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2018-01-26

日本の優秀な研究者海外研究すればいいのではないか

ものすごく失礼なことを言ってしまうかもしれません。

が、山中研究室不正問題議論が起こっているのをみていると、途轍もなく言いたいことが湧き上がってしまます

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

マーケティング的に考えて。

 

ちなみに私は国立大学卒の理系です。学部卒ですけど。

先輩にも友人にも、大学院研究をしている方が数多くいますし、私はその方々を本当に尊敬しています

し、研究者もっと研究に専念できる環境研究すべきだと本気で思っています

その前提でお読みいただけると幸いです。

 

また、以下の文章は全て、「日本ローカルでないと研究できない領域研究者」は対象外です。

史学考古学人文科学などの領域対象日本列島のいずれかと密接に関わるやつ。

雑に行ってしまえば、「設備とか環境さえ整ってればぶっちゃけどこでも研究できるやつ」についての話だと思ってください。

  

 

日本人は、マスコミは、バカなのか?

 

山中研究室を取り巻く諸問題に関する議論を見ていてとても悲しく思うのは、

 

バカマスコミとその先にいるとにかく不正を叩きたいバカ日本人、そして学問研究価値理解しない日本政府

VS

学問研究人類・ひいては日本のために絶対必要かつ有益、なのに理解されない、だから日本では優秀な研究者が育たないんだ系研究クラスタ

 

になってしまっているように見えること。

実際 http://blogos.com/article/273575/ こう言う記事とか https://togetter.com/li/1193209 こう言うまとめとかバンバン出てます

 

ただ、上の対立構造になっている以上、議論平行線を辿る一方だと思うんです。

だって日本研究者資金面設備面・雇用環境の面で生きづらいのって、

マーケティング的に考えると、「日本人バカから」じゃなくて、

 

日本では学問研究価値相対的に低いから」ですよね?

 

じゃあ「日本での学問研究価値相対的に低い」原因って「日本人バカから」なんでしょうか?

ちょっと政治上予算配分の話で考えて見たいと思います

 

  

大学予算削減問題に見る日本の大問題

  

筑波大学公式サイトにこんなページがあります

タイトル日本高等教育行方 ――削減される国立大学予算

http://www.tsukuba.ac.jp/students/campus/184/1.html

ものすごくざっくり言うと「国立大学予算の削減が著しい。このままだと高等教育の質が担保できない。」と言う内容です。

  

大学社会的機能は、おおざっぱに分けると「研究」と「教育」の2つ。

まり予算が削減されると、大学運営上はどちらも厳しくなります

ただ、国立大学の収支を考えると、国から予算だけで運営されているわけではありません。

例えば「研究」だったら科研費とか、「教育」だったら授業料とか、収入を得る方法はありますよね。

ただ、筑波大学によれば、予算が厳しいからと言って授業料を上げるとなると、「どんな地域のどんな人にも均等に教育の機会を与えるためにある」と言う国立大学存在意義の一つを失いかねない、と言うのです。

これはとても合理的視点かつ重要な指摘だと思います

  

ただ、国家予算という側面で見るといかがでしょうか?

国家収入源は基本的には税金

これを必要なところに振り分けることで予算が決まります

 

ここで、「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」という命題について考えて見ましょう。

ご存知の通り日本では急速な勢いで少子高齢化が進んでいますね。

現在と同一水準の質を担保しようとすれば、福祉社会保障にかかるお金は今後増していくことでしょう。

また、中国新興国の急速な台頭によって日本産業構造も大きく変わっています

日本貿易が今どう言った状況にあるのか詳しくはわかりませんが、普通に考えたら競合が増えてますので、貿易利益(とそれからくる法人税)は減る一方でしょうね。

中国関連でいうと、領土問題もありますね。

尖閣諸島への積極的アプローチを見ていると、防衛費過去最高額を更新し続けるのもうなずける一面はあります

(これはこれで議論を呼びそうな意見ですが。)

 

ざっとこれだけ考えても、日本という国の先行きは非常に厳しい。

果たしてこの状況で「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」

とても乱暴意見であることを承知で言うならば、

高齢者社会保障犠牲にして頭のいい学生のためだけの学びの場を提供すべきなのか?」

 

少子化教育全体の受益者が減少し続ける中で、

日本政府意思決定果たして論理的破綻している「バカな」ものなのでしょうか?

私には非常に合理的で止むを得ない決断だと思われてならない。

 

 

■”質の高い高等教育”は他の教育犠牲にしてまで優先されるべきものなのか?

 

教育にかけられる予算が限られているのであれば、他の教育にかかる予算を削減してでも高等教育研究予算を割り振るべきだ。」

と言う意見もあることでしょう。

文部科学省データを超ざっくり見ると、私学助成金と国公立助成金の配分はおよそ1:3。(ソースは以下のP.31から。超ざっくりです。)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/031/siryo/__icsFiles/afieldfile/2010/04/22/1292935_2.pdf

この配分を変えるべき!と言う意見もあるかもしれません。

 

これ、ものすごく乱暴かつ危険な考えだと思います

 

実は日本大学進学率は51%らしいです。OECD加盟国で見ると低いらしいです。(ソースは以下のP.24から。)

日本大学生のうち73%が私立大学生。

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/19/082.pdf

大学生のうち、大学院に進学する/しないで比率をとったら圧倒的にしない人の方が多いでしょう。

純粋に「最大多数の最大幸福」の原理に立つならば、「私立大学教育費を削って、国公立教育費や研究費を捻出しよう」などと言う考えがいかに暴論か。

 

日本人の豊かさって、「普通にしてれば大学を出れるし、仕事もある」ことに集約されてると思うんです。

日本ってそこを優先してきたと思うんですよ。みんな幸せ的な。

飛び抜けて優秀な人が幸せって方向に振らなかったからこそみんな幸せ的な日本があると思うんです。

 

ここまで考えると、「日本において高等教育学問研究価値相対的に低いのは日本人バカから」って思えないんですよね。

残念ながら、日本研究者にとっていい環境でないことは、しょうがないんじゃないかと思うんです。

頭のいい人間投資しろなんて、この分断の時代にあってはとても危険思想と受け取られかねないじゃないですか

 

 

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

ここまで来てようやく本題です。

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

 

日本では研究高等教育価値になりにくいみたいです。さてどうしよう。

 

日本の優秀な研究者に残された道は2つです。日本研究するか、海外研究するか。

日本研究するためには3つの選択肢があります

「1.学問研究価値自体底上げする」か「2.自分研究価値化する」か「3.ひもじいのを我慢して努力する」か。

 

1. ってこれまでずっと研究者が言って来たことだと思うんです。

学問研究は将来の豊かさにつながる的な。実際本当にそうだと思うんです。

ただ、です。それが日本人全体の価値になるのか?は確かなのか?

 

極論を言えば、10年後の豊かさための研究明日死ぬ人にとって何の意味もない。

日本人全体の価値になるかどうか?の確からしさってどうなんでしょう?

少なくとも日本では半分以上の人は確からしさを感じていないのでは?

 

 

そうなったらそれって所詮思想であって、「正義」ですよね。日本人のために!ってやつ。

それって、「不正はいけない!」って言う「正義」と何が違うんでしょう?

正義」の正しさを判断するのは誰なんでしょうね?

少なくとも「正義」の強さ(≒正しさ)が民主主義的な数の暴力的プロセス承認(≠証明)されるのであれば、「不正はいけない!」って言う正義の方が強そう。

 

マスコミは強い「正義」側に立つでしょう。彼らは営利組織だ。

弱い「正義」は残念ながら資本主義社会では利益を生みにくいんです。

マスコミバカなのではなく、ビジネスマン

 

正義」対「正義」はどちらかが屈服するまで終わることはありません。

から私はこの対立構造が本当に勿体無いと思います

少なくともこの対立構造の中で議論することに、研究者メリットは全くない。

 

 

となれば2.でしょうね。実際このタイプの方は成功を収めているパターンが多いと思います

話題落合陽一准教授とか。本当にすごいと思います。後は尾木ママとかね。

 

 

3.は本当にないと思います

研究目的とするのに、研究環境を悪くするって何なんでしょう?

研究環境がプアなら、秀逸な成果に辿り着く可能性もプアになるでしょうね。

そんな頑張りに意味があるのか?

研究者として頑張る自分」に酔いたいなら。

 

 

そう考えると、本当に研究がしたい研究者にとって残された道って、

日本自分研究価値化する」か「海外に行って研究をするか」しかないと思うんです。

どっちの方がハードル低いですかね?

 

研究価値化する」ために、「価値になりにくい環境価値を探す」のと「価値になる環境に行く」の。

後者の方が圧倒的に合理的じゃないですか?

 

 

もうね、「日本のため」とか考えなくていいと思いますよ。

それはとても弱い「正義」です。

後進のために少しでも良い環境を!という思いを抱いて頑張ってらっしゃる方もいるでしょう。

それも結局「正義」でしかないと思うんです。弱いんです。

と言うか、海外で「日本研究者は優秀だ!」って言う評判を作ってくれた方がよっぽど後進のためだと思います

 

 

自分研究をどう価値化するか?」

これってマーケティングだと思うんです。

研究者にもマーケティング発想が必要なんです。

そして優秀な研究者なら絶対できます

 

世界資本主義を中心として動いている以上、一番強い「正義」は多分資本主義です。

資本主義の中で強そうな武器方法論)として採用されているのはマーケティングです。

そのマーケティングで有名な概念が”競争優位”です。

 

 

強いところで戦いましょうよ。

優秀な研究者であればこそ。

 

 

日本では、優秀な研究者が自らの研究武器にして、国防高齢者福祉に勝つのはとてもとても難しいと思います

2018-01-24

アニメ異種格闘技

少年ジャンプでアンケ上位の今を輝く少年漫画も、

大層な賞を受賞した出版社イチオシ青年漫画も、

今更スポットを浴びた90年台の名作も、

前年にそこそこ売れたハーレムエロゲも、

気取った文学作品も、

キモヲタ向けのラノベ作品も、

きらら系の中身のない4コマ萌え漫画も、

アマチュア発のなろう小説も、

アニメの元では全てが平等だ。

元がどんなジャンルであろうと関係なく同じ土俵に立ち、売上という戦闘力で互いを殴り合い、クールごとに覇権が決まる。

無料大勢配信して、何人がお金を払う価値があると判断たか、何人が面白い判断たか

どこぞの出版社内のお偉いさんのさじ加減で決まる出来レースな賞レースなんかよりもずっと公平で平等尺度だ。

ダサイクルという少数のサブカル気取りの内輪の中だけででんでん評価されてるだけの作品容赦なく打ちのめされるし、

逆に無名でもオリジナルでも『本当に良い』作品は正当に評価される。

たまに『アニメはアレだけど原作は名作で~』なんて言い訳がましくアニメスタッフ責任転嫁してくる輩を見るが、アニメ駄作作品は大抵原作プロットレベル突っ込みどころ満載なことが大半だ。

特に最近は90年台などと違い良くも悪くも無難な完成度は担保されている。

『飛び抜けた作画崩壊』や『アニオリによる作品崩壊』なんてのはほとんど絶滅したと言っても過言じゃない。

今期アニメゆるキャンvsスロウスタートでどれだけ片方が打ちのめされるか、それが作品よりもずっと楽しみだ。

たまにグラブルみたいなチートが混ざるけど、決して流されるなよ。

2018-01-20

マンションへの電子ブレーカー電子遮断機)の導入について

問題になった節電器(電圧を落として節約しようという問題の方が多すぎでさすがに廃れた方)ではなく電子ブレーカー提案があった。

電子ブレーカー(の商法)というのは、要は

というもの機械式(熱動式とか電磁式)ブレーカは信頼性が高いが動作時間マージン必要なので存在する規定だが、これを利用して合法的に盗電(他に表現のしようがない)しようという隙間的なもの

反対したいのだが「でも合法なんでしょ?」「業者への支払いがあってもお得でしょ?」「結局、安全性も損なわれないのでは?」となってしまいそうでいい反対方法を思いつかない。しょうがないので、いずれ誰かが拾ってきちんとこの電子ブレーカー商法ストップしていってくれることを願い、その文面だけダンプしておく。

この提案について

提案は定格以上の領域遮断機を日々使おうという内容です。わかりやすく言えば、体重90.5kgだが毎日一瞬乗るだけなので36kg用の踏み台を使おう、という話です。

遮断時間規定は「最悪でも何秒・何分以内に切れるよう製造しなくてはならない」という規定であり、短時間であれば定格上限を高くする・保証するという意味ではありません。規定時間の間であれば切らずに利用させるための規定ですらないのです。

さらに、電子遮断機本来機械的機構をなくし瞬時の遮断を行うための製品です。これを逆用して規定時間ギリギリまで遮断しないように調整するのは違法・規格違反ではありませんが、安全性意図的に落とす行為であり、それを工場などではなくマンション居住者のような一般消費者提案することに業者管理会社への疑問を感じております

また従来より、現管理会社には当マンション資産を他業者事業利用に供しようという姿勢が見られます提案自体合理的に見えますが、長期的には当マンション居住者が外部事業者事業用に資産を供出し続ける構造固定化されるのではないか心配しております。このこともあり、現管理会社の各種提案にそのまま賛同することができません。

短期間で入れ替わるマンション理事会は住人側が十分な知識時間を持った状態運営し続けることは難しく、不合理な状況になった時、それに気づき、改めるのは困難です。このため、うまくいった場合メリットを追うのではなく、管理組合活動が低調・機能していない場合デメリット固定化しないような、安全側に倒した運営・総会提案をお願いいたします。

電子ブレーカーとは何か

さて、当製品電子ブレーカー)の本質は、電力会社から合法的な盗電となります

従来型のブレーカー物理現象を利用して遮断するため信頼性もっとも高く、かつ耐用年数も非常に長いのですが、遮断時間制御が外部環境に左右されやすいため遮断までの時間マージンを取った設計必要です。このため「最悪でも何秒・何分で切れる」という最大遮断時間規定がある訳です。

電子式は信頼性に劣り、定期交換が必要となりますが、遮断処理自体は一瞬で、しかも切るタイミングソフトウェア制御可能です。これを利用して、従来型ブレーカーのために規定された時間マージンの間は給電を続けるように作られたのが、今回業者販売している電子ブレーカーです。

安全性について言えば、万が一、本当に事故などで過電流が生じた場合、一瞬で切る機能をあえて無効にしている訳で、望ましくありません。規格が定めるのは最悪値ですから、おそらく従来型のブレーカーと比べてもかなり長く過電流を流し続け、従って問題を起こした機械などが動作し続ける可能性があります

合法・規格範囲内ではありますが、最後の防壁として安全性担保するブレーカー意味、また、この選択理事理事長として取られる意味をご理解頂き、住民に十分周知の上で決定されることを希望いたします。

電子ブレーカー業界について

最後に、これら電子ブレーカー存在できる理由は、電力会社の料金制度と各機器にそれぞれ安全装置が付いていることによります

まず、電気料金が完全従量課金で、契約容量によって基本料金部分が異なることがなければ、本来はこういった装置間の特性差をついて電力供給を行なってしま装置存在余地はありません。

電力会社としては需要予測のため契約容量という形での申告があった方が望ましいのかもしれませんが、これを料金の多寡と関連づけたため、ブレーカー安全性を削るこの商法に登場余地を与えています

また、安全性について言えば、エレベーター機械駐車場といった各設備にもそれぞれ安全装置がまずついています。主開閉装置安全性をあえて落とすという提案をするということは、それが問題になる可能性が低いと電子ブレーカー販売製造元は踏んでいるからです。

いずれも、他人・他社の生産物を盗み、また、安全性確保の努力ただ乗りする行為です。これら電子ブレーカー製造販売元は法的にどうあれ、取引相手として信頼できるか、そして自らが取引を行いたい相手であるか、自問ください。

電子ブレーカー商法について

補足ですが、電子ブレーカー商法は一時期悪質業者が多く出現し、社会問題となりました。その手口としては

などとなります。総会投票で導入となった場合も、提案業者上記にあたらないか理事会として責任をもって確認下さい。

この高齢エンジニアはどういう職業人生を生きてきたのか

元請けでずっと仕事をしています

業界の多重請負構造問題偽装請負まがいの派遣などの格差問題自分なりに見てきました。

いまとても人手不足で、(数十人月半年クラスの小規模な案件でも、現場には聞いたこともない企業

高齢エンジニア(外見からどう判断しても50歳以上)がやってきています

二次請け以下に対しては請負発注なので、そこの体制には口を挟めない訳ですし、成果物品質担保され

れば何も言うことはないのですが、ドキュメントレビューにその高齢エンジニアが出てきて、説明をする

と、内心で「これはひどい」と思う訳です。

基本的に、人に自分作成したドキュメント説明する、という行為の基本がまるで習得できていない模様

である訳です。

この高齢エンジニアはどういう職業人生を生きてきたのか

こう思わざるを得ません。

キャリア形成というもの残酷です。

2018-01-19

日本が誇る食文化うなぎ”が壊滅の危機、いまこそ食べて応援

無論ニホンウナギを食べよという話ではない。

巷では国産、天然など絶滅危機に瀕しているのをまるで他人事かのようにニホンウナギの消費を煽る言辞が踊る。

うなぎ業者うなぎ店もスーパーも、ニホンウナギこそがうなぎであり、食べる価値があるものだと言って憚らない。

なぜこんなにアホなのか。

遅かれ早かれ今のペースでうなぎを食い続ければ我々が愛して止まないうなぎ文化文字通り死ぬ

ではどうするか。

まずはこの危機的状況をみんなで共有しよう。

第一ニホンウナギの完全禁漁だ。

しらす、成体ともに。

品質が云々とか、老舗のコダワリとか先ずは捨てて完全にニホンウナギ流通禁止しよう、もちろん闇マーケット対策として、密漁流通厳罰を科して”割に合わない商売”にすることも忘れてはならない。

うなぎ業者うなぎ店には涙を飲んで資源量にまだ余裕があるビカーラ種タスマニアうなぎを使ってもらおう。それが何よりも老舗ののれん看板を守ることにつながるのだから

ただ、国産信仰の強い消費者一時的うなぎ離れを起こすかもしれない。

そこで”食べて応援”だ。

国民にはこの危機的な状況を脱して資源量が回復するまで、うなぎ業界を食べて支えよう。

専業の漁業者には補助金必要かもしれないが、うなぎ税を導入して財源にしよう、これも食べて応援だ。

うなぎ税の税収は完全養殖技術確立にも投資しよう。

こうして資源量の回復と、持続可能性を担保するための厳格な漁獲制限を設けて、うなぎを解禁する。

いずれは完全養殖技術も完成するだろう。

今の日本産学官関係性を鑑みて全くの夢物語だろう、ただ事実、これくらいのことをしないと日本が誇る食文化うなぎ”は壊滅する。

2018-01-16

anond:20180116130219

表面的には元増田の指摘は大筋正しい。

最終的な「言葉尻としてのコピー」は、案外誰でも書ける。

商品コピーを、そこらのおばちゃん1000人に書かせて集めたら

存外数個はきちんと機能する物が出て来たりする。

しかしながらこのやり方は確実性と再現性に欠けてしまい非常に効率が悪い。

また、ランダムに集められた1000個のコピーの中から

真に機能する物を適切に選び出す選球眼も結局必要になって来る。

優秀なコピーライターはこれを一人で担保する。

一人で1000の選択肢検証した物と近似のアウトプットを、

クライアントが変わろうが商品が変わろうが、

条件の変化に左右されずに、一定のアベレージで提示し続ける事が出来る。

その為に構想過程では、1000とはいわずとも非常に多くの選択肢検討した上で

最終アウトプットを決めている(ここは経験を積めばショートカット出来る部分ではある)。

同時に、大量の選択肢の中から、最も適切な一本をピックする為の

選球眼やロジックは明確に持っている。

上記を一人で担保し続ける事こそが

コピーライターとして多額の報酬を受け取る為の条件である

だがしかし

世の中の全てのコピーライター上記の条件を

正しくクリア出来ているわけでは無いのも、また事実である

客の無知につけ込んで嘘やちょろまかしを行い、

元増田が指摘するように自身過去の受注案件を「作品」呼ばわりし、

クライアントから預かった課題解決はそこそこに、

名声の喧伝にばかり注力する者が少なからずいる事もまた事実である

そうした「ニセモノ」は一刻も早く消滅して欲しいと

から願うものである

読書感想文面白くない本を面白くないと書こう。

読書感想文ってさ、あらすじを規定量分書いて最後に『面白かったです』で締めるのが慣れない子供の基本だと思うんだけど、最後に『面白くなかったです』と書くためには一体、どんな本を読めばいいのだろう。

もちろん、個人の感想なんだから、なに読んでも面白くないと言い切るのもいいんだけど、客観的面白い評価されている本を読んで面白くないって、そりゃ読み手問題も浮き彫りになるので、そうじゃなくて面白くない本を読んで、先生も納得の『面白くなかったです』を下したい。

腐っても課題図書ならある程度の面白さが担保されていると思うんだけど、どうなんだろう。

やっぱり大手出版社ならある程度、チェックもしっかりしてるだろうし、そもそも面白くないなら本にならないだろうし。

そうすると希望が持てるのは自費出版系だろうか。

あるいは、政治家政治資金獲得のために書き下ろし社会問題テーマにした小説とか。でもああいうのはゴーストライターがついているのか秘書がしっかりしているのか、固くて基本に忠実な話づくりなんだよね。

そういった意味では面白くないんだけど、読めないほどでもないというか。

映画の『プテラノドン』の感想でよければ、『面白くなかったです』で文句は来ないんだろうけど。

2018-01-14

[] #47-2「嫌煙の中」

≪ 前

センセイとタケモトさんは嫌な予感を察したのか、おもむろにタバコを吸うのをやめた。

「ん……タバコ……?」

だが市長は目ざとかった。

「ここ喫煙席なんですか!?

喫煙席というか、そもそもウチはそういう区分けはしていないので」

「なんですって!? タバコを吸わない人間のことを考えないのですか」

何となくそんな気はしたが、間違いない。

市長嫌煙家だ。

「そんなこと言われても困りますよ。経営方針の一環なので」

マスターはしぶしぶといった具合に返答するものの、市長は止まらない。

タバコというもの百害あって一利なしなんです。そしてこの害は他人にもおよぼす。やるならマナーを守ってください」

「巷にどれだけ他人に害を及ぼすものがあると思ってんだ。タバコだけ駄目な理由がねえだろ。ましてやオレたちは喫煙OKの店で吸っている。正当な権利行使しているだけ」

「その通り。そういった話は実際にマナーの悪い人間に言うことであって、我々に言うことでも、この場で言うことでもない。むしろあなたのほうが、私たち権利を奪おうとしている点で不当とすら言えますよ」

「あと、『百害あって一利なし』ってのも古い言葉ですね。いくつかの効能があることも判明していますし」

「ですがタバコは体に悪いし……匂いも嫌だし……」

市長さん。どんな理由があれ、ウチは喫煙OKにしているという前提を忘れないでください。その上であなたには我慢するか、別の店に行くかという選択肢がある。そのどちらも嫌だから私たちタバコを吸うなというのなら、それは傲慢ですよ」

だが市長の分が悪い。

とりあえずみたいなノリで難癖をつけたものから理屈が通っていない。

分かりやす大義名分が効かず、ただ主張を押し通すだけの機械になってしまっている。

逆にマスターたち喫煙家側はこういったことを言われ慣れているのか、理論武装が既にできているようだった。

さすがに形勢が不利だと感じたのか、市長はふと目に入った俺を槍玉にあげた。

「ほら、あそこにいる若者タバコを吸わない彼に、煙を一方的に吸わせて良いのですか!」

うわあ、もう勘弁してくれ。

俺もタバコは好きじゃないが、だからといってアンタみたいに強い思想は持ち合わせていないんだ。

いくら理屈が通らないからって、俺を自分の主張の担保にしないでくれよ。

「いや、あの……別に俺は気にしていないですし。だからこうして店に居座っているんで」

「そんな! 危険ですよ。ガンになります

「まあ、キツいタバコ副流煙を近距離ガンガン吸ったらなるかもですが、一応は離れた場所で換気もしていますし。個人差こそあれどそれが原因でなるって、よっぽどのことがないと……」

「なんですって!? そんなこと誰から学んだのですか」

学校で」

「ひぃ~! 情操教育の敗北!」

市長意味不明なことを言いながら、逃げるように店から出て行ってしまった。

嵐が去って、マスターさんたちは安堵の溜め息を吐いた。

やれやれ、あそこまで極端な人も今日び珍しい」

「いやあ、逆に今の時代からだろ。義務教育の段階でタバコが体に悪いってことをしつこい位に学ばせるからな。今はそいつらが親に、下手したら老獪になっている世代なわけで、そりゃあ喫煙家にマトモな市民権を与えようって声は出ねえよ。逆はたくさんあっても」

「仕方ないですよ。彼らがタバコを嫌うのには相応の理由がある」

「そうは言っても風当たりが強すぎんよ。過剰に悪いところばかりあげつらって。喫煙家の中でも一部の悪い奴をサンプルに理論を展開しやがる」

オタクの中からソシオパス探し出して、オタク社会不適合者の集まりみたいに語る、みたいな?」

「マスダ、その例えは分かりにくい」


…………

マスターたちは気持ちを切り替えて雑談に興じていたが、俺は別のことが気になっていた。

市長が店から出て行ったときに、遠くからかに聞こえた言葉

「『この町からタバコ駆逐してやる』とか言っていましたね」

俺がそう告げるとマスターたちが固まる。

「ああ、もう気づかないフリしていたのにさ……」

重い空気どんよりと漂う。

この空気タバコより吸いたくないな。

「あの市長無能だけど行動力だけはあるもんなあ……」

そう、市長はこれまでも破天荒政策を幾度となく実地してきた。

そしてその不安は数日後、見事に的中した。

禁煙法』の制定である

次 ≫

2018-01-13

ぼくがかんがえた最強の仮想通貨

デジタルコンテンツを売買出来るようにするんよ。

例えば俺が、作詞作曲して演奏して歌った曲を一つ世に出すとする。

100万枚、複製不可能音楽データを用意する。

100万枚全世界リリース

って言っても売れるわけない。

需要供給バランスで、1円なら買うよって人が100人くらい居たとしよう。

そうすると、リリースと同時に、俺は1円×100枚で100円をゲット。

残り999万9900枚が在庫として抱えることになる。

で、曲を聞いた人たちに、意外にも大うけ、評判が評判を呼ぶと、

「1000円払ってでも聴きたい!」

って人が出てきたとする。

俺は残りの999万9900枚から、再度市場リリース出来る。

あるいは、最初に1円で買った人も、1000円で売ることが出来る。

しばらく前に世をにぎわせたVALUと要領は一緒。

デジタルコンテンツなのに、ダウンロード販売だけでなく、中古販売も出来るようになり、なおかつ著作権者権利も守られる。

ブロックチェーンなら、取引正当性担保しつつ、匿名のままやりとりが出  来る。

JASRACアマゾンアップル支配できない、デジタルコンテンツ匿名マーケットを作ることが出来る。

2018-01-07

仮想通貨が本当に通貨になったらいかに便利か力説してみる

仮想通貨メリットが今ひとつからない。

自分なりに仮想通貨しか出来ない使い道を考えてみる。

テロリストテロ支援国家関係の深い団体個人の口座は凍結されて、テロリストテロ支援国家に送金は難しい。

でもビットコインなら大丈夫

誰も改竄できない取引正当性担保しつつ、誰も個人特定できない完璧匿名性!

テロとか自分から遠すぎて実感がわかないけど、身代金とか振り込め詐欺あたりなら一般市民にも関係するかもね。

スマートコントラクトが実装された仮想通貨市民権を得たら、もっと便利!

足がつかないうえに踏み倒されないノーリスク闇金開業できる!

今はまだ仮想通貨は、使えるところがない、ただの電子ゴミだけど、これが本当に通貨としての地位を獲得していけば、すごく便利かも。

きっと市民権を得て、街中の買い物で仮想通貨が使える日もくるよ!

2018-01-05

多文化共生でなく住み分けるべし!というツイートアパルトヘイトガーとかパレスチナガーと炎上してるが、これ実際にゲーテッドコミュニティとしてポリコレ先進国アメリカ実践されてるんじゃないか

ただ問題実質的移動の自由担保するのが困難で、格差は拡大するのみという点。

anond:20180102130531

琥珀さんルートや桜ルートが好きで、かつFGOシナリオがそれと同様に面白い」という人です。

当方PLUS-DISCからなので元増田氏の言う古参寄りではあると思うのですが、琥珀さんと桜の物語が好きで、当時回りに全く理解されなかった事もとてもよくわかります。また「ガチャ」やカジュアルソーシャル的消費要素には否定的であり、その部分がゲームの主軸ではない(特にマルチプレイや対人などバトル要素)事で続けているプレイヤーでもあります

以下、FGOや各作品ネタバレにある程度触れている部分があります

HFの呪縛と「その先」の模索

数々のインタビューを見ると、奈須きのこ氏はHFがユーザーの多数に受け入れられなかった事を失敗だと思っている節があります(劇場版パンフでも話を変えようという話題があったはず) それがCCCでの桜の復権を目指したテーマ性と描かれ方(別の悪を提示したのは賛否あると思いますが)であり、FGOでのマシュ・キリエライトに繋がる要素の一つでもあるように思うのです。また、彼女Fate無印でのセイバーと対になるプロットのあった没サーヴァントであり、DEEN版のアニメ化で設定が固まったなど、Fateと共に歩んできた裏のキャラクターでもあります

そこから見た場合FGOのマシュの立ち位置は、ある種HFのリベンジとも言えるものです。彼女は魔術の名家によって実験体となるべく作られたデザインベビーであり、教えられた目的のために生きる事が全てとして成長しました。そして、オムニバス的な物語が進む中、やがてゆっくり人間性を獲得し、物語終盤では「人の生きる意味」を自問し、迷い、答えを出す所まで到達します(その真骨頂奈須きのこ氏が直接書き下ろし第一部6章~終章です)

彼女と対になるのは主人公ではなく、物語ナビゲーターであるロマニ・アーキマンです。彼もマシュ同様特異な生まれ人生選択権を持たなかったものの、「既にその問題を克服した」人物であり(結果として他の問題を抱え込みましたが)、その意味でマシュを導く鏡のような先達であり、テーマ性におけるナビゲーターでもあります

これらは明らかに"ロボット"である衛宮士郎や、間桐桜喪失と救済の物語など、HF(及び重ね合わせとしてのhollow)のリバイバルリベンジと言えるデザインですが、そこに新しい要素が入り込みます。それが「主人公(プレイヤー)」です。主人公マスターという価値担保されているものの、(空の境界黒桐幹也やEXTRAの岸波白野にも全くキャラクター性で敵わないほど)個性の弱い傍観者です。善性の象徴としてマシュとの絆を育み心の支えにはなっても、プレイヤー選択肢が彼らの生き方を変化させる事も無く(ストーリー分岐が無いので)、傍観者であり第三者、という位置付けのまま物語は進みます

そして物語最後第一部の結末では、hollowにおけるスパイラルラダーとブロードブリッジの再演の中、主人公を残し彼らは生きる意味の答えを獲得して死亡します。ですが、物語はそこで終わりません。彼らの人生、生きる意味の獲得をずっと見てきた主人公(プレイヤー)が、彼らに"続き"を託されるのです。彼らから貰った「命の答え」を声高に叫ぶ選択肢と共に。それはHFと重ね合わされながら別の物語として成った結末…「遊んでいるあなた」にその先を託す、「あなたは、彼らの人生肯定して良いのだ」という、かつてHFを支持しながらも「評判」にかき消された、私たちへの救済のようにも感じられました。

完成した物語俯瞰して答えを出すという行為は、hollowアンリマユのような「主人公」の形でもあり、バゼット・フラガ・マクレミッツが前に進んだ源泉でもあります。かつて主人公プレイヤーを重ね合わせる事ができず、数多のプレイヤー登場人物を「理解できなかった」とされたまま完結していた作品は、形を変えたその先で別の答えを模索したのだ、と、そう思いました。

…また、CCCでも結末において「キャラクター人生肯定する」選択ができる構造にもなっており、FGOはその表現さらに詰めた形である、とも考えています

連載型ゲームソーシャルゲーム

ここからは余談です。

奈須きのこ氏らはいわゆるソーシャルゲームについて、一般的な対戦や収集を軸としたバトルゲームではなく、リアルタイム性を重視した連載型ゲームとして語っている部分が多く見られます。かつてのWEB連載版空の境界さらに戻ると氏がノート小説を書いていた原体験に繋がるのでは、とも思いますが、2016年年末ツイッターが盛り上がっていたのは完全にその手法の先にあるものであり、インタビューなどで何度も言及されている「漫画雑誌のような」「今追いかけている人にフォーカスした」展開方法の、その最終回の見せ方に他ならない作りでした。それは「見せ方も物語体験に入る」という考え方、「Fate」においてUBWとHFが段階的にプレイする方式になっていた考え方の先でもあるのでしょう。

このリアルタイム演出手法過去エイプリルフールでも定期的に模索されていた効果の高い方法であると同時に、追いついていない・時間の合わない層を強く失望させる作りでもあります。そこに複数ライターによる(プレイヤーの受け取り方も含めた)シナリオの当たりハズレ、新たな更新を待つ期間、そしてこの作品の見せ方に本当に必要だったのか今では疑問とも思える(3分縛りの話を見るに何も考えずに入れてそうな)ガチャ要素も含めると、一概に物語を取り巻く環境全てを肯定しにくい作品とも言えます

はいえ、この連載型ノベルRPGとも言えるシステムが非常に希少であるのは確かで、バトルゲーム主体ソーシャルゲーム文化の中で個々のユーザーがそれをどう受け取るかが、このゲーム価値付けになっていくのだと思っています

二十七祖と言えば

4章でプライミッツ・マーダーの話が出てきた時はまさかと思いましたが、本当に出てくるとは…

2018-01-03

大隅良典先生2019年参議院選挙に出て欲しい、という話

以下、高校受験を控えた中学生正月勉強サボって書いた妄想文のようなもの
誤情報・誤認識に基づいた記述が多々想定されるので、くれぐれも「その通りだ」などとは思われぬよう。

1、ノーベル賞を受賞しても国家予算は決められない

大隅良典先生は、オートファジーなる現象発見2016年ノーベル賞を受賞された。
その後、いくつかのメディアなどを見ていると、大隅先生
・独創的な発想に基づく研究の推進
・若手研究者支援など人材育成の充実
などを提言されている。

しかし、この影響は極めて部分的ものにとどまると思う。
まり、今後も独創的な研究支援は増えないし、
若手研究者研究環境生活環境は悪劣なまま維持される。

なぜなら、「科学技術振興予算は今後、増えない」から
(ごまめの歯ぎしり河野太郎代議士ブログ参照)
https://www.taro.org/2017/01/%e8%ac%b9%e8%b3%80%e6%96%b0%e5%b9%b4%e7%a0%94%e7%a9%b6%e8%80%85%e3%81%ae%e7%9a%86%e6%a7%98%e3%81%b8.php

科学技術振興予算の内訳を組み替えるにしても、
すでに奪い合いの激しい中で、目に見えた結果の出にくい
上の二つをどこまで拡充できるかには疑問がある。

もしも予算を増やそうなどと思ったら、公民教科書ではないが
概算要求政府案→予算審議→予算成立
という国家予算プロセスの中で、負債の返済や、
増え続ける社会保障費などとともに俎上に載せた上で、
予算成立までこぎつける必要がある。

どちらにしても、研究者という存在限界
大きく超えているように思い、いくら愚考してみることにした。

具体的には、
研究者国会議員になることで科学技術振興予算を増やせないか
ということだ。
多分、ノーベル賞学者知名度なら参議院議員になれると思ったので、
2019年選挙もそう遠くないし、勝手に考えてみた。

2、象牙の塔からの発信ではなく議員として予算委員会

いきなり乱暴議論だが、上記予算プロセスを経て、
平成29年予算政府案どおり成立した」らしいので、
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2017/
政府=研究者ならば問題解決する気がする。お手盛りで決められるかもしれない。
当然そうはならないが。

では立法、つまり国会から研究支援法のようなもの提案することは可能だろうか。
これもなかなかハードルが高く、参院ならば10
(予算がらみなので20名以上?)集めないといけない。

おそらく、まず初めにできることと思われるのは、
予算委員会発言する事のように思う。できれば議員として。

予算審議の公聴会における公述人でも良いではないかと言う考えもある。
しかし、それでは足りないと考えている。

五年前くらいに災害対策特別委員会京都大学教授
内閣官房参与の方が日本災害対策インフラ問題について、
公述人として熱く語っていた。
しかし、地方インフラ悲惨さが変わる気配はない。

まり、考えの正しさだけでは足りない。
国民理解を得られている、という事を示さないといけない。
やはり選挙を経て、国民の信任を受ける必要がある。

しかし、わざわざ著名な学者でなければならないのだろうか。

3、果実をもぎ取った人の説得力必要

結論としては、著名であることは何より必要であろうと思われる。

国民に対し研究重要性を訴える事は、誰でもできる。
しかし信頼を得るには、担保となる実績が必要だろう。

研究の種が花開き、果実をもぎ取る季節までは、
気が遠くなるような時間がかかる。
蝉の一生ではないが、ほとんどの時間は日の当たらない
地中生活といっても過言ではない。研究者にとっては、
その生活楽しいのだが、たぶん理解されない。

広い人々に訴え、信頼を得るには、
その手に確かに、たわわに実った果実必要だろう。

現状、日本科学技術の振興をやめつつある。
他の先進国との競争に負けつつあり、新しい研究の芽吹くことのない、
研究の土壌として貧しい国になりつつある。
Nature Indexについての記事話題になったのは記憶に新しい。
https://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8622

これでいいのか、このままでいいのか、
ということについて述べるのは、あまり意味がない。
悲しいことだが、国民が選び議論した結果だからだ。

それでも保険会社子供に夢を聞けば、
学者」は高い人気がある。
彼らが果実をもぎ取ることができる未来
このままだと日本という国からは着実になくなっていく。

衰退しつつあることが現状である以上、
現状維持は衰退の維持である
わかりやすいところでいうと、
大学院博士課程には、もう学生がいない。

愚考はいえ、著名な研究者の国政進出を願いたくなるほどに、
現状は深刻で、喫緊対応を要すると思う。

4、別に大隅先生でなくてもいい

現実的なところでいくと
政府内閣国会が突如科学振興に目覚めて予算方針法律が変わる
法律閣議決定された予算基本方針などに逆らって
 勇敢な予算編成が組める官僚が出現する

もう少し現実的には
研究者が大挙して霞ヶ関に大々的に陳情に行く
(パブリックコメントって効果あったのだろうか)
国会議員積極的に働きかけ理解を求める

しかしこれらの効果限界があるように思われるので、
研究者国会議員になる
短期的には最も有効である気がしてしまう。
中期的には研究者が中心となって小さくても良いので政党化すると良いと思う。

長期的には
科学振興が選挙における関心事になる
ことが良いように思うので、
少しずつでも科学者象牙の塔から出て、
地域イベント飲み屋に繰り出すべきではなかろうか。

研究者という生き物が国民に、さらには国会議員にきちんと理解されるようになれば、
研究者象牙の塔ならぬ地中暮らしで満足なのだから
大隅先生など著名な先生を国政に引っ張り出す必要もなくなる。

以下の文などを読むと、すでに飲み屋には
大隅先生をはじめとした研究者がたむろっている気がしてならないが。
http://www.jscb.gr.jp/jscb/contribution/contribution.html?vol_id=223&no=9&id=28

以上、あまりの散文に目眩を覚えつつ、間違って投稿ボタンを押すことにする。

2017-12-26

anond:20171225190109

年金破綻する」

年金制度不具合がある」

年金運用不正が見つかった」

 

「将来の税収や労働力が足りなくなります」→「AIで将来の仕事が無くなります

子どもを大切に、だから無条件で今の大人子どもを助けて下さい」

 

って状況で、

「今の子どもたちが、将来あなた達を助けてくれます、支えてくれます

なんて事を信じられるだけの担保がないんだろうね

2017-12-16

anond:20171216081627

コンビニとか駅の売店とか、少額の買い物で小銭ジャリジャリやりたくないときは確かに電子マネー便利だと思うけど、個人経営の小さなお店とか電子マネー対応してないところがまだまだたくさんあるんだからしょうがないじゃん。

あと、電子マネーとかクレジットって、お金使ってる実感が薄くなりがちだから節約には向いてないと思う。物理的に財布からお金が出ていって、「残りが少ないかピンチ!」みたいな実感がないと金感覚の甘い人はどんどん使ってしまうと思う。っていうか電子マネークレジット推進派って、店員の手間を省くだけでなく、客の財布のひもを緩めるためにやってるんじゃない?あと、クレジットは店側も手数料取られるし、現金が入ってくるまでに時間がかかるので、ある程度の高額商品で使ってもらわないとあまり喜ばれないのではないかと思う。

個人的に最強だと思っているのはデビットカード自動精算機。デビットカードだとクレジットカードと違ってリアルタイムで口座からお金が引き落とされるので、残高を意識やすいし、残高以上の金額は使えない(担保定期預金とかあれば別だけど)。自動精算機ってのは、私がよく行くスーパー採用されているんだけど、レジ打ちの人が商品金額をどんどんPOS登録した後、支払は機械相手にやるってやつ。支払方法現金でもクレジットでもポイントカードでもOK。店側では釣銭を用意したり売上金を回収したりする手間がかかるけど、おそらくそ作業ごと精算機を管理している業者やらせてるんじゃないかと思う。特にレジ行列ができてるときに、時間かけて小銭を探したりする客待ちをしなくていいのは素晴らしいと思う。

分相応か不相応かを判断するのは誰なのか

その判断の正しさをどう担保するのか

2017-12-13

anond:20171213111748

まだ市場成熟してないからってだけだと思うけど。高い割には質が担保されてない。

2017-12-11

熊谷千葉市長の主張する、表現規制についての正当性について

 熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。

 また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。

 以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。 

 五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。

 

 まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。

 表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセス正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。

 またイオングループ自主規制は、その前提となった千葉市要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である

 このことは、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たこからも明らかなように、千葉市要請イオングループ規制政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである

 よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。

---------

・表紙の隠ぺいにしろ流通経路からの締め出しにしろ、それは表現規制である

 ある表現物に対し、役所などの行政規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである

 よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請表現規制要請である

 また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市要請を端緒としていることを明記しているのだから千葉市要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである

 このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本表現規制歴史においては行政による規制自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制行政による規制要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である

 一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者人権侵害するようなもの名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器露骨描写についてはわいせつ物として規制が行われている。

 すなわち、あらゆる表現のなかから他者人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである

 したがって、今回の千葉市についてもその表現規制妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。

 しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続き正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。

 また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。

熊谷千葉市長の主張の危うさ

 熊谷千葉市長の本件に関わるツイッター上での主張は

民意があり、議会承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」

とまとめることができるだろう。

 しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。

 なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないかである

 例えば、以下に例示したもの民意に基づき、民主的手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。

ナチスドイツによるユダヤ人政策

 ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党NSDAP)は一応は民主的選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。

アメリカにおける日系アメリカ人強制収容

 日本アメリカとの戦争状態に入ったときアメリカ世論の後押しを受けて日系人強制的収容した。またこときその財産事実上簒奪された。これらの名誉回復1980年以降にようやく行われた。

アメリカ特に南部において行われていた人種隔離政策

 「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。

オーストラリアにおける白豪主義

 オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策

 また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。

外国人性的少数者への排斥などは

民意代表たる議員議会質問をもって提案し、関連予算議会承認され、並行して市民意見聴取して改善を求める意見が多数と確認

されたならば外国人性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。

 これらは不当に差別的ものであり、人権侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。

 そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定物事については単に民意議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。

 だが、表現の自由とはそういうものであろうか。

 表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。

 私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現規制はこれを慎重にしなければならないと考える。

 そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。

表現の自由とはなにか

 表現の自由基本的人権の一つであり、すべての見解検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。

 また、ここには報道出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからものである政府などによって恣意的表現規制することは原則としてあってはならない。

 よって、行政による表現規制は慎重でなければならない。

・これまで日本で行われた表現規制

 戦後日本における表現規制の概略をここに示す。

わいせつ表現規制

 日本における性的表現物に対して規制している法律刑法175条で定義しているわいせつ頒布等の罪である

 サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件定義された。

 すなわち、

.通常人羞恥心を害すること

.性欲の興奮、刺激を来すこと

.善良な性的道義観念に反すること

わいせつ物の構成要件となる。

 その後チャタレー事件悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。

 刑法175条の運用として、警察局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき陰毛性器の一部として取り締まり対象としていたが、1980年から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。

 このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである

悪書追放運動

 1950年チャタレー事件きっかけとして各地の地方自治体青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間PTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。

 1989年東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディア人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。

有害図書指定

 各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激暴力や性表現のもの包括的、あるいは個別的指定する。指定された書籍は18歳未満への販売禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体自主規制として指定を受けた図書流通制限している。

-成人コミックマーク

 業界団体出版倫理協議会が制定した、性描写過激な成人向けコミックにつけられるマーク

 コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない

コンビニ向け成人誌

 コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌

春画の展示

 春画江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。

 しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。

 その春画展に合わせて春画掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。

 このように、日本性的表現物については行政側の規制要請民間団体自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループ千葉市要請きっかけとしていることを認めており、千葉市要請イオングループ自主規制については一体として論じるのが適当である

 政治的にも、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定政治上責任を負っている判断される。

コンビニに置かれている成人誌の表紙は隠されなければならないほど卑猥なのか

 熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニ流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。

 表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠規制する側である行政提示しなければならない。

 また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係規制である。これは当初の規制目的ひとつである、成人向けコーナーの雑誌過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である

 以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。

 また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。

不快理由排除は正当なのか

 本件は成人誌に対する不快感を一部根拠としている。

 しかし、これを根拠とすることは危険である

 不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権擁護するために他者権利侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。

 例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論形成されているが、これまでの歴史において性的少数者迫害されてきた。性的少数者迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論構成されていたからだろう。

 多数が不快に思っているのだから性的少数者迫害してもいいのだろうか。

 もちろん、これは否である性的少数者不快に思う気持ち内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者人権侵害していいわけではない。

 表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者表現の自由に対する侵害である

 また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。

 よって、不快さを根拠として表現規制することは適当ではない。

結論

 以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌カバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこ規制適当ではない。

 イオングループが発表した流通規制千葉市要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定政治的責任を負う。

 また、イオングループ千葉市<

2017-12-08

anond:20171208082151

それは現状の形式だけで中身のない成果報告書に対する批判であって、客観的な事後評価を行い公開し、

政府内部的には次の施策還流するすることの良し悪しの批判にはなっていない。

それは無駄な事後評価無駄というしごくあたりまえの話であって、事後評価なしで良しという理由にはならない。

もちろん、現状の研究補助金助成金のあらゆる局面でつきもの無駄なペーパーワークが、研究従事者の貴重な時間を拘束しているという点については同意するけどそれとは別問題

一般論でいうと金をもらったら後は自由やらせてくれというのは研究者としては嬉しい半面、

あなたのいうとおり研究開発というのはどこまで目標が達成できるかギャンブルの側面が強く、

予算を付ける側としては理由付けに苦しむところがあるので、お互い後腐れなく金銭授受するためには期待値として成果を可視化するシステム必要なのかもしれない。

それによって、これこれの分野にこれだけ予算をつけると全体的にはこんだけ成果が出てるんです、みたいに税金効果国民説明することもできる。

研究者自由裁量で使える予算も付けやすくなる。

てか、現状そんなレベルのこともやってないから、お金にならない学術分野に金かけて意味あんの?みたいな意見政府からも出てきても反論できない。

ビッグサイエンス研究費が偏ってるのも、元はと言えばこういう評価があらかじめある程度担保されてるグループを集めて銭を投げて委託すると、

事後評価スルーする理由が出来て楽だからっしょ。で、実際やってやりっぱなしでしょ。どうなろうと。そしてそれを繰り返す。

まあ結局、ひとことで言うと文科省ちゃんと仕事しろって話なんだけど。

2017-12-06

https://anond.hatelabo.jp/20171205201312

ものによる

病気やケガでというのが一般的だが自分でそれを支払う必要のある(自爆して金のかかることになる)可能性について必要ならそのための貯金管理費だと思えばいいだろう

相手がいて支払いを請求できるケースが想定できるならそのための備えをしておけば保険はいらないかもしれない

自前で積み立て運用できるならいらん

保険としての外貨預金(年利6%)を自前で積み立てと一般的保険と変わるのは運用投資で実際に出るタイミングで支払われる最大値であって保険としての機能は同じだろう

年利6%で有事の際の備えとして機能するものにそれをあてればいい

もちろん保険はハズレくじ(支払われない条件)などで運用を賄ってもいるので保険実効効果を示さな可能性もあるがそのリスクと支払利率は商品価値なのでしょうがない

保険屋のメイン商品は綿密な計算でどうあがいても「有事の際は」最も効率のいい商品となるようになっている

結果を得られるかどうかは審査次第ということがレバーになっているとすれば商品価値としてはそこにある


逆に考えるとメイン商品以外の抜けを探してピンポイント自分にだけ遭遇する可能性について保険を掛けるのは支払いと払い戻しのバランスは調整できるだろう

古い話だが有名なものでは森高千里が足に保険を掛けたというのがある

あれはニッチすぎてスーパーカー車両保険ほどに高くて払い戻しの少ないものか条件のきびしいものだろう

オーダー保険としては「お祭りときに乗り物に子供を乗せる保険」や「登山海水浴に行く時の保険」なんかもある

海外旅行ときはいろんな保険に遭遇することもあるだろう

依頼さえすればなんでも作ってもらえるので気になる異性に告白してダメだったらやけ酒で病院に行ったときに何万円か支払われる保険とかもつくれるかもしれない

パッケージ商品テンプレートみたいな人生おくるには必要ものになっているので支払える範囲で入っておけばいいのではないか

ちなみにお祭りの乗り物に乗る子供に対する傷害保険なんかは一人当たり100円で何千万かの保障などのものがある

毎日完璧カバーする必要がなかったら車で出かけるときにだけそういう保険を買うなんていう方法が年間ずっとかけ続けるより得なものがあるかもしれない

現に自家用車もつよりレンタカーでフルカバー保険のほうが年間通すと使用料によってはとても効率的だったりするのではないだろうか

自動車ディーラーカーリース新車5年ローン満額分くらいの費用だが所有権がない以外は保険など含む消耗品以外の維持費を持ってくれて税金も得だろう

改造したりシールを張ったりできない借り物だというプレッシャーを除けば金額的には得だといえそうだ

そもそもカーローンも支払いが終わるまで担保になっているので気分の問題かもしれない

いずれにしてもマメ計算して管理する管理費込みだと思うとそれはほっといても金積めば安心保険はそういう価値でもって買うのではないか

個人的にはクーポン使い倒して現金ためて家計簿つけて節約するタイプではないので保険はありだとおもうがやる気があるなら保険もっと選べると思う

2017-11-26

anond:20171126113057

それ本当にその通りで、実際スポーツでもいいんだよ

特に一昔前なら、スポーツさえやっていれば勉強全然しなくても大学企業も受け入れてくれたし、

厳しい練習集団生活上下関係に耐えたタフな人材であるとか、いくらでも理屈はつけられる

でも、それは名前の売れるメジャースポーツであるというのが前提で、

マイナーな種目でいくら活躍したって、進学や就職に結びつけるのは困難だろう

それは競技人口が少ないと、例え競争で勝ち残ったとしても価値は認められないからだ

言い換えれば、踏みつけられた負け組の数こそが、勝ち残った存在価値担保する

現代日本ではまだ競技人口が一番多いのがペーパーテストだということ

2017-11-23

報道機関で、中立性を担保するのは容易ではないのだろう。

三権分立という概念義務教育で習い、相互監視的な状態がありうるかと、思ったが。

現実機能しているかどうかが、疑わしい場面もある。

大相撲暴行事件についてNHK中立的立場なのかどうか。

放映者であり、利害関係にあるわけで、大相撲寄りの報道とはなっていないだろうか。

それについて、他の報道機関はどのような立場なのか、いまいち良く分からない。

  

anond:20171123101811

いや政治的に正しいとはそういう意味だよ

じゃあ男女平等政治的に正しいは何によって担保されてるんだよ

正しいから正しいというんだったら「政治的に」なんて必要ないじゃん

anond:20171123000529

何らかの人格障害っぽいかなとは思った。いちいち文末の振り方が担保や双方に責務のある合意形成できないマルチスタンダードクソ野郎っぽい。

2017-11-22

anond:20171122100045

それは実用上の問題であって、根本的な理念としては「政府圧政を敷いたとき国民が抵抗できるように=革命権の担保」だよ。

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