2015-12-03

公共団体デモクラシー

都道府県市町村、もちろん国家だとか、公共性の高い観光協会だとか商工会だとかもそうですが、そうした団体が、アニメゲームタイアップとか、さらに言えばツタヤタイアップとか、こうした事象が「社会問題化」しています

なぜ問題になるのかその原因はというと、私は「デモクラシーが成立していないから」だと考えるわけです。

例えば市町村が、「萌えキャラ」にしろゆるキャラ」でさえも、そうした広報、というかむしろ広告宣伝ですが、そういう行政します。そうすると、市町村構成員であり最も基本的利害関係者(ステイクホルダー)は、そこの市町村民です。そこではたして、そこの市町村民の意思が、その広告宣伝活動に反映されているのでしょうか?

例えば武雄市などがツタヤと「タイアップ」したわけですが、これも市民意思が反映されているのでしょうか、また、市民の利害に目を向けられているのでしょうか。

選挙で勝ったから」という理由で、首長が何をしてもいいという風潮になっていますよね。その選挙でその候補者投票した人がどのくらいの割合なのでしょうか? そもそも、全員一致で当選したとしたって、個別案件市民意思を完全無視していいという理屈は立たないと思います

それに、投票の拒絶されている人(例えば未成年者)の利害に目が向けられていますか?

また、その施策が実行された後、将来になってその施策の利害を負わされる人への眼差しにも欠けています典型的には、日本の「借金」の件もそうです。世代間の「支えあいモデル破綻した公的年金もそうです。だから率直に言って、「こういう無責任な人たちには人間の血が通っているのか?」と思いますよ。強権的(ポピュリズム的)な思想と、儒教的な(年長者を尊敬し、子孫に責めを負うという)思想が混在し、致命的な矛盾を起こしていると思います

さてともかく、「選挙で勝ったから」という発想でさえも問題があるし、「俺が責任をとる」と云われても、損害が出てからお前が腹を切っても損害が無かったことにはならないわけですね。

ましてや、具体的で個別的施策決定はむしろ首長ではなく職員が決めていることが多いと思われます首長は、上がってきた案にサインするだけかもしれませんし、ましてや「聞いていない」ことすらありうるのではないかと思います。そうするとつまり、その施策には住民意思を反映するプロセスがあるのか、ということが問題であるわけです。

例えば、東京オリンピックエンブレム問題もやはりそうなんですね。東京都がやるんだったら、東京都民意思を反映しないといけないのに、むしろ密室的に行われていたわけですよね。

このような問題はですね、そのまま、「日本国」の問題でもあります政策決定しろ道路を敷くだのダムを建てるだの原発を建てるだのもそうですし、「消費税」を上げるとかいうのもそうです。さらには、広報ポスターCMに誰を採用するかというところにも、1件あたりならばたか個別案件でも、継続的に、特定タレントとか広告代理店とかを使っていくことが慣例化するともう、個別案件だといって済むとは思えないと感じます。(ちなみに、こうした問題点を軽減するための手法に「パブリックコメント」の制度があるわけです。)

そして、例えば、市町村だとか商工会観光協会特定アニメタイアップすると、当該市町村はそのアニメイメージを負うことになります。そうすると、市町村民もそのイメージと影響を負うことになってしまます市町村民は意思決定プロセスに関与していないのに、利害を負わされるわけです。

それがかりにどっかの中小企業宣伝タイアップしたというのならば、それはその企業の「自由」だということになるのでしょう。上場企業だったら株主に責を負いますが、少なから株主は「儲けてくれればいい」と思っているので、実際に収益が出れば文句は出にくい、つまり問題化はしにくいかもしれません。

それでも例えば鉄道事業者がやったら、その列車に乗る人みんなが、その作品だかなんだかを(事実上強制的に)見せられたり、さらには車内アナウンスまでも差し替えられて聞かされたりするわけです。そうすると、たとえ私鉄、「民間事業者」であったとしても、無難な選択にとどまって、「大冒険」はすべきではないというのが原則だと思われます

ですから事業性質や規模によっては公共性が高くなり、決してプライベートでは済まされないことがあります

話が長くなりましたが、昨今の騒動をみると、「大冒険をするな(最大公約数的であれ)」という主張と、「大冒険を許さないと社会が改まらない」という主張の二極対立、デジタル的・バイナリ的なコンフリクトになっているように思います

しか問題本質は、「大冒険」をしても良い場合でも、その決定プロセス構成員利害関係者の意思を聴き反映させなければならない、ということにあるのです。

それを言い換えればデモクラシーだというわけです。

日本人」はデモクラシーに未熟なのだと思います

問題本質は通底しているのに、そうした事件一つ一つを分断して個別化し、洞察反省をしない習性が今の「日本人」にあるように思えます

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん