はてなキーワード: 立身出世とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20180119-00080643/
fukken ガチでの勝負を前提として、球場や故障にもっと寛容になればいいだけの話。なんで八百長を許容するって話になるんだよ。八百長など、競技としても神事としてもまずかろう。
つか故障に寛容ってなんだよ。現状でも寛容だよ。みんなサポーター巻いて出てきてるだろ。
だが神事で八百長の何がまずいんだ?神事なんて多くは演劇だが。
豊穣の神とか疫病神とかと取っ組み合いする神事は珍しくないよね。
故障に寛容wになったって15日連続ガチでやればどんどん怪我人が出る。
はてな民はどうもハードな運動部経験者とかが少ないんじゃないだろうか。
だからいいこと言ってるつもりで「故障に寛容になる」とか意味不明な方針が出て来る。
diabah_blue ガチンコが危険と言うなら、危険でなくなるようにルールとして明文化すればよい。フェンシングの剣が真剣でないからつまらないかと言えば、そうではないと感じる。
これマジで酷くない?
冗談で言ってるんじゃないんだもん。
相撲のような身体をフルにぶつけ合う種目とフェンシングのような相手の身体に直接触れない種目を比べてどうする?
レスリング、柔道、ラグビー、アメフト、みんなフェンシングより怪我が多いよ。調べないけど調べるまでもないことだ。
これほとんど「相撲は将棋に比べて怪我が多い、将棋みたいにルールを整備しないからだ」って言ってるのと発言の馬鹿度は変わらないからな?
いつものことだけど、こういうのを1人が言ってるならいいんだよ。酒飲みながらコメントしたとか睡眠不足でコメントしたとか一瞬脳の血管詰まってたとか色々あると思う。でも大勢が星を付けて人気コメントになるのはどうなんだ?全員酔っ払ってるの?
相撲をどうルール整備したら相撲の形を保ちながらフェンシング並みに怪我が減るのかおしえてくれ。
具体的に言ってみなよそのすっごいアイデアを。
きっとそのすごいアイデアはレスリングや柔道にも応用して怪我を劇的に減らせるはずだ。
言ってくれよさあさあ。
n-styles とりあえず土俵の周りにフワフワのエアクッションでも置いたらどうか。どう考えてもいきなり転落するの危ないし、土俵の外いじって安全策講じても競技性や伝統に大した影響ないでしょ。
ただすごいみっともなくなるので相撲では出来ないだろうな。
あと勘違いされがちだが、殆どの怪我は土俵の下に落ちたところで怪我するわけじゃないから
相撲を取ってること自体が腰や膝に飛んでもない負担がかかるんだよ。
昔なんて「無気力相撲はやめましょう」って注意が公然と協会から出てたの覚えてないかな。
勝ち越し負け越し決まったあとの取り組みは平然と流す力士が多くて、
勝つ気がないの明らかな相撲を取る力士がいて、テレビでも流れてたよ。
相手が7勝7敗で自分にとっては重要じゃない取組のときにあんまり本気でやるのは「行儀が悪い」って言われてた時代もあった。
プロ野球でも勝ちが決まってる大差で盗塁とかしたらキレられるだろ。しらねーか。
プロ野球は純競技なんだから半神事の相撲の八百長よりよっぽどまずい筈だがまかりとおってる慣行だ。
新人選手が大差勝利の試合で盗塁したら相手チームの監督がマスメディア相手に「大変なことやと思うよ」って怒りを表明するぐらいには堂々とやってる。
afurikamaimai 言い分は分からなくもない。ただ「八百長や星のやり取りはない」って言って裁判まで起こして異論潰して回ってたのはまさに大相撲なわけで。後ろから相撲を撃ってることになるんじゃないかな。
2018/01/19
相撲ファンはみんなそこまでわかって納得してる。
お前等がなんにも知らずに頓珍漢な事言ってるだけ。
toitoihoh プロレスは台本ありのエンターテイメントである代償に、競技としての格闘技を見たい客を呼べないという対価を払っている。だが大相撲はその対価を払っていない。ならば八百長が相撲で許される理由は、ない。
・相撲の八百長度・競技としての不純度は日本の腐りはてた格闘技全般、K1やらRIZINやらと同じぐらいだ。いや、あれよりはマシだな。
つまりは八百長っていうと0か1か・全部取り決めか全部真剣勝負かだと思ってる、この程度の理解の馬鹿が知った口を叩くなと。
no9875 ガチンコじゃないなら愛想や体格のいい日本人横綱が常に2〜3人いるように調整してもいいのに、若貴以降ハワイやモンゴル出身ばかり横綱になったのはなぜ?伝統という面でもいまいち意味不明なんですが。
いい質問ですね!
知らないなりにしったかぶったりせずに素朴に疑問を書くなら親切に教えちゃうよ。
安定して勝ち越せる人がいて、例えば11勝4敗出来るとするじゃん?
優勝狙えるほどじゃない。でも勝ち越しラインの8勝から3つも星が余ってる。
これを売ってあげるわけ。
何かが懸かってる人にね。
ただ、星を買う側だって「自力で4勝しか出来ないから星を4つ買います」ってわけにはいかない。
自力でも勝ち越せるぐらいの人が、調子悪い場所で終盤に保険で星を買うのよ。
エスポワール号みたいだろ?
疲れも出てる場所終盤で勝ち越し負け越し賭けて全力相撲なんかしたら怪我が増えるじゃん。
相手だってそこで全力でやるほど人情がないわけじゃないし死に物狂いを相手にして怪我したくない。
なら「貸しひとつな」ってことになる。売り買いってより貸し借りなんだよな。金が媒介すること「も」あるだけ。
要は互助会みたいなもんだよ。
はてな民の好きなやつだよ。従業員同士で苦しいときの助け合いをしてるんだ。
かつて〇皇は互助会会長と呼ばれてたしクンロク大関と賞賛されてた。
大関を張るに確かな実力がありつつ星の貸し借り仕切ってる人の安定した成績が9勝6敗。
「さすがの会長、今場所も貫禄のクンロク」「今場所は10勝5敗、乱れが見えた」つって互助会見るの好きな相撲ファンは喜んでたもんだ。
質問に戻るけど
これの答えはもうわかったよね。
「八百長は実力足りない奴が上にいく為のシステムではないから」。
イケメンだけど実力がないっていうカカシみたいな奴を横綱に出来るわけではないの。
だから長持ちしたの。
もちろん八百長だけで綱を張れるわけじゃないから、十代の貴乃花に力量負けしたのを悟って引退した。
だから怪我人続出したでしょ?
貴乃花で怪しい相撲なんて若乃花の綱取りかかった場所の兄弟対決だけだね。
仲悪くなったのあれが遺恨じゃないかって説があるぐらいよ。
普通の力士なら実の兄や兄弟子の綱取りかかったとこで本気でやらないなんて当たり前の人情だけど、
同じ国からこんな外国まで来て下手すれば高校から部屋住みでチョンマゲ結って相撲やってて厳しい実力社会で立身出世目指して、同郷同士助け合うのが当たり前でしょ?
で、脱落していく仲間を見送りながらも生き残った者同士、十両、幕内、と目鼻がついてきて、そこで潰し合いなんかするか?
お互いの苦しい状況での星の貸し借りなんて普通に発生するわな。綱取りかかってたら協力するわな。
白鵬は違うが、鶴竜と日馬富士が横綱になれたのは完全に互助だからな。
実力が全く横綱に足りてないとまではいわない。運がすごく良ければ自力で横綱になれた可能性はある。
そういう奴等に不運や怪我を回避させて上げるのが互助の精神で、それが相撲の八百長なわけよ。
それ見ても相撲ファンは「モンゴル人はズルい」なんて言わなかったよ。「日本人ももうすこし助け合え」つってたんだ。
だから横綱0人なんだってな。日馬や鶴竜ぐらいの器量の力士は日本人にも何人かいたから。
ただ報道の通りなら最近の白鵬はちょっと道を違えてたみたいだね。
八百長に応じない同郷の後輩に「俺達に勝つのか」とプレッシャー掛けるようなことは相撲ファンから見ても看過できない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamadajun/20180119-00080643/
(追記)
相撲に詳しくなるには5chかtwitterかって話のようだけどそれは一長一短じゃね?
最近見てないけど5chも現役力士が書き込んでたりしてそんなに悪くはなかったような
kjkw 『相撲には八百長があるし、相撲の八百長はいい八百長。』本気で肯定してるにしても、あえて肯定してるフリして書いてるにしても分かり合える気がしない。
どういう意味でのどういう効果のある八百長なのかってちゃんと説明したよね?
ほんとに読んだうえで伝わらないならしょうがないんだけど
政治についてよくわからない30代。今回の選挙はどの党に投票しようか。
知ってる政党と政治家についてメモ。自分の知識のなさと、頭の悪さが悲しい。
自民党→安倍さんは改憲して、戦争したそうだから嫌だな。ちょっと前に自民党が出していた改憲草案が嫌すぎる。憲法に個々人の価値観を縛られたくねーよって思う。トランプさんと仲良くしているのは評価できるけど、それ以外は信用ならないと感じている。野田さんと約束してた議員定数の削減ってやったっけ?そもそもこのタイミングで解散する意味がわからない。ゴシップが言うように、勝てそうだから解散ということだったら、国民をバカにしてるようにしか思えない。
菅さんは信用できそう。ミサイル飛んできたら朝一でテレビの前に出てくるじゃん。官僚とも上手くやれてそうなイメージ。
民進党(改め希望の党)→前原さんって印象薄い。男前、ということ以上のことを知らない。希望の党に合流するって時点で理念を感じない。
希望の党→小池さんは八方美人で、自分の立身出世のために政治をやってる印象。国政に転身したとしたら、都民ファーストという言葉を信じた都民は置いてけぼりなんですけど。
築地市場についても、二転三転して周囲を振り回してしまった感じ。築地を食のテーマパークにするってバカなの?上っ面な観光施設は寂れるのが目に見えてるんだけど。作られた観光施設には外国人観光客は来ないよ。
民主党→今日のニュースを見て、枝野さんのポリシーの強さを感じた。311のときの彼の働きはとても心強かったし、自分の1票を信任したいと思った。
無所属で出馬する野田さんも信頼できるけど、無所属じゃ投票できないよ。
共産党→志位さんは、いいことを言うけど、理想主義な感じ。党名が共産党でなければ投票してもいいかもと毎回思う。
とはいえ旧民主党が与党だったときの国政の混乱の印象はやっぱり強くって、引き続き自民党が与党を取りつつ、しっかりとした野党がいてほしいというのが自分の考え。
今井絵理子の不倫が叩かれているけど、橋本市議は地元では英雄扱いされているという現実を、はてな民や東京のメディア関係者は理解できないのだろうか。今井も橋本もどことなく対応がまずいのは、なぜ叩かれているのか彼ら自身も腑に落ちていないからという面も大きい。
橋本市議は神戸出身だ。神戸というと、おしゃれな港町、横浜みなとみらいみたいなものを想像する人が多いが、実態はただの寂れゆく地方都市に過ぎない。しかも、橋本は西区という田舎出身だ。橋本の育った西神ニュータウンは、もはやニュータウンじゃなくて、高齢化の進んだオールドタウンになっている。
神戸において、橋本の出た長田高校は最高の学歴だ。公立ナンバーワンの高校だ。
東京の人はほとんど知らないだろう。せいぜい高校野球マニアが、「そういえば21世紀枠で出場してたなあ」ぐらいの感想を持つに過ぎない。神戸の高校で誰でも知っているのは、灘ぐらいだと思う。
だが、地方都市でありがちだが、地元では「長田>>>>>>>灘」という扱いだ。灘に行く子は、勉強ができるだけだが、長田に行く子は文武両道で全てが完璧にできると評価される。子どもが長田に行くとそれだけで一生親がドヤ顔する世界である。
しかも、その後京大か阪大といった国立に行くことが至上とされており、橋本はそれも成し遂げた。もはや橋本は神戸では学歴面で神のようにあがめられる神童という扱いなのだ。東京の人からすると笑っちゃう価値観だが、神戸ではそうなっている。
東京にいると、歯医者はそこまで評価されない。数が多く、歯学部に入るのが簡単なのは周知の事実だし、医者に行く頭がなかった残念な人扱いされることもあるぐらいだ。(実際、入〇優というアイドル崩れでも入れた。)
だが、神戸(を含む地方都市)では違う。歯医者は医者と同等なのだ。そして、他の職業よりも一段高いところにいるとされている。
神戸の価値観では、「医学部>歯学部>>>>>>>>>>東大の医学部以外の学部」となる。
東大や京大は歯学部がないことから、大阪大学の歯学部は最上になる。
息子を阪大歯学部に入れたお母さんが、東大卒官僚や慶應卒外資金融勤務にマウンティングするような世界観なのである。
東京にいると、「〇〇がテレビに出てる〇〇と昔付き合ってた」という話はたまに聞くことがあるだろう。だが、神戸では、テレビに出ている人を食うということは、天下をとったのも同然である。テレビの中の人というのは天上人なのである。それを食ったということは、賞賛されることはあっても非難される言われはないのである。
今回の件は、最高の経歴と最高の職に就く地元のイケメンが、アイドルを食うという立身出世を成し遂げた大成功物語なのである。
英雄橋本は逆に名を挙げたので、次の次の衆院選か参院選で国政に出てくるだろし、当選する。
日本が太平洋戦争に突入した理由として、二言目には軍部の暴走がどうのと言われる。
しかし、これは当時貧しい家に生まれると、立身出世するためのルートが軍隊ぐらいしかなく、
彼らの勢力を抑えようにも抑えられなかったという事情もあるらしい。
現代は、まさにこの戦前の空気に近づきつつあるのではないかと思う。
高校の無償化といっても、今はそこまで義務教育みたいなものだ。
給付型奨学金がどうのと言ってるが、今出ている限りの情報だと、貧困家庭に行き渡ることはまずなさそうだし、
むしろ国立の学費を私立に合わせて引き上げようとすらしている。
困ったことに師範学校も、教師になれば奨学金が減免される制度ももうない。
奨学金という名のローンを背負っても、その後の就職先があるかも疑わしい。
いい加減、防衛大にでも行くしかない状況になりつつあるんじゃないか?
さて、最近安倍が言ってる一億総活躍とやらは、もう男性の所得はこれ以上伸びないので、
女性も高齢者も動員して家庭内の収入を増やそう、そして家庭内で互助を成立させようという政策らしい。
しかし、自分はこれも失敗すると考えている。男の所得上げなきゃどうしようもないだろう。
家事や育児や介護が女性に集中する現状(という理由にしとこう)で、女性が結婚しようと思えるだろうか。
仮に、これらを積極的に担うことで、所得の低さを補おうとする男性が現れたとして、
女性が彼らを選ぶだろうかというとこれも疑わしいのだが、それはひとまず置いておこう。
防衛費がないとか、周辺国の理解が得られないとか、そういうのもあるんだろうが、それ以前にだ。
優秀な若者が軍にばかり流れるような世の中は作るべきでない。
終わった。
終わってしまった。
この上なく終わってしまった。
毎週日曜日のお楽しみ。最初から最後までかじりついて見たのは『毛利元就』以来20年ぶり。いやー本当に面白かった。
だけど『真田丸』を見返そうとは思わない。ビデオ録ってないけど、録ってたとしても見返さないと思う。総集編も見ない。
大坂の陣ってのは、戦国の終わりを告げる戦いだ。槍働き如何でいかようにも立身出世できた日本史上における最後の時を終わらせる、不可逆的な戦いだ。
関ヶ原で没落した連中が、夢よ今一度とばかりに大坂城へと篭って幕府に抗うけど、時代はとうに転換していて、大坂方が勝つことは、泰平の世へと進んだ時代が許してくれない。戦国の亡霊たる大坂方が勝つということはまた戦国乱世の世に戻るということであって、それは許されることじゃない。連中は時代によって完膚なきまでに滅ぼされるべきなのだ。
勝頼も、室賀も、氏政も、秀吉も、三成も、昌幸も、そして信繁も、時代の波に乗り切れなかった落伍者は、時代によって淘汰される。それは万物の理とでもいうべき不変の法則で、何人も逃れることはできない。
しかしながら敗れてなお名を残すことはできる。
死に様はどのように生きたかが決める。死したときその者の評価は定まる。
真田信繁は人生のほとんどを歴史に埋没させながら生き、最後の最後でひょっこり顔を出して歴史にその名を刻んだ。
それは信繁が成したことというより、戦国という時代の亡霊が、かくありたいと希い、信繁を依代として成したことと言えはしないだろうか。
その馬印を倒し、日ノ本一の兵と讃えられるほどの奮戦の末に死ぬこと。
そのような死に様は日本史上において信繁を除いて絶無であり、みなが憧れるような最期だったからこそこぞってその戦いぶりと名を残そうとしたんじゃなかろうか。
そう感じてやまないのは、『真田丸』という物語が、時代に敗れていった者たちの生き方、そして死に様をいくつも積み重ねていったからだと思う。
『真田丸』の信繁は決して完全無欠の勇将なんかじゃない。政治的センスに欠け、他者と真正面からぶつかることを避けて策を弄するような、敗れるべくして敗れるような凡庸さがあった。
だから信繁が日ノ本一になれたのは彼の力というより、めぐり合わせ、言ってみればただの運だと思う。しかしそれは何千年という時の流れの中でようやく一回あるかないかというような奇跡。
でも、だからこそ消費し尽くさないで、たとえば夜空に一瞬またたいた流星をぐうぜん目にしたときのような鮮烈さを噛みしめるに留めるべきだと思う。
またいずれ真田信繁の物語が別に語られるとしても、『真田丸』は大坂の陣のような不可逆さとともに鮮烈な印象のまま留めるべきだと思う。
2016年という年号とともに『真田丸』は終わる。終わったままにしておく。
別れの時が来た。
・逆に、ニューウェーブみたいにユニット推しだったのが徐々にキャラが立ってきて個別に登場するケースもあるよね
・デレステのローディング1コマではフリスク以外との絡みもあるから、そんなにフリスク一辺倒という印象はないけどなあ
・あずきちは着物要素をお紗枝はんに持ってかれちゃったのがダメージ大きそう。大作戦もあるにはあるけど
・ほのかちゃんはぴにゃとセットというのが強力な武器になってはいるけど、逆にぴにゃ頼みになってる感もあるかも
・忍ちゃん、好きよ。東北から単身飛び出してきての立身出世。劇場592話の帽子の回とかすごくいい
・柚はすごくかわいいし、実際に人気も高いはずなんだけど(総選挙の順位も高かったはず)なぜか影が薄いんだよなあ。
昨日くらいの増田でちゃんみおのことが書かれてたけど、柚とちゃんみおってキャラが被ってるのかもしれない
・デレステからの参入だとはじめからフリルドスクエアありきみたいに感じるのかもしれないけど、モバマスでははじめからユニットだったわけじゃなくて段々と仲良くなっていく過程を見てるからむしろユニットとして活躍してるのを見ると感慨深いものがあるのだけど
・とりあえずモバマスのシンデレラガールズ劇場でアイドル名検索してみれば、フリスクのユニットとしてだけではない別の顔も見られるし、今読み返してみたけど、個別の活動もしっかりやっているうえで、仲良し4人組での行動も増えてきてる感じで、いいバランスだと思いましたよ。ええ。(贔屓目)
・ガールズビーについてはまだそこまでユニットとして固定されてる印象がないので保留
・他に複数人で互い違いにユニット汲んでるのだとセンゴクランブ系かなあ。丹羽ちゃんあやめ殿たまちゃんとかあのへんもいいよね。メンバーが固定じゃなくてけっこう流動的だけど
・新宿プロムナードのときみたいにユニットできゃっきゃうふふしてるのを見てるだけで楽しいんだから、それでいいと思うのだけどなあ
人手が足りないならまず待遇なんとかしろよ! と思うのだが、金がないのだからどうしようもない。
地方紙のさらに地方のニュースでは、医師不足がよく話題になる。
よく読んでみると、大抵は産婦人科などきつい科の、それも勤務医が足りないというのが正確だ。
おそらく、勤務医の立場からすれば、交代要員がいない、学ぶべき先達もろくにいない、
何より人口が減って、将来開業もできない。というか、今あるとこすら経営が危うい。
そんな田舎で耐えて、キャリアを積んでもしょうがないのだろう。
全くの無駄ではないにせよ明らかに損で、スタートの段階で小金をもらっても、結局は割に合わない。
田舎の人材不足の原因は、下っ端の待遇が悪いから。それも正解だと思う。
しかし、本当にどうしようもないのは、そこから上がった先の魅力の低下であり、
将来を餌に下っ端をこき使うシステムが、もはや機能しなくなりつつあることではないだろうか。
今更もう既得権益の側には入れないという諦めと、そして実はその既得権益すら危ういことではないだろうか。
あ
老害かどうかという意味で言うと彼は大学生の時からとっくに老害だった。立身出世のきっかけになったと豪語するルパンの記事を見てもらえばわかるはず。有名になる前だから彼にこの記事で触れた人が多いはずなのだが、何人もの初見のブックマーカーが書き手のことをおっさんだと思っている。そのくらいおっさんぽいし説教臭いし上から目線だし自分の知ってる部分だけが全てだと思う頭の固さがあるしつまり老害だ。これについては徐々にただの想像力の乏しいバカであるという評価に置き換えられていったが一般的評価で見て少なくとも22歳の時にすでにおっさんくさかったことは間違いない。26歳になったから22歳の人間が気に入らなくなるというのは普遍的な話であるが彼の場合は違う。彼は22歳の時からすでに自分が気に入らないものは年上であろうが年下であろうが自分を棚に上げて文句をいう嫌なおっさんであった。
老害であるかどうかは大した問題ではないがそんなことより問題なのは老害であることよりもすぐにヘイトを撒き散らしてしまうこと。彼はおっさんくさい語り口調と対照をなすように感情が未発達。そのため小学生のガキが思い通りにならなかったときにすぐ癇癪を起こすのと同じ要領で幼稚な感情制御のもとに無駄に凝った語彙で人に嫌がらせをする。数年間ほどチャンネル桜やアホなネトウヨ活動に傾倒していた時期のせいか、極めて下品な語彙を多数獲得している上また大学生の時にまともなリアルの友人関係を構築することができなかったようでノリがいつまで経っても中学生のガキのまま。
さらにいくつかの要素についてコンプレックスがあまりに強すぎてそれに反発できずむしろ積極的にトレースしてしまう。克服できないままいつまでも反復強迫を繰り返している。たとえばリア充を嫌うくせに、自分の語りの時はリア充と同じ「俺の行間つまりノリまで理解しろ」「俺のノリを理解しない奴はださい」という態度をトレースしてしまう。いくらオタクぶっていてもリア充に強いコンプレックスを抱いていることがそこにくっきりと出てしまう。リア充の縛りから抜け出せないからいつまで経ってもリア充にこだわり続ける。あるいは母親を猛烈に嫌っているくせに、人との接し方は彼が嫌う母親そのものである。人の話を聞かず、自分の思い込みで相手を傷つけ一方的に評価するだけ。そういう扱いを受け続けた上他のロールモデルを得ることができずに現在まで来てしまっているため、そういう行いを憎みつつも自分自身がその憎むべき行為をするようになってしまっている。
自分が嫌うものに立ち向かわずその憂さ晴らしを他でやっている限りいつまだたっても自分が嫌うリア充や母親を恨みながらそれに自分が支配され続けるという屈辱を味わいその屈辱を他人にぶつけては反動で傷つき永遠に自家中毒で苦しみ続ける。だがなまじそれで他人がかまってくれるものだから今の自分を捨てられずごまかしごまかし生きるしかない。
自分が憎むべきものに自分がなってしまうことはよくあることであるがそういう時人はどうするかというと分裂症になるか自分を正しく認識しなくなるかどちらかである。彼の場合は非常に分裂気質が強い。そこからほとんど必然的なつながりで双極性障害になっている。専門家による治療が必要であるがそれを拒んでいる以上彼が自分を守るための思い込みではなく正しく自分のコンプレックスと向き合ってそれを克服することは困難であるし、発達障害や分裂症的気質を無視して躁うつ病の対策の記事をいくら書いて気をつけようとも少しでも厳しい環境になればすぐに躁うつ病は悪化する。根本的な部分で何も解決していない。 このままネットでできるだけ躁状態のアウトプットを心がけ、鬱状態の時のアウトプットを引き受けてくれる友人や家族を見つけるしかないだろう。
したたか酔っぱらって気持ちいいので世のため人のためになるけど、普段は絶対言わないことを書く。
今、僕のいる会社を含め世の中は、開業者を倍以上に増やそうとしているけど、この記事を読んでいる君がそれを少しでも考えているなら、
決して起業なんてしてはならない。
特に、今のベンチャーブームにのっかて起業しようと考えている人は絶対にやめたほうがいい。
それはなぜか?今ベンチャーブームに乗せられて起業を考えている人のレベルはたいてい中途半端だからだ。
三桁の起業家とそれ以上の数の起業家になりたい人たちと会ってきた、彼らは大体こんな具合に層別されている。
大抵が社会に適合できなさそうなギーク(IQ MENSAレベル 常人では理解できないスピードで思考するため単体では会話にならない)と、
その人間の言葉を翻訳するビジネスマン(IQ120位、ギークの言葉が理解できる数少ない人間であると同時に、常人にも回転数が合わせられる、MBA・コンサル等)の二人以上のチームになっている。
そして、大抵はビジネスマンが自分の立身出世のため、ギークをそそのかし、
ギークはギークで大金を使って自分のやりたいことをするために起業する。
彼らは、基本的にリスクを取らず、市場が見えて、サービスインするまで、
どこかの大企業や研究所に属していることも多いために、ギリギリまで僕らのアンテナに引っかかってこない。
彼らの目的は、「名声を得、大金を得て好きなことをする」ことだ。だからこそ、VCはいとも簡単に騙される。
事実ギークが作る商品の技術力は高くて、MBAが作るビジネスモデルは完璧だ。
だから社内稟議はスイスイとおるし、融資部の許可もおりやすい。
結果として、ぶち上げてから数年で国内でも新しい分野に台頭し、第一人者になるか
大失敗をしたベンチャーの烙印を押される形で世の中に知れ渡る。
どちらに転んだとしても、彼らは目的が達成された時点で早々にビジネスをたたみ
次の好きなことか、起業前と同じくらいの条件のところに転職する
②ローエンド起業家
こういう人たちは、開業して、美容師・レストランオーナー・コンビニオーナー等、特定の業種の経営者になる。
この層が起業する際の業種の特徴は3つ、
①ビジネスモデルを新たに考える必要がないこと、②技術職であること、③ちょっと調べればめちゃくちゃ割にあわないとわかる業種であること。
つまりは、正直、起業することそのものが正気の沙汰ではないようなそういう業種に進出できちゃうくらい
度胸があって、考える力がない人たちだ。
こうした人たちは、たいてい、誰かの影響を受け起業を決めて
行政機関や銀行の窓口相談を利用して、(かなり独りよがりな)事業計画書を書いて
ビジネスを立ち上げる上で多くの起業が失敗するといわれているけど、そうした層の大半はこの人たちだ。
この人たちは稲盛和夫や松下幸之助が言っていることを本気で信じていて、自己啓発本が大好きな人達と
今でも、日本が右肩上がりに成長していくという確信を持ったたちの悪い行政機関周りのエセコンサルに
数年前までは明確にこの2者に起業家は分かれていた。
だが、最近この傾向に変化の兆しが見えた。それが意識高い系起業家志望者だ。
具体的には、学生・フリーター・メーカーで管理部門や開発部門にずっといた。という類の方々。
面白いのはたいていが、そこそこ有名な私立大学を出ている人が多く、また修士までとっている方が少ないことだ。
ひょっとしたら受験等で苦労しなかったために経て失うものが余り無いと感じているのかもしれない。
彼らは起業は良いものだと信じている反面、リスクを忌避し続けるという性質を持つ、
彼らは起業する前に自分が起業して食べていくのにはどの程度の投資が必要かを事前にスタディし、
余りにも割に合ないことを学ぶ知性を持っているからだ。
こうしたギリギリの均衡状態にいる世間知らずたち、起業志望者は昔から一定数いた。
このベンチャーブームのおかげで、僕みたいな起業支援者の言葉を真に受けて、起業をすれば自己実現できるし、
「起業はいい経験だから失敗しても誰かがそれを評価してくれる」という幻想に取りつかれた起業家が多く生まれた。
彼らはかわいそうなことに、孫正義 やら ちきりん やら Jobsやらの言葉が自分にも100%当てはまると本気で信じている。
そしてリーンプロダクション、「Stay Foolish」な精神で、実際にとんでもなく稚拙なビジネスモデルで起業して、自らの将来価値を大いに既存している若者が
徐々に増えてきている。
ただ、こうした起業家志望者に伝えたいことが一つある。
起業家支援者の中で、起業を勧める人間がいたら彼らの言葉に耳を貸してはいけない。
起業家に貼られるレッテルは昔のままだし、社会的信用なんて成功するまで0に近い。
それなのに、起業を勧めてくる奴には裏がある。
そこそこの知性があるからこそ騙されてしまう、起業家志望者は多くいる。
それでも起業したいなら、せめてMBAくらいは取って履歴書の見栄えを良くして転職の準備をして、
あわよくば、ハイエンド層の仲間入りをしてから起業してほしい。
リー・ミンウェイがずっと気になっているので書く。
リー・ミンウェイは、昨年末から今年初めにかけて森美術館で開催されていた「リー・ミンウェイとその関係展」(http://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/)で初めて見た。ミンウェイが美術館に来た観客と食事をする作品(その映像が展示されていた)や、会場で花を配りその花を会場から帰る途中に知らない人にプレゼントしてもらう、という作品などがあった。一般的にはリレーショナルアートに含まれる作品を作る作家として知られる。
展示を観終わった後に、同行した人が言っていた。リー・ミンウェイは本当に素直な人だよね、と。それに、彼のようなバックグラウンドがなければこうはなれなかった、と。(以下はその人が言ったことを言い換えたり補ったりしているだけのような気もする。)
リー・ミンウェイがやっていたのは、何の恐れも気負いもなく他人に何かを「贈る」ことだったのだ。
もう一度彼が贈ってきたものを考えてみてほしい。それは一緒に食事をしながらお喋りをすることである。思い出の詰まった布を持ってきてもらい、ボランティアの人に会場の壁から垂らした糸で縫い付けてもらうことである。隣り合ったベッドで寝ることである。一緒に凧を揚げることである。
ここでいうところの「贈る」とは、それによって誰かの上に立とうとしたり恩を売ろうとしたりする行為でもない。相手に無関心なまま何かを仕掛けて反応を見るような行為でもない。自分を貶めつつ他者というものをたてまつろうとする行為でもない。さらに、その行為それ自体から自分が楽しもうとする行為のようにも見えない。ただ何かにとっていいだろうと思える何かをしてみる、という行為のように見える。何らかの形で人同士が繋がるというのはいいことだから、それをしてみる。そこには自分とかいう云々かんぬんはなく、そもそも自分とかいう云々がないとうことすらそもそも考えられていない。
それが、彼に恐れも気負いがないように見えるということに繋がっている。普通は上に挙げたいずれかの動機があるし、その場合、失敗することの恐れや他人を使うことのやましさ、義務感からくる気負い、何かが得られるかについての不安みたいなものを背負わざるを得ない。たぶん、そういうものがないリー・ミンウェイは、完全に力が抜けきっている。ただいいことだからやってみている。
(蛇足だけど、純粋贈与ってこんなもののような気がする。誰が何と言おうと。)
彼においてはあまりに素直に無邪気に何かを贈るということが行われている。その素直さと無邪気さは、ありがちな譬えとして出される「子どもの素直さや無邪気さ」よりもはるかに深い。子供のそれらが自分という中心をなしで済ますことは意外と難しいことだろうから。リー・ミンウェイのそれは、何らかの形で洗練に洗練が重なった類の素直さ無邪気さである。
その洗練というのは、台湾にルーツを持つカリフォルニアの裕福な家庭で育った、という育ちに依っているのかもしれない。
祖父母の代の誰かが日本に留学に来ていた台湾人であり、それは恐らく当時としては相当なエリートであったはずだ。父母はどちらかが医者で恐らく同じように裕福であり、台湾で生まれたリー・ミンウェイは家族でカリフォルニアに移住している。
一般的なこととしては、裕福な家庭で育つことによって無邪気さがはぐくまれただろうと想像がつく。しかし(以下は特に印象論です)、裕福な家庭の中でも、台湾の裕福な家庭で育てられたというのがかなり影響を持っていたような気がする。社会に対するあるいは宗教的なものに対する義務意識や、立身出世的な欲望から、離れて育つことができるような。更に、戦後の台湾にずっと留まり続けずアメリカ西海岸にいられたというのも効いているような。
それから、(彼の)作品が身体的なことや身体に密着したものを用いていることは、彼の素直さと相互に影響を与え合っている気がする。身体に根差したものはそういう素直さを引き起こさざるを得ないし、素直さは身体的なものの大切さを感じさせざるを得ないから。
リー・ミンウェイのことを考えると、上で書いたようなことが一気に思い浮かび、肩の力が抜けて、思わず深い呼吸をして、世界に対して優しくなり、元気になる。たぶん、頭の中のリー・ミンウェイに、ゆっくりとした口調でぽつりぽつりと、「まあ、いいから、とりあえずあんまり考えないで、ちょっとやってごらんよ」と言われているのだと思う。
付録:
http://www.1101.com/lee_mingwei/2014-11-13.html
ほぼ日のインタビュー。書き終わった後で発見。あくまで僕の中でのリー・ミンウェイのイメージが大事なので、そんなにこのインタビューは大事だと思わないけど、でも多かれ少なかれ合致した王を描けたのではなかろうか。
就活で自殺するぐらいなら就活する前に自殺しろ。そうすれば就活なんかしなくてもいい。就活をするんだったらしてもいいしした後で自殺してもしている途中で自殺してもおんなじだ。みんな自殺しよう。
いつも偉そうな能書きたれている清水だかなんだかいうアホが就活で自殺するな中小企業がどうだこうだと書いていた。清水はバカである。学生のうち99.99%は特に何の業績も上げられずにガンなり糖尿なりになって普通に情けなく死ぬ。ウィキペディアに名前も残らない。残るのはせいぜい2chの恥ずかしい書き込みログぐらいだ。増田のアカウントも消しておかないとな。さっさと自殺しろ。この世はお前のためにあるんじゃない。この世は清水みたいなアホと、そのアホに洗脳された名無しの歯車たちのためにあるのだ。ああいう奴らが偉そうに能書きたれるために社会は存在する。就活ぐらいで自殺するなと。
就活ごときで自殺するなと言っている人間は就活そのものがなんたるかを全く理解していない。就職しないと食っていけないのだ。すなわち江戸時代の農民に、田んぼで米を作るのではなく田んぼを埋めて果樹園にすると良いみたいなアドバイスをしているのと同じだ。それで?それで救われるのか?田んぼを全部土で埋めて、桃栗三年柿八年。それができんのか?一部の金のある奴か、三年間の収支も考えられない変な奴は、それでなんとかやっていけるだろうけどよ。農民に田んぼを埋める選択肢もあるぜってお殿様から言われても、ヘェヘェそうですかとしか言いようがないわな。多くの人が本当に欲しい力は、田んぼから果樹園を作るベンチャー力ではなく、田んぼから取れる米を多くする品種改良のはずなのに。
アルバイトからがんばって中小企業に入ってスキルを磨いてとかそんな話を言うよな。浪人から立身出世して三菱財閥を作れって話だよな。そんなことができる奴は一体どれくらいいるんだ。浪人している間何で稼ぐんだ。結局就職しなきゃいけねぇじゃねぇかよ。アルバイトで日々汗を流し気がついたら若くない。そんでもってアルバイトでモリモリ力を付けられるほど俺らは頭がよくねぇ。結果なんだ。新卒がどうのとか関係ねえじゃんかよ。待ってるのはどうせ死か就職だ。リクナビかハロワの違いしかねぇじゃんかよ。まぁ、リクルートに金を落とすよりは、ハロワに行った方がなんぼかマシって考えもあるけどよ。
新卒入社っていう制度はなかなか面白いと思うぜ。悪くないとも思うぜ。ありゃあ元服みたいなもんだ。一定年齢になったらさあ社会に出て就職してみましょうみたいな制度だ。ありがてぇありがてぇ。こっちは何の経験も無い、大学で遊んでばっかりのペーペーだ。そんなんでも就職させてくれる新卒制度はなんともありがてぇ。アルバイトでシコシコスキルを磨いても、大学で頭の芯からトロけるほど遊び尽くしても同じじゃねぇか。あ?そこに疑問がある?アルバイトでスキルを積んだ人間と、頭がトロけるほど遊んだ人間は、違うはずだって?
同じじゃねぇか。どうせ。ほとんど同じだよ。居酒屋でアルバイトしてもベンチャーでアルバイトしても大して変わらねえじゃねえか。はてブ見てみろや。あいつら永遠にvimの設定やってるぞ。結局学生団体やらベンチャーバイトやらなんじゃかんじゃに関わっても、人間の本質を変えるほどスキルを得られる人間はほとんど皆無に近いってこった。Macでプログラミングするのは良いけどよ、ちょいとプログラミングできたところで、焼き鳥屋で焼き鳥を焼く速度が速くなるのとそう変わんねえんだよ。世界に通用する技術とか、そーゆーのを持ってる奴らはお前らと同じ理屈で生きてない。それなら焼き鳥を速く焼いてくれ。鳥貴族に行くたびに思う。もう少し速く焼いてくれねえかなって。ビールがヌルくなるじゃねえか。ヌルいビールに耐えられないほど、日々消耗してるんだってことに気づくから、黙ってるけどな。
さあ、そこのお前聞いてるか。新卒制度は間違ってるし、新卒入社しなくてもいろんな選択肢があるってものの見事に洗脳されてるオ・マ・エ。おめーはいいから就職しとけ。リクナビもマイナビも気にいらんだろう。だったらハロワでも行け。絶望するのが遅すぎただけだ。寝るために働くんだ。働くために寝るんだ。社会はそうやってしか回らない。俺たちは日々働いても、凡庸な奴らとしか会わないし、凡庸な人生しか歩めない。清水って一言一言イヤミだよな。あいつをブチ倒したとか、俺は蹴ってやったとか、そうゆう武勇伝ばっかり語ってやがる。なあ清水。俺たちには倒すべき相手すらいねぇんだ。戦う相手もいねぇんだ。そして、戦うべき相手がいても、たぶん、戦う力なんて、もう、ないんだ。だってよ、ラーメン屋でラーメンに髪の毛が入っててもよ、めんどくさくってクレームつけずに立ち上がるだけなんだぜ。
昔オヤジが脱サラして失敗して、ハロワに通って前の会社の五倍は酷い条件の所に就職し、俺はその惨めな背中を毎日見続けていた。日に日に曲がっていく背中が痛々しかった。あんなことになりたくねぇと思ったな。毎日毎日。土曜も日曜も出勤してたな。何百万かの借金背負ってな。だから俺も毎日毎日頑張ったさ。それなりにな。宿題もやったし受験勉強もした。そこそこいい大学にも入った。オヤジのためにも、いろんな教養を身につけて、世界に誇る人材になるんだって思ってた頃もあったな。俺は違う人間なんだと思ってたこともあったな。
でもそんなことにはならなかった。勉強しても勉強しても、俺は「一般人」というカテゴリから離れるほどの場所に行けなかった。なんだ、たどり着けねぇじゃんかよ。百年間学生やってもいいんだったら、やるけどな。四年しかねぇ。そして三年も半ばになって、何もないことに気づくんだ。なあ、たどり着けないところまで行くために、俺たちは何度絶望すれば良い?一分の隙も無いほど毎日勉強したとは言わねぇぜ。そんなに思い上がっちゃいねえ。でも結果だけを見たら失敗だ。毎日毎日、オヤジの情けない背中をまるでカーボンコピーしたような、情けないスーツ姿で玄関を出て行く。怠惰だけが俺の罪だったかい?それとも夢を見たことが罪だったかい?夢でご飯は食えるかい?なあ……教えてくれよ。結局俺たちって、その他大勢なんだぜ。選ばれた人間なんじゃない。選ばれることすらない人間なんだってな。宝くじを買っても一文字も合いやしねぇ。年賀状のお年玉もあたらねぇ。切手シートすらもらえやしねえ。なあ、俺たちが「選ばれし人間」になるまで、何枚年賀状をもらえば良いんだ?
俺たちは負け組だ。なんの名前も残さずに死ぬ。臆病者の名無しの増田だ。自殺すらできやしねぇ。電車の一本も止められねぇ。それが俺たちだ。
バランス感覚は優れて居るのですが、如何んせん理想の低さや責任感の乏しさが、将来への大きな羽搏きを阻止して居る可能性が強いのです。云うなれば、ヤル気が大きく欠けて居る状態なのです。頭でっかちのスタイルで、机上の計算や判断力には素晴らしいものが有っても、いざ実行の段になると、急にその気が無くなったり、途中で腰砕けに成ったりして仕舞う訳です。そう云う大きな欠点の反面は、人を無闇に非難したり、物事を強制したりするような、悪い面を持たないと云う利点も有ります。何れにしろ、立身出世的な考え方の殆ど無いタイプで有る事だけは間違い無く、なるべく波風の立たない平穏な人生を送る事をモットーにして居るタイプのようです。
飛んでも無い馬鹿な事は滅多にしないタイプですが、状況が許せば浮気もOK!離婚もOK!と云うような考え方の強いタイプでしょう。云うなれば、何物にも縛られない自由な人生観や価値観を持つタイプなのです。貴方の恋人や配偶者は、貴方から何の圧迫や束縛を感じない変りに、何時どのように貴方が変身して行くかも知れないと云う不安や不信を抱く可能性も、かなり強い筈です。貴方がそこの所を、どのように潜り抜けてゆくかによって、貴方の結婚生活の成否が決るでしょう。
職業適性
責任感や使命感がもう少し高くなれば、貴方に向かない職業と云うものが、殆ど無くなるでしょう。現在のライフ・スタイルのままでは、治安関係の公務員や法律家、事業家、政治家、評論家、教育家などには不向きです。芸能、芸術、文芸などの自由業に向いた性格ではないかと思います。
対人関係
貴方の最大の欠点は、他人にも甘いが自分にも甘く、目的志向が大概途中で腰砕けになって仕舞う事です。その為、周囲の人々に約束した事の多くは、中途放棄されて仕舞うような事が繰り返されて、あれは信用出来ない人だ。と云う評価が定着して仕舞う恐れが多分に有ります。
たまたま記事が目に入ってきたのですが、思うところがあったので書かせて頂きます。
当方関東のどこかに住んでいる二十代後半男で、歴史系ウェブサイトを立ち上げる為に頑張っているところです。
仕事柄いろんな場所に行き、地域の裏山なんかに眠っている中世の城跡の歴史などを調査する為に茂みの中に入って行く事が多いのですが、
中世の城跡、つまりかつて戦国時代に軍事拠点であった場所の地権者って、代々農業を営んでいる方が大変多いのです。
それはなぜか。
私自身の話が分かりやすいかと思うのですが、私の実家のお墓は地域の小高い山の上にあります。
地域に数件ある増田家の墓のみがその小高い山の上にあり、増田家以外の墓の多くが同じ地域の低地にあるお寺の敷地内にあります。
てっきり増田家は地域の爪弾きもので、いじめられっこだったのかと勝手に思っていましたが、
どうやらその墓地周辺が中世戦国末期の城跡の主郭付近であり、増田家はその城主だった、とのこと。
そして現在の増田家は、やはり農家。江戸時代は庄屋さんで地域でも裕福だったが、やはり農家。
なぜ農家になったのか?
仮に小寺家としますが、小寺家の重臣として召し抱えられて、現在の実家近辺の統治を任されていたとの事。
その小寺家は隣の隣の隣ぐらいの町を拠点とする赤松家(当然仮の名)によって追放され、
増田家は赤松に下り(前述の低地のお寺は赤松の菩提寺の末寺)、その赤松も
当時関東平野制覇を目論む小田原の後北条家にやがて下ることになる。
北条家は赤松家を頭としその地方一帯を統治する◯◯衆を組織し、
増田家もその◯◯衆のメンバーとして、引き続き実家付近を拠点に統治を続けたとのこと。
そして問題の小田原征伐。豊臣とその取り巻きにて小田原を包囲し、関東地方一帯の小田原方の城郭が同時に攻撃を受ける。
上杉・前田・真田に攻められた八王子城の惨状や、忍城の成田家の奮闘はこの時の事で、うちの実家付近の拠点は簡単に落城。
増田家の筆頭は小田原城に籠もり、◯◯衆として勇敢に立て篭った、のかもしれない。
そして小田原北条家は滅亡し、関東の統治ネットワークはそのまま徳川家に与えられ、関東には徳川の家臣が流入してくる。
元々関東のそれぞれの地方を統治してきた◯◯衆の大半はその際に潔く農業を取り仕切る庄屋層に転身し、
残りの一部は徳川への仕官を申し出てたりして引き続き武家である事にこだわり続けたとさ。
かくして、関東の大半の武士が農家になり、少数の徳川家臣による統治を受け入れた。
この話を土地の古老に話したりすると、忘れ去られていた「イエ」の記憶を取り戻したようで、いたく感動される方が多い。
また逆に、「当家は代々武士の家系で・・・。」といった方に話をすると、複雑な顔をされる方が少なくない。
身分は固定されたもので、名前とともに受け継がれるようなイメージを漠然と抱いている方に多いのですが、
「単に先祖が徳川方に付いて頑張っただけ」というストーリーに聞こえ、どうも「武士の家系」イメージに合わないらしい。
(ちなみにこれらは関東の話ですが、土佐の長宗我部と一領具足の結びつきが幕末の坂本龍馬の時代まで尾を引いた事を考えると、全国各地である事なのでしょう。)
この話を踏まえて、血筋とは何なのか。
「イエ」の物語やその教訓は代々守り伝える限り残るが、
遺伝的な意味での「血筋」がはっきりと出るのは数代の限りなのではないかと考えている。
農家さんの多くが確かに自分たち自身を「ただの百姓」と呼び、学も無く品格も無い、と自虐的に語るが、
失われた歴史をストーリーとしてお教えすると、生き生きと誇りを取り戻す。
しかしながらそれまで受けてきた教育は変わらないし、次世代に何を教え残すかも教育者としての自分次第。
ちなみに「農民」で一括りにされる事が多いですが、庄屋層は江戸時代からかなり恵まれた教育環境にあったとのこと。
うちのばあちゃんも地域で唯一女学校に行かせてもらえたらしく、単に士農工商とかいうファンタジーではくくる事が出来ない場合が多い。
家庭環境の違いは生まれによって確かにあり、教育の質は当然大きく変わってくる。
また、「武士の家系」という代々受け継がれる「イエ」の物語が作り出す誇りと自信も大きいのかもしれない。
千葉県の某所にやはり「武士の家系で・・・。」という誇り高き地主タイプの方がいらっしゃいました。
その方の家はやはり小田原北条家に仕えていたとの事でしたが、なぜか江戸時代を通して武家として、徳川から本領を安堵されていたとの事。
何だろうな・・・。と思い調べてみると、何の事は無い、北条家に仕えながらも徳川家と内通をし、小田原征伐では豊臣側に付く代わりに、本領安堵の約束をしていたという(うろ覚え)。
「武士の家系」物語が作り出す誇りというものも、割と中身の無いものである。
(ただし、これも一つの歴史であり、武家としての「イエ」の歴史を守る、という意味では尊い決断なのかもしれない。)
教育の質に関しては、言わずもがなであるが、近代的な教育と人材登用システムが構築されてからはそのシステムをよく理解している事が肝心なのは当たり前で、
教育水準の高い家には、良い教育方針と良い物語が備わっているのかもしれない。
「物語」によって得られた誇りを胸に、立身出世を志す感覚が備わっているかどうかは大きい。
教育の機会も家庭の経済状況などに左右されてきたが、時代とともに様々な仕組みが生まれてきた。
貧困を理由とした教育機会格差の問題は、薄められてきた。「志」の教育を出来ているかが大きいと思う。
最後に大事になるのが、攻略法教育。つまり「受験」というペーパーテスト人材登用システムの攻略法を伝授できるか否か。
現代の引きこもりの人々は、高い志を母親、あるいはテレビや漫画から植え付けられてきたのに、
攻略法を持たないのでその理想と現実のギャップで屈辱感にまみれて腐っていく。(かなりもったいないと思う。)
そして、教育とは代々受け継がれるもの。早く気づいた方が有利なのは、間違いない。
明治時代から気づいている家庭もあれば、最近気づき始めた家庭もあるだろう。
そもそも私が女に生まれたのが残念で、それこそ幼児の頃からそう言われてました。親も私のことを「ブタ」だと言ってた気がする。女の子は可愛ければ頭が少々悪くてもいい、男の子は立身出世しなければならなという考えの親で、「女の子」として期待の持てない私は、(親の考える)「男の子」向けの教育を受けて育ったんだと思います。
そしたら旧帝大卒研究職高給取りと思いのほか大当たりしてしまい「男の子代わりとしては十分」と親は満足したようでした。しかも病気をしてから「スタイルいい美人」になったせいで、一気に「結婚して子どもを産むのが女の幸せ」という方に彼らは方向転換しました。しつこく結婚を迫り、「親の期待を無視するなんて親不孝者!」とののしられるに至って吐き気がして、親とはほぼ絶縁して現在に至ります。
思うんですけどね、ぼく、脳にチップを埋め込んで知識を頭に直接ダウンロード的な世界が本気で到達しないかなーと思ってるんですよ。でも一言で知識といっても。全知識のことでは無く、いわゆる理科学系的な知識のこと。
そのような未来感に対して在野の方は「知識を頭に叩き込んでも知識の使い方を覚えられない」という文句がでるんですが、僕はそんなもの詭弁に過ぎないと思うんですよね。
何故ってそもそも人ってあなたみたいな偉そうな人が言うほど馬鹿じゃないよって思うし、論理とやらは数学でも良く出来た人文系の本でも読めば会得できるものだと思うからです。
加えて理系的知識のみ頭に直接叩きこんでも構わないというのは、理系的知識が(複雑系的な言説が代表する最先端の知を除いて)すべてがファクト(らしい)だからです。
例えそれが原理的に「ファクトらしい」ことであるとはいえ、少なくとも恣意的では無いんですよね。それでですね、そしてそんなファクトらしいことをファクトとして扱って科学はここまで技術化され人類の進歩発展に帰依してきた(ここれ辺が人文知とは異なるところです。人文知はその恣意性が暴力的な力を持っている。そしてその暴力性が人文知の力。すなわち文脈を書きかえること。個人にとって一見関係無かったものを一つの視座を持って関係づけ、切実なものにする。それが人文知の力、だと思ってます。)(一方理化学的な知識にも別種の暴力性が当然あります。そのことに自覚的でない科学者はみんな根本的には自分勝手なクソ野郎なんだと思います。残念ながら。)
うう、かっこの中の話で本筋から遠ざかった…。
ぐだぐだ言ってきましたが、ここまで言ってきたことは一言です。基本的な理系知識というものは大抵が世代を超えて一個の人間がまた改めて一から学ぶほど価値があるわけではないということ。
いわゆる理系学生の中に以下の現実に気づいて憂鬱な気分になっている人は多いと思うんだけれど、若いころの時間を使って結果の分かりきってる学生実験をする価値なんて99%以上無いんですよね。
え、実験道具の使い方?レポートの書き方?全部別プログラムでやらせた方がよっぽど効率的です。だってどちらも理系的な知識を使わないじゃないですか。どちらかというと体育と国語ですよ。
そりゃ回数重ねてれば何かの偶然で新しいことが起こるかもしれないけれど、そこに若い学生の時間を使うのはいかがなものかと思います。どちらかというならこれから寿命がますます伸びた年配の方がおやりになればよい。しかも年配の方々は数が増えるのは分かりきっていることなのだから。可能性の伸びしろとしてはそちらの方が全然優位なはず。
そしてぼくはそのような年配の方(時間があって、科学とかゆるく好きで、しかも高校の教科書的な所から大学の2~3年程度の知識が頭に一括ダウンロードしてある方)が自由に研究を趣味的にできるような場がこれからあると良いなーと思います。
知識があったとしても大抵は無駄な研究もどきなるとは思いますいが、それでいいんです。無駄は文化になります。文化は物語化されてブランド足り得ます。
今までに比べてはるかに安いコストで、気軽に研究できる。しかも初めから自分の興味のある分野を。これってとてもいい社会だと思います。それにそのようなある種のハードルを下げるにはとても良くて、実際的に何がいいのかというと人材流入のハードルが下がれば在野の人の既得権の縛りが解かれる+競争激化+多様性が増しイノベーションが起こりやすくなるんですよね。(その弊害は例えばPixivなんかで散見されますね。すなわち雇用の問題。)
これからデジタルに親和性の高い世代が高齢者になったり、ある程度英語等でコミュニケーションで来て人材の移動性が高まる時代に、それを実現できたら、かなりのその地域引いてはその国のブランドになりえるし、いいことだと思うんですよね。
日本というのは自然災害がその立地条件からして根本的に多い国だし、今回の放射能ははそもそも強いと思われていた農作物のブランドの(程度はどうであれ少なくとも方向性として)下落につながった。その後の日本政府の立ち振る舞いも同様に日本全体をパッケージとして観たときのブランド価値は下がったと思う。
つまり日本というのは根本的に他国に比べブランド価値が強くなければ優秀な人材を引っ張ってこれない国だと思うんですよ。例えばわが身ひとつで立身出世しようと考える優秀な中南米人が「日本は色々災害とか身の危険あるけど○○があるからここで仕事をしよう」と思ってくれないとダメなんですよね。でなければきっとこれから日本という国は戦えなくなる。(経済的に豊かでなくなってくると無駄の確保ができなくなります。無駄の重要性は上に述べてきたとおり)。
さて、ここまでメリットばかりあげてきましたが批判も数多く考えられます。例えばその筆頭にしてもまっとうなものが「科学の発展が加速したらますます倫理の側が追いつかなくなるじゃないか」というものです。
しかし、僕はこの観点も保証できます。なぜなら時間に余裕のできたものは、退屈な事実の再確認や荒唐無稽な技術への信仰ばかりするのではなく、確かな今を見据える人文知的なものを学びたくなる欲求が高まるはずで、加えて言えば知識の記憶に費やす時間が短くなれば余暇が創出できるので、そのような歴史、思想史、哲学史を学べる機会は増えるはずなんですよね。たとえあなたが時間があるから大丈夫(=自身の倫理を構築できる)とは限らないなんては思えなくとも、学生実験をやるよりはよっぽど有意義な時間が過ごせるとは思いませんか?
以上のことがもっとも実現可能性の高い場はラボをシェアするという理念の元運営されているいくつかの団体だと思います。なぜなら人材の流動化がこれから激しくなる時代に情報系のものを除く理化学系研究が根本的に抱える問題とは研究はラボというその場でしかできないことで、その土地でしかできないならその場にしかいられない。そこをシェアをすることでより開放するサービスが圧倒的に人々に受け入れられるだろうからです。
また実現に向けて初めに脳内に知識ダウンロード、と言いましたが、それより若干コストは高くなるかもしれないけれど海外のよく勉強したにもかかわらず文系就職しそうな元理系学生とか先生に雇って、そのサポートに比較的リーズナブルに提供できれば十分今まで述べてきた未来の足場としては実現可能だとも思います。
匿名であってもこんな事を書くのは恥ずかしいが、自分にとってとても大きな事件だったし、
はてな匿名ダイアリーは恥ずかしい文章ばかりだし、何より思いを外に吐き出したいので書く。
何人分かインターネット上で検索してみたら一人の元同級生のブログが見付かった。
それでも確かに中学生当時の可愛い顔を成長させた様な可愛いらしさが有った。
その人は家柄と経歴と育ちがまず凄い。祖父の代から家族全員が音楽好きで、女子高出身で音大の大学院を出て、
普段はフルート奏者だが男子校でのフルート講師や絵のモデルをやっている。
しかも一日12時間フルートの練習をこなす事もあり、人柄もキャピキャピした派手さが無く
犬好きで犬を見かけるとつい撫でてしまう、というぶりっ子と言われかねない可愛らしさを自然体で有している。
家の写真やフルートを有したり音大の大学院に進む点からは富裕層である事が伺える。
『何だよこの化物じみた完成度。誰が作者の漫画の登場人物なんだよ。男子生徒はこの先生に絶対惚れるだろ』
と突っ込みを入れたくなる。
正に物語に出てくる様なお嬢様そのもので、ブログを読み進めていく内に俺はうっかり惚れてしまった。
中学校時代は可愛い女子生徒だな程度にしか思っていなかったのだが、
まさかこんなに漫画みたいな人だとは、俺が今になってこんな形で惚れる事になるとは思いも寄らなかった。
ブログを読んで情報を得てはその人が自分の彼女になった妄想をする様になった。
街に出ても、今擦れ違ったのはあの人かも、公園に行けばあの人に会えるかも、と想ったり、
今迄していた自分が金持ちに成る妄想にその人を嫁として組み込んで、
嫉妬したり相思相愛になったり盲目的に恋したり離婚したり死に別れたりと
危ない。このままじゃいずれ現実と妄想の区別が付かなくなって本当にストーカーになりかねない、
■ところが今日、その人のブログを久し振りに見たら入籍の報告が書いてあった。
妄想の源泉が尽きてしまった。それも一番起きて欲しくなかった抗い様の無いはっきりした形で。
絵に描いた餅が破れた。砂絵が掻き消された気分だ。
あまりに早過ぎる。せめて後半年位は僅かな希望を、夢に浸らせて欲しかった。
可愛い子なんだから彼氏が居ても不思議ではないなと思っていたのだがそれでも悔しい。
まさかこんな事がという信じられない気持ちだ。残念だし間違いであって欲しいと思う。
なんでよりにもよって俺が好きになったこの人なんだと。
ブログに2~3度書かれた結婚への憧れも彼氏を前提にしたものだったのか。
300本近くの記事に彼氏を匂わせる文章は一つも無かったから、単なる遠い憧れとして捉えているのだと思っていた。
■これからはどうしよう。こんな事実を知ってしまっては妄想を楽しむ気も起きない。
俺も使い始めようかと考えていたがその必要も無くなってしまった。
何をどうしよう。心の宛て所を見失ってしまった。
その人の名前で検索すると検索結果の一番に入籍の報告が出ていて心が痛い。「いいよ、もう知ってるから出さないでよ」と思ってしまう。
結婚相談所の広告も見る度に入籍の話を思い出して憎い。地震後に彼氏との結婚を考える女性が増えた、という報道も今思い返せば憎い。
地震さえなければ入籍なんか無かったのか、一縷の望みが消えなかったのか、と考えてしまう。
ただ、その結婚相手が自分以外の中学校の同級生でなかったのは微かな救いだった。
若しそうだとしたら折角の機会を無駄にしたという理由で後悔はより強くなっていたから、そうでないのは良かった。
よくよく考えれば、漫画に出て来る様なしっかりした人なんだから婚期を無為に伸ばしたりせずちゃんと人生設計を立てて
職業柄いつもドレスを着ているし結婚式への参加も多いが、ウェディングドレスに新鮮味を感じたりするんだろうか。俺が着せてあげたかった。
もうすぐ誕生日だが、実家で過ごす最後の誕生日になるかも知れないから彼氏や家族と何か特別なお祝いをするんだろうか。
何故か一度書かれた同い年の従姉妹の結婚式についての記事が消されている。
ブログは個人的な日記ではなくファンの閲覧を前提しており、記事も仕事絡みが大半で私的な内容は少ない。
固定ファンが記事のほぼ全てにコメントを付けているしつまらないコメントであれ返信も細目に行い欠かしていない。
どう考えても一般人ではなく小さなアイドルとしてのブログだと言った方が正しい。
俺は『立派な元同級生』に惚れたつもりだったが、その実単に『アイドル』に惚れてしまっていたのだろうか。
いやしかし、ブログという文字情報や仕事としての振る舞いを理由に惚れるのも含めて恋愛と呼ぶ気もする。
■俺の記憶に有るあの人の声と笑顔を独り占めさせて貰えるのも、
何か小さな冗談を言い合ったりふざけてじゃれあったり愛だ好きだを語ったり
二人の人生について悩み合ったり頼ったりする相手、『人生の伴侶』も決して俺ではなく彼氏なんだろう。
俺には何の相談も無しに大切な事を決定し、どんどん幸せになっていき、勝手に自分の人生を生きて満喫するんだろう。
俺はといえば、これからも何か有る度にこの人の事を思い出してブログを読んでみては、
旦那との日常や妊娠、出産、子供の成長話やこの人自身の立身出世振りにやきもきして自分で自分を苦しめるんだろうか。
そういえば、俺の誕生日に書かれたブログ記事には当たり前だが何も特別な事は書かれていなかった。こんな事がいちいち空しい。
嫌われたり疎まれても構わないからこの思いの一片でもあの人に伝わって欲しい。
今日ブログを全部読み終わったらあの人の家の凡その位置が分かってしまった。
中学校の同級生だから同じ学区の範囲内に住んでいるのは当たり前だが、憧れの人がこんな近くに住んでいたとは思っていなかった。
グーグルストリートビューで自宅写真を探すが見付からなかった。
久し振りに大きな地震が起きた。あの人もこの地震に揺られたのだろうか。
同じ体験が出来たと思うとこんな事でも嬉しいが、こういう共通体験を話し合う機会は一生無いのだと思うと虚ろな気分になる。
あの人の自宅が在りそうだと目星をつけた所を周る。いよいよストーカーの様になってしまっているが、
この辺りには別の理由で一度来てみようと思っていたのでそれを自分への言い訳にする。
それにしても、あの人は果たしてこんな所に住んでいたのか。
あの人と同じ体験を僅かでも積み重ねられてより理解を深められた事は何となく嬉しいが、
市内にこんな所が在ったのか、という驚きの方があの人への興味を上回ってしまう。
あの人の誕生日だ。今日も自宅の在りそうな周辺を周るが、全く見付けられない事もあって公園で遊んでいる方が楽しい。
あちこちに普段しない遠出をした事も働いてか、漸く最近になってあの人への思いが薄くなってきた。
恋人が居ないという事は妄想上の恋人であっても寂しいが、やっと恋人の妄想をする以前の状態を思い出してきた。
もう『他人』なのだから普通に適当に幸せになればいいんじゃないか、という他人事な投げ遣りな気持ちであの人の事を考えたりする。
あの人のブログの更新分を読むと、入籍した前後に既に引っ越していたらしい。
自宅の近所をうろついて擦れ違う事が出来れば、一目見る事が出来れば、と思っていたがブログを読み終わるのが遅過ぎた。
もう完全に機を逃した。一生擦れ違いもしないだろう。
結婚式は今日行われるらしい。何の問題すら無く順調に準備が進んでいる。
俺と彼女の無縁っぷりに改めて感心するばかり。俺の悩みは何の障害にもならずにスイスイ自分の道を進んで行っている。
俺の存在に気付いてもらうにはもう超自然的な何かに祈る他無いな。
妄想の中のあの人は俺の子供を二人産んでいつまでも若々しいままでよく俺を叱ってくれた筈だが、
そんな昔の出来事を思い返して現実と比較してどうのこうの考えると、馬鹿らしい上に自分が辛い。
数年内には子供が産まれるのだろう。彼氏の名字を冠した子供が。俺の知らないどこかの土地で幸せな子育てをするんだろう。
その頃にはもう未練なんて無くなっているだろうが、自分が置いて行かれている気持ちを味わう様な気がする。
もう結婚式を終えて初夜を迎えたんだろうか。二人で裸で抱き合ったまま寝たんだろうか。我乍ら気持ち悪いがつい考えてしまう。
もう名字も変わっている筈だ。妄想しようにもあの人の名前すら不明になってしまった。
次の22日は『いい夫婦の日』だ。実際いい夫婦になるんだろう。
次のクリスマスはやっぱり仕事なんだろうか。それとも新しい家族の為に休むのだろうか。
消し切れない雑多な思いを書き出す事で何とか解消したい。
13時頃あの人の自宅が隣に在るらしい公園に行くと、真っ赤な晴れ着姿の女と袴姿の男がカメラマンに撮影されていた。
まさかあの人なのか、と思って顔を確認するとあの人よりも若い20代前半の全然違う顔の女性だった。
あの人と擦れ違える可能性は無くなった訳だし、もうこの公園に来るのは暫く止めよう。
あの人は大阪で結婚式を挙げて今は海外で新婚旅行中らしい。結婚式の写真を見るととても様になっていて嫉妬も何も湧かない。
ブーケも投げたらしい。本当に出来の良い人だ。