし撮影の技術も素晴らしい。衣装や表情、ポージングなども完璧でクオリティも高く見栄えする。
だが、それら投稿からは作品に対する思いだったり、写真に対する思いだったり、そこに参加した人々へ対する配慮など感じられなかった。
コスプレ撮影は趣味であるし、タグ付けをしないといけないと強制的に決められたわけではない。自由につけてもいいものだ。
わかっているが、理解ができない。
RTやフォロー数稼ぎで写真が使われているのか、撮った写真がその消費に利用されているのではないかと思えて仕方がない。
撮影を始めて10年あまり、筆者は純粋に撮影を楽しんでいたのだが…近頃はそう思えなくなってしまった。
この情勢の中撮影自体自粛をしてはいるが、保留となった撮影案件はまだ残っている。
誰にも話すことができないためここで吐露させて頂く。