Twitterにてトレンドを風靡した「少年ラブドールのすゝめ」的某漫画。
度重なる賛否両論・罵詈雑言及び誹謗中傷があり、とあるnote記事も瞬く間に拡散されていくのは、いかにもTwitter的現象と言って良いだろう。
ぶっちゃけ、なかなかに主観的倫理を試されるお話であり、明確にあの漫画が法的に引っかかっている事はなにもない。
(いや、Twitterの利用規約には引っかかっているかもしれない。これは俺はよく調べていないので、各自で良きTwitterライフを得る為にも確認しておくべきだろう。)
あの漫画の最大の汚点は、公開アカウントで公開した作中のこの文言だろう。
さて、この記事で問いたいのは以下だ。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
彼らからの返答はだいたいこうだろう。
上記の発言意図を知りたい方は「石の上にも三年」、乱筆をご容赦いただきたい。
まあまあ先進的な国においては、きちんとした両者の承諾があれば相手が異性であっても同性であってもセックスに及ぶ事は全く問題はない。
では言葉を置き換えてみよう。
※尚、本記事において「手を出す」は「両者同意の上でセックスに及ぶ」と定義する。
なぜなら、女性に手を出すことも、男性に手を出すことも法律的には無問題だからである。
国語辞典をひかなくとも、一般的には黄色い帽子にランドセルを背負った子供たちをイメージするだろう。
まあまあ先進的な国においては、たとえその「児童」本人の合意があったとしても、セックスに及ぶ事は禁止されており、犯罪行為とされている。
※欧米各国では未成年ポルノ規制が激しく少年少女を象ったラブドールは販売・購入が規制されているが、日本はその限りではないので犯罪行為としない。
下記の文章は、「人生においてなんら犯罪行為を犯していなかった人達」が発言したと思ってほしい。
「実際に人を撃ち殺す前に、ぜひFPSを」
「実際に銃を購入する前に、ぜひエアガンを」
FPSをプレイして楽しむのも、犬猫のぬいぐるみを切り刻むのも、合法エアガンを手にするのもするのも、なにも違法行為ではない。
問題なのは「まるで犯罪行為の入り口・捌け口としてそれらの合法行為に勧誘していること」なのだ。
先に言ったようにこれは犯罪を一度も犯したことがない一般人の言葉だとするなら、彼らは
・銃で人を撃ち殺したこともない
・本物の銃を購入したり所持したりしたこともない
そしてあのアカウントは
さて、本題に戻ろう。
「少年少女を良識を持ってこよなく愛す人たちへ、この言葉を発した人間を本当に擁護する気なのか?」
「本当に銃で撃ち殺すわけないだろう」
「本当に銃を持つわけないだろう」
その言葉は内輪以外には通じない。
まるで犯罪行為の入り口・捌け口のように少年ラブドールの体験談を語った表現者は、果たして擁護されるべきか?
「Twitterはレギュレーションがあり、児童は見ていないのだから無問題である」
これは児童への問題だけではなく、児童を持つ保護者達、そして児童を守らなければならない我々成人を迎えた人間にも問題となりうるのである。
かのアカウントは非常に直接的に言葉で児童の恐怖をあおり、子供を守る立場にある成人に不安を生み出したのだ。
ただ単に「児童とのセックスフィクション漫画を書いた」のではない。
実に直接的に、かのアカウントは
「まるで少年ラブドールを犯罪行為の入り口・捌け口のようにして体験談漫画を書いた」
のである。
たった一文、されど一文が、あの体験談の意義をあらゆる方面へ確かに変えてしまった。
「ホモ、を侮蔑言葉として使ったわけではないし、当事者達に言っているわけでもない。(だからこれからも使い続けるつもりである)」
だが、男性同性愛者当事者は往々にしてホモを侮蔑として受け取るし、傷つく人まだまだ存在するのだ。
なぜその言葉を使い続ける?
この世界には他にも男性同性愛者を指し示す言葉があるのに、当事者でも嫌がる人が存在するのに、なぜその言葉をあえて使い続ける?
「なぜあらゆる人を傷つけかねないその一文をあえて使った?他に誘う言葉はごまんとああるのに」
繊細なジャンルを扱ういかなる表現者も、実在する当事者・該当者たちに相応の敬意を払わなければならない。
我々表現者はその義務を決して放棄してはならず、傷つける言葉をあえて使用するのなら、相応の意味を持って発さなければならないのだ(例えば差別の現状を知らしめたり、時代考証等でリアリティを彫り込んだりする為に)。
とても厳しい言葉ではあるが、こんな些細な事にさえ想像力を働かせられない表現者に、マイナーな性的嗜好を扱う資格はないと、同じヲタクとして俺は考えている。
最後にもう一度。
自分に酔ってる臭でゲボでちゃう
100%誤読で難癖。 こんな妄言を本気で言っているのか?