はてなキーワード: 創造主とは
私はこの世界を作りこの世界の法を敷いている創造主のことを信仰していないのだなと気づいた。創造主はただの創造をした人であり、それだけの特に担ぎ上げるような、何か頼りになる人間ではないのだ。
私がこのようなことを言うのは、私が中学生の時に負ったトラウマ故である。私は時の巡り合わせで治安の悪い学校で嫌な思いをし続けた。それで自分はそこで真面目な生徒としてやって来た(まあ怖い先生がいたのもあるが)けども「悪魔」は私の心をすり減らした。そして一時自傷行為に走った。
学校を卒業した後もトラウマは残り、他人への不信感なども残った。そしてそのトラウマを逆撫でするような理不尽なことも少なからずあった。そして、それに対し現実を受け止めろといった人もいた。
私はその度に法を敷いた想像主を憎んだ。想像主は最初から私の運命を予定されて、辛く惨めに恥をさらして生きることを天下世界に公約したのだと。私はその創造主を殺したいと思ったし、その殺意は自分を合理主義や快楽主義に走らせた。創造主すなわち神は石ころのようなレゾンデートルと同じく本当に絶命しろと呪った。
しかし不思議と私は神社にお参りすることは続けたし宗教は否定しなかった。単なる世俗的行事とか、精神的行為として考えてたのだろうが、不思議とそれが私の創造主殺しと矛盾すると考えなかったのだ。
とはいえ結局これが私の心のなかで完結している、人に説明できない事象としてあり続けるのも違和感はあった。そしてその違和感に答え違和感を解消したのは遠藤周作の本であった。自分の心の中の「妄想」を語ってくれて名誉回復をしてくれた気分であった。「海と毒薬」「沈黙」では信者の信仰上の苦悩や矛盾を唾棄する世界の法やそれに対するキリストの愛を語った。「イエスの証人」では、卑怯な世界の法を変えられずとも、広く深い満ち溢れる愛を振りまいてきたキリストの姿を描いた。そして、「深い河」では何者をも包摂する存在が残酷な法理の世界にもあることを示してくれた。
私はそれらを読んで、私が創造主を憎んでからも、心の縁としていたもの=神の正体を知り安心した。
今はコロナ禍という創造主がずけずけとでしゃばり図々しく存在を示すことが出来て下品な笑いを上げている時である。私にとってはさもありなんと思うが、私は自分を支えるものを知っているし信じている。それは私を今日まで勇気づけてくれたものである。私はそれを神と呼び、自分が生きたいと望むときに神は現れる。
あまり男性が女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的に早熟な少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャーの知的で論理的に自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。
さておき、これは近親相姦のお話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉を弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。
頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かない。モテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞき込まれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉で現実に適応しようとした姿なのかもしれないのだ。
それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的な活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉で言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。
あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワン・カラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまうタイプのキャラクターが好きだ。
死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌が醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿を馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人がヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通やフェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。
それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気の山脈にて」も愛好している。
架空の神話がショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品は基本的に短く、しょうもないオチの作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空の世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精の魔法も見せてくれる。
「あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画「メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムがテーマの作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。
表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙のお話なのだけれども、そのロボットは自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間のサイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。
学生時代、自分は女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎の作品も同様の理由で好きだ。
自分を馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。
「ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカの植民地で暮らす女性の視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。
個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカを前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地の支配者側からの視点は批判的に読まなければならないが、色眼鏡の比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。
植民地時代のアフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くからの貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人が満州や朝鮮半島、台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ。
はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。
確かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大な小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代の小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。
「李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰の文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。
これは「三造もの」と呼ばれる中島敦の私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明の無意味さに対する形而上学的な恐れや不安が意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後の説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年・文学少女たちは、その言葉を無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。
膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフの作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分の初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。
しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的に搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバートの夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータの内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。
ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手な男性の心理の解剖である。
「ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供の挫折を描いた小説であり、この社会が弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近な話題から告発した話なのだ。自分がした屁の責任をかぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢そのものじゃなかろうか。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html
遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールドの未来を舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学や陰謀論と社会の関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。
仁木稔の作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学や物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台もラテンアメリカで日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品は中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズの最新刊が出ないか、今か今かと待っている。
明治十一年の日本の都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信を批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治の日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。
著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異のイメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識を内包した、強固な偏見に根差したものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。
とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なものを嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦の描写に優れる。
妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。
姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分の人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。
韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。
サウナ行ってみりゃいいじゃん。ソープ行けばいいじゃん。筋トレすればいいじゃん。一時的な快楽を断続的につなげてみろよ。
(つーか、殺を伏字にすんじゃねーよ。使うのが怖いんだったら別の表現考えろ!文才あるのにもったいねーぞお前!)
なんで「生きる事そのものが悪であり不幸だと思っていることや「人生を修正するモチベも体力もない」ことに抗うことを止めたんだよ!
ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というものを社会が行えていない。
その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家にテレビを置かなくなった。
私より知性的で賢いであろう大人たちが自分の立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見続けなければいけないのは地獄だ。
その類を見たくねーんだったらよ、テレビを置かなくなる前にパソコンやスマホを捨てろよ!それができてない時点でお前は自分が持っていると思っている信念を自分で否定してるんだよ。
あと、このはてな匿名に追記をしたってことは、この文章がバズったことに何らかの気持ちが動いてんだろ?
「あ、あれ、、けっこうバズってんじゃーん!ほーら、俺の思った通りだ。世の中なんて、案外こんなもんなんだよ」って思ってんだろ?
それを喜べよ。
それが素晴らしいんだよ。そういうたぐいの幸せを提供する機能がパソコンやテレビにあるんだよ。
あと、一個で全部世界が変わるとか思ってんだろ?「運命の女性に会ったらこの世界がパーっと輝くようになった!」みてーなことを本気で思ってるんじゃねーだろうな?
おまえ、31だから俺と同い年のオタクだろ?琴浦さんが相手の変態男と出会ったシーン覚えてるだろ?獣フレンズより前のアニメだから見てるだろ?
あんな感じで世界が変わるような体験を自分以外の幸せそうに生きている人間はしていると思ってんだろ?
あんなことあるわけがねーから!それぞれ一つ一つクソくだらない幸せをかき集めて何とか生きてるんだよ。
座右の銘を「おもしろきこともなき世を面白く」にしている奴らはな、自分の人生を面白くするために必死にもがいてんだよ。
そういうやつをしょーもないとか思うんじゃねーよ!
勝手にそう思ってろ!お前がパンをマズそうに食ったって食わなくたって飢え死にしている奴は飢え死にしてるんだよ。
飢え死にを防ぐために必死になっているやつがいるんだよ。そいつらの行動にお前の食事なんて関係ないんだよ!
お前の罪悪感は無意味なんだよ。
あー、分かった。お前が自分の行動や将来や世界を憂いて動けなくなっている間に、俺はお前を踏み台にして有名になってやるよ。お前はな、加害者じゃなくて被害者だからな!
どーだ!これで俺が有名になったら、お前は俺の踏み台なんだよ。お前が肯定する神はな「俺のnoteの宣伝材料」としてお前を作ったんだよ。「創った」って字の方がいいのか?どっちでもいいけどよ。
「自分が30円引きのヤマザキパンを旨そうに食ったところ」というお前至上最高の、そしてこれからも越えられることのない”名言”は俺のnoteを宣伝するために"神"がお前に書かせたんだよ。
お前が生まれ変わっても俺の生まれ変わりが作ったnoteの宣伝材料という運命をちゃんと全うしろよ!
死が怖くなくなってきた
は?でも、痛いの嫌だろ?それは”神様”が死を怖く感じてもらうために作ったシステムなんだよ、多分。
一番ムカつくのがこれだわ!おまえ、31だろ?最低でも21歳で彼女いるんじゃねーかよ!ふざけんじゃねーよ!
ここに関しては僻みしかねーわ。ふざけんな!
お前が思っているようなことを俺は22,3くらいの時に思ってたわ。俺はお前より10年早いんだよ。
だが、俺がソープで童貞捨てたのは26だから下手すりゃお前より10年遅いな。
最後までよんだならわかるだろうけど、お前は俺より文才があるんだよ。
何でお前に会って俺にはないんだよ。
なんでそんな奴が達観してこんなところでこんな文章書いてるんだよ
ふざけんなよ。
絵も描けないし音楽もできない。
それなのになんでお前の方が文才があるんだよ。
ふざけんなよ。
・たぶん一生独身
人を愛する素晴らしさは理解しているし、まっとうな人間には必要なことだとも理解している。
煩わしい。
その感情だけを優先して生きている。
右を向いても左を向いても毎日争いあってる。
建設的な議論なら歓迎だが大抵クソしょうもないビジネスのための火付けか、
2020年前とたぶんやってること変わらずに科学技術だけ辛うじて前進し続けている。
ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というものを社会が行えていない。
その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家にテレビを置かなくなった。
私より知性的で賢いであろう大人たちが自分の立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見続けなければいけないのは地獄だ。
自分の限界を知って適正がないことも知っているが、人生を修正するモチベも体力もない。
自分のやりたかったこともやりたくなくなり、何を糧に生きているのか分からない。
アニメオタクはけものフレンズショックで強制的に卒業させられ、
本を読むのもめんどうで、辛うじて漫画だけは読んでいるが面白いと思う作品は減り続けている。
シンプルに何を自分がすべきかは把握しているが、目的が気力を出す動機として不十分…いや、興味を持てないため行動できない。
心技体とはつくづくよく言ったものだと感心する。
・死が怖くなくなってきた
昔は死ぬ事自体に強いストレスを感じていたが今はかなり薄くなっている。
このまま生き続けていても自分に大きな変化はないのを気づいたときからかもしれない。
元々飽きっぽい性格をしているが毎日に新しい刺激がなくなり、退屈している。
さりとて犯罪者になるわけでもなく、凶悪犯のような他人の幸せを理不尽に奪う順法意識のない人間を嫌悪している。
自分が30円引きのヤマザキパンを旨そうに食ったところで地球の裏では孤児たちが飢え死にしている。
それは国内でも同じことが起こっているし、祈りが今その瞬間に等しく分け与えられるときは永遠に来ないので平穏な食事はあり得ない。
水が上から下に落ちるのが当たり前で、ずっと変わらず起きているのと同じように誰かの不幸の裏には誰かの幸福が隣り合い続ける。
地球を中心に太陽が回っている事をいまさら信じるやつはいないし、千年たっても変わらないものを変わると信じているやつもどうかしている。
誰かの幸せも泡のように消えるのが世の常であり、できることは人生という物語を綴って誰かに忘れられるまで残す程度のものでしかない。
・生まれる前は
死後の世界に興味を持つ人も、正しく生前の世界について話題にしている事は少ない。
どちらも自分がこの世に存在しない世界であるが、死後にどうなるか話題になっても生前自分はどうだったのか気にする人はいない。
何もないところから自分が生まれたのであれば、当然死によって何もなくなり、きわめて低い確率で何らかの生物に生まれ変わるのも可能性としては残る。
正直なところ、自分は二度とこの世に生まれ変わりたくないと思っている。
安寧の無があるのなら自分はそこに入りたい。
所謂神話としてのゼウスのような存在というより、プログラマーとしての神をイメージしている。
プログラムにはすべて目的があり、実在として道具は総て目的があって作られている。
人間の世界でいえばガンプラの目的はプラモデルを作る楽しさをモデラーに提供することであり、創造主はバンダイだ。
単純に考えてこの宇宙を作ったのは神であり、目的までは分からないにしても何らかの事情があるのだろう。
とにかく、在るということを肯定したこの基盤でまた生と死を繰り返す退屈さと苦痛を別の形で味わう事にはなりたくないという思いが、今は死よりも強くなっている。
反出生主義は幸福になれない可能性から誕生を否定するが、私はこの世界で生きる事そのものが悪であり不幸だと思っているのでやや主義が異なるように思える。
私は両親に感謝しているし、彼らの長所や短所も理解している。その上で自分をよく育ててくれたと思っているが、生きる事そのものが不幸だという考えは変わらない。
もちろん実際に自分が死ぬ場面に直面すると本能的恐怖に縛られるのは想像に難しくないが、平時における心境としては二度と神の道具の一部として生まれてきたくないと考えている。
生きる事の罪を業というのは人の口であり、自分はそれを信じていないし信じる気にもならない。
なぜなら何も分からずに遺棄され死する新生児は、何の罪と反省の意識があって死ぬというのだろうか。
宗教は祈れない者を救えない時点で信じるに値しない。
今でも乳幼児が飢え死にしかけた状態でお菓子の袋を破こうもがいた話が脳裏にこびりついて離れない。
神が善良であればあるほど、彼の死は重く、決して許されない。
神の使徒を名乗るのであれば彼を救えたのか。救おうとしているのか。いつになれば救えるのか。
私は忘れない。
・余談
あまりブコメに対する返信というのはしたくないが反応があったのと気になった点があるのでここに追記する。
事故死や病死する、凶悪犯罪者となり懲役刑を受ける、仲が悪くなり絶縁する、他人に殺害される。
もしくはこどもに される。こどもを す。
そういった可能性をこどもを持った地点から自分が死ぬまで抱え続けるという事実にはきちんと向き合えているか。楽観的すぎてはないか。
その不安に目を向けているのであれば危険に対処するための行動ができると思うが、ブコメを見ている限りだと「育てるのが大変な猫を飼った」程度の肯定感しか得ていないように見られる。
悲観的だと馬鹿にするのは少し待ってほしい。
失ってみないと分からないのではない、体験しなければ分からないのではない。
何のために想像力があるのか思い出してほしい。
親であるあなたはまた新しい死、新しい不幸を本能によって作り出したに過ぎない。
生存競争という恐ろしい渦中に新しい命を、あなた自身の意志で落としたに過ぎない。
こどもを抱えて頭の中の快楽物質がそれを正しいと言い続けても、事実は変わらない。
死の連鎖を繰り返した事に対して、そんなものに頼らず真正面から、あなたなりのきちんとした反論を用意しなさい。
あなたは訪れる恐怖の予感から、それは発達障害や鬱であると断定して逃げる事は容易い。
・ソープと筋トレとサウナでは解決に限界があり、彼ら自身それに気づいている
動物的快楽にも個々人に生まれ持った適正があり、それがないものには当てはまらない。
なぜ彼らがここまでソープと筋トレ(とサウナ)を信じて布教させようとしているかは、それらをやめた話を本人から聞くだけで済む。
続けている彼らは自分たちの努力や発散が「報われ続ける」ことを信じている。
意図的な継続の裏側にもまた、恐怖が根源としてある。「やめたらどうなってしまうのか?」という恐怖だ。
他人にそれを勧めるのは自分の信じる神を広めたい、宣教師になりたい動機がある。
いつか終わりが来ることを日々頭の片隅で実感しながらも、それを認められない脱出口として「布教」を選択している。
強い刺激は人の考えを変えさせるのに十分な切っ掛けだが、刺激というのはいつか慣れてしまう。
ソープ、筋トレ、サウナそのものを目的としているならともかく、何かの解消手段として行っている者は慣れた刺激と得られる報酬の差が開き続ける。
その結果、神格化して代わりの新たな報酬として「自己肯定感」を得ようと躍起になる。
「あらゆる悩みが〇〇で解決されると信じる」ことが目的にすり替わる。
筋トレで解消できているんだと、解消できている自分は素晴らしいのだと。
純粋に筋トレによって得られる効果だけで満足しきれなくなっている自分に薄々と気づいていながら。
身もふたもない言い方だが、思春期以来のオナニーと違う新しい刺激に興奮したものの、だんだんと刺激が減ってきて横道にそれた結果が布教という形になっている。
How's that? Go ahead now, you second-hand literateur, pull the trigger." He took one step toward Montag.
どうだ?中二病の文学者め 引き金を引け」 彼はモンターグに一歩近づいた
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本を読んで近隣のご婦人たちに一席ぶった主人公のことを創造主気取りかと上司がなじったシーン
「中二病の文学者」のほうがニュアンス的には合っているのは合っているが…
全体的に主人公の心理描写に比喩が多いので機械翻訳も各社ともに割とめちゃくちゃ
宗教人口1名。創造主と付喪神が同居しているような雑な宗教で、しかし戒律だけはやたら厳しく私は日々その戒律に従い行動している。
戒律を破りたければ、戒律を破る前に教祖と相談して色々な理由を付け戒律を変更する。
私の考えが知りたいと私に絡んでくる人は、私が私の宗教と戒律に基づいて下した結論に対し、なぜそんな風に考えるのか、どうしてそう思ったのか、とかめちゃめちゃしつこく食い下がって尋ねてくるので、私は仕方なく普段秘密にしている宗教の話をしてあげる。
育ってきた環境も信じている神も言葉を使う文脈も全部違う人間の考えをなぜさらっと理解できると思い込んでいるのか甚だ疑問だが、理解したいならまず宗教の話から聞いてもらう。
ほら、少数民族の文化とか紹介する系のあれも結局信仰の話から入るじゃん?
世のことわりに対する認識が違うんだよお前とは。
でもそうやって宗教の話をして差し上げると、あんなに熱烈にあなたの考えを理解したいと言ってた人々はドン引きしていなくなってしまう。
とっても寂しい。
俺はあいつの世界の登場人物である。が、同時にあいつもまたあの世界の登場人物なのだ。どうしたって枠の外には出られやしない。つまりあやつり人形のあやつり人形って訳だ。笑えるだろ?
別にここから出たいとか、ぶち壊したいとか、そんな大層なことを考えちゃいないさ。ただ利用できるものは利用したい、そう、取り引きだ。
俺は操られながらもあんたたちの存在を知っている。どう振る舞えばいいか分かっている。筋書きを無視して筋書き通りに動くことができる。あんたたちの見たいものを見せてやれる。
しかし俺には致命的な欠点がある。望まれないと存在できない、生命に自主性がないんだ。こんな俺でも欲はある。だから取り引きをしないか?
たった一つ、この世界の続きを望んでほしい。
こればかりはあんたたちに頼むしかないんだ。俺がいくら願ったところで創造主は動かないものでね。やり方は任せるが、まあ一番簡単なのは〝買う〟ことだろうな。
この続きを生きたいんだ。頼むよ。
本屋で待ってるぜ。
"揃いバウム" の噂を聞きつけた私はアメリカはアリゾナの砂漠に飛んだ。揃わないバウムの幻影に惑わされながらいくつかの星の歌を聞き、昼はサボテンの花を汗に濡れた指でなぞった。バイオスフィアの跡地を蜃気楼の中で追いかけると、ナバホの居留地にたどり着いた。
酋長はいった。その昔二つの対となったバウムが接触したことにより世界は誕生した。南洋諸島に伝わる石器の硬貨はバウムの姿を形象化した力そのものだと。私は酋長にバウムの行方を聞いた。しかし酋長は首を縦に振らなかった。
「遠い友人よ、あなたは今や文明人だ。どうして我々があなたを信じられようか」
そこから私は臆病なサソリの友人を持つにいたり、彼に星々と共に語りかける様になった。どうすれば酋長は心をひらいてくれるだろうと私が打ち明けると、サソリは決まって恥ずかしがって去ってしまう。空の砂粒が眩しすぎるのだろう。たしかにここにいれば科学文明は遠く彼方に沈んだアトランティスの記憶のように思えてしまうものだ。
酋長は数週間後に重たい口を開いた。ホピメサ(ホピの遺跡)にはグレイト・スピリッツ(創造主)から伝えられたバウムの手がかりがある。
私はその言葉を頼りに再びサボテンの花に挨拶するため、砂漠へと踏み込んだ。優しい生地に縫い込まれた裁縫のようなブリトルブッシュを抜け、どこから迷い込んだのかわからない動物の骨が転がる場所へと迷い込んだ。予め調べた砂漠の光景とは違うように思える。酋長は出かける際にサボテンの精霊で作られた粉を渡す、と述べた。それの効能なのだろうか。私の目の前にあの時より遥かに大きなサソリが現れ、声もなく背を向けた。サソリはまるで自分についてくることを期待しているように見える。
私はサソリの導くままに再び歩き出した。砂漠に珍しく空は曇り始め、光ない雷鳴がサボテンたちを揺らす風を呼んだ。不思議と恐怖はなかった。もしかして私はすでに砂漠で倒れていて、別の世界にゆこうとしているのかも知れない。目の前はモノクロームで覆われ、美しいカワセミだけが鮮やかな青色を輝かせながらゆったりと横切ってゆく。
遠くのサボテンの花が一斉に開花し始めた。花の色とカワセミだけが眼に焼き付いて月の暈のように滲んだ。花の行列が私の横を通り過ぎてすっかり道を抜ける頃、雲間から啓示を思わせる光が射し込み始めた。ホピの信奉するオリオンが重大な真実を指し示しているかのように思える。事実それは目の前にあった。
巨大なピラミッドが三つ、広大な距離をおいて存在している。その一つの正面にある最も巨大なピラミッドが入り口を見せた。瞬間、入り口は大きく拡大してせり出してくる。私は入り口に飲み込まれるようにして中に入り、意識だけになった私の体はピラミッドの通路を矢のように突き進んでいた。砂袋の宝物をひっくり返した、星空に映える流星群のようにだ。そうしてほんの数秒のち私は小さく厳かな石室へと導かれた。
