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2024-02-02

リック・アンド・モーティ理解するには高IQ必要

公平を期すために言うと、リック・アンド・モーティ理解するには非常に高いIQ必要です。

ユーモアは非常に微妙で、理論物理学をしっかりと理解していなければ、ジョークほとんどは一般的視聴者の頭を越えてしまうでしょう。

リックのニヒリスティック世界観もあり、それが特徴描写に巧みに織り込まれています

たとえば、彼の個人的哲学はナロドナヤ ヴォルヤの文学から多くを引用しています

ファンはこのことを理解しています。これらのジョークの奥深さを真に評価し、ただ面白いだけではなく、人生について深いことを語っていることに気づく知的能力を持っています

結果として、『リック・アンド・モーティ』を嫌う人々は本当に愚か者です。

もちろん、彼らは例えばリック実存的なキャッチフレーズ「ワッバ・ルッバ・ダブ・ダブ」のユーモア理解しないだろうが、それ自体ツルゲーネフロシア叙事詩『父と子』への不可解な言及です。

ダン・ハーモンの天才的な機知テレビ画面で展開されるのを見て、混乱して頭をかきむしる幼児の一人を想像するだけで、私は今ニヤニヤしています

2023-06-18

20230618[アタック25]Next 2023年6月18日 #66 父の日大会 2023-06-18結果

BSジャパネクストで日曜昼などに放送

10月からの本放送は1時「25」分から

BS1からボタン2回とか

ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか

地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報確認

 

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [あるキャラクター名前]マリオ

・02 秩父(市

・03 太宰治 だざいおさむ

・04 ペッパーミル

・05 [植物]フジ

・06 ポーランド

・07 [すべて]あん馬 つり輪 鉄棒 平行棒

・08 Mr.シャチホコ

・09 だだちゃ(豆

10 [近似値]1時間39分

11 三石琴乃 みついしことの

12 アブミ(骨

・13 [2択]奇数

・14 双葉(商事

・15 エドワード・モース

・16 倍賞千恵子 ばいしょうちえこ

17 [ふるさとクイズ][兵庫県豊岡市日高町 神鍋高原]キャベツ

・18 THE YELLOW MONKEY

・19 ワーテルロー(の戦い

20 石川佳純しかかすみ

・21 [2択]水素

・22 (富士山)静岡(空港

23 [AC]タレス

24 [3択]中生代

・25 ツルゲーネフ

・26 アヒージョ

・27 『帰ってきた生協の)白石(さん』

28 [3択]ハンマー投げ

・29e 米津玄師 よねづけんし

・xx [ある岬の名前]足摺岬 あしずりみさき

2022-11-24

すずめの戸締まり再鑑賞で考えた事など(ネタバレ

タイトル出るとこの演出すげー好き

シンエヴァで一番好きなとこ、「これまでのエヴァンゲリオン」なんだけど

イカジャケットアートみたいな良さがある

ヒプノシスとかロジャーディーンみたいな


ダイジンの要石抜く前、ノイズが入ってるけどダイジンから干渉されてない?

すずめ的には自分勝手に抜いたって意識だろうけど

名前聞かれてダイジンとして通じてるとことか、神戸で人に見せてるところとか何等かの神通力あるよな。

病院でも一方的に考え伝えてるし

相手気持ちを伝えることはできるけど、相手が何考えてるかはわからないみたいな。喋れるし。




ダイジンはおばさんに憑依して思ってること喋らせてたけど自分では喋れないっぽい?

相手の考えも読めるんだろうな。東京の後戸でも干渉してたり…いやあれは普通に本心だな。

俺「達」閉じ師ってのにちょっと引っ掛かったけど、先代とか爺さんのこと言ってるだけかな。

爺さんが育ての親だから両親亡くしてるっぽいんだよな?

ツルゲーネフはつ恋はどんな意味があるのか知らん?

