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2019-11-08

オダギリジョー小田原城の違い

背が高い

歳が行っている


他には?

2017-10-15

anond:20171015130224

3世紀三韓征伐

古代14世紀蝦夷征伐 → 蝦夷征討。代々の朝廷が征伐をしている。

奥州征伐 →

1189年:奥州合戦鎌倉幕府奥州藤原氏征服

1590年:奥州仕置(豊臣秀吉により小田原征伐後に行われた)

東夷征伐 →

古代におけるヤマトタケル坂上田村麻呂の東征。

1333年鎌倉幕府倒幕(当時は「鎌倉幕府」という言葉がなかった)

関東征伐 →

古代ヤマトタケルの東征[5]、鎌倉時代後期から南北朝における後醍醐天皇による号令[6]。室町時代将軍足利義教鎌倉公方足利持氏対立から永享の乱。1560年~1569年の小田原城の戦いを端緒とする上杉謙信関東平定を目的とした遠征群。豊臣秀吉による小田原征伐小田原合戦)。逸話として江戸時代の萩藩毛利家の新年儀礼挨拶[7]。

1577年:紀州征伐 → 紀州攻め、信長紀州征伐と秀吉紀州征伐がある。

1582年:甲州征伐武田征伐。武田攻め。

1585年:四国征伐四国攻め。四国の役。

1585年:越中征伐 → 富山の役。佐々成政征伐。北国御動座。

1585年:上田征伐 → 上田合戦真田征伐。上田城の戦い。上田城攻防戦。第一次と第二次(1600年)がある。

1587年:九州征伐島津征伐。九州の役[8]、九州攻め。九州平定。

1590年:小田原征伐北条征伐。小田原合戦小田原攻め。小田原の役。関東平定。関東征伐。

1591-98年:朝鮮征伐文禄・慶長の役朝鮮出兵秀吉朝鮮侵略

1600年:会津征伐上杉征伐。会津攻め。

1609年:琉球征伐 → 薩摩琉球侵攻。琉球の役。征縄の役。

1864年長州征伐長州征討) → 長州戦争。幕長戦争。征長の役。長州の役。

馬鹿

2015-03-27

第4回電王戦に感じる違和感

第1回、第2回の電王戦は、始まる前からとてもワクワクして待ちきれなかった。

第3回の電王戦お祭りみたいで面白かった。

しかし、今年の第4回電王戦は以前ほど興味が湧いてこない。

こう感じるのは、僕だけだろうか?


第1回、第2回はコンピュータプロに対する強さが未知数だった。

時間ネット将棋では人類を圧倒していても、プロが本気になれば違うとか、長時間になれば人間が有利だとかい意見が多かった。

対するソフト開発者側も、何とか癖を読まれないように貸し出しを拒否したり、定跡を本番で指定したりして勝負に徹していた。

第4局で塚田九段根性の粘りで引き分けに持ち込んだ後の、三浦八段対GPS将棋戦が、今から思うと電王戦のピークだった。

GPS将棋は600台程のPCクラスタを組み、全力で棋士に挑戦したのは、相手の強さを認めていたからだろう。

三浦八段は現役A級棋士タイトル獲得経験もあり、トップ棋士としての誇りとプライドがかかっているのが十分に伝わってきた。

三浦八段は破れはしたが、刀折れ矢尽きるまで戦ったその姿には感動し、1秒間に数億手読むクラスタと互角に渡り合える人間頭脳凄さを感じた。

昔の弱かったコンピュータ将棋からすれば、技術進歩も存分に感じられた。


第3回は、ハード統一、事前の貸し出し、ソフト修正禁止が義務付けられた。

前年までのガチンコ勝負感は無くなったが、棋士側は期待の若手、往年のベテラン将棋界の人気者、そして元タイトルホルダーのA級棋士と、前年以上に個性豊かで強いメンバーだった。

両国国技館小田原城を対局場にするという試みにも注目が集まった。

電王手くん機械らしく駒を持つ姿は、未来を感じさせつつも微笑ましかった。

後味の悪い番外戦は起きてしまったが、勝負に拘っていた事の裏返しだとも思えたし、両者の文化の違いが背景にあったとも思った。

残念ながら、結果はプロ棋士から見て1勝4敗。

唯一の勝利者の豊島七段の練習量に驚き、ponanzaの筋が悪くも巧みな中盤に感心した電王戦だった。


第4回は、ハード統一、事前の貸し出し、ソフト修正禁止のルールは引き継がれ、出場棋士公式戦で勝率の若手で固められた。

ここまで、棋士が頑張りを見せて2連勝。

斎藤五段、永瀬六段の努力と強さは伝わるが、どうも阿部四段や豊島七段が勝った時の様な気持ちは湧いてこない。

以前の電王戦スポーツだとすれば、今回は原作を知っている映画を見ているような、棋士が勝つ姿を応援しましょうという主催者が用意した舞台を見ているように感じる。


あれだけ驚きと興奮を与えてくれた電王戦は、きっともう見れないのだろう。

2014-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20140927113327

たまたま記事が目に入ってきたのですが、思うところがあったので書かせて頂きます

当方関東のどこかに住んでいる二十代後半男で、歴史ウェブサイトを立ち上げる為に頑張っているところです。

仕事柄いろんな場所に行き、地域の裏山なんかに眠っている中世の城跡の歴史などを調査する為に茂みの中に入って行く事が多いのですが、

中世の城跡、つまりかつて戦国時代軍事拠点であった場所地権者って、代々農業を営んでいる方が大変多いのです。

それはなぜか。

私自身の話が分かりやすいかと思うのですが、私の実家のお墓は地域小高い山の上にあります

地域に数件ある増田家の墓のみがその小高い山の上にあり、増田家以外の墓の多くが同じ地域の低地にあるお寺の敷地内にあります

てっきり増田家は地域の爪弾きもので、いじめられっこだったのかと勝手に思っていましたが、

どうやらその墓地周辺が中世戦国末期の城跡の主郭付近であり、増田家はその城主だった、とのこと。

そして現在増田家は、やはり農家江戸時代は庄屋さんで地域でも裕福だったが、やはり農家

なぜ農家になったのか?

調査してみると、豊臣による小田原征伐が原因らしい。

まず増田家は、地域の駅名に名が残るぐらいの地域の小領主

仮に小寺家しますが、小寺家の重臣として召し抱えられて、現在実家近辺の統治を任されていたとの事。

その小寺家は隣の隣の隣ぐらいの町拠点とする赤松家(当然仮の名)によって追放され、

増田家は赤松下り(前述の低地のお寺は赤松菩提寺末寺)、その赤松

当時関東平野制覇を目論む小田原の後北条家にやがて下ることになる。

北条家は赤松家を頭としその地方一帯を統治する◯◯衆を組織し、

増田家もその◯◯衆のメンバーとして、引き続き実家付近拠点統治を続けたとのこと。

そして問題小田原征伐。豊臣とその取り巻きにて小田原を包囲し、関東地方一帯の小田原方の城郭が同時に攻撃を受ける。

上杉前田真田に攻められた八王子城惨状や、忍城成田家の奮闘はこの時の事で、うちの実家付近拠点は簡単に落城

増田家の筆頭は小田原城に籠もり、◯◯衆として勇敢に立て篭った、のかもしれない。

そして小田原北条家は滅亡し、関東統治ネットワークはそのまま徳川家に与えられ、関東には徳川の家臣が流入してくる。

元々関東のそれぞれの地方統治してきた◯◯衆の大半はその際に潔く農業を取り仕切る庄屋層に転身し、

残りの一部は徳川への仕官を申し出てたりして引き続き武家である事にこだわり続けたとさ。

かくして、関東の大半の武士農家になり、少数の徳川家臣による統治を受け入れた。

この話を土地の古老に話したりすると、忘れ去られていた「イエ」の記憶を取り戻したようで、いたく感動される方が多い。

また逆に、「当家は代々武士家系・・・。」といった方に話をすると、複雑な顔をされる方が少なくない。

身分は固定されたもので、名前とともに受け継がれるようなイメージ漠然と抱いている方に多いのですが、

「単に先祖徳川方に付いて頑張っただけ」というストーリーに聞こえ、どうも「武士家系イメージに合わないらしい。

・・まあ元々が漠然としたイメージなので仕方の無い事ですが。

(ちなみにこれらは関東の話ですが、土佐長宗我部と一領具足の結びつきが幕末坂本龍馬時代まで尾を引いた事を考えると、全国各地である事なのでしょう。)

この話を踏まえて、血筋とは何なのか。

「イエ」の物語やその教訓は代々守り伝える限り残るが、

遺伝的な意味での「血筋」がはっきりと出るのは数代の限りなのではないかと考えている。

まり大事なのは家庭内での教育

農家さんの多くが確かに自分たち自身を「ただの百姓」と呼び、学も無く品格も無い、と自虐的に語るが、

失われた歴史ストーリーとしてお教えすると、生き生きと誇りを取り戻す。

しかしながらそれまで受けてきた教育は変わらないし、次世代に何を教え残すかも教育者としての自分次第。

ちなみに「農民」で一括りにされる事が多いですが、庄屋層は江戸時代からかなり恵まれ教育環境にあったとのこと。

うちのばあちゃんも地域で唯一女学校に行かせてもらえたらしく、単に士農工商かいファンタジーではくくる事が出来ない場合が多い。

家庭環境の違いは生まれによって確かにあり、教育の質は当然大きく変わってくる。

また、「武士家系」という代々受け継がれる「イエ」の物語が作り出す誇りと自信も大きいのかもしれない。

千葉県の某所にやはり「武士家系・・・。」という誇り高き地主タイプの方がいらっしゃいました。

その方の家はやはり小田原北条家に仕えていたとの事でしたが、なぜか江戸時代を通して武家として、徳川から本領を安堵されていたとの事。

何だろうな・・・。と思い調べてみると、何の事は無い、北条家に仕えながらも徳川家と内通をし、小田原征伐では豊臣側に付く代わりに、本領安堵約束をしていたという(うろ覚え)。

武士家系物語が作り出す誇りというものも、割と中身の無いものである

(ただし、これも一つの歴史であり、武家としての「イエ」の歴史を守る、という意味では尊い決断なのかもしれない。)

教育の質に関しては、言わずもがなであるが、近代的な教育人材登用システムが構築されてからはそのシステムをよく理解している事が肝心なのは当たり前で、

教育水準の高い家には、良い教育方針と良い物語が備わっているのかもしれない。

物語」によって得られた誇りを胸に、立身出世を志す感覚が備わっているかどうかは大きい。

教育の機会も家庭の経済状況などに左右されてきたが、時代とともに様々な仕組みが生まれてきた。

貧困理由とした教育機会格差問題は、薄められてきた。「志」の教育を出来ているかが大きいと思う。

最後大事になるのが、攻略法教育。つまり受験」というペーパーテスト人材登用システム攻略法を伝授できるか否か。

現代引きこもりの人々は、高い志を母親、あるいはテレビ漫画から植え付けられてきたのに、

攻略法を持たないのでその理想現実ギャップ屈辱感にまみれて腐っていく。(かなりもったいないと思う。)

そして、教育とは代々受け継がれるもの。早く気づいた方が有利なのは、間違いない。

明治時代から気づいている家庭もあれば、最近気づき始めた家庭もあるだろう。

伝統的な教育方針物語血筋の内と考えるならば、血筋ってのははある所にはあるのかもね。

ウェブサイト来年ぐらいには公開できたらいいなあ。)

2013-01-24

アルジェリアの事件について、父(プラント会社社長)の話

昨日家でお酒飲んでた父がニュースを見ながら語ったこと

増=増田

P=パパン


・増「マスコミ必死に死者の名前公表しようとしてるんだってね」

 P 「日揮さんサイドにも死者公表したくない理由はあると思う。

   だって半分ぐらい派遣じゃないのアレ。

   流れによっては叩かれるよね。」


・増「えー。派遣殉職は酷いね…」

 P 「派遣が一番仕事出来るようになって『あの人が居ないと仕事が回らない』

   みたいな現場は稀によくある」


・増「じゃあその人正社員にしてあげるべきじゃん」

 P 「仕事の山と谷がありまくるから派遣を使わないと無理」

 P 「あと正社員にするときまって仕事しなくなる…(小声)」


・増「派遣や下っ端ばっか現場死ぬのかー」

 P 「ただ、偉い人も1人居合わせてやられてるみたい。

   会議の為に来たところを狙われてるから

   現地人スタッフに内通者がいるんじゃないの。

P「ちなみに昔はあんまり海外で人雇えないので

   労働者日本から連れてったりした」

 

・増「内通者とか、戦国時代みたいですごいね

 P 「まあ実質戦争中みたいな国もあるし、多少はね?」


・増「襲われたのは護衛付きで移動中だったらしいけど何故ダメだったの?」

 P 「護衛が全滅したんじゃね?」


・増「護衛の方が資金潤沢だろうになんでテロリストに負けんの?」

 P 「小学生じゃないか通勤時刻はバラけるので警備も分散する」

 P 「居住区、プラント通勤路…守備しきれない」


・増「もうまるごと隔壁で囲えば?」

 P 「小田原城作りにいってるんじゃないんだよ」 

 
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