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はてなキーワード: 森美術館とは

2024-03-28

日曜夜に東京でヒマになりそうなので調べたが美術館博物館も開いてない

森美術館もちょうど展示替えでなにもないっぽい

行く宛のない夜の東京とかなにしてたらいいんだ

2023-09-20

近年のオタクの「〜したよね」って語尾なに?????

同調圧力押し付けがましい。責任逃れ

これ令和最悪の語尾です

みなさんは絶対に使わないようにしなさい

小山さんが「コナンくんはわたしベルモット)の息子かもしれないし…」とトンデモ自論繰り出したとき、新蘭のトップオタは言うことが違うな……と畏怖したよね

本当にどうでもいいことなんだけど、羽生結弦くんが「徹子の部屋」のことを「徹子さんのお部屋」って呼んでた事にきゅんとしたのと育ちの良さをめっちゃ感じて悶絶したよね。

永瀬廉くん、もっとウェイウェイチャラチャラ系かと思ってたら脱退発表後のラジオで「これからはおれが最年長になるから…」ってぐずぐず泣いてて「そっか、年下の子を引っ張らないといけないんだねえ🥺💦」って聞いてたら年の差たった2ヶ月と知ってめちゃくちゃ好きになったよね

大学上京して東京で生まれ育った人と同級生になったとき彼女たちは16歳の頃から森美術館デートしてアップリンクで観た映画の小津っぽさについて語れてスタバで難しいオーダーが出来て代官山店員さんがいらっしゃいませって言わない古着屋で買い物してるって知って、もう無理じゃんと思ったよね

2022-10-03

Googleマップ写真に関する問題報告がしんどい

Googlemapの抱える深刻な勘違いについての問題報告がしんどいしづらい。というか不毛

Googlemap ストリートビュー箱根美術館箱根写真美術館区別ができていないので、2015年箱根美術館撮影されたストリートビューリスティングを「箱根 [写真] 美術館」として公開している。

これに影響されてか、GoogleMapの箱根写真美術館トップ掲載されているのが、箱根美術館撮影された写真

(ちなみに箱根写真美術館はマイプロフィールオーナー登録済みで、オーナー投稿した写真無視して箱根美術館写真トップ画像になっている)

箱根美術館を訪れたユーザーは、おそらくそこで写真を撮った後、スマートフォンGoogleMapに「ここを訪れましたか投稿しましょう」と促されて、箱根写真美術館GoogleMapに投稿している。

大量のユーザーが間違った登録をするなら、いくら報告してもイタチごっこだろうし、Googleアルゴリズムはこれを正解とするのではないだろうか。


ちなみにGoogleMap箱根写真美術館写真一覧には、「箱根美術館」「石楽園箱根美術館の中にある)」というカテゴリができてしまっている。

ではGoogleMap箱根美術館の方はというと、「箱根強羅公園」「嘆きの天使箱根彫刻の森美術館にある)」のカテゴリが。

GoogleMap箱根強羅公園には「下田公園静岡にあるよ)」「八木崎公園山梨県だよ)」のカテゴリが。

これらの謎カテゴリは、多分一度GoogleMapのリスティング登録された後、問題報告で「写真動画場所が異なる」などの報告に対して、Googleが行った対応ではないかと思われる……。

追記GoogleMapのガラス森美術館と、あとその近くのどこかの美術館に「箱根湿生花園」のカテゴリが作られてる)

GoogleMap、はじまった頃は普通にメールで間違いを受け付けてて、まともに対応してたんだけどなあ。お前らがスゴイスゴイと持ち上げるからだよ。

2022-09-20

anond:20220920003134

現代美術に限られるけど、年会費を払って美術館の会員になるのがオススメ。原現代美術館がなくなったか東京では森美術館一択かな?

以降、90年代の話なんで調べ直して欲しいが、会員になると入場料無料はもちろん、オープニングパーティーに呼ばれて、作家と話せたり、セレブを眺めたりできる。学芸員によるギャラリーガイドもあったりするから、そのうち美術に詳しくなれる。

森美術館の会費はまあまあのお値段だが、森ビルの他の施設も使える特典があったはず。

2022-04-20

Chim↑Pomのいう多様性って約束事を破っても許される自由ってこと?

4/19、16時少し前、Chim↑PomTwitterhttps://twitter.com/chimpomworks/status/1516309905828810753/photo/1)で改名のお知らせが出ていた。

まず、内容をざっとまとめよう。

Chim↑Pomは”際どい社会人である“間違ってもただの「健全」なグループだと勘違い”してはいけないグループだと自称している現代アーティスト

Chim↑Pom現在森美術館個展を2月から5月末まで開催中(開催真っ只中!)

・会場準備の設営費の一部に協賛金が必要になっていた(1000万円ほど)

・そんな協賛金のうち、Smappa!Group接客を伴う水商売ホストなど)の会社であり、Chim↑Pomと数々の協働もしてきている会社Chim↑Pomの一人であるエリイ」の夫が会長を務める会社でもある。)の金額のみ森美術館受理していない

受理していない理由は「六本木ヒルズという『まちづくり』における『ブランディング』」「森美術館ヒルズという『文化都市』の顔である」と森美術館は言っている

これに対してChim↑Pomは、

受理しないことは、”アートによる「多様性」と取るか「『多様性』の搾取」と取るかは、議論必要である

受理しないことは、クリエイティブ産業が街から「猥雑」なものを十把一絡げに職業属性により排除する「旧来のジェントリフィケーション」の典型だとも捉えている

社会全体、そして、特に多様性をうたう森美術館が”実態としては公共性よりもブランディングを優先し、いざ自身問題として直面すると排除する、という常套手段がまかり通ることに対しての違和感をここに強く示す”

そもそも、「スーパーラットポケモンピカチュウを模して渋谷の街で捕まえたネズミ黄色く、頬は赤くしたもの)」の美術館内での展示ができず、美術館内ではなく共同プロジェクトスペース内での展示という落としどころになっていたことも”「表現の自由」に議論余地ができた”ことだったから、水面下の交渉限界を感じ、発表した

・同時開催で別のイベントもするから遊びに来てね

でもって、森美術館

・全媒体広告物の「Chim↑Pom」の名前を「Chim↑Pom from Smappa!Group」に変更して今後は使用する(使用開始の期限はGW明け5/15)

・Smappa!Groupの協賛金受け取りとロゴ掲載検討

の2つを誠意を持って対応しろ

という感じだろうか。

改名、いいじゃないの、したらいい。意志表示、どんどんしたらいい。

でも、いくつかの点で、この声明文に物申したい。

おっと、その前に。まず、増田当事者でもないし森美術館および森ビル関係者でもChim↑Pomファンでもない。

そのため、すべてのことは想像しかなく、中には事実と反することもあるだろう。

それを踏まえて、聞いてもらいたい。

①”多様性””公共””ブランディングを優先””ジェントリフィケーション

キャッチーで、そうそう、そうなんだよ、反体制スピリット!と、どこかアナーキーアーティスト性に酔いしれたいファン応援したくなる巧みな言葉遣いうまい、うますぎる

⇒だけど、待って。多様性って「いつでも全てを無条件ですべてを認める」ということなのだろうか。幼稚園ロリコンの成人が混ざりたいといっても、幼稚園には幼稚園対象があり断られるように、NHK企業名を出さないように、R18のゾーニングをすることのように、男湯と女湯を分けることのように、さまざまな無条件ではない場合にも、そこに多様性がないわけではない。多様性とは、で調べると、「幅広く性質の異なる群が存在すること。」とある。そうだと思う。『群』だと思う。その『群』を否定してはいけないが、その『群』が完全に混ざり合う必要はないのでは。だから多様性の一つの解釈に「いたずらに何かを排除してはいけない」があるといえるだろう。今回は「排除」しているのかもしれないが「いたずらに」ではない。そもそも、”公共”の要素を持っているからといって、森美術館は『株式会社』だ。”ブランディングを優先”そりゃそうだ。株式会社だ。権威であろうと、体制であろうと、そこには日々の生活と日々の業務があり、誰かにとっての、そして企業にとっての小さな信頼と伝統を積み重ねてきた「商いの形」がある。そんな「商い」の中で、交渉をし、契約を結び、落としどころを見つけながら話していることは、「いたずらに」ではないのではないか。そこには企業としての意思がある。

ジェントリフィケーション、その通り。『都市開発』では『都市』を『開発』するのだから、そりゃあジェントリフィケーションが起きる。でも、それとこれとは別の話ではないか接客を伴う水商売を悪いものとしているわけでも否定しているわけでもなく、ただ「うちとは合わないよね」といっている話に、たいそうにジェントリフィケーションを持ち出されても、森美術館の言う通り「ブランディング」の内側の話を拡大解釈しすぎではないだろうか。

約束ってそんな簡単に破ってもいいの?

改めて、会期中、しかも会期残り2週間のためにすべてを修正しろっていうのは担当者のことを考えると辛すぎる

アートと商いは相性が悪いという話は、アートと商いがとっても相性がいいという話と同じくらいよく見受けられる。アートの中で、資本主義は時に否定され、時に資本主義と共に大きく幅を利かせている。

⇒会期残り2週間のために用意しているあらゆる媒体資料広報資料名前を『物理的に(印刷など)』修正し、デジタルであっても『修正依頼を(人力で)』ひとつずつかけて、すでに用意していた様々な資料もすべてをやりなおす。だれがその資金を工面するのだろうか。森美術館がするのか?商いを馬鹿にしすぎている。契約という約束事が軽すぎないか

⇒人気も出てきた、会期も真ん中、なぜいま発表をする?別で準備しているイベントがまとまったからか?なんなんだ?Chim↑PomChim↑Pom契約同意し、うまみがあったり意義があったり面白味があったりいろいろな理由を超えて「森美術館でやりたい」と同意たから、会期が始まっているのに、なぜ、今なのだ?そんなに不快なら仕事を受けなければよかったのかもしれない。始まる前に話し合ったり声明文を出すのも手だったかもしれない。でも、今、すでに始まった中で後から手を翻し、ずっと怒っていたと一方的にきざな言葉で並べ立てるのは、いささか「商いを馬鹿にしすぎている」としか思えない。ひとりひとりのお客さまからお金をいただいて、ひとつひとつ企業さまからお金をいただいて、誰かのお金になるように、経済を回すこと、生活すること、権力だろうと権威だろうと体制だろうと、そこには人がいるし、そこには道理があるのではないだろうか。強者に対してなら何をしてもいいとでも思っているのだろうか?

そもそも、会場設営費の1000万円って・・・

⇒会場に行った方なら体感できるだろうし、行っていなくても写真を見たらわかるだろうが、今回の展示、かなりアグレッシブな展示方法も展示手法も含まれている。これは予算が…これは消防法…設営の順番大変そう…いろいろな制約を乗り越えられるよう、ひとつひとつアーティストと館の間を取り持ち、掛け合いながら進んだのではないか、と感じさせる会場だ。

⇒1000万円、通常の展示ではないことをたくさんする(=森美術館としては、新しさのあることにしたい&今までのChim↑Pom活動をそのまま紹介できるようにしたい)という意志もあって、「会社的にはこれ以上の設営費の負担ができないので、その形での展示は出来ないのですが、設営費をいただけたら、なんとか…」という落としどころをもって話した結果だったりはしないのだろうか。

⇒そのうえで、「受理していない」場合は、その「不足額」は誰が払っているのだろうか、「その協賛金を受け取れないのは森美術館側の話だから、その不足分は森美術館で持ちます、だからすみません」そんなやりとりがあったのではないだろうか。スーパーラットの展示を美術館内で出来ないと判断されても、展示の流れに組み込みたいという思いで共同プロジェクトスペースに設置しているのを思うと、ついついそんなことを想像してしまう。

物事多面的で、憶測でモノを申している立場で本当に申し訳ないが、

やっぱりこの声明文でChim↑Pom評価されていることに納得がいかない。

きざな言葉を並べて、弱いふりをすれば、もしくは本当に弱者立場であるからといって「弱さを盾にすれば、権威のことを後ろから殴ってもいい」そんなわけがないと自分は思う。

2020-03-26

anond:20200326131839

ツイッター引用は埋め込み式でやったほうがよくね

東京育ちは恵まれてるというが

大学上京して東京で生まれ育った人と同級生になったとき彼女たちは16歳の頃から森美術館デートしてアップリンクで観た映画の小津っぽさについて語れてスタバで難しいオーダーが出来て代官山店員さんがいらっしゃいませって言わない古着屋で買い物してるって知って、もう無理じゃんと思ったよね

https://twitter.com/atatakaipan/status/1242629416267599872?s=19

こういうのは別に東京出てきてからすぐできるやん。塾に優秀な講師が揃ってて教育レベル高いとかそういうのを羨ましがれよ

こんなことで僻んでどうすんだと思う田舎出身

2019-03-01

anond:20190301085940

フェミの逆襲以外の何物でもないだろ

PAPSが森美術館『会田誠 天才でごめんなさい』展に抗議


逆らうものは徹底的に踏みつぶして表現の自由を奪おうという強い意志が感じられる

これで良く「フェミ表現規制までは求めてない、配慮だけ」とか言えるなって

anond:20190301084142

会田誠作品エロいとか発言ゲスいとかいうのは、主張の正当性を後押しするために付加しただけで、本当の主張は別のところではないかエスパー予想した。

そりゃ、フェミに逆らった会田誠をつるし上げることが目的訴訟なんだから名目なんて何でもいいんだよ

以前にもこういう例があった

PAPSが森美術館『会田誠 天才でごめんなさい』展に抗議

注・PAPSは「ポルノは性暴力を呼ぶ」とエビデンスなく決めつけて、表現の自由を奪うカルト団体

2019-02-28

会田誠事件へのはてブ民のコメントが酷すぎる

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190227-00009302-bengocom-soci

京都造形芸術大の公開講座精神的苦痛を受けたとして訴訟を起こした件へのブックマークコメントだが、

勉強不足」

シラバス読め」

当たり屋

など原告女性を批難するコメントばかり。

なんだこれ。地獄かよ。

そもそもこれ、大学の正課の授業ではなく、「公開講座」だぞ?

こういうコメントつけている奴らは、公開講座が何なのか分かってんのか?

公開講座は、あらゆる人の生涯学習を支えるために行われる大学社会貢献事業であり、

正課の授業とは全く性質が異なるんだよ。

専門分野に属した学生カリキュラムに従って体系的に学ぶものではなく、

お金さえ払えばド素人が単発で受けに来れるものであり、

本当に興味本位でフラッと申込して良い前提のものなんだよ。

実際に公開講座に行ったことがある人ならわかると思うが、

本当に60-70代のおじちゃんおばあちゃんばっかりだったりして、

逆に中学高校生も参加可能な講座もあったりして、

講座によって参加者層は極めて多様なわけだよ。

から、講座内容や講師がこれだからといって、

特定の年齢層や特定分野の前提知識を有する層を対象とすることは、

公開講座場合は全くあり得ないんだよ。

今回はあくま原告が偶然この分野を専門とする人だったというだけで、

公開講座趣旨を鑑みれば、年齢や学歴わず「学ぶ自由」を保障するための仕組みなんだから

勉強してこい』というコメントは全くの的外れなわけだ。

参加者層を限定していない以上、主催側たる大学が、きちんと事前に条件や詳細な内容を説明して

参加者募集をする責務がある。

そもそもシラバス読め」と言っている皆さんは、自分シラバス読んだんですか?

https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1811318

 第3回:ヌードあれこれ話

ヌード、あるいは女性像を画題にした自作を中心に話します。たぶん芸術対立概念になりがちなポルノの話や、第二次性徴期の話、フェミニズムの話なども避けては通れないでしょうね。

会田誠×鈴木芳雄)

担当講師鈴木 芳雄 、 会田 誠 〕

会田 誠 (美術家

1965年新潟県まれ1991年東京藝術大学大学美術館研究科修了。絵画写真、立体、パフォーマンスインスタレーション小説漫画など表現領域国内外多岐に渡る。近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館東京、2012-13年)、「考えない人」(ブルターニュ公爵城、ナントフランス、14年)、「世界遺産への道!!~会いにいけるアーティストAMK48歳」(霧島アートの森、鹿児島、14年)など。


この文章で、残忍で強烈な画像を見せつけられそうな雰囲気が、どこから汲み取れる???

本当に何も知らない人が読んだら、普通アーティストさんにしか見えない文章じゃんか。

これ読んだところで内容の想定は不可能だと思うし、公開講座の受講者がシラバス以上に深い知識

事前に自分で調べないと応募してはならない、なんて義務はどこにもないですよ。

ちなみに、シラバスを見ればわかる通り、受講条件も何も書いていない。

他の科目を見てみると、何らかの条件がある場合は「備考」に書いてあるケースも

あるので、決して書く欄が無かったわけではないことは明白である

(例)"なお、認定の条件は、18歳以上で、"

https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/coursedtls/courseDetail/G1823304

さらに付け加えると、↓の上部に掲載されている受講規約を見れば、

https://air-u.kyoto-art.ac.jp/gakusha/stgg/matter/matter/

受講資格は、満 15歳以上の藝術学舎で学びたいという意志をもち、本受講

規約を遵守することに同意される方とします。学歴等の制約や選抜試験はあ

りません。

と書いてあり、シラバスで特段の条件指定が無ければ、15歳の中学生が受講する可能だってあるわけで、

そのような前提の講座にも関わらず、事前説明なく記事のような内容の授業が行われたとすれば、

大学側の配慮不足であったことは明らかでしょうよ。

何より、この原告女性は、会田誠芸術表現自体は否定してないじゃんか。

会田誠のような芸術表現が世の中に存在することは理解するとしたうえでも、

それを大学公開講座という学問プラットフォームにのせるのであれば、

その主催者が相応に運営上の配慮や工夫はしてよ、というお話でしょ?

そんなの当然じゃんか。それをやらないなら、大学は何のために存在してるんだ?

その道の経験者や実務家に好き勝手話をさせるだけなら、

大学という枠組みの上でやる必要なんて全く無いわけで。

学問のコーディネータとしての責務を果たせていたかを問われているわけでしょ?

にも関わらず、「会田誠くらい知ってて当然。知らなかったほうが悪い」という論調ブコメばかり。

さすが、はてブ民の皆様は上級国民が多いだけあって、さぞ教養が高いわけですね。

普段はあれほど「弱者の味方」みたいな顔をしているくせに、

こういうときはこぞって被害者側を攻撃する。

まさにセカンドレイプのものじゃねーか。

本当に酷い集団だよ、はてブは。

2018-03-04

anond:20180303232654

会田誠森美術館でやっても抗議があったりするからな…これには絶対的ルール存在しないと思う。

2017-06-22

https://anond.hatelabo.jp/20170622171625

森美術館で、丹羽良徳の映像作品を見たことがあるんだけど、その中の、「ルーマニア社会主義者胴上げする」というのと、「モスクワアパートメントウラジーミル・レーニンを捜す」というのが、印象的だったよ。

多分、そういう風にまぜっかえして簡単に済ませられること以上の、出来事郷愁や怒りや諦めやら、色んな感情があるんだと思う。

そういえば、かつての共産国全体主義的な社会システムと、今の日本はかなり似ていると思うんだけど、その辺はどう思う?

資本主義も究極に行きつくと簡単システム全体主義化するのよ。それは当たり前の話で、その方が生産効率が良いからね。より「効率よく稼ごう」と資本思考した瞬間に、えらばれるシステム全体主義的(共産思想下の計画経済に近づく)になる。

2016-04-20

[]

わたくしの森美術館ですわ。森が海を育て海が鯖はを育てますわ。

2015-07-19

六本木アートトライアングル

オタクの街といえば秋葉原だの中野だの池袋だのが定番っぽく言われてきたけど、

今なら六本木アートトライアングルが熱い

国立新美術館の「ニッポンマンガアニメゲーム」展

森美術館の「機動戦士ガンダム」展

あと一角本来ならサントリー美術館みたいだけど、ここではその脇の21_21 DESIGN SIGHT で「動きのカガク」展を推したい

オタク的というよりはサブカルかぶれの男女がきゃっきゃうふふするような居心地の悪い雰囲気だったけど

ともあれ、六本木乃木坂周辺だけでこれだけ集中していて1日楽しめるんだから、トーキョーはすごいなあ(田舎者感)

2015-03-08

リー・ミンウェイの何がよかったのか

リー・ミンウェイがずっと気になっているので書く。

リー・ミンウェイは、昨年末から今年初めにかけて森美術館で開催されていた「リー・ミンウェイとその関係展」(http://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/)で初めて見た。ミンウェイが美術館に来た観客と食事をする作品(その映像が展示されていた)や、会場で花を配りその花を会場から帰る途中に知らない人にプレゼントしてもらう、という作品などがあった。一般的にはリレーショナルアートに含まれ作品を作る作家として知られる。

展示を観終わった後に、同行した人が言っていた。リー・ミンウェイは本当に素直な人だよね、と。それに、彼のようなバックグラウンドがなければこうはなれなかった、と。(以下はその人が言ったことを言い換えたり補ったりしているだけのような気もする。)

リー・ミンウェイがやっていたのは、何の恐れも気負いもなく他人に何かを「贈る」ことだったのだ。

もう一度彼が贈ってきたものを考えてみてほしい。それは一緒に食事をしながらお喋りをすることである。思い出の詰まった布を持ってきてもらい、ボランティアの人に会場の壁から垂らした糸で縫い付けてもらうことである。隣り合ったベッドで寝ることである。一緒に凧を揚げることである

ここでいうところの「贈る」とは、それによって誰かの上に立とうとしたり恩を売ろうとしたりする行為でもない。相手に無関心なまま何かを仕掛けて反応を見るような行為でもない。自分を貶めつつ他者というものをたてまつろうとする行為でもない。さらに、その行為それ自体から自分が楽しもうとする行為のようにも見えない。ただ何かにとっていいだろうと思える何かをしてみる、という行為のように見える。何らかの形で人同士が繋がるというのはいいことだから、それをしてみる。そこには自分かいう云々かんぬんはなく、そもそも自分かいう云々がないとうことすらそもそも考えられていない。

それが、彼に恐れも気負いがないように見えるということに繋がっている。普通は上に挙げたいずれかの動機があるし、その場合、失敗することの恐れや他人を使うことのやましさ、義務からくる気負い、何かが得られるかについての不安みたいなものを背負わざるを得ない。たぶん、そういうものがないリー・ミンウェイは、完全に力が抜けきっている。ただいいことだからやってみている。

蛇足だけど、純粋贈与ってこんなもののような気がする。誰が何と言おうと。)

彼においてはあまりに素直に無邪気に何かを贈るということが行われている。その素直さと無邪気さは、ありがちな譬えとして出される「子どもの素直さや無邪気さ」よりもはるかに深い。子供のそれらが自分という中心をなしで済ますことは意外と難しいことだろうから。リー・ミンウェイのそれは、何らかの形で洗練に洗練が重なった類の素直さ無邪気さである

その洗練というのは、台湾ルーツを持つカリフォルニアの裕福な家庭で育った、という育ちに依っているのかもしれない。

祖父母の代の誰かが日本留学に来ていた台湾人であり、それは恐らく当時としては相当なエリートであったはずだ。父母はどちらかが医者で恐らく同じように裕福であり、台湾で生まれたリー・ミンウェイは家族カリフォルニア移住している。

一般的なこととしては、裕福な家庭で育つことによって無邪気さがはぐくまれただろうと想像がつく。しかし(以下は特に印象論です)、裕福な家庭の中でも、台湾の裕福な家庭で育てられたというのがかなり影響を持っていたような気がする。社会に対するあるいは宗教的ものに対する義務意識や、立身出世的な欲望から、離れて育つことができるような。更に、戦後台湾にずっと留まり続けずアメリカ西海岸にいられたというのも効いているような。

それから、(彼の)作品が身体的なことや身体に密着したものを用いていることは、彼の素直さと相互に影響を与え合っている気がする。身体に根差しものはそういう素直さを引き起こさざるを得ないし、素直さは身体的なものの大切さを感じさせざるを得ないから


リー・ミンウェイのことを考えると、上で書いたようなことが一気に思い浮かび、肩の力が抜けて、思わず深い呼吸をして、世界に対して優しくなり、元気になる。たぶん、頭の中のリー・ミンウェイに、ゆっくりとした口調でぽつりぽつりと、「まあ、いいから、とりあえずあんまり考えないで、ちょっとやってごらんよ」と言われているのだと思う。

付録

http://www.1101.com/lee_mingwei/2014-11-13.html

ほぼ日インタビュー。書き終わった後で発見あくまで僕の中でのリー・ミンウェイのイメージ大事なので、そんなにこのインタビュー大事だと思わないけど、でも多かれ少なかれ合致した王を描けたのではなかろうか。

2014-10-12

http://paps-jp.org/action/mori-art-museum/

当時はそれが珍しいものであったというだけで,古い作品の内容自体は昔から珍しいものではない.作品批判であるというただその観点からのみ現代美術として認められただけのことである.また,数ある似た作品も内容がタブーであったことから一部の人間にしか知られず,問題作品支援者や作者を含めた多くの人々はこれが批判的で新しいと”非常に稚拙ながら”感じたにすぎない.実際,作品作成された時代を考えればインターネットすらないのだから,作者があれをアイデンティティだと感じたのはまだ納得がいける.(支援者はこの現代においてそんなことも知らない頭の悪い人間しかいえないが) 作者を含めた支援者がおり,しかもそれが森美術館評論家などの世間一般から言えばアートに詳しい人間であるということは,どちらかといえば現代美術とりまく頭の悪い人々を露呈させたといえる.現代アートというのは,作品が1つ以上あれば事足りるものである.少なくとも他者がいくらでも想像しているものであっては意味がない.同じようなものごろごろあるようなものは,社会に対して批判的なものとして捉えることはできないからだ.しかし,今回は内容の特殊性から,類似品が多くあるにもかかわらず知られなかったため,このような問題が起きてしまった.私は森美術館を含めた支援者社会的に叩きのめされないのは納得がいかないが,狭い世界で遊んでいる彼らを自戒させるのは容易ではないだろうし,放っておいても社会に危害を加えるわけでもなく彼らがバカのままというだけだからしょうがないだろう.

2013-04-14

彼女が欲しい。ものすごく欲しい。

 モテたい。彼女作りたい。いろんなとこ行ってキャッキャウフフしたい。渋谷のオシャレなカフェに入って、「さっきご飯食べただろ、よくはいるなー」「甘いものはべつばらー」とかやりたい。彼女愚痴聴きながら「だいじょうぶ。○○は頑張り屋だから。絶対みんなわかってる(髪の毛くしゃくしゃ)」「……ありがと」とかやりたい。夢見ながら、生きてきた。

 彼女ができたときにいろいろ遊べるよう、おしゃれなデートスポットを見て回った。カップルの中、一人肩を縮こませながら歩いた。渋谷109.原宿竹下通り六本木ヒルズ森美術館。1人で闊歩した。並み居るカップルの中を、臆することなく。堂々とクレープ屋の列に並び、人気NO1のむっさ甘いクレープを頼んでやった。大変美味であった。黒人に中指立てつつ、ひたすら酒をあおったりした。おかげで東京の色々なスポットのことをしっかり頭に叩き込むことができた。けれど、未だに披露できる気配はない、

 あるいはワインデート本番、食事の時にメニューがわからずアタフタしないように。ソムリエにメニューを渡されたら、ジックリゆっくり全体を眺めながら、顎なんかを撫でまわしたりしつつ、「ふむ、じゃあ56年の白をもらおうかな」とか言ってみたい。それで、「すごーい、松田くんもの知りなんだー」とか言われたい。色々本を読んでみた。実際にワインを色々試してみた。飲み比べたり。お気に入りワインも見つけた。けれど、こちらも未だに日の目を当たりそうにない。仕方がないから、カリフォルニア赤ワイン(安くて美味い)をちびちび飲みつつ。ビーフジャーキーを食べて、「ワイン料理と一緒に食べてこそなー」とか思いながら動画サイトを一人見る。

 ダイエットしたのもそう。デブからモテない。これ定説。痩せてみた。30キロほど。かつての自分面影は、どこにもない。しかし、一向に声がかかる機会が無い。

 おかしい。何かが間違っているとしか思えない。しかも。僕がいたサークル女子もいた。かなりいた。みんなでご飯食べに行ったり。休日にはみんなでディズニーランド行ったり。なんだかんだでリア充サークルだった。よくよく思い出すと、僕の同期。どっちもサークル内で彼女作ってた

 何かがおかしい。ものすごくおかしい。世間を見渡せば、いたるところにカップルがいる。電車の中、待ち合わせてこれ見よがしに手をつなぎやがって。座るときぐらい手を離せと。講演の中、一緒のベンチに座って彼女さんの手作り弁当喰いやがって。こちとら1人でビールかっ喰らいながら、おひとりさま楽しんでんだ。見せつけないでください。その、から揚げ。すごくおいしそう。彼女さん。わかりました。それが自慢の一品だって。はたから見ててもよく分かります。だから、そんな可愛い顔して彼氏に「あーん」しないでください。彼氏のほうも。落ち着いて。周りはほほえましく見ています。気取らず、食べてあげて。大好きな彼女手料理を、食べてあげてください。絶対おいしいから。彼女さんの愛がこもっているから。あなたたち、二人だけの世界ですね、よかったですね。おかげで、貴方たちを見つめる、恨みがましくも物欲しそうな視線なんで全く視野の外ですね。くそ

 モテたい。彼女欲しい。イケメンとか言われたい。。とりあえず合コンとか行ってみたい。人数合わせじゃなく。ちゃんと参加したい。「いやー、昨日合コン可愛い子がいてさぁ。アドレス交換しちゃった。写真見る? LINEに上げてんの。むっさ貧乳だよ」とか言ってみたい。

2013-02-03

アイドル丸刈り事件を「女性差別」と考える人とのFacebookでのやりとり

Facebookで次のようなやりとりがあったので、貼り付けます。皆さんの思考の一助となれば。

なお、下記のCは法科大学院生、AとEは大学教授です。

(補足:本題は、AとC、Eのやり取りです。B、Dのコメントは前振りです。また、イメージがわきにくいので、男女の別と肩書きを付しました)

A教授(女)の投稿

AKB48メンバー恋愛丸刈り問題、フランス新聞リベラシオン」にも掲載されました。

タイトルは「日本ダンサー少女丸刈りに衝撃」で、事実淡々と伝えていますYou Tube画像24時間で300万回以上再生されたとか、日本で大騒ぎになってるとか。彼女は「自分で決めた」と強調しているとか。それで、「第二次大戦ナチ将校と寝たフランス女性懺悔を思い出させる」という反応とか、「これが先例になったら困る。青少年への影響を考えろ」というツイッター上の反応とか紹介してます。そのうえで、。「このように日本懺悔伝統少女を追い込んだことについても、恋愛を禁止したことについても、このような有名人プレッシャーをそれを負うには若すぎる少女に課したことについても、誰も罰せられない」と皮肉っています

私は、You Tube世界中から見られるので、日本の恥世界さらさないで!と危惧していましたが、恐れていた通りになりました。 http://next.liberation.fr/musique/2013/02/01/surprise-chez-un-danseur-une-chanteuse-japonaise-se-rase-la-tete_878485

コメント

B(男)

どこかで、次回出すCDに、切った髪の毛を入れて発売するという記事を読みました。すべては商業的に仕組まれたことだったのではと思います。本当ならば、なんとしたたかなことか。

A教授 (女)

Bさん、私も作為的なものを感じます。でも、それが商業的に成功する国・社会であってはいけないし、フランスAKBのような存在のものが成り立たない成熟社会です。

学生C(男)

商業的に成功するんでしょうか?さすがに切った髪の毛をCDに入れるのには、ファンも反対すると思うのですが。まあ、ファン以外の人がたくさん買うと思うので、売れることは売れるかもしれませんけど…。

AKBのような存在のものが成り立たないことを「成熟」と捉えることには反対です。

A教授(女)

Cさん、反対の理由は何ですか?確かに「成熟」にはいろいろな意味があるので、ちょっと良い表現ではないかもしれませんが。

D(男)

切った髪をCDに入れるというのは、虚構新聞の悪乗り記事ね。

B(男)

Dさん、そうでしたか。うっかり、ひっかかりました。(^^ゞ

学生C(男)

端的に、成熟(その裏返しとしての未熟)といえる根拠がないと思うからです。逆に、成熟と捉える理由はなんですか?

ところで、フランスでは、AKBは人気がないですが、モーニング娘。結構ファンがいるようです。どういう差なんでしょうか…?

A教授(女)

私の考える「成熟社会」とは、自由、平等法の支配がより行きわたる社会です。子ども女性障がい者等、弱者権利がより守られる社会です。

もちろん、この問題1つだけで日本が未熟でフランス成熟しているという根拠には不十分かもしれませんが、たとえば日本新聞で、上のように「誰も罰せられないのはなぜ?」と疑問をなげかける新聞があるでしょうか?フランスももちろん闇の部分はたくさんあるので、100%良い国だなどといいう気は全くないのですが、女性差別とか児童暴力ポルノ問題への批判に関しては、日本の数歩先を行っていますモーニング娘コスプレが人気と言っても、あくまで「しゃれ」の範囲で、今回のような丸刈り事件には大多数が反対するのがフランス社会だと考えています

学生C(男)

Aさんのおっしゃるような社会を「成熟社会」と呼ぶことには違和感はありませんが、AKBのようなアイドル存在しえないことは「自由、平等法の支配がより行きわたっていること」と関係がないように思います

児童ポルノ問題については、日本アメリカヨーロッパ諸国に比べると遅れていますね。性差別については、議論が盛り上がっているということ自体は先を行っていると言えますが、議論の進展状況については、フランスでのヒジャブ禁止問題を見る限り、単純にそう言えるか微妙なところもあります

今回の丸刈り事件については、日本でも批判的な見解が大多数だと思います。例えば、朝日新聞の記事はかなり批判的です(http://www.asahi.com/national/update/0201/TKY201302010381.html)。この記事は、むしろ、上記のフランス新聞よりも問題状況を理解していると言えます(この件について、坊主にされたフランス人女性の話と比較させるのは的外れです。もちろん、単に市民の反応を紹介しただけ、という言い訳はできるでしょうが)。

A教授(女)

Cさん、朝日の記事は読みましたが、私には批判的とはあまり思えませんでした。特に、後半の危機管理プロかいう方の「謝罪は成功」とか、「アイドルは商品。ブランドコントロールは何よりも重要です」というコメントで締めくくる記事構成は、それを是認しているととられる可能性大です。「反省してるから許してあげて」と言いますが、反省する必要はないし、それを売りにしていること自体が明治時代以来の処女神話というか、女性商品化差別)の表れと思うと私には耐えがたいのです。フランス社会はそれに抵抗があるからAKBのような存在が(ごく一部のマニアックな層に人気が出たとしても)メジャーになることはないと思っています

へジャブ禁止令もそもそもイスラム女性差別に対する批判からでてきた話で、しかも禁止は学校内だけですから、問題ないと思っています

学生C(男)

察するに、今回の件に関してどのような理由から批判するのか、という点について、Aさんと朝日新聞とでは視点が異なるのだと思います朝日新聞は、「アイドル恋愛禁止」をやや批判的に描き、「反省の手段として丸刈りにする」ということを体罰あるいはパワハラに類するものだと批判し、また、マーケティング戦略として失敗したのではないかという角度から意見を紹介しています。そこには、「女性差別」の話は登場しません。

今回の件を女性差別の問題と捉えることは、的を失していると思います。もちろん、女性商品化→即差別考える人がいるのはわかっていますが、自分はそうは思いませんし、そういう考え方が一般的だとも思いません(これに対し、男性女性わず、性の商品化自体が心地良いものではないという意見は多いと思います。それは差別とは別の問題です)。

ヒジャブ禁止は、フランス差別解消についての独善性が出たものと思っていますムスリム女性自身の反対を押し切って、よく施行に踏み切ったなと思います

それはともかく、AKB存在しえないことが成熟社会である、という言明は、Aさんのコメント内容から推測すると、結局、「女性商品化差別である」→「AKB女性を商品とするものである」→「AKB存在差別である」→「差別のある社会成熟していない」→「AKB存在は未熟を表す」という思考過程を経ているという理解でよいですか?

A教授(女)

女性商品化=即差別とは私も思いません。それこそ大人の男女が自らの魅力を演出してそれを売りにすること自体は、職業として成り立つのでしょう。でも、そこに「恋愛禁止」のルールなど入りこむすきはないですよね?その自由の否定とそれを受け入れる社会が未熟だという考えです。校則なども一種の自由の制限として私自身は反対です。

なので、上記の「女性商品化差別である」という命題からは出発しません。AKBのような未成年商売道具として利用する大人に対する批判はあるので、AKBに限らず、「10代のアイドルは大人が子どもを商品とするものである」→「特に処女性を売り物にするアイドル(たとえばAKB)は女性差別である」→「子どもを商品としたり、女性に限らず、差別を許す社会は未熟である」という思考過程を経ているかな?と思います

E教授(女)

このAKBの構成員たる若い女子丸刈りが、いかに多くの女性から嫌悪感を帯びて見られているか秋元某はわかってないでしょうね。この嫌悪感は、まさしく「女性がオッサンから商品化」され、「搾取」されていると嗅ぎ取っていることからます。また、「若いにーちゃんがこれを見て喜ぶだろう欲求」を充たしたと、商業ベースから判断されていることを嗅ぎ取っているからでしょうね。

法や人権に携わる者が、これらのことに鈍感であってはならないと強く感じます。そういう意味での「嗅覚」、とても大切ですよね。頭で理屈づけることなど、後から暇な人がすれば良いことです。これが社会的に、また若い女性若い男性に与える悪影響から考えると、即刻このような「性の商品化」はやめるべしだと思います。また、森美術館の例の展示も、いま問題の体罰も、根っこに同じものを感じます

Aさんの仰ること、私には大変よく理解できますロースクール法学部も、真面目にジェンダー法に取り組むべきでしょうね。

E教授(女)

うそう思い出しました。キャリア教育などでも「自分を商品と思って売り出すなら、なんて売り出しますか?」というフレーズを使う講師に、それは不適切だと抗議したことがあります人間は売り物ではありません!それを、いけしゃあしゃあとやっている大人たち、買う人間いるから売るという発想の大人、これは本当に断罪しなければなりません。

F(女)

謝罪って・・・誰に対して?写真集犯罪については責任者男性権力者落とし前社会的にも不問で、労働者女子人権人格も否定される不平等搾取だし、キモい日本ジェンダーバランスの点では著しく未熟な社会である

G(女)

AKB女の子と同じくらいの年齢の娘がおりますので、この女の子丸刈り姿を直視できません…。これがもし自分の娘だったら…と考えるだけで、死にそうなくらいイヤな気持ちになります。そんな集団に入ることを許してしまった、親としての自分のあり方を呪うと思います

この画像に対する嫌悪感は、表現しがたいほどです。女性が「罰として丸刈りにする」という行為自体が、ナチス収容所に入れられた女性や、大戦後、ナチスとの付き合いがあったことで丸刈りにされた女性たちを連想してしまうのです…。

こんなことがまかり通る「幼稚」な国であるということを、臆面もなく世界さらしてしまったことは、本当に恥ずかしいと思いますね。

H(女)

私も朝日新聞の記事を読みましたが、あれのどこが批判的なんでしょ?しかも、その記事の横に「板野友美引退」ですよ?スポーツ紙か?と突っ込みました。

テレビニュースも然りです。この気持ち悪さ、不快感本質をついてくれない。

Aさんのスレッドを読ませて頂き、やっと胸のつかえがおりました。

学生C(男)

>Aさん

女性商品化というよりは、子供商品化が問題であり、また、それとは別に処女性を売り物にすることが女性差別だということですね。処女神話はたしか女性差別意識の発現と言えるでしょうから処女性を売り物にすることが女性差別意識を払拭することを妨げると言うことはできますよね。

ただ、たしかに「男はあの映像を見て喜ぶ」と演出サイドが思った可能性はありますが、実際にはそんなことはおそらくありませんので(喜ぶ人もいることはいるでしょうが)、演出サイドを責めるならともかく、今回の件に対する批判の声が多い現状に鑑みると、社会を未熟と言ってしまうのは、卑下しすぎではないかと思わないではないですね。

少数派の意見正当化しなければならないときには「嗅覚」だけではどうにもならないので、理屈けが必要です。もちろん、問題発見プロセスでは、理屈付けの前に「嗅覚」が先に立つわけですが、正当化プロセスにおける理屈けがなければ、味方同士の馴れ合いで終わりです。

E教授(女)

>Cさん

嗅覚」が働かないような人は、学者にも司法関係者にも人権に携わる人にもはなれませんね。どこぞの弁護士みたいに人権が飯のタネ、なら別ですが。かしこぶっても、痛みをわからない人に理屈をつけられるよりは、まずは気持ち悪さを「共感」できる人でないと、自分はおろか他者の「権利」なんて守れませんからね。「正当化プロセス」を他者がしたり顔ですることが、問題発生のすぐの時点でそんなに必要とは思えません。それを味方同士の馴れ合いなどと断言されるというのは、やはり第三者である自分安全地帯において評論する、というところからですかね。

F(女)

Cさん、大衆論理は常に正しいんですかね。女性のことに関して女性意見を聞かない男性に何がわかるのでしょうか。古代である嗅覚すらないならもはや生物とも思えません。

 
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