病院に行きたがらなかったのは入院したら試験に遅れるからじゃね?と言われてたが…いやそのケガで試験行ったらドクターストップだよ!二次面接だろうし

後戸が開くとミミズが出てくる…忘れなさい、の雑な情報開示、草太はそういう奴だからで納得しちゃったが、突き詰めると富野節みたいになるんだろうな


稔君が思ったより頼りになってた。芹沢のせいで霞みまくってるけど。

爆弾魔くらいのスペックはありそう

タイムリープっぽいけどタイムリープでもないんだよな。

時間軸共有というか。

観覧車んとことか過去自分未来自分が会ってるのを現在自分が見てるというややこしい状況

魔が差し椅子過去すずめ撲殺したらどうなるんだろう…いや、過去行方不明として処理されるだけか

教職はやめとけ!ブラックだぞ!と思ったが小学校っぽいな?いや小学校もキツいぞ!

病室に骨壺の袋置いてる?

「また東京の後戸開けちゃるけぇの」は脅しとしてヤバいすぎる…

戸隠してたのは誰かに開けられないためだろうし?


初見だとサダイジンシームレスに要石に戻ったの気づかなかった

二人で要石になれば永遠に一緒じゃん!ハッピーエンドじゃん!

アカ共依存エンドはオタクしかウケへん…

ボロボロ女の子が裸足で歩いてても助けてくれない東京って怖え…

でも東京には理解のある芹沢いるからな

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2019-06-11

anond:20190611131120

白人天才が多い理由 https://0dt.org/001002.html

 白人は脳の平均サイズアジア人より若干小さいが、非常に大きな巨脳を持つのはむしろ白人の方が多い。

鉄血宰相ビスマルクの脳重量は1807gと大きかったしロシア文豪ツルゲーネフの脳は2012gもあったと言う。

アジア人で1700gより大きな脳を持つ人は殆どいないんじゃないか?

白人の中に時々超天才が生まれるのはやはり脳の大きさが関係している。

2017-10-04

月がきれいですね」「死んでもいいわ」は大嫌い

こんなに月がきれいな晩にいうのも何だが、

いわゆる「月がきれいですね」のくだりオマージュが大嫌いだ。

何か物語があり、何かのカップリングがあると、すぐどいつもこいつも、

男「月がきれいですね」 女「死んでもいいわ」 ラブラブEND みたいな掌編マンガドラマを書き始めるが、

あれはなんだ。



嫌いな理由

月がきれいですね」は漱石(が言ったことになってる)の気の利いたジョークであり、

その意味を汲めないやつが消費的に使っていること。

I Love Youをまんま和訳すると、当時の日本人には直接過ぎる。

から月がきれいですね」という当たり障りのない事を「そうですね」とやり取りすることで、

2人の気持ちは通じ合っていることを確認するから愛の告白なのだ

だぁから、間違っても返す言葉は「死んでもいいわ」じゃない。

「そうですね」とか「私もそう思います」だ。それで2人は見つめ合うーーーなら良い。いいじゃないか

それ以上言葉はいらない、心はもう通じ合ってるじゃない!

なのにさあ…なんなん…


嫌いな理由

月がきれいですね」と「死んでもいいわ」はまったくニュアンスが違うし、情の質も異なる。

なのにそれを無視して、無視して、ただ近代文豪が言ったという権威に乗っかってキメラにして、

それでいてなお、ちょっと自分作品文学・詩的にしようとしてる姑息さが嫌いだ!

「死んでもいいわ」は二葉亭四迷ツルゲーネフの「片恋」を訳す際に用いた言葉だが、

はい、もうこの時点で何人かは、「エッこれ漱石言葉じゃないの!?」とか言ってるからな、ここで!)

ヒロインのアーシャが主人公に抱きしめられて返した言葉だ。唇が主人公の胸元に触れるか触れまいか

ところで、アーシャがぽろりと漏らした言葉がこれだ。

アーシャは主人公に、片思いしてるわけ。そんな主人公に熱い抱擁をされて、

彼女はきっと、熱に浮かされたように頭に血が上り、緊張し、そして幸福絶頂を味わったんだよ。

だ・か・ら・こ・そ、「死んでもいいわ…」なんて言うわけ。もう今の幸福を例えるなら、

死んでも惜しくないほど幸福だと。

分かる? 「死んでもいいわ」はなんなら、I Love Youあなたを愛しています なんて生易しい沸点言葉じゃないの。

暴走ギリギリ感情表現しているわけ。

これで「月がきれいですね」と「死んでもいいわ」の言葉の取り合わせがいいわけないよね?でしょ?

ほら。

ね、みんな嫌いになったでしょ?

なんか安っぺえええ、浅い知識いかにもこざっぱりした和風純情を出そうとしてるせこい演出だと思わない?



はあ、言いたいこと書いた。気持ちよかった。ではまたこんど。

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2013-11-17

オナニーのみ

 何もかもがうまくいかない。

 世の中っつーか、まあ、俺が生きてる世界だけど。

 この中では、俺は、本当に産業廃棄物なんだろうな。 <h3>o- *</h3>

 モテたことも当然無い。 友達、いたのかなあ。 いたのかもしれないが、もう10年くらい友達というのはいない。

 職場でも、常にバカにされる。 いやもちろんバカなんだけど。

 「人間性が無い」 「なんで謝ることもしないの?」 「謝らなくていいから結果出せよ」 「普通出来るだろ、甘えるな」 「非常識だし、失礼だ」

 分かってる。 迷惑をかけたら謝る。 謝ったら口だけと言われる。 なぜか?

 謝ってもまた失敗するから。 メモもとって、手順を脳内シュミレーションしてやるんだけど。 それでも間違える。

 精神科行ったけど、異常なし、むしろ知能指数は高かった。 なぜだったら巧くできないんだろ。 <h3>o- *</h3>

 ネットでも、空気が読めないらしい。 ネットでも空気が読めないということは、本当にダメなんだろう。

 どのコミュニティでも巧くいかない。 できるだけ目立たないようにしてるんだけど、なぜかダメ。 多分根本的に頭がおかしいのかもしれない。 <h3>o- *</h3>

 格闘技もやったが、巧くいかなかった。 格闘技自体はそこそこくらいのレベルだったんだけど、人つきあいがだめだった。

 どうしても、練習で自分より弱い人達ばっかだったから、手を抜いていたら、それがよくなかったらしい。 <h3>o- *</h3>

 オナニーけが救いだと思う。

 俺個人は本当に何もできなくて、俺を慰める現実は無い。 ただ、ネットオナニーのためのおかずだけは、いつでも優しい。

 ネットのおかずが現実じゃないのは分かってる。

 だけど、エロ漫画の子達は優しい。 エロげではモテるし、セックスさせてくれるし、優しくしてくれるし、俺のこと大好きみたい。 AV女優も俺のことかわいがってくれる。

 現実では一生ないけど、ネットしかないけど。

 ネット以外にリアルなんてない。

 文学とか、哲学もそこそこやるけど、やっぱり文学哲学って、正しいんだけど、俺とは関係が無い。

 ツルゲーネフの恋の描き方。 ドストエフスキーの変質的主人公。 チェーホフ日常へのいつくしみ。

 分かる。 分かるけど俺とは関係無い。 これもエロゲーと同じで、都合のいい妄想にすぎないのもわかっている。 <h3>o- *</h3>

 仕事に向いてない人がほとんどで、皆それに会わせているのもわかる。

 だけど、小中高大学とまったく楽しくなかった。 多分、皆、運動会とか、学校友達と遊ぶとか、実験とか、なんか楽しいのあったんだろう。 それが、まったくなかった。

 そもそも、人が好きじゃ無いというのが大きいんだと思う。

 他人と付き合うのが、完全に仕方ないから渋々、という態度だった。

 何度も何度も他人と付き合う方法を探した、技術だけはそこそこだけど、本質的に人が好きになれなかった。

 人というか、ネコかわいいというのが分からないし、犬も好きじゃ無い、動物を好きになったことはない。

 中二っぽいけど、魚をさばいたり、肉をさばいたりするのは快感だとは思った。 ちゃんと生き物として生きているんだな俺も、という快感があった。 <h3>o- *</h3>

 産廃なんだと思う。 DNAが間違うと奇形が生まれるように、俺も奇形だったんだと思う。

 奇形進化環境の変化に淘汰されないために必要なのかもしれない。 そして、俺も必要産業廃棄物の一つなのかもしれない。

 生きる意味は、もう果たした、タダ単に変異の一つとして生まれただけ。

 それが悪い方向に働いたから仕方が無い。

 人間のフリして生きているだけなんだなと感じる。 <h3>o- *</h3>

昔、一回自殺未遂した。 未遂だったから生きてるんだけど。 それ以降は、現実現実と思えない。

 あそこで俺の人生は一回終わったんだけど。 じゃあ今というのは何だろう?というのがとらえきれない。

 ふわふわしてて、生きているというのが不思議というか、何で生きてるのかがよく分からない。

 生かされているだけなんだし、地球の中で、偶々こういう物質構成が存在しているだけで、あんまり意味はないんだけど。

 じゃあ、なんで俺はまだ生きているんだろうとも思う。

 生かされているんだけど、誰が生かしてくれているのかが分からない。

 生きていることで、親が悲しまず、仕事先のお客さんのためになっているのかなと思う。

 そう思うと、俺の使っている服もマウスキーボードも、どこかの誰かが犠牲になっているのかなとも思う。

 服を着る、オナニーをする、パソコンをする。 これが誰かの犠牲の上で成り立っている。

 それを享受してもいいんだよってのが世の中だけど。

 そのかわり、俺もその犠牲にならなきゃいけない。

 そこから一人だけ逃げるのはズルイのかな。

 ズルイかもしれないけど、過去の人達が積み上げて今がある。 今の人は過去財産を引き継いで生きている。 <h3>o- *</h3>

 緑の革命ってので、農業生産効率が一気に上がって、農業従事者が極端に少なくても食物の生産がOKとなった。

 服も手編みから機械へ。 そしてロボットへ。

 住宅も木や石から、鉄筋コンクリートへ。

 人間労働が、生きるための労働がどんどん必要がなくなった。

 だから、当然ニートもでる。

 俺もニートだった。 今はパート

 パートで、週5日、1日4時間ほど働いて、だいたい月10万あるか無いか。 10万って数字は、社会保証をけずるためだろうね。

 過去財産を引き継いでいるはずが、ロボットが受け継いでくれる。

 その分人は豊かになって、俺なんて、週20時間労働で生きていられる。

 でも、コンビニスーパーもどんどん機械化していくのかな。

 amazonによって、どれくらい地域産業って死んだんだろ?

 デパートスーパー商店街を殺したとも聞く。

 世界産業が、そういう風に変わっていったとき、俺は淘汰される方に回るんだろうな。

オナニーのみ

 何もかもがうまくいかない。

 世の中っつーか、まあ、俺が生きてる世界だけど。

 この中では、俺は、本当に産業廃棄物なんだろうな。 <h3>o- *</h3>

 モテたことも当然無い。 友達、いたのかなあ。 いたのかもしれないが、もう10年くらい友達というのはいない。

 職場でも、常にバカにされる。 いやもちろんバカなんだけど。

 「人間性が無い」 「なんで謝ることもしないの?」 「謝らなくていいから結果出せよ」 「普通出来るだろ、甘えるな」 「非常識だし、失礼だ」

 分かってる。 迷惑をかけたら謝る。 謝ったら口だけと言われる。 なぜか?

