はてなキーワード: げんしけん二代目とは
最近のアフタヌーン(月刊漫画雑誌)について語ってるスレがあって、
その中でげんしけんの木尾士目の最新作について「普通。毒にも薬にもならない」って評されてて、確かに・・と思った
まったく面白くないってほどじゃないんだけど、無難にまとめすぎてて、げんしけんみたいにとがったところがない
だから良くも悪くもフックがなくて心にひっかかる、心に残るものがほとんどない
キャッキャウフフしてるまったり系マンガって感じでそういうのがメジャー層には受けるって悪い意味で学習しちゃってる感じ
こないだヒャダインやら米津玄師やらが計算して作ってるからいまいちノレないみたいな増田あったけど、あーゆー感じかな・・・
いやまあ年をとるってそういうふうに狡猾になっていくことなんだろうけどね
そういうんならそもそもアフタヌーン全体が昔のアフタヌーンらしさを失ってるしね
雑誌ごとの特徴って意味でレゾンデートルなくしてどーするよと思うが
久しぶりに一気にまとめ読みした
サクッと読めるのはいい
読む前と読んでるとき:二代目評判悪いイメージあるけどやっぱ好きだな
やっぱ初代にくらべると見劣りしちゃうな
読んだあとずっと残るものがほぼないに等しい
おっと思うところもたまにあるけどほんと少ない
初代みたいに、もとい、木尾士目の初期マンガみたいに、こじらせたような読んでて恥ずかしくなるような意識高い感じとか、
行間で読ませるマンガならではのものっていうのがかなりなくなってる感じがする
ぢごぷりでの大コケにびびったのと、良くも悪くも漫画家としてこなれちゃった感じ
まあ二代目といいつつ実質斑目アフターになってる時点でお察しだけど
結局2代目の看板に頼らざるを得なくなってる時点でアレなのに、看板だけじゃなくて中身も初代の人気キャラに頼っちゃった時点で、もう輪をかけて失敗作なんだよな・・・
巻数は初代より多いしアニメ化もされたけど、マンガとしての密度は初代に遠く及ばない
いやちげーのよ
でも年取って内容知った上で改めて再読すると、いろいろアラとか残念さのほうが目立って目についてしまったという
ゆーても二代目の1巻が2011年5月でほぼ10年前になんのか・・・
当時どうだったっけなあ
スマホの普及率も全然低くて、まだ今ほどオタクがライト化してなかったときだから、古いオタク像と新しいそれとのちょうど境目だったのかなあ
あとやっぱフィクションむずいんだろうねと
初代のあの空気感は少なからず作者本人の実体験もあるから濃いんだろう
クリエイターはそのときにしかつくれないものがあるからほんとこえーわ
まあパンピーが観測できるのは世に出たものだけだから、出なかった可能性を考える意味はないんだけど
でも伊坂幸太郎が砂漠のあとがきでかいてたみたいに、今の自分にはこれはかけないといわしめるようなもの、たくさんあるんだろうなあ
一発やとかもそのたぐいかなあ
「22時以降に東京駅発の気分転換に良い場所(情報量多め) 」を書いた者です。
(20時台に東京駅を出ても鬼怒川、日光には泊まるのは時間的にやや厳しく
そのため、疎遠になっています)
2016年3月中旬に、友人たちと一緒に、東京から日光まで車でケチケチ旅行にいったことがあるので
ちなみに、
日光をリクエストしたのは「げんしけん二代目」に影響された友人で、
皆で旅行に行くことを提案したのは、旅行立案スキルを持て余していた私です。
・所管
- 宿にはかけ布団を2つ出してもらいました
- 道路凍結に注意
- 3月中旬では道路は凍結していませんでしたが、今週末だと気をつけたほうが良いかと
- 車があったほうがかなり便利
- 車があると観光名所をめぐるのに便利でした。
- 駐車場はかなりしっかりと用意されており、かなり人が押し寄せていましたが、
- 自然の景観を見るのが好きな方でしたら、鬼怒川の方に足を伸ばすのも良いかと
- 鬼怒楯岩大吊橋から見るダイナミックな景色は一見の価値があるかと思います
- 私たちは、帰り道に宇都宮により、餃子を食べてから帰宅しました。
- ただ、宇都宮餃子の有名店は駅前なので、駐車場がないところがほとんどです。
止められそうなところがなければ、駅前デパートの有料駐車場を使うのが安全かも
以上、取り急ぎ
でもこれはげんしけんがつまらなくなったんじゃなくて今のオタクがつまらなくなったんだと思う。
創作活動どころか消費活動にすらオタクとしての誇りを失いリア充の真似事ばかり追いかけてる今の軟弱なオタクはつまらない。
ラブライブだガルパンだと騒いでみせるのだって同じ話題を共有して皆でワイワイガヤガヤとリア充の真似事をしたくてそれが楽しくて盛り上がっているだけ。
自分の感性に響いたからとか世界観に惚れたからなんて言葉はなく、ただ他の人と話のネタにするのにとても都合がいいから好きなだけ。
