はてなキーワード: ロックバンドとは
件のまとめではNANAが「ロックバンドサクセスものだと思ってたのに昼ドラ延々やっててがっかりした」「レイプされても喜んで結婚するような主体性のない女が主人公で教育に良くない」「女には恋愛しか素晴らしいものがないようなメッセージの作品」みたいな的外れな批判ばっかだったけど、期待するものがほんとにおかしいんだよな
愛着形成ズタボロだから薬だの成功だの恋人との絆だのに依存しないと生きてけないようなメンヘラ達の話をそもそもしてるわけで。だからこそ東京の華やかな芸能界舞台にしてるのに(ズタボロ愛着形成に関わりがある)地元のメンツの中でほぼ全ての人間ドラマ完結しちゃってるし。
サクセスストーリー要素は有名になって見返せなければ死ぬ!っていうナナの脆弱な自尊心を表現するためのツールでしかない。
ハチが恋愛体質なのも自分がキャリアに繋がるようなこれという特技や熱中できるものが(見つけられ)ないから仕事が続かなくてその不安や虚しさを埋めるようにやってる面も示唆するモノローグもたくさんある。同時に自立や自己実現できないのはそんなに悪いことなのか?っていうメッセージもある。
バンド側は成功に取り憑かれて人間として当たり前の情がスカスカになっていくことに自分で病んで自爆していくし。
二本樹⇨性被害を受けた全日空ホテルの鍵の形状から「合鍵を作成しジャニーに渡した」事になり、ホテルの信用問題に発展。文春が記事を編集するも魚拓済み https://onl.tw/MCnUHCu
https://twitter.com/diver_down_fly/status/1663168501887160320?s=20
こういう嘘つきはアウト。
素行不良なのも嘘つきだとわかる。
@aoyagi_h
1時間
ジャニー喜多川前社長からの性被害を訴えている元ジャニーズ事務所の橋田康さん始め3名の方々が、児童虐待防止法の改正を求める39,326名分の署名を持って維新の衆議院控室に来られました。芸能界だけでなく幅広い場で未来の子どもたちを守りたいとの思いをしっかりと受け止め、党の対応を協議します。
アメリア。
@sanbonAmeria
二本樹さんは講師として勤めていた塾の女子生徒を問い詰めて性被害を聞き出したと話しています。
この話がもし本当なら、問い詰めて無理やりカミングアウトさせ、児童の心を傷つける行為をしたと感じていますが、これは精神的な児童虐待にはならないのでしょうか?
重大な問題です。精査してください。
アメリア。
@sanbonAmeria
1時間
証拠は何もなく、証言のみなのに「あった」という既成事実になっています。
所属タレントや元タレントのお子様にまで、誹謗中傷や公式アカウントへの卑猥なコメントなど二次被害が出てます。
彼らのこと、彼らの後ろについてる政党・団体、よくお調べになってください。
https://twitter.com/sanbonAmeria/status/1665663804116701189?s=20
暇空茜
@himasoraakane
2時間
PENLIGHTの正体は慰安婦団体キボタネ!! https://youtu.be/Kz27HRI6tSE
ジャニーズを叩いてるPENLIGHTは慰安婦団体キボタネで北朝鮮スパイとつながりのある正義連と強いつながりがあります!!
ジャニーズを北朝鮮スパイとつながってる人達や仁藤夢乃が攻撃してます!
https://twitter.com/himasoraakane/status/1665646986941566976?s=20
@kintsugi_love
あ、ちなみにジャニーズ事務所を執拗に攻撃しているpenlightと懇意にしているキリスト新聞の日本基督教団とは、例の西早稲田のあそこです。
https://twitter.com/kintsugi_love/status/1664789245767331841?s=20
西早稲田とは
https://twitter.com/KurenaiShohko/status/1665367483690401792?s=20
https://twitter.com/KurenaiShohko/status/1665374709750595585?s=20
https://twitter.com/KurenaiShohko/status/1665356496480157699?s=20
@kintsugi_love
朝日新聞くん、君んちの捏造記事で作り出された韓国の反日慰安婦団体に資金提供してるキボタネのスタッフ、penlightの話なのに、何が天声とかおこがましい立場で語ってるの?
毎日死にたいと思っていた、いまでもフラッシュバックが 元ジャニーズJr.の二本樹さん
2023/6/1 16:30有料記事
毎日死にたいと思っていた――。ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害疑惑をめぐって、5月31日に国会で野党の会合に出席した元ジャニーズJr.の二本樹顕理(にほんぎあきまさ)さん(39)が朝日新聞の個別取材に応じ、性暴力によるトラウマに苦しんできたことを明らかにした。「自分には価値がない」との思いにさいなまれ、うつや依存症に苦しんだ日々を振り返った。
二本樹さんは現在、大阪でギター教室を開いている。中学1年でJr.に加入し、喜多川氏からホテルで性被害を受けたという。「ショックで頭が真っ白だった。セルフイメージ(自己像)を砕かれた」。仕事は増え、性加害を受け入れることが活躍につながると思っていたが、嫌気がさし、中学3年のときに事務所を辞めた。
「そこから、両親もさじを投げるほどグレた」。髪を金色に染め、たばこを吸い、酒を飲んだ。無免許でバイクに乗った。「大人を信用できなくなっていた。大人から虐待され、だれも助けてくれないんだと思った」
父親の仕事の関係で渡米し、ロックバンドのギタリストとしてメジャーデビューしたが、自己肯定感は極めて低く、不特定多数の女性と関係をもつ性依存などにもなった。バンドは2年ほどで解散。その後はうつがひどくなり、「毎日、死にたいと思っていた」。21歳で帰国し、半年カウンセリングを受けた。結婚した妻にすべてを話し、少しずつ回復の道を歩んできた。
いまでも体験を話した後はフラッシュバックが起き、吐き気に襲われることもある。それでも、「被害者に、生涯にわたってトラウマを残す卑劣な性暴力をなかったことにはできない」と語る。(編集委員・大久保真紀)
映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれた世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画『BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。
公式サイト: https://bluegiant-movie.jp/
予告編(YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk
今年の二月から上映している本作は、同名の漫画を原作としたアニメーション映画だ。音楽と人間の物語を楽しみながら、ジャズ界の独自の価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。
主人公の宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷の仙台を飛び出し、単身上京する。東京で出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校の同級生で素人のドラマー・玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。
原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成が採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみ(ピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽とアニメーションのコラボレーションの最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境の存在が大きく、Netflixの支配力が高まる現代において、専用施設の役割や可能性を示すことにもなっていた。
今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標が物語の性質に与えた影響について考えていきたい。
映画『BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽の関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味を見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。
演奏者である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身と真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身と対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。
ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽が空気を振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在を再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽や精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語と音楽と映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶるからだろう。
ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽の演奏が聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるもの」であることを実感するが、この映画ではアニメーションの技術やアイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。
また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後のライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blueの舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。
本作はジャズライブの世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーションや人間関係のあり方についても、ジャズ・プレイヤーたちの世界や文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。
ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身の活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズはロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラな状態が肯定され、自助を基調としたコミュニティ文化が成立している。
例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身の問題だから、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮を無用なものとして切り捨てる態度を取っている。
しかし、自分自身の問題であることと、周囲がその解決をサポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ、人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身の問題でしかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。
ところが、ジャズ・プレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれてしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係やコミュニケーションの方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまり「ジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。
「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョなワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズの性質を、人間関係のアプローチに転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。
この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助の圧力が高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身の問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。
この作品にはもう一つ、物語の性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。
大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一のジャズクラブ・So Blueのステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。
ジャズマンにとってのSo Blueは、野球の甲子園やラグビーの花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園や花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから「権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。
JASSはSo Blueの支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイが否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者が凡庸な人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である。
また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分が評価していないギタリストと共演しても、相手が一定のプレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分のソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界の人間もたくさん集まる。駄目バンドの烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威が肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。
若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズ・プレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。
映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画『BLUE GIANT』は、ジャズの美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの(自助を前提とした人間関係やコミュニケーション、権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。
それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助を強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽だけが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。
※「推し」という言葉が好きではないので、「好きな俳優」と書く。
※当日券で観劇できるレベルの2.5次元舞台に足を運んでいた。
※最前ガッツをしたり出待ちをしたり高価なプレゼントを贈りまくっていたりしていたファンではないので、そのような記述があるとは期待しないでほしい。
※ところどころフェイクを入れている。
コロナ前は舞台後にお見送りやハイタッチ会などがあったらしいが(そして今復活しつつあるが)、別に接触に興味がなかったのでどうでもよかった。
きっかけは自分が原作を好きな作品にその俳優が出演したことで、その作品以降、他の出演舞台に足を運ぶようになった。
舞台は有給休暇を使って全通したし、地方公演にも、もちろん足を運んだ。
最速先行でチケットを取り、少なくとも3分の1は最前に座り、後ろでも3列目以内には座っていた。
3分の1は最前にいる、というとすごく大変なように思えるが、一部の大人気舞台以外では普通に最速先行でチケットを取れば、最前の席が本当に普通に取れる。驚くほど取れる。
下手すればキャパ800人近い会場が平日は300人しか埋まっていないこともある。
しかし千秋楽公演はほぼ売り切れるので、大体の人は千秋楽だけ観劇に来るのかもしれない。
それで元が取れるように設計されているのならそれはそれでいいと思う。
毎月手紙を送った。舞台の感想はもちろん、ニコニコ生放送やYouTubeの番組ゲスト出演の感想も全部細かく感想を書いて送った。
誕生日には洋服のプレゼントを贈り、SNSに載せてくれる着用写真を見てちゃんと届いたのだなと安心した。
悪しき風習と捉えられがちなランダムグッズも、SNS経由で交換してくれる人たちはみな優しく、
親切な人だと無料で自分の好きな俳優のランダムブロマイドを譲ってくれたこともあった。
同じ俳優のファンの人たちとも数人と仲良くしており、一緒に全通もしてマチソワ間はお茶したり舞台の感想を話したりしていた。
SNSはリプライアカウントしか持っていなかったので、自分本人は聞こえるところで悪口を言われたり、見えるところで悪口を書かれたりすることはなかった。
非公開アカウントではもしかしたら悪口を書かれていたかもしれないが、見えない場所では好きなようにしてくれればいいと思う。
一度最前にいたときに、後ろにいたおそらく自分とは別の俳優を好きな2人組に「出席確認とかあるのかな」と言われて笑ってしまったことはある。
出席確認とは、俳優が最前や大体前方に座っている自分のファンにチラッと目を合わせ、文字通り「出席確認」をすることである。
そんなの気のせいじゃないのか、と自分も実際に最前にいつでもいる面子になる前は思っていたが、たしかに俳優は自分のファンたちを確認していた。面白い文化だ。
舞台に通ううちにハレの日がケの日になっていた。
チケットも最速先行特典付きだと12,000円くらいする。決して安くない金額である。
特典はブロマイドや小冊子やチケットホルダーなど、大体要らないものが付いてくる。
多ステするオタクの中には普通に必要がないしゴミになるので特典を引き換えないオタクも多くいる。
12,000円×30公演だと36万だ。マルジェラの5AC ミディアムのバッグが買える金額である。
チケットが売れていないから、自分が行かないとファンが少なくて可哀想だから、と勝手に自分に義務を課していた。
ファンというのは身勝手で、自己中心的で、すべて自分の意志で行動しているのだから本当はもっと早く好きでもない舞台の観劇など辞めればよかった。
休演日で舞台の公演がない日はやっと休める、仕事に集中できる、と安心したこともあった。
そして自分は、舞台に行くよりもマルジェラのバッグが欲しいな、と思うようになった。
年収1,000万あれば舞台を全通をしながらマルジェラのバッグも買えるだろう。
しかし現実は厳しい。自分の仕事内容ではせいぜい毎月の給料が上がったとしても年収1,000万円に届くことはない。
同年代の平均年収よりは150万程度多い収入だが、舞台を全通しながらマルジェラを買えるほどの収入ではない。
また、大体の2.5次元舞台に出演するような俳優にはバースデーイベントやファンイベントというものがある。
チケット代は俳優や事務所によって6,000〜12,000円程度と幅広く、自分は勝手に集金イベントだと思っている。
イベントも回数が多い俳優だと1日3部あるのだが、自分は毎回3部とも最前に座っていた。
これも無理してチケットをたくさん取っていたのではなく、本当に普通に最速先行でチケットを取ると最前が取れるのだ。
自分が最前を取れていたのは運がいいだけかもしれないが、私が把握していたファンでは「いつでも何のイベントでも来るファン」はせいぜい私含めて5~6人だった。
書いていて少し悲しくなってきた。ファンの母数が本当に少なかった。
そしてバースデーイベントでは何かしらファンが揉める。ファンが少ないからこそ揉めるのかもしれない。
よほどの人気俳優ではない限り、1部2部3部と別の俳優がゲストに来る。
そもそもバースデーイベントの主役のファンが少ないのに、ゲスト俳優目当てでチェキだけ軽い気持ちで撮りたいオタクや、
数少ないファンの中でも大量にチケットを取り、「たくさんのお友達」を連れてきて「たくさんのお友達」に「○○ちゃんの紹介で来ました」と自己紹介させたいオタクはいる。
でもそのオタクが悪いとは思わない。チケットをたくさん買って運営にお金を落としているのだから、商売としては十分成り立っているし運営に貢献していると思う。
問題なのは会場での「お友達」の言動で、大声でイベント運営の不手際の悪口を話したり、とても褒められたような言葉遣いではなく俳優本人にも聞こえるような大声を出したりする。
自分は、知性と品性に欠けた彼女たちのお仲間でいたくないと思ってしまった。
直接彼女たちと関わりがあったわけではないが、この俳優を好きなままでいると、自分の格が下がってしまう気がした。
自分の身可愛さにファンを辞めたのだと言われればそうとしか言いようがない。
今は元々年間80本ほど足を運んでいた様々なロックバンド界隈のファンと、
大手事務所に所属し、有名なブロードウェイミュージカルの主演の仕事が来る俳優の名無しのファンとして存在している。
コロナ禍で好きだった俳優には完全に顔と名前を認知されており(ファンが少ないので当たり前といえば当たり前である)、
接触イベントで名乗ると「わかるよ、○○だよね」と言われていた。
わかるよってなんだよと思いつつ嬉しかったが、今は透明な存在に安堵している。
2年という短い間だったが、思い出はたくさんあった。
ファンサがある舞台ではピンポイントにファンサがあったし、接触イベントでは自分が話す内容に大笑いしてくれて、過去イチ笑ったわ、という言葉が聴けて嬉しかった。
BAND-MAIDが米国を中心に海外で非常に人気が高いということは聞いたことがあるだろう。
だが、実際にMVを見てみると少し違和感を感じるはずだ。メンバーの多くは期待していたほどメイド風でもないし、楽曲はさほどポップでもKawaiiでもない。かといってギャップで驚かせるほどの音の凶悪さもない。普通にJ-POPの影響も感じられるクールなハードロックである。あまりハードでない曲も多い。
ましてや2023年2月にリリースされた「Memorable」はシンプルなバラードで米国のシンガーソングライターが歌ってそうな曲調だ。
しかしYouTubeでは、この曲を聴いて屈強な米国の男たちが涙を流している。いったいどういうことか。
BAND-MAIDは10年の歴史の中で様々な文脈がつきすぎて初見のリスナーにはわかりづらくなっている。本稿ではそのあたりを読み解いていきたいと思う。
BAND-MAIDの面白さは、計算された部分からどうしてもはみ出してしまうほころびにある。計算高くプロデュースされたバンドのように思われがちだが、じつは誤算の歴史であり、その誤算を受け入れ逆に強みにしてきたバンドなのだ。
そもそもBAND-MAIDの始まりは小鳩ミクプロジェクトだった。秋葉原の有名メイド喫茶出身でアイドル活動もやっていた小鳩ミクがアイドルグループ解散をきっかけに、違う方向性の音楽をやりたいと今の事務所に売り込みに来た。それならば過去の経験を活かしてメイド+バンドのコンセプトで行こうとすぐに決まった。
二人目のメンバーはニコニコ動画で見つけてスカウトした。そこから人脈をたどりメンバーを増やしてバンドとなった。つまりメイド文化の経験があるのはじつのところ小鳩ひとりなのだ。
そして最初のほころびはすぐに来る。
演奏力のしっかりしたメンバーを集めてしまったがゆえに、出音が本格的なロックとなってしまい、そうなるとアイドル出身の小鳩の声と合わないのだ。
こういう場合、普通に考えたら楽曲をポップな方向に軌道修正するはずだが小鳩の決断は違った。このロックテイストの曲に似合うメインボーカルを入れることにしたのだ。
ツインボーカルとは言うものの小鳩はコーラス中心になる。自分がメインのプロジェクトだったはずが脇役にまわる。当時は楽器も弾けなかったのでバンド内での居場所もあやしくなりかねない。
メインボーカルを入れた5人体制で制作されたファーストアルバム「MAID IN JAPAN」は、今思うと一番コンセプトにぶれがない作品となった。
全員が可愛いメイド服を着たビジュアル。最近の曲に通じる片鱗はあるものの、今よりもポップで聴きやすい青春パンク風やロック調J-POPの楽曲が多いアルバムだ。
ただそのコンセプトもすぐにぶれていく。小鳩以外のメンバーはやはりメイド服があまり好きではなかった。
またしても誤算である。さほどこだわりのないギターのKANAMI以外はいかにもなメイド服を着るのをやめた。
そしてまたこの時期は楽曲の方向性もJ-POP風だったり、ポップロックだったり、よりハードで過激なロックに振ってみたり、迷走していた。
事務所的にはそろそろ潮時かと解散させることも考えていたらしい。
そんな頃に意図せず大ブレイクしたのが初期の代表曲「スリル」だ。
これまで以上にヘヴィなサウンドにクールでわかりやすいボーカルラインが乗ったハードロックである。ファーストシングルのカップリング曲という位置づけだったが、このMVが翌年海外のWebラジオで紹介されて一気に火が付いた。
そしてこの曲がその後の方向性を決定づけた。
BAND-MAIDの特徴のひとつはそのライブ本数の多さである。ツアーに出ると毎日か一日おきでほとんど休みなくライブをおこなっている。「スリル」がブレイクした翌年の2016年は国内19箇所ツアー、8カ国のワールドツアー、その他国内外の単発のイベントに参加している。
Wikipediaにあるライブ日程はツアーのみで単発のイベントは書かれていないが、それでも今どきのバンドとしては異常な数である。こうしてライブを重ねることでライブバンドとしての実力を着実につけていった。
そしてまた、メンバーの創作能力も向上し、この頃から小鳩ミク作詞KANAMI作曲の作品が増えていく。
ここへきてBAND-MAIDは外部の作家の力を借りず自分たちだけで勝負する本物のバンドになっていった。
楽曲を聴いているだけではわかりづらいBAND-MAIDの特徴がもうひとつある。小鳩がメイド喫茶やアイドル文化からバンドに持ち込んだのは可愛らしい服装だけではなかった。
それがショーアップされたステージである。曲間のMCはエンターテイナー小鳩の本領発揮だ。
萌え萌えきゅん的なある意味痛いコールアンドレスポンスやトークは、最初は苦笑いの観客でさえ巻き込んでファンにしてしまう。メイド服を拒否したメンバーもこのあたりは寛容で観客との距離の近さを楽しんでいるようだ。
こういった通常のロックバンドにはない、とことん楽しませるファンサービスが海外ツアーでファンの心をわしづかみにした。
https://youtu.be/iqhgc963Ga0?t=368
テレビ出演や雑誌のインタビューなども無口なミュージシャン気質のメンバーに代わり、小鳩が担当しバンドのスポークスマンとしてサービス精神いっぱいにしゃべっている。
観客を惹き付けるタレントであるとともにマネージャーやプロデューサーのような立ち回りもこなす。そんな彼女のことをある海外リアクターはスイスアーミーナイフのようだと表現した。
しかし、そんな各地で大盛況のライブツアーも世界的な疫病で突然打ち切られる。予定していた初の武道館公演も中止になった。
前述のようにBAND-MAIDのライブは単なる演奏会ではない。ショーアップされたファンとの交流イベントとしての意味を持つ。
ある海外ファンは「BAND-MAIDは曲をリリースするのではない、体験をリリースするのだ」と言っていた。
そんなバンドにとってライブができないことは大きな打撃となった。
まさにこれからというタイミングで、バンドは2年以上立ち止まることを強いられた。
そしてついに2022年、待望のライブツアーが再開されることになった。
8月に国内ツアー、10月に全米ツアー。だが世界中からライブイベントが消えた後である。ライブを楽しむ文化自体が失われたかもしれないし、当時ファンだった人たちがバンドに興味を持たなくなっているおそれもあった。
しかし、ふたを開けてみれば見事にソールドアウトだった。ツアーバスで各地の会場に訪れると、そこには2年前と変わらない熱量のファンがバンドを待っていた。
この忘れがたい経験をもとにツアー中にメロディを書き、日本に戻るとすぐ、ファンに向けた感謝の気持ちをつづった歌詞を乗せ曲として完成させた。
それが「Memorable」だ。
歌詞に込めた思いと、決して平坦ではない道をメイド服姿の小鳩ミクが歩くMVの意味を世界中のBAND-MAIDファンは完全に理解して心を打たれるのだ。
AIがラジオ放送をするサービスは面白そうですね。ランチタイムに明るい気分になれる日本のJ-POPを3曲おすすめします。
・ Happiness/嵐1:国民的男性アイドルグループのポップでキャッチーな曲です。歌詞は明日に向けての希望や夢を歌っています。
・ ずっと笑顔で/いきものがかり:人気のミクスチャーバンドの爽やかで元気な曲です。歌詞は笑顔でいることの大切さや幸せを感じることを歌っています。
・ ハッピーエンド/back number:ロックバンドのヒット曲で、映画「君の名は。」の主題歌です。歌詞は切ない恋愛を歌っていますが、メロディは明るくて心地よいです。
LOVEBITESという日本の女性メタルバンドの周辺がいまちょっと面白いことになっているので解説します。ヘヴィメタルに興味がない人も人間ドラマとして味わい深いのでよかったら読んでみてください。
LOVEBITESの動画には「私は今年70歳になるロックファンだが30年振りに夢中になれるニューバンドを見つけた」というような英語コメントが頻繁に書き込まれる。「LOVEBITES reaction」でYouTube検索すると膨大な量の海外リアクターの動画と、そこに書き込まれた膨大なオタク早口の英語コメントを見つけることができる。Wikipediaは日本語版より英語版の方がはるかに充実している。そういう存在のバンドだ。
世界中の音楽チャートがヒップホップやR&Bといったダンスミュージック中心になってもう長いこと経つ。そんな中で日本のチャートは異様なほど独自の多様性がある。別の言い方をすると世界的な音楽トレンドから取り残されて、時代遅れのダサい音楽も生き延びる余地があるユニークなシーンだ。
2010年代前半BABYMETALがアイドル+メタルの企画物としてデビューした。しかしながらボーカルの歌声とメタルアレンジが本物すぎたので妙に受けた。特にメタル音楽がほぼ失速していた海外においてメタルファンが衝撃を受けた。それ以降、流行りの音楽とは別の嗜好を持った世界中の音楽ファンたちが日本のインディーバンドを熱心に発掘するようになった。
なぜ、日本ではロックバンドが生き延びているのか。アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の設定にもあったが、80~90年代のバンドブーム世代の人たちがお父さんお母さんになり、親の聴くロックバンドの影響を受けた子供たち世代が出てきたのが今の日本だ。
BABYMETALと同時期に国内ではDESTROSEという女性ジャパメタバンドが活動していた。DESTROSEはメンバーも安定せず成功したとは言い難いが、現在のシーンを牽引するNEMOPHILA、FATE GEARなどのメンバーを輩出した重要バンドである。そしてまたLOVEBITESも元DESTROSEのメンバーが結成したバンドだ。
NEMOPHILAやLOVEBITESの世代の特徴は圧倒的に本格派という点にある。例外はあるが、それ以前の女性バンドは男性バンドにくらべると演奏技術がそれほど高くなかったり、どこか女性的なポップさがあったりした。だが今のバンドは演奏技術や音の志向において、もはや男女の区別は意味を持たない。
LOVEBITESの音楽は、アイアン・メイデンやジューダス・プリーストのようなパワーメタルと、ハロウィンやドラゴンフォースのようなメロディックスピードメタルの系譜にある。サビがメジャーコードのメロスピを演奏してさまになるのは国内では稀有な存在である。
日本人女性の発声はハイトーンになると細くキンキンしがちでメタルでは不利なことが多い。BABYMETALは、アイドル的な透明感がありつつ激しい演奏の中でもよく通るSU-METALの声が重要な成功要因であった。LOVEBITESのボーカリストasamiは低い音から高い音まで発声の気持ち良さが特徴で、他のボーカリストやボイストレーナーから発声に関する評価が非常に高い。やさぐれた感じがせず声を張り上げたりドスをきかせたりしてもどこか品がある点も過去にあまりいなかったタイプだ。さらにクラシックバレエの素養もあり、長いギターソロ中でも手持無沙汰になることなくパフォーマンスできる。
バラードはほとんどやらない。全員が鍵盤楽器を弾けて本格的なクラシックピアノが弾けるメンバーもいるが、これまで50曲近くリリースした中で激しい展開にならないスローバラードはわずか1曲のみである。基本的にはテクニカルでパワーとスピード命で、海外メタルのトレンドも踏まえた音楽性になっている。そのためデビュー後すぐに海外からも注目された。
デビューの翌年には英国のメタル雑誌でBEST NEW BANDを受賞して、その次の年にはドラゴンフォースの英国ツアーに参加している。
バンドも好調で、2020年のZepp Tokyoのライブはもはや伝説的なクオリティだ。
そこまで注目されていたLOVEBITESだが、2021年ベースのmihoが脱退する。コロナの影響による環境変化でライブなどの活動ができなくなり、いろいろと思うところがあったようだ。mihoはバンドの創始者であり、LOVEBITESのコンセプトもmihoによるものが大きかったはずだ。バンドはそのまま終わってもおかしくない状態と思われた。
2022年コロナ禍が徐々におさまる兆しが見えてきた中、残されたメンバーはベーシストオーディションプロジェクトを発表した。東京都内近郊を拠点として日本と世界各地で活動できること、というのが唯一の条件で、年齢・性別・国籍・プロ/アマ問わず応募可能としていた。
このオーディションには、すでにソロ活動で一定の評価を得ている彪(AYA)、一ノ瀬といった実力派ベーシストも参加した。
ここで登場するのがfamiだ。
YouTubeにやたらうまいベース動画を上げているJKがいると以前から話題になっていた配信者、登録者数は67万人もいるチャンネルなので一度は見たことがあるかもしれない。顔出しをせず、自室のドアの前で踊りながらスラップやタッピングを多用したトリッキーなアレンジでボカロ曲カバーを演奏する。リアルぼっちちゃんレベル100みたいなベーシストだ。
高校を卒業し、クラウド・ファンディングでソロアルバムを出し、すぐに川口千里のような実力派ミュージシャンとして活動していくものと期待されていたが、その後あまりうまくいっていなかったようでYouTubeチャンネルも数カ月更新が止まっていた。
それが2022年10月に「皆様に大切なお知らせがあります」という動画を突然公開した。
YouTuberの言う大切なお知らせはたいてい大切でもなんでもないしょうもないものと相場が決まっているがこれは違った。
LOVEBITESのオーディション最終選考に合格して、バンド側の発表動画も公開されたという内容をオタク早口でたたみかける内容だった。また、この動画から顔出しをしてカメラに向かってしゃべっており、アーティストとしてあらたな道を踏み出した決意を感じる。
どんなベーシストでも前任者のmihoと比べられてしまうのは避けられない。mihoは安定したリズムと時折見せるセンスの光るオブリガートの評価が高い王道メタルベーシストだった。手足の長い恵まれたスタイルに低く構えたベースのたたずまいはステージ映えしてLOVEBITESの悪そうでかっこいい側面を担っていた。
famiのキャラクターはそれとはまったく異なる。明るく楽しそうにぴょんぴょん飛び跳ねながら5弦ベースをスラッピングするベーシストだ。オーディション時点では19歳でおそらく他のメンバーとは10歳近い差があり新世代という印象だ。この新たな風こそがバンドの必要としていたものだった。
アイアン・メイデンのスティーヴ・ハリス的ベーシストが抜けてミスター・ビッグのビリー・シーン的ベーシストが加入しLOVEBITESは新体制となった。以前からfamiとLOVEBITESの両方を知っていたリスナーにとっては、別々の線がひとつに交差して、止まっていた二つの物語がトップスピードで再開するという衝撃的な嬉しいニュースとなった。
ただ、famiはトリッキーでテクニカルではあるもののメタルのベースが弾けるのか、と心配する声もあった。公開している曲はボカロカバーばかりだし、ソロアルバムもメタル色はなかったからだ。
そんな中、2023年2月22日に満を持してLOVEBITESの新アルバムがリリースされた。吉と出るか凶と出るかfamiにとってもバンドにとっても審判の日である。
そこにはBPM200の16分音符で凶悪かつスリリングにルートを刻むfamiがいた。ドラムとの相性もよくメタルのベーシストとしても超一流であることをfamiは実力で証明した。これを聴けばもう心配する人はいないだろう。実はLOVEBITES加入まで語られてこなかったがfamiもまたメタラー親父に英才教育を受けたメタラー二世だったのだ。
他方、バンドの方にも変化が見られた。アルバム発売日に公開された新曲のMVはいままでのLOVEBITESとかなり異なるものだった。曲のパワーとスピードはこれまで以上であるが、以前のようなメタルの美学的な映像ではなくカジュアルな服装で楽しそうにわちゃわちゃ演奏している明るいMVになっている。こういった演出もfami加入以前には考えられなかっただろう。
アルバムとしての評価も高く、すでに世界中のメタルチャートで一位となっている。
そして3月の復活ライブはチケットが瞬殺した。YouTubeコメントを見ると海外ファンも飛行機に乗ってこのライブを見るためにチケットを買ったらしい。その後も9月には国内ツアーが予定されている。完全復活である。近いうちに海外イベントにもまた出演するだろう。
・「俺たち、最高だったな」のセリフいとエモし
ずっと組むっていうのがない〜の下りと
掛け算で感情にきた
あの3人が組んだ1年は時間的に見ると短い一時だったけど滅茶苦茶熱い完全消化、今後生きてくのに焼き付く時間だったんだなあって
東大的な大学にガチガチの運動部やりながら現役合格するのすごすぎ
早稲田やったわどっちにせろすごすぎィ
普通の人だったら「そんなに早く上手くなる訳ないじゃろ!」ってなるけどこの人ならまあ…ってなる
「ようやっとる」グッ と
・ピアノの人、あざてえよ…
こんなん好きになるやろ…
「ちんちんでか男」みたいな名前になってなかった?違う?そっか…
・ピアノの人、「ピアノやるならそんな指傷めるリスクの高い所じゃなくて接客業とかやればいいのに」と思ったらアッ
・所々挟まれる「当時を振り返って〜」ターンで不穏になった この時間は…永遠じゃないんか…?
・色んなおじさんが沢山出てたまに「このおじさん誰?!誰なのぉ?!」ってなった
公開初週の日曜だったか原作ファンっぽい一人鑑賞おじさん勢が多い印象
・モブサイコの監督の人って聞いてほえ〜せなんや〜と思ったら思ったより共通点あった 演奏シーンのカラフルな波とか異次元に連れてかれる感じとか
・主人公の演奏に魅せられると一瞬金色にピカッってなる演出、カッコイイ
原作読んでみたくなった
追記)
よかった
一緒に行った人が「初ライブの演奏以降、良すぎて自然に涙がでてきた」っていってて映画すげえや!ってなった
お客さん、やっぱ40〜60代位の男性が多め
2回目だと初ライブが「ぴったり合ってない」感じに聞こえて、ライブを重ねてくにつれて音がぴったり合ってくのがわかって面白かった
1回目だと「初ライブから上手いじゃん!」ってなったけど2回目だと「ピアノとサックスそれぞれ上手いけどなんか慌ててる・走ってる・いまいち重なりきらない上手い音+滅茶苦茶パニクってがんばってるドラム」って感じだった
BECKはその昔薦められてブックオフで全巻買ったのだが、結局全部読んでもイマイチに思った。
ぼざろのおかげでバンドモノを読む下地が整った気がしたので読み直した。
答が出た。
BECKは「日本生まれのバンドがロックの本場で勝利をするまでの物語」なのだ。
それはまるで「とあるスポーツの日本代表が世界大会を勝ち進むまでの物語」のようであった。
個々のキャラクターにはそれぞれの背景があるが、それらは「最強ロックバンド誕生のために必要なパーツ」としてこの世界に生み出され、それがリアリティを失わない程度に自由に走り回った結果でしかないように映る。
最強の日本代表チーム、それに相応しい者達、主人公の「自分の才能にまだ気づいていない強い芯を持った普通の人」という設定さえも、「日本人が望む日本代表」の物語を注ぐための器のように思える。
この物語の目的は結局の所「日本生まれの日本人によるチームが、世界で通用する姿を描く」という作品なんだ。
悲しいけれど、コユキという少年自身の人生が描く軌跡は、そのための手段へと埋没していると言って良い。
恋さえも試練さえも音楽に縛り付け音楽表現を身につけるための過程だ。
よくスポーツ選手に気持ちの悪い評論家が「恋とかしたら人間として幅が広がって成長するよ♡」みたいな馬鹿げたコメントを投げかけるが、コユキの恋愛もまさにそういったものに見えてならない。
BECKの世界には分かりやすい悪役が登場し、分かりやすい仲間たちがいて、分かりやすい物語があり、分かりやすい勝利がある。
本来は複雑怪奇なそれぞれのジグザグ道を進むはずのバンドマンの物語を、適度な紆余曲折を織り交ぜつつのどストレートな栄光までの一本道に舗装し直したのがBECKだ。
紛れもなくBECKは名作だ。
序盤こそややとっつきにくいし、若干冗長なパートもあるが全体としてはとにかく目先のニンジンに向かって突っ走っていくだけの物語で、誰もが読み解いて味わえる。
音楽物によくある小難しい知識論や、歴史的背景への理解を強要するかのような態度もない。
万人向けに仕上げられた適度に壮大な物語だ。
ぼざろは違う。
ぼざろの主体はキャラクターであり、それぞれの自己実現のための手段として結成されたバンドの物語だ。
何者でもなく本人たちであり、挑むべき敵や超えるべき明確な壁があるわけでもない。
自己実現のために今あるバンドの形を守り抜くという決意によって結びついてるが、それは物語の意思というよりも彼女たちの意思、というよりも彼女たちにそのような決意をさせることこそがこの物語の意思なのである。
バンドとして成長していく姿は物語の過程や手段であり、それによって描きたいのは勝利や栄光ではなくてそれぞれの願いなのだ。
ぼざろの本質は音楽ではなくキャラクター、成功ではなく交流だということが、BECKとの比較でよくわかった。
後藤ひとりに植え付けられたギターヒーローというマクガフィンは、結束バンドを高みへと誘うだけの装置ではなく、急激に登り続ける高みでそれぞれの心の中に嵐を起こす機能を持っている。
分かりやすい誰かの陰謀によって結束に危機が訪れるのではなく、それぞれの心が持つ自由意志の中で育った不安と行き違いが内側から世界を破壊していく。
敵や目的が世界の外側に存在するサクセスストーリーの世界ではなく、それぞれの心の内側を主戦場とするヒューマンドラマがぼざろの本体だ。
ぼっちちゃんがイカれているから、リョウがヤベーから、虹夏が天使だから、郁代は……コイツが多分一番ヤベーから、読み手がその行く末を追いかけたくなる。
作品のためにキャラクターがいるのではなく、キャラクターのために作品がいる、バンドはシチュエーション・コメディの題材のようなものであり、大事なのはこの4人を中心とした数々のイカれたメンバーが集まっていることだ。
BECKはそうではなくて、物語のためにキャラクターがいて、バンドとして勝利するのだからバンドでなければ絶対に駄目だったのだ。
この違いがやっと分かった。
漫画って難しいな。
どう読めば良いのか誰も教えてくれないんだぜ?
人気の高い楽器を演奏する人は、演奏させてくれる楽団を探すのが大変である。一方、上達のための情報も選べるパーツも多い。私は体格に恵まれず昔から競争を避ける習慣がついたので体格に恵まれないにも関わらずバリトンサックスを選び20年以上演奏させて頂いている。フルート、アルトサックス、クラリネット、トランペットなどメロディーを担う楽器の奏者はそのポジション数と比較して演奏人口が多いため
等の必要に迫られる。ロックバンドのエレキギターリストも似たような状況である。一方、低音管楽器奏者はどちらかというと頼まれて楽団をヘルプする形で演奏に参加する。ロックバンドではドラマーがそのような位置づけである。日本の吹奏楽文化がアマチュア管楽器奏者を大量生産しているの対し弦楽器奏者は少ないのでアマチュアオーケストラの弦楽器パートは常に人数不足という話も良く聞く。
低音管楽器。おいしい様に思えるが色々困難もある。
ネットの誹謗中傷問題で有名な唐澤貴洋弁護士は、日本テレビ「世界一受けたい授業」に出演した際
2019年時点での発言だが現在でもこれが正しいことがわかる。
被炎上側が炎上した事実を認めることになり、訴訟や誤報のリスクがなくなるためマスコミも挙って報道し始め、さらなる拡散、延焼に繋がる。
その根拠として2022年、炎上しても沈黙を貫き見事鎮静化に成功した事例を挙げておく。
2022年1月、有名ラーメン店「中華そば堀川」店主による女性従業員への暴行が週刊文春に報じられる。
その折、店主の姉がお笑い芸人の堀川絵美であることが判明、彼女のSNS上に
弟についてコメントを求めたり、もうお姉さんの芸で笑えないなどといった書き込みが殺到した。
https://twitter.com/horipis/status/1482970171119894528
炎上後、それまで毎日行っていたSNS更新を3ヶ月停止した。再開時に粘着は止んでいた。
有名なレトロゲーム販売店。2022年1月にレトロゲームの100万円福袋を販売したが、
大物配信者加藤純一にのみ評価額の高い特別な福袋を指定して売っていたのではないかという疑惑が浮上。
指摘した者が店に電話して追及したところ、店側は疑惑を認めたが開き直った態度だったという。
その後進展は無かった。
2022年4月、ガーシー氏が有名俳優、新田真剣佑からトイレに押し込まれレゐプされたという複数の女性の証言を紹介。
2022年4月、日本経済新聞に、胸の大きな女性へのフェティシズムを描いた漫画「月曜日のたわわ」の全面広告が掲載された様子の画像が拡散される。
その後、漫画を出版する講談社が「これを見て就活生に元気になってほしい」といった旨のコメントをしているweb記事が見つかり、ツイッター上の一部界隈から女性蔑視であるとの批判が噴出する。
しかし日経新聞も講談社も沈黙。さらにその後、ハフポストの記事で国連女性機関が日経新聞に抗議していたことが判明。
日経新聞は、広告のジェンダー平等を目指す「アンステレオタイプアライアンス」という取り組みに加盟していて、それに違反しているという。
それでも一切の沈黙を貫き、ネット界隈以外でこの件が取り沙汰されることはなかった。
2022年4月、店長がパワハラを苦に焼身自殺していたことを週刊文春が報じた。
さらにこのとき公式ツイッターの最新ツイートが「あぶりチーズポークカレー」を紹介していたことをブラックジョークと解釈されさらに炎上。
報道の2ヶ月後に公式ツイッターの更新を再開。停止期間を経てもなお、件について批判するリプライが相次いだ。
「謝罪するまで粘着するからな」と意気込むアカウントも現れる。しかしその後も会社側は一切の沈黙を貫いた。
その内容は、綾野剛が当時未成年だった自分に酒を飲ませ、体の関係を持ったというものだった。
真剣佑の件と違い、告発者の名前が明らかであることからか週刊誌系メディアもこの件を報道した。
しかし綾野剛サイドは沈黙。当時放映されていたドラマに影響はなかった。
その後ガーシー氏のオンラインサロンに電話音声で登場するも、件には全く触れなかった。
2022年6月、TBS社員が日本へ避難してきたウクライナ人女性に取材を装って近づき体の関係を持ち掛けるという出来事があった、
と告発する者が現れ拡散されるが、特に反応はなく当人からも続報なし。
https://twitter.com/TsuyoshiMaehara/status/1532702745387409408
子育て漫画「毎日かあさん」の作者として有名な人物。2022年6月、娘の鴨志田ひよが公開したブログ記事が拡散される。
そこには母親から罵倒されていたこと、ブスだからという理由で二重まぶたに整形させられたこと、無断で自分の個人情報を漫画のネタにされたことなどなど、毒親批判とみられる内容が具体的に綴られていた。
母親である西原氏への批判はもちろん、子供をSNS投稿や漫画に使うことの是非について議論も巻き起こすほどネット上の盛り上がりを見せた。
しかし西原氏は沈黙。鴨志田氏からも動きはなく、そのまま鎮静化した。
エイベックス会長。2022年6月、松浦氏個人のYouTube配信で「レースクイーンはブスしかいない」「広瀬すずは性格悪い」「深田恭子はババア」
などなど発言していたことを週刊新潮が報じ、女性蔑視だと批判した。Yahooニュース経由でそこそこ拡散された。朝日新聞デジタルも便乗したコタツ記事をアップした。
これに対し松浦氏は、悪質な切り取りで女性蔑視ではないと配信上で反論。週刊新潮は続けて8月、問題の配信動画が削除されていない、反省していないと指摘する記事を出すも以降特に反応も反響もなかった。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08111057/
2022年8月に開催された音楽フェス、サマーソニックにて英国ロックバンドマネスキンの女性ベーシスト、ヴィクトリア氏が上裸(ニプレスあり)で出演。これは女性の身体が性的に見られることへの反抗だという。
その後同出演者のKing Gnuが乳首にテープを貼って「マネスキンです」と茶化すくだりがあったという報告が挙がり、一部から女性蔑視であるとの批判が噴出した。
以降何もなし。
↑と同イベントでカタコトでMCをするくだりがあり、外国人差別であると批判されたが特に何もなし。
現役の野球選手。2022年9月、交際女性に中絶を求めたりするなどのやり取りがあり、女性は自殺未遂するほど追い込まれたと週刊文春が報じた。
女性への雑な扱いを非難する反応のほか、記事にあったLINEのやり取りの「けつなあな確定(けつあな確定)」がネット上で一種の面白ワードとして消費されたこともありかなり拡散され話題となった。
マウスコンピューターの創業者であり現在持株会社MCJの会長である髙島勇二氏について、
2022年12月、ガーシー氏が交際相手へのDVがあったことを証拠の映像と音声付きで告発した。週刊誌系メディアもこの件を報じた。
その後ガーシー氏のインスタグラムで髙島氏への刑事告訴が受理されたことが報告された。
今のところ髙島氏からも会社からも全く反応はなく、あまり拡散されていない。
2018年12月、当時アイドルグループNGT48のメンバーだった山口真帆が男性2名に自宅に押し掛けられ暴行を受ける事件があった。
ネット上では、同メンバーの荻野由佳が加害者が属していたファンのグループと関与していたのではないかと疑う声が上がる。
所属事務所は疑惑を否定するも全く鎮火せず。荻野氏は沈黙を続けた。
時は流れ2022年9月、朝日新聞デジタルの記事に荻野氏が事実無根の誹謗中傷を受けた被害者として登場。
他メディアにも登場し、時流に乗り自身への疑惑を堂々と否定することに成功した。
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焼身自殺という字面のインパクトや炙りメニューのこともあって大炎上した件であるが、完全沈黙を貫いた結果見事鎮火に成功し、マスコミに報じられることもなかった。
2023年の正月テレビ特番ジョブチューンにも登場しており、広報活動にも全く影響がない様子。
2022年4月に役員が講演で「生娘をシャブ漬け戦略」と発言したのを女性蔑視だと批判した受講者のFacebook投稿がツイッターの一部界隈に拾われ拡散されたが、
吉野家はツイッターで騒がれ始めた翌日には謝罪リリースを出し、その翌日には当該役員を解任したことを発表した。
迅速な対応をすれば誠実と評価されるとでも考えていたのだろうか?しかし実際はさらなる拡散と延焼を招いた。
被炎上側が炎上した事実を認めたためマスコミが一斉に報道した。ただ醜聞が全国に広められただけだ。
それどころか、謝罪を受けてさらなる内部調査をしろと批判側から追加要求(https://www.businessinsider.jp/post-254054)されてしまう始末だ。これはその後わざわざ対応したらしい。
くら寿司の事例を見るに、完全沈黙していれば全国報道されることもなく、役員が辞めさせられることもなかったと思わざるをえない。
マスコミに取り上げられるかどうかで天と地の差がある。
この文章を読んでいる、ネット上の揉め事大好き人間なら上に列挙した数々の事例のほとんどを知っているはずだ。
だが家族や会社の同僚に知っているか聞けば知らないと答えるだろう。
ツイッターで何万いいねあるから広く周知されていると考えているならそれはネットイナゴの自意識過剰だ。
いかなる炎上事案であっても沈黙を貫き、ネットの空間だけで食い止めておくべきだ。
https://anond.hatelabo.jp/20201102010844
思ったより反応をいただけたので、他のこの事例はどうなんだ、という指摘にコメントしていく。
失念していた。間違いなくここに書いておくべき事例なので後ほど追加しておく。
いわばまさに。彼のご飯論法には学ぶことが多い。
2022年の政界で言うと、細田衆議院議長のセクハラ報道の件は結局何もなく時間が経った。
まあアレはマスコミ側も色目使い狙って若い女記者をあてがっているフシがあるのであまり強く追及できないのではないかと思っている。
これは炎上事案ではなく逮捕歴による賞罰が淡々と執行されたというだけかと。
ゲームや音楽配信サービスに残っているのは割と一般的な対応で、
例えばMeTooムーブメントの発端として大問題になった俳優ケヴィンスペイシーの過去の出演作については現在も各種動画配信サービスで見ることができるし、
今話題のカニエウェストもSpotifyは配信停止しないことを表明している。
週刊文春の舞妓の記事のやつかな?アレは非難されている主体が有耶無耶なので反応のしようがないのでは。
ヘルプマークの件は批判を認めて完全に折れたじゃない?その結果ワイドショーにも取り上げられてしまったし。
グッズの販売予定取り消しの発表があるまで1週間くらい謎の沈黙があったけど、あのまま予定通り販売する道も全然アリだった。
すでに指摘されているがこれは沈黙で無事逃げ切っていた事例。五輪の件も沈黙で全然いけたはずだが運営が日和ってしまい敗走してしまった。
一方で、LGBT差別のすぎやまこういち(入場音楽)やナチスネタの荒木飛呂彦(五輪公式アートポスター)が全く燃やされる気配がなかったことに呆れた。
「芸術とはコミュニケーションの一形態である」という大前提を伝えるのが音楽・美術という科目の教育要領の根っこだと思います。
なんとなく気持ちがいい、とにかく上手、といった要素は芸術において重要な評価点ではありますが、あくまで評価点であって主題ではない。
メインとなることは「何を伝えようとしているか」なのです。
宗教画であれば「神という偉大な存在の物語」を共有するための手段として存在しますし、オペラミュージックであれば「場面の持つ意味を強調する」ことを目的とします。
音楽はその歴史の中で技巧に偏る部分が多く、宮廷音楽についても「こんなにも素晴らしい音楽を聞いている自分たち貴族の精神的な豊かさ」に重きをおいた表現になりがちでした。
そこから大衆化を経る過程において「純粋に音楽の持つ楽しさを共有する」ということへとテーマが移っていきます。
やがて現代のポピュラーミュージックにおいては、「現代社会の中で感じる様々な感情」が表現のメインへとなるわけです。
世界の音楽チャート上位をラブソングが占めがちなのは恋愛というものが「共有したくなるような事柄が多い事象」であるからだと言えます。
つまり、音楽とは昔も今も音を通して何らかの「物語」や「感覚」を共有するものとなっているのです。
造り手の想定したイメージを、受け手が音楽を聞くことによって脳内に再度作り出す。
それは紛れもなく「コミュニケーション」なんですね。
結束バンドのアルバム「結束バンド」はそうそうたるメンバーを集めた上で「駆け出しの天才たちによる青春ロックバンドのファーストアルバム」というコンセプトでリリースされます。
バンドとは元来「世の中に何か表現したい者たち」が集まって産まれるもの、その「表現したい者たちが集まって産まれた」という状態そのものを表現するのがこの名盤「結束バンド」なのです。
大衆化とそれへの反発心が混ざり合う中で詰め込みすぎた結果の若干なチグハグさ、そういったものが確かに感じ取れます。
音楽という強力な武器を持ってしてでも何者かに伝えんとする強力な叫び、その最もプリミティブな部分がファーストアルバムの奥底には光るものですが、結束バンドにならぶ「後藤ひとりという孤独な人間による反抗」というコンセプトの歌詞はハッキリとそれが現れています。
ロックとは大本をたどれば反発のミュージックであるわけですが、今では最も平穏でありきたりな音楽の一つとさえなっています。
同時に、「社会への反抗」「本当は人付き合いなんて好きじゃないことの暴露」といった事柄も、今ではポピュラーな文化の一つとなり、SNS等では日常のように誰もが口にするようになりました。
ですがその中にはそれぞれが心に持つ確かな苦しみや叫びがあるわけです。
現代に宿るそういった「一般化した反抗心とロック」を、「結束バンドの後藤ひとり」という触媒を用いることによって鮮烈に浮かび上がらせ「現代におけるロック」を一つの形に組み直したのがアルバム「結束バンド」なのです。
その表現に対して「もっと上がある」というのはナンセンスだと思います。
コミュニケーションには間違いなく良し悪しがありまして、それは「表現しようとしたものが表現できているか」で決まります。
結束バンドのアルバム「結束バンド」は、それによって表現しようとしたものが確かに表現できている。
これに対して「もっと良いものがある」と言ってしまうのはどうにも心が貧しいように思えますね。