 謝ってもまた失敗するから。 メモもとって、手順を脳内シュミレーションしてやるんだけど。 それでも間違える。

 精神科行ったけど、異常なし、むしろ知能指数は高かった。 なぜだったら巧くできないんだろ。 <h3>o- *</h3>

 ネットでも、空気が読めないらしい。 ネットでも空気が読めないということは、本当にダメなんだろう。

 どのコミュニティでも巧くいかない。 できるだけ目立たないようにしてるんだけど、なぜかダメ。 多分根本的に頭がおかしいのかもしれない。 <h3>o- *</h3>

 格闘技もやったが、巧くいかなかった。 格闘技自体はそこそこくらいのレベルだったんだけど、人つきあいがだめだった。

 どうしても、練習で自分より弱い人達ばっかだったから、手を抜いていたら、それがよくなかったらしい。 <h3>o- *</h3>

 オナニーけが救いだと思う。

 俺個人は本当に何もできなくて、俺を慰める現実は無い。 ただ、ネットオナニーのためのおかずだけは、いつでも優しい。

 ネットのおかずが現実じゃないのは分かってる。

 だけど、エロ漫画の子達は優しい。 エロげではモテるし、セックスさせてくれるし、優しくしてくれるし、俺のこと大好きみたい。 AV女優も俺のことかわいがってくれる。

 現実では一生ないけど、ネットしかないけど。

 ネット以外にリアルなんてない。

 文学とか、哲学もそこそこやるけど、やっぱり文学哲学って、正しいんだけど、俺とは関係が無い。

 ツルゲーネフの恋の描き方。 ドストエフスキーの変質的主人公。 チェーホフ日常へのいつくしみ。

 分かる。 分かるけど俺とは関係無い。 これもエロゲーと同じで、都合のいい妄想にすぎないのもわかっている。 <h3>o- *</h3>

 仕事に向いてない人がほとんどで、皆それに会わせているのもわかる。

 だけど、小中高大学とまったく楽しくなかった。 多分、皆、運動会とか、学校友達と遊ぶとか、実験とか、なんか楽しいのあったんだろう。 それが、まったくなかった。

 そもそも、人が好きじゃ無いというのが大きいんだと思う。

 他人と付き合うのが、完全に仕方ないから渋々、という態度だった。

 何度も何度も他人と付き合う方法を探した、技術だけはそこそこだけど、本質的に人が好きになれなかった。

 人というか、ネコかわいいというのが分からないし、犬も好きじゃ無い、動物を好きになったことはない。

 中二っぽいけど、魚をさばいたり、肉をさばいたりするのは快感だとは思った。 ちゃんと生き物として生きているんだな俺も、という快感があった。 <h3>o- *</h3>

 産廃なんだと思う。 DNAが間違うと奇形が生まれるように、俺も奇形だったんだと思う。

 奇形進化環境の変化に淘汰されないために必要なのかもしれない。 そして、俺も必要産業廃棄物の一つなのかもしれない。

 生きる意味は、もう果たした、タダ単に変異の一つとして生まれただけ。

 それが悪い方向に働いたから仕方が無い。

 人間のフリして生きているだけなんだなと感じる。

2010-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20100217080131

俺も「メディアの影響」と断言する切り口には賛同しないし、そもそもイデオロギー管理メディアに託せと

主張する元増田の主張には全く賛同出来ないんだけど。(それ、めっちゃ危ないし)

だからこの文章は議論のための議論、お遊び。だからネタ元は申し訳ないけどググって欲しい。

でも、UFOに関しては実はそれ結構有名な研究素材だったりする。

えーと、誰だったかな。昔、UFOっていう存在が生まれてくる前、「UFO」的な存在ってのは

「空を行く船」だったんですよ。「俺んちの上を船がギコギコとんでったんだよー」って目撃証言が結構ある。

それが、第二次世界大戦最中「フー・ファイター」に化けた。

ドイツの新型爆撃機だったり、あるいは日本の新兵器だと言われたりした。

そしてその次に来たのが、ケネスアーノルド事件。空飛ぶ円盤誕生となった事件。

これの面白いのは、ケネスUFOの「飛び方」を表現するために、フライングソーサーという言葉を使ったんだよね。

決して、物体の「形状」を表現するために使ったんじゃない。

でも、この時代のメディアで「空飛ぶ円盤」と表現されたため、一気に「円盤」の目撃例がこの後増えるわけです。

恐らく元増田ロズウェル事件とケネスアーノルド事件を混同してるんだろうけれど、

メディアがある種のものをイデオロギー化して蔓延させるって面ではケネスアーノルド事件ほどわかりやすいサンプルはないでしょう。

まるで、UFOの如く表れまるで実在論的な存在として日本社会に居ついた「恋愛」のようにね。

日本の「恋愛」はツルゲーネフの影響が地味に大きかったりもする、何故なら日本に「恋愛」を持ち込んだ奴らの聖書がこれだったから。

そーいうわけで、ケネス事件ってのはある種のイデオロギーメディアによって実在化するっていうのの例示として、

割りと有名なモノだったりする。これ、専門書も一杯出てるから読んでみると面白い。「恋愛」と非常に似通う。

そして、「家制度解体」のような社会の変化とメディアが一体化したって面でも一致が見られて、

この時代UFOは「冷戦」を背景にその存在をより実在的なものとして現したわけなんですよ。ソ連秘密兵器だー、って。

その辺はもうこの辺りの議論として使い古された定型なので、そんなに厳密にデータ出させる必要はないかな、と思う。

そして、「犯罪率」

これに関しては、一時サカキバラ事件のあたりに「若者犯罪率がヤベエ!」みたいなデータが出てきたときのもの。

これ、確かに一時「キレる若者」とあいまって、非常に社会に浸透した。

それはもちろん五年スパンで見れば確かに上昇してたんだけど、30年スパンで見ると半分以下に減っていた、っていう

最近の若者は」論に対するカウンターとして、現在では有名になっている。

「正しい統計を使って嘘をつく方法」としても有名。

現在でも、インチキ統計議論に関して非常に頻出するイシューだったり。ただ、これに関しては

インターネットメディアの逆襲もあって「一番犯罪率高いの団塊じゃねえかwww」って結論が

現在では割りとネットにもリアルにも根付いてる気がする。

ボクシング殺人に関してはぼく知らないけどね。

でも、この二つに関しては理論語の定義をしなくても、ある種のメディア理論として定型化してるので

十分議論の俎上に上げられるかなぁ。社会背景との複合性も含めて、「決め付けによる印象論」とは

切り捨てられない論題にまで熟成しちゃってると思う。だって、ちょいと検索すれば全部出るもの。

特に恋愛UFOの現象的類似性は、十分語れると思うなぁ。

まぁ、ロズウェルとケネスを混同するのは良くないけど。(ロズウェルはケネスほど、明らかに「メディアの影響」と腑分けできない。ケネスは、「円盤」っていうのがあったからメディア論の格好の素材になったわけで)

恋愛」って日本人にとってUFOみたいなモンなんですよね。

冷戦」の社会背景は「戦後」になるし、突然現れて「実在する真実」みたいな色合いを持った点も共通するし。

するってーと、やっぱそのコンテクストの集合点になっている「恋愛」が、メディアの流布したものだって点は

やっぱり見逃せないんじゃないかと思うなぁ。俺は元増田のように、「恋愛ドラマ」が原因だとは思わないけど。

どう考えてもツルゲーネフを持ち込んだ奴らが悪いと思うw

2008-07-30

まんじゅこわい

http://anond.hatelabo.jp/20080730043540

高校生活最後の夏休み

高校3年生です。受験生です。夏休み中です。鬱です。

夏休みに入ってから精神がすごく不安定だ。

何かに集中していないと、常にああ鬱だなあと感じてる。

増田の皆さん一喝してやってください。

なんだかんだで学校である程度一定の状態に保たれていたんだと思う。

もともと僕は精神的にすごく弱い人間で、何事もすぐに逃げたいという気持ちをもってしまう。

本当に逃げ出してしまうことはめったにないけれども。

勉強ってつまらない。くそつまらない。

一応全国でも有数の進学校高校から入学して通っていて、最近は最低限は勉強しているわけだけれども、

本当は偏差値や校内順位だとかの数字で一喜一憂したくない。

入学してから2年間は可能な限り勉強を避けてきた。

入学時は割と上位だったであろう成績もいつの間にか下に数えるほどしかいない状態になった。

赤点まみれの成績表になった。職員会議に成績不振者として登場するラインのある意味ダブルスコアだった。

幸い今では平均レベルには戻ったようだけど。

知的好奇心は旺盛なほうだからか、図書館とかに勉強しに行くと集中力が途切れることなく数時間と続けて勉強できる。さすがに目は疲れちゃうけどさ。

それでもこう勉強しなきゃなーということを考えると勉強ってつまらないって思う。

小説を読む、音楽を聞いているほうが人間味があって数倍素敵だなと思う。

世界史倫理を学ぶことだって、地理民族紛争を学ぶことだって、ただの知識なんだもん。

デカルトは今こうして考えている自分は確かに存在する、われ思う、ゆえにわれありといいました。それを合理論といいます。」

別に、ツルゲーネフの「父と子」に登場するなんとかヴィッチのようなニヒリズムではないと自分では思ってる。

というか車輪の下主人公に近いんだろうか。今思った。思いつき。

大学でやりたいこともないまま、大学に入学するんだろうか。

このままいけばたぶん早慶、奮起できれば京大東大

教師一家に生まれたにも関わらず、上のいとこたち数人は高校中退だったりいわゆる学業が振るわなかった人たちばかりだったから、

親戚一同喜んでくれると思う。たとえここでぱたりと勉強をやめ、地元の公立大に入学したとしても。

でも中途半端プライドが許さないからだらだらと勉強は続けて上に挙げた大学に進むんだと思う。

それで最低限のプライドは守られる。でも決して満足はしないのであろう。

学費をお母様お父様に払っていただいてもらいながらも、さぼりがちの大学生活を送るんだろうか。

なんて親不孝者なんだろう。

世間の評価は冷たいのかもしれないけど、やりたいことがあって専門学校に通う人が今の僕にはうらやましい。心のそこから。

僕だけじゃなく、こんな感情は誰もが通る道なんだろうか。中2病の類なんだろうか。

ただ僕のプライドが高すぎ、また自己顕示欲が強すぎるだけなんだろうか。

親しい友達にもこんな長々と話せない。わからない。周りが見えない。

勉強をしなきゃいけない、本を読みたい、教養を身につけたい、友達とずっと喋っていたい、女の子といちゃいちゃしたい、眠たい、寝られない、勉強したくない、いつこの気持ちから解放されるんだろうか、いっそまあまあ幸せな今のうちに死んでしまったほうがいいんじゃないだろうか、でも苦しいのは嫌だ、周りから認められたい、自己主張をしたい、もっとみんなに好かれていたい、もっとみんなに愛されたい、誰かにかまっていてもらいたい、明日なんて来なければいいのに、寝る時間もったいない、寝なきゃいけない、部活を同じメンバーでまたやりたい、この高校生っていうモラトリアム期間ももうすぐ終わる、そのうち歯医者看護婦さんから大丈夫?が大丈夫ですか?に変わる。

様々な気持ちをもった自分がいる。すべて鬱という言葉に収束している僕が。




長くなってしまいました。昼過ぎに起きたら消します。。

通常しなくてもいい消すよ宣言をわざわざしてらっしゃる辺りから文意を汲んでコピーとっときます。起きたら読むかも。読まないかも。

2008-06-17

http://anond.hatelabo.jp/20080616234922

うーん、中学生くらいの時はトルストイだかツルゲーネフだか読んでたが飽きるんだよなあ。名前長くて区別するの面倒臭いし。

それに、今の自分にはそれよりもおもしろい本がいっぱいあるから、そっちに夢中であまり好きでもない古典を読もうって気にはならないな。

気持ちだけもらっておくよ、ありがとう

 
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