難病医療費助成制度の対象から外れている難病患者も同じく福祉の網に引っかからなかったりします。
死ぬし歩けなくなるし激しい痛みが伴う重い病気であってもです。
あなたの場合は持病が原因で死にたくなっているのではなく、抑うつ症状が原因で死にたくなっているように見えます。
もう終わりだと思うのは精神的な病気がそうさせている可能性があります。
健康問題に由来する生き地獄を想像するに、たとえば人工透析が必要な身体に自分がなったと考えてみよう。
数日おきに行う透析は辛いだろう。それが控えている日々や時間も安らかではないだろう。
そして平均すれば健常者よりも短い生涯を終えるのだろう。
貴方はパソコンかスマホが使える、つまり知の革命たるインターネットに繋がる歴史的に大変恵まれた状況に生きている。
膨大な情報を得て学ぶ事が可能だし、自らの思索や創作を世界に向けて発表できる。
貴方が恵まれていないのはただ肉体的な健康のみであって、それ以外の点では大いに恵まれているのではないか。
もちろん健康が何よりも大切で尊いという評価もあるだろう。しかし今とこれから何ができるか、最大限のところを想像してみて欲しい。
無理な事、困難な事よりもきっと何とかできそうな事が溢れているのではないかと思う。
これは経験則だが、具体的に想像できることはかなりの確度で実現する。
まず想像する事をしてみて欲しい。
穏やかな春の太陽のように誰に対しても優しい人だった
あなたは優しすぎるがために
ときどき静かに傷ついた
それでもまっすぐであろうとし続けるあなたにわたしは惹かれた。
私はどこか曲がっていて
それでも私はどこか曲がっていた
そんな曲がった私にあなたは惹かれた
あなたの部屋で酒を飲んでいたわたしたちは、どちらからともなく自然にキスをした
あなたの少し緑がかった瞳はまっすぐに私を見つめていた
私は目を閉じてあなたに全てをゆだねた
最初はお互いの唇の感触を確かめるように、そして次第にねっとり深いキスをした
かすかな雨の音と、2人の深い息遣いだけが部屋を包み、まるでこの世界には私達2人しかいないかのような錯覚に陥った
あなたはわたしの腰を抱き、服の中に手を入れて背中を優しくなぞった
2人の呼吸はだんだん荒くなり、あなたはわたしのカーディガンとブラウスのボタンをそっと外した
あなたの指がわたしの背中をなぞり、首筋に優しくキスされると、ぞくぞくするような昂りを感じた。
2人は狂ったように抱き合い、互いに欠けたものを探し求めるように愛しあった
あなたは潮の満ちたわたしの海に潜り、わたしは全身であなたを受け入れた
一生分の幸せを使い果たしてしまったような気分で、死んでもいいと本気で思った
その夜を境にあなたと私の間には何かが生まれ、同時にそれは崩壊に向かって時を刻みはじめた
相変わらずあなたはまっすぐで
わたしはどこか曲がっていて
冷たい雨の音はあなたが果てたあとも当たり前のように続いていた
それからわたしはいつも土曜日の夜にあなたの部屋を訪ね、2人で酒を飲んでセックスをした
あなたはは毎回新しい発見を与えてくれて、けしてわたしを飽きさせなかった
身体を重ねるたびにわたしたちはどんどん惹かれ合った
セックスのあとわたしたちは裸のまま眠くなるまでいろんな話をした
好きな映画や音楽のこと、昔の恋人のこと、近所のまずいラーメン屋のこと、行ってみたい国のこと、上司の不倫相手の話とか
夏と秋が過ぎ去って冬がきて、また春がきた
相変わらずあなたはまっすぐで
わたしはどこか曲がっていて
ただそれだけだった
妹が留学したこと、近所の野良猫が事故で死んだこと、宇宙の端っこはどうなってるかということ、いちばん美味しいパスタの食べ方は何かということ、上司の不倫がばれて離婚した話とか
思いつくかぎり、ありとあらゆる話をわたしたちはした
でも不思議とわたしたちは、2人の未来についての話は全くしなかった
わたしはそれにうまく答えることができなかった
もちろんあなたのことは狂おしいほど愛していた
でも、2人が互いを求めて愛し合うほど、あなたとの間にある目に見えない透明な壁のようなものをわたしは感じた
あなたのことを知ればしるほど、惹かれれば惹かれるほどその壁は重く、冷たくわたしとあなたのあいだを阻んだ
なんというかそれは、2人の力ではどうしようもない種類のものだった
わたしは、あなたのX軸にどれだけ近づいても、永遠に交われない反比例曲線のように
どこか曲がったわたしはどうやってもあなたと寄り添えなかった
あの冷たい雨の降る夜、あなたとそうなるべきでなかったのは、わたしには最初からなんとなくわかっていた
でもそれはどうあがいても変えようのない運命であったような気がする
あなたはどこまでもまっすぐで
なんとなくものたりない。
し、頼むと高くなる。
でもだからってミラノ風ドリア追加、とか恥ずかしい、し、それは多い。
ごはん大盛りとかそうじゃない。
デザート頼むとかお門違い。
上手くいかない。
そしていいかげんご飯を平皿に盛るのやめて。
冷めるし。食べにくいしごはんつぶ取れないし。
そもそも歴史修正主義という言葉はもともとは歴史学において、歴史を叙述し直すことを主眼とした、歴史学における試みの一つを表す。
一般には、伝統的な歴史解釈に対し、別の可能性(仮説)や、可読性(読み方)を提示する試みをいう。
つまりただ単純に新たな資料から考えなおしてみることを指しておりそこにイデオロギー的な意味等は含まれていない。
有名なものとしては以下の様な物が歴史修正主義の立場から新たな観点として持ち込まれた。
鎌倉時代の始まりについてはニュース記事などになっていたりするので知っている方も多いと思う。
いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府という覚え方をした方が多いと思うが現在では1185年の成立説が優勢になっており
中学や高校教育での教科書などでも1185年に改定されている場合が多い。(らしい
というように主に歴史学において使われる言葉ということになる。
ホロコーストは存在していなかったという言説を声高に掲げる勢力が台頭してきた際に、彼らは自らのことを「歴史修正主義者」と名乗った。
つまり、正しく歴史を認識しているのは我々であり正しい形に修正するというような意味合いで彼らは使ったわけだ。
そしてこれらに反発した人たちが当然出てくる。
そして彼らもまた、ホロコーストのように広く知られた事実を否定する「歴史修正主義者」たちを悪し様に言うようになった。
といったような内容を発言する人もいる。
しかしながら私はこの歴史修正主義という言葉そのものが非常に危険なフレーズだと思っている。
通俗的な意味としてwikipediaには以下の様な意味で記述されている。
ある特定の歴史家が、反対者の歴史観に対して、否定的な印象を広く一般に植え付けるためのレッテルとして用いることがある。
この用法による「歴史修正主義」とは、「客観的な歴史学の成果を無視し、都合の良い過去は誇張や捏造したり、悪い過去は過小評価や抹消したりして、
自らのイデオロギーに従うように過去を修正するもの」であったり、「既に修正された歴史観の再修正をするもの」という意味で使用される。
特定のイデオロギーを持つグループが反対グループに対して使用される。
「慰安婦が存在しない等というのは捏造だ。歴史修正主義者はこれだから」
ただ、現状のイメージとして、左派が慰安婦否定論等を使う右派(ネトウヨ)に対して使っているイメージが非常に強い。
特に安部総理に対して使っている記事やはてなブックマークのコメントでもで散見される。
Twitterなどでの論説を見るとレイシズムなどと歴史修正主義を結びつける人がいたり、非常に安易かつ混同した使い方をする人がいる。
もちろん、慰安婦が存在した資料をしっかり示したり、きちんとした言葉で反論するのであればそれは非常に健全であるし、どんどんして良いことでは有ると思う。
しかしながらこの言葉を安易に使いすぎると非常にまずい状態になってしまう可能性があるのではないかと思うのだ。
特定のグループ内で共有されている歴史的に正しいとして考えられている事と正反対の意見を述べるグループに容易に
歴史修正主義者という非常に「ネガティブ」な意味合いを持つ言葉でレッテルを貼るという行為がもし広まった場合、議論が成立しなくなってしまう。
歴史学は基本的に異なる説がいくつも存在しており、その中で多数派であったりするものが教科書などに採用される。
だが、そこには明確な証拠や、非常に練った方法で歴史を調査・推定しているのだ。
ただ、その場で相手を悪し様に歴史修正主義等と批判したりすることが容易に行われた場合どうなるのか? 当然反対意見がのべづらくなってしまう。
なにせ歴史修正主義という言葉のバックボーンにいつの間にかレイシストという意味がはびこってしまっっており、反対意見を述べたに過ぎないのにレイシスト等と罵られる事と同義になってしまうのだ。
もし、南京事件が存在しないという論が日本国内で多数派になった時どうするのだ?
今度は劣勢になった側が歴史修正主義者、つまりレイシストと言われるようになるのだ。
そうなってしまった場合どんなに資料や証拠を突きつけても覆すことが非常に難しくなる。
「正しくない歴史を主張するものは差別主義者であり、キチガイなのだから当然だろう?」
こんな使い方を考えなしにのべつ幕なしに使っていれば自分の首を締めることにもなりかねないだろう。
もし反対の意見を述べるのであれば安易なレッテル貼りを行うのではなくきっちりと資料や発言等を引用して反論することを強くおすすめする。
便利だからってアホみたいに使っちゃ駄目よ。
以上。
4月になるといつも思い出す昔の話がある。
交際はうまくいくと思っていたが僕は病気を持っていた…
彼女が僕以外の男と仲良くすることに非常に嫌悪を抱き、取り乱すほどに嫉妬していた。
僕はとりわけ彼女が僕の知らない男と一つ屋根の下で夜を明かすことが許せなかった。
彼女は別にやましいことはしていないことはわかっていたが許せなかった。
やがて、彼女がそのような行事から帰ってくるたびに強く当たるようになり、
好きなのに、優しくしたいのに、うまく伝えられなくなってしまった。
結局、交際はうまくいくはずもなく、この次の春に別れた。
誰とも交際をすることなく10年ほどを経て今に至る。
確実に僕は異常なのだろう。
しかし、未だに、自分の彼女が他の男と関わることを考えただけで
強い吐き気をおぼえるのだ。
逆に法人設立の方について調べてたけど最低でも云十万単位でぶっ飛びそうだなぁ
>商標(ロゴ、テキストでの「Amazon」を含む全ての商標)のご利用には
>法人向けAmazonギフト券の売買契約締結、弊社の使用許諾が必要です
ってでっかくかいてたけど「どこかの電子マネー100円分」とかで伏せて
使えば問題ないんかね?
短大を卒業する間際、友人にKis-My-Ft2のコンサートへ連れていってもらった。「地元に来たら行ってみたい気がする」という私の曖昧な興味を拾ってくれた友人は律儀に二公演分チケットを用意してくれた。初めてのジャニーズのコンサートは非現実的な世界で、圧倒的なきらめきを私はからだいっぱいに浴びた。あれから4年と少し、私はまだジャニオタのままでいる。
ジャニオタになった経緯はさておき、私は「自閉スペクトラム障がい」と分類される人間である。耳馴染みのないひとも多いだろう。いわゆる、アスペルガー症候群である。
そう診断されたのは割と最近のことで、自閉スペクトラム(以下、ASD)として、ジャニオタとしての生活を振り返ってみようと思う。概ね自分語り。
【初対面は意外と苦ではない】
Twitterで知り合い現場で会い、お知り合いになる…という人はかなりいるのではないだろうか。私にもそうしてお知り合いになったかたが何人かいる。けれどそれは一対一であるから成立するのであり、これが(私を含み)三人になるだけでコミュ障が発動してしまう。
キスマイのデビューツアーのドーム公演、私と友人夜行バスに乗り込んで東京へと向かった。東京では友人の相方と合流して、その日一日を3人で過ごした。一日一緒にいたら少しくらい仲良くなるものだろうが、私は友人の相方とろくに会話をした覚えがない。今思えば、私は彼女と話が出来ない分友人にばかり話かけていた。ただただ反省するばかりである。のちに彼女とは一対一で現場へ行き、今では彼女の家にお世話になるくらいには関係が発展した。
以前、勤務していた会社では、過出勤の場合は代休制で休みを取ることになっていた。本来土曜日は隔週出勤であったのだが、月に2回以上土曜日出勤をすると代休として好きな日に休むことが出来た。私はその代休を現場の日に充てた。チケットも当選していて、平日に友人と現場に行けることをとても楽しみにしていた。しかし、事務の先輩が一足先にその日に休みを申請してしまったのだ。私は人に話しかけることが非常に苦手で、ちょっとしたことを聞く(話しかける)までに何十分も何時間もかかってしまう。いつ言おうか、とおどおどしている間になにも知らない先輩が先に休みを入れてしまった。事務所内に事務の女性は私と先輩のふたりで、基本的にどちらかが出勤していないといけない。自業自得ではあるのだが、休む気満々であった私はパニックになってしまい、とにかく早くチケットの交換をしなければと昼休みに友人に電話をかけた。頭は大混乱で、更に約束を破ってしまったと自責の念にかられてしまい電話中にわんわん泣いてしまった。予定通りにいかないとパニックに陥ってしまう、ASDの特性だったのではないかと思う。
結果的には私も先輩も休みが取れ、交換もすることなく現場には入ることが出来た。このパニック杞憂に終わったのだが、のちに先輩がもっともらしい理由を付けて代休を取っていることを知り、ますます先輩に話しかけづらくなったというコミュ障話もあるのだが、書いていたらただの悪口になったので省略する。w
【ひとりか、一対一か】
最初の項目でも説明したのたが、わたしは複数人で行動することが非常に苦手である。学校に通っていた時分には臆病さを矜持や驕りで誤魔化していたこともあったが、基本的にひとりでいることが好きだ。現場もコンサートであろうと舞台であろうとひとりで行くことが多い。むしろコンサートでは全く声を出すことなく自担ロックオンなので、これまで同行してくださった方にはいい思いをしてもらえなかったのではないかと思うと申し訳なくて仕方がない。
嬉しいことに、現場の日に食事やお茶をするお知り合いが出来、現場の日以外でもそういったお付き合いが出来ている。ただし前述のとおり複数人の付き合いは苦手なので、共通の知り合いがいたとしても一対一でしか会ったことはない。
ASD含む発達障がいには二次障害と呼ばれる精神疾患が付き物である。私は幸いにも疾患となるほどではないにしろ、多少気分の不安定さなどが気になるときがある。気分が落ち込んでいると振り込みを忘れてしまうし、あとから探す気力も出てこず、結局流してしまったりする。また乗り物が非常に苦手で、最近では長時間電車に乗ることが出来ず当選したにもかかわらずその公演を諦めてしまった。ヲタ活をするにあたって、くやしいこともあるけれど、自分のからだとこころが一番である。
*
さて、ここまで自分のASDとしての特性とジャニオタ生活を振り返ってみたけれど、ASDの大きな特性である「過集中」「すさまじいまでの興味・こだわり」は、私の中にはあまり感じられない。大人の発達障がい自体、過剰診断されているようだし私もそのうちに入ってるのかもしれない。だがこれだけは言わせてくれ。私はジャニオタになってもコミュ障炸裂してます!!!!というのはおいて。それでもこんなコミュ障で自分のきもちが上手に伝えられない私に、きらめきを降り注ぎ続けてくれているアイドルはずっと応援していきたいと思うし、コミュ障でなかなか喋り出すまでに時間がかかる私とお付き合いしてくださってる方々に感謝を。
支離滅裂になってきたぞ。おそまつさまでした。
言葉が足りなかったな、すまん。
さすがに日刊ではない。季刊ぐらいかな。
4/8、テアトル新宿にて『劇場版テレクラキャノンボール2013』を鑑賞した。
女性一人でR18作品を映画館で鑑賞することに少々抵抗はあれど、観客同士の一体感が味わえるからおすすめとのレビューを信じ、劇場まで足を運んでみることに。
サブカル界隈で評価が高いから期待していたけど、私は面白いと思えなかった。
美女2人とのセックスが賞品として用意されてはいるものの、それはほとんどレース参加者の原動力になっていない。それなのにただひたすら優勝を狙いにいく姿勢は素晴らしいと思った。
一人当たり数分程度の短い時間の中で、それぞれの女性の魅力がセックス前・中・後の言動からきちんと伝わってくる。この辺に関しては10時間版も観てみたいな~と思わなくもなかったり。
こういう場面で男性客が爆笑していたけど、容姿の美しくない女性は嘲笑の対象でしかないということを再認識して、胸をえぐられた。
劇場って他の観客と同じ感情を抱けたら一体感を味わえるけど、逆の感情を抱いちゃうとめちゃめちゃ居心地悪い。
他のシーンでは爆笑していた女性がこういったシーンでは全く笑っていなかったので、彼女がこの映画をどう評価するか聞いてみたい。
この2人に対するカンパニー松尾の言動が、職場の若い未婚男女を本人たちの意思を無視してくっつけようとするめんどくさい中年社員みたいで引いた。
さらにあそこまで監督が二人に対して働きかけちゃうと、この作品のキャッチコピー『ヤルかヤラナイかの人生なら、俺はヤル人生を選ぶ』にみられる「個人が決断する勇気」から遠ざかってしまうように感じる。
最寄の図書館はものすごい蔵書数。ネットで気になった新刊も、検索すればあら一発。すぐに予約して、最寄の分館へ引き取りにいける。
貸し出しも完全機械化、返却はポストに突っ込むだけで、対人のやりとりはほぼゼロ。楽ちん。
めちゃめちゃ便利でとてもお世話になってます。これからもお世話になります。
ついでに言うならば、館内で読んだ本を片付けてくれるといいなあ。たくさん調べ物をした後に、何冊も棚に戻す際に、うっかり間違ったところに入れちゃうから申し訳ない。国内の図書館で片付けてくれるところは聞いたことがないな。
昔、アメリカに住んでたときに、逆に自分で棚に戻さないで! ってくらいの勢いで返却カートが山ほどある図書館をいくつか使ってて、あれは便利だったなと思う。まあ、目当ての本が人気だと棚から見つけられなくなるだろうという欠点があるけど。
ガンに掛かってた親父が死んだらしい。
母親から去年に電話が掛かってきた時は「ガンの告知を受けるので来てくれ」というコトだった。
俺がそれを断ったことで言い争いになり、もう絶縁したと思ってた。
夜中、ふと目が覚めた。隣には親父が寝ている。
私「!?」
私(もう歳だったからな……)
御年68歳。
きっと親父は一人息子である私に最期のお別れを言いに来たのだ。
おい、何か言ってくれ。せっかく来たんだろ?
黙して語らない親父は不自然であった。
だが、親父にも増して私が不自然であった。
頭はぼんやりしているが、夢を見ているわけではない。覚醒した状態なのだ。
起きる→親父を見る→寝る→起きるを5ループくらい繰り返していた。
眠いのを我慢して無理やり起きている状態を維持し、耐え切れずに寝る。この繰り返しだ。
私(ラリっとるだけちゃうか?)
私は自分がベンゾジアゼピン系睡眠薬の濫用者である事実に思い当たる。
その夜も"適量"を服用していた。
睡魔との戦いは濫用者へ課せられた試練である。寝てしまっては酔い心地を味わえない。
親父を見ている時に襲ってくる眠気は眠剤のそれに酷似していた。
親父は幻覚だろう。
ベンゾジアゼピン系睡眠薬の忌むべき副作用に"幻覚"があるのだ。
本当はハルシオンのようなウルトラショートが眠剤遊びには向いているのだが、諸事あってロングしか手元になかったのだ。
効き目の長い眠剤ゆえ、私は5回も親父に会うことになった。
この話にオチはない。