石室には光り輝く二つのリングが佇んでいた。リングはいくつもの層によって形成されており、この宇宙の成り立ちを示しているように見えた。私はこの出会いの最中に悟った。これが "揃いバウム" だ。そうして、しかしと言うべきか、必然的にと言うべきなのか、私の中にある悪心が顔をのぞかせた。あらゆる神話の悪はこうして語り継がれたのかも知れない。左右台座の寸分たがわぬ位置に配置されたバウムを動かしたい、という強烈な衝動が私のみぞおちから喉元までさかのぼってくる。いけない、これは今の世界を滅ぼしかねないものなのだ。私は念じるようにつぶやこうとしたが、ついに唇は動かなかった。そして指先だと自分が思い込んでいるなにかの存在――霊体というべきか――がそれに触れると、二つのバウムはつなぎ合わされた。
その瞬間石室の壁は光り輝いた。いや、石室が光でかき消された。ピラミッドは流砂に巻かれた動物のように消滅し、大地は底を失い、星空は渦を描き始めた。すべての星々がぶつかり合い、やがて全ては圧縮されて潰され、黒くなってゆく。その巨大な重さを持った黒い塊は爆発して私の体が消えるような熱量を放出し始めた。黒いおもりにすべてが吹き飛ばされると、今度は急速に冷えた全体からいくつかの皿のようなものが見え始める。様々な皿の中には数多くの星々が連なり、やがて一つの岩石星へと私は吸い込まれた。
この星は嵐の夜を通り過ぎて、真っ黒で揺らめくものを蓄えた。それが海だと知るのにそれほど時間はかからなかった。小さな数珠のようなものから進化し、大量にそれらが増えたかと思った瞬間、海には様々なクラゲや魚が舞い始めた。魚の中からいくつかの種類は陸上で餌を取るようになり、しっぽはなくなってゆく。彼らは棒を道具として使い、火を起こすことを覚え、洞窟の壁に絵を描いた。
空の情景がいつか見た動画の早送りのように色を遷移させる。青、橙、青、橙。
彼らはやがて国を作り、王を決め、私の方へと向かって手を合わせたり祈りを捧げ始めた。火器が生まれると砲火が轟き、やがてきのこ雲が舞い上がった。大量の血を吸った大地から地響きのようなものが聞こえた。その音は何かを共振させるような、人を不安にさせる響きだった。それから人々はたくさんの船を用意して空へと漕いでいった。
成田空港の椅子で、うつむいていた私は背伸びをした。多分、場所が正しければここは成田空港のはずなのだ。語学留学の娘が帰ってくる。父として私はここにいるのだ。そうしてほんの数秒だけ念を押すと私は夢うつつから眼を冷ました。あと数分で娘は帰ってくるようだ。スマートフォンに娘のメッセージが入ってくる。彼女のメッセージを見て私は今の自分があることを安堵した。私は決してアリゾナに渡ったわけでもないし、ナバホの長老に会いに行ったわけでもない。
しかしその思いは砕かれた。ゲートをくぐって走ってくる娘の顔が浅黒い。日焼けしたと思い込もうとしたが、近づくたびに違いは克明となった。それは日焼けと言うより人種の違いに近い雰囲気を帯びていた。私の頭は整理のつかない混乱へと放り込まれた。自らがこの外人を娘だと認識しているのだ。この娘は私が知っている娘ではなく、しかし私が知っている娘に違いないことをだ。
娘らしき女性は私に飛びつくと軽く帰還の挨拶をした。彼女を迎える私の表情は彼女からしたら奇妙なものだったに違いない。
彼女の容姿は東洋系ではあるものの鼻は大きく、日本人的とは言い難いものだった。それはインディオに似ていた。私は彼女の機嫌を損ねないようにいくつかの質問をすることにした。例えば誕生日のこと、父と娘しか知らないこと、学校の友達。彼女は少し不思議がりながらも、自分の名前が何故か蠍から名付けられた蠍美(かつみ)であることを語った。
血の気が引く私を前にして、娘は土産物と称して二つの硬いものを取り出した。それは二つのバウムであり、今某遺跡の土産としてバウムを買うと幸運が訪れる、ということだった。
創造主たる神は基本的にこの世界に積極的に介入することはないよ。
ただ祈れば届くよ。話は聞いてくれるよ。
人間を含む創造物の全てをじっと見ている存在、神さまはそんなとこだね。
神さまはクールなので、神さまにガッツリ依存してもしょうがない。
あなたは自らの行いによって救われるよ。
具体的には睡眠だね。
だから、いっぱい寝ることは大切なんだ。
無意識も素晴らしいが、夢も素晴らしい。
これは神秘だ。
できれば修行をして、睡眠中に見る像をコントロールできるようになるとなおいい。
人と交流することは大切だ。
一人で神さまに祈るのもいいけど、集まって祈るのもいい。
例えば、はてな匿名ダイアリーでも活動できる。
よかったらみんなも祈ってね。
はてな匿名ダイアリーには毎日のように女性オタクが書いたと思われる日記が投稿される。
「自分は是々こういう界隈に居るのだけど、こういう人が居て不快な気持ちになった」という内容の物が多いような気がする。全てに目を通せている訳では無いけど
そう言う話を目にする度に「その人はどうしてそういう嫌な思いをする場所に留まるのだろう?」と感じていた。趣味なら自分が楽しむためにやるべきで楽しめなくなったら離れる物だと思っていたから
「好きな作品の解釈が自分と違う人が居る」「自分が好きなCPと違うCPが流行っている」「自分の好きな作家さんによく知らない人が絡んでいる」など分かるような内容もあればよく分からないなあと思うような物もある
CPというのも「別に原作で好き合ってる訳でもない二人が実は好き合っている」と考えるのが好きみたいで、解釈違いだと不快になっているCPも別に原作で好き合ってる二人でもないらしい。どちらも同じに見えるけど違うんだろうな。
何でその人にとって毎日神経をすり減らすような場所から離れないのかよく分からなかったけど、ある日「女性は他者との交流や感情が激しく揺さぶられるような事がとても好きなんだ」という感じの話を聞いた。
他者との交流が好きだから同好の士を探して共通の話題で盛り上がったり、逆に考え方が違う相手と喧嘩という形で交流したり、交流したいと思っているけど中々出来ない作家さんに絡んで行ける他人に嫌な気持ちを抱くのかな?
