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はてなキーワード: 所謂とは

2020-07-29

マスクしてない人よりも、ずっと前から歩きスマホの人が怖い。

歩きスマホをしている人が怖い。

スマホのだけではない、所謂、ながら歩きをしている人が怖い。

何故、人が行き交う街中でそんなことができるのか。

常時、TwitterInstagramを見ていないと落ち着かないのか。

歩いている時間を費やさないと、映像作品も観れないのか。

挙句スマホやそれ以外のゲームをしながら歩く子供までいる。

そして、大概そう言う人は、耳もイヤホンで塞がっている。

なので、こちらが何を言おうが聞かない。効かない。

最近多くなってきた、駅や街中のアナウンス歩きスマホ(ながら歩き)は他のお客様のご迷惑になるので、おやめください」等も聞こえない。

耳が塞がっているから、自分の声を調節できずに大声で文句を言う。

街中でいきなり大声を出すその姿、側から見たら気違い以外の何でもないんですよね。滑稽。

関わりたくないから、こちらで歩きスマホの人を避けようとして進路を変えると、高確率で同じ方向に避けて歩いてくる。磁石か?

手段を変えて、数メートル手前で立ち止まってみる。これは中々効くようで、後2・3歩という所で、はっとして立ち止まる。その時の顔のなんと間抜けなこと。

そもそも、何故ながら歩きをしている人に対して、前を向き周りを見ながら普通に歩く私が、配慮しなければならないのか。

イレギュラーな事をしているのは、ながら歩きをしている方だという考えは、おかしいのか。

ながら歩きはぜひ、私有地のみで行っていただきたい。

出来る事なら歩きスマホをするその人の顔面にに、スマホごと掌底を打ち込みたい気分だ。

逆にヤクザ存在する事のメリットって何なんだろう。

龍が如く面白いよ。桐生チャンはカッコいいし魅力的なキャラクターばっかりだし。

アカギとか哭きの竜面白いヤクザが居なければ成立しない話だから作中でヤクザ存在は欠かせない。

でも現実暴力団員所謂ヤクザが居る事のメリットって何なんだろう。犯罪行為を行って人に迷惑をかけてばかりな印象がある。

まともな社会では生きていけない人間達の受け皿?AV風俗みたいな性産業ヤクザが居ないと成り立たない?

社会必要不可欠な存在なら合法化しちゃえば良いのに暴力団対策法なんてヤクザを締め付けるためだけの法律もあるし

でも日本に銃や麻薬密輸してばら撒いてるのもヤクザだって聞いた事がある。この人達現代日本存在している意味は何なんだろう?

公式による推し冷遇が酷すぎるのでジャンル降りる

ふと、これまで推し推していて良かったと思えた事より、辛い思いをした事の方が多いのではないかと思った。そうしたら、あんなに好きだった推しへの熱が、急激に冷めていくのを感じた。

以下は全て、当該ジャンル所謂キャラカタログジャンルである事を前提に記述している。

①全てが後回しにされる

キャラクターがいくつかのユニットに分けられ、基本的ユニット単位で展開するジャンルなのだが、自分推しはあらゆるジャンル展開がいつも後回しである

コラボアイテム第一弾のユニットのもの需要過多で炎上し、第一弾分の再生産のために推しユニのいる第二弾もあわせて延期。舞台も後回しにされた結果、コロナで延期。コミカライズ封入特典も1巻のラインナップに推しはおらず、2巻の発売を心待ちにしていたら、2巻には全く異なった別の特典がつくと発表された。結局推しの特典が付いたのは3巻、1巻の発売から1年弱経っていた。3巻発売までに、多くの同担ジャンルを去っていた。

いつか来ることは分かっている。分かっているのだけれど、供給で盛り上がる他担を尻目に耐え忍ぶのは、あまりにも辛かった。

推し担当声優が出演しない

担当声優のウェイトが大きいジャンルであるキャラクター主体コンテンツの展開はあまり多くなく、声優本人が登場するライブ生放送が、ジャンルの一翼を担っている。

しか自分推し声優の出演率はダントツで低い。他キャラ声優は最低3回ずつは生放送に呼ばれているのに、推し声優が出演したのはたった1度きり。推し声優を除いた全員が集まった生放送さえあった。

推し声優は、正直ジャンル内の声優の中では一番勢いがあり、瞬間風速で言えば最も人気のある声優だ。かなり多忙なはずで、彼が出演できない事自体しょうがないと思う。でも、ファンとしての想いはついていかない。また推しは出演しないのか…と、何度落胆したか、覚えていない。

そしてライブ推しの持ち曲は当時の登場キャラの中では(同率もいるが)最も少なく、従ってライブにおける推し声優の曲数、即ち出演時間も最も少なかった。MCを多く振るなどして声優ごとの出演時間を揃えようとかい配慮は一切ない。私はもちろん現地参戦したが、ステージ上の推し立ち位置から私の席が遠かった事もあるが、ライブにおける推しの印象が余りにも薄くて、終了後、異様に虚しい気持ちになってしまった。

ソシャゲ逆差別しか思えない扱いを受けている

これが今回ジャンルを降りようと決意した決定的な要因だ。

この春、ジャンルソシャゲサービス開始した。ただでさえ公式供給が少ないジャンルであるので、最初推し新規ストーリー新規イラストが定期的に見られる事がとても嬉しかったし、もちろん課金する気でいた。

しかし現状、推し露骨冷遇を受けている。今日時点で、これまで開催されたストーリー付きのイベントは5回、ストーリーはそれぞれ8話で構成されているが、推しが出演したのはたったの2話。それも、うち1話はスチルもボイスもない、台詞のみの出演。因みに最多のキャラは19話登場しているらしい。そしてイベント限定の最高レアカードが1枚も出ていないのは、全キャラ中で推しだけだ。こちらも、多いキャラはすでに3枚もらっている。

実はソシャゲでは、推し以上に冷遇され、カードストーリー出演も殆ど無い他キャラもいたのだが、本日から始まったイベントでメインとなった事で、現在推しの不遇さのみが浮いている。因みにその他キャラは本編展開では出ずっぱりで、トータルでの出番は私の推しよりずっと多いキャラである

なぜ私の推しけがここまで不遇な扱いを受けなくてはいけないんだろう?正直運営推しアンチである以外の理由が思いつかない。確かに推し大人気ではないが、一方で1人だけここまで冷遇されるほど、ダントツの不人気キャラでもないと思っている。正直ジャンル自体斜陽の今、キャラ人気格差は縮まっている。

ソシャゲ運営は私の推し露骨冷遇する一方で、排出率を今時珍しいほどに渋く設定した人気キャラガチャを立て続けに導入している。当該キャラ推しから聞こえてくるのは歓喜の声ではなく悲鳴だ。そんなに連続してガチャを出されても、ガチャを回すだけの資金を用意する事はできない。当然、売上は下がる一方だ。推しガチャが来れば回さずにおれないファン心理を利用すれば、楽に金を稼げるだろうと、頭の悪い運営を続ける運営会社には殺意しか湧かない。

まあここまで詳しく書いてしまえば、少しジャンルに触れたことがある程度の人でも容易にジャンルキャラ特定できてしまうだろうが、別に特定されても良いと思って書いているか問題ない。ただ怒りを吐き出すために書いているので、文章をまとめようとかいう気もさらさらない。

「言うほどお前の推しけが不遇とかねーよ、公式はなんだかんだ言って気を遣ってる」「良曲と良MVもらって何言ってんだよ、自分推しの方が不遇だわ」「新キャラの出番こそ少ないんだからまれてる方だろ」みたいな反論を抱く人がいる事も想像できる。

私はただ、自分が「推し公式から、優先度の低い、別に出番を作らなくても問題ない存在であると思われている」と思い込んでしまっている事自体が悲しく、悲しい思いをするのならば、あくま人生の片手間に楽しむ為のものである娯楽として相応しくない、と感じられてやまないのである

2020-07-28

陰キャが友人増やすにはどうすればいいの?

俺が話が合うタイプってのは大体俺から誘わないと何も起こらないし、そこから別の人につながっていかない

かといって知り合いが沢山いて繋がっていくタイプって所謂ウェイ系が多くて嫌悪感が凄まじい

しかもその知人も大体似た感じだし

話が合うタイプでまとめ役になりがちな人は居るけど、そういうのは面倒見がいいだけでそのコミュニティに入らない限り繋がっていかない

 

それで俺に残されるのは仕事関係で繋がるみたいなパターンくらいなんだけど

ここ数年はフリーランスやってるからもう絶無

孤独か、一人ずつ増やしていくか、ウェイかの3択しかない

詰みか

いややはり一人ずつ増やす

anond:20200728113438

その通りだね

ネット上で藤井棋聖とか大谷とか所謂成功した人たちを叩きまくってる連中がいるけど

あいつらはみんな自己評価低いが故に成功した人たちを妬んで批判してるだけ

自己評価低い」と「他人に異常に厳しい」ってのはいくらでも両立する

自担自担

私には今まで(といっても4年ほど)、Aくんの担当しかしたことがなかった。

それに、二次元にも推しはいてもあの事務所内でA以外に「自担」と呼べるような人は現れないと思っていた。なぜなら私は盲目的にAのことを好きだったし、その好きにはアイドルとしての好きとちょっとリア恋感情があったから。リアルにAに恋してるのに他に好きな人ができるわけがない。

しかし数年前、Aにある変化が起きた。そこからAは彼自身気持ちやしたいことをするようになっていった。それ自体はいい。アイドルかいう前にAの人生なので好きなことして生きてほしい。しあわせであってほしい。ただその変化が私とピッタリ合うというわけではなかったので、(本人と私の思う「アイドルAくん」像が違うという点で)所謂自担との解釈違いのような状態になってしまった。(そこでちょっとリア恋〜みたいなのは薄れたと思う。)

なってしまったのだが、そこまで深刻ではない。たとえばあまり好きな外見ではない時期があったり今まで言わなかったことを発言したりした程度で、現に私はAを自担だと思っている。とても好きでかっこいいしかわいい。

もし読み手に深刻そうに伝わってしまっているなら私の表現力のせいである。

Aはいつも通り好きでかっこよくて最高の自担!.....でも少し気になるところがあるな。周りの同担は気にしてなさそうだけど。という程度で割合にすると9:1の9が自担最高!の気持ち。めでたい。

私はきっとAに昔のようなAを求めてしまうけど気づかないフリをしていた。そしてそんな中突如現れたのが後輩グループのB。

Bのことは以前からそのグループ内でもかなり好ましく思っていた。歌番組でもAのいるグループを目当てに見ているとBのいるグループもだいたい出演していたためシングル曲を知っている程度。それ以上でもそれ以下でもなかった。ただその日みた歌番組の後輩グループがかわいかった。Bの歌声仕草が好きだと思った。それからというものの出演番組を全部録画したし、CDDVDもこの歌番組以降発売されるものは買った。雑誌も買った。さすがにドル誌を毎月買うことはないけれど。

後輩グループ活動を見ていくごとに、若くて未来があるっていいなと思っている自分がいた。

それに、気づかされた。本当は自分がAにかわいいAでいてほしいと思っていることに。

勿論、Aのグループに夢を見ていないということはない。でもどうしたって勢いと若さにはやっぱり適わないのかもしれないと思うと、なんだか切なかった。Aのグループは、客観的に見るとピークが過ぎたのだと思う。私はファンなのでまだまだこれからだって言い続けるけれど、ピークは過ぎたと認めざるを得ない。

対して後輩グループは、まさに「これから」。応援していて明るい未来が見えるって大切なことらしい。彼らについていけばものすごく楽しいことがあるんだという気にさせられる。ライブ円盤を見終わった頃にはBを自担だと思っていた。自担と呼ぶ他ないという感じだった。

Aのいるグループ自担をAとしながらも箱推ししているのでグループとして本当に好きだけれど後輩グループはBが圧倒的に好きだ。きっとランキング形式にすると1位がA、2位がB、3位〜はAのグループの他のメンバーが同率で占めることになるだろう。後輩グループはその下だ。

からCD等の売り上げではAのグループがいい数字を出せて後輩グループがそれに劣っていたら、まあ!私の好きなグループは強いわよ!、なんて思うがこれが逆ならおもくそしかったりする。

いまの現状は後者。後輩グループの方が売り上げがいい。

からいつかAのグループは後輩グループよりも目立たなくなってしまうと思う。悔しい。CDめっちゃ買いたい。学生なのでなかなか厳しい。

悔しいだけじゃなく怖い。

今までA>Bだった自担自担バランスがいつかA=Bになり、さらにA<Bになることが。

なんで怖いのかは漠然としている。

でもこれを怖いと思ったのは着実にA>BからA=Bに移行している自分がいると気づいたから。

私は担降りしてしまうのだろうか。いや、仮にAから担降りする日がやってきたとしてもグループ自体が好きなので箱推しとして好きであり続けるとは思う。

でもいつかAをBが超える日がくるのかな。

あ、もしかしたら私はいまのバランスが崩れるのが怖いのかもしれない。

どんな風にヲタクしたらいいのかぼんやり考える今日この頃。後輩グループ推してるくせにAのグループライバル.....と思ってしまう。そう思いながらもCD買って売り上げに貢献している。

ふわっとした文章でごめんね、読んでくれた人。

こんな気持ちになったことある人いるのかな〜。

2020-07-27

anond:20200727193855

ストーリーリアルってのはどういう?

うまくいえないが、破綻していない展開とか、所謂デウスエクスマキナ」的ご都合主義オチになってないとか、ああそうそう、メタ的なセリフ登場人物たちが発言しない、とか・・・

2020-07-26

地方医学生が感じたコロナ差別

ここ最近、息が詰まりそうです。

僕は現在地方の、とても田舎医学部に通ってます

電車バスは1時間に1本は当たり前。タピオカって何?みたいな田舎大学に通ってます

ですが地元は主要都市圏です。所謂都落ちってやつです。

今年は就職活動の学年で僕は地元に戻ろうと考えていました。田舎から都会への就職は難しい。だからこそ何年も前から計画を立てて少しずつ就活を行なってました。

そんな時に突如やってきたコロナ

日本中みんなかき回されてます

田舎例外じゃないです。

毎日流れるコロナニュース東京感染者200人超え。都会は怖い。都会に行くのはやめよう。

毎日ニュースで流れてます

先日、僕の住んでる田舎でもコロナ患者が出ました。年代性別、住所(市町村)が公開され行動履歴も公開。濃厚接触者を募っていました。

するとたちまち、田舎中に患者個人情報が広まりました。名前職業、県外への移動歴、現在入院先、患者家族構成…。

そして巻き起こる患者へのバッシング

「都会に行くからだ」「こんな時に移動するなんてバカの極みだ」「高齢者の多い田舎コロナを持ち込むなんてテロだ」など、もっと酷い言葉患者に投げかけられました。

僕はこれから就活で都会に移動する。

他人事じゃありませんでした。

もし僕がコロナになったらどうしよう。

あの患者みたいに名前も何もかも全て晒されてしまうのか。

家族にも迷惑がかかる。

コロナ患者と濃厚接触者になっただけでも晒されてしまうのではないか

そう思うと胃がキリキリしました。

アルバイト先では、みんな目の色変えて「まさか…〇〇(僕の地元)に帰省してないよね?」「この時期に〇〇に行くなんてバカだ」など言ってきます

僕は田舎に住んでもう数年も経つのに、地元が都会ってだけで都会差別が当然のようにあります。僕はコロナ感染拡大して以来一度も地元に戻ってません。それでも、地元が都会ってだけで白い目で一度見てくるんです。

その度に「戻ってないですよ。僕はずっとこっちに住んでますから」と毎度弁明するのも疲れました。

最近医学生コロナ感染ニュースになりました。

臨床実習を行なっている学生感染

コロナはどこにでも潜んでいるという恐怖の中毎日の実習は辛いです

感染した学生に対する「医学生としての自覚が足りない」「感染制御を率先して行うべき医学生拡散した、謝罪しろ」など数多くの非難

他の大学生の感染者は学部まで公表されないのに医学部だけ名指しされます

病院先生は僕に対して「就活からといって東京にこの時期行くのはやめてほしい」「学生コロナを持ち込んだらたまったもんじゃない」と言ってきます

だってこんな感染リスクもあって世間からバッシングされるようなリスクを背負って臨床実習するのは辛いです。そして何より医療である先生たちからそのような発言をされたのが悲しかったです。

僕は地元に戻るっていう長年の計画を諦めるべきなのでしょうか。都落ちした出来の悪い医学生大人しく地域医療に貢献しとけって事でしょうか。

田舎でも差別され、都会に逃げたくてもコロナで行けず。じゃあ一体僕はどこに行けばいいのでしょうか。

都会の人は想像出来ないような差別田舎にはあります

このような息苦しい田舎での生活に耐えられません。

もうちょっとの辛抱だから、必ずなんとかなるって色んな人に言われました。

もうちょっとってどれくらいですか?

僕はもう限界です。

ヨナラ、僕。サヨナラ、地元。サヨナラ、田舎

最初最後投稿です。

支離滅裂文章ですが、これが僕の今の気持ちです。

2020-07-25

有名人政治的発言をしてもよい」は「自分達が推している思想では

定期的に有名人が迂闊なツイートして炎上するという所謂有名税徴収が行われる光景ホッテントリに上がってくるが、はてな場合政治に関連したものが多い(政治系は黄リン並みに可燃性が高いのもあるが)。

 

有名人でも政治的発言してもよい」というコメントが多い場合もあれば「〇〇〇〇だ。許せない」というコメントが多い場合もある。

大変身勝手だがこれが人間である。  

 

結局「有名人でも政治的発言してもよい」は自分達が推している思想ならOKということではないか

そして気に入らない思想してしまった代償は炎上である。 どこかの方面から大量に噛みつかれることになる。

 

現時点では政治思想に一切触れない方が無難(中立でも触れたらNG)

本当に有名人政治的発言をして欲しいなら気に入らない思想に感化された人間確認出来ても文句言わないことである

2020-07-24

skyユーザー愚痴

sky 星を紡ぐ子どもたち

最近CMもやってるゲーム自分が今ハマってるゲーム

綺麗な景色可愛いの子アバター、エモートでの交流楽しいゲーム

最近1周年を迎えたゲーム

でもここではどちらかというとマイナスな事を書く為、見たくない人は見ないことを推奨しま

マイナスな要素としては、再訪に関すること、運営を好ましくないと思うユーザーについてのこと



ーーー



不穏な空気をよく見始めたのは再訪する精霊(以下再訪)の頃からかと思う

再訪は過去イベントアバターゲーム通貨(それなりに多量)によって期間限定(現在は4日間)で入手できる毎週(他のイベント開催時は隔週)行われるイベントである

過去シーズンイベント(6人ほどの精霊ゲームマップに現れ、それぞれの精霊からアイテムアバターを貰うことが出来る)から1人の精霊ランダムで選ばれるらしい

ゲーム通貨課金で入手するか、エリア内に散らばるアイテムを集めるかで入手することができる

再訪で入手できるアイテム過去イベントで手に入ったエモートと呼ばれるアクションアバターなどである

そして過去イベント開催時はアドベンチャーパスと呼ばれる課金アイテムを持っていないと入手できないアイテムなどもあった

また、イベントの復刻はないと運営は告知をしていたが、それはシーズン丸ごとの復刻は無いとの事らしい



1.過去イベントアバターを全員が入手できてしま差別化が出来なくなってしまうというユーザー

2.アドベンチャーパスが無いと手に入らないアイテムが全てゲーム通貨で手に入ることに激怒するユーザー

3.アドベンチャーパス(課金)無しで入手出来るなら課金しなかったというユーザー



3はアドベンチャーパス料金分のゲーム通貨(課金アイテム)が、そのシーズンイベントアドベンチャーパス必要だったアバター等全て返品する事で入手できる措置が取られた

ソシャゲで気に入らない課金アイテムを返品できるということはなかなか無いと思う

アドベンチャーパス課金無しで入手できる権利を得られることになる(勿論任意)

1は所謂古参(一部の声の大きなユーザーを指す、初期からやってるユーザー全てを揶揄するつもりは無い、そもそも始まって1年のゲーム古参?という気持ちもある)がよくツイッターなどで呟いていた

そんな事言っている人はいないとこれもまたツイッターで見かけるが最初の再訪アイテムの時はよく居たと記憶している

人気の最初アイテムの時には一定数見かける

そもそも運営平等を謳っているのになぜ差別化を進めようとするのか謎

2はそもそもゲーム通貨課金アイテムである事を失念しているユーザーが多い

2,3時間あればエリア全てを回って通過を集める事ができるというが、毎日2,3時間ゲームに費やすのは基本的に難しい人が多いと思う、自分は費やせないから羨ましい

から課金で補う事ができると考えたことがあるのだろうか

ゲーム通貨課金アイテムである

勿論沢山無課金ゲーム通貨を集めて、再訪も無課金でやってるユーザーだって多くいるとは思う、それが気に食わないならこのゲーム多分向いてない

このゲームというか運営が向いてないコンテンツを続けると段々楽しいか辛いかからなくなってくるのでお勧めしない

初期の頃に課金した自分のおかげでゲームが続いてる!と主張するユーザーあなた以外にも課金したユーザーはいるし運営方針が合ってて文句がない人もいる事をお忘れなく

誰も課金しなくなると言ったユーザー、そうでも無いから、現イベントアドベンチャーパスを持ってる人の人数でも数えてみたらいいと思う


運営方針が合わないなら、嫌ならやめろと声を大にして言いたいが

きっと声の大きなユーザーはそれでもskyは好き、運営は嫌いと言って声を荒らげながら課金して居座るんだろう

繰り返すが、不満があるのに続けるのは精神的に辛くなると思うのでお勧めしない

12から成人向け作品を閲覧・執筆していた字書き腐女子の話

匿名しか書けないことだが、私は小さい頃からR-18作品を見たり書いたりしてきた。

我が家には子ども自由使用していいパソコンがあり、私は時間があればネットサーフィンを楽しんでいた。母も父も特に使い方などを教えはしなかった。ネットリテラシーに欠けまくった私は検索して出てきた記事にあるリンクに片っ端から飛んでいた。そうすると怪しいエロサイトに辿り着いたりする。その衝撃的な内容に驚く間もなく、身体が疼いて興奮してしまった。性に目覚めたての小学生(この頃9歳〜10である)の執念は凄まじく、夏休みには一日15時間くらいひたすら二次系のエロ画像まとめサイトを延々巡っていたこともある。自慰をすることもなく(膣が勝手に収縮する感覚はあった)、ただ興奮しながら見るだけだ。もっとマシな夏休みの使い道があっただろうに…。

エロを見ることに対する罪悪感はまるでなかったが、いけないことだとは分かっていた。コンビニに置いてあるエロ本に近づいた時、「子どもは見ちゃダメよ」と側にいた母から言われたし、何よりサイトが「18歳以上ですか?」と警告してくる。それでもバレなきゃいいだろうと開き直っていた。

そして私は12歳の時に色々あって腐女子になった。ひたすらパソコンカップリング検索し、残されていた個人サイト(全盛期は過ぎ去っていた)をたくさん巡った。そこでも平気で所謂「裏」「背後注意」と表記されている作品を当然のように見ていた。何度「18歳以上ですか?」と聞かれてもyes入力し続けた。

やがてpixiv存在を知った。ユーザー登録しなければ見られない作品が多かったので、悩んだ末にアカウント作成することにした。

そこで私は年齢が20歳になるように誕生日登録した。こうしなければR-18作品を見られないことを知っていたからだった。初めてそこで罪悪感と薄暗い後ろめたさが生まれた。

ROM専でいれば良かったものを、私には制作意欲が生まれしまった。推しカプの作品を作りたくなったのである。絵で作りたいもの表現するのは難しかったので、先ず文章を書くことにした。pixiv作品投稿のページに直でチマチマと1000文字〜3000文字?の小説を書き込んだ。タイピングが遅すぎて半日くらいかかった覚えがある。とにかく無事に嗜好を詰め込んだ作品は完成し、その日中投稿した。

12歳のクソガキが書いたその小説は思っていたより評価された。運が良かったとしか言いようがない。書いた推しカプは旬ジャンルで波に乗っており、私はそこに女体化妊娠要素を乗っけていた。(人を選ぶ要素のある作品一定ニーズにより評価されやすい気がする)ブクマは最終的に300程頂いたと思う。ありがたい話である

論文章は下手くそまりなかった。めちゃくちゃ改行するしポエムのような心理描写が並べられているだけの小説だった。語彙もなく背景描写もなく、今でも内容を思い出す度恥ずかしくなる。今あのクオリティーで出せば3ブクマとつかないだろう。

あの頭の悪い文章たちをちゃんと読者は成人済の書いたものだと信じていたのだろうか?未だに誰かにはバレていたんじゃないかと思っている。

それでも作品評価されたことが嬉しかったし、もっと書きたいと意欲的になった。時間が有り余っていた私はどんどん書いた。三日おきに投稿していた時もあった。ちゃんねる風にも手を出したり新しくはまったジャンル小説も書き始めた。

好き勝手書いた作品に点数もブクマコメントも頂けて、二次創作は順調に幸せだった。

しかし成人を騙れど中身は思春期真っ盛りの子どもであるイタイ時期が私にもあった。(これは現在進行形かもしれない)特にキャプションにそのテンション如実に現れていた。腐女子特有キャラ語りの気持ち悪い文章だとか、中学生イキリオタのノリだとか、ひたすらポエムを並べたりだとか…その辺だ。ここにも到底書けない。恥ずかしい限りである

ちなみに当時の名前は“キルリマ”と読ませる当て字だった。好きな厨二臭い漢字を入れて下されば幸いである。

自分を何故か居酒屋の娘だと設定し、フォロワーメッセージ上で交流したこともある。本当にチョイスの意味がわからない。高校の頃の苦手科目を聞かれて焦ったこともある。中学一年生には何も分からなかった。

結局最初に作ったアカウントは、「あ、やり直したいな」というある日の思いつきで消去した。使用歴は半年ほどである

そしてすぐに作り直したアカウント今日まで続いている。そこから比較的真面目に書き始めた。依然性癖は変わらなかったが、文章ちょっとだけマシになった。

そして新アカウントでとうとうエロを書いてしまった。ギリギリ中学一年生だった。しかも内容は強姦である馬鹿じゃないのと思う。その時にエロを書くのは難しいと知った。キャラに喘がせながら喋らせるのは難しいし(『ぁ』とか『、』などの適切な量が未だに分からない」の性器比喩表現も一歩間違えたらギャグになる。あと単純に文章力が低いので艶やかな文体に出来ないのだ。出来上がったのはただの拙い成人向け小説であり、エロ文章ではなかった。

それでもこりずにいくつか書いた。挿入なしのプレイものばっかり書いた。意味がわからない。しかネタに走ったわけではなく、大真面目に書いていた。

中学校三年間で書き上げて、今でも削除せずに支部に残してある小説は40程ある。評価数はブレブレでブクマだけで言っても1桁から4桁までまちまちだ。正直字書きとしてのレベルが分からないが、凡才だったことには変わりない。私の作品は「特殊属性女体化妊娠過去捏造シリアス、嫌われ、ちゃんねる系)」がついていないと評価されない傾向にある。純粋文章力はたかが知れていた。

最古の小説は6年前のものだ。それを怖いもの見たさで読み返しては勝手ダメージを食らっている。

高校に上がってから部活で忙しくなり、小説は書けなくなった。支部アカウントROM垢と化した。Twitterにも成人向けと騙ったROM専アカウントがあり、私は日々両方で二次創作を漁るだけになった。

途中うっかりnmmnにハマり、検索避けが備わった件のサイトでいくつか軽い小説を書いた。そこでも年齢を偽った。18歳以上じゃないとフォローできない方が多かっただけでなく、単純にエロを書いてしまたからでもある。内容は複数人ものだったと思う。未だにまともなセックスを書いたことがない。

そして今年の春に18歳を迎えた。4月1日になった瞬間に今まで我慢していた成人向け同人誌と目一杯買った。エロ同人もAVも買った。購入だけは18歳まで出来なかった。(だからどうしたということではあるが)

ここまで長々と自分創作記録を書いてきたが、実は自分のしたことに今は全く罪悪感を持てていない。後ろめたさは確かにあるが、皆やってるんじゃないかと思い込んでいるのだ。

ちゃんと18歳まで一つのエロを見ることもなく過ごした人を心から尊敬する。とびっきりの自制心をもって制御できる方だと思う。いや、単に私の心が弱すぎるのか。それとも性欲が強いのか。

一つ思うことは、上に書いた支部アカウント特定されないか、ということである別に晒されても燃えても仕方のないアカウントだが、上の情報だけで特定できたらすごいな〜と思う。

2020-07-23

e-sportsスポーツと言われるのに違和感がある理由

所謂体を使うスポーツは、「物理法則」という、人間には決して覆せない公正さがあるから

(例えば体操競技重力自由に変えられる世界で行われていたら、どんな高難度技でもエンターテイメントにはなるが、スポーツにはならない。)

この理由で、射撃乗馬等の人が直接動かない物もスポーツとなる。

バイク自動車等のモータースポーツもこれに該当はする。そして、その技術日常使用するバイクや車にフィードバックされる。

(ただし、競技性よりも、メーカー技術競争と、エンターテイメント性の割合が強め。なので、オリンピック参加のような、大多数に認められる物にはならないと思う。)

こんなこというと、じゃあチェスとか将棋はどうなんだ。あれも、所によってはスポーツと呼ばれているという人もいる。

それはスポーツと言える。

何故ならそれぞれ初めに与えられた戦力が一緒で、ルール自体は単純で平等から

将棋で言うなら、例え歩であっても、一つ前のマスに王将がいれば取れるし、逆に飛車角であっても通り道に駒があればそれ以上進めないし、取れる駒は一つだけ。

(例えばこれに歩は絶対王将を取れないとか、さいころの目によって移動範囲が変わるとか、飛車角は移動させるときに指で弾き飛ばし飛ばした駒だけ取れるとかが加わると、解りやす平等性が無くなって、スポーツとは到底言えない)

これに対して、テレビゲーム根底ルールを作っているのも人で簡単に変えられる上に、戦力差がキャラによって違う。

これは極端に言えばどこかの金持ちゲーム開発者

「うちの知り合いにゲーム操作でこういう癖があるからその癖で与えるダメージが倍増になる仕様にしてよ」

と言われて、出来なくはないと言うこと。

まりそもそもルールの公平さ」に疑問符がつく。

更に、一度二度やるだけでは理解できないルールまで存在していて

格ゲーなら必殺技の無敵時間や中段攻撃、他のジャンルなら相性や特殊能力

一見どころか、たまに遊ぶライトユーザーすら凄さ理解し辛い。

こんな理由で、e-スポーツが「スポーツ」と呼ばれて持て囃されていることに違和感があるんだけど、

間違ってる?

2020-07-22

サイト雰囲気が変わったのはツイッターのせいかもしれない(固定腐

雑食腐女子喧嘩を売っているわけではありません。

こういう状態にあるというだけの話です。



とあるジャンル二次創作をしている。イベントにも参加はするが主な活動場所サイトツイッターだ。

ツイッター読み手の勧めで始めた。正直、後悔しているがアカウントを削除する勇気も持てずにいる。サイトだけでは作品を見てもらえる機会が少ないからだ。


個人サイトの描き手と読み手距離感が心地よいと思っている。「店主」と「お客様」といった感じだ。

好きな時に自分作品を見に来てくれるだけだし、訪問者の趣味嗜好も無駄に知り過ぎることがない。

ツイッターではそうはいかない。

わたし所謂「固定腐女子」で、リバも描かなければ性別も変えない。一方、フォロワーは「雑食」も多い。

自分作品を好きだと言ってくれるのなら。それだけフォローバックしたことを悔やんでいる。

貴女作品が好きです。やっぱりAとBは唯一無二ですよね」などと熱いメッセージを寄越してくれた相手BACBDBも好きだということを知った時にはショックだった。

人の嗜好に口は出せないし勝手だとは思うが、「じゃあ、あのメッセージの”唯一無二”はなんだ?」と思ってしまうのだ。


雑食にフォローされていることで地雷を目にすることもある。

そこはミュートなりブロックなりして対処はしているが、「BA尊い」とBA描きにリプした直後に自分に「〇さんのABが好きです」と言われても嬉しくもなんともない。

固定腐女子にとってツイッターは生きづらい場所だと思う。

ツイッター交流の場だし読み手書き手距離が近い。近いが溝は深い気がしている。

サイトの「貴女作品を見に足を運びました」とは違い「目に入ったからリプしちゃった」だ。

反応の早さを楽しいと思う反面、あっという間に埋もれてしまうのも辛い。


もちろん、そういう場所なのだからと割り切ってはいる。割り切れないのは、これをサイトに持ち込まれしまうことだ。

雑食腐女子フォローされ、ツイッターから訪問者が増えたことでサイト雰囲気が変わった気がするのだ。

アカウント取得前も雑食にも訪問されていたと思うが、読み手の嗜好を詳しく知ることはなかったし心穏やかにいられた。

サイトにはブログ日記)も設置しているが、誰に気兼ねするでもなく好きなことを好きなように書くことが出来た。

サイトに限ったことなのかもしれないが、固定腐女子より雑食腐女子の方が声が大きい気がする。

固定サイトであるにも関わらずだ。


サイトコメントは雑食で埋め尽くされ、元からいたAB固定訪問からコメントが減ってしまった。それでも作品に関するコメントなら有難く受け取ることが出来る。

うちに来る雑食さんはせっかちで流し読みも多いのだ。


作品に関するコメントがズレている。ひどい時にはタイトルを間違えられる。更新をせかされる。敬語を使えと言うわけではないが、口調にも戸惑っている。

ツイッターを始める前は「店主」と「お客様」という感じだったのが、気が付けば「雇われ店主」と「オーナー」のようになっている。

自分のペースで書けばいいと思うよ。でも、あまり待たせないで」

こういうメッセージは昔はなかった気がする。

気長に待ってくれるし、丁寧に読んでくれたのがコメントから伺えたのだ。


あんたが読み流した作品の先には生きた人間がいるんだよ。

描くことにも、サイトにUPすることにも、レスにも時間がかかっているの。

「ええーっ。今日はここで終わり? 続きは? たくさん読みたい人なんで更新ヨロ」


なんなんだろう。

何故こんなに読み専に追いまくられなきゃいけないんだろう。

何故自分は「遅筆ですみません」と謝っているんだろう。

しかも、雑食女だし。

口調も気に入らない。

あれもこれも流し読みしているヤツに急かされたくない。

マシンか何かだと思われているんだろうか?


あの頃に戻りりたい。

ゆったりと繋がり、妙なテンションコメントもなかった。

「続きを楽しみにしています。でも、このコメントプレッシャーになりませんように」

しかった。もっと書こうと思えた。

今もこういう訪問はいるけど、声の大きい人にメンタル削られている状態だ。

優しい訪問者の気持ちにも応えられなくなっているのが辛い。

有言不実行な友人の話

ある友人に我慢できず、他の友達に話すのも気が引けるので筆を執ることにした。

私の自分語りを多分に含んだ愚痴のような物なので、肩の力を抜いて読んでいただければ幸いだ。

私はしがない字書きの大学生である中学生の頃には仲の良い友人二人と、自分たちを模したキャラクター架空世界の中活躍させる創作を交換ノートの中でやっていた。元々絵を描くことも好きだったが、どう足掻いても上手く描けないことに諦めを感じ、気付けば文章ばかりを書いていた。

高校に入ると文芸部に入った。入部届けを提出するまで、入ったことは親には黙っていた。シンプルにそれまでやっていた吹奏楽に嫌気が差しただけなのだが、高い楽器(丁度自分の貯めていたお年玉やらお小遣いやらの全額程度だった)を買ったというのに吹奏楽を続けなかったので、父親は後にも先にも無いほど激怒した。当時の私は相当にショックを受けたが、まあこれは関係の無い話なのでやめておく。

とにかく文芸部に入ったのだ。正直本当に楽しかった。気の合う友人もできた。文学という架け橋が無かったら話すことも無かったような、私とは系統の違った部員一冊の本を作るのは刺激的だった。空が白んできても何も浮かば空虚日の出を見たり、締切の為に定期テストそっちのけで徹夜をしてキーボードを叩いて編集をしたり、高校生なりの熱量部活を、書くことを、“創作”を、楽しんでいた。

恐らく想像がついている方もいらっしゃると思うが、私はオタクであるとはいえ二次創作イラスト等の投稿や閲覧が楽しめるSNS投稿を始めたのはつい最近で、それまでは内輪のオリキャラでの創作小説を書いたり、時には友人を主体にした夢小説を書くこともあった。

そんなこんなでここの所二次創作を楽しんでいる私であるが、どうにも腑に落ちないことがある。

端的に言ってしまうと、あまり好かない友人がいるのだ。彼女高校1年生の頃からの友人で、ありがちな書き方ではあるが彼女をAと呼ぼうと思う。(A以外にアルファベットは出てこないので、特に気に留めて置く必要はない。)

Aは自信家だった。帰国子女のAは英語を始めとして成績優秀で教員にも好かれる模範的な生徒だった。本人はそれを隠すこともなく、「私は天才から」「と言うより、努力型の秀才なんだけどね」と言ってのけていた。努力を惜しまない姿勢は素晴らしいし、怠惰な私は純粋尊敬したが、その努力をひけらかす行為はいただけなかった。受験期にはキーワードをページいっぱいに書き連ねたノートボロボロになった単語帳を常に持ち歩き、志望校赤本まで隠さず机の上に置いてあった。私は「落ちたら恥ずかしくないのかな」とぼんやり思っていたし、本番当日にもAは「Twitterしてる場合じゃないけど不安 報われなかったらどうしよう」だの「爆死」だの呟いていたが、最終的にAは無事合格し、その大学へと進学した。

思うに、Aはオープン性格なのだ。未だにTwitterの鍵垢同士で繋がっているのだが、課題の進捗やらをよく呟いている。「自称天才から(オンデマンド)授業明日の分全部受けてレポートまで書いた」「虚しいから労って(レポート画像)」などなど。活きの良い大学生である

さて、本題から離れてしまったが、私がお話たかったのはAの創作についての話である

実はAは高校在学中から一次創作を嗜んでいた。Aはもう一人の友人とタッグを組んで自作ゲームを作ろうとしているようだった。所謂ファンタジー物で、次々とキャラクターを生み出してはストーリーの核となる部分を練ったり、キャラクター自身の掘り下げをしていた。

なぜ私がそれを知っているのか。それは彼女が片っ端からTwitterに放流するからである。興味が無いので完全にスルーしていたが、AやAの周りの友人はいつもAの生み出したキャラクターの話をしていた。

彼女ゲームシナリオとなるその“創作”の本筋を書いて、もう一人の友人は立ち絵や背景を書いていた。

書籍化しないかな」

Aのそんな旨の呟きをよく見かけた。

そのうち、Aの周りにいる友人は、そのキャラクターイラストを描き出した。漫画にせよ小説にせよ映画にせよ、ストーリーを追ううちにキャラクター個性を見出す私にとっては、設定や性格が書き連ねられた一枚絵を見せられても特に何も思わなかったが、友人たちは違ったようだ。確かに毎日それらのキャラクターの話を聞いていれば興味を持つの自然だろう。

最初こそAは大いに喜んでいたが、そのうちさして大きなリアクションをとらなくなっていった。そのうち、「おまえらファンアート15溜まったら本編まじで進めるわ、ケツ叩いてもらわないと無理かも」といった旨をツイートしていた。

Aとタッグを組んでいた友人は、徐々にTwitterに浮上しなくなっていった。その代わり、Aは自分のことを“字書き”と自称することが増えて、ゲーム制作の話は一切しなくなっていった。

Aはよく産みの苦しみの類いのツイートをする。

「一話が上手くいかいから先に進めない」

「予定の字数より多くなっちゃったw」

キャラには自信あるけど文に自信ないから〜」

「(とある児童文学タイトル)の後釜狙ってます

そう言って一通り喚き散らした後、「やっぱり今日は書けないから寝よう」と言って日付の変わる前には就寝している。

なるほど、AもAなりに書くことを楽しんでいるようだ。いつか自分創作を完成させて、それが大々的に二次創作される日を夢見ているらしい。丁度今、絵の上手い他の友人に描いてもらっているように。

私は一言言いたかった。

四の五の言わずに書けよ。

一発当てたいなら本気で完成させろよ。

甘えてんのか。

もちろん私は今の文壇リードするような大作家でもなければ、新進気鋭の小説家でもなんでもない。しかし、Aよりも文字を書くことは数こなしてきた。適切な表現が思い浮かばなかったり、心苦しくても大部分を削除してエンディングを書き直したり、寝食を忘れて夢中になって書いていたこともある。もちろんそれが重要なことでないこともわかっている。

Aは昔、高校生だった頃に私にこう話したことがある。

わたし、○○(私の本名)ちゃんのことすごいと思うよ。文芸部に入ったら、締め切りとかそういう重圧で死んじゃいそうだもん。自分好きな物上手く書けなそうじゃない?」

私はこれに何と返したかは覚えていない。しかし、文芸部は私に書き終えることの大切さを教えてくれた。

オープン彼女は書いている最中の苦しみを漏らすことを抑えていられない。しかもそれをやたらと文学的に表現しようとする。浮かんでこない、降ってこない、突然書けなくなる……、そういったありきたりの表現で。Aはやたらと“創作”や“小説”という言葉を使いたがった。自分が今しているのは“創作”で、“小説”を書いている。その行為に酔っているように見えた。けれど言葉が固くなってはいけないと思っているのか、進捗状況が載ったスクリーンショットに映る文はなろう系を模したような劣化させたような文体なのである

「私の文幼稚なのはわかってるんだけど、かっこつけた描写はしたくないな。児童書目指してるし」

子供が読みやすい文、単純に砕けた文、そして口語ばかりで仮名遣いの怪しい文。難解な表現を使うことと、状況を説明するために上手く言葉を組み立てること。これらは明確に分けられていると思う。斜に構えた描写を、子供には解しがたいと思っているのだろうか。私は自身の素の書き方がかなり固いこともあり、まるで自分が“かっこつけた描写”をしているような気がしたこともあり、なんだか頭にきてしまった。

また、数日後にはこんなツイートもあった。

承認欲求足りな過ぎて手っ取り早く誰かに褒められたいけど、二次創作は書けないからなぁ」

この発言は私の逆鱗に触れた。

私は、自分の書いた二次創作を「承認欲求を得るための行動だ」と言われたように感じたのだ。書いた物を貶されるのは嫌だけれど、書く動機をAのようにあからさまに「誰かから評価されるため」にすり替えられるのが耐えられなかったのだ。ネットに公開している以上、何らかの反応があることはもちろん嬉しい。しかしそれ以上に、頭に浮かんできたシチュエーションを練ってひとつの話を作ることが楽しいのだ。

今思うとAはそこまで考えて発言したように思えない。恐らく私の考えすぎだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いし、何を言ったかより誰が言ったかが気になる質なのかもしれない。

SNS上でのAとの繋がりを消そうにも、そのアカウントには共通の友人が多く、彼女たちが気を利かせて私の転生後のアカウントをAに伝えてしまうことは想像に難くない。かと言って「繋げないでくれ」とあからさまに嫌う素振りを見せて友人関係にヒビを入れたくもないし、ログアウトしてしまうと他の友人の呟きまで見れなくなるのも寂しい。そういうわけで今でもAとはFF内で、表向きは仲良くやっているわけである

さほど苦ではない。しかし確実に自分ストレスを感じていることはわかるので、いつか縁を切ろうと思っている。

結局これはさして大きな問題ではなく、周りからチヤホヤされている人間を妬ましく思っている私の醜さが露呈しただけなような気がしたので、この辺で筆を置いておこう。自分の“創作”のスタンスに口を挟まれて気分を悪くするのは、私自身もそうだから

anond:20200721231436

やっぱネタか。

私は所謂「頭のいい」子供だった。

小学生の頃から教員に「賢い」子供として扱われ、旧帝大はいかないがそこそこ名の知れた大学へ行きそこそこ良い成績を収めた。

この辺が笑ってほしいところなんだろうけど、設定にしちゃ中途半端すぎて逆にリアルかなと思ってしまった。

修業が足りんなあ。

2020-07-21

続編の製作決定で物語の結末が変わる事ってあるんだなぁ…と思った話

新機動戦記ガンダムW」という作品がある

1995年から1996年まで放送された、従来の「宇宙世紀」の世界観一新し新たな世界観を構築・定着させた「機動武闘伝Gガンダム」に続く、まったく新たな視点からガンダムワールド》を描く新世ガンダムの二作目である

人類コロニーに住むようになって百数十年。地球を巣立った人類は、宇宙コロニーでの生活に新たな希望を求めていた。しかし、《地球統一連合》は宇宙での権益を確保するため、非武装を解く指導者暗殺正義平和の名の下に、圧倒的な軍事力をもって各コロニー制圧していった。アフターコロニー195年。作戦オペレーションメテオ連合に反目する一部のコロニー居住者たちは、流星偽装した新兵器地球に送り込む行動に出た。それは、五体の最新型モビルスーツガンダム」。そして、それらを操る五人の少年戦闘プロフェッショナル…彼らこそが、コロニーから送り込まれエージェントだった。というあらすじだけど、Gに負けず劣らずこちらも非常に斬新だと思う。

僕はこの作品存在を視聴する前から知っていた。ゲーム作品によく登場していたからだ。ガンダムWは放送中は勿論の事、放送が終わってからも非常に高い人気を誇り、長い間ロボットが登場するゲームには引っ張りだこだった。

そこで僕はこのガンダムWという作品一目惚れをした。「こんなに美しいロボットが居るのか!?こんなに主題歌がカッコいいのか!?このヒイロって主人公クールすぎるだろ!」ともう好きになる要素しか無かった。何もかも好みだった。

厳密に言えばその作品は「Endless Waltz」というWの続編だったけど、事情をよく知らない僕はこういうサブタイトルなんだろうなと勘違いしていた。「ビーストウォーズ」の「超生命トランスフォーマー」のような副題だと思っていた。

ガンダムシリーズを取り扱ったゲーム作品において、このガンダムWの人気の絶大だった。どの作品にも五人の少年と五機のガンダム達は登場していた。その中にTV版を取り扱った物もあったので、そこでやっと僕は勘違いに気付いた。

ガンダムWの主題歌はどれもカッコ良かった。「JUST COMMUNICATION」も、「RHYTHM EMOTION」も、「WHITE REFLECTION」も、そして「LAST IMPRESSION」も。原曲の良さがゲームアレンジから伝わってきた。

そして、本編もカッコ良かった。「お前を殺す」「死ぬほど痛いぞ」などWを視聴する前から知っていた有名な台詞を実際に聞く事が出来た。「50階建てのビルから飛び降りても骨折するだけで死なない」「骨折自力で治す」「鉄格子素手で握り潰す」などあまりにも有名主人公ヒイロ逸話も全て真実だった。まさかGガンダムの後とはいえガンダムでこんな事を出来るキャラクター達が登場するとは。宇宙世紀強化人間でもここまで人間離れしてない気がする。

Wといえばカトキハジメ氏が手掛けた数々のMSも忘れられない。古くからガンダムファンの中には「GとWはガンダムとして認められない」と否定的人間も昔は少なからず居たらしい。そんな人でもMSトールギス」のデザインに関しては唸らずにいられなかったそうな。デュアルアイや特徴的なV字アンテナなど所謂ガンダム」的な記号は無いのに、あれほどまでにヒロイックな印象を放つMSはそう無いと僕も思う。非ガンダムライバル機の頂点の一つではないだろうか。

ゲーム作品ではあまり出番の無いヒロインリリーナドーリアン」の動向も気になった。序盤で父親を殺された彼女は父を殺した犯人への復讐を目論んだり、物心付く前に生き別れた兄と再会したり、とある王国王女として国家再興のため学園を経営する事になったり、その国が攻められ再び滅びたと思ったら今度は世界国家元首祭り上げられた後すぐに辞めさせられたり。MSにも乗らないというのに何と波乱万丈な人生だろう。Wって4クールの話なのに。

設定記録集に抜粋された放送開始前の企画書によると「新機動戦記ガンダムW」という番組の最大の特色は、息をもつかせぬドラマ展開らしい。確かに主人公達の立ち位置も倒すべき相手も次々に移り変わるガンダムWという作品は非常に目まぐるしくスピーディーな展開だった。勢力図の複雑さは歴代ガンダムNO.1と言っても良いと思う。Zガンダムにも同じ事が言えるけど、一度見ただけでストーリーを把握出来た人はきっと居ないんじゃないだろうか…?

物語の終盤、遂にコロニー革命軍ホワイトファングと地球世界統一国家軍は激突する。ガンダムパイロット達は、どちらにも与さず双方を否定した。未来とは強者支配によって訪れる物ではない、自分達の手で掴む物だと。

このガンダムWの終盤の展開は本当に熱い。それまで世界各地で戦っていたガンダムパイロット達が、遂に5人全員肩を並べて戦うのだ。全49話のアニメでチームが結成されたのが44話目だと言うのだから堪らない。待ちかねたぞ、ガンダム!後期OPラスト10話でようやく解禁された!その後期OP映像が完成したのは何とラスト2話!最終回TVシリーズとは思えない超絶作画といいガンダムWという作品クライマックスは最高に面白かった!!傑作だ!

そしてこの「新機動戦記ガンダムW」という作品は前述したように非常に人気が高かった。宇宙世紀でない所謂アナザーガンダム」であったにも拘らず翌年にはOVA製作され、後にOVAを一本に纏めた劇場版も公開された。

僕はTV版を見終えた後すぐにこのOVA作品Endless Waltz」を見た。この作品に僕が初めて「ガンダムW」の存在を知った時から恋い焦がれていた。ここまで長かった。そして…冒頭の戦闘シーンから度肝を抜かれてしまった。

「何だこの超絶作画!?量産機の動きがTV版と全然違う!しかもこのMSの描き込み!!あ、ガンダムデザインもEW版になってる!スゲー!!」とTVから圧倒的に向上したOVAクオリティにもうテンションが上がった。

舞台TVシリーズから1年後。地球宇宙の戦いが終わり平和になった世界で突如何者かに誘拐されたリリーナを連れ戻すために、世間クリスマスだというのにヒイロ達がまた働くはめになるという内容だった。いかにも続編物らしい。

何と言っても超絶美麗な作画が特徴で、90年代OVA作品としては「ガンダム0083」や「マクロスプラス」と同じくセル画ロボットアニメ極致の一つだと言えるかもしれない。その美麗な作画カトキハジメ氏が新たにデザインを描き下ろしたガンダム達が戦う。この所謂「EW版」の機体はガンダムファンから絶大な人気を得ており、一時ガンダムWのガンダムといえばこの「EW版」を指す事もあった。現在でも定期的に新商品が出続けている。何という人気だろうか。

Endless Waltzでは最終的に『平和自由』を自らの手で掴み取るために立ち上がる民衆の姿が描かれる。弱者たちの代弁者として戦っていたガンダムパイロット役割を終え愛機を爆破した。彼らは自分の道を歩いていった。

こうして、ガンダムWというお話は綺麗に終わった。TV版で完全平和への道を模索し様々な人達が戦った。EW版でその平和を維持するためには一部の人間が戦うだけでは駄目なのだ民衆が立ち上がり声をあげる姿が描かれた。

TV版では描き切れなかった問題とその解決までを描いた見事な続編だと思う。「Endless Waltz」の数十年後の世界を描いた「Frozen Teardrop」という作品もあってこちらでも何らかの事件は起きているらしいが、僕は恒久平和の実現は非常に難しいと考えているのでそういう続編があっても良いと思う。まだ最初の方しか読んでいないけど結構自分好みだったので僕は好きだ。古くからガンダムWファンにはあまり評判が良くないなので人には薦めないけど…。

この「新機動戦記ガンダムW」という作品は非常に個性的面白い。キャラクターエキセントリック言動や行動からギャグアニメという人も居るけど、平和と戦いについてキャラ哲学を続ける内容は硬派である、と高い人気がある。

ここからが本題なんだけど…実は「ガンダムW」という作品の結末は企画当初に予定されていた物から変更されたらしい。これは「ガンダム」に限らずどんな作品で起こりうる事なので悪い事ではない。変更した結果面白くなる事も多い。

TVアニメではラストに亡き父と同じ外務次官の任についたリリーナヒイロから贈られた手紙ぬいぐるみ発見し、その手紙ヒイロの前で破り捨る所で話が終わる。1話ヒイロリリーナから手紙を破り捨てたのでお相子だろうか。

一方小説版コミックボンボンときた洸一先生が連載していた漫画版では微妙に異なる結末が描かれる。TV版ではヒイロ達5人の少年顛末は描かれずその後幾つかの外伝を経て「Endless Waltz」に繋がるのだが、この二作ではヒイロ達は火星地球計画に参加し開拓者として火星へ向かう事となる。ガンダムWで火星舞台となるのは「Frozen Teardrop」なので、大分先取りしている事になる。というよりEWが無ければ即FTが始まるのだろうか。

これは完全に僕個人の好みなので良い悪いの話ではないけど、僕はTV版のラストより小説版ボンボン版で採用された企画当初に考えられていた終わり方の方が好きだ。ガンダムWという作品TV版だけでは「ヒイロ達はこの戦いの後何をするんだろう?」という疑問が残るけど、当初の構想では彼らは火星に赴くと断言されている。また小説版ヒイロは《戦いしか知らない俺たちは今の世界にはすぐには適応できないだろう。俺は戦いの中に身を置く事に慣れきってしまったのかもしれない。赤い惑星には俺たちの戦いが待っている。俺は再び戦いの中に身を投じるつもりだ。だが、今度の戦いは死への戦いではない。生きるための戦いだ。俺は必ず生きてみせる》と語っている。幼い頃からエージェントとして戦闘訓練を受けてきた彼らが日常生活にすぐ適応できるかは分からない。実際で「Endless Waltz」においてガンダムパイロットの一人であった「張五飛」は平和世界無用存在であると切り捨てられた兵士のために立ち上がり、自らが「悪」になる覚悟ヒイロ達と戦った。ベトナム戦争PTSDを負いどうしても平和生活に馴染めなかった「ランボー」のような兵士がきっとあの世界にも沢山居たんだと思う。ヒイロも、トラウマに苦しめられていた。

僕がこの終わり方が好きなのはヒイロ達の戦いがまだまだ続く所にもあると思う。ヒイロTV版で《地球統一連合》を裏から操る秘密結社OZ」の企みにより地球宇宙の和平を望む平和論者であり連合最高司令官でもある《ノベンタ元帥》を殺害してしまう。ヒイロは己の犯した過ちの審判を仰ぐため、元帥一族すべてに面会する旅に出る。己の罪を告白した後相手拳銃を手渡し「ご家族の怒りと無念だった元帥の魂が引き金で静まる事」を願う。

ノベンタ元帥の孫娘・シルビアは「こんな事させて自分だけ楽になろうなんて!!卑怯わ!」とヒイロに怒る。僕も少しそう思う。僕は続編でヒイロが生きている事を知っているので、彼が元帥のご遺族に殺されない事を知っている。

「命なんて安いものだ。特にオレのはな…」という台詞にあるように、ヒイロ・ユイという主人公はとても自分の命を安く見ている。1話民間人に顔を見られて早速自害しようとしたが死ねなかった。2話でも機密保持のために自殺じみた行為を行ったが死ねなかった。3話では飛び降り自殺を図ったが死ねなかった。10話ではガンダムOZに渡さないために機体を自爆させたが死ねなかった。物語の序盤でこれだけ自殺を図った主人公は他に絶望先生くらいだろうか。

そんな死にたがりの彼にいきなり拳銃を手渡されて「貴方のご家族を私が殺しました。許せなければ撃ってください」と言われても大半の人は困惑すると思う。怒った相手に殺されたとしても死にたいヒイロからすれば願ったりだろうし。

そのヒイロが、最終回でついに「俺は死なないっ!!」と生きる意思を見せるシーンは感動だ。これまで手にかけた相手の事で内心ずっと悔やんでいたヒイロが、EWの終盤戦いを終え「オレはもう誰も殺さない…」と呟くシーンも良い!

まり自分の行いを悔やんでいるヒイロには、火星開拓への従事という初期の終わり方は前向きな贖罪になったんじゃないだろうか?と僕は思うだけど…その終わり方だと「Endless Waltz」という作品は生まれなかったろうな…。

続編の製作が決まる事で現在進行中の物語の結末が変わる事はきっとよくあるんだろうけど、それはつまりその作品の続編が生まれるという事だから良い事だ!と僕は思うガンダムW、今年で放送終了25周年らしいです!

人生失敗した

……としか思えなくなってしまった。

酷く精神が乱れているのとこういった文章を書くのは初めてであるため、読み辛い点が多々あると思う。

私は所謂「頭のいい」子供だった。

小学生の頃から教員に「賢い」子供として扱われ、旧帝大はいかないがそこそこ名の知れた大学へ行きそこそこ良い成績を収めた。

これらは田舎から都会の学校へ行かせてくれ、一人暮らしの諸費用も捻出してくれ、塾・習い事資格習得留学等、私のやりたいことを全てさせてくれた両親のお陰であった。

「良い企業に入って、両親に恩返しをしたい」と私は強く思っていたし、学歴的にもそれが可能だと思っていた。

しかし、全然ダメだったのだ。就活が。最強の新卒カードを持っていた筈なのに。コロナなんて影も形もなく売り手市場であったのに。履歴書試験だけの一次には受かる。しかしその先が全然進まない。面白いくらいに落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる!!!!!!!!!!!!!!!!!(この時期はストレスだったのか、週一で40度ぐらいの熱がでていた。今考えてもメンタル弱ってて笑える)

友人も年齢を問わず少なくないし、コミュニケーション能力もまぁ困らない程度にはあると思っていたのだが、「俺って人間的魅力が皆無だったのか」と自分で気がついたのはこの時であった。

仲良くしていた教授達に「お前は人一倍努力もして来たのに…」なんて言っていただき、一丁前に悲しがっていたが努力がみとめられるのは学生ときまでである

そうして第200志望ぐらいの会社就職した。

多くの友人は霞ヶ関だ超大手企業だに行って日本未来を背負っていたが、私は所謂サービス業販売員になった。それでも両親は喜んでくれた。頑張ってねとたくさん言ってくれた。企業側も幹部候補者!と歓迎してくれた。私もせっかく雇ってもらえたのだからと「置かれた場所で咲こう」とやる気に満ちてはいた。

しかし、現実想像を超えていた。

からは「どうせ中卒のくせに」と罵られ、地元の知人たちからは「落伍者だ」「せっかく頭が良かったのに無駄だったな」と両親が陰口をたたかれる。

一番キツかったのが、働いてる時に子連れお客様から「ほら、お勉強しないとあの人みたいになっちゃうよ」なんて言われてるのが聞こえてしまった時である


(俺は本当はこんなところにいる人間じゃないんだ)

張る見栄もないくせにプライドけが育っていく。

私の言った言葉言い回し理解できない同僚に笑いながら易しい言葉で会話して、

(お前と俺は違う)

こんなふうに考えてしまう。

私は「職業に貴賎なし」という言葉を信じていたし、

自分学歴だって努力だけでなく恵まれものだったから、偏差値が低い人たちのことだって見下すことはしないと自分を信じていた。



私はどうしたら良いのだろう。毎日毎日将来を考えて、毎日毎日死にたい。けど自殺するにもコストがかかるし、まだ両親に恩返しもできてないか死ぬわけにも行かない。かと言ってあんなにダメダメだった就活が、またうまくいくとは思えない。転職するにしてもこんな時間だし、どこにも雇ってもらえなかったら?などと考えて踏み出せないでいる。

散々書いたが、結局何も行動せず、抜け出す努力もせず、こんなところにしかいることしかできないんだから何処に行ってもダメなんだろうな。



追加

混乱させて申し訳ないが、一人称地の文と分けたつもりだった。人に文章を読まれるなんて体験があまりなくて、わかりにくいものを書いたようで申し訳ない。

また「頭の良い」や「賢い」は履歴書「だけ」が立派で無能自分への皮肉のつもりだったのでそこも、混乱させてしまって申し訳ない。

出身大学・今ついてる職業はもしどなたかにご迷惑がかかってしまったら申し訳ないので、言えません)

結局何が言いたいかというと、「今更自分無能なことに気がついた糞野郎なので人生オワタw」ですかね。


推敲も行わず心のままに書いた読みづらい文章を読み、コメントをくださった方々ありがとうございます

受けた衝撃や今まで出会たことのない悪意が、凄まじくて驚愕してしまって、このまま自分は何処にも行けない気持ちになっていました。人から「失敗者」と言われてそのまま言葉の通り受け取っていました。

両親とも相談して、少し頑張ってみようと思います。重ね重ねありがとうございます

生きている価値の「価値」って一体何でしょうね。




追記2

多くの方に「己の価値基準他人に頼りすぎ」だという指摘をいただきました。

しかにそうだ、と。

なんというか今私は、「自分価値は(個人的な情の無い)他者が決めるもの」と思い込んでいるんですね。

学生時代はそんな考えはしてなかったのですが、社会に出てこれまで聞いたことの無いような罵倒や品の無い言葉を浴びてこんな考えに凝り固まった気がします。

公立には小学校までしか行ってないので、これまでの友人達は家庭環境文化的背景が似たような人たちばかりでした。(皆私には勿体ないような素晴らしい人たちばかりです)そんなぬるま湯に浸り切っていて考えが幼稚なんでしょうか。


「両親に囚われすぎ」というご意見もたくさんありました。

それに関しては、「自分は長子である」という考えが自分の中で強くあるからだと思います

また両親は決して高収入ではないのに、一人暮らし支援長期間留学等、沢山の援助をしてくれました。恩返しをしたいと強く思うのはそれほど特異なことではないと思います

しかし私の貧弱な思考力では、「恩返し」が目に見えるお金や分かりやす地位しか思い浮かばいからこのように拗れてしまったのだと思います

祝サブスク解禁

10代の頃に好きだったバンドボーカルがサブスク解禁された。近頃はライブ引退したと聞いていたし、youtube などで「下手」だの「声量がない」だの言われているのを見て悲しく思いつつ、実際に動画を見ると確実に下手になっているのが分かってまた悲しいような残念なような気持ちになっていた。2000年頃までのアルバムほとんど持っているのでいつでも聞けるんだけど、それでも聴く機会は減っていたし、それ以降のアルバムは聴いてなかったんで、これを機に聴いてみた。するとライブじゃないのに下手になっていてびっくりした。昔のバンド時代の曲をセルフカバーしていたけど、全然声が伸びてなくて、過度に抑揚をつけて何とか成り立っているというか、何とか成り立たせている状態に感じた。そりゃライブは無理だなと思うし、なんでそんなになってしまったんだろうとも思った。

自分が年をとるのと同じように、所謂推し”も年齢を重ねるんだな。でもそれも幸せなのかもな。

anond:20200721022910

人間って顔の造形もあるけど、スタイル清潔感髪型服装・話し方・身振り手振りなども見た目の情報に含まれるので、所謂イケメンは総じてこれらのステータスが高い人たちですね。

顔の造形だけでは案外判断されないですよ。

追記オタク人格が手術で変わった

追記

コメ色々ありがとう。そういえば手術では大量輸血が必要だったのだがそれで人格が入れ替わったのか…。

よく臓器移植ドナー記憶が、みたいなオカルト話があるけどあながち間違いではない…のか?

推しは本当に急に変わったので加齢ではないとは思う。

変わった人格でも楽しく生きてるよ。

あと、そもそもオタク治療するために手術した訳ではないからね!オタクは治る病気ではありません。



5年前、ある病気入院しそこそこの規模の手術を受けた。産まれて初めての全身麻酔、そこから目覚めて入院生活リハビリをしているうちに色々なもの自分の中で変わっていったので記録しておく。

推しキャラの傾向の変化


まず前提として私はオタクなのだが、推しの傾向が180度変わった。急に。

それこそ小学生くらいから「黒髪・太眉・熱血主人公キャラ」なら無条件に好きになっていたものだったが、術後どうも食指が動かなくなったように思う。代わりに「金髪or銀髪中性的・どっちかというと敵役」に急激にシフトチェンジしていった。コペルニクス的転回ってこういうこと?多分違うな。残念ながら頭の出来は変わらなかったらしい。

Twitterアカウントも変えた。友人からジャンルで何か嫌なことでもあったのか、と心配されたが「手術を受けたら推しキャラが変わったんだよね〜」とは口が裂けても言えないのでなんとなくね、でお茶を濁した。正直に話したところで今度は頭の心配をされかねないので…。

漫画ばかり読んでいたがこれ以降ゲームも出来るようになった。

読書傾向


術後のリハビリは「痛い・グロい・怖い」の三拍子だったが、詳しい内容は気分を悪くする可能性が多分にあるので割愛する。

病気をする前の私は所謂リョナ物が何より好きだったのだが、自分が実際痛い目にあってから全く読めなくなった。

今は多少は平気になったので楽しく購読している。嫌いになったというよりは読んでいて「イテテテテ!!」と当時の痛みを思い出してしまうからだったろう。好みが変わったからといって否定する気は全くなく、一つのフェチに特化した読み物は今でも良いものだと思う。

入院生活の間で実際に死や痛みと闘う患者さんや、それを懸命にケアする医療スタッフの方達を間近でずっと見ていたことも影響を受けたように思う。

それに以前の私はとにかく尖ったサブカル系ばかり読んでいた。流行り物なんてクソだと思っていた。

今では尖ったもの面白く読むが、流行り物も積極的に読んでいる。面白いか流行るんだよね…。

嗜好が変化したというか、受け入れる世界が広がった。

これは病気と一緒に中二病が治ったということになるのだろうか?

服装・その他生活


元気な頃はとにかく体系は細ければ細いほど美しいことに取り憑かれていた。ロリータファッションに傾倒し、毎月結構金額が飛んでいった。軽自動車くらいなら一括で買えるくらいだっただろうが、可愛いものに囲まれ生活は本当に幸せだった。

今にしてみるとまるで他人のことのように思えるのだ。今通う店、GU。そんぐらい。バッグや靴はちょっといい物を買って、あとは周りに浮かない程度にトレンドを追い、ファストファッションを季節ごとに使い回す。

ロリータや裏原系は見るのは未だに大好きだがもう二度と袖を通すことはないだろう。これは加齢や太ったこともあるのかな。「ロリータはまず精神から!」という風潮があるが、精神がガラッと変わってしまったのが一番大きいかもしれない。

ロリータを着始めた切っ掛けにはまず私が熱狂的なバンギャルだったという事もある。

ヴィジュアル系は今でも聴く。これもやはり読書傾向と同じで、以前好きだったものも変わらず好きだが世界が広がりジャニーズ坂道系やEXILE系も好んで聴くようになった。アイドルソングガチガチのその道のプロが創ってプロモーションしている訳で、いい曲なのは当たり前なのである

アニメグッズなんかもそれ程買わなくなった。代わりに画集フィギュア一期一会なので買ってしまうが。

もし、5年前にタイムスリップが出来て、当時の私に「私は未来貴女なんだよ」と告げたら、泡を吹いて倒れるだろう。精神的に脆い人だったので、世を儚んで命を絶ってしまうかもしれない。

からタイムマシンが出来ても私はきっと使わないだろう。当時の私は、本当に幸せで、毎日楽しく過ごしていた。

今の私も、本当に幸せに楽しく気楽に生きている。GUの服を着て、流行りのギャグ漫画を読んで、たまにヴィジュアル系を聞きながら。

書きながら気になったのだが、もしかして知らないうちに臨死体験というものでもしたのだろうか?

とりあえず上記を50倍ほどに希釈した内容を長年の友人に話したら帰って着た言葉が、

麻酔で寝てる間に脳みそいじられたんじゃねえの?」

その発想は、なかったな…

2020-07-20

オタク友達恋人情報って必要なのか

コロナ少し落ち着いた時に久しぶりに大学時代オタク友達とあって飲んだ。SNSのやりとりとかリモート飲み会とかもやってたので、普段から話したりはしていたんだけど、直接会うのはほんとに久しぶりだった。

いい感じに酔ってきて、婚活とか寿退社マッチングアプリみたいな話題が出たので、彼氏が出来たことをポロッと言った。最近の話ではなくて付き合ってそろそろ1年になる。喪女20代半ばようやく初めてのお付き合いだった。

1人はそれを知っていたけど、もう1人には伝えてなかったのでなんで?!?!ってちょっと微妙空気にみたいになった。(と思う。)

言うタイミングがムチャクチャ悪かったのは今すごく反省している。いっそ今回の飲みの場では話さなくても良かったなと思う。

1人にだけ伝えてたのもよくなかったなと思う。でもそれも付き合いはじめてちょっと経ったくらいになんでもない話題の時になんか言った。なんでも無さすぎてあんまり覚えてない。

でもオタク友達にはその人に言ってしまっただけで他は誰にも言っていない。そういう話題にならないから。

所謂イツメンみたいなパンピ友達には言っていた。そういう話題になるから

別に仲が良くないとか上辺フレンズだとかそういうことでは全くなくて、仲良し大好き度(?)で言ったらわたしの中の相当上位ランカーだよオタク友達

オタク友達とはリアル近況も話すけどやっぱりメインはオタク活動近況を話すことが多いし、話したいこと(推しやら最近覇権やら解釈やら)がいっぱいありすぎて自分私生活?のことを話す余裕が無い。

そういうスタンスから相手から聞く話も同じようなオタ活事情の話ばかりだと思う。

から恋人がいるいないも話さなくていいかなと思っていた。話さなくてもいいっていうか、話すという頭がなかった。

でもそのオタク友達には1年間もその間に何度か会っていたのに言ってくれなかったことが悲しいと言われた。すごく申し訳ない気持ちになった。

しませてしまたことが申し訳なく思う反面で上記理由からそんなに恋人情報必要なのか?と思ってしまった。

オタクから云々というよりは根明根暗問題なのかもしれない。そう言われた時にもう1人のオタク友達もピンと来てなかったから。

じゃあ結婚するまで言わないのか?と言われるとう〜〜〜〜んとなる。

もっと正常な価値観でマトモな人間らしく生きていかなきゃ行けないんだなと思った。

anond:20200720045841

世間一般的には人は好きなものについて話すことが多いんだけど、

あなた趣味や興味が、アニメとかマンガとか同人とかBLとかそういう所謂アンダーグラウンド寄りのジャンルに向いていて、

ファッションエンタメといったどっちかというと開いてる系のジャンルとはかけ離れてるっていう話だよね

話が合わない人とは付き合わない、というのは処世術としては全然ありなんだけど、

あなた場合はお若いから興味関心が偏りがちになってるんじゃないかという気もする

アニメマンガ以外に話題はある?

無いならバイトでもして金貯めて色んなことしな〜

それか色んな分野の雑誌をパラ読みするのが良い

興味関心のアンテナを張るといい、教養が身につくよ

ちゃんとしたオタクがわからない

オタクお気持ち表明文やらなんやらが最近増田流行っているらしいので、便乗して自分も反転増田を語ります

特定されたくないので全部フェイクです。適度な反転だと思って読んでいただければ。

例えなので別に私自身は32歳でもなければソシャゲ重課金してるわけでもないですが、立場は多分似ています。周りが所謂腐女子な事も含めて。

腐女子と言うと語弊がありそうですが、ここで言う腐女子は「メイクファッションスキンケアに興味が全くないどころかそれを憎んである節があり、ある程度有名なアニメ声優ソシャゲを知っていて、それを腐女子なら当たり前だと思っているらしい人間」の事を指します。

自分はあまり(上記基準で語るところの)腐女子ではありません。

アニメなんて今期のアニメ全部チェックしなくても問題ないし、最低限自分好きな物が見れれば作画崩壊だろうが知ったことではないです。アニメのことはオタクと関わるための手段ではなく、自分の中で楽しむものと考えています

ソシャゲだってパズドラ刀剣乱舞くらいしか知りません。ゲームなんてツムツムやポケモンGO問題ないでしょう。それなりに楽しめます

声優もよく分かりません。アニメを好きになったら声優名前も全部覚えなきゃいけないんですか。声がかっこいいなとは思うけど「耳が孕む」とか下品言葉は嫌いです。

萌えキャラだなんだはさらにわけがわかりません。みんな顔が同じじゃあないですか? 周りが話の種にする○○ちゃん、私から見たらなんかそこら辺のちょっと顔の整ったキャラ区別がつきません。というかそもそもの子可愛いのか? 本当に有名なのか? 何がいいんだ? この○○ちゃんとやらの話に何か意味はあるのか? と思います

要するに、私は腐女子から見たらパンピーなわけです。

ここ最近(と言ってもほんの1年前から今まで)、私は腐女子と話す機会が何度がありました。

初めは何気ない世間話から会話が始まります最近天気悪いねとかコロナはやく収まれとか食って痩せたい とか、そういう。

そして何度か交流を重ねていく内に、彼女らの私生活の話になるわけです。腐女子私生活の話なんて、まあCPとか鬼滅とか流行ものの話くらいしかないわけで。そうなってくると私はなんとも言えない気分になります

「あっ、そういえばこの間新しい推しファイルを買って」

「へえ」

「○○のところから新作が出てて、これは今年の覇権で……」

この時点でもう返す言葉が無くなってきます

推し流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように覇権を知ってると思って話を続けているんですから

黒子のバスケだったかハイキューだったか覚えていませんが、まあとにかくそれが流行りなんだと。

からしたら、好きな本読めばいいでしょうとしかなりません。1度そう告げたことがありますが、相手の態度が芳しくなかったのでそれ以降似たようなことを言うのはやめました。彼女らにとってはきっと、推しを決める判断基準覇権という点が1番大事ことなのでしょう。

姦しい声を上げつつピスメだかワンピースだかの話で盛り上がる彼女達の声を聞きながら、私はどうしたものかとそっとマイクミュートにしました。

また別のある時、好きなキャラの話になりました。飛び交う全く知らない名前に混乱していると、会話をしていた相手が私に向かって、

「どのカプが好きとか、ある?」

と聞きました。

ないよ。と返せる訳もなく(この場でカプとか知らない、と答えて場を白けさせたくなかったのです)、顔の見えない通話環境なのをいい事に手元のスマホ画像検索をして適当漫画キャラ名前を読み上げました。正直ジャンプかどうかも自信がなかったですが。

すると相手

「ふーん。その漫画あんまり知らない」

と言われ会話が終わりました。

私はなにか悪いことをしたのでしょうか。自分の好みのカプの話は嬉嬉として話す割に、私が適当とはいえ挙げた漫画の話は知らないで切り上げ。

私がもっとジャンプをしっかりチェックしていて、神絵師も知っていて、アマプラちゃんアニメを見ていた人間だったのならば、あの時の絶妙に居づらい空気はまた違っていたのでしょうか。

そんな経験を経つつも、なんだかんだと彼女達と付き合いも長くなり、多少のコミケ知識程度なら付き合えるようになってきた頃。

彼女達の1人(仮にAとします)の知り合いの話になりました。A曰く、その人は「服が高級感溢れてて嫌味ったらしい。話すことも仕事子供のことばかり。アニメなども全く見ていない。そもそも化粧バッチリな日もある。オサレ陽キャ気取ってて最悪」だと。

私は「私のことを遠回しにディスられているのか?」と思いました。Aからすればそんなことは無いんでしょうけれど。

服装は何を着ても清潔感のある格好ならいいじゃないですか。わざとみすぼらしい格好する必要がわかりません。

話すことも(時と場合によるとはいえ)好きなことを話せばいいじゃないですか。自分無職独身からと言ってAの近況にいちいちムカつかなくていいのでは。

メイクだってだって、好きなようにしちゃダメなんでしょうか?陽キャ気取ってて最悪なんて陰口叩かれるのは心外です。

化粧してるのも肌質の問題や、仕事の都合もあるでしょう。化粧したからといって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室で好きなメイクくらいしたっていいでしょう。

と、私は思ったのですが、周囲の反応は「ありえない」「社会人デビュー乙」という感じで私とは違いました。

この経験を経て、私は「もしかして自分って周りと違うのか?」と悩むようになりました。周りはホモアイドル声優の話が好きなちゃんとしたオタクです。

世間的にちゃんとしてるというだけで、排他するのが普通なのでしょうか? 自分にはよくわかりません。

32歳腐女子の話や京極夏彦を読んだ私の感想は「別にメイクや服や趣味くらい好きにしたっていいでしょう、否定する意味はないよ」です。

金遣いに関しても、好きな物お金使ってるのは結局変わらないでしょう。ソシャゲ課金自分磨き費も過程が違うだけで何かに費やしたという結果は同じですし。貯金の話はまた別として。

から私はちゃんとしたオタクが分からないのです。

長々と書いてしまいましたが、結局は誰が正しいとかもないんだと思いますし、ちゃんとしたオタクと、私のような彼女らが当たり前だと思っているものを当たり前に覚えて当たり前のように好きになれない人間相互理解するのも難しいのでしょう。

私は金は単行本インテリア旅行に使いたいですし、架空キャラ馬鹿みたいに費やすのは無駄に感じます。それは自分に対して無駄だと思うだけで、他人自分に費やすのは全然いいと思いますけれど。そもそも興味が無いとも言います

自分の悪い所…ちゃんとしたオタクの話についていけずいつまでもこんなお気持ち文書いて周囲の同情を引こうというところが本当に悪いところなのか、分からなくなってきました。

自分自分らしく貫けという言葉と、ちゃんとしたオタクにならなきゃいけないという言葉の間で板挟みです。

変わらなきゃいけないんですかね。でも変わりたくなくもあるんですよね。

anond:20200720045841

ちゃんとした女が分からない

オタクお気持ち表明文やらなんやらが最近Twitter流行っているらしいので、便乗して自分お気持ちを語ります

特定されたくないので一部フェイク含みます。半分フィクションだと思って読んでいただければ。

Twitterを見ているオタクの人であればきっと分かるであろう例えで自分を評するなら、自分は32歳腐女子です。通称京極夏彦が書いた方の30歳腐女子でもあります

例えなので別に私自身は32歳でもなければソシャゲ重課金してるわけでもないですが、立場は多分似ています。周りが所謂ちゃんとした女な事も含めて。

ちゃんとした女と言うと語弊がありそうですが、ここで言うちゃんとした女は「メイクファッションスキンケアに興味があり、ある程度有名な女優俳優モデルを知っていて、それを女なら当たり前だと思っているらしい人間」の事を指します。

自分はあまり(上記基準で語るところの)ちゃんとした女ではありません。

メイクなんてそれなりの見てくれになれば問題ないし、最低限整えば使うものプチプラだろうが知ったことではないです。メイクのことは自分を可愛く見せる手段ではなく、社会に出るにおいて文句を言われないようにするためだけの邪魔ものだと考えています

ファッションだってブランドなんてGUCCIPRADAくらいしか知りません。着るものなんてGUUNIQLO問題ないでしょう。十分外に出ても文句言われない格好が出来ます

スキンケアもよく分かりません。名前もよく知らない洗顔剤使って風呂上がりに化粧水ぶちまけるだけでいいと、ここ数年間信じていました。

モデルだなんだはさらにわけがわかりません。みんな顔が同じじゃあないですか? 周りが話の種にする○○ちゃん、私から見たらなんかそこら辺のちょっと顔の整った女と区別がつきません。というかそもそもの子可愛いのか? 本当に有名なのか? 何がいいんだ? この○○ちゃんとやらの話に何か意味はあるのか? と思います

要するに、私はちゃんとした女から見たら無知なガキなわけです。

ここ最近(と言ってもほんの1年前から今まで)、私はちゃんとした女と話す機会が何度がありました。

初めは何気ない世間話から会話が始まります最近何のアニメ/ソシャゲ/漫画見てる? 前描いてた絵がさあ〜、あの動画みた? とか、そういう。

そして何度か交流を重ねていく内に、彼女らの私生活の話になるわけです。歳若い女私生活の話なんて、まあメイクとかファッションとか流行ものの話くらいしかないわけで。そうなってくると私はなんとも言えない気分になります

「あっ、そういえばこの間新しいコスメと服を買って」

「へえ」

「○○のところから新色が出てて、これは今年の流行りの色で……」

この時点でもう返す言葉が無くなってきます

色に流行りとかあるんですか? なんて聞けるわけないです。相手は当たり前のように流行色を知ってると思って話を続けているんですから

マカロンカラーだったかシャーベットカラーだったか覚えていませんが、まあとにかくそれが流行りなんだと。

からしたら、好きな色着りゃあいいでしょうとしかなりません。1度そう告げたことがありますが、相手の態度が芳しくなかったのでそれ以降似たようなことを言うのはやめました。彼女らにとってはきっと、服の色を決める判断基準流行色という点が1番大事ことなのでしょう。

姦しい声を上げつつコスメだかワンピースだかの話で盛り上がる彼女達の声を聞きながら、私はどうしたものかとそっとマイクミュートにしました。

また別のある時、好きなモデルの話になりました。飛び交う全く知らない名前に混乱していると、会話をしていた相手が私に向かって、

「どのモデルが好きとか、ある?」

と聞きました。

ないよ。と返せる訳もなく(この場でモデルとか知らない、と答えて場を白けさせたくなかったのです)、顔の見えない通話環境なのをいい事に手元のスマホ画像検索をして適当に好みな女性名前を読み上げました。正直モデルかどうかも自信がなかったですが。

すると相手

「ふーん。その人あんまり知らない」

と言われ会話が終わりました。

私はなにか悪いことをしたのでしょうか。自分の好みのモデルの話は嬉嬉として話す割に、私が適当とはいえ挙げた女性の話は知らないで切り上げ。

私がもっとインスタをしっかりチェックしていて、美容アカウントも知っていて、テレビちゃんドラマを見ていた人間だったのならば、あの時の絶妙に居づらい空気はまた違っていたのでしょうか。

そんな経験を経つつも、なんだかんだと彼女達と付き合いも長くなり、多少のデパコス知識程度なら付き合えるようになってきた頃。

彼女達の1人(仮にAとします)の知り合いの話になりました。A曰く、その人は「服がガーリー系で大人っぽくない。話すこともアニメ流行りのソシャゲのことばかり。メイクなども流行り色全く入れてない。そもそも化粧してない日もある。ダサい陰キャだし最悪」だと。

私は「私のことを遠回しにディスられているのか?」と思いました。Aからすればそんなことは無いんでしょうけれど。

ガーリー系の服に何か問題があるのでしょうか? 大人からといって大人びた服装をするのは必須ことなのでしょうか?

話すことも(時と場合によるとはいえ)好きなことを話せばいいじゃないですか。Aもオタクアニメソシャゲをやっているのだから、気にしなくていいのでは。

メイクだってだって、好きなようにしちゃダメなんでしょうか? 流行り色に囚われなくても死ぬ訳じゃあるまいし。

化粧しないのも肌質の問題や、昨今のことですしマスクの都合もあるでしょう。してなくたって誰に迷惑がかかるのか。というかオンライン環境らしいですし、自室でメイクかめちゃくちゃめんどくさいですよ。着替えてるだけで偉くないですか。

と、私は思ったのですが、周囲の反応は「ありえない」「アニメしか見てねえのかよ」という感じで私とは違いました。

この経験を経て、私は「もしかして自分って周りと違うのか?」と悩むようになりました。周りはファッションメイクモデルの話が好きなちゃんとした女です。

ちゃんとしていないというだけで、排他するのが普通なのでしょうか? 自分にはよくわかりません。

32歳腐女子の話や京極夏彦を読んだ私の感想は「別にメイクや服や趣味くらい好きにしたっていいでしょう、否定する意味はないよ」です。

金遣いに関しても、好きな物お金使ってるのは結局変わらないでしょう。ソシャゲ課金自分磨き費も過程が違うだけで何かに費やしたという結果は同じですし。貯金の話はまた別として。

まあ、正社員になりたがらなかったり歳下とこの時期にオフ会したりするのはなかなかだと思いましたが、その辺以外は別に何か言われるようなものでも無いんじゃないか? と。

から私はちゃんとした女が分からないのです。

長々と書いてしまいましたが、結局は誰が正しいとかもないんだと思いますし、ちゃんとした女と、私のような彼女らが当たり前だと思っているものを当たり前に覚えて当たり前のように好きになれない人間相互理解するのも難しいのでしょう。

私は金は同人誌やグッズや遠征費に使いたいですし、どうやっても自分以外になれないものに費やすのは無駄に感じます。それは自分に対して無駄だと思うだけで、他人自分に費やすのは全然いいと思いますけれど。そもそも興味が無いとも言います

自分の悪い所…ちゃんとした女の話についていけずいつまでも子供らしいところが本当に悪いところなのか、分からなくなってきました。

自分自分らしく貫けという言葉と、ちゃんとした女にならなきゃいけないという言葉の間で板挟みです。

変わらなきゃいけないんですかね。でも変わりたくなくもあるんですよね。




追記1:

30の女の話だとは〜等色々な反応があったので、答えられる部分は追記しておきます

私の年齢は21です。例として挙げた32歳腐女子とは年代も違えば環境とか考えた方も違うでしょうし、並列として語るのはおかしかったかもしれません。すみません

ちゃんとした女という言葉を用いた理由としては、彼女達がメイクファッションに興味が無いのはおかしい、と言ったようなことを語っていたので…。なら私は普通でなく、ちゃんとしてないのか? と思い、そういう表記しました。

ちゃんとした女の例として挙げた人達は、(一部はリアルでも友人関係の人もいますが)ほとんどはネット上だけの付き合いの友人です。

元々某アニメファンという繋がりでTwitterで話をしていて、そのうち他人行儀な態度がなくなり、私生活の話を話題に持ち込むようになった…というわけです。

今でもそのアニメの話をしている時等は楽しく話せていますし、彼女達の事を嫌いだとかそういうことは思っていません。メイクの話等もその話を心底辞めて欲しいと思っているわけでもないです。ただなんとなく、価値観にズレを感じ心苦しいのです。

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