「眼差し」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 眼差しとは

2015-12-03

公共団体デモクラシー

都道府県市町村、もちろん国家だとか、公共性の高い観光協会だとか商工会だとかもそうですが、そうした団体が、アニメゲームタイアップとか、さらに言えばツタヤタイアップとか、こうした事象が「社会問題化」しています

なぜ問題になるのかその原因はというと、私は「デモクラシーが成立していないから」だと考えるわけです。

例えば市町村が、「萌えキャラ」にしろゆるキャラ」でさえも、そうした広報、というかむしろ広告宣伝ですが、そういう行政します。そうすると、市町村構成員であり最も基本的利害関係者(ステイクホルダー)は、そこの市町村民です。そこではたして、そこの市町村民の意思が、その広告宣伝活動に反映されているのでしょうか?

例えば武雄市などがツタヤと「タイアップ」したわけですが、これも市民意思が反映されているのでしょうか、また、市民の利害に目を向けられているのでしょうか。

選挙で勝ったから」という理由で、首長が何をしてもいいという風潮になっていますよね。その選挙でその候補者投票した人がどのくらいの割合なのでしょうか? そもそも、全員一致で当選したとしたって、個別案件市民意思を完全無視していいという理屈は立たないと思います

それに、投票の拒絶されている人(例えば未成年者)の利害に目が向けられていますか?

また、その施策が実行された後、将来になってその施策の利害を負わされる人への眼差しにも欠けています典型的には、日本の「借金」の件もそうです。世代間の「支えあいモデル破綻した公的年金もそうです。だから率直に言って、「こういう無責任な人たちには人間の血が通っているのか?」と思いますよ。強権的(ポピュリズム的)な思想と、儒教的な(年長者を尊敬し、子孫に責めを負うという)思想が混在し、致命的な矛盾を起こしていると思います

さてともかく、「選挙で勝ったから」という発想でさえも問題があるし、「俺が責任をとる」と云われても、損害が出てからお前が腹を切っても損害が無かったことにはならないわけですね。

ましてや、具体的で個別的施策決定はむしろ首長ではなく職員が決めていることが多いと思われます首長は、上がってきた案にサインするだけかもしれませんし、ましてや「聞いていない」ことすらありうるのではないかと思います。そうするとつまり、その施策には住民意思を反映するプロセスがあるのか、ということが問題であるわけです。

例えば、東京オリンピックエンブレム問題もやはりそうなんですね。東京都がやるんだったら、東京都民意思を反映しないといけないのに、むしろ密室的に行われていたわけですよね。

このような問題はですね、そのまま、「日本国」の問題でもあります政策決定しろ道路を敷くだのダムを建てるだの原発を建てるだのもそうですし、「消費税」を上げるとかいうのもそうです。さらには、広報ポスターCMに誰を採用するかというところにも、1件あたりならばたか個別案件でも、継続的に、特定タレントとか広告代理店とかを使っていくことが慣例化するともう、個別案件だといって済むとは思えないと感じます。(ちなみに、こうした問題点を軽減するための手法に「パブリックコメント」の制度があるわけです。)

そして、例えば、市町村だとか商工会観光協会特定アニメタイアップすると、当該市町村はそのアニメイメージを負うことになります。そうすると、市町村民もそのイメージと影響を負うことになってしまます市町村民は意思決定プロセスに関与していないのに、利害を負わされるわけです。

それがかりにどっかの中小企業宣伝タイアップしたというのならば、それはその企業の「自由」だということになるのでしょう。上場企業だったら株主に責を負いますが、少なから株主は「儲けてくれればいい」と思っているので、実際に収益が出れば文句は出にくい、つまり問題化はしにくいかもしれません。

それでも例えば鉄道事業者がやったら、その列車に乗る人みんなが、その作品だかなんだかを(事実上強制的に)見せられたり、さらには車内アナウンスまでも差し替えられて聞かされたりするわけです。そうすると、たとえ私鉄、「民間事業者」であったとしても、無難な選択にとどまって、「大冒険」はすべきではないというのが原則だと思われます

ですから事業性質や規模によっては公共性が高くなり、決してプライベートでは済まされないことがあります

話が長くなりましたが、昨今の騒動をみると、「大冒険をするな(最大公約数的であれ)」という主張と、「大冒険を許さないと社会が改まらない」という主張の二極対立、デジタル的・バイナリ的なコンフリクトになっているように思います

しか問題本質は、「大冒険」をしても良い場合でも、その決定プロセス構成員利害関係者の意思を聴き反映させなければならない、ということにあるのです。

それを言い換えればデモクラシーだというわけです。

日本人」はデモクラシーに未熟なのだと思います

問題本質は通底しているのに、そうした事件一つ一つを分断して個別化し、洞察反省をしない習性が今の「日本人」にあるように思えます

2015-11-16

自分が悪い時に軽蔑失望眼差しで優位に立とうとする奴にがっかりする

何か言えばお決まり台詞

「もういいから、もういいから

それから、他の人と距離を置かずにその人とだけ距離を置く方法をしばらく考えこんで、

おそらく明日には私が悪者ということになっているんだろうなと気付いて...