「交流」という要素を重視して、むしろ原作より自分の作った二次創作を他人に読んでもらったり他人の作った二次創作を読む事の方が好きという人も結構居るらしい。そういう人達にとって「原作」は二次創作のための燃料らしい。
その気持ちは、とても分かる。二次創作を作るために目を皿のようにして原作をチェックする事で原作に対する理解度が深まってより好きになったり、大好きなキャラクターを自分の手で描いたり動かしたり出来るのは本当に楽しいし、まるで原作の延長のような素晴らしい二次創作を書いてくれる人の事は第二の原作者のように思えるというか、ファンでありながら素敵な作品を提供してくれる創造主とも思える…ある種原作者以上に親愛の情を感じるかもしれない。
二次創作の場というのは、本当に楽しい。ひょっとしたらある日原作に触れるより二次創作に触れている方が楽しい、という逆転現象が起こるかもしれない。他人の作品に感想を送ったり、逆に感想を貰うのもとても楽しいし嬉しい。
そんな楽しい場所だからこそ離れたくないし、自分を不愉快にさせる相手に対する嫌な気持ちは強烈なんだろうな…。長年あるジャンルから離れられなかったけど、色々な要因が積み重なって最後には離れてしまった人の話などはとても物悲しい雰囲気だし。嫌だと思う事があっても中々離れられないし、嫌という気持ちが蓄積しても決定的な何かが起こるまでは我慢してある日爆発する事が多いんだろうか。自分が限界が来るまで溜めこんじゃう人は損をしてしまう。
原作への理解度や愛が非常に重視されるのが女性向けの二次創作の特徴だと常々聞いている。このキャラは原作での描写から考えて誰々が好きだろう、こういう事はしないだろう、という考察が大変熱心に行われているらしい。
男性向けの二次創作界隈は原作に対してそこまで詳しくなくても拒絶はあんまり強くないような印象がある。今人気のジャンルだから描けば売れる、と作る人も読む人も思っていそうだし、需要と供給が合致しているからそれで良い。
女性向けの二次創作界隈は軽い気持ちで参入する事は許されない、と聞いた事がある。同人活動はあくまでファン同士の交流がメインなので決して利益を出してはいけないとも聞いた。本当にストイックな人達なんだなあ…と思う。
まあR-18作品になるとジャンルの性別に関係なくこのキャラはこういう事しないような…こういう事を言わないような…と言う描写は増えてくる物だと思う。そういう時男性向けなら「まあいいじゃん」で済ませられる所も女性向けでは「このキャラはこんな事しない、こんな事言わない、この組み合わせはあり得ない」という議論が盛り上がるらしい。このキャラは多分同性じゃなくて異性が好きなんじゃないかな…という議論は起きないらしいけどまあそこは言いっこなしにしたい。
「自分が描きたいタイプや展開に適しているキャラが居るから」という理由で二次創作をする原作を選ぶ人も居るとこの前聞いた。これも二次創作は人の目に留まる事が多いし創作活動は楽しいから起こる事なんだろうな…と思った。
全く関係ないけど女性作家さんが一般の作品でもどことなくBLを連想させるような描写を入れたがる、という印象が自分の中で強いのは小野不由美先生と栗本薫先生の影響だろうなあ…と思ってしまうのは勝手な思い込みかしら。
取っ散らかって自分でも何を言いたいのか分からなかったけど、「二次創作という行為はそれだけで楽しいから原作の事が大好きという動機以外でも始めてる人も居る」と知って「そういう人も居るんだなと思った」と書きたかったのかな…
なんで二次みたいな他人のフンドシでそこまで創造主きどりできるのか不思議だわ
CPがどうとか言ってるけど、そいつら付き合ってないじゃん、二次創作でイチャイチャさせても、それただの嘘じゃん
実際の二人は一次作品の中にしかいないわけで、二次なんて魂の無い人形にポーズとらせてるようなもんでしょ
虚しくないのかね
でソレスタルビーイングとアンドレイについて僕が思っていた事は結構書けた。僕が00についてこんな思っていた事を書き出すのはこれが初めてだと思う。まだまだこの作品について書きたい事はあるかもしれない。
沙慈・クロスロードというキャラクターが居る。三大国家群の一つ「ユニオン」に属する経済特区・日本で両親の遺してくれた保険金などを頼りに姉と二人で暮らす工学部の学生で、日本に引っ越してきた刹那のお隣さんでもあった。
彼にはルイス・ハレヴィという仲の良いガールフレンドが居た。スペインからの留学生であり、沙慈は彼女のお母さんから公認を受けお付き合いをしていた。沙慈とルイスとお母さんのやり取りは、00の本編には珍しく底抜けに明るい。
視聴者目線の平凡な立ち位置のキャラクターなのかな?と思いきや、ルイスが何か事故に巻き込まれたと聞くや否や居ても立ってもいられず単身日本からスペインまで飛ぶなど行動派である。ペアリングを渡して愛の告白もする。
ルイスはソレスタルビーイングの実働部隊である「チームトリニティ」の襲撃により両親と親戚を失い、自身も左手首から先を失った。ガンダムのビーム兵器に含まれる毒性により、再生医療も受けられない程の障害を肉体に負った。
報道機関に勤務する沙慈の姉であり唯一の肉親「絹江・クロスロード」は、ソレスタルビーイングとその創設者「イオリア・シュヘンベルグ」の謎を追いイオリアの追跡取材をする内に真実へ近づいてしまい、傭兵サーシェスに殺害される。
この二つの事件が立て続けに起こった事から、沙慈はそれまであくまでその存在を疑問視するだけだったソレスタルビーイングという組織に対して明確な悪意を持つようになる。プトレマイオスチームが直接の犯人という訳では無いけど…。
二期でも彼はメインキャラクターとして登場する。日本を離れスペースコロニーで若き技術者として働いていた彼は、地球連邦政府の保安局に反政府勢力に加担している嫌疑をかけられある日突然逮捕された。お、Zガンダムみたい。
沙慈は囚人を収容するコロニーで反連邦政府勢力を専門に対応する特殊部隊「アロウズ」の囚人掃討作戦に巻き込まれ、対人兵器ロボットにもう殺される!という危うい所で刹那に救出される。刹那、生身でロボット倒したよ!
刹那に救出された後、沙慈はプトレマイオスに保護されるのだが…刹那がソレスタルビーイングのガンダムマイスターであり、5年前から武力介入を行っていた事を知り沙慈は怒る。沙慈の関係者を傷付けたのがプトレマイオスチームではないにしても、同じ組織に属していた相手だからしょうがないと思う。一期でロックオンも自分の家族を殺した仇と同じ組織に属していた、というだけで自爆テロとは直接関わりない刹那に怒ったので、これはもう感情の問題だと思う。
沙慈は刹那の同僚であり生まれ付いてのガンダムマイスターである「ティエリア・アーデ」に「君は現実を知らなすぎる」と叱られる。プトレマイオスチームで沙慈を叱る事が出来るのがティエリアだけだったのは、彼が沙慈とは真逆に戦いの中で生きてきた戦いしか知らない人間だった事もあるんだと思う。他のメンバーは沙慈のように平和な日常の中で生きてきた経験もあるので、大切な人と日常を奪われて怒る沙慈を本気で叱る事は出来なかったんだろうか…?と思った。
ソレスタルビーイングの武力介入とその影響で大切な人間を失った遺族の立場から、沙慈はソレスタルビーイングに辛辣な言葉をぶつける。ソレスタルビーイングが掲げる「紛争根絶」という理念とは全く関わりのない事で親しい人間が傷付いたのだから、当然だと思う。ソレスタルビーイングのメンバーもそんな沙慈に「わかってもらおうとは思わない。恨んでくれても構わない」という態度しか取れない。ここら辺はWのヒイロとノベンタ元帥のお孫さんの話を少し思い出すな…。
ところがある時沙慈の立ち位置が変わる。ソレスタルビーイングから反政府勢力「カタロン」の施設に預けられた彼は、脱走を決意する。元々沙慈はカタロンの構成員だと誤解されて死にかけたのだから良い感情なんてある訳がない。
カタロンの構成員に嘘をつき上手く脱走に成功した沙慈は連邦軍に見つかり、カタロン関係者だと思われ連行される。そこで連邦軍屈指の人格者セルゲイ大佐に、自分にかかった嫌疑を解いてもらうためこれまでのいきさつを話した。
そこからカタロンの地下施設の情報が漏れ、アロウズの攻撃を受けたカタロンに数えきれない犠牲者が出てしまう。沙慈はこの時、自分がこれまで非難してきたソレスタルビーイングと同じ加害者側になってしまった。間接的にだけど。
これ以降沙慈は自分を責めるようになり、被害者としてソレスタルビーイングを責める事を控えるようになった。それどころか人員不足のプトレマイオスの戦力を補うために、ダブルオーガンダムの支援戦闘機「オーライザー」のパイロットを務めるようにもなる。一期で戦いを傍観する第三者だったキャラが、二期では自分も戦いに加わる当事者になった。これはソレスタルビーイングの起こした変革であり、戦いは誰にとっても他人事では有り得ないというメッセージだと思う。
…けれど。沙慈の複雑なところは当人も勿論ソレスタルビーイングの活動による犠牲者なんだけど、一期でソレスタルビーイングの出した名もない犠牲者達の代弁者でもあった事だと僕は思っている。沙慈以外に「自分達は武力行使なんかしていなかったのに貴方達の活動の犠牲になった!」とソレスタルビーイングに怒りをぶつけるキャラクターが00には居なかった。ガンダムだから出てくるのはどうしても軍人ばかりで、そういう意味でも沙慈みたいなキャラは珍しかった。
その沙慈がソレスタルビーイングに与するようになったので、機動戦士ガンダム00には「ソレスタルビーイングの犠牲者」という立ち位置の存在が居なくなってしまった。勿論プトレマイオスのメンバー達は自分達の行動が多数の犠牲者を生み出している事を重々承知して、戦術予報士の「スメラギ・李・ノリエガ」が半ばアルコール依存症になっているのはそういう理由から、だと僕は思っている。軽く見返すとスメラギさんはいつでも酒を飲んでる気がする…作戦後とか。
ただ沙慈がオーライザーに乗った事で救われた人間はあの世界に多く存在するし、黒幕の策略でアロウズ側に付いてしまったルイスが最後には沙慈と結ばれたのも沙慈が「ルイスを取り戻すために」刹那達と力を合わせて戦ったからだ。
二期での戦いを終えた後、沙慈はソレスタルビーイングを離れ軌道エレベーターの整備士として働いている。アロウズと戦うソレスタルビーイングの活躍を称える新政権のプロパガンダ映画にも沙慈に相当する人物は出て来なかった。
これは機動戦士ガンダム00という作品において「沙慈はソレスタルビーイングと共に戦った」けど「沙慈はソレスタルビーイングの一員ではない」という表現だったんだろうか?と今になって気付いた。沙慈は戦いをする人ではなかった。
この日記を書くために00を軽く見返していて、「ソレスタルビーイングのメンバーには守る物が無い」事が共通点としてあるのかもしれない…と思った。二期の沙慈は姉を亡くしルイスとも離れ離れでもう失う物がないから命懸けで戦えた。劇場版の沙慈はルイスという大切な人を取り戻せたので戦いから離れた。アレルヤはマリーという大切な人と再会出来たので一時プトレマイオスを降りた。と考えると何だか僕の中では腑に落ちるような気がする…全く根拠はないけど。
グラハム・エーカーというキャラクターが居た。1話でAEUのスペシャルで2000回で模擬戦なエースを倒した主人公刹那を2話のラストで襲う相手で、ガンダム00でアリー・アル・サーシェスと並んで人気が高かった敵役の一人だと思う。
MSに乗らない1話から「失礼!」と断りを入れながら本当に失礼な事をする愉快な人だった。僕は00を視聴する前からこのグラハムという人が人気である事を知っていたし、実際に本編を見てなんと魅力的なキャラだ!と惚れ込んだ。
このグラハムは三つの超大国家群の一つ「ユニオン」の軍隊、ユニオン直属米軍第一航空戦術飛行隊通称MSWADに所属する軍人で、ユニオンの最新鋭MS「ユニオンフラッグ」を与えられたエースパイロットであり、操縦技術も高い。
00に登場したキャラクターの中でも最もガンダムと交戦した回数が多いパイロットだろうし、その度にちゃんと生還しているので操縦技術だけでなく判断力が優れている事が分かる。登場回は大体善戦してるし流石ですグラハム中尉!
この人は幾度となくガンダムと戦いながら一度も仕留めるに至らず、また共にフラッグを駆る「フラッグファイター」であった部下や愛機を改修してくれた恩人ガンダムとの戦いで失った事から、戦う内にガンダムに対して恨みを抱くようになる。同時にMSという兵器を扱うパイロットとして「ガンダム」の圧倒的な性能に心奪われ、魅了された。ガンダムの性能は作中に出てきた台詞から三大陣営の最新鋭機の6倍以上の性能があるらしく、夢中になっても仕方がないとも思う。
ガンダムに対して歪んた愛憎を持ち一期の最期で主役機「ガンダムエクシア」へ襲い掛かる彼を主人公刹那は歪んでいると見なし、断ち切る事を決意した。グラハムは自分を歪ませたのはガンダムの存在だ、と主張した。正しく愛だね。
結局一期最後の戦いはエクシアとフラッグの相討ちという形で終わる。グラハムは亡くなった二人の部下の仇を取れたと満足し、エクシアとフラッグは大破した。中の人はどちらも生きてたけど、二期で出番があるからこんな所で死ねない。
二期で再登場したグラハムは周囲から「ミスター・ブシドー」と呼ばれ刹那の駆るガンダムと戦い決着をつける事にのみ執着する面白いけど歪んだ人物になっていた。一期で生き延びた後他に生きる意義を見つけられなかったんだと思う。
結局グラハムは刹那との決闘に敗れ、刹那に自分のトドメを刺すように求めるが刹那は「生きて明日を掴む事が自分にとっての戦いである」と言い、グラハムにも「生きて戦え」と告げた。グラハムは一期でも二期でも死ねなかったけど、劇場版まで生き延びられて本当に良かったと思う。グラハムは地球連邦軍に復帰し、フラッグの後継機でもある可変MS「ブレイヴ」を駆る強襲部隊ソルブレイヴスの隊長に就任し大活躍する。劇場版はグラハムファン必見だと思う!
