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はてなキーワード: 接頭語とは

2024-11-21

anond:20241101212519

SI接頭語警察です。

SI接頭語は2つ以上重ねて使うことはできません。

ピコミリはそれぞれ10-12倍と10-3倍を表す接頭語なので、「ピコミリ」と重ねて使うのは接頭語ルールに反しています

10-15倍を用いたいのなら「フェムト」を用いるべきです。

2024-11-03

今のレベルの生成AIエロコンテンツに感動してる奴らってなんであの程度で満足できるんだろうな

本当に最初の一瞬だけだったよ。

「おっ、コイツ思ったより使えるかも知れないぞ」

そう感じられたのは。

実験サンプルを投入した直後に最低限の骨組みが出来た瞬間、そこでちょっと感動するんだよ。

「じゃあ次はもうちょっと良くすれば実用化出来るぞ」

そう思って試しても試しても全くクオリティが上がらないと分かると、一気に失望へと転じるわけ。

Pixivにクソほど乱立されているAI絵を見れば分かるんだが、テンプレを何も考えずに流用してるだけでそこに情緒がないんだよAI出力作品は。

繰り返す試行回数の果てに、そもそもクオリティを高めるということ自体がまともにできる仕組みでないことが段々分かってくる。

コイツらは、「何千枚出力させても一枚のグラビア写真ベースに作られ続けたアイコラしか出してこない自称天才アイコラ職人エロ中学生」程度の存在しかなかったわけだ。

クオリティはそこまで気にしないシチュエーションでなら、生成AIは本当に素晴らしい。

取引先に送る手紙の文面とか、職場の5分間スピーチ原稿とか、エクセルマクロの叩き台、そういうどうでもいいものを作る分には。

だがある程度の品質、その中でも「熱量」を感じ取りたいコンテンツで役に立つことは稀だ。

内容に奥行きが全くないかである

Pixivほとんど全く同じ絵をキャラクターや顔の角度だけ変えて凄い勢いで投稿している有名人荒らしと呼ぶ人もいるが、個性的な利用方法範疇に収まると私は思っている)がいるが、アレと同じことしかAIはしてくれない。

そんなことはないと思うなら、AIのべりすとにでも頼んで

「このキャラとこのキャラセックスさせて欲しい」

と言ってみるがいい。

それからキャラクターを変えて同じシチュエーションをさせてみよう。

最初の2回ぐらいはちゃん文章が変わるかな?

試行回数を10回ぐらいまで増やせば、奴らの表現の引き出しの狭さ、使いまわしの多さが分かってくるだろう。

高校生同士のセックスだろうが、親子のセックスだろうが、OL上司不倫だろうが、どれも大きな差はない。

セックスというものが元々その程度だと思うなら、君は実に幸せものだ。

是非とも生成AIを楽しんで欲しい。

俺は満足できない。

満足できない俺が必死になって「こういった表現を使ってください」と指定を出すと今度はそればかりを繰り返す。

「がんばれ❤がんばれ❤と応援する表現を入れてください」

なんて頼んだ日には3行おきにがんばれ❤がんばれ❤を接頭語にした応援を雑に入れてくるだけだし、途中からその文面が全くのコピペに変わってくる。

生成AIは途中から循環参照を始める悪癖があり、下手に要素を指定するとある種の自家中毒にさえ陥って自己崩壊を始めるのだ。

これでは指定要求なんてまともに出来ない。

こちらが

「同じ表現を何度も使うのは辞めてくださいね

と頼んでも

了解です」

と答えるだけで奴らは何も理解しないまま同じ失敗を繰り返す。

そもそも、生成AIの最大の問題点シチュエーションの奥にある情緒をきちんと汲み取らないことにある。

汲み取っていないから似たような何かを雑にコピペするし、範囲を絞ると全く同じ表現の繰り返しばかりになるのだ。

絵や文章というのは単に事実をそのまま書く以外で終わらないはずなのに。

ゲルニカの絵は一目みた途端に壊滅的なイメージを抱かせる。

それはその絵全体が描き方の雰囲気によってそれを表現しているからだ。

生成AIはそれが出来ないんだよ。

貧乏人の男が「今日貧乏飯だ」と思いながらすするカップラーメンと、

ジャンクフード好きの子供が「今日カップ麺だぜ!」と興奮して食べるカップラーメン

そのどちらも同じ銘柄だったとしてもその絵で表現すべき空気は全く違うよな?

でも生成AI

「目の光らせ方だけ変えればその程度の差は表現できると思うロボ。違いは心ロボ。心、分かるロボ。燃える友情、君と一緒に悪を撃つ、だロボ」

ぐらいにしか理解できないんだよ。

致命的だ。

こんなにも情緒ド安定の空虚モードでは勢い任せに筆を滑らせた情熱あふれるエロコンテンツになどなり得ない。

それでは駄目なのだよ。

それでもいいと思ってる人がいること、それが俺は不思議ですらある。

単にまだ気づいてないだけなんだろうか?

生成AIの生み出す作品が如何にこちらの意図を汲み取ってくれないのかという失望を。

別にそれでも構わないと思っているんだろうか。

安くて量が多ければ質なんてどうでもいいって人は確かにいるんだろうな。

特定キャラクター特定シチュ自体が希少だから何でもいいから数があればいいって人もいるのかな?

でもやっぱ違うんだよな。

「こういうキャラクターでこういうことをさせようとするような性癖の人が描いた作品」だから良かったのであって、その性癖理解もしてないやつが表面上だけを真似たものを作ってもそれは別物になるんだよ。

まりさ、何も知らずに服だけ着てるコスプレイヤーと、原作ちゃんと読んでポーズや表情意識してるコスプレイヤーの違いみたいなもんよ。

かに前者(何も知らずに布面積が少なくて色相現実離れした服を着させられているというシチュに興奮)に需要がないわけじゃないんだろうけど、それはもうそういう特殊需要だろ?

求めているのが後者の「何をやっているのかを理解したうえでやっている」だったのなら、生成AIがそれを満たしてくれることはほぼほぼないと言えるね。

2024-08-24

バズったら宣伝かいう糞文化マスゴミ

とにかくバズれば何でもよく、そのあとリプで宣伝つければマーケティングできます

みたいな糞ツイきらい

嘘松丸出しのスカッジャパンみたいな話とか、どう考えも話盛りまくり対立構造煽りまくり話とかでバズらせて宣伝するのが横行しまくり

しかマスゴミが極めて少数の尖った人間しかやらない対立構造ネタに関するツイートを「これが国民の声だ」と言わんばかりに報道する

なんだよこのコンボ

自分たちの言いたいことに準じたツイみつけて「Xではこんな意見も」とか接頭語につければあら不思議

まるで国民の大半が同じ意見かのような論調ニュースに早変わりー

ホンマクソ

2024-07-25

anond:20240724141703

過去の出来後を再評価しても、あった事は変わらんのよ

当時は認められていたとか当時は合法だったとか当時は迎合される風潮だったとか当時はみんなやってたとか

歴史の話は歴史の授業でやってればいいだけ

あの話のなにが問題かって事例として昔の話をもってきた事が「今もそのままの自分でいるので変わらない」って事が問題なわけ

記録として忘れちゃいかんのは別にいいけど、それを思い出して今でも通じると思って「当時は」って接頭語につけただけで再演することが問題なわけ

昔はうんこが貴重品だったんだよ 貴重な資源価値が高かったし売り買いされて高値取引されてた

そういう時代もあったんだよ

その時代は何食べてたからとかどういう状況だったからとかそういうのは授業でやればいいだけ

あなたが壁にうんこを塗り付けたのはかつて建材として使われた過去文化はそういう価値観があったとか当時の文化では」とか関係ないのって話なの

昔に卑劣外道を極めた壮絶ないじめしました、って告白だけならそういう歴史の語りと同じ 「それを現代社会でも使えるネタって思った」事が問題なの

やったことは消えないし当時の価値観は当時にしかいから今なにを言っても無駄だし意味もない 当時の罪を今償えというのも今現在罰が必要でなければ言われない

武勇伝を語る事でいまの世の中にその当時の価値観を引っ張り出してきたのよ うんこで言えば壁に塗りたくったわけ

言葉で言うのはなにも物理的に残らないから、実際には壁にうんこを塗る事とは全然違うって思うだろうけど職場でねちねち嫌味を言われて死ぬ人がでたら「物証はないので」で済ますわけないじゃん

引っ張り出してきた事についてと、その出したものについてのどちらかまたは両方に「現在価値観」をぶち込めばたぶん話は終わってる

今の自分は「壁にうんこをぬったりしません」って言われたら安心でしょ それだけの話

時代とか、世代とか、当時の空気感とか、そういう文化がどうのこうので、それは今はよくないけど、そういう事はありました」って言い訳したところで「もうしません」を言わない理由はなんなの

「かつてうんこは貴重品でした 壁にぬったりした文化もあったようです」って話をして「自分が今塗ったわけじゃないんですが、記者勝手に塗ったってことに仕立て上げたんです」って言われたら 原因と問題と、なにが必要かを完全にどれも一切わかってないことが明白だよね

記者が捻じ曲げたとか、そんなことはなかったとか、もともとそんなことがなかったわけだから僕は善良なままでこれからも善良ですみたいな顔してさ

悪い事を悪いとか悪かったとか認められずに、実は悪くはなかったからと言い訳ばかりする奴が「これから壁にうんこを塗ったりしないのか」と認められないし安心できないわけ

もうしませんの実態効果はしないことの連続しかできないから、それを言葉で時点に刻む形で自分いじめかいじめた相手とか、そういう事全体についての考え方とか示すアピール方法ってあるわけじゃん

物理的に寄付をするとか行動するとかもあるわけで、うじうじ過去が実はとか本当はとか裏ではとか真実はとか言い訳してなんとか都合のいい方向に誤解をされないかなーって期待したりしてるうちは安心できないよ

2024-06-28

anond:20240627182753

デシとかい10^3nに従わない接頭語嫌いすぎて語感からもう無理

2024-05-18

anond:20240518121239

そういうのSI接頭語って言うんだ。

口頭だとたまに医者でも「ミリグラム」を「ミリ」って言う人いるよね(薬の用量について)。

カルテとか文章ではもちろんそんな表現はしないんだけど。

2024-05-11

もう都道府県名前呼び捨てにするのはやめましょう

ちゃん接頭語をつけて丁寧語しましょうね

「お奈良県」とかさ

2024-04-25

anond:20240425134334

https://kotobank.jp/word/%E5%8F%96%E6%80%A5-2068290

精選版 日本国語大辞典

とり‐いそ・ぐ【取急】

〘他ガ五(四)〙 (「とり」は接頭語) たいへんに急いでする。〔文明本節用集(室町中)〕

浮世草子好色一代男(1682)五「ほどなく祝儀を取急(イソ)ぎ」

とり‐いそぎ【取急】

〘副〙 たいへんに急いでいるさまを表わす語。主に手紙などで用いられる。

社会百面相(1902)〈内田魯庵虚業家尺牘数則「先は当用まで取急ぎ草々」

2024-03-17

1000000000000000000000TB = 1×10^33 バイト ≒ 2^109.6 バイト

SI接頭語も2進接頭辞もなかった すまん

2023-08-20

anond:20230820012522

彼らはごく自然に使いすぎていて、もはや体臭といえるほど沁みついているんだよな

自分ではそのうさん臭さに気づいていないらしいが外部からは「またか」ってわかる

内容の良し悪し以前に同じ接頭語から入る人間最初から排除されているってのわからないだろうな

2023-06-12

バカってすぐ日本の云々って接頭語つけたがるけどやっぱりバカなの?

2023-02-15

はてブで考えを披露する人が多すぎる問題

「俺が考えるには」という接頭語を抜かして持論開陳を行う奴が多すぎる。

俺がこう思うから河野大臣の答弁は的を射てるとかな!

ブックマーク機能が100文字制限のせいで、省略する人が後を絶たないのだと思われるので、ブックマーク文字数は撤回したほうが良い。

2023-02-09

anond:20230209122553

exギリシャ語の「外の〜」を意味する接頭語exo-に由来していて、英語では外と繋がりのある単語や超越した〜みたいな単語によく出てきます

2022-11-11

anond:20221111223234

知らんけどの精神適当な予想書くと、

多分勢いをつける接頭語的なので強調を加えてるのでは

 

全部動きがイメージできる語感のものばかり

日本語不思議

ぶっ刺すの"ぶっ"

すっ転ぶの"すっ"

ぶん殴るの"ぶん"

「刺す」「転ぶ」「殴る」だけでも十分意味は通じるが、あえてこのような接頭語(?)をつけることにはどのような意味語源があるのだろうか。

まり語感のいい言葉ではない(野蛮に聞こえる)から、滅多に使う言葉ではないけれど。

2022-11-07

虹(ニジ)と、ヘビと、ウナギの話

 この文を書いている今日、所用で外出した先で雨に遭い、それが止むのを夕方まで待ち、さて自転車で自宅に帰ろうとした道すがら、空に虹(にじ)を見た。

 今日の外出先から自宅へと向かおうとすると、ちょうど西から東へ進行する形になる。東の空へと流れ去る黒い雨雲を背景に、色の濃く鮮やかなもの、色が淡いもの、二本の虹が綺麗な弧を描いていた。

 その時、私が通行していた自転車道兼遊歩道には、他に散歩ランニングをしている人たちもいたのだが、彼らも私と同じように、虹に見とれたり、スマホ画像を撮ったりしていた。中には「二本の虹なんか初めて見た!」と驚いている人たちも少なからず見られた。虹が二本出ることを知らない人もいるのかと、むしろそれに私は驚いたのだが、のんびりと空を見上げる余裕を持つことがあまり許されない現代人には、仕方が無いことなのかもしれない。綺麗な虹を見たという新鮮な感動が機会となって、彼らが空の気象天体に関心を持ってくれたら嬉しい。

 ところで、二本の虹が出ることを知らないということは、おそらく彼らは二本の虹の名前も知らないのであろう。しかし、虹が二本出ることを知っている人でも、案外その名まで知っている方は少数派ではなかろうか。こんなことを言うと「虹は虹でしょ?区別とかあるの?」と思われるかもしれないが、漢字による呼称区別がある。

 漢字の原型は、殷代の甲骨文字に見ることができるが、その中には既に、虹を表した象形文字を見出すことができる。それは、弓形の弧を描く二本線で描かれており、弧線の両端には口を開いて下を向く頭を持ち、しかも角らしき突起まで見られる。

 甲骨文字占いに関する記録を遺したものであることから卜辞(ボクジ)とも呼ばれ、古くから中国人自身による研究が行われていた。その一つに郭沫若(かく・まつじゃく)の著した『卜辞通纂考釈』があるが、この中で「一つ出た虹を『虹(コウ)』、二つ出た虹を『霓(ゲイ)』と称したものであろう」という説が述べられている。ただし、現在漢和辞典を引けば、『虹(コウ)』が雄で『霓(ゲイ)』が雌とも記されていて、郭沫若の説とはやや異なる。二本の虹の濃い方を『虹』、淡い方を『霓』として雌雄ペアと見るのが後代の見方である。いずれにしても、卜占の亀甲や肩甲骨に刻まれるような神秘的・神話存在として、虹・霓は古代中国人の心を捉えていた。

 残念ながら、私のデバイス文字変換では『霓』の文字しか出てこないのだが、本来は『虫』偏に『兒』旁で、ちゃんと『虹』とペアになるのに相応しい形をした文字である。それが現在、雨冠の字形が主流となっているのは、科学的な物の見方をするようになった近・現代人が、この漢字には神話的・呪術的な役割ではなく、気象用語という科学的な役割を担わせるようになったことの反映であろう。

 虫偏の字であることからも判るとおり『虹(コウ)・霓(ゲイ)』のことを、昔の人々は、広い意味での『蟲(むし)』の類いと考え、すなわち「ヘビ」の一つと見做していた。これは日本でも同じことで、マムシやフクムシなど「ムシ」呼び名がヘビには用いられている。『フクムシ(福虫)』というのは、これは穀倉を荒らすネズミなどの害獣を捕食してくれる益獣だからである。『マムシ(真虫)』の真(ま)は、オオカミに冠した神名大口真神(おほくちのまかみ)』における真(ま)と同じく、強く猛々しい神の名を軽々しく直接的に呼ばないようにするための、一種忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 『虹(コウ)・霓(ゲイ)』は、両端に頭を持つ怪蛇であるから「それではヘビじゃなくて、むしろ龍とかの仲間ではないか」と言われるであろう。しかし、昔の人々にとっては、家屋の周辺や田畑などで身近に見かける普通のヘビですら、神秘的な存在だったのである。昔の人々にとって、龍(りゅう)/蛟(みずち)etc.普通のヘビとの間の境界は、我々現代人が考えるよりも遥かに曖昧であったと言ってもいい。足を持たない、もしくは四脚が有っても小さくて目立たない、細長いクネクネとした身体動物のことを、一纏めの仲間として昔の人々は捉えていたと考えられる。このことを少し頭の片隅に置いてから、以下を読み進めてもらいたい。

 「それにしても、虹がヘビだなんて、昔の中国の人たちは面白いことを考えていたものだなあ」と思われるかもしれない。しかし、実は「虹(にじ)=天の蛇」という考え方は、近代化する以前の社会では、地球レベルで広く見られた/見られるものである。そして、それは日本例外ではない。そもそも日本語の名称『ニジ』そのものが『ヘビ』を意味していたとも考えられている。

 日本における「『天の蛇』としての虹」の話に関しては、ロシア人言語学者ニコライ・ネフスキーによる有名な研究をはじめとして、多数の調査研究が為されている。それらから、思いつくままに事例を紹介していこう。

 例えば、琉球諸島宮古島では虹を『ティンパウ』と呼んでいたが、『ティン』は「天」、『パウ』は「ハブ」のことである。『ハブ』は『ヘビ/ヘミ』系統の語である大蛇を表す『ウワバミ』の語に含まれる『バミ』もまた『ヘビ/ヘミ』の転訛であると考えられる。『ウワ(上)』はマ(真)カミの真と同じく、忌み名としての尊敬接頭語であろう。

 宮古島の北にある池間島には、若返りの水についての昔話が伝えられている。欠けて新月となり姿を消し、再び満ちて姿を現すことを繰り返す月。脱皮して不老不死を保つ(かのように信じられていた)蛇。若水とは、神話では月や蛇と結び付けられて語られる、不老不死象徴である。月と水が結び付けられるのは、潮の干満との連想であろうか。

 太古の昔、人間はスデ水(若返りの水)を浴びて脱皮することで、不老不死を保っていた。ある時、天の太陽神が、セッカ(ヒタキ科の鳥類)に命じて、スデ水を月から地上へと運ばせていた。ところが、途中で『アウナズ(虹)』が、スデ水を奪って捨ててしまった(あるいは、スデ水を横取りして使い、脱皮するようになった)。このため、太陽神月神の怒りを買ったアウナズは、それ以来、太陽の反対側に出るようになったという。

 若水物語に登場する『アウナズ』という語は、琉球諸島地域におけるアオヘビ類を指して言う『アウナジ/オーノジ』系統の語と明らかに同じものである。他に、八重山群島竹富島でも『オーナーヂィ』と言うとされる。つまり『天の虹』と『地上の蛇』を、同じ名前で呼んでいたのである

 少し変わったものでは、小浜島では虹を『チネー・ミマンチィ』と呼んでいたというが、これは『ティン・ヌ・ミミジィ(天の蚯蚓[ミミズ])』の意であるという。細長くてクネクネした動物を昔の人々は一纏めに捉えていたという話を、今一度、思い出してもらいたい。

 新城島では、虹を『アミ・ファイ・ムヌ(雨を食うモノ)』と呼ぶ。雨が降りそうで本格的には降らない俄か雨で終わる状況を「虹が雨を食った」と言うからだそうである与那国島には『アミ・ヌミャー(雨を飲むモノ)』という呼び名もある。

 虹が喉の渇きを潤すために雨や地上の水を飲みに現れる、或いは、虹が喉の渇きを潤すために雨を呼び起こすという信仰もまた、広く見られるものである

 長野県では、龍が天から水を飲みに降りてきた姿が虹とされ、また、同県更科では「虹は『ジャ(蛇)』の吹く気である」と信じられていた。山梨県西部でも「『ノジ』は蛇の息」とされた。秋田県平鹿では「『ノギ』は吹いた」と表現した。大分県でも、虹が出ると「『ジャ(蛇)』が吹いた」と言われていた。水神としての蛇神が棲むとされた湖沼から天の蛇としての虹が出現して、雨を呼び起こすという話も広く分布していることが認められる。このことからネフスキー湖沼支配神を指す『主(ヌシ)』も『ニジ』と同一起源ではないかと考えたようであるが、それは流石に後代の研究から否定されたようであるしかし、湖沼の主といえば大抵は龍蛇なので、語源論としてはともかく、ヌシと虹を結びつけるネフスキー見方は意外に悪くないと思える。

 ネフスキーと同じ頃の時代宮良当壮という研究者は、虹とヘビ類の方言呼称分析して「『ニジ』はヘビを意味する語から分化した」ということを立証しようと試みた。ニジの呼び名には『ノジ/ネジ/ヌジ/ヌギetc.』がある。既に上でも紹介したが、琉球諸島地域におけるアオヘビ類の呼び名が「アヲ+(語根)」の形をとっており、その語根部分の変化が『ノジ/ナジ/ナギetc.』となっていて、極めて似ている。そこから、宮良は「『ナギ』が『ウナギ(鰻)』を含めた『ヘビ型動物』の総称であり、そこから『ニジ/ヌギ』などの語が派生分化していった」と考えたのである。細長いクネクネした動物を一纏めに捉えていたという話を、再度、思い出していただけたであろうか。

 この宮良説の傍証としては、例えば秋田県ではアオダイショウのことを『アヲノジ/アヲノズ』と呼び、『ノジ/ノズ』は同地域における虹の呼称共通しているなどといった事例が幾つも見られるので、宮良説はあり得ると個人的には思っている。大蛇を指す『オロチ』という語も、尊敬の『接頭語オ(御)+ロチ(ノジ系統語の転訛)』と考えられる。

 とはいえ現代人の感覚から見れば、特に生物学動物分類学知識を通じて見れば、ヘビとウナギ同類視するという考え方は、なかなか受け入れ難いものと思われるかもしれない。しかし、以下の話を読まれたならば、どうだろうか。

 昔の日本人は、雷神に対して信仰を抱いていた。特に農民は、落雷に対する特別信仰を抱いていた。例えば、岐阜県美濃地方では、稲田落雷があれば、その場所注連縄を張って神聖視・聖別した。何故このように稲田への落雷特別視したのか。それは『稲妻(イナヅマ)』という単語に端的に表されている。イナヅマとは「稲の配偶者」であり、昔の日本農民たちは、雷神を「稲田神を孕ませる夫(ツマ)」と見做したのである。これは、落雷のジグザグ線が蛇神の顕現と見做されたこと、そして、蛇体が男性器の象徴と考えられていたこととも関係しているのであろう。落雷は豊作の予兆であった。

 東北地方には、落雷のあった稲田神聖視する風習存在した。例えば、岩手県では、落雷のあった稲田を「お田の神の田」と呼んだり、女性家畜を入れないようにしたり、雷神と刻んだ石を建てて祀るなどした。

 この岩手県をはじめ、東北地方には「ウンナン田」と称する水田の事例が見られ、これは「落雷のあった水田」であり、しかも「鰻(ウナギ)の姿が見られる水田」のことであるとされる。ウナギが住める水田は、水温が比較的高く、良い水田だと考えたからともされる。落雷後の水田ウナギを目撃したことで、農民たちは「雷神水田に棲み着いて、良い水田に変化した」と考えたのであろう。しかし、それだけではあるまい。

 今では、落雷が豊作の予兆であるという考え方は、単なる非科学的な迷信ではなく、それなりの自然科学的な根拠があったと知られている。農作物の稲だけに限らず、植物の生長には、窒素肥料成分が不可欠である大気中には気体の窒素が大量に存在するものの、それらは化学的に安定な窒素分子状態存在しているため、そのままで植物栄養素として利用できない。ハーバーボッシュ法による大気中の窒素を人工的に固定する方法確立し、窒素肥料大量生産が実現するまでは、大気中の気体窒素を、植物栄養素として利用できる窒素化合物の形に化学変化させることができたのは、マメ科植物の根に共生している根粒菌を除けば、雷による空中放電だけであった。おそらく、落雷が起きた水田の周辺では、雷の電気により生じた窒素酸化物の影響で、稲の発育が良かったのだと想像される。それを見た農民たちが、経験知として「落雷=豊作の徴」と語り伝えたものが、ウンナン田なのであろう。

 最後になるが、もしも『ナギ系統の語がヘビ型動物を指すという説が真実であるとすれば、そこからどうしても思い浮かべてしまうのが、インドから東南アジア地域に広く分布する蛇神『ナーガNaga』の存在である果たして、ヘビの古い呼称の一つである『ナガムシ(長い蟲)』の『ナガ』は『ナーガ』と関係があるのか。水の中にいる長くクネクネしたヘビのような身体をした動物ウナギは、もしかしたら『オ(御)+ナーガからその名が付けられたのか。

 妄想は尽きない。

【参考文献】小島瓔禮・編著『蛇の宇宙誌』(東京美術)

 今回の内容は、この本の受け売りである。とても面白い名著なので、是非、図書館などで一読することをおすすめしておく。

栗花落カナヲと蛇の話⇒anond:20221108215545

2022-10-01

(元)親友の書いた短編小説を読んでしまった。

 (元)親友とは、もう十年以上さして交流がない。ちなみに親友接頭語に「(元)」を着けたのは、単に中学卒業して別々の高校に進学して以降、会う機会が数回しかなかった上に、(元)親友がいつの間にか数多の友達を持つ交遊関係のやたら広い奴になっていたかである。きっと、ぼくの事なんかミリも覚えていないと思う…………そう、それって単なる被害妄想

 中学の頃はヤバいくらいにべったりくっついて離れないくらいの勢いで互いに「親友」と称していたぼくらだが、現在の接点はというとTwitterのほぼ死んでるアカウントと実況アカウントとで相互フォローになっているくらいのものだ。

 (元)親友はぼくの知らないオンラインゲームの戦況をひたすらツイートしている。ぼくはアカウント放置し、他にいくつか所有する趣味垢で呟くのに忙しい。

 ぼくは趣味小説を書く。ただし投稿サイト粛々と投稿し続けるだけで、本を出したりはしない。(元)親友もどうやら小説書きであるらしい。二次創作小説を書きイベント頒布しているようなのだが、具体的にどんな活動ぶりなのかを聞けば言葉を濁すばかりなので、よくわからない。

 (元)親友にはぼくの知らない顔がある……時点で、すでに親友とは呼べないのではないか? という悲しい思いがなくもない。

 ちなみに、(元)親友はといえば、ぼくのTwitter放置垢だけでなく趣味垢も知っているから、その気になればぼくの書いた作品を読み放題だ。だが、(元)親友がぼくの書いたものに何かしらの反応を寄越したことは一度もないので、ちょっと読んでドン引きたか、あるいはそもそも社交辞令アカウントを聞いて繋がってみただけなのかもしれないな。なんていう非対称性もりもりで実のない関係性というか、関係の断絶なのだろうか。書いててちょっと涙が出てきた。

 もはや「謎の元親友のような者」と呼んだ方がいいような気のする彼女ツイ垢を、昨日なんとなく久しぶりに覗いてみたところ、プロフィールにぷらいべったーへのリンクが貼ってあるではないか。ぼくはドキドキしながらそのリンククリックした。

 中身はやはり何らかの二次創作であるようだ。いわゆるブロマンス。男同士の熱くて強固な関係性を描いたもの。色気とエロは一切書かれていないところが君らしいな、と思ったそばから、それはぼくが彼女に潔癖を求めているからそんな風に思っただけのことだと考えた。

 へぇゴリゴリ理系国語は得意じゃないと昔は言っていたのに、小説ちゃんと書けるんだな。うん、ぼくほどではないと思うけど、上手いと思う。

 だが軽い衝撃を覚えたのが、それらの短編小説達が一体何の二次創作なのか、さっぱりわからない事だった。登場人物名前すら出て来ない。名前が入って然るべき部分は全て一人称二人称三人称があてられていた。君ってやつは、どこまでも秘密主義なんだな。

 ふと、短編いいね! とブクマをしてやろうかと魔が差したが、そんな事をしたらいよいよぼくらの関係性は断ち切られてしまいそうな気がして、ぼくはそっとブラウザを閉じた。

2022-09-13

いけ好かない」の「いけ」って何?

マジわかんねーな。

辞書はいけは接頭語で「好ましくない意味の語に付いて、いっそう卑しめ、さげすむ意を表す。」らしいけどなんでそれが「いけ」なのかわかんねーわ。

あと現代になって「イケてる」のイケと若干被る領域が出てきている気がしていて

たとえばイケてるのが気に食わない。イケメン嫉妬!みたいな意味が新たに付与される気配がする。

まあもっと意味わかんねーのは「いけしゃあしゃあ」のシャア意味だけどな。

2022-08-28

ご飯が、おんめしとか、ぎょはんにならない

ご飯はもともと、メシ(飯)と言った

古墳時代あたりに呉音(ごおん)がやってきて御飯(ごふぁん→ごはん)という言葉ができ、ついでに、オココロ・オンココロ(御心)など訓読みの接頭語も「御」になる

→平安に漢音習得が推奨されたが、御飯(ぎょはん)、御心(ぎょしん)にはならなかった

吾妻鏡の「御意」(ぎょい)、明治の「御名御璽」(ぎょめいぎょじ)、「制御」(せいぎょ)あたりでは漢音になってる

とはいえ今でも御社(オンしゃ)を(ぎょしゃ)とか(オンヤシロ)とは言わない

 

呉は宋と合併消滅したのに、呉音読みがまだまだ残ってるのはどういうこと

2022-08-26

anond:20220826161249

comという接頭語は「共に」とかそういう意味やで

お互いが約束を交わすのが妥協ってことやで

2022-08-21

髪切りにいったんだけど

バリカンって変な響きだわ

サイドはばりかんで刈り上げちゃってよい?

あ、はい。お願いします。

刈り上げる道具としてのネーミングセンス

なんかバリカンって感じ、バリバリ刈っちゃう

刈り上げちゃうけどよいのか?普通はハサミでチョキチョキするぐらいだけど。

そこを刈っちゃって良い?この俺様の持つバリカンで!

的な有無を言わせない感が

この濁音で始まって軽やかに終わる言葉の響きに凝縮されている気がする。

バリカンなのか

有識者に聞けば、バ-リカン かもしれない。

バは接頭語リカンを否定する意味とか

ヘリコ-プターみたいな

兎にも角にもですが

現状、頭部のサイドはショリショリしていている

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