2018-01-26

日本の優秀な研究者海外研究すればいいのではないか

ものすごく失礼なことを言ってしまうかもしれません。

が、山中研究室不正問題議論が起こっているのをみていると、途轍もなく言いたいことが湧き上がってしまます

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

マーケティング的に考えて。

 

ちなみに私は国立大学卒の理系です。学部卒ですけど。

先輩にも友人にも、大学院研究をしている方が数多くいますし、私はその方々を本当に尊敬しています

し、研究者もっと研究に専念できる環境研究すべきだと本気で思っています

その前提でお読みいただけると幸いです。

 

また、以下の文章は全て、「日本ローカルでないと研究できない領域研究者」は対象外です。

史学考古学人文科学などの領域対象日本列島のいずれかと密接に関わるやつ。

雑に行ってしまえば、「設備とか環境さえ整ってればぶっちゃけどこでも研究できるやつ」についての話だと思ってください。

  

 

日本人は、マスコミは、バカなのか?

 

山中研究室を取り巻く諸問題に関する議論を見ていてとても悲しく思うのは、

 

バカマスコミとその先にいるとにかく不正を叩きたいバカ日本人、そして学問研究価値理解しない日本政府

VS

学問研究人類・ひいては日本のために絶対必要かつ有益、なのに理解されない、だから日本では優秀な研究者が育たないんだ系研究クラスタ

 

になってしまっているように見えること。

実際 http://blogos.com/article/273575/ こう言う記事とか https://togetter.com/li/1193209 こう言うまとめとかバンバン出てます

 

ただ、上の対立構造になっている以上、議論平行線を辿る一方だと思うんです。

だって日本研究者資金面設備面・雇用環境の面で生きづらいのって、

マーケティング的に考えると、「日本人バカから」じゃなくて、

 

日本では学問研究価値相対的に低いから」ですよね?

 

じゃあ「日本での学問研究価値相対的に低い」原因って「日本人バカから」なんでしょうか?

ちょっと政治上予算配分の話で考えて見たいと思います

 

  

大学予算削減問題に見る日本の大問題

  

筑波大学公式サイトにこんなページがあります

タイトル日本高等教育行方 ――削減される国立大学予算

http://www.tsukuba.ac.jp/students/campus/184/1.html

ものすごくざっくり言うと「国立大学予算の削減が著しい。このままだと高等教育の質が担保できない。」と言う内容です。

  

大学社会的機能は、おおざっぱに分けると「研究」と「教育」の2つ。

まり予算が削減されると、大学運営上はどちらも厳しくなります

ただ、国立大学の収支を考えると、国から予算だけで運営されているわけではありません。

例えば「研究」だったら科研費とか、「教育」だったら授業料とか、収入を得る方法はありますよね。

ただ、筑波大学によれば、予算が厳しいからと言って授業料を上げるとなると、「どんな地域のどんな人にも均等に教育の機会を与えるためにある」と言う国立大学存在意義の一つを失いかねない、と言うのです。

これはとても合理的視点かつ重要な指摘だと思います

  

ただ、国家予算という側面で見るといかがでしょうか?

国家収入源は基本的には税金

これを必要なところに振り分けることで予算が決まります

 

ここで、「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」という命題について考えて見ましょう。

ご存知の通り日本では急速な勢いで少子高齢化が進んでいますね。

現在と同一水準の質を担保しようとすれば、福祉社会保障にかかるお金は今後増していくことでしょう。

また、中国新興国の急速な台頭によって日本産業構造も大きく変わっています

日本貿易が今どう言った状況にあるのか詳しくはわかりませんが、普通に考えたら競合が増えてますので、貿易利益(とそれからくる法人税)は減る一方でしょうね。

中国関連でいうと、領土問題もありますね。

尖閣諸島への積極的アプローチを見ていると、防衛費過去最高額を更新し続けるのもうなずける一面はあります

(これはこれで議論を呼びそうな意見ですが。)

 

ざっとこれだけ考えても、日本という国の先行きは非常に厳しい。

果たしてこの状況で「日本必要なのは質の高い高等教育なのか?」

とても乱暴意見であることを承知で言うならば、

高齢者社会保障犠牲にして頭のいい学生のためだけの学びの場を提供すべきなのか?」

 

少子化教育全体の受益者が減少し続ける中で、

日本政府意思決定果たして論理的破綻している「バカな」ものなのでしょうか?

私には非常に合理的で止むを得ない決断だと思われてならない。

 

 

■”質の高い高等教育”は他の教育犠牲にしてまで優先されるべきものなのか?

 

教育にかけられる予算が限られているのであれば、他の教育にかかる予算を削減してでも高等教育研究予算を割り振るべきだ。」

と言う意見もあることでしょう。

文部科学省データを超ざっくり見ると、私学助成金と国公立助成金の配分はおよそ1:3。(ソースは以下のP.31から。超ざっくりです。)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/031/siryo/__icsFiles/afieldfile/2010/04/22/1292935_2.pdf

この配分を変えるべき!と言う意見もあるかもしれません。

 

これ、ものすごく乱暴かつ危険な考えだと思います

 

実は日本大学進学率は51%らしいです。OECD加盟国で見ると低いらしいです。(ソースは以下のP.24から。)

日本大学生のうち73%が私立大学生。

http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/002/002b/19/082.pdf

大学生のうち、大学院に進学する/しないで比率をとったら圧倒的にしない人の方が多いでしょう。

純粋に「最大多数の最大幸福」の原理に立つならば、「私立大学教育費を削って、国公立教育費や研究費を捻出しよう」などと言う考えがいかに暴論か。

 

日本人の豊かさって、「普通にしてれば大学を出れるし、仕事もある」ことに集約されてると思うんです。

日本ってそこを優先してきたと思うんですよ。みんな幸せ的な。

飛び抜けて優秀な人が幸せって方向に振らなかったからこそみんな幸せ的な日本があると思うんです。

 

ここまで考えると、「日本において高等教育学問研究価値相対的に低いのは日本人バカから」って思えないんですよね。

残念ながら、日本研究者にとっていい環境でないことは、しょうがないんじゃないかと思うんです。

頭のいい人間投資しろなんて、この分断の時代にあってはとても危険思想と受け取られかねないじゃないですか

 

 

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

ここまで来てようやく本題です。

日本の優秀な研究者海外に行って研究すればいいのではないか

 

 

日本では研究高等教育価値になりにくいみたいです。さてどうしよう。

 

日本の優秀な研究者に残された道は2つです。日本研究するか、海外研究するか。

日本研究するためには3つの選択肢があります

「1.学問研究価値自体底上げする」か「2.自分研究価値化する」か「3.ひもじいのを我慢して努力する」か。

 

1. ってこれまでずっと研究者が言って来たことだと思うんです。

学問研究は将来の豊かさにつながる的な。実際本当にそうだと思うんです。

ただ、です。それが日本人全体の価値になるのか?は確かなのか?

 

極論を言えば、10年後の豊かさための研究明日死ぬ人にとって何の意味もない。

日本人全体の価値になるかどうか?の確からしさってどうなんでしょう?

少なくとも日本では半分以上の人は確からしさを感じていないのでは?

 

 

そうなったらそれって所詮思想であって、「正義」ですよね。日本人のために!ってやつ。

それって、「不正はいけない!」って言う「正義」と何が違うんでしょう?

正義」の正しさを判断するのは誰なんでしょうね?

少なくとも「正義」の強さ(≒正しさ)が民主主義的な数の暴力的プロセス承認(≠証明)されるのであれば、「不正はいけない!」って言う正義の方が強そう。

 

マスコミは強い「正義」側に立つでしょう。彼らは営利組織だ。

弱い「正義」は残念ながら資本主義社会では利益を生みにくいんです。

マスコミバカなのではなく、ビジネスマン

 

正義」対「正義」はどちらかが屈服するまで終わることはありません。

から私はこの対立構造が本当に勿体無いと思います

少なくともこの対立構造の中で議論することに、研究者メリットは全くない。

 

 

となれば2.でしょうね。実際このタイプの方は成功を収めているパターンが多いと思います

話題落合陽一准教授とか。本当にすごいと思います。後は尾木ママとかね。

 

 

3.は本当にないと思います

研究目的とするのに、研究環境を悪くするって何なんでしょう?

研究環境がプアなら、秀逸な成果に辿り着く可能性もプアになるでしょうね。

そんな頑張りに意味があるのか?

研究者として頑張る自分」に酔いたいなら。

 

 

そう考えると、本当に研究がしたい研究者にとって残された道って、

日本自分研究価値化する」か「海外に行って研究をするか」しかないと思うんです。

どっちの方がハードル低いですかね?

 

研究価値化する」ために、「価値になりにくい環境価値を探す」のと「価値になる環境に行く」の。

後者の方が圧倒的に合理的じゃないですか?

 

 

もうね、「日本のため」とか考えなくていいと思いますよ。

それはとても弱い「正義」です。

後進のために少しでも良い環境を!という思いを抱いて頑張ってらっしゃる方もいるでしょう。

それも結局「正義」でしかないと思うんです。弱いんです。

と言うか、海外で「日本研究者は優秀だ!」って言う評判を作ってくれた方がよっぽど後進のためだと思います

 

 

自分研究をどう価値化するか?」

これってマーケティングだと思うんです。

研究者にもマーケティング発想が必要なんです。

そして優秀な研究者なら絶対できます

 

世界資本主義を中心として動いている以上、一番強い「正義」は多分資本主義です。

資本主義の中で強そうな武器方法論)として採用されているのはマーケティングです。

そのマーケティングで有名な概念が”競争優位”です。

 

 

強いところで戦いましょうよ。

優秀な研究者であればこそ。

 

 

日本では、優秀な研究者が自らの研究武器にして、国防高齢者福祉に勝つのはとてもとても難しいと思います

  • 匿名じゃなくて記名で主張したら? Blogosにでも登録するとコメントがもらえると思う。 長々匿名でポストした挙句にトラックバック0 ブックマーク0 ちらうらじゃん? anond:20180126...

  • 本当に同意。 僕も脱出を考えています。 僕はだいぶ実用に近いところだけど、本当に何やってるんだろうという気にさせられる。 ああ、それから、多分こういうのはどこか顕名でやれ...

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