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はてなキーワード: 毛利元就とは

2021-07-11

日本天皇100~

101.称光天皇(1414~1428))

 在位中は後小松天皇院政を行った。病弱で子はなかった。

102.後花園天皇(1428~1464)

 譲位後に発生した応仁の乱を嘆いて出家政務放棄した足利義政を戒めたこともある。

103.後土御門天皇(1464~1500)

 大嘗会を催したが、直後に応仁の乱が発生したため、中世最後の大嘗会となった。

104.後柏原天皇(1500~26)

 即位時、朝廷財政は困窮しており、父であった先帝の葬儀も40日後、即位式も即位後21年という有様であった。

105.後奈良天皇(1526~1557)

 飢饉と疫病に苦しむ民を救うため、諸国一宮に直筆の般若心経奉納した。

106.正親町天皇(1557~1586)

 毛利元就の献上金で即位織田信長豊臣秀吉の援助で皇居の修復、伊勢神宮の造営などを実現した。

107.後陽成天皇(1586~1611)

 秀吉の援助で朝廷権威回復に努めた。聚楽第行幸を行った。学問を好み、日本書紀などの慶長勅版を刊行した。

108.後水尾天皇(1611~1629)

 紫衣事件により幕府対立し、譲位

109.明正天皇(1629~1643)

 女帝

110.後光明天皇(1643~1654)

 応仁の乱以降途絶えた伊勢例幣使を再開した。

111.後西天皇(1655~1663)

 明暦の大火、御所炎上など災害が重なったため譲位

112.霊元天皇(1663~1687)

 学問に優れ、6000を超える和歌を詠んだ

113.東山天皇(1687~1709)

 久しく耐えた立太子礼と大嘗祭復興させた。

114.中御門天皇(1709~1735)

 先帝の代に復興した大嘗祭が再び途絶えた。公事部類を残した。笛が巧く、狐ですら聞き入ったとされる。

115.桜町天皇(1735~1747)

 大嘗祭新嘗祭復興させた。

116.桃園天皇(1747~1762)

 竹内式部から垂加神道の進講を受け、宝暦事件が起きた。

117.後桜町天皇(1762~1771)

 日本最後女帝和歌を好み千数百首を詠んだ。 

118.後桃園天皇(1771~1779)

 在位中に安永御所騒動が起き、朝廷への監視が強化された。

119.光格天皇(1780~1817)

 父典仁親王に尊号を与えようとするも松平定信に阻まれる尊号事件があった。

120.仁孝天皇(1817~1846)

 学習所(後の学習院)の建設を命じた。

121.孝明天皇(1846~1867)

 安政5ヶ国条約に反対し、攘夷を主張した。反面、和宮の降嫁に賛成し、公武合体推し進めた。

122.明治天皇(1867~1912)

 大政奉還がなされ、明治政府誕生。在位中は大日本帝国憲法発布、廃藩置県国会創設など近代化が進められた。日清日露戦争勝利韓国併合により日本列強の仲間入りは果たした。

123.大正天皇(1912~1926)

 生まれつき病弱であったため、皇太子裕仁摂政に任じられた。在位中に第一次世界大戦が勃発。皇室として初めて一夫一妻を確立

124.昭和天皇(1926~1989)

 在位中に第二次世界大戦が勃発。日本の敗北を受け入れ、日本国憲法が制定された。

125.上皇(1989~2019)

 世界各国を訪問して皇室外交による親善に努めた。東日本大震災の際には自ら被災地訪問した。

126.今上天皇(2019~) NEW!!

2021-05-04

毛利元就

いかお前たち。一本のテンガでは気持ちよくなるだけだが、二本のテンガには入れない。

男児は一本しか付いておらんからな。三本ならなおさらだ

兄弟揃って典雅でいたいならばこのテンガを思い出すのだぞ。

わらってはいかん。真面目な話じゃ。

典雅なテンガじゃ。

笑ってはいかん。

anond:20210504011921

2021-03-05

日替わり定食メニュー増田スマー種に目のくょ市イテ吏我が日(回文

おはようございます

光陰矢のごとしの矢を三本集めたら光速の三倍になるんだよ!

って毛利元就さんが3人の息子に言ったとさって新まんが日本SF昔話を私は読み終えた後、

その下に置いてあった、

月刊日替わり定食今月号に目を向けたの。

そう日替わり定食の申し子と言えば誰のことだか分かるかしら?

私のことよ。

でも、

あ!いけない!私今月号読んでなかったわー、

と言うのと同時に今月の日替わりメニュー表をまだゲットしてなかったことに気付いて慌てて日替わり定食を食べに行ったの。

ここ最近弁当自分でこしらえて持って行ってたから、

すっかり日替わり定食冒険家だっていう自分のことをもはや忘れていたわ。

あいにくさま、

今日はお弁当持ってきてなかったので、

日替わり定食の申し子でもある私は今日の日替わり定食と今月の日替わり定食メニュー献立表をもらいに行ったの。

ちょっとその話しは一旦置いとくんだけど、

長年通ってるうどん屋さんで、

私初めて厚焼き玉子定食を注文したの。

ここのうどん屋さんは日替わりしか頼んだことがなかったので、

幾度となく通ってきてもこのお客は日替わりだよねーって

給仕さんに覚えられていたみたいで、

厚焼き玉子定食頼むの初めてですよね?って見透かされちゃったの。

私としたことが、

日替わり定食冒険家を名乗る前にすでにこのうどん屋さんでは毎日日替わり定食を食べまくっていたという事実自分でも気が付かなかったようで、

ほんとうだ!私厚焼き玉子定食初めて注文するわ!って

ちょっと感激の涙が出てしまったわ。

日替わり定食冒険家が日替わりじゃない定食頼んで、

日替わり定食冒険家の名が廃る!って思ってるでしょ?

でもその逆で私は無意識の頃から日替わり定食冒険家の素質があったのよ。

その時のうどん屋さんに通い始めたときから

自分でも潜在的な日替わり定食冒険家の素質に気付いてなかったみたいで、

しろここが私のホームタウンというか

それを言うならパームタウン編もよろしくね!って言いたいところの

シルバニアファミリーみたいなウサギ活躍するメイプル出来栄えだったのよ。

その素質とは別に

厚焼き玉子定食がとても超絶美味しかたから、

次そのうどん屋さんに行ったとき

厚焼き玉子定食をまた頼もうと思うんだけど、

日替わり定食冒険家としての自覚も忘れていないか

日替わり定食を頼もうとも思うのよ。

だけど

日替わり定食を注文したら、

こないだ初めて食べた厚焼き玉子定食はあまり気に入ってくれなかったのかな?って給仕さんを心配させたらいけないので

ちょっと次回も厚焼き玉子定食を頼んで様子を見てみることにするわ。

2回か3回連続で厚焼き玉子定食を頼めば、

厚焼き玉子定食も気に入ってくれたんだ!って給仕さんはうどん屋さんの大将にそう伝えてくれるかも知れないし、

ここで日替わり定食を頼むか厚焼き玉子定食を頼むか、

給仕さんを挟んで大将との私、

いや!日替わり定食冒険家としての私との心理戦なのよ。

ほら!寿司大将自分のお店に来た客へ、

手始めに客が何頼むか客と大将が注文の読み合いの心理戦するバトル漫画のあれよ!

で、

ここまではなぜ私が日替わり定食冒険家になったかっていう回想シーンで、

ここからはまた冒頭で置いて置いた話題に戻るんだけど、

その月刊日替わり定食今月号の特集巻頭カラー6ページは

私の街の近くの定食屋さんが紹介してあって、

行ったことがあるお店あるかな?って見てみたけど、

私の行ったことがあるお店はことごとく落選していたようで、

よく、

美味しいラーメン屋とか美味しいパン屋とかのムック本に載っている有名店って

私の行ったことあるお店とか載らないのよねーって思いながら、

別に私が知る人ぞ知るグルメマニアと言うことを言いたいんじゃなくて、

そもそもグルメマニアではないけど、

まあそんな感じね。

巻頭カラー6ページを見て思いだして

私今月まだ日替わり定食行ってなかったわって。

私の日替わり定食への意識低すぎ!って軽蔑されるぐらいネット広告をかつては一世風靡した私の年収低すぎお姉さんのバナー写真はすでにもうセピア色なのね。

今ここ私上手いこと言えたからもう一回言うけど

一世風靡した私の年収低すぎお姉さんのバナー写真はすでにもうセピア色なのよ!ってこと。

何が言いたかたかって言うと、

私の日替わり定食冒険家としての自覚が低かったってことを

自覚して食い改めなくちゃ!って

定食だけに食い改めるってダブルミーニングホームスチールを決めちゃえるぐらいだったってこと。

私はまた新たなる日替わり定食冒険家としての冒険に出るのでありました。

うふふ。


今日朝ご飯

昨日買って食べようと思っていた夜の玉子サンドイッチよ。

食べ損なっちゃってたわ。

私のこと見損なわないでね。

デトックスウォーター

ポンカンまだ少しあるから

ポンカンプラスレモンウォーラーしました。

ポンカンの肉厚な感じが私は好きよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-02-11

戦国時代大河ドラマで学んだ

これらのことに気づくのに随分遠回りした。大河ドラマだけでは歴史は学べない。

2021-02-04

anond:20210204165226

どうも、渦中の毛利元就です

なんか呼ばれた気がしてきました

2020-02-23

[]anond:20200223192527

上月城主となっていた寺元生死之助は、陸路から進軍してきた松永軍を相手に防戦していたが、

そこに海から尼子勝久軍勢が到着したので、生死之助はさっと搦手の門を開いて迎え入れた。

生死之助は、鹿之助に対して何事か策を献じたあと、逃げ帰ったていで富田城に戻り、

松永弾正と尼子勝久とで一万余りに攻められては太刀打ちできず」と申せば、

九郎左衛門毛利を頼るしかあるまいと五千の援軍を借り受けた。

元気づいた九郎左衛門は手勢の八千人も連れて城外に陣を構え、そこに尼子勝久の軍が攻めかかった。

九郎左衛門の兵は、先鋒の鹿之助を取り囲んだが、あっというまに蹴散らされ、城門の内に退がるよりない。

城に籠もられると、さしもの鹿之助も攻めあぐねて、その日は退却となった。

翌朝、尼子勝久軍勢を率いて富田城に攻めかかり、

「悪逆無道の尼子九郎左衛門、はやく馬より下りて首を渡せい」と呼ばわると、

九郎左衛門も「小倅ごときに討たれる九郎左衛門にあらず」と前に出てきて采配を振るう

さらに鹿之助が「こののち三声と叫ばぬうちにその方の生命は寂滅する」と挑発すれば、

九郎左衛門さらに怒り「三声は愚か千声万声でも発してみせるわ、我を生け捕る者があるか」と叫んだ。

その声が終わらぬうち、傍に立っていた寺元生死之助が「汝を生け捕るものはこれにあり」と応えるや、

九郎左衛門を馬上より引きずり下ろしてあっというまに縛り上げてしまった。

鹿之助が下知をかけると、八勇士はいさんで敵陣に突進し、

その隙に生死之助は九郎左衛門を抱えて尼子勝久の陣中に転がり込む。

毛利家の河野四郎は薮中茨之助と戦って斬られ、同じく毛利家の来島太郎は荒波錨之助に首を引き抜かれた。

九郎左衛門配下赤星軍八は皐月早苗之助と、田原兵次は秋宅庵之助と戦っていたが、やがて討ち取られた。

その他の勇士たちも各々活躍し、ついに大勝利と相成ったのである

尼子勝久が城内に乗り込むと、生死之助が縛り上げた九郎左衛門を引っ立ててきた。

勝久は「いまぞ天罰の蒙る時節到来」と自らその首を打ち落とした。

兵たちは勝鬨を上げ、民百姓も多いに喜び、尼子家の再興を祝したのだった。

一方で、勝久の父・尼子義久は毛利領内に囚われていたが、

ちょうど正親町天皇即位があり、毛利元就も上洛して献納品を奉ったところ、

義輝公の母君から尼子と和睦して義久を返してやってくれ」と頼まれた。

やむなく元就は頷き、これで尼子毛利は和睦して、義久は丁重に送り返された。

義久と勝久はついに親子の再会となり、また忠臣義士らを集めて労い、

とりわけ功のあった十名、

山中鹿之助

大谷古猪之助

寺元生死之助

横道兵庫之助

早川鮎之助

皐月早苗之助

高橋渡之助

秋宅庵之助

薮中茨之助

荒波錨之助

ここに彼らは「尼子勇士」とされた。

その後、尼子家は万代に渡って栄え続け、尼子のために働いた者はみな立身出世を遂げて幸せ暮らしたのであった。

[]anond:20200223191629

日の出の勢いの尼子家は、敵に奪われていた月山富田城まで取り返した。

尼子義久は富田城へ戻り、上月城は鹿之介へと与えられた。

さて、尼子一族には尼子九郎左衛門という邪智奸佞の輩がいた。

その性格のため、もともと義久からまれており、対して鹿之助が重用されているのが面白くない。

そのような心情につけこんだ毛利元就は、尼子裏切り鹿之助を暗殺するよう、九郎左衛門に吹き込んだ。

九郎左衛門は、毛利家の来島徳十郎という者を呼び込み、琵琶法師と偽って上月城に潜り込ませた。

酒宴のときに、徳十郎は毒を盛ったので、鹿之助たちはみな倒れ伏してしまった。

ただ一人、義久の近習の寺元半四郎という者だけが下戸だったので、徳十郎を取り押さえることができたが、

既に鹿之助と兵庫之助は息絶え、鮎之助は見苦しい死体晒したくないと海に身を投げてしまった。

半四郎は涙を流しながらも、急ぎ富田城に戻ったが、

すでに城は九郎左衛門によって乗っ取られ、尼子義久は捕らえられていた。

そこで半四郎は「私はいから生死之助と名を変え、生まれ変わったつもりで貴公に仕えよう」と九郎左衛門に申し出た。

そのとき皐月早苗之助という豪傑が、尼子義久の嫡男・勝丸をさっと抱えて逃げ出した。

この男は、五十人あまりが引いても動かない大岩を、少年でありながら一人でどけてしまったという怪力の持ち主だった。

それを認めた義久が家臣として取り立て、村の名前から皐月早苗之助という名を与えたのだった。

早苗之助を追いかけてきた生死之助は、「私は奥方や若君を救うために偽って寝返ったのだ」と事情を話した。

そこに京の兆殿司和尚が現れたので、若君・勝丸を和尚に預けて、

生死之助は富田城へと戻り、早苗之助は上月城に行くことになった。

上月城に到着した早苗之助は、九重姫に事情説明し、京へ逃れるように言った。

九重姫が「夫の亡骸を捨て置くわけにはいかない」と言うので、

早苗之助は鹿之助の死骸を検分したが、どうも生きている感じがする。

兵庫之助の死体についても同様だったので、「養生すれば助かるかもしれない」と九重姫と浮舟に死体を持たせて逃した。

早苗之助はこれで大丈夫だと、自らは勝丸を追って京へと向かった。

一方で生死之助は、富田城に戻って上手く誤魔化し、九郎左衛門上月城攻めを注進した。

既に上月城にはほとんど人が残っていなかったが、ここに高橋渡之助と秋宅庵之助という二人の豪傑がおり、

生死之助を先鋒に九郎左衛門の軍が攻めてくるというので、城を枕に討ち死にしようと立てこもっていた。

二人の忠義に生死之助は感心し、事情説明した矢文を打ち込み、城を退去して京へ逃れるように言った。

あっというまに上月城を攻め落とした生死之助を、九郎左衛門ますます信用したのだった。

2019-12-25

毛利元就「ふわっと92

一機のシャトルは墜落するが三機合体なら足が生える

2019-04-24

anond:20190423101547

毛利元就「一本では折れてしまう矢も三本束ねると……あっ!」

2018-02-06

時代時代なら毛利元就が「夢がMORIMORIメンバーだったんだよな

そんな後悔の残る平成ももうすぐ終わる

2018-01-31

anond:20180131181638

戦国時代、かの毛利元就厳島神社に参拝したときのこと。

家臣が「元就様が安芸国の主となられますように」と祈願したのを聞いて、

元就は「なぜ天下の主になれるよう願わなかったのか」と咎めた。

家臣は「さすがに天下の主は無理でしょう、安芸じゃダメなんですか」と返したが、

元就は「天下の主を祈願してようやく中国地方を取れるもの最初から安芸国目標にしていたのでは安芸国も取れないだろう」と叱りつけたという。

蓮舫もこの家臣と同じ過ちをおかしたために批判されたのである

2017-12-21

[]戦国無双3Z special

多分半分くらいの武将無双モードクリアした

キャラをまず全員クリアしてしぶしぶ男キャラをやりはじめてる段階

キャラでまずプレイするのは今川義元

2と違って3は完全に義元のためだけのステージが用意されててマジ楽しかった

2をはじめてやったとき最初に義元選んだら足遅いし攻撃力も低いしでゲーム自体をやめたくらいだったけど、

その点3はかなり遊びやすくなってて楽しい

あと昨日プレイしたのは毛利元就シナリオ

毛利元就好きだわ―

俺が女だったら毛利元就ラブになる

つーかおとこだけど もとなり好きだわ

シナリオキャラもすき

印象的だったのはまいこはんキャラ名前度忘れした)のシナリオで、

自分まいこはん)についてきたら歴史みせたげるよって言われてあっさり毛利を捨てるとこw

あと地味に自分の中でラブ度があがってきてるのはぎんちよ

マジでかわいい

くっころシチュエロ同人かきたいくら

絵かけないけど

3はキャラ解放・おまけ解放めんどいのがたまにきずかなあ

まだ解放してないキャラ10人くらいいる・・

まあおまけはやられボイスきいてにやにやするくらいしかできないけど

武将解放するためには一人無双モードクリアしないといけないかめんどい

あーあといなひめ最初からすきだわ

なんかかんこれのはるなととらぶるのこてがわまぜたようなキャラ

きっちりしてそうでまじどすけべなかんじがたまら

あとたけなかはんべえなあ・・・あれどーみてもおんなだろ・・・かわいすぎる・・・

かんべえも地味に好きかな

キャラ的に

しか戦国無双三国と違ってやたら敵武将がガードしてくるのがすんげーうざい

PS2で3とか4とかやってたときはこんなこと感じなかったのに

戦国1もそうでもなかったか

1は城内戦がうざかったなー道に迷いまくって

あと地味に気になるのはやられモーションが長いことかな

さっさとドロップアイテム拾って次の場所なり敵のとこにいきたいのに、

倒した後にふらふらして倒れてアイテム出るまでがすんげー長くて時間かかる

時間制限イベントも多いのにほんとストレス

そうならない倒し方をすればいいのはまあそうだけど

使いやすい通常攻撃で倒すとそうなるんだよな

あと2にくらべていいのは視界が広くて移動速度はやいと

2はvitaHDバージョンしてるけど、視界がめっちゃ狭いし移動速度遅いしでめちゃくちゃストレスなんだよなー

単純移植にしてももうちょいどうにかしてほしかった

前世代機のPSPのほうが快適っでどうなのよと思ってしま

んーでも結局vitaPSPえみゅってせいか結構ゲームエラーで落ちるのがストレスかな

せっかくクリアしていい武器手に入れたのにオートセーブ動く前にエラって台無しになるのが数回あった

2017-09-22

anond:20170921234151

三匹の子ももっと工夫すれば

毛利元就の「三本の矢」を

シェイクスピア風の悲劇に改変したような

そんな秀作にできたと思う

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170902121203

正確には「気にする人もいるが気にしない人もいる」だと思う

完全にわだかまりは消えないし、そもそも人間同士だって本当に理解し合えているかも怪しい

から、「許す」という感情必要なのだと思う

(ただ、「許せ」と言っても、許さない人は許さないのもまた現実である

よって、技術革新によって諸々が満たされたり、教育が向上するのが重要、ということにもなる

 

例えば、安倍首相が今この時期に首相であり、その出身山口であり、山口長州藩だった、そして長州藩毛利元就を始祖とした、という流れにしても、単なる偶然だけでは片付けられないと思う

2017-04-21

戦国「そんな事実は無かったがなぜかドラマ定番選手権

毛利元就三本の矢

伊達政宗の眼帯

大名奥方たちの白い歯

徳川家康脱糞

松永久秀の茶釜爆発

ほかに何を選手入場させたらいいだろう?

2016-12-19

真田丸』ロスを噛みしめる

終わった。

終わってしまった。

この上なく終わってしまった。

毎週日曜日のお楽しみ。最初から最後までかじりついて見たのは『毛利元就』以来20年ぶり。いやー本当に面白かった。

だけど『真田丸』を見返そうとは思わない。ビデオ録ってないけど、録ってたとしても見返さないと思う。総集編も見ない。

なんつかこ物語は不可逆だと思うんだよね。

大坂の陣ってのは、戦国の終わりを告げる戦いだ。槍働き如何でいかようにも立身出世できた日本史上における最後の時を終わらせる、不可逆的な戦いだ。

関ヶ原で没落した連中が、夢よ今一度とばかりに大坂城へと篭って幕府抗うけど、時代はとうに転換していて、大坂方が勝つことは、泰平の世へと進んだ時代が許してくれない。戦国の亡霊たる大坂方が勝つということはまた戦国乱世の世に戻るということであって、それは許されることじゃない。連中は時代によって完膚なきまでに滅ぼされるべきなのだ

勝頼も、室賀も、氏政も、秀吉も、三成も、昌幸も、そして信繁も、時代の波に乗り切れなかった落伍者は、時代によって淘汰される。それは万物の理とでもいうべき不変の法則で、何人も逃れることはできない。

しかしながら敗れてなお名を残すことはできる。

死に様はどのように生きたかが決める。死したときその者の評価は定まる。

真田信繁人生ほとんどを歴史に埋没させながら生き、最後最後でひょっこり顔を出して歴史にその名を刻んだ。

それは信繁が成したことというより、戦国という時代の亡霊が、かくありたいと希い、信繁を依代として成したことと言えはしないだろうか。

戦場で華々しく死ぬこと。

天下人に向かって果敢に突撃し、その末に死ぬこと。

その馬印を倒し、日ノ本一の兵と讃えられるほどの奮戦の末に死ぬこと。

そのような死に様は日本史上において信繁を除いて絶無であり、みなが憧れるような最期だったからこそこぞってその戦いぶりと名を残そうとしたんじゃなかろうか。

そう感じてやまないのは、『真田丸』という物語が、時代に敗れていった者たちの生き方、そして死に様をいくつも積み重ねていったからだと思う。

真田丸』の信繁は決して完全無欠の勇将なんかじゃない。政治的センスに欠け、他者真正からぶつかることを避けて策を弄するような、敗れるべくして敗れるような凡庸さがあった。

から信繁が日ノ本一になれたのは彼の力というより、めぐり合わせ、言ってみればただの運だと思う。しかしそれは何千年という時の流れの中でようやく一回あるかないかというような奇跡

奇跡は眩しい。何度でも味わいたくなる。

でも、だからこそ消費し尽くさないで、たとえば夜空に一瞬またたいた流星をぐうぜん目にしたときのような鮮烈さを噛みしめるに留めるべきだと思う。

またいずれ真田信繁物語別に語られるとしても、『真田丸』は大坂の陣のような不可逆さとともに鮮烈な印象のまま留めるべきだと思う。

2016年という年号とともに『真田丸』は終わる。終わったままにしておく。

別れの時が来た。

ありがとう真田丸』。

さようなら真田丸』。

2015-11-16

官能小説家になりたいと彼女は言った。

ビデオインターネットも、エロが普及させたと言います

「そうだな」

「つまりそれだけエロには訴求力があるということです。特に男はエロに金を出す生き物なのです」

「なるほどな」

「だから私も女であることの強みを活かして、就職先としてエロ産業に参入して金を稼ぎまくりたいと思います

「そりゃいいな」

「かといってAV女優というのは心身共に大変な負担がある仕事だし今や競争率も高い厳しい世界だと聞きますので、官能小説を書いて作家としてチョロい感じでお金を稼ぎたいです」

「そんなに上手く行くのかなあ」

「早速書いてきたので読んでください。公募ガイド官能小説新人賞募集が載っていたので投稿するですよ」

「そうか」

 

世界の中心でア~っ! イイ~っ! と叫ぶ』

 

「なんかだいぶ古いネタを持ってきた上にめちゃくちゃ苦しい引っかけ方だな」

「中身を読んでください」

 

看護師のあけみは、会社員のよしおと付き合って3年になる。

そろそろ結婚しようかという話もしている。

そろそろ結婚しようかという話をしながら駅弁スタイルでズコバコやっていたらよしおが無理しすぎてぎっくり腰になった。

よしおがあけみの勤めている病院入院したので、

あけみが夜勤の時に病室でよしおと騎乗位でファックしていたら

医師のとしお先生盗撮していて、後から脅しをかけられた。

としお先生の診察室で昼夜を問わず立ちバックでガンガンガンガンつっこまれた結果としてよしおと別れてとしおと付き合うことになった。

としおはしか早漏だったので、「早漏とはやっとれんで候」と言ったら聴診器で首を絞められて殺されそうになったのでゼロ距離からの寸打で難を逃れた。

よしおとやり直そうと思ったが携帯が着拒されていたので

よしおの友達のかずおに連絡を取ったが、かずおの家に行ってこたつで対面して事情説明しているうちに

気がついたらかずおと対面座位でぬぷぬぷしていた。

もうこれでいいや、と思ってかずおと同棲して仕事も辞めて、家でナンクロやって日々過ごしていたら

ある日としお先生が家に凸してきた。

としお先生は弱点を克服するため、男根を3つに増やしていた。

曰く、1本1本が早漏であっても、3本あればローテーションしている間に回復するので永遠に果てることはない、山内一豊も3本の矢がどうとか言っていた、ということであった。

としお先生と異常な正常位でまぐわっているとよしおが現れとしお先生の頭をどつき、一撃で昏倒させた。

よしおは別人のようにガチムチになっており、おれはもう以前のおれではない、もはやどんな体位でも不可能ではない、と言うが早いが流れるようなセックス捌きで四十八手を切れ目なく繰り出した。

よしおはおれのことをビスケット・よしおりばと呼べといったがあけみはバキを読んでいないので意味がわからなかった。

そうこうしているうちにかずおが帰ってきたので、よしおりば対かずおという構図になったが、圧倒的なよしおりば有利と見られた対決はかずおが懐から持ち出したコルト・ガバメントでよしおりばの頭を吹っ飛ばす呆気ない決着となった。

しかしその一発の銃声が更なる抗争の幕開けとなることは知る由もなく、あけみとかずおは勝ち鬨ファック後背位でパンパンしていたのであった・・・

 

「うーん」

「どうですか」

「3本の矢は毛利元就じゃないかな」

「細かいことはいいんですよ」

「それよりそろそろセックスしようよ」

そう言って僕は部屋の照明を消した。

2015-11-04

リストカット痕が3本ある

これは毛利元就の云う3本の矢と同じで折れない心を表現してる

ギャハハ

2015-03-20

「同時期に生きていると思わなかった歴史上の人物2人」日本国内

「同時期に生きていると思わなかった歴史上の人物2人」海外の反応|暇は無味無臭の劇薬

一休宗純(1394-1481)と北条早雲(1456-1519)

雪舟(1420-1506)と毛利元就(1497-1571)

宇喜多秀家(1572-1655)と井原西鶴(1642-1693)

宮本武蔵(1584-1645)と松尾芭蕉(1644-1694)

十返舎一九(1765-1831)と大久保利通(1830-1878)

葛飾北斎(1760-1849)と伊藤博文(1841-1909)

2014-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20141117172058

かの毛利元就は「天下の主になると祈願してようやく中国地方が取れる。まして安芸一国を目標にしていたのでは安芸一国すら取れずに終わってしまう」と語ったという。

中国地方を取るためには、内心で「実際には難しいだろう」と思っていても、「天下の主になる」という建前を掲げなければいけないものだ。

仮に「コミケに客はいない」という建前がなければ島以下の同人サークルにも「お客様」が現れることは容易に想像がつくだろう。

2014-09-27

最強の戦国武将は誰?

最強の戦国武将は誰?(教えて!ウォッチャー) - goo ニュース

戦略的にではなく戦術的な最強であることを念頭に置く。

真田幸村

上杉謙信武田信玄はその実力を証明する大舞台にとうとう立てなかった。歴史に「たられば」はない。「もし謙信関ヶ原の戦いに参加していたら」「信玄大坂の陣で戦っていれば」そういった仮定は無意味だ。最強の力を持っていたのだとしても、発揮する機会がなければ、それは無いのと同じなのだ

それでは誰がその機会に恵まれたのか。やはり真田幸村をおいて他にないだろう。長きに渡る戦国時代の、最後にして最大の晴れ舞台において、最も活躍したのが幸村なのである。その一事はそれだけで彼を「最強」せしめるものであると考える。

大坂の陣においては毛利勝永を推す声もある。端的に言って幸村を疎むオタク逆張りしかないと思う。勝永の奮闘を否定するわけではないが活躍の度合いではやはり幸村が上だ。有名な「真田を云いて毛利を云わず」も幸村が一、勝永が二である前提での言であるし。

大坂の陣と並ぶ大舞台である関ヶ原の合戦において名声を高めたのは島津義弘であるが、こちらは敵中突破と言っても本陣を突くとみせかけて脇へ逃げたようなものであるし、大勢が決したあとで東軍も本気では追わなかったということもあるので、いくらか劣るように思われる。

真田信繁」という呼称に妙にこだわる連中がいるが、通りの良い「幸村」で何ら問題ないだろう。

以上により「最強の戦国武将」には真田幸村を推す。

以下、二位と三位を挙げる。

島津家久

先に島津義弘名前を出したが、島津ではやはり家久が群を抜いている。耳川・沖田畷・戸次川の三戦での活躍(耳川では総大将ではなかったが)は、河越・厳島桶狭間の三大合戦を一人でこなしたに等しい、と言っても過言ではない。結果的九州内に留まる活躍に終わったため次点とするが、一部隊を率いての戦いでは最強であったのだろう。

毛利元就

大内尼子といった大大名との戦いに明け暮れながらも自らが兵を率いれば不敗という戦勝率、小領主から身を興して中国地方を丸ごと次代に遺した領土拡張率は凄まじい。総合力での評価で言えば秀吉と並んで間違いなく最強の一角である。ただ、元就の強さはやはり戦術面にとどまらぬ謀略や政治的な部分が大きいわけであり、「戦術的な最強」という趣旨にはそぐわないために三位とする。

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