はてなキーワード: 2次創作とは
と、身の毛がよだつぐらいコイツはペラペラな人生なんだろうなと思ってしまう。
大抵ここに入るのは、映画・小説・漫画・ゲームの名前とかなんだけど。詩とかポエムは別だ。
いや娯楽じゃん全て。そりゃ私だって大好きですよ。演劇、2次創作でも何でも。空想も大好き。それを好きな人の気持も全て痛いくらい好きなのよ。創作も大好き。何ならプロレスやスポーツとしてのエンターテイメントのその全てが好きすぎて仕方がない。そしてそれらを実現する人に最大限の尊敬の気持ちがある。
でもそれは消費の娯楽だから。あんた学んだって、それフィクションだしょ?自分の人生になんにも無いのかよ?中高生ならまだいいよ。それらが埋めてくれるよ。いつまで他人の人生トレースして、学んでんだよっていう。いい年してさ。
まだ百歩譲って作品名はまだいいよ。
漫画のセリフや行き着く所はゲームの中のセリフ。もっと酷いのになるとエロゲのセリフとか言い出すとか。
Twitterのアカウントプロフィールにゲームのセリフ書いてあると、本当に頭も体験も空っぽなだけの人生なんだろうなっていう。
昔から私は、マイナージャンルばかり好きになる。いや、マイオナとかじゃないんだ。好きになったジャンルがたまたまマイナーなだけなんだ……。
今の推しもマイナージャンル……いや、メジャーなゲームの中のマイナーなキャラクターといえばいいだろうか。
しかし、言うほどマイナーではない。ガチでマイナーなキャラクターのファンにそのキャラクターの名前を告げたらきっと鼻で笑われる程度には、公式の出番は多いし、2次創作もたくさんある。そのキャラクターのファンとして、私はまあまあ快適に過ごしている。
さて、問題はそれらたくさんの2次創作がいつ描かれたかだ。大体2〜3年前なのだ。その人のそのキャラクターをもっと見たくても、ほとんどの人がもっと(彼らにとって)魅力的なキャラクターにジャンル替えしている。
今でも私の推しを好きだと言っている人はたくさんいるけれど、私にとって一番の推しは、彼らにとっては一番ではない。
そして、こういう微妙な状況を引き起こしている原因は、公式からの供給が少ないことだ。最後のまともな(賛否両論だけど私はまともな出番とカウントしたい)出番は1年弱前にあったけど、それ以降はハブられっぱなしだ。気持ち悪いぐらい、他のキャラクターばかり話題に挙げられる。まるで、その章に私の推しの出番などなかったかのように扱われている。そんな状況に、もう疲れてしまった。今は、このジャンルから少し距離を置いている。
公式が掘り下げてくれないと、魅力は伝わらない。出番が多くて人となりがはっきりしているキャラクターになびいて当然だ。
公式の描き下ろしイラストならたくさんある。たしかに、描き下ろしイラストで推しの色々な姿を見られるのはすっごく嬉しい。
でもな、出番がないからさ、彼の人となりについて、薄っぺらい情報しか得られないんだ。おかげで、私の推しを同じく一番の推しだと言っている人の2次創作でも、解釈違いを感じてしまっている。
友人が何かに救われた話をしていたので私もざっくりまとめてみようと思う。
おそらく一番辛かったのは中学生の頃をピークに家族から虐待を受けていた時だろう。内容に関しては本題ではないので伏せさせてもらう。
当時はこの世の全てが憎く、恨みつらみを日記に書いてはどうにもならずに不眠症をこじらせるといった具合だった。
受験も放棄して必要最低限の勉強だけをした。もっと真面目にしていればと思うが、今の私があの時に戻ってもきっとできないだろう。
自分も他人も親も信じられない四面楚歌だ。悪い事をしたので自分も信じられなかった。
本は一時的に私を匿ってくれるシェルターだったが根本的な救いにはならなかった。
頭の先からつま先まで物語に浸かっている間はそこが唯一息ができる避難所だった。
そんな状態から私に最初に希望をくれたのが「ボーカロイド」だった。
暇だった私は2次創作の動画からニコニコ動画にたどり着き、合成音声と知らずボーカロイドカバー曲を巡りとあるオリジナル曲の再生ボタンを押した。
あの時の鼓膜と脳を揺さぶるような衝撃と、私にべったりと張り付いて離れなかった絶望や恨みつらみがはらはらと落ちるような感覚は一生忘れないだろう。
きっとあの瞬間に一生分救われたと思う。
その声が旋律があまりにも綺麗で、人でないからこそ受け入れられて、人の愛や恋を歌ったものではなく世界の在り方を歌ったその歌詞があまりにも浮世離れしていて、だからこそ救われたのだろう。
同じ曲を人間が歌っていたら素通りしていたのは間違いない。人ではないものに救われた。それは私の根底にずっと残っている。
救われたという感覚を言葉にしようとするとどうしてもポエムになってしまうのは許してほしい。
好きなものを語りたいがあまり登録したSNSを通じてやらかしたり主にやらかしたりしたが、目の前の世界以外に別の世界があると知ったのは大きかった。
実家は田舎だったので閉鎖空間クローズドサークルといった逃げ場のない場所だった。残念なことに頼れる親戚もいなかった。どこかに逃げ込もうにもどこにも無いのは本当に辛かった。だからSNSを通じて別の世界の話を聞けるのが救いだった。
そこで友人に出会えたのは私をすくい上げてくれる一因になった。
今も付き合いのある人達には感謝しかない。見捨てないでくれてありがとう。
現在は色々あってボカロの環境から離れていますが、そこに救いがあったのは確かなことでした。そこから始まったのだから一生忘れない。
あの年代の同世代にはありがちな話なのだろうけれど、ありがちだからといってそれが無意味なわけでは無い。私にとっては本当に大切なことでした。
そんなこんなで私を救ってくれたきっかけはボカロとSNSだったのでした。
結局は他人に叩きのめされて人間不信リターンズですが生きていくことはできるようになった。それだけで十分でしょう。
まだ生きているので。
自分が野次馬根性の暇人であるというのは理解した上で書く。文章書くのも下手なので読みづらいと思うけど吐き出しのために。
先日たまたま、とある小さな界隈で揉め事が起きているのという話を聞いた。その人もその界隈の人間ではなくツイッターのフォロワーから愚痴か何かを聞いたらしい。
内容は、その界隈のとある2名(A、B)が公式ロゴを使ったグッズを作成し、公式タグ(#ジャンル名)を使ってツイッターにグッズの写真を投稿。
その後、同じ界隈のCが「それは著作権的にいかがなものか」「公式タグを使ってそう行ったことをするのは良くないのでは」「著作権を知らないのか」と言った言葉を少々口が悪い言い方で、AとBのツイートをRTした後に批判したらしい。
個人的に、AとBの行為はグレーゾーンだが公式タグを使うというのはあまり賛成できないと思った。もし自分ならFF外なら見かけてもスルー、FF内なら作った人と距離を置くと思う。自分も同人を行なっているが、公式のロゴをそのまま作品に使ってしかもそれをインターネットにあげるのは怖い行為だと思っている。(ちなみに今回のABCはAとBが仲良し、Cはどちらとも相互ではないようだった)
その後、RTされた二人がCの発言を見たらしくAがショックを受けツイートを消す。そしてそれにBが怒り出した。というところまで人づてに聞き、Bのアカウントを見てみることにした(正真正銘の野次馬である)
BはCのいろんなツイートをRTしては批判、Cはそのジャンル内で上位ランカーだったようだが(ゲームジャンルらしい。今回初めて聞く名前だった)「以前にも似たようにRT後の苦言で界隈の空気を悪くしていた、同じ行為で今回Aを傷つけたのは許さない。」とBはCのこれまでの口の悪いツイートなどもRTして空中リプライで批判した。
怒っているわりに空中リプライで笑ってしまった。なぜリプライを送らない。
途中、Cのお仲間?らしい人も何人かRTしては煽りのようなツイート(「お仲間なら助けるべきでは?注意するべきでは?なぜしないのか」)をしていたが、お仲間認定された人達のツイート内容は「C粘着されてるの?」というものこそあれど、そのほかは関係のない普通のツイートばかりでABが行なった行為に関するツイートは一つもなかった。が、Bは「Cお仲間は集団で私達を笑っている」と怒り心頭だった。
ここまで見てきてBの行動言動があまりにもおかしかった。はっきり言って厨二病と言わざる得ないツイートが多く、それも面白くて観察していた。
そのうち、Bは質問箱を設置して意見を求めた。するとCへの苦情、Bの反撃の仕方への苦言、Bへの煽りなど様々な文が送られていた。Bはそれら一つ一つに持論で回答。その持論も個人的にはずれているように思えた。
その中に「Cと同じやり方をするのは良くない」というものもあったが「そうしないとこれが嫌な事だとCは気づかない」と回答していた。Cが界隈の空気を悪くしてる事を怒ってたのでは?同じことして界隈の空気悪くしてどうするんだろう。しかも関係ない人のどうでもいいツイートをRTするのは同じ行為なのか?そしてなぜリプライしないんだ。Bはこの行為がCへの抗議になっていると本当に思ってるのだろうか。謎ばかりだった。
Bが質問箱を使って踊っている最中、そのジャンルの公式が「公式ロゴ使って作品作って公式タグ付きでツイートしていいですよ」と発表した。びっくりした。こんな炎上とも学級会とも呼べないくらいの小さな話に公式は回答を出すのか。すごいジャンルだ。そしてその内容にもびっくりだ。許可出すのか、公式が。すごいな。
正直この手の事は問い合わせがあったら問い合わせの個人に返答、そしてジャンルによっては許可が出ない可能性も大きい。許可が出なかった場合が怖いので公式に凸などしない(今まで善意でスルーしてたものに問い合わせがあると公式はNOと言わざるをえないから)というのが自分が経験してきたジャンルだった。この狭い小さな界隈では公式とファンとの距離がとても近いんだなと感じた。
そんな公式の発表があってからBの勢いはました。Aに謝れ、Cの今までの行動は界隈にとって悪い事だったんだ、自分達は元々公式に許可を得て作成していた(これは公式発表があった後言い出した)
それらをツイートしてたが相変わらずCにリプライする様子はない。
そしてとうとうCはBをブロックしたらしい。なるほど自分の部が悪いとわかったので逃亡したのか、と思ってさらに見ていたらどうやらAには謝罪のリプライをしたようだ。その後AとCでDMで話したようで詳しくはわからないがCがまた失言でもしたのかAの固定ツイートが「謝罪いりませんは許したではありません」のような内容に変わっていた。そしてCは鍵をかけていた。
Bはその後もAに謝れやらなんやら言っていたが、途中からそれまで荒々しかった口調が突然丁寧になり「Cの行動をなぞる事でCにこの行為を嫌なものだと分からせたかった」「自分は界隈をより良くしたい。公式タグにファンアートのないジャンルは衰退する」と述べた。(個人的にはイラストや2次創作物に公式タグをつける人は苦手なのでこの感性はよくわからない)
あと「自分は対話を望んでいる。Cは一方的にブロックしないで欲しい」とも言っていたが、ではブロックされる前にリプライ送って抗議するべきでは、と思いながら見ていた。何がしたいのだろうこのBは。部外者の自分からはCと同じ界隈を荒らした人間にみえる。
Bへの質問箱には「C一派は昔から声が大きくて迷惑していた」などという内容や、Cの動向を教えるいわゆるユダなんかもいたがBは変わる事なく現在も「対話を望んでいる」「貴方の行いは良くない」と空中リプライで一人で踊っている。
と、一連の知らない界隈の学級会?をBを中心に覗いてたわけだが内容見る限りCはランカーで課金もかなりしてるようだがそれを盾に口調がきつかったり言い方がひどく、かなり危ない人物であり自分が同じジャンルでも近づきたくはないなと思ったが、Bもどう見ても危険人物だ。それなのに質問箱にはBの行動を応援する声もあってすごい界隈だなと思った。
Bは途中、「RT先でバカにするのはいじめと同じだ」と言っていたがツイッターでRTからの批判なんて良くみる光景だがこの界隈は違うのだろうか。質問箱にも「Cに指摘すると自分が標的にされそうで怖かった」なんて文章も来ていたがAに謝罪文を一方的にしろ送ったCはまだ会話ができる人間に見えた。この界隈の人達は今までCをたしなめた事があったんだろうか。RT後の批判に怯え、Cを不快に思うならなぜブロックするなりやめてと言うなりしなかったんだろう。自分と感性が違いすぎておもしろいとすら思った。
途中、読んでいてBの厨二病加減にムズムズしてしまい、C寄りな内容になったかもしれないがCもBも同じ穴のなんとやらのようだ。…今時「自分を怒らせたら怖いぞ」なんて言葉吐く人いるんだな。
この話はCの鍵垢逃亡によって終わるんだろうが、今だにBは対話しよう対話しようとTL上でCに呼びかけている。
