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はてなキーワード: 大塚とは

2015-09-12

小容量の塩分入り飲料がほしい

汗をかく季節、小容量の塩分入り飲料がほしいがコンビニでは300mlのポカリアクエリしか見かけない。

選択肢が2つではすぐ飽きる。

500mlではチビチビと飲んでると温くなるのが嫌。

大塚コカ以外の自販機探しても、スポーツドリンクは500mlPETばかり。

2015-08-17

月の風俗代おいくら?

五万円にしてる。

大塚ピンサロ3000円ばかり行くので風俗貯金箱が毎月繰り越しで増えていって困る

2015-08-13

セックスコスパ比較

アナルにチンポ欲しい時女装して浅草24でチンポあじわえる。

コスト2400。

チンポをアナルに入れたい時もほぼ同様か。

シャワー完備で風呂はいれて宿泊できるから施設としてのコスパも悪くない。

フェラ30分3000円の大塚ピンサロに嵌ってたが、

だいぶ高い金払って女にしゃぶらせてたなと思う。

男のフェラは力強い吸引力で金タマ持ってかれそうな射精が味わえるから癖になる。

2015-02-26

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論

はじめに

映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。

シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリングから成り立っていますが、シナリオから分析局面では、プロットのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリング重要だということになります

ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。

様々な作家による小説、ラノベ創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。

正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスゼロにする」ものしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロしかないからではないのか。

一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである

ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。

であるならばそれは、システマチック再利用可能な一定演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。

仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である

金子映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディ不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。

「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。

本論

定義調査対象

本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話キャラ萌え特化の現代ラノベ普遍的存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。

大塚新城をDisった上で、つまりあ特定様式における「テンプレート」の抽出必要なのであり、本稿ではボーイミーツガール様式をもつラノベ限定することとした。

ボーイミーツガール定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公ヒロイン出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。

まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョン主人公であり、涼宮ハルヒヒロインである。加えて主人公ヒロイン性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公ヒロイン女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公女性ヒロイン男性である表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。

次に、では「非日常」とは何か。

例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公ヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公ヒロイン出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。

そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロイン意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公意識している相手」と定義する。

以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベボーイミーツガールと考える。

  • 語り手/視点人物(主人公)はある人物(ヒロイン)と遭遇し、これを意識した行動を取るようになる。この行動が物語の主たる軸として描かれる。

なお、本稿におけるボーイミーツガール排他的ものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である

これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から映像化された作品を中心に絞り込むこととした。

シリーズ化している場合、本稿での調査原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。

以上からWikipediaアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。

長くなったが、以下やっと本題に入る。

本論

本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的判断によってまとめたものである学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものしかない点は注意されたい。

遭遇のテンプレート

主人公ヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公ヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味ヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。

さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。

問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である

突然同じ部活所属することになったヒロイン毒舌であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロイン天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロイン魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。

筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である

設定の極端化

「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロイン挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものしか認識されないリスク内包する、という点である

演出の工夫

既存陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。

主人公を困難に直面させる

クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能であるヒロイン奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。

とはいえこれらの例において実質的主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。

一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。

秘密漏洩

偶然からヒロイン秘密主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。

知ってしまった秘密主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公ヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密漏洩ヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロイン人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。

謎の提示

その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である

例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。

しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型ヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。

印象的な絵面

例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。

筆者は全く百合趣味理解できないが、そうであっても「美人美少女ネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。

マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。

遭遇の多段階化

以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。

例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインエロゲ趣味主人公漏洩する第一の遭遇(秘密漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロイン主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。

化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロイン体重が無い」という「謎の提示」と「秘密漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインカッターナイフホッチキス主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃性格ヒロインに特段の目新しさはないが、文房具凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。

とらドラ!』の第一の遭遇はヒロイン主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。

興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。

例えば『俺妹』ではエロゲヒロインに返した際、その場でヒロイン主人公へ自室でそのゲームプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロイン夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。

中編へ続く

2015-01-02

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰5

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

情報収集

アイディアを生み出すための想像力は「鋭い観察眼と知識」によって培われるものだと西谷は言うが、こうした知識に対する態度は他の多くの作家にも多く見受けられる。例えばクーンツは何かを調べる際、それについての参考書一冊を読んで満足するのではなく、2冊から3冊は確認しなければならないとするし、五代/榊も知識を増やす労を惜しむようでは作家になるのは無理だとする。

知識の広げ方という点では、例えば榎本ネット有用だとして、わからない単語が出てきたら放置せずその場で調べる、新書辞典、専門書を読むことなどを推奨している。またキングテレビ否定し、読書重要だとしている。

重要なのは何かを盲信しないことである五代/榊は単純に何かを鵜呑みにしたり、逆に根拠なく切り捨てることは思考停止であり、これは「極めて危険」だと明確に述べる。クーンツ複数の文献を確認することへの指摘も同じことだろう。

一方、情報収集なぞ必要ないという主張も存在する。水島ラノベを書きたいならラノベだけ読んでいればそれでいいのであり、ラノベに限らず幅広い文献に目を通すべきだという意見作家の見栄に過ぎないと言う。

ラノベ作家を目指すのならばラノベを読んでおくべきだ、という指摘は至極もっともだが、しかラノベ以外の知識は不要だ、というのはいささか乱暴な主張と言わざるを得ない。もちろんそれでラノベを書くことはできるだろう。しかラノベしか知識がないのだとすれば、そこで描かれる内容は他のラノベで既に描かれたものの域を出ない。もちろん、大塚の主張するような抽象化と具体化による工夫は可能だが、そこで具体化するための材料もまたラノベから引っ張ってくるという引き出しの無さは、相当の才能が無い限りすぐに限界を迎えるだろう。

知識という点で、飯田作家オタクであることを求める。しか飯田がいう「オタク」とは流行ラノベを楽しみ、流行アニメを楽しみ、ニコニコ動画流行している動画を楽しむ人のことである

一方で五代/榊は「新しく入ってきてる人達は、オタクと呼べるほど濃くない」とそれをオタクではないと断じる。共に作家が「オタクであることを求めるが、両者の言うもの似て非なるものに思われる。とはいオタクとは何か、オタクの濃さとは何か、という問題に本稿で踏み込むつもりはない。

最後に、知識の無さはワナビ創造する登場人物の幅にも影響することは理解されておくべきだろう。プロアマわずラノベにはよく「天才」が登場する。問題はこの「天才」が知っている知識は作家本人の知識を限界とし、その発想力や考え方もまた作家本人の能力に制約される、という現実である

天才を出したいのならば、作家本人が天才の知識と思考模倣できなければならない。幸い、作中の天才と異なり作家には十分な時間をかけてあらゆる文献を調査する時間的猶予があるのである

おわりに

ワナビの書いたラノベはなぜ面白くないのだろうか。

何度となく推敲され書き上げられたものは珍しくない。にもかかわらず全く面白くないそのラノベ問題点を、例えば登場人物に魅力が無い、物語リアリティがないとあげつらうことは容易である。それが欠点であることは間違いないだろう。しかし仮にそれが解決されれば、つまり偏差値30が50になれば、それは面白いラノベなのか。

五代/榊はワナビを「自分が知らない事は考えたくない、考えたくないところは考えないですましている」と批判するが、ワナビはそもそも「面白さ」について、とりわけ学術的に考えることを避ける傾向があると筆者は思っている。先行研究調査思考の基礎であるが、ネット上で飛び交う様々な「面白さ」についての議論がそれらに言及することは残念ながら稀である

練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。

faridyu

本稿の整理が的を射ているとは限らない。しかし「面白さ」を構成する要素について、先行研究重要性を幾ばくか示すことができたのではないかと考えている。それが本稿をここまで読んだ時間ワナビにとって価値あるものだったかはわからないが、しかしせめて、なにかの気づきに役立つことができればと願っている。

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記を始めとして分割投稿されたものである

ヒロイン

ほとんどの場合ラノベヒロイン必要不可欠である水島飯田は主張する。反例はもちろんあるが、ヒロインを据えたラノベがそうでないラノベよりも圧倒的に多いことは事実である

このヒロインについて、水島は「フラッグシップヒロイン」という独自単語を用いて説明している。フラッグシップヒロインとは、その出会いによって、主人公は平凡な日常から日常へと放り込まれる、という点で特徴を持つヒロインである水島はこのフラッグシップヒロインは一人であるべきで、また傍若無人タイプが好ましいと言う。日常が非日常へと変わるのは多くの物語で最初の1度であり、従ってそういった存在は必然的に一人であらざるをえないと言えること、前述の人物間のギャップを想定する場合ヒロイン傍若無人であるならば主人公は面倒見のいい親切な人物となり、このような人格は読者の倫理観を満足させやすく、ゆえに感情移入させやすい、という点で効率的である。ゆえにこの水島の指摘はこれまでの内容とも矛盾しない。

一部の例外を除いて、ヒロイン主人公に惚れなければならない。榎本はヒロイン主人公に惚れる理由はしっかりと、読者に分かる形で描写するべきだという。一目惚れ場合は「外見に惚れ、次に魂に惚れなおす」という形で段階を分けるべきだとする。

突如登場したこの「魂」についての説明は一切ないが、筆者が理解する限り、この「惚れる理由」や「魂」とは主人公の「行為」であり、精神的な何かではない。

クーンツ登場人物個性とは「行為」によって示されるべきだと言う。これは例えばヒロインは優しい性格の持ち主だ、と説明することよりも、読者がヒロインを優しい性格だと感じる行為描写することの方が好ましい、という指摘である

中の人物はテレパシー能力が無い限り他人の思考を読み取ることはできず、その人物設定の書かれた地の文を読むこともできない。ゆえにその行為によってのみ、どういう人物であるかを理解していくことになる。もちろんクーンツや榎本が指摘するように、それらの行為には動機必要である。現実と異なり、なんとなくで登場人物が行動していくことは読者は作家の思考放棄であり、ご都合主義だとみなす。

従って主人公ヒロインが惚れるに足る行為をなさねばならず、それは作中で明示的に描写されなければならない。

さらに、この指摘は主人公ヒロインに惚れることについてもまったく同じである美少女であるツンデレであるといった属性があるから主人公が惚れるのではなく、当該人物の行為によって主人公は惚れる必要があるのであり、さらにその行為が読者にとっても惚れうるものであればこそ、魅力的なヒロインとして意識づけられるものだろう。

登場人物オリジナリティ

水島登場人物オリジナリティなど不要であり、パクればいいとする。一方で五代/榊はそれを「チグハグで安っぽいもの」と批判する。両者の主張は実のところ特に対立するものではない。

西谷は次のような指摘をしている。

ライトノベル作家を目指している人の原稿を読むと、大ヒットした小説に登場したキャラクター名前だけを変えて自分小説に登場させ、自分ではそれに気がついていないことが多いのです

五代/榊が批判しているのはまさにこうした模倣だと筆者は考えている。水島意識的に模倣しており、さらにそれはバレないようにするべきだ、と言う。バレない模倣とは一体なにかについて水島特に踏み込まないが、この点で大塚既存キャラクター抽象化し、別の値で具体化することが正しい模倣だという。例えばオッドアイという属性を「左右で異なる目を持つ」と捉え、そこから「左右で見える世界が違う」と具体化する。

確かにこれは既製品の加工、変形に過ぎない。ゆえに大塚オリジナリティとは「パターンの組み合わせ」「パターンの再発見なのだとする。この2つは、クーンツの「われわれは古い物語の要素を新しく配列し直しているだけなのだ」という指摘、また榎本の「オリジナリティとは「全く新しいもの」ではなく「読者たちが知らないもの、見たことのないもの」の呼び名だ」という指摘を端的に表していると言えるだろう。

一方、様々な属性ランダムに組み合わせ、新たなパターンの組み合わせを発見しようというワナビは珍しいものではない。スクール水着巫女の組み合わせはこれまでにない!オリジナリティだ!といったそれに対し、大塚は「設定の上だけで奇をてらった個性オリジナリティを追求しても意味がない」と指摘する。

繰り返しになるが、大塚はそれが「主題」と深く結びついていることが必要不可欠であるとする。主題関係性を持たせられず、物語上の必然性もない「オリジナル属性」に価値は無いと言っていいだろう。

プロット

プロットについての学術定義としては例えばフォースターが有名であるが、それらを踏まえてプロット定義明確化した文献はフィールドぐらいしか確認できなかった。

よって本稿においては各説の最大公約数的に機能する定義として、「世界」や「登場人物」の変化を「出来事」とした上で、プロットとは「出来事配列」と定義することとした。

さてこの「プロット」について論じるにあたっては、当然ながらプロット不要論と向き合わねばならない。

プロットに重きを置かない理由はふたつある。第一に、そもそも人生に筋書きなどないから。第二に、プロットを練るのと、ストーリーが自然と生まれ出るのは、相矛盾することだから

キングはこのようにプロットを練る必要などないとする。

このキングの著作を高く評価し、手本としても例に挙げているクーンツプロットに関して次のように述べている。

作家にとって望ましいのは、ただひたすら登場人物たちの進んでいく方向に、ストーリーを方向づけていくことであるというのだ。どこやらあいまいなこの方法に従えば、より「自然」なプロットが得られるというのだ。ばかげた話である

作家登場人物小説の方向や狙いをすべてまかせてしまえば、必ずみじめな結果におわる。

ただしクーンツもごく一部の天才であればプロットを練らずとも名作を書きうるだろうとしていることは事実である。よってキングをその例外であるとすれば上記の見解の相違は回避可能となる。

ところが同様にプロットなど考えたりしないという主張は、例えば宮部みゆきや五代によっても主張されている。彼女らがクーンツより文才溢れる天才であり、キングと同格なのだとすることはさすがに暴論であろう。

しかしここでもこれは単なる手順上の相違に過ぎないと筆者は考えている。

まずキングは「原稿を寝かせる」ことを非常に重視している。書き終えた原稿キングは6週間寝かせるが、それは「プロットキャラクターの穴がよく見えるようになる」からだという。こうしてプロットの欠陥を認識し、書き直し、そしてまた6週間寝かせる。キングは欠陥を認識しなくなるまでこれを繰り返す。

確かにキングプロットを事前に練っていないが、これは推敲における徹底したプロットの練り直しに他ならない。もちろんキングが筆の赴くままに書いてもそれなりの内容を書くことができる、という前提はあるだろう。しかキングもまたプロットを最終的に納得いくまで練り込んでいるという事実は、単純にプロットなど不要だとする主張とは明らかに一線を画している。

宮部もまた、書き終えた後での推敲段階で物語の全面改稿を含む大幅な変更がありうること、よって発表後の現行を改訂できない連載小説などは「よく失敗」すると自嘲し、従って自分のやり方は非効率であるから真似するべきではない、と述べている。

このように彼らの意見をまとめると、プロットを先に練って書くことは確かに必須ではないが、それはプロットを練らないことを意味するものではなく、推敲段階で徹底して練り直さねばならない、ということと理解できる。先にプロットを練ることの効果は後で練るより執筆量の少ない段階で修正できることにあり、効率が良いという点に集約できるだろう。

プロットの手順

以上のように整理したところで、ではプロットを練ればそれだけで自動的に良いプロットになるのか、といえばそうではない。重要なのは魅力的なプロットを作り上げることで、練るという行為それ自体ではない。

練り方という点でラノベ作家陣は様々な「プロットの作り方」を提案している。その内容には「どのように作るか」という手順と「どのようなプロットであるべきか」という構造についての両方の側面があり、極端に言えば前者についてはどうでもよく、明確に意識するべきは後者であると筆者は考える。

従って手順について詳細に踏み込む必要は無いと考えているが、似て非なる様々な内容が提案されている点を簡単に紹介したい。

キング同様、西谷は「最初のシーンから順に次のシーンへと書いていく」というシンプルプロット作成手順を提案しており、そのメリットスケールの大きい物語ができること、デメリット時間がかかることだとしている。

他方、西谷は「主題をもとにして最初のシーンを考え、次にクライマックスとなるシーンを考え、その両者をつなぐシーンを考えていく」という手順も提案している。こちらは前者より物語構造を決めやすく、早く書き上げられる手順だという((この指摘はプロット不要に関する筆者の解釈とも合致するところである))。

水島の提案はこの西谷後者の説に類似しているが、「ヒロイン出会う事で主人公の平凡な日常がどのように変化するのか」「クライマックスで何をするのか」「ラストはどのように終わるのか」を最初に決め、次にその間を繋ぐ出来事を作っていくとするものである

榎本は「(人物)が(行動)をして、(結果)になる」を最小プロットとして位置づける。その上で登場人物たちの目的、遭遇する事件葛藤、対立、成長といった要素を盛り込みつつ、まず200字で作成するという。200字で納得のいくものが作れたら次に400字、800字と同様に徐々に増やしていく。これによって効率的プロット作成できるとしている。

大塚は上記とは全く異なり、下記の項目それぞれについて、暗示的な意味を付したカードオリジナルでもタロットのような既製品でも問題ない)をランダムに割り振ることでプロット作成できるとする。

割り振られたカードの暗示から想像を膨らませることで具体化するという。また、これとは別にグレマスの行為モデル主体、援助者、敵対者、送り手、対象受け手の6種の役割をもつ人や物によって物語構造化できるとする説)によってもプロットは作れるとしている。

これ以外ではさら物理的な手順への言及もあり、例えば榎本は単語帳やExcelで各アイディアカード化してこれらを並べ替えながら考えるのだとしていたり、大塚も場面単位で時刻、場所、人物、行動をカードに書き、それを時間軸に沿って並べて考えるのだ、としている。最後1972年初版であるクーンツの指摘を挙げて本項を終わる。

プロットカードとかストーリー構成リストとかの奇妙な発明品は、どれもかつて、作家アイディアを得るための手助けをすると称して売られたものであり、この手のもの現在もなお売られている。が、実際のところ、そんなものはまともな作家にとって、まったく無価値に等しい。


プロット構造

ラノベ作家陣によるプロット構造に対する言及曖昧なものが多く、またまとまった説明になっていないものが少なくない。

いくつか断片的にこの点について言及している部分を拾い上げると、例えば西谷は「キャラクターに新鮮みがあること」「魅力的なストーリーであること」「類似作品差別化できていること」といった要件を上げており、「魅力的なストーリー」とは何かという点については「主人公に苦労させる」「強い悪役を出す」「魅力的な仲間を出す」「新しい場所を訪ねる」としている。作中でそれぞれの出来事の起こる順番への言及特にない。

水島は順序について言及しているが、「タイトルも含めて最初に読者をツカむ」「ラストシーン一歩手前で盛り上がる」「ラストは短くだらだらせず、良い読後感を与える」「それ以外は読者が飽きないよう時々盛り上がるようにする」というもので、具体性に乏しいと言わざるを得ない。

あえて言えば「どんでん返し」と「天丼」への言及があり、「どんでん返し」はクライマックスの決着、直前、ラストシーン最後のいずれかに位置することで効果的に機能するが、当たれば評価を大きく上げるが外れると大きく下げる点に注意が必要だとしている。「天丼」は意外性があり、重要なことを最初は大袈裟に、二回目は間を空けた上でぼそっということで効果的に機能するとしている。

確かにこれらの要素は盛り上げるための1つの技術ではあるだろうが、プロット構造における要素とは言い難い。

さて、榎本は次のような構造プロットが持つことが望ましいとする。

クーンツもまた、古典的プロット成功パターンとして以下のようなプロット構造を推奨する。

念のため触れておくとクーンツミステリにはまた注意すべきプロット上の必須要素があるとして、それを15項目に別にまとめている。つまり上記だけであらゆるジャンルプロット必要十分条件であるとしているわけではなく、様々なジャンル必要十分条件最大公約数として機能するのだ、という指摘であると筆者は解釈している。

大塚プロット構造については後述するヒックスのそれが参考になるとして作中で丸ごと引用している。しかし同時にプロット本質的構造アラン・ダンデスを参考に「主人公の欠落が明かされる」「主人公は欠落の回復目的とする」「主人公は欠落を回復する」の三段階であるとしており、これは榎本やクーンツの主張をさら抽象化したものだと言いうるだろう。

ところでクーンツの主張するプロット構造は「三幕構成」と呼ばれるものである((三幕構成とは序破急であるという言説はラノベ作家の本でもよく見かけるのだが、あれは世阿弥風姿花伝における序破急概念を正確に理解した上でそう言っているのだろうか。まさか読んだこと無いけど字面的にたぶん同じだろといった糞みたいな思考で「教科書」と自称するものを書いているはずはないので、風姿花伝の解説書、待ってます))。榎本は「起承転結」を用いて説明するが、上記のように両者はそれほど乖離したものではない。この三幕構成はとりわけハリウッド映画脚本原則として確立されており、その端緒ともいうべきフィールド、そして大塚乙一などが参照するヒックスについて本稿では整理する。

フィールドプロット理想的構造を三幕構成によって説明する。三幕構成とはあらゆる物語はAct1, Act2, Act3の3つに分割可能だとする考え方である(その意味でいえばクーンツもまた「クーンツの三幕構成」というべき独自の三幕構成を定義しているというべきである)。これはパラダイムであり、ゆえに三幕構成は史上最高傑作にもメアリー・スーにも等しく存在する。

フィールドはこの三幕構成を下敷きに、次のような役割を持つ出来事が順に配列されることが望ましいとしている。

PlotPoint1と2はそれぞれ各Actの最後に、次のActへの橋渡しとなる機能が求められている。またMidPointはConfrontationの真ん中で起こることが望ましいされている。さらにはそれぞれのActはいずれも小さな三幕構成で出来ており、すなわちフラクタル構造であることが望ましいという(フラクタル構造への言及は榎本なども指摘するところである)。

映画脚本における理論であることからフィールドはMidPointが上映時間のちょうど中央で起きることが望ましい、としている。

クーンツがあげる「ついに最悪の事態に陥る」はMidPointのようにも思われるが、クライマックスのようにも思われ、それが作中の後ろにあるのか中央にあるのか言及がないため、判断しかねるところである。これに対してフィールドは明確にそれを作品中央で発生するべきだ、としている点で、クーンツのそれをもう一歩先に進めたものだと言いうるだろう。

なお、MidPointは必ずしも派手なものである必要は無い。例えば映画マトリックス」におけるMidPointはネオ救世主ではないとオラクルに告げられる場面である。争いの無い静かな場面であり、生命の危機に直面しているわけではない。しか物語をこれまで動かしてきた大前提崩壊した瞬間である。MidPointはこのようにもはや後戻りができず、先の絶望的状況の回避方法が読者に容易に想像できない出来事であることが期待されているものであり、派手な出来事 Permalink | 記事への反応(1) | 20:47

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰2

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

※本稿は上記の続きとして分割投稿されたものである

作家人格登場人物人格

西谷は「主人公作家分身」であり、それは「五感を共有していること」、「心の奥底まで共感しあうこと」だとするが、だからといって「主人公作家の思うように考え、行動することを意味するのではありません」と警告する。五代/榊もまたありがちなワナビラノベについて「キャラクターが作者を代弁するただのお人形になってる」と揶揄している。

このように見てみると登場人物作家関係について、作家が主なのではなく登場人物が主である、と主張しているように見える。しかし当然ながら各場面における登場人物の言動や思考作家によって執筆されるのであり、作家が考えないのであれば誰も考えてはくれない。

この点でヒックス登場人物作家の一部であるとして、作家のある面を誇張したものであることを求めている。つまり嫉妬深い人物を描くならば自分嫉妬深い側面を誇張した人格創造する、というもので、全くの新たな人格創造するのではなく、そのベースあくま自分自身だとする。

これに基づけば「キャラクターが作者を代弁する」状態とは、その人物を描くにあたり作家の誇張が無い状態、いわば作中に作家自身名前だけを変えて登場した状態だと言える。作中に登場する作家自身がどれだけ失笑を買うかはくぅ疲の例を見るまでもないだろう。

登場人物作家自身である主人公は間違いなく作家の思うように考え、行動する。しかしその作家の「思う」主体作家人格そのままではなく、登場人物それぞれの設定によって歪められ誇張された人格であり、その結果時に作家人格そのままであれば決して選択することの無い言動に出ることになる。

キャラクターはある瞬間、勝手に動くものです」とは大塚の言だが、逆に言えば登場人物はだいたいの場合作家の想定通りに行動する、ということでもある。当たり前だが一定合理性をもって人間は行動するものであるし、他人ならまだしも登場人物人格ベース自分自身である以上、ほとんど常に作家想定外の行動を登場人物がするんです、という状態はありえない。もしそうだとすればそれは単に何も考えておらずその場しのぎで適当に考えているからか、もしくは薬物でもやっているからだろう。

なお突如として想定外の動きを登場人物がした場合ヒックスはそれにあわせてプロットを書き換えるべきだとする。ヒックスは後述するようにプロットを重視するが、それ以上に登場人物を「愛さなければならない」という。

ヒックス登場人物創造する際、その登場人物の将来の夢は一体何なのかと作家に問いかける。これは夢を作家が事前決定しろという意味ではない。それではヒックス否定する「組み立てられた登場人物」にしかならない。

ここでいう「夢」はその登場人物人格依存して考えだされるべきものである。これは大塚世界設定で指摘した、ある条件を前提にしてそこからどうなるのか、ということを演繹的に導き出していく方法とよく似ている。

もちろん何の事前設定もなく人格を作れと言われても作家当人人格しかなりえない。ゆえにいくつかの設定は事前定義必要である。それは主題や、もしくは世界による必然性を伴った定義であることが望ましいだろうが、それら断片的な設定に後付で作家適当にどんどん設定を付け足していくのではなく、演繹的に設定が導出されていくべきだ、というのがヒックスの考え方であると筆者は理解している。

西谷ヒロインブラジャーの形状にこだわった逸話はしょーもないの一言で済む話だが、そこに人格から来る必然性があるのであればわからなくもないと言えよう。

読者による登場人物への感情移入

以上のように作家登場人物関係について述べてきたが、一方で主人公を決して困難な状況に陥らせないワナビにそれを指摘したところ「だってかわいそうじゃないですか」と反駁したという事例を西谷が挙げている。この点だけ見ると作家主人公に同化し過ぎたり、感情移入し過ぎることに問題があるように思えるが、西谷がここで問題にするのは、ワナビとは裏腹に読者がまったく感情移入できていないことにある。読者も同様に感情移入しているのであれば、徹底して登場人物への虐待作家が行うことに逆に嫌悪感を覚えることすらあるだろう。

西谷同様、筒井は「自分作品感情移入しているからといって、読者も必ず感情移入してくれるだろうと思うのは間違い」と指摘する。

本格ミステリSFなど、感情移入必要とせずとも最後まで読ませる魅力を持った小説存在する。しか感情移入が読者に続きを読ませる原動力として強く機能することは言うまでも無く、感情移入できないという状態は読むのをやめようという動機になりうる。読者が感情移入をしてくれるに越したことはない。

さて、基本的に読者の感情移入物語の中心を担う主人公に対してなされるべきであるが、ではどのような要素が感情移入を誘うことができるのか、という点について各説を整理する。

まず榎本水島主人公年代ターゲットとなる(と下読みや編集部が想定する)読者層と重ねるべき、としている。すなわちラノベ主人公中高生であることが望ましいと言う。同じ理由性別男性の方が好ましいと言いうるだろう。スレイヤーズブギーポップのように女性主人公成功例はもちろんあり、水島のようにそれを地雷ジャンルとまで言うのもいかがなものかと筆者は思うが、女性より男性の方が主たるターゲットである男子中高生感情移入を誘いやすいことは想像に難くない。

まず作者自身モデルとして主人公に据えるやり方について、「基本的に失敗する」「ナルシズムか自虐に陥るのがオチ」と榎本は断言する。もちろんそれで成功している例もあるが((森博嗣などは成功例と言えるだろう))、分の悪い賭けであることは確かだろう。

主人公に求められる特質について、西谷榎本飯田は読者の憧れを具現化していることであるとする。憧れとは立場的、能力的、性格的に秀でていることでもたらされるものだと榎本は言い、クーンツもまた「高潔」「有能」「勇気」「好感」という要素を挙げ、これらを満たしていることが必要だとする。

そして最も重要な点は、完璧超人では読者の共感が得られない、という点である。「ジェームズボンドのような例外はあるが」とクーンツは言いつつ、共感を得られやす主人公には上記の要素に加えて「不完全さ」が必要だとしている。これは人によって「欠点」「弱点」と表現は異なるが、いずれも同じ意味である

一方で「低スペックで卑屈、無個性へたれ」な主人公像については、飯田は「マスな読者のニーズとはマッチしない」として、そういった主人公ラノベは「実売数千部のマイナー作品」に見られる傾向だという。榎本もまた、読者が作品を読む理由の最も大きなものは「自分とは縁遠い出来事を手軽に楽しく疑似体験するため」であり、現実の平凡な中高生に近い主人公像ではそれが得られない、という。

しかしながら水島は「平凡な主人公」でも問題ないとする。超人能力を持った主人公像を否定することはないが、榎本飯田のように平凡さを否定することもない。西谷も同じであり、憧れへの言及最近のヒットしたラノベを見ているとそのような傾向がある、と言うにすぎず、読者の分身として機能する平凡な主人公像も肯定している。

さて、筆者はこれらの各説は人物の能力精神倫理区別せず論じていることで生じた混乱だと考えており、ここで対立があるとみることは無意味だと考える。

能力とは例えば「直死の魔眼」のような、その人物だからこそ実行可能な、常人には実行不可能行為名称である。この点での超人性を主人公が備えているかべきかは物語上の必要性によって判断されるべきであって、主人公がそうした点で無能であることは全く問題なく許容されるし、また絶対に負けず死ぬこともない完全無欠の超人能力を持っていても(それが物語必要ならば)問題ない。

次に主人公精神についてであるが、これは完璧であってはならず、平凡でなくてはならない。あらゆる誘惑に対して微塵も揺らぐことなく、確固とした信念を持ち理性と知性に溢れた決断をし続ける聖人君主はご立派すぎてうさんくさく、クーンツが言うところの「好感が持てること」という要件を満たさない。飯田にしても「ヒーローは悩む存在である」としてこの点での超人性を否定する。自分の将来や恋愛といったわかりやすく、読者が共感できる悩みを主人公は持つべきであり、さらに「何を考えているのか、わかりやすく書くほうがよい。感情オープンにならないキャラには感情移入しづらい」とする。

最後主人公倫理は、読者の倫理に反してはならない。主人公への感情移入によって「あらゆる女の子モテまくる存在であるという全能感」を読者は得るのだと飯田は言うが、しかしどれだけモテようとも複数同時並行で交際することは一般に許容されない。「主人公は鈍感でなければならない」とする指摘は、倫理的正しさを保ったままその状態を維持する点で(安直だが)効果的に機能する。

一方で木刀を持って不法侵入の上傷害沙汰を起こした同級生に対して警察を呼ぶことなく、彼女の空腹を察してチャーハンを振る舞い、自分の恥を晒しながらも穏やかに話し合いで事態を解決する主人公は、まさしく完璧超人と言うべき存在である

Unlimited Blade Worksとかマジカコイイ!憧れる!といった読者もいるだろうが、失笑する人も少なくないだろう。しか倫理的にそうすべきと読者が思い、また自分にも物理的には不可能ではないだろうがしかしなかなかそうはできないと思うことを主人公がやってのけることにこそ、多くの読者は「憧れ」を抱くのではないかと考える。

さて、憧れは感情移入の要素として極めて強力に機能するが、冒頭からいきなりその段階に持ち込むことは容易なことではないだろう。まず最初主人公へ興味を抱き、好感度を稼いで少しずつ感情移入を誘い、そして上述のような行為によってその感情移入を一気に深め、確固たるものとして確立する、というのがより無難戦略だと言える。

こうした興味喚起、好感度向上に役立つ要素として、例えば西谷は「肉体的な苦痛を与える」ことを有力な手法だとしている。クーンツの「主人公を冒頭で過酷な困難に放り込む」も同様の指摘と考えられ、冲方による「苦しい場面での感情移入成功すると、自然ハッピーな場面ではそのまま感情移入してもらえることが多くあります」というのも、苦痛を伴う場面は幸福な場面よりも感情移入効果が高いという指摘だと言えよう。

西谷が肉体的苦痛をあえて挙げている点は特に説明はないものの、おおむね誰にとっても明確でわかりやすいという点で精神的苦痛よりもメリットがあるからだろうと筆者は理解している。

そしてもう一つ効果的と思われる方法が、飯田が指摘する登場人物ギャップである

登場人物ギャップ

本項では「キャラ」と「登場人物」を区別しないが、新城はそれぞれ異なる意味定義しており、曰く登場人物を「内面があって葛藤と選択をする人格」、キャラを「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」とする。

飯田は「人間は意外性のある物語に弱い。とくに、内面なんてなさそうな人物に内面があった、というパターンに弱い」と述べ、人物の外面と内面ギャップを設けるべきだとしている。すなわち新城がいうところの「キャラ」としてまず描かれ、それが物語を通して「登場人物であると描いていくことで読者の感情移入が誘えるのだ、とする。

ところで飯田は良いツンデレと悪いツンデレがあるとして、良いツンデレ多面的感情の一つにツンとデレがあるが、悪いツンデレにはツンとデレの2面しかない。だからハルヒは不人気でルイズは大人気なのだ、とする。筆者はツンデレに良し悪しがあるとすれば、それは新城の言う「キャラ」と「登場人物」であろうと考えるため、飯田の説には同意しない。

ツンデレ」は言動まで類型化された属性である本来内面であるはずの照れ隠しの典型的言動はまさしく「こういうシチュエーションではこういう言動」であり、そこに人格を読者は感じられず、むしろ「お人形」として認識されると考える。

良いツンデレがあるとすれば、同じ典型的発言をするにせよ、そこに「葛藤と選択をする人格」があると読者に理解されることが要点と考える。ツンデレ喫茶バイト事務的発言する様を見て「ツンデレ萌え!」と興奮できるオタクがいないとは言わないが、ドン引きするオタクの方が多いだろう。

さて、さら飯田ギャップは「属性」についても適用できるとする((「属性」についての議論としては東のデータベース消費論などがあるがどうでもいいので無視する))。登場人物へは二つの落差のある「属性」を付与することが効果的だと飯田は言う。例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」における「モデル」と「オタク」という組み合わせを挙げ、「モデル」が持つ華やかでリア充イメージと「オタク」が持つ根暗コミュ障イメージを同一人物に同居させることで意外性を与え、興味を喚起できるとする。なお当然ながらこの手の単純な「属性」の組み合わせはそれ以上工夫する余地が無く、すぐに陳腐化する点は飯田自身が指摘するところである

このギャップについては、陳腐化しやすい「属性」の組み合わせよりもその個別の設定においても有効機能する。

例えば「とらドラ」における「目つきが悪いヤンキー」かつ「家庭的で親切」という主人公の設定、「小柄で可愛い」かつ「家事は苦手で暴力的」というヒロインの設定はそれぞれ落差のある設定だと言えるだろう。これは個人的レベルでのギャップであり、また同時に登場人物間のギャップにもなっている。

西谷主人公ヒロインを組み合わせると完全な人格になるよう相互補完関係を持たせること、また主人公には対照的な人を親友として持たせるのが好ましいとする。しか主人公ヒロイン親友という限定した関係に留まらず、主人公格として機能する集団を想定し、それぞれは別の仲間とその設定にギャップをつけること、というように拡大解釈可能だと筆者は考えている。

投稿文字数上限により、下記へ続く

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰3

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

2014/1/1 全文が正しく表示されていないことに気づいたため修正した。遅ればせながら指摘に感謝したい。

はじめに

ラノベ作家になりたいワナビは二種類存在する。

才能のあるワナビと才能の無いワナビである

才能のあるワナビは己の思うがまま書き連ねればそれで問題ない。一次落ちなど経験することも無く、一発で新人賞を取ったり、取れなくても編集者が連絡してきたりして遅かれ早かれデビューに至り、そしてワナビに向けたラノベ創作論を書いたりする。私はこうやってプロとして本を書いてます、どうぞ参考にしてください。

これが意味するところは、才能のあるワナビ他人の書いた創作技術本を読んで必死トレースしたりなどしなかった、という非情現実であるノウハウ本を欲するのはいだって才能のないワナビで、そして才能の無いワナビ今日選考落ちの通知を見て顔を覆うのである。○○先生の本に書いてある通りにやったのにどうしてダメなんだろうか。何がダメなんだろうか。

ラノベ創作技術本は本当に役に立つのだろうか。

スティーブン・キングプロットなど不要だと言う一方でディーンクーンツプロットの無い作品など糞だと断じる。大塚がまずキャラから作れと言う一方で冲方世界から作らないようでは話にならないと言う。

ラノベに限らず小説創作技術本はそれぞれの主張がまるでバラバラであり、まとまりがない。もっともこの手の本は意識の高いサラリーマンがこよなく愛する成功体験本と同じカテゴリである。ゆえに真面目に考える必要は無いとするのも一理あるだろう。

しかし、本当に彼らの主張はバラバなのだろうか。

実のところ彼らは単に表現が違うだけで、最終的に同じことを述べてるのではないだろうか。

手順が違うだけで、結局同じことをしているのではないだろうか。

もしそうだとすれば重要なのは手順ではなく最終的にどういう状態であるかにあり、その状態がいずれの作家も共通しているのであれば、それこそが欠かすべきではない要素ではないのか。

大沢は「技術は教えられるが、才能は教えられない」という。だがヒックスは「モノを書くことでの才能の問題は、相当に過大評価されて」いるとして、「それはやっていくことで獲得」できるものだと言う。

Hard work beats talent when talent doesn't work hard.

Tim Notke

本稿は個別の手順というより、最終的にどういった状態を目指しているのか、という観点ラノベ創作技術本の各説を整理し、俯瞰する。筆者はワナビではなく、単なる興味本位でこの整理を行ったに過ぎない。しかし才能が無いことを自覚し、それでもなお努力によってこれを覆そうというワナビにとって、本稿がより効率的努力を実現する上での一助となれば幸いである。

ラノベ定義

本稿ではラノベを「ラノベの主要レーベル新人賞に向けてワナビ執筆する、新人賞を取りうる内容の小説」と定義し、本質的ラノベ定義へは踏み込まない。このことからカテゴリエラーをめぐる問題このラノベの本質的定義限界を探ることと同義であり、本稿では割愛する。

参考文献

本稿執筆にあたり参考とした文献を下記に記載する。

作家名で適当に並べたに過ぎず、記載の順に意味は無い。

まだ参照すべき文献は多くあるが、ひとまず本稿執筆にあたっては上記で一区切りとした。

ラノベの読者

ラノベ作家商業主義であらねばならない、と五代/榊は明言し、飯田キャッシュフローを生む作品こそが素晴らしい作品なのだという。実際、ラノベ新人賞商業的に売れるラノベの発掘を目的としているのであって、ワナビ承認欲求を満たすためにあるわけではない。

新城ラノベの読者の多くは男子中高生であり、すなわち「毎月のお小遣いが限られている学生であるとする。飯田さらラノベの読者はアニメ漫画ニコニコ動画を好むオタクであるとする。そしてラノベは彼らの限られた小遣いの使い道として選択される商品でなければならない。榎本西谷水島も、いずれも同様に読者が誰かを意識しろと主張する。

ところでワナビが書いた新人賞用のラノベの読者は、中高生ではない。

新人賞の下読みの多くは大学生バイトであり(あるいは主婦新人編集者)、選考するのはプロ作家であり、プロ編集者である。いずれにせよ選考過程中高生存在しない。

読者が誰かを考えるべき、という指摘はもっともだが、プロ作家ワナビでは立場が違う。ワナビラノベレーベルで勤めるサラリーマン編集者想像する『中高生』にウケるラノベを書かなければならない。榎本現実中高生とふれあい彼らの考え方を理解しろと言うが、本当にそんなことをすれば事案待ったなしのワナビは少なからずいるだろうし、現実中高生には圧倒的にウケる20代30代の編集者には全く理解できないものがあったとすれば、それは間違いなく一次落ちである

行頭は一段空けましょう、といった小説執筆上のお作法ができていなかったからといって間違いなく多くの中高生は気にしない。しかプロは気にする。そうした基礎的作法の欠如は中高生云々の前にまず彼らに不快感を生じさせる、という点を理解しておく必要があるだろう(応募に際してはあらすじを付すようにという指示に対して小説煽り文や序文を付けるといった無理解なども根は同じだろう)。

ラノベ創作の段階に関する整理と比較

最終的なラノベに至るまでの執筆上の段階や要素は論者の数だけ存在する。例えばキングによるアイディア原稿の2段階、クーンツを始めとするアイディアプロット原稿の3段階、冲方による能書き、種書き、骨書き、筋書き、肉書き、皮書きの6段階などがある。

本稿では「アイディア」「プロット」「原稿」の3段階を用いて各説を俯瞰する。この各段階は「アイディア」が最初であるという点を除けば、随時行き来することがいずれの説においても許容される。一度「プロット」に移行したら「アイディア」へ戻ってはならないなどと主張されることはないし、「原稿」の完成に至ってから再度「アイディア」の段階に戻る作家存在する。

一方で、これらの「段階」はそれぞれ独立しているわけではないことに注意する必要がある。いずれもその前段階の上に構築されている。つまり、あるワナビが「プロット」に問題があると認識したとしても、その前段階に問題がある可能性は否定できない。これは感想や選評においても言えることであり、問題点の指摘がまったく的外れでなかったとしても、その問題引き起こしているそもそもの原因は何なのか、という点を突き詰めなければ、根本的な問題はいつまでたっても解消されないままだと言えよう。

以下、それぞれの段階についての各論に入る。

アイディア

アイディア」とは筒井がいうところの「妄想」であり、単語キーワードフレーズ、断片的な会話や場面など様々なものであり、その創作で用いるかもしれないし、用いないかもしれないネタである

冲方は「アイディア」を3段階に分けており、まず主題を考え(これを能書きと称する)、次にそこから様々な雑多なアイディア連想し(種書き)、今回はこのあたりのアイディアを使おう、と決めて整理する(骨書き)という。

しかし実際には冲方自身、これらを行きつ戻りつして執筆を進めていくとしており、「骨書き」の段階からは後戻りしないと固定しているわけでもないことから、本稿では参考として紹介するに留める。

この「アイディア」の種類についてもいくつかの主張があり、例えば冲方主題世界、人物、物語文体の5種であるとするし、榎本キャラクター世界設定、ストーリーの3種としている。分類それ自体意味を持つものではないが、それぞれが独自用語を用いて自説を主張している状態では整理のしようもないため、本稿では「主題」「世界」「登場人物」の3種に分けて整理する。

主題

本稿では主題テーマは同一の概念とみなすが、主題とは、そのラノベ創作において根幹となるアイディアのことである冲方大塚はこの主題を根として木構造状に各アイディアが繋がっていることを主張する。

主題を確定するタイミングについて冲方は真っ先に考えるとするし、大塚作成した主人公像の要素を深化させそこから主題抽出するとしている。榎本プロット作成の段階で必須としていることからそれ以前に考えておかねばならない。西谷執筆段階で突如として「物語の核」を意識する、と述べるが、この「物語の核」が主題とみなせるのであれば、プロット後に主題を決めてもいいということになるだろう。

このように主題をいつ考えるかは説によって大きな差があるが、結果としてラノベ創作において「主題」が必要不可欠だと多くの作家が述べていることに変わりはない。

繰り返しになるが、全てのアイディアの共通の祖先として「主題」は位置付けられる。従って本稿の分類で言うならば「世界」や「登場人物」は必ずこの主題関係する要素を持たねばならない。言い方を変えれば、「主題」はアイディアアイディアの共通要素として機能するため、ワナビ本人は主題として位置づけたが、それが「世界」や「登場人物」に関係していないのであればそれは「主題」ではない。

この「主題」があることの意義について、「読者は「設定資料集」を読みたいのではなく、「物語」を求めている」という榎本の指摘、また「「細部」には主題が宿る「細部」とそうでない「細部」があります。そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは「主題の宿る細部」なのです」という大塚の指摘を踏まえるなら、読者が「物語」と捉えるか「設定資料集」と捉えるかは「主題」の有無次第だ、ということになるだろう。

設定資料集が好きな人存在することは事実であるが、彼らは設定資料集ならなんでも好きなわけではなく、特定物語を好んだことで、その物語のより詳細な背景情報を知ることを好んでいるに過ぎない。興味のない物語設定資料集など誰も目を通してくれはしない。

このように「主題」は重要な要素であると考えるが、その表現方法に関して榎本主題台詞地の文で語ると胡散臭く、説得力が無くなるとしているし、クーンツ主題で読者を説教してはならないと注意を促している。台詞地の文での表現を避けるとなれば、多くの場合登場人物の行動、またそれによって引き起こされた出来事によって表現されることになると考えられる。

世界登場人物

本稿では会話文の主体になりうるものを形作る上で用いられる情報名前性格容姿、口調など)の総体を「登場人物」と定義する。「キャラ」「キャラクター」とこれを区別するものもあるが、特筆の無い限り本稿ではまとめて「登場人物」とみなす。

一方で、登場人物以外の全ての設定を本稿では「世界」と定義する。具体的には魔法の有無などの自然法則身分制のような社会構造、もしくは携帯電話の無い世界といった現代社会との差分もまた「世界である

いずれを先に考えるかについては諸説ある。例えば冲方水島世界が先だとするし、大塚西谷登場人物からだとする。榎本のように特に順序には言及しないものもある。

しかしながら冲方大塚の「世界」と「登場人物」が揃った状態についての言及は非常に似通っている。

冲方は「人物たちの性格や言動や行動の全般は、結局のところ、大半が、世界時代に左右されたもの」と言い、このような世界からこそ、そこに登場するこの人物はこのような設定になるのだ、という必然性要求する。

大塚もまた登場人物個性については「キャラクター所属する「世界」の物の見方価値観に由来するもの」があるとしており、その人物の設定は彼の存在する世界の設定から必然的に生じたこのような価値観に由来するのだ、という必然性要求する。どちらの側から見るかの違いだけで、冲方大塚も目指している状態は同じだと言っていいだろう。

世界登場人物リアリティ

ワナビの「世界」について「リアリティ自分身の回り3mくらいしかない」「おまえの世界には学校コンビニと自宅しか存在していないのか」と五代/榊は批判し、リアリティには細部の設定が必要不可欠だ、という立場をとっている。一方で「登場人物」の細部情報への批判としては「異能力の内容だけやたら細かい」にもかかわらず「話に全然関係ない」としており、両者をまとめると「主題」の宿る細部こそが必要不可欠であり、それ以外の細部の設定は不要だとする大塚説とほぼ同一と言っていいだろう。

冲方は「そのテーマが内在する世界を、しっかり構築することができるようにならなきゃ話にならない」と世界における主題を重く位置づけた上で「実際にその世界について書かなくても、少なくとも自分は知っていたいし知らないと駄目」と細部の設定の充実に言及する。

その一方で登場人物については、冲方はそれが主題関係しないのであれば「性別や年齢をあとから決める」とする。水島登場人物プロット上の必要性が出てから作れと述べ、最初長大キャラ表を作るというワナビありがちな行為を繰り返し否定する。ヒックスは事前定義表に基づいて穴埋めで作られた登場人物を「組み立てられた登場人物」と表し、そして「最良の脚本には、組み立てられた登場人物存在していない」と断じる。

だがこれらは登場人物に細部の設定が必要ない、という意味にはなりえない。例えばクーンツプロットをまず作ることを前提とした上で、リアリティを持った人物描写のためには、登場人物に関しても細部設定が必要だとして、身長体重、体型、年齢といった肉体的特徴、声や話し方、動作や仕草など多岐に渡る項目の設定を列挙している。

登場人物」であれ「世界」であれ、リアリティは細かな設定によって得られるものだ、という点はいずれの主張とも矛盾しない。その細部の設定が「主題」と関係する場合最初に考えるべきとする見解はあるが、関係しない場合、それがとりわけ「登場人物」の細部設定の場合、これを最初に考えることは多くの見解で明示的に否定されている、ということになる。

これとは相反する主張として、西谷はまず人物設定から始めるべきだとする。「積極性」「肉体的な強さ(美しさ)」「いざというときリーダーシップ」「やさしさ」「辛抱強さ」「頭の良さ」で点数をつけてチャート作成するのが良いとして、さらには性格趣味、髪の色からメイクの仕方、ブラジャーの形状までを設定例として挙げており、そこには「主題」との関係性への言及はない。

ところが西谷は実際の作例において仮置きの主人公を用意するに留めており、チャートについては一切触れず、細かな設定も一切用意しない。まず最初に「世界」と「主題」に取り掛かり、「企画を練り上げる段階で、主人公を変えてしまう」「主人公を引き立てる脇役は、書いている途中で思いつく」とすら述べる。

最終的なこの作例が実際の西谷の手順なのだとすればその手法はむしろ冲方寄りである Permalink | 記事への反応(5) | 20:41

2014-11-30

ハイキュー作画監督炎上事件は何がいけなかったのか

はじめに

表題炎上事件について→http://matome.naver.jp/odai/2141693171094339801

この件についてはいろいろなサイトでまとめられているのでここで特筆すべき点はない。

ただ、未だにTwitterなんかでこの件の発言している同業者が、作品好き嫌いくらいある、仕事愚痴言って何が悪いんだとか、同人くらい許してやれなど、なんとも的外れ発言をしている輩がいるのが大変趣深いと感じている次第である

はっきり言ってそんなこと言っている阿呆ネットなんてやめてしまえと罵声を浴びせたいくらいではあるが、ではそもそも何がおかしいのかをここで吐き散らしたいと思う。

何が問題だったのか

今回、黒岩氏の問題行動のとされているものが、【仕事ネガティブ発言】【きわどい同人作品の公開】である

仕事上の愚痴や文句なんて、アニメーター関係なしに誰でもつぶやいているし、ちょっとやる気のでないことなんで誰でもあるのでさして問題ではない。

同人活動についても、アニメーター本なんて世の中にいくらでもあるし、Twitter上なんかでもよくアニメーターが書いた絵がアップされているのでこれも目くじらを立てるものではない。

(同人活動については北久保弘之氏の発言が詳しい→http://ask.fm/LawofGreen/answer/117998437839)

では、これらの行動は何が問題あったのだろうか?

結論から言うと、黒岩氏の行動によって【Production I.G及び作品ブランドイメージの低下】をもたらしたことに問題がある。

まず、この発言をした黒岩氏が、ハイキューげんしけん二代目など、有名作品作画監督経験がある有力アニメーターであることを特筆したい。(http://www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/1572.html)

作画監督とは、担当話数の絵の品質を保ついわば管理者であり、何十人という人によって描かれた絵を統一させる、重要ポジションである

そんなポジションに居る人物が、【仕事ネガティブ発言】をするとどうなるのか。

ファンからすればやる気出せとか本気出せとか憎悪感情がこみ上げてくるが、最も懸念されるのが、作品品質の低下である

こんな発言をしていれば、ちゃんとしたアニメが作られるだろうか?と誰しも不安になるだろう。

当然、黒岩氏に発注したProduction I.G側の信頼も低下するであろう。

【きわどい同人作品の公開】はどうだろうか。

ハイキュースポーツアニメであり、断じて男同士が肌を密着しあう作品などではないだろう。

それを有名な黒岩氏の名前で公開すると、作中のシーンなのかと勘違い生まれる。すると当然、作品に対するイメージも悪くなる。

(この点は、スマイルプリキュア大塚監督コラ画像の禁止を訴えたのと近いと思う→http://matome.naver.jp/odai/2133688607261002601)

以上のことから、影響力の高い人物にもかかわらず、会社及び作品ブランドイメージ低下のをもたらす行為をした黒岩氏に対し、厳正な処置が取られたものと考えられる。

会社からすれば、自社のブランドイメージを傷つけた社員に対して処分をするのは当然の行為である

なお、

当社といたしましては社員に対するSNS運用基準などを設け、都度適切な運用を心がけるように指導を行っております

(出展http://www.production-ig.co.jp/hotnews/2014/112601)

とあるように、SNS利用規約存在することが明記されているため、単なる規約違反であるともいえる。

おそらく規約には、不適切な利用をしたものには作画発注の停止等相応の処置が取られるように明記されていたのだろう。

愚痴同人作品活動もしたかった黒岩氏はどうすればよかったのか

匿名で行うこと】に尽きる。

個人が特定されなければいくらでも愚痴を吐いてもよいだろう。同人活動もこっそり(広報活動をしない、別名義で描くなど)行えば良いだろう。

Twitterの鍵付き機能など、プライベートアカウントでは無駄だ。1人でも発言を見ていたら、いくらでも転載される可能性がある。

Twitterを始め、SNSは昨今身近なツールになり、いつでもどこでも投稿や閲覧が可能になった。

からこそ、すべての発言ネットに繋がったすべての人に閲覧される可能性があることを十分認識しよう。

影響力のある人は、自分立場を考え、自分発言・行動がどの様な影響をもたらすのか、どの様な解釈をされるのかを良く考え、軽率な行動を取らぬようよく考えていただきたいものである

2014-07-27

親指シフトの練習

親指シフトの練習で月曜JUNK伊集院光深夜の馬鹿力2014年7月21日の「今週気づいたこと」を書き起こしてみました)

今週気づいたこと。

池袋バッティングセンターっていうバッティングセンターがあるんですけど、今もあんだけど。

ボーリング場の最上階みたいなとこにあって。

でここが、金曜日土曜日だけ終夜営業をやってて。朝の五時ぐらいまでやってんの。

んで、ま、俺はここが大好きで。

金曜日とか特に夜中、このラジオネタ選びみたいなことをするんですよ。

何日かに分けてやるんで。月曜日番組の直前ぐらいまでやってるんですけど。

金曜日の夜は第一陣の選びみたいなのをやるから

からパソコン持って出て。

夜中の三時ぐらいバッティングセンター行ってバッティングしてから

またちょっと二十四時間(営業)の大塚ってとこにある本屋さんに寄って、

さらファミレス行ってパソコンでこうネタ選んだりしてるんです。

でここがびっくりするくらい夜中の金曜日でも土曜日でも夜中の三時にお客さんがいないの。

俺以外が打ってることをまず見たことがないわけ。

から、どう考えても採算が取れてないから

俺ん中では、なんでやってんだろって思ってたんだけど。

ずーっとやってるから。もう何年も行ってるから

ま、そういうもんなんだろうなみたいな。

しかしたら、あそこで俺が、こう汗をかきかき打って

たまに垂れた汗から抽出された何かがすごい金額で売れてるのに俺が気づいてなくて

そのための、まあその、ファイザー製薬の作った施設なのかもしれないっていう。

ずーっと、どんなに異常でもずーっとあり続けるとそういうもんなんだなって思ってるから

あって当たり前って感謝もなくなってきて。

月に一回、三ヶ月に二回三回のペースで行く、行ってたの。

そしたら何月かね、近くにスポッチャが出来たのが。

池袋バッティングセンターの下にはずーっと昔からボーリング場があって。

ボーリング場が繁盛してるからボーリング場の混雑待ちとかで、

夜中は人いないけど昼間はそのバッティングセンターは繁盛してたんですよ。

そしたらラウンドワンのスポッチャみたいなラウンドワンのすげーでかいのが池袋にできて。

春先かね、できて。

あれよあれよという間にこのボーリング場がつぶれちゃったの。

でなぜかボーリング場はつぶれたんだけどそのバッティングセンター池袋バッティングセンターは残ってて。

しかも終夜営業やってんだ。金土は。あ、なんだやってんだなと思って。なんか。

もうやるもんなんだなと思って。

んで、三ヶ月ぐらい経って。こないだの金曜日行ったら突然なくなってて。

突然終夜営業やめ、池袋バッティングセンターはあります

これあの、池袋バッティングセンター自体のファンの人、あるんですけど。

俺以外の人が利用しているのを見たことがない金曜土曜日の営業、夜中の営業が終わって。

わっちゃってて。

びっくりしたっていうかちょっとびっくりしたけど、そりゃそうだよなって。

十年は行かないけど昔あのそばに勉強部屋を借りてて、あれ何年前かな、仕事部屋を借りてて、八年ぐらい前で。

八年ぐらい前から深夜営業行ってるけど八年ぐらい前からしかいないんだから、客が。

からなくなって当たり前、まして本体に近い方のボウリング場もなくなって。

なくなって当たり前なんだけど。

ずーっとこう不自然にあり続けるもんだと思ってたから。

変な感じだなっていうのと。

じゃあなんか、分かんないけどタレントが声を上げて「あの池袋バッティングセンターの金曜土曜日の終夜営業を

何卒みんなで盛り上げて復活させましょう」ってはならないのは、あの俺しかいない感じが好きだから

繁盛してるのは別にきじゃないから

そこが俺の勝手なところで。「ひなびた喫茶店が無くなっちゃうんです、是非署名運動を」みたいなこと言われても、

「ひなびたままじゃなきゃ要らねえから」っていうわがままな感じで。

結果、池袋バッティングセンターの金曜土曜の夜中の営業は、今まで俺だけのためにありがとうございましたっていう。

もう、仕方がないってことになりましたとさ。

月曜ジャンク伊集院光深夜の馬鹿力

2014-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20140531223323

いわゆる営業屋としての才覚に優れてて

かつ弁舌が達者でプレゼンも上手くて資料作りも上手で

更に「俺はベスト仕事をした。これは俺の責任じゃない」

って心のそこから思えるタイプなら良いんじゃないか。

所謂コンサル屋だけど、仕事は非常に地味というか泥臭いよ。

そういうのが得意な人にとっては最高の居場所になりえる職場だとは思うけど

まぁ、一般的オススメは出来ないんじゃね。

大塚も営業の才能があるヤツにとっては天国だろうし。

ブラック営業屋向けの才能を持ったやつってのは結構いて、

そういう人間にとっては向いてる職場

よく考えて入社することを勧めるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140531222518

日本コーンスターチいいじゃん。

安定企業だしメーカーだ、それなりに楽しいんじゃないか。

個人的に知るところによれば非常に家族的な会社だったはず。

良くも悪くも。まぁ、悪いところばかりじゃないよ。

船井と大塚はまぁ…うん、まぁね。止した方がいいと思うけど。

2014-05-08

Gigazineが完全に死んでる

http://gigazine.net/news/20140508-matsuya-japanese-hamburger/

いや、もはやどうでもいい糞サイトに成り下がったのは間違いないんだが、

上の記事、まず、ただ松屋の新メニューを食べに行った、というだけの何も内容の無いステマ記事。

単に写真撮りまくって写真を見ただけでも思いつくような適当な1文言ずつ入れるだけの簡単なお仕事

一回いくら貰ってるのか知らんが、最近こういうの多すぎ。



んで、それ以上に注目はツイッター

thankyouknight

2014-05-08 22:29

RT @gigazine: 松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/R3Y7oIUGgL

悪来(仮)

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました - GIGAZINE http://t.co/64MJaa4wjS

モノクろbot

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました - GIGAZINE http://t.co/GuPEA9dFzD

綾乃@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/qJnE4k1ZQJ

エンジニアアンテナ

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/fVRk258tHz

萱野 あや@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/l7fJpOS8XL

岡田さちえ@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/Wj0eQbFS8G

れい@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/4P0Sh2hRIN

大塚 純 @相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/G9gwz2XUmP

伊藤怜子@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/mUE97FCwHo

田村 祐希 @相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/55735WY0Dg

大泉有紀@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/J5cRLcHiQG

酒井恵@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/CVm6YWi6ga

堀田りな@相互フォロー

2014-05-08 22:27

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/QOpSUZpFG7

VIPPER BOT

2014-05-08 22:27

GIGAZINE 松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/bAvZYRYDSd

さわ@相互フォロー

2014-05-08 22:26

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/E1fayvheiJ

冨樫 直子@相互フォロー

2014-05-08 22:26

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/ohZgOnuZNi

唯@相互フォロー

2014-05-08 22:26

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/6GVKPS678w

大村 亜矢@相互フォロー

2014-05-08 22:26

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/jQarbhydYU

中根 美紗子@相互フォロー

2014-05-08 22:26

松屋の「和風おろしハンバーグ定食」を鉄皿提供店舗で食べてきました http://t.co/Jy5LgdJMfo

つーか、相互フォローとかそういうの、規約違反だよね?基本的に、やってることが。

まあそもそも上のものなんて殆どbot的なもんだと思うけど。

なんなん?腐りすぎだろ。

2014-04-12

豊島区エルサレムと『雑司ヶ谷R.I.P.

樋口毅宏小説さら雑司ヶ谷』は、東京都豊島区雑司ヶ谷舞台にした小説ゲリラ豪雨幼なじみとの恋、やたら強い中国人との愛憎入り交じる関係オザケンタモリなどがごちゃごちゃになって、一気に読めてしま楽しい(←人による)話だった。主人公の祖母は大きな宗教教祖なんだけど、続編の『雑司ヶ谷R.I.P.』では教祖だった祖母が亡くなり、後を継ぐことになった主人公に大きな困難が降りかかるという話だった。

主人公が継ぐことになる宗教は、雑司ヶ谷に本拠地がある「泰幸会」。都電庚申塚駅(新庚申塚だったかも…)の近くに「泰幸会スーパーアリーナ」という大きな宗教施設を持っているという設定。ちなみに庚申塚駅というのは「おばちゃんの原宿」で有名な巣鴨地蔵通りの終点にある駅。ここを読んだとき、なるほど!と思った。雑司ヶ谷から庚申塚都電で行けるということだけではなく、巣鴨のまわりには大きめな宗教施設がやたらとたくさんあるからだ。

巣鴨駅の近くには創価学会東京戸田記念講堂、三田線の隣駅である千石の閑静な住宅街にはパルテノン神殿のような天心聖教の本部聖堂巣鴨大塚の間くらいには真如苑大塚支部、西巣鴨というか西ヶ原四丁目には天理教の大きな教会。大きくはないけど、大塚にはサイエントロジー東京もある。もちろん、地蔵通り商店街にはとげぬき地蔵で有名な高岩寺もある。巣鴨宗教施設がたくさんある理由はよくわからないんだけど、これだけの集まっているのはある意味すごいと思う。

そういえば、『さら雑司ヶ谷』が大きな影響を受けているであろう『池袋ウエストゲートパーク』がドラマ化された際、長瀬智也演じるマコト実家池袋果物屋だった。東京で暮らすようになって、池袋駅北口にある小さな果物屋さんをみつけたときには「あのマコト実家だ!」と感激したものだった。『雑司ヶ谷R.I.P.』に出てくる「泰幸会スーパーアリーナ」が庚申塚にあることを「ありそう!」と感じるのは逆だけれども。

夕暮れの巣鴨地蔵通り、とげぬき地蔵の前で、メイドさんが呼び込みをしているというカオス風景を見て、そんなことを思い出した。

2014-04-03

思うところがあるから、少し自分語りするぜ。何そんなに行数はとらんさ

俺は今年に大学入学する新一年生な訳なんだが、実はどこの大学にも入学前のオリエンテーションがあってな

今日、行ってきたのさ。友達作れるか不安で仕方なかったしな

ところが班分けが悪かった

指定された場所に行ったらテーブルに先客があらかたついてたんだが、そのテーブルについていた全員が女の子だった

そうチューターも新入生も全員女の子だ。野郎としかさない男の俺はかなりビビった。強面ともデブとも言える俺じゃ場違い

だが参加した以上、俺には周りの奴らの気分を損なわせねえ義務がある。さて、どうするか・・・

趣味言葉遣いも性格女の子らしいところはねえ。なら女性らしいトーンで話すか、と冷静に分析して

「それに勢いを加算したら確実に乗り切れるに決まってる」と思ってはきはき元気よく柔和なトーンで話して行ったんだ


おう、引かれた。何が悪かったのか・・・多分ごつかったからなのか? 「うぇーいwww」とか変に気張らず行ったつもりなんだが

開幕時のキャッチはよかったんだ。俺の有り余る666趣味の中で「スイーツ好き」っていう揺るぎねえステータスを前面に押し出し

かつ声を大塚並に低めにしながら柔らかい丁寧語で話す。合わさって中性的な魅力。世の女性ギャップイチコロとはよく聞いた話だったが・・・

んでまあ、その後仲良くなった男がいるんだが、こいつは顔が可愛くて丁寧だったから即刻メアドを聞かれてたんだがな・・・

確かにあいつはかっけえ。男の俺も唸って滾る色気、コナン君みたいな眼鏡、がっつかねえコミュ力、非の打ち所がねえ。腹の底から感服したぜ

そいつとは「いつかてめえの面を剥いで俺にくっつけてやるぜ」的なことを言いながら、メアドを交換して別れたんだ

しかし俺は女性と仲良くするときにどういう風にやったらいいんだろうな?

俺なりに配慮したつもりだったんだが

2013-11-09

山手線は実は環状線である必要がない

都内の移動では、中央線京浜東北線都電荒川線などを効率よく使って移動するので

山手線をフルで使うことは実はそれほど多くない。



となれば、うまく路線を切断することによって通常の往復路線へと移行が可能である

そちらの方がよりローコストである上、

都心の貴重なスペースを占領する4本の線路を2本に減らすことも可能だ。



具体的には、池袋大塚間を切断し往復路線へと移行するのがよいのではいかと思う。

ケケケッケケケケケケケケッケケケケケケケケケケケッケケケケケケケケケケケケケケケケ

ケケケケケケケケケケケッケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ

ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ

ケケケケケケケケケケケケケケケケッケケケケケケケケケケケケケケケケッケケケケ

ケケケケケッケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケッケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケッケケケ

ケッケッケケケケケケケケケケケケケケケケケケケッケケケケケケケケケケケケケケケケケケ

ケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケケ

ああ、もちろん、言うまでもないことだが、1つだけ、念のため、

万が一の誤解などありえないと思うが、念のため注意を書いておく。

捨てるのは池袋から新宿渋谷品川を回る方面の路線だ。

ちゃんちゃん

2013-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20130620141226

> ただ、ホリエモンツイッターで「スキルのあるプロ馬鹿にしてる訳じゃない」とも言っている。

>そもそも、冒頭の発言は「声優養成所」批判の中で飛び出したものだった。

悪いけどその辺はもう堀江一味の後出しの火消しにしか見えない。

だって声優ってそんなにスキルいるんかえ?」って発言と全く整合性が無いじゃんそれ。


更に、

大塚が言ってるのは

必死に訓練をやり遂げて志望者から抜きん出た水準の技術を身につけた新人の中でなお

 チャンスのチケットを掴むか否かが運や愛嬌に左右されてる(技術をつけてもなおキツいから気をつけて欲しい)」って話で、

ほりえもんが言ってるような「素人に1万円でオーディションを受けさせればいい」なんて提案に通じる部分は全く無い。


だいたい「声優養成所の寡占(?)に風穴を開けたい」って理念であれば

自分達のアニメで広く情報公開したオーディションをやればいいだけで

1万円取るだの「オーディション経験を積む」だのは一体何なのかと。

デブ2人のビジネスの話だろ単にそれは。


最初

声優をこき下ろしてアホに夢見させて炊きつけて金取ろう」って作戦だったけど

予想外にバッシングを受けて、ネット若者界隈での声優支持率の高さに気付いた。

で、今度は声優養成所にターゲット変えてきたってだけの話だろ。


「君達は搾取されているーっ!」

「うちなら一回の単価安いぞーッ!」

つってるだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20130620133115

> ただ、ホリエモンツイッターで「スキルのあるプロ馬鹿にしてる訳じゃない」とも言っている。そもそも、冒頭の発言は「声優養成所」批判の中で飛び出したものだった。

まりホリエモンが言いたいのは、今の声優スキルよりコネで上がってきてるよね?(養成所とかじゃないとオーディションの通知がこない)

から、「最初スタートラインに立つには技術問われてない」っていう今の状況を壊すために1万円払えばだれでも参加できるオーディション実施しようとしてるわけで、

その点においては、大塚氏の言ってる「まず人好き、愛嬌」がないとスタートライン(大塚氏の表現だとチケット)にすらたてなく、技術はそこから必要とされるよね、という意味で書いたんだけど

うまく伝わってなかったら申し訳ない

義務教育レベル国語力が無いなら口開くなよ

http://anond.hatelabo.jp/20130620112917

いやいやいや

全然別の話だろその二つは。


堀江は「技術なんかいらない」と言ってる。

大塚は「技術が物言うスタートラインに立つまでにまず運や愛嬌が影響」と言ってる。



お前は一体何をどう読んでこの二者の話が同じだと思ったんだ。

どっちに対しても失礼だよ。

ホリエモン発言について思ったこと

ホリエモン声優ってそんなにスキルいるの?」 「ものすごいいるよ」「やってみればいい」声優から続々反論

http://www.j-cast.com/2013/06/17177427.html

これを聞いてホリエモンが批判されまくっててずっとひっかかってたんだけど、先日やっとそのもやもやの正体がわかった。

一番難しいのは「生き残ること」、大塚明夫が「声優」という職業を語る

http://gigazine.net/news/20120506-digitalcreator-machiasobi8/

声優大塚明夫氏がこの騒動前に大体同じような主旨のことを言っていたからだ。


高橋

そのほか、今お話を伺ったこと以外でメタルギアという作品に関して、今日講師としていらして頂いているので、講師として、この作品を通じて何か伝えたいことがありましたら。

大塚

1つだけ言いたいのは、僕が声優を始めた頃と時代が変わってきてるので、同じことを言うと古いってことになるかもしれないんですが、やっぱり、役者になるっていうのは親から見たら心配なことなんです。何故心配するのかっていったら、大体が悲惨なことになるわけで、経験から親はそれを知ってるんですね。現実声優になりたいとか俳優になりたいとかミュージシャンになりたいとかって大阪東京に出てきて、ブームの時とか現実ものすごい数の人が都会に出てきたんですが、現実に、ご飯食えてる人って殆どいないんじゃないかなあ。どうしても、お仕事として捉えたときに、商売になる人っていうのは、本当に、ごく一握りだし。もし生き抜いて、勝ち残って、どこかの事務所に入れてもらっても、そこからが大変。サメって生まれる前にお母さんのお腹の中で共食いをして、勝ち残った奴が生まれてくるんだけど、それで外に出てきても別の生き物にすぐに食われちゃったりするんですよ。そういうのがリアルにあるんで。ほんとバクチなんですよ。僕らの時代なら人よりちょっと上手ければ見てもらえるっていうケースも考えられたんですよ。あれから二十幾とせが過ぎまして、世の中を見ていますと、うまい下手というのはさして変わらないんですね。それよりもやっぱり愛嬌があって、人好きがして、かわいがられる人じゃないとまず、チケットがゲットできない。で、その人が幸運に恵まれて、チケットをゲットできて、ぽんと売れて。で、ここで初めて技術力が必要になってくる。その時のために、必要にならないかもしれない技術力を磨く努力っていうのができるのかどうか。大抵の人は商売になりません。お金になりません。運がいいと人気者になれて、力があると、生き残っていける。でも幸運がなかった人は、力があっても売れずじまい。そういうリスキー仕事を一生やれる覚悟があるかっていうことをまず、自分に聞いてみてください。40、50になってからじゃ取り返しが付きませんからねえ。


ホリエモンって、言い方を変えればとても本質を突く発言をしたりしてると思うのだが、いかんせん神経を逆なでするというか、わざと人の逆鱗に触れそうな言い方をしているのが勿体ないところだと思う。

2013-04-25

色々出てくる、家入一真さんと悪ふざけな方々の未払い祭り

ここ数日、何かと話題になっている家入一真氏と若野桂氏のデザイン料未払いのやりとりであるが、家入氏の未払い問題は今に始まったことでも何でもない。

叩くと色々出てくるが、まずは数年ほど前に家入氏が経営していた会社、party company社の運営していた海の家での未払い問題をご紹介しよう。

江ノ島海の家Colcci(コルチ)音楽イベント ダブルブッキング事件

http://therightwing.blog129.fc2.com/blog-entry-1.html より引用

2010年8月江ノ島海の家Colcci(コルチ)で行われる予定だった音楽イベント

株式会社パーティーカンパニー株式会社アマゾナスヴィダ(子会社)の一同によるダブルブッキングにより中止となった。

当初、被害弁済の話しで折り合いをつけると見せかけ、話しを持ちかけてきたが、8月海の家の営業が終わると同時に、今度は弁済しないと言ってきた横暴ぶり。

しかも、株式会社ウィルコープ代表取締役 松田という、関係ない幽霊会社(住所も電話も飛んでる)の代表が出てきて、連絡はバックレるは知らぬ存ぜぬという始末

株式会社パーティーカンパニー側が株式会社ウィルコープに頼み、けつを拭いてもらおうとしたが、相手が悪かったみたいだ。

要は、株式会社ウィルコープは株式会社パーティーカンパニーの都合の悪い事を、一手に引き受けていると思われる。

来年海の家をやろうとしてるみたいだが、自分達の都合で中止をし被害弁済もしない企業来年もできるとは思えない。ていうか、できないでしょ!噂が回ってるから

株式会社パーティーカンパニーの情けない所は、担当者萩原氏に責任押し付け会社としての監督責任を果たさない点である

責任者は彼かもしれないが、上役1人出てこないのは、不思議ものである

上場会社も率いている、家入一真氏には、社会に対しての責任をしっかりと感じて頂きたいと思う。

これ以上、日本という国で、好き勝手できるとは思わないで頂きたい。

お金があれば、何をやってもいい、弱者には強くあしらい、上場会社の方ではお金を集め、いい顔、悪い顔が見え隠れしている事を皆さんには、知って頂きたい。

被害総額150万円程

■本件の流れ

7/10

江ノ島海の家コルチでのイベント開催の為、イベントブッキング担当斎藤陽氏とやり取りが始まる。

7/15

8/22のスケジュールの押さえる。

イベント開催に向けて出演者のブッキングプロモーション活動、等の準備を進める。

8/4

江ノ島警察指導によりイベント終了時間が20時から19時に変更される。

8/5

江の島花火大会の際に、一部の海の家が大幅な音量オーバーと営業時間オーバーをした為に、警察から海岸組合指導が入り、組合江ノ島西浜全域に厳重注意を勧告され、それによりイベント開催に対する規制が更に厳しくなる。

8/10

現地の状況が更に厳しくなったことを理由にキャンセルを勧められる。

8/11

違う日程に予定されているイベント主催者に連絡をとり状況を聞いたところ、こちらが齋藤から伝えられているような厳しい状況ではなく、全く問題なく開催出来るとのこと。開催したいという意志を伝えると齋藤から、コルチ側のスケジュール管理ミスによりこちらのイベントダブルブッキングされ、コルチでは開催不可能である旨を告げられる。なおダブルブッキングのもう片方のイベントは、コルチの関連会社イベントである為にどうしても外せないとのこと。

コルチの運営会社パーティカンパニー萩原から謝罪の連絡があり、他店での開催を提案される。

8/12

齋藤氏より、イベントキャンセル場合は経費の総清算をコルチ側にさせる旨を告げられる。

8/14

イベントプロモーションのために制作したラジオ番組の再制作にかかる費用等を様々な要因を考慮して検討した結果、他店での開催は不可能と判断しキャンセルする意向を伝える。

8/16

パーティカンパニーとコルチを共同経営するウィルコープの松田氏より、今後は最終責任者として対応するとの連絡がある。

8/23

松田氏と渋谷で会って話をする 請求してくださいとのこと。

8/24

メールで請求内容を送るが、その後松田から連絡なし

9/10

こちらから松田氏に連絡すると、弁護士をいれたので弁護士から明日にでも連絡すると告げられたが、弁護士からの連絡は一切なし。

9/23

齋藤氏と会って話をし、以下の約束を取り付ける。

ウィルコープは全く対応する意志がない様子なので、萩原氏またはパーティカンパニーの代表からすぐに電話をさせること。

齋藤氏はスケジュール管理については全く関与せず全てパーティカンパニーウィルコープの責任ということなので、その証明と今回の事件の経緯を文章にまとめてこちらに提出すること。

9/24

齋藤氏より連絡があり、萩原氏は多忙により時間が出来次第に電話するとのこと。

その後、萩原氏より電話なし。

9/25

萩原氏にパーティカンパニーの代表役員もしくは担当者から和解交渉の連絡がない場合訴訟も辞さないと連絡をする。

齋藤氏に下記の提出をお願いする。

1 ダブルブッキング事件のやり取り詳細(全履歴)

2 過失がコルチにある事を証明する書面(スケジュール管理してない事の証明

3 株式会社パーティーカンパニーとの契約

9/27

齋藤氏より

義務ではなく善意で協力している立場なのでそのような要求は受け入れられず、

今後は法的に義務が生じた証言、提出物のみ出すとのこと。


今回の関係悪徳企業会社概要

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悪ふざけ文化創造企業/株式会社パーティカンパニー(partycompany Inc.)概要

――――――――――――――――――

所在地

 〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-17-1 美竹野ビル2F

 (東京メトロ渋谷駅 13番出口より徒歩0分) Google Map

【TEL・FAX番号】

 03-6427-3185(TEL)  03-6427-3186(FAX

【事業内容】

 カフェレストラン事業(直営店運営/企画プロデュース委託運営)

 アート文化事業(ギャラリー運営/クリエイタープロデュース及びマネジメント

 オフィス事業(オフィスプロデュース及び企画運営)

取締役会長

 家入一真株式会社paperboy&co. 創業者

代表取締役社長

 永岡裕介

専務取締役

 澤圭次郎

資本金

 3千万

売上高2011年4月期見込み)】

 5億円

決算

 4月

【従業員数】

 100名(アルバイト含む)

URL

 http://partycompany.co.jp

Twitterアカウント

 partycompanyinc ( http://twitter.com/partycompanyinc

役員 プロフィール

 家入一真(イエイリカズマ)取締役会長

 1978年12月福岡生まれ福岡育ち。paperboy&co.創業者

 2001年株式会社paperboy&co.の前身 である合資会社ダメ企画を設立

 2003年paperboy&co.設立代表取締役に就任。

 2008年ジャスダック証券取引所上場

 その後、2009年代表取締役CCOを経て、2010年取締役に就任。

 2010年4月、悪ふざけ文化創造企業 株式会社パーティカンパニー設立

 代表取締役に就任。

 2010年11月、同社 取締役会長就任。

 著書に『こんな僕でも社長になれた』(ワニブックス)など。

 趣味カメラインターネット、飲み歩き。

 イエイリカズマ Official Blog http://ameblo.jp/ieirikazuma/

 永岡裕介(ナガオカユウスケ)代表取締役社長

 1980年10月兵庫生まれ兵庫育ち。

 2003年株式会社バックオフィスサービス取締役就任。

 2005年株式会社paperboy&co.入社

 2006年、同社 常勤監査役に就任。

 2009年、同社 常勤監査役退任。

 2010年4月株式会社パーティカンパニー取締役就任。

 2010年11月、同社 代表取締役社長就任。

 澤圭次郎(エビサワケイジロウ)専務取締役

 1973年福島県生まれ。

 2001年吉祥寺に「 A.B.Cafe」をオープン

 2002年有限会社 A Style Works 設立代表取締役就任。

 2005年笹塚に「202market」をオープン

 2009年中目黒に「中目黒Lounge」出店。

 2010年株式会社パーティカンパニーへ飲食事業を譲渡、同社 取締役就任。

 2010年11月、同社 専務取締役就任。

関連会社

 株式会社アマゾナスヴィダ

 (アパレルブランド「Colcci」日本国内輸入販売総代理業)

【沿革】

 2008年5月渋谷に1号店「HI.SCORE Kitchen」をオープン

 2009年10月代々木上原に「入 iri」をオープン

 2009年11月中目黒に「ie」をオープン

 2010年3月有限会社A Style Works よりカフェ事業(都内3店舗)を事業讓受

 2010年6月渋谷宇田川町に「宇田川コロニーオープン

 2010年7月片瀬西浜に海の家「theBeachCafe」、渋谷に複合プロジェクト

       (カフェON THE CORNER」/アートラウンジSUNDAY ISSUE」/

       シェアオフィス「partyground」)オープン

 2010年11月:「宇田川コロニー」一時閉店

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株式会社アマゾナスヴィダ 概要

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【商号】

 株式会社アマゾナスヴィダ

役員構成】

 代表取締役社長 家入一真

 取締役 永岡裕介

 取締役 大塚弘澄

 取締役 石井恵二

所在地

 東京都渋谷区渋谷1-17-1 美竹野ビル2F

資本金

 2,250万円

決算

 3月

【事業内容】

 アパレルブランド「Colcci」日本国内輸入販売総代理業

【従業員数】

 10

URL

 www.colcci.com

国内店舗

 お台場ヴィーナスフォート店(直営)をはじめ、百貨店、全国セレクトショップにて展開中

代表取締役社長 プロフィール

 家入一真(イエイリカズマ)

 1978年12月福岡生まれ福岡育ち。31歳。paperboy&co.創業者

 2001年、(株)paperboy&co.の前身となる合資会社ダメ企画を設立

 2003年paperboy&co.設立代表取締役に就任。

 2008年ジャスダック証券取引所上場

 その後、2009年代表取締役CCOを経て

 2010年取締役に就任。

 2010年4月、悪ふざけ文化創造企業 株式会社パーティカンパニー設立代表取締役に就任。

 ITアパレルPRなど、幅広い事業への投資も積極的に行っている。

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斉藤 陽(サイトアキラ

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今回の海の家COLLCCI(コルチ)のブッキング担当

所属 WanderLust Inc./ 株式会社ワンダーラスト

http://www.wanderlust-inc.co.jp/index.html

斉藤陽氏は都内でDJとしても活動している。

今回のブッキングの件は業務契約を結んでいると言っていたが、責任は両者なすりつけあいで、株式会社ワンダーラスト株式会社パーティーカンパニー株式会社アマゾナスヴィダとの業務提携だとすれば、株式会社ワンダーラスト責任が問われるであろう。

社長同士が知人関係だという)

現在斉藤陽氏は自身に非はないとして主張を繰り返している。

株式会社パーティカンパニー側に落ち度があり、斉藤氏は弁済の約束も取り付けたというが、その約束はどこに行ったのか、果たされていない。

ここに、挙げられている企業グループ企業・協力企業であり、秘密裏に会合をしていると思われる。

よって、彼の言っている事も、日々変わってきているので信用はできないという。(もっともだ)

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株式会社ウィルコープ

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住所・電話番号 ともに存在なし 通称幽霊会社

社会に出せない・出すと不利益になる案件のケツもち会社

⑤背後にある企業 家入一真創業者

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株式会社paperboy&co. ジャスダック上場企業 大阪証券取引所 証券コード3633

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http://www.paperboy.co.jp/

関係者の話しによると、ここが全ての母体になっており、背後で動いていると思われる。

本件は現在も調査中です。

音楽イベントをやる時は、皆さんも注意して下さい。

2013-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20130321000145

交響詩篇エウレカセブン 2期OP少年ハート」より。

http://www.dailymotion.com/video/x2rqdu_eureka-seven-opening-2_fun

ラップ部分で人物紹介、クルーの大半は並べるだけ、ありがちな作中への伏線カットもガン無視、引きすぎ、人物とかストーリーとか最高にどうでもいいのが丸分かりな村木マジクー

「咲かそう咲かそう」で松田サーカスを空中に咲かせるという常人には出来ない発想

サビ頭でまさかマクロス壁撃ちパロを敬史に振るという村木以外には思いつくことすら不可能な神采配。

ちなみにブルージェンダーOPの時には鴨川に壁撃ちパロを描かせているので、よほどあのOP板野背動に思い入れがあるらしい

こだわりに満ちた柿田爆発。柿田と綿密な打ち合わせがあったらしい。溶解した部分と駆動部に分かれた爆発を必要以上にたっぷりと見せる

とどめの金子サーカス。これを金子に描かせるのが目的だった言わんばかりの神作画

安直粉塵から全員集合でキメ。作画豚もアクメ

コンテ・演出:村木靖

作画監督吉田健一 中田栄治

原画

橋本敬史   柿田英樹

金子秀一   大塚 健

松田宗一郎  中谷誠一

新井浩一   坂崎 忠

長谷部敦志  川元利浩

安藤真裕   齋藤恒徳

竹内志保   村木 靖

背景:小倉一男(KUSANAGI

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