「携帯」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 携帯とは

2023-07-19

電子書籍レンタルより購入

調べたけど結構高いしポイント変換が必要だったりで手続きめんどい


もちろん電子書籍サイトで会員登録はしておくとして、

欲しい本をピックアップしてから割引されるタイミングで購入した方が

読み返しとかできるし結果安いと思った


個人的には携帯キャリアソフトバンクワイモバイルならebookjapanがオススメ

1~2か月に1回ぐらい50%割引(あるいはpaypayで還元)できるタイミングもあるし

anond:20230719082727

追記あり

しゃあねえ一肌脱ぐか。

引きこもり10年後に社会復帰して、現在正社員貯金700万の中年独身オッサンだ。

俺の場合は長期の引きこもりのせいで限界まで自信無くなっていたので

バイト求人電話かけるくらいなら自殺するほうが心理的抵抗感が少ないような極まりきった状況だった。

引きこもり始めて5年目にこりゃもう鬱だから働けないんだそうに違いないと精神科の門を叩くが、大したことなかったらしく軽い抗不安薬のみ処方される。

その後、抗不安薬パワーでバイト面接に応募するも、退化した体に工場作業はキツすぎて一ヶ月経たずに止めた。

その後、逃避行動として資格勉強を始め、業務独占資格を二つほど取った。これが後で生きてくる。

そしてネットで見たサポステに応募。カウンセリンググループワークをしばらく続ける。

これは本当にありがたかった。

周りはみんな自分と同じダメ人間なので、数年ぶりに引け目のないコミュニケーションが取れる。

同居している親の話では、この頃から俺の目に生気が戻り始めたそうだ。

サポステ社会復帰を目指す場だが、自分から行動を起こさなければ

ダメ人間の集まりという居心地よすぎるぬるま湯にそのまま沈む恐れがある。

年齢的にも危機感を感じていたのとサポステ職員にケツを叩かれていたのもあって、もう一度バイトの応募に挑む。

ここでサポステ活用法を教えよう。

ヒキニートバイトに応募する際に躓く点として「応募先の電話番号までは押せるが、通話ボタンを押す指が固まって動かない」という、ヒキニート特有のどうしようもない症状がある。

社会復帰するぞバイトを始めるぞと決心してから、数ヶ月も半年ボタンを押せずに携帯電話にらめっこし続けるという引きこもりあるあるネタだ。

この症状は、サポステ解決できる。

単純な話だ。

職員携帯を渡して、通話ボタンを押してもらえばいい。

一切の容赦も慈悲の欠片もなく、軽々と通話ボタンを押してくれる。

コールが始まれば、もう後は話をするしかない。

最初の一歩を踏み出す勇気がないのなら、誰かに背中を押してもらえばいい。

そしてサポステ職員背中を押すのが仕事だ。遠慮なく手伝ってもらおう。

そうして始まったアルバイト

身体も本調子ではないのでそりゃあ辛かったが、峠を乗り越えればルーチンワークになる。

三年勤めたところでバイト先が閉店し、また自由の身に。

ここでまたサポステに戻るが、今回は僅かながら失業保険が出ている。

そして俺の履歴書には業務独占資格が二つ。

俺は職業訓練校に入学した。

元の資格に関連したコースを選び、追加の資格を取り、資格が生きる業種の求人に応募した。

経歴の空白期間フリーターとして詐称

面接も滞りなく進み、小さな会社正社員として採用される。

そして今に至るというわけだ。

趣味ゲームネットくらいしかない子供部屋おじさんなので、貯金勝手に溜まっていった。

100万ほど手元に残して、残りはインデックス投資に回している。


勝因はサポステの利用と資格だったように思う。

サポステネットでもいろいろ言われている通りで、利用したらそのまま就職までオートで行けるような便利機関ではない。

ある程度は自分から意欲出して動く必要がある。

そしてサポステにとっては利用者バイトを始めた時点でゴールなので、その後の社員へのステップアップは自分で考えて動かなければならない。

就職後も相談には乗ってくれるのでうまく活用しよう。

しかしそれを差し引いても「ダメ人間同士で気兼ねないコミュニケーションが取れる」という一点だけで、利用する価値がある。

誰と話すこともない、長年の引きこもり生活で弱り切った声帯リハビリすることができるからだ。

普通に考えて、この症状をリハビリできる環境は限られる。

「アッ……アッ……」としか喋れない状況で、どこで誰に話し相手になってもらうというのだ。

サポステならそれができる。これは本当にありがたかった。

おかげで、ある程度まともに喋れる状態社会復帰に望めた。

今ならネトゲでボイチャするという手もあると思う。


そして資格

たまたま逃避行動で取った資格業務独占資格だったのが勝因だった。

これが自分能力証明するタイプ資格だったら

ここまでトントン拍子にはいかなかったと思う。

だって、「何年も仕事をしないで基本情報技術者を取りました!この資格は私の能力が高い証明!」なんて胸を張ったところで、

IT業界で何年か働いている人の方が普通に評価高いのは分かり切ってるでしょ。

引きこもり資格を取り始めると末期だなと言われる理由がこれ。

しか業務独占資格は「この資格を持つ従業員がいなければ、この業務をしてはならない」という資格だ。これは需要がある。

業務独占資格の中には実務経験年数が定められてる資格もあるが、それが受験資格でなければ気にする必要はない。

「私を採用すれば〇年後にこの資格持ちになります」は大きなセールスポイントとなる。

引きこもり逃避行動で資格を取るなら業務独占資格に限る。


以上が脱ヒキしたオッサン経験談だ。

アドバイスとしては、サポステに行け。声帯リハビリしろバイト初めろ。職業訓練に行け。就職しろ。どっかで躓いて何もかも嫌になったら資格を取れ。

何年か越しのプランになると思う。

個々人の素質にもよるが、急がずに一歩ずつステップを踏んでいくのがいいだろう。

お前は、お前が思ってるほど絶望的な状況ではない。

10選手社会復帰したんだぞ?何年坊主だお前。

ニート暦で俺にマウント取れる奴そうそういないだろ。

わかったらサポステ行ってこいサポステ

大丈夫だ。俺やお前のようなやつを扱う専門の所だから

問い合わせの電話でアッアッってなったとしても、向こうも慣れたもんだから

バイト応募の電話かけるより百倍気軽にかけられる電話だぞ。


からさ、まずは今よりちょっとだけ前に進もう。

応援してるぞ。

____________________________________________________________

追記

いや、バズり過ぎでは。

なんか俺が優秀な感じにされてるけど、取った資格は難関でも何でもないし

給料は一昔前に「年収〇〇〇万円時代を生き抜く」とか言われたレベルだぞ。

単に親元で、たまたま酒も女もやらなかったおかげで溜まってるというだけだ。

貯蓄額を出したのは、元ニートでもこれくらいはできるんだぞと勇気を与えたかったのと、あとは自慢。

だって、貯蓄の額なんてこんなところでしか言えないもん。許せ。


そして俺が自信満々なのは引きこもり時代後遺症で中二マインドが抜けないせいだ。

この世の大多数よりも人間的に上の存在であるという、根拠のない自信を持っている。

いい年こいて恥ずかしい持病だが、仕事をする上ではこの自信満々なスタンスが謎の信頼感を生むらしい。

なんか知らんうちに良い方向に働いてて驚くこともしばしば。

あと俺が取った資格は難関でも何でもない。

普通入社してから働きながら勉強して取るような基礎的な資格だ。

資格名前とかをぼかしたのは、単純に身バレ防止のためだ。

かなり大胆に経歴詐称して入社してんだよこっちは。

ホッテントリに入るだけでもビクビクしてんだ。察してくれ。


そして、社会復帰資格ありきで受け取られるのはちょっとマズい。それはちょっとやめてくれ。

俺達引きこもりは「やらない理由」を探すことにかけては達人なんだ。

現状を自己正当化する理由を四六時中考え続けて数年間の猛者だぞ。年季が違う。

俺の社会復帰資格が役立ったことは確かだが、

俺の社会復帰資格のおかげとなると、みんな大喜びで「じゃあ資格を取るまで就活しなくていいよね!」となってしまう。それはまずい。


実際のところ、職業訓練所を出ればそれだけで「口だけではない、最低限の技術が身についた者」であることを証明できる。

そのルートを行くなら、資格はなくてもいい。

さな会社では門外漢素人よりも、職業訓練あがりの少しはわかってる奴の方が歓迎されることも多い。

そして、職業訓練所は就職斡旋機関だが、ニート更生機関ではない。

アッアッな状態職業訓練所に入っても、おそらく就活コケる。

から最初サポステに通い、人間性を取り戻そう。

その上で必要ならバイトで「働く」という経験を積み、

それから職業訓練所で社員を目指すというのが俺のお勧めする社会復帰コースだ。


そして、一番大事なことを忘れてた。

これは完全に職歴なしで卒業後そのまま引きこもり生活送っているタイプニートへのアドバイスだが、

スーツを着てオフィスワークする夢は、一旦捨てろ。

俺たちは「引きこもりパソコン大先生自分にもできること」という考えで

パソコンを使った仕事に就こうと考えがちだが、一旦その考えは捨てて、視野を広げよう。

作業服を着て現場に出る仕事はいだって人手不足だ。

その中で、体力的な負担比較的少ない仕事を選べ。

それなりに忙しく動いて体力は消耗するが、筋力勝負ではない。

俺たちにとっては、そんな仕事が狙い目だ。

そういう仕事は、意外とある

出入りの業者さんと雑談してると、意外と無職期間があったり

ニートで今の会社に拾ってもらったという人もちらほらいる。

社会復帰してる元ニートが意外と多いということは、

それを受け入れる土壌も意外に広いということだ。

あとな、機械いじりにも意外と特性あるぞオタクは。


まとめると、別に俺は特別優秀ではない。

資格を取るのは行き詰って動けない時にしろ

数か月を寝て過ごすよりはいい。

職業訓練所は使えるバフだが、何度も使えるものではない。

タイミング大事から就活できる態勢が整ってから挑め。

そして、現場仕事視野に入れろ。

現場のオッチャンたちも、思ったほど怖くないぞ。


以上だ。

ヤバそうな流れだったので、急遽追記させてもらった。

資格あくまで「あったら役立つ」ものであって、

資格がなければ就活できない」というものではない。

これ大事なことだからな。

資格を取るまで行動を後回しにするのは違うぞ。

資格を取ってからサポステに行こう」なんて最悪だからな。

並行で行けるから。並行で。

サポステはそんなフルタイムで拘束されるとこじゃないから。

サポステ行って、なんやかんやして、それでも時間は余るから

じゃあ、この時間資格勉強でもするか。と、そうなるなら良いと思う。

まず動こう。まず。

資格のことは横に置いて、まず行動をしよう。

締めの言葉は前と同じだ。


今よりちょっとだけ、前に進もう。

子離れが出来ない母、親離れが出来ない私

誰に吐き出していいかからない悩みをここに書くことを許して欲しい。

  

私は30代を目前とした独身女。

実家暮らし社会人恋人無し。

子ども部屋おばさんと呼ばれる人間

多分一生、子ども部屋おばさんでいるのだと思う。

  

  

家族間の仲は良好で、幼い頃はとても裕福とは言わないまでも不自由のない生活を送ってきた。

私が小学校低学年の頃、自営の父親覚せい剤に手を出し捕まった。

残したものは多額の借金

どちらかと言えば裕福だった生活は貧しくなり、借金取りから逃げるように引っ越した。

両親は離婚、幼い私は良く分からずもこれから母子家庭だと言うことを聞いた。

  

それから、母は水商売で何とか金を稼ぎ私を育ててくれた。

当然父から金銭的援助は受けていない。

今どこで何をしているかも分からない。

私は奨学金を借りながらも大学へ通い、今は安定した企業入社仕事をしている。

母が女手1つで育ててくれたことを一生感謝し続けると思う。

  

  

幼い頃、大人になって会社で働く頃には当然一人暮らしをしているものと思っていた。

実家暮らしているのは、私の甘えと母の依存によるものだ。

  

25歳の誕生日一人暮らしをしたいと思うと母に話したことがある。

もう良い年だし、会社も遠いし、少ないながらも一人で質素に暮らすには充分稼げているし、母に甘え過ぎていると思ったからだ。

だがその話をした途端、母はポロポロと泣き出した。

  

「わかった、じゃあお母さんは死ぬね」

  

そう言っていた。

私は当然母に死んでほしいなどと思ったことはない。

意味が分からず、何故そんなことを言うのかと焦って問い掛けると「一人暮らしをしたいということは、私はあなた人生邪魔なんでしょう」と言う。「私が死ね保険金が入る、そうすればあなた生活の足しになるから」とも。

どうしてそう考えるのかも理解出来ず、とにかく今直ぐにはしないことを伝え何とかその場をおさめた。

今思えば、その時に強行突破でもしてしまえばよかった。

ももしも私が一人暮らしをすることで母が首を吊ってしまったら?

きっと後悔で私は正常に暮らしはいけないだろう。

  

子離れが出来ない母、親離れが出来ない私。

どんどん年老いていく母と、子ども部屋おばさんのまま何にも成長しない私。

世の中の人たちはどう言って実家を出て一人暮らしをしているのだろう。

  

  

実家を離れられない理由のもう一つとして、私の稼ぎが無ければ今の家に住み続けられないということもある。

私の給料は、三分の二を家に入れている。

母は当然もう水商売が出来る年齢ではなく、週5でパートをしている。

ここまで書いていないが同じく実家暮らし社会人の弟がおり、弟も給料の半分は家に入れてくれている。

家賃光熱費、食費など生活費はそこから出している。

生活保護の制度を利用すれば母は一人でも暮らせるのではと話をしたこともあるが、生活保護を受けて暮らすくらいなら死ぬと言っている)

  

  

そんな母が最近、家が欲しいと言い出した。

家と言うのは今私たちが住んでいる賃貸マンションのことではなく、一戸建てのものだ。

繰り返しになるが、私は母に多大な感謝をしている。親孝行だって出来る限り沢山したいと思っている。

恐らく私は、年齢的にも収入的にも、ローンを組むことが出来ないことは無いだろう。

税金も控除されると言われればそれは有り難い話だ。

  

けれど、どうしてもそれをするのに躊躇う自分がいる。

恋人もいない癖に、もし私が結婚したら?結婚した相手と住むことにしたら?そうしたら誰がローンを払っていく?と言う思いが巡ってしまう。

結婚したらそこに住めばいいだけの話かもしれない。でも、義母義弟と暮らせる人がどれだけいるだろう。

少なくとも私は、弟が結婚するならその家を出て一人で、もしくは母親と二人で暮らす選択を取る。

  

家族三人でローンを払っていく」前提の一戸建て

誰がローンを組んだところで、よくよく考えてみれば一人抜けたらもう払えない。

まり家を買うという選択をした時点で、私は家を出ていかない、弟も家を出ていかないという未来がほぼ確定してしまっている。少なくとも、母の中では。

  

それが親孝行になるのなら家を買ってあげたい気持ちはある。

だが、気持ちだけでポンと払える金額ではない。

  

  

考えれば考える程、どうして良いかからない。

そして結局自分可愛いが勝ってしま自分が情けない。

親孝行したいと言いながら即決出来ないことが辛い。

これだけ考えておいて、家を建てたら結婚は出来ないんじゃないかとも思う。

一生母と弟を養って行かなければいけないから。

  

  

もしかして私はその為だけに生まれてきたんだろうか。

  

何も考えたくない。

  

  

追記

仕事が終わってから見たら沢山反応をいただいていて驚きました。

かいコメントから真摯アドバイス、厳しいお言葉にも全て目を通しております

こちらに投稿するのが初めてなので追記という形で書くのが良いかわかりませんが、何度か話題に出ていることにこちらで返信とさせていただきます

  

家賃生活費)が高い

これは私の書き方が悪いですね。

家賃光熱費、食費の他に、保険代や車の維持費、弟の奨学金返済分、母の携帯代などを含んだものを「生活費」として書いていました。

弟にはお金管理を任せられないため、奨学金返済分もここに含まれています

家賃自体相場的には高くないですが、食費が少し高めです。

ただし、家計管理が甘いのは仰るとおりです。ここはこの後どのような選択を取るとしても重要になると思うので、話し合います

  

毒親

暴力を振るう親、学生の進路を勝手に決める親、などがそうなのだと思っていました。

今も毒親とは思えていません。でも、良い親だとも思えていません。

育ててもらった恩はあるけれど、私は自分人生を歩みたい。

この件に関して第三者から意見を聞くことはほとんどないので、どう見えているのか参考になりました。

  

全てに返信が出来ずすみません

「誰かに聞いて欲しい」けど「誰に聞いてもらえば良いかからない」という私の薄暗い気持ちでしたが、少し冷静になれました。

今後どうしていくと確定したわけではありませんが、それでも様々な選択肢があると知ることが出来ました。

特に私の身を案じてくれた方、私はきっと誰かにそう言って貰いたかったんだと思います

厳しい言葉も、優しい言葉も、何度も見返して考えます

 

私の投稿に少しでも時間を割いてくれた皆さんへ良いことがおきますように。ありがとう

anond:20230718222319

彼女小学校廃校になっていなければ同窓会があるかもしれない。
きょうびは直接連絡先を教えてもらうのは無理でも、学校担当者自分携帯番号を預けて先方からコンタクトしてもらう方法もある。
菜々子さんに会えるといいね

2023-07-18

anond:20230718120628

からマジレス恐縮なんだけどスマホ普及前はみんなしてなかったっけ?特に電車通学とかの場合

まだ携帯禁止学校も多かったし。

2023-07-16

anond:20230716161513

ちなみに質問はこう。

000年から現在までに漫画雑誌レーベル)は何倍に増えたのでしょうか? 思うに携帯漫画が普及してから爆発的にマイナーレーベルが増加したような気がしますが具体的にどのぐらい増えたのか知りたいです。

複数漫画雑誌が同じレーベルに属している場合雑誌の数でカウントし、雑誌というのがなくてレーベル作品をまとめているタイプのものは1レーベル1つとしてカウントしていただけると助かります

2023-07-15

障害対応がけっこう好き

会社システムがいろんな理由でたまに障害を起こした時に、本業そっちのけで障害対応するのが好きだ。

関係者携帯電話して、主要メンバーで緊急会議やって、要対応事項をバーっと箇条書きで書き出して、担当割り振って、影響範囲に対して緊急メールを出して、ポイントとなる人物には直で謝ってみたいなことをガッーとやると、アドレナリンがバッーと出て、充実感に包まれるのでけっこう楽しい

障害起こさずにやるのが本当は偉いってのがわかってんだけどね。影響受ける部署の人に、障害対応楽しいなんて書いたら、怒られるどころでは済まないので、ここでこっそり打ち明ける。

2023-07-12

今回の判決に対する懸念個別事例で反論してくる奴は信用できない

anond:20230711222009

今回の最高裁判決否定的に捉えている人間の一人だが、

例えば佐藤かよが同じ職場で働いてたとして、佐藤かよ女性トイレ使っても何も思わんわ

多分他の今回の判決懸念批判を表明している人も、今回の裁判の事例は問題ありとしながらも、各々問題ないと思う「個別事例」はあるんじゃないか

でも「個別事例」を引き合いに出して法律司法判断を語っちゃうと、

・「刀を骨董品の様に愛でている人もいるから、刀の携帯を取り締まる銃刀法に反対! 銃刀法に賛成してる人は刀愛好家差別主義者!」

・「大麻中毒にならない人もいるから、大麻解禁に賛成! 大麻合法化に反対する人は実際の大麻愛好家に会ったことがないから怖いイメージを持ってるだけ!」

・「四つん這いで女子高生スカートを除いた人が、責任能力なしとして無罪になった。私は仕事上重度の精神障害者と関わるが、実際に彼らがセクハラをしてしまうケースを見たことがある! だからこの判決批判する人は精神障害への理解を深めるべき!」

こんな調子で「お気持ち」論に収束ちゃうんだよね

今回の判決批判派はお気持ちディベートをしたいんじゃなくて、判決が今後の刑事事件判決法改正犯罪に与える影響について議論したいんだよ

今までは戸籍男性場合建物管理者の意に反して正当な理由なく故意女性トイレに入ると建造物侵入罪に問われる可能性があった

しかし今回の判決では、戸籍男性でも性同一性障害の診断を受け女性ホルモンの投与を受けている場合は、女性トイレへの立ち入りを制限するのは違法という判断となった

ここから建物管理者はどこまで自由ルールを作っていいのか」と「どこからを正当な理由とするか」という論点が導き出せる

今回の判決の「建物管理者はどこまで自由ルールを作っていいのか」に対する答えは、「戸籍性別に基づきルールを作る自由は認めない」というもの

「どこからを正当な理由とするか」に対する答えは、「戸籍性別男性のままでも、診断を受けホルモン治療しているならその事実が正当な理由となる」というもの

批判派はこの「正当な理由」が恣意的解釈されることを懸念している

戸籍男性なら正当な理由になりません」ならハッキリした基準運用できるけど、

戸籍男性?う〜ん、でもこの感じなら別に問題なくない?笑」なら、

ならホルモン治療なしで診断受けてたらどうなるの?ホルモン治療なしで診断受けてなくても数年トランスジェンダーとして職場にいたら?手術もホルモン治療も診断も数年間の活動実績もなかったら?と、

「どこまでを正当な理由(正当なトランスジェンダー)とするのか」の疑問が湧くし、

裁判官のお気持ち次第で運用できてしま

今までは男が女性トイレに隠しカメラ付けようとした場合未遂でも建造物侵入罪逮捕できたが、今回の判決によりその男女装していたら建造物侵入罪でもしょっぴけなくなる可能性がある

そうなると犯罪者側の犯罪ハードルは格段に下がるので性犯罪は増えるわな

また、卵が先か鶏が先かという話になるが、この判決性別変更要件法改正の後押しになる可能性もある

このような判決に対するシステムから批判個別事例で反論するのは、

全ての業務を紙とペンでこなし長時間残業蔓延会社システムおかしいんじゃ?と意義を唱える社員に「でも紙とペンだけでも効率的に働いて残業してない人もいるから!」と一部の都合の良いサンプルだけを取り出し反論するぐらいおかし

