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はてなキーワード: 天上界とは

2024-02-16

anond:20240213234312

昔、近所の爺様が同じ事言ってたな。

「ワシは神だ。ワシのいう事を聞けーっ。」とかなんとか。

それから暫くしたら病院にぶち込まれてた。

出てきたとは聞いたことが無いからそのまま天上界へ行ったんだろな。

そういう意味じゃ神になったのかも。

そうじゃねーのか?

2023-07-19

anond:20230712150359

蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである

もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。



例えば「絶対悪の淵とやらから救い出すべきかどうかなど天上界のお釈迦さまでもない人間には判断しようもないが、それはそれとして良いことの一つや二つくらいはしていたかもしれない」いう立場だってありますよね




誤った二分法(あやまったにぶんほう、英: false dichotomy)、選択限定あるいは誤ったジレンマ(英: false dilemma)は非論理的誤謬一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。

誤った二分法 - Wikipedia

2023-07-12

ナチスは「良いこと」もしたのか?』といつものはてな民たち。

以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介蜘蛛の糸を思い出した。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html

 

血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタ地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。

 

ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかたことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸そっくりな気がずっとしていたものだ。

 

蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである

 

もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。

 

id:NOV1975 対戦相手全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題

このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチス否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである

 

話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするから(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。

 

さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代学術見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチス経済政策や、労働政策環境政策健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったかである。『ナチス発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツデカデカと表紙にするセンスそもそも信じ難い。

 

したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチス政策を腐しているわけではないのだ。

 

結果的には評価として、ナチス政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在バルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツ歓喜公団Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設労働者が無料使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである

 

個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判視点を忘れずに、それを可能範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)

 

追記プローラの巨人については私自身の記憶曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。

売却と再開発

 

改装後の2019年

2004年10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。 2004年9月23日ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロ落札された[1]。 2005年2月23日、旧ミュージアムマイルブロック3はInselbogen GmbHに売却され、同社は建物ホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra Projektentwicklungs GmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日競売にかけられ、ベルリン投資家が275万ユーロで購入した。

 

2006年11月連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州から財政支援を受けて、この建物ユースホステル設立する計画だった。複合施設最北端位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。

 

2008年末、プロラが本来目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル観光客向けのアメニティ建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルドから懐疑的意見もあり、また、町の過去歴史から観光客には不適切場所だとも言われた。とはいえ2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向観光客に向けた施設拡張可能性も提案されている[8]。

 

2010年9月ドイツオーストリア投資グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテル建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロ見積もられている。

 

メトロポールマーケティング

2013年ドイツメトロポールマーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年ブロック1に新しいアパート第一号がオープンした[10] ブロック2のホテルプロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。

 

2017年11月更新によれば、ブロック1のユニットフラット)のほとんどは、ハンブルクベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイト短期賃貸として掲載していた。

2023-05-02

anond:20230502113352

六道輪廻世界観では、天上界人間界地獄界すべてに苦しみがあるのです。

そもそも六道界の中で何度生まれ変わっても、苦痛からは逃れられない。

ただ、苦痛の度合いが違うだけ。

転生輪廻の鎖に縛られているかぎり、魂は本当の意味での幸せを得ることはできない。

唯一、転生輪廻の輪から外れることでしか、救われない。これを解脱という。

2022-11-22

車が空飛べるようになったら上級国民が住む天上界と下級国民が住む地上スラムに分かれそう

地上スラム上級国民居住層を行き来するゲートが作られて下級国民は地上からエレベータに乗って出勤する

居住区には厳格な立ち入り制限が設けられていて配達や清掃など立ち入り許可を持っていないと入ることができない

上級国民は空飛ぶ車で上空間を行き来するので地上に降りることは滅多にない

ある日空から故障した一台の車が地上スラムに不時着する

車の中で一人の少女が気を失っておりその胸元で美しい石のペンダントが微かな光を放っていた・・・

2022-05-24

anond:20220524121031

なんかそういう漫画があったな

天上界から下界に降りてきた何かが人間世界暮らし始める話

2022-03-22

anond:20220322182622

「いつもやってる」藁人形レッテル貼りができないからって拗ねないのZ信者くんwwwそんなもんでごまかせる低レベル界に居たかわからんだろうがwwwwおまえの知らない天上界もあるんやで

2021-11-25

日本語の原郷」について、補足説明

「『日本語の原郷』についての論文を読んでみた」(anond:20211121124146)を書いた増田です。思ったより多くの反応があって嬉しいので、調子に乗ってはてブの反応に対して補足説明みたいなのをしてみます

言語学でわからないところを他の学問補正するのはアリ?

そもそも言語学では分かりようがないところを考古学遺伝学の視点から補正したっていうのがあの論文の眼目だと思うので、言語学の面だけ否定しても…

こういう意見がみられましたが、少なくとも考古学遺伝学の成果から言語については何もわからない、ということを強調しておきます

極端な例を挙げると、100年前にアメリカ移住した日本人の子孫で、ご家庭でも英語しか使っていない日系アメリカ人のことを考えましょう。彼もしくは彼女遺伝的には日本列島に遡ることができます(おうちを探すと日本列島由来の品が出てくるかもしれません)。では言語的には? 彼もしくは彼女が話しているのは英語であり、英語というのは印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群アングロ・フリジア諸語に分類されるイングランド発祥言語であるわけです。どれだけ遡っても日本列島には行き着かない。「この人は遺伝的には日本列島出身なのだから英語起源日本列島にあるんだ!」なんて話はおかしいでしょ?

古代にどのような人口の変動があったのかはわかっていません。移民同化が起きたのかもしれない。婚姻によって遺伝子が混ざりあった可能性もある。その場合遺伝子の伝播と言語の伝播が異なるルートである可能性もあります遺伝子はヒトの移動について詳しく教えてくれるけど言語の移動についてはなんも教えてくれないんですよ。せいぜい傍証になるだけ(「言語学観点からは○○語は××地域あたりが原郷だと思われるが、遺伝学で調べてみたら××地域からの大規模な人の移住があったっぽいので、このとき言語も広まったんだと思われる」みたいな)。

ニュースになるのは仕方ない

と言うことで、こんな与太話、なんで毎日新聞記事にしたの?と周りの研究者が頭をかけている、と言う話なのかしら。

様々な仮説があるのはいいけど、定説化とか定説エビデンスによって覆されたとか以外はニュースバリュー無いと思うんだが、なぜ報道されたのか。

いやー、Natureマックスプランク研究所研究者が載せた日本に関する斬新な論説をニュースにするな、という方が無茶じゃないでしょうか……

正直、これメディアを責められないと思うんですよね。実は著者のロベーツさん、去年オックスフォード大学出版からオックスフォードトランスユーラシア語族ガイドブック』なんて本を出してるんですよ(Robbeets and Savelyev 2020)。天下のオックスフォードUPから『~語族ガイドブック』なんて出てたらその語族実在は学界の定説になってるって勘違いちゃうのも当然っていうか……これ、今回は日琉語だから気づけたけど、パプアニューギニア言語とかでやられたら引っかからない自信ないです。

なおその『ガイドブック』には辛辣書評が出てます(Vovin 2021)。掻い摘んで批判の内容を紹介すると、「分析されてるのが現代語ばっかりやんけ」「系統関係があるって言うなら明確な対照表を示してみろや」「中期朝鮮語の再建がおかしいけどちゃん韓国語の先行研究読んどるんか?」「“leading international scholars”が書いたガイドブックって謳ってるけど著者のうち6人は院生じゃねーか」みたいな感じです。さらには、

We move now from the bad quality of research to the realm of science fiction in Table 39.1 that is supposed to present core Koro-Japonic etymologies. But there is at least one mistake and/or data fabrication on every line. (Vovin 2021: 126)

なんて書かれてます。怖ぁ~……おしっこちびっちゃう……

大野晋トンデモです

大野晋先生が生き返ってあと数十年研究してくれんかな

これは元増田でも書きましたが、大野晋は、少なくとも日本語起源という点については完全にトンデモです

タミル語はドラヴィダ語族というインド南部語族に属する言語ですが、大野は「日琉語族とドラヴィダ語族はより大きな語族内包される」というありえそうな穏健な主張ではなく「日本語起源タミル語である」という主張をしていますしかし「なぜドラヴィダ語族全体ではなくタミル語比較するのか」「ドラヴィダ語史がまったく考慮されていない」「語義の解釈おかしい」「サンスクリット語から借用語に気づいていない」などのツッコミに対して有効反論ができていない上、ツッコミを受けた箇所をしれっと書き換えたりツッコミを入れた人たちに人格攻撃を加えたりしています長田 1998;児玉 1996;山下 1996; 1998)。やり口がもうきちんとした学者のそれではありません。

大野語源論が誤っている一例として、amarar「不死なる者」という単語について挙げておきます大野はこれを日本語「あま」と関連付けて「天上界の人」の意だと解釈するのですが、これはサンスクリット語amara「不死の」から借用語です。これはさらにa-maraと分解でき、a-は否定接頭辞、そしてmaraの語根mr英語murderやmortalとも関連しています(つまり印欧祖語に遡る語ということであり、どう考えてもタミル語起源単語ではない)(山下 1996: 204–205)。

八丈語系統位置について

日本祖語から琉球語、もう片方の枝が本土語と八丈島語に分かれた系統図を覚えてたんだが、あれからずいぶん研究が進んでるんだなあ。/20年前に既にずいぶん版を重ねた本で得た知識から当然か…。

五十嵐2021)の説は発表されたばかりなので「定説」といえるほどではないですが、きちんとした分岐学手法に基づいて系統解析してるんで個人的には信用してます

で、従来説における八丈語位置づけですが、正確には、上代東国語の唯一の生き残りが八丈語というものです。つまり、「本土日本語派」がまず上代日本語(OJ、奈良など当時の首都で使われていた言語)と上代東国語(『万葉集』の東歌と防人歌に痕跡が残る)に分かれ、後者八丈島(&青ヶ島)以外では滅んだ(=上代日本語同化された)ため、現代では八丈語日本語対立するひとつの語派を形作っているということです。

系統樹にするとこんな感じ(樹形図をどう書けばいいのかわからないんでとりあえず「うんこするの?」の樹形図からコピってきたんですが、見づらかったらすみません)。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語現代日本語

        │

        ├─ 上代東国語→絶滅

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

この樹形図から絶滅した言語を取っ払って現代にのみ注目するとこうなります

日本語派 ─┬─ 本土日本語

      │

       ├─八丈語

それに対して、五十嵐2021)は、上代東国語は滅びたわけではなく、表面上は関西からの影響を受け続けたものの、現代関東東北地方方言として生き延びていると主張しています。つまりこういうことです。

日本祖語 ─┬─ 上代日本語関西の諸方言

        │

        ├─ 上代東国語→関東東北の諸方言

               │

               └─ 上代東国語の八丈島方言八丈語

八丈語が際立って特殊に見えるのは、この言語が失われた東国語の唯一の生き残りだからではなく、他の東国語の末裔茨城弁とか)と比べて中央からの影響が少なかったため東国語の特徴が保たれたおかげだ、とするのが五十嵐説です。

要するに、「東国語は滅んだ(=東国話者が完全に同化された)」のか(従来説)、それとも「東国語は生き残っている(=東国話者中央からの影響を受けたけど完全に同化されはしなかった)」のか(五十嵐説)、という違いです。個人的には後者妥当じゃないかなーと思うんですが、どうでしょうか(だってそんな大々的な言語置き換えはどうやって起きたの? ってなりません?)。

なお、五十嵐2021)だけでなく、元増田でも言及したローレンス(2013)も、八丈語には他の東日本の諸方言と共有される要素が見つかり、それは西日本の諸方言には見られず、したがって八丈語東日本の諸方言の内に位置づけられる(=八丈語本土日本語対立する系統であるとする旧来説は誤り)と主張しています

味噌」の語源朝鮮語

日本語に興味のある&研究手法を学んだ”素人には、この論文言語部分はとても怪しい。増田の指摘以外に日本語の粟を他言語大麦の借用としたり、味噌(未醤)を漢語ではなく朝鮮祖語からの借用にしたりしてる。

実は増田もそれを見たとき「えっ……?」って思ったんですが、否定できるほどの根拠を持ってないので書きませんでした。確かに先行研究では意外な言葉朝鮮語から借用語だとされてることがありしょっちゅう驚いているので(たとえば「つち」とか)、「味噌」が朝鮮祖語からの借用というのをありえないと即断することはできないんですが……。

いちおうここで論文の内容を紹介しておくと、『鶏林類事』に[mitsu]という語があって、そこから朝鮮祖語*micuを導き、平城京木簡みえる「末醤」から上代日本語の*misoあるいは*misəを再建し、それは朝鮮祖語*micoもしくはその交替形*micʌからの借用である、という議論になってます。これだけじゃ門外漢増田には当否がわからんのですが国語学的にはどうなんです?

なお、該当箇所に、

...This fragment preserves the following inscription: 御末醤一石二斗, i.e. HON-“bean paste” reads as miso. The Wamyoshō, a Chinese to Middle Japanese dictionary compiled in the mid Heian period has the same kanji (末醤) glossed as miso (美蘇)...

とあるのですが、「一石二斗」の部分いらなくね? とか、転写するならWamyōshōじゃね? とかはケアレスミス範疇だろうから突っ込まない方がいいのかな……

やはり女王は強かった

マイルCSグランアレグリアが有終の美を飾ってくれて最高でしたね……あとはコントレイルジャパンCで有終の美を飾ってくれれば……実はまだ「三冠馬が勝つ」ところを見たことがないので、一度は見ときたいなぁと(にわかですいません)。

「この分野は素人なのですが」

本当に素人なんだけど何でみんな信じてくれないんです……?

参考文献

2021-06-06

anond:20210606183530

投資はない。

親は中卒だから

Wは何?

話聞かないで結論言うなよ

40過ぎたニートがよ。

まあお前より随分と天上界にいるよ。

文が中学生みたいだな。未だに。

40歳君。

2021-03-02

人間は他の生物の命を奪う生き物

ヴィーガンw

お前らの食ってる野菜がなくなることで崩れる生態系無視かよw

農業のために森林が開墾されてつぶらひとみ小動物たちが絶滅危機www

見えてないからセーフwwwww

悪いけど地球上のエネルギーを1ミリも消費しないようにするには自分死ぬしか無いんだわ。

まり生きている以上、他の生物の命を奪うことは不可避。

質量保存の法則考えれば誰でもわかる。

からせめてもの感謝を、奪った命分だけ世の中が良くなるように努力するって、いただきます!っていうんじゃねーの?

だって祖父葬式で、通夜振る舞いに出てきた寿司を見て真剣に考えたよ。

祖父の死はこんなに悲しいのに、この寿司だって同じ生命を奪われた生物じゃないかって。

なんでみんな平気な顔して食べてられるんだって

そうやって自分なりに真剣に考えて導き出した結論は、娯楽で生物の命を奪わないこと。

奪ったら無駄にしない。

そうして頂いた命で成り立ってる自分も粗末にしない。

俺にも蚊が潰せない時期があった。

ここで潰されたら、この蚊の命は終わるんだ。もし自分だったらどうしようって。

だけどさ。淘汰の歴史を考えたらもうダメなんだよ。

潰されるような相手の血を吸わないといけないような状況になってしまった時点で。

から自分に害をなす蚊だけは潰せるようになった。

だって自分の命だって沢山の命から預かってる命なんだから

その生命を脅かす存在だけ許されるのはおかしいだろ?

その分この生命ちゃんしたことに使おうって決めたのだからそれでいいじゃんか。

どこまでいっても、自分が生きている以上は、何かの命を奪うよ。

その中のどれかにしぼって、せめて自分だけは奪わないって決めたならそれでもいいと思うよ。

でも、野菜だけ食べてれば問題ないってのは嘘だね。へそで沸かした茶を飲んだ鼻が笑い出すレベル

だって、それをするなら世界人口を減らすほうがよほど効果あるでしょ。

単純に考えて人間が増えた分のタンパク質やらが地球から減ってるんだから、その分の動物が減るのは摂理

動物を減らしたくないなら、「食わない」じゃなくて「食う存在を減らす」ってことだとちょっと考えればわかる。

そういう意味で、自分の命を削ってまで動物を食べませんっていうならわかる。

だけど、動物を食べなくても健康に害はありません。っていうのはどうなの?

そうやってノーリスクエコができますみたいな表現はやっぱりおかしいよ。

さらに言えば自分たちは一切動物迷惑をかけてないから、動物を食べる人間攻撃してもOKみたいのはどうなんだっていうの。

他の生き物だって、色々な生き物の命を食って生きてるんだよ。直接的であれ間接的であれ。

淘汰で生き残れなかった命を預かって、次の淘汰に備えてるんだって

それを人間だけ天上界みたいなところから見下ろそうなんてのは文明2,000年程度の青二才には早すぎるよ。

ヴィーガン存在別に自由だけど、思想は鼻で笑うよ。悪いけど。

命を食べる覚悟しろよ。

自分だけの命だと勘違いした身勝手を捨てろよ。

じゃないとお前の血肉になった命がうかばれねえだろ。

いたずらに命を奪うことは、ヴィーガン関係なく反対。

お前の命がいたずらに奪われても文句を言うなよって思う。

でもそれは植物も一緒で、野に咲く花を引っこ抜いてちょっと嗅いだくらいで捨てるやつもおんなじ。

動物植物関係ない。

それを植物OKみたいに線を引くのがどうしても納得できないんだよな。ヴィーガン

おかし宗教とは違うってことをもうちょっとわかりやす説明してもらえんかね。

2020-11-15

お店とかサウナでたまにテレビを見るけど、あいつら収入社会的地位庶民とは全然違うんだから、5分も見てると天上界上級国民同士の会話に見えてゲロ吐きそうになる

あいう人らの会話とか見て楽しめる人たちって高収入高学歴社会的地位確立してる人なんだろうな

似た者同士とかいうけどもっと底辺同士の会話じゃないと見てて全然楽しめねえわ

2020-01-29

映画キャッツ酷評感想

映画版キャッツ字幕版を観た感想ネタバレ酷評)を長々と書いていきたいと思います

公開初日に見て間が空いてしまったので、記憶曖昧なところもあり、映画の内容と異なる部分があるかもしれませんし、ほぼ散文なのでご了承ください。

あくまでも個人的感想です

感想を書く際には公式ホームページAmazon music unlimitedでサントラを聞くなどして記憶呼び戻したり、整理しました。



あらすじ

ロンドンとある晩に天上界に行くことができるたった一人の猫を決める猫たちの舞踏会が開かれる

あらすじというか、ストーリーを端的にまとめるとこんな感じ。シンプルで分かりやすい話ではあるが、ストーリーには深みが無く、薄っぺらい話が二時間弱続きます





上映開始

最初配給会社ユニバーサルのおなじみの地球ロゴ映像が流される。普通映画であればこの先が本編であり、早く本編が見たいという気分になるがそうではない。今回はこの先どうなるのだろうという不安と恐怖でしかなかった。

映画館で10回以上予告を見ているため、化け物のような猫と人間の融合生物には多少は慣れたが、やはり得体のしれない気味の悪い生物であることは変わりない。私が子供であったら恐らくトラウマになって絶対観てないだろう。

今回キャッツを観ようと思ったのは映画館に月約4000円で見放題になるPremyに加入しているかである。加入していなければあん映画お金を払う気には到底ならない。

定額サービスでは本来では出会えない作品であっても、定額なら出会おうとする行動の機会が与えられることを改めて認識した。

さて本編が始まる。

本編の音楽が流れだした瞬間、私は来たことを後悔しました。

説明しづらいが、遊園地メルヘンBGMや、映画ITチャプター1の終盤にベバリーペニーワイズに連れ去られた後に地下水路の中で謎の踊りをしながらペニーワイズが登場したときBGMのようなものを更に不気味にした音楽でした。

私はこういう音楽が苦手であり、共通酷評されているポイントではないかもしれないが、既に作品への嫌悪感さらに抱いてしまった(サントラ最初の曲として収録されています

今までの人生で約300本近く映画を観ているが、開始数秒で観たことを(正確には音楽を聴いただけなのに)後悔したことは初めてだろう。あと何年生きるか分からないが、二度とそんなことは無いと思う。


本編は主人公ヴィクトリアゴミ捨て場に袋に入った状態で捨てられるところから始まる。そこから未知の世界(観客からしても)に迷い込み、様々な猫と出会うこととなる。

ゴミから出て早々いきなりミュージカルが始まる。この映画基本的に新たな猫に出会うたびにその猫の自己紹介も兼ねたミュージカルシーンが繰り広げられつつ、ストーリーが進行していく。そう、永遠と猫の自己紹介を聞かされまくるのだ!

最初のシーンでは猫はジェリクルキャッツと呼ばれており、舞踏会で真のジェリクルキャッツを決めることが明らかにされる。

ただミュージカル内でジェリクルという言葉をクソ連発していたが、ジェリクルって抽象的すぎて何だよ、くどいんだよと見ていてイライラした。ジェリクルの意味を調べると、ジュエリーミラクルを組み合わせた造語で、人などに頼らず気高く自由謳歌する的な意味合い。

また、日本語字幕のはずだが、歌詞意味からなすぎて悲しくなりました。日本語のはずなのに全く意味不明で日本語の難しさを改めて実感しました。超シンプルストーリーのはずなのに、理解するのが難しいという矛盾。観客に寄り添い、理解を促進させるための狂言回し的な役割を果たす猫がいれば理解、感じ取りやすくなるのではないのでしょうか。


何なんだ、このシーンは。こう戸惑っている間にもまた新しいデブババア猫が現れてミュージカルが始まります。この新しいデブババア猫のシーンが一番の問題シーンではないでしょうか。

このデブババアは本当にだらしない的なノリで歌い踊るのですが、その途中に猫以外の生き物が登場します。

まずネズミが出てくるのですが、ネコと同じく体はネズミっぽくて、顔は人面というトラウマ化け物なのです。人面ネコは予告で何とか慣れたのでいいですが、人面ネズミ想定外で気分が悪くなりました。

そこにとどめを刺すかのように登場してきたのは大量の人面ゴキブリ

人面ゴキブリ 大量の人面ゴキブリ……

テラフォーマーズを観に来た覚えはないのに...


大量の動く人面ゴキブリの出現を見て気持ち悪さのピークが急上昇。人面ゴキブリが出てきた瞬間、見てられなくなり、入場で貰ったキャッツポストカード自身の目をとっさに覆い隠し、途切れ途切れに見ることに。おまけに人面ゴキブリデブババアネコが食べるシーンがあり、それを一瞬見てしまい、我慢限界で一時退出。

今まで映画の上映途中でシアターからたことがないのですが。わずか20分で耐えれなくなり退出してしまいました。

ネコCGですら気味が悪いのに、ネズミゴキブリマジで地獄です。

今まで映像を見てられなくなったことは二回あり、ウォーキングデッドシーズン7の1話の2人の処刑シーン(グロからではなく、いなくなるのが辛いから)と1984主人公ウィンストンスミスババア売春するシーンなのですが、それらを上回る嫌悪感と恐怖と衝撃でした。

ウォーキングデッド1984過激作品であり、万人が見るような作品ではないからまだしも、キャッツR指定もなく話題ミュージカル映画化したものです。そんな映画気持ち悪い物を見せて何がしたいのでしょうか。

ネコリアリティーを出したいのか、製作者の意図はよくわかりませんが、映画館の予告やテレビスポットで散々見せてきた華々しいシーンを観客は見たいと思ってるはず。なのにあんものを見せられたらたまったもんじゃない。

海外メディアがあれだけ語彙を振り絞ってレビューしているのがうなずけました。



退場して数分後には心も落ち着き、全部見るかこのまま帰るか正直悩みましたが、まだ本編開始20しか経過してないのでまだ見どころはあるに違いないと信じて席に戻りました。

結局見どころは特になかったけどね。

特にストーリーの展開のない自己紹介クソミュージカルをして悪役ネコ(作中では珍しく服を着ているのですが、そのせいか特有嫌悪感があまりありません。みんなまともな身なりをすればネコのふりをした化け物から脱却できるのはず)が自己紹介をしたネコ特殊能力で連れ去るくだりを何回も繰り返していきます特にミュージカル面白いわけでもなく相変わらず意味不明かつ単なる自己紹介で話が進まず、永遠悪夢が続きます

悪夢を繰り返していくと遂にジュディ・デンチが演じる親方長老ネコが登場します。

MI6のボスとして007無理難題を突き付け、嫌みを言い時には対立もするも頼れるあの方がまさか長老ネコ転職するとは誰が想像したのでしょうか。器だけでなく、胴体も大きいです。007に出演している所以外見たことないので、キツメのおばあ様という印象なのに、やさしいハルク並みの体を持ったネコのおばあ様に変身してしまい、終始困惑していました。とにかくこの親方長老ネコネコ界の有識者であり、舞踏会チャンピオンを選ぶ決定権があるそうです。

親方長老ネコが現れてから今まで街中や家などで自分勝手ミュージカルという名の歌い騒ぎ踊る狂乱発狂が少し収まり舞踏会らしいステージ会場に一同終結しました。いや、なんでみんな会場に最初からまらないで好き勝手暴走してんの?


全てのネコが会場に集結してミュージカルが再開するのですが、結局は新たなネコ自己紹介です。

落ちぶれた演劇俳優のよく分からない怖い話と、鉄道社畜ネコタップダンスを見せられ、パフォーマンスが終わると悪役ネコに連れ去られるお決まり

その後悪役ネコ愛人ネコミュージカルが始まります。この愛人ネコテイラー・スウィフトです。テイラー・スウィフトの曲は高校の時に友達が紹介してくれたアルバム1989に収録のwelcome to new york とblank spaceとshake it offぐらいで更新が途絶えていてあまりよく知らないので特に感動もしませんでした。ただ、悪役ネコと違い服を着てないのにあまりネコCG違和感を覚えませんでした。キツメの美人顔だとちょうどいいのでしょうか。とにかく悪役ネココンビは唯一のネコだと個人的には思います

パフォーマンスが終わると何とジュディ・デンチが悪役ネコ超能力で連れ去られます。先に連れ去られたネコと一緒に船の上にいて、悪役ネコ天上界に行けるネコに選ぶように脅迫をされます

そのころ舞踏会ではジュディ・デンチがいないことに気づき大騒ぎになります。そこでネコたちはマジシャンネコマジックで瞬間移動のマジックで連れ戻すように要求してマジックをさせられます

マジックは種と仕掛けがあるからマジックであり、勿論ジュディ・デンチを連れ戻す種も仕掛けもなく、超能力者でもないので当然連れ戻せません。連れ戻せないのにネコたちは

Oh magical Cats~~ Oh magical Cats~~ Oh magical Cats~~

集団連呼して何度もマジックをさせます

しかしこれはご都合主義映画なので何故かミラクルが起きてマジックジュディ・デンチは戻ってきて喝采を浴びます

あくまでも個人的意見ですが、デスノート死神ノートから名前を書くと死ぬルフィ悪魔の実を食べたかゴム人間キャプテンアメリカンは実験で超身体能力を得たなど、特殊能力には何かしらの最低限の根拠があるべきで、いきなり根拠もなく奇跡だけでおこるのはどうなんでしょうかね(性格悪くてごめんなさい)

戻ってきたので、天上界に行くネコを決める審査が再開され、そこに見ずぼらしい姿をしてネコが現れます。そのネコ舞踏会に行く直前で主人公ヴィクトリア美声を聞いて励ましていたネコです。見ずぼらしいネコミュージカルを見たことがなくても聞けばわかるであろう有名曲メモリーを皆の前で披露、見事天上界に行くネコに選ばれます

これで終わればいいのに、ジュディ・デンチネコ版のトリセツみたいな曲を歌いだして困惑しながら謎のエンドクレジットネコは話しかけてほしいけど、気高いから馴れ馴れしくしないでほしいらしい。いや意味からないし、この曲いらないだろ。

エンドクレジットの瞬間悪夢から逃れたくてすぐ退出。テイラー・スウィフトのビューティフルゴーストは聞いてません。



総括

まず、ねずみとゴギブリのせいで映像面が台無し

ネコの方も修正の無い初期版はそんなに酷いのか気になるところ。

ストーリー要素の面白みは皆無でほぼミュージカル永遠と続く。

曲もメモリー以外はそこまで好きになれず。

ミュージカル版は面白いらしいのに映画版微妙に感じるのはミュージカル部分がクソだからでしょうか。

目を閉じて鑑賞するといいのかもしれません。人を究極的に選ぶ映画

全編自己紹介ミュージカルで途中気分を害する映像流れる覚悟した上でみれば、そこまで酷評をしなくてもいいと思うが、面白いわけではない。

こんなのにお金払うならジョジョラビットパラサイトフォードvsフェラーリを見てほしい。

4505字

2020-01-07

anond:20200107144029

異世界へ行くほうの話やん

完全な異世界というよりも神界・天上界イメージやし

2019-08-10

非モテである数少ない良かったことと言えば

昨今巷に溢れるジェンダーやらフェミニズムに関するいざこざについて

「俺には関係ない」で済ませられることだよな…

だってそもそも非モテ原理的に女性とかかわりを持たないんだもん。

女性迷惑かけようがないんだよね。

「はぁ〜天上界リア充陽キャの方々の問題は、

ドロドロ地底人のワシらには理解できまへんわぁ〜」

って気分なんですよ。

フェミニズムジェンダー問題に関して真剣に考える必要があるのは

モテる男」だけなんだよな…

2019-06-15

箸の持ち方のイデア

現実世界存在する物体概念はすべて影であり、真実在イデア天上界にあると考える。

2018-07-24

anond:20180724123130

過去何十年から現在にいたるまで全世界的に議論は進行中なわけだが、え、自分から引きこもって対話拒否していながら文句言ってるの?

実際には「議論」してるのは一部の、天上界ポリコレ信者だけで、下々のポリコレ民が

ポリコレ民を撲殺する道具として使ってるのが現状なんだが?

どこでポリコレ制定会議が行われてて、参加資格はなんなのか。

どこでその規定を閲覧できるのか。今第何版なのか。

というかそもそも誰がそれを決めうるのか。

こういうのを用意せずに「議論は進んでる」だけ言ってリンチの横行してる現実を見ない。

引きこもってるのは誰なんでしょうねぇ。

2018-07-08

危険思想を取り締まることの是非について。

日本では憲法によって思想信条自由保障されているので、思想のものの是非を問うことは出来ないという建前になっている。

怪しげな新興宗教団体がどんな危険思想を持っていても、それを国家(=警察)は取り締まることは出来ない。

松本サリン事件地下鉄サリン事件のような大事件を起こしたとしても、事件を起こしたこと自体犯罪として取り締まることは出来ても、事件を起こすことになった背景としての「思想」を取り締まることは出来ないのだ。

1995年5月に麻原死刑囚執行済)が逮捕された後、オウム真理教破壊活動防止法適用して解体する、なんて話もあったけど、結局無理だったよね。

オウム真理教がなぜあんな重大事件を起こしたのか、未だに理解できない人が多いかもしれないが、裁判宗教学者達の分析によって、一応は答えは出ている。

タントラヴァジラヤーナの教えというものがあり、簡単に言えば要するにこの世で悪業をなした人は、グルの導きによってその魂を天上界にポアすることができるというもの。これによって、グルが認めさえすればその人の魂を奪ってもそれは罪にはならず、逆に善業になるという論理である

この考えを応用して、教団の人間以外の悪業をなした大多数の人間最終戦争アルマゲドン)によって粛清し、新人類理想郷を作り、自分達がその世界の神になる。

その理想実現のために、東京を大混乱に陥れようとしたというのが全ての真相

荒唐無稽だ、と言えばそれまでなんだけど、実際にオウムはその思想を基にあのような事件を起こしたわけだ。

今、戦後日本が手に入れた思想信条自由の考え方が、足かせになってしまっているのではないか

考えてみれば、戦前日本共産主義者弾圧アカ狩り)とか、危険思想と見なされたもの弾圧普通に行われていた。不敬罪なんてシロモノもあったっけ。

戦後まれ私たちは、思想信条自由なんて当たり前の価値観だと思っているけど、わずか70年の歴史しかないのだ。

危険思想であっても、容認しなければならないのか。オウム問題本質はここだと思う。

2017-12-20

劇団 竹の公演『人形を殺す』を見に行った記録

ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。

というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。

(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)

キッカケは、

  https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

この劇団で。

でもって、出演していたキャスト新宿ゴールデン街バイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。

いろいろと話も聞きたかったし。

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そしたら、その女優さん。

舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。

思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。

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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)

そして、ちょっと前に劇場に行ってきた。

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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。

随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。

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■全体として

いろいろと語りたいことはあるけれど。

まずは。

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      まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。

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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。

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全体のアウトラインとしては。

(もう公演も終わったことだし、ネタバレいいよね?)

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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子ミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。

子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。

回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。

すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。

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という感じ。

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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。

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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。

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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。

命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。

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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。

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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。

そこに、キリスト教ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……

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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!

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これまたベタワードだけど、他に形容のしようがない。

(どうしても想像が及ばない人は、ここで、

 “もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族自己修復ドラマ

  お得意の悪夢タッチケレン味タップリに撮ったら”

 というのを想像してみてください。

 当たらずといえども遠からずのはず)

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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。

「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」

というのがテーマ

そして俺、爆泣き。

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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。

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まず、基本はダイアローグ(1 on 1のトーク)。

モノローグでもポリローグでもなく。

回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグカウントする)

ストーリーライン全体は

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 隠し子ミツルと長女ツグミの対話

 ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、

   育まれてきたミツルの姿が明かされる

      ↓

 ツグミと長男シュウタの対話

 ーーいまではヤンママシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発

      ↓

 シュウタと連れ子ヒデフミの対話

 ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、

   ここでシュウタの最大にして最後の働きかけが大爆発

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という大枠の流れに、回想シーンとして

 ・父フトシと母ノリコの外食

  (後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)

 ・フトシとヤスコの逢瀬

 ・堕胎をうながす継母サダコと反発するツグミ

 ・夢の中でシュウタに、出奔という自分ギリギリの選択を明かす母ノリコ

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といずれも1 on 1。

対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。

(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)

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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。

最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオ後日談が語られることで代替されている。

というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。

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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

俺「おおっ! あなたツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」

ラムネさん「んふふ~」

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と、明確な答えは得られず。

ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。

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余談。

確かなことは。

無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。

ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。

余談終わり。

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もう1つ。

ストーリーを裏から支える暗喩のレベルが。

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 気にしなければ流すこともできる。

 気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。

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というレベルキッチリ統一してあるのが気持ちいい。

(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)

たとえば。

ミツルツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。

ヒデフミが現在ではロザリオ製造業に努めていて、毎日キリスト十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。

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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。

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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。

冒頭、中間エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。

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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。

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2回目は、うーむ、解釈に困る。

シヴァヴィシュヌガネーシャブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ

BGMはタブラ4つ打ちデトロイトっぽいミニマルテクノ

ことなく、今敏っぽい。

無理して考えれば、愛人ヤスコ隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。

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というか、ストーリーのキーアイテムがいくつかあって。

1)キリスト教

家族システム自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。

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2)多神教シャーマニズム

愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズムスピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。

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3)フトシ人形

元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。

そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。

その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。

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余談。

この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。

と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。

まじで何か乗り移ってね?

余談終わり。

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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング後日談)とスタッフロール

ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。

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と、合計3回のビデオなんだけど。

うーむ、評価に困る。

なんというか、悪くは無いんだけど。

編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。

芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。

逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。

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ラムネさん「あのビデオなんですけど~」

俺「おお! ラムネさん! ビデオがなんですか?」

ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」

俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」

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観劇

で、さてさて。

終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。

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俺「グスン、あ、あの、最後後日談ビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」

(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)

竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。

あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」

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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   ズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

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そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。

と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。

俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」

竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」

.

     ∧∧

    ヽ(・ω・)/   またまたズコー

   \(.\ ノ

 、ハ,,、  ̄

  ̄

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なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?

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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」

俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」

ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」

俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」

ラムネさん「まあ、あのヒト、照れ屋さんですからね~」

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うーむ。

いろいろと事情はあるようだ。

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あらためて全体として

というわけで、あらためて全体としては。

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もう、激烈に良かった!

チケット代の倍くらいのモトは取った!

劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!

という感じ。

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キャストスタッフについて

本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。

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  こんな気持ちのいい観劇、生まれて初めて!!!

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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル

舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル

フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!

サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!

後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!

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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?

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ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」

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ですよね~。

照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。

何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、

シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。

ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!

彼らにはノーベル賞ピューリッツァー賞紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。

それくらい気持ちよかった。

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劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。

ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー

この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?

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ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」

俺「ふむふむ」

ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」

俺「なるほど」

ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」

.

うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。

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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。

キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!

どうなってるんだ!

これ、どうやって集めたの? スカウト? オーディション

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ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」

俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」

ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」

.

うむ。ノーコメントなり。

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というわけで。

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■石川雄也(フトシ)

一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。

コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル

回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。

劇団竹に所属

地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。

上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。

もっといろんな所で見てみたいと思った。

いやだから見世物小屋の司会とかじゃなくて!

(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)

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■森川武(シュウタ)

長兄ってツラいよな。

いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。

そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。

それは、

.

 神はどこにいるのか。

 それは天上界でもオリュンポス山でもない。

 神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する

.

ってこと。

わからんけどね。あくまで俺の解釈)

ツグミの嘆きを受け止める。

そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。

ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。

そして俺、爆泣き。

劇団竹に所属

こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。

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ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」

俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」

(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)

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■江花実里(ツグミ

劇団 架空畳に所属。通称ラムネさん。

あれ、おっかしーなー。

つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。

いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンシンママだよ。

彼女の後悔の号泣からストーリーが本格的に回転し始める。

しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。

最初はミツル人生を聞いたとき。

次に自分人生を振り返った時。

最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。

役者ってすっげーな!

でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。

でも、それでいいと思う。

この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。

あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。

「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。

これが彼女のミッション

いや、実に良かった。

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■辻村尚子(ノリコ)

フトシの最初の妻。

夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。

舞台が2018年の設定なので、旦那事業の立ち上げ期が80年代末。

キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの

なんかW浅野時代の浅野温子が乗り移った感じだった。

彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。

つまり天丼なんだけど、

なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。

なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。

劇団 竹に所属

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■大森華恵(サダコ)

フトシの後妻。

うつ病で自殺。

なんというか、いろいろと痛ましい。

(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。

この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。

2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。

そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。

ここでも天丼(繰り返し)が重たい。

なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。

クレジットがないからフリーの役者さんか?

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ところで、ストーリーに挿入される白装束ダンス

石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。

ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。

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佐々木光弘(ヒデフミ)

子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。

わかる。

そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後キャッチボールを決別の儀式として実行する。

と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。

キャッチャーシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。

おそらく板に座布団とか、そういうギミックボールを受けているはず。

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ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」

俺「おいマジですかい?」

ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」

俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」

ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」

うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。

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空飛ぶ猫☆魂に所属

みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。

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■森川結美子(ヤスコ

沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス

なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。

ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。

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■山川恭平ミツル

フトシとヤスコの子供(つまり隠し子)。

鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。

朴訥。

観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。

それも当然で。

俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。

キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。

父フトシのハグ。

彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。

この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。

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んー、こんな感じか。

ともかく、全体としては。

この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。

次の公演にも注目して良いです。

自分もそうするし。

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2016-04-16

富士通20年勤務している側から見たお話

富士通退職した話」を読んで、20年近く努めている側から感想と疑問について書いてみたいと思います

山奥の工場

私も、情報科学大学時代専攻した後、新人で山奥というかむしろ雲の上にある天空工場に勤務してメインフレーム関連の仕事をしていました。

その工場に配属される新人は(希望すれば)寮に入るわけですが、高専卒は工場敷地内にある山頂の寮で二人部屋、学士卒は山の5合目にあるアパートの一人部屋、修士ドクターは街中にあるマンションという感じでした。

街中の下界から工場がある天上界への通勤バスで移動することになるのですが、わたしは、バスディーゼルエンジン排気ガスが苦手なので、頼み込んで工場敷地内にある寮にしてほしいと願い出て、山頂の寮に特別に入れてもらいました。そもそもが2人で一部屋なのですが、学歴関係か私は一人で2人部屋を使わせてもらっていたため、ものすごく広々と部屋が使えました。

わりと頼み込めば、人事や勤労も柔軟に対応してくれる会社という印象です。

メインフレームというレガシー業務

20年前でさえ、メインフレームは古いというイメージがありました。

ただ、私は古臭い部署に配属されたことは不幸とは思いませんでした。電話からスーパーコンピュータまで幅広く扱っている世界でも稀な会社に入ったからには、いろんなことを経験してみたい。

そのためには、そろそろ絶滅してしまいそうなメインフレームを今経験せずにいつ経験出来るのか?くらいな感じでむしろラッキーくらいに考えていました。

最新の流行を追いかけるのもそれはそれで面白いが、そういったものは出来合いのライブラリを組み合わせて流行を少し遅れて追っていく2位集団であるし、やりたければ個人で家でも出来るじゃないか程度の感覚です。

自分意見が割と通る環境

ただ、せっかくメインフレーム部署に来たのですが、私の担当ワークステーションで動作するUNIXPCでの開発が主体でした。

そもそもが、メインフレームを扱っていた部署ですから、先輩の人達はあまりUNIXPCに詳しくなかったので、大学UNIXPC経験した新人が入ってきたことは非常に重宝されました。

その部署では開発言語は、社内の独自言語(Cよりもさら機械語に近い言語マウスグラフィカルに操作してコーディングする言語)を使っていました。もともとはメインフレーム用の言語なのですが、UNIXワークステーションPC用にも

その言語コンパイラはあり、あわやその言語UNIXの開発する羽目になりそうだったのですが、私は猛烈に反対して自分意見を通しました。当時はJavaRubyなどの言語は無くCが全盛でしたが、

その部署の開発メンバーはCをほとんど知らなかったのです。そこで、社内のカイゼン活動として、C言語勉強会を開くことを提案し私が講師になってC言語メンバー習得してもらい、

PCUNIXでの開発は独自言語ではなくC言語を利用することを認めさせました。

元の増田の方は、自分エクセルVBAソースが見れない立場のようだと言っていましたが、ソースをみようとしたらシートにロックがかかっていたのを見て諦めてしまったのではないでしょうか?

元のEXCELを使った業務が非効率であるならば、業務改善活動として提案すれば、それを拒む上司というのはちょっと考えにくいです。

忙しい部署にも、改善活動ノルマが課せられるのですが、先輩はそういったことに関わっている時間が中々取れないので新人がそういった仕事をやると宣言しても拒むのはまずありえません。

案外苦労するゼネコン

下請けプログラマーからみると富士通のような会社中間搾取していて高給をとっているのに、仕事は丸投げという印象があるでしょうが、実際やってみると案外大変です。

私は、富士通本社SE的な立場グループ会社に出向して、そこから顧客先に派遣される4次受け5次受けのプログラマ両方を経験しましたが、はっきりと下請けの方が精神的に楽と感じました。

商売や、自分でやっているわけではない人に依頼した仕事について、責任をとるのは非常に苦しいものがあります。そもそもプログラミングはとても楽しいというのもありますが。

異動の希望はまず通る

私見ている範囲では違う部署に異動したいという希望100%通りました。異動を希望しているのにその部が解散するまでその部署にいる羽目になった人など見たことがないです。

もちろん、「プロジェクトが佳境で君に今抜けてしまわれては困る」というケースはあるのですが、IT業界プロジェクトの開発周期は年々短くなる一方ですから、割と早い段階で異動の希望は通る感じです。

もとの増田の方は巨大プロジェクトだったので大量の人がいるわけですが、こういった部署は異動の希望は通りやすいです。

なぜなら、新規プロジェクトで最も忙しいときは大量の人員を動員しているわけですが、バージョン2、バージョン3あるいはメンテナンスフェーズに入ればそんなに大量の人員必要がないので、会社としてもその部署人員を異動させたいわけです。

けれど、プロジェクトで中核の技術を担っているようなメンバーマイホーム天上界に立ててしまったメンバー、新しい仕事対応しにくい高齢メンバーは異動させにくいので、

EXCELをいじっているだけのような新人は異動の希望が通りやすいのです。

もとの増田も、もう少し我慢していれば希望が通った可能性は極めて高いですが、プロジェクトが佳境でまだ新人で入ったばかりといった状態では、もう少しその部署で頑張れと言われるだろうと思います

ただし、異動先の都合もありますので、ここから出たいはほぼ100%通りますが、あそこに行きたいは必ずしも通りません。

今更「京」スーパーコンピュータをやりたいといっても、人気部署ですし、プロジェクトの最盛期は過ぎているのでその希望が通る可能性は低いでしょう。

嫌な上司はすぐにいなくなる

色々な部署がある大きな会社では、管理職クラスは頻繁に異動が起こりますから、嫌いな上司はわりと直ぐにいなくなります。小さい会社だとそもそも部署が開発部と人事部営業部しかないというかんじなので、上司がやめるか自分が辞めるまで、嫌な上司と付き合う羽目になりがちです。

入社時の部署希望のコツ

新人研修期間が終わった後、人事の面談のチャンスがあるのですが、そこにはコツがあります

「おおざっぱにはっきりと希望を言うこと」です。

いちばん最悪なのが、大学での研究を話し、それを活かせる部署に行きたいと話すことです。

人事の人は技術には詳しくないですから研究内容が最先端であればあるほど、人事の人には通じないです。

キャッシュコヒーレンシが。。とか話すと、「よくわからないけどこの人は基本ソフトウェアに向いているのかな?だったら、自社でOSを開発しているメインフレーム回そう」という感じになってしまます

それよりは、人事の人が、会社組織のどの部署に配属すればいいかわかりやすいように、おおざっぱに希望をいうことです。

例えば、

上記のことを強い口調ではっきりというのが良いと思います

そのうえで、できれば○○製品をやりたいだとか、こういった業種のSEをやりたい等の希望だすと、どの部署に配属すればいいか相手にも伝わり希望が通りやすくなります

私の同期で入社して新人研修で山奥に配属されたバブル時代末裔のようなおねーちゃんとか、数人は、割とはっきり希望をいって、下界に戻っていきました。

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