はてなキーワード: 領域とは
https://arxiv.org/pdf/2304.10466.pdf
試行錯誤によって方針を学習する深層強化学習アルゴリズムは、環境と積極的に相互作用することによって収集された限られた量のデータから学習しなければならない。多くの先行研究が、データ効率の良いRLを実現するためには適切な正則化技術が重要であることを示していますが、データ効率の良いRLにおけるボトルネックの一般的な理解は不明なままでした。その結果、すべての領域でうまく機能する普遍的な技術を考案することは困難であった。
本論文では、非定常性、過剰な行動分布シフト、オーバーフィッティングなどのいくつかの潜在的な仮説を検討することにより、サンプル効率的な深層RLの主要なボトルネックを理解することを試みている。
強化学習ってよく知らない
我々は、状態ベースのDeepMind control suite(DMC)タスクについて、制御された体系的な方法で徹底的な実証分析を行い、遷移の検証セットにおける高い時間差(TD)誤差が、深いRLアルゴリズムの性能に深刻な影響を与える主犯であり、良い性能をもたらす先行手法は、実際、検証TD誤差を低く制御することを示した。この観察から、ディープRLを効率化するための強固な原理が得られる。すなわち、教師あり学習の正則化技術を利用することで、検証TD誤差をヒルクライムできる。
誤差を減らすのがDeepLearningだけど、それが時間差なのか。
我々は、検証TD誤差をターゲットとするシンプルなオンラインモデル選択法が、状態ベースのDMCとGymタスクにおいて効果的であることを示す。
1 はじめに
強化学習(RL)法は、大容量の深層ニューラルネット関数近似器と組み合わせた場合、ロボット操作などのドメインで有望視されている(Andrychowicz et al、
2020)、チップ配置(Mirhoseini et al.、2020)、ゲーム(Silver et al.、2016)、データセンターの冷却(Lazic et al.、2018)。アクティブなオンラインデータ収集の単位ごとに費用が発生するため(例.
実際のロボットを動かす、シミュレーションによるチップ評価など)、限られた経験量でも効率的に学習できる、サンプル効率の良い深層RLアルゴリズムを開発することが重要である。このような効率的なRLアルゴリズムの考案が、近年の重要な研究課題となっています(Janner et al、
2019; Chen et al., 2021; Hiraoka et al., 2021)。
原理的には、オフポリシーRL法(例えば、SAC (Haarnoja et al., 2018), TD3 (Fujimoto et al., 2018), Rainbow (Hessel et al., 2018))は、データ収集のステップごとに多くの勾配ステップのポリシーと値関数を改善することを可能にするため、良いサンプル効率が得られるはずです。しかし、このメリットは実際には実現できないようで、1回の学習ステップを多く取りすぎることでを収集した各遷移は、多くの環境において実際にパフォーマンスを害する。過大評価(Thrun & Schwartz, 1993; Fujimoto et al., 2018)といったいくつかの仮説、非定常性(Lyle ら、2022)、またはオーバーフィッティング(Nikishinら、2022)が根本的な原因として提案されている。
これらの仮説に基づき、より多くの勾配ステップを持つオフポリシーRLを可能にする方法として、モデルベースのデータ増強(Jannerら、2019)、アンサンブルの使用(Chenら、2021)、ネットワークの正則化(Hiraokaら、2021)、再生バッファを維持しながらRLエージェントをゼロから定期的にリセット(Nikishinら、2022)などのいくつかの緩和戦略が提案されている。これらのアプローチはそれぞれサンプル効率を大幅に向上させるが、これらの修正の有効性は(これから示すように)タスクに大きく依存する可能性があり、根本的な問題やこれらの手法の挙動を理解することはまだ未解決である。
ICLR 2023で会議論文として発表 本論文では、より多くの勾配ステップを取ることが深層RLアルゴリズムの性能悪化につながる理由、ヒューリスティック戦略が役立つ場合がある理由、そしてこの課題をより原理的かつ直接的な方法で軽減する方法を理解しようとするものである。
最近提案されたタンデム学習パラダイム(Ostrovski et al., 2021)を用いた実証分析を通じて、TD学習アルゴリズムは、学習の初期段階において、すぐに高い検証時間差(TD)誤差(すなわち、保留した検証セットにおけるQ-ネットワークとブートストラップターゲットの間の誤差)を得る傾向にあり、悪い最終解をもたらすことを明らかにする。
このホワイト ペーパーでは、深い RL アルゴリズムで勾配ステップを増やすとパフォーマンスが低下する理由、場合によってはヒューリスティック戦略が役立つ理由、およびこの課題をより原則的かつ直接的な方法で軽減する方法を理解しようとします。 最近提案されたタンデム学習パラダイム (Ostrovski et al., 2021) を使用した実証分析を通じて、トレーニングの初期段階で、TD 学習アルゴリズムが高い検証時間差を迅速に取得する傾向があることを示します。
(TD) エラー (つまり、保留された検証セットでの Q ネットワークとブートストラップ ターゲットとの間のエラー) が発生し、最終的なソリューションが悪化します。 さらに、データ効率の高い RL 設定のために考案された多くの既存の方法が、検証 TD エラーを低く制御する限り有効であることを示します。
この洞察は、深い RL を効率的にするための堅牢な原則を提供します。データ効率を向上させるために、検証 TD エラーを山登りすることによって、特定の問題に最も適した正則化を選択するだけです。
この原則は、オンラインRLトレーニングの過程で特定のタスクに最適な正則化戦略を自動的に発見しようとする単純なオンラインモデル選択方法の形で実現され、これを検証TDエラーを使用した自動モデル選択(AVTD)と呼びます。
AVTD は、各エージェントが異なる正則化を適用する共有リプレイ バッファーで、いくつかのオフポリシー RL エージェントをトレーニングします。 次に、AVTD は、環境内で動作するための検証 TD エラーが最小のエージェントを動的に選択します。
この単純な戦略だけでも、多くの場合、さまざまな Gym および DeepMind コントロール スイート (DMC) タスクで個々の正則化スキームと同様のパフォーマンスを発揮するか、それを上回ることがわかります。 重要なのは、パフォーマンスがドメイン間で大幅に異なる可能性がある以前の正則化方法とは異なり、私たちのアプローチはすべてのドメインで堅牢に動作することに注意してください。
要約すると、私たちの最初の貢献は、サンプル効率の高いディープ RL のボトルネックの実証分析です。 これらの課題の背後にあるいくつかの潜在的な説明を厳密に評価し、トレーニングの初期段階で高い検証 TD エラーを取得することが、データ効率の高いディープ RL のパフォーマンスを阻害する最大の原因の 1 つであることを観察します。 私たちの 2 番目の貢献は、単純なアクティブ モデル選択法 (AVTD) です。これは、検証 TD エラーの山登りによって正則化スキームを自動的に選択しようとします。 多くの場合、私たちの方法は、さまざまな Gym および DMC タスクで、最適な個々の正則化スキームに匹敵するか、それを上回ります。
実例を挙げる
最近だと板野友美。健気に妻として支える姿を頻繁に投稿している。例えばストーリーズに「#友飯」とハッシュタグを付け、カツ丼など品数の多い献立を披露している。
が、それに対して異を唱えるフェミニストは見たことがない。基本的にプロ野球選手の嫁には甘いのだ。
あるピッチャーに対する固定的な捕手を示す「女房役」「正妻」といった、ともすれば性差別的な表現に対してダンマリである。また、応援歌で「男なら〜」系のフレーズが入ることがあるが(例:千葉ロッテチャンステーマⅣ)それに対しても批判してるのを見ない。
他のところなら「露出が多い」「性的過ぎる」とフェミニストからガソリン撒かれるようなプロ野球のチアリーダーに対して、フェミニストが批判してるのを見たことがない。
基本的に、他の領域ならガソリン撒かれて大炎上するような行動、表現であっても、プロ野球が絡むと極めて難燃性になるのだ。
他にもあれば情報提供ください。
数日前になぜなぜ分析について盛り上がっていて、大半なぜなぜ分析のやり方が間違っているので論外だと思ったのだけど
それはそれとしてエンジニアになぜなぜ分析って向いてないのでは?って思っている。
自分の認識ではなぜなぜ分析って、定常業務においてどんなバカでも事故を起こさないシステムを作るための取り組みで、工場とかでは有効に働く場面を見てきた。
弊社だとよく、技術者たるもの言われたことだけをやる作業者にはなるな、みたいなこと言われるんだけど
なぜなぜ分析の結果生まれるシステムって、ルールに従って言われたことだけをやる仕組みなんじゃないの?
言われた範囲から飛び出して新しいことに挑戦するということは、なぜなぜ分析の結果生まれたシステムが守ってくれない領域に飛び出すということで、
そりゃあたまには予期せぬ失敗して事故も起きるだろうけど、それはしょうがなくない?
ここまで書いて思ったけど、その予期せぬ失敗をなぜなぜ分析して、安全な領域を広げていくっていうのが企業活動なのかもしれないな。
なぜなぜ分析の時に責めるような、罰になるようなやり方に(はしてないつもりだけど)なっちゃってるのが間違いなのかな。
未開の領域に飛び出してくれて偉い!その知見をみんなにフィードバックしよう!みたいなノリが正しいのかも。
やっぱ書いて整理するって大事だな。
以下の文章を、文意はそのままに500字程度に文字数を増やしてください。
ブクマしすぎたせいで100文字程度にまとめるのが癖づいてる。
ChatGPTにすら負けてるな。
ブクマ、つまりブックマークが多すぎるせいで、文章を短くまとめることに慣れすぎてしまっています。それが原因で、普段の文章作成では、わずか100文字程度に短くまとめることが癖となってしまっているのです。このような状況から、長文で書かれたものに出会うことが少なくなり、増田やnoteなどのプラットフォームで長文を見かけると、その長さや内容に感動することがあります。
このような経験から、長文を書くことに対しては、いくらか敬意を払っています。しかし、逆に言えば、どうせ読まれない長文を書く人たちの熱意や情熱を理解することができません。彼らが何を目的として、そのような長文を書くのか、どんな情熱や熱意を持っているのか、その背景にあるものが気になります。
一方で、私たちの世界には、AI技術が進化し続けています。その中でも、特にチャットボットの分野では、OpenAIが開発したGPT-4に基づくChatGPTが目立っています。この技術の進歩は、人間が書く文章と比べても遜色ない、またはそれ以上のレベルに達していると言われており、その驚異的な進化には驚くばかりです。
私自身も、このChatGPTというAIに対しては、負けていると感じてしまうことがあります。つまり、私が慣れてしまった短文スタイルでは、AIによって生成される文章のクオリティに追いつくことが難しいということです。そのため、長文を書くことに対しては、私たち人間が持つ独自の魅力や感性を大切にし、文章作成に励むことが重要だと考えています。
長文を書くことは、自分の考えや意見を丁寧に表現し、読者にしっかりと伝えることができる手段です。短文では伝えきれないニュアンスや感情を、長文であれば表現することができます。そのため、これからも私たち人間が、AIに負けない文章を書くために、長文を書くことに対して敬意を払い、その独自性や表現力を大切にするべきだと考えています。
私たちが、AIの進化に対抗できる唯一の武器は、独自の感性や創造力、そして人間らしい情感を文章に込めることです。これによって、人間が書く長文の価値や魅力を高めることができるでしょう。長文を書くことがもたらす、読者との深いつながりや理解を追求することは、AIがまだ到達できない領域であると言えます。
また、長文を書くことで、私たち自身が成長することもあります。自分の考えを深く掘り下げ、言葉にすることで、自分自身の意見や価値観を見つめ直す機会を得られるのです。このような経験は、短文では得られないものであり、人間としての成長や発展に繋がります。
短文も長文も、それぞれの形式によって得られる効果や価値が異なります。短文は情報伝達の効率性や簡潔さが求められる一方で、長文は深い考察や感情の表現が可能となります。私たち人間が、AIとの競争に打ち勝つためには、短文と長文の両方を使いこなし、それぞれの特性を活かして独自の文章を書くことが大切だと思います。
結局のところ、私たちは、AIに負けないために、自分自身を磨き続けることが大切です。短文や長文のスキルを磨くだけでなく、感性や創造力を育て、人間らしい文章を書く力を追求していくことが求められます。これにより、私たちが書く文章には、AIには到底及ばない魅力や価値が宿ることでしょう。
何事も信頼の元に成り立ってるからさ
増田だって、俺みたいな野良増田の言うことをそこまで信用しないでしょ
上司と増田の距離と、俺と増田の距離なんて大した違いはないレベル
アホくさいと思うかもしれんけど、とりあえず上司の指示通りやって信用してもらって、裁量の幅を広げる事に注力してみては?
依頼された領域を一人で任されるようになるって事は、上司の手足なわけで、その状態で上司に仕事のやり方を相談すれば「動かないなら仕方ないな」て聞いてくれるよ
与党議員がとりさげさせようとする理由がよくわからなかったが、
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20230414/1681484184
話を把握した上でブログの内容には「ん?」となる点もあるので
ブログやその周辺のコメントによる山田批判の妥当性も含め以下検討したい。
という問題がある。
以下の二人の発言を読んでほしい。
cinefuk NOと言えない状況に追い込むテクニック(たとえばロリコンの使うグルーミング、家庭内性暴力、職場のハラスメント)がある訳で
「NOと言わないのは自己責任」は、性暴力を矮小化したい勢力だけに寄り添う想像力の貧困
2023/04/15
お気付きだろうか?
二人の挙げる全てが蝶ネクデブが問題視したポスターの状況とは異なるのである。
https://twitter.com/yamadataro43/status/1646452603415560192
二人の作為に逆らい、話を「蝶ネクが論じていたもの」へ戻そう。
https://twitter.com/KodomoKatei/status/1645230118015586305
https://pbs.twimg.com/media/FtE8SrwaEAAhQB9?format=jpg&name=4096x4096
どうだろうか。
チェックポイントを並べてみよう。
・男女間に年齢差は見えず、「ロリコンの使うグルーミング」も表現されていない。
・父子ではないし兄妹の示唆もなく、「家庭内性暴力」も表現されていない。
・職場のディテールや背景もなく、「職場のハラスメント」も表現されていない。
なんと一つのチェックも入らなかった。
ほっけさんシネフクさんが持ち出した要素は図案の中に一切存在していない。
要するにこれはそのような要素の無いフラットな男女を描いた図案なのだ。
ほっけ「でもこの2人が上司と部下だったら?」
しねふく「でもこの2人がロリコンと幼女だったら?父子だったら?」
それはもう別の話だろう。
こういうのは決して「別の言い方でわかりやすく問題を紐解いた」のではない。
「相手の主張を別内容にすり替えてしまった」と言ってよいだろう。
そもそも詭弁をやる気のない者は相手の言ったことにそのまま反論するものだ。
私は少なくとも蝶デブの言いたいことは分かる気がした。
意思表示がされていなかったにも関わらず
わりとなんでもありになってしまう
という問題だ。
もちろん交際相手に甚だしく支配的に振る舞う人間というものは実際にいる。
皆さんご存じのように、暴力や脅迫は社会的にも法律的にもアウトだ。
そんなとっくにアウトと知れ切ったモロ犯罪行為についていまさら啓蒙しているわけではなかろうから、
なのだ。
男が顔を赤らめ「喜んでると思ってた」と言っていることからもわかるように
「暴力や脅迫で言うこと聞かせてはダメですよ」なんて話をしてるのではなく
より繊細な領域について啓発していると取るのがポスター解釈としても無理がないだろう
繰り返しになるが、
当該ポスターがカップル間での暴力や脅迫について啓蒙する意図なら率直にそう書けるし必ず書く。
そんなものは絵にも文にもずっと描きやすいし、何より「これらは犯罪です!」と書けるからだ。
もう少しハラスメントの程度を落として
が、それらについて啓蒙したいならやはり率直にそう書けるし必ずそう書く。
(ほっけさんシネフクさんですら、そういう明白な脅迫や威圧等は無い、より微妙な状況下の話をしている)
つまり
もう片方の重大な落ち度とする
というのがこのポスターの周知せんとしている内容だ。
これはどんなもんだろうか?
適切な内容だろうか?
というかポスターの女性を一人前扱いしない場合に限って成り立つルールだと思う。
図案は少なくとも性交同意年齢以上の想定で描かれた男女であるはずで
にもかかわらず特別困難な状況も無いのに自分の意思表示が出来ない責任が取れないというなら
それはもう当局の定めた性交同意年齢の設定が間違っているのではないか。
「保護者の同意なき若年層のセックス禁止」としたほうがすっきりしないか。
(ちなみに若年層というのはおよそ20代までを含む。)
でも意志表示が出来ません、
言い出さなかったけど本当は「NO」なんです。
これを保護して相手を責めるとなると今度は相手の立場や権利と正面衝突することになる。
特に障害も無い性交同意年齢以上・成年以上の女性達に広く与えてどうするのか。
まるで女性全員を知的障碍者に準ずる何かだと言ってるようにすら見える。
というより、これは殆ど家父長制の再来ではなかろうか。
娘が自由意思で異性と交際していても実はそれは「NO」であって
娘の当時の意思表示がどのようなものであれ手を出した男は不法な泥棒であって
娘の父や兄はその泥棒をショットガンで追いまわして石打でぶっ殺すのが名誉を守る術である
自分を「禁治産者」や「父兄の管理財産」などではなく責任と権利のある人間として扱ってほしいし
お豆扱いの啓蒙するぐらいなら暴力や脅迫について駆け込むホットラインを充実させてほしい。
というか私だけでなくて
「このポスターにはちょっと問題があるな、庇って戦うには苦しい部分があるな」
と感じていたのではないだろうか?
何故そう推測できるかと言えば、
ポスターの内容に弱みが無ければ、
他の話をせずにただひたすら絵の内容と議員の発言だけを取り上げて
「この絵のどこが問題だ変な首輪しやがってこのブタが」と言えばいいではないか。
少なくとも私なら絶対にそうする。
だが彼等は
「権力関係」
という持ち込みマヨネーズを添加し内容を別物にしてから反論した。
まさに彼等の言うとおり、
権力者と被支配者、成人と未成年、保護者と被保護者、上司と部下、
いちいち暴力や脅迫や怒声や罵倒なんかを示さずとも相手を従わせることも可能になる。
だからこそ現行で既に、
上司が部下に告発されたら、成年が未成年に告発されたら、保護者が被保護者に告発されたら
事実関係さえ確認されれば(場合によってはそれすら省略されて)即アウトという相場になっている。
「実際のカウアン少年が老け専のゲイで自分から望んで喜多川と恋愛関係にあった可能性は?」とか
「当時のカウアン少年は本当に「NO」だったのか?」とか
喜多川が成年かつ保護者かつ使用者で、カウアンは未成年かつ被保護者かつ使用人だったから。、
ほっけさんらの言が山田太郎批判のつもりであれば、それは完全に破綻している。
「セカンドレイプがしたいんだな」
のような。
しかし上で見た通り
脅迫等をされてないのに自分の意思表示をしねえ&後から「NOだった」と言い出せるルールならば
それはもう例えYESの言質を取ったって同じではないだろうか?
そういうことを言える身分の人相手では例え書面の同意を取っても意味がないだろう。
同意を毎回相手の口から言わせて確認取るコミュニケーションなんてものが現実的に有り得ないわけだし、
「無条件に後出しOKな相手から、決して後から変わることのないYESを取り付ける」
「何故飛ぼうとしないんだ」などと相手の倫理的問題であるかのように責める、
これはパワハラ上司やモラハラ運動部監督のあの低レベルな対人テクニックと何が違うのだろうか。
果ては
「やろうとしないってことは悪意があるんだな」
「性加害擁護したいんだな」
などと凄まじいレッテル貼り戦法に展開するに至っては
とにかくこいつを否定してワーワー言えればそれでいいや。」
本当にそれでいいのか?
ネクがどういう人なのか詳しくは知らない。
このあたりのハチャメチャな論客たちより議論姿勢は誠実に見える。
・敵視した者の話はまともに読まず
対等な男女間で無条件後出し「NO」は認めるべきか?
・言いにくい意志でもきちんと言うのが責任能力者の権利であり義務では。
・どうしてもできないなら成年後見人を立てたらよいし
全体に言えること
・せめて「社会をよくするために真面目に考える」という姿勢は持つべき。
そこを守った上で論敵を超えられないならその議論に時間使う価値はない。
人の役に立たないし自分の頭も悪くする。
これ書いてるうちに気になって庁のツイートとwebサイトを見たんだが、
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/jakunengekkan/index.html
これがwebサイトなんだけど。
AV出演被害、JKビジネス、レイプドラッグの問題、酔わせて性的行為を強要、SNSを利用した性被害、
ここまで一緒に見てきた人はみんな「えっ?」ってならないか?
AV出演は年齢クリアしてりゃ好きにしろの話であって性暴力じゃないし、
セクハラも痴漢もふつーに告発して社会的に法的に罰を与えられるやつだよね。
なんかこれ、啓発内容とポスターが別内容過ぎない?
https://www.gender.go.jp/policy/no_violence/jakunengekkan/img/r05_poster.png
サイト記載の文章の啓発内容は「AV出演」を除いて明確に違法行為のクロばっかりで、
一方当該ポスターの図案は男女交際におけるグレー領域……少なくともクロにしちゃうと色々問題だろという繊細で曖昧な領域のことが描かれている。
このポスター見て「性サービス業や痴漢やレイプのこと言ってんだな」と思う人間がどこにいる?
山田とは別論点なのかもしれないが、何かがおかしい感じは凄く感じる。
文章の啓発内容はごもっともというか「クロ」であるコンセンサスがとれたものばかり(AV出演を除く)なのに対して
ポスターはものすごく曖昧な部分で男をクロとする踏み込みまくった内容になっている。
これは制作とチェックの混乱でこうなっただけなのか?ほんとに?
ほっけさんたちに軽く突っ込むつもりで書いてきて、最後に不気味な謎にぶちあたってしまった。
tzt いや「怖くて何も言えなかった」て書いてるやん。メッセージが迂遠だという批判はあり得たとしてもお前の批判については完全に的外れだよ。
2023/04/17
いや、そういう
「明らかな脅迫等は無くても権力関係を背景にNOを言えない状況」
については私とほっけさんシネフクさんの3人で散々確認したよね?
くどいかな?ってぐらい何回も書いたよね?
でもあのポスターはそれらのどの状況にも当てはまらないんだわ。
そういう特別な困難のない条件下で
「言えなかったんです!」という後出しを免責して
「遡ってあのセックスにNO!だからこの人は性暴力!」という告発をアリにしていいの?
そんなのやり出したら
交際において片方だけを知的障碍者レベルに責任問わないルールになるんだけど
本当にそんなことをして誰かの為になると思う?
こういう時に問題点に目をつぶってとりあえず賛同すると簡単にいい人ぶれるし、
もしくはあなたはひょっとすると能力的にそもそもこのポスターの問題に気付かないかもしれない。
でも例えばほっけうるふさんとシネフクさんは本心ではちょっと問題点に気付いてると思うよ。 既に書いた通り。
彼等は多分あなたよりは頭がいい。
hate_flag
いやほんと、このポスターに対する反発が強ければ強い程「やっぱこのポスター必要だったな」って結論にしかならんわ
2023/04/17
この「私達が反論受けたということは私達は正しいということ!」っていう論法、無敵すぎない?
日蓮宗かなんかなの?
具体的な形で考えを述べて理屈を添えたし、
なのに具体的再反論ではなく
「非難や反論されることがわたしたちの正しさの証明!Q.E.D!」という
どっかの学会みたいな絶叫で終わりで、
あなた達の知性は本当にそれでいいの?
いいならあなた達はそれでいいや…。
シンデレラになりました。
魔法の力によって、定められた期限までの間だけ、美しい装いを身に纏うことができた女性の物語です。
元々の物語はもっと奥深いものですが、ここではこの理解をしていれば良いでしょう。詳しく知りたい方や思い出したい方は、Wikipediaの記事を読むと良いでしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AC%E3%83%A9
普段は穢らわしい中年男性が魔法の力によって、定められた期限の間だけ、美しく生きていける状態になりました。
増田は呼吸器の病気を抱えていますが、その治療薬の副作用により常に下痢をしている状態です。排便回数は1日に8回以上あります。人と会う用事も大抵は途中でトイレのために一旦退席することになります。
https://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00058780
眠気の副作用があるので、魔法がかかっている間は自動車の運転をしてはいけませんが、定められた期限までは清く正しい人生を歩むことができます。
薬剤師の先生曰く「個人差が激しい領域なのでなんとも言えない」とのことでしたが、増田の個人的な事例としては、魔法をかけてから30分くらい後から効果を発揮し、8時間くらい後まで持続するという感覚です。
おまえらはカルトだから支持政党があって、政党をアイドルか何かと勘違いしてあるんだろうけど
俺はない。
民主主義の基本は与党は選ばない。なぜなら長期政権は例外なく腐敗しそれは政治理念を超えて悪害しかないからだ。
共産党が日本国内でそれなりに力がないと他の政党が汚職三昧になる
共産党を支持するわけではない。だってあんな頭お花畑で戦争反対とか言われたって中国やロシアにそんな理屈通用するわけないし。
しかし共産党がいないと誰が政界の、自民党の汚職を追求するんよ?自民党以外の汚職だってそうだ。
もう国家としてギリギリアウトだけど、アフリカ並みの土人国家じゃないのって、共産党が歯止めになっていたからだろ。
統一教会とか完全アウトな件も共産党ぐらいだろ、批判してくれているの
もう何十年も日本人は政治理念なんかで分断してないんだよ。汚職は政治理念を超えて悪だし、それを擁護するのは単純に倫理観がないだけ。
最近父と大学生の弟の会話は仕事とお金の話ばかりだ 〇〇(企業名)は何年目で1000万に乗るとか、出世ルートがどうこうとか、云々
私は社会人だが、アシスタント職系なので働き方はゆるふわだし、正直経済ニュースとか全然わからないし自分は世間知らずだと思う 父と弟の会話を聞いていると焦りを感じるし劣等感を覚える 自分には手の届かない領域だと感じる
そういう話題に嫌悪感を覚える部分もあって、世間知らずならいっそそれを貫いてゆるく生きていきたい、と思うけど、お金は大事・仕事第一でなんぼ、という価値観は今までの人生でたぶん私に染みついてしまっている 人生をかけたいと思うような趣味も生き甲斐もないし、私の語れる話題があるかと言われると思いつかない
私はそれを当てようとします。
当たっていれば正解と答えてください。
外れていればどれくらい正解に近いか、パーセントで答えてください。
CharGPT「了解です。では、新しい単語を用意しました。質問があればどうぞ。」
CharGPT「残念ながら、正解ではありません。正解に向けてヒントを出しますね。それでは、私が思い浮かべた単語は「天気現象」です。このヒントから、答えを探してみてください。」
ワイ「あられですか?」
CharGPT「残念ながら、それも正解ではありません。正解に向けてもう少しヒントを出しますね。それでは、私が思い浮かべた単語は「夏に起こりやすい」という特徴があります。もう少し考えてみてください。」
ワイ「雷ですか?」
CharGPT「はい、正解です!おめでとうございます!私が思い浮かべた単語は「雷」でした。天気現象というヒントから、天気に関連する単語を探していただいたのでしょうか。素晴らしい推理です!」
ワイ「もう一度やりましょう。難易度を上げたいので、ヒントを難しくしてください。」
CharGPT「了解です。では、新しい単語を用意します。ヒントを難しくするために、今回は単語の特徴についてのヒントを出すことは避け、代わりに連想ゲーム的なヒントを出していきます。質問があればどうぞ。」
ワイ「正解はブラックホールですか?」
CharGPT「残念ながら、正解ではありません。新しいヒントを出しますね。この単語は「海洋生物」と関連があります。海洋生物について思い浮かべると、答えに近づくかもしれません。」
ワイ「イカですか?」
CharGPT「残念ながら、正解ではありません。新しいヒントを出しますね。この単語は「発光する生物」と関連があります。海洋生物が発光するということから、答えに近づくかもしれません。」
ワイ「蛍ですか?」
CharGPT「残念ながら、それも正解ではありません。新しいヒントを出しますね。この単語は「宇宙」と関連があります。宇宙と海洋生物が絡むということから、少し難しいかもしれませんが、これをヒントに考えてみてください。」
ワイ「あんこうですか?」
CharGPT「残念ながら、それも正解ではありません。新しいヒントを出しますね。この単語は「ブラックホール」という宇宙現象に関連があります。ブラックホールに関連する単語を考えてみてください。」
ワイ「クリオネですか?」
CharGPT「残念ながら、それも正解ではありません。新しいヒントを出しますね。この単語は「ブラックホールの周りに存在する現象」と関連があります。ブラックホールの周りには特殊な現象が起きることが知られています。これをヒントに考えてみてください。」
ワイ「答えは分かりませんが、「吸い込む」のと関係がありますか?」
CharGPT「はい、正解に近づいています!この単語は「ブラックホールの周りに物質が吸い込まれる現象」と関連があります。ブラックホールは重力が強力であるため、周りの物質を吸い込んでしまうという性質があります。そのため、あなたが言った「吸い込む」という言葉は正解に非常に近いです。もう一度、答えを考えてみてください!」
考えてみたがさっぱり分からん…
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ワイ「答えが分かりません。正解を教えてください。」
CharGPT「正解は「イベントホライズン」です。ブラックホールの周りにはイベントホライズンという領域があり、この領域内に入った物質はブラックホールに吸い込まれてしまいます。あなたが言った「吸い込む」という言葉は正解に非常に近かったので、非常によく考えてくれたと思います!」
CharGPT「申し訳ありません、私の前回の回答に誤りがありました。あなたが最初に言った単語が「蛍」だったことを思い出しました。私が提示したヒントが「ブラックホールの周りに物質が吸い込まれる現象」というもので、蛍とは全く関係がありませんでした。ごめんなさい。もう一度、最初からやり直しましょうか?」
『フェイブルマンズ』で「芸術」と言われていたものは後者の類と言える。仕事や、家庭を持ち人を愛し愛されるという事がそれに取って代わる、ないし併存するという人も多数だろう。
生き甲斐とは現実に即した、社会と密着したものでなければならないというボンクラも世の中には少なくない。そんな人間達の目を憚って、社会性として「趣味」という言葉でカモフラージュされた生き甲斐なのかもしれない。
なぜ趣味に留めるのか、仕事にしないのか、と言えば、それに越したことはない。好きな事で生きていけたらどれだけ良いだろう。しかし当然、また残念ながら、好きや憧れが人の役に立つとは限らない。要求される水準の技量があるとも限らない。いや、役に立たないからこその趣味なのではないかと思う。
総じて気晴らしの趣味は消費的、生き甲斐のそれは生産的とでも言われるようなものだろう。
前者であれば、生活の延長にあるものが多い。着飾って出掛けて美味しいものを食べ、温泉に浸かりスッキリして、思い思いの快適な部屋でゆっくりと過ごす。刹那的な快楽を得て、日々の生活の活力を補充する。
対して後者は、表現にまつわるものが最たるものだろう。音楽、美術、文藝、写真、映画、……etc. 美や善なるものの存在を信じ、それを描き出す。自身の人生の固有性と真摯に向き合い追い求める。他者に何かを訴えかける。あるいは、ただ純粋に好きや憧れを追求する。その中で、たった一度の人生に意義を見出す。たとえそれが自己満足に終始するものであったとしても。
無論、衣食住が必要十分の域を超えて、また低俗な娯楽と軽んじられるようなものの中でも、生き甲斐を見出し得る領域に及ぶ事はあるだろう。芸術作品もまた、鑑賞してただ「あー良かった」で終わる満足であれば消費的と言えるだろう。
生き甲斐を求める趣味においては、時に義務感を抱き、疲れてしまうような事もある。趣味なのにイヤイヤやるだなんてナンセンスだと思う人もいるかもしれない。しかし人を納得させ得るような「意味」など問題ではない。胸の内の無根拠な確信と納得、それだけで突き動かされ、追い求めずにはいられないのが生き甲斐というものだ。
世の中には、気晴らしの類の趣味のみを糧に生きる人もいるようだ。人生の意義やアイデンティティなどといったナイーブな考えは捨て、日々の些細な満足を拾い集め続ける事に重きを置く人も、むしろそういった人の方が多いだろう。それが納得を伴っているのなら、いや伴っていなくとも、それに口出しする道理は無い。
が、根本的な人生観において異なる価値観を持った両者は分かり合えないのではないかと思う。私は生き甲斐のない人間を理解できないが、彼らもまた全く同じ気持ちをこちらに抱く事もあるだろう。
しかし、双方が子供じみたナイーブな考えだ、凡庸さに屈した気晴らしにかまけるだけの生き方だ、などと互いに罵り合わないようあって欲しいものだ。
子宮頸がん検診で異形成の細胞が見つかったため、精密検査を受けてきた。
検診では擦りとった細胞を検査するが、確定診断するための精密検査では組織を検査する必要があるとのこと。
「それって、痛いんでしょうか?」
精密検査の説明をしてくれた医療スタッフにそう質問すると、優しい笑みを浮かべながら
と答えになっていない回答をされた。
あー痛いんだなーと思ったので、重たい気持ちで精密検査当日を迎えた。
緊張しながら検査室に入り、いつもの通り内診用の椅子に座った。
するとさっそく組織採取のための前準備として、酢酸を浸したガーゼを体内に突っ込まれた。
(自分の顔と医師の間はカーテンで遮られているので本当のところは何を突っ込まれているかはわからないが、医師がそう言っていた)
何個もホイホイ突っ込まれた気がする。
そしてそのまま5分ほど内診時の体勢のまま放置された。
採取する領域に酢酸を染み込ませるため致し方ないとはいえ、虚無感がとめどなく押し寄せた。
近くにあったモニターに表示される時刻を無心で見つめているうちに、いつの間にか5分経過。
医師はさっき詰め込まれたガーゼをポイポイ抜き取ると、何らかの手段で対象領域の組織を確認しているようだった。
(例によってカーテンで遮られているのでどうやって確認しているのかは不明)
そうこうしていると、チョキン…と控えめな音がした。
これは切っていると思った。
肝心の痛みはというと、体内で違和感はあるものの、痛み自体は感じない。
緊張でガチガチになっていた私だったが、ここでようやくほっと一息をついた。
考えてみればそうか。おそらくかなり小さい面積しか採らないのだから、そんなに痛くなるわけもない。
よかった、と思った。
その次の瞬間だった。
ジョキン
先程とは比べ物にならないくらいハッキリと、切れ味鋭そうなハサミが景気よく組織を切る音が聞こえた。
ジョキジョキ…
続く音に『そんなに切るの!?』と戸惑うのとほぼ時を同じくして、激痛が走った。
痛い、これは痛い!
鋭い痛みに、さすがに声を上げてしまった。
カーテンの向こうの医師と看護師は私をなだめつつも、手を止めることなく採取を進める。
医療スタッフには時として非情に思えるほどの冷静さが必要とされるのだ。
私はというと油断していたところへの激しい痛みに少々混乱しつつも、
同時に『まあ痛いって言ったせいで処置を止められても困るよなぁ』と何故か納得する気持ちも抱いていた。
刺すような痛みは比較的一瞬で、その後は鈍い痛みがズシンズシンと迫りくるようになっていた。
その後、手早く事後の処置を終えてもらいすぐ解放してもらったが、
重い生理痛のような痛みと先程のハサミの音のリフレインによってしばし放心状態が続いた。
そういえば、飼っていたハムスターを動物病院で診てもらったときも、今の私のように放心状態になっていたなぁ。
そんなことを思い出しながら、この日記を書いている。
検査結果がそこまで悪くありませんように。
【分かりやすい】と絶賛!インボイス制度に「反対」している人が「本当のこと」言わないので代わりに分かりやすく解説しますね!【海辺の部屋】より
お客様は対価を払っているだけですという建付け
国もこれを受けて
お客様は行為としては「納税」を行っていないし、事業者は税の徴収者ではない
これは定義上の話ね
マテヨと
年収200万だろうが、生活保護受けてようが、消費税分は負担してる
消費税を「転嫁しない」というのは、免税事業者でなければできない
んじゃ、総額100円のお菓子はどういう価格構成かといえば、本体91円税9円って構成になる
この認識の上で、さ
この認識の上で
本体91円税9円とレシートに打たれた取引は、「税を転嫁してない」のかい?
110,000円、消費税10,000円と書かれた請求書は、「税を転嫁してない」のかい?
ここを誤魔化す人が多すぎてウンザリする
その「請求した消費税分」を結果として納税しないなら、それはまごうことなき「益税」だろう
益税じゃなく「単なる対価」であるなら、請求書に消費税10%を項目として書かないでねってなるけど
でも請求するでしょ?
(免税事業者を除き)国は総額表示を義務付けてるから表記された価格は必ず「税込み」で
総額100円で売った場合、10円の税を企業が負担しますとか出来ねぇのよ
91円(税9円)に値下げしただけなんだよね
仕入れが「総額66円」であったら、仕入税額控除で税は3円として処理するべ?
税を転嫁してないだけで税金は10円ですから、控除されても4円ですと納税する事業者いる?
これをね、消費者は税を払ってないとか言って、「そうだそうだ」とコメントが喝采する
バカはどっちだよ
こういう間抜けがいるだろ?
7円は税なんだと自分で言ってるww
追記2
そうだよ
まさに言葉通りで
「消費者は納税していない」から法的には事業者が税金を預かっているとは定義できない
だから法廷などでゲンミツには「益税」と言う事が出来ないと言うだけだ
受け取ってるだろ?
消費税相当額をよ
違うのかよ
記載しろと国に言われたから「仕方なく、そう仕方なく請求してるだけなんだ」ってか?
でもさんねん
免税事業者が別途消費税相当額を受け取ることは法令などで禁止されていないため、現実の商取引においては、免税事業者でも外税で消費税相当額を受領しています。
しかし、令和5年10月以降に免税事業者が消費税相当額を記載した書類を発行することは、消費税法上これを禁止する規定はないものの、商取引として問題があるように思われます。
私もこの見解を支持する
追記3
実質的ってなに?
総額表示の義務化で100円税抜きとはできんから、100円で売りたい場合91円税9円になる
9円負担しとるやろ
とか言うわけ?
廃止され大店立地法になったが「大規模小売店舗法」とか何であったと思う?
アホ抜かせよ
めちゃくちゃムカついてるので憂さ晴らしと、注意喚起の意味を込めて投稿しておく。
卒業大学とは別の大学で、不足単位を補う形で免許の取得を目指している人がいれば、まあ大丈夫だろうと思うが、なんかの参考にしてほしい。
教員免許の取得申請をしに教育委員会に行ってきたが、今日になって初めて単位の不足が発覚し、一部申請が通らなかった。
去年の夏頃に一度単位の確認にも行ったのだが、その時には指摘されなかった部分で。
引っかかったのは、教科に関する科目の、「一般的包括的内容」を修められていない、とのことだった。以下説明。
「一般的包括的な内容」 とは、その科目の学問領域をおおまかに網羅するものであること、特定の領域に偏っていないものであることとし、学生の科目履修の際に一般的包括的な内容が担保 されるものであることとする(文科省HPより引用)。
なんのこっちゃという感じだが、ようは科目を履修する上で、「一般的包括的内容を網羅する科目」として指定されているものを取るか、一つの大学である程度まとまった単位取得をし、「一般的包括的内容を修めている状態」として大学に認められていなければならない、ということらしい。
私の場合、卒業大学と現在の大学で、だいたい半々くらいで教科の科目を取っていたのがよくなかった。運の悪いことに出身大学を卒業〜現在の大学に入る、の間に法改正が起きていたのも、状況のややこしさに拍車をかけたように思う。一応現在の大学の方では、「一般的包括的内容を網羅する科目」を必修としているそうなので(今日知ったが…)、普通に私の見落としではある。
ただ、これを今日知ったというのが、本当に悔しい。
複数大学で単位を取得し免許を取る場合、大学側からは「単位は自分で確認するか教育委員会に訊いてね」と言われる。そのため、半年前に教育委員を訪れたのだが、その時には、「一般的包括的内容」という単語すら出なかった。今日持参したものと同じ、学力に関する証明書を、両大学分用意していたのに、だ。
今日控えめに「夏に来た時は、そういう旨は聞いていなかったので、周知はしっかりしてほしい。確認の意味がない」とは言ったが、返答は「その時に対応したのは、私ではなかったものですから……」だった。
いや、その時の担当者も「今日の相談内容は課内で確認して、何かあれば連絡しますから」って言ってただろ。連絡なかったぞ。あんたもその時に確認する機会はあったんじゃないか?現場の一人の責任にしないために課内で確認するんだろうに、全員ザルじゃ意味ないだろう。
単位は取得できていると思っていたから、現在の大学はすでに退学している。ごく個人的なスケジュールの関係で、もう一度入学して取り直し、というのは、当分先のことになりそうだ。
私は運のいいことに、次の職場で教員免許が必須なわけではない。必須であったならば、どうなっていたことかと思うが……。
結構頑張ったんだけどなあ……仕事の合間に勉強したり試験行ったり、大変だったのになあ……。大学だって、仮に退学してなくても、半期分の学費、安いわけじゃないのにな……。
取り直したらまた来て下さい、なんて、簡単に言うなよ。
違うかもしれないけど、元増田寄りの志向からご友人寄りにシフト中?と思われるので、思ったこと。
極端だけど、たとえば「LGBTの人間は子孫を残す能力がないので死ぬべき」みたいな記事があったとしたら、「事実でもないし(子孫を残すことはできるし)論理展開も意味不明だし(なぜ死ぬべきとまで?)、深い意図があるとしても人に伝える努力を感じられないし、スルーしよう」と思いません?
増田の言及している記事はそんなじゃないと思うけど、程度問題だったり関心領域の違いだったりは各人にあって、元増田にもスルーするレベルやジャンルはあると思う。
今回はたまたま、元増田にとってのNOTスルー領域、ご友人にとってのスルー領域だっただけかも。
私には「話せば分かり合える(同じ意見にならなくても、違いを認め合える)」という信念があるけど、たぶん間違っているというか、論理的に正しいとしても現実的じゃない。
実際問題、時間がかかり過ぎたり相手が議論に付き合ってくれなかったり、こっちが嫌になってしまったり、そうして「もういい」となってしまうケースは多々ある。ネット上での議論なんてその方が多いくらいじゃない?
なら最初から話合わない、話し合うにしても相手は選ぼう、というのは当然の発想だと思う。
これは元増田の言う「俺は反論や否定的な意見についても、理があるのかどうかを検討して、自分の意見をより明確にする材料にしている」的な発想と矛盾しない。すべての記事やコメントについてそれをする余裕はどう考えてもないのだから、対象を選んでそうしようという話。
これは知見を得られる可能性を潰す発想だと思う。思うけど、精神の安定のために私もしてしまう。
私はネット記事でというより仕事で出くわす理不尽な人に対してしてしまう。
ネット記事はただ読まないことを選択できるので強いて馬鹿にする必要もないけど、仕事では目上だったり年上だったりする人から理不尽な叱責を受けることもある。考えて考えて自分を責めて、でも相手の矛盾や理不尽さが気になって、でもそれこそ議論ができる相手ではないし…とモヤモヤするのを繰り返して、「5分考えても相手が間違っていると思うならもう考えないことにしよう」と決めた。
ただ、単に「考えない」「忘れる」というのは難しくて、「あの人は馬鹿なんだ」「ストレスが溜まっているんだ」というような溜飲の下げ方をしてしまう。
私が間違っている可能性も大いにあるけれど、実際に知的水準が低くストレスを溜めていて他人に当たり散らしたい人である可能性が高いとも思う。
ご友人の主張とは少し違う気がする。
私が受けた印象では「不機嫌に話題を振られるのが不快だから」ではなく「全員を相手にはできないなか重要と思われる相手ではないから」、
「自分以外全員バカだと思って」ではなく「中には知的水準の低い人・時間を割くに値しない人もいることに留意して」、
たぶん増田は感情より理屈で考える人/考えるべきだと思っている人で、意見が違う=悪いことではないし、議論=楽しいこと、少なくとも不快だったりひどく面倒だったりはしないこと、だと思う。私はそう。
でも実際のところ、理屈なんてどうでもいい人、意見が違うと全人格を否定された気持ちになってしまってその気持ちが大切な人、議論なんてしたくない人は結構いる。そういう人もコメントを書くけど、反応するのが有意義だとは思わない。
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身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
https://anond.hatelabo.jp/20230328174533
この増田でも触れてるように、2017年時点(ジャニー喜多川86歳)でようやく違法化された
それ以前も一応親告罪ではあったが訴える人が居なかった
適法であったからこそ、言うほど周りも叩きづらいという状態もあった
※ちなみにジャニー喜多川のセクハラ行為は結構前から言われているけど
年齢を加味してやってたのは平成中期より前の時代だろうと言われている
1990年代といえば、ディスコや援助交際やブルセラ全盛期の時代だ
その時代のある行為・事件を指して、「あの頃は良くなかったな」「今はいい時代だな」となるのはわかるが
じゃあジャニー喜多川の作ったものや、今のジャニーズにNOを言おうというのは
そりゃ全員に受け入れられるようなものじゃないだろう
MeTooで大昔の話を掘り返してみたり
例えばじゃあこれが100年前の出来事だったとしたら、多くの日本人は「そういうもの」として扱うだろう
100年前じゃないにしても、おニャン子クラブをただの「懐かしいもの」として扱ってる時点で感覚が違うんだろう(80年代の私ですら、あれはすげー時代だなと今でも思う)
これがもし誰が見ても明らかに酷い、つまり大昔から犯罪の類であったらまた変わったんだと思う
ただ淫行関係は時代によって犯罪かどうかが度々揺れている領域だ
だからこそ日本人も言うほど叩けないし、というか欧米でも昔のそういうのを叩いてるのは一部という認識
まあBBC的には海外のおもしろコンテンツの一つなんだろう、彼ら的にJapanはHentaiの国でなきゃならない、これは昔から変わっていない
ジャニー喜多川をボロカスに叩いてジャニーズを潰さない限り、奴らは「それみたことか日本人は変態だ」とコンテンツにするだけだ
せめて今まさに起こってることを取り上げろよと思うが
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