好きなアニメや漫画が好きな理由に「売れてるから」「皆と共通の話題になるから」と平気で言ってみせる今のオタクには何の魅力も残ってない。
作者が恋愛の話ばかりやったからつまらない?ノー。正解は現実のオタクが恋愛をするような腑抜けになったからつまらない。
作者が男の娘だとか腐女子だとかの話ばかりするからつまらない?ノー。正解は現実でも男の娘がどうだの腐女子がどうだのばかりだからつまらない。
そしてそのことの自覚が薄い。
表題の炎上事件について→http://matome.naver.jp/odai/2141693171094339801
この件についてはいろいろなサイトでまとめられているのでここで特筆すべき点はない。
ただ、未だにTwitterなんかでこの件の発言している同業者が、作品の好き嫌いくらいある、仕事の愚痴言って何が悪いんだとか、同人くらい許してやれなど、なんとも的外れな発言をしている輩がいるのが大変趣深いと感じている次第である。
はっきり言ってそんなこと言っている阿呆はネットなんてやめてしまえと罵声を浴びせたいくらいではあるが、ではそもそも何がおかしいのかをここで吐き散らしたいと思う。
今回、黒岩氏の問題行動のとされているものが、【仕事のネガティブ発言】【きわどい同人作品の公開】である。
仕事上の愚痴や文句なんて、アニメーター関係なしに誰でもつぶやいているし、ちょっとやる気のでないことなんで誰でもあるのでさして問題ではない。
同人活動についても、アニメーター本なんて世の中にいくらでもあるし、Twitter上なんかでもよくアニメーターが書いた絵がアップされているのでこれも目くじらを立てるものではない。
(同人活動については北久保弘之氏の発言が詳しい→http://ask.fm/LawofGreen/answer/117998437839)
では、これらの行動は何が問題あったのだろうか?
結論から言うと、黒岩氏の行動によって【Production I.G及び作品のブランドイメージの低下】をもたらしたことに問題がある。
まず、この発言をした黒岩氏が、ハイキューやげんしけん二代目など、有名作品の作画監督経験がある有力アニメーターであることを特筆したい。(http://www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/1572.html)
作画監督とは、担当話数の絵の品質を保ついわば管理者であり、何十人という人によって描かれた絵を統一させる、重要なポジションである。
そんなポジションに居る人物が、【仕事のネガティブ発言】をするとどうなるのか。
ファンからすればやる気出せとか本気出せとか憎悪の感情がこみ上げてくるが、最も懸念されるのが、作品の品質の低下である。
こんな発言をしていれば、ちゃんとしたアニメが作られるだろうか?と誰しも不安になるだろう。
当然、黒岩氏に発注したProduction I.G側の信頼も低下するであろう。
ハイキューはスポーツアニメであり、断じて男同士が肌を密着しあう作品などではないだろう。
それを有名な黒岩氏の名前で公開すると、作中のシーンなのかと勘違いも生まれる。すると当然、作品に対するイメージも悪くなる。
(この点は、スマイルプリキュアの大塚監督がコラ画像の禁止を訴えたのと近いと思う→http://matome.naver.jp/odai/2133688607261002601)
以上のことから、影響力の高い人物にもかかわらず、会社及び作品のブランドイメージ低下のをもたらす行為をした黒岩氏に対し、厳正な処置が取られたものと考えられる。
会社側からすれば、自社のブランドイメージを傷つけた社員に対して処分をするのは当然の行為である。
なお、
(出展:http://www.production-ig.co.jp/hotnews/2014/112601)
とあるように、SNSの利用規約が存在することが明記されているため、単なる規約違反であるともいえる。
おそらく規約には、不適切な利用をしたものには作画発注の停止等相応の処置が取られるように明記されていたのだろう。
【匿名で行うこと】に尽きる。
個人が特定されなければいくらでも愚痴を吐いてもよいだろう。同人活動もこっそり(広報活動をしない、別名義で描くなど)行えば良いだろう。
Twitterの鍵付き機能など、プライベートアカウントでは無駄だ。1人でも発言を見ていたら、いくらでも転載される可能性がある。
Twitterを始め、SNSは昨今身近なツールになり、いつでもどこでも投稿や閲覧が可能になった。
だからこそ、すべての発言がネットに繋がったすべての人に閲覧される可能性があることを十分認識しよう。
影響力のある人は、自分の立場を考え、自分の発言・行動がどの様な影響をもたらすのか、どの様な解釈をされるのかを良く考え、軽率な行動を取らぬようよく考えていただきたいものである。