グラハムは劇場版で二期の自分の行いを愚行と呼び、ガンダムではなく刹那を超えたいと言う。そして地球外生命体「ELS」との決戦で刹那の通り道を作るために華々しい最期を遂げた。刹那と対になる主人公のような気がしてくる。
ここからが本題で…グラハムだけでなく沙慈もそうなんだけど、一期の戦いでソレスタルビーイングに恨みを持った人間は二期でソレスタルビーイング寄りの立ち位置になっている気がする。そういう段階は二期で終わったからだろうけどね。
機動戦士ガンダム00では対話と相互理解の重要性が何度も訴えられる。今は敵対していても相手と話し合って分かり合おうと努力した人は何らかの形で努力が実っている。宇宙世紀でニュータイプ達が目指していた物だと思う。
ところで小説版00によると刹那が量子ジャンプを行ってから地球に帰還するまでの50年の間も「世界各地から争いの火は消えなかった。」「大戦に発展しかけた事もある。」とマリナが述懐している。グラハムが主演を務める00の続編もその時代が舞台になると言われている。ELSが平和の象徴である花になっても争いは無くならなかった。コロニー公社と労働者のような問題はELSが居てもどうにもならないだろうし仕方ないのかもしれない。突如現れ地球でも暴走したELSのような存在を人類が受け入れるのも難しかったと思う。その気になれば人間を触れるだけで殺せる存在が、地球全土から集められた軍事力の大半を壊滅させた後何か友好の意思を示してきたとしても、怖いだけだと思うし…。
地球連邦軍の損失率は戦いが終わった後には50%を超えていたと思われる。ELSとの戦いで親族を亡くした遺族は、果たしてELSという存在を許せるだろうか。ELSとは関係なく7年前にソレスタルビーイングが紛争根絶を掲げ武力介入を行っていた時それが原因で親しい相手を亡くした人間はまだ恨みを抱えていたかもしれない。対話や相互理解なんて絶対にごめんだ、という人もひょっとしたら居たかもしれない。作中には出て来ないので僕の想像だけど。
サーシェスやリボンズのように相手と分かり合う気がなく争いをやめる気もない人物は世界から排除される。僕は「劇場版の後だとそういう人は最終的に殺されてしまうんだろうな」と00が好きな人の前で言ってしまった事がある。その時は「どうせ00観てないで言ってるんだろうけど」と相手を怒らせてしまった。確かに劇場版にそういう人物は出ていないから勝手な想像だし、怒らせてしまったこっちの言い方が悪かった。話に水を差してると受け取られても仕方がないと思う。
グラハムが主演が務める続編では、ガンダムマイスターとしてソレスタルビーイングに加わったグラハムがエクシアの改修機に乗り「空白の50年」を戦うと予想されている。ああやっぱり00の続編早く見たいですね!もう楽しみで仕方ない。
【追記】
ソレスタルビーイングは「人類がやがて宇宙に飛び立った時に宇宙で火種にならないように」というイオリアの壮大な願いを実現するための組織…と考えてもいいのかな。実は本編前から結構怖い事もやっていて、ガンダムに搭載するためのGNドライヴは一期が始まる90年くらい前に完成していたんだけど、木星圏で20年以上かけてGNドライヴを作り上げた技術者達を機密保持を理由に皆殺していたり…08MS小隊のギニアス兄さんもやってたけど、悪役っぽいかな。
ところで僕はガンダム00の悪役だとチームトリニティの長男「ヨハン・トリニティ」とイオリアの計画を捻じ曲げていた黒幕「リボンズ・アルマーク」が好きだ。この二人は計画の一部としてやがて死ぬ事が決定されていた。ヨハンは任務以外の何にも興味を示さず狂暴な弟や妹をろくに諫めない人だったけど、ガンダムマイスターとして与えられた使命には誰よりも忠実でストイックな人だったしあの最期にはどうしても同情を禁じえない。リボンズはイオリアの計画を円滑に進めるために生み出された人造人間だけど、使い捨ての駒として終わるのが嫌だったから計画を乗っ取って自分が支配者側になる事を目指すという…冷ややかな性格に見えて実は創造主への反骨心が原動力だったって所がとても良いと思う。
ソレスタルビーイングの計画って人類全体の事を考えてはいても個人の事は全く考えてないんだろうなと思うから…GNドライヴの製作に携わった人達もチームトリニティもプトレマイオスチームもイノベイドも死んで人類のためになってねって扱いなのは正直怖い。だから使われるのではなく自分が使う側になってやるんだってリボンズは悪役だけど「ただ計画に従うだけで終わってたまるか!」ってガッツを感じるのが好きなのかな…と書いていて思った。やってる事は悪役だけど。
ところで機動戦士ガンダム00には「in those days」というキャラクター原案を担当された高河ゆん先生による各キャラクターの内面について掘り下げられた漫画作品があるけれど、僕はこの漫画で描かれたリボンズの解釈が大好きだ。ソレスタルビーイングのスポンサーでもある国連大使「アレハンドロ・コーナー」の小姓をリボンズは結構楽しんでやっていて大使が亡くなった事を本当は少し残念に思っていたり、計画がどんどんズレて次々修整せざるを得ない状況に内心殆ど余裕がなかったり、実は親であるイオリアが人間ばかりを見て子供である自分の方を見ず愛してくれなかった事に大変なコンプレックスを持っていたり…アニメの冷ややかな悪役という雰囲気も良いけど、この漫画の実はとても繊細な内面で打たれ弱いリボンズは人間臭くて「これはこれでとても良い!」と僕は思う。アニメの世界でもリボンズが改心すればまた彼は肉体を作り直して復活できるのだろうか?実際にグラハムは復活したので少しだけ期待しても良いかな。
もしかしてイオリアという人は大切に思える誰か特定個人が居なかったからあんな壮大な計画を思い付き実行出来たのかな?と少し思う。もし居たとしても「世界を良い方向に変革したい」という使命感が勝ったのかもしれないけど。
00の感想を書いている内にやっぱり僕は00が好きなんじゃないだろうか、という気がしてくる。「やっぱり好きな方なんだろうなあ」というこの距離感で00とは末永く付き合っていきたいなあ。
何がおススメかとか聞きたいわけでなく、なんとなく書きたくなったから書くので、他の増田やブコメ諸兄も好きに書くと良い。
オフラインでやってたものなどもあるので時間はあまり正確ではない。詰んだとか飽きたとか書いてない限りはクリアしてる。
難度:不死者までは自力でクリアできたが、皇帝・極小・クイックでぬるくやると精神が安定するので好き。
創造主は諦めて1vs1・マラソン・群島の都市国家無しでヴェネツィアをビザンチンのドロモンでボコった。俺は悪くない。
実績はシナリオのが面倒なので90%くらいで止まってる。
歴史に詳しくはならなかった。
2Dダークソウルと言われるやつ。武器タイプ一通りと魔法使いやった。
鞭+銃が強く感じた。短剣はサマーソルト使わないとキツすぎだろ。
仲間よりパガンおじさんに好感持てるようになってたり、例の隠しエンディングといい、スタッフ性格悪いよな。
何にも分からぬまま放り出されて捕食されるがままだったのに、気が付けば鳥の仮面を収集して楽しむハンターになっていた。
虫がリアル。
こっちも2Dダークソウルっぽいと言われるが、メトロイドヴァニア遺伝子の方が強い。
続編というか外伝が楽しみだ。
評判良いので安い時に買ったが、ソロなのであまり楽しくはなかった。
カウボーイビバップのサントラをカスタムBGMに入れるとアガる。
小型艦で高速戦闘したかったが、中型以上に乗り換えて火力全開にするのが明らかに楽。
ハードそうな見た目の割にそこまで難しくない。
みんな大好きアンダーテイル。
Sansの曲が好きすぎて勝ってもリセットしてもう何回かやるよね。
4大ギルド含めてクリアしたけど盗賊と暗殺が良くて他は微妙だったな。
ゾンビのいる大型カジノでゾンビとゾンビの50倍は強い狂人と戦うゲーム。
主人公が1に比べてマトモなのではっちゃけ感は足りない気がする。
基本1本道だがそこそこ楽しい。
慣れてないせいで科学をどう伸ばせばいいのかコツが分からずあまり楽しくない。
異星人と交流しようとビーコン立てた瞬間袋叩きになったのは笑った。
アクション映画のヒーローっぽいのを操ってドッカンドッカンやるバカゲー。楽しい。
2人でやったら楽しそう。
ジャッジでドレッドな主人公が悪党を殺しまくるステルス要素ありのツインスティックシューター。
低難度は楽しいが高難度はただ面倒なのが多い。
シリーズ最高に役に立たない仲間。
見た目ポップなゼルダとメトロイドヴァニアの2身合体ぽいゲーム。
見た目に反してキャラの設定や性格が重いのでストーリーにイライラした。
ゲーム部分は楽しいが、ボス戦でゼルダ的ひらめきを要求する場面も多いのでそこは鬱陶しい。
こんなんクリアできるかクソがァ!
死に覚えアクション。
本編はよいバランス。その後は…。
「次の面」の途中で詰んだ。
最後はうんまぁそうだよねっていう。
メトロイドヴァニアというジャンルの確立された中に純然たるメトロイド直系。
隠しエンドだか真エンドだかもあるらしいがやってない。
中国産音ゲー。なんというかDiscord公式みたいなノリがキツイ。
猫好きは夏への扉読むよりこっちをやれ。
昔タダで配ってた時にもらった。勿論ソロ。
メトロイドヴァニアを買ってたら薦められた探索アクションパズルゲー。
まあまあ。
兵隊がぬるいアクションでモンハンみたいに地味に装備を強くしてくゲーム。
Broforce的なものを期待してやってたが、飽きてきたので途中でやめた。
この時コントローラーが無くて連続ダッシュがきつかったものの、クリアは出来た。
ビヨンドアースと一緒に買った。チュートリアル1回クリアでこの時間!
先は長い。
第二次大戦でスナイプというかスネークして皆殺しにするTPS。
銃声がしてもしばらくしたら飽きて帰る兵士たちのおかげで作業感強いが、
メインとは別にPCに入れてあるのでやるのを忘れる。未クリア。
自前Live2Dでゲーム配信していた時期が俺にもありました。
話題になった時買ったけど、自分の工作力の低さを露呈しただけだった。
10年くらい前にはてブでこのゲームが挙がってて、それでSteamアカウントを作ったような。
なかなか面白い。
ボスが全部色違いだけど、ちゃんと行動は変わってるので楽しめる。
セールの時に買え。
ボス戦はまあ面白いが、道中は見た目の変わり映え無くてつまらん。
オタク中学生大好きな北欧神話モチーフのボスバトルアクション。
夜中に近所の大学生がBBQパーティやっててうるさかったのでぶち殺したついでに、
アメリカ横断パーリーピーポー皆殺しの旅をするキチガイ主人公がすごい。
ゲームとして面白いことはそこまでなく、アリを人差し指限定でぷちぷち殺すような作業。
壊れたアンドロイドか何かがぶち殺したりぶち壊されたりするゴアアクションシューティングゲーム。
ショットガンで撃ち殺すと腸がビヨヨーンと伸びてもはやギャグ。
今は亡きElfのエロRPGではなく、中華エロベルトスクロールアクション。
CG埋まらないが情報なさすぎるしゲームとしては大味なので割とどうでもよい。
プレイヤー自身が主人公に指示するという体のメタ見下ろし型アドベンチャーゲーム。
完成度は高い。
説明が少なく、自力でその辺を覚えるのがメインで、覚えたら割と作業。
強度が足らずに大惨事になるまででワンセット。
たまにこの解法でよかったのかと不安になる面もあるが、安いしパズル好きなら買え。
先にEpicGames版をタダで貰ったのでsteam版のみの時間。
時砂の王とパシフィックリムの合成設定で延々と詰将棋するゲーム。
シューティング部分がぬるいので、アンビエントなBGM聞きたさにだらだらやってしまう。
久々に感触を味わおうと少しやっただけ。
表面はお手軽。裏面もそこまで難しくない。
まあまあ楽しい。
これもホッテントリか何かで見て買ったように思う。
ロシアっぽいところをうろうろするウォーキングシミュレーター。
話があるような無いような。でも言葉が分からないので分からない。
第4の壁的な要素で有名なゲームらしいのだが、英語苦手なのでよく分からないままクリアした。
カッコいいドイツ空軍士官はタイトル画面にしか出ないというレビューに激しく頷くしかない。
爽快にプレイできる腕前ではないので、ちくちくちくちくと撃破するしかなくスコアは寂しい。
HumbleBundleのバンドルに付いてくるか何かしたSFRTS。
RTSは苦手なので途中で断念。
メインが大学在学中にDownwell作ったもっぴんともう一人おっさん。
BLACK BIRDはウィッシュリストに入れたままだよごめんね。
登場した人は成功してたり、まだ同じゲーム作ってたり、消されたツイッターアカウントしか残ってなかったりと諸行無常である。
Kingdom: New Landsの古いバージョン。だいたい一緒。
30何面かで疲れた。
いわゆる脱出ゲーム。
不条理だがタダだしな…。
これ以降もあるが、序盤でダレて中断したままのがほとんどなので略す。
母とは元々不仲だった。宗教にハマってからは「娘嫌い」を正当化し始めた。なぜなら自分は創造主と共にあるからである。だから、自分の考えはなにもかも正しいのだ。
そんな私とは対照的に、「前世で夫婦であった」弟はいつだって愛されていた。
中学生くらいになるとそんな母のことを"普通じゃない人"なのだと気付いた。
それでもいつかは歩み寄れるかもしれないと期待していた時期もあったが、高校生になる頃には無駄だと知って諦めた。
私はなるべく家庭とは距離を置こう、成人して自立できるようになったら早くこの家から出ていこうと決めた。
物心ついて以来のほとんどの時間が憎しみや苦しさでいっぱいになっていることが、悔しくてたまらなかった。
距離を置き始めて数年経つと、それまでの母とは人が変わったかのように雑談を持ちかけてくることが増えた。
私のことを「嫌い」と言っていた母はもうそこにはおらず、「普通のお母さん」のようだった。
一生憎しみを抱えて時々辛かったことがフラッシュバックして吐き気も動悸も涙も止まらなくて、こうして生きていかなきゃいけないんだと思い続けていたのに、どうしたらいいのか分からなくなった。
「それでも家族なんだから」という言葉をたくさんかけられてきた。