特に法律社会の仕組みに関わる部分なので、こういうn=1で反論してくる奴は、そもそも議論をさせたくないんだなというのが透けて見えるので全く信用できない

「くだらない」仕事って本当に全てが「くだらない」ので皆頑張って「ちゃんとした仕事」について欲しい

若いちゃん就活しておくべきだったと強く思う。

全てがくだらない。

サービス内容がくだらない。

そもそも社会に役に立っていると言い張る根拠がくだらない。

職場人間がくだらない。

顧客人間としてくだらない。

雑談の内容がくだらない。

階級社会の作り方がくだらない。

年功序列と老人煽りポジショントーク合戦がくだらない。

保身最優先で仕事を増やしたがる人間ばかりでくだらない。

最終的に砂消しや差し替えで誤魔化し放題なのがくだらない。

身内ルール回覧板一つで増える癖にそれが保存されていないのがくだらない。

技術を身につけられる機会の少なさがくだらない。

マナーばかり大事にするくせに敬語グチャグチャなのがくだらない。

知りたがる癖に責任は取りたがらない上層部がくだらない。

自分が手を抜くことばかり考えてずっと仕事押し付けあってるのがくだらない。

休日出勤当たり前みたいな態度を取っておいてワークライフバランスポスター貼りまくるのがくだらない。

パワハラしかコミュニケーションの取り方を知らないおじおばだらけでくだらない。

若手同士が普段と1オクターブ低い声で悪口言い合ってるのがしょっちゅう聞こえてくだらない。

俺の若い頃はでプレッシャーかけつつ「でもそんなの求めないけど」で逃げようとする指導方針がくだらない。

とにかく何から何までくだらなくて吐き気がしそうだ。

やっぱ駄目だな。

マーチも出てない連中が多数派職場って本当に駄目だ。

「俺は高卒だけど~~」が口癖の学歴コンプみたいのまでいるか吐き気がしてくる。

高専卒でも高卒でもいいけど、その学年の中でちゃんとした学歴になってないと話にならんな。

まれ持った頭の作りというより気持ちの持ちようがアカン。

反「知性」主義というか、昔のドラマみたいな「俺はバカだけどよ。ガリベンと違って心はエリートなんだよ」みたいな感覚で本当に暮らしてる。

その心のエリート様がするのが、教養のなさからくるハラスメントオンリーコミュニケーションなんだからもう聞くのも辛いよ。

本当に駄目だな。

ちゃん就活はするべきだし、そのためにはちゃん勉強をするべきだ。

人間性がくだらない人間に囲まれていると人生が全部くだらないものになってしまう。

休日はくだらない理由で奪われ、くだらない理由飲み会は断りにくく、くだらない忖度をどうこなすかを休みの間まで考える羽目になる。

もうね、人生が全部ゴミになるよ。

皆は間違っても「くだらない」仕事につくなよ。

具体的な例が欲しい?

とりあえず俺調べだと

公務員地方国家わず

・清掃業

ヤクザ

水商売

ライン工大手中小わず

フリーター従業員の大部分がフリーターな中での正社員含む)

ライター

アフィリエイター配信者含む)

乞食配信者含む)

携帯ショップ

辺りかな。

ひとまずこの辺は避けた方がいいぞ。

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-11

携帯ショップ半年かけて契約してきた

書類文章について一文字文字聞いて回って

休日を1日つぶすこと半年

やっとスマホ買えた

anond:20230711174331

私も奨学金借りて大学行ってたけど、新卒で月手取り25万貰っても4〜5万は返済しなきゃいけないしそこから自分生活費、将来の貯金、親の介護貯金とか考えると発狂しそうだなと思ったよ。

それに行きたい大学あっても選択し狭まるし。

から在学中は夜職して奨学金は途中で辞めて学費自分で払って、自分は行ける大学選択が少なかった(進学する時は夜職の選択肢がなかった)から妹弟にはそんな思いさせたくないと思って、兄弟学費も貯めて大学行かせたよ。

子供に苦労させたいって人もいるけど、私はしなくてもいい苦労はしなくていい派だな。

個人能力ならまだしも生まれた家に寄って教育を受けることを諦める事もあってはならないと思う。

それに今は大卒前提で、大卒じゃないと職業だって選択し狭める。

保護者として子供選択肢を狭めることもあってはならないと思う。

教育習い事も何もせずさせず狭い世界の中で幸せでしたね も有り得るかもしれないけど、今はみんな携帯持つし狭い世界の中だけで完結させるのも難しい。

親に感謝するのは良い事だけど、子供幸せを考えるなら習い事する/しないも大学行く/行かないも最低限選択肢は多く持たせてあげるのは養育者として最低限の責任だと思うけど。

2023-07-10

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

2023-07-09

anond:20230709001304

インターネットのもの神秘が残っていた時代コンテンツ終焉なんだろうな。

ネットで起きている色んな違和感は結局そこに行き着く。

『赤い部屋』がもし今のネットにあっても小中学生トイレに生かせられなくする力があるって感じるかい?感じないと思う。こういった分こそがまさにネットのものが魔術的なパワーを帯びていない時代であることを示唆してる。

もうネットは不気味なオタク達の巣窟ではなくなっていて、アングラを気取ってる人間も単に公式警察に怯えながらコロコロと居場所を変えてはギリセーフのライン必死に探してるだけなんじゃないか

今や完全にネット万民のものとなりもはや誰もが使える当たり前の道具になった。車載電話PHSの発達により無線神秘性を失い、個人携帯時代が到来したことによって完全にトドメを刺された流れと同じ。

その昔は「石を回路につなぐと遠くで会話ができる」という糸電話チョットスゴイ版みたいなものに対して魔術的な憧れを多くの人が持っていた。

でも今やそれは完全に失われている。

そこから今後は一周回ってあえて古いものを使うことに魔術的な神秘性が宿るようになるんだろうけど、そこまであと10年か四半世紀って所かな。

たとえばキャンプなんてのは昔は生活において野営という物が日常一種として存在していたのが完全に過去のものとなり、あえて野営するということが魔術性を帯びるようになり、そこから更に一回り一般化が起きて今の状態がある。

インターネットは流石のドッグイヤーというか、既にその段階に突入しつつあって、VRでさえも一般人に対して開かれたコンテンツとなってる。

NFTや仮想通貨と言った投機コンテンツ一般人まで届いてないけど、これはむしろ「単なるババ抜きしか無い」ということを普通人間ほど見破りやすい(完全に理解したモード人間が一番疎い)という構造の結果でしかないのだと思う。

ネットはもう魔法でもなく科学でもなく日常しかない。

これが今の社会が持つネット世界観なんだと思う。警察の目が届かない不思議空間ネットよりも現実のほうがずっと広がっている。ネットでバズった違法動画はあっという間に通報嫉妬正義かは知らんけど)されてしまうけど、体育館裏や給湯室で密かに行われる悪徳は校内社内で多くの人がそれを知っていても、外の社会ルールによって介入されずに生き延びていく。

監視の目が届かないモラルスラムとしてのパワーはネットよりもリアルの方が上になった。逆転が起きた。新時代神様がどこからか生まれるならそこはネットの海じゃない。リアルの何処かだ。たとえそれがサイバー空間だとしても、それはオープンソースではなく、スタンドアロン環境研究室の中だろう。サイバー世界観の変貌によってネット神秘ではなく魔術でもなく闇でも光でもない場所になった。

狭苦しいリアルの窮屈な暗室と比べれば、今のネットのほうが風通しが良く広々としているのだ。驚くほどに四方八方に陽の光が反射し、淀んでない風がそこかしから入り込んでくる。いまや薄暗い秘密基地現実世界の方となった。相対的に。

からもう今になって本気でlainを崇めていても仕方ないんだよ。それは大昔崇められていた今はもう力を失った神様なんだ。

祟りを恐れるでもなく、恵みを求めるでもなく、古き良き村の祭りとして扱うだけでいいんだ。祀るべき意味が「そういう習わしを賑やかしとして残したかった」じゃ駄目だって言うなら、どれほどの神社仏閣が地上から消えるんだろうね。

畏れ多い神様として扱う時代が終わったんだ。日常の一風景しか無いカルチャーコンテンツの一つとして扱ってやれよ。

商店街の近くで祀られてる神様がやたらフットワーク軽くどうでもいいような近所のイベントに首を突っ込んでくるようなことってあるだろ?あのノリで扱われる時代になったんだ。神棚神輿に載せたまま、そこから畏れを一粒だけ残してとっぱっらちまえばちょうどいいぐらいの塩梅になるだろうさ。

ネット日常の一部だ。紛れもなくこの令和においてはな。そこに遍在するあまねく全てもまた日常の一部だ。

anond:20230708120921

「物が古い」というのはアニメからだと思うな。

流行の物を出すと、10年経ってから見ると、ダサく見えるのよ。

からわざと古くてありきたりな物ばかり出す。

Steins;Gateは、

携帯メールとか、フューチャーフォン(ガラケー)とか、2chとか出ていて、今どき見てられないだろう。

個人的には、スマホタブレットYouTubeTwitterLINENetflixなどを出すのは、なるべく避けた方が良いと思う。

清掃会社人材不足マジでヤバい

本当に人手が足りないし、猫の手も借りたいぐらい人手不足になった結果、外国人を雇う事になった。

もう外国人を雇い続けて1年になるが、これが頗る評判が悪い。

仕事漏れややり方に不備があるので指摘しても、カタコトの日本語で「ハイ、ワカリマシタ」とは返ってくるが何度言っても改善されない。

本社に早く日本人雇ってくれ仕事が回らんと伝えても改善されず。金がないんだろう。発注側も安い清掃会社を使いたいので、もうこのまま安い清掃会社従業員として致命的なミスでもして、「少し値が張ってもまともな清掃会社を使おう」と思わせるのが俺か社会的役割なんじゃないか?とさえ思った。

またとある日、外国人自分の入館証をトイレに誤って流したと言っていた。意味わからん。流す前に気づくだろ普通トイレじゃなくて誰かをビルに入れるために横に流したんじゃねえか?とさえ思った。

入館証トイレ流しの件と再発行の話がビル管理会社に届きこっぴどく怒られ、「従業員反省文書かせてくれないか?再発されては困る」と言われた。俺も対策してえけどうっかりでトイレに流す意味がわからねえもん。一応現場では入館証をポケットに入れず常に首にかけて携帯するというルールを再度周知はした。当該のベトナム人も「ハイ、ワカリマシタ」といった。そしてオーナーの言う通りに反省文書かせた。ベトナム人の彼なりの計らいではあったんだろうが英語がびっちり並んだ反省文が返ってきた。律儀に書いてくれてありがとう。俺は英語が読めないので、そのまま管理会社に渡した。管理会社部長は「これはふざけてるのか?」とブチキレた。俺は上の空でこの仕事に別れを思った。

そんなこんなで数ヶ月前に、久々に日本人が入ってきた。中年の清掃経験がある男だ。挨拶もしっかりしてるし、現場の清掃員の七割が外国人なことに少し戸惑いはしていたが、俺は久々にホッとした。

しかし、勤務開始から3日後にビル利用者から最近入った清掃の男が階段掃除しながらスカートの中を覗いてくる」とクレームが入った。俺は覗きの現場を見てはいないので、片方の意見だけを鵜呑みに新入り中年咎めることが出来なかったので一先ず保留にした。そして翌日別の女性からクレームが入ったので、これは本物かもしれない懸念が出た。

休み前に「階段で清掃員にスカートの中を見られて不快だったというクレームか入った。新入り中年さんは本当に見て無いとは思うが、神経質なお客様もいて以前からこういうクレームがあったので(ちなみに過去に一度も無い)、階段の清掃中は極力仕事だけにフォーカスを当ててくださいね、なんかあったら遠慮なく私に相談してください。」と伝えた。

そうすると新入り中年さんは顔と禿げた頭を真っ赤にして「俺じゃねえよ!!!!!!」と怒鳴りだした。「おまえは見てないと思う」という仮置きしたのにこのブチギレ方は「あ、こいつは本物だわ」と確信した。

そのままロッカーから私服を取り出しそのまま外に出ていったので飯でも食べに行くのかなと思ったら駐車場から新入りの奇声音となにかものを壊す破壊音が聞こえたので急いで見に行ったら粉々になったマキタ掃除機と脱ぎ捨てられた作業服が転がっていた。新人中年は帰ってこなかった。入館証をトイレに流したベトナム人は「新人中年サン、チョトおかしいよ?」と困惑した表情で溢し、俺は本社から従業員教育が悪い」と叱責され、減給を言い渡され、仕事を辞める決心がついた。

俺の指導力も不足していたんだろう。新しく入ってくる人間がまともに仕事をしてくれない外国人やばい日本人の二択で、彼らをまともな清掃員に育て上げる能力は俺には無かった。

もう俺は本社と何も話したくないし顔も見たくない精神状態に陥っていて、派遣先の入館証と作業着本社に郵送し、事前に準備していた退職届内容証明で送った。

本社からの連絡先は着信拒否にし、かかってくる謎の携帯番号も着拒にしてから1ヶ月ほどで解雇通知が送られてきた。離職票が届いてなかったので、本社総務部電話で「増田だけど離職票が来てない」と伝えると「人事部から話があるそうなのでお待ち下さい」と言われたので「はい」とだけ伝えガチャ切りし、ハローワークに「退職した会社に催促しても離職票が送られてこない」と伝えた。

3週間ほどで離職票が届いた。

そんなこんなで30代無職ゴミが出来上がった。

職歴フリーターと清掃会社しかないし高卒だが、もう清掃には二度と戻りたくないし、なんなら別会社でも清掃関係者を見るのが嫌だし、ホームセンターマキタ製品を見るだけでも吐き気がする。

精神科に行ったほうがいいのかもしれないが、客観的にみてまともじゃない精神状態でも受診しないことで「自分精神的にまともかもしれない」一縷の望みの可能性に縋る事が出来、それが自分の中の精神安定を保つことが出来ている。

話が少し脱線したが、すべての清掃会社はこんな感じではないんだろうけど、給与もっと高くし競争率高めないとこの先もっと酷くなる気がする。

今は失業手当貰いながら無職中にJavascript入門書写経して「はぇ〜」って言いながら時間つぶしてる、職業訓練過去電気工事士取るのに使ったのでまた使ったらもっと職歴が汚れる。(2度も職業訓練に通ってる奴は使いたくないだろう)コンピュータって偉いな、指示が正しければ指示通り動くんだな、もう人間と接したくねえよ

追記

朝起きたらこんな誤字脱字だらけの書きなぐったような文章ホッテントリいりしてびびった

親切心でアドバイスくれた方々どうもありがとう。全部に返事はする気力わかないけど、アドバイスくれた方々だけに所々補足。

JavaScriptブラウザ上ですぐ動きが見えるので入門書買って遊んでただけで、IT系転職したいとかそういうのはないです。適応障害メンタル死んだSEの友人の話とか聞いていたのと、N予備校Githubに触れた時に「ギャッ、英語」となったので、無責任趣味として遊ぶ分には良いと思うけれども、これに社会的責任がついたら絶対病むと思います仕事にしてる人すごい。手書きコードエディタ写経するだけの仕事とかあったらやりたいけどきっとそんなものは無いでしょう。

清掃関係にも戻る予定はないですね、昔から自分能力に劣り(精神的体力のなさや頭の回転の遅さ)を実感していて、門戸の広くてハードルの低い清掃業界に入ったのも自分能力を見据えての選択でした。若い内に手に職つく別の業界に行くべきだと諸先輩方からは言われた事もあったのですが、新卒時代に圧倒的に同期より劣っていた飛んだ経験から考えて、仮に行っても多分やって行けなかったと思います

ビルメンですが、近くでビルメンを見てきたN=1から言わせてもらうと普通に大変だと思います便所の糞抜きはビルメンの仕事でしたし、ネットだと未経験が入りやすいみたいな話がありますが、実際は元電気屋とか元水道屋の元職人達が多いので、未経験で入ってきたっぽい人達が苦労してるのを見てきました。手先が不器用なので私には無理だなと思ってます。元職人達に支えられてる業界なので、未経験だらけで記録とりのルーチンはこなせても、設備トラブルによるイレギュラーには対応出来ず、現場によっては炎上火災的な意味ではなく)してる防災センターもあるとかビルメンの人からいたことがあります

電気工事士を取ったのですが、その時に手先の不器用さを痛感したのと、電気知識交流から理解できず止まっているので、適正はないですね。免許返納したほうがいいかもしれないです。家のスイッチ交換の役にはたちましたが。

清掃やってて何いってんだと思われるかもしれませんが、汚いところと暑い所が結構苦手で、トイレ掃除のたびに頭痛と胃のムカつきを感じていました。

こう書いてると働きたくない理由ばかり出てくるので、元々働きたくない社会不適合者なんだと思います

割と好感な反応もあったのでむしろ驚きましたが、本当に仕事ができない無能です。私を知ってる人がこれを読んで、私のことを真面目だとか有能だとか書かれてるのを見たら全員が全員「はぁ……?」と渋い顔すると思います。思われてるほど良い人間じゃないのですみません

とりあえず貯金失業手当もあるし、当分はゆっくり過ごして、何も考えず静かに過ごそうと思います

気にかけてくれた人達ありがとう。嬉しかったです。

おわり

音の良し悪しとか、音質とか自分にはわからんのよ

まだ音楽配信がようやく始まった頃、

スマホもまだなくて、

音楽を聞くためにMP3ファイル自分管理して、

携帯型のプレイヤーに落としてたりしていた。

 

なんかね?コーデックつーたっけ?

そのへんよくわかってないんだけど、

なんか色々と種類があって、

音楽圧縮の仕方によって音質が変わるんじゃけん、

みたいなザックリとした理解の仕方をしてたんよ。

 

でね、ある日〇〇をしてなんたらかんたらをして、

それからホニャララをするといつも聞いてる曲の音質が劇的に変化するという情報キャッチしたのよ。

へー、それなら一度試してみるか、ってやってみたわけ。

そしたらね、目から鱗が落ちる、つーのかね。

もうすごいわけ。

今まで聞いてたのは何だったんだ?ってくらい音の質が変化して情報量が増してるわけ。

うわ、この人たち本当はこんな音楽を作っていたんだ、って驚愕連続

もう魂がゲタったよ。

そっから夢中でアルバムを聴き漁って気づいたら2時間くらい経ってた。

もう感動でちょっと涙が出るくらいな感じだったの。

ほんでね、流石にちょっと疲れたなあ、ってお昼ごはん食べようと立ち上がったわけ。

そのとき気づいたね。

あれ?ワイが聞いてたこれって、〇〇をホニャララしたやつじゃなくて、今まで毎日聞いてた方のやつじゃね?

あ、なんかフォルダがゴジャゴジャしてて間違えてた……。

ということは、音の変化に感動しながら聞いてた曲ってやつは、これ何も変わってなかったちゅうことだよね…。

 

それ以来ね、音質がどうのこうのっていう話は自分には無縁のもんだなあ、と思った。

そもそもMP3とかって音質がどうこういうようなものでもないとかって話もあとから聞いた。

それよりも結局、音楽を感じ取るとき大事なのは

自分がどんだけ耳を傾けて音楽を聞くか、っていう姿勢とか、

音に対する解像度をどれだけ感じ取ることが出来るかという

自分自身の問題のほうが自分にとっては大事なんだなあと思ったんよ。

それ以来、音楽に関してはハードとかソフトとかそういうことには関心を失ったんよ。

2023-07-08

ショッピングモール迷子かと思ったら

ショッピングモールソファで休んでたんですよ。そしたら2、3歳の女の子ギャン泣きで現れて。周りの人たちは迷子か?と互いに目配せしあって見守ってたけど、ずーっとギャン泣きしてるし親は現れないしで、ついに「どうしたの?」って聞いたんですよ。そしたら

ソファ携帯ポチポチしてた全くノーマークの男性が「あ、いいんで」って言ってきて。周囲の人が全員心の中で

父親だったんかいワレェ〜〜〜ッ!!」

って突っ込んだのが見えた。

ええ?あんギャン泣きしてたのに携帯ポチポチしてたの?その子もパパに泣きついても無駄なのをもう学習してて一人で泣いてたんだなって、悲しくなった。

モールとかスーパーとかでこういうの実は「珍しくない」のが1番きつい。

フードコートで1人で子供の世話に追われて何も食べられてないママと、相席した独身男性がすごいスピードで食べ終わって携帯ポチポチしてる。いやどうも父親らしい…ってのとか、

荷物めちゃくちゃ持って子供2人世話してるママの後ろにずっといるけど何もしない手ぶら男性もしかして霊かな?って思ってたらどうも実在父親らしい、とか子育てあるあるなんだよね。

anond:20230707123806

入院中急変で呼ぶのにはナースコールがある

 病床にもあるし院内トイレにもある そのうえで携帯をもっていてコールする必要があるところで電話ができる余裕があるときに連絡をする意味とは

腹膜炎はやばい

 盲腸状態で激痛のはずなのにそれを超えて腹膜炎になった後からの緊急手術はわりとやばい

 そのあとも再燃することがあってかなりやばい

③再燃の緊急で意識がなかったら腹膜炎だとわかるのか

 わからんからその携帯番号をしっかりもっておくかカルテのあるかかりつけに行くようになにかもっとくべき

まり

 ピンチはチャンス

anond:20230707123806

現役医師ですけど、まずその電話仕事用ということでいいと思います

ただ、その番号を患者さんに直接渡すというのは通常業務ではちょっと考えにくい

何も思ってない患者に直接つながる電話番号渡すとか、めんどくさいことになるリスクしかない(時間外に鬼電してくるとか)

一般的には何かあったら看護師さんを通じて連絡してもらうんじゃないか

ということで、自分の予想は元増田さんにちょっと気があるのではと思います

ただ、いきなり本携帯の連絡先を渡すのはハードルが高いのでとりあえず業務用を渡して様子を見てるんじゃないか

チャンスがあったら「どういうときに連絡したらいいんですかー?」って聞いて反応を見てみては?

「症状が悪化した時です」みたいな業務的な返事が返ってきたら本当に業務、「暇なときとかしてもいいよ」とか言ってきたらちょっと脈ありみたいな。

ただ、気を付けてほしいのがその年代外科医ってチャラいの多いです。

最悪、本携帯の連絡先を渡さなかったのは既婚だからという可能性もある。

まりのめりこまずに慎重に経過をうかがいましょう。

ていうかまず虫垂炎腹膜炎治さんと。早く良くなりますように。お大事にどうぞ。

2023-07-07

女って80ぐらいの婆さんでも普通に性欲あってキモい

配達員してるんだけど数回目からわざわざ薄着してきたり、下着姿とか風呂上がりとかっていって朝からわざわざバスタオル(濡れてすらない)で出てきたりそういうやつが担当地域だけでも10人近くいる

再配達させといて携帯番号に無駄話のためにかけてくんな

今誰もいないから休んでいきなってきったねー家で休まんねぇよ

何が作りすぎたか唐揚げ持って帰ってだよ

普通にキモい

2023-07-06

anond:20230705201637

じいじ「ワシが若いころは、ショルダーホンと言って、肩掛けカバンサイズ電話をみんな持ち歩いていたんじゃよ。

ショルダーホンのことを、携帯できる電話という意味で、ケイタイと呼んでおったから、

アイホンケイタイと呼ぶんじゃ。」

ショルダーホン

http://history-s.nttdocomo.co.jp/list_shoulder.html

anond:20230705225354

医療費的な不正利用もそうだけど、スマホ契約振り込め詐欺の温床になったりと問題になってた。

なので最近スマホ携帯回線)の契約本人確認保険証NGにやっとなった。

今は面倒だったりトラブルが多かったとしても、将来のためにマイナンバーは普及させた方がいいと思う。

2023-07-05

5日くらいオナニーしてないのにオナニーのやる気でない

さすがに今日オナニーするぞと思ってオナニーセット(フル充電のバイブ、ケツの下に敷くタオル、コミフロを読む用の充電満タン携帯オナニーの前に飲む豆乳別にプレイには使わない)を準備したのに

いざ参らん!というときイマイチやる気でない

病院行ったほうが良いか

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん