はてなキーワード: 書き下ろしとは
これまで刊行された『美しい彼』シリーズの単行本やドラマCDについていたオマケや、アンソロジーに掲載された番外編SSなどが収録されている。数えた訳ではないけど、『悩ましい彼』の幕間話が多いんじゃないかな。なので、多くの場面で清居がおデブ。全体の半分弱が書きおろし。ストーリーの面白さと登場人物が皆個性的でキャラが濃ゆいせいで、ものすごい読み応えを感じる。
本編ではストーリーを進める都合上、省かれてしまった細かいエピソードが……特に平良のきもち悪さが……盛りだくさん。
家電の心意気で生きている平良✕普通の人間と普通の恋人として触れ合い共に暮らしたい清居の、すれ違いまくるのにちゃんとカップルとして成り立っている、チグハグなやり取りがとても面白かった。書き下ろしではまさかの心霊現象発生。これまでリアルな世界観で来たのに、いきなりSF(すこし・不思議)とはこれいかに。くっそ面白かったけど。あと、謎の光の存在感、はらだ先生の『ハッピーくそライフ』に出てくる道祖神のような物体を連想した。
平良が熱く妄言を語るシーンぜんぶ好き。清居とビーバー小山の場外キャットファイトも好き。TO(トップオタ)と平良の交流の話は、生々しいドルオタの裏側を知れて勉強になった、のか? てかドルオタって本当にああいうものなの? かなり、怖いんですけど……。ともあれ、パン姐さんに幸あれ。
ラストの社長視点は清居に対する見方が思いの外辛くて驚きなんだけれども、そう言われると確かにそうだよねっていう感じだった。心霊現象とかTOとかファンタスティックな話が続いてから急に現実に戻ったな。
とにかく笑って笑って笑う。腹筋がかなり鍛えられる一冊だった。
来月からドラマ『美しい彼』放送だってー! 枠は二年くらい前に『きのう、何食べた?』を放送していた枠と同じかな。清居役を演じられるようなイケメンはこの世にというか、日本国内で調達するのは無理なんじゃないかなと思っていたけれど、ちゃんと美しい男の子をひっぱってこれて良かったねー。役者のコメント読んだら、まさに清居らしい生意気そうなコメントをしていてかわいい。平良役の子が、本当に平良っぽい容姿をしているのだけれど、笑うとすごく可愛いので、びっくりした。ドラマ楽しみ。
鬼滅の刃のコラボに使われているイラストを注意深く見ると権利者表示なのか集英社のほかに必ずufotableとかフジテレビとか小文字で書いてある。
しかもイラストが確実にアニメのスタッフが描いたと思われる筆致だ。なんで?
集英社が単独でコラボ企画してそれを話どっかの会社に持ち掛けて漫画家が書き下ろしした絵を使うっていうのは契約上だめなの?
もしufotableとかを必ず絡ませなければならないという契約なら必然的にアニメに出て無いキャラは主要キャラだろうが出ないことになる。
コラボに原作者の書き下ろしを使ってほしいという人もたくさんいると思うのだが、そういうことはしないさせない契約の方が関係者全員にとってビジネス上有利ということなのだろうか。だとしたらそれはなぜなのか。
そもそもアニメ化された範囲では出なかったがそれ以降に主要人物として出て来るキャラをコラボに用いた例はないのだろうか。そういうケーススタディになる前例もあるなら挙げられるべきだろう。
増田で書いてきたもので本になった人が出て来たら尊敬するしカリスマ性を感じる。
悪印象が強いほどその輝きは増す。前例がないことをなしとげるのが重要なのだ。
今さらなろうやアルファポリスで書いてる人がプロの物書きにジョブチェンジしてもなんとも思わないのとちょうど逆だ。
我々は自分と同じものを持っている人間に圧倒的なものを求める。
ちょうど日本人として大谷翔平や錦織圭が尊敬の対象とされているのと同じだ。
中途半端な優劣が僻みを生むことがあるだけで、多くの人間には圧倒的な存在を心の拠り所として受け入れる用意がある。
そういう存在は、自分ももっと上を目指せるとか思うための生きる支えになるから。宗教における神みたいなものだ。
増田においてもそれは変わらない。こんなくそったれの空間の中からこそ、そういう偏見を跳ね返す書籍化という名の功績を出す人が現れてほしいと思っている。
増田で書籍化の例がないのは権利関係を把握するのが大変だからとか、目立ちたくない人、副業禁止の人がいる可能性があるという出版社側の配慮にあるという言う人がいる。
それもあるかもしれないにしても、そもそも書籍化の水準に達している書き手がいるのかという問題がある。
なろうでも書籍化の話をかけてもらえるためには、最低一つの作品を完成させるために「書き続けなければならない」ということがある。
増田で何か一貫性をもった記事群を本にまとめるだけの分量だけ書いた人はいるのか。配慮よりもまず書き手側の質の話なんじゃないかと思える。
実際、水準に達している人の方から出版社側に「増田で書いた記事に書き下ろしつきで本にまとめれば増田という媒体のイメージとのギャップから一時的にも話題になりますよ」とセールスすれば、通ると思う。ちょうど電車男の話題性に2ch発ということが大きく寄与していたように。
「プロセカ勢はマジミラに来るな」って主張する古参ボカロファンと
そんな意見を批判する古参ファンの意見の衝突が起きてたのを側から見てた。
「入口はなんであれボカロファンに違いはないんだから受け入れろ」
実際問題、プロセカを入口として新しいボカロファンは増えたんだろうと思う。
何から入ったにせよ、初音ミク始めボカロファンであることに違いないなら
積極的にマジミラや、その他イベントにも参加すればいいと思う。
というか界隈の盛り上がりのためにもしてほしいと思う。
ただ「プロセカ勢のマジミラへの参加を否定する古参ファン」の批判ではなく、
「プロセカをやってない古参ファン/プロセカを受け入れられない古参ファン」まで批判するのは
どうなんだろうなぁと一連のツイートを見ていて思った。
当人も呟いていたが、初音ミクやボカロには様々な愛し方がある。
故にプロセカから入って初音ミクを好きになりました!という人も、
プロセカはやってない/苦手だけど初音ミクが昔から好きです!という人も
いろいろな形の「好き」があって然るべきだと思うし、その好きの気持ちに差をつけることはできない。
恐らく「プロセカをやってないor受け入れられない古参ファン」を叩いてた人も、
あくまで「プロセカをやってないor受け入れられないだけでなく、プロセカから入ってきた新規を批判する古参ファン」を叩いてたんだろうとは思う。それは正直批判したくなる気持ちはわかる。
実際、一方的に新規批判・プロセカ批判をするだけの声の大きい古参ファンは害悪だとは思う。
ただ、多くの「プロセカはやらないけど自分なりの愛し方でボカロを応援してます」という人たちは、
一連のツイートをそんな風には見てくれない。
「プロセカをやってないor受け入れられない」こと自体を批判されてると思うだろう。
一応一連のツイートで「あくまでプロセカ勢を批判する古参ファン」と書かれてはいるが、
断片的に一部のツイートを見た人には伝わらないだろう。
これには些か問題がある。
この主張だって「初音ミクには様々な愛し方がある」と言うのであれば、矛盾してることになる。
もちろん「自分の考える初音ミクと違う」からやらない、という人もいるだろうし、
音ゲーが苦手だからやらない、やってみたけど肌に合わなかった、飽きた等理由は色々だろうに。
本来なら「プロセカやそれらの新規ファンを批判する古参」はダメだ、という主張だったはずなのに、
このような言い方をしてしまっては「プロセカも受け入れられるファンこそ真のボカロファン!受け入れられない奴らはそれより下!俺はすごい!」とマウントを取ってるようにしか見えない。
これでは、プロセカが苦手な層はさらにプロセカに嫌悪感を抱いてしまうし、
今までそうでなかった人にまで「プロセカ推してる層苦手だわ…」と思わせてしまう恐れがある。
1人の大きい声が界隈一括りとして見られるなんて珍しいことでもない。
それ以外の言葉が強すぎて良さが伝わってこないどころか悪い印象を与えてしまってる。
(少なくとも自分は悪い印象を受けた。)
一度自分のツイートを冷静に見返して問題がなかったか改めた方がいいと思う。
「まだボカロはプロセカの範囲でしかわからないけど、でもボカロを好きになりました!楽しんでます!」も、
「古参ファンだけどプロセカ楽しんでるよ!もちろん楽曲もいっぱい聴いてるよ!」も、
「プロセカは苦手だからやらないけど新曲は追ってるしボカロが好きだよ!」も、
「プロセカはやらないし楽曲も好きなものだけを聴いてるけど、ずっとボカロが好きだよ!」も、
どれが正しくてどれが間違ってるなんてないし、優劣なんてないんじゃないだろうか。
そんな風に個々の楽しみ方ができるし許されるのが初音ミクやボカロの魅力の一つだと個人的には思うが…
ボカロ古参ファンというならこの辺りを肌で感じてそうな気もするが…“初音ミクを好きならプロセカをやれ”なんて意見が出るのかと少し不思議だった。いやこれも決め付けか。すいません。
余談だが、この主張をしてる人はやたらと「KAITOやMEIKO(とルカ)界隈はプロセカのおかげで盛り上がった!プロセカのおかげで曲やイラストが増えた!」と言ってるが、本当にKAITO、MEIKO、ルカ界隈を追って見ててそう言ってるのだろうか。
確かにイラストはプロセカのファンアートとして増えた気はするしいいことだと思うが、
楽曲はプロセカへの書き下ろしのことを言ってる?書き下ろしが来たことで投稿数が再生数がと言ってる?
本当にニコニコ動画やyoutubeで日々彼らの新曲をチェックしてて増えてる!と言ってるなら申し訳ないが…
どうにも新しい曲がどんどん投稿されています!というようには思えないな。
マジミラで数曲できるようになったのも〜と言ってるが、
現状ではあくまでアニバーサリーだから、というところで数曲披露しているだけで、
一通りにアニバーサリーが終わった後のマジミラで演奏曲数が増えたらそうなのかもしれないけどね。
とにもかくにも、
米津玄師やYOASOBIのAyaseといったボカロ発のアーティストが注目され、ボカロ音ゲーのプロセカがヒット、Vtuberはこぞってボカロ曲をカバー、tiktokでもボカロ曲が普通に使われている(らしい)というこの2021年。
有名ボカロPを10人ぐらい紹介します。チョイスも順番も適当です。
代表曲は最近のヒットとそれ以外で一番人気な曲の2曲にしていると思います。
再生数ごとの曲数とイメージはかなりざっくりですが以下のような感じなのですごさの参考にしてください。
例えば100万再生以上の曲は20万曲中600曲という読み方をしてください。
再生数 | 曲数 | イメージ |
---|---|---|
1000万 | 6曲 | 神話入り・みくみく千本桜メルトマトリョシカWEDHモザイクロール |
500万 | 60曲 | 超有名 |
100万 | 600曲 | 伝説入り・文句なしに有名 |
50万 | 1000曲 | ボカロ好きなら少なくともPか曲名は知ってる |
10万 | 5000曲 | 殿堂入り・中堅ライン |
5万 | 8000曲 | この辺まではわりと何でも聴く |
1万 | 2万曲 | マイナー |
5000 | 3万曲 | クオリティー保証ライン |
1000 | 9万曲 | ドマイナー |
全体 | 20万曲 |
(プロセカがヒット?と思う人もいるかもしれないが、プロセカはユーザー男女比4:6で約半分が10代というセルランが主戦場ではないソシャゲなのでメインユーザー層と近い人でないとヒットが把握しづらい。ソース:『プロセカ』がボカロファンやミクたちに与えた影響 ― ニコニコ動画が果たしていたような役割を担うかもしれない【開発者座談会】)
最初の数曲は再生数5万程度とそこそこの伸びだったが、オートファジーがヒットして一気に有名Pになった。
歌詞は文字で見るとよく分からないが最近は音として聴いたときの感じを重視するのが流行りらしい。多分。
この人が使っているv flowerというボカロは中性的な声が特徴で、最近多いおしゃれな感じのボカロ曲によく使われている。
v flowerにも初音ミクなどのようにキャラクターイラストがちゃんとあるのだが、おしゃれな感じのボカロ曲はPVにオリキャラを出したりキャラのいないイラストだったりすることが多いので認知度が低そう。
2008年から投稿している、全曲10万再生以上の安定した超有名古参P。
2011年頃に柴咲コウなどの人間に曲提供をしていて、アルバムにも人間曲を普通に入れていたので、当時はボカロPをやめて人間の曲を作っていきたいのかと思った。
実際2008年から今までで2011年だけボカロ曲を一切投稿しておらず、2012年も企業案件系の曲のみであった。多分。
その答えは2013年のインタビューで明らかになる。(DECO*27「DECO*27 VOCALOID COLLECTION 2008~2012」インタビュー - 音楽ナタリー 特集・インタビュー)
2020年に突然Youtubeのみに投稿するようになったりした(ヴァンパイアで戻ってきた)ので、そういう感じのふらっとした人なんだと思う。
この人が立ち上げた曲を作るための会社「OTOIRO」が2019年に炎上したが曲人気には全く影響しなかった。
P名の由来は「みきとP」という曲名。SF-A2 開発コード mikiというボカロをテーマにした曲である。
P名は古参でもついていない人は普通にいるし、最近の人でもついている人はいる。
ただ最近は動画タイトルに自分の名前を入れる人もいるので、そういう人はP名をつける空気にならない。
作風の幅が結構広いが、どの曲も聴くとちゃんとみきとPの曲だと分かる。
「ロキ」はPとボカロ(鏡音リン)のデュエットで、こういう人間とボカロが一緒に歌っている曲はニコニコ動画では「VOCALOIDと歌ってみた」というタグで括られる。
ロキ以前には歌い手によるカバー曲以外では大きなヒットがないタグだったので、人間がいるから駄目ということではないという証明になった曲だと思う。
DECO*27も「デコーラス」と言われるぐらいには主張強めに入れる。(最近の曲は控えめかも)
あのカゲロウプロジェクトを作った人である。
カゲロウプロジェクトとはボカロ曲を軸にボカロキャラとは関係のないオリジナルのストーリーを展開していくというプロジェクトで、アニメ化もされた。
2011年の初投稿「人造エネミー」から2018年の「アディショナルメモリー」までカゲプロが展開されていた。最近10周年でリブート企画が始動した。
ということで最初から企業の仕込みだったということはないと思う。
企業の仕込みだと初投稿から半年でファーストアルバムが商業流通で出る。
カゲプロは本当にボカロの流れを変えた存在で、(以前からそれなりにいたが)ここで一気に女子小中学生がリスナー層に増えたと思う。
最盛期はアルバムクロスフェードが100万再生を達成するほど勢いがあった。
「日本橋高架下R計画」や「Sky of Beginning」はカゲプロとは関係のない曲だが再生数はしっかり伸びているので、別にカゲプロじゃないと伸びないPではない。
直近ではアニメ「魔法科高校の優等生」のOPを担当することが発表されている。
ヴィランや(ボカロじゃないけど)うっせぇわのAdoに書き下ろしたギラギラが話題になったP。
急に最近人気になったわけではなく、2010年の「アンファンテリブル・イン・ハロウィン」ですでにランキングに顔を出していた。
その後2012年に「怪異物ノ怪音楽箱」がヒット、同じく2012年の「古書屋敷殺人事件」は女学生探偵シリーズとして楽曲・小説が展開された。
女学生探偵シリーズは当時流行っていたカゲプロ的なストーリーの繋がりがある楽曲シリーズで、カゲプロ・終焉ノ栞・ミカグラ学園組曲など色々あった。
それらが厨二系だったのに対し女学生探偵シリーズは昭和レトロな雰囲気が唯一無二だったので、いい感じに地位が確立されていたと思う。
もともとリズム感重視で韻を踏みまくった歌詞をよく書く人なので、今は前述した「音として聴いたときの感じを重視する」という波に作風がしっかり嵌っている。
別名義で小説を書いている。
代表曲:「アイ情劣等生」「ベノム」
この人も自分の作風はしっかりあるが流行に合わせるのが上手い。
かなり意識的にヒットを狙いに行っていると思う。
「アイ情劣等生」と「アルカリレットウセイ」は「#コンパス 戦闘摂理解析システム」というソシャゲのキャラのテーマソング(公式)。
コンパスには1キャラ1曲テーマソングが存在し、さまざまなボカロPが曲を提供している。
コンパス曲はヒット確定という風潮もあり、実際多くの曲が100万再生を達成している。
なぜそういうスタイルがウケたのかというと、腐女子とかが「この曲はあのキャラっぽい」「このキャラはあの曲っぽい」と勝手に好きなキャラと関係ない曲を結びつけるイメソン文化を公式でやっているからである。
プロセカも腐女子とかが男キャラのMMDを作ってボカロ曲を踊らせたりボイスを切り出して無理矢理歌わせたりしているのを公式でやっているようなものなのでウケた。
(もちろんどちらもあくまでも人気になった要因の1つに過ぎないし、やっているのは必ずしも腐女子ではない)
代表曲:「ジャンキーナイトタウンオーケストラ」「テレキャスタービーボーイ」
「テレキャスタービーボーイ」は2019年のショート版と2020年のフル版が両方100万再生を達成している。すごい。
ショート版の曲長は1分で、他にも「空中分解」「エゴロック」などの1分曲を作っている。
ぐらい。他にあったらすみません。
Adoに曲提供するようなおしゃれ系の人にしては珍しいかもしれない。
カバー曲は2009年から投稿していて、カバーだとPONPONPONのレンカバーやえれくとりっく・えんじぇぅの鏡音アレンジカバーが有名。
どちらかと言うとボカロキャラのための曲を作るタイプの人で、「レン廃留置所」というレンくん大好きユニットにも参加していた。鏡音レンはそういうPを飼っているボカロである。
でも2016年前後は歌い手のれをると組んでれをる用の曲ばかり作っていたのでボカロ曲は全然投稿していなかった。そういうこともある。
代表曲に「ギガンティックO.T.N」を挙げたが、こういう曲があってこそのボカロ文化である。多分。
歌い手出身のボカロPの中にはボカロ打ち込みや編曲を他の人に任せている人もいるが、まふまふはそのあたりも自分で担当している。
歌い手としても自分で自分用に作った曲をよく歌っており、この前東京ドームで無観客無料配信ライブをしていた。
それが朝の情報番組で「まふまふさんが東京ドームでライブしました!」と普通に取り上げられていてびっくりした。そんな有名なのか。
以前ゴーストライターに曲を作らせていたスズムというとんでもないボカロPがいたのだが、そのゴーストライターをさせられていたと言われている。(未確定情報)
この時点ですでにハイクオリティで、3DSの音ゲー「Project mirai」にも収録された。
BEMANIに曲提供をしているP*Lightと同一人物で、「エレクトリック・ラブ」がボカロ処女作というわけではない。
今ほどはボカロがメジャーな存在でなかった2012年頃からボカロ界の貴公子という謎の異名を背負って何度かテレビに出演していた。
テクノポップがメインでいかにも電子音な曲を作るので、そのボカロ感がテレビウケという点で良かったのかもしれない。
(他に有名でテレビに出てくれるようなコミュ強Pがいなかったというのもあるかもしれない)
NHKのニュース番組「フカヨミ」では2012年に番組内企画で番組のイメージソングを制作し、それがEDとして使用されていた。
NHKはその頃ラジオでボカロ曲専門番組をやっていたりと、結構前からボカロと仲良しである。
代表曲:「SNOBBISM」「ロストワンの号哭」
強めの高速ロックのイメージがあるが特に最近は高速じゃない曲もある。
「脱法ロック」と「い~やい~やい~や」のPVは他アーティストのPVのパクリではないかと話題になった。
(PV製作はそれぞれりゅうせー、寺田てらなのでNeruが直接作ったわけではない)
後者はパクられた側が直接Neru側に問い合わせているが、パクリではないと返答されている。(ソース:Cluster A騒動によせて - in the blue shirt)
このはてな匿名ダイアリーにいい感じの記事があったので全体像はこちらを参照。→Neru(ボカロP)と寺田てら(動画制作者)の「Cluster A」パクリ疑惑騒動まとめ
PVパクリ疑惑とは別に曲パクリ疑惑もあるがPVパクリよりも曖昧な話になってしまうので割愛。
代表曲:「アンノウン・マザーグース」「ワールズエンド・ダンスホール」
2009年に処女作「グレーゾーンにて。」を投稿し、その後の数曲はそこそこしっかり伸びて同年6曲目の「裏表ラバーズ」が大ヒット。
ハイテンポな高音ロックサウンドが特徴で、「ボカロっぽい曲」という概念を確立したPのうちの1人だと思う。
2011年まで毎年投稿していたが人間のバンド「ヒトリエ」を結成したためボカロは一旦休止。
ちなみにボカロPが人間のバンドを組むのはよくあることである。ボカロP活動とのバランスは人それぞれ。
そして2017年に初音ミク10周年記念CD用書き下ろし曲「アンノウン・マザーグース」を投稿。ライブで最高に楽しい曲。
2019年死去。
ボカロPが亡くなるというのはさすがによくあることではないが、「ルカルカ★ナイトフィーバー」などのSAMナイトシリーズで有名なsamfree、「Q」「ストロボラスト」の椎名もた(ぽわぽわP)、「オマーン湖」の乙Pなどもすでに亡くなっている。
samfreeはあいみょんのデビューシングルの編曲やアニソン制作もしている超有名P、ぽわぽわPは「ストロボラスト」投稿時16歳ということもあり非常に注目されているPだった。乙Pは曲タイトルでお察しください。
この人たちはレーベルに所属していたり、活動仲間がいたため亡くなったことを知ることができたが、ボカロPには消息不明のPも多い。
突然帰ってくることもあるが、本当に亡くなっているPもいると思う。
ボカロをしっかり聴き始めたのは2010年なので2009年以前の話は詳しくないです。すみません。
先日も述べたように自分はポーの作品が好きではあるのだけれども、ミステリの黎明期は今でいうところの禁じ手を平気で使っているものが多く、純粋にストーリーを楽しもうとするとずっこけることがある。とはいえ、論理と推論をたどることによって面白い話を作りだすのを始めたのは彼なので、ミステリが好きなら読んでおきたい。確かに意外な真犯人ではある。
同じく、今でいえばお粗末な話も時折あるのだけれども、ホームズとワトソンの関係が好き。中でも「三人ガリデブ」でワトソンのピンチに思わず熱くなったホームズは必見。なんでこのシーンが好きなのかというと、聡明すぎてどうしても人を観察対象としてしまうホームズが、知的ではあるが彼ほどではないワトソンを心から思いやっているからだ。知的に対等ではない人間を愛することができるかどうかは、鋭敏な知性の持ち主にとっては人生最大の試練だ。女性人気が高いのもうなずける。
ルパンシリーズのこの巻だけ親が買ってくれたし、何度も読み返していたのだが、なぜか続きを読もうとは思えずに現在に至っている。ミステリというよりは冒険小説に近い気もするが知恵比べ的な面もあり、そこが面白かったのかもしれない。しかしそうすると、これをミステリ100選に入れるかどうかは迷う。ライトノベルの定義がライトノベルレーベルから出ているかどうかだとすれば、東京創元社か早川書房から出てはいるからミステリとしてOKかもしれないが。
自分は新世界の神になれると信じて殺人を犯したのに日和ってしまい、純粋なソープ嬢に救われる話。これも謎を解くというよりも心理戦を描いている。心理戦というかやっぱりドストエフスキー名物の神経質な人間の独白だ。基本、ドストエフスキーの登場人物にはまともなやつなどおらず、この作品も例外ではない。主人公の妹をつけ狙うロリコン野郎だとか、娘がソープで稼いだ金で酔いつぶれ、その罪悪感からまた飲むというどうしようもない親父だとか、神になり切れなくてプルプル震えている主人公だとか、そういうキャラが最高なのだ。これではまったらドストエフスキー五大長編を制覇しよう。ミステリじゃないのがほとんどだが、心配はいらない。ドストエフスキーの過剰な語りにはまった人間の前ではそのようなことは些事だ。
ちなみに高野史緒「カラマーゾフの妹」は二次創作小説として最高なのでみんな読もう。
こういう非人道的な植民地を持っていた王様の銅像だったら国民から倒されても文句は言えんよな、的なベルギー領コンゴをモデルの一つとしているのだけれども、これってミステリかね? ひたすら謎の人物を追いかけて、地理的にも深いところへ分け入っていき、目的の人物と出会うが彼はあっさり死んでしまうというあらすじは、神話的な単純さと力強さがあるが。クルツは何を恐ろしがっていたのかで語り明かしたい本である。
自分は育ってきた境遇上英米のわらべ歌(マザーグース、ナーサリーライム)は身近に感じるのだが、そうではない読者がどこまでこの趣向を楽しむことができるかどうかはわからない。
この作品で特筆すべきことは、探偵が犯人と対決するときの命を懸けた大博打だが、今の倫理的な読者はこの方法で犯人を裁くことが適切と考えるかどうかはわからない。ミステリにおける倫理(後期クイーン問題とかそういうの?)を語るなら読んでおきたい。
確かに単体で一番面白いのはこの作品だけれども、せっかくだからドルリー・レーン四部作は一気読みしたい。ただ、衝撃の真犯人といわれても、すっかりすれてしまった現代の読者からすればそこまでショックを受けないかも。そういう意味では登場人物の反応も大げさに見えてしまう。
個人的には「Zの悲劇」以来(テコ入れのために?)登場したペイシェンスという活動的なヒロインが女性史の観点から興味深い。当時としてはすごく斬新なヒロインだったんじゃなかろうか。恋人と一緒にパンツを買いに行くし。
クリスティはどれを選ぶか迷う。ただ、わらべ歌物の中ではなじみが少なくても楽しみやすいんじゃなかろうか。一人ずつ減っていくという趣向は非常にわかりやすい。謎を解く手記が多少不自然といえなくもないが気軽に読める。
ちなみに舞台版ではハッピーエンドに改作されているのもあるとのこと。
「チャーリーとチョコレート工場」など児童文学の作者としても知られる。児童文学ではスパイス代わりだった毒がメインディッシュになっている。
ところで、読者諸氏は年末に「岸部露伴は動かない」をご覧になっただろうか。ドラマ化されていないが、シリーズの中に命を懸けて賭けをする場面がある。あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部でライターを消してはならないという賭けが出てくる。その元ネタとなったと思しき「南から来た男」が収録されているので、ジョジョファンは一読をお勧めする。オマージュや翻案とはこういうのを言うのか、って気持ちになる。なお、ダールは「奇妙な味」の作家としても知られている。
筆者はフィリップ・マーロウの良さがわからない。必要のない危険にわざわざ飛び込んでいき、暴力的な人間を挑発する。ただし、この作品が日本の文化に与えた影響は大きい。
ハードボイルド小説以外から例を挙げよう。一つは村上春樹のいわゆる鼠四部作だ。「羊をめぐる冒険」での鼠の足跡を訪ねてのクエストはチャンドラーの強い影響を受けている。あるいは「ダンス・ダンス・ダンス」の警官による拷問や親友の犯罪が明らかになるシーンの元ネタも見つけることができる。一度村上春樹の登場人物の系譜はどこかでまとめておきたいと思っている(村上春樹のヒロインをまとめていた増田と自分は別人)。
もう一つは「スペースコブラ」の「坊主… 口のききかたにゃ気をつけな… オレは気が短けえんだ!」「腹を立てるとなにをするんだ? うさぎとワルツでも踊るのか」の元ネタがあること。「……俺は頭が切れやすくってね」「頭が変になったら何をするんだい? 地リスとタンゴを踊るのか?」。どこがかっこいいのかは残念ながら筆者にはわからなかった。
エーコについては書きたいことがたくさんある。キリスト教と笑いについて問いを投げかけたこと、中世を舞台にしているようで当時のイタリアについての無数の言及があること、それから次の名言。「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」「性急な点だ」
しかし、この作品で一番深刻なのは、キリスト教文学であるにもかかわらず、主人公の見習い修道士以外の誰もが、誰のことも愛していないことだ。キリスト教とは愛の教えであるはずだ。弱いものに施したことは、神に捧げたことになるはずで、福音書にもそう書いてある。しかし、修道士たちは貧民を見捨てて権力争いに明け暮れ、異端審問官たちは民衆を拷問し、主人公を導くはずの師匠も人間を愛していない。彼が愛しているのは知識だけだ。
主人公は、言葉の通じない村娘とふとしたきっかけでたった一回の性交を行い、彼女に深く恋し、それでも魔女として告発された彼女を救えない。彼が村娘の美しさを描写する言葉がすべて、聖書からのつぎはぎなのが痛々しい。
勿論、知的な遊び心にもあふれている。主人公の不可解な夢の持つ意味を解き明かした師匠は「もしも人間が夢から知識を得る時代が来たら世も末だ」という趣旨の台詞を漏らすが、これはフロイトへの当てこすりである。同じく、深刻な場面で、とあるドイツの神秘主義者が「梯子をのぼったらその梯子は不要なので捨ててしまわなければならない」と述べたことが言及されるが、ウィトゲンシュタインに言及したジョークである。中世にこんなセリフが出てくるはずがない。
難解かもしれないが何度でも楽しめる。なんだったらあらすじを知るために映画を先に見てもいい。ちなみに、この映画のセックスシーン、村娘が修道士を押し倒すのだけれども、多感な時期にこんなものを見たせいで女性が男性を襲うアダルトビデオが好きになってしまった。そういう意味でも自分にとっては影響が深い作品。
人間嫌いだった筆者が最高に楽しんだ本。文明が野蛮に回帰していくというモチーフが好きなのだ。何を持って野蛮とするかは諸説あるが。大体、中高生の頃は自分を差し置いて人間なんて汚いという絶望感に浸りがちで、そういう需要をしっかりと満たしてくれた。舞台と同じ男子校出身だしね。
三部作の一冊目。実はこれ以外読んでいない。読んだ当時は、双子たちのマッチョ志向というか、とかく異様に力を手に入れようとするところだとか、著者がフランス語で書いたにもかかわらずフランス語を憎悪しているところとかが、何とも言えず不快だった。
今読み返したら、双子たちが過剰に現実に適用しようとする痛々しさや、亡命文学の苦しみに対してもっと共感できる気がする。個人的には頭が良すぎて皮肉な態度を取り続けるクンデラのほうが好きだけどね。「存在の耐えられない軽さ」よりは「不滅」派。
子供の頃より腕力がなくてやり返せず、口も回らずにいつも言い負かされ、片想いしていた女の子といじめっ子が仲良くなるのを横で見ていた自分にとって、自由と財産と恋人を奪われたことへの復讐を主題としたこの作品にはまることは必然であったと思う。とにかく面白い。特に、モンテ・クリスト伯が徐々に復讐心を失っていく過程が、非常に良い。
大人になって完訳版を読むと、ナポレオン時代の国際情勢を背景がわかってさらに面白かった。
犯人当てや宝探しなど派手な展開がてんこ盛りだし、犯人の動機の一部は自分が醜悪に生まれたことに端を発しているから、貧困とか弱者とか非モテとかそういう問題に敏感な増田にとっても議論の題材にできそう。
読んだからと言って別に正気が失われないけれども、チャカポコチャカポコのくだりで挫折する読者が多いと聞く。大体あの辺りはあまり深刻にとらえず、リズムに乗って楽しく読めばいい。スチャラカチャカポコ。
話のテーマは、基本的には原罪的なものだろう。自分が人を殺しているかもしれないという恐れ、親の罪を受け継いでいるかもしれないという恐れ、それから生きることへの恐れだろうか。
難解な雰囲気は好物だが、かなり自己満足的でもある。ヴァン・ダインの二十則破りまくりだし。言葉の連想テストで犯人を指摘し、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌にあふれ、探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く。作者の知識の開陳を素直に楽しみましょう。ただ、これ読むんだったら澁澤龍彦の本を何冊か買ったほうがお得であると思うし、膨大な知識が注ぎ込まれているがリーダビリティの高い点でもエーコに軍配が上がる。
差別用語が出てくることで有名で、先ほど出てきたわらべ歌による見立て殺人の影響を受けている。
血のつながりによる犯行の動機や、実行の決め手となる偶然の出来事、その皮肉な結末が個人的に好き。自分は謎を解くことよりも、犯人たちの心理状態、特にその絶望のほうに興味を持つからだろう。
メタフィクションを個人的には愛好しているのだけれども、話が入り込みすぎていて結局どういう話であったか覚えていない。巻末の書き下ろしのおまけで、探偵が少年にパンツの模様を聞くシーンがあったことだけを覚えている。
とはいえ、癖のある登場人物から、大学の文学やミステリサークルの雰囲気を思い出して感傷に浸るのにはおすすめか。大体、小説を好きこのんで読む人間は大抵どこかこじらせているものだし、読みたいリストや他人にお勧めする本リストを作り出したらもういけない。そしてそんな奴らが僕は大好きだ。
以上。
【藤井聡】『こんなにヤバいコロナ大不況~消費税凍結とMMTが日本経済を救う!』ご一読下さい!
彼女(注:主人公)が永田町に殴り込みをかけ、「安西つとむ」与党衆議院議員(4期目)や不肖私藤井聡のサポートの下、専門家委員会の「滝浦」教授や「中村やすし」担当大臣や、「九段俊三」与党幹事長らと論戦バトルを繰り広げつつ、「緊縮派」「改革派」「自粛派」の人々を一つ一つ論破/撃破していき、最後にラスボスである「浅沼一太郎」財務大臣と対決する、というストーリー。
早くも11万部突破!呉座勇一著『陰謀の日本中世史』真っ赤な帯(全面)にリニューアル!
本書は、新書『応仁の乱』で大ブレイクした日本中世史のホープ・呉座勇一氏が構想に三年をかけた書き下ろし作品!! 史上有名な“陰謀”をたどりつつ、“陰謀論”の誤りを最新学説で徹底論破。
呉座氏はそうした陰謀論を新著『陰謀の日本中世史』(角川新書)で徹底論破している。
呉座勇一『陰謀の日本中世史』インタビュー 史上有名な陰謀をたどりつつ、陰謀論の誤りを徹底論破!
なぜ、陰謀論がはびこるのか? 本気で論破しまくる本を出した歴史学者が語る怖さ
※すごくネタバレを含む
今日発売されたのさっそく読んだ
2にはいっぱい気になってたことや、書き下ろし漫画があってうれしかった
Twitterで先行で一部流れてたけど、期待してた柱の相関図みたいなのが読めてうれしい
風柱不死川、蜜璃ちゃんのことそんな感じだったんか…まぁお母さんみたいなのと全然違うもんな
あと小芭内とダチだったんか…ええな
あと鈍いとこも納得、メン強だし鈍そう
煉獄さんのこと初対面であんな言ったけど、今は好きなんか、よかったな
次、小芭内さんからみたみんながすごい納得
そういう感じで富岡さんのこと嫌いだったんか納得、合ってる合ってる
その流れで不死川と馬があって友達で、天元さんのこと尊敬してるのね納得
伊黒小芭内、お前は繊細で人のことよく見てよく考えてる男なんだな
この2人は両思いで癒されるな
宇髄天元の周りへの印象が唯我独尊みがあってウケる、あと女の子への感想唯一アレなのウケる
不死川くんへの感情、わかる〜って感じ
そんで実弥くんに兄貴みだしてたんか、ふふっ
観察力と洞察力凄すぎて本人達もはっきり意識してないことまで見えててウケる
サラッとぎゆしの公式じゃねーかっていうのと実弥、カナエのこと好きだったんかーだからしのぶにも優しいんかーっていうのが分かって満足
書き下ろし漫画で富岡さんが宇髄一家と温泉入ってるのはよかった、なんでよ、平和で笑える
そういや、だきちゃんが侍の目をついたのがお兄ちゃんを侮辱されたから、っていうのが書いてあったのもよかったあの兄弟大好きだから
あと鬼滅のキャラはすべてワニ先生の身の回りの実在の人物がモデルになっていて(公式ファンブック1より)
(煉獄さんは本当にかっこいい大好きだ)
最後の最後の制作秘話的な書き下ろし漫画のなかに、ご家族一同がチラっと描かれていたんだけど、お一人亡くなっているようだったので(天使の輪をかぶっているワニ)、もしやこの方が煉獄さんのモデルになった方だったのかな?と感じた
煉獄さんはワニ先生の強い思い入れがあって産まれたキャラだと漫画やコメントから感じてきたし
ワニ先生騒がれるの超苦手そうだし、プライバシー掘るの悪いし、煉獄さんのモデルの人、ワニ先生にとって大切な人だろうし、もし亡くなっているのであれば詮索は余計に無礼だからこの読み飛ばされるであろうこの増田にだけ書いとく
鬼滅の刃は本当良い漫画だな、電子も持ってるのに全巻買ってしまって何度も読んだファンだけど
ファンブック読んでたらまた読み返したくなってきた
緊急事態宣言以降はコロナで遠慮遠慮してるから、煉獄さんまた見たいな
プライバシーに関する情報がまじで一切出てこないから、相当周囲から守られてんだなと感心する
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
本当はこんなお気持ち呪詛を吐いて砂をかけて去る事が良くない事なのは分かっている。
だがどうしても誰かに愚痴らずには居られなかった。我ながらマナーが悪くて、馬鹿だなあと思う。
もともと好きだったブランドの初のスマホゲームタイトルという事もあって、事前登録も始まってすぐにして楽しみにしていた。
自分の好きなキャラクターは、そのブランドの第一作に登場するキャラクター。主人公やヒロインではないので第一作のキャラの中ではやや影は薄いが、初作のキャラという事もあり根強いファンも居た。
伝統あるキャラクターなので実際スマホ版にもすぐに実装された。
大好きなキャラクターが使える事が嬉しくて、その場その場で完全育成してきた。貴重な上限解放アイテムが実装されるとそれも惜しげなく使ってきた。強くなった自分の推しはゲーム内でも有用な存在になり、そのキャラクターを活用して攻略するのが楽しかった。
このゲームのガチャからは、キャラだけでなく装備が排出される。
その装備にあたるカードは毎回書き下ろしイラストになっていて、定期的に追加される。
はじめはもとから人気のあるキャラクター、例えば第一作の主人公格のキャラなどが優先的に実装された。自分の好きなキャラクターが彼らに匹敵する存在でない事は流石に分かっていたから、人気のあるキャラクターが優先されたり、枚数出たりするのは仕方がない事だと思っていた。でも順番だからいつか自分の好きなキャラクターのイラストの装備が登場するだろうって楽しみに待っていたのだ。
結局、推しの装備は1枚も登場しなかった。
その間、後から追加されたスマホ版のオリジナルキャラの装備が何枚も出てくるのを横目に見ていた。元から人気のあった過去作のキャラクターは10枚ぐらいはあるんじゃないかって、それぐらい出てくるのを見た。人気があるとはとても思えないオッサンキャラの装備だって出た。
でも推しの装備は1枚も登場しなかった。5年で、たったの1枚もなかった。
ゲームは5周年を盛大に祝った。描き下ろしイラストを沢山用意した。でも推しのイラストはやはり1枚もなかった。
ストーリーもたびたび更新されたが、まともに登場することはなくなった。稀にある貴重な出番に目を輝かせても、蓋を開ければ誰かの引き立て役で終わる、誰でもいい役割。
最新情報を紹介する生放送も5年間追い続けて、どこかに1つぐらい推しに関する情報があるんじゃないかって、でも結局なかった。
「第一作から応援してきたのに、なんでこんな惨めな思いをしなくてはいけないのだろう。」
勝手に信じて、勝手に裏切られた気持ちになって。冷静に考えれば自分一人が第一作から応援してきただのそんな事情は、運営側からしたら知ったこっちゃないだろう。
たった1枚の描き下ろしイラストが欲しかった。5年待った。いっぱいプレイした。沢山課金した。
「他のキャラクターたちも魅力的だから、その時その時ピックアップされてる彼らの魅力を楽しもう!そしたら推しがピックアップされる時も皆で楽しめるはず。」
そんな考えは甘かった。結局推しがピックアップされる時なんて無かったし、これからも来ないのだから。
その間に前にもピックアップされたキャラクターにまたフォーカスするイベントがあったり、新キャラクターを囃し立てるイベントがあったりしながら、ああもうなんか、運営は第一作からのファンとかどうでもいいんだなって。
その人は私が小説同人誌を出すときに私の小説の校正や誤字脱字チェックをしてくれていたし、隣の市に住んでいることもありこのご時世でもリアルで会って萌語りが出来る貴重な友達だった。
それでもブロックするに至ったのには訳がある。
私のTwitter垢は専らBL二次創作小説のために使用しており、彼女がリプで私の小説の感想を送ってくれたことで私も彼女の小説を読むようになり、相互フォロー関係になった。
私も彼女も文字書きで、お互いに小説を書いたり感想を送りあったりしていた。
私が多作で彼女は寡作タイプなので、送られる頻度の方は私の方が多かったかもしれない。
やり取りするうちに近所に住んでることが判明し、コロナ第一波が過ぎた頃にはリアルで遊ぶ仲になった。
最初は定期的に遊んでくれたり、私のやりたいことに付き合ってくれるいい人だと思ってた。
5月ごろに私が小説同人誌を出す際、誤字脱字チェックが大変だとこぼしたら手伝いを申し出てくれたのもありがたかった。
でも違和感が出始めたのは、その人が二作目の小説を書いてるときに「実体験じゃないと書けない」と言っていたこと。
じゃあ今までの推しカプのホモエロ小説って実体験だったんか?とちょっと気持ち悪くなった。
違和感が大きくなり始めたのは、その人が支部に上げてた小説に書き下ろしをつけた小説同人誌を出すと言い始めた今年の6月ごろ。(ちなみにその同人誌は今現在もまだ発行されていない)
彼女は私に小説同人誌作る技術的なことや物語の作り方、挙げ句の果てに部数をしつこく聞き出しておきながら、逆に私が物語の作り方や技術的なことを彼女に質問しても適当にはぐらかすだけで教えてくれない。
部数に関しては「部数を聞くのは年収を聞くのと同じくらい下品な行為だよ」とは伝えて一度は引いてくれた。
しかしそのあともしつこく部数を聞いてくるので、根負けした私は嘘の部数を教えた。
その部数をn部だとしたら「じゃあ私は2n部刷ればいいね!」って言ってたのもドン引きだったけど、まあ誤字脱字校正の件で世話にはなってたので関係は続いてた。
コロナの影響で会う予定がポシャったので、8月生まれの彼女に誕生日プレゼントを郵送したら、お礼も何もなく一切ガン無視されたのも地味に傷付いたけどまあ内容が気に入らなかったんだろうなと思って気にしないようにしてた。
後日軽く突っ込んだら「届いてない」って下手くそな嘘をついてたけど、嘘だと思いたくなくてそれを信じることにしてた。
でも一番決定的だったのは文字数やブクマ数でマウントとってきたこと。
確かにひと作品に対する文字数は相手の方が多かったし、ブクマ数も相手の方が取ってた。
確かに彼女は美しい表現でドラマチックかつ繊細な心理描写が散りばめられた小説を書いていたので、そこに異論はないし正当な評価だと思う。
でも私の主軸は私の性壁を表現できるかどうかで、他人が主軸のブクマ数は関係ない。
そう思っても事あるごとに「ブクマ数が古参大手より多かった」「今回も文字数が5万文字超えちゃったから読んでもらえるか心配」って話をしつこくされるとしんどかった。
一回だけ文字数とかブクマ数とか数字の話をされるとしんどいからやめてくれって直接言ったけど、その場で謝るだけでまたすぐに文字数こんなに増えちゃった!とかブクマ数がいくつになってた!っていう話を続けてた。
ブクマ数や文字数は他人と比較して大小が分かりやすいからこそ、気になってモチベーションが下がりやすくなる。
だから見ないようにしてたのに、彼女は聞いてもないのに教えてくるしガンガン話を振ってくるのでモチベーションが下がる。
彼女との友情と自分の小説を書くモチベーションを天秤にかけたとき、モチベーションの方が大事だったから、私はブロックすることにした。
思うに、彼女は嘘がつけない、正直な人なんだと思う。
相手が格下だと分かればそれを隠しきれないし、物語の作り方や相手が刷ってる部数について、知りたいと思ったら好奇心を抑えきれずに聞いてしまう。
もらった誕プレも気に入らなかったら社交辞令のお礼も言えない。私はそういう素直すぎるところに耐えられなかった。
素直すぎるからきっと、切る理由を伝えたらツイッター上で私の名前をはっきり出した上で盛大に愚痴ってフォロワーに慰めてもらいたがりそうだから、私は何も言わずにブロックする。ツイッター上で愚痴も言わない。ここで吐き出すことくらいは許してほしい。
彼女は「他人に嫌われるのが一番苦手」と言っていたので嫌いにならないようには努力してたけど、今の私は間違いなく彼女のことが嫌いだ。すまん。
でも、6月からずっと出すと言い続けて絵師に表紙描いてもらって予約まで取った同人誌はそろそろ出さないとまずいと思う。
…これきっと、彼女の脳内ではネットでの評価に対する嫉妬に狂ったフォロワーにブロックされたってことになってるんだろうな。それでもいいや。真実は必要ない。
オタクコンテンツ好きではあるけれど、二次創作方面にはとんと食指が動かないまま、四十の坂を越えた中年女。
同人誌買ったことないし、pixivもほぼ見たことがなかった。オタクだけど腐女子ではないので、BLもほぼたしなんでないし、乙女ゲーやったこともなかった。
ところが昨年、軽い気持ちで手を出したあるコンテンツにハマった。原作一通り履修しても情熱がおさまらず、二次創作でこの世界に触れ続けるしかない! と思うところに至った。
これまで「なんでみんなわざわざアカウント分けてコンテンツ語るんだろう」と思っていたのに、流れるようにそれ用アカウントを作り、本垢のことは忘れてずっとTLに入り浸り、ROM専でいくつもりだったのも忘れて、なんかいろいろ呟くようになった。妄想とか。
そして気がつけば、一年間で長編小説を4本書いていた。全部で20万字くらい。pixivに載せることにした。こんなふうにpixiv使うようになるとはな。
TLのみんなには感謝しかない。みんな優しかった。おかげで書けた。
書籍で欲しいとおっしゃる方がありがたくもいらっしゃり、とても嬉しかった。けどまあ、本だけは出さないと決意していた。
だってお金かかるし、主婦だし母だからイベントにはいけないし、在庫抱えるのは嫌だし。夫には隠しているからなあ……なんかイイトシして変化激しすぎて言えない。
ところがコロナでイベントとかもう無理ね感が出てきたし、同人誌を受注販売すればリスクはほぼなくなることを知って、また私は狂った。
webにある小説にオマケを書き下ろした(これがまた書くのが止まらずすげー長さになった)。
挿絵と表紙を描いてくださる方まで現れた。しかもすごいハイレベルなの。嬉しい。彼女には宝くじとか当たってほしい。
一冊1000円を越えてしまった本。部数についてはいろいろ調べて、小説で初めての本だから、20冊売れたら御の字。いや高くなっちゃったし、無駄に長いから売れなくて当たり前だ。10部、ううん、1部でも売れたら感謝の正拳突き1万発しよう。
くらいの気持ちで発売したのが数日前。
そんでもうこれ自慢ね。中年の自慢ね。
六十部売れた。びっくりした。発売の告知をtwitterでしてからしばらくは、受注を知らせるメールがひっきりなしにスマホに入り、むちゃくちゃ呆然とした。
嘘だろ。
みんな……みんな優しすぎる。ありがたすぎる。
私の本を買ってくれたみなさんに、全員いいことありますように!!!
と思っていたけど、たぶんまた出すな!
他人の作品に乗っかるだけの実況者的なVtuberが好きではない、本人が創作者なら少しはいいのに、というのは、2017~2018年から追ってるやや古株のVtuberファンや、個人Vtuberを応援しているファンからは、頭ごなしに否定されない感覚だと思う。
俺だっておもに企業Vtuberを追っている側だが、ある程度同意する。
叩かれるとしたら、「Vtuberはどいつもこいつもクリエイター性がない」という部分だ。
だが、外から漠然とVtuber界を見た時には、だいたいゲーム実況をしてるやつらと認識されやすくクリエイター的な配信者が認識されづらいのがもっともな部分である。
実際、数としてはゲーム実況をやるやつが多いのが確かだ(というか創作活動をしてるやつも、並行して実況活動もしている)。
そのうえ、活動側のゲーム実況の割合以上に、ゲーム実況を見に来る視聴者数がやたら多く、SNSでの話題もそれに占められ、だから外部から目に入るVtuberの活動はゲーム実況に偏ってしまう。
Vに限らず、テレビタレントや声優がインターネット配信を始めても、ゲーム実況の多いこと多いこと。
歌だってそうで、本人が作詞作曲した、もしくは有名な作詞家作曲家に書き下ろしてもらった歌よりも、カバーを歌った方が、ライト層のオタクを集めることができる。
コア層はオリジナル曲の方が喜ぶのだが、コアファンを二万人喜ばせるより、ライトファンや、なんならファン以外を集めた方がずっと再生数が高くなってしまう。
そして企業に所属して営利活動を成り立たせていくなら、数字を稼ぐことが必要なのだ。
数字は直接の稼ぎにもなるし、それ以上に新興文化が既存の様々な文化に認めてもらうためのほぼ唯一の説得材料だ。
かなしいわね。
俺は2018年初期、Vtuberという分野自体が胡散臭いフロンティアっぽさがあった頃に興味を持ったのでファンになれたしおかげで創作根性のあるVが実は多いことも認識できてるが、触れることがないまま2020になってたら、Vtuberは実況者文化みたいなもんだろと思って避け続けてしまったろうな。
しかし、これで終わってもさびしいので、有名どころで本人が創作的な活動を多めにやってるVtuberを紹介しておく。
もらったイラストを使った画像加工や動画制作はできる人が多すぎるので割愛。
あと、広義で言えばトークショーや企画だって創作だとは思うが、そういうのは除外。
ピーナッツくん、ぽんぽこ
個人。兄妹でやってる。作詞作曲ラップしてたり着ぐるみ作ってゆるキャラ活動してたり。音楽活動ではレオタードブタという別名もある。ガワも自作なのかな。
ミソシタ
個人。作詞作曲ラップ映像ガワ。あと珍奇なアングラ活動を沢山してる。
個人。ガワ自作。他にもクリエイティブなことやってそうだけどぶっちゃけ俺は詳しくないから知ってる人にきけ。
吉持もに→間違い、由持もにだった。
アマリリス組→個人。普通にVtuberだと思ってたら、有名な同人エロRPGサークルの人だと明かされた。
制作過程をモロに出すことはYoutubeでできないが絵を描く作業を見せることはある。
MonsterZ MATE
バルス。リリック書いてラップ、というか元々ネット出身のラッパーがガワを着た存在。
個人としてupd8参加。作曲家。本人が歌うのではなく曲提供がメイン。
ミディ
市松寿ゞ謡
にじさんじ。映像制作やってたっぽいので実写映像作ったり、自作絵を添えて体験レポをやったり。
宝鐘マリン
ホロライブ。ガワは別人作だが本人も絵描きらしく体験レポのさいにカラー自作漫画を添える。
しぐれうい
ホロライブのガワを描いていたイラストレーターが、自分自身もガワを被ったら個人Vとして人気が出た存在。
あまり知名度のない個人勢は玉石混交だが、クリエイティビティ溢れるやつらはマジですごい。自作ガワの人は多い。
ぽんぽこが毎年やっている24時間企画や、月ノ美兎が毎年やっている24時間企画ではそういう層からの動画を募ってるので知るきっかけになる。
それらに参加するのもごくごく一部でもっといろんな奴がいるが。
https://ponpoko24.party/cm.html
https://www.youtube.com/watch?v=9CqaQMSNQng
あと電音部というバンナムがこれからはじめるDJ版アイマスみたいなのがあって、その作詞作曲には、上で紹介したようなバーチャル関連の奴が数名混じっている。