もしかしたらこの小さなジャンルの学級会?に続きがあるのではと思ってしまう。
暇つぶしになるのでもう少し見ていようと思う。
一年前、今現在ハマっている作品のとあるキャラ(A)にどハマりした。現在の推しだ。Aは主人公の親友。
AとB(主人公)の絆の深さに悶え支部でAとB、またはAの2次創作を漁っていた時とある絵師様のログに出会った。キャラの特徴をよく掴んでいて可愛らしい絵柄と、今まで見た事なかったセンス溢れる色使い。とにかく絵が上手い、の一言に尽きた。
速攻でブクマして何度も何度も眺めた。ただtwitter IDは載せられていなかった。
そんなある日TLにその方のイラストが流れてきた。すぐにあの方の絵だと分かり、twitterで巡り会えた嬉しさと共にプロフィールに飛んだ。
その方は作品で王道とも言えるAとBのcpではなく、AとAという同一人物クロスオーバー系のcp推しの方だった。(Aはシリーズ中記憶を奪われ別人物として生かせられたり…と色々あったのでシリーズ通して見た目など色々変わっている)
その方のツイートも絵もほとんど全て見た。結論から言うと私はAAにハマった。
その方のA解釈が全てがどストライクでストレートに性癖を撃ち抜かれたような気だった。元々ハマりたての時点でAとBをブロマンスと見ていた中のAA。これだ!と頷くツイートばかりだった。ひたすらわかりみが深かったのだ。
それからは数名しか推していなさそうなイバラの道…(笑) 今までイバラの道が多かったのでそれは慣れっこだが。
支部でもtwitterでもフォローして支部に上げられていた過去ログも全部見た。私が分からないジャンル(名前だけは知っている状態)のものもあったがどれも絵が上手くて素敵だった。好きです。
私にとってその方はある意味教祖様のような、神様のような存在。だってあなたのお陰でAをもっと好きになることが出来たし推しcpにも会えたのだから。それにあながち教祖というのも間違っていない気がする。暦が浅いのでしっかり知っている訳ではないが、例の方がcp名を提唱して、イラストを上げられてから何個か絵や小説が上がったりしている。それも全部読んだ。最高でした。
フォロワーが1,000人もいる神絵師様は当然私の存在なんて認識していないし、恥ずかしいのでそれで良いと思っている。これからも応援しています。今年どこかのタイミングでイベントに出たいと言ってましたね、絶対買いに行きます。楽しみです。
例え神絵師様が別ジャンルに行ったとしても構わない。その方の絵全てが大好きで大ファンなのだ。
イベント出られた時は一言伝えたい。楽しみにしていました。あなたのお陰でAAにハマったんです。ありがとうございます。と
インターネットをやっていると、絵柄がこの上なく好みな絵描きに偶然出会うことがある。好きな絵柄の絵描きは沢山いて、リストを作ったりして日々いいねを飛ばしたりRTしたりしている。そのリストの中には画集を出すような有名な人もいれば、フォロワーのとても少ない無名な人もいる。色遣いだったり線の質感だったり、それぞれに個性がある。その中で、この絵描きはなぜこの色を選んだのかとか、画面の作り方とか、表情の描き分けとか、そういう「よさ」を探して少しでも自分のものにしようとする。そして何より、ひとの絵を見るのはとても楽しい行為だ。そんなだから、部屋の本棚は休学以降一冊も増えない専攻分野の参考書の何倍もの画集や同人誌で溢れかえっている。
今年の8月頃だろうか、数年前のアニメに突然ハマって2次創作を漁っていたら、TLにその絵描きは現れた。サッと適当に描いたような、それでいて的確な線。なんでその色を選べるのかわからない美しい色遣い。キャラの心情をうまく魅せる表情の描き方。こういう「好き」を言葉で表現するのが苦手なのだが、その絵描きに一瞬で虜にされた。早く同人誌を出してくれ、と思ったら何と来年のオンリーイベントに出るらしい。PCの前でガッツポーズをした。
その絵描き(以下Aと書く)のTwitterのフォロワー数は加速度的に増えていった。それも嬉しかった。これからもたくさんAの〇〇絵を見られるのだと確信したからだ。しかし、フォロワーが5000人を越えた頃、どうにも不穏なツイートがなされるようになった。どうやら、お題箱などでひどく叩かれているらしい。やれ「フォロワーを増やすために〇〇(ジャンル名)を描いている」とか、「〇〇描くのをやめろ」とか、そういう類のコメントが数多く届いているらしかった。
そして10月頃、Aは筆を折ってしまった。「もう〇〇は描きません。すみませんでした」と、引退を明言した。
Aは、もともと別のジャンルで細々と活動していたらしく、自分と同じ頃に〇〇にハマって活動の範囲を広げたらしかった。結構話数の多いアニメで、完走するのにも時間がかかる。Aはアニメを見進めながら絵を描いていたようだ。自分と同じ時期に同じアニメにハマる人を見ると嬉しくなるタイプの厄介なオタクなので、それもまたAという絵描きを推す理由の一つになっていた(我ながらキモい)。一方的な仲間意識だ。Aの「△△ちゃんすき……」というツイートを見て「それだ!!!!👈」とか言っていた。好きな絵描きが好きなジャンルの絵を描いてくれる、こんなに嬉しいことはない。なかったのだ。
なあ、「すみませんでした」て何やねん。なんも悪いことしてへんやん。
突然現れた推し絵描きは、その人気に嫉妬したアンチに理不尽に叩かれ、たった2ヶ月でジャンルを引退してしまった。
「新しく好きなジャンルができたから活動のメインを移した」とかならよかった。それでもジャンルを好きなままでいてくれるなら、嬉しいことだからだ。
でも、今回の場合はどうだろう。Aは「このジャンルってこんなに厳しいんですか、傍から見たら温かい人たちでいっぱいだと思ってたのに」とツイートしていた。あれだけ「好き」が伝わってくる絵だ。本当に〇〇が好きなんだ。それは見ていたらわかる。イナゴにはこんなに愛に溢れた絵は描けねえよ。
「気にしないで!などの励ましのコメントもはるかに多く頂いていて、それはとても嬉しいけれど、それでも辛いものは辛いんだ」とAは言った。その数日後に、最後の投稿があり、更新はぱたりと止んだ。
100の賞賛を受けても、1の批判で折れてしまう。そういう人も少なからずいるんだ。それなのに、嫉妬か何かわからないが、理不尽な悪口を捨て垢で投げつけて筆を折らせるような、悪意の塊のような人間がこの世界にはいるらしい。本当にクソだ。何なんだマジで。
とは言ってもここ数ヶ月は私生活が忙しかったりだとか、書こうとしても文章が思い付かなかったりだとか、そんなんであまり書けてないけれど
そもそもたくさん書くときと全く書かないときの落差が激しいタイプではあるけれども
それでも文章は、物語は、小説は好きだから読んだら書いたりするのはとても楽しい。
書かないときはもっぱら商業同人版権創作問わず色々読んで、素直に泣いたり笑ったり怒ったり緊張したり恐怖したりと楽しんでいる。
読者側の人間ではあるけれど、好きだから書いてしまう。書いてしまうから思考が作者側、というより小説を書く人間に寄ってしまうのかもしれない。
それはある有名な作品の二次創作だったけれど、とても面白かった。
原作では語られなかったし、だからこそ創造できるもしもを体現したかのような話だった。
2次創作は、割と文章力よりもストーリー、何より発想の面白さが重視されているような気がする。
日本語がちょっとおかしくっても、面白ければオッケー。擬音語だらけでも内容がわかればオッケー。
最近のネット小説やライトノベルもそんな感じだ(昔からそういうものもあったけれど)
私自身、頭を軽くして読みたい時に重宝しているからそれをどうこういうつもりはない。
綺麗な言葉だけで着飾った文章だって面白くなければキザで堅っ苦しいつまらないものだ。着飾った言葉でより話の世界に巻き込んでくるものもあるが、それは言葉の面白さがあるからだろう。
ちょっと湿っぽい感じだけれども、文章も破綻なく書かれてて、むしろ言葉がよりストーリーに引き込んでいくものだった。
評価もそれに相応しくかなり高い。
読者の私は素直に感激した。ブックマークもしたし、高評価もした。掲載されていた場所が個人サイトなら、拍手もしていただろう。
だが、それと同時に嫉妬する私もいた。
投稿作品数からみても、おそらく小説の作者はずっと文章を書いていた人間だろう。きっと、どこかで筆を置くことがあったとしても、ふらりと筆を持ってそれからまたずっと文章を書いていく人なんだろう。勝手な妄想に過ぎないけれど
私はそれが羨ましかった。羨ましかったら自分も好きなように文章を書けばいいのだけども、私にはそれが出来なかった。出来なくなっていた。
出来ないことは羨ましいのだ。だから、それが出来ていると勝手に思っている人を羨むのだろう。
というか、稚拙な文章しか書けないことを自覚しながらも、自分より評価されている人間を妬んでいるだけなのだ。
私は勇気などないから、心の中でそう思うだけでそれを相手に伝えようとか、誰かに知って欲しいとかは特にないのだけれども
それでも、面白い話を読むたびにモヤモヤとそんな感情を持つ私もいるのだ。
深夜のテンションで書き散らしたこの感情をネットの海に放り投げる。
少しでも報われたらいいなぁ……
何に、とかどう報われたいとかは特にないけれどね。
腐女子でもなく、夢女子でもなく、モブ×キャラも特に好きではない。
ただただそのキャラが好き。そのキャラの魅力的な部分(性格とか表情とか)をひたすらに描きたい。
女オタクの中でも腐女子がこんなにデカイ顔する未来が来るとは思わなかったわ。
しかもさ、タグ付けないアホのせいで単推しオタクがpixivでキャラ名-腐タグって検索しても山のようにカップリング絵が引っかかるのね。
なんかそのせいで最近はどれも見られるようになっちゃってさ。というか少し美味しくない?って感じるようになっちゃってさ。
絶対に食えないと思ってたら食品細切れにして毎日食わされてたらだんだん食べられるようになっちゃったみたいな…。
なんか薄々わかってるんだよね。
そういう食品群食べれないからって全部突っぱねてたら食うもんないんだよね、ピクシブとかでさ。
でも言っておきたいわ。
最近逆だのリバだの固定だのがお互いに配慮しろだの棲み分けしろだの言ってるけど、君らそもそもカップリングしてない人間に対して配慮したことあるんか?
私の推しキャラが違うキャラを恋愛対象として見てると思った事ないこっちからしたら何が起こってるのかわかんないからね。
夢女子は夢女子でなんかスパダリ属性みたいなのつけるしさ。モブの人はとにかくエロい事ばっかするしさ。
2次創作でそういうの無意味か?無意味なのか?未来がないのか??
私は絵描きですが、絵を見るより2次創作小説を読むのが好きです。物語がしっかりしていることが多いですし、自分とは畑が違って嫉妬とか抜きに純粋にその作品を楽しめるので。周り見てても小説好きな絵師さん多いイメージです。
私は数ヶ月前からとある人気ジャンルの人気CPにハマり、時折2次創作漫画を描いてはTwitterに投稿している。そのCPが好きで、そのCPのことを考えている時はとても幸せで、筆が追いつかないくらいいろんなネタが次々と生まれて毎日が楽しい。と少し前までは思っていた。
よくある話だが、疲れてしまったのだ。
そのジャンルにハマるまで、私は数年単位で2次創作から離れていた。その間も絵は描いていたが、内輪で見せ合う程度。それがある日友人のススメで今のジャンルに手を出し、推しCPが出来てまた2次創作をするようになった。
人気ジャンルの人気CPを描いていれば当然今までとは比べ物にならないくらいたくさんの反応をもらえる。いわゆる神絵師と呼ばれるような人や素晴らしい小説を書く文字書きさん(神絵師に当たるような呼称がわからない)の中にも、私の漫画にいいねをくれたりフォローを返してくれる人も現れるようになった。初めのうちはそれが嬉しくて仕方がなかった。初めのうちは。
最近、それがだんだんと劣等感を刺激する材料に変わってきてしまっている。相互フォロワーさんは漫画を上げれば何千といいねが来るのに、私は3桁止まり。相互フォロワーさんがマシュマロを募集すればすぐにコメントが来るのに私のところには一つも来ない。私が絵を投稿しても見向きもしなかった相互フォロワーさんが、私よりも後に別の人が上げた作品をリツイートして言葉の限りを尽くして褒めていたりする。私には感想など来たことがないのに。
私の技量が足りないから、というのは重々承知だ。上手く描けるようになりたいと日々思っている。誰かに嫉妬しそうになるたびに、私も上手くなればいいのだとずっと自分を奮い立たせてきた。でももう限界な気がする。人の作品を見ても純粋に楽しめない。描いている時は楽しいが、投稿した後は反応が来ていないかちょくちょく見ては一喜一憂してしまう。こんなことをしたくて推しCPを描いているわけではないのに。