一人悔し涙を流すんだ

2015-11-13

【祝!2期】響け!ユーフォニアム空気デカリボンちゃんが泣いた日

要約すると

長くなってしまったので簡単にまとめます

響け!ユーフォニアムの2期が決まってうれしいです、とても面白い作品でしたね

・素晴らしい点を上げるとキリがないのですが、私はとりわけこの作品の描く「空気」が好きでした、作品テーマの一つでもあると思います

特に2話の葵ちゃん「みんな~問題のない方向へ~まとまっていく」というセリフ、8話の麗奈特別になりたい」というセリフ、この2つが重要なシーンではないでしょうか

・この空気に着目した上で10話、香織先輩が再オーディション希望するシーンを見ると、とても感動しま

・更に11話、デカリボンちゃんが泣くシーンも心を打たれます

・久美子の心の成長も見所の一つです、でも久美子って少し流されやすいような気もしま

劇場版、そして2期、本当に楽しみです

と大体このような感じ

最初

ユーフォニアム2期+劇場版総集編決定!うれしいです

しまだご覧になったことがないという方は、本当にオススメ作品です、ぜひぜひこの機会にご視聴ください

ところで、響け!ユーフォニアムってどこが面白いの?と問われたら、視聴済みの皆さんは何と答えます

作画の綺麗さや演出の巧みさ、声優さんの演技の上手さなど色々なものが思い浮かびます

答えは一つではないと思いますが、私には響け!ユーフォニアムのココが好きだ!という点がずばり一つあります

それは、今まで深夜アニメーションという媒体では余り描かれることのなかった部活学校という空間空気

引いては集団の中で発生する同調圧力的な側面について描き、それをしっかりとエンターテイメントとして見ていて楽しい物に昇華しているという点です

群れとスイミー

少し話は変わります

みなさんスイミーという絵本をご存知でしょうか

おそらく一度は聞いたことがある、どんな物語か程度なら知っているという方も多いと思います

ストーリー説明は省きますが、絵本の中でスイミーはたくさんの仲間達と一緒に大きな魚のふりをして泳ぎ、マグロを追い払いますよね

あのスイミーが案じた作戦、これはおとぎの世界の話だけではありません、現実世界でも類似の例を見つけることが出来ます

例えば、チョウチョウウオという魚です

沖縄方言ではカーサと呼ばれ、その意味は葉っぱ、名の通りほのかな橙黄色に色付いた木の葉のような魚です

一匹でも十分に綺麗なこのチョウチョウウオですが、海の中で生活する時は大きな群れを作ることが知られています

チョウチョウウオはそれほど大きくない魚ですので、単体ではすぐに捕食者に狙われてしまます

ですからまとまって大きな集団を作ることによって、捕食されることを回避しているわけですね

このようにして魚が群れを作るメカニズム、そこにあるシステム群知能といいます

群知能は魚の群れを説明するための用語というだけではありません、他にも自然界の様々な場面で見ることのできる普遍的概念です

ところでこのチョウチョウウオの群れですが、全体としては同じ方向を向いていても

中を細かく見てみるとそれぞれの個体や個々の集まりでは別の方向を向いていたりすることに気付きます

スイミーは全員が一丸となって戦うお話でしたが、現実世界チョウチョウウオでは少し違うわけですね

から全体を俯瞰して眺めるとみんなが同じ方向を目指しているように見えても、それぞれにはぞれぞれの想いがある

群れと人間

こういった群れの構図は人間社会でも随所に見られます

大きいものでは会社組織、小さい単位なら家族や友人関係かもしれません

そして多くの人が人生において最初にそれを経験する場所、それが学校であり、とりわけ部活動なのではないでしょうか

一概に部活動といっても様々あります体育会系ならサッカー野球文化部なら美術などが有名ですよね

そしてもう一つメジャーものの中に冗談めいて体育会系だとも文化部だとも言われる部活があります

そう吹奏楽部です

吹奏楽部サッカー野球と同じ、体を使った集団競技です

それが体育会系といわれる所以なのかもしれませんが、一つ他と決定的に違う点があります

それは圧倒的な力量を持った選手が一人や二人いたとしても、それが集団にとって即大きなアドバンテージとはならない、という点です

吹奏楽という競技においては、群れのレベルは全体の平均ではなく最も弱い個体能力度合いによって決まるからです

これは積極的底辺能力押上げようという助け合い精神、教え合いの動機ともなり得ます

いざという時には、底辺を全体のために容赦なく切り捨てるという残酷な選択を強いる結果にも繋がります

吹奏楽ほど、群れというもの意識する部活は他にはないかもしれません

そしてそこには、必ずしも絵本で描かれるスイミーのようなやさしさも海で群れをなすチョウチョウウオのような美しさも、あるとは限りません

そんな吹奏楽という部活

そこにスポットライトを当てたアニメーション作品

それが京都アニメーション制作の「響け! ユーフォニアム」です

響け!ユーフォニアム空気

吹奏楽舞台であるといっても、1話や序盤では多くの時間キャラクター紹介、人物の関係性やこれからの展開をほのめかす場面に割かれます

主人公である黄前久美子はどんな子であるのか

彼女高校生となって吹奏楽部に入部し、新しい学園生活、新しい友達上級生と馴染んでいく過程を描いています

そんな序盤のキャラクターのやり取り、シーンの一つにこんなものがあります

久美子の幼なじみであり部活の先輩でもある葵ちゃん彼女と久美子の会話です

久美子「でも今日みたいに聞かれたら、全国大会目指すっていう方に手挙げるでしょ」

  葵「そりゃあ…ねえ」

久美子「だからややこしくなるんだよ、大人はずるいよ」

  葵「それ言ったらどっちにも手を挙げなかった誰かさんが、一番ずるいんじゃない?」

久美子「それは……そうだけど……」

  葵「きっと、そうするしかないんだよ。みんな何となく本音を見せないようにしながら、一番問題のない方向を探ってまとまっていく、学校も吹部も、先生も生徒も」

久美子「どうして……?」

  葵「そうしないとぶつかっちゃうからだよ、ぶつかってみんな傷ついちゃう

――――「響け! ユーフォニアム」第2話



この言葉学校という世界しか知らなかった高校生の頃に立ち戻って考えてみれば、いっそう共感のできる言葉だと思います

そして、学生の時のみならず、社会人となってからもこの「空気」を読めという感覚は常についてまわるものです

集団、群れがあればそこには空気があります、そうして出来上がった集団の流れ、空気に逆らうことはとても難しいものです

特に思春期女の子にとって集団から抜け落ちたり弾かれたりすることは、死ぬほどに辛いことだと思います

2話の終盤、このシーンはさらっと流れます、その為とりわけ重要ではないシーンのように思われるかもしれません

しかし、深夜アニメにとって大事だと言われる1~3話において、2分以上の長尺を取り久美子との二人きりの会話を描いているのは、このカット以外にはないんですね

音楽通奏低音という言葉があります本来バロック音楽における用語ですが、転じて「常に底流としてある、考えや主張のたとえ」というような意味も持ちます

吹奏楽でいうならば久美子や友人である緑輝や葉月がいる低音パートですね

彼女たちの低音が吹部の演奏を支えてるように、葵ちゃんのこの言葉響け!ユーフォニアムという作品における通奏低音となっています

部長葵ちゃん

続く話数、これ以降の3~6話ではある意味葵ちゃんの言っていた通り、一つにまとまり

一致団結してサンライズフェスティバルという地域イベントに向けて頑張る吹部の様子が描かれます

しかし、当の葵ちゃんは今までとは違う、空気の変わってしまった吹部についていけず退部を決意しま

顧問の滝先生が赴任して来なければ、部のやり方が変わらなければ、葵ちゃん最後まで部活動を続けたかもしれません

ただ去年の出来事経験した葵ちゃんにとって今の空気はどうしても受け入れることの出来ないものだったのです

退部後の葵ちゃん部長の晴香がファミレスで二人、話し合うシーンがあります

葵ちゃん自分はそこまで吹部が好きではなかったと言った後、部長に対し晴香はどう?と問いかけます

部長は即答することが出来ません

今までの吹部とは違う、全国大会出場という大きな目標を掲げ、部員一丸となって全国という高みに向けて邁進する宇治高校吹奏楽部

ですが、一人ひとりが見ている方向は必ずしも一致していません、全体では同じ方向を向いているように見えても個々人の想いはそれぞれなのです

ここまでが7話でした

久美子と麗奈

そして続く8話、とても印象的な回ですね

放送当時一番話題になった回でもあると思います

この第8話終盤、麗奈と久美子の密会シーンは中盤のクライマックスです、その内容を憶えている人も多いでしょう

麗奈と久美子、二人以外は誰もいない小高い丘の上、眼下には楽しげなお祭りの光、麗奈はまっすぐと久美子を見据えて言います

 麗奈「ねえ、お祭りの日に山に登るなんて馬鹿なこと、他の人はしないよね」

久美子「うん、まあ……」

 麗奈「久美子なら分かってくれると思って。私、興味のない人と無理に仲良くなろうと思わない。誰かと同じで安心するなんて、馬鹿げてる。

    当たり前にできあがってる人の流れに抵抗したいの、全部は難しいけど。でも分かるでしょ?そういう、意味不明気持ち

久美子「うん、わかるよ。高坂さんの気持ち

 麗奈麗奈

久美子「麗奈……」

 麗奈「私、特別になりたいの。他の奴らとおなじになりたくない」

――――「響け! ユーフォニアム」第8話


麗奈の想いは誰しもが持っている気持ちです

特に未だ少年少女時の万能感から脱却しきれていないモラトリアム期の高校生ならば、それは多くの人が抱いた「本音」かもしれません

特別になりたい」

しかし、多くの高校生はその本音を隠します、他者とぶつからないよう、ぶつかって傷つかないよう、波風を立てず皆と同じように日々を過ごします、それが「普通」なのです

麗奈は違います、久美子にはっきりと言います特別になりたいと、他の人に流されたくないと

葵ちゃんセリフと対になるこの言葉、少し甘酸っぱく子供っぽい麗奈のこの告白は、久美子の心を大きくざわつかせました

そして続く9話、ここからやっと吉川優子ことデカリボンちゃんと吹部のマドンナ中世古香織先輩にスポットライトがあたっていきます

デカリボンちゃんと一度目のオーディション

去年までの熱意のなさが嘘のようにやる気を出し、ここまで大きなゴタゴタもなく順調に進んできた北宇治高校吹奏楽部

あとは大会に向けて全力で頑張っていくだけという感じですが、その前に一つ課題を乗り越えなればなりません

オーディションです

先生が事前に発表していたこの実力制メンバー選抜は、ことの成り行き次第では少々問題が起きそうな雰囲気です

さてオーディション視聴者としてはポニテ先輩のことも気になりますが、吹部として重要なのは麗奈と香織先輩、どちらがソロを吹くのかという点です

部員殆どは、麗奈が優れたトランペット奏者だということは知っていても、上級生であり、部内屈指の実力と人望を兼ね備えた香織先輩がまさか負けるとは思っていません

しか当事者である香織先輩の認識は少し違っています麗奈の実力を認め、負ける可能性を十分に考慮しているようです

さあ、結果はどうなるのか?と言うと……

意外にもあっさりと負けてしまます

この結果は当然ながら驚きを持って迎えられます、中には滝先生選考に内心疑問を呈した部員や不満を抱いた部員もいたでしょう

しかし、個々人の想いとは関係なくこの時の部内の空気オーディションの結果を受け入れるものでした、空気が異を唱えることを許さなかったのです

集団空気に逆らうというのはとても難しいことです、もしもこのまま何事も無く事が運べば、大した波乱などなく一致団結して大会まで進んでいたかもしれません

ここで爆弾を落とすのがデカリボンちゃんです、オーディションから少したった頃、滝先生に対し部員が見守る中、こう言い放ちます

リボン高坂麗奈さんと以前から知り合いだったって本当ですか?」

先生「それを尋ねて、どうするんですか?」

リボン「噂になってるんです、オーディションとき先生がひいきしたんじゃないかって、答えてください」

――――「響け! ユーフォニアム」第10

この出来事から急速に部内の空気は変化していきます、元々個々人の中ではオーディション結果に対しくすぶっていた所もあります

0から1に突然変わったというような変化ではありません、空気意図的誘導しようとするそんな人物がいたわけでもありません

それどころか自分たちが一体どこに向かっているのか、それさえ誰にも分からぬまま漠然と悪い方向へ流れが変わっていく、そんな様子が丁寧に描かれています

香織先輩と再オーディション

先生音楽の知識こそ豊富ですが、教員としての指導経験はまだ浅く、この事態に戸惑い苛つきます

かねた部長が、このままではいけない、そう覚悟を決めなんとか解決しようと動き出した頃、丁度時を同じくして滝先生は一つの解決策を見出します

部員たちが見守る中、滝先生が切り出したのはこんな提案でした

先生今日最初にお知らせがあります。来週ホールを借りて練習する事はみなさんに伝えてますよね。

    そこで時間を取って希望者には再オーディションを行いたいと考えています

    前回のオーディションの結果に不満がありもう一度やり直して欲しい人はここで挙手してください。

    来週全員の前で演奏し、全員の挙手によって合格を決定します。全員で聞いて決定する。これなら異論はないでしょう。いいですね?」

――――「響け! ユーフォニアム」第10

この言葉に対し、香織先輩は一歩を踏み出すように立ち上がり、高く手を掲げ、まっすぐと滝先生を見つめて言います

「再オーディション希望します」

香織先輩という人物についてはこれまでも何度か描かれています

葵ちゃんが退部し、部長がめげてしまった時にはおみやげを持参して励ましました

ポニテ先輩は、葵ちゃん部長に加え香織先輩だけが、去年の部内のゴタゴタに対して真摯に解決しようと頑張っていたと言います

公園で二人きり、デカリボンちゃんから本人や父との縁故理由に滝先生麗奈を贔屓した可能性を告げられた時も噂を止めるようお願いするだけです

これらのことから伺えるのは香織先輩のやさしさであり、部に対する想いです

部長と共に、損な役回りを引き受けてでも部内の空気を良い方向へ持って行きたいという、そんな心配りです

その香織先輩が、今まで吹部内の空気をなによりも優先してきた、そんな香織先輩が、初めて自分の想いに素直に寄り添って決意表明したのがこの場面なのだと思います

しかしたら吹部の嫌な空気、それを払拭するためにあえて希望した、もしくは香織先輩を推す部内の空気にのせられる形で希望しただけという穿った見方もできるかもしれません

しかし、友人を心配そうに見つめる部長眼差しや驚きを持って香織先輩に視線を集める部員達の表情からそうではないことが見て取れます

香織先輩はこのとき空気に反発したのでも迎合したのでも、そして沈黙したのでもありません、ただ自分の確かな意志を表明したのです

まっすぐに滝先生を見つめ、自分の想いを吐露する香織先輩のその姿は麗奈が久美子にした特別になりたいという告白に重なります

オーディションの結果

さあ再オーディションです

まずは香織先輩が、吹き始める前こそ緊張の面持ちでしたがいざ吹き始めると特にミスもなく、普段通りの演奏を客席に座る部員たちの前で披露しま

そして麗奈トランペットを構え、その音を響かせます

二人の演奏が終わり、よりふさわしいと思う方へ拍手するよう言われます殆ど部員はどちらにも拍手することが出来ません

そんな空気の中、滝先生は香織先輩に問いますあなたソロを吹きますかと

香織先輩は麗奈こそが、自分ではなく麗奈こそがソロを吹くべきだと、そう言い

それを聞いたデカリボンちゃんは泣いてしまます、大粒の涙を流しながら、わんわんと声を上げて

一度目のオーディションの時ではなく、二人の演奏が終わった時でもなく、滝先生麗奈を選んだ時でもありません

デカリボンちゃんは香織先輩が負けたことが、選ばれなかったことが、技量的に麗奈に劣っていたことが悔しかったのではありません

人を気遣い自分よりも他人を思いやり、誰よりも優しい先輩、その先輩がたった一度、自分のために、自分だけのために

宇治高校吹奏楽部中世古香織としてではなく、一人のトランペット奏者として初めて挑んだ、ぶつかって傷付くことを恐れずに挑戦した

その特別ものへの憧れが、それが叶えらなかった事が、デカリボンちゃんは何よりも悔しいのです

悔しくて仕方がなかった、だから泣いたのです

ただしそれは数ある理由の一つでしかありません

もしもその悔しさだけだったなら、こんなにも大粒の涙を流すことはなかったでしょう

なぜならば、デカリボンちゃんはおそらく再オーディションが決まったその日から自分がこの日再オーディションの当日、誰よりも悔しい思いをするという事は分かっていたからです

http://anond.hatelabo.jp/20151114054047 へ続きPermalink | 記事への反応(3) | 19:37

2015-11-07

人生のどん底にいると、、誰かたすけにきてくれるんじゃないかな?って、

それこそ、白い馬に乗って包み込むようや眼差しで手を差し伸べてくれるって、

そんな想像たくさんしたけど白い馬どころかDMの一つも来ないこの簡素な部屋で、

私の居場所はないのかもしれないと急激に不安になる。

それでもなんとか這い上がってきたけど、今回は白板の王子妄想)を召喚する気力がない。

アラフォーの女の生きづらさ。誰かに掴まりたかった。

2015-10-31

僕は勉強しかできない

小さい頃から、まったく運動センスがなかった。友だちと鬼ごっこをすれば、すぐに捕まって鬼になってしまったし、一度鬼になったが最後、いつまで経っても他の人を捕まえることができなかった。結局、そんな僕を見かねた友だちがわざと近くまで捕まりに来たり、僕だけ有利になるようなハンデをつけてもらったりしていた。

小学校の授業でドッジボールをしたときは、最後の方まで残ることが多かったように思う。僕はほとんど戦力になっていないので、ボールを当てるのは後回しにして構わないからだ。運動が得意な子たち同士の激しい応酬が一段落した頃合いに、遠慮がちに投げられたボールを避けそこねてコート外へ出るのが僕の日常だった。野球キックベースをしたときも、僕は守備の役には立たなかったし、打者になったときには投手がかなり手加減をしてくれていた。

男の子にとって、運動が上手にできないというのは、人間としての価値ほとんどないのに等しい。そんな空気を感じ取っていた幼い頃の僕は、自分はみんなよりも劣った存在なのだと信じて疑わなかった。

そんな自分自身のことが恥ずかしすぎて、特別親しい相手以外とはコミュニケーションを取るのが苦痛だった。できる限り他人との関わりを避けているうちに、自然と、社交性に欠ける今の人格形成されていったのだと思う。

こんな僕だけれど、勉強だけはすごく良くできた。授業を聞いて理解できないという経験は一度も無かったし、大して勉強をしなくても試験はいつも上位に入っていた。受験でもまったく苦労をせず、地元で一番の進学校入学し、日本の誰もが知っているようなトップレベル大学合格した。

いまの歳になるとこういう話は自慢だと受け止められるけれど、思春期の頃の僕にとっては、勉強ができることなんて自慢でもなんでもなかった。勉強ができたって、世の中の役には立たないし、かっこよくは無いし、女の子にはモテない。そう思っていた。

もし、できることならば、あの頃の僕に言ってあげたい。

近い将来、学ぶことが楽しくてたまらない毎日が訪れること。研究という、かけがえのない仕事出会うこと。昼ごはんを食べるのも忘れて、海外数学書を読みふけるような大人になること。まる一日、方程式と向き合って、解けるまで家に帰らないと意地を張ったりすること。客員研究員という肩書きをもらって、ヨーロッパ大学滞在すること。研究でいろいろな賞を貰ったりすること。周りの人たちから期待され、また、尊敬眼差しで見られること。

なにより、もうすぐ童貞のまま30歳を迎えるということ。

2015-10-26

http://anond.hatelabo.jp/20151026164517

ホモフォビアゼロはいわんけど、

BLマンガの中身にもよるんではなかろうか。

ヘテロだったとしても、まあ同級生に冷やかされて「嫌だ」という人はいるし

セックス描写ガンガンとかだったら、

同級生の男女カップルの性描写がんがんやってるマンガとかそれはやっぱり、

えらい騒ぎになるのではないだろうか。

 

あと、まあ、ホモフォビアであることによって、社会的他人危害やらなんやらをあたえるのは問題だけど

自分が直接にもっていないセクシュアリティを、他者によってまなざされ、

その眼差しを強烈につきつけられるような体験がいやだ、というのは、

別にヘテロホモを逆転させてもなりたつとは思う。

 

まあ、ホモフォビア的な社会的潮流による影響がゼロだとはいわんよ。ゼロとは。

どいつもこいつもオナ禁がすごいことのように言ってオナ禁できてる人間尊敬眼差しで見るわけだが、俺は最近気づくと3週間射精してないとか普通だぜ?

そんなすごいことじゃねえよ。そんな目で見られても困るっての。やれやれ

なぜ俺が3週間でオナ禁をやめてしまうかって、そりゃあおめえ、男として射精しておかないとやばいと感じるからだよ。本能的なもん。

義務から射精しているのであって、別に射精したいから射精してるわけではない。

オナ禁できねえなんて言ってる野郎どもも5年経ったら俺みたいに枯れ果ててるよ。

しろ俺はオナ禁破りすることにストレスを感じている。

性的もののない、妖精さんの国で穏やかな気持ち暮らしたい。

2015-10-23

視姦イラストについての話

本日このような記事ツイッター界を騒がせていた。

Love Piece Club - 女子中高生に固執する成人男性たち / 田房永子」 http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2015/10/21/entry_005903.html

 

この記事についての是非を問うつもりはない。

私が語るのはこの記事で言われている「JK視姦絵師とそのイラスト、諸々の問題について」である

 

●まず、絵師は何をしたのか。

よく「ただ実在した少女イラストとして描いただけ」等と言われることがあるが、それに収まるものではない。

1.実在した少女を絵にし、様々な性的な興味を注釈として書き綴ったものが、話の中心にあるイラストである

 例:超おっぱい! お尻近くまで見えてしまったナイスふともも (雨で塗れて透けた胸部に対し)白ブラとおっぱい

2.少女の着用していた制服の詳細を事細かに描いているものも少なから存在している。

 見る人が見ればどこの服だかわかるとも言い、実際にその学校の生徒から絵師に直接の苦言リプライもあったとされているが、

 何分証明する手段のないものなので真偽は不明

3.「この県の女の子は気が強くてダメから、隣の県の女学生を眺めて癒されてくる」

 「通りにいた女子中学生に車でクラクションを鳴らし、相手の反応を見て喜ぶ」

 「今日30人以上の制服少女を見たけど一人もセンサーに反応しなかった」

 「通学路に引越し毎日カメラをつけて素材探しもいいですね!」

 といった絵以外で実際に行ったであろうことを多く呟いている。

今日たまたま見かけた面白い人を絵にしました」といったものではないことはわかるだろうか。

少女を見る為にわざわざ遠征する、胸部に対する細かい注釈等、

たまたま見かけた」ではなく「自分から見に行っている」ものであり、

その点が他とは大きく異なっているものである

 

●何が問題なのか。

問題といった大きな話でもなく、ただこの行為に対して気持ち悪いと思う人がいたというだけの話である

決して集団で叩いたりはしておらず、これに対し怒り断筆させようとする者も割合からしてごく少数で、

ただこれを見た人らが個人個人の率直な感想、思いを口々に呟いているだけなのだが、

まりにも多くの人が気持ち悪いと感じ、感情吐露している為、「集団での叩きに見える」のが現状である

 

気持ち悪く思う部分も個人個人で様々で、

女学生性的眼差しで見て、それを文字に書き起こしている所。

・詳細までハッキリ描けるくらいに見回している所。

・その他のツイートから滲み出る執着っぷりやマジさ。イラスト以外での行動etcetc...

これらが集まっていた為により多くの人が気持ち悪く思ったのだろうし、

どれか一つだけだったらこのように炎上することもなかっただろう。

人が気持ち悪いと感じうる要素の集合体である

 

犯罪じゃないのだから悪く言うな」という意見もあるが、それはそれこれはこれであり、

犯罪じゃなくても気持ち悪いもの気持ち悪いし、そういった悪感情表現する行為犯罪ではない。

犯罪じゃないのだから、というのなら、気持ち悪いという表現犯罪ではないので、この表現を悪く言われる謂れはなくなる。

(名誉毀損侮辱にあたりうるというものもあるが、

そのように拡大するのであれば、絵師行為迷惑防止条例違反と成り得るものであり、

一週回って犯罪じゃない理論は成り立たなくなる。)

法律には背いてはないんだから何をしたって嫌うな」と言うのであれば、

それと同じように「法律に背かない範囲自分にとって嫌なことを集団でされる」ことになるよ。

 

「この程度のことで炎上させるなんて酷い」や「こんな些細なことで悪く言うやつは嫉妬に決まっている」といったものは、

全ての基準自分本位で成り立っているからこその言葉であり、

自分にとっての「この程度」「些細なこと」と、他人にとっての程度は違うということを知るべきだと思う。

自分いくら気持ち悪いと思わなくても、大多数の人が不快に思ったか炎上した、ということを受け入れないと何も始まらない。

フェミが~BBAが~といったものも多いが、男でも不快に思った趣旨を発している人は多くいる。

 

●その他の「街で見かけた面白い人たち」イラストはどうか。

この話は絶対的な良し悪しの話ではなく、客観的な快不快の話である

なので法律のように、誰かが「ここからはNG」と示すものではない。

言動を知って不快に思った人が多ければ多いほど炎上やすくなる。

結果論ではあるのだが、その他のものは「こう大きく取り上げられて周囲から不快感を突きつけられる」ようなことが無かった以上、

別に大半の人は不快に思わなかっただけだろう。

今後また同じように多くの人が不快に思う表現がなされればそれは同じように悪感情の塊をぶつけられることになるだろうし、

不快に思わない表現に対してわざわざ嘘ついてまで嫌いだと言いに行くこともない。

 

「コレに対してキモいと言ったんだから、アレにもソレにもキモいと言え!」というのはただの炊きつけだし、

実際キモいと思ってないものキモいと言えと言われてもそんなの不可能だし、

"コレ"と"アレとソレ"は全く別物なのにも関わらず当然のように同一視してしまうのは

「コレのどこが気持ち悪がられているのかを理解できず、また理解しようともしていない」ことを自ら示してしまっている。

 

今回のことで炎上たからといって今後街で見かけた人イラスト自粛するようにはならないだろうし、

視線を向けただけで犯罪者になるような厳格な社会にもなりえないだろう。

これらには共感者がいない。これらのことに賛同する人間は決して多くなく、従って炎上もせず世界も変わらない。

 

最後

表現の自由表現の自由で、視姦イラストを描くことも自由。ただし自由には責任が伴うということを忘れちゃダメ

表現の自由は、自分表現を悪く言われない自由ではない。

絵を描いて発表するのは自由だが、それを見た人がどう思うかも自由。悪く思う人もいるし良く思う人もいる。

自由なので、どれだけ多くの人に気持ち悪がられても俺は一生描くぞ!っていうのも自由

そりゃ描き続ける以上周囲も言い続けることになるけど、描くこと自体を無理やり押さえつけることは誰にもできない。

ただし、「オタクキモくて当然だ!周囲のことなんか考えないのがオタク!」とか

(学業に励む少女に対して)「見られるのが嫌なら家から出ないようにしろ!」とか

そういって開き直る限りはまた相手にも同じように「オタクのことは考えなくていい」とされるだけで

それこそ「オタク犯罪者予備軍・迫害推奨」の称号自分から勝ち取りに向かってしまうこととなる。

 

今まで「これは絵であって実在する人間とは全く無関係で誰も被害にあってません」として顰蹙を少しでもかわそうとしてきた中で

実在する人間性的目線で描きあげるのは明らかにその道に反していて、オタク未来の芽を摘むようなこととなってしまいかねない。

 

気持ち悪がられても貫くのがオタク!というのは個人的には好きだが、

それが適用されるのは「周囲からさな不快感が向けられている時」のみだろう。

開きなおることなく、自分のやってることにどれくらいファンがいてどれくらいアンチがいるのか

そういう部分を客観的に計ることが、表現者一個人としてもオタク文化としても穏やかに生き残る上で大切なんだと思う。

2015-10-20

本物の魔法少女になるには

http://anond.hatelabo.jp/20151019213445

 

 「努力が足りないのだ」と叱責する者が多いが、まるで見当違いだ。あなた全然悪くない。ユーモアのつもりであなたを責め、戯れ言に興じる小物たちの言葉など聞く必要はない。

 なぜ魔法少女になれないのか。

 なぜならそれは、魔法少女になった人間がこの世に存在しないからだ。あなたに絡んでくる者、あるいはあなた自身も、その残酷事実を受け入れられない。いや、分かっていても分からないふりをして、虚構世界と夢を守ったフリをして気取っているのだ。しかし、前例がないからといって、イコール魔法少女になることが不可能なわけではない。

 あなたがこの世界最初魔法少女になればいいのだ。最初魔法少女なのだから自分自身ルールなのだ。ただし、「俺は魔法少女だ!」と高らかに宣言したとき、そこにいる観衆の大半が「こいつは本物だわ」と納得しなければならない(もちろん、他者を納得させる必要はないという論もある。しかしここでは取り上げない)。つまり、俺ルールを作り上げてもいいが、他者をも納得させる妥協点を探る必要がある。「魔法」とは何なのか。「少女」とは何なのか。その言葉規定する可能性をどこまでも掘り下げ、2つの概念矛盾なく結合させる点を探る。そしてそのプロセスを雄弁に語る必要がある。

 困難な作業になる。しかし、不可能ではない。もし行き詰まるようなら、著名なテキストサイト管理人ネタブロガーを見習うのがいいだろう。

 「いや、そんな理屈をこね回してネタ魔法少女になりたいわけじゃないんだよ!」

 その気持ちもわかる。だが、あなたの知っている魔法少女もそうやって出来たものではないとどうして言えようか。演出エフェクトが描き出す「魔法少女感」の裏に、必ず、どうしたら「魔法」で「少女」に「見えるのか」という生みの苦しみがあったはずだ。そうしたネタ出しの初期の姿は歪で陳腐ものだったかもしれない。

 何かを生み出す時には、つねに柔軟な発想が求められ、そうして出来たものを貫き通すことが説得力を生む。たとえばあなたの知っている魔法少女の中に、魔法は使わない物理攻撃型の少女はいないだろうか。しかあなた彼女を「魔法少女だ」と認識している。あるいは、もはや少女とは言えない体格の魔法少女いるかもしれない。でも受け入れているだろう。それはどういうことだろうか? 契約をしたから? 体や装備が魔法体だから? 本当にそうだろうか? そういう説明をされる前からあなたコンテクストで「この子たちは魔法少女」と確信していたのではないか?

 このことは、表現を受け取る側の人間も、相当に柔軟になりうるという事を示している。それは人間の美しいあり方でもある。柔軟になるだけのコンテクストを共有していない人間からみれば、その発信者も受信者も「宗教くさい」と蔑視されることもあるだろう。しかし、そのような美しくない眼差し考慮する必要はない。あなたと、受け手が信じてさえいれば、そこには何だって降臨し得るのだ。実際、あなた創作上の魔法少女という存在を、彼女らが与えてくれた感動と社会的ムーブメントを、虚像だとは思っていないだろう。そこに「ある」と信じることで物は生み出され、定義される。それは儚くも尊い、人間の壮大な営みの一部だ。魔法少女なんてものはその極致のようなもの。それに素直に憧れることができたなら、もう一歩先に進む人がいてもいいはずだ。

 

 ……ここまでの内容を消化し昇華するだけでも、魔法少女になれる可能性は十分あるだろう。だが依然として困難を感じている人も多いことと思う。それは、「魔法」というものに対して説得力を出すことが難しいためだ。

 あらかじめ潰しておくと、「少女(見た目)」についてはどうとでもなる。仮に、あなた男性だったとしても、いまは「男の娘」なんて言葉があるくらいに、男子女子と見られるためのノウハウ文化の蓄積がある。あなた青少年とはかけ離れた年齢だったとしても、歳をごまかすテクニックはそれ以上に長年の蓄積がある。なんなら手術という手もある。その上、それらが完璧でなくても、受け手の柔軟さを上手に喚起してやれば受け入れられるはずだ。あとは自分自身が自らの姿を受け容れるだけの精神性を築き上げればすむ。

 だが魔法はすこし性質が異なる。魔法というものはこの世に存在していない。いや、ありふれていないと言ったほうが正しい。馴染みのない概念は、当然ながら受け入れるのが難しくなる。創作上の魔法を受け入れているのは、「これは創作から」というモード切替スイッチが人々の頭についているからだ。とはいえ、現実世界にも「魔人」「魔法使い」と称されるような人間存在する。スポーツ選手などが思い浮かぶだろう。しかし彼らは「魔」や「魔法を使える」存在ではなく、同じ人類だ。比喩的表現。つまり、同じ時代に生きている人類とは思えないほどの所業をやってのけることが「魔法なのだ。「高度に発達した科学魔法区別がつかない」という言葉引用するまでもなく、我々は魔法という言葉魔法性を過剰に感じすぎているせいで、自ら「魔法」の枠を狭めがちなのだ創作上の魔法は、ファンタジーと分類されることが多いが、細かい原理説明していないだけの超科学常識的に利用されている世界と捉えれば、SFと同列である

 とは言ったものの、我々のような凡人が、人々の目を欺くような超科学最先端技術を操れるわけではなかろう。習得やすいのはマジックような技巧の類だ。現実世界ではマジシャンが一番「魔法使い」の称号に近いところにいる。なので、順当に考えれば、「マジック少女から魔法少女」に昇華させる線が現実的に思える――ところがここで問題が起こる。我々の知っている魔法少女は、マジック少女のすごい版ではないのだ。人のために働く、助ける、守る、攻撃する、あるいは駆けつける、着替える、契約する、それらのタイミング魔法行使されるのが普通だ。なのでベースの行動をそのあたりに設定する必要がある。その際の「普通のやり方」を「魔法みたいにすごいやり方」に変えることが、魔法少女必要条件だといえるだろう。ただ、これだけでは、「早着替えをマジック映像技術で魅せるパフォーマー」程度どまりだろう。

 魔法少女たるには、「魔法」的存在である事の他にもう一つ欠かせない要素がある。ヒロイックであることだ。すなわち、何かの使命をおびている。何かを背負って、何かに突き動かされている。別に世界を救うレベルでなくもいい。ご当地ゆるキャラ並の小さな使命感でもいいから、何がしかパッションが滲み出る象徴的なキャラだと認識されなければならない。

 さて、私の陳腐魔法少女論はここまで。あとは「自分の頭で考えよう」。長年夢見てきたあなたの中には、きっと何らかの「魔法」の種火と、小さな使命感の欠片があることだろう。あと生まれ持った体と。それらの調理法を考えるだけの話だ。理想魔法少女像との乖離は、きっとあとから埋まってくる。最後叱咤一言で締めくくろうと思う。

 「努力が足りないのだ」

2015-09-16

キャリアなんか捨てて子供産んでおけば良かった

こんな事誰にも言えないから

新卒で今の会社に入りあれよあれよと成績を上げ今ではそこそこの地位にいる40手前の女です。

部下はグループで3グループあって大体20人位いる。

みんなからは羨望の眼差しで見られ収入も正直そこらの男よりも稼いでる。

都内一等地にマンションを借りてたまに週末は部下を呼んでパーティーしてる。

当然その中には家族連れもいるんだけどそこの旦那年収をひと月で稼ぐ時もある。

でも正直子供が欲しい。

今更だけど何の為にこんなに頑張ってるのかよく分からなくなって来た。

頑張れば頑張るだけ収入地位も上がるんだけどなんか虚しいんだよね。

いくらお金を稼いだって所詮あんなの数字の書いてある紙っぺらでしかない。

私はそんなもんより何か頑張る目標みたいなものが欲しい。

収入が高いとは言えないうえに激務な部下がなんで頑張れるか分かって来た。

家族がいて子供いるからだ。

私くらいの歳になって自分だけの為に頑張り続けるのは正直辛い。

でも今更恋愛して結婚出産なんてハードルが高すぎる。

養子も考えて調べたけどそもそも日本養子貰う事自体が難しすぎる。

てか調べて分かったんだけど施設に預けてるけど親権を手放してない親が多いのね、意味わかんね。

来週の連休会社全体での旅行があるんだけど、家族連れを見るのが辛いからキャンセルした。

あー20歳に戻りたい。

そしたら速攻社内恋愛して子供産んで会社やめるのにな。

辛い。

2015-09-01

Tehu君に学ぶ傷だらけのセルフブランディング

Tehu君が中学の頃から積み重ねてきたセルフブランディング()が崩壊しつつあるんで、まとめておこうと思う。

彼が『天才』『秀才』『次代のリーダーから意識高い系(笑)』へ落ちていく様を振り返りながら、一体どこで間違ってしまったのか検証していくことにする。

中学生時代

彼はここでMacと運命的な出会いをする。当時はまだ、iPhoneが発売されたばかりで、彼は好奇心からXcodeを使い健康計算機というBMI値

を測定するアプリを開発する。機能的にはかなりシンプルプログラム的にも初心者レベルのものではあるが、中学生Objective-Cで開発を行い、

英語でアプリの登録申請を行いAppStoreに自分で作ったアプリを載せて、一時的にではあるが、日本語アプリランキングで3位になったのだ。

これは本当にがんばったと思う。これから彼のセルフブランディングスタートしていく。

高校生時代

周囲の大人達が彼を天才扱いし、いろんな大人達が彼に接触し始める。

TV、雑誌新聞はもちろん インターネット系のメディアなどに顔を出してはメディアへの露出を高めていき、

彼はどんどん階段を駆け上がっていく。

そうしてセルフブランディング成功した彼は周りの同級生が必死に受験勉強をするのとは反対に、AO入試というとても楽な方法

大学の進路を決定してしまう。AO入試と言っても慶応義塾大学

世間的には高学歴な部類に入るわけだから、これでセルフブランディング大成功!という考え方もできなくはない。

しかし、ここに至る過程の中で色々とやらかししまい、その隠していた傷が現在2chを中心としたネット民によって抉られることになる。

自分自身過大評価

彼は様々な媒体でマルチクリエーターとして自分自身演出してきた。しかし、その実態はさほど言うほどの物ではない。

彼の主だった実績は以下のような具合である

プログラマーとしての実績

唯一の実績ともいえる健康計算機日本語アプリが少ない時に、中学生アプリを作って申請したという点はまぁまぁ評価できるが、高校生大学生となった今では黒歴史にしてもいいようなレベルの代物。現在アプリは未公開。その後、プログラミングに関しては猛勉強することなアプリ開発からも手を引いてしまう。

デザイナーとしての実績

なし。

強いてあげるとすれば、問題になった小4なりすましサイト。彼がデザインコーディングデプロイまで全て行ったかどうかは不明。

プロデューサーとしての実績

Tehu君自身プロデューサーとしての実績として誇っているものに「なだいろクローバーZ」というものがある。

これは簡単に言えば、ももクロ衣装を着て、ももクロの曲を流して踊るだけのもの

もちろん、Tehu君が女装をしたり踊ったりしたわけではなく、舞台に上がる主役は別の5人。

ネットではその5人の中のピンク担当男子生徒のクオリティが高かったため、少し話題になった。

しかし、各所で指摘されているがこれはただの文化祭の出し物であり、灘高の女装企画はTehu君よりも前の時代からあった。

それに、なだクロの発案者はTehu君ではなく、彼はその企画に乗っかっただけ。文化祭なのでみんなで考えて、みんなでふざけただけの取るに足らない物なのだ

にも関わらず、どういう訳か彼はそんな『なだクロ』を大きな成功体験として位置付けている。アイドル好きだった事もありアイドルプロデューサー路線に道を見出し、華やかそうなイベントに顔を出し、演出家クリエイティブディレクター、裏方などの肩書を名乗っては何かをやっているようだ。しかし、具体的に、彼が何をやっているのかは一切不明。

人脈自慢

もはやTehu君の代名詞と言える人脈自慢。政治家官僚、有名企業社長経営者外資系企業役員社員女子アナアイドル読者モデル女子大生女子高生テレビ関係者マスコミ関係者など幅広いジャンルの方々と知り合いだとTwitterで吹聴してきたTehu君。

知り合いの知り合いすなわち他人まで自慢していくTehu君のスタイルは人脈温泉揶揄されるようになり、最近では「テフレ」「テフレ認定」なる言葉まで誕生してしまった。

語:テフレ 意味:Tehu君に知り合いまたは友達として認定されてた人。またはTehu君からなんらかの高い評価をもらった人。

しかし、人脈自慢もネット上などでバカにされているという事に気付いたようで、最近ではかなり控えめになり、温泉は一時期よりは冷たくなってしまった。

彼は大物である

大学生現在

大学生となった彼は大学入学するや否や、やらかししまう。

  • 大学生大学生しててチャラい感じの男大っ嫌いだわもう。話しかけんなクソが。
  • 世代の男たちの精神年齢の低さに辟易としています。
  • ファッション感覚起業しているのが丸見えな人たちが、慶応受かった直後からアプローチの嵐だぜ。結局先輩後輩関係で俺の人脈と経験使いたいだけだろ。。。
  • 言い方悪いけど、やる気のない人とわざわざ話したり付き合ったりしていられるほど人生時間残ってないからなぁ。よろしくねとか今度遊ぼうとか言われてもな?
  • まあわかっていたことではあるが、僕がもともと行くつもりだった東大に比べれば平均レベルは圧倒的に低い。それでも僕があえて慶応を選んだ理由は、 数%のぶっとんだ人間が、東大とは比べ物にならないからだ。だから俺は、その「数%の人間」としかちゃんとお付き合いはしませんので。
  • 友達Facebookにチャラそうな集団写真を上げてるのを見るだけで嫌悪感で画面閉じる程度にはそういうの嫌い。

こんなの嫌われます。好きになれっていう方が無理です。しかし、これらのツイート自身や周りの大人達が「天才」とラベルを貼ってしまい、実像の彼をより大きな存在にしてしまった結果なのかもしれない。

そして、自分自身を「羨望の眼差しで見られる有名人」という設定にしてしまった彼は自分より下だと判断した人間をとことん見下すようなツイートをしてしまう。

おまけに、東大にはあえて行かなかったという書き方をしていますが、Tehu君は東大受験すらしていないという現実無視しています。

それでも、ビッグマウスである事を貫いた彼は堀江貴文茂木健一郎乙武洋匡などの名のある人と接触、対談できるまでに彼のブランディング成功していく。

しかし、最近は流石に本人もマズイと思ったのか一部問題ツイートを消すなどするが、2chやツイッターなどを中心としたネット民魚拓スクリーンショットを撮られるなどして葬りたい黒歴史ガッツリ残ってしまう形となる。

また自身Wikipedia記事特筆性の観点から削除が検討され始めたとき、Tehu君並に詳しい別人になりすまして削除申請を食い止めるというタブーを犯してしまう。

彼にとっても、Wikipediaセルフブランディングの大事なツールなのだ

しかし、そうした自演行為もすぐにバレてしまい、膨れ上がったWikipediaのページは今ではスリム化され、小4なりすまし事件の主犯という項目が目立つような人物になってしまった。

ネット民やSFC生などから嫌われ始めてしまったTehu君は、Tehu君関連スレッドにて、本人が否定したいような恥ずかしい噂が投稿される。

その噂に関しては、まとめサイトなどに掲載されているので、気になる人は確認すればいい。

しかし、その噂の真偽が大切なのではなく、なぜここまでネット民やSFC生から酷い仕打ちを受けるのか?

それを彼自身見つめなおすべきだろう。

意識高い系への格下げ

日本テレビ放送されたバラエティ番組「ヒネクレ星雲 第4惑星 モノモース」という番組でTehu君が特集される。

今まで「天才」「秀才」として扱われた彼だがこの番組はとことんバカにされる事になる。

おそらく、密着取材中もそんな節はあったと推測できるが、空気が読めない彼はそういったサインに気づく事ができなかった。

まさか、自分がテレビでバカにされるなんて夢にも思わなかった彼は、番組放送前のTwitterで以下のように宣伝しまう。

明後日のお昼の日本テレビ「モノモース」に出ます。

ラテ欄では"セレブ大学生"という謎なカテゴライズをされていますが、僕の生活に少しだけ密着してくれました。暇だったら見てください。

要はテレビ屋達に騙されたのだ。

そして、いざ放送が始まると酷い扱いでTehu君の言葉や行動をとことん弄りまくってバカにした。

放送終了後の彼は相当傷ついたらしく、

テレビもう終わったの?(みてないからわからない)

とかなり落ち込んでいる様子でプライドの高い彼のダメージは甚大。

数年前までは神童扱いだったが、とうとう一般的にも、イロモノ扱いになってしまった。

灘高在校生から嫌われ始める

「灘=Tehu」と見られてしまう事を嫌った灘高生の複数Twitterアカウントが彼へのヘイトを口にし始める。

  • 灘生がTehu嫌い過ぎで草生える
  • わかるむしろTe◯u(この文字列を見て気分を害する人がいないように伏せ字にしてます)を好きな人を探すほうが難しそう(偏見)
  • 人によって嫌いな理由は様々ですね、でもなぜかわりとみんなから嫌われてる印象です
  • 今まで好きって人を聞いたことないからスゴい

Tehu君的に後輩から尊敬されていると思っていたが、在校生にはなんとなく見抜かれていたようだ。

しかし、これもスルーしておけばいいのにも関わらず、その事についてもTwitterで呟いてしまい、それもネットユーザーに拾われバカにされる。

自ら泥沼に足を突っ込んでいくスタイルだ。

単純な話、Twitterを控えればいいのでは?と思うだろうが、セルフブランディングでは必須ツールであるTwitterを彼が手放すなんて事は不可能なのだ

こうして彼が中学高校大学とコツコツと積み上げてきたセルフブランディングは完全な崩壊へと傾いてく。

彼がやってしまった様々な過剰なセルフブランディングの結果、ネット上で彼に関することを検索するとネガティブ情報ばかり出てきてしまい、

彼が理想として思い描いていたような「カッコイイ自分」とは程遠いイロモノ意識高い系芸人として落ちていく事になってしまった。

彼は自身必要以上に大きく見せ、時には他を貶めることで、ネット以外にも作る必要のない敵を自ら作りすぎてしまった。

そうして作り出してしまった敵が2chやTwitterなどのネットに流れ様々な情報を流し攻撃し、結果、大怪我をするハメになったのだ。

まとめ

もし、今、有名になることに憧れてSNSなどで必死でセルフブランディングに励んでいる人はTehu君のような場当たり的でギャンブル的な言動は真似するべきではない。きっと大怪我する。

最悪の場合、家族や周りの友人たちにも迷惑がかかる。残念ながらインターネットとはそういうものなのだ

本当にスゴイ人ほど、光の当たらない場所で地味に勉強をしているものから、堅実にやっていって欲しい。

Tehu君にしても、「スゴイ!」「天才!」等と褒めてくれる大人達とは遊ばずに、勉強に専念すればまだ巻き返せるはず。

2015-08-28

議員セクシャリティ暴露世間狭間にあるもの

自民党のM議員スキャンダラスな内容の記事話題となった。

M議員といえば、安保関連法に反対する学生団体SEALDSに対してTwitterに書いた内容が物議を醸し出し、また未公開株の不透明なやりとりが発覚して、所属していた自民党を離党した矢先だった。

個人的なところで、M議員政治家としての資質に対して懐疑的であり、感情的にも嫌いではあったけれど、しかし今回の暴露記事を目にした際には、そういう個人に対する評価感情を越えて、胸につっかえる感覚を抱いていた。それで、ボヤっと1日考えていたわけだけど、それが何なのかが少しずつ溶解してきたので、書き留めておこうと思った。

今回の記事では、M議員は19歳の男性ゲイ向けの出会い系サイトで知り合い、金銭の受け渡しを伴う性的関係複数回持ったということが、LINEスクリーンショット画像と「売春」という言葉ともに公開されている。

日本法律と照らしあわせてみていくと、先ず同性間において金銭や報酬の受け渡しをともなった性的関係を罰する法律はなく、これは売春にあたらない。

相手が19歳という年齢に関しても、18歳以上であるので法的に問題がない。

にも関わらず、「19歳の男性を“買春”していた」というセンセーショナル言葉を使ったわけだ。

これはつまり法的には完全に無罪ではあるのに、M議員が「ゲイであること、そして男性性的関係を持っていることをセンセーショナルに公にすること自体目的記事と言える。

個人のセクシャリティというのは、プライバシーでもあり、そしてとても繊細な情報でもある。

近年ではLGBTという言葉認知も広がり、多様な性のあり方があるということが社会に浸透してきているとはいえ、まだまだ性的少数者に対する偏見差別があるのは否めない状況下でもあり、ましてやプライバシー侵害という点で、第三者が個人のセクシャリティを本人の断りもなく勝手に公開していいというのは余りにも身勝手で酷い話では無いのか。それがたとえ公人であるとしてもだ。

そして、この記事SNSニュースを通して大きな話題となった。

私の元にも多方面から記事シェアが回ってくる。

この記事がこのようにセンセーショナルに扱われるというところには、この社会の中にある性的少数者への眼差し本音が現れ出ている。

記事を書く側が、受け手であるこの社会の少なからぬ人が、M議員が「ゲイであることに対して、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。

セクシャリティ世間狭間にあるモノがここに露わになったのだ。

4月電通ダイバーシティラボが「LGBT調査 2015」を実施した。

http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015041-0423%2B.pdf

それによると、国内LGBT層に該当する人は 7.6%と算出された。人口でいうと約900万人前後といったところ。

もちろん、約900万人の全てがカミングアウトして生活しているわけではない。

偏見差別を恐れ、自分セクシャリティを隠しながら生きている人も多数存在している。

そういう社会の中で、M議員が、その”人”が、ゲイであることを晒したうえ、それをネタにして記事にしたのだ。

ゲイ話題が取れるネタになるということを改めて世間に知らしめたのだ。

この社会構成する人たちがその記事を見て、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。

自分セクシャリティを隠しながら生きている人達はこの状況に何を感じたのだろう。

自分セクシャリティと周囲との関係性に悩んでいる思春期の子たちは、この風潮に何を感じたのだろう。

自分セクシャリティを公にしたとき得ることになる反応を、この記事の中に見ているのかもしれない。

実は、私も性的少数者の1人であるLGBTでいうなら、Tである

性別を変えたのち、現在は変更後の性でノンカムのままフリーランス仕事大学講師を掛け持って暮らしている。

これまでの私の人生においても、過去を知る知人によって私がトランスセクシャルである第三者勝手暴露されて、好奇の視線を浴び、侮蔑され、差別され、そんな悲しい思いをしたことは数知れない。

そのような経験を内に秘めて生きてきて、この記事を目の当たりにした。

今はただ、悲しく虚しい思いだけが記事を前にしてポツリと佇んでいる。

追記:

私の友人たち(大半はヘテロセクシャル)は、彼がゲイであることは切り離して、議員としての自覚や言動、資質について書いている人が多かったことは救いです。

2015-07-29

はてな民の使ってる「マウントを取る」は差別語である

たとえば以下のような例文について、冷静に考えてみてほしい。

A)

「ねえ、○○まで連れてってよ」

「なんだと?オレは雲助じゃねえぞ!」

--

あるいはこうだ。

B)

「まったく、隣の犬はワンワンうるさいねえ、あんた、捕まえて捌いちゃいなさいよ」

「オレにヨツの真似事でもさせようってのか?冗談じゃねえ!」

--

例Aでは、明らかに現代社会でいうところの、タクシードライバーという職業に対する差別的眼差しを含んだ語が、用いられている。

例Bは、食肉解体業に従事されている方への、同様のそれである

職業差別絶対に許されるものではないという前提は、共有できている前提で話を進める。

はてな現在用いられている「マウント」および「マウントを取る」という語についてだが、

議論の相手に対して優位性を保とうとする、保っていることを誇示しようとする」という意味以外で使っている人はいるだろうか。

これは見逃しがたい、重大な差別的言動であり、レイシズムである

これは。総合格闘技を含んだ組技格闘技用語であるマウントポジション」を「取る」「取りにいく」という行為を。モチーフとしているのは、明らかである

はてな民が大好きな、小野ほりでいも、同じ理解のようであるから、間違いない。

--

不毛連鎖! ネット上で優越感を奪い合う”マウント勢”とは?」

http://togech.jp/2013/12/16/4878

--

マウントポジションを取る」行為

これは組技格闘技職業とされている方々にとっては、ある種の重大な目的とは言わないまでも、

たとえばタクシードライバーにとっては乗客の望む行き先を間違いなく聞き出すとか、

たとえば食肉解体従事者にとっては牛の眉間に間違いなく銃を押し当てたりとか、

そういった職業上欠かすことの出来ない手段として、日々行っている、通常通りの業務上の手順なのである

組技格闘技従事者の方々に「あなたマウントを取ろうとしたことがありますか」とアンケートを採ったら、99%がイエスと応えるはずである

それを、はてな民は、他者に対して、優位性を誇示する、卑しい行いの比喩として、用いているのである

この、重大な、差別行為が横行しているのを、見て見ぬふりをしているのが、邪悪な、はてな民なのだ

ヒカルアローナとかが、明日、いきなり自殺したら、それは、はてな民が、殺した、のである

2015-07-26

男が戦争反対とか言っていられるのは今だけ

今だから、男も女も戦争反対とか言っていられるけど、有事においてなお、同じことを言い続ける男に対し、

女は冷ややかな眼差しを注ぐだろう。とくに文系の、何の技術ももたない男に対して。

2015-07-01

死に場所新幹線の車内だと決めた

俺をこんな風にまで追いやったやつらに見せつけてやるんだ。

この生命が気高く燃え尽きていく様を。

もう何年爪に火を灯すような生活を強いられているのだろう。

若い頃は仕事人生の全てで、家族も当然のように犠牲にしてきた彼だった。

それなのに業績の悪化という理由で簡単に首を切られたのだ

仕事しかしてこなかった人間から収入を奪ったらミジメなものである家族はさっさと愛想を尽かし出て行ってしまった。

人間、結局は誰だって自分かわいいだけなのだ

つの仕事を真面目に取り組むことだけが取り柄だった彼には、他で働くことなんて全く想像できもしなかった。

それでもわずかな給料若造ににこき使われ生活のためにと頭を下げてきた仕事も、とうとうクビになってしまった。

ダメだ。残りの人生はもう死を待つ以外に選択がない。

なんで自分ばかりこんな目にあわなくてはならないんだ。

どうせ死を選ぶなら、自分をこんな目に合わせた奴らに思い知らせてやるのだ。

そんな彼にとって、焼身自殺はまさにうってつけだった。

ある日の報道番組で目にした宗教弾圧に反抗するために行った僧侶焼身自殺が、いつか自分が死を選ぶにふさわしい気高く神々しい行為として目に焼き付いてたのだ。

ただ目立つことを目的とするなら駅前など人が集まるところを選べばよかった。

安全なところから向けられたいくつもカメラによって、彼の死に様は瞬く間に世界中に広がっていくだろう。

しかしそれでは自分メッセージを伝えることは困難だ。

自分復讐したいのは、自分をこんなふうにまで追いやった社会でありビジネス世界だ。

それもちっぽけな世界じゃない。

今日都心環状線を数時間止めたくらいでは日本経済に対する影響はごくわずかでしかない。狙うなら交通の大動脈だ。

新幹線飛行機に比べてセキュリティが甘い。

墜落被害のほうが失われる人命のリスクが高いからか?

くだらない。結局人はそうやって命を天秤にかけているのだ。

そんなもの事故が起こった時の責任をいかに回避するかの都合でしかないではないか。

しかし今の自分にしてみれば、これはむしろ好都合だった。

長年望まない生活を強いられてきた彼には、今や社会は悪意の塊のように見えていた。

自分だって過去は輝いていたのだ。

自の望まぬ経済の流れに虐げられ、抜け出せないままに地を這うような生活を強いられているにすぎないのだ。

そんな彼は、見た目だけで自分を愚かな人間だと判断する世の中が許せなかった。

日本という国は確かに豊かになったのかもしれない。

しかし、終戦直後には誰もが何も持っていなかったのだ。誰もが少ないものを分けあい、倒れるものには手を差し伸べてきた。

そんな日本を豊かにしようと犠牲になってまで作り上げた世の中なのに、そんな時代に生まれ人間たちは誰も彼に手を差し伸べようとはしなかった。

好き好んでなったわけでもないホームレスのような風貌に関心を抱くものはなく、誰もが社会汚物を見るような視線を投げかけてくるのだ。

ただ犠牲者を増やしたいだけなら簡単だった。

1号車と2号車の中間で火を放てばよいのだ。

逃げ場を失った1号車の人間はほぼ助からないだろう。

しかしそれではやはり自分目的は満たされないのだ。

そもそも無差別殺人を行いたいなら、方法は他にいくらでもある。

自分の死にゆく姿を彼らの目に焼き付けてはじめて意味があり、死が尊いものへと昇華されるのだ。

正直な話、ためらいがなかったわけではない。

本当に彼らが自分の死を焼き付けたい相手なのかを確かめるために、幾度なく車両を往復しては人々の顔を覗きこんでいた。

そこに座っているのは、大半が小奇麗にスーツを着飾った泥の臭いなど一切感じさせないようなビジネスマン達だった。

片手に握った小さな世界と向い合ってばかりで、誰一人としてこの小汚い存在を認めようとしなかった。

働くものの中に混じって旅行者の姿もあった。

皆が働く中で優雅な時間を過ごせるのは誰のおかげなのか。今ある豊かな日本が作られたのは誰のおかげなのか。

その時彼は、それを理解できているのか試してやろうと思い立った。

一人のもとにそっと近寄り、お金をわたしてみることにしたのだ。

から受け取ろうともお金お金だ。誰かから享受された今の豊かさを誰に遠慮することなく受け取っているのだから、誰からもらえるかわかっている金銭を受け取らないのは矛盾している。

しかし、案の定そのお金が受け取られることはなかった。

かわりに向けられた困惑眼差しの向こうに確かな軽蔑を見つけた時、彼がこの場所を選んだことに間違いがなかったと確信したのだった。

この瞬間、彼の行動が間違っていると気づく機会は永遠に失われてしまったのだ。

ポリタンクを片手に一人一人を確認するように歩きながら彼は車両の先頭に立った。

彼らこそが自らの死を焼き付けてやりたい相手であり、これから世界に罪の意識を背負って生きるべき人間なのだ

そこからは予定していた通りに躊躇なく身体が動いた。

自らの命を絶つこととはこんなにも事務的ことなのだ。

ポリタンクから流れ出る液体の臭いで彼がこれからするであろうことに気付く人間が現れ始めた。

口々に制止の言葉言葉叫び、車内は一瞬で騒然となった。

そんな人々を眺めては彼は着々と手順をこなすように頭から液体をかぶり考えていた。

世の中には気づいてからでは手遅れだったことなんていくらでもあるのだ。

これまでに気付くきっかはいくらでもあったはずなのだから、それを見逃し続けたのは自分たち責任なのだ

一人の人間が追い詰められていく背景に目を向けて自らの生活省みる良心がこの国に残されているのだろうか。

そうして彼はライターに火をつけた。

彼の中で長い年月くすぶり続けていた炎は、今まさに現実のものとして世の中に炙りだされたのだ。

その姿は宗教弾圧に反抗する僧侶さながらに、社会に広がる思想格差とそれによってもたらされる貧困格差を照らす炎になりえたのだろうか。

彼の目に写った最後世界が、絶望に覆われていなかったことを今はせめて信じたい。


※これはフィクションです。他者の利害を侵害する目的社会秩序を乱す目的は一切ございません。

亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、怪我をされた方の一日でも早い回復を願っています

2015-06-20

一休さ~ん)(は~い) すき すき すき すき すき すき

一休が好きなの。

一休の瞳が好き。

春の銀河のように煌めく瞳が好き。

春の日差しのような優しい眼差しが好き。

一休の髪が好き。

そよ風に閃くシルクのようなサラサラの髪が好き。

一休の唇が好き。

蜜のような口づけをくれる、切ない吐息を聴かせてくれる、唇が好き。

一休の声が好き。

高くて甘い、心に染みこむ、澄み切った声が好き。

一休の身体が好き。

抱き締めると折れてしまいそうな華奢な腰が、

薄くて、でも形の良い胸が、

重ねた肌から伝わってくる温もりが好き。

でも、一番好きなのは一休の心。

脆くて、傷つきやすい、でも、どこまでも純粋で美しい、

決して誰も責めたりしない、全てを許す優しさに満ちた魂が。

好きよ。

大好き。

一休の全てが愛おしくてたまらないの、姫子

2015-06-18

面接官「あなた自己PRをしてください」

私が好きなの。

私の瞳が好き。

春の銀河のように煌めく瞳が好き。

春の日差しのような優しい眼差しが好き。

私の髪が好き。

そよ風に閃くシルクのようなサラサラの髪が好き。

私の唇が好き。

蜜のような口づけをくれる、切ない吐息を聴かせてくれる、唇が好き。

私の声が好き。

高くて甘い、心に染みこむ、澄み切った声が好き。

私の身体が好き。

抱き締めると折れてしまいそうな華奢な腰が、

薄くて、でも形の良い胸が、

重ねた肌から伝わってくる温もりが好き。

でも、一番好きなのは私の心。

脆くて、傷つきやすい、でも、どこまでも純粋で美しい、

決して誰も責めたりしない、全てを許す優しさに満ちた魂が。

好きよ。

大好き。

私の全てが愛おしくてたまらないの、姫子

2015-06-11

性欲の対象がいない

えっと、こういうことをここに書くべきか悩むのですが、人に対して性欲が沸かないんです。

女性相手であろうと男性相手であろうと、いっさい性欲が沸かない。

から風俗やら痴漢やらを見ると、「なんだこいつら」と思ってしまう。

AVで男女が抱き合ってるのなんてもう吐き気しかしないし、それを好んで見ている人間軽蔑眼差しで見てしまう。

では、そんな私には性欲がないのか? 答えはノーだ。

性欲もあればオ○ニーもする。

ここから先は文字どおりほとんどオナ話なので、不快なら無視してもらって構わない。

もはや、私の主体三次元にはない。

オ○ニーをするとき、私は二次元なのだ

私は二次元世界少女であり、その私を気持ち良くさせるモノがそこにはある。

それは玩具であったり触手であったり、とにかく身体を拘束されて無理矢理…というのが好きらしい。

妄想の中の世界で、イかされ、抱かれ、求められる。

そんな感じで性欲を解消しているのだが…

多分、似たような人間は少ないと思う。

少なくとも、自分以外に同じ性質を持った人間とは出会ったことがない。

どういったところへいけば、同じ性質を持った人と出会えるだろう。

同じ考え方をする人間のいない世界は、不安だ。

2015-06-10

幼女先輩アイカツの硝子ドール共感しているのではと考えると驚く

俺みたいな人生どうしようもなくなったピータパン症候群のオッサンが共感するような歌だと思うんだよなあれ。

まず出だしからして

乱反射する眼差し

鏡越しに誰かが見てるの?

ビロードの重い空

ざわめく風が昨日までとは違うのよ

だぜ?

こんな世界観が渦巻いてる幼女先輩がおるんかい

そもそもビロードが分からないだろ。

単語意味を知ってもそこからイメージされる滑らかで儚く冷たくそれでいてどこかドッシリとした質感が分かるのだろうか。

薄く重々しい布に天蓋のように自分世界を覆い尽くされたかのような感覚幼女先輩に分かるのだろうか。

昨日とは違う特別今日、その閉じられた世界から解放される日が訪れるような錯覚幼女先輩は感じたことがあるのだろうか。

声を聞かせて 姿を見せて わたしを逃がして

ねえ、鍵が壊れた 鳥籠の中ひとり ずっと

何者か分からない誰かにすがり、もはや逃げ出す方法も分からない場所から連れだされることを望むのだろうか。

それが本当は己の中にいるはずの勇気を持った自分自身であることを知っているのか。

本当に来るとは思わないヒーローの登場を望むのか。

それが幸福をもたらす白馬王子なら分かる。

しか自分の心の檻からの救済を幼女先輩が望むのだろうか。

永い物語よ 自分だけに見える鎖に繋がれたまま

夢を彷徨ってる 待ちくたびれた顔の 硝子の瞳がふたつ

もうやめにしたいのに 終わりが怖くて

またくりかえすの

自分を縛るものが己の生み出した幻であるという感覚幼女先輩理解できるのだろうか。

酔生夢死の日々の中、鏡越しに映る鎖になど縛られていない自分が呆れた顔で自分自身を見つめ返す感覚

それを終わらせたい自分気持ち、恐怖とのぶつかりあい、そして敗北する勇気、何万回も負け続ける心の戦い。

感情アラーム

引き裂いて欲しいこの世界ごと

窓を打つ雨音に

耳をすまして朝の気配を探してる

終わらない夢を打ち切るための知らせ。

それは何でもいい、どんな無機質なものでももはやかまわない。

ただその時が来るのを待ち続ける。

終わらない夜と降りしきる雨の中でただ時が過ぎるのだけを待ち続ける。

夜は明けるの? 時は満ちるの? あなたは来ないの?

ねえ、錆びた扉が 光を連れて来るわ 今日も…

夜明けはこない、時が過ぎても問題は解決しない、誰も助けてはくれない

それでも希望だけは確かにやってきてはいた。

しかしそれを掴む勇気自分にはない。

永い物語ね 深い森の奥で目覚めて眠りにつくの

夢にたゆたうように 守られていることも 守られていないことも

全部わかっているけれど 本当はどこか安心している

永久時間孤独自分世界で過ごし続ける

曖昧現実感の中で生きる。

それが他人との関わりの中で成り立っているのは分かっている。

それが他人と関わっていないからこそこうなっていることも分かっている。

だけど抜け出せない。

この状態でバランスが取れてしまっている。

不安定な状態へと踏み出していく勇気がない。

ああ、このままここで朽ちてしまえたなら…

うらはらに何故 消せない予感

旅立つわたしがいる、いつか

このままを続けて人生の終わりまでたどり着きたい。

この状態は自分の中で安定してはいるのだから

だけどそれが自分の望むものでないということも分かっている。

本当は踏み出したい。

本当は踏み出したくない。

どちらも自分の本当の気持ちだ。

永い物語よ 自分だけに見える鎖に繋がれたまま

夢を彷徨ってる 待ちくたびれた顔の 硝子の瞳がふたつ

もうやめにしたいのに 終わりが怖くて

またくりかえすの

このまま最後までこのままなのだろうか。

あやふや人生を終わらせたいと願っている自分が心のなかで背中合わせに立っている。

それでも踏み出せない。

から今日もまたこの生き方を続けてしま



なんて感覚幼女先輩に分かるのか。

積み上げすぎた惰性に埋もれた人生から抜け出せないままいつかそこから抜け出す自分を夢見る感覚が。

自分の殻の中でニヒリズムセンチメンタルに浸って少しだけ優雅な気分を味わうことで無聊を慰めるのか。

なんなんだ幼女先輩は。

おっさんが何年もかけて積み上げた絶望感を生まれながらにして持っているとでも言うのか。

2015-05-31

自慢だ

オレは娘達と同じ会社に勤めている。

休みに一緒にランチし、帰りは一緒に帰れたら帰る。

娘達は母親に似て美人だ。

綺麗な嫁と綺麗な娘達、そして羨望の眼差し

これこそに幸せを感じる。

2015-05-27

政治運動としてのフェミニズム学問としてのフェミニズム

http://anond.hatelabo.jp/20150526190042

フェミニスト正義の味方じゃねえ、圧力団体だって何度言ったら分かるんだよ!

これに基本的に賛成。もちろん、ごく一部に学問的にフェミニズムを扱おうとしている人(研究者)もいて、そういう人は当然メンズリブとかにも造詣が深い。近年、こういう立場フェミニストの人たちが発言する機会も多いので、なんだかそういうものであるような気がしてしまうけど、フェミニズムの全体から見ればこれは例外であって、やっぱりフェミニズムっていうのは、あくま女性という利害集団による政治運動だってことを忘れてはいけないと思う。それに加えて、政治運動としてのフェミニズムも、戦略的に「これは女性だけの問題ではない」というロジックを使うことが多いので、そういうものだと納得してしまいがちだけど、これは経団連トリクルダウン理論を持ち出すような話で、それがあるからフェミニズムが(女性に限らない)普遍的政治運動になれるわけではない。

なので、自分フェミニズムに同情的な方だし、ネット議論ではほぼフェミニズム側に立つ意見を持っているけど、絶対フェミニストにはなれないと思っている。同情的な気持ちになったところで、彼女たちの利害をむき出しにした主張に触れると、相容れないものを感じて、はっと気づかされる。そりゃそうでしょ、そもそもが男性女性利害対立問題なんだからフェミニズムには政治的に賛成できないというのは当然。フェミニズムが絡む問題について、多数決投票があったら、男性フェミニズムと反対の意見に一票を入れることになる場合が出てくるのも当然。ただ、「彼女たちがそう主張するのはもっともだ」と考えるし、倫理的思想的意義は高く評価している・・・自分はこういう立場だけど、おそらく、これが(セクシュアリティ的に)通常の男性による「男性としてのフェミニズムへの理解」の限界だと思う。

そして、このあたりの難しさが、最近ネットなどでフェミニズムへの反発が生まれる原因ではないだろうか。男性価値観の束縛されて苦しんでいるような人が、フェミニズム救世主的な眼差しを送るけれど、裏切られる。でも、それはまさに「政治運動としてのフェミニズム」に、「学問としてのフェミニズム」の幻影を見てしまうことによるのではないかと思う。

2015-05-09

品乳が好きだ。

例えば前から女性が走ってくるとする。身体のラインがわかるような比較タイトな服装でだ。

そこで男性諸君ならばすかさず期待の眼差しで身体の一部に目を向けるであろう。

慣性の法則に逆らうことができず足並みからワンテンポ遅れて上下運動する部位、つまりバストにだ。

しかし、わたしはあの一見すると物理法則に逆らうような独立した動きを見せるバストが苦手なのだ

その動きはわたしにとって暴力的であり動物的であり母性的でありながらも生臭すぎるのだ。

そんな訝しげな眼差しを持って向けた視線の先で、揺れていないバストがあった時(いや、なかった時と言うべきか)の安堵感は筆舌に尽くしがたいものがある。

まるで独自の生き物のように揺れる先を予測させない不規則運動を繰り返すわけでもなく、全身の上下運動とほぼ連動する形で規則正しく小さく慣性を思わせる動きはまるで足並みの綺麗に揃った社交ダンスを見ているかのような優雅さを感じさせてくれるのだ。

バストが大きい場合は、乳房と下着との接地面積が大きすぎる。

そのため、胸は全体として揺れることを余儀なくされ、足が地面に設置する角度や左右の強弱の違いなどに影響を受けることで動きの不規則さがより強調されてしまう。

それに比べて品乳と呼べるバスト場合、下着と乳房の接地面は胸を形作るワイヤーやパットの一部に限られるため、乳房の揺れを下着に伝える役割は主に乳頭が担うことになる。

それがまるで免震構造のように機能することで、わずかに見せる乳房の揺れが下着、つまり見た目に伝わってしまうことを防いでいるというわけなのだ

ここで想像してみて欲しい。一生懸命に揺れようとする小さな乳房と、その揺れを外部に伝えないようにと必死上下する乳頭の姿を。

これが愛おしくなくて何を愛でろというのだ!

品乳を語る上でこんなことは数ある魅力のうちの取るに足りないような一つの要素でしかない。

ただ世の女性にはわかってほしいのだ。

走って揺れる乳を見れば男性全てが満足するというわけではないこと。

わたしのように毛嫌う人間もいれば、揺れないことにこそ美学を感じる男性もいるということを。

わたしは願っている。全ての女性が生き生きと走り出せる未来を!

2015-05-08

整形してみたい

いきなり一流スポーツ選手になって、その人が見ている世界を体験することは出来ない。

いきなり超優秀な頭脳になって、その人が見ている世界を体験することも出来ない。

いきなり大金持ちになって、その人が見ている世界を体験することも出来ない。

でも、整形をすれば美男美女の見ている世界を体験することができる。

道を歩くだけで羨望の眼差しを集めたり、街でスカウトされたり、電車の窓に写った自分に見とれたりする事ができる。

普通に買い物したり飲食店に入るだけでも気持ちいいだろう。

整形は、これまで見られなかった世界を見せてくれる夢の技術だと思う。

百万ちょっともしもボックスが買えると考えたら、こんなに得なことはない。

2015-04-18

人参加OKな街コン(という名の地獄)

俺はこの世の地獄を見た。

街コンが何故、2名参加を求めるのか理解した。

一人も友達がいないという最低限の社会性を持たない集団が一つの空間に集結するのだ…出会いを求めて

なんという皮肉

愉快な参加メンバーを紹介しよう

三十代後半坊主やけに声が高く、自分母親のことを、ママと呼称する男。携帯には、小学生が喜びそうな金属製の剣のキーホルダーがワサワサ付いていた

あるいは20代前半の男。ハットとネクタイを華麗に決めたオシャレさん風の格好をした男…しか身長が150cm程度と圧倒的に足りず、服がコスプレしか見えない。彼が女性と話す姿は、ついぞ見なかった

あるいは50手前の男。そのにやけ顔が何とも言えない雰囲気を醸し出す

男女比は3:1。数少ない女性を数少ないまともな男性が取り囲み、その周囲を固めるイケテナイ男共が羨望の眼差しでその様子を見ている。

盛り上がらない会話、愛想笑いで塗り固められた表情。日頃、いかに人間同士で会話していないかよく分かる

しかし、最大の恐怖は、自分自身がまぎれもなく、この集団に溶け込んでいることだ。モテナイ男はこれほど、惨めで小汚く情けないものだということが、体感できる。

お値段は男性一人、六千円少々。それがカシオレ数杯と僅かな料理に変換されていく。地獄への往復キップだと思えば安いもの

2015-04-09

学級会たのしー(棒

刀剣乱舞という最近流行コンテンツ毎日場外乱闘ネタに事欠かない

自分のようなマイナー畑で育ってきた下種はそれを遠巻きに見て(渦中に飛び込まないという意味で)人が多いと大変だなってnrnr思っているわけだ

だが、自分萌え他人萎え他人萌え自分萎え不可侵で行こう、ができない人があまりにも目立ちすぎやしないか

もちろん数が多いのかどうかはわからない。だがとにかく、声が大きいものというのは目立つの

例えば先ほど不思議に感じたのが、審神者絡みのCPを見て「○○はそんなに審神者が好きじゃない」と言う人は、自分の推しCPについてはどう思ってるのだろうか

回想がある組ならまだしも、そんなこと言ったら大抵のCPは「そんな描写はない」って一蹴されるものだと思うのだが

それに対して歴史から鑑みて関係のあるCPについては史実が!と言うのかもしれないが、史実だってゲーム内にそんな描写はない』事が多い

例として元主関係の部分上げるが、そこを愛ととっても尊敬ととっても憎しみととっても現状すべての可能性があり得る程度の描写しかゲーム内ではなされていない。その刀の逸話を調べて属性に取り込むのはもちろん自由だが、ゲーム描写されていない以上、現状あくまで、二次創作の域を出るものではない

もちろん推しCPなど存在せず、完全にゲーム世界の中だけのキャラクター達そのままを愛して、二次を一切見ない人になら冒頭のそれを言う権利はある

だがそうではない人間自分解釈と違うものを声高に糾弾してる様はお前が言うなしか言えない

これが建前上18歳以上しかいないジャンルかと思うと、ジャンル外の冷ややかな眼差しが痛い事だ

まあ何が言いたいかって、うるせえ黙れ馬糞ぶつけんぞということです

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん