はてなキーワード: 携帯とは
ぶつかりおじさんなるものが居る。
駅などの混雑した場所でわざと肩などをぶつけにいく、しかも相手は自分より弱いであろう人に限るらしい。
でも思い出してみて欲しい。
前を全く見ずに携帯を見ながら突っ込んできた人(女性とは限らない)を避けたことがある人は多いのではないだろうか。
そんな中その新人の女性はしょっちゅう誰かとぶつかりそうになるのだ。
最初は「おっちょこちょい」とか「バタついてる」くらいに認識してたのだが、どうも周りが見えていないらしい。
そして一番厄介なのが、そういう彼女自身の特性を彼女が全く理解していない(ように見える)ため、こちらが注意しても不満気なのである。
この段になって、「こういう人がぶつかりおじさんを産むんだろうな」と思ってしまった。
最初に言っておきたいのが、私はうたプリにもうたプリの運営(ブロッコリーとか)に対しても何の不満も持ってないこと、何にも怒ってないこと。
2013年の春、高校入学とともにiponeを手に入れた私は、当時2000%がドッカンドッカン来ていたうたプリアニメ一期を暇つぶしのために見始めた。それがきっかけだった。
トンデモすぎるシナリオ、無駄にキラキラしているイケメンたち、やたら上手い歌、でもやっぱり意味がわからない演出に笑いまくって、面白い作品は数あれど心を楽しいという気持ちでいっぱいにしてくれる作品は私にとってうたプリが初めてだった。
そのあとはニコニコ動画を検索し、さまざまなキーワードでググりまくって、ドキドキしながらpixivを覗いたり、バイト代を握って初めてアニメイトに行って、金額の高さに卒倒しながら中古ショップでPSPとソフトを買った。
ゲームのうたプリはアニメよりさらにエキセントリックで、どいつもこいつも理解できない、なんでそんなことするの!?と攻略対象にもヒロインにもキレながら全てのエピソードを集めて全てのエンドを回収して、金額に卒倒しながら続編のソフトを注文した。
アニメやゲームだけでなく、プリンスたちが本当にこの世にいるかのようなプロモーションにも私は夢中になった。プリツイ(公式のキャラアカウント)のために毎秒TLを更新して、東京の駅に広告が出されているのをTwitterのレポで見てドキドキし、ポップアップストア(シャニストと言う)に行くために人生で初めて竹下通りに行った。
当時の私は実家との関係が最悪で、とにかく孤独と怒りを持て余して、バイトをギリギリまでしないと携帯代や定期代や食費を賄えないし、まあそういうアレでとんでもなく荒んでいた。うたプリの楽曲は2013年当時でも結構な数があって、少しずつ履修していたころにwelcome to UTA☆PRI worldを聴いて、私の孤独に今1番寄り添ってくれているのはうたプリなんだと感じて、あまりにも優しくてキラキラしている歌に涙が溢れた。
年末年始に風邪を拗らせて、でも掛け持ちで詰め込みまくったバイトは休みたくなくて、お金がなくて食パンを齧っていた年明け、プリツイの更新が急に来て、自担(音也くん)の呟きを目にした時も熱に浮かされながらボロボロ泣いた。あの年って、うたプリアイランドの再リリースは今年中と言っておきながら全然音沙汰ないからもうこのまま来ないんじゃ?と思ってたら大晦日に滑り込みリリースしたよね。みんな覚えてる?
思い出は書ききれないくらい(なんせ10年だから)沢山ある。人生初めてのライブで横アリに行ったこと、学校の校外行事が終わったあとその足でアニメイトに行ってASASを受け取ったこと、ライブのために一人でホテルを取ったこと、専門学校の入学式に向かう電車で緊張を慰めるためにマジラブレボリューションズをえんえんと聴いたこと、社会人になってから社用車で運転する時にひたすらうたプリのプレイリストを流すのが楽しかったこと。
本当に色々な思い出があって、うたプリを通じてたくさんの初めてを経験した。その日々の中で、うたプリはしょっちゅう炎上していたけど(在庫とかグループ不遇とか色々あったよね)、私自身はコンテンツや運営に怒りを抱いたことはなくて、ずっとずっと大好きだった。ライブ物販のために真冬のたまアリを始発から6時間並んだ結果ペンライトが売り切れで買えなかったとか、入場がごたついて会場入りできないままライブが始まってしまい泣きながら歓声が漏れ聞こえる西武ドームを見上げたこともあった(これぞうたプリって感じ)。けどそんなことよりも、ライブの楽しさとか、夕日がドームの中に差し込んですごく綺麗だったこととか、うたプリが好きで胸が苦しいと思った記憶の方がずっと強い。
今年の4月に、10年間オタクをやっていた中でも1番なんじゃないかぐらいの炎上ネタがあって、さすがの私も苦笑いというか、脱力感を強く感じたけど、でもやっぱりうたプリのことも運営のこともちっとも嫌いになれない。
ちっとも嫌いじゃないのに、怒りも失望もないのに、去年の映画だって本当に素晴らしかったのに、蝋燭の火が消えるみたいにうたプリに対する関心が消えてるのが分かる。
前のように夢中になれない。心がいっぱいになれない。うたプリのために働いたお金を全て費やすなんてことは今の私には出来なくて、将来のための貯金がしたいし、休日はゲームをしたりイベントに行くよりも、家のことをして資格の勉強をして本を読みたい。
あんなにも大好きで、人生を捧げたいくらい大切で、何よりも夢中だった作品に対する心の動きを「飽き」の一言で纏めたくない。けれどそういうことなのかもしれない。好きという気持ちを一心に燃やして、燃やし続けた結果もう焦げついてしまったのかもしれない。
うたプリのことは本当に好きで、大切で、世間ではいろいろ言われていたけど、この作品を作るための、表には出てこないたくさんのスタッフさんの努力やキャストさんの愛があるのを知っているし、怒る気持ちも失望する気持ちも少しもない。けれど、私の心はもう昔のようには動かなくて、もう私はうたプリのオタクではないし、さよならを言うタイミングが来たのだと思った。
当時15歳だったころから社会人数年目の今まで、うたプリのことが大好きだった。あんまり沢山のコンテンツに触れるのには向いてなかったので、本当にアニオタでもゲームオタクでもなくうたプリのオタクだった。
うたプリのおかげで知らない場所に沢山行けたし、子どもなりに苦しんでいた10代でも楽しい気持ちが沢山残っているのはうたプリのおかげだし、数えきれないくらい沢山幸せな時間を過ごすことができて、心から感謝している。
今後も、きっとたまにうたプリのプレイリストを再生して、当時この曲を聴きながらどんな気持ちで生きていたか、どんなことがあったのか、曲を聴きながらどんな景色を見ていたのか思い出すと思う。
たかだか作品に飽きたというだけの話でこんなに長くなるか?と今自分で書いてても思うけど、本当にそれくらい大切で、10年間思い切りうたプリに触れながら生きてきた。ありがとうございました。
うたプリにいつか飽きて興味がなくなるくらいなら大好きすぎていっぱいな今この瞬間に死にたいと思っていた10代の私が読んだら本当に憤死するかもしれない。ごめん。あんなに好きだったのに薄情だよね。でも大切な気持ちは今でも本当に変わらないんだよ。
機嫌直った
長らくほったらかしてた携帯の契約変更を進められたのが気分改善の理由として大きいのかな
ゲームで欲しいアイテムをゲットしつつ、あれこれ設定するのもいい気晴らしになったというか、満足感あったんだと思う
100円くらいだったけど美味しかった
沖縄そば好きで特産品セールで見かけた時にはけっこう買ってた、けど高いんだよね
セブンが出してくれたらいつでも食べられるし嬉しい
スープは半分残すことにする 美味しいけど
家から一歩も出ない土曜だけど、気分は割と明るい
それじゃ寝る用意するか
とーーーーっても悲しい思いした。
どうにか吐き出したくて、はてなに初めて登録したのに書き方わからんすぎて30分ぐらい格闘したんだけどなにこれ初心者に優しくなさすぎてむかつくもっとわかりやすいサービスにしろよ
ログインさせてるのに、もう一回ログインさせるってどういうこと!?おまけにAppleID使って登録してるのにIDパスワード打たせるし、パスワード正しいの入れてもエラーではじくし、なにこれ
とりあえず、愚痴が書きたかっただけだからめんどくさいが勝つ前に愚痴を書く
はてなのせいでだいぶもうめんどくさいけどね
イベントがあったりすると一緒に行くかとか話をしたり、私入れて10人弱ぐらい
でもね、私はぶられてLINEグループできてるし、私は呼ばれないで飲み会とかしてるの
こうやって書くと本当に嫌われてるな私
でもそれ秘密にしているわけでもなく、普通に私にわかるようにされてて、みんなで共通の話してたりね、
やっぱ本当に嫌われてるな
毎回嫌だなとは思ってたの
で、今日初めて呼ばれたの
イベントにみんなで参加して、お疲れ様会みたいなのをやったから今日行ってきた
そもそも呼ばれたのが前日の21時
メンバーは仕事が忙しい人が来れないだけであとは揃ってるだったんだけど、そんな話はされなくて急に1人からLINEがきて、明日飲み会やるけどくる??だった
とりあえず行くと返事はしたけど、私を含めてもう席がとってあった
急になんでとか、イベント行ったから呼ばないと体裁が悪いのかなって思ったよね
ちらっとそれぞれ別の人から聞いたらみんなでおつかれ様会やろうねって話てていつやるって話をしてたのが急遽今日になったんだって、
そもそも日程調整にいない時点でお察しでは
到着もみんなでLINEグループでやってるようで、私は個人ラインを知ってる人だけとやり取り
これ行っていいのかな、でも代打だしなって思いながら行ったよね
お店について普通に始まったんだけど
途中仕事忙しいメンバーからグループLINEが来て、みんなワーワー言い出す。携帯見る
私入ってない…どうすれば
普通にあとでグループに流すね〜とかこれLINEにあげようと思ったんだけどって話がされる
私入ってない
結構私だけがいないLINEグループでのやり取りと私だけがいない飲み会での話をされてもどうしていいかわからん〜
みんな携帯見てほんとだーとか言ってても私だけ入ってないんだが…あれ?いじめられにきたの私?????😇
帰りも、先に店を出たメンバーが帰ったって連絡きた〜とか電車に乗ったって〜ってきても私はきてないから知らないんだが
結局すごい悲しくなっただけ
次もやろうねって言ってたけどもう私のいないとこでやってくれでも私に気づかれないようにしてくれ
あなたたちが仲が良くてふだんからつるんでるのはわかったから、
気づいちゃうし、やられるとやっぱすごく悲しいの
ここ数ヶ月ずっと悲しくて、もう悲しくなりたくない
でも話してると本人たち悪気なさそうなんだよね、もしかしたらそんなこと気にも止めないのかも
ここ数ヶ月これで病まないかなって思ったけど、嫌な気持ちにその都度なっただけで大丈夫だったらしい
会社のストレスチェックもあったけどストレスは少ないですって出ちゃった
でもやっぱり悲しいし、こんな幼稚にはぶられててずっと笑ってられないから、上司に異動したいって言った地区も変えてとばしてほしい
本当にやだ
愚痴でした!
またみんなのやり取りの話聞かされるんだろうなあ死にたい
身バレするぐらい書いてるけどまあ、バレたらその時
ついでに言うとイベントの間もライングループの話されてこれ私いない方がいいのではって思ってた
行くんじゃなかったって思っちゃったのがすごい悲しかった
当方、ヨーロッパ某国にいるので、先日クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を視聴することができた。
同日公開だった方向性の全く違う『バービー』との造語がミームになるなど、英語圏を中心に話題になっているが、『オッペンハイマー』は原爆開発のマンハッタン計画を指揮した物理学者の伝記映画であるため、日本での公開は未定であるという(しかも8月が近いこの時期なので)。
ネタバレ等は気にしないで書くので、情報を入れないで視聴したい向きは注意されたい。
戦中の原爆開発まで、戦後の赤狩りによるオッペンハイマーの失脚、さらにその後のストラウス(オッペンハイマーへの個人的因縁から裏で糸を引いた人物)の議会公聴会だ。
また、最初のマンハッタン計画までを除けば、基本的に法廷劇である。
当方は英語のリスニングに慣れているとは思うが、聞き逃した事柄もあった。日本語字幕で見ればこの苦労は少なかったかもしれない。
さらに3時間と長い。劇場は結構混んでいたが、途中で携帯を見たり同伴者と話したりするガキ共もいた。
映画的なクライマックスは、一応ロスアラモスでの原爆の爆発実験に置かれており、中盤に訪れる。
これによってオッペンハイマーはプロメテウスとなり、世界に滅亡をもたらす「死」となる。
オッペンハイマーはこの後苦悩し、戦後の水爆開発に反対し、それが戦後の公職追放の憂き目を見る仇となる。
日本人として気になる広島・長崎の描写は、直接行うことは避けられている。
しかし、罪の意識に苛まれる主人公が投下後にロスアラモスの職員を前に演説する際、喜びを口にしドイツに落としてやりたかった(オッペンハイマーはユダヤ人)と盛り上げながらも、皮膚がポロポロと崩れ落ちる幻影を見せる(これは『はだしのゲン』での描写が思わず想起された)、職員向けの広島視察報告会で残虐な写真を想像させるリアクションを演じさせる、という程度は行っている。
などと軽い調子で話し合う場面は生々しい。
僕は被爆地出身ではないし、広島に高校の修学旅行で一度訪れた程度なのだが、上述の演説中のフラッシュバックの場面では、被爆者が受けた残酷な苦悩を思い、思わず涙がこぼれた。
これはアメリカ人が憎いとかどうのという話ではなく、(戦後も含めた)歴史という大きな対象と個人との対比に心が動いたという話と言えようか。
あとちょっと思ったのは、爆発前のカウントダウンはAVのJOIみたいな効果がある。
個人的営為の究極であるAV鑑賞と、大衆娯楽にする装置であった映画館での映画観賞との接続は興味深い。
アメリカ合衆国の原罪のようなものも、映画に盛り込まれている。
まず、ロスアラモス研究所を作った砂漠は原住民の土地であり、オッペンハイマー自身が戦後にインディアンに返せと言う台詞がある。
原住民から取り上げて作った研究員の居住空間は、まるで西部劇の舞台である。
ガランとした土埃舞う道、左右に並ぶ木製の建物。
妻がシーツを取り込む場面はフォードにありそうだし、ロスアラモスに引っ越してきたオッペンハイマーの妻はサルーンがあれば完璧ねと言う台詞もある。
事程左様に西部劇的な舞台が用意されるが、アメリカ合衆国が西部劇で描いてきた神話や、その自警的な暴力性と法による支配との相克は、これまで様々な映画で繰り返し取り上げられてきた主題である。
この映画でも、原爆を無事作り終えて職員に肩車されるオッペンハイマーの背景には、星条旗がはためく。
オッペンハイマーはナチズムへの反発から、アメリカ軍の原爆開発をリードする役目を引き受けた。
科学と政治の関係というテーマは、コロナ禍での専門知の活用、学術アカデミーの問題、そして2011年の原発事故など、日本でも問題になってきた。
この映画のテーマはもちろん原爆というプロメテウスの火である。現代的なテーマである。
しかし今一度思い返してみると、科学、共産主義、資本主義の関係にも踏み込まれているのではないかと思う。
科学の進展と共産主義は切っても切れない関係にある。ソ連は科学を推し進め、オッペンハイマーもマルクス主義(科学的社会主義)に興味を持つなど、科学者も共産主義で楽園が訪れるのではないかと期待した。
しかし共産党による独裁となったソ連は崩壊し、その混乱を収めたプーチンがウクライナに核の脅しをかけている。
では資本主義の勝利かと言えば、その限界が指摘されて久しい。アメリカ合衆国は共産主義への恐怖から赤狩りを進める。さらに戦争に勝つために原爆まで作ってしまった当事者である。
この映画は、冒頭で述べたように3分の2が赤狩りに関するものである。
原爆の映画ではあるのだが、共産主義と科学に関する映画と考えることもできよう。
3時間という長尺の映画であるが、これだけ多様で重層的なテーマを盛り込み、商業作品にしたクリストファー・ノーランと製作チームの意欲は素晴らしい。
しかし、あくまでもアメリカ国内の話であるという感じもする。ソ連、そしてヨーロッパや中国の動向も薄い。
そして日本では、まずもって娯楽作品ではないから、商業的成功は見込めるのかは分からない。
・AppleIDが必要の無い要素で無駄過ぎるのに必須 登録も思い出すのもめんどくさい
・パソコンにつないだ時に専用のわけのわからないアプリ使わないとファイル転送できない しかもディレクトリも指定できない
・ディレクトリが読めない
“コミュニティノートは「匿名のネットの集合知」を適切なルール無しに運用していることが問題。 2ちゃんねる以来「匿名のネットの集合知」は、Computational propaganda(世論調査プロパガンダ)が利用する技術が発達している分野だからだ。 プロパガンダ技術を織り込んで公平さを保つ設定が必要”
“アノン系のようなファナティックで暇な匿名アカウントに利用されやすい仕様になっているところがマスク氏らしい試みだなと。”
“コミュニティノートの問題点が現れている。このツイ、例えると『IBMが発明したタッチスクリーン式携帯Simonが、iPhoneのようなスマートフォンの始まり』というツイに対して、「偽情報です。iPhoneはIBMの発明ではありません」というコミュニティノートが匿名かつ反論不可能な形で付けられてるんだぞ”
“一般向け表示確定の閾値に達してないノートは、コミュニティノート参加者にしか見えない仕様なんです。精度向上への貢献目的でなく「晒し目的」で参加した系の人たちは概ね「客観視」できない人が多く、みんなに見えてるものと思ってスクショツイしてるので困りものだなと思います”
男友達つながりで紹介してもらった別の学校の女子とメールで文通をしていた
当時はやりのテキストサイトをまねてかなり凝ったメールを毎回送っていて、文章上だとかなりウケはよかった
まだ携帯を持っている子供もほとんどいなかったときだったからパソコンメールだった
それ以降メールの返事が来なくなった
友達のメール相手はかわいくて、俺の相手は正直かわいくなかった
自分の容姿に変な自信があったクソガキだったから、そんな自分がブスだと思った相手から一方的に無言ブロックで振られたように感じてショックを受けたことを覚えている
その後はフォルダファイブのakinaのファンサイトのチャットルームにクラウドというHNで入り浸ったり、ヤフーのゲームコーナーのオセロしたりチャットしたりしていた
それでタイピングがかなり早くなった