はてなキーワード: 春日部とは
平成23年10月23、25日に、2回にわたり、警察官を殺害する趣旨の文章を、2ちゃんねるから送信した。 通信司令部から指令を受けて埼玉県内にマップを敷いて大きな
警戒活動をした巡査は明らかに、バクサイにいる警察官で、自作自演だった(当時の印象)
事件は、そのバクサイにいた警察官が決めつけることを先にありきで手続きが進行した。ウィステリア桜小路に9時に入ってきて、0時に、延岡簡裁から令状が出るまでにテレビの前に座り込んでいた
巡査部長は、仲良くしたいなあと思っているという言動があったが、0時に逮捕令状が出ると、和光晴生がうれしそうな顔をして、令状が出たと発言し、晴生に似た、奥秋という警部補が捕縄して
強引にウィステリア桜小路から外に出した。当時のバクサイでは、警察の自作自演乙などという書き込みが大量にあったので、巡査の自作自演であることは明らかであった。
春日部警察署につくと、黒羽刑務所の刑務官のような、ときわさとしに似たような老人の男性警察が迎えるように入って行ったが、取り調べはおぺちが担当、前田の方はあばれる。パソコン
を操作するおぺちに対して暴れる。若造の警官が、仕事だからといってバンで越谷署に深夜移送するが、ときは、平成24年1月12日、春日部署から越谷署の間の道路は真っ暗で公営アパート
が見える、車両の中で、若造の警官が、この辺は無店舗型風俗営業が多いんだよなあとこぼす。
さいたま県内の運営本部のボスである書記官の羽賀秀博は、運営の機械を用いて、決めつけること先にありき。偽計業務妨害の故意は存するという検察の意見で手続きが進行していった。
面会にきたのは古城英俊。面会室では、運営は決めつけようとしているので、それを消すような作戦を考えているという言動があり、裁判はかなり悪質な様相を呈していた。
主任弁護人は最終的に、次のような弁論を書いて裁判官に採用させた。
被告人は、2ちゃんねるを、多くの虚偽情報も含まれる種種雑多な事柄が大量に書き込まれるインターネット上の掲示板と認識している上、被告人が本件の各書き込みをしたのは、
2ちゃんねるのスレッドを伸ばすことにあったのであるから、被告人は、本件の各書き込みで警察の業務が妨害されるおそれがあることを知らなかった。
平成23年10月23日、25日の被告人のインターネット掲示板2ちゃんねるの書き込み行為自体の前後の状況を論じる。まず、検索活動に従事させれられた深作雅男などの
警戒活動は、警察署において、さいたま県内に広域的なマップをしいて実行されていたが自作自演であることは明白で悪質であった。
被疑者が春日部警察署に連行されてきたのは、平成24年1月12日、13日である。春日部警察署は汚い。被疑者は取調室で暴れるといった状況。午前になり若い警察官が
仕事だからといって被疑者にわっぱをかけ、留置場が満室の理由で、越谷警察署に移送された。これらの事実を見ても極めて悪質である。
次に越谷の検事室に座っていた、やまだというものを論じる。これは、検察官検事ではなく、やまだ、である。やまだ、に対して、弁護士氏名は、 古城英俊と、かもちゃん、というものである。
古城英俊とかもちゃんは、当時、やまだに対して不起訴にするように言いに行ったというが、絶対に起訴する、という大声がみられた。
平成24年5月の初公判は、事件が併合され、刑(わ)14,50号として実施された。検察官は、やまだ、が座っていた。 弁護士は、弁論において、知らなかった、と述べたところ
やまだ、が、しまたっという顔をしていた。現在でも、本件の判決謄本は保存されており、運営が、原判決の、知らなかった、という部分にスイッチを入れると、全国の建物に隠れているジジイが
ほぁあああああああああああというようになっている。しかし、再審請求は平成30年6月から5回にわたっており、いまだに開始されていない。
なかった
さて、私も将棋ウォーズ初段程度(道場では3段)なのだが、みなさんに将棋、それも見る将でなく指す将という趣味の素晴らしい所を語りたい。
老人になっても変わらずにできるゲーム。一度ルールを覚えれば誰でもできる。 子供とお爺さんが戦って、「どちらが勝つかわからない」勝負になるゲームってなかなかないと思う。囲碁将棋くらいでは?
あと一応性別関係なく、なのだが、女性が少ない界隈なので、「教え魔おじさん」とか女性蔑視、女性狙いのおっさんなんかも大きな道場にはたまにいるときく。その面で女性はいやな思いをする人がいるかも。
とはいえ昨今は「女性限定教室」とか本当にたくさんあるので、その面では(沼に落ちるまでは)心配しなくていいと思う。
2)ボケ防止によい。
滅茶苦茶に頭使うからね。だから手を読んでいるときは、脳内で滅茶苦茶濃密な時間をすごしている。ちょっとこの「濃密さ」は他では味わえないと思う。
秒読みの中妙手が浮かんだ時は、本当に脳汁がドバドバ出るのがわかるもん。
あと、将棋をちゃんとやってて痴ほう症になった人は、自分は知らない。(いないわけではないと思うが…)
将棋は対面ゲームなので、コミュニケーションのゲームである。なのでいきつけの将棋道場や将棋カフェいけば、自然と友人になる。ネット将棋しかやらない人も、今はSNSに将棋コミュニティが多いのでそのどれかに所属すればネット友人に自然になる。私もラインの将棋系OCに所属していて、そこでネット友人ができた。
ただし、当然ながら最低限のコミュニケーション能力は必要。将棋道場では、それをわきまえない「迷惑な頑迷老人」がたまに来て、迷惑や問題を起こすこともある。
ネットでは「無趣味で孤独なおじさんの末路」的な記事が定期的にバズるが、将棋を趣味にすればそんなのは無縁だろう。将棋道場に来るお爺さんやおじさんたちは本当に幸せそうだもの。
ただ、将棋を「本格的に」やろうとすると、実は敷居が若干高い。正直言って、低くはないと思う。
その理由も言いたい
初めのうちは適当に、弱いぴよ将棋相手とやるだけでも楽しいと思う。そのうち対人戦をしてみたくなるかもしれない。対人のゲーム(ウォーズとか)をすると気づくだろう。
「将棋、対人で勝つと滅茶苦茶うれしい…」と。そして将棋にはまったところで、もう一つのことにも気づく。
「将棋、負けると滅茶苦茶に悔しいじゃん…」。
将棋は、運の要素が皆無なので、要は「どちらの頭脳が上なのか」を測るゲームといっても過言ではない。勝った方が賢い、負けた方が馬鹿、を決めるゲームである。
負けたあなたはきっと悔しいだろう。この悔しい思いをしないために、強くなりたい。どうしたらいいのか…。
漫画「3月のライオン」で、島田八段の「将棋は正直だ。勉強した分しか強くならない」という台詞があるが、マジで強くなるには将棋の勉強するしかない。
詰め将棋をやるなり、手筋本を読むなり、戦法の本を読むなり、上級者の将棋動画を見たり、棋譜並べをしたり、指した将棋の振り返りをしたりと、そうしたものの積み上げでしか強くなれない。
たまにそこをすっとばしてソフト指しをやる奴がいるのだが、そういうのはネットゲームからBANされるので考慮しない。とにかく勉強するしかない。
なので、将棋は「できるだけ負けたくない」と思うならば、「その分勉強するしかない」競技だと言うことをわかってほしい。
だから将棋を「本格的に」やろうとするなら、どうしても「時間を食う」ことからは避けられないと思う。
ただ、将棋の勉強自体が苦痛、なのかというとそんなことはなく、自分が楽しめてやれることを楽しみながらやればいいと思う。
私はプロの将棋の棋譜並べが楽しいので、毎日やっている。あと、詰将棋もできるかぎり毎日やってる。
2)初心者が、ルールを覚えた次に何をすればいいのかわからない問題
多くの初心者が直面するだろう問題。今はネットで色々あるのだが、たくさんありすぎてよくわからない、という人。
とりあえず将棋のルールは覚えたけど… という人は、次に、将棋の「手筋」(小ワザのこと)を本やサイトで学んでほしい。個人的には、「手筋」を知ってるかどうかで将棋の面白さ(手の見え方)がグンと変わってくると思っている。
次に、1手詰めと、簡単な3手詰めを10問ほどやって、「将棋の終盤は、こうやって王を詰ませるのかー」ということを体感してほしい。
そこまでできたら実戦あるのみ! 「ぴよ将棋」というアプリ(ウェブからもできる)の、弱いレベルから順番に倒していこう。
間違ってもまったくの初心者が将棋ウォーズなどの対人戦から始めてはいけない。瞬殺されて、将棋の面白さがわからないままおわってしまうだろうから。
将棋界隈(ツイッターとか)で必ず上がる話題として、初心者や女性にマウントをとるおじさん客というのがある。
将棋は高齢者でもできる趣味なので、マナーの悪い老人(老人でなくてもマナーの悪い人はもちろんいるが、圧倒的に老人の方が多い)は一定の割合で、少数ながら存在するといってもいい。残念ながら。
将棋をやっていると、ネットだけでなくリアルで指したいと思うかもしれない。そして将棋はやはり、対人ゲームなのでリアルで指した方が楽しいと個人的には思っている。
ただ、初心者はいきなり将棋道場にいくのは敷居が高いだろうから、まずは初心者向けの将棋教室をさがして行くのがいいかもしれない。
都心部なら、若者向けの将棋サークルや、若者むけに将棋カフェというのもある。有名なところなら高田馬場の将棋カフェCOBINとか。
私は近所の将棋道場の常連なのだけど、4年ほど通って、マナーの悪い老人に当たって嫌な思いをしたことが2回だけある。まあ、2回だけなら少ないと思うけど。個人的には、マナーの悪い客は出禁にしてほしいが、なかなかね…。
これを読んで、元増田や皆さんに、ぜひ将棋を楽しんでもらいたいと願っている。見る将でもいいので、とりあえず将棋にふれてみてほしい。
そして、私はだいたい埼玉の春日部の将棋道場で指してるので、これを読んだ方と機会があればぜひ対局してみたい、と思っている。 おわり
偽計業務妨害罪の思い出ですかねえ。なんか、2ちゃんねるに書いたんですよね、そしたらそれが事件になって、なんか、春日部署の警察官が動いたらしいんですが、そういえばそうですねえ
原判決に検事の山田朋美が、平成23年10月23日および25日って書いてあって、なんで10月23日なのかと思っていたら、おぺちの誕生日も10月23日で、分かってて
やったんじゃないかと思うのですが。それからなんか、当直長の斎藤幹雄に同情報を伝達させ、その後に、深作雅男の業務を妨害したとかなんとか書いてあって、柴崎稔という警官の名前も
書いてありましたが、どうでもいいんですが、越谷署の留置場では菓子が食べられたけど居室は最悪というか、今でも、越谷レイクタウンにいくついでに、さいたま地裁越谷支部っていうのが
ありますよね、なんか、越谷駅からかなり歩いたところで、南越谷からタクシーで20分くらいのところにありますが、そこから越谷レイクタウンまでバスが出ていますが、越谷の裁判所はクソ過ぎて
入ることはありませんが再審関係で刑事部には5回くらい行ったことがありますが思い出と言っても、肥田薫という裁判官の名前とか、小川明子という書記官の名前しか覚えてないですね。
その肥田薫が2回くらい棄却しているしその際の書記官が小川明子ですしね。建物とかの印象といってもクソ過ぎて覚えてないですね。ただ、越谷支部の裏から地検越谷支部に行けますが
平成24年頃はおばさんがコピー機でコピーをしていてそこで弁当が出されて奥の検事室に山田が座っていて顔は見てなくて中身はそこらへんの市役所の幹部みたいなもので、それと検察事務官が
カスだった。最初は威力業務妨害って言われてたんですが山田に偽計じゃねえのかっていったら、山田が、じゃあ偽計にすればいいのって言われた事くらいで、なんせ全然面白くない話なので
語る気がないですね。さいたま地裁越谷支部って、さいたま地裁は、高砂にあるんだけど、越谷支部は越谷にあって、川越支部は川越にあるくらいの特徴しかないんですよね。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230505/k10014058431000.html
このニュースの見出しを読んだ私は巨大な海洋生物のタコを想像した。
サムネも見ていたにも関わらず、「どういう態勢なんだろう」と動物的な何かを前提としたボヤキを脳内に浮かべていた。
凧やんけ!!!
「たたみ100畳」ある蛸は現在見つかっていない。
同じ頭足類で巨大なことで知られるダイオウイカもそこまでではないだろう。該当するならクラーケンくらいか。
ていうか動物の大きさをたたみに例えることってあるんだろうか。
「民家の屋根」に落下する蛸はまあいないとは言い切れないが、普段陸にいるわけではないし空を飛ぶわけでもない蛸が屋根に落下する確率は凧にくらべてかなり低いだろう。
サムネで一番目立つのは緑色の下地に黒い文字で何か書かれているところだろう。
ただこの点に関しては言い訳できて、蛸がサムネのような赤色になることはあるし、サムネのようなきれいな緑色の海藻のそばに出没することも稀ながらまああるはず。
言い訳してみたけどやっぱり今はもう布と家にしか見えないやごめん。
とにかくどう考えても凧のはずなのに蛸だと思いこんでしまった。
そして「蛸をイメージしちゃったわーてへへ」みたいなブコメでも書こうかとブコメページを開いたら…すでにそう書いているブクマカがいるではないか。しかもたくさん!
どうしてみんな間違えるんだ?
私は少なくとも自分が何故間違えたのか理解できておらず、巨大蛸へのあこがれが目を曇らせたくらいしか思いついていない。
もし理由がわかる人がいれば教えてほしい。
ギフ(岐阜)
ナハ(那覇)
サガ(佐賀)
ズシ(逗子)
ウジ(宇治)
ウベ(宇部)
ハギ(萩)
クガ(玖珂)
アブ(阿武)
【ゴッグ系】
ベップ(別府)
セッツ(摂津)
【アッガイ系】
コットイ(特牛)
クッシャロ(屈斜路)
【ゲルググ系】
タルミク(垂水区)
ホクリク(北陸)
【ビグ・ザム系/その他】
キサ・ラ - II (木更津)
ミ・トー(美東)
ス・オー(周防)
ナ・ガト(長門)
ヤ・ナイ(柳井)
ウン・ゼン(雲仙)
サ・セヴォ(佐世保)
ヒ・ラド(平戸)
ウ・レシ・ノ(嬉野)
ドー・トン・ボリ(道頓堀)
ア・ワジ(淡路)
コー・ヴェ(神戸)
ナダク(灘区)
ア・カシ(明石)
ウ・メダ(梅田)
ナ・ンバ(難波)
ヴィ・ゼン(備前)
タ・ガワ(田川)
チ・ク・ホー(筑豊)
クル・メ(久留米)
ヤ・ナ・ガワ(柳川)
ダ・ザイ・フ(太宰府)
https://togetter.com/li/2074664
春日部駅は約10年後に高架化をめざして工事が始まりました。それに伴い春日部会東口側の旧駅舎の改札口は役割を終えて、2023年2月4日より仮駅舎へと引っ越しになりました。
この記事を見て我が故郷春日部と、今から30年近く前の小学校時代の思い出がよみがえった。
図工の時間で「20年後の春日部」というテーマで絵を描く課題が出た。
100年後の未来だったら、ドラえもんのような空飛ぶ車だの不思議な形な建物だのを好き勝手書けるが、20年後という中途半端な未来は却って想像が難しかった記憶がある。
当時の自分に画力や発想力はないため、下書きの段階では春日部駅の西口から見た風景で、ビルが数本立っているようなスカスカな絵を書いて教師のチェックを受けに行った。
ひょっとしたら、多分当時の春日部駅とほとんど変わらない風景だったかもしれない。
教師は開口一番「うーん、夢がないなあ」と言い、書き直しになった。
級友たちは空飛ぶ車だったり今でいうハイパーループのチューブが縦横無尽に走る超未来の街並みやおおよそ街とは言い難い花でいっぱいなファンタジーな世界を描いてOKをもらっていた。
はっきりって子供心にも非現実的に感じ、とても「20年後の春日部」のテーマに沿っているとは思えなかった。
結局自分は1階と2階の両方に電車が出入りし、ビルが乱立する春日部駅を描いてようやくOKをもらえた。
その授業が終わってしばらくした後、旧友のだれかの非現実的な絵が(うろ覚えだが)市かPTAかの何かに推薦表彰され、子供心に「20年後にこの春日部は無理だろ」と思ったことは覚えている。
あれから30年近い時が過ぎた。
「春日部駅 西口」で検索してグーグルストリートビューで見てもらえれば分かるが、自分の最初の下書きが最も正解に近い。
20年以上経っても、空飛ぶ車はおろか、春日部駅の高架化すら実現できておらず、
下り方面にある開かずの踏切もずっと放置、駅上改札すらできてねーよ!
東口方面にあったロビンソンもLAOXも撤退し、衰退の一途をたどるんだよ!
何が夢がないだ?
これが現実なんだよ!
ついでに言うと、PTAが蛇蝎の如く嫌って潰したいと思っている『クレヨンしんちゃん』だけど、
キズナアイが引退すると聞いたときに最初に思ったのは「はぁ?」って感じだった
ワンピースでいうなら、グランドライン半ばでルフィが「俺、船降りるわ」っていうようなものだったから。
キズナアイはVTuberの先頭ではなかったと思う。単純に数字で見ても瞬間風速と一番長い活動歴で築いたチャンネル登録者数以外、動画の平均視聴数や配信の同時接続数は他のVTuberに劣るからね。
それでも"バーチャルな存在"としての格は間違いなくトップで、ここにキズナアイの功績があると思ってる。
日本でVTuberが大流行し始めたのは2017年冬。キズナアイの切り抜きがバズると、すぐさま数少ない同様の形態である電脳少女シロやミライアカリ(あとばあちゃるとか)が注目を集めた。その後は雨後の筍のように様々な個性的なVが登場して、毎週のように現れる新人Vを特集する切り抜きが作られ、その中に輝夜月やときのそらがいた。人の言葉を話すバラエティに富んだバーチャルな存在が次々と出てきて、異世界の動物園で見たことない動物を見ていく時のような不思議な感覚で凄くおもしろかった。
年が明けてしばらくすると二次元アバターを利用した生配信中心スタイルのにじさんじが活動を始めた。これは2回目の大流行といってもいいくらい衝撃で、ここでVの進化経路というかスタイルが分化した感じがする。
にじさんじ登場後はVTuberのスタイルが動画勢、配信勢というような区別がされたけど、この区別はあんまり好きじゃない。Vtuberに限らずインターネット上に実名とは違う名前、容姿で活動するものに大きく2通りあると思ってる。
①現実とは一切関係がなく、インターネット上にのみ存在するもの
②インターネット上に存在するために3Dモデルや2Dアバター、ニックネームを利用するもの
①はまさにキズナアイが特に強く推し進めた概念で、徹底的なロールプレイ(※ひたすらキズナアイに徹すること(例:食べ物食べたことない))と何よりも説得力のある柔軟に動く3Dモデルによってもたらされた。
一方で、②はにじさんじを始めとして今現在のVTuberの多くがこちらに分類される。”バーチャルな存在”じゃなきゃいけなかったわけではなくて、ネットで活動するためにこれが適していたからこうした形式を選んでいるというタイプ。
最初の流行直後の無数のVTuberは①が多かったけど、生放送中心のVTuberが登場すると、一気に風向きは①→②へと遷移していき、アイドル部が隆盛を極める頃にはキズナアイやミライアカリといった①のVは相当キツくて、唯一ゲーム部プロジェクトだけが成功していた。
VTuberの人気が増していく一方で低迷が続くキズナアイは、いくつかの炎上もあった後、ただの「インテリジェントなスーパーAI」だけでなく、「VTuberの親分」としての自身を強烈にプッシュする方向に進んだ感じがする。具体的には数字的には劣るものの、「VTuberの親分」としての看板と共に今の大人気VTuber(多くが②に当たる)とのコラボを沢山するようになったのだ。
そうしてある程度「VTuberの親分」に恥じない立場といって良いくらいには人気が回復した矢先の引退発表だった。
俺はキズナアイが生み出したネット上にだけ存在する生物のような、現実と隔絶された存在の仕方に魅力を感じている。今でも銀河アリスだったりおうまゆうのように①のタイプのVTuberは居て、自分が知らないだけで3Dモデルを利用してインターネット上だけの存在として活動(存在)している人はVRchatとかにいると思う。
キズナアイは「VTuberの親分」としてライブを終え、大勢のVTuberとそのファンがキズナアイを送り出す言葉を書く。その中に「あなたがいなければ今のVTuberは全員いなかった」みたいな書き込みがあった。それは嘘でしょ、と思った。今のVTuberの本流は②のタイプで、これはキズナアイというよりかは月ノ美兎とかのおかげだから。キズナアイがいなきゃありえなかったVTuberっていうのは昔のミソシタや春日部つくしのような存在なんじゃないか。
①の象徴のキズナアイを別にキズナアイの文脈じゃない人たちが多くを占める中で感謝と拍手で送る感じ。これがなんか歪で嫌だった。
上がってたエントリも読んだ。
結構なことでしょ。Vの価値はインターネット上っていう仮想空間だけに”存在”することにあるんだから。Vは既存のIP(漫画、ゲーム、絵、アート、映像、本)の一つなんかじゃなくて、存在の方法が新しかったから衝撃的で魅力的なんだよ。キズナアイが後世に残ろうとも残らなくてもどうでもよくて、ただ存在し続けてくれることが大事だったんだよ。
というかこのエントリはなんか鼻に付くな。なんでVTuberに中の人を見るのか。お前はアニメとかもいちいち声優気にするタイプか。昔アニメの声優がテレビに出ているのを見て物凄く失望した覚えがある。画面の中であれだけ活き活きと生きているキャラクターは私たちが演じてましたよつっておばさんおじさんが出てきて。アニメやゲームのように、人が幻想と分かっていても本気で入り込むものに急に現実を結びつけるのは大嫌いだ。現実に空想・ファンタジーが入り込む余地がどんどん失われて、現実に現実しかなくなるから。そういうものと離されているからこそVは素敵なのに。インターネットの中だけで存在できるから幸せなのに。
話が逸れた。要するにここまで書いたけど幼稚園児の駄々こねみたいなもので、言いたいことは
キズナアイが生み出した”バーチャルな存在”としての存在方法が魅力的で、これが確かな権威をもつ前にその先駆けであるキズナアイ自体が下りてしまうのが悔しいってこと。
人々をVに駆り立てたゴールド・ロジャーであり、自身がVであるルフィみたいな存在が下りられたら困っちゃうってこと。色々な黎明期のVが辞めてったけど、まだキズナアイがいるから、みたいな最後の一枚岩的な期待を勝手にしていた。
つい最近ホロライブで契約解除になったライバーがいた。そのキャラクターは死んだけど、いわゆる中の人はすぐに自分のyoutubeアカウントを作成した。その人にとってはVだろうが自分自身だろうがどっちでもよかったのだ。この瞬間、"バーチャルな存在”だったそのキャラクターは、中の人がインターネットで活動するための道具・手段だったことになってしまった。元々②よりのVTuberなので最初からVのキャラクターは手段だったかもしれないけど、このとき、明確に。
VTuberと密接な関係のある3DモデルにもNFTみたいな少しきな臭い利益を求める思想みたいなものが入ってきてるように思える。さっき挙げたミソシタとかは今はNFTにドップリだ。
俺が"バーチャルな存在”にすごく夢を抱いていた一方で、その文化が少しずつ思ってたものと変わっていく。そうした中で、キズナアイだけは変わらないものの象徴というか柱だった。
だからそんなキズナアイが引退することは”バーチャルな、バーチャルだけに存在する”という概念が潰えてしまうことも結びつくし、それに追従して生まれた幾千もの個人的Virtualな存在にとってなんか絶望的だ。
ちょうど今日夕方のこと。東武アーバンパークラインの電車に柏から春日部まで乗った。まあ、これくらいの混雑率なら大丈夫だろうと甘く見て、新聞を広げる。そうしたらどうやら周りに当たってしまっていたらしく、隣に座っていた方からやんわりと肘をつかれる。あ、これはマズしと、慌ててスマホで電車内で新聞を読むコツみたいなものを検索して実践。それでも、あの混雑率だったら新聞読んだら迷惑だっただろうな。ごめんなさいごめんなさい。川間あたりまで来ちゃえばガラガラだったから迷惑ではなかっただろうが。
これくらいなら大丈夫かな?と思ったら案外周りに迷惑かかってたことが結構あって、がさつさが服を着て歩いているようなものなんだわ。これって、俺も着々とおっさん化が進んでいるってことだろうか。