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1/20にこれ。
ブログ読みました。丁寧な分析とご意見、野村某よりもよっぽど誠実だと感動しています。もちろん私も反論(ばかりでもありません)すべきなのですが、今は所用で時間が取れず、勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。真面目に書いて揶揄は避けるつもりです。 https://t.co/V7KXv5B9Zh— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年1月19日
んで2/1にこれ。
ここしばらく体調を崩して貴兄へのご返答が遅れている間に、場外乱闘のような体を為しておりますが、近々、まとまった時間が取れそうなので、一連の流れも含めてご返事差し上げます。お待ちいただいているのに遅れまして申し訳ありません。 https://t.co/GfclppwTbF— けんちん・F (@kenchin_ff) 2018年2月1日
で、今日。3月6日。一ヶ月経っても結局なんもなかったという話です。
別に批判も反論も自由だから返事返ってこないのは良いんだけどさ、
まあ、個人的に感じるのは「その程度の覚悟だったのかな」ってことで。
当然バイアスはかかってる上での発言ですけど、演劇人大体「もう皆けんちんさんの理論が破綻してる事くらい知ってるよ~」みたいな意見しか聞かなかったんですよね。
好意的に引用・紹介してるのが、薙野信喜さん以外は自分の視点からは確認が出来なかった。
薙野さん、よかったらこれからもけんちん君と仲良くしてあげてね。
ご自分で「勢いで日記を書くわけにも参りませんので、一週間ほどご猶予を頂けたらと思います。」って言ってくれたのに
その後何の反応もなかった。残念です。
各団体とか演劇人が音沙汰ない事に対してスゲー鬼の首取ったかのように怒ってたのになぁ。
個人的な感想ですけど、結局、九州演劇腐ってるおじさんは界隈を変えたい!っていうより
ポリコレを振り回すのが楽しかっただけなのかなーっていう思いです。
ご本人が
とか
みたいな事を仰っていたので
きっと、きちんと理論立ったセクシャルハラスメントの実情とか実名込みの裏事情だとか
主語を拡大しないきちんとした批判とかをしてくれるのだろう、と楽しみにしてたんですけどね。
たまに更新される日記とtwitterからはソシャゲとアニメでウッキウキしてる様子しか伝わってこなかったですね、残念。
マギレコが楽しそうで何よりです。
結果的に、「僕の知り合いの演劇人は~」と業界人ぶってみても、
現実を見つめてみれば何者にもなれない悲しいおじさんが一人ネットの片隅で、
気が向いたときだけ「九州の演劇界は腐ってる!」って駄文を投稿するだけだった、という。
でもってこの騒動に関しては(多分)終わりです。もう書く事ないもん。
特定のキャラにものすごくはまったりグッズを買ったりする気持ちがミリも理解できない。
好きなキャラ程度はできるが、キャラにはまる、という経験は生まれてこのかたしたことがない。
絵を描くのも好きだ。
でもなんていうのか、子どものお絵描きが好きな気持ちの延長なだけで、描くのはたのしいがそれまでだ。
上手にかけると嬉しいな、pixivでブクマがついたら嬉しいな、程度にはもちろんおもうが
二次創作にも創作イラストにもそこまで本腰をいれてはまれないし
同人活動は払う代償が大きすぎて今一つやりたいと思えない。
基本的に一回見たら満足、付き合いで二回見るくらいはあるがそれ以上何度も通ったりしない。
音楽も好きだ。
気持ち悪いのは、画面上の数字が増えていく、ただそれだけのことに案外時間と手間をつぎ込んでしまうことで、
なんか、脳のいちばん原始的な快楽回路を押されている感じがして嫌だ。
世の中のオタクは楽しそうだ。
グッズを集めて祭壇を作ったり、
そんな風に身も世もなく生活も省みずなにかを好きだったことは一度もない。
というのも、私が好きだなーと思っていたキャラ(音ゲーなので持ち歌が好きだった)を友人も好きだといい、
それを皮切りに、そのゲームをやっている友人が増えたのだ。
グッズが出るといって買いにいってみたり、
ライブイベントに足を運んでみたりした。
楽しくなくはなかったが、なんとなく、騙されている感じもあった。
私はほんとにこのコンテンツがこんなにお金だすほど好きなのか?
周りに友達がいるから会わせてお金を出してるだけじゃないのか??
なんだかふわふわと地に足のつかない感じで、
うすぼんやりと楽しかったがいつの間にかそのゲーム自体から離れてしまった。
好きなものはたくさんある。
けど私が実感を込めて楽しい、と思うのは、
お絵描きをすること、音楽を聞いたり行ける範囲でライブにいったりすることだけだ。
私と彼らの違いはなんなんだろうと思ってしまう。
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以上、以下の記事を読んでの雑感。
最初に 劇団雌猫さんの同人誌商業誌すべて買ってます。好きです。勝手にフレーズ使ってしまいすみません…。
でもまさに、インターネットで言えない話なので。
普段はクソ真面目に生きているが、たまに猛烈なクソビッチになる時がある。
しこたま酒を飲んで、同じバーにいた知らない男とキス。ナンパされた男についていってセックス。
先日はナンパしてきた好みの顔の男についていって話をしたら、20歳上のバツイチ男性だった。顔が好きだと普通にほいほいついていってしまう…。
彼氏がいたこともあるが長続きしないため、彼氏とセックスをしたことはない。
全てをさらけ出して、嫌われるのが怖いのだ。それが、知らない男とならセックスできる。不思議な話があったもんだ。
肌が触れ合うのが好きだ。温かくて柔らかくて好きだ。
挿入は対して好きじゃない。
しかし、キスと肌の触れ合いをしたならば男性側はそりゃ挿入するだろう。
キスと温もりを与えてくれたお礼に、自分の穴を提供しているとでも言えばいいのか。
挿入しないで前戯だけしてくれれば嬉しいのだが、そうもいかない。ギブアンドテイクだ。しかし女の、というか私のリスクがでかすぎる。
幸いなことに妊娠したことはないが、こんなこと続けていたらいつかきっと後悔する日がくるのであるのもわかっている。
全身脱毛してうるうるすべすべ肌になって、どこを触ってもマシュマロみたいな肌になりたい。
大好きな人とせっかく付き合えたのに、セックスする際、(こんな体で嫌われるかな…)とビクビクしながらセックスなんてできない。
お金を貯めて、脱毛して、セックスするとき自信を持ってさらけ出せる肌にしたい。
とりあえず、避妊薬を飲むことにする。
簡単に言えば持ってる人/持ってない人の二項対立で描かれる映画なんだけど、その境界や定義っていうのがすごく曖昧で行き来する人が多いのが現実ぽいと思う。
ミュージカル映画としては素敵な映画だったけど、その一方で興行として人権侵害甚だしい見世物小屋としてのサーカスが人気を博していたことは考えなければならないことだと感じた。
バーナムは人の個性に囚われない、面白い人ならなんでもいい、という反差別派のように見えるけど、差別される側/する側で二項対立させたとき、バーナムは間違いなく差別する側なんだよね。
現実ではもっとペテン師、興行師としてクソ男だったと思うんだけど、そこを美化しすぎてる、というか観客にそう感じさせるストーリーになってると思った。現実の度合いと映画の度合いが違いすぎるのが気持ち悪かったな。
たぶんヒュージャックマン以外の全員に共感できるし、逆に言えばヒュージャックマンには全く共感できない。
この映画の根本的な価値観は人生の生きづらさ、満たされなさみたいなもだと思って、だからこそNever Enoughがすごく効果的だと感じた。まぁレベッカファーガソンのあの終わらせ方には全く納得できてないけど…
一度負った心の傷は完全に癒されることは全くなくて心のどこかに絶対残ってしまって、だからこそ何をしても満たされないし過度な成功を求めてしまうの、なんとなくわかるような気がした。
でも結局楽団の皆がヒュージャックマンに本当に怒りきれなかったのは彼の満たされなさをみんな理解してたからだと思う。
私も本当に信頼している人には何されても許してしまうだろうなっていう気持ちがあるんだけど、それに近い気がした。ただ、そう解釈するにはストーリーが不十分すぎると思ったし、This Is Meをバーナム(ヒュージャックマン)が見てない時点で、彼らのことをわかってあげる人はいないのかなと切なくなった。
もちろん、みんなでThis Is Meを歌うところは本当にかっこよくて痺れたけど。ただ、この歌を主題歌とするならもっとフリークスと呼ばれた劇団のみんなに焦点を当てて欲しかった。このストーリーなら主題歌The Greatest Showmanの方でよかったと思うよ。
あと、十分に説明されなかったところが多すぎて…一番謎だったの、りんごをくれたおばさんとの出会いなんだけど、あれは一体何を意味してるの??ヒュージャックマンが単なる差別主義者っていうことを明らかにさせただけだと思うんだけど…
あと、町の住民がなぜそこまでフリークスとサーカスを嫌ったのかが描かれてなさすぎて、理由もなく差別するほうを一方的に悪として描いていて、その反動でヒュージャックマンがいい人に見えるってだけでは…って思ったりもした。
あと、LALALANDと比較されがちだけど映画のテーマやモチーフが違うのにそんな簡単に比較できないでしょう…好みの問題でいえば私は完全にLALALAND派ですし。
ただ、似ている部分でいえば序盤の構成はやっぱりLALALANDとまったく同じだと思う。
特にAnother Day Of Sun~Someone In The Crowdの流れとThe Greatest Showman~Million Dreamsの流れはすごく似てると思った。観客の判断力を奪う圧倒的な歌唱力と演出はやっぱり素敵でした。
タカラヅカの世界に入った私がしたのは、いわゆる「会」に入ることだった。劇団非公認のジェンヌさん個人のFC。噂の「会」というものがどういうものであるのか、潜入してみよう。そんな興味本位がそもそもの始まりだった。
しかし前提が茶の間なのでそんなに現場に出ることは出来ない。一公演にほんの数回の観劇が精いっぱいの私にとって、「会活動」とはどんなものであったのか。未知のものとの遭遇はとてもスリリングでエキサイティングだった。好きな人の前に立って、私はあなたのファンです、と合法的に言えるということにとっても興奮した。初めて勇気を出したのはある日の公演終わりの楽屋出待ちだった。急遽お稽古待ちスタイルに変更になって、私はバスの時間ぎりぎりまで待機することにした。会からのお知らせでスタンバイ場所は聞いてはいたものの、他の会との兼ね合いがさっぱりわからず、スタッフさんに電話で泣きついて待ち合わせてもらった。当然一番乗りだったのであれよあれよという間にお隣歩きというものをすることなった。今思い返してみてもあれは怖いもの知らずならではの蛮勇だった。今の私は機会に恵まれてもお隣を歩くことを固辞してほかの方に歩いてもらうことにしてる。あんなに恐ろしいこと、二度とする気になれない。あの時のお隣歩きは、今も大事な思い出になってる。遠くからきたことをアピールする私に私の好きな人はやさしく笑って、遠くからありがとうございますと言ってくれた。幸せだった。それだけでいい。それ以上なんていらない。そう思ってその思い出を大事に抱えて一生を生きて行こう。そう思った。
無事に初めてのお稽古待ちとお隣歩きを済ませた私は、少しずつヅカオタとしてステップアップしていくことになる。
公演の入り待ちに出待ち、会総見に、親睦会。現場に出られないながらも少しずつ経験を積んでいった。そしてチケットを買えないからこそ、現金を振り込んだ。タカラヅカには好きな人に直接現金を送ることができるのだ。応援するなら金をくれ。身も蓋もないシステムだけど、そこには真理しかない。現場に出られないならお金を送ればいいじゃない。ささやかな額ではあったけど、毎月決まった口座に振り込むということは「贔屓」という言葉を実感させてくれる行為だった。私の贔屓。そういうプレイを楽しんでいた。
そして大人会の入会案内が届いた。参加条件がどういうものなのかは分からなかったけれど、私に送られてくるくらいだから単に年齢のせいなのかなって思った。ただ、現場に出ることのできない私にとってお食事会というイベントはとても魅力的だけども参加が難しく、会費だけを払うことも考えたけど、それはあまりにも不相応、私の身の丈には合わないと、散々悩んで入会は見送った。大人会がどういうものであるのかを覗き見ることができるかもしれないというのはとても魅力的だったのだけれど・・・!そしてこのことが後々尾を引くことになる。
いろいろあったけど、ピークはディナーショーだった気がする。宝塚ホテルの公演はキャパが小さくて、チケット難が予めアナウンスされていた。限られたパイを分け合う時、タカラヅカではどれだけお金を出したかで分け前が決まる。そういう世界だ。知ってる。多くを出したものが欲しいものを得る権利を持つ。自明の理だ。単純なシステム。当時の私は持てるものをすべて出した。やるだけのことはした。なんとかパイの欠片は与えてもらえた。ホッとした。
そして迎える退団公演。最後だからといつもは現場に出られない私も私なりにチケットを申し込んだ。初日も。千秋楽も。大劇場で最後に大階段から降りてくる姿が見たい。そう思った。最後だからと今まで頑なに行かなかったお茶会にも申し込んだ。他の会の方から連れて行ってほしいという申し出を受けたりもした。嬉しかった。彼女のファンということで私のことを思い出してくれる人がいるという事実が嬉しかった。実は私も初めての参加なのだとは言えなかったけれど。千秋楽には白装束と言われる全身白コーデのファッションで入り出もして、そしてフェアウェルパーティに行くんだと意気込んでた。まず最初の躓きは、フェアウェルパーティの足切りだった。FC会員なら全員参加できるものだと呑気に思い込んでいた私は冷や水を浴びせられて言葉を失った。ショックだった。条件は、大人会に入ってること、もしくは去年一年間で入出の回数が規定数を満たしていること。お金を出している人もしくは現場に出ることの出来る人、それが条件。ああ、大人会・・・!現場に出られない私にとって大人会が救済措置だったのに、私はそれを自分の手で握りつぶしていた。ショックだった。フェアウェルがどういうものなのかは噂でしか知らないけど、ファンとして最後のお別れができる場なのだととらえていた。ご本人よりもファン同士で別れを悼むという意味合いもあるのかなと思っていたので、孤高の茶の間でおひとりさまの私にはハードルが高いなぁって若干尻込みはしていたんだけど、それでも最後だからとぎゅっと握り拳を固めていたところだったのに。
過分なことを望んでいたんだなぁってようやく自分の立場を自覚した。私はお金も時間も費やしていないただの茶の間なんだから。現場に出ないでも楽しむことができると嘯いてたタカラヅカの世界において、一番の底辺だということを思い知らされた。卒業の最後に立ち会えない、そういう人間なんだって。分かってたつもりが全然分かってなかったんだと。ファンというざっくりとした括りの中に私は含まれていないんだなって全力で拗ねた。応援してくださってありがとう、ファンの皆様の力が支えとなっています、そんな定型文を耳にするたび、自分に対する言葉じゃないんだって心が荒んだ。私は私の好きな人の世界に存在していなかった。ただ遠くから眺めるだけの人間だった。いや、それが茶の間の正しい姿だし、清く正しい茶の間であることが私の誇りだったはずだ。少しのぞき見をしてしまったばっかりに、自分が内側にいるかのような錯覚をしてしまった。大いなる錯誤。なんたる勘違い。私は大好きだけど、でも彼女の設定してる「ファン」の中に私はいない。まずはそこに立ち戻ることにしよう。
そして千秋楽のチケット難のお知らせ。ここでも、今までの貢献によってチケットを配分しますとアナウンスがあった。またか。もうたくさんだ。うんざりだった。
私の中で何かが失われた瞬間だった。
もう千秋楽なんて行かなくてもいいや。白服も買わなくていいや。そうだ、だって、私、ファンじゃないんだもん。
大の字になって真っ白な天井を見ながらやけくそなことを思ったらちょっとは落ち着けた。自分の出来ることをできる範囲でやるだけ。現場に出なくても楽しいことはたくさんある。それが茶の間の正しい姿。それなのに、ちょっと現場に出ると欲が出てしまった。私も何かになれるんじゃないかと思ってしまった。とんだ思い上がり。茶の間は大人しく茶の間に戻るだけです。楽しかった。最後にはままならないことに泣くことになったけど、それも含めていい想い出になるんだと思う。さよなら、大好きな人。ずっと大好きな人。どうか幸せに。
最近劇団雌猫さんの「浪費図鑑」に関するテレビやニュースを目にする機会が増えましたね。
私も浪費図鑑、同じく同人誌だった「浪費」「美意識」「恋愛」も手にしています。「東京」はまだ。地方民なので読むのが怖すぎて…。
こういうことにお金を使っているよ、貯金はこれくらいあって、実家住みか、一人暮らしかだとかのアンケートも勿論目にしているのですが、見れば見るほど「オタク女のお姉さま方の収支ってどうなっているの…」と興味津々になります。
Aさん(25)○○オタク
月給○万円
貯金は○万円
以下月のざっくりとした出費内約
Bさん(31)○○オタク
月給○万円
貯金は○万円
以下月のざっくりとした出費内約
そういうのが知りたい…
東京と地方、地方でもいわゆる五大都市とバス一時間に一本みたいなところだと手取りも家賃も何もかも違うし、お金の使い方も違うだろうからそういうところも割と気になります。
あとはなんだろう…。
聖地巡礼が隣の県の人もいれば、日付変更線またがなきゃいけない人もいるし、同じ公演に何度も行かれる方もいれば、一切グッズを買わない人もいるんだろうし…。
金額=愛ではないと思っているオタクですけれど、やっぱり大きいお金使ってるとおおー!ってなりますよね。
日経○ーマンでも読んでろよ!って言われてしまうかもしれないですけれど、あれって一部の選ばれたバリキャリのお姉さんたちや稼ぎの良い旦那さんがいるご家庭の話しかなあって思うんですけど、むしろあれが一般的なの…?
なんで毎月一千万円貯めるにはって特集を毎週やって、体験している人が毎月毎月現れるんだろう…?数多くない…?
それに、多分ああいう人たちはオタクみたいなお金の使い方をしていないのかな、と思うので、オタクのお姉さま方のあれやこれやらを是非参考にさせていただきたい…。
まあ雑誌に載る以上、出費が凄まじくって収支おかしい人のデータを出すわけにもいかないから当たり前ですよね。
でも「こんなお金の使い方、私だけじゃなかった…ほっ」としたい人って結構いると思うんです…。仲間を見つけたとしても、出費し続けていいわけじゃあないと思うけれど。
需要があるんじゃないのかなあと思うけど、どうなんでしょうね。
https://anond.hatelabo.jp/20180108105930 の増田です。
皆すまん。多少ボカしたりして書いてはいるものの、これが概ね事実なんだ…。だから作品にはならんのよ。
仕方ないので暗黒面も書いとくわ。
待ち伏せとかは、ノーカウントにしないと生きていけない。ポストに不審郵便物とかもノーカウント。
家宅侵入、数回。
1回は親族だと偽って大家に入れてもらってた。おおらかな時代だな。丁重に帰って頂いて、すぐに引っ越した。
大家の家族による侵入数回。これがヤバかった。鍵持ってんだもんな。
家帰って顔洗って、タオル使おうとしたら、ファンデーションの匂いすんの。あと、物の位置がちょっとずつ変わってたり。コップとか。この時は彼女なし。
大家の家族とも鉢合わせすることもよくあったから、そこで同じファンデーションだと気付いた。
部屋の電気消して出てるし、居ない時間帯とかも丸分かりだからな。
マジで怖い。警察呼んだ。大家と家族、しらを切り通す。これもすぐに引っ越した。
今なら部屋にカメラとか仕込んで証拠にするとかするんだろうね。
あとは自宅窓へのレーザー照射とか、本当にやばいやつも経験済み。台所に立つと、赤い光がチカチカしてんの。すりガラスじゃなかったら危なかった。
目を隠し気味にして、窓開けたら自転車で逃げて行ったわ。
女性が男性から迫られて怖い、という感覚がリアルに身についている。飲み屋でもどこでも。
なので、会話でも何でも、そういう女性が嫌がることをしない。できない。
そのせいで女性の扱いに安心感を醸し出してしまい、好感度が無駄に上昇。
あとは、そういう危険を未然に防ぐ術を、多少身につけることができるようになった。
SNSでは、位置情報、写真は Exif を消す(基本)。現在地は知らせない。
旅行に行ってもすぐには投稿しない。行って、帰って来てしばらく経った後「そういえば先日〜に行きました!」みたいに投稿する。これも、よく行く場所は投稿しない。通われると危ないからな。
窮屈だが、ちゃんとシェアできるなら、そういうクローズドなとこでやるべし。
今でも多少そうだが、一時期、姿を見せるからいかんのだ。自分の内面を見て好きになってもらえている訳ではないんだ、と思い込み、知り合いの居ない所で SNSをやっていた。
しかし、フォロワー増えるし、会いたいという人も当然出てくる。会うと、またアレなことになる。結局面倒になってほとんど退会。
ネカマをやったら平和で自由なのではないか?と拗らせていたこともある。某 XIV。
しかし、これは最悪な結果を招いた。今度は男に好かれ、複数のユーザから告られる…。
俺がネカマだと知っている、かつ相手も男だと知っている仲間からは、心底同情された。
ただ「いいじゃん、ゲームだし付き合えば?」じゃねーよ。
また無駄に怒りを買いそうだが追記。
小学校の時、毎日一緒に帰っていた女の子は、帰国子女の黒髪メガネ委員長だった(すまん、マジで悪気はないんだ)。幼稚園の時、キスされて好かれていた子に、高校で再会。これはさすがに両者恥ずかしくて、ほとんど話をしなかった。親同士はくっつけたがっていた。
おっさんになった現在、スカウトされる際は、前とは話しかけられ方が変わって来た。「どこかの劇団員の方ですか?もし所属されてないなら、うちの劇団に入って頂けませんか?」とか。
普段の仕事は地味な研究職なので、女性方面での心配なく働けている。
そんなとこで。創作だと思ってくれても構わんよ。
宝塚の場合、そもそも嫁入り前の娘だけを集めて歌劇団をやるというコンセプトが、ポリコレ的に引っ掛かる可能性があると思う。
まあ歌舞伎は逆に女が舞台に上がれないわけで、どこまで伝統として許されるかという話になっちゃうが。
酒がドラッグ指定されないのと同様、既に存在してファンも利権もあるものについては見逃されるが、新しく同様の劇団は作れないかも。
別に黒塗りが無くなったって困らないでしょ、とのブコメをちらほら見るが私は…私は…どうしたらいいのだろうか。
お芝居の中で黒人役がある場合、タカラジェンヌはドーランで肌を黒く塗り黒人に扮する。代表的なのは『風と共に去りぬ』のマミー役だ。宝塚において『風と共に去りぬ』というのは『ベルサイユのばら』と並ぶ古典演目で、何度も何度も再演されてきた大切な作品だ。しかし、いくら名作であっても今現在のポリコレ基準で考えるとアウトになるんだろう。
つい最近も、花形スターが黒人役をやる演目があった。「うちの黒塗りは笑いにしてるんじゃなくてカッコイイと思ってやってるんだからいいんです」という理屈は通じるのだろうか?それって傲慢じゃないのか。
これが他所の劇団ならば、黒人の役者を引っ張ってくればよいのだろうが、ご存じの通り宝塚は大半が若い女性たちで構成される劇団である。そうした役者の制約のあるの中で国籍を問わず老若男女を演じなければいけない難しさはどう解決したらよいのだろう。
宝塚の黒塗り文化は芝居だけではない。ショーにもある。いわゆる「黒塗りショー」と呼ばれるジャンル。私としてはむしろこっちの方を心配している。黒塗りって差別的だよねっていうことを何となく理解してもなお、率直な気持ちとして宝塚から「黒塗りショー」が無くなったら心から悲しい。
ショーにおける黒塗りというのは、黒人というより褐色の肌をしたラテン系のイメージである。こちらの代表は『ノバ・ボサ・ノバ』。これも歴代のトップスターたちが演じてきた名作。私の大好きな作品だ。燕尾服やスーツでビシッとスタイリッシュに決めた男役もカッコいいが、裸足でオラオラとサンバを踊る男役のカッコよさも捨てがたい。
宝塚のお芝居はヨーロッパの歴史物が題材になることが多いので(特にフランス革命の酷使っぷりはすごい)、黒人役っていうのはそもそもかなり少ないのだが、「黒塗りショー」はジャンルとして確立されているので定期的に新作が生み出される。もしかしてこれってすごく危うい状況なのだろうか…。
宝塚はずっと昔から定期的に海外公演を行っており、今年も台湾公演が計画されている。劇場でもちらほらと外国人と思しきお客さんを見かけることもある。だから、日本の感性だけでいいっていう開き直りもなかなか厳しいよなって色々考えては鬱になってる。
・逆転やミスリードが無く、想像通りにしか展開していかないチープなストーリー。設定だけ思いついて書き始めたんだろうなと言うことがありありと伺える。オチが見えた後の時間は苦痛でしかない。
・やたらと同じ場面やセリフが繰り返されるが、何ら具体的説明がない。「考えるな感じろ」とでも言いたいのだろうが、演出や脚本家の独りよがりな妄想を感じ取れる人は皆無である。
・最後のオチが投げっぱなしで終わる。「ご想像にお任せします」というのをやっているつもりだろうが、クソつまらない話のオチを観客に考えろと言われても困る。脚本を書く技術が無くても、せめて広げた風呂敷ぐらい畳んでくれ。
・無駄に殺陣やダンスが多い。プロの芝居でさえ長くやられるとだれる要素なのに、素人臭い動きを延々と見せられるのは苦痛でしかない。やるならばポイントを絞って使った方が効果的だ。
・意味もなくやたらと叫ぶシーンがある。叫んどけば青春っぽい感じが出ると思っているのだろうか。脚本家の心理描写の稚拙さが露呈するだけである。
・ギャグシーンなのに役者がギャグに徹しきれていない。謎のプライドが邪魔しているのか、「自分が馬鹿な言動をして笑われる」ことに妙な抵抗を抱いている節がある。特に女性に多い。
・異常にナルシストな役者が一人いる。「俺かっこいいだろう?」と言わんばかりに自分を誇示してくるが、ビジュアル的にも演技的にも微妙な上にそいつのせいで全体の雰囲気を壊している。大抵男性である。
・内輪ネタが異常に多い。内輪ネタをやるなとは言わないが、多すぎると数少ない外部の人間はしらけるだけである。
・無駄にシモネタも多い。シモネタ自体は否定しないが、面白くないシモネタはただただ下品なだけである。シモネタを使うなら確実に笑わせなければならない。
全体的に、「人に見せる」「観客を楽しませる」という意識が低い学生劇団や社会人劇団にこういった傾向が強い。
彼ら自身は本気でやっているのはよくわかる。セリフのミスはなく、動きは洗練されていて、オペとの呼吸もばっちりあっている。しかし、壊滅的につまらない。
最低賃金についてのツイートがバズったついでに晒された、夢の国のオタク女同士のクソ泥仕合。たったの三日程度で空中分解の様相を呈しているので、野次馬としては「なんだよ終わりかよ」「つまんねえな最後までやれよ」といったところ。
かくいう自分も、2.5次元的な若手俳優のオタクだ。舞浜には昔一度連れられて行っただけ。アクターにも、そもそもディズニーにもとりたてて興味はない。
アクターのオタクとの距離感としては隣の隣の畑くらいだろうから、あの泥仕合の女たちが誰のオタクなのかは、ブログに書かれた内容や晒されたツイートから調べればすぐに分かった。その役者や彼が所属する劇団の芝居は見たことがなかったけど、知ってる名前だったし知ってる劇団だった。この世界、狭すぎて笑える。
最初に言っておくと、今から書くのは九割方がブログ主に対する苦言だが、だからといって"怪物"に味方しているわけでもない。オタク女の泥仕合なんかだいたいどっちもどっち。"怪物"は自分の鍵垢フォロワーにユダがいたのを見抜けなかった、あるいは初めは友達だった人物がユダになったのか、正しいことは知る由も無いけど脇が甘い。
ただ、どっちが"ヤバい"かというとそれはブログ主のほうに軍配が上がると思う。もし仮に同じアクターを追ってるファンだったら、捨て垢を作ってお前頼むからマジでやめろって言いに行くところだった。恥を晒すなよって。
恥だろ、これ。
舞浜のオタクじゃないからローカルルールとか知らないけど、道端でうんこしないでよ、ちゃんとトイレでしてよ、って思う。
少なくともここにひとり、あの劇団のあの役者は頭がおかしいファンをいっぱい飼ってるんだなあと思った人間がいる。もしいつか彼の出演する舞台を見ることがあれば、あっあの時のオタクがクソな役者だ、と思うだろう。もし自分の好きな役者が一部の頭がおかしい同厨のせいでそんな風に思われていたら、とは考えるだけで寒気がする。
当人はmetooタグと同じように固有のタグを作って被害に遭った人が声を上げやすい環境を作りたい、とか考えてるようだけど、失礼すぎる。セクハラやパワハラで傷つけられた人たちに。このタグもはあちゅうの諸々でケチがついたような流れはあるけど、オタク女の汚い泥仕合とセクハラパワハラを同列に語るのは、あまりにもひどい思い上がりだ。
そもそも、当初ブログ上でスクショが晒されていた、"怪物"の鍵垢ツイート。あれを見て最初に思ったのは「こんなに大騒ぎするようなことか?」。舞浜のアクターオタクは心の清らかな人ばかりなのかもしれない、とすら思った。あの程度の愚痴や暴言やを書き殴るアカウント、ありふれたものでしょ。違うのかな。
知らない人に説明すると、女オタクばかりのジャンルにはたいてい、愚痴垢と称されるアカウントが存在する。若手俳優界隈にも、ジャニーズにも、ディズニーにも、同人にもある。大抵鍵なしのアカウントで、謎のお嬢様口調で何かや誰かを糾弾しているので見分けはつきやすいと思う。ところであれなんでお嬢様口調なんだろう。知らない。
で、今言及しているのはそういう愚痴垢じゃなくって、ただ鍵をかけて、鍵なしのアカウントじゃツイートできないことをツイートするアカウント。鍵なしアカウントでのフォロワーについて、"怪物"がしていたように現場で居合せる同厨や他厨について、愚痴を吐き出したり陰口を叩いたりするアカウント。自分が見てきた限りで言えば、"怪物"のものとされるツイートはむしろ生温いくらいだ。べつにこの程度でピーピー騒ぐなってわけじゃない。
生温かろうが冷たかろうが熱かろうが、内輪の泥仕合を全世界に配信するんじゃないよ、と思う。
内輪でならブログ主と"怪物"の両者がどういう人物なのか、どういう言動をしてきたのか、ある程度は皆分かっているだろう。しかしブログ主が外へ向けて発信したのは"怪物"の悪行のみ。それを読んだ素直な部外者が鵜呑みにすれば、独りよがりで攻撃的で恐ろしい"怪物"と被害を告発するブログ主、という構図が視えるだろう。
鵜呑みにせず色々掘ったり疑ってみたりしても、実際に"怪物"の標的にされていたブログ主の元友人は問題の公表を快く思っていなかったり、そもそも"怪物"に目をつけられた原因はブログ主と元友人側のマナーのない行動だとされていたり、当然"怪物"はブログ主の誤解と自らの正当性を主張するし、正しい事実は何一つわからない。もちろん、何か一つでも証明されるとも思っていないけど。
社会的な問題提起、というポーズをとってはいるけど、最初のツイートは「現在進行形で受けている嫌がらせのお話!どうしたらいいのかわからないので、良かったらリプ下さい」と、個人レベルの話だったはずだ。せいぜい界隈内で数十リツイートでもされて、数百人規模が見て、ああだこうだ言ってるくらいがちょうどよかったんだと思う。それが、ディズニーとも、そもそもオタクや追っかけとも関係のない非オタの目にも留まった「最低賃金」に関するツイートに繋げてツイートしたものだから、舞浜独自のルールを知らない舞浜以外のオタクにも、女オタクの陰湿さを知らないパンピにも広まってしまった。
それだから被害者は声を上げよう、オタクの在り方を考えよう、的な問題提起風に切り替えたんだろうか。
ただ単に問題提起がしたいなら、オタク同士のいざこざには罪の無いアクターが特定されてしまうような仔細な言及はいらなかったし、加害者についても被害者についても個人レベルで詳しく書きすぎていた。普段使っているアカウントではなく新しく作成したアカウントから発信すれば、(元)友人が個人特定される可能性は低くなり、反撃を恐れなくてよくなったかもしれない。
個人叩きに寄りすぎていたことを反省しましたという姿勢で"怪物"のスクショを消したり、アクターに関してファンが少ない、人気ではないなどと述べていた部分も消したようだけど、そうすると今度は歯抜けの記事になり問題提起としては情報不足だし、歯抜け記事の一番下に追記した文章まで読む人なんてなかなかいないんじゃないのかな。
個人的には、「外野は黙ってろ」と思う。だから、この件に関してはただの野次馬で、他ジャンルのオタクである自分は直接彼女らにリプライやDMやコメントをするつもりはなく、ここでしか発言しない。
外野が参戦する意味がないのは、学級会や議論や殴り合いを経て何かしらの結論やまとめが生まれたとして、外野はそれに関係しないからだ。舞浜のオタクのあるべき姿が見出されたのなら、それをシカトするなり念頭に置くなりするのは舞浜のオタクだけだ。
なのでそろそろ書くこともないし終わりにするけど、岡田育がものすごい首突っ込んできてたのには笑ったんだけどあの人本当何なんだろうな。
https://twitter.com/okadaic/status/945101211308576768
>みんな報復を恐れていて、「そういうときは黙っているのが一番上手いやり過ごし方だ」というふうに言われる。そう信じ込もうと努めてしまう。でも、声を上げて抵抗していいんだよ。怖いなら。
と言うけど、「怖いけど、それよりも報復されるのが恐ろしいから黙ってやり過ごそう」と思っているオタク女って、どれくらい存在しているんだろう。
明らかに言動がヤバいオタクに触らないようにするのは恐れというか回避というかだけど、そんな人材なかなかいないわけで、自分も相手も似たような程度であることが多いと思う。味方の数の多さや顔の広さ、歴の長さとかの違いはあるだろうけど。
現場でマウント取られたり嫌なアピールをされたり、掲示板で晒されて叩かれたり、鍵垢で悪口を言われて嗤われたり、そういう時に表立って「わたしこんな被害に遭いました!抵抗します!」と今回のブログ主のように声高に叫ぶオタクがあまりいないのは、個人的には、それと自分の周囲を見る限りでは、報復が怖いからではないと思うんだけど。的外れだなあ。
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
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モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
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という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
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といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
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と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
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もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
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■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
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俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
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∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
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そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
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∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
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なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
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うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
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ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
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ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
.
うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
.
ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
.
うむ。ノーコメントなり。
.
というわけで。
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■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
.
■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
.
神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
.
ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
.
ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
.
■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
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■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
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■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
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石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
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子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
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■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
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鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
.
.
んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
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はっきり宮野真守ならそう書けばいいのに。
風紀委員かよ。そんなにイヤなら新幹線に頼んで二度と出さないように働きかけたらよかろうに。なんで、こんな所で誰にも伝わらないようにして言う訳?劇団が本当に迷惑だと思ったら、二度と出さないようになるし、それでよかろう。
禁止でもないし、嫌な顔もしない。
歓迎でない時ははっきりとそう言われるし、
向こうから声をかけてくれることもある。
そこにアイドル的な売り方、要素を持ち込んで
2.5次元舞台というもの、またそこから派生した2.5次元産の”若手俳優”という
新たな概念において、危険で過激な行動に走る人たちが現れて始めたため
「出待ち禁止」が当たり前のように明言されるようになっただけである。
上記はあくまで”2.5次元舞台”およびそこで活躍する役者を多く用い
話を今回の件に戻すが、今回某人気”若手俳優”が出演しているのは2.5次元舞台ではない。
郷に入りては郷に従えと言うではないか。
もしどうしても嫌だというのであれば、そもそも出演しなければいい。
100歩譲って自分は嫌だ、しない、できないというならそれでもよかろう。
所詮出待ちは料金外のサービスなので、給料以上のことはできません負いうのであれば
それはそれで結構だと思う。
その態度で一生食っていけるかどうかは甚だ疑問ではあるが。
そして一番勘違いをしているのが、その人気俳優が2.5次元舞台から連れてきた
2.5次元舞台のルールにどっぷりはまった、それが正義と信じて疑わない盲目たちである。
>役者さんの事務所からは入り待ち出待ち禁止の注意喚起が出ましたが、
出すわけがない。
何と言えというのであろう。
「某人気俳優さんは出待ちが禁止です。こちらの方を待たれないようにしてください。」
とでも言ってほしいのか。
今回の舞台にはこの人気俳優よりも知名度も人気もギャラも上の役者がゴロゴロ出ている。
そんな中一人だけ”出待ち禁止”というのだけでも恥ずかしいのに
そこに来てファンが2.5次元舞台だけの論理で正義を振りかざすのが見ていてとても滑稽だ。
>キャーキャー騒げば役者さんが喜ぶと思ってるの?
だの
>劇場の外で出待ちですか?ストーカーと変わらないと思いますよ。
だのと、こんなファンをかこってること自体がその役者のレベルを表してるだろう。
悲しむことをするような出待ちなんて他の現場では見たことがない。
なんでそんなファンが発生しているのか。
関係の無い他の役者とファンを巻き込んで大声で「出待ち禁止!!」とは
>本当に役者さんを思っているのなら休ませてあげる事を考えるべきなのに、
職場から家に帰る途中で手を振ったり会釈したりする程度で疲れるだの
誰も毎日プリンスロードをやれと言ってるわけじゃないってのに。
(そう考えるとかのプリンスたちはものすごいなと思うが・・・)
出待ちに愛想するくらいで病気になったり、次の日に支障が出るくらいなら
役者向いてないのでやめた方がいいですよと大声で言いたい。
>入待ち出待ちは本当にやめて!髑髏城月に出演されている全ての役者さんファンにどうか届いて!
うるせぇ、お前は誰を代表してどの立場でんなこと言えるんだ!!
はっきり言っておきたいのだが、
何が何でも出待ちは害悪である、という2.5次元舞台の考え自体が
タイトルのとおりです。
楽しみにしていた演劇の公演が中止になったことに起因する感情を整理するために書いています。まさにチラ裏。でも切実なんだ。
数ヶ月前からずっと楽しみにしていた公演の中止を、さて劇場に向かうか!と意気込んで現地に向かう電車に乗り込もうとした駅で知った。
この時点で公演開始の二時間少し前。ギリギリの判断だったろうと思う。
休みは一日だけなので、夜公演を観劇したら次の日の朝イチの飛行機で帰って仕事、という弾丸ツアー。
出演している俳優のファンで、まさか彼が有名劇団の有名タイトルに出演できるなんて夢でしか考えてなかったから、出演情報を知ったときは物凄く歓喜した。
しかも日本では唯一の360度回転舞台への出演。確実に推し俳優の非常に重要な経験になるだろうし、その経験を力にできる実力のある人だと信じているので、ただただ嬉しかった。
気合いを入れてチケットを取り、数ヶ月を指折り数えて当日を待ち、あとは現地に向かうだけ、となったときに知った公演中止の情報。
しばらく、動けなかった。
比喩ではなく、人間って信じたくない事実を前にすると、文字通り動けなくなるということを実体験してしまった。
少し立ち直って色々調べてみると、似たような事態のときはチケット代金の払い戻しがあるらしいことがわかった。
そりゃそうだ。
そりゃそうだ、良かった。
けど、でも、遠征費は…?
それも二人ぶん。
少し自分と母の話をする。
去年、新しい商売を始めた。脱サラみたいなものだ。母が手伝ってくれている。というか主力である。
一年経ってやっと少し余裕が出るくらいの売り上げが上がった。
私が観たかった推し俳優は、母の最推し俳優でもあって、二人して出演を喜んだ。
今回の東京遠征は、一年頑張った自分と母へのご褒美の意味が強かった。
……。
誰が悪いわけでもないことは分かっている。
何しろ日本に唯一の劇場だ。機材のメンテナンスにしたって、初めてのことだらけだろう。
演者やスタッフに怪我がなくて良かったと喜ぶべきところだ。(スタッフの怪我については正確な情報があるわけではないので詳細は分からない。ただ、誰かの怪我や事故での中止でなくて良かったという意味合いである)
悪かったのは運だ。
わかっている。
どうしようもないことだ、こういうこともある。
でも、でもなあ。。
観たかった。
推し俳優の、座組みの、今しか観れない板の上の生き様を観たかったんだ。
遠征費が補填されないとか云々はあるけど、お金はまた頑張って働けばいい。
それが、涙が出るくらい悔しい。
(なにしろ、またすぐに遠征できるほどの金はない。チケットもない)
(ちなみに2月には再度観劇予定でチケット確保済みだ。しかし初演すぐと、千秋楽間際では観れるものが違うだろう。両方を体験したかった。。)
ということをホテルで酒を呑みながらチマチマ書いてみている。吐き出すって大事だね。思ったよりスッキリしました。ありがとうございます。
書いて良かった。
ちなみに公演中止を知ってから時間を持て余したので、田舎じゃ施設すらない4DXでITを観て(子供たちのSAN値が心配だった)、田舎じゃ上映すらしてない話題のKUBOを観たので案外充実した時間を過ごしました。
三味線かっけええええ!!
私が気にし過ぎていると、母に気を遣わせてしまうので、愚痴ぐちするのはこれで終わりにします。ありがとうございました。
ちくしょー!!
じゃあなぜそれが分かったか。
僕は大した稼ぎも無いが趣味も乏しいので多少金を持っていることもあり、ここ数年ソープに行っている。
ただ、頻度としては、夏と冬にそれぞれ1~2回程度(地雷嬢だった場合に2回目行く)である。
そうなると極力はずれは引きたくない。事前に口コミを見たり、嬢の日記を見たりして、どんな人かを確認している。
過去、ふらっとお店に入り適当に指名して、長時間待たされた挙句、接客地雷に当たったこともある。
賛否両論の口コミの嬢に入り、思いのほか接客が良かったこともあるので、難しいところではある。
とあるソープ店で話題の嬢らしく、口コミサイトでももろに賛否両論であった。
もちろん、地下アイドルという言葉は一言も無く、サービスが、ルックスがetc.という話題ばかりだった。
その店のサイトでは写メ日記で嬢の自撮り写真が見られるが、地下アイドル嬢、結構可愛い。
日記の内容も、客へのお礼や趣味のこと、出先の写真などなど載せており、いわゆる「やる気のないサービス」の嬢ではなさそう。
どうやらこの地下アイドル嬢が書いたらしい。
なんのキャラだろう?と思い、画像検索をかけてみると、とあるゲームのキャラクタだった。
しかも元絵が有り、あからさまにトレスじゃねーか、というものに、嬢のサインを入れているだけ。
パクリ絵師とか最低かよwwwとか思っていると、ふとtwitterのユーザが目に入った。
よくよく見てみると、「○○書いた」とアップしてる。
ただこのアカウント、どうやら裏アカらしく顔写真は一切載せていない。
過去のつぶやきを見ていくと、やはりソープ店の日記にも載せられている写真が複数あり、ほぼ本人だろうなというところまでは至った。
次にこのツイアカで検索をかけてみるが、なかなか目ぼしい情報はない。
そんな中、とあるyoutube動画がヒットした。youtubeの本家サイトではなく、よく分からんまとめサイトのようなやつ。
とりあえず見てみると、踊ってみたの動画。その動画自体はツイアカがアップしたものではなかったが、ツイアカが動画に対するコメントで
「今見ると間違いまくり、撮り直したい」
といった旨を書き込んでいた。
これが第2の発見。
こうなると、動画のアップロード者が地下アイドル嬢本人かどうかの確認は簡単だった。
動画の顔と、ソープ店のサイトの写真を比べればよい。もう間違えなく本人だった。
まず、地下アイドル嬢の地下アイドル芸名。本ツイアカ、ブログ。
ネット上のHNかと思ったが、ステージに立っていた動画もあり、一応地下アイドル的な活動もしていた。
ブログにはアイドル活動の広報があり、その後舞台にも出演する予定だったが、ブログはそれ以降更新されず。
舞台をやる劇団のサイトでは、演者の交代に地下アイドル嬢の名前があり、結局出演せず。舞台練習で挫折したのか。
ツイッターの本アカの方はその後も色々とつぶやいており、きめ顔の写真など掲載し続けていた。
これはちょっとネタになるかな、などと考え、次はこの嬢を指名してみようと決めた。
ここまでが実際にこの嬢に入る1ヶ月前くらいの情報収集のときだったので、
その後の嬢の日記でツイッター本アカに掲載している写真が載るたび、
口コミサイトでバレが書き込まれないか、ちょっとドキドキしていた。
あとは実際に店に入り、サービスを受け、終わり。
踊ってみた動画をやっていたせい(?)なのか、スタイルもよく、youtubeなどにあった動画と同じ顔。
聞けば前職はキャバ嬢(どうやらブログ更新が途絶えてからはそっちに行ってたらしい)で、接客もなれたもの。
余談だが、僕は嬢の接客態度が最悪だと、まったく立たない。が立たなくても、出るだけは出る。ちな早漏。
なのでソープに行っても最後までやれないで、手で終わることもある。てか1回だけだが、思い出すたびため息が出る。
が、地下アイドル嬢はさっぱり遊べた良い嬢だった。
当然、身バレの件は本人にも伝えず、口コミサイトなどにも書き込まず、
自分の中だけに留めておくことにした。
だって、某SNSで芸名(本名)という恐ろしいプロフィールをつけていたから。
それから半年後、またソープに行こうかと思い、例の地下アイドル嬢がいた店のサイトを覗くと、もう彼女の名前は無かった。
ツイアカも消え、SNS、動画もすべて削除されている徹底ぶりだった。
おそらく、誰かが親切にもその嬢に教えてあげて、削除に回ったのだと思いたいところ。
ちなみに口コミサイトではよく嬢の個人ツイッターアカを書き込む人がいる。
公開アカにしているほうが悪い、という人もいるかもしれないが、そこはそっとしておこう。誰も得しない。
客はスマートに「遊ぶ」べきだし、嬢は仕事として「接客」をしてほしい。
嬢のプライベートを晒すのはやってはいけないことだし、裏で悪態をつこうとも(常識的な)客の前ではいい接客をしてほしい。
この話は多少脚色しているが、地下アイドルやコスプレイヤーに風俗嬢がいる、という店は事実。(元/現AV嬢がいたりもする)。
風俗勤務するつもりの女性は、特定されることを心配するのであれば、
(この匿名ポストは、口下手な俺が近しい人間に近況をまとめて報告するための書き込みなので、「ワケわからん」という人は、無視してほしい)
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別の人ってのは、そうだな……あるところで、超っ絶美形、お耽美系おまけにXジェンダーという、やたらキャラが立ってるモデル兼役者さんを見かけたと思ってほしい。
そのヒト、ビジュアルと毒のあるキャラを買われてライブや芝居の客演に引っ張りダコで、思わず本人を確認しにライブハウスに行ってみたのよ。
期待にたがわぬ超絶美形だったんだけど、本題はこの人ではなく(いや、このモデルさんも追っかけるつもりだけど)。
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「ほんとかぇ?」と最初は思った。
その劇団、サブカルとか下北沢とか、そういうのを全然わからん俺でも知ってるくらいの有名劇団で。
旗揚げ公演のときは、ギラッギラのお耽美系女優でキャストを固めていて、そこにサブカル大好きティーンが「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるような感じで。
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で、その女優さん。
いっつも学ラン、学帽のショタ扮装で、ほんとうに純朴な少年みたいなキャラで、セリフ回しもトツトツとしているし、どっちかというと「あ~ん、お姉さまぁ~」とかいって群がってるサイドのヒトじゃね? と思ってた。
あるときまでは。
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ところがね。
とあるライブのゲストパフォーマンスで2人がコンビで出演した時。
そのままユラっとたちあがって身体を動かし始めたら、いきなり周囲の空気が変わったのよ。
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もうね。
ダンサー。
超ダンサー。
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ボディコントロールの精度とダイナミックレンジがハンパじゃない。
スタイルとしては、最初は土方巽的な暗黒舞踏の系譜かな、と思ったんだけど、見てると洋モノのコンテンポラリーに近い感じ。
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でも、それにしてもね。
ああいう動きは、それこそモーリス・ベジャールなんとかカンパニーとかに10年くらい所属しないと出来ないんじゃないの? まだ若いのに。
そう思ってチャラっと調べたら。
母娘2代、姉妹そろっての舞踏家ファミリーで、子供のころから母君の手ほどきを受け、美大に進学して上京してからは、もう在学中から現在にいたるまで、
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個展で踊る
有名ミュージシャンのMVで踊る
ミニマルミュージックのセッションでゲストパフォーマーとして踊る
そして、誰からもお座敷がかからないときは自主活動として踊る。
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踊る踊る踊る。スキあらば所かまわず踊りだす、踊りの国の踊り姫であることが判明。
(いやマジメな話、ソロのフリーランサーってどこで仕事を取ってくるんだろう?)
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ほかにも。
その女優さん、最初は普通のチンマリした女の子だと思っていたら、ネット上に、背中出しのコスチュームでプロに撮ってもらった宣材写真があって。
もうね、肩甲骨の自由度と張り付いてる三角筋の厚みが、完全にアスリートのそれ。
いやもちろん、シルヴィ・ギエムみたいに絞りに絞った体型ではないけど、学ランの扮装に完全にダマされてた。
完全に本職のダンサー。
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というわけで、がぜん興味がわいたんで、その“伝統の小劇団”の公演を予約して、行ってきましたよ、もう。
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もうね。
シンガー。
超シンガー。
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少しかすれた、でもよく伸びるアルトで、ピッチとアインザッツをガチキープしたうえで、朴訥な少年みたいなキャラクターをいい感じにのっけてくる。
ほぼ本職のシンガー。
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ところで、ここまで劇団の女優、女優と書いておいて、演技に一言もないのは。
だから、客演の寸劇とかで短く少ないリハーサルではアドリブがきかない。
(在学中に自主制作の映画に1本出ているらしいが、内容までは知らない)
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・ただし、所属の劇団でガッチリ稽古をすれば、プロ水準の演技はできる。
実際、主役級のキャスティングを的確にこなしていた。
少なくとも、演技といえば映画とTVしかみたことのない俺にはそう見えた。
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という感じ、なのかなぁ。
(ダンスになると手持ちの材料ですごい振り付けをするのと対照的)
ともかく、その意味ではキャスティングが当て書きとハマり役に限られる感じで、「アクトレス! 超アクトレス!」とは言えない感じ。
まだ今のところは。
案外、早い時期にその域に到達するかもしれないけど。
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劇団の公演自体はおおむね満足。アートでビザールで猟奇的な感じ。
そこで今度は彼女が時おり客演しているバーレスクチームのパフォーマンスに行ってきましたよ。もう。
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で、見てきた印象を簡単に書くと、
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・ダンスを見て、
やはり動きのキレすさまじき。
チップばら撒き、飲み代払いまくりなれど、かぶりつきで見た。元は取った!
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・ダンスが終わって
話を聞こうとしたら、追っかけが周りを取り囲む(俺も含む)。
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もともと芝居好き。
劇団オーナー氏の文芸思想面に共鳴、心酔、ならば何も言うまい。キャリアとか。
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・余談、『草迷宮』以外にも女力士がいるらしい。寺山修司好みのモチーフらしき。
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というあたりで。
……興奮冷めやらぬ中、この3ヶ月の自分を振り返る。
自分は何をこんなに、このダンサー(と周辺の人たち)に入れ込んでいるのか?
あれだ。
何が楽しいかというと、若い人たちが劇団やライブで頑張ってるのを見ると、その、あれだ。
大森望とか小林よしのりがAKBにハマっているのを「自分の娘みたいな年頃のアイドルに入れあげるって、それはどうよ?」とか思ってたのがね、これが自分がハマってみると、
_人人人人人人人人人人_
> スッゲー楽しいの <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
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そしてね。
この歳になって「和風アングラもいいな」という自分を今さら発見した。
夢野久作とか寺山修司とか麿赤児とか唐十郎とか横尾忠則とか佐伯俊雄とか『ガロ』とか古屋兎丸とか、そういう日本の猟奇的な世界とは無縁で生きていくものだと思っていたんだけど。
これがねぇ。若い人が過去の作品群や事件を掘り返しながら、自分にしてもまだガキだった'60年代の新宿的世界をガチでやろうとしているのが面白くて。
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ほかにもね。
その女優さんと美形モデル氏を起点に人脈をイモづる式に掘っていくと、面白い人たちが出てくるわ出てくるわ。
誰に頼まれたわけでもないのに、全身を蛍光色にペイントして街角にくり出してフォトセッションをやってるギャルの集団とか。
どこから出演料が出るわけでもないのに、「調香師の貴婦人と助手たち」みたいな架空のストーリーでコスプレ衣装合わせをして、参観料を取って企画として成立させてるコスプレイヤーとか。
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みんな“何か”になりたくて、
“何か”をしたくて、
でも、それが“何か”はっきりしていなくて。
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みんな若さにまかせて、アルバイトを掛け持ちしながら、もがいてる。
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おお! こりゃ、リアル日本版『レント』(と、その元ネタの『ラ・ボエーム』)の世界じゃないのよ!?
いいねぇ。じつにイイっすねぇ。
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この歳になると、知り合いで創作的なことをやってる人間は、
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・その周辺で稼げる分野に落ち着くか(←俺のことだ)、
・完全に足を洗って別の仕事を見つけるか
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どれかになるんだけど、まだ、そのどれでもない状態でやっている、やれている人たちが、まぶしくて、まぶしくて、もう。
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この女優さんにしてもね。
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っていう流れに乗る前に、
っていう流れに乗る前に、
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多少無理をしてでも金と時間を作って四方八方にコネのある舞踏家に師事して、それをテコに国内でも海外でもいいから名前の通ったダンスカンパニーにもぐり込むことを最優先にするだろう。
その後は、
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・一般人にも名の通ったポジションを取ることを最終目標に、有名振付師のゴーストから経験をつむか、
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・彼女の母君みたいにレッスンプロとして“ダンスを見たい人”より“ダンスを演りたい人”を客にするべく、行政とかに売り込みをかけるか、
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・あるいは、ヨーロッパみたいにハイカルチャーに一定の需要がある国にイチかバチか、飛び出してみるか。
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……10年後、20年後も踊っていたいなら、これくらいしか選択肢はないんじゃなかろうか。
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でも、おそらく、それじゃ満足できない何かがあって、それに衝き動かされているんだろう。
(と思ったら、海外留学が決まったらしい。いいぞ、行ったれ行ったれ!)
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ま、ともかく。
独立起業という名の引きこもりになって、はやЖ年。なんか世界がせまくなる一方だった自分の生活が彼女ら彼らのおかげでムチャムチャ彩り豊かになった。
この人たちには、いくら感謝してもしたりないが、直接言うとキモいので、ここでこっそり発言。
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