彼は自殺の数日前にiPhone6Plusを購入していたという。
この件についてネットやテレビでは「これから自殺する人がiPhoneを買い換えようとするだろうか」みたいな話が交わされていたけれど、彼が自殺したことと彼がiPhone6Plusを購入したことはなんら矛盾していないように思う。
死にたい気持ちの時は、その気持ちを一瞬でも紛らせるために逆に物欲が旺盛になったりもする。何かを買えば、この悲しい気持ちがもしかしたら少しは変わるんじゃないかと特に欲しいわけでもない物を買ってしまう時もある。
...大抵の場合は、物を買ったくらいじゃ気持ちや人生が好転したりはしないのだけれど。
買い物した後にそれに気付いて、より深い絶望を味わうことも多い。
それとは別に、死にたい気持ちと物欲とが全く関係なく少しの時間差で現れることだってある。昨日Amazonで注文した商品が届かないうちに、急に死にたい気持ちになることだって、普通にある。
「そんなんで」ってどんなん?
その願いは私の力を超えている
何時というのは書けませんが、少し先の話です。
21世紀初期にはSNSと呼ばれていた色々なサービスが、その後、統一されました。
今は、オンラインの書き込みは実名が義務付けられていますので、一昔前に、匿名で投稿できる日記サービスがあったと知って、驚きました。当時の人たちには、匿名ということにそれだけ需要があったのですね。
私は学校の課題で扱う題材を探していて、オンラインの匿名性について知り、とても面白いと思いました。
一番興味深いのは「釣り」という行為です。匿名性ならではの行為で、釣る人も釣られる人も、「釣り」を想定してコミュニケーションをとっています。暗黙の了解を前提としていて、高度な文化だと思いました。
匿名性のおかげで、私たちは過去のスペースに投稿することができます。
将来を変えてしまうような事件の予告や固有名詞を出さなければ、大抵のことは「釣り」として扱われるだけで済んでしまうからです。
未来からの投稿といって予言をしている人もいますが、信じられるものではありません。なぜならそれは禁則行為だからです。
未来からの予言という投稿のほとんどは嘘を書いて楽しんでいるか、fakeを混ぜています。
日本語は義務教育ですが、私に不足があるかもしれません。でもSNSの匿名性が面白いのは、やはり日本だと思いますので、日本語で書きたいと思います。
私は毎朝起きると、まずオンラインでニュースをチェックします。
ニュースにはGenuineのApplicationからコメントをつけることができますが、ここで私はThird PartyのApplicationを立ち上げます。
コメントを投稿しているユーザーは実名に紐付いたニックネームで表示されます。
ですが、その実名ユーザーの半分が実際には存在していないというのは有名な話です。
その企業が開発したAlgorithmにより、複数の仮想ユーザーを作り上げて、ニュース記事につくコメントを自動投稿しているというのです。
ConservativeからProgressive、FeminineからMasculine、LeftからRightと、思想のグラデーションによって仮想ユーザーを配置し、このユーザーならこう答えるという投稿の自動化をしているのだそうです。
それには、その企業が21世紀初期の匿名性時代に大量に投稿されたコメントを蓄積していたことが、大きな貢献となっているようです。
過去の匿名性ならではの過激なコメントや忌憚のない意見が、自由で人間くささを持ったコメントを投稿する仮想ユーザーを作り出したのです。
それは私たちのような実名ユーザーよりも、活発な議論を促します。
私はこのSNSのコメントを毎朝楽しみにしています。けれども、それがAlgorithmによる自動投稿だと知った時には、がっかりしました。
ちょうど、この時代の人たちが「釣り」と知っていて楽しめるように、今では私もそれなりに自動投稿されたコメントを楽しんでいます。
私たちは、そのSNSがコンピューターの作り出す議論ゲームに過ぎないことを知っています。
私は毎朝起きると、ニューストピックスを流し見しながら、気なる記事のコメントをチェックします。そうして仮想ユーザーのコメントに意見を返したりします。
私たち実名ユーザーはコンピューターの作り出した概念と議論を交わすのです。
それはとても楽しい体験です。ですが、生身の人間がニックネームの向こう側にいて議論しあっていた2010年代という時代を知って、信じられない気持ちになりました。2010年代の投稿には粗野なコメントも多いですが、無知には発想の自由があります。
次に私がアクセスする時に詳細な日時が指定できないため、この投稿の結果を確認することができません。
今日のことを知人に話すと「2010年代は1日あたりの投稿量がすごいから埋もれるよw」と笑われました。(草と呼ばれるこのslangも好きです。)
今日はすごい風が強い日だった。
風が強い日でもそうでない日でもいつも願ってるし、そのことで頭がいっぱいです。
一体いつになったら風が足元から真上に向かってスカートの裾を巻き込んで吹く世界になるんですかね。ずっといつも願ってるんでなんとか叶わないもんですかね。。
多数派のソリューションに乗ってさえいれば、これくらい無条件で自己肯定を振りかざすことができるんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20150106230505
「山あり谷あり」なんておよそ誰の人生でも同じ(だし、家族がいても山も谷もない平穏な人生の人もいる)わけだが、それを無邪気に「意味のある山谷」と「意味のない(または、より意味の少ない)山谷」に分けて、俺たちの側こそが意味のある山谷である、と声高に宣言してよい。社会はそれを無条件で肯定する。
「意味にとらわれずとも(家族のために)生きる俺」とか、自己肯定ツール・ノウハウは本当に膨大で多彩だ。選り取り見取り、好きな方法で自分を肯定することができる。そう、主流派ならね。
書いちゃうかな
私の趣味は エヘヘ
自宅だと見つかっても防犯用だと言い逃れできますよね
ま、見つかりっこないですけど
本人でさえわかりにくい
コード先は書斎に続いていて、その部屋はカギがないと開けられない
嬢が来たらスイッチオン!
デリヘル嬢はもちろんロングで予約
女子大生がメイン
本番は自然の流れ
いまとなってはわからないがどうなんだろう
カメラ目線でいい顔が撮れました
そのまま帰っていきました
万が一カメラが見つかっても書斎のカギなしでは証拠を押さえることができない
店長を呼んでも店長が自宅に入れば不法侵入として訴えることもできるし証拠も残る ま、玄関ロビーで入れないですけどね
防犯カメラの撮影は犯罪ではないし、自宅だから条例にも違反にならない
警察が来れば、未成年だと保護者の呼び出し それに警察沙汰だと所属大学への通知もある
見つかった場合はそのように説得して愛人契約する予定で、結局、ゼロでした
今回書いたのは子どもの教育でシンガポールに移住するのでその記念カキコ
マンションは東京に戻った時用にと思ったけど、思い切って売っちゃおうかと思う。
タッパ用意しろ。切り餅なら立てて並べろ、隙間とかはテキトーでいい。丸餅?知らん。ウチんとこは切り餅だからな。
詰め終わったら弁当に使うアルミカップとチューブワサビ用意しろ。アルミカップにチューブワサビ1本あけてタッパの隅っこに置いとけ。
んでタッパの蓋して冷凍。
これでいつでも食べられる環境にできるぜ!
それが何の上に乗っていて、何に支えられていたとしても、やっぱりそういうことのできる普通の人たちっていうのは、偉く、尊いですね・・・
俺/私は理性によって家族のいる幸福を享受している!なんていう人達も普通に脳内麻薬の作用が多分に効いている。
ああ、そういえば、普通の人は普通に恋愛して普通に結婚して普通に子供を生んで普通に子供を育てるんですね
そういう類のことをすっかり忘れてました
http://anond.hatelabo.jp/20150106222705
私も、ケツ毛は無いほうがアナルをじっくり鑑賞できるので好きです。
ただ、毛の生えている生のケツも見てみたいとも思います。でも、毛があるとやはり減点はまぬがれませんが…
ちなみに、これからアナルAV見ます。これだけが楽しみで生きてます。
でももっと大物だったらそれでも復帰出来ただろ。
距離の近さから、恋人に感じる時が多いんだけれど、彼の中にいる「理想の女性」との比較に疲れた。
例えば、
「お菓子?お菓子なんて料理じゃないでしょ、料理ができた方が絶対いいよ!料理の練習して!」
とか、
「前髪うるさいから切ったんだ~」といえば、
「そんな前髪おかしい!世間の女の人はケープで前髪固めてるでしょ?短く揃えるとか何考えてんの?」
という具合に。
その旨を彼に言うと、「君が世間の人ができてることができないのがいけないんだろ」と返される。
私も悪い所は直そうと思ってるけれど、こんな具合に自分の好きなこととかも否定されてくと
だんだん疲れてくる。
「本当は私のこと好きなの?頭の中の理想の女の子が好きなんじゃないの?」と思ってしまう。
でもそういうこと言うと、また彼氏のこと信じられないみたいになる。
最近はもう自分の話をするとこういう切り返しがくるのに疲れてしまって、あまり自分のことを話さなくなった。
それはそれでまた「無口な女は嫌われる!」と怒られる。
どうして比べてくるんだろう。その心理が理解できない。
彼のことは確かに好きだけど、それとは別のところで疲れている自分がいる。
男の人がこうなんだろうか。それとも彼だけだろうか。