はてなキーワード: アイドルソングとは
・最高!と最低!が混在してた
・マイナスのとこ→結局仲間最高!ものかよ! 部下への転職先電話にに上司が対応するのはちょっと…
理解を深めていくっていうのは新鮮だった
仕上がりのクオリティも上がってくるっていうのは
・しかし今の時代に「編集部に持ち込んで〜」は前時代すぎんか…?
いやでも部長はバズとかじゃなくて「当時」できなかった「持ち込み」を
経験値とか加齢による考え方の変化とかによる齟齬は発生せんのか…?と思ったけど
・一段づつ上の立場の人に各部下がタイムループ鳩わからせするとことか
お局、何かあると思っていたが…!のとこの流れの引き込み力すごかった
ひたすらこいつ敵!だったけどそいつも所詮ピラミッドの中間層よ…感の
・憧れの仕事人、実際会ってみないと感じ取れない「嫌さ」の
醸し方が良かった 咳するのは勝手だけど一言なんか言えや!の感じとか
会うと「あっ…」ってなる生身で会ったからこそ気付いてしまう嫌さ
・後輩2人のコンビ感良かった
いつの間にかJ-POPがアニメソングとアイドルソングばっか流行っちゃったのって、共有されている物語がそれぐらいだからじゃね?
じゃあもっと皆が知ってる話を歌にすればいいんじゃね?
……桃太郎とか?
あっ、この増田に「だからキリスト教圏だと宗教関係の歌が売れている。聖書の物語は皆知っているから、一周目から歌詞の解像度が高い。遠い昔に吟遊詩人が神話をモチーフにした歌や王族の栄光を歌い上げていたのも皆が知っている物語だったから。まあどっちも宣伝の要素もある。結局、いつの時代もタイアップソングが強いんだよね。売れている歌は元々特定の価値観や物語とのタイアップソングみたいなのばかりだよ。近代的恋愛観とか反戦感情とかにしたってね」みたいなコメント書いてドヤァってすると☆がたくさんもらえると思うのでブコメで頑張ってみてくださいね☆
アイドルにまつわる諸々、なんで世の中のあんなにたくさんの人が夢中になっているのかわからん。
付き合えるわけでもない、セックスどころか一緒に食事もできない、というか一人の人間として認識されることすら難しい相手になんでそんなに夢中になれるんだ?
頑張ってる姿を応援したい、っていう人いるけどさ、もうすでに大体のファンより稼いでるでしょ。余裕で成功してるじゃん。お前が頑張った方がいいって絶対。
パフォーマンスとか歌が好きなんだっていう人いるけどマジで?耳に入ってくるアイドルソング、歌詞は詩というより作文だし、歌唱というより下手な合唱じゃん。
マジであれにそんな金を払うほど感動してるの?今までどういう文化圏で生活してたらそんな感性になるの?
世の中のアイドルの顔とか見た目がいいのは分かるよ。見た目良いな~って思うもん。でも、だからって別にファンにならなくない?
他人の見た目が良いことと自分に何の関係があるんだ?まして金を払ってもいいってどういうこと?
テレビの向こう側にどんだけ美味そうな料理があっても「美味そうだな~」って思うだけで「もっと見たい!」って課金する奴いないじゃん。
昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。
これを読む前に注意してほしいのは
だ。
YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。
そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。
偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。
その重要な過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。
この物語が評価されている大きな要因としては、まず推しの子に自分がなるっていう第一話のインパクトとコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。
これ自体は別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程をスキップしているので作品としての完成度が低下している。
たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家の仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか?
また、アクアとルビーの父親に関する伏線が第一話だけっていうのもつらいポイントではある。
どうしてもそこからのストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーがアイドルを目指すとか、主人公が父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い。
1クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。
「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!!?」
初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。
それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。
まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。
もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。
音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。
「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。
Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。
ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。
初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。
正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。
しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッション、リズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽のトレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。
Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。
「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは
・繰り返される転調
と
だ。
一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後のCメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める。
まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップに気持ちよくハマっている。
この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。
・イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い
・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい
・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い
・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い
・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい
・Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。
・Bメロの”触れることない言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい
・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。
・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい
・Cメロの”もういや「だって疲れたんだって」”の「だって疲れたんだって」のリズムがすごい。
ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである。
次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について
これは説明がとても難しい。
と
・なんでも歌える歌手
の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。
まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。
とりあえず例を列挙する。
米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。
実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。
ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。
りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?
この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。
汚れた君は嫌いだ
君を汚したあいつも嫌いだ
この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。
こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。
でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。
あとこのタイプの歌手は一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。
歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプの歌手は歌い手文化にそぐわない。
自分が共感できる曲だけを歌うことでその問題を解決してる人もいるっぽいけれど。
なんでも歌える歌手の例を挙げる。
・ikura
・Ado
・yama
・suis
ヨルシカはナブナの個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。
これらの歌手は限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。
YOAOBIのコンセプトは”小説を音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。
「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。
あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女は死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。
さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものだからだ。
ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自に解釈することに成功している。
この作品自体をどことなく俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公やヒロインに感情移入するのではなく、どこか客観的な視点から物語を淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことなく人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。
これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。
もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。
“制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。
今回の場合は
・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)
・”推しの子”のOPに要求される、アイドルソングライクな(コールが差し挟まれるなどの)要素
この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。
この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。
「アイドル」の歌詞は原作「推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。
医者の主人公のところに推しのアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す
というものだ。
そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループに所属していた女性だ。
「アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。
1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。
ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。
問題はその後だ。
我々はハナからおまけです
お星様の引き立て役Bです
全てがあの子のお陰なわけない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。
一見、最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスはマジですごい。
Vtuberの歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子とマッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。
たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプの女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。
先ほどの話に戻る。世の中には
・どんな歌も歌うことができる歌手
の二種類が存在する、と言った。
の二つがあるのだ。
そして「アイドル」という曲は”とある人間にしか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的な体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身の体験)をベースに紡がれているからだ。
ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。
そんな私の嘘がいつか本当になること
信じてる
恵まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロの歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことなく空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。
あるいは、
【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。
【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースから「もっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用
とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。
「アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬の経験がある歌い手のほうが歌声に説得力が増す。
しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。
「アイドル」を完璧に歌える人間は存在しないかもしれない、とか思った
死んだ婆ちゃんは舟木一夫が大好きで、葬式では「高校三年生」が流れてた。
死んだ爺ちゃんは特に歌手とかには興味なかったらしくて、葬式では式場が用意したらしい無難なオルゴール調の曲が流れてた。
父さんも特に歌手とか興味ないみたいだし、もし父さんが死んだら式場には「葬式っぽい曲で」ってお願いするんだろうな〜と思ってるんだけど、母さんが死んだときはどうしようかな。
「お母さんは菊の花が気持ち悪くて嫌いだから、お母さんの葬式で菊の花は飾らないでね」って小学生の頃からずっと言われてて、なんか葬式に対するこだわりが強そうな気がしてるから、ちゃんと好きな曲をかけてあげたい。
お母さんの好きな歌手、知ってる限りだと、KARA、少女時代、E-girls、Perfume、NiziU、Le Sserafimとか、、、どうやら日韓ダンス強めアイドルが好きっぽいんだけど、葬式にアイドルソングってちょっとどうなんだ?
1960年代では舟木一夫も同じ扱いだったりする?冷静に考えると葬式で高校三年生って意味わかんないもんね。
サマータイムマシンブルース知らないとか言ったらサブカル界じゃ「え?お前はビレバンじゃなくてドンキに行くべき人間だよ」って言われわけですよその日から毎日半年ぐらいの間で合計500回ぐらい。
そのヨーロッパ企画を月ノ美兎が配信したときの「え?なんやコイツら?」っていう空気がさ、まあYoutube見てる程度の奴らじゃしゃーないなって当時は思ってたけど、よくよく考えるとそんな奴らが出始めのV見てるかっていう疑問が今になって湧いてきたわけ。
まあ既にレールは敷かれまくってたし個人配信が楽々にできるようなソフトもSteamとかでも配ってた時代やけどさ、それにしたってまあ世間的には「オタクがやる異常行動」みたいな扱いだったじゃんギリで。
んなときにやってくるのは大抵サブカル色のある連中なはずなんすよ。
でも何故か「異常なサブカルオタクが超マイナー作品を配信する」みたいなノリで扱われてたんすよね。
これやっぱ異常だなって。
今の状況なら分かるんスよ。
知名度もめっちゃ上がってアイドルソング歌いまくってる今の状況なら。
でも当時はもうちょいアングラだったはずなのになんでか「ヨーロッパ企画?はじめて聞いたでごわす」って最近ダイヤルアップ回線が繋がりましたよレベルのど田舎から来たような視聴者が押し寄せてたわけですよ。
これマジで当時の俺は世の中をちゃんと見れてなかったなと思ったわけ。
視聴者は皆もっとサブカルな人間で固まっていたと勝手に勘違いしてたの。
そんな発言もちょこちょこと見るから、んでまあ一部の異常ヤンキーがサブカル全く知らないくせに顔だけで選んで視聴して1人で大量にコメしてるのかなって。
でもそれはやっぱこっちの思い込みで、結局あの頃から多様な層がVを見てたんだろうなと。
Youtubeで普段はキャンプ動画見ながら海釣りしてるようなアラフィフのオッサンみたいのも見てたんだろうなと。
そのことに今になってふと気づいたので書き残す。
筆者はオリアニが好きである。
原作付きのアニメにはないワクワク感がある。当たるも八卦当たらぬも八卦。
「なにそれ?」って思った人はエクストリームギアつけたシュートでブローアウトしてやるから多摩川の河川敷集合で。
と、言いたいところだが、なにしろ公式twitterフォロワーが8263人(2022年8月31日現在)しかいないので、「なにそれ?」って人が大半なのはやむなし、なのである。
非常に魅力的なアニメなので、このまま黙殺されるのは忍びなく、せめてフォロワー1万人超えて欲しいので、今日はExtreme Hearts(以下エクハ)の魅力について語ろうと思う。
なのはシリーズでおなじみの都築真紀原作および脚本、Seven Arcs制作という体制のオリアニである。
以下魅力について語っていく。
とにかく勢いがある。
まず、どういうストーリーの話なのか公式サイトからイントロダクションを引用すると、
サポートアイテム・エクストリームギアを駆使して遊ぶ「ハイパースポーツ」は
ちょっと何言ってるか分からないと思うが、筆者も今これ読んで「そんな話だっけ?」って思ってるので安心して欲しい。
少し詳しく説明すると、
なんで音楽系芸能人がスポーツで戦って歌う権利を争っているのか、その辺は劇中でも詳しく説明はないが、勢いでそういうものだと思い込まされる。
ウマ娘だって今更「なんでウマ娘ってのがいてレースして歌って踊るの?」って疑問に思わないでしょ?
Extreme Heartsもそういうものだとして受け入れる度量が必要なのである。
ウマ娘といえば、主人公のグループであるRISEは5人中4人ウマ娘声優(サクラチヨノオー、桐生院葵、スーパークリーク、シーキングザパール)だし、マネージャーの事務用ロボットもウマ娘声優(ファインモーション)なので実質ウマ娘みたいなものである。
野球やサッカーを主人公単身でどうやってやるの?という点については1話目の練習中に特に何の説明もなくプレイヤーロボットと言うロボットが出てきて解決される。
ここでも有無を言わさぬ勢いで押し切られる。全ては勢いが解決していく。
キャラ紹介ページを見てほしい。
https://exhearts.com/character/
主人公を筆頭にRISEの面々のキャラデザの圧倒的モブっぽさよ!
だが、そこがよい。
そんなに特別じゃない普通の娘たちが頑張るところに視聴者は共感するのだ。
まぁRISEの面々はそれぞれサッカーや野球や剣道や空手のスペシャリストで運動神経グンバツで、それほど必死に練習しているシーンもないのだが。
筆者は橋本ちなみさんの声が好きなので事務用ロボットのノノがお気に入りである。
OPはRISEのメンバー、小鷹咲希役として出演している岡咲美保さんが歌う「インフィニット」。
疾走感のあるテンションの上がる曲でアニメの雰囲気にピッタリである。
ED映像も少しずつメンバーが増えていくのがグッと来る(ありがちといえばありがちだが)。
これを本当に薦めたい。
8話冒頭のライブシーンが本当によかった。
一部はライブで歌った曲「大好きだよって叫ぶんだ」の以下の宣伝動画で見られる。
https://www.youtube.com/watch?v=j7QFcWy7qMk
ダンスは自分たちで考えたという設定なのだが、変にプロっぽくなくて手作り感が感じられてよい。
また、筆者はライブのシーンでキャストの後ろから観客席を映すカットが好きなので、そのアングルがあるのもよかった。
このライブシーンでリソースを使い切ったのか、ライブシーンの後しばらく謎のタッチの止め絵のシーンが続くのも味わい深い。
ちょこちょこ真面目にやってるんだかふざけてるんだかよくわからない小ネタが仕込まれており、くすりとくる。
例を上げると
・上述したとおり、1話目で特に詳しい説明もなくプレイヤーロボットという概念が登場する
・3話目のライブシーンで客席の最前列でラーメン食ってるやつがいる
・野球のシーンでボールの作画だけ妙に昭和のアニメの劇画タッチになる
などである。
これらに基本的に一切つっこみは入らないので、視聴者の咀嚼力が試される。
全体的にある程度アニメ見てる人じゃないと「なにこれ?」で終わってしまうような気がするので、訳知り顔でエクハを語って通ぶろう。
公式サイトのキャラクターページに毎週放送終了後に情報が追加されていく。
例えば、キャラ紹介文や新たなライバルチームや自己紹介ボイスや各キャラの背番号などがこれまで追加された。
差分を見つけるのが放送終了後の筆者の密かな楽しみとなっている。
これを読むことで、アニメ本編では描ききれていないキャラたちの仲の良さそうな感じを摂取することができる。
いかがだっただろうか。
書いてて思ったのだが、このアニメの魅力を文章で伝えるの難しすぎる。
なので、とにかく見てみて欲しい。
今ならまだ追いつけるから、みんなも今すぐ全話見て「エクハはワシが育てた」しよう!
数人、見てくれて気に入ってくれたようで非常に嬉しい。
何故ならチームにとって得るものが大きかったらそれはビクトリーだから
https://twitter.com/s13k6/status/1458436738297532421?s=20&t=SSPNwMtWdLTH8h7S3IWgbA
あれは勝手にやってるだけなので勝たないと披露させてもらえないエクハとはちょっと違うと思う。
でも、プラオレも好き。
俺は中学生くらいの頃までは「ひょうきんな変わり者」、高校~大学では「学校の端っこでワイワイやってるオタク」みたいな立ち位置で、社会人になってからは一般的な会社員として世間から爪弾きにならない程度には上手くやっているけど順調にライフステージを踏んでいる「立派な社会人」って感じでもなく、なんていうか自分がマス層に馴染めない人間みたいな自意識を抱えて生きてきていた。
ただ、自分は大衆に馴染めないみたいな自意識過剰を抱えていても、アンチ大衆的な思想ではないらしい。
例えば、政治の話。
はてなじゃ「自民党が政権与党に居座れてしまような世の中、間違っている!」みたいな意見は珍しくないが、正直、俺はその手の意見には全然共感できなかった。
俺自身、自民党に対しては特別推せる個人が自民から出馬した時に出ていた時に数回投票したことはあるが、そういう場合以外は基本的には投票することはないので、反自民でこそなけれど間違っても新自民ではないつもりだ。
だけど同時に、選挙の結果を見れば、自民が与党の座を譲らないでいることも、どこかの党が議席数を増やしたり減らしたりしたことも、まあだいたい民衆の望みに添えている党がその分だけ票を得ている妥当な結果だよなーって感想になるし、同じ選挙結果を見ても「大衆がバカばかりだからこんな結果になるんだ!」と吹き上がっている人達には正直嫌悪感しか湧かなかった。
あるいは、今、はてなで最も熱い、たわわ広告の話。あるいはそれらの連なるフェミニストによる表現規制の話。
俺はそれらの規制にはだいたい反対の立場を取っているけれど、原理原則的な表現の自由を掲げているような人たちにもあまり共感はできなかった。
表現の自由は最大限尊重されるべきだと思っているつもりだが、それでも100人いたら99人が「これは公共に相応しくない」と判断するようなモノは相応のゾーニングをされるべきとも思ってしまう。
たぶんそれは俺自身がグロ画像とか虫系の画像とかが苦手で、そういった表現と街中でバッタリ出くわさないように自分自身がゾーニングによって守られているということに自覚的だからだと思う。
だけどその上で、フェミー萌え絵系の表現規制に反対なのは、所詮それらの萌え絵に対する規制論調は『世間一般』では全然触れられもしない程度のモノで、一部の人が叫んでいるモノに過ぎないという認識だからだ。
世間的にはフツーにスルーされる程度の表現を一部の過敏な人の反応を理由にゾーニングしろというのは、まあ間違ってるよなぁという考えなので、規制には反対している。
思えばはてなに来る前、5chに触れていた頃でも、アイドルソング叩きとか、東京に集まる人ことへの批判とか、「馬鹿で無知な大衆によって劣悪なモノが人気を得てしまう」という趣旨の話題には全然のれなかった。
Twitterは今でもやっているけど、それは、Twitterは尖がった人はたくさんいるけど、人が多い分、全体で見れば(ネット民的な偏りはあるけど比較的)大衆的な価値観に落ち着きを見せるので、居心地悪く感じないからだと思う。
「選ばれるものは選ばれるべくして選ばれる」し、「自分含めた大衆はそれなりに賢くそれなりに妥当な判断をして生きている」という考えが自分の中には通底してあるんだろうなぁと、はてなの尖った意見と自分を相対化して自覚することができた。