はてなキーワード: 同人誌即売会とは
私は賛成です。
今のアニメ・漫画などは性的・暴力的な表現があまりに溢れており、未成年を非常に蝕みやすい環境。
悪辣な表現から子どもたちを守るためにも、一般紙から性的・暴力的な表現は徹底的に排除し、
よく話題になるコミケなどの同人誌即売会も、アダルトの作品が売られているにも関わらず入場者に対して身分証の提示が無いと聞きます。
未成年かどうかもわからずに入場させているならば、それは子供の性的虐待を容認しているのと同じであり、対応が取れないならば開催を辞めるべきです。
また、大人向けであっても、そういうものが許容されている環境であるという事が社会的に悪影響をおよぼす。
未成年者が性的な対象になっている表現によって、青少年が性的な犯罪の被害を被る可能性が否定出来ない。
よって、ゆくゆくは表現すること自体を禁止するべきであると考えます。
実際、暴力的な表現にショックを受けたり、セカンドレイプを受けて苦しんでる人は大勢います。
現実に被害が出ているのですから、フィクションと言えど人権を守るために配慮されなければなりません。
日本は国連からも再三、氾濫する性的・暴力的な表現を取り締まるべきだと指摘を受けており、
国連に名を連ねる国際社会の一員として、人を傷つけたりヘイトスピーチになるような表現は排除していく姿勢が当然だと思います。
半年ほど前、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」(以下「艦これ」) の人気動向について、
その際は大雑把にいえば「公式関連の人気は今だ根強く、二次創作関連の人気はやや下落気味の傾向が見られる」という公式と二次創作の人気の乖離について言及したが、今回二次創作関連に焦点を絞って改めてその動向を調査したところ、「艦これ」における二次創作の活動規模は明確に縮小しているという事実が明らかとなった。
最近の公式関連の動向やコミックマーケットの動向を見ていると、この結論に疑問を呈する方は多いのではないかと推測する。
前回の報告では二次創作人気の下落について明言を避けたが、今回はその点も含めて何故このような結論に至ったかについて、調査によって得られた数字を元に出来る限り客観的に述べていこうと思う。
本稿を読み進めるにあたっては、まず大前提として以下の点を必ずご理解いただきたい。
・あくまで「艦これ」の二次創作の動向に関する分析であり、公式関連の人気とは直接的には関係しないこと ← 重要
・出来る限り、調査で得られた数字という客観的かつ定量的な指標をもとに説明するように努めていること
・しかしながら人間が書いている以上、常に何らかのバイアスがかかっている惧れはあること ← とても重要
・比較対象として他ジャンルの動向を示すことがあるが、あくまで特定の条件下での比較であり、対立を煽る意図はないこと
本稿を読み進めている方の最も気になっている点がこの判断基準ではないかと考える。
これは次節から述べる各指標の調査結果から総合的に判断したものであり
・下落継続期間が相当の長期に亘っていること (約2年間)
・下落後の安定期というものが未だ現れず今なお下落基調が続いていること
の3点が核となっている。
以上の点について、次節から各指標の動向を定量的に述べていく。
二次創作活動を行うためには、それを行うための「場」が必要となる。
特に「艦これ」の場合、サービス開始とともにインターネット上で爆発的に人気を博した経緯から、二次創作活動においてもインターネット上のコミュニティがそういった「場」の大きな一角を占めている。
まず初めに、それらの中でも特に影響力の強いいくつかのコミュニティについてその動向を述べる。
以前も述べたとおり、二次創作においてpixivの投稿数とサークル数の間には強い相関があり、pixivは二次創作活動において今なお大きな影響力を持っている。
投稿数の推移は、
○週間平均投稿数:
・2015年1月~3月 :4,111枚 (最大値:5,214枚 2/16週)
・2016年10月~11月:2,435枚 (最小値:2,004枚 10/17週) ※集計中
で、約2年間一貫して下落トレンドが続いており、下げ止まる気配は一向に見られない。
2015年、2016年ともに特に10月は投稿数が落ち込む傾向にあるが、中でも去年10月は初めて週間投稿数が2,500枚を切り、今年は2,000枚を割り込む寸前まで減少した。
pixiv自体の利用者数の減少ということも考えられるが、2014年の段階でほぼ同規模であった東方Projectの投稿数をバックグラウンド値として比較すると
・2015年4月~6月 :3,918枚 (最大値:5,130枚 5/3週)
・2015年10月~12月:3,733枚 (最小値:3,037枚 12/3週)
とこちらは極めて安定的な推移を見せていることが分かる。
その他、比較的長期のジャンルである「アイドルマスター」や普遍的な「オリジナル」「創作」などのタグでも投稿数は安定的に推移しており、pixivから投稿者の大幅な流出が起こったとは考えにくく、pixivにおける「艦これ」の二次創作は底の見えない規模縮小が続いていると判断せざるを得ない。
指標としてはやや劣る閲覧数は、以前も述べたように2015年6月初頭にpixiv側での集計仕様に変更があり、その前後での単純比較及び他ジャンルとの絶対数の比較が困難となる。
そのため仕様変更以降のみを検討するが、2015年の8月には週平均で3,000万近い閲覧数があったのが、2016年1月には2,700万まで低下し、同年6月には約2,400万に、直近の10月には約1,700万まで落ち込んでいる。
ただし、2016年10月以降の閲覧数が大幅に落ち込んでいるのは、すでにTwitterや匿名掲示板で指摘されているとおり、2016年9月4日からのpixivの閲覧仕様変更により閲覧中心のユーザーが離れたことが原因であると推測される。
(他のジャンルでも直前の3ヶ月と比較して約25%閲覧数が減少している)
しかしながらその要因を考慮した上でもなお艦これ作品の閲覧数が減少傾向にあることは、長期トレンドの推移からも間違いない。
ニコニコ動画には、2016年10月現在で週平均約300~350程度の艦これ動画が投稿されている。
これは2016年3月頃の投稿数と同程度であり、一見すると投稿数の減少は収まったかのように見える。
しかしながらその内訳を見ていくと、「MMD艦これ」に代表される二次創作作品の割合が低下してきており、艦これ二次創作作品の実数は未だ減少し続けているのが実態となっている。
直近の11月は公式関連の本編ゲームイベントなどもあり投稿数が約800前後と大幅に増えているが、その増加分はほぼ全てがゲーム内ボイスの転載といったゲーム本編関係の動画となっており、二次創作の増加の気配は見られないのが現状である。
ニコニコ静画の動向もpixivのそれに近い状態であり、艦これ二次創作作品の投稿数減少に歯止めがかからない。
2016年1月~3月の段階では週間平均で約1,500枚の投稿数があったにも関わらず、同11月では約950枚とついに1,000枚の大台を割り込んでしまった。
未だ投稿数の底が見えないこともあり、減少傾向は今後も続くものと推測される。
最近よく耳にするのが「二次創作の活動の場はpixivやニコニコ動画からTwitterに移っているのではないか」という疑問である。
Twitterはその仕様上、二次創作に限った検索や投稿されたイラストの全数調査という手法が困難であるが、昨年末から試験的にいくつかのキーワードや指標を設定してTwitter上での二次創作活動推移の定点観測を試みた。
結果的には設定した全ての指標で減少、あるいは横ばいという傾向が見られたが、これらは公式関連の動向による攪乱を受けてしまう懸念を完全には排除することができず、今しばらくの検討が必要であると考えている。
その中でも比較的安定的な指標と考えられる「艦これ版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負」(いわゆる艦これワンドロ) の動向を示すと、日毎の変動はやや大きいものの、昨年末の調査開始の時点で日平均約220枚程度の投稿があったものが直近1ヶ月では約140枚前後まで減少している。
このような減少傾向はpixivやニコニコ動画といった旧来のコミュニティの動向と大差なく、結果を総合的に判断すると、現段階ではpixivなどからTwitterに活動の場が移ったと解釈するのはいささか困難であると言わざるを得ない。
前回に引き続き「艦これ」が関係する同人誌即売会の動向を調査した。
・コミックトレジャー(オールジャンル):381(第25回)→372(第26回)→319(第27回)→361(第28回)
・蒲田鎮守府:243(第2回)→59(第3回)→以降開催なし
・海ゆかば:133(第3回)→47(第4回)→54(第5回)
・西海ノ暁:50(第5回)→63(第6回)→33(第7回)→55(第8回)→56(第9回)→14(第10回) ※第9回は併催の艦これオンリーを加えると114サークル
・駆逐してやる!~なのです:65(第4回)→32(第5回)→16(第6回)→46(第7回)→34(第8回)→17(第9回)→27(第10回)
・我、夜戦に突入す!:375(第2回)→312(第3回)→287(第4回)→115(第5回) ※第5回は併催イベント共々募集規模が小さい
・砲雷撃戦!よーい(東京):1010(2015年9月開催)→686(16年1月開催)→945(5月開催)→834(9月開催)
となっており、各イベントとも多少の増減はあるものの規模は比較的固定化してきたように見える。
その一方で「蒲田鎮守府」「鎮守府に着任しました!」「艦娘まりんふぇすた」など、休止した即売会も規模の大小を問わず多く存在しており、即売会の統廃合が急速に進んでいることが伺える。
特に艦これの同人誌即売が群雄割拠した2014年と比較して2016年の個別開催数が約半数までに落ち込んでいることを踏まえると、現在も継続して開催している即売会が規模を維持できているのは、集約化による影響が大きいと考えられる。
即売会の規模について簡単に触れておくと、現在継続して開催されている即売会には、最大規模の「砲雷撃戦」の他、「我、夜戦に突入す!」「西海ノ暁」「駆逐してやる!~なのです」「絶対海域」などが存在するが、「砲雷撃戦」と「我、夜戦に突入す!」を除けば全て参加サークル数100未満の小規模即売会となっている。
比較的小規模なまま推移しているのは、おそらくは艦これの即売会が基本的に他ジャンルとの併催で行われることが多く艦これ単独での規模が抑えられがちになる点、キャラクターオンリー即売会などが発達せず即売会同士の差別化が多分に地理的要因に起因している点が原因ではないかと推測している。
このような要因によって艦これの同人誌即売会を取り巻く環境は今なお厳しく、集約化はこれからも間違いなく進んでいくものと考えられる。
最後にコミックマーケットにおける艦これ二次創作サークル数の推移を見て行きたい。
2013年冬のC85以来、コミケにおける艦これの二次創作サークル数は常に増加してきた。
今冬のC91では艦これサークル数は2153サークルとなっており、前回を91サークル上回った。
しかしながら、コミケは参加申し込みが他の即売会と比較して圧倒的に多いため抽選制を取っており、基本的に落選がなく申し込み数=当選数となるオンリー即売会のように「(当選)サークル数」の推移を見ただけでは傾向を掴むことはできない。
そこで、艦これ専用のジャンルコードが設けられたC87以降の艦これジャンルの (当選数, 申し込み数, 当選率 [当選数/申し込み数]) を確認すると
・C88=(1846, 2230, 82.78%)
・C91=(2153, 2364, 91.07%)
となっており、当選サークル数が毎回増えているのは当選率が毎回上昇しているためで、申し込み数のピークはC89であったことが判明した。
特にC91ではC90と申し込み数がほとんど変わっていないにも関わらず当選率が3.7%上昇しており、結果的に過去最大のサークル規模を達成する直接の原因となった。
これだけの規模のジャンルで当選率が9割りを越えることは非常に珍しい。 (コミケでの規模が第2位の「東方」は (1582, 1780, 86.87%)、同第3位の「アイドルマスター」で (1231, 1428, 86.20%) 、また「東方」が今回の艦これと同程度の当選数だったときの当選率は C85=(2246, 2848, 78.86%))
この原因はおそらく同ホールに配置された他ジャンルとの兼ね合いでの端数調整に起因するものと考えられるが、より規模の小さな他ジャンルに端数分を振らなかったことにはやや疑問を覚える。(無論、艦これのファンとしては当選サークル数の増加は嬉しいことではあるが)
これまでの分析では、集約化によって減少した艦これオンリー即売会の穴を埋めるようにコミケへの参加者の集中が起こっているものと考えられていたが、検証結果を見る限りでは実体としては「コミケへの集約化は思ったほど進んでいない」あるいは「集約化は進んだがそれ以上のペースで艦これサークルが減少している」のいずれかが起こっているものと考えられる。
いずれにせよ、コミケ以外の場における強い二次創作の減少傾向が存在することからも、今後のコミケにおける艦これの動向は決して明るいものではないと予想される。
以上から、艦これの二次創作を取り巻く現在の環境は非常に厳しく、今後も現在の傾向が続いていくことになると予想される。
他ジャンルの動向を見ても、ここ半年前から「ガルパン」の二次創作が爆発的な人気を博しており (6月のSDFスペシャルや9月の砲雷撃戦に参加した方は、併催のガルパンオンリー即売会にむしろ艦これ以上の人数が集まっていたことに気付いたことと思う)、加えて東方の人気が再び戻ってきたという話も最近はよく耳にし、アイドルマスターも未だ徐々に規模を拡大しつつある。
今後、仮に二次創作が再び増加に転じることがあるとすれば、それは公式関連の劇場版が多くのファンから好評を得た場合である。
というのも、書籍や映像作品は二次創作に繋がるような要素を多く含み得るものであり、また過去にも賛否の割れたアニメの放映後に実際に二次創作活動が最盛期を迎えたという実績もあるためだ。
公式関連の人気が今だ根強いことは、この記事を書いている今ちょうど話題になっている百貨店「三越」とのコラボ商品を求めて多くのファンが店舗に集結したことなどからも伺える。
そして、コラボグッズと映像作品、どちらがより二次創作に影響を与えるかということを考えると、物語性の強い映像作品に軍配が上がることは簡単に予想できる。
しかしながら、以前に実施したコラボと内容の近いなか卯コラボやローソンコラボ第2段がやや不発気味だったことを考えると、同じ映像作品であるアニメ放映後の劇場版にどれほどのインパクトがあるか、それによって二次創作人気の下落は底を見せるか、反転後の上昇はどの程度まで達するか、などが重要となってくる。
長々と検証を述べたが、艦これ二次創作の規模は明確に縮小しているという現実を知った上で、その事実に抗って跳ね返すくらい活発な二次創作活動が今後増えてくることを期待している。
(了)
大した話じゃないんで身内向けのチラ裏とでも思ってほしい。
直視するのが恥ずかしくて調べきれてなかったけど、
どのイベントなのかはまぁいろいろ調べてみてほしい。
「ナナとカヲル」を読んで一度くらいならと思うくらいのM寄りで、
ぼんやりとそういう憧れはあるけれど調べるとっかかりがないタイプ。
同人誌即売会ならともかく、こういうのに参加するのは初めてだし、
おもしろみのある服も綺麗な服も持たない喪女が行ったら浮くんじゃないかとヒヤヒヤした。
直前まで迷っていたものの、付いてきてくれる人が捕まったので行くことにした。
周りに看板なぞあるわけもなく、静かな住宅街に倉庫みたいな場所だった。
本当にやっているのだろうか不安になりながら受付らしき人に入場料を払い会場へ。
会場は思った通りそこまで狭くなくて、だいたい同人誌即売会のイメージまんまだった。
ただスタジオだけあってところどころ雰囲気のあるつくりが見える。
美女が腰掛けそうな絵になるソファ、何かを吊ると思しき一角など。
私がコスプレイヤーだったらさぞ興奮したと思う。
地下の部屋から数階のフロアで何部屋かにまたがって展示されており、
だいたい1部屋2~7くらいの展示だったと思う。
最初に入ったブースは首輪、と言ってもチョーカーのようなものも多く、
思ったよりは気軽に使えそうなカラフルなもの、細めなもの、鍵付きのもの、
これらがすべて人の意思を制御するために存在すると思うと圧巻だ。
日常生活では着ないような服をまとい、
という意思表示をするのはたしかに少し歪な形をしていて、セクシーだと思う。
会場をざっと見た感じ、男女比は1対1くらい。
ちなみに終盤行われた緊縛ショーは女性の比率が高かったらしい。
女性は黒髪ぱっつん姫カットとビビッドな髪色のお姉ちゃんが多い。
みんなそれぞれに好きな格好をしているので、
喪女だから浮いちゃうよ~~><といった心配はあまりいらなかった。
そこまで興味はなかったものの、実際に試着できるというので着てみることにした。
フォロイーのフォロイーの写真で見かけて面白いな、と思っていたくらいの認知度だった。
フェティッシュな「ジャンル」として認識したのはこのイベント終了後になる。
ぴちぴちした薄いマットみたいな服をハンガーから降ろして更衣室へ。
今回は全身黒人間みたいなスーツではなく、ワンピース型のドレスにした。
販売側の女性が着せてくれたが、まぁ想像通り吸い付く吸い付く。1人だったら無理だろうなあ。
少しひんやりしていて、全身に吸着する感じがあって心地よかった。
鏡で見るとテカテカしていて、アメコミか何かのヒーロースーツを思い出した。
続けて他の試着を進められて、今度はコルセット内蔵のものを着てみる。
ここでは普段の服よりひとまわり小さいサイズを進められ、そちらを着ることになった。
女性二人係で後ろのファスナーを上げると、先ほどよりもぎゅうぎゅうに全身が締め付けられた。
少し苦しいけどさっきよりも密着感がすごい。
鏡でみてみると、締め上げられた腰のくびれが強調され、胸元が際立っていた。
腰~胸元にかけてが立体的な構造になっており、寄せてあげて効果がすごい。
下半身デブも相まって腹部のひょうたんのラインが強く主張していた。
たぶんサービスだろうけど、表面の質感をテカテカにするジェル?を縫ってもらうとなおすごい。
鏡の中の私は、ボディコンのおねーちゃんみたいな身体をしていて質感まで変わってしまった。
ひとのからだというものは、こうも簡単に形を変えてしまうものなんだ。
眼で実感して肌で納得させられる屈服感に支配されるのがどきどきしたし、なんだか面白かった。
ああこのエロティックな質感と感触、解放感にやられるんだなと納得するしかなかった。
体型補正のパワーに惹かれてお買い上げまでするとは思ってなかったけどさ。
べたべた腰回り触ってみたりしてとっても楽しかったけどさー。
まさかこんなことになるとは思ってもみなくて会場を去った後もしばらく放心していた。
いやあまぁ、楽しいからいいんだけど、なんだか何か一線を越えてしまった気もする……。
よくわからないどきどきに、今も胸が締め付けられている。
この気持ちは変かな。
9月9日10日と、ディズニーランドホテルに宿泊して2日間ランドとシーで遊び倒してきました。
ランドホテルを取るには半年前に予約をしなければなりません。友人たちととりあえずこの日にしようか、と言ってなんとなく決めた日がたまたまパークのハロウィン期間の初日になりました。
ハロウィン期間、パークでは全身仮装が解禁される日があります。
ハロウィン期間の最初と最後に設けられているらしく、初日と2日目も当然コスプレ可能な日でした。
わたしはなんとなく好きになれませんでした。
やけに横に太いアリエルとか、おじさん顔のジェラトーニとか、おじさんが女装したジャスミン姫とか……原作のイメージが壊れるような仮装もたくさんありました。
でも、わたしがもやもやしたのはむしろ完璧にキャラクターになりきっている(キャストと見分けがつかないような)仮装でした。
見つけるたびに「本物?偽物?」ってキョロキョロするのも疲れました。
まあでも、完成度の高いコスプレは思わず見てしまうものです。すごいなぁとも思います。
そこまでは別にいいんですよ。個人的にルールを守って楽しんでるんだから。
気になったのは、完成度の高いプリンセスが他のゲストとツーショットを撮っていたこと。また、その人とツーショットを撮ろうとした人達でちょっとした列ができていたことでした。
コスプレとはまたちょっと違いますが、似たような件でもうひとつ。
パーク内の通り道にぬいぐるみを並べて動かしている一般の人と、それを写真に撮るために周りにできていた人垣を見たときにも同じような気持ちになりました。
なんと言ったらいいのでしょう、同人誌即売会で一般参加者が空いてるスペースに勝手に自分の同人誌を広げて売っていたという話を聞いたときの感覚、と言えばいいのでしょうか。
例えがオタクすぎて分かりにくければ、魚市場に買い物に来た客が、店の横で自分で釣った魚を並べてるような、と言えば伝わりますか?
とにかく、プロの横でアマが勝手に商売を始めたような感覚なんですよ。(同人作家はプロじゃないかもしれませんが)
でも、これはパーク側から禁止された行為ではありませんし、コスプレをしていた人はただ写真を撮らせてくれと言われたから応じたに過ぎません。
なにもルール違反をしていないからこそ、その行為にもやもやしてしまいました。
本来はパークにキャストを見に来ているはずなのに、見るための場所で、「見たい」よりも「見られたい」という欲求がわかりやすく露出しているような状況が、どうしてもわたしには好きになれませんでした。
ここで一応弁解しておきますが、コスプレをする人がみんながみんな「かわいいわたしを見て!」というつもりでやっているわけではないこともわかっています。
わたしの友人にもレイヤーがいますが、彼女は「絵も文も書けないから、コスプレという形で作品愛を表現している」と言っていました。
そういう人が大多数だということはわかっていても、個人の心情など知らないわたしから見れば「見られたい」という欲求の塊のように思えてしまいます。
2日間もやもやとし続けていたので、一気に書いてしまいました。
だからどうしてほしいとか、そういう話ではないんです。たくさんの人がルールを守って楽しんでいるイベントですから。
全身仮装解禁の日には二度とパークに行かないようにしよう、ただそう思っただけです。
コミケ、というかオールジャンル即売会というものの役割が急速に縮小しつつあるように見えます。
というようなことがあると思います。結果として同人誌を読みたい/頒布したいというときにはコミケよりもジャンルのオンリーのほうが重要性は高いですし、最初から当選率が低いコミケには申し込まなかったりだとか通っても新刊用意しないだとかそういう傾向が強まってきています。女性向けのほうが男性向けよりもこの傾向は先行していますが、徐々に男性向けもそんなふうになってきています。
年齢27
昔から祖母が少女漫画雑誌を買ってくれていたこともあり、アニメや漫画は好きでした。
姉がいたので、姉がりぼん、私がなかよしを買ってもらって回し読み。
腐女子やBLも知っていたし、男同士のやりとりにキュンとすることはありましたが、仲良くしてる男性アイドルを見てる気持ちだと思ってました。
高校生になって
クラスの女子から「おもしろいよ」と借りた漫画がおもしろくて一瞬でハマりました。
その日の帰りにコンビニで連載雑誌を立ち読みしそのとき出ていたキャラに衝撃が走り、完全に腐女子として覚醒しました。理屈じゃないんです。
当時はすでに携帯電話のパケット使いたい放題プランはありましたので、携帯電話でサイトを巡りました。携帯サイト主流の時代ですね。
漫画を貸してくれた子も、クラスの女子もオープンな腐女子でしたが黙ってました。
今でこそスクールカーストという言葉がありますが、私は自分の容姿に自信がなく当時で言う「イケてるグループ」「派手なグループ」の子達とつるむわけじゃないけれど、挨拶をしたり雑談はする中間の位置をキープしたかったのです。
ここでオープン腐女子と一緒に騒いでしまっては「普通の子グループ」から転落するのではと思ったのです。
漫画を借りてから1ヶ月後にはサイトを作ってました。日記で萌えを語り大好きなカップリングの作品をたくさん上げました。
もちろん興味はありましたが右も左もわからず一緒に行く人もおりませんし、なにより笑ってしまう話ですがイベント会場でクラスの女子に遭遇したらどうしようという恐怖が一番にあり縁のない別世界のことのように思っておりました。
ありがたいことにサイトでは毎日のように感想がもらえるようになりました。
匿名のweb拍手が主流だったので気軽にメッセージをくださってたんだと思います。
サイトを運営されてる方からもメッセージをいただけ、相互リンクやバトンなどして交流しておりました。
しかしこれも笑ってしまう話ですが、交流が続いて会おう、オフ会しようとなったらどうしようと、身バレしたりブスだと思われたらどうしようという思いが強くなり苦痛になりました。
高校生でしたので、日記では少し「イケてるグループ」を気取っていたのです。
交流が苦痛になったのでサイトは閉鎖しました。しかし萌えを吐き出せないのはもっと苦痛でした。
性懲りも無くまたサイトを開設しました。休止や閉鎖を繰り返しました。
ちなみに、最初にハマったジャンル意外にもハマり、ほぼよろずサイトとしてやっておりました。
今ほど注意書きもなく好き勝手にしてましたね。
わたしは就職しました。当時の日記では萌えを語ることなく愚痴や日常のみだったような気がします。
当たり前ですが更新のペースが落ちました。時間感覚も変わりましたので自分ではいいペースで更新してると思っても更新履歴を見たら2ヶ月が経過してたり。
そのうちなにも生み出せなくなりました。19歳の頃すっぱりサイトをやめて萌えを吐き出すことなく過ごしました。
変わらず漫画やアニメは好きでしたが、このまま腐女子は卒業かなと思っておりました。
しかし、22歳だったでしょうか、アニメを見て急激にハマる作品と出会いました。即サイト開設。
マイナージャンルだったのでカウンターの回りや感想の数など寂しいものでしたがその作品が好きでただただ楽しかったです。
そんなときアンソロジーのお話をいただきました。オフ経験はありませんので悩みましたがお誘いいただけたことが嬉しくて参加させていただきました。
満足のいく作品が出来ましたが、なんといいますか、発行後の主催者様の対応に疑問を感じました。本は何ヶ月待っても届かず、お礼としてお菓子を同梱してくださってましたが賞味期限が届いた日の翌日だったり。
後から気づいたことですが主催者様は熱しやすく冷めやすいタイプの方ようで発行のときにはすでに別のジャンルのことで頭がいっぱいだったようです。
アンソロジーといえど初めてのオフ活動、がんばった作品、結構なショックでジャンルに罪はありませんがもうそのジャンルは見れなくなってしまいました。
集めたグッズなどはすべて売りました。
そして、今まで家族共有のパソコンが1台しかなかったのですが、自分のパソコンを購入しました。たくさんのサイトを巡りました。pixivというものも知りました。
大好きなサイトではイベント楽しかった!とよく綴られておりました。
アンソロジーの件は被害者のような気分でいましたが、オフのことを分かっていない自分にも問題があるのではと思いました。
昔のように怯えることもなくパンフレットの注意事項もしっかり読み向かいました。
結果、とても楽しかったです。
ただ本を買うだけでしたがこんなにも楽しいのかと感動しました。よくわからず一般のお店のように本を取ってこれくださいと渡したりしてしまいましたが。
最初にハマったジャンル、もう誰も活動していないあの頃ハマったジャンル、大好きだったサイトの方は今このジャンルにいるのか。いろんな思いがありました。楽しくて楽しくてしょうがなかったです。
腐女子の友達は相変わらずおりませんので、本を読むことで萌えを語り合ってるような気になったのでしょう。
少しでも萌えるジャンルに出会うとすぐ同人誌を購入するようになりました。自分では創作しようという気は一切なくなっておりました。
25歳で衝撃的なジャンルに出会いました。ジャンル自体は大きいものでしたがハマったカップリングはマイナーでした。新幹線に乗ってイベントに行くようにもなりました。
このカップリングで久しぶりに自分で書きたいという思いが生まれました。しかし何年も遠ざかっておりましたのでうまくいきませんでした。買うことに慣れてしまったのでしょうね。
うまくいかなくても18歳のころより更に時間感覚が変わっています。あっと言う間に日だけが過ぎます。
そして急に最近の話になりますが、某ソーシャルゲームに大きな動きがありました。
とても大きなジャンルなので私も例に漏れずハマり先ほどの衝撃的なジャンルほどではありませんでしたが、いかんせん少しでも萌えると際限なく買うようになっていたので、ジャンル内でもトップクラスの人気カップリングを大量に購入してました。
そうです。そのトップクラスの人気カップリングに大きな動きがありました。
急いでゲームを立ち上げわくわくしながら見ました。しかし私は首を傾げてしまったのです。
今まで受けだと思っていたあの子は攻めだった、こんな関係性なのか、まったく萌えませんでした。
このジャンルが特殊なのは承知です。燃料になった方も逆燃料になった方もいらっしゃると思います。
ふと、家にある1500冊を超える同人誌の山を見ました。
このジャンル、アニメは見てたけど原作読んでないな。そんなものばかりでした。
最初にハマったジャンル、同時期にハマったジャンルはほとんど同人誌を持っておりません。高校生でしたしね。
19歳まで二次創作していたジャンルは今でも大好きです。25歳で出会った衝撃的なジャンルも大好きです。どちらも原作を読むときはいい年してお恥ずかしながらドキドキときめきます。
しかし同人誌を買っていただけのジャンルは本当に好きなのか分からなくなりました。
絵が好きだから買う、作家が好きだから買う、文の組み立て方が好きだから買う、皆さんいろいろな理由で同人誌を買われるでしょう。
私は買うことだけが楽しかっただけなのかもしれません。何度も読み返す本は一部です。
コレクター気質なのでサークルさんの本はすべて揃えたい気分になります。
買ってるだけのジャンルの、原作はもうあまりわくわくしません。読んでないものもあります。
イベントデビューしてからたくさんのジャンルにハマりました。たくさん同人誌を買いました。
某ソーシャルゲームの件で気付きました。あまり二次創作は読まないほうがいい、と。
もちろん二次創作は最高です。大好きです。しかし私は二次創作だけを追うようになって原作を捨ててしまっておりました。
アンソロジーの主催者様を熱しやすく冷めやすいと少々批判してしまいましたが、私がずっと創作を続けていたらそうなっていたのだろうか。それとも今でも最初のジャンルで二次創作をしていただろうか。
後悔はしておりません。
1500冊の同人誌には楽しい思いをさせていただきました。手放したものもあるので、実際は倍は読んでいる気もしますが。
今、女性向けのジャンルはとても目まぐるしく動いております。サイクルがとても早いです。同人誌は時期を逃すと手に入りません。
しかし、今一度しっかり自分の萌えと原作への愛を確認することが大切だと気付きました。
最後に、これは某ソーシャルゲームへの批判や愚痴ではありません。
長くなりましたがお付き合いくださりありがとうございました。
最近、人気ジャンルの同人誌即売会に参加して思ったことを書いてみました。
一般参加者及び買い物をする人に向けたことと、サークル参加者に向けたこと、両方あります。
厳しい暑さの夏のイベントに向けて、少しでも買い物がしやすくなるといいなあ。
当人は「気をつけているから大丈夫」と思っているのかもしれませんが、
周りの人は怖い思いをしているかもしれませんし、
「あの人も日傘だから大丈夫」と他の人が日傘を開いてしまう原因にもなります。
帽子や、市販されているフード付きのタオルなどで対応しましょう。
http://item.rakuten.co.jp/tetelab/10011280/
例えば700円の買い物に対して1200円出す場合などは
「1200円出します」と声を出して売り子さんに伝えると、
売り子さんも「お釣りは500円出せばいいんだな」と瞬時に判断し準備することができます。
またいつものお財布とは別の財布に100円・500円・1000円だけ入れておくと買い物もしやすいです。
私は上記のポーチか、100均のビニール平ポーチを利用しています。
また10円玉や50円玉を利用することは避けましょう。
同人誌即売会で使えるコインは基本的に100円玉と500円玉だけです。
★欲しい本の値段はサンプルなどでチェックしておく。
当日は混雑でピクシブも繋がりにくいです。
複数冊購入する場合は、待機列でお金や身分証明証を用意しておくと良いでしょう。
ひとりあたりの会計にかかる時間が少しずつ短縮されれば、次のサークルさんに早く行けます。
午前中は忙しいサークルさんが多いです。
特に壁の列ができているサークルさんには、後からお邪魔しましょう。
「先に本は買わせていただいたのですが」と一言添えれば何の問題もありません。
本で膨らんだトートバッグやリュックは自分が思っているよりも嵩があります。
人やサークル頒布物にぶつけないように自分の身に引き寄せて移動しましょう。
また一般参加者が一番混む時間帯にカートを引いて移動することは危険です。
★移動は走らない、狭いところを通るときは声がけがあるとベター
当たり前ですが、走ると転倒の恐れがあり、危険です。
また並んでいる列の間を無言で無理やり突っ込んでいく方もいます。
「すみません、通してください」「通ります」などの声かけがあるだけで、気持ちがいいし、
通してあげよう、とスペースを空けてあげることもできます。
□サークル参加者に□
二冊ずつで2600円、三冊ずつで3900円、机上の本を全て一冊ずつでいくら、という風に
想定される会計を確認し、例えば紙に書いて見やすいポスター裏に貼っておくと便利です。
列が伸びている場合は、会計の合間などに列に向かって「身分証明証の御準備をお願いします!」
などと呼びかけると、みなさん手元に準備しておいてくれますし、
こちらから「提示お願いします」とお願いするより先に見せてくれます。
予想を越える大混雑が起きた場合、赤ブーやYOUのスタッフさんは列誘導をし、手伝ってくれますが、
できるだけスムーズな頒布を心がけ、そのために準備をすることがサークルの義務であると私は考えます。
人それぞれ考え方はあるかと思いますが、自分の本を買うために炎天下や寒空の下に並んでいる人がいる、
その中には、本を買うためにお休みをとったり、お金をかけて会場にやってきた人もいます。
もちろんみなさん、並んででも欲しいと思って並ぶわけですが、
サークル側はその気持ちに報いる努力をするべきではないのかな、と思います。
このスムーズな頒布のための準備というのは、例えば売り子を二人用意することや、
列に向かって「二列になって」など列形成の案内をしたり
小銭が少ない場合「お釣りが少ないのでできるだけぴったりお願いします」とお願いしたり、
ノベルティのポスカを新刊に挟んでおくなど、セット組みすること、
搬入物の段ボールを開けておいて、すぐ取り出せるところに置いておくことなどです。
もし自分の手に余ると感じるなら、何かを諦めることも大事かと思います。
この場合の「何か」は「自分の買い物」や「ノベルティ」や「アンソロの企画」自体であったりします。
以上、最近感じたことについて書いてみました。
何かの参考になれば幸いです。
感想をもらえないから辞めた人の文章を見て「なるほどなあ」と思い、アフターに誘われないから辞めた人の文章を見て「なるほどなあ」と思った。
私は感想をもらえずアフターにも誘われずイベントが全く楽しめないから次で最後にする。
ピクシブなんかに上げればそこそこ多いブクマを頂けるけども本は全く売れないんだよね。
タダなら読んでやってもいいけど本はいらねー。ってカテゴリのサークルなんだろうね。
100部搬入して80部搬出して、みじめで悲しくて泣きたかった。
身の程知らずだったのが悪い。
判断を誤った私が悪い。
だから次に参加するイベントは、新刊の他にノベルティや無配の大盤振る舞いしてスパッとさよならします。
最後だと思うと「完売しても赤字」の価格設定も気にならないものだね。
ほかの人たちと仲良くなりたかった。
そもそも、該当のマンガ家氏は客観的に見て、「普通であれば雑誌には掲載されないレベル」の作品を書いていた
それ以前も、雑誌用の作品より同人誌即売会用の作品を優先するとはっきり伝えるなど、
雑誌編集者から見れば「こいつは仕事よりも趣味を優先する奴だ」と分かる言動を行っていた。
そりゃ編集者からすれば、作品のレベルも低いし、プロ意識も低い、あまり大事にする取引先ではないと判断するだろう。
(なぜ趣味の作品を優先するとマンガ家氏は伝えてしまったんだろう? あくまで仕事を優先している体で対応しておけばよかったのに)
そこでイレギュラーがあり、代原として兄弟誌への掲載を提案されるがマンガ家氏は断ってしまう。
チャンスはつかんでおくべきなんじゃないだろうか。
原稿料がすぐ出るだけでなく、担当編集者に貸しを作れるわけで、今後はなにかと優遇してもらえる可能性がある。
それをふいにしておいてキレてるというのは、客観的に見ても意味不明だ。
作品発表会じゃないんだから、この雑誌じゃなければイヤだという意地はそこまでして通すものではないだろう。
野球選手で言えば、巨人の2軍選手が急に「阪神なら出られるぞ」と誘われるようなもんか?
ここで阪神の誘いを断ったら、もう2度と阪神から誘いが来なくなることは分かるだろう。
そこまでして巨人に操を立てても、客観的に見ればこの選手は巨人の2軍選手であり、何もなければずっと1軍の試合には出られないのだから。
自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。
この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております。
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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノートに意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。
友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。
三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画の教室は基本的に自由に描き、時には粘土やロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。
名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクールで入賞や金賞を取るようになった。学校の先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。
以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。
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同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。
自分はとあるジャンプの漫画と出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的な存在は読んでいて惚れ惚れした。
以後、学校の休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。
結局その漫画はそれから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。
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それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説やゲームにもハマった。中学の休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。
ここまで描けば幸せな学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。
美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。
それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。
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受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分からず孤独感に苛まれ、遂にはトイレで弁当を食べている方が落ち着いた。
高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校は地獄でしか無かった。
それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。
この頃、自分は同人誌即売会と個人サイトに出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。
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高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。
そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。
結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂「自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。
凄く、嬉しかった。
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思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。
そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。
それからの人生は少しだけ良くなった。カウンセラーは自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。
何もかもがうまくいく。そう思っていた。
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その頃から、自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitter、pixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメ、オリジナル作品も描いたりした。
だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。
他の人と比べて下手だと思い始め、技術を研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。
毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。
次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。
が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。
絵を見るのも好きで、Twitterやpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りやフォロワー数が高い。
絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。
けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。
試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグでフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。
もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足だから皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。
毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。
毎日の努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。
だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。
一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。
自問自答を繰り返し、また研究と宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。
何故絵を描くのか分からなくなってきた。
そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。
「pixivもTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」
自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体や感想を述べたり空気を読むといった基本的なものが出来ない。アスペルガー症候群だからもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。
ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットもリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。
※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校の同級生だけである。数え切れる数しかいない。
ハハハ、なんだ。リア充もオタクも変わらないのか。何がオタクはコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会や同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。
本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブや画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。
好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。
*
今も漫画もアニメもゲームも好きだが、これから先ファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分は別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。
コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害を公表している有名人は多々いるから。自分がコミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから。
ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタクも所詮リア充なわけで。
それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。
最後に一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。
では、失礼しました。
(その①の続き)
http://anond.hatelabo.jp/20160404011015
二次創作の変動を分析する上で、まずは同人誌即売会(以下、同人イベント)のサークル数の推移を取り上げる。
2015年に開催された同人イベントの参加サークルを調査したところ、艦これで活動する総サークル数(2015年に一度でもジャンル「艦これ」で同人イベントに参加した個別サークルの総数)は約4100サークルであり、男性向け単独ジャンルとしては東方Projectの約5700(※)に次ぐ規模となっている。
(※)東方Projectの個別サークル総数の計算には、夏コミ及び冬コミを含めていない(一部で手入力の作業が発生するため、コミケの艦これだけでも集計が大変で、労力が続かなかった……)。また、東方季奏宴や東方駿河祭など一部集計できなかったイベントなどもあり、東方の個別サークル総数はおよそ1000~1500程度上乗せされるものと推定される。
この数字は2014年集計の約4300サークルと大差ないことから、艦これで活動するサークル数はすでに安定期に達したことが読み取れる。
また、各地の同人イベントの艦これサークル数の推移を確認したところ、こちらは2014年の調査から引き続き艦これサークルは減少傾向にあることが分かった。
2014年後半~2016年初頭にかけて開催されたイベントをいくつか取りあげてみても
・コミックトレジャー(オールジャンル):381(第25回)→372(第26回)→319(第27回)
・駆逐してやる!~なのです:65(第4回)→32(第5回)→16(第6回)
・我、夜戦に突入す!:375(第2回)→312(第3回)
・砲雷撃戦!よーい(東京):1010(2015年9月開催)→686(16年1月開催)→945(5月開催予定)
となっており、単独のオンリーイベントでも、また比較的強いとされたオールジャンルイベントでもその傾向は変わっていないことが分かった。
直近の傾向では、「神戸かわさき造船これくしょん」が唯一第1回開催から継続して拡大し、最大オンリーの砲雷撃戦に次ぐ規模となっているほか、5/8開催の「砲雷撃戦」もサークル数はやや減少傾向にあるものの900サークル規模に回復している。
その一方で、比較的健闘していると思われていた「艦娘まりんふぇすた」が今年3月の第3回開催を最後に閉幕となったほか、北方棲姫オンリー「ほっぽこれくしょん」がわずか4サークルでの開催となるなど即売会によっては落差が激しく、大規模イベントへの集約化が今後進む可能性は高い。(神戸や砲雷撃戦の傾向から、もしかするとすでに進みつつある可能性もある)
これらは、コミケの艦これサークル数推移とは逆行する動向であり、コミケにおける艦これの盛況からすれば直感的には理解しづらい。
ただし、コミケにおいてもC88(2015年夏コミ)で艦これの申し込み数が一度減少した(当選率が上がったため、サークル数自体はわずかに増加した)こともあることから、今後の推移は単純に予測できない。
また、個別の即売会の参加サークル数が減少する一方、コミケのサークル数は一応の増加を見せていることから、コミケへの集約が進んでいるとも考えられるが、同様の理由でまだ考察に耐えるだけの情報は不足していると言わざるを得ない。
収集していた投稿数の推移を確認すると、月ごとに変動があるとはいえ、
○週間平均投稿数
・2014年下期:3,650枚
と減少傾向が続いていることが判明した。
特に、特筆すべきイベントの少なかった2015年9月~11月は週間平均投稿数が3,000枚を下回っており、その中でも10月の第4週はついに2,500枚を割り込んでしまった。
pixivにおいてはほぼ同規模であった東方Projectの投稿数が年間を通して今なお週間平均3,500枚以上あることと比較すると、2014年から続く弱含みの傾向は一貫して続いていると考えられる。
また、この傾向は前述の同人サークル数の推移とも一致し、加えてpixivの投稿数とサークル数の間には比較的強い相関があることから、二次創作における創作者の層は次第に薄くなりつつあると推察される。
閲覧数については、2015年6月6日以降に閲覧数に何らかの上方修正がかかったため、それ以前のデータとは単純な比較が困難である。
それ以降のデータでは、8月第2週(コミケ開催週)の週累計3,000万閲覧をピークに緩やかに減少を続け、現在はほぼ横ばいとなっている。
「pixiv1000user」などの固定タグの登録作品も減少傾向にあることから、特定の作品に閲覧が集中しているというよりは、全体的な傾向と言える。
pixivにおいては、艦これは投稿数、閲覧数ともに、何らかのイベント(コミケなど)に沿って増加する傾向にあるが、年月を追うごとにイベント時も平時も段階的に減少している傾向にある。(平時の投稿数を比較すると分かりやすい)
また、キャラクター「鹿島」の登場により一時期二次創作が活発になったが、pixivの動向を分析をする限りでは、実体としては既存のキャラクターの人気が爆発的に「鹿島」に移ったに過ぎず、投稿数や閲覧数の大幅な増加は見られなかった。
集計していた投稿数を分析したところ、「ニコニコ動画」の投稿数も減少傾向にあった。
2014年10月時点での投稿数は週平均で約500作品あり、アニメの放映された2015年2月には一時1,200作品を越える投稿があった。
しかしながらその後は一貫して減少を続け、2016年3月現在では約300作品に留まり、2014年の最小値を30%以上下回っている状態が続く。
ニコニコ動画で比較的人気の高い東方が約1,000(※)、アイドルマスターが約800(※※)、刀剣乱舞が約400であることと比較すると、規模は比較的小さくなってしまった。
(※)「ゆっくり」は東方の派生作品であるが「ゆっくり実況」は集計に含めていない、また同じく派生作品である「クッキー☆」に関しては異論も強いようなのでここでは集計に含めていない
(※※)シリーズごとにタグもあるようだが「アイドルマスター」タグのみを集計
特徴的な傾向としては、投稿作品のうち実に6割以上がMMD作品となっていることが挙げられる。(ニコニコ動画でのMMD作品は東方や刀剣乱舞に目が行きがちだが、実はそれらのMMD作品よりも艦これのMMD作品週間投稿数の方が多い)
このことから、未だ一定数の創作層がニコニコ動画に残留していることが読み取れるが、pixivと違って2015年は外的要因による投稿数の大きな変動も少なかったことから、現在の傾向はこれからも続いていくと思われる。
閲覧数に関しても、現在は週間で1万再生を越える動画は平均10作品で、投稿数と同じような減少傾向を示している。
唯一考察が困難な点が、これらの傾向とは裏腹に[艦これ]タグのPV数が未だ上位に存在していることである。
(http://www8328ue.sakura.ne.jp/index.php)
本来的にはタグのPV数と検索後に出てくるであろう艦これの動画閲覧数は正の相関関係をもつはずだと思われるが、実際にはそのような関係は読み取れない。
タグPV数の算出方法を熟知しているわけではないので考察は控えるが、一見するとタグ検索だけを行って動画を閲覧しないという不可思議な事態が起こっているように見え、腑に落ちない結果に思える。(どなたか詳しい方がおられれば、ご意見をいただきたい)
以上から、艦これの二次創作において、ニコニコ動画という場は主流から外れてしまった感が強い。
艦これの独擅場と言われた「ニコニコ静画」は、若干切り崩しが進んだ感はあるものの、閲覧数ランキングにおいては今なお強い勢力を保っている。
その一方で、投稿数はpixivと同様に下落傾向にあり、投稿者と閲覧者で乖離が進んでいるようにも思える。
これは、コミュニティの特徴として、ニコニコ静画は作品そのものよりも投稿者自身に人気がつく傾向にあることに由来していると考えられる。
実際にランキングの上位の作品を見てみると、見覚えのある常連投稿者の作品であることがほとんどである。(艦これに関しては、およそ5人の投稿者でランキング上位が占められていると言っても過言ではない)
やや特殊なコミュニティではあるが、「ニコニコ静画」の傾向もこのまま大きな変動はないものと考えられる。
人気の推移を分析する上で、匿名掲示板の動向は指標としてはいささか不適切であると考える。
匿名掲示板はそのコミュニティごとに作品の扱いが大きく異なり、一概の分析が非常に困難であると言わざるを得ない。
例えば、おーぷん2ちゃんねるでは艦これ関連の話題は比較的抵抗なく取り扱われ、ブラウザゲーム板などは艦これに関するスレが大部分を占めている。
旧来の2ちゃんねるでも比較的似たような傾向であるが、一部で(詳細は述べないが、様々な理由により)従来ファンだった層がいわゆるアンチに転化してしまったという特殊な事情を抱えるスレも少なくない数あり、分析にあたっての取り扱いを一層困難なものにしている。
また、ふたばちゃんねるは更に事情が複雑で、複数ある「虹裏」の中には艦これの話題を扱うのが非常に困難な場所も存在する。(これも詳細は述べないが、様々な理由によるものである)
ふたばちゃんねるには艦これの話題を専門に扱う「艦これ板」も存在し、特定の話題を専用に扱う専門板の中では最大の規模を誇っているが、近年はやや人数の減少傾向が見られる。
ふたばちゃんねるでは、算出方法は不明であるが、現在その板を見ている人数が目安として表示され、イベント時を除く平時で、艦これ板のピーク時間帯の人数は板設立当初で400人規模、昨年の夏ごろでおよそ350人程度であり、現在は300人程度となっている。
同じくふたばちゃんねるで東方の話題を扱う東方裏板では昨年のうちに人数が150人程度から200人程度まで増加しており、一方で刀剣乱舞板は10人を下回っていることに鑑みれば、やはりそれぞれのコミュニティの性格というものが強く表れてしまうことが分かる。
以上のような理由で、人気の動向を分析するにあたり、匿名掲示板などの分析は行わないこととした。
また、Twitterに関しては、未だ定量的に分析する手段が確立されておらず、今回も分析から除外した。
長くなってしまったが、以上の結果をまとめると、次のような事実が浮かび上がってくる。
・公式関連の人気は今なお強い。
・二次創作関連の人気は停滞気味で、下落傾向が見られる。
・公式関連でも書籍は縮小気味で、二次創作と似たような推移となっている。
・Vita版やコラボグッズなど、新規性の高いものには人気が集中する
つまり、
大きく分けて、公式関連と二次創作関連で人気の二極化が進んでいる
ということになる。
これは意外な結果だ。
かつては「公式関連は展開が遅い」「グッズの絵柄が既存のもので新規性がない」「二次創作は好調が続いている」と言われていたが、現在の状況を分析した限りでは、むしろ公式関連に人気が集中している。
このような傾向になった理由を考察してみると、主因はここ最近の公式関連の矢継ぎ早な展開にあるように思われる。
Vita版やアーケード版の発表、更にはコラボグッズの展開など、ここ最近は公式関連の発表が相次いでおり、にわかに活気づいているという印象を受けた方は多いと思われる。
上述の分析結果を見るに、いずれも人気なのはVita版やアーケード、オーケストラコンサートなどの、艦これにこれまでなかった新規性の高い出来事が中心となっており、人気となったコラボグッズも、従前の公式グッズとは違い、新規に描き下ろされた絵を使用したものであった。
一方で同じ公式関連でも書籍が下落傾向にあるのは、書籍そのものが「前の巻の続き」という継続性の強いものであって、2015年は新規展開による目新しさというものがなかったためではないかと思われる。
また、二次創作関連は上記の分析結果を総合する限りでは、2014年末~2015年初頭にかけてのアニメ放映時期がピークであったと推察される。
稀に2013年末をピークと見る分析もあるようだが、これはこの時期に艦これの二次創作が爆発的に増え、増加量、言い換えれば勢いがすさまじかったとこによるものだろう。
実数をベースに見れば、最大値は2014年末~2015年初頭で、いくつかのピークを形成しつつも段階的に縮小しているというのが現在の状況だ。
かつては艦これの二次創作は乏しい公式展開を各々が補完しようとしたために流行したとも言われたが、これが事実であるとすれば、公式関連の矢継ぎ早な作品供給が見られる現在の状況で徐々に二次創作から公式作品へ人気の再移行が進むことは一定程度理解できなくもない。
しかしながら、主因はむしろ二次創作人気の高い作品が競合していることにあると考えている。
かつて東方Projectが二次創作を席巻した際は、二次創作にいおいて東方に変わる有力な作品というものが少なかった。
現在はその東方Projectが尚健在であり(一部増加傾向が見られるという報告すらある)、「アイドルマスター」も未だ強く、比較的新しい作品としては「ラブライブ」が驚異的な強さを誇る。
即売会の状況を見ても、東方Projectは博麗神社例大祭(春:4000サークル規模、秋:1500サークル規模)、東方紅楼夢(2000サークル)、東方名華祭(400サークル)、北⑨州東方祭(400サークル)など大規模な即売会が毎年開催され、ラブライブも単独即売会で500サークルを集める規模に成長した。(これは艦これ即売会二番手の「神戸かわさきこれくしょん」よりも規模が大きい)
他にも「グランブルーファンタジー」の即売会である騎空祭が一定の成功を収めたり、女性向けでは「刀剣乱舞」がコミケで1600サークル、単独即売会で5000サークルを越えたりと、二次創作の人気は競合状態にある。
様々なジャンルを掛け持ちするサークルも多いが、その分各ジャンルにつぎ込める労力は分散することになるため、競合が多いほど各ジャンルの規模が頭打ちになりやすいことは容易に想像できると思う。
個別の創作活動に影響が出るため詳細は伏せるが、集計したサークル数のデータを分析していると、艦これから東方Projectやアイドルマスター、ラブライブ、おそらく女性を中心に刀剣乱舞への移動も見られ、一部には艦これからの流出が超過となっているジャンルも存在し、艦これ二次創作関連の縮小が続く要因になっている惧れもある。
以上をまとめると、大雑把に「公式関連は増加、二次創作関連は減少」ということになる。
また、公式関連の人気と二次創作の人気は必ずしも一致しないという原則も再確認できた。(仮にこれが成り立たないとすれば、今ごろ世の中は「パズドラ」の二次創作だらけである)
そして、最も重要なことは艦これの人気を議論する上で、人によって見ている指標が異なっていることを認識しなければならないということだ。
ある人は公式関連の動向を見て人気を議論し、また別の人は二次創作関連の動向を見て議論している ―― このようなことが起こっているからこそ、冒頭に述べたようにファンの間でも認識の差が生まれるのではないだろうか。
「艦これはピークをすぎた」という発言は、必ずしもいわゆるアンチによる発言とは限らない。
一方で「艦これは人気絶頂」という発言も、盲目的なファンを装った荒らしの発言とは限らない。
これらは「対象としているもの」の違いで両立し得ることが、この分析結果から理解できたのではないかと思う。
また、いわゆるアンチや荒らしなどは、このような一見したギャップを突いてきて、議論を混乱させようとしてくる惧れもある。
正確な知見をもつことがこのような荒らしの排除に繋がり、「艦これ」の発展に繋がっていくと信じている。
(了)
私は中学くらいまではやおいが嫌いなオタク女だったわ、それでアニパロコミックスとかファンロードとか読んでオタク友達に誘われて同人誌即売会にいってオリジナル本や便箋を買って、友達数人とよろずコピー本などを作り細々と楽しくしていた所に、高河ゆんとかクランプとか尾崎南とかの直撃が来て、図書館に終わりのないラブソングなどかあり吉田秋生表紙にまんまと釣られて衝撃を受け、古本屋で間違って買ってしまったメイドイン星矢に謎の萌えを感じて、雁須磨子のスラダン本とかまおまりをのパトレイバー本辺りの同人誌でじょじょに抵抗が消えていき今に至る
萌えジャンルは漁って、たまにオリジナルも買う程度だけどファイアーエムブレムの時にはおがきちかとか熱心に男女も買っていたけど今は何だか恥ずかしくて見ないから完全に腐
今まで幾多の同人誌即売会にきたけど、次期国家元首ご来場というのは初めてだわ。台湾すごい。 pic.twitter.com/QF638m81f4— じんじん的ななにか (@zin_zin) 2016, 1月 30
「日本の首相も見習うべき」とか「みっともない」みたいな的外れな意見が出てて草。
台湾は中共と比較して民主主義国家であるという自負と誇りがあるから、こういった「自由な創作の場」がある事は台湾人の誇りなんだよ。
公的機関が萌えキャラに走ったりするのも、「政府の方針とかに左右されない遊び心」を表現した結果なんだよね。ま、それこそプロパガンダじゃんって気もしちゃうけど。
蔡英文氏は中国寄りでは無い政策を主張しているから、こうした表現の場を尊重していると言うアピールが根底にあるんだろうね。
日本って現時点で表現の自由が担保されちゃってるから、こういう「自由な表現ができる事を特別だと思い尊重する」空気って100年経っても訪れないだろうし、羨ましくも思ったりするけど、やっぱり自由が特別に感じるって状態は異常だと思うから今のまんまでいいかなーとか思ったりした。
私が見たぶんの、二次創作物としての夢小説、狭い範囲の夢小説について話したいと思う。
とはいえ、そんな狭い範囲においても、夢小説というものの幅は広い。名前変換小説、という別名をとるだけあって、「名前変換機能」がついている二次創作小説は、すべて「夢小説」と呼ばれる。JavaScriptのダイアログでも、Cookieのフォームでも、投稿SNSサイト・ホームページ作成サービス付属の機能でもいい。
その形式。愛おしいあのダイアログは、そっけなく「苗字」「名前」、とだけ書かれたものもあれば、「御名前をドウゾ」「Please enter your name.」なんていう、意味はよく分からなくともすてきな言葉遣い。
なぜならば――それはインターネット上で行われている。
すてきなものは同人誌即売会にある。オフラインにある。二次創作というものを知って以降、私はそう覚えこまされた。「オフ本を作りたい」と作家さんは言い、「やっぱり本になるといい」「ちゃんとしてるように見える」と言う、「差し入れありがとうございました」「こんどのイベントは限定ペーパー作ります」「コピ本作ります」。
指を咥えながら見ていた。
愛が足りない、と言われればそうだったろう。小学生だって即売会に行くことはできる。通販を申し込むことだって不可能じゃない。けれど私にはそうするだけの愛が足りなかった。住所を入力する勇気もなかったし、新幹線に乗って大都市に行くお金を貯めることもできなかった。
夢小説は私の味方だった。
クリックひとつで手が届く、インターネット上で完結した世界だった。本になって、「ちゃんとしてるように見える」ことはなかった。同人誌はインターネットがはじまる前からあったらしい。夢小説は、常にインターネットとともにあった。メアリー・スーの存在は知っている。けれど「名前変換」。名前変換が出来なければ夢小説ではない。
振られるもの。振るもの。いじめられるもの。いじめるもの。嫌われるもの。嫌うもの。
ただ一瞬だけ人生が交わるもの。交わることすらなく通り過ぎていくもの。
主人公の性別に制限はなく、男の子になってキャラクタと交わる夢小説は女の子になる夢小説と同じくらいたくさん書かれているように見えた。百合夢小説だってある。少なくとも私は書いたことがあるし、『テニスの王子様』のヒロインたち、竜崎桜乃と小坂田朋香や、『ハリー・ポッター』シリーズのハーマイオニー・グレンジャーの夢小説はかなり読んだ。夢中で読んだ。
ハーレム夢小説が好きだった。登場人物が多いぶん、たいていは長編のラブコメだった。ジェットコースターみたいな展開に夢中になり、連載が更新される日はいつも待ちきれなかった。男の子たちと丁々発止とわたりあう聡い女の子たちに憧れた。女の子を大切に大切に扱う男の子たちは原作とはまたちがう輝きを放っていた。「キャラの立った」女の子たちは、ときに作品の垣根を越えた作品を生み出すことがあった。それもまた好きだった。
傍観者になる夢小説が好きだった。「無糖」という言葉はよく覚えている。夢小説の脇には、しばし「狂愛」「死ネタ」「悲恋」などと属性が書かれていたけれど、そのなかの「無糖」は、キャラクタのそばを、傍観者として通り過ぎていくことを意味していた。見つめるだけでなにも起こらないことが約束されていた。書き手の視点から切々と綴られた誰かの横顔は、どこまでもいとおしかった。
これらの、相反すると思えることが同時に起こり得たのは、すべて、「名前変換」というものがあったから。
夢を見なければ、夢小説は書けない。
夢中にならなければ、作品のなかに入り込むことがどうしてできようか?
夢小説を読むとき、書くとき、私はずっとずっと夢中だった、冷静な判断なんてなにひとつしなかった。ただ、情熱の赴くままに行動した。
文字通り夢を見ていた。
ざっと列挙すると、こんな感じだろうか。
(ちょっと間が空く)
懐かしい話が多かったので思わず便乗してみた。記憶頼みなので資料はない。低質な記事ですまない。
90年代前半といえば団塊ジュニア世代が若者だった時期のはずなのだが、大量にいたはずのオタクじゃなかった人達は当時何やってたんだろう?
バブル崩壊、就職氷河期などが直撃して色々とどめを刺された世代なのは、団塊ジュニアの子ども世代が少ないことから見て明らかなのだが…
90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。
本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。
第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年、中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。
「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))
中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテのコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。
ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年、宮崎勤の連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラー、アニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュでインドアなブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。
「オタク、かっこ悪い?」
そういう問い自体出なかった
「オタクは格好の悪い生き物だ」
侮蔑され諦観し
故に侮蔑され故に諦観し
数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする
(中略)
おい あれ
プッ
ぎゃはははは
オイロリコン部ーッ
ぎゃははははははは
世間は宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。
当時の高校生オタクにこうした罵声に反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。
岡田は現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養と分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集と理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。
80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価に意見交換できる場は、不特定多数のオタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。
そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である中高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察や解釈を求めてネットが活用された。ネット黎明期、オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタクの存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互に自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットとオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタクを自称する者のズレは拡大していくことになる。
エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者のオタク化を助長し続けた。
他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲのベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。
コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードやフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原はアキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。
そして2005年、TVドラマ『電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客がオタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。
珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。
2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法問わず大量のアニメやゲームといったオタク系コンテンツを抱え込んでいく。
アニメは放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイトに投稿された動画に必要な手間はクリックするのみである。オタク系コンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。
またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメ系アフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報やスキャンダルを把握する。その情報はあくまでアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定のオタク的知識を有していることはまぎれもない事実である。
こうした層はアニメやマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタク系コンテンツの情報収集に必要なコストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。
「非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテ、コミュ障等と細分化し始める。
誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタクと自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークルや同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタクと自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。
一方で2007年以降、AKB48が握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。
細田守監督の映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。
2011年、アエルラ、アイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガ・アニメ・ゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。
筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田がオタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメの話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク的趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク的趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタクと自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である。
他方、携帯ゲームの課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメの興隆などから、グッズその他のオタク的趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。
アイドルオタクとアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及は本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。
また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差の可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である。
ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティに所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。
二次創作同人にはさまざまな問題があり、無許可商業アンソロだけを槍玉に挙げるのは間違っており、正当性がないという意見もあるでしょう。
まったくもってその通り。二次創作を守るために非公式アンソロを潰せというのは、矛盾でしかない。
ネットが普及した現代、二次創作自体が「理解・知識のない人」の目に触れないようにすることは不可能であり、この認識は古い。
人の目に触れてしまうこと自体が問題だというのなら、結局二次創作自体を禁止するしかない。
子供に人気のある少年漫画を題材にした過激な性描写を含む作品が収録されており、かつ、登場人物は未成年であるにも関わらず、レーティングが施されていない出版物である。
「子供」とか「少年漫画」を盾にした言い方は恣意的で気に食わないが、レーティングの危うさに関してはまあ同意する。
だが「過激な性描写」の基準によっては表現規制に傾きかねないので、これも手放しでは同意できない。
これを言い出したら、イベント会社や印刷会社の利益が絡む同人誌即売会もアウトだ。
二次創作問題の諸々のデリケートな問題は、すべてが複雑に絡んでいて、一部だけを都合よく切り離して否定することは困難だ。
権利侵害だという認識があるのなら、二次創作そのものを否定すべきだろう。
自分は無許可の商業アンソロをよいものだとは思わないし買わないし読まないが、「より悪目立ちする、よくないものを自浄すれば、ほんとうに大切なものを守れる」という発想の注意喚起は信用できない。それを認めれば次はべつの「悪いもの」を探して潰す流れになるからだ。
自分が無許可の商業アンソロをよしとしない理由は、二次創作人気に乗っかって適当な商売しているモラルの低い出版社が気に入らねーからってだけ。
20代の頃は夏冬参加してたけど、もういい年だし、
炎天下で待機とか重い荷物持って広い会場歩き回るのとか体力的にきついから、最初は参加を迷ってた。
実際、アスファルトの上で2時間座っていたら、日傘をさしていても気分が悪くなってきて焦った。
しかし、入場すると目の前いっぱいに広がる光景に、本当に疲れがふっ飛んだ。
わあ~!これよ、これ!楽しい!
ってなって、顔がにやにやしていることに気付いて慌てて引き締めた。
私は最近とあるジャンルにはまり、二次創作を読みたくてたまらなかった。
しかしナマモノなため、ネットで検索しても普通には見つけられない。
ヤフオクで出品された同人誌を、表紙だけ眺める寂しい日が何ヵ月も続いた。
結局前日になって行くことを決めた。
本当に行って良かった。
サムネイル化された小さな表紙を見ただけで惹かれたサークルさんの本か買えたことも嬉しかったし、
ネットでのあまりの見つからなさに、もうジャンルとして斜陽なんじゃないかという予想に反して
同類のジャンルの中では2番目の大手で、壁サークルがあったことも嬉しかった。
「売ってほしい」と「買ってほしい」が全く同等で、
こちらは「少額のお金でこんな楽しい、個人的に作ったものを分けてもらえるなんて」と思っているのに、
向こうは満面の笑みで、本のみならずあれやこれやとオリジナルのおまけをつけてくれる。
本もおまけも工夫が凝らされていて、楽しさのエネルギーが凄い。
そして帰宅してじっくり読んでいると、やっぱり行って良かったと思う。
コミケのとき、参加者の位置情報を追跡したら日本中に散らばっていて、
誰かが「8月は東京が神在月」と言ってたけど、買い専の私からすると本気でそう思う。
こんな凄い話を書く人がOLさんだったり学生さんだったり、しかも日本中に散らばっていてはとても見つけられない。
周囲に同人文化がない身には本当にありがたいイベントだと思う。
というようなことをつらつら考えている。
現場では爆買いしたつもりだったのに、2日で全部読み終えてしまった。
それでも何回も繰り返し読んでいる。
ああ楽しかった。