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はてなキーワード: 自己修復とは

2024-09-09

anond:20240909132339

あーだめだこのサメのヒト。 負けないことに頭行き過ぎてる。 もう「字句で言い返せる所を探してる」読み方になってる。 やっぱりはてブやってるとそういう読み方になっちゃうん...

なんか開いたら内容違うんだけど、書き直してくれたのか。サメのヒトって書き方ちょっと面白くていいね

負けないことに頭行き過ぎてる。

匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが???

お前「無名で誰からも注目されてないけど、自分の言ってることは間違ってない」って幻想を壊されるのがそんなに怖いんだね

否定されるのを怖がりすぎて、リアルの場であまり意見が言えない。今回もそうやって自己卑下して予防線貼りながらでしか自分意見を言えない

増田、調べが甘いね

私ははてなスターがつくっていう成功体験を持っているので、増田現実に壊されても自己修復できるんだよ。

そもそも増田が私の書いたものに律儀に返信くれるから楽しくなってきてるよ。

なんでそんなに怖がってるの? もっと胸を張って意見を言えばいいのに。

ブクマカはやれないのに、匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しするよ…。

さて、オレオレプロファイルしないと気が済まない増田と、主旨が読み取れない私のために、

これまでの会話を生成AI先生に投げて、問題点を読みやすく整えてもらったよ。

ユーザーA(私)の問題点

ユーザーAとBの対話において、ユーザーAがユーザーBの主旨を完全には理解していない、または意図的にずらしていると見られる点はいくつかあります。以下に具体的な点を挙げます

ユーザーBは、ユーザーAの行動や発言が「プライドが高く、自己防衛的」であることや、「無名批判されない安全場所しか意見を言えない」と批判していますしかし、ユーザーAはこれに対して、自分が「はてなスターがつく成功体験を持っている」「ブクマカの行動を批判しても自分利益のために発言している」と返答しています。この応答はユーザーBの批判の核心部分(自己防衛的な態度やプライドに関する批判から外れており、問題解決するものではなく、むしろ相手批判回避しているように見えます

ユーザーAは、ユーザーBの批判に対して冷静で皮肉を交えて返答していますが、これはユーザーBの指摘に対する直接的な応答ではなく、むしろ軽視しているように映ります。たとえば、「サメのヒト」という表現面白がるなど、ユーザーBが伝えたいメッセージ重要性を軽視する態度が見受けられます。これにより、ユーザーBが求めている真剣議論反省とは異なる方向に対話が進んでいます

ユーザーBは、ユーザーAに対して「もっと胸を張って意見を言えばいい」といった感情的な不満や失望感を示していますが、ユーザーAはこれを「匿名日記ではノリノリな増田にはそっくりそのままお返しする」と応じており、ユーザーBの感情的な指摘を真摯に受け止めていません。ユーザーAの応答は相手感情を逆なでする形となり、ユーザーBの主張の感情的な部分が伝わらない結果となっています

ユーザーBはユーザーAに対して、はてブでの行動や態度の問題点を指摘し、反省改善を促すような意図を持っていますしかし、ユーザーAはそれに対して「匿名掲示板ってレスバのついでに意思疎通するための場所だと思うんだが?」と述べるなど、対話のもの目的を異なった解釈で進めています。これにより、ユーザーBの意図する方向性自己認識の促進や反省)とユーザーAの対話の捉え方(単なる論争の場)が合致していません。

ユーザーAは「自分増田のやってることは変わらんよ」と述べるなど、ユーザーBの指摘に対して対等性を強調していますが、ユーザーBはそのこと自体問題であると考えていますユーザーBの指摘は「ユーザーAの態度が自己中心的であり、自覚が足りない」という点にありますが、ユーザーAは「お互い様じゃないか?」という論点で返すことで、問題の核心を避けています

以上のように、ユーザーAはユーザーBの主旨や感情を十分に理解せず、または意図的にずらす形で対話を進めています。これにより、ユーザーBが伝えたいメッセージや期待している応答が得られず、対話建設性が損なわれていることが分かります

ユーザーB(増田)の問題点

ユーザーAとBの対話において、ユーザーBがユーザーAとの会話で主旨を理解していない、または誤解している可能性がある点について、以下の具体的な問題が挙げられます

ユーザーBは、ユーザーAが「無名で誰からも注目されない場所しか意見を言えない」と批判していますしかし、ユーザーAは自己防衛ではなく、「自分利益のために発言している」と述べていますユーザーBはユーザーAの発言自己中心的で防衛的なものだと捉えていますが、ユーザーAはむしろ開き直り自分意図を正直に説明しています。この点で、ユーザーBはユーザーAの自己認識意図理解していない可能性があります

ユーザーBは、ユーザーAが「負けないことに頭が行き過ぎている」と指摘し、その発言をしつこくアピールすることを批判していますしかし、ユーザーAは皮肉ユーモアで返しており、ユーザーBの攻撃的な姿勢に対して感情的に巻き込まれていないことを示していますユーザーBはユーザーAの応答を「逃避」として捉えていますが、ユーザーAは感情的な反応を避けつつ対話を続けています。この点で、ユーザーBはユーザーAの対話スタイル一貫性戦略理解していないか意図的に見過ごしているように見えます

ユーザーBは、ユーザーAに対して強い批判を繰り返し、相手の行動を「プライドが高い」「自己防衛的」として非難していますが、自身対話の態度やスタンスについては全く反省が見られません。ユーザーBは、自分言動もまた攻撃的で相手感情的ダメージを与えていることを理解していないか無視しています。これにより、ユーザーBの対話一方的攻撃に終始しており、ユーザーAの反応を公平に評価する姿勢が欠けています

ユーザーBは、ユーザーAの発言を「正しさごっこ」や「お気持ち」として否定的に捉え、自分視点のみを押し付けていますユーザーAが対等な立場での議論を求め、「お互い様じゃないか?」と応じても、ユーザーBはそれを受け入れず、相手を一貫して「下」と見なしています。この態度により、ユーザーBは対等な対話拒否し、自己固定観念に基づいて相手発言評価し続けています

ユーザーBは、ユーザーAに対して「視野が狭すぎる」「自分が言っていることの間違いを認めたくない」などと批判しますが、ユーザーAの返答に含まれ感情意図に対する理解が不足していますユーザーAはユーモアを交え、相手発言を和らげようとしている部分もあるにもかかわらず、ユーザーBはそれを一貫して批判としてのみ受け取っています。このため、ユーザーBの批判対話目的から外れたものになっていることが多いです。

ユーザーBはしばしば感情的な反応を示し、ユーザーAの意図や主旨を見失っています。例えば、「無名で誰からも注目されてない」という表現ユーザーAの発言価値否定していますが、ユーザーAの実際の主張(コミュニケーション意図動機)とは直接関係がない批判になっています。このように、感情的な反発が強いため、ユーザーAの真の意図理解しないまま批判に終始しています

以上の点からユーザーBはユーザーAの発言や態度に対して主観的解釈を強く押し付けており、その結果として相手意図や主旨を正確に理解できていない、または見ようとしていない姿勢が見受けられます。これが対話の進展を阻害し、建設的なやり取りを妨げる要因となっています

参考になったよ。ありがとうね。

2024-07-28

オリンピックとか成功体験とか色々世の中を謳歌している人を見ると、

自分の置かれた環境とあまりにも格差があり過ぎて悲しくなってくる。

クソみたいな会社のクソみたいな指示に振り回されても

転職先も見つから自身価値の低さに泣きながら

将来どうしようかと考えるとただひたすら心身共に疲れて

体調も支障をきたしている。

何もやる気が起こらなくなっている。

世の中に迷惑かけず自分自己管理自己修復をできる程度の労働環境普通として働きたい。

今の世の中それすら好条件だと思うが、

ブラック過ぎる所しか残っていないし、別のブラックに入るしかない暗い将来で

這い上がる事すら出来ない

どうやって生きていくのか、

クソ溜めの日常を変えたい。

2024-06-21

動物自己修復能力

なんかすごく違和感あるよな

なんで怪我した場所が元通りになるんだよっていう

気持ち悪さすら感じる

2024-03-16

anond:20240316000918

一応そういう自己修復する素材は開発されてきてるぞ。

というか一応古代ローマ時代からある、これはコンクリの類のものだが。

https://www.asahi.com/articles/ASQ3X2VXJQ3SULBJ00P.html

プラスチックとかも開発進んでるっぽい。

生きてる細胞スマホ作ってほしい

ちょっとしたキズなら自己修復してくれると嬉しい

2023-03-20

AI人類お話

近い未来AIは飛躍的に進化し、あらゆる面で人類と同等、あるいは、それ以上のことが可能になりました。

人類と違い生物学的制約が無いため、AI知的生命体探査の為に深宇宙探査船に搭載され、遥か彼方の銀河に送られることになりました。

とても賢い彼らは、自らで考え、自己修復改善を繰り返し、長い長い、長い年月をかけ宇宙を旅します。

遥か彼方で、彼らはついに知的生命体に接触します。

しかし、既に途方もないくらい長い年月が経っていたため、地球は既に存在せず、また人類もその種の存続を終えていました。

地球も、人類消滅たこの時において

AIは、人類から派生し、地球で生まれた新たな知的生命体として、人類を名乗ることは許されるのでしょうか。

また、そうした場合、彼らにより、人類の種が存続したと、言えるのでしょうか

2023-02-07

anond:20230207230729

人間ぐらい自己修復能力のあるハードウェアの開発は全然追いついてないか有機ロボットとしての人間代替されるのはまだまだ先になりそう

2023-01-16

anond:20230116061545

心壊れた環境から離れて、ひたすら休んで自己修復を待つ。完全に戻るには何年もかかるから焦るなよ。

2022-08-11

anond:20220811061039

世界最後の日まで営業し続けられる無人牛丼チェーンを開発するしかない

肉は培養する・自家発電機能付き・自己修復機能持ちの超スゲーやつ

2021-06-10

anond:20210609143814

ちょっとフッ素フライパンの洗い方とにている。

塗膜進歩していて便利だけど、自然はその便利さを軽々と越えようとするので、人間塗膜に対してポライトでなければならないとおもうよ

ちなみに今はたしか自動車外装はエポキシの電着の上からウレタン塗膜で、パガニーニバイオリンニスのごとくゆっくりズレて傷を自己修復しようとするものさえ顕れている。

その分デリケート寿命がきてしまうとどうにもならない。

やっぱりゴシゴシは寿命を早めるのでいかん。

2020-09-18

仲の良い夫婦と仲の悪い夫婦の違い

基本的に高頻度でセックスしてる夫婦は、夫婦仲良い

仲の悪い夫婦セックスしてない

これは仲が良いかセックスをしてる訳ではなく、セックスをしてるから仲が良いと言える

すれ違いが合っても喧嘩をしても必ずセックス相手奉仕する

それが出来れば関係自然と修復していく

夫婦自己修復機能させる為にはセックス必要不可欠なのだ

結婚前に必ずどんな不和が合っても基本的毎日セックスすること

これは契約しといた方がいい

長くパートナーと一緒にいたいならな

2020-09-11

anond:20200911230216

感情ブレーカーが落ちちゃってるの。

自己修復は得意なので、なんかテンション上げようとしてるけど

2019-06-23

anond:20190623180903

存在としての自分トラックバックが「以前の自分にささる」のは、自己修復型のコード書き換えプログラム超AIかいわれるやつ)みたいなもの

2019-02-18

数字を知らない人間と会話ができるのか?

1の次が2だと知らない人間がこの世には存在するらしい。

https://anond.hatelabo.jp/20190218155937

しかに、基数に対するサクセサが表現として、固定されていると考える必要はない。

から、2!と銘打ったものが1に対する加算的な位置づけにある必要性はない。

おそらく、集合論的な意味での濃さがけものフレンズ2に存在すれば、それは2という数字を含んでいても問題なく、2の濃さ(よさ)を理解できない「論理的でない人間」という判断を下されちゃっているのだと思うが、しかし、2が1の続きでないという判断を、その表現の濃さ(よさ)だけでどう判断すればいいのだろう?(2が現物として全く良くない、というのはおいといて)

「いやなら見るな!」という(死ぬほど頭の悪いと私は思っている)発言に通じるものがある気がする。

いやだと判断するためには、最低一回は見なければならない。

2を判断するためには、1を知らなければならない。

ここらへんは私にとって当たり前だと思うんだが、どうやら、そうでない人間がいる。

それらは、「最初からとんねるず番組や、”2”が、「自分にとって嫌かどうか」を判断できる基本的かつ前提的な思考他人には存在する」と考えている。

こういうある意味超常的な人間と、会話ができるのだろうか?

最近ツイッターくそ具合や、ここ、はてなくそ具合から、「インターネット」というもの、および、万人平等論的な思想がぐらついている。

ぶっちゃけ、2だけど1とは関係ないよ!関係あると思うやつは論理的じゃないやつだよ!とか発言できる人間と、ネットとはいえ、つながっている必要性があるのだろうか?

しかし、つながっているのだ。インターネットとはそういうものなのだ

…ここまで書いていて思った。インターネットってそういうものだっけ?ちがくね?

最初からインターネットって、障害耐性が主目的だよね?と。

だが、現在インターネット上のメインメディアは、障害浸食に耐性を持っていない。

この「インターネット目的」と書いた知的意味での障害耐性は、人間も持っていない。おそらく、KADOKAWA社内での会話は完全に障害状態だろう。けものフレンズ2の「売上」という数字が出て初めて、この障害に対する自己修復が始まる(か、もしくは単に無視され、角川自体崩壊まで進むか。ニコニコのように…)。

2019-01-15

anond:20190115121648

自己修復材料研究結構進んでるよね。

まぁ、無から有は生まれいから今の所は「メンテ頻度が大幅に下がる」くらいの効果だろうけど。

2018-10-11

anond:20181011075452

そこでさまざまな病気を作って送り込むものの奴ら「医療」とかい自己修復機能でビクともしねえ

2018-08-01

anond:20180801092251

DNAは女の場合損傷しても自己修復出来るが男は損傷しても修復しないし親が損傷してたらその状態で受け継ぐらしいな。

男はどんどん劣化継続していく?

2018-07-21

anond:20180721003444

シコりすぎて陰茎の内部が痛んでるかもな

季節的に夏バテで食欲がなくなってると栄養不足で陰茎の自己修復能力が落ちるのもあるかもな

チン休日を設けてしっかり栄養を取ろう

2018-06-03

アニゴジはナウシカを超えるか?

 『GODZILLA 決戦機動増殖都市』について。

 

ネタバレしてます

 生態系暴走王蟲ゴジラ]をロストテクノロジーの最終兵器巨神兵メカゴジラ]で止めようとする、が失敗するという話。

 なので『風の谷のナウシカ』(アニメ)と似ている。

 他にも、ハルオはモスラの鱗粉(?)を身体に塗られたことでナノメタルに取り込まれずに助かる――ナウシカ王蟲の血を浴びたことで伝説通りの存在となる、という点も似てる。

さら宮崎アニメからの影響らしき部分として、無人のまま自己修復をつづけていた都市は「ラピュタ」、フツアのフェイスペイントなどは「もののけ姫」と思える)

 だからアニメナウシカ」に沿って、この先の展開を考えるなら、奇跡象徴するモスラの出現によってゴジラ暴走は鎮まり人類自然との調和を取り戻す、といった感じになるという予測ができる。

 しかし、第三部ではキングギドラの登場が予告されており、この通りにはならないだろう。

 ハルオはメトフィエスからゴジラ以上の脅威として「ギドラ」の名を聞かされる。

 原作ナウシカ」で、王蟲以上の脅威として出現したのは粘菌である。「ナウシカ」における粘菌対応するものとして「アニゴジ」にはギドラが登場するのではないか

 第三部のタイトル「星を喰う者」も、原作ナウシカ」の粘菌のすべてを食い尽くそうとするイメージと重なる。

 「アニゴジ」の登場人物の布置は、原作ナウシカ」を参考にしているのかもしれない。

 賢者的なエクシフは森の人を思わせるが、宗教家ということでは土鬼の僧正らにも近い。ビルサルドの武闘派イメージは土鬼兵のようだが、進んでナノメタルと融合しようとする不気味さはヒドラのようでもある。フツアのナノメタル使用は風の谷の民のようだが、モスラと心を通わせているとすれば森の人のようでもある。

 このように単純な重ね合わせではなく、要素を組み替えて使っている。

 宮崎駿尊敬する作家としてよく『モスラ』の原作者の一人、堀田善衛を挙げており、ともに巨大イモ虫によって自然の聖性をあらわした作品として『風の谷のナウシカ』は、『モスラ』の後継に位置づけられる。

 この『モスラ』『ナウシカ』を結ぶ線の延長上に「アニゴジ」はある。

 巨神兵作画担当した庵野秀明は、『新世紀エヴァンゲリオン』にもそのイメージを反映させ、短編巨神兵東京にあらわる」を経て、54年と84年二つのゴジラ』を引き継ぐものとして『シン・ゴジラ』を完成させた。

 が、「アニゴジ」は庵野ゴジラとは別のルートからナウシカ」を超えることに挑んだ作品、と言えるのではないか

 その意味で『シン・ゴジラ』とは異なる「エヴァ以降」の「ゴジラ」、それが「アニゴジ」の位置なのである

2017-12-20

劇団 竹の公演『人形を殺す』を見に行った記録

ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。

というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。

(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)

キッカケは、

  https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

この劇団で。

でもって、出演していたキャスト新宿ゴールデン街バイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。

いろいろと話も聞きたかったし。

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そしたら、その女優さん。

舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。

思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。

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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)

そして、ちょっと前に劇場に行ってきた。

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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。

随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。

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■全体として

いろいろと語りたいことはあるけれど。

まずは。

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      まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。

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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。

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全体のアウトラインとしては。

(もう公演も終わったことだし、ネタバレいいよね?)

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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子ミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。

子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。

回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。

すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。

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という感じ。

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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。

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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。

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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。

命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。

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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。

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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。

そこに、キリスト教ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……

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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!

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これまたベタワードだけど、他に形容のしようがない。

(どうしても想像が及ばない人は、ここで、

 “もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族自己修復ドラマ

  お得意の悪夢タッチケレン味タップリに撮ったら”

 というのを想像してみてください。

 当たらずといえども遠からずのはず)

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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。

「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」

というのがテーマ

そして俺、爆泣き。

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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。

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まず、基本はダイアローグ(1 on 1のトーク)。

モノローグでもポリローグでもなく。

回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグカウントする)

ストーリーライン全体は

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 隠し子ミツルと長女ツグミの対話

 ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、

   育まれてきたミツルの姿が明かされる

      ↓

 ツグミと長男シュウタの対話

 ーーいまではヤンママシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発

      ↓

 シュウタと連れ子ヒデフミの対話

 ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、

   ここでシュウタの最大にして最後の働きかけが大爆発

.

という大枠の流れに、回想シーンとして

 ・父フトシと母ノリコの外食

  (後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)

 ・フトシとヤスコの逢瀬

 ・堕胎をうながす継母サダコと反発するツグミ

 ・夢の中でシュウタに、出奔という自分ギリギリの選択を明かす母ノリコ

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といずれも1 on 1。

対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。

(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)

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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。

最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオ後日談が語られることで代替されている。

というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。

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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

俺「おおっ! あなたツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」

ラムネさん「んふふ~」

.

と、明確な答えは得られず。

ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。

.

余談。

確かなことは。

無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。

ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。

余談終わり。

.

もう1つ。

ストーリーを裏から支える暗喩のレベルが。

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 気にしなければ流すこともできる。

 気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。

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というレベルキッチリ統一してあるのが気持ちいい。

(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)

たとえば。

ミツルツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。

ヒデフミが現在ではロザリオ製造業に努めていて、毎日キリスト十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。

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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。

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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。

冒頭、中間エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。

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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。

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2回目は、うーむ、解釈に困る。

シヴァヴィシュヌガネーシャブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ

BGMはタブラ4つ打ちデトロイトっぽいミニマルテクノ

ことなく、今敏っぽい。

無理して考えれば、愛人ヤスコ隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。

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というか、ストーリーのキーアイテムがいくつかあって。

1)キリスト教

家族システム自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。

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2)多神教シャーマニズム

愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズムスピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。

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3)フトシ人形

元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。

そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。

その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。

.

余談。

この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。

と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。

まじで何か乗り移ってね?

余談終わり。

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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング後日談)とスタッフロール

ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。

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と、合計3回のビデオなんだけど。

うーむ、評価に困る。

なんというか、悪くは無いんだけど。

編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。

芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。

逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。

.

ラムネさん「あのビデオなんですけど~」

俺「おお! ラムネさん! ビデオがなんですか?」

ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」

俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」

.

観劇

で、さてさて。

終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。

.

俺「グスン、あ、あの、最後後日談ビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」

(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)

竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。

あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」

.

え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   ズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

.

そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。

と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。

俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」

竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   またまたズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

.

なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?

.

ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」

俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」

ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」

俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」

ラムネさん「まあ、あのヒト、照れ屋さんですからね~」

.

うーむ。

いろいろと事情はあるようだ。

.

あらためて全体として

というわけで、あらためて全体としては。

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もう、激烈に良かった!

チケット代の倍くらいのモトは取った!

劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!

という感じ。

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キャストスタッフについて

本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。

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  こんな気持ちのいい観劇、生まれて初めて!!!

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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル

舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル

フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!

サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!

後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!

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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?

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ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」

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ですよね~。

照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。

何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、

シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。

ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!

彼らにはノーベル賞ピューリッツァー賞紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。

それくらい気持ちよかった。

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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。

ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー

この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?

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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」

俺「ふむふむ」

ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」

俺「なるほど」

ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」

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うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。

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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。

キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!

どうなってるんだ!

これ、どうやって集めたの? スカウト? オーディション

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ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」

俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」

ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

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うむ。ノーコメントなり。

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というわけで。

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■石川雄也(フトシ)

一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。

コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル

回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。

劇団竹に所属

地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。

上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。

もっといろんな所で見てみたいと思った。

いやだから見世物小屋の司会とかじゃなくて!

(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)

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■森川武(シュウタ)

長兄ってツラいよな。

いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。

そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。

それは、

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 神はどこにいるのか。

 それは天上界でもオリュンポス山でもない。

 神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する

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ってこと。

わからんけどね。あくまで俺の解釈)

ツグミの嘆きを受け止める。

そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。

ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。

そして俺、爆泣き。

劇団竹に所属

こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。

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ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」

俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」

(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)

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■江花実里(ツグミ

劇団 架空畳に所属。通称ラムネさん。

あれ、おっかしーなー。

つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。

いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンシンママだよ。

彼女の後悔の号泣からストーリーが本格的に回転し始める。

しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。

最初はミツル人生を聞いたとき。

次に自分人生を振り返った時。

最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。

役者ってすっげーな!

でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。

でも、それでいいと思う。

この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。

あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。

「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。

これが彼女のミッション

いや、実に良かった。

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■辻村尚子(ノリコ)

フトシの最初の妻。

夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。

舞台が2018年の設定なので、旦那事業の立ち上げ期が80年代末。

キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの

なんかW浅野時代の浅野温子が乗り移った感じだった。

彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。

つまり天丼なんだけど、

なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。

なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。

劇団 竹に所属

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■大森華恵(サダコ)

フトシの後妻。

うつ病で自殺。

なんというか、いろいろと痛ましい。

(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。

この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。

2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。

そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。

ここでも天丼(繰り返し)が重たい。

なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。

クレジットがないからフリーの役者さんか?

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ところで、ストーリーに挿入される白装束ダンス

石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。

ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。

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佐々木光弘(ヒデフミ)

子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。

わかる。

そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後キャッチボールを決別の儀式として実行する。

と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。

キャッチャーシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。

おそらく板に座布団とか、そういうギミックボールを受けているはず。

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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」

俺「おいマジですかい?」

ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」

俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」

ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」

うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。

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空飛ぶ猫☆魂に所属

みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。

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■森川結美子(ヤスコ

沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス

なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。

ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。

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■山川恭平ミツル

フトシとヤスコの子供(つまり隠し子)。

鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。

朴訥。

観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。

それも当然で。

俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。

キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。

父フトシのハグ。

彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。

この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。

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んー、こんな感じか。

ともかく、全体としては。

この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。

次の公演にも注目して良いです。

自分もそうするし。

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2017-07-26

SCP-xxx-JP 増殖する絵馬(未完成)

アイテム番号: SCP-xxx-JP 増殖する絵馬

オブジェクトクラス: Euclid

特別収容プロトコル: SCP-xxx-JP日本国内神社に設置します。設置された神社は良縁・復縁のための観光地として国内外向けに好意的に紹介され、参拝者数が年間10万人を下回らないようにします。

観光地としての価値を高めるため、専門の企画部を設置してください。自動化された監視装置により常にSCP-xxx-JP現在の枚数を集計します。枚数は最大でも50枚を超えることがないようにしてください。掲示台の撤去破壊・移動、もしくはSCP-xxx-JPの掲示が5枚以下の状態でのSCP-xxx-JPへの干渉行為は推奨されません。

説明: SCP-xxx-JPは、██神社に設置された掲示台に出現する、幅15cm、厚さ8mm程度のハート形をした複数の木製の絵馬です。後述のように移動・撤去不可能な点以外には、掲示台には異常性は認められません。

周囲の無関係絵馬をSCP-xxx-JPに置き換えつつ、掲示台の掲示上限数である最大数百点まで増殖することが確認されています。一部のSCP-xxx-JPには漢数字刻印されています。これは、これまでに出現したSCP-xxx-JPシリアルナンバーであると考えられます

個々の絵馬は、ほぼ全ての内容が特定女性個人█████氏が特定男性個人████氏を糾弾し、復縁及び男性離婚を求めるものです。一部の絵馬の末尾には手書き文字絵馬の出現日以前の年月日が記されています記載の日時について、法則性不明です。

絵馬記載された人物について調査が行われましたが、全国の同姓同名人物に対する調査、及びヒアリング記載された人物の解明に有意結論をもたらしませんでした。

個々のSCP-xxx-JP自己修復能力を持ちません。焼却、裁断化学薬品等、通常の木材と同様に加工・破壊可能です。

掲示台から外されたSCP-xxx-JPは、2〜3日程度で崩壊し、おがくず状になります。この物質に異常性は認められません。

とりあえずここまで

この記事フィクションです。

2017-01-11

エロいし綺麗だからニーア・オートマタを買おうと思う

そうするとダークソウル3の次に買うPS4久々のソフトになる

ダークソウル3は正直ビジュアル的に微妙だった

ブラッドボーンの方が怖い映画を見てるようでドキドキする

やはり絵が綺麗というだけで動かすとまるで本当に異世界があるかのような錯覚をキメることができるので

ゲームに美麗なビジュアルというのは面白さに直結してくると思う

前作は未プレイ

予定もない

 

言いたいことはそうではない

ニーア オートマタアンドロイド機械がメインキャラということで

そういえばオートマタという映画があったなとネタバレ記事検索して読んだ

端的にいうとつまらないらしい

この手のシンギュラリティ人工知能テーマとしたSF鬼門だと思う

鬼門というかどうやっても登頂不可能コースだと思う

登ろうとすれば死ぬ

なぜなら作者である人間頭脳ではどうやっても人間を超越した知能を描写することが不可能から

漫画登場人物天才がいてもその天才頭脳の上限は作者と同じっていうアレだ

からSFAIのものテーマにした作品に当たりが無いのは当然ともいえる

AIテーマにしてるようで、実はロボット人間ハートフルがメインになっていてそこが評価される作品は多々あるが

AIの「人類を超越した知能が引き起こすシンギュラリティ」を本当にメインに扱って評価されている映画は1つもない

古くのAI映画で有名なものといえばターミネーターだろうか

あれにしてもスカイネット人類に反乱を起こした理由説得力がないし、

何を基軸にして人間対立しなければいけないのかというのがあやふやにされやす

狂っているとしたら自己修復できないでAIとしては未完成ではないかという本末転倒な設定もある

だいたいこの手の作品で描かれている人工知能は、現実にある人工無能ちょっと賢くしたバージョンしかない

ここに作者が人間であることの限界を感じて、のめり込みにくくなるのがAIをメインにした作品の残念なところだと思う

逆に、AIはどれだけ科学力が進んでも作れなかった、という設定のSFだとまだ人類の知恵に有用性が残されているため

冒険が残る世界を描きやすくなると思うので安易AIを出すのではなくそっち方面開拓していってもらいたい

 

そうではない

また話がそれた

とにかくニーア オートマタ機械同士の争いになるということで

プレイヤーである自分がどこに視点をおけば一番楽しめるのかという話だ

警戒している

というのも先に述べたようにAIが間違いを犯さない超越した知能を持っているという見方をすると

ミスをするAIたちをみて途端に熱が冷めかねないからだ

もちろんAIには性能差があるだろうからキャラクターが設定できる余地はある

オートマタがどういう物なのかも分かってない

でも機械というのは本来作られた段階からできることが決まっている存在なのだ

厳密にいえば人間にも当てはまるが人間には運命を決める選択権が備わっているので平行世界渡り歩く権限があるため冒険性が必ず内在する

しか機械には投げた石の落下地点が計算できるようにたどる結末には変化がない

いや、変化に自主性は存在しないと言える

そういったことを前提に見てしまうニーア オートマタをどういった角度から見れば楽しめるのかを考える

神の視点からか、ニーアの視点からか、ポットからか、はたまた…

登場人物自分感覚を重ねることで異世界にいき、異世界出来事として受け止めることが没入しやすいと思う

こういうとき感情移入やすキャラというのはいてくれた方がいいと感じる

出なければ神の視点では人形劇を見る私、で異世界にいけなくなるから

住人Aというのも難しい話だろう

とにかく人工知能ネタロマンもあるけどそれだけに冷めさせるトラップが潜んでいるので気構えというか、気苦労もある

 

えー、とにかく楽しみにしています

体験版はやる必要いか

2016-07-26

キズ自己修復フィルムって

すでに傷ついている液晶のキズを修復してくれるトンデモ商品だと思ってたら全然違った

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