2020-09-02

少年ラブドールのすゝめ、最大の汚点

Twitterにてトレンドを風靡した「少年ラブドールのすゝめ」的某漫画

度重なる賛否両論罵詈雑言及び誹謗中傷があり、とあるnote記事も瞬く間に拡散されていくのは、いかにもTwitter現象と言って良いだろう。


ぶっちゃけ、なかなかに主観的倫理を試されるお話であり、明確にあの漫画が法的に引っかかっている事はなにもない。

(いや、Twitter利用規約には引っかかっているかもしれない。これは俺はよく調べていないので、各自で良きTwitterライフを得る為にも確認しておくべきだろう。)


あの漫画の最大の汚点は、公開アカウントで公開した作中のこの文言だろう。

実在児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」


さて、この記事で問いたいのは以下だ。

少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」


彼らからの返答はだいたいこうだろう。

「実際に児童に手を出していないんだから、なにも問題ない。」



さて、以下からは俺の理論である

上記発言意図を知りたい方は「石の上にも三年」、乱筆をご容赦いただきたい。


まあまあ先進的な国においては、きちんとした両者の承諾があれば相手が異性であっても同性であってもセックスに及ぶ事は全く問題はない。

では言葉を置き換えてみよう。

「実際の成人女性に手を出す前に、ぜひラブドールを」

「実際の成人男性に手を出す前に、ぜひラブドールを」

※尚、本記事において「手を出す」は「両者同意の上でセックスに及ぶ」と定義する。


別にこれは何ら問題はない文章に見える。

なぜなら、女性に手を出すことも、男性に手を出すことも法律的には無問題からである


では、相手児童にしてみよう。

ちなみに、児童とは日本において「小学生」を意味する。

国語辞典をひかなくとも、一般的には黄色帽子ランドセルを背負った子供たちをイメージするだろう。

まあまあ先進的な国においては、たとえその「児童」本人の合意があったとしても、セックスに及ぶ事は禁止されており、犯罪行為とされている。

上記認識した上で、もう一度先の文章を読んでいただきたい。

「実際の児童に手を出す前に、ぜひラブドールを」


この文章に含まれている要素は以下だ。


発言者=犯罪者ではない一般人

・「実際の児童に手を出す」=犯罪行為

・「ぜひラブドールを」=犯罪行為ではない

欧米各国では未成年ポルノ規制が激しく少年少女を象ったラブドール販売・購入が規制されているが、日本はその限りではないので犯罪行為としない。



では似たような要素で他の文章作成してみよう。

下記の文章は、「人生においてなんら犯罪行為を犯していなかった人達」が発言したと思ってほしい。

「実際に人を撃ち殺す前に、ぜひFPSを」

「実際に動物虐待する前に、ぜひ犬猫ぬいぐるみで」

「実際に銃を購入する前に、ぜひエアガンを」


FPSプレイして楽しむのも、犬猫ぬいぐるみを切り刻むのも、合法エアガンを手にするのもするのも、なにも違法行為ではない。

問題なのは「まるで犯罪行為入り口・捌け口としてそれらの合法行為勧誘していること」なのだ


先に言ったようにこれは犯罪を一度も犯したことがない一般人言葉だとするなら、彼らは

・銃で人を撃ち殺したこともない

動物虐待したこともない

・本物の銃を購入したり所持したりしたこともない


そしてあのアカウント

児童に手を出したこともない


そういう人間なのである



さて、本題に戻ろう。

少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」


「本当に銃で撃ち殺すわけないだろう」

「本当に動物虐待をするわけないだろう」

「本当に銃を持つわけないだろう」


「本当に児童に手を出すわけがないだろう」


その言葉は内輪以外には通じない。

その言葉を見た所謂マジョリティに属する人々はこう思うのだ。

「彼らは犯罪行為入り口・捌け口としてそれらを嗜むのか」


まるで犯罪行為入り口・捌け口のように少年ラブドール体験談を語った表現者は、果たして擁護されるべきか?


一般人の目に触れるほど拡散されるとは思っていなかった」

それは結果論に過ぎず、非公開アカウントで防げた筈である


Twitterレギュレーションがあり、児童は見ていないのだから無問題である

これは児童への問題だけではなく、児童を持つ保護者達、そして児童を守らなければならない我々成人を迎えた人間にも問題となりうるのである


かのアカウントは非常に直接的に言葉児童の恐怖をあおり子供を守る立場にある成人に不安を生み出したのだ。


ただ単に「児童とのセックスフィクション漫画を書いた」のではない。

ただ単に「少年ラブドール体験談漫画を書いた」のではない。

実に直接的に、かのアカウント

「まるで少年ラブドール犯罪行為入り口・捌け口のようにして体験談漫画を書いた」

である


たった一文、されど一文が、あの体験談の意義をあらゆる方面へ確かに変えてしまった。



腐ったお姉さま方がたまに使う言葉をここにあげよう。

ホモ、を侮蔑言葉として使ったわけではないし、当事者達に言っているわけでもない。(だからこれからも使い続けるつもりである)」


だが、男性同性愛当事者は往々にしてホモ侮蔑として受け取るし、傷つく人まだまだ存在するのだ。

なぜその言葉を使い続ける?

この世界には他にも男性同性愛者を指し示す言葉があるのに、当事者でも嫌がる人が存在するのに、なぜその言葉をあえて使い続ける?


あの体験談を描いたアカウントにも同じ問いを投げよう。

「なぜあらゆる人を傷つけかねないその一文をあえて使った?他に誘う言葉ごまんとああるのに」


繊細なジャンルを扱ういかなる表現者も、実在する当事者・該当者たちに相応の敬意を払わなければならない。

我々表現者はその義務を決して放棄してはならず、傷つける言葉をあえて使用するのなら、相応の意味を持って発さなければならないのだ(例えば差別の現状を知らしめたり、時代考証等でリアリティを彫り込んだりする為に)。

とても厳しい言葉ではあるが、こんな些細な事にさえ想像力を働かせられない表現者に、マイナー性的嗜好を扱う資格はないと、同じヲタクとして俺は考えている。


最後にもう一度。

少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、"あの言葉を発した人間を"本当に擁護する気なのか。」

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