はてなキーワード: 担保とは
全日本飲食店協会、電話番号でドタキャン歴を照合するシステムを無料提供 | マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/20180214-584436/
電子決済で前払いにすりゃいいだろ ★5
前払いシステム作ればいいのに ★3
沢山店がある中で、前払いorカード決済固定の店が生き残れると思ってんのか?
「前払いシステム作れば」とかすげーよな。言うだけならタダってね
予約を無断キャンセルした客の番号を共有するサイト、注目浴びる 背景には飲食店の“泣き寝入り”事情 (1/2) - ねとらぼ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/07/news125.html
「ホテルの予約のように、登録済みクレジットカード等からの事前申込みでキャンセル料あり、という考え方が飲食店全体に根付いていく以外、解消の道は無いように思います」
余計なシステム作るよりこれで良いのでは ★139
これでいいのでは?じゃあやってみろ
いいような?じゃあお前の店だけ先払い制にしてみろ
理由:
何かを貶める価値観が混ざった文章は、デマあるいは有害である蓋然性が高いため。他人に悪印象を刷り込もうとする発言は、偏った知見や利害の対立等の要因によって歪んだ認識に基づいていることが多い。よってシェアするべきではなく、ほとんどの場合シェアする必要もない。
補足:
善意にもとづく有益そうな投稿でも、そうした「○○下げ」を含むものはシェアしないほうが望ましい。よほどその分野に精通した専門家でもない限りは、批判的情報の正当性を一般人が担保することは難しい。ネットや本で得た知見によって自分は専門家なみだと誤認してしまいやすいバイアスもあるため、謙虚であること、アクションの前に一呼吸置くことが肝要である。
増田さんの意見に概ね同意するけど、それでも結婚はしたいと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20180206144645
私は、お互いに相手を大事にして、精神的にかつ経済的に支えるのがパートナー同士のあり方だと思う。
(人によっては、パートナー同士の関係に子どもが加わることもあるかもしれない。自分たちと血の繋がりがあるかどうかは別として。)
もし相手もパートナー関係について自分と全く同じ考えを抱いていると確信できるなら、結婚という自分たちの関係の外部にある制度には頼ろうと思わない。
でも、相手の考えていることなんてどれだけ親密な関係を築こうが分かるはずもない。
確信するための手段として機能するのが、交渉であり契約だと思う。
しかし、「自分を支えてくれるよね?」と口に出して相手に質問するのは、何というかダサいし、もし断られるときのことを考えると不安だ。
パートナーだから当然だよねという暗黙の了解の方がスマートだ。
そのスマートさを担保してくれるのがパッケージ化された交渉結果としての契約である結婚だと思う。
結婚してるんだから◯◯は当然だよねというのは、交渉の手間を減らしてくれる。
もちろん、結婚してるんだから当然という考え方が害になることは知っている。
交渉の手間は減るというだけでなくなるわけではない。
必要に応じて契約の内容を詰め直すことは不可欠だし、それができないなら関係を解消すればいい。
そんなことしてるならパートナーといちゃついていたい。
子供がいないままアラフォーになった自分が何か言えることもないんだけど。
「あたしおかあさんだから」
がどうも引っかかって仕方なくてつい書いてしまう。
そもそも何故赤ん坊がある日そこに現れたからと言って、子育てしなきゃならんのかって言ったら、
その命が今生きていて、その先も生き延びられるのであれば、
おかあさんがヒール履いてようが両親そろって昼過ぎまで寝てようが
おとうさんがご飯作るんでも子供預けて両親ともにライブ行くんでも、別によくない?
どうしてもそうなってしまうのであれば行政の支援を受ける事を考えてほしい。
人間100人100色というか、100人いたら早起きが得意な人苦手な人、おしゃれが好きな人そうでもない人、
いろんな人がいるわけで、それを「おかあさん」でくくってある一つの型にはめようとすること自体が無理筋じゃないかと思う。
多様性が担保されること自体が人類のリスクヘッジなんだと思うんだ。
てかさ、頭の悪い自称「普通の日本人」たちは何にそんなに怯えてるの?
だってさ、仮にも味方の味方、対中ロの肉壁なんだよ?経済的にもおいしいおやつだよ?なんで大切にしないの?
あとさ、頭の悪い自称「憂国の士」気取りは何でそんなに無謀なの?
日本は首都だけじゃなくて国内いたるところに世界最強の軍隊がいるんだよ?
沖縄に核が配備されていたことは事実だし、米軍基地関連で不安な気持ちは理解できるんだけど、
地位協定見直しとか米軍撤退wとかさ、東京ドーム5000兆個分のお花畑じゃねえかよ。
じゃあ自前の9条縛りの軍隊で国益を守る外交を担保できるとでも思ってんの?
一升瓶持って話し合いに行くとか言ってたハナタレもいたっけね。
アメリカとの軍事同盟がなければ、日本の富は今以上に周辺国に吸い上げられまくられるよ?
日本が貶められるような言論に腹立つ気持ち、分かる気はするけどさね、
科学技術にリソースをぶっこんで、世界から資源をかっぱらい、工業力を上げて軍事力を固める。
その先?世界の警察でも気取ってりゃいいんだよ。
クソみたいな気分で他国に悪態つく前にできることあんじゃんかよ。
エネルギーの自立、食料の自立、何より先にこの二つを達成するべきで、
余計なことにかまってる場合じゃないんだよ、頭冷やしてこい。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26392390R30C18A1TJ2000/
ネット通販なら取次いらないし、マージンとられないし、出版社が儲かるし、ウハウハじゃんwww。
ではない事情をできるだけ話を単純にして説明してみたいなー。と思った。
→[印刷会社]が本を作って
→[取次会社]が買い取って
まず、これが基本。出版業界は、大別して[出版]、[印刷]、[取次]、[書店]の4つの業種で成り立っている。
再販制;書店で販売する本の価格を、出版社が決定できる契約の事。本など特定の商品以外では独占禁止法に引っかかる違法行為。
委託制;書店で売れ残った本は、出版社が買い戻さなければならない契約の事。
「出版は「文化的な活動」であるため、市場原理から保護されるべきである」という思想から。
単純な市場原理に従って本を作ってしまうと「売れないけど文化的な価値のある本」は儲からないので、作られなく・売られなくなってしまう。これを避けるために上記2つの制度で特別な保護を行っている。
「再販制」によって、出版社は、市場原理に基づく価格競争に対して強い抑止力を持つことができる。
「委託制」によって、書店は、売れない本でもほぼノーリスクで店に置くことができる。
「大して売れないだろうけどニッチなニーズに答えられる可能性のある本」を作るリスクを極端に下げる事ができるので、出版文化の多様性が確保できる。
各出版社が日本の隅々の書店まで本を届けるのは難しいため、その部分に特化した1次受け書店が「取次」。
基本業務は、ある程度まとまった数量の本を出版社から買い入れて倉庫ストックしておいて、全国の書店からの注文に(ある程度)従って適宜本を配る。
ただ、これだけだと、ネット通販の普及とともに消えてしまう業種になる。
委託制のため、取次は「出版社から一旦本を買い取って全国の書店に配本。その後、全国の書店からの返本を受け取り、出版社に買い取らせる」という業務を担う事になる。
このため、出版社は、とりあえず大量の本を作って取次に買い取らせれば、一時的にはまとまった資金を調達する事ができる。
通常、新刊を出してから返本までには1年程度の猶予があるため、出版社は、作った本を担保にして、無利子で1年程度、お金を取次から「借入」する事ができる訳だ。
1) 取次は、出版社に対してはお金を貸して、書店に対しては自分の裁量で本を配る事ができる。
2) 取次は、大規模に展開するほど、商品の多様性が増し、配本コストが下がるため、企業規模が大きくなる。一方で、出版社は高い専門性を保つ必要があり、書店は地域に根差す必要があるため企業規模が小さくなる。
3) 取次は、「文化的な活動を促進する企業」として錦の御旗を掲げることができる。
結果、取次は業界全体に対して圧倒的な支配力を持つことになる。
このように日本の出版業界では、出版文化の多様性を確保しようとした結果、取次が非常に強い力を持ってしまう構造になっている。
Amazonによる取次外しが、いかに大きな話であり、しかしそんな簡単ではない話なのかが判る。
さてここで、これまでの話に全く登場していないプレイヤーが一人いる。
(つづかない)
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
お気に入り数の多い有名ユーザーが突撃しているというケースもあるだろうが、もうひとつ可能性があるな。
『スター連打』だ。
スターは1人のユーザーにつき1個までしかつけられないなんてことはなく、やろうと思えばありったけのスターを1つのブクマ(ブコメ)に対してつけることが可能だ。
試しに適当なエントリに、ブコメで「スターください」と書いてみるといい。
1人でも酔狂な輩の目にとまれば、ほぼ似たような現象が起きるはずだ。
自分で書いた記事に、自分がブクマ(セルフブックマーク、略してセルクマ)してコメントを書き、そのブコメに自分でスターをつけるなんてことも。
その疑問については半分YESで、半分NOだな。
基本的に人気ブコメ欄はスターの多い順に並ぶのだが、これは厳密には「多くのユーザーから星を貰った順」なのだ。
10人のユーザーから1個ずつスターを貰ったブコメと、1人のユーザーから10個のスターを貰ったブコメなら、前者が上にいくというわけだな。
人気コメ欄でスターが少ないブコメが上で、多いブコメが下に位置していることがあるのは、そういったケースであることがほとんどだ。
その点では、1人のユーザーが1つのブコメにスターを連打しただけで人気コメ欄を意図的に操作することは難しい。
スターを誰が、どのようにつけたかというのは、各ブコメの★マークのアイコンにカーソルを合わせるなりクリックなりすれば容易に閲覧できる。
だが大半のユーザーは他人のブコメについている星を、誰がどのようにつけたかなんていちいち閲覧しない。
ホッテントリの人気コメだけ見て、満足するような人たちもそこそこいるだろうな。
「うーん、この問題の是非について大した関心もなければ、言語化するだけの含蓄もないなあ。でも、ちょっといっちょ噛みしたい衝動に駆られるなあ。あ、この人気コメ。これだけ星が多くついているってことは、それだけ支持されているってことだよな。自分の持っている漠然としたイメージと近い意見のように見えなくもないし、迎合の意味を込めて僕もスターつけよーっと」
今回、学ぶべき教訓は「『いいね!』が玩具の宝石なら、星は石ころ」だ。
まあ、有り体に言えば無価値だ。
それ自体は人間の性だが、ふと俯瞰して見たとき「やっぱり無価値だ」と我にかえる冷静さが必要だな。
少なくとも、そのスターの価値を担保しているのは誰か、くらいは知っておけば損はしないだろう。
通貨と一緒だ。
余談だが、一昔前のはてブは人気コメ欄の影が薄い、影すらないといっていいデザインだったんだ。
人気コメ欄が今のように出しゃばってきたとき、仲間たちはかなり反対していた。
私が傭兵をやっていたという話すら信じてくれない。
例えばインターネット。このネットワーク自体の始まりはアメリカの軍用回線という公的な物だったけど、そこに乗っかっているE-mailやWWWという技術は私人が発明し、今も私人の団体に管理されている。
例えばプログラミング言語。国家プロジェクトによって開発されたプログラミング言語って個人的には聞いたことがない。これも基本私人団体による開発、管理。
でも、どちらもすでに今の社会にはなくてはならない重要な技術だ。
この各種技術私人団体は健全な運用をされているだろうということはわかる。特にセキュリティに関する対応について、非常に誠実な対応をしていると毎回いろんなニュースを聞いて思う。
きっと背景には、彼らの責任感があるのだろう。
けれども、その責任感は私人に負わせるべきものなのかなぁ、と。
例えば、暗号技術にバグがあったとする。その暗号技術は世界的に広く使われていて、早く直さないとクレジットカードや重要機密の情報などが筒抜けになったままになってしまい、社会の混乱は避けられない。しかしそのバグを直すことは非常に困難であるが、それが出来そうなのは世界でも自分を含めた数人に限られている。
この超ストレスフルな状況、私人に背負わせていいものなの?しかも技術私人団体自体がボランティアの手によって運用されていて、この状況に立たされた私人技術者には金銭的な報酬が一切ないこともままある。
本当に、技術者の責任感のみに社会の安全性が担保されている場合があるのだ。
これはいろんな面でどうなの?ってすごく思うんだけど、これら重要な技術団体が一国家に所属するというのも弊害が大きすぎる。技術が各国によっててんでバラバラに管理されるようになったら、世界中どこでも繋がるインターネットみたいな利便性が失われてしまうだろう。
金なんて希少価値がなければ重いし柔いし全然役に立たない代物じゃん
仮想通貨の信頼の泉源は人じゃない。最終的に信頼してるのは計算パワーだとか
みんなが取引履歴を監視することで保証される取引履歴、つまり所有者を表す記録を信用することができるだろうか?仮想通貨そのものを信じられるだろうか?
今、仮想通貨が話題である。この仮想通貨が将来現実通貨に取って代わるようになる時点を金融的シンギュラリティと名付け、その可能性について語りたい。
もともと通貨は金を中心とした貴金属で成り立っていた。金そのものに価値があるので、それと物品を交換していたのだ。しかし、ある時点から金そのものをやりとりするよりも金と交換できる券をやりとりする方が便利だという発明がされる。それが金本位制に基づく通貨の始まりだ。この時点でのは通貨は仮想金と呼ぶことができるだろう。
そしてそのうち、別に金本位制ではなくても通貨に信用があれば問題がない、ということに気がつく。この時点で、今まで仮想金であった通貨が仮想ではない財産となったのだ。
さて、その通貨の信用であるが、これは何によってなされているのだろう?それは、国が通貨を発行し、これが様々な物品やサービスなどと交換できる価値のあるものだ、と宣言し、国民もまたそれを信じることで通貨の信用は担保され、通貨は財産たり得るのだ。
では、現在国家によって保証されている通貨の信用であるが、根本としては信用があればいいのであって、それを国家の保証ではなく、人々の信頼のみによって保証することはできないか?それが仮想通貨の発想の原点だ。
だから仮想通貨は人々が信頼できる仕組みというものを内包している。それがブロックチェーンによる取引記録の透明性だ。
通貨というのは所有者がいる。ある所有者からどの所有者に通貨が渡ったかということを記録する取引履歴が明快ならば、物理的な通貨が目に見える形で存在しなくても、ある所有者が持っている通貨がいくらなのかということがわかる。現実通貨が、取引履歴が不明瞭でも物理的に所有している者が明確ならばいいということとは対象的だ。仮想通貨は物理的に存在しないために、所有者を表すには取引履歴がどうしても必要なのだ。この点で、取引履歴というものが仮想通貨の命綱だということがわかるだろう。
そしてその命綱である取引履歴、これは当然個々人が勝手に主張することができない仕組みになっている。正確には、個々人による取引履歴の主張はできるが、それが第三者によって承認されないと正規の取引履歴として記録されない。ジャイアンがのび太から仮想通貨をもらったからのび太の仮想通貨は俺のものだ、と主張したところで、それを周りの人々が承認しないとその仮想通貨がのび太の手元からジャイアンに移ったという事実、取引履歴は記録されない。なので、ジャイアンが仮想通貨を持っているというようには見なされないのだ。
みなさんは、みんなが取引履歴を監視することで保証される取引履歴、つまり所有者を表す記録を信用することができるだろうか?仮想通貨そのものを信じられるだろうか?
もしできるのならば、次のステップに進もう。とはいえ、だいぶ話は飛躍する。
仮想通貨が人々に信頼され、実際の通貨と変わらないかそれ以上の利便性を持った使い勝手を獲得していったらどうなるだろう?具体的には、商取引に仮想通貨が直接使えるのが当たり前になるなど。
そのとき、現実通貨の価値は仮想通貨と比べて下がっていくと考えられる。
そして現実通貨の価値がゼロになり、仮想通貨が完全に現実通貨に取って代わる時点がやがて現れるかもしれない。
では、金融的シンギュラリティに到達した時点で何が起こるのか?
まず、既存の政府による金融コントロールが全く不可能になるだろう。それどころか、国というものがなくなってしまうかもしれない。
なぜなら、現行の通貨は国による保証によってその価値を担保されているが、その価値がゼロになるということは国に対する信頼もゼロになるということだからだ。加えて、仮想通貨には国境もない。そのため、国が仮想通貨による税収を始めてなんとか存続する、というシナリオも期待薄だろう。
そんな世界になってしまったら、所得の再分配もほとんど行われなくなるだろうから、近代国家が出来上がる以前のレベルにまで貧富の差が拡大するだろう。もしかしたらそれよりも酷いかもしれない。
個人的には、金融的シンギュラリティが訪れた後の世界はアナーキズムに支配されたディストピアになるようにしか思えない。
しかし、仮想通貨はすでに社会に現れてしまった。それをなくすことはもうできないだろう。
同時に、現実通貨が仮想通貨に対抗して価値を維持し続ける世界というのも個人的には想像しづらい。いつになるかはわからないが、金融的シンギュラリティはやがて訪れると思われる。そしてそれは、人類史を大きく書き換えることだろう。
ふむ…君の正しさはなにに担保されてるの?
「女性限定の街」が存在するだけでは、「男性に会いたくない女性」に男性が会えないだけなので差別ではない
しかし「女性限定の街」にその県唯一のアニメイトがあったらどうだろう
その県のオタク男子は漫画村を使うしかなくて犯罪者になってしまう
したがって女性限定の街が差別になる条件はアニメイトの存在である
………
これは極端な例だが、実際「女性限定の街にしかない施設」が無かったら、「女性限定の街」が差別となる理由は何もないだろう
やはり「女性限定の街は差別」と言ってる連中は思考停止の阿呆か偶然に女性と接触するのを担保されるべき権利だと思っている異常性欲の痴漢でしかない