はてなキーワード: 所謂とは
私自身が理系萌えで工学部に進んだものの、憧れと自分がそれになりたいかは違うことに在学中に気づいて就職時に専攻から離れた人間なので、他人事とは思えなくてね…
とりわけ情報系の男性が好きだったが、私の場合はお付き合いとか結婚とか、増田よりもう少し推しに近づきたい願望があった。
そうなったときに専門が同じだと、お互いの専門への思いの熱さが災いして、どの実験手法を採用するかとかで軋轢が生まれ、離婚の危機とかになったら嫌だなあ…と妄想して、
非情報系の専攻にしたのも良くなかったと思う。(方向性は違うけどかなり拗らせていた)
大学の専攻も学問としては面白かったが諸処の事情で仕事にしたいとは思えなくなってしまった。
で、いくつかの転職を経て叩かれがちな所謂職業プログラマになったけど、これが思ったより自分に向いていて、
今は理系男子よりも、とは言わないけれど理系男子と同じくらいプログラミングが好きなので充実した日々を送っている。
同時に、18のとき妙なことを考えず、普通に大学で情報系の専攻に進んでおけばどれだけ良かっただろうと後悔したし、情報科出てないコンプレックスは今も消えない。
思えば、普通に自分自身が好きなものと向き合って極めようとする過程で挫折することへの恐怖心が強く、
「理系男子萌えが理由で自分も理系になっちゃう私マジヤバイ女~」というメタ的視点に立つことで自分を守ろうとする意識もどこかにあったと思う。
別に増田がそうだとは言わないけれど、私はそれで自分が本当に好きなものを見つけるまでに30超えてしまって人生遠回りしたので、もし増田にもそういう部分があるなら自分を省みるのは早い方がいい。
親に頭下げて転科/文転が可能ならそれもいいし、学生やり直すのが現実的じゃないなら、就職時は分野を変える大きなチャンスだし、第2新卒ぐらいまではまだまだ全然やり直しもしやすい。
増田は人生を楽しむ力が強そうなので、別に今のままでも上手く生きていけそうな気はするけれど、ちょっと似ているババアからの小言でした。
というか増田は、勉強と違って仕事なら楽しめる可能性も大いにある。研究職は知らないけど、一般的な仕事なら良くも悪くも大学の勉強とはベクトルが違うから。
コピペチンパンジーはFizzBuzzを知らないしたぶん解けない。
この知らないというのが本当にヤバくて、普通プログラマとして飯を食ってたらFizzBuzzくらい知ってるじゃん?
解いたことはなくてもなにかしらの技術記事で触れたりするじゃん?
知らない。
コピペチンパンジーなんだから人間よりググってるはずなのになぜ…?
0から100までの数字を表示する。3で割り切れるならFizzと表示する。5で割り切れるならBuzzと表示する。3と5で割り切れるならFizzBuzzと表示する。
と言われたらたぶん実装してくるし、それで動くからOKを出してもらえる。コピペできるから。
でもこうだと実装できない。
1から999までの数字を表示する。5で割り切れるならDogと表示する。7で割り切れるならCatと表示する。5と7で割り切れるならBirdと表示する。
「自分で考えて作ってみる」ことが、コピペチンパンジーは、マジで、できない。
コピペしてからキーボードを叩くので、猿が書くシェイクスピアより人間が書いたっぽいものに仕上がっているだけなのだ。
プログラミングで何かを作る際には、当然だけど厄介で難しい部分があって、所謂「自分しかメンテできない」状態のコードがどうしても出来上がってくる。
それじゃ困るので、コメントもひときわ丁寧に書いているし引き継ぎ資料も作っている。
たまにマンツーマンで教える必要があったりもするが、ちょっとイケてるプログラマが相手ならばバトンを手渡すことができる。
彼は「誰でもその箇所を引き継げる」ことを、努力目標じゃなくて達成すべき項目と考えている。
いや、無理でしょ…。
厄介で難しい箇所は、どう噛み砕いたところで、厄介で難しいから、厄介で難しいのである。
突破するために必要なのは「知っているか、知らないか」ではなくて「考えられるか、考えられないか」なので、
いくら知識を残したところで、人間にはできるがコピペチンパンジーにはできない。
ましてや普通レベルのプログラマでは手に負えない箇所を、どうしてFizzBuzzを知らないコピペチンパンジーが…。
「いや、無理でしょ…」が今のPLには不誠実な態度に見えているようだ。自分しか知らない情報を独占している、と受け取られている。
他の人に教えているのはノーカンらしい。
コピペチンパンジーを差別していると言われてしまえばそうかもしれないが、でも、コピペチンパンジーはマジでコピペチンパンジーなのでマジでどうやって教えてもいや、無理でしょ…コピペチンパンジーだから…。
ネット上の会社の悪評を見つけて対策する仕事(所謂エゴサーチ)してるが、フェイスブックでウチの会社の社員を名乗って色々変なこと書いてる野郎を発見した。
この野郎を放置してると、「●●の社員が、こんなヒドイことをフェイスブックで言ってる!」と悪評が立ちかねないので、なんとか対策したいのだが、どうすればいい?
ダメもとで、そいつに「あなた、ウチの社員名乗ってますが、本当ですか?社員名簿にありませんよ?」と警告メッセージ送ったが、黙殺された。
で、これが一番問題なんだが、フェイスブックは「自分の成り済まし」「友達の成り済まし」に対して報告するフォームは存在するが、「勤務先の成り済まし」を報告するフォームが存在しない。
「プロフィールが、規約違反である」という報告ボタンはあるので、そこをクリックしたが、その後に「どのように、オカシイのか?」を記入する自由記述欄が存在せず、いきなり報告となった。
案の定、「プロフィールに違反は確認出来ませんでした」という定形文が戻ってきた。
フェイスブックは日本事務所のメアドも電話番号も非開示だから、この野郎をフェイスブックに告発する手段が閉ざされてる。
どうすればいい?
正確に言うと、自分の祖母と母が同時入信なので、世代で言ったら3世。実質的には2世だから、カルト2世ということにさせていただく。
「カルト2世」を知らない人のために軽く説明すると、親が新興宗教(≒カルト宗教)の信者である人のことを指し、本人の意思とは関係なく(生まれる前から信者のことも多い)、彼らは戸籍を作るように、宗教に入会している。
自分はほとんど生まれた頃からの信者で、二十余年間、現在に至るまでとある新興宗教の会員である。母の紹介で父と自分は入会しているが、父も自分も今はほとんど集会に参加しない。ペーパー会員のようなものである。これは当然宗教によるのだが、自分が入会している宗教はかなり緩く、会費さえ払えばそれ以外の制約がない。毎週集会に参加しろとかは一切ない。正直ファンクラブくらいのノリである。
自分は中学から大学入学まで、結構熱心な信者をやらせてもらっていた。うちの宗教には例えば進路とかで迷ったときにお告げみたいのをもらえるシステムがあって、そういうのをよく利用させてもらっていた。みんなも経験があると思うのだが、本当に迷ってしまったとき、誰かに助言をもらえるって言うのは結構ありがたいことだ。原理としては占いに似ていて、法に抵触するようなことを言われない限り……まあこれはちょっと大げさにしても、あまりに自分の信念と反するようなことを言われない限りは、そういうのに従ってみるのもありかな、みたいなマインドに陥る。そもそも、自分の信念がちゃんとしているような人間は宗教には嵌らないんじゃないかと自分は思う。歴史上、いつだって宗教は迷える人のために寄り添ってきたものだ。
だから、自分は宗教というものそのものを否定しようとは思わない。問題は、カルト2世、信教の自由守られてますか?ということだ。
自分の母は、(あえてこういう言い方をするが)ズブズブなので、自分(当増田のこと)が抜けるなんてことは考えも及ばない人間だ。一度、辞めたい(次回の更新を飛ばしてくれ)と言ったら、「今までどれだけ助けてもらったと思ってるんだ、恩を仇で返すつもりか」とそれはそれはものすごい剣幕で怒鳴られ、挙句の果てには体調を崩してしまったことがある。自分が数十年信じてきたものを否定された母の心情は察するにギリ余らない程度だが、そうはいっても、母が言ってることは、1割くらいはわかってしまうのが大変辛い。確かに、今まで自分は救われてきたのだ。多分。しかしそれは過去の話でこれからの信仰を約束するものではない。そんな自分の考えは間違っているだろうか。その後も何度も話し合ったが、平行線だ。
以前、うちの宗教には(例えば)8時前に起きなかったら一日上手くいかない、みたいな教えがあるんだけど、就職活動中、ほとんど8時前に起きなかったことに言及し「8時前に起きなかったから就活ほとんどうまくいかなかったのよ」と母がおっしゃっていた。確かにそうかもしれないし、早起きは三文の徳とかいう言葉もあるくらいだから、その可能性は否定できないけど、別にいいじゃんか。(実際、自分は大手の企業から内定を頂けた。就職活動がすべて失敗していたら母の言い分も分かるが、そうでもないので母の意見には賛同しかねる。それに、自分の記憶が正しければ、内定貰った企業の最終面接の朝も確か10時くらいに起きた。)こういうところが、マジでクソだと思う。
母は猛毒親ではないが、ミニ毒っぽさはあるので、当増田のことを所有物だと思っている気がある。自分の思い通りにならないことは気に入らない性格なので、そういうのも込みで、自分が脱会するのを阻止したいのだろう。
父は母に連れ込まれる形で入会したが、父もこの宗教に救われたという体験があったので、「何かあったときに頼れる存在は貴重だ。脱会してしまえば、いざ、本当に困ったときにどうしようもなくなっちゃうよ」と言ってくる。質問なんだけど、みんなはそういう経験に陥ったときどうするの?orどうするつもりなの?特に日本は無宗教の人が多い。自分は今の宗教がインストールされた状態で生まれてきてしまったので、そうじゃない世界を知らない。マジでみんな、どうしてるの?
自分が脱会を望んでいるのは、「カルト2世だという事実」が辛いから、そして、別にこの宗教のことを今信じていないので、会を継続している必要がない、ということである。まあ、信仰を捨てるみたいな大げさな形になってしまうんだけど、そもそも自分の意思で拾ったわけでもないものを、継続しておく必要性が全くわからない。はたから見たらみなさんはどう思われるのだろう……
残念なことに現在自分の会員証を管理しているのが母なので、このままだと永遠に自分は脱会することができない。やろうと思えば本気になって探して、燃やすなりなんなりしてしまえば良い。現行のシステム上再入会が難しいとのことなので、脱会は成功するだろう。
しかしながら、多分それは親との決裂とか、そういうことを意味するものである。ミニ毒であっても親は親なので、正直、決裂すんのもダルいわな、とも思う。
しかも、恐ろしいことに、母は「今やめたらあなた大変なことになるって〇〇さん(信者)が言ってたわよ」って言ってくる。おいおいおい、本当にそうなったらどうしてくれんの。新興宗教、マジでこういうところがヤバすぎる、宗教そのものよりも、宗教にどっぷりいってしまった信者の方が数億倍も恐ろしい。
悲しいことに、自分も伊達に二十数年間新興宗教の人間やってないし、大学入試までの人生、お告げ通りにやってきてしまったので、「マジで最悪の場合命落としたらどうしよう」と思ってるのだ。信者の方が恐ろしいってこういうこと。そんなに覚悟がないんなら、辞めずにペーパー継続したら?って感じもするので、もうどうしたらいいかわからん。
ケロっと無宗教やるか、脱会して天涯孤独になってワンチャン命落とすか、これからもぼんやりとカルト2世続けるか。できれば無宗教やらせてもらいたいので、とりあえず会員証探しに奮闘することにする。
「自分を恋愛対象・性的対象にしない男が好き」って、割と女の中ではよくある志向だよね。
自尊心が低くて「こんななんの価値もない女=自分を好きだなんて言う男は気持ち悪い」「どうせヤリたいだけだろ」と拗らせてるのも多いから。
つか「おじさん好き」ってそういう人が多い。「若い男は絶対に身体を求めてくるけど、おじさんならそうではない人もいるんじゃないか」と夢見てしまってる。
一昔前にカレセンとか言われたのも大体そういうタイプだったような。
そんなの所詮幻想で、年食うと「おじさんだろうと身体を求めない男なんかいねえ」って事に気付くんだけど。
腐女子もそういう所があるし、腐でなくてもゲイ好き女(所謂おこげ)ってのもそうだろう。
アイドル好きなんかも「相手が自分と付き合う可能性はゼロ」ってところでむしろ安心できるって人がいたりする。
おじさんな年齢になった芸能人が二回り下の女と結婚してショック受けて気持ち悪いと言ってる女も
「お前はそういうタイプじゃないと思ってたのに、お前も若い女に性欲抱く普通のおじさんだったのか!裏切られた!」みたいな心理があったり。
二次元好きも同じ。
そういうちょい拗らせおじさん好き女性を見て「おじさん=俺とセックスしたいと思ってる若い女がいる!」ってチンコおったててるおじさんを見ると
絶望的に食い違ってんな…と思う。
権利勾配がある中で恋愛は成立するのかって話が何故おっさんキモいになるのか。
あの増田のおっさんは確かにキモかったけど、それはおっさんだからではなくて、権利勾配とか難しい話を無視して俺が好きなんだから俺の好きにやらせろって主張してたからキモかったの。
あと、増田がおっさんのことをキモいと思うのは勝手だけど、そう思わない女性だっている。
増田が傷つけているのはおっさんじゃなくておっさんのことを好きになった女性だから。
そりゃ所謂枯れ専はマイノリティかもしれないけど、マイノリティに対して気を使うことのできない人はこれからの時代いらないよ。
一般的に女性を嫌悪しているとか、女性を蔑視していると主張する人は「じゃあお前は誰の腹から生まれたか言ってみろ」と怒られる。
確かに全ての生き物は母親から生まれる。出産というのは本来命懸けの大行事なので、全ての母親は母であると言うだけで尊敬されて然るべきだと思う。
母親というだけで何もかも許される、とまでは言わないけど、全ての人は自分を生んでくれた人にありがたいという気持ちはあるんじゃないだろうか。そこで母が親としてちゃんと自分を育ててくれたかどうか、はまた別の問題だけれど。
それはともかく、自分は女性に対して色眼鏡をかけて見ている、という自覚がある。自分はジェンダーフリー教育を受けた覚えが無いので、男らしい・女らしいという概念が自分の中にはある。男と女は違う生物だ、と思っている。
男性と女性では体の造りも何もかも違うし、男性の中で育ってきた男性と、女性の中で育ってきた女性では価値観も何も違うだろうと思う。衣服に関しても性別で分けられている事が多いし、少なくとも同性と同じようには見れない。
「おけけパワー中島」とか、「普通の人でいいのに!」のとか、女性向けのあるある話というか、エッセイ漫画を読んでも理解出来ないな…と思う事が多かった。理解出来るから嫌いとかではなく、何もかも理解出来ずよく分からなかった。
多くの女性がジャニーズなどのアイドルや顔の良い俳優に夢中になる理由もあまり分からない。こういう話は、性別を逆にすれば女性も「何故男はAKBなど若い女に夢中になるのだろう?」と思うのでは無いだろうか。
自分には、女性が男性を好きになる感覚が、どうしても理解出来ない。逆に、男性が女性を好きになる感覚は分かる。男性の事はある程度理解や共感が出来る気がするけど、女性の事となると理解や共感が出来ない事が多い。
女性が手がけた創作物も楽しめない事が時々ある。楽しめる事も結構ある。「この人は良く男性を客観的に見ているなあ」と感心する事もあるし、「女の考えている事はよく分からないなあ…」と困惑する事もある。
そう思う中で、自分には生理的にどうしても許容出来ない事が一つある。女性が自分の事を男性だと偽ったり、逆に女性である事を隠しもせず所謂「男性が好むジャンル」に足を踏み入れてくる事が、どうしても自分には耐えがたい。
例えば更衣室やお手洗いは基本的に性別で分けられている事が多い。それは、性別で住み分けを行わないと何らかの不都合が発生するからだと思う。もしかしたら将来的に統一されるかもしれないけど、当分はこのままだろう。
男性に好まれる物も、女性に好まれる物も、お互いそんな風に不可侵であったのではないだろうか。男性人気のある物をこっそり楽しむ女性も、女性人気のある物をこっそり楽しむ男性も居たと思う。大きな声はあげず、こっそりと。
まあ、そんな不可侵なんて物は初めから存在しなかったのかもしれない。人気漫画家の高橋留美子先生が『週刊少年サンデー』で作品の連載を始めたのは40年以上も前の事だ。大昔から「男性が好むジャンル」に女性は居た。
ただ、自分と違う「女性ならではの感性」「女性文化の中で育ってきた」人間を男性向けのジャンルで見る事は、自分には何だか違和感がある。面白さとはまた別に、この人は男の事をよく分かってないんじゃないだろうか、と感じる。
自分は性差の存在も強く信じている。女に男の事は分からないだろうし、男も女の事は分からないだろうと思っている。自分には女性の生理や出産の辛さが分からないのだから、女性だって男性特有の生理現象については分からないんじゃないか?と決めつけている。異性には本当の意味で「異性の悩み」なんて分かる事は無い、同性だからこそ強く分かる事がある、と考えているし今後も中々変わらないだろうから、自分は男女差別者であると思う。でも女性は好きです。
【追記】
男です。男らしいかはともかく。
友川=綾城のような所謂『神絵師、神字書き』ポジションの人物に並々ならぬクソデカ感情を抱く立場のキャラクター
みたいなふわっとした感じで、結構な数の人が私は友川だな…いや友川みたいに頑張れてないけど… といった反応をしていたのをよく見た記憶がある(記憶違いかもしれない)
けれど友川という女は、そんな我々地獄の住人すべての魑魅魍魎を兼ね備えていただろうか もっと清廉として無垢な存在ではなかっただろうか
似ているなどと言うのは自意識過剰も甚だしいお門違い、ちゃんちゃらおかしい集団幻覚であると思う
そもそも貴方が友川なら 元々居る友達と馴れ合うのに忙しくて成長などしないだろう
そもそも貴方が友川なら 綾城を追い求めたい人物ではなく『到底手の届かないコンテンツ』として見るだろう
そもそも貴方が友川なら あそこで誰かしらに焼きマシュマロを送っている、もしくは正論で叩ける素材がないか血眼になって探すだろう
そんな貴方が友川なら、それはもう友川ではないだろう
この話はそんな貴方が友川であると仮定した時、貴方は『友川オルタ』であるだろう と主張する私による熱を出した日に見る夢みたいな話だ
上記の話がいやそうでもないな…という方は普通に純血友川だと思うので読まなくていい話です 他の記事を読んでください
まず友川にとって綾城は「到底手の届かないところにいる、けれど惹かれる人物」だ
そして貴方にとって綾城は「ギリ手の届く範囲にいてなおかつ尊敬に値する人物」だ
この違いは、読めばわかるとは思うが要するに登場人物か、読み手(神視点)かどうかの違いだ
この物語の終わりに友川は綾城に手が届いた それを知っている貴方にとって綾城は、『とてもすごい人だが何らかの奇跡(この場合友川の努力)によってなら手が届く対象』でしかなくなった
そういう対象が現実世界に存在するならどんな人物か、これは絵描きにのみわかりやすい表現になってしまうが『好きな人で片思いフォローをしていて、フォロバは帰ってこないがたまにRTやいいねが飛んでくる絵ウマ人』、または『好きな人で相互だが明らかに実力に差があり、なぜフォローをしてくれているのかわからない けれどたまにいいねはくれるしTwitter外での交流(乱入OKの絵チャとか通話)はおそるおそる行ってみることができる絵ウマ人』といった人物だ
相互である時点で後者の方が当てはまりやすいかもしれない、だが長期的に見れば前者も充分に可能性はある ジャンルが変わった頃にしれっと別垢で繋がれる事もあるのだから
貴方はそういう対象にある日突然スイッチが入って『好き!』になる事があるのだ
勿論貴方の観察眼が鋭いのであれば、ある日と言わずインターネットの海で出会った瞬間に『好き!』となるだろう これが友川に起こった現象に似ている上に混ざることもあるので実にややこしいが 勿論本件の貴方のものと友川のものは全く違う
貴方の『好き!』の瞬間には短時間で実に巧妙で打算的な判断がある それは
「到底手の届かないところにいる」か、
「ギリ手の届く範囲にいる」かどうかだ
もし貴方が前者であると思ったなら、それは相手を「コンテンツ」として見る事が決定した瞬間だ、貴方は昨今創作者に忌み嫌われる「創作者を、創作物を生み出す機械として扱う人でなし」になる ただ人によっては「コンテンツ」に感情移入し優しい言葉をかける奇特な方も居るが、そんな人も大抵暫くしたら飽きてポイしてしまう
それは貴方が『友川オルタ』として、魑魅魍魎の名に恥じない大惨劇を見せてくれることが決定した瞬間だ
好きな人が手の届くところに居る、話しかけたら親切に返事をしてくれる程度に程よい距離に居る、そして心も 手の届くところにあるという 確固たる自信があなたにはあった
その人が好きだ、どうしようもないほど好きになった、何故好きになったのかなんて些事にすぎない、きっかけはその人の作品なのだから その人の作品が何より好きなのだ
頭の中があの人でいっぱいになる なんでも許せる気がする 偶の陰鬱な愚痴も、優しい言葉で包んであげたくなる 不安げに投票機能で皆の反応を伺っていたら 空中リプライで貴方の選択が何より正しいと示してあげたくなる 収入があればある程度であれば貢ぐのもやぶさかではない、勿論感謝なんて必要ない 何かを捧げるだけで嬉しい気持ちでいっぱいになる それだけで十分元は取れているのだから……
さて、ここで相手がどう出るかによっては あなたの目論見は上手くゆかれないことになる その鍵となるのはその相手が「過去貴方のような人間に人生か心をぶち壊された、または危ないところまで行ったか 否か」だ
もし相手の人生が豊富なら 相手は貴方を拒絶するだろう もちろん貴方がそんな相手も騙し通せるほど人心掌握に長けているのなら 落としきることも不可能ではないだろうが
そしてこの相手の判断がその人にとって最後の砦になる 何から守る砦なのかというと、勿論貴方だ その人を頭から食らって骨までしゃぶる準備万端の 化け物から守る砦だ
そしてその砦が破れ、相手が貴方に心を開いた瞬間 それが終わりの始まりになる
何が起こるのか、ここまで読んだ方なら オチも何となく察しがつくだろうと思うが、ヒントは貴方の「到底手の届かないところにいる」相手への反応だ
そう、いずれ飽きるのだ
そこまでして傾倒した相手に飽きる、場合によっては嫌うこともある そうなれば地獄度は増すがちょっとズレるのでそれは置いておいて
なぜ飽きるのか?という話だ そんなに好きだったのに貴方は何故 一瞬にして尊敬すべき相手への興味をなくしてしまったのか 無視、ブロック、垢消しなどで相手を大なり小なり傷つけてでも逃げようとするのか
別の人が好きになったということもあるし、単純にジャンルが変わることもある、時にはSNSすら触らなくなることだってある
だってしょうがないじゃないか、あの人は「貴方に好かれているという立場にあぐらをかいて 特段貴方を繋ぎ止めようとはしていなかった」のだから、引き続き好いていようと、離れようと個人の自由だ
「私がなにかしたの?」と言うその言葉すら鼻で笑えてしまうほどにほとほと興味も尽きてしまった、ただそれだけの話
そうして貴方は、本当に手が届いてしまった「好き」の回数だけ相手に飽きてちいさな地獄を作ってその屍を背に生きていく まるで化け物だ この話のはじめに出した「友川」なんてかわいらしい年端も行かない聖処女のようだ
そんな貴方が「この話に感情移入するなら友川かな……あ!勿論こんなに頑張れるようなすごい人じゃないけどね……」と言っている
もう一度言うが ちゃんちゃらおかしい、自意識過剰も甚だしい、幻覚を見るのならもう少し現実を混ぜた方が幸せになれるというものだ
……ただそれでも貴方が「友川」であると言うのなら まさしく『友川オルタ』の名前が相応しいだろう
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
はてな匿名ダイアリーやTwitterでよく腐女子の愚痴を目にする。
或いは萌え語りなのだろうか。傍からだとどちらも同じような物に見えるし実際似たような物だろう。
やれ「受け攻め固定」だの「リバは地雷」だの「逆カプは死ね」だの過激な意見ばかりが目に入る。
そんな中でも特に興味を惹かれた言葉がある。「顔カプ」という、所謂「顔が良い」キャラクター同士の組み合わせを指す言葉だ。
この言葉の対義語が「公式カプ」で、原作で接点があるキャラクター同士の組み合わせを指すらしい。
腐女子の間でもこの「顔カプ」派と「公式カプ」派は仲が悪く、顔カプ派は公式面する公式カプ派が憎く、公式カプ派はただ容姿が良いだけのキャラをくっつける顔カプ派が憎いらしい。
ここで思う事がある。「公式カプ」派はうちの子達は公式でイチャイチャしてるから、公式カプだから、顔が良いからくっつけちまえってあいつらにわかとは違うから、なんて愚痴をよく言う。Twitterでも簡単に読める。
だがよく考えるまでも無くその「公式カプ」も原作でゲイのカップルという訳では無く「友人」「兄弟」「ライバル」「同僚」など単に付き合いがある相手というだけだ。恋人や片想いの相手、伴侶が居るケースも非常に多い。
好きなキャラの性愛を向ける対象を勝手に捻じ曲げて勝手に性欲狂いの変態キャラにして一体どこが「公式」だと言うのだろう…?
やっている事は男性向け二次創作でエロ展開のためにキャラの性格を全く別物に変えてしまうのと一緒ではないか。どこが違うのだろう。
それと萌え語りだか何だか知らないけど検索避けもせずに下ネタ垂れ流している腐女子は本当に多すぎるよ。腐女子は恋愛とセックスの事しか頭にないのだろうか。それで人生楽しいならそれはそれで羨ましいと思う。
単に自分が興味のない性的嗜好を大声で語っている集団が居るというだけでも鬱陶しく思ってしまう物だけど、腐女子の下ネタツイートを見ていると如何に下品な事を言えるかのチキンレースでもしてるのかとさえ思ってしまう。
愚痴だの毒吐きだのフェミニズムだのミサンドリーだのポリコレだのLGBTだの腐女子に関係する要素はもう何もかも嫌だ。気が付いたら腐女子その物に対する不満になっていた。まあ良いか。
助けて欲しい。
やりたいことやれる会社に2年前転職して、最初は何するのもやりがいあってやる気に満ち溢れてたけど、今は何するにもつらい。
〇原因(なんとなく自分で予想してる部分)
①やりたいことはやれてるが、キャリアが見えない
→役職としては固定して決まっておらず、ビジネスサイド業務の広い範囲でプレイングマネージャーとして働いている。でも、何かに特化しているわけではないので、所謂器用貧乏になっているように感じる。
→自分がこのまま何にも特化できないまま、キャリアを歩んでいくのが怖い。でも責任があるから何かに集中させて欲しいなんていえない。
やっている事業自体は自分がやりたいことだけど、自分の能力が追いついていない、伸びていないと感じる。そしてそれに対してどう対策すれば良いか分からない。
→これを言ってしまうと元も子もないが、正直こう感じてしまう。自分は事業の数値含めた管理を任せられているが、トップダウンで決まった目標が途方もなさ過ぎて達成できる見込みがない。でも数値責任は私にあって、大きく未達する見込みがあると詰められる。つらい。
自分なりに色々考えてはみているけど、どうやっても今の予算だと数値達成できない気がする。
→みんなの前では立場上頑張ろうと鼓舞する側にまわっているが、内心やれるはずないと思いながら苦しんでいる。土日も仕事のことがずっと頭にあって、心から休めない。こわい。
→土日も常に仕事のことで何かインプットなりアウトプットしないと、ダメ人間になっていく感覚が強くて、1日だらけてしまうと強い自己嫌悪に陥る。
自分はこういう仕事に向いていないだけなのか。やりたいことをさせてもらってる分、贅沢な悩みだと思うけど本当に毎日辛くてどうすれば良いかわからない。
別に大した事があったわけではない。
自分には恋愛感情や、所謂「母性」と呼ばれる様な物がない。子供や何かを育てたり世話したり守ったりしたいと思った事がない。子供が欲しいと思った事もない。
フィクションの恋愛描写や、現実の恋愛話にときめいたり共感した事もない。
自分が生まれ育った家庭は、自分にとってそんなに悪い環境ではなく、成人した今でも、周りに幸せなご夫婦やご家族がいて、友人も幸せな家庭を築いている。それが自分も嬉しい。カップルであれ夫婦であれ親子であれ、幸せでいてほしいと思う。
でも羨ましいとか、そうなりたいとは思わない。
以前実家に帰った際、両親と何度目かの「結婚・子供についての話」をした。
その時、上記の様な事を両親に初めて伝えた。その理由としては、両親に本当の事を芯から説明し、知ってもらった方が、両親の諦めがつくと言うか、結婚や子供の事で余計な心配をかけ続けなくて良くなるのでは?と思ったからだ。
「何でそんな事を言うの?」が母の最初の返事だった。「私達が悪かったの?」がその次の言葉だった。
悲しそうだった。自分としては意外だった。まず、そんなに大きな反応をされると思っていなかった。「子供が欲しくない」がどうかはともかく、「恋愛感情がないこと」は実際“極めて少数派”なんだろうなと自分でも思っていたから、驚かれるかもなと思っていた。でもああいう反応をされるとは思っていなかった。
「別に誰が悪かったとかではないよ、持って産まれた自分の個性だから」とか何とか言って母を宥めた。それは自分の本心でもあった。
父は終始黙り混んでいた。考え込むようにして俯いていた。
その後の滞在期間中、二人とも自分に結婚や子供について何も言わなくなった。でも何だか二人とも憂いているみたいだった。
多分、自分の両親には本当に理解を得られたわけではないんだろうなと思う。まあそれでも、両親も今ではもうそこまで思い詰めてはいないし、自分も自分の生きたい様に生きていこうとは思っている。
私はこれからジャニーズJrのデビューについて否定的な意見を書くが、この内容について否定も肯定も求めていない。もしこれを読んでくれる人がいれば、1人のオタクの一意見として「こんな考え方の人もいるんだな」くらいのスタンスで読んでくれると嬉しいし、「どうして自分は自担にデビューして欲しいのか」を考えるきっかけになればいいなと思う。
今まで色んなジャンルのオタクをしてきたがジャニーズのオタクをするのは今がはじめてだ。自粛期間中現場がなくなり暇になったので、なんとなくジャニーズJrチャンネルを垂れ流しにしていたら自担と出会った。いい歳した大人が年下の男の子に向かって可愛い可愛い言うのは流石に恥ずべき行為だと思うし申し訳なくもなるが(主に自担や親に対して)、自担は可愛いのでしょうがない。
今まであまり話したことのなかったジャニオタのリア友とも仲良くなれたし、インターネットを通して新しい友達もできた。
ジャニオタとジャニーズJrの話をするのはとても楽しいが、少し疑問に思ったことがある。それは、タレントもオタクもデビューに対して固執しすぎではないか?ということ。"デビューしなければならない"みたいな風潮に私は少し困惑しつつ恐怖さえ覚えた。
私は自担にデビューして欲しいとは思わない。その理由はいくつかあるので、それを書いていこうと思う。
これが一番の大きな理由。デビュー組とJrの違いがCDを出しているか出していないかくらいにしか感じられない。Jrでも雑誌の表紙を飾ったり、テレビに出たり、大きな会場で単独コンサートをしたり、デビューしている人より人気のある人だっている。まあ、確かにCDが出たら嬉しいが、CDが出るくらいしかデビュー後のメリットが無いような気がする。やっていることはデビュー組と同じなのに、わざわざ必死になってデビューに固執する必要があるのだろうか…?
・現場が減るのが嫌
テレビに出る回数が増えるより現場が増えた方が断然嬉しい。私は自担が所謂"舞台班"になってくれて全然構わないしその方が現場が増えて嬉しい。
自担は"推され"ではない。今でさえグループ内格差は大きいのに、きっとデビューなんてしたら今以上に推されなくなるだろう。まったく抜かれない音楽番組、話させてもらえないバラエティ、他のメンバーが出演しているドラマや映画、その番宣を目にする回数は格段に増えるだろう。それはとても辛い。
私は新規のくせに生意気にも同担拒否なので、デビューすることによって露出が増え同担が増えたら…と考えるだけで発狂しそうになる。これは完全にエゴだが、同担拒否のオタクはデビューによって同担が増えたら嫌だと思う。
以上が"私が自担にデビューして欲しくない理由"である。書き出してみても"デビューしなければならない"みたいな風潮が理解できない。
じゃあどうしてオタクは自担にデビューして欲しいのか。「自担がデビューがしたいって言っているから」だと思う。
じゃあどうしてタレントはデビューしたいのか。「ファンがデビューして欲しいって言っているから」なのではないだろうか。
自担も「夢はデビュー」だと言っていた。だけど私は自担にデビューして欲しくないと思っているし、首の絞めあいにはなりたくない。やっていることはデビュー組と同じなのに、そこまでデビューに固執する必要があるのだろうか。デビューしたってしなくたって、彼らは立派なアイドルだし、大好きな自担は世界一キラキラしている。デビューしてもしなくても、自担が大好きなことに変わりはない。
すでに、所謂「流行り」であったそのジャンルは毎日目まぐるしくイラストや漫画、小説などの作品がウェブ上にアップされ、コロナの関係でイベント自粛などがありながらもそれなりに盛り上がりを見せていました。
ある時、一つの小説が世にアップロードされました。その作品はそこそこ有名な絵師に宣伝され、ブックマーク数を700ほどまで伸ばし、作者のフォロワー数も500近くまでのぼりました。
文字書きでフォロワー500というと、そのジャンルではまあそれなりに有名というような立ち位置で、現に私はその作品で作者を知ることになります。
作品自体、とても素晴らしいものでした。原作の時代背景やキャラクターの心情などを豊かに描いた、本当に素晴らしい作品でした。
それを受けて、今度はある有名絵師が、その小説に漫画をつけたいと申し出ました(これはおそらくDMなどでやり取りされており、公にはなっていません)。
そして小説の作者はそれを了承し、申し出からどれほどか分かりませんがそう遠くないうちに漫画が公開されました。
有名絵師のフォロワーは1万人を超えていました。瞬く間に漫画は拡散され、ツリーに掲載されていた小説も同じように人の目に再度触れることとなり、700ほどだったブックマーク数は数日で1300までのぼりつめました。
つまり小説への宣伝効果で言えば、これ以上ないほどの成功だったと言えます。
しかし、有名絵師にとって、また、のちの小説作者にとっても、タイミングが非常に悪かったのです。
小説の作者は、この小説の再録本を作る予定を控えていました。漫画公開の二日前に、表紙ができたとツイートしていたので、ああ出すんだなと思ったのを私も覚えています。
そして小説の作者は、漫画が公開されたその日に「本の通販が始まりました」とツイートをしました。
漫画が出たタイミングだったので、私はその有名絵師が表紙を描くのだとか挿絵をつけるのだとか、まあ何かしらに関わっているのだろうと漠然と思っていました。
しかし表紙にキャラクターのイラストはなく、おそらく有名絵師は絡んでいないのだと理解するまでそう時間はかかりませんでした。
描いていないならいないで、別に構わなかったのです。迷っているうちに在庫はなくなり、なんとなく惜しいような諦めのつくような、そんな気持ちで日々の忙しさに戻って行きました。
一か月ほど経過したある日、有名絵師が気になるツイートをしました。
「自分には全く話がなかった」
簡潔に書くとこの二点です。
有名絵師のこともフォローしていて、イラストや漫画を逐一確認するくらいにはファンだった私には、最近の活動を振り返っても宣伝になりうる要素と言うとあの小説のことしか思い浮かびませんでした。
日付を確認しても、やはり漫画の公開と小説の通販開始日は一致しています。
そして何より、漫画をツイートした有名絵師の呟きがしっかりと削除されていました。
有名絵師はアカウントに鍵をかけ、ツイートを削除したのち解放しました。
「今後描くなら相互だけにする」というツイートを残して。(現在は削除されています)
それから暫くしても、小説の作者はそのツイートに気づいた様子がありませんでした。日常的なツイートをするばかりで、もちろん当事者で話をするなりしていればいいと思いましたが、何せ絵師は漫画を消していますから遅かれ早かれ読者は気づきます。
そして勝手にヤキモキしているうちに、他の読者が匿名ツールを使って小説の作者に凸しました。
内容は公開されていないので細かいことは分かりませんが、作者のツイートを見て「あのことだろうな」ということは察することが出来ました。
けれど、当該ツイート(不快だ、話がなかったetc.)は消えている状況で、確認のしようがないこと。絵師に「不快でしたか?」と聞けるわけがないこと。自分が宣伝のために同じ日に通販を開始したわけではないと証明するのが不可能であること。
それらの要素を踏まえ、「痛いところを突いてきた」「笑ってしまった」と作者はツイートし、端的に言えば「誹謗中傷の類い」のメッセージだと捉えたようでした。
どうにも、納得がいきませんでした。
小説の作者には本当にそんな意図がなく、また「小説を本にします」だなんて言えばそれこそ「買ってください」というようで言いにくかった、という心情があったかもしれません。
相手は有名絵師です。時間の隙間に読んだ小説の出来が良く、漫画を描いてみたいと思ったけれどお金を出すほど好きかなんて分かりませんから、私が小説を書いた本人なら「本を作ります」とはわざわざお知らせしないと思います。
だからこそ、小説の作者にも思うところはあったと思うのですが、絵師が不快だと思った、その証拠がないからと言ってメッセージを批判だと受け流し、あまつさえ嗤うなんてことには到底納得ができませんでした。
私は作者に、ツイートの内容に心当たりがあること、有名絵師のツイートを自身も見たこと、今は消されていることを匿名ツールで送りました。信じられないのであればと、絵師が描いた小説を題材にした漫画が消されていることも付け加えて、送信しました。
それから間もなく、小説の作者はその前のメッセージを笑った、という呟きを削除し、そのうちにウェブ上に上げていた全ての小説も削除しました。
私以外にも、それが事実だと送った人がいたかもしれないけれど、間違いなく私は一人の文字書きを潰したひとりです。
絵師と小説の作者は、漫画作成にあたり何度も経過を確認し、やり取りをしたそうです。そのやり取りの中で絵師は小説の作者に何かモヤモヤしたものを感じていて、今回のことで爆発したのかもしれないし、なにもなかったけれど何か逆鱗に触れてしまったのかもしれません。
小説の作者は、作品を全て削除した後で「もう自分の手から作品を手放さない(誰かに手を加えさせない?)」「馬鹿げている(勝手な勘違いをされたことに対して?)」とツイートしていたので、全てを明かす気はないようだし、絵師と今後関わる気もないのだろうと解釈しました。
今回、私の心情としましては絵師の味方寄りでした。絵師が不快だと言っていた情報を受け止めずに批判だと笑ってしまうところや、事実が判明したあともまるで批判を受けたために筆を折ったような遠回しな言い方しかせず、現にフォロワーは心配するばかりで事の顛末を知らないまま今に至るからです。
正直なんか色々と疲れてしまった。
僕は年商大体1000万超えないぐらいのフリーランサーをしている。所謂プログラマーでサーバーサイドのエンジニアをしている。
コロナ前からリモートで仕事が出来ているので自分の時間に余裕持ちながら仕事しつつ専業主婦の妻を養っている。子供はいない。
ここ数年プログラマーとして生きるのに飽きたというか燃え尽きてしまった。多分一般的なプログラマーと比べると結構イケイケで多くの事をして来た。まだ20代という事もありこれからなのかもしれないが疲れたというか燃え尽きてしまった。
だからブログや投資などなるべく自分に仕事としての労力を発生させずに、所謂不労所得のような物を少しずつ作ってやりたいと思う事をとことんやれる環境を作ろうとした。
けどどれも上手く行かず、今年に入ってから負けては勝ってを繰り返して増やして来た株の資産もソフトバンクGの読み誤りで今年分の利益を全て吹き飛ばしてしまった。2桁万円ぐらいの損失なので正直辛いけどそんなに大き過ぎるダメージじゃない。だけど株で大きな損を出した損失よりもコツコツ増やしていって上手くいったと思ったら振り出しどころか少し損を出すレベルまで戻ってしまった。
この増やしたお金が消し飛び振り出し戻されたという感覚がどうもメンタルに来てしまった。ここまでテクニカルやソフバンGだけじゃなく他の銘柄の分析も行ったり、過去には先物やFXでもっと大きな損を出したこともある。そしてやっと株で安定して勝てると思ったら損切り出来ずにダメだった。
結局嫌でも仕事をするしかないのか、努力が足りないのか。自分の友人に話しても自分の方が多く稼いでいるから嫌味に囚われてしまいそうだし、妻は無関心、誰にも相談出来ずここ1-2年どうしたら良いかわからずもがき苦しんで幸いフリーランスとしての単価は年々上がりいつ1000万を超えるかを見定めて現在はセーブしながら仕事を出来てる。
このままフリーランスエンジニアとして突き抜けた方が良いのかわからない。けどお金はあっても自由がない。今は自由が欲しい。やりたい事をやりたいだけやれるそんな自由が欲しい。
そういえば「萌えキャラで町興し」とかいう話題もとんと聞かなくなった。
世間の人々は金の匂いには異様に目ざとく、そのところの判断は信頼に値するものだ。
今や萌えキャラで町興しに関してはオワコン認定に反対するものはいまい。
君らはなぜだか分かるか?
それが致命傷となったんだ。
ガンダムとか鉄人28号とかは戦うために作られた兵器だから風化したところで、なぁにかえって箔が付くってもんだ。
ウェザリングってやつだ。
仏像とかも箔が付くという点では同様だ。
でも萌えキャラは色鮮やかなカラーリングや清潔感を売りするから、野ざらしで放置した結果くすんだりすると著しく見栄えが悪くなってしまうんだ。
でも銅像には「The権威」のようなイメージがあるから、萌えキャラとは組み合わせがよくない。
ヒラヒラした衣装は銅像にしづらいという事情もあるのかもしれない。
そして萌えキャラ愛好家には長期間の経年変化を楽しむだけの器量などない。
だから永遠に年を取らない、永遠に姿の変わらない萌えキャラになど惹かれるんだ。
女として生きてきたこととか、これからも生きていくこととかに別に不満がある訳じゃないんだけどね。可愛いものは好きだし、スカートだって履く。
背が高い人とか、顔が整ってる人というかイケメンとか、筋肉質な人とか、所謂女性から見て「格好いい」とされる人。
そういう人を見ると、格好いいと思わないわけではないんだけど、それより「こういう風になりたかったな」ってなる。男性の身体的特徴に憧れみたいなものがあるんだろうな、って思う。
逆に、可愛い女性や綺麗な女性には「こうなりたいなあ」じゃなくて、「ああ綺麗だな、可愛いな」って思う。憧れよりも、芸術品を見てるみたいな感心?がくる。