2020-08-17

承認欲求という毒

承認欲求について考える。

誰しも認められたいという気持ちは少なからず持っているものだと思うのだが、筆者が所属する界隈ではその欲求というものが、著しく顕著に表れているように思う。

今日はそれについて感じていたことを書いていく。

書き出すと随分と長くなってしまったので、夜の戯言だと思って聞いて欲しい。

筆者は所謂コスプレ専属で撮るカメラマンだ。

コスプレと言っても色々とジャンルがあるが筆者は2次創作を中心に活動を行なっている。

男装女装ともに依頼があれば撮影するが、その割合男装4割、女装6割。

男性女性も等しく撮影を請け負う。

作品を知らない撮影の依頼は、事前にアニメ原作をチェックして一通り頭に入れてから撮影に臨むように心がけている。そうすることで、被写体側が要求する心理的描写の部分に耳を傾けやすくなるからだ。

専門知識もない素人ではあるがそれなりにフォロワー数もあり、充実した撮影ライフを送っていたのだが……

最近、ある考えが頭から離れない。

正直…悩んでいる。

撮った写真ツイッタータンブラーといったSNSにあげ、近況としてアップする。

掲載する写真に添えるのは、タイトル被写体名、カメラマン名、いればアシスタント名といったごく普通の内容。筆者以外の投稿を見ても、皆、大抵同じようなテンプレート投稿しているようだった。

原作への熱い思いを明記している投稿を目にすることもあり、写真出来栄えだけでなくタイトル説明文に説得力があるとじーんと目頭が熱くなる。…歳だろうか。

コスプレ写真ツイッター掲載されることが多いため、筆者自身もこの媒体を利用しているが…ここで厄介なのが、「タグ付け」というサービスだ。

筆者はこの「タグ付け」が気になって仕方がない。

タグ付け」は掲載予定の写真に対し、誰が関与したかリンクを貼れる便利な機能であり、このタグが付いていると被写体撮影者の個人ページへ移動することができるため、個人的に非常に重宝していた。

何故ならリツイートで目にした、まだ見知らぬカメラマンや、被写体、その他関与した人々に出会うことができるからだ。

裏を返せば、そのタグけがないとどれだけ素晴らしい写真でも、どれだけ被写体力に優れた人物であっても、どれだけ素晴らしい撮影地であってもそのアカウントにたどり着けない。(ツイッターリプライ機能で明記している場合もあるが、ここでは省く)

そのため、筆者が写真掲載する際は関係した人々のタグ付けや@表記を行なっており、また、怠らないように注意を払っていた。そうすることで、敬意を払っていた。

だが、最近気づいてしまった。

タグ付けに対する意識の差だ。

写真はあげるが、被写体もしくはカメラマン表記はない。

何故?

タグはないが、リプライで@表記しているのか?

無い。

中には投稿者自らのタグ付けのみ、つけている投稿も見つけた。

もはや…理解ができなかった。

そう気付いた瞬間から、ともに撮影に臨んだはずなのにあの瞬間はなんだったんだと、頭を弾かれたれたような気分になった。

上手く撮れた写真カメラマンタグ付けやクレジット表記なく写真をあげる。そこに明記されている内容は

「繋がらなくてもいいから俺の(私の)〇〇を見てください」

「俺の(私の)〇〇コスプレ気に入ったらRT

といった承認欲求の塊のようなハッシュタグが添えられていた。 

作品に対する思いなど感じられない。

カメラマンに対するフォロー内容はその次だ。

つまるところ、自分自身の顔やウィッグ、表情、衣装……総合的に自分だけを見て欲しいのではないのか?

二次元キャラの姿を借りた、自分の姿に陶酔しているのではないか

そんな思いが渦巻いた。

ちなみにこの現象被写体だけの話ではなく、カメラマンだって当て嵌まる。

上手く撮れたといって被写体名前タグも明記なく、自分の腕前を振るうだけの投稿だ。

例えば、彩度高く白飛びすることなく写した水辺の写真や、銀残しといったコントラスト高めのパキッとした尖った風合い、など「俺の」「私の」主語が大きく聞こえるような投稿を目にしたことはないだろうか?

かにそれらは上手く撮れているし撮影技術も素晴らしい。衣装や表情、ポージングなども完璧クオリティも高く見栄えする。

だが、それら投稿から作品に対する思いだったり、写真に対する思いだったり、そこに参加した人々へ対する配慮など感じられなかった。

コスプレ撮影趣味であるし、タグ付けをしないといけないと強制的に決められたわけではない。自由につけてもいいものだ。

わかっているが、理解ができない。

RTフォロー数稼ぎで写真が使われているのか、撮った写真がその消費に利用されているのではないかと思えて仕方がない。

撮影を始めて10年あまり、筆者は純粋撮影を楽しんでいたのだが…近頃はそう思えなくなってしまった。


この情勢の中撮影自体自粛をしてはいるが、保留となった撮影案件はまだ残っている。

誰にも話すことができないためここで吐露させて頂く。

承認欲求という呪いが界隈に渦巻いているように思えて、頭から離れない。

いか自分が優れているか、水面下で競うあうような世界に疲れてしまった。

  • お金もらってんなら仕事として黒子に徹しろ お金もらってないなら それはやめたら? 猫でも撮れ

  • ギャラ問題についてだが、もちろんノーギャラだ。 こちらも内容を承諾して望んでいるのだから、かかる費用は折半もしくは一部を負担している。 だからこそ…ともに一枚の作品を作っ...

  • 誰が撮ってるとか見てる側はクソどうでもいいということだけは言っておくよ

    • その通りだし、さらに言えばコスプレイヤーなんて「自己顕示欲の塊」と同義だと思うから増田はかなり勘違いしてると思う

  • 友達のレイヤーさんが、カメラマンさんとその場で作品を作り上げていくライブ感が楽しいって言ってたの思い出した。 きっと増田はいいカメラマンさんだったんだろうな。 それはそう...

  • よくわかんないけど若いって感じ

  • 結論:器が小さい

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん