「超絶技巧」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 超絶技巧とは

2017-05-29

anond:20170529093952

じゃあ早稲田法学部アウティング事件はどうか。性的嗜好を(本人が告白したものであっても)むりやり広めることはなんの侵害か。プライバシーではないならもっと広い人権生存権など)ではないか

 

知る人は知っているので以下はすでに大きな蛇足だが、二次創作告白されているのは本人の性的嗜好ではなく「わたしはこのマンガについてこのような読解をし、このような感想をもちました」に超絶技巧をのせていくと二次創作小説になるんだ。ここの誤解(×本人がこういうエロやってもらいたいんだろ ○こういうエロを読みたかったんだろ)も生理おしっこ事件と同様、よくトラブルになるので、pixivツイッターの組み合わせにおける二次創作業界では非常にユーザーデリカシー教育が盛んで、成功している。大人の女が(同士間に必要なだけのデリカシーをもって)趣味志向を満たすだけであげつらわれなければいけない法的根拠とは?

2017-05-23

熟女のすゝめ

俺のおかずスタンダード熟女。5060喜んで。

なぜ熟女なのか。熟女は汚れきっているからおかずにはうってつけなのだ

自分自身セックス未遂体験からセックスは汚いものという想いが染みついている童貞の俺には。

ちなみにセックス未遂に加えて今まで三回のキス経験がある。飲み屋店員の目の前で「お前でオナニーした」という奇妙奇天烈宣言をした直後べろべろに酔った俺に無理やり舌をねじ込んできたあばずれ女と、一生に一度は経験としていこうと思っていた風俗に「二度と行くものか」と決意させることになったイソジンの強烈な味のキスというトラウマを植え付けたピンサロ嬢と、「セックスセックスセックスオンザビーチ!」の鳴りやまないゴミの掃きだめみたいなクラブでべろべろに酔った俺を無理やり壁に押し付けて口の中を蹂躙してきた渡辺直美似のクソブスの三人だ。すべてディーーープなキッスであった。悲しいことに。

理想と相反する圧倒的現実に身も心もグチョグチャに汚されてしまったのも熟女さらに駆り立てられる要因だったのだろう。

若く綺麗な女性に対する幻想を捨てきれないか熟女へ向かうのだ。悲しいことに。

しかし、AVにおける若さは時として甘えになる。若い女、特にJKモノとかだと「JK」というブランドに頼り切って肝心要の演技がドヘタだったり、レーズンみたいな乳首だったり、ブスとは言わなくても中途半端顔面だったりする。それで何度落胆したことか・・・

若さに頼ってんじゃねえ。舐めんな。

そして若いそこそこにかわいらしい女の子のぐちゃぐちゃに汚れている局部肛門を見ているとなんだか悲しくなって途中で萎えしまうのだ・・・

最もそれを超越するレベルの美しい顔立ちや美ボディや技術の持ち主であれば話は別だ。今日おかずにした北野のぞみなんかはそうだ。そこまで来ると超次元存在から、「こいつはプロだぜ・・・」となるか、理屈抜きの天国超特急行きに乗車するかのどちらかだ。

熟女熟女というだけの価値では生き残るのは不可能だ。だから彼女らは年老いてもなお美しい顔、弛んだ、しかし魅力的な豊満ボディ、超絶技巧、股間に響き渡る素晴らしい喘ぎ声を持ち合わせている。淘汰され生き残って来た一部の美人のみが大手を振って出演出来るのが熟女というジャンルだ。もちろん俺だってその辺にいるかぼちゃだかなんだかよくわからんブスとして生きて来てブスとして死んでいくようなブスがただ歳を取っただけ、みたいな形態のクソババアには興味が無い。

老い美人の「私まだまだイケてるでしょ・・・?」「女としてもう駄目だと思ってたけど、まだまだ私もイケるじゃない・・・!」みたいな様を見るのは最高に興奮するし、その人の歴史を想って胸が熱くなる。

歳を取って美人から悲しき変貌を遂げるようなのもいるけれど、真の美人死ぬまで美人というのが俺の持論だ。

美しいが、汚れきっている。だから安心して興奮できる。彼女らはもうそれ以上汚れることなど無いのだから

安心安定のクオリティ提供する、それが熟女というジャンルなのである

2017-01-09

http://anond.hatelabo.jp/20170109110408

テレビバラエティ

ただの似顔絵みたいな物をピックアップして

「わーすごい、めちゃくちゃリアル!細かい!」みたいなことをタレントが言ってると残念な気持ちになるよね

あれさ、出演者スタッフやそれを見てる視聴者の中で買いたいと思う人はどれだけいるんだろう

豪華絢爛で綺麗な物に感心したり、超絶技巧に感服したいという気持ちしかない人がお金を払うとはあまり思えない

2016-10-05

アニオタが「君の名は。」を観に行った非オタ彼女教化するための10

勧めて良いのは薦められる覚悟のあるヤツだけだ。

はい。最初にエクスキューズします。

彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。

こういう「非狂言好きの彼氏に勧める」「歌舞伎興味ない彼氏を」「出不精の」「オルタナ未体験の」「行きたい映画を」みたいな、

彼女がオマエに対して「自分の趣味を紹介して、できれば一緒に行ってほしいな」という願望に対して

オレは狂言にも歌舞伎にも旅行にもロックにもスイーツ邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが

次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。

大前提

オレは元祖オタ軽10を書いた増田とは別人だ。

アレは目標が複数あってとっ散らかってる上に、全体的に「相手を試す」要素が強い。

「甘え」とまでは言わないが、「相互の入口」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。

想像して欲しい。

ラーメン好きが、理解を求めてラーメン二郎に彼女を連れて行く姿を。

ラーメン二郎は現在のラーメンを語る上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」

現実世界ときメモじゃねえから、店の前で黙って帰られたら二度と連絡は取れねぇぞ。

前提

彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「面白かったね!」となっていること。

目標は「自分が勧めたら、TVアニメでも一緒に見てくれる」ところに持っていくこと。

(外国行って出来た友達日本語辞書渡してから簡単な日本語で話しかけるみたいな

 「なんでこんな簡単な日本語を理解してくれないの?合わないね」とかやるなよ。

 本来は、彼女の趣味を入口にするのがコミュニケーションとしては王道)

1本目「魔法にかけられて(2008, 原題 Enchanted)」107分

いきなりディズニーかよ!とか言わない。

必要なのは相手の観たいもの」と「自分の趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。

新海誠作品特有清潔感のある繊細な描写を、一旦ここで落ち着かせる意味合いもある。

アニメプリンセスが、現実のニューヨーク離婚専門のシングルファーザー出会って

という、アニメーションパートベタディズニーを、実写パート進出させる異色作。

出逢えば歌でわかり合う……みたいなベタ設定を茶化しつつ、ベタベタディズニー

オタクとして観るなら「ディズニー文法をどこで回収してるか」に着目してみよう。

昨今観ることのなくなった手書きセルアニメを堪能するのも一興。大資本すげえぞ。

たまにディズニーが嫌いな女性もいるが、普通ロマコメなのでそこまでマイナスになることもない。

(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)

2本目「ウォーリー(2008, 原題 WALL-E)」97分

アニメから遠ざかってんじゃねえか!とか言わない。

薄いロマコメでありつつ、そこに至るまでに(彼女にとって)余計な要素を多く含む。

ウォーリーイブという、ロボットでありながらチャーミングな存在で物語を引っ張り、

ガチャガチャとした舞台設定や、いくつかの目的が絡み合った話を、スッキリ見せる。

オタクとして観るなら「『2001年宇宙の旅』のオマージュ」を一つでも多く探そう。

「実写では無く、女性向きにも見えない映画」も楽しめると伝えられれば目的達成。

吹替版でも良いと思う。草刈正雄は流石の演技力アニメ初挑戦とは思えないヨ)

3本目「インサイド・ヘッド(2015, 原題 Inside Out)」94分

オマエまたピクサーかよ!とか言わない。

ロマコメ要素を排除しつつ、一旦凹むような描写を挟んでくる映画。

親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、

転校初日の自己紹介情緒不安定になってしまう少女ライリーの頭の中の物語

非コミュをエグるエピソード満載の割に、ちゃんと着地していて安心できる。

アニメロマコメですらないが、観て面白い」と相手が思えば目的達成。

なお、特撮方面に分岐するなら、インサイド・ヘッドに行かずに

ベイマックス(2014)」→「時をかける少女(2006)」→「青空エール(2015)」

 →「仮面ライダードライブ(2014~2015)」と展開すること。

ドライブを完走できれば、ほぼ教化は完了している。エグゼイドも一緒に行けるだろう)

4本目「思い出のマーニー(2014)」103分

戻ってきたのにジブリかよ!とか言わない。

実は方向性インサイド・ヘッド寄りのジブリ作品

絵が好きで内気な少女が、喘息療養のため滞在する街で、

古い屋敷に住むという華やかな少女マーニーと友だちになり、

お互いの悩みを打ち明け合い、徐々に心を通わせていく物語

チャンピオン連載のマーニーじゃないけど、若干の謎解きもある。

「綺麗ではあるが新海誠とは方向性が違う絵」を違和感なく観てもらえればOK。

この辺で多少、見終わったあとに感想が言い合えればベストだけど、どうかな。

5本目「サマーウォーズ(2009)」115分

いまさらサマーウォーズかよ!とか言わない。

うっすいロマコメ要素はあるが、基本的アニメ

偽装彼氏になるバイトを憧れの先輩から持ちかけられた少年が、

彼女の実家で親戚一同にモミクチャにされながら

ネット暴走する人工知能を食い止めようと奔走する物語

非オタに勧めるには結構なチャレンジ。この辺が分水嶺

「面白かったけど、アニメは苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。

6本目「パプリカ (2006)」90分

東京ゴッドファーザーズじゃねぇのかよ!とか言わない。

千年女優東京ゴッドファーザーズも、日本映画に対する憧憬が強いと思うんだよね。

アニメ好きに黒澤映画や往年の日本映画を勧める窓口とするなら良いと思うけれども、

君の名は。」観てアニメに触れようとしてくれてる相手に紹介するには隔たりが大きい。

とは言うものの、アニメシリーズの紹介までも遠いため、ちょっと頑張ってジャンプアップ。

キツめのツンデレ千葉敦子が、他人に悪夢を見せて精神崩壊させる事件へと迫る胎教に悪そうなアニメ

オタクナーバスな所をギュッと凝縮した濃厚な一本。

コレを喜ぶ彼女なら、次は「PERFECT BLUE(1998)」を観ても良いかも。81分だし。

7本目「機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争(1989)」全6話

また古いところからもってきたな!とか言わない。

アニメ絵に対する違和感を無くして物語のものを観ることが出来るなら、

次は「連続してアニメを観る」という体験だ。OVA 全6話ならそれが出来る。

戦争のさなか、小学生がひょんなことから知り合った敵軍の兵士と交流するが、

友人たちや家族、そして大きな侵攻作戦を通じて少年の心を大きく揺らすストーリー

高山文彦監督しているので、山賀博之の脚本にも関わらず、映画のような印象を受ける一本。

ガンダムガンダムしていないガンダムなので、慣れない人に優しい。

また、絵柄が極端に古いけど、コレに慣れると大概のアニメがイケるようになる。

8本目「ばらかもん(2014)」全12話

ガンダムのあとに?とか言わない。

きちんと1クールで終わって、ちゃんと男性目線での可愛い女の子も出てきて、

それでいてエロに行かずに安心してストーリーになってる作品って思ったより少ないぞ。

サイズ的には「夏目友人帳(2008)」も「にゃんこい!(2009)」も良いんだけど、両方共難しい。

夏目友人帳少女漫画寄りだし、にゃんこい!男子中学生寄りだし、痛し痒し。

あっさりアニメ嫌悪感無く付き合ってくれるようになれば、もうひと押し。

9本目「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-(2007)」全25話

オマエさっき女性向け狙ったって言わなかったか?とか言わない。

DTBは1期に関して言えば、全体的なトーンは暗いものの基本が2話完結式で、観るのが楽。

シナリオ的にもそれぞれきちんと独立しており、かつ、ストーリーに絡んでくるので、

あっという間にとは行かないまでも、一貫して観続けることが出来る。

ワリと抑えた演出ではあるものの、普通アニメでもある。

これについてきてもらえるのであれば、その先にいける。

10本目「ガン×ソード(2005)」全26話

最後まで来ても全体的に古いな!とか言わない。

皆様おなじみ痛快娯楽復讐劇だけど、ちゃんと完結してるのがエライ

前提知識が要らない、極端にエロいかないけどエロも入れてくる、

オタクが観てもちゃんと面白くて、ストーリーも追いかやすい。

紛れもなくアニオタ向けであり、内輪ネタもちゃんと入ってる。

これを観て糾弾されなければ、当初目標は達成できている。

あとは好きにしろ。

雑なまとめ

ロマコメから入って、心理描写、SF、変、人間ドラマ日常系ストーリー、2クールアニメ

おおよそ、半年~1年半ほどかけて、いわゆる男性アニオタの好むアニメに寄せて行こう。

線の綺麗なアニメや女性向きのアニメばっかりの構成では意図するところが達成できず

楽園追放 -Expelled from Paradise-(2014)」の描写で絶縁されかねない。

ヤマノススメとかユーフォニウムあたりですら「アニメ絵女の子ばっかり」ってだけで

いきなり見せたら、キモマジで!死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。

おさるのジョージとかザ・ペンギンズとか、その手のアニメからの距離を考えよう)

みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになるアニメってあるんじゃないかな。

ストパンとかガルパンとか、非オタから見たら未成年着エロと同レベルだと思う。

(正直、ガン×ソードも一発目はムリ)

段階さえ踏めば作品は好きなので良いと思うんだけど、

いわゆる男性向けアニメに慣れてもらうのって大変だと思う。

東京マグニチュード8.0(2009)」とか描写も丁寧で名作だけどまだキツイし、

劇場版 天元突破グレンラガン 紅蓮篇(2008)」113分みたいなアクの強いのもアレだし、

王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987)」119分みたいな超絶技巧だけどどーにもオタク向けだし、

書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に見てもらえる」信頼を得つつ、

ガルパン観てても「ああ、なんか女の子ばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって

すんごいハードル高いな。オレの友人はついにガルパンの映画に一緒にいくことに成功したらしいが。すげえな。

追記

やべー

元になったのリンク貼るの忘れてた

はてなブックマーク - 『君の名は。』や『聲の形』を観た一般人に勧めるアニメは? - Togetterまとめ

そもそもはココで東のエデンとかあの花が上がってることに違和感があったからなんだよね。

君の名は。」と「聲の形」を観に行った層が一致していると思えないのもあって限定にしてんだけど、

「綺麗な絵のアニメから観た」ワケじゃないと思ったのが最初。

「面白そうな恋愛映画がたまたまアニメだった」だけで、逆じゃ無いだろと。

同じ新海誠で同じ絵のテイストの「秒速5センチメートル」を薦めてはイカンと肌感覚で判るのに、

なにゆえに絵柄の綺麗なアニメならなんでも良いだろ、みたいな雑な方向になるのだと。

絵柄が綺麗で良いアニメなら観てくれるワケじゃないだろ、と。

まず彼女はどこに惹かれて観たのだろうか考え、

その部分を取っ掛かりにすべきだろうと。

あとね、元になったまとめのブコメにもあるんだけど、

「これだけ観てくれるなら薦めなくてもアニメ好き or 勝手に見る」ってのは傲慢だと思うのよ。

最初に書いといたけど、こんなに日本全国で庶民が気軽に狂言歌舞伎を見られる時代は無い。

お芝居でもそうだし、まあ海外旅行とか音楽を聞くのでもそうだよね。邦画もそう。

でも、フリクリを観たアニオタのうち、はたしてどれだけがオルタナティブロックを聞いたかな、と。

カウボーイビバップ観てジャズを聞こうとした知り合いは、ジャズ好きに正しく教化されて、今も少しづつ聞いてる)

野村萬斎さんの狂言、何のフォローもなしに観に行く?

彼女に誘われりゃ何度かは一緒に観に行くだろうし、

そこで面白さを知ってハマるかもしれないけど、

先導なしで同じ所まで行くかな?

オレは行かないと思う。

アニオタって、方向性の問題であって、我慢とか矯正とかと縁遠いわけだよ。

から、彼女ができようが親に内緒にしようが、やっぱ新作は観るわけだよ。

そうすると、観てるのを知られても「ヒかれない」のが第一歩。

そこに行くまで一苦労で、その為には遠回りに思えても理解を求めるしか無い。

から、彼女をアニメ好きにする必要は無い。

(だから半年以上かける長期戦なわけだし)

アニメは怖くないよ、(見た目はもちろん重要だけど)

絵柄だけで観てるわけじゃないよ、普通小説や音楽と同じ趣味なんだよってのを

人生時間を同じくすることを選んだ人には、伝えてみたいじゃない。

美味しい料理を食べた時に、コレ美味しいよと言う。

きれいな景色を観て、きれいな景色だったねって伝え合う。

その過程で「自分の好きなもの」を伝えながら「相手の好きなもの」を聞いて、

相手の好きそうなものを薦めてみる、相手の好きなものを試してみる。

そういうのが、コミュニケーションなワケだろうと。

から、さんざん書いといてなんだけど、原則的には以下の一文がすべてだと思うわけよ。

>>(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、乗り気じゃなかったら強行しないこと)

アニメはもはや特殊な趣味じゃないと思うが、伝わりづらいからなあ。

彼女が真田丸観てるなら一緒に観て、次はうどんの国の金色毛鞠一緒に見ようって言えるようになれると良いな。

(本エントリ趣旨上、「あにトレ!!XX」を誘うのは想定していない。それはコッソリ観ろ)

健闘を祈る。

2016-08-10

読書感想文は、感想を書かせないのがコツ

盆にもなると親戚のちびっ子がやってきて本を読む。

読書感想文始末書と同じで、適当に書くと怒られる。

嫌な宿題ではあるが、夏のアクティティだと思えば腹も立つまい。

さて、親戚のちびっ子から「書き方を教えてくれ」と言われたとき用にアンチョコを書いておく。

「あら?増田くんは勉強が取り柄じゃなかったのかしら?」とかイヤミを言われないようにだ。

(盆に実家なら、結婚しろだのシャンとしろだので既にお腹いっぱいだろう)

あらすじを書かせない

さて、なんとか本は読み終わったとしよう。

ここで「あらすじを書けば良いよ」はアドバイスでは無い。

全体を俯瞰して概要をまとめるのは、大人でも非常に難しい。

日曜朝のガンダムUCを見ていれば判る通り、つめ込みは超絶技巧だ。

ゴールをちゃんと示す

ガンダムUCは、主人公バナージくんが出会女性をことごとく不幸にする物語にも見える。

でも「バナージくんは無自覚なジゴロだと思います!」とか書くと、きっと怒られる。

基準不明確なものダメ出しをされ続けると、大人でも壊れてしまう。

子供ならなおさらだ。だからゴールを設定しよう。

  1. 自分がどう変わったか説明する
  2. ポジティブ結論で終わる

ポイントは2つ。

ゴールに向かってポイントを探す。

「読んだ感想」を書くのではない。

「読んで自分がどう変わったか」を求められている。

しかも、「ポジティブ結論」なので、良い変化を求められる。

ただ、課題図書で考え方に変化が起きることは滅多に無い。

から「発想を逆転」させる必要がある。

本の登場人物がどう変わったか探す

読書感想文とは、実は国語テストと同じだ。

自分は変わらなかった、でも、たぶん本の登場人物は変わったハズだ。

ネガティブ状態からポジティブ状態に変わったポイントを探すのだ。

  1. 何がネガティブ?(悪い・勘違いしている・弱い)
  2. 何がポジティブ?(良い・良さそうな考え・強い)
  3. ネガティブからポジティブに変わったキッカケは?

そろそろネタバレせずにTVガンダムUCに例えるのも限界だが、

あたりだろう。

本の登場人物と、自分とをシンクロさせる

ココが一番の難物で、うまく出来るとコンクールで賞が取れる。

簡単なのは登場人物と「同じ考え方」だとすることだ。

ネガティブと同じエピソードを思い出す。

そして、本の中にあるキッカケで、ポジティブな思いに変わったとする。

本当に何のエピソードもない場合もある(恨み辛みの無い子も居る)ので、

最近ニュースから似たものを探して考えても良いかもしれない。

とりあえず原稿用紙に書いてみる

書く内容が拾い出せたら、書いてみよう。

  1. 「本の中のネガティブ&似ている自分ネガティブ」を書く
  2. 「本の中でのネガティブが変わったキッカケ」を書く
  3. 「本の中でのポジティブな話」を書く
  4. 自分もそのキッカケを読んで、ポジティブに変わった(変わろうと思った)」と書く

だいたい、コレを書いていると決められた最低枚数は超える。

 「理屈では消せんのです。恨みも、後悔も」そう言ったあとにジンマン大尉は、ずっと昔に亡くなった妻と娘に呼びかけた。それは変えられない過去への呼びかけで、自分にもその気持ちが判るような気がする。自分が飼い犬のゴローへ最後に呼びかけたのは「お前は留守番だ。俺は楽しんでくるね」だった。何の気なしにかけた言葉だったはずなのに、それから旅行に出掛けてもどこか楽しめない自分が居た。それが、ジンマン大尉がどこか娘と重ねて見ていた、養女であり部下のマリーダから以下略

規定枚数超えの作業と「てのをは」チェック

必要文字数が足りない場合は増量する。

ここまできてやっと、「気持ち」や「感想」や「思い」を追加する。

ジンマン気持ちが判る、マリーダはこう考えたんじゃないか自分はこんなことが起こったと思う。

文章の骨格(ネガ→キッカケ→ポジ)が既に書けているので、多少いじっても構成は壊れない。

最後に、文章体裁てにをは漢字、人物名)を見直して、完成だ。

読書感想文は、国語記述テスト

読書感想文は、読んでどう変わったか書く、変化の報告書だ。

本を読んで「より良くなった」という報告を期待されている。

でも、課題図書でそうそう人は変わらない。

から、本の中で変化のあった人物を探し、

その登場人物自分との間の共通点を探し、

相手の変化から自分の変化を見つけ出す。

読書を通じて、自らを語ることこそが、読書感想文なのだ

(なお中学生くらいから、自分語り難易度がアップしたりはするがそれはまた別の話)

2016-07-07

真夏の夜の淫夢ロンドンパンクは同じだ

緒言

 ついさっき、こんなエントリーを見かけた。

私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー

http://anond.hatelabo.jp/20141116192322

 これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。

 その持論とはパンクロック淫夢根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツのものについて考えなければならない。

淫夢というコンテンツ

 ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢呼称)”とは、2001年コートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイトニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダル2002年の夏頃に週刊誌インターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。

 一方で、淫夢日本に於けるインターネット文化メインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画流行を発生される端緒となったMAD動画である霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画淫夢要素として登場したのが通称野獣先輩(役名:田所浩二)」である最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初アニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。

 そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢コンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツ占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つであるしかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである

ロンドンパンク淫夢

 パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアロック想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズ連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップ想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である結論を言えばハードメタルロック特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たち楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクセックスピストルズパンク代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢ムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである

 パンクロックの特徴の一つとして、演奏適当で、歌も酷く、歌詞過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。

 淫夢流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢アングラ文化である事に変わりは無かった。淫夢一般的にも受け入れられるようになったのは2013年2014年ごろの事である2014年の冬には女子中高生流行語として「微レ存」(“微粒子レベル存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。

参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン

https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba

 さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島問題が表面化し、更にGDPでは日中順位が逆転、対中関係政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)

 当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのもの淫夢価値として利用されるようになった。

 ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画占領するなどといった行為にそれは顕著であるニコニコ動画では卑猥動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画運営ある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造ロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズ契約を中途破棄した大手レコードレーベルEMIに対して中傷を加えるような楽曲EMI』を制作し発売している。

 かつては純粋同性愛者に対する侮蔑意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。

ロンドンパンク終焉淫夢の衰退

 ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズアメリカツアー中に解散し、それからロンドンパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバー喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズ時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。

 淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画淫夢流行りだしたとき流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。

 近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)

 淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画コメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値からまれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在淫夢では、無意味誹謗中傷を繰り返すタイプコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。

 セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである自分自身メインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンク現在淫夢というコンテンツ終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである

淫夢日本社会に残したもの、これから果たす役割

 攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。

 そしていずれも淫夢コンテンツに集っていた人間ユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的ムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツ占領する」という重要特性を発現し、それが日本アングラインターネット文化に与えた影響は大きい。

 パンクロックが「タブー無視した過激表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツ日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本一種意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢ニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツ拡散はこのコンテンツ特有事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。

 では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロック演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。

2016-02-06

超能力者たちの住まう街に生まれ

僕は超能力者たちの暮らす街に生まれた。

小学校から今まで、やさしい能力者達に取り囲まれていた僕は彼らの超能力意識することはなかったのだが、ふとしたきっかから自分無能力者であることに気づいてしまう。

彼らの超能力は以下のような特徴を持っている

  • 彼ら能力者達は「他人こころ」が読める。テレパシーだ。こころを読み合うことによって話題を選びコミュニケーションを図っていく。他人にはどのように見えているのか、何を考えているのかがわかる。だから自分相対的評価も可能になるし、多かれ少なかれ自分に自信を持っているようだ。
  • 彼らは言われていないこと、文章に書かれていないことが理解できる。だから、言われなくても配慮ができるし、「行間」などという「見えないもの」が見える。
  • 彼らは事実より優先する「見えない力」に縛られている。だからハゲている人に向かって「頭髪が一層薄くなりましたね」とは言わない。不可解なその力が及ぶ範囲は広い。
  • 彼らは「話を聞きながらメモを取る」などという超絶技巧をやってのける。まるで千手観音のように手が複数あるかのような振る舞いをする。
  • 一方、彼らの興味は散漫でまったく「こだわる」と言うことが無い。また、日常生活の何気ない場面で数字に目を配ったり覚えていたりしない。だから彼らはアッサリとしていて面白みが無いとも言える。これが彼らの唯一の弱点と思われる。



なお、その当時の社会において、彼ら超能力者は「健常者」と呼ばれ、我々の一団は「発達障害」という名で呼ばれている。

2015-10-10

ゲーム実況」なんかよりも「MAD文化」のヤバさの方を語れ

ゲーム実況なんてゲームを実況しているだけであってそこに絡む法的問題性とか収益性とかは大したことじゃねーんだよ。

認められようが認められまいがやってることはそんなに変わってないじゃねーか。

オリコンがクソだから音楽が終わった、みたいな話してるだけじゃねーか。


そんなのよりもヤバいのは「MAD」だ。

MADの方がよっぽどアングラしかなりえないような文化だよ。

著作権的な問題の話じゃない。

個人的にその辺ってのは意外とそんなに高い壁じゃないと思うんだよね。

アニメ系とか音楽とかは二次利用が認められつつある傾向があるし。TPPでどうなるかは知らんけど。

いちばん問題は、たぶん倫理的問題モラルとか、人権とか。


MAD」っていうのは簡単にいえば、映像音楽編集してつなぎ合わせた動画のことだ。

一口MADといってもいろいろあって、映像音楽に合わせて繋ぎ合わせて気持ちのいい動画を作ってる人たちもいるし、音声を編集して中毒性のある音楽を作ってる人たちもいるし、コラージュを駆使してネタ動画を作ってる人たちもいる。

そんなMAD文化のなかで一大勢力を築いている界隈ってのがあって、ニコニコカテゴリでいうと「例のアレ」に分類される界隈である

こいつらが非常に厄介。超絶に迷惑でありつつもなぜかクリエイティブ


例のアレ」系とは、つまりは「真夏の夜の淫夢」だったり「エア本創価)」だったり、「レスリングシリーズ」だったり。(最近は「某弁護士関連」もだったり)

共通しているのが、元ネタとなっているものを茶化しているという点。つまり、明らかに個人の名誉を傷つけている文化であるということ。(レスリング公認されてるのもあるけど……)

今風に言えば「ヘイト」と呼ばれる類のもので、不快まりない文化であると言える。

から「こんな文化すぐに消え去ってしまえ」という意見が非常によくわかる。同意する。

しかし、同時にこの界隈が創り上げてきたものってのは妙に独創性があって、このまま黙殺してしまうのももったいないなあ、と思うくらいなのである

この界隈から派生してきたものってのはネットに意外と多くあって、良し悪しとかではなく、「検証され得るべきモノ」だと思うわけである


アオイホノオ」でちょっと話題になったことがあったが、後のガイナックスメンバーが作ってた映像も「MAD」的なモノだった。

本物のウルトラマンの音を録音して自分たち映像に合わせる。まさしくMAD動画だ。

さらに「DAICON」も超絶技巧の手描きMADといってよいだろう。

というかMADの源流「MADテープ」の起源もどうやらこの辺にあるらしい(http://ch.nicovideo.jp/nyutoi/blomaga/ar574424に詳しい)

プロがやったらアウトなものだが、アマチュアアングラでやってるからこそ出来たもの。そしてそれが後年になって評価されている。

程度の差こそあれ、(天と地ほどあると思うが……)「例のアレ」系のMAD文化ってのも何かしら検証され得る価値があるものだと思うのだ。


さらにいえば、ニコニコ以前の時代FLASH動画ブーム文化的価値があるのではと思っている。(というか既に文化庁主催日本メディア芸術100選」に「ゴノレゴシリーズ」が選ばれている。)

このFLASHにおいて人気を集めたのも、特定の人・モノを茶化しているものが多い。(ムネオハウス代ゼミ田代騒音おばさん、……)

公には認めにくいものだが、十分すぎるほどの創造性があったといってもいいだろう。

どうもネット上で創作をする人たちはこういうヘンなものを好んで使いたがるようだ。

だがしかし、この辺の文化ってのは本当に害悪であるというのは認めなくてはならない。

淫夢厨とか、恒心教とか、明らかに倫理的に(というか法的にも)アウトなものである

それなのに、特に淫夢系の文化なんかは日々拡散され続け、ネットの一大勢力になってしまった。

ものすごいヘンな状態であるヤバい状態である。それはネットを見てる人なら少なからず感じているだろうと思う。

しかし、この辺の話ってのは黙殺される傾向にある。

この辺のネタを嫌う者は、明らかにアウトなのでスルーする。好む者は、ただ面白がっているだけなので無邪気にネタ拡散していく。

この成れの果てが今のネット状態だよ。


なんかMADの話からズレた気がするが、この辺の話はもっと語られていいと思うよ。

2015-05-04

スポーツ素人の「攻撃信仰

昨日のメイウェザーパッキャオ戦もそうだったが、何故か素人は「攻撃的」な試合を異常に評価する。

パンチを避ければ「逃げ」、KO決着でなければ「凡戦」。

彼らに言わせれば「パッキャオは手数が多く攻撃的だったから勝ちだ」ということで、

超絶技巧で相手の攻撃をかわしカウンターを決めるよりも、突進して空振るほうが勝利に値するらしい。

パンチを当てなくてもいいなんて、シャドーボクシングでも見たいのだろうか?

ちなみにスタッツを見ると手数でもメイウェザーの方がパッキャオを上回っていたという。

サッカー界においては、試合に負けるたびに「相手はアンチフットボールをした」と言い訳する、シャビさんという選手が有名だ。

彼が所属するFCバルセロナは、「攻撃的」で、かつ勝ち続けるスタイル確立した。

バルセロナ戦術こそが真のフットボールであり、守備的な戦術アンチフットボールである」と高らかに宣言した。

しかしそれによって現れたのは、バルセロナが延々と一方的攻撃を続けるだけの、実に退屈な試合だった。

バルセロナの高い技術、徹底した戦術は確かに素晴らしい。

だが果たしてそれはすべてのサッカーファンが望むものだっただろうか?

野球で言うなら、ホームランが飛び交う乱打戦と、息が詰まるような投手戦と、どちらが良いかということになるだろうか。

まぁ、好きなチームがホームラン連発で圧勝するのはそれはそれで気持ちの良いものだ。

だが客観的に見たときに、野球試合として面白いのは、断然、投手戦のほうだろう。

そもそも、大量点を取り合うような試合は、「名試合」ではなく「馬鹿試合」と言われるものである

優秀な選手同士がミスなく戦えば、戦況は膠着するのが普通なのだ。

その均衡が崩れるのは、互いの戦力に格段に差があったからか、あるいは互いに駄目だったからでしかない。

2014-04-26

円城塔本の雑誌の連載「書籍化までn光年」で取り上げた本のリスト

http://anond.hatelabo.jp/20140421200127

書籍化まで7光年 (2009年)

  1. アンドルー・クルミー 『ミスター・ミー』    「『ミスター・ミー』とドップラー効果恋愛小説
  2. ポール・オースター 『幻影の書』    「オースター百%の『幻影の書』と本のスカート
  3. ピエールバイヤール 『読んでいない本について堂々と語る方法』    「読んでいない本を語る方法と「特性のない本」」
  4. ジョン・クロウリーエンジンサマー』    「言葉の"ずれ"と物騒な本」
  5. 浅暮三文ぽんこつ喜劇』    「ひよこサクラ実験小説
  6. シュボーンロバーツ 『多面体と宇宙の謎に迫った幾何学者』    「迷走と眩惑の理学タイトルの謎」
  7. David Flanagan 『プログラミング言語 Ruby』    「プログラミング言語小説屋」
  8. ジャック・ルーボー 『麗しのオルタンス』    「超絶馬鹿技巧小説『麗しのオルタンス』に隠された秘密
  9. ジャック・ルーボー 『麗しのオルタンス』    「数と音楽の秩序で作られた希代の小説
  10. ヒュー・ケナー 『機械という名の詩神』    「文学テクノロジー作家関係
  11. チャールズ・ストロス 『アッチェレランド』    「全編ボケ倒しのすごい奴」
  12. 多和田葉子ボルドーの義兄』    「『ボルドーの義兄』謎の276文字を追う」

書籍化まで6光年 (2010年)

  1. パウル・クレー新版 クレー日記』    「小説のような日記日記のような小説
  2. 中野美代子ザナドゥーへの道』    「多幸感に満ちた文字の連なり」
  3. ジャック・ルーボー 『麗しのオルタンス』    「『麗しのオルタンス』ジャック・ルーボーに直撃質問!」
  4. ミロラド・パヴィッチ 『帝都最後の恋』    「タロットにしたがって読むパヴィッチの本」
  5. ダンガードナーリスクあなたは騙される』    「現実小説よりハッピーなのだ!」
  6. ティーヴ・トルツ 『ぼくを創るすべての要素のほんの一部 』    「長い小説が書けない理由!?」
  7. 大野克嗣 『非線形世界』    「単純素朴なのになぜか伝わらない本」
  8. ジル・プライスバートデービス 『忘れられない脳』    「ジル・プライス忘却のない人生
  9. クラーク・アシュトン・スミス 『ゾティーク幻妖怪異譚』    「「そういう人」スミスが好き」
  10. スタニスワフ・レム 『泰平ヨンの航星日記』    「レムの欠番を埋めるのは」
  11. エミーリ・ロサーレスまぼろし王都』    「見えないものが見える瞬間」
  12. イヴィッド・レヴィット 『数式に憑かれたインド数学者』    「稀代の数学者架空伝記」

書籍化まで5光年 (2011年)

  1. ブノワ・デュトゥールトゥル 『幼女煙草』    「不穏さに満ち満ちた『幼女煙草』」
  2. スマイル・カダレ 『死者の軍隊将軍』    「不思議な国アルバニア戦争小説
  3. 高橋陽一郎 『変化をとらえる』    「数学教科書いろいろ」
  4. サイモン・シンエツァート・エルンスト代替医療トリック』    「代替医療に挑む議論の書」
  5. 辻原登 『闇の奥』    「辻原登は変である
  6. 柏野牧夫 『音のイリュージョン』    「聴覚だって騙される」
  7. マックス・ブルックスWORLD WAR Z』    「語り伝える書」
  8. ジェラルディン・ブルックスマーチ家の父』    「網目だらけ」
  9. グレゴリー・コクランヘンリー・ハー ペンディング 『一万年進化爆発』    「淡々進化中」
  10. イヴィッド・グラン 『ロスト・シティZ』    「見えない都市
  11. Federico Biancuzzi、Shane Warden 『言語設計者たちが考えること』    「言葉を作る人たち」
  12. A・R・ルリヤ 『偉大な記憶力の物語』    「無限記憶を持つ男」

書籍化まで4光年 (2012年)

  1. V・S・ラマチャンドラン、D・ロジャース=ラマチャンドラン 『知覚は幻』    「美の起源?」
  2. Charles Yu 『How to Live Safely in a Science Fictional Universe』(『SF的な宇宙安全に暮らすっていうこと』)    「ウーのくすぐり芸」
  3. マット・リドレー 『繁栄』    「人類は滅亡しない?」
  4. ウンベルト・エーコ 『バウドリーノ』    「エーコが好きだ!」
  5. Steven Bird、Ewan Klein、Edward Loper 『入門 自然言語処理』    「見えない辞書
  6. エットハミ・ムライ・アメド 『モロッコ食卓』    「信楽焼タジン鍋
  7. ピーター・ペジック 『青の物理学』    「青の見取り図
  8. クリストファーチャブリス、ダニエルシモンズ錯覚科学』    「見えないゴリラ
  9. 大沢文夫 『大沢流 手づくり統計力学』    「百円玉実験不思議
  10. トルケル・フランセーン 『ゲーデル定理――利用と誤用の不完全ガイド』    「ゲーデルさんごめんなさい」
  11. Mark Kac 『Kac 統計的独立性』    「数学者をつくる本」
  12. ロザリー・L・コリー 『パラドクシア・エピデミカ』    「矛盾と逆理の入門書

書籍化まで3光年 (2013年)

  1. レベッカスクルート 『不死細胞ヒーラ』    「ヘンリエッタ細胞
  2. ジョン・パウエル 『響きの科楽』    「宇宙人にあげたい本」
  3. 山田風太郎旅人 国定龍次』    「山田風太郎輪郭
  4. レニー・ソールズベリー、アリー・スジョ 『偽りの来歴』    「世界改竄
  5. Bruce A. Tate 『7つの言語つの世界』    「たくさんの言語
  6. 寺田尚樹 『紙でつくる1/100の世界』    「これは本です」
  7. アンソニー・ドーアメモリー・ウォール』    「非SF作家SF
  8. オリヴァー・サックス 『心の視力』    「サックスおじさんの症状」
  9. ダニエル・アラルコン 『ロスト・シティレディオ』    「読んでも未知の本」
  10. P・Gウッドハウスジーヴスとねこさらい』    「"ゆるさ"のシリーズ
  11. ヴィクトリアブレイスウェイト 『魚は痛みを感じるか』    「魚の痛みの判定基準
  12. イヴィッド・イーグルマン意識は傍観者である』    「傍観者法学

書籍化まで2光年 (2014年)

  1. ブライアンクリスチャン機械より人間らしくなれるか?』    「純正人間の奮闘記」
  2. Clifford A. Pickover 『The Math Book』    「数学的あれこれ250」
  3. トレヴァー・ノートン 『世にも奇妙な人体実験歴史』    「楽しい自己人体実験
  4. フリオリャマサーレス無声映画のシーン』    「幸せ本棚
  5. ジョセフ・オルーク折り紙のすうり』    「折り紙数学
  6. ニール マクレガー 『100のモノが語る世界歴史』    「大英博物館のモノ」
  7. 根上生也四次元が見えるようになる本』    「四次元練習
  8. トーマス・トウェイツ『ゼロからトースター作ってみた』    「トースターを作る男」
  9. ロベルトボラーニョ『2666』    「ボラーニョの奔流」
  10. ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』    「言語世界の見え方」
  11. D・マンフォード、C・シリーズ、D・ライトインドラの真珠』    「空海フラクタル
  12. V・S・ラマチャンドラン『脳のなかの天使』    「九つの美の法則

書籍化まで1光年 (2015年)

  1. 川添愛『白と黒のとびら』    「数学小説の融合」
  2. リチャード・パワーズ幸福遺伝子』    「純文とSF
  3. ロン・カリージュニア神は死んだ』    「真正突破短編集」
  4. ラウディアハモンド『脳の中の時間旅行』    「素朴に語る時間の話」
  5. Franco Moretti『Distant Reading』    「遠くから見る世界文学
  6. Lev Manovich『Software Takes Command』    「新しい思考の道具」
  7. デイヴィッド・マークソン『これは小説ではない』    「小説ではない小説
  8. シャロンバーチュ マグレイン『異端統計学 ベイズ』    「紛糾する統計学
  9. 内村直之『古都がはぐくむ現代数学 京大理解析研につどう人びと』    「数学という営み」
  10. Stanisław Lem『Summa Technologiae』    「レムの『技術学大全』」
  11. M・G・ヴァッサンジ『ヴィクラム・ラルの狭間世界』    「言葉より速く」
  12. 語り手 姉崎等、聞き書き 片山龍峯『クマにあったらどうするか』    「クマにあったら」

書籍化まで○光年 (2016年)

  1. ピーター・H・ディアマンディス、スティーヴン・コトラー『楽観主義者未来予測』    「未来は本当に暗いのか」
  2. ジェシーケラーマン駄作』    「いない、いない、の本」
  3. キャサリン・ゴヴィエ 『北斎と応為』    「歴史小説の書き方」
  4. 横山悠太『吾輩ハ猫ニナル』    「色んな言葉が混ざる小説
  5. 佐久間保明監修、本庄千代編『しかけ絵本世界』    「四角な本の大革新
  6. エミリー・オスター『お医者さんは教えてくれない 妊娠出産常識ウソホント』    「経済学者出産育児論」
  7. クレイグ・モド『ぼくらの時代』    「オモチャ電子書籍
  8. Noam Nisan、Shimon Schocken『コンピュータシステム理論実装』    「コンピュータをつくる」
  9. マーティンガードナーガードナー数学パズルゲーム』    「人生を変える数学パズル
  10. ピーターメンデルサンド『本を読むときに何が起きているのか』    「「読む」を考えさせる本」
  11. 遠藤侑介『あなたの知らない超絶技巧プログラミング』    「プログラミングロマン
  12. ベン・H・ウィンタース世界の終わりの七日間』    「世界の終わりへ続く日々」

書籍化まで△光年 (2017年)

  1. 奥修『珪藻美術館』    「ぞわぞわ感の境界
  2. マークチャンバーランド『ひとけたの数に魅せられて』    「ひとけたの数を語る本」
  3. ピーター・ウォード、ジョゼフ・カーシュヴィンク『生物はなぜ誕生たか』    「地球が生まれから歴史
  4. ライナー・クニツィアダイスゲーム百科』    「機械が作るゲーム
  5. ウンベルト・エーコプラハ墓地』    「史上最大の偽書の成立秘話
  6. ユーディット・シャランスキー『奇妙な孤島の物語』    「紙に書かれた五〇の島の物語
  7. 高野秀行『謎のアジア納豆』    「納豆とはにかみ」
  8. ロビンダンバー人類進化の謎を解き明かす』    「友達は二百人できません」
  9. アンソニー・ドーア『すべての見えない光』    「ドーア言語兵器
  10. ティーヴン・ウィット『誰が音楽をタダにした?』    「変化する音楽生態系
  11. 鈴木真治『巨大数』    「書くことのできない数」
  12. コマヤスカン新幹線のたび 金沢から新函館北斗札幌へ』    「視点がひっくり返る絵本

書籍化まで□光年 (2018年)

  1. まつもとゆきひろまつもとゆきひろ 言語のしくみ』    「言語のつくり方」
  2. 原武史政治思想史』    「物から読み解く政治思想
  3. マリオ・レブレーロ『場所』    「どこまでも続く部屋」
  4. 横山茂雄『神の聖なる天使たち』    「ディーとケリーの奇妙な運命
  5. ルシオ・デ・ソウザ、 岡美穂子『大航海時代日本人奴隷』    「記録に残されなかった者たち」
  6. 倉谷滋『分節幻想 動物のボディプラン起源をめぐる科学思想史』    「「発生」をめぐる学問歴史
  7. イチカワヨウスケ『野菜だし』    「レシピと伝達」
  8. 古賀弘幸『文字と書の消息』    「文字歴史の広がり」
  9. 赤野工作『ザ・ビデオゲームウィズ・ノーネーム』    「2115年のゲームレビュー
  10. 本山尚義『全196ヵ国おうちで作れる世界レシピ』    「世界196ヵ国の家庭料理
  11. フレット・スメイヤーズ『カウンターパンチ 16世紀活字製作現代書体デザイン』    「美しい活字への道」
  12. ジェニファー・ダウドナ、サミュエルスターバーグ『CRISPR(クリスパー) 究極の遺伝子編集技術発見』    「遺伝子編集の新技術

2014-01-14

モーツァルトを一番上手に弾けるのは子供だ」という都市伝説

ブクマあたりでははてな村ネタとして消費されてるようだけど、似たようなこと時々考えてるのでマジレス

はいっても、俺は小説書いてるわけではなくて趣味楽器弾いてる立場から少し前提条件が違うかもしれない。それはあらかじめ承知してもらった上で読んで欲しい。

で、結論からいうと、あなたが斬新な発想が失われたと思っているのは別にはてな」に出入りしているのが原因ではないと思う。単にあなたが大人になったからだよ。

ゲスパーを承知で言うと、あなた若い頃の作品が「セミプロに近い実力」であったとしても、そこからプロレベルに至るまでには見た目よりずっと大きな断崖があったはずで、あなた現在その断崖にはまるべくしてはまっているだけだと思う。

例として、クラシック界では題名のようなことが言われる。全く当たっていない訳ではない。上手な子供はレッスンの課題小学校高学年ぐらいでモーツァルトなんかを次々与えられて、なかなか魅力的な演奏をしたりする。一方で、超絶技巧の難曲を弾きこなす音大生に、古典的簡素モーツァルトを弾かせてみると機械的で散々な演奏になることもまたよくある。そうでなくても音大生の演奏って力任せで面白くないことが多い。結果、このあたりの曲には音大卒業してからも苦手意識を持ちっぱなしという人が意外と多くて、巷のピアノ教師なんかじゃ、40代とか50代になってはじめてモーツァルトのような古典的作品のすばらしさがわかった、なんてことを言っている人が意外なほど少なくない。だいたい、中高生あたりの間にプロになるための修行に着手したあたりで、この辺の作品は練習課題しか見えなくなってしまったりするらしいんだね。

ただ、聴き手の立場で言うとこれは理解に苦しむ現象ではあるんだ。モーツァルトって純粋で単純素朴みたいに言われるけど、聴いていて触発されるのは、憂愁とか諦念とか憤慨とか、なかなかどうして複雑な「大人の感情」も多分に含まれている。子供がこの辺の感情を消化して表現できることなんて到底できない以上、子供がどれだけ上手に演奏したって限界があるんだよ。

じゃあ子供がどうして音大生よりもマシな演奏をすることがあるかというと、逆説的だが子供は「何も考えていない」からだ。ちょうどあなた超自然的なものについて突き詰めて考えずに感性で処理していたのと同じようなもの。そうすると、わからない部分は「適当」に弾くことになる。しかモーツァルトの作品は音楽的に無理がなく自然に作られているから、「適当」でも一応それなりに形になってしまったりはするし、それを聴く大人は「深み」を勝手に読み取ってしまって、子供演奏を褒めてしまったりするわけだ。実はその演奏にあらわれた「深み」は全部作曲者のおかげなのにね。

ところが音大生は違う。歳を食ってしまえば、怖いもの知らずでもはや「適当」になんか弾けやしない。一見なんてことなさそうな作品なのに、あれこれ試しても本質に触れた気がしない。だからこそ迷う。悩む。その結果何もわからなくなり、技術理屈だけで無理押ししたような演奏になってしまう。そして聴き手からは「子供の方が上手だ」と酷評されることになるわけだ。

でも、これって退歩なんだろうか?違うよね。子供時代の、曲に乗っかっただけの「適当」な演奏が、自ら曲のよさを引き出す成熟した演奏進化するまでの過程には、「曲に振り回される散々な演奏」という段階をどうしても通らなければいけないということでしかない(もちろん、その辺をあっさりクリアしてしまう人もいるのだけれど、そういう人は並以上の才能に恵まれていた一般化できない存在であることは明らかだから今はおいておく)。

あなたの今の状態って、そういうことじゃないの?「作品」という表面では長いスランプかもしれないけれど、あなた自身は過去より確実にものを理解できるようになった(「はてな村」がそういう訓練の場として適切か、についても言いたいことは大いにあるがこれも今はおいておく)。この状態で元の場所に引き返そうったって、戻った先に進歩があると思う?戻った先は「退行」じゃないの?

そうじゃなくて、あなたが今やるべきことは、強化されたあなたの頭で、あなた過去の作品のよさと限界を冷静に分析することじゃないの?そして分析した結果、摩耗した感覚があったらそれを再度取り戻し、同時に過去の作品の限界を超える方法模索していく。そういう格闘の先にしかあなた進歩はないように思えるんだけれど、どうだろうか。

と、全部あなたの話をネタにして自分語りしてみた。的外れだったら「ゲスパー乙」で片付けてもらって構わない。しかし、現在気づきから再度ナイーヴさに逃避してしまうのではあなた自身の進歩を殺してしまうのではないかと心配になったんだ。

役に立とうが立つまいが、何かを考えるきっかけになってくれれば幸い。

http://anond.hatelabo.jp/20140112071842

2014-01-10

医学部勉強

 医学部の中でのセンター試験ともいえる、「CBT」というテストがある。

 全国の医学部共通である

 で、この試験、どういう位置づけかというと、大学によって違うが、ほぼセンター試験と考えていい。大学の学期末試験などが二次試験である

 では、このCBTどのくらい勉強するのか?

 『CBT対策』http://www.gaksyu.com/cbt/

 を引用すると、

 『クエスチョンバンクは3,300問あるため、一日400~1,000問程度進めれば1ヶ月で2周することができる。その際は、前日の復習をしながら新たな範囲をこなしていくサイクルが効率が良いと思う。1,000問進めるのはかなりきついと思うが、前日の復習500問+新たな範囲500問ならばできないこともない。それでも10時間以上かかってしまうため、連日続けることはお勧めできない。』

  

 信じられるだろうか? 3300問を2周する、1日10時間以上。

 これが、センター試験対策よりキツイことは明らかだろう。

 そして、これに加えて学期末試験もあるわけだ。

  

 医学部勉強量は異常だというが、本当に異常である

 医学部勉強量に疑問を持つ人は、自分で少しこのクエスチョンバンクをやってみてほしい、異常な量だとわかるから

 (本当のこと言うと、ある程度基礎知識ある+暗記慣れ+暗記をずっと続ける基礎体力+自分性格にあった学習方法を身に着けている といった様々な要因で医学生はこなせるようになっているということがあるので普通の人が普通に勉強するのとでは効率に圧倒的な差がある)

  

 まじめにやれる奴なら普通にできるだろうけど、まじめにできない奴にはかなり地獄である。6年+卒後数年、地獄をみることになる。(ソースは俺

 止まったら死ぬというような感じ。決して無理ではないが、マラソン毎日毎日ひたすら続けるきつさがある。

 最初のころ、自分知能指数が高いから大丈夫だろうと思ってまったく勉強しなかった。がしかし、知能指数なんて関係ないのだ。無味乾燥修行をやりこなすやりこなせないというのはそういうのを超えたレベルの話で、「メンタル管理」「学習計画をこなす体力」「体調管理」「優先順位を考えて行動する」といったどっちかというとビジネススキル的なもの総合力だった。自分ひとりでは勉強できないので友達と一緒にやることで危険回避する(情弱マジで死ねる)。頭を使うより時間を使うことが重要なので集中力は捨ててニコニコでも見ながらやる。とか。

 そして、周りは本当にできる奴らばかりだ。センターで9割とれといわれたら学年の95%が取れるだろうくらい勉強してくる知的集団である。才能を圧倒的に凌駕する勉強量というのをこの眼で見て驚愕した。漫画ではよく聞く話だが、いざ自分の目の前で何度も何度もそれを見せられると本当にビックリする、ネタじゃなかったのかと。灘、開成、あたりの高校に居たのだが、彼らでもこれほど勉強などしていなかった。

  

※追記

 放置してたらいきなり伸びましたか

  

 医者としての自覚が~~とか、そういうもんだろ。と偉そうなことを言う人は、クエスチョンバンクを買って、やりとうしてみてくれw多分無理です。すぐに意味は分かると思います

 ちなみに、普通医者って、いわゆる専門書とか言われる厚い本を普通に読んで普通に理解するってのを、何十冊もずーっとやる。ってのをやってます。そのレベルですから、CBTは本当にセンターレベルって話です。

  

 ちなみに、勉強が大変というか、勉強必要だってことです。

 「医学知識は数年で数割のレベルで変わっていく、追いつくのは絶対無理。50代の医者<<<30代の医者 という最新知識、技術の差は覆らない。だから、衰えてしまうのをゆっくりにするには学び続けるしかない。そして学ぶ力は?試験勉強で身に着けるしかない」

 ということです。

 頭の良さや超絶技巧必要ものって、いらないんですよ、医学には。そういうのって使える人が少ないしその人が救える患者少ないし。そういうのを凌駕するくらいガンガン医学は整備されてます。残ったのはひたすら努力で身に付く知識や技術ばかりです。

  

 ある種の職業訓練です。医学部は暗記中心だからとか、他学部のほうがクリエイティブとかそういう話ではなく、単純に医学技術の最重要項目として医学には『勉強する技術必要』って話です。

  

 そして、勉強できるかどうか?ってのは、根性自覚とかでは決まらない、人智を超えている話です。「まったくマラソンしたことない人が100キロマラソンできますか?」というのに答えなど出せないようなものです。それをいかに続けられるように工夫できるか?ってのがつまり勉強をし続ける技術です。

  

 自分は、『ブラックジャックによろしく』で号泣するタイプではあるんですが、ああいうのは違うと思います。あの作品では「淡々患者治療する」ってのが情熱が無いとか言われてますけど、え?淡々治療するってのには、淡々技術や知識を身に着け続けて最良の医療を目指すってのも含まれているわけです。むしろあの漫画研修医主人公は「勉強しろよ」って思いますわ。唯一認められるのは腸閉塞の手術トレーニングしてたのくらいか。

 情熱どうこうでなく、患者のために100キロマラソンし続ける的な。そういう無味乾燥修行僧的なのが本物じゃねーかなってのは思う。もちろん患者さんに心から尽くすのはやんなきゃいけないんだけどさ。勉強おろそかにして患者中心もなにもねえじゃん。ニーズを理解するのは大切だけど。

 自分思想とか感情とかまともな感覚なんて荒廃するくらい学習し続ける、果てしなく無味乾燥に理性だけで動き続けるっていう、そういうのをないがしろにするようなあの漫画主人公の気持ちとかって違うなって思いますわ。

 「先生ウンコ食べろっていわれたら食べるんですか?」って主人公聞きますけど、「当たり前だろ、食うよ、自分感情とか感覚とか思考とかどうでもいいよ、それが最良の医療につながるなら何も考えず食うよ」レベル学習するって当たり前なんですよ。そこに情熱とか関係ないかと。

2013-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20130530132134

こんなとこでクダ巻いても意味ないんだけど、煽られちゃった。

言いたいことわかるけど、エロ編はバカにしちゃーいけないよ。

借りポジ本ばーーーーーっかで、しかも、自分に自信がないから既刊本の成功例を寄せ集めた無難丸めしかできないくせに、さも企画編集した満足感で満たされてるっつー出版点数ノルマ達成したいだけだから開き直りの境地にも到達できない、中身が全然ないパクり丸出しで恥の概念が瓦解している実質編集ワナビースカスカ脳ミソのエロ編が携わったなんとも後味が悪い工夫ゼロエロ本が世の中に氾濫してたりで、エロ編全体が(社会的地位という意味じゃなくて)職能仕事の詰め方で訝しがられても仕方がないっちゃーそーなんだけど、実際はね、でも、詰めてきっちりやってる人も割合いるんすよ。別にエロ本自由区みたいに派手でキャッチークリエーティブでサブカルチャー!みたいなものも今でもあるぜってのだけじゃなく、オーソドックスな編み方で地味でパッと見ありふれてるけど、予算時間のがんじがらめのリミットの中で考え抜いていて、ドグサレ必滅エロ本と同時に読み比べると全然没入感違うわ、没入難易度超低いわなんて感慨をきっと抱いてもらえる、林立した性的指向の個別性プロブレムをかいくぐりながら最大多数をセックスファンタジーの奥地へ障害なくスムーズアテンドするように設計されている無味を追い込んだ超絶技巧なやつもひっくるめて、やっぱ初期衝動を保ち続ける困難な自己管理に基づいたプロ編集力ちうのは、あたりまえだけど、低減傾向ながらも、エロ本世界にもあるわけでして。そういうのが受け手にきっちり届いていないのは、編集プロたちも時代の流れで産廃化してたり、編集PRエロ出版全体の読者教育(いいエロ本を見抜く目を養う)の努力と実力不足もあったりなんでしょうけどね。うん。

ホント言いたいことはわかるし、とにかくダメな方のエロ出身ニュースサイター編集を沢山見てきたんだろうけど、エロ編ってひとくくりにしないでほしいのー。どうせひとくくりにするなら元旅行ムック編集とかの方がいいんじゃないの? …と言ってみました!

2013-05-18

http://anond.hatelabo.jp/20130518143034

これか。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/90_14976.html

今読むと芥川ってわりとあっさりしてるのな。超絶技巧派のように思っていたけど。

2010-01-07

http://anond.hatelabo.jp/20100107120158

阿部さんが「男はやり方次第でみな(自分に対して)尻を向ける」と言ってるようなもんだよなーこれ。

横だが、別におかしくないと思う。俺はノンケホモフォビア気味だが超絶技巧で攻められたらどうなるかわからん。「やり方」の中には常人では実現不可能なほど困難なものもあるだろうが、阿部さんならやってくれるだろう。

2008-09-15

職人と呼ばれる

16,7で弟子入りして60年くらい経つと、年季のいった職人になる。ようするに一生をそれにささげたってこと。趣味なんて生臭いことに手を出さず、自分の仕事だけこつこつやっていると、妙に仏教的な、垢がこすれ落ちたような人間と作品ができあがる。

重要なのは時間をかけること。

プロとはちょっと違う。職人の場合、あまり生活の話が出てこない。いや、生活の話は出てくるんだが。年収が低くて困ったとか、需要が無くなって困ったなんてものの埒外にあってほしいとみんなが願うのが職人。そういう意味で、きちんと年収を稼いで一定のレベル仕事をし続けることをしているプロは、職人とは少し違う。職人は一定レベルではなく常に最上を目指す。

職人が偉くてプロが駄目などという話ではない。

アマチュアはどちらも目指すこともできる。ただし、学生時代アマチュア職人的な道を目指したとしても、卒業すると生きていくということに直面する。そうすると、もう職人的な超絶技芸、世界的名作なんてものからは目を背けないといけない。趣味なんだから。普通仕事ほど時間を割くことができない。プロは一定時間内に一定のレベルの出力を常に出し続けることができる。趣味としてのアマチュアは限られたプライベートの中でこつこつと楽しむことしかできない。

まれに、食うに困らないアマチュアがいて、その中から職人的なものを目指すやつが出てくる。中世ヨーロッパの「学者」たちの中には、パトロン付きのアマチュアがたくさんいた。たいした出力は要求されず、お給金はしっかり払われる。その中で、自分だけの坂道を一歩一歩登ってった連中

食うに困らず、時間がたくさんある、という状況にもいろいろあるのだろうけど。

どうせ引きこもって働かないのなら、ギターベース超絶技巧に挑戦してもいいんじゃないか。

2007-10-10

なぜに大音量の有線放送を

http://anond.hatelabo.jp/20071010075244

本当は一般店のBGM邪魔なんで文句言いたいが、そんなことをしても奇人だと断定されるのがオチだと思ってぐっとこらえてる。そんな俺の最近脳内BGMリスト超絶技巧練習曲第10番。…うむ、我ながら実に奇人だ。

2007-08-13

Re:ふと思った、ネットで手っ取り早く世界を変える方法

http://anond.hatelabo.jp/20070812010202

面白いコメントを書くとか、面白い記事をブックマークするとかでも世界は変わるのではないだろうか。

“あの”宇多田ヒカルブログ政治的なコメントしても、世の中には「これっぽっち」も影響が無かったってのに?

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1015126.html

ただ、最近だとそれに近い事はあった。例のForza Motorsport2で、「○や△などの簡単なパーツだけが使えるペイントシステム」を駆使しまくる事で、日本人ユーザー超絶技巧によって多数の「痛車」を作り上げ、それを見た世界のユーザーを驚愕させた事例が有名。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/990118.html

音楽なら、歌詞がいらないテクノ音楽などで世界に打って出る、という方法はある。ただいかんせん、音楽というのは「歌詞込み」で盛り上がる要素があるため、英語が苦手な大多数の日本人にとっては、あまり適した手法ではないかもしれない。

最近ならYoutubeなどの動画コミュニティで、違法となる『既存映像作品のアップロード』以外の方法で、何らかのショートコントダンス・あるいはコマ撮りアニメなどを流すという方法もある。この場合、必ずしも「言葉」は含まれなければならない要素では無い、というのがポイント

問題は、当の日本に住み暮らしている我々自身が、日本という国が世界では実はいろいろな意味で異端であるという事実を、肌で実感している人があまりに少ない、という点だろう。

現在の世界の中で、日本にしか存在し得ない慣習や行動原理」というのは、少し見渡すだけでも、身近なところに幾らでも転がっている。だがそれを、我々が「差」として認識している例は、あまりに少ない。

そういった例をネットで公表・あるいは提唱するだけでも、世界にある程度のインパクトを与える事ができるような気が、自分にはする。

2007-07-25

http://anond.hatelabo.jp/20070725182742

クソな理由がいまいち頭に入らない。

「そもそもがクソだという認識」ありき、みたいな話に見える。

じゃあこれでも見てよ。雑誌Pen」の中吊りだよ。最近キレイ仕事だと思ったんでお題にしよう(何時まで表示できるかわからないけど)。

特集は「宇宙へ」良く分からないけどかつての米ソ宇宙開発競争ネタらしい。

http://pen.hankyu-com.co.jp/cm/index.html

アオリで空を背景にソ連時代のロケットモニュメントがシルエットでそびえ立っている。空を仰ぎ見ることで夢の広がる期待感と同時に逆光が過ぎ去った時代のノスタルジーを漂わせたとても力強い写真だ。

この強力な写真のシルエットを矢印に見立てて「宇宙へ」というシンプルメインコピーがハマっている。これ以上ないというコンビネーション

さらに矢印のシルエットに下部の黒帯が繋がっていて歴代の宇宙船が並んでいる。矢印に示されるように「宇宙へ」行ったロケットたちというわけだ。

メッセージも分かりやすいし男の子なら盛り上がらずにはいられない期待感を持たせてくれるデザインだ。とてもかっこいい。

HTMLCSSでも表現できる?

そりゃそうだろう。じゃあこれを構造化してデザイン差し替えるとどうなるだろう。「デザインを分離」したんだからデザインは何とでも差し替えられるんだよね?それって意味あると思う?ああ、新聞の下段によくある文字だけの雑誌広告なっちゃった。あの高揚感はノイズかなにかだったの?

これは特例だからJPEG1枚とか数枚にすればいい?

そうかもね。でもこれは電車中吊り、本文よりも重要度の高い見出しだよね?構造化して意味が拾えなくてもいいの?

じゃあベテラン俺様なら…そうだね、見たこともない超絶技巧でならなんとかなるのかもね。

2007-02-14

世界でただひとりの素人

もう何も書けない。自分がつまらない人間だということをまざまざと思い知らされた。巷で人気のある文章の向こう側に作者を幻視してみると、どいつもこいつも玄人ばかりでまったくいやになる。玄人の超絶技巧と誇大妄想の片鱗をロハで味わえるなんて素晴らしい時代になったものだ。彼らが繰り出す絶妙に神懸かったパンチラの如き言説に、みな一様にいきり立ちボッコボッコスとブクマするのには思わず恍惚

そんな現実を直視させられた自分が何をするのかといえば、

「所詮玄人の文章なんて金をだしゃあ買えるんだよ。コンシューマ移植されたエロゲみたいなものに悶悶としながらおそるおそる有り難がって反駁するなんてぇのは馬鹿げてる。自分だったらはなっからそんなものは読まずに堂堂と金を出し、まるで客のようなツラしてさんざッぱら楽しんだ挙句扱き下ろして辱めてやらぁ」などと息巻いて、さらに言うのだ。「より重要なのは素人の呻き呟きだ。こればっかりはいくら金を払っても見られやしない、本来ならば。こっちのほうがずっと価値があるのさ。つくりものじゃない、正真正銘のパンチラたぁこのことだ。神々しいねぇ。しかも黒い、眼福」

しかし、そんなことを豪語したわりに耳目を驚かす素人の文章を見つけると何とも複雑な乙女心をはたらかせてしまう。怨念憎悪と私的な幸福がわずかに滲んだ詩的な感情に眩暈がする。実に素人くさい、改行のない、言葉意味の取り違えが多い、ただ刺刺しいだけの野暮ったい文章。熱の籠った暑苦しい文章。ちっともスマートじゃない。ありふれた状況と、ありがちな感情しかのっていない文章。誰にでも書けそうで、だけど誰にも書けない。自分にはとても書けない。

だしぬけに嫌気が差して、あれは玄人の成りすましだということにしてしまう。如何にもじゃないかと自分を納得させようとする。そして、あの泥臭さ、懸命さ、熱量はつくりものなのだ、自分にも学習できるのだと矮小化してしまう。あるいは、あれは天稟に恵まれた人間の作品で、自分には真似できないと卑下し、相手を神格化するのだった。

それで惨めな気分にとらわれて